東方見雲録

東方見雲録

2026.07.22
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カテゴリ: ランドスケープ



意匠図案説明      面影橋、ススキミミズク、区花・ツツジを描く
開設場所 〒171-0033 東京都豊島区高田3-40-12
引用サイト: こちら

高田 地名
JR高田馬場駅の北東側にあたる。北側に学習院大学(住所は豊島区目白)と雑司が谷がある。東側に新宿区西早稲田に文京区目白台、南側に新宿区高田馬場、西側に新宿区下落合と接しており、豊島区の境界にあたる(新宿区との境界は神田川)。都電荒川線が通っている。

神田川沿いの低地と関口台地(目白台地とも)の境目となるため坂が多く、中でものぞき坂は都内でも有数の急坂として知られる


荒川線高戸橋から学習院下停留所方面を望む(2026年5月)



引用サイト: こちら



地名の由来

地名用語によると「タカ」または「タケ」は崖や急な傾斜面のことをいうようだ。
ここは神田川に向かって急斜面になっており、そこに段々畑で耕地を開発したことによると考えられている。

参照:東京の地名の由来 東京23区辞典 東京知ったかぶり!
引用サイト: こちら

面影橋
面影橋(おもかげばし)は、東京都を流れる神田川に架かる橋である。面影橋停留場そばにある単純なコンクリート橋だが、太田道灌の逸話にある山吹の里の地とされ、江戸時代・明治時代には名所のひとつであった。

姿見の橋
なお、関連する名称に「姿見の橋」の名があるが、=これは面影橋の別名であるとも、神田川よりやや北の小川に架かっていた橋の名であるとも言う。 そのほか歌川広重の『高田姿見のはし俤の橋砂利場[1]』(名所江戸百景)では逆に、手前の神田川をまたぐ橋が「姿見の橋」、奥の小川に架かる橋が「俤(おもかげ)の橋」と呼ばれるなど、やや混乱を来している。

『名所江戸百景』より「高田姿見のはし俤の橋砂利場」



面影橋 (2016年8月撮影)



山吹之里の石碑
引用サイト: こちら



所在地 高田一ー十八ー一
 新宿区山吹町から西方の甘泉園、面影橋の一帯は、通称「山吹の里」といわれています。これは、太田道灌が鷹狩りに出かけて雨にあい、農家の若い娘に簑を借りようとした時、山吹を一枝差し出された故事にちなんでいます。後日、「七飯八重 花は咲けども 山吹の みの(簑)ひとつだに 無きぞ悲しき」(後拾遺集)の古歌に掛けたものだと教えられた道灌が、無学を恥じ、それ以来和歌の勉強に励んだという伝承で、「和漢三才図会」(正徳二・一七一二年)などの文献から、江戸時代中期の一八世紀前半には成立していたようです。
 「山吹の里」の場所については、この地以外にも荒川区町屋、横浜市金沢区六浦、埼玉県越生町などとする説があって定かではありません。ただ、神田川対岸の新宿区一帯は、昭和六十三年(一九八八)年の発掘調査で確認された中世遺跡(下戸塚遺跡)や、鎌倉街道の伝承地などが集中しており、中世の交通の要衝地であったことは注目されます。
 この碑は、神田川の改修工事が行われる以前は、面影橋のたもとにありましたが、碑面をよくみると「山吹之里」の文字の周辺に細かく文字が刻まれているのを確認でき、この碑が貞享三年(一六八六)年に建立された供養塔を転用したものであることがわかります。
平成十六(二〇〇四)年三月

引用サイト: こちら

ススキミミズク
すすきみみずくは東京都豊島区の郷土玩具で、ススキの穂を束ねて作られたみみずくの人形。

鬼子母神のお告げによって作られるようになったとされており、雑司が谷鬼子母神の参詣みやげとして販売されている。
由来
昔むかし、貧しさゆえに病気の母親の薬を買えなかった娘が鬼子母神に祈ったところ、夢の中に鬼子母神が現れて、「ススキの穂でみみずくを作り、それを売って薬代にしなさい」と告げた。

娘がその通りにしたところ、みみずくは飛ぶように売れ、そのおかげで薬を買うことが出来たという。

引用サイト: こちら






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Last updated  2026.07.22 00:00:09
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