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なんか、今日頭が痛い。風邪かなあ?体の節々も痛いし・・やっと気になっていた掲示板にお返事できましたーみなさん見捨てないでー!午前中は、幼稚園の発表会に行ってきました。わが子ながら、とってもかわいかったです。子供とワンちゃんは、やっぱり小さいときがかわいいですねっ!?----------------------------------------------------7日目に奇跡を起こした私は、その日でその美術全集セールスの仕事をやめた。なぜなら、体と精神がズタズタだったからだ・・・もう、8日目の飛び込みへの元気はなかった・・・セールスの仕事はよーくわかった!って感じだった。もうこの世界に踏み込むことは、私は絶対無い!って思った。だって、私にはやっぱりハード過ぎたのだ。まあ、いい経験だったなあ・・・・って感じだった。そんな感じで、冬休みも終わってまた大阪へ戻る。古巣の?喫茶店「香」へ戻った。そんなこんなで、春を迎え大学4年生を迎えていた。就職活動・・・・そんな言葉が出てくる季節だった。私の大学は工学部、しかも機械工学科。そろそろターゲットになる会社を探さなくてはならない。そもそも、私は長男であり、大阪で就職するつもりは全く無かった。なんとなく、親の近くにはいてやらないと・・・・って思っていたので、迷わず岡山への就職を考えていた。岡山は、田舎だ。大きな企業もあまり無かったし、興味をそそる仕事もなかなか見つからなかった。でも、ぼんやりと機械関係の会社をピックアップはしていた。(株)○○機械、○○工業(株)、○○鉄工所、など地元では、まあまあの知名度の優良企業をなんとなくイメージしていた。そんな感じで、資料請求ハガキをそんな会社に請求をしていた。そんなある日、ぼろアパートにいるとピンク電話に私宛に一本の電話がかかってきた。本当にその電話は、突然の電話だった・・・「高田くんですか?」私「は、はい・・・」相手「私、トヨタ○○○岡山の人事課のHと言います。 今、君が住んでる寝屋川市の駅前にいるんだけど これから会えないかなあ?」私「えっ?いまからっ?」相手「うちの会社に資料請求したでしょ!一回会おうよ!」確かに、私は車が当時大好きだったので、興味本位で自動車ディーラー各社に資料請求をしていたのだ。人事課っていうことは、リクルートの人だって思った。でも、急すぎる!・・・私は、ちょっと躊躇したけど暇だったので「はいわかりました。どこにいけばいいですか?」って答えた。私は、自動車ディーラーの整備関係とかにも興味があったのでまあ、損にはならないだろうって思ったのだ。でもこれが、実は運命の時だったのだ・・・・ つづく
2004年01月31日
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飛び込み7日目!奇跡よ起これー!1日2日めが、さんざんな結果に終わった私は勇敢にも3日めに突入した。完全に、一人で今日は飛び込んだ。しかし、体の疲れが取れない。朝から、電車で岡山市内の会社まで行き、そこからわざわざ例のワゴン車で、田舎に向かう。移動だけでも疲れるのだ!この日も朝から、断りの連続だった。売れる気が全くしない・・・・・・自分だったら、こんなもの買わないって思ってたから余計に自信が無い。でも、歩き続ける。疲れたら、木陰に座って休憩。立ち止まると寂しくなる・・・・「何やってんだろう?・・・って」でも、このまま引き下がるわけにはいかないって思ってた。私って意外に負けず嫌いなのだ・・・必死で、サンプルの金閣寺を見せて説明し続ける・・・しかし、値段を聞いたとたんに、みんな「高すぎ!買えるわけないじゃろ!」って断られた。辛い・・・自分自身が、否定されているような感じに思えた。セールスマンっていう仕事は、最低だ!ってみんな言ってるように思えた。見下したような目。バカにした対応。犬や猫のようにも扱われた・・・3日目もそれで、終了!販売実績は当然ナシ!その日、女の子の1人がやめた。なんか、飛び込んだ家で男にいやらしいことを?されそうになったらしい!?泣いていた。(確かにそんな危険も含んでいる。1人だもんなー かわいそうだった。) しかしその後、私はしつこくこのバイトを続けていた。 4日目5日目6日目と同じような状況が続く・・・バイト代いまだに0円だった。バカとしかいいようが無かった!しかし・・・・・・・・・・7日目に奇跡が起こることになる!その日は、へとへとだった。これまでの疲れがどっと出て、訪問ペースはかなり悪かった。もう限界かも?・・・って正直思っていた。普通のバイトをしとけば、正直7日間で30000円ぐらいにはなっていたのに・・・なんて思っていた。午後4時ごろ、一軒の家に訪問した。ドアを開けて、「こんにちはー!」っていうと奥の部屋の中に、ミシンをかけているおばちゃんがいた。「なんですかー?」っていつもの返事だ・・・「実は、文部省の・・・・」っていうトークを話していると、おばちゃんが出てきてはくれなかったがじーっと私の話を聞いている。どうも内職らしく、手が離せないようだった。ミシンをかけ続けていた。私は、続けた。「これが、金閣寺の写真ですー!」って部屋の奥に向かって、サンプルを精一杯のばしておばちゃんに見せた。すると・・・・手を止めて、私の方へ近寄ってきた。私は、玄関に棒立ちしている・・・「見せて・・・」っておばさんが言った。「はい。」じーっと「金閣寺」を見ている。違うページも見出した。「ふーん、きれいじゃなあ」っておばさん。「あんたー、ちょっと来られー!」って叫んだ。すると奥から、のそっとご主人が出てきた。胡散臭そうに私を見てから、奥さんを見た。「これ、見られー!きれいな本じゃろう!」ってご主人に見せる。ご主人、黙って見ている。私もずっと黙っている。おばさんが、「おにいちゃん、この本なんぼするん?」って言った。(あっ、きた!これで値段を言ったら、終わりだなあ・・)って今までの体験から反射的に思った。)「32巻で、16万円です・・・」おじさん、おばさんが黙った。沈黙の時間・・・・・「ええ本じゃから、もらおうか?お父さん!」っておばさんが言った。「えっ?」聞き間違いかと思った。「にいちゃん、これどうやったら買えるんなら?」ってご主人が・・・売れたのだ!売れた!夢のような瞬間だった!・・・・初めて、ご契約書にサインと印鑑をもらったのだ。手が震えてどうしようも無く、何を言ったかも覚えてない。ただ、ただ、そのおばさん夫婦に頭を下げ続けた記憶があった。とにかく、これが私の初めてのセールス、でした・・・この時20歳。このバイト、ちなみにその7日目にきっちりやめてしまいました。1週間のバイト代15000円なり。 つづく
2004年01月28日
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飛び込み2日目前日、ズタズタに断られ続けた私は重い体を引きずってまた、早朝からワゴン車で移動させられ田舎に降り立った。はっきり言って、ヤケクソだった。もう、すでに昨日の飛び込みで、プライドとか、きれい事なんていうのは、吹き飛んでいた。「売ってみたい!」その一心だった。その日は、先輩のスーツ男が見本を見せてくれるという。私は、その先輩について田舎道を歩いていた。どうやるのか、興味深々。ちょっとオールバック風の髪型をした、30代の男だった。ちょっとみるとカッコイイ。何の躊躇もなく、どんどん訪問していく。「こんにちわー!」ある意味さわやかな軽いあいさつ!流暢なしゃべり!とても私にはまね出来ない。ある家の軒先でのこと、どんどん庭先へ入っていく。おばあちゃんがいた。「こんちわっ!今日は、ぬくいなあ・・・・・」「へえ、ぬくいなあ・・」とおばあちゃん。見てると、どんどんおばあちゃんと話し込んでいく。この男、あっという間におばあちゃんと仲良くなっていた。気が付くと、縁側でお茶を出してもらっていた。美術全集は、さすがに売れなかったが、私は何か学習した気がした。初対面でも、いい関係は作れるってことだ!でも、はたから見てるとどう見ても「とよた○○」のセールスマンが、おばあちゃんをだまして、お金を騙し取ってるとしか見えないかもしれなかったけど・・・その後も、男のセールスマンはどんどん訪問した。何を言われても、「どーもー、またお願いしますー」って軽い調子。めげないのだ。今でいう、メンタルブロックがかからない状態なんだろう・・スゴイって思った・・・・あくまで、機械的に訪問していく。足取りもかろやかだ・・・・鼻歌でも出そうな勢いだ!こんな、先輩との同行訪問を午前中してもらって、私は気負っていた、気持ちが少し軽くなっていた。午後は、一人でまた飛び込んでいった。なんか、昨日よりは軽く飛び込めるようになった。しゃべりは、相変わらずマニュアルを棒読みしてる感じだが、なんとか、サンプルの本をを開いて、金閣寺の説明が出来るようになっていた。中には、最後まで聞いてくれる方も出てきた。「おにいちゃん、がんばってるなあ、えらいねー」とかいう、応援の言葉も出るようになってきた。お茶も出してくれる家も出てきた。「疲れたろう、お茶飲んでいかれー」とってもうれしい!でも、セールスはそんなに甘くなかった。2日目も、結果は1セットも売れなかった。バイト代0円!足は、ガクガク・・棒のようだった・・・ちなみに、この日は2セットが、他の学生によって販売成功となっていた。うらやましい。なぜ???あいつらに、売れて私には売れないんだ・・・・まだまだドツボにはまっている私だった。でも、何か起こりそう? つづく
2004年01月27日
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なかなか、続きが書けなかった!仕事も結構詰まっていて夜が遅く、寝てしまっていました。土曜日は仕事と楽天オフ会に参加。これは、楽しかった。みなさんありがとうございました。そして、今日は「ラストサムライ」を嫁さんと見に行く。サイコー!オススメ。日本人なら見に行けって感じでした。それから、掲示板にカキコミ出来てないのが気になります皆様、ありがとうです。ポチポチご返事しますねーー(涙)さて、この前の続きですー------------------------------------------------------一軒目の初めての飛び込みで、玄関先で逃げ出してしまった私は、河川敷の橋の下で、じーっと座り込み考えていたのです・・・・・無理だ・・・どう考えても無理だ・・・・恥ずかしいし、セールスなんて嫌がられる・・・私にセールスなんて出来るわけ無い・・・・って本気で、落ち込んでいた。普通のアルバイトにしときゃ良かった・・・・時間の無駄だった。なんて、かなりネガティブになってしまって結局、午前中はじーっと橋の下にいた・・・・お昼になった・・・しかたないので、学生たちと待ち合わせしていた場所に戻ることにした。他の学生たちも疲れきっていた。「売れた?」私「いや・・・」「売れるわけ無いよなあ・・・・」「そうそう・・・」ネガティブな意見が続いた。でも、その中に女の子の学生が2人いたのだけど意外に疲れてない。女の子「まだ、始まったばっかりだから、がんばって みよーよー!」って言っている。男たち「・・・・・」なんか、女の子の前で弱音は吐きにくくなった。私も、意外にみんなが弱音を吐いているので安心したのとまだ、何にも私は行動してないので、このまんま終わってはいけないって思い出した。ひそかに「よし!もう一回やってみよう!出来なくてもともとだ!」って思っていた。さて、午後に入った。今度は、私もかなり気合を入れていた。とにかく、訪問を続けようって思っていた。「こ、こんにちはー!」 って訪問する。最初は、しゃべれなかったが、やってるうちに慣れてくる。もちろん、ほとんどは断られる。断られるっていうか、「何ですか?」って言って出てこられて私の風貌を見て、一通り挨拶すると決まって「うちは結構ですから・・・・」って断られる。そりゃそうですよねー、スーツも着てないジャンパー姿の学生が、16万円のモノを売ろうとしてるんですもんね・・・今考えりゃ無理も無い!何件回っても、玄関先にさえ座らせてもらえない。追い払われる・・・・・変な目で見られる・・・・結構、精神的に弱ってきた。でも、この日の午後はがんばった。とにかく、歩き回って、ドアを叩いた。「赤ちゃんが寝てるから、大きい声を出さんで!」「あ、今、油を使ってますので・・・・」「今、お客さんがきてるので・・・」「今、忙しいから・・・」「文部省の推薦??証明書は持ってるんか?」とにかく、厳しい断り、クレームばっかり・・・・結局、夕方5時となった。足が、棒のようになった私はクタクタだった。他の学生もクタクタだった。私の結果は?もちろん、成果はナシ!タダ働きだ。でも、な、なんとビックリしたことが起こっていた。女の子の学生が、1セット売ったというのだ。「えっ?」って思った。売れるんだ。あんなもんが?・・・・って感じだった。私は、その報告を聞きながら、こう思っていた。女の子に売れて、私に売れないっていうのは情けない。明日は、なんとかしてやる!って悔しさからのモチベーションがメラメラって起こっていたのだ・・・でも、その日1人の学生がやめていった!さて、明日はどうなのか? つづく
2004年01月25日
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出撃!初めての飛び込み!ワゴン車に、詰め込まれて午前中にその美術全集の会社を後にした私たちは岡山市内から山陽町、和気方面に向かう。突然、スーツの男が言った。「高田くん、さっきのセールストーク練習しときーや」私「は、はい!」「私、文部省の推薦でこちらの地区を回らせて頂いている高田といいます・・・・・「金閣寺は、すばらしいですね!・・・・・」「えーと、えーと・・・・」そんなに簡単には言えない私がいた。つまり過ぎるのだ・・・何回も車の中で、それを言おうとしたが、言えない。「もうええわ、手に書いとき!」って言われた。他の学生は、シーンと見ている。なんか、情けない気分でしかたなくそのトークを手のひらにボールペンで書いた・・・・途中の弁当屋で、お弁当を買う。そして、走りながら社内で黙々とみんなお弁当を食べた。かなり、妙な雰囲気。学生たちは皆しゃべらない・・・・緊張しているのだ・・・私は、なんかヤバイなあ・・・と思いながらも、引き返せない自分がいた。走ること、一時間ぐらい経っただろうか?田んぼと山の見える、まさにド田舎に到着した。そこで、私たち学生は下ろされた。「じゃあ、がんばってな!」「夕方、5時に迎えに来るからな」って言い捨ててスーツ男は去っていった。えーっ??って感じだった。その時、私は汚いグレーのジャンパーに、汚いスラックスをはいて、持っているものは金閣寺の載っている例のサンプルの本。あとは契約書だけだ。カバンとかは持っていない。あとは一人で飛び込みでこの全集を売れってことなのだ。他の学生たちもちょっと面食らっていたが、「じゃあ、あとで・・・・」って言って去っていった。田んぼの横に、ぽつんと私が立っていた。セールスの世界で言う、いわゆる「パラシュート部隊」だったのだ。(後から考えると・・・)じーっと、私は数分間立っていた。こんな仕事できるのか?知らない家に飛び込みして、本を売る。しかも、16万円もする、変な本だ・・・・どう考えても売れそうに無かった。でも、このまま引き下がったら、バイト代は0円。もう、2日も出勤しているのに・・・・やらなければ・・・・やってみるしかない・・・チャレンジなのだ。新しい自分にかけてみようって思った。とりあえず、民家が並んでいる方へ歩いていった。田舎の家なので、土間があるような古い家ばかりだ。なんとか、勇気を振り絞って、一軒の家の前に立った。呼び鈴は、なかった。怖い。とにかく怖かった。なんて言われるだろう?私は、どう思われるんだろう?と、頭がぐるぐるした。でも、やらなければ・・・・タダ働きだ。売れば、15000円はもらえるのだ・・手も足も、正直震えた。やっとの思いで、引き戸(昔の家なので・・)を開けた。薄暗い・・・・「こ、こんにちゎー・・・・・・・」返事無し。「こんにちはー・・・・・」誰か出てきた・・・・おばさんが、出てきた。「はい、何でしょう???」私「あ、あのー・・・、私、も、も、もんぶしょう・・・・」おばさん「え?なに?・・なんですか!」とちょっといぶかしげに言った。それを見た私「す、すいませんでしたー!」気が付いたら、外に逃げ出していた。もうダメ!こんなんできるわけない!無理だ!私は、いきなり泣きそうになった。なんか、とても惨めだった。セールスなんて、やっぱり最低の仕事だと思った。思わず、私はトボトボと川の方に歩いていって、気が付くと川にかかっている橋の下の河川敷に座っていた。とにかく、座って考えていた・・・・・どうしよう・・・・・? 続く
2004年01月22日
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今日も、遅くなっちゃったです。今日はあっちこっち移動し、あっちこっちでしゃべってたので、とっても忙しい一日でした。でも、私を呼んでくださるお客様に感謝ですねっ!--------------------------------------------------「研修」ミーティングが終わって、研修が始まった。研修といっても、1時間ほどで終わったのだけど・・・その会社の売るものはズバリ!全23巻の美術全集だ。金閣寺とか、東大寺とかの日本の古いお寺、仏閣、とかの美術品がズラリと出ている図鑑みたいな、ものだ。かなり、ずっしり重い。作りは、かなりしっかりしている。さすが有名出版社?値段は確か、16万円ぐらいだった。すごく高いと思った。学生たちは、どうやって売るのかっていうと、テクニックが無いので、マニュアルを使わされた。皆、おんなじトークだった。こんな感じ・・・「こんにちは!」「私、文部省の推薦で参りました。学生アルバイトの高田といいます。」(文部省のすいせん?やばいなあ)「ちょっとだけお時間よろしいですか?」って言って玄関に入り、すばやく戸を閉め、玄関先に座る「こんな本を見られたことがありますかー?」ここで、サンプルに持っている本を開く。必ず金閣寺の出ているページ。「これ何かわかりますかー?金閣寺ですよねー」「すばらしい!って思いませんか?」・・・・・・・・・・・・・・・・・こんな感じらしい。ほとんど、今考えても強引なトークだ。ほとんど、会話はせんでいいから、この通りしゃべれって言われた。その説明が済むと、生まれて初めてのロールプレイを人前でさせられた。「じゃ、次、高田君!やってみて」えーっ?できないよー。こんなの。って思いながら、皆の前に立つ。本を広げながら、「こ、これ・・・・き、金閣寺・・・です・・・」「す、すばらしい・・・で・・・すね・・・」ぜんぜん、出来ない。出来るわけ無い。こんなことが出来るんだったら私は、コンプレックスなんてないわ!って思った。「ぜんぜん、だめじゃ・・・大丈夫か?」「は、はい・・・」「もう1回!」やってみるが、みんなに見られてるのと緊張感でろれつが回らない。たった数行のトークが言えないのだ。「もうええわー、車の中で練習しろっ!」って途中やめにされた。意外に、他の5人の学生はスラスラと言っていた。すでに、ヤバイ感じだった・・・1時間後、ビルの下に乗りつけられた2台のワゴン車に私たちは詰め込まれた。ど、どこに行くんだろう・・・・?? つづく・・・
2004年01月21日
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今日は、仕事バンバンプラザの日だった。なんか、今日は体調が悪く疲れきってしまった。もう、眠たいですー!おやすみなさいでも、昨日からの続きだけは・・・・----------------------------------------------美術全集のセールスのバイトどうしよう?困った。・・・・・・・しばし、考えた・・・・「やってみよう!」と思った。なぜかわからないが、その美術全集を売る仕事をしてみよう!って思った。今まで、物怖じして、恥ずかしがりやで、人前でちゃんとしゃべれないっていうコンプレックスを持っていた私だが、その時代のバイトで鍛えた接客とかの自信も少しあったのだろう。この仕事は、未知の世界だが、この仕事が出来れば何かふっきれそうな気がした・・・周りの学生たちを見ると、かなり動揺していた。怒っているヤツもいた。スーツ姿の男は言った。「やる気のあるヤツは、残れ!あとは帰っていいです!」って言った。その瞬間、かなりの学生たちが帰っていった。でも、5人ぐらいの学生は残った。私がその中の一人。スーツ男は、じーっと私たちを見た。「明日から、すぐ仕事だから来て!」って言った。早速、次の日8時ぐらいに、そのオフィスに学生は集合した。ピリピリしている雰囲気だ。私たちは、朝のミーティングを見学していた。全員、ビシッとスーツを着て、髪の毛もバシッとオイルで固めてある。昨日の受注報告か何かを、リーダーがしてるようだ!拍手も沸きあがる!売れてない営業マンは、何かはっぱをかけられているようだ・・・とにかく、ピリピリする・・・ミーティングの後、自己紹介をした。私は、あがってしまって何言ったかおぼえてない。学生は、私を含め男性が4人。女性が2人いたと思う。「よしっ!じゃあ、研修だっ!」って一人の男が、学生たちに付いた。とにかく、どうなっちゃうんだろう!っていう不安とどうにでもなれー!って感じが同居した瞬間でした。研修の内容は、明日にでも・・・・・
2004年01月20日
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今日は、夜「仕事バンバンプラザ」なので書き込みできそうにないので、先にアップしときますね!いよいよ、セールスへの道に近くなりそう!----------------------------------------------------さて、そんなこんなで・・・・何が本業なのか、わからない?私は、大学へ行けばわけのわからない微分積分の方程式を解いたり実験室にこもっては、流体力学とか熱力学???っていうとてつもなく地味な実験と研究に明け暮れていたのです。汚いツナギを着て、実験をしていると時々むなしくなることがこのころからよくありました。もともとこの世界を求めてきたはずなのに、どうも興味が薄れていく。周りには、やっぱりオタク系の変な学生ばっかり!もともと私もオタクなので、最初は良かったのだけどサービス業の魅力に取り付かれて?いた私には孤独で、さびしく、冷たい?機械の世界が、しっくりこなくなっていたのです。もし、このままこの方面で就職をしたらどうなるのだろう?どこかの機械メーカーか、何かの工場に就職して作業着にネクタイをして、毎日現場の機械と対話?したり設計図を前にして、唸る毎日なのかなあ?なんて・・・数字を目の前にして、実験レポートを仕上げているととてつもなく、自分がやってることがむなしくなってくるのです。こんなことが、本当に自分がやりたかったことなのかなあ?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そんな、自分にいよいよ!大きな転機がやってきました。それは、忘れもしない3年生の冬のアルバイトでのこと。これが、決定的に私をサービス業への道へひきこんだのでした。それは・・・・・ある日、帰省して求人広告を見ていた時のこと!「日給5000円!出版関係の仕事」っていう、文字が飛び込んできたのです。「おっ!5000円!スゴイ」って私は思いました。当時の日給で5000円っていうのは結構いい数字だったのです。早速、私は岡山市内のその会社の面接に行ったのでした。そこは、某生命保険会社の大きなビルにテナントで入っていた、結構有名な出版会社でした。皆さんもご存知だとおもいます。そこに、ジャンパーとジーパン姿で行ったのです。ところが・・・・・・なんか、思ってた雰囲気と違う!・・・・・その会社のドアを開けると、妙に張り詰めた雰囲気が・・・学生らしい人が、20人ぐらい来ていた。(そりゃそーだ、日給5000えんだもの・・)そして、面接というより、説明会が開かれた。妙に、スーツ姿のビシッと決めた人が多いなあって思っていたのだが、それはすぐ理解できた。そのスーツ姿の男性が、説明を始めた!なんと!その会社は、訪問販売の会社だったのだ!えーっ?本のセールスの仕事?ゲゲッ!そんなん、話が違うじゃねーかー!って感じだった。学生たちもかなりたじろいでいた。「やる気のねえ人は、帰ってもらってええから・・・」っていうスーツ姿の男の言葉。語気も荒い!なんと、1セット(23巻)16万円ぐらいの「美術全集」を飛び込みで売る仕事なのだった。しかも、日給5000円の話はどこへやら・・・・とにかく、売れたら15000円くれるっていうフルコミッションセールスだったのだ・・・・・売れなければ給料は0円だった・・・さあ、困った・・・ つづく
2004年01月19日
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喫茶店 「香」のアルバイトに戻ります。「香」は、出前もやっていたので、ウエイターで入っているときは、あっちこっちとコーヒー持って出前に行った。一番、印象深いのは隣にあるキャバレーに出前に行った時のこと。私は、もちろんキャバレーっていうものに行ったこともないし、どんなものかも知らなかった。夕方5時ぐらいだったと思う。客引きのおにいちゃんは、いつも玄関のとこで会ってたので「まいどー!コーヒー持ってきました!」って言うと、「にいちゃん、こっちこっち!持って入って!」って言われて薄暗い店内に、連れて行かれた。私は、すっごく興味があったのでドキドキ!どんなことになってるんだろう?キャバレーって??ピチピチのお姉さんたちが、いっぱいいらっしゃってすんごい格好?をして、すごいサービスを・・・・なんて、勝手に想像して歩いていった。とにかく、店内は暗い。そして、香水かなんかわからないけど、すごい匂い!それだけで、頭がぼんやりしてくるぐらいのものだった。「こっち、こっち!」って、ギャルの声が聞こえた。「は、はいー」ってそっちへ向かう。そこで見たものは・・・・・薄暗い店内に、浮かび上がるミニスカートから伸びる白い足!テニスルックのような、衣装。衣装から、はみ出そうな胸。そんな、恥ずかしい格好の女の子が暗闇に数人いた。おおっ!・・・・・私は、仰天した!スゴイ!この仕事やってて、よかったー!ラッキーラッキー!って、思いながら「こちらに置いてよろしいですかー」ってドギマギ言った。もちろん、恥ずかしくってその女の子たちと視線を合わすことは、出来ない。ところが・・・・「にいちゃん、何キンチョーしとんでー!」って女の子が言う。「えっ?」って顔を上げてみるとそこには・・・いつも、コーヒーを飲みに来ている水商売風のおばちゃん推定年齢40歳以上・・・・が、テニスウエアーを着て、笑っていた。げげっ!私は、「ありがとでしたー!」って言い捨て逃げるように隣の香に帰ったのでした。それ以来、キャバレーっていう言葉を聞くと寒いのです。 つづく・・・
2004年01月18日
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今日は、リンク先のSALONDE40さんのブライダルサロンに行ってきた。えっ?結婚するのか?って?いやいや、私は、子連れ狼です。あっ、豚もいたっ!?嫁さんが、いとこの結婚式に出るので、衣装を貸してーっていうことで行ってきました。いつ見ても、カッコよくて、しとやかなSALONDE40さんにドレスを選んでもらって、うちの子豚ちゃんは?喜んでいました。子供たちも、お菓子を平らげてしまって喜んでいました・・・・・ありがとうございましたっ!それでは、続きから-----------------------------------------------------うどん屋から始まって、マクド、喫茶店、とアルバイト歴を重ねる私は、以前の私とは、明らかに性格っていうか、考え方っていうか・・価値観っていうか?・・・わからないけど、何かが少しずつ変わりつつあった・・・一番変わったのは、積極性だとおもいます!とにかく、突っ込んでいく姿勢。とりあえず体験、経験してみないとわからない!ってそのころは何でも思っていた。だから、とりあえずやってみた。喫茶店「香」で、バーテンダーをしながら、帰省すれば絶えず違うバイトをしていた。ある夏休み、新幹線のお弁当とかの「売り子」になったことがある。岡山駅から、新幹線に乗り、ずーっと立ちっぱなしで、お弁当をお客さんに売って歩く。東京までの約4時間(その当時は、ひかりしか無かった。)だ。新幹線の中は、結構揺れる。(座っているとわかりずらいが・)関東地域に、入ると特に揺れがひどい。最初は、立っているのが大変だった。ヨロヨロしてしまうのだ。それを克服しながら、毎日新幹線に乗っていた。この仕事は、売って何ぼ?っていう仕事で、実は売り上げ自体は結構追求された!歩合は付いてなかったのだけど、お弁当とかサンドイッチの売り上げが上がってないと、途中でチェックされ「もっと売って来い!」って注意が入った。売れって言われても・・・・・ただ、新幹線の中を往復するしか、方法がないんだけど・・・ひたすら、新幹線の中を歩きつづける・・・・「お弁当に、サンドイッチ、コーヒー、お茶はいかがですかー?」「おみやげに、うなぎパイはいかがですかー?」「つめたーい、アイスクリームはいかがですかー?」って、とにかく自分の売らないといけない商品を、繰り返し連呼するしか無かったのだ。ところが、このバイトとっても重要なことを私に教えてくれた。一見、単純でこの仕事って工夫の余地が無いのかなあ?って思っていたら、実はあったのだ。一週間ぐらい、その仕事を続けていたら、気が付いたことがあった。私は、最初何にも考えずに、とにかく新幹線内を歩けばいいんだって思って結構速いスピードで「オベントウはいかがっすかー?」みたいな感じで、すっ飛ばしていたのだ。もちろん、乗客の様子なんて見ていない。声がかかれば、「はーいっ!」ってお弁当を売るような感じだった。良く考えたら、皆さんもご経験があると思いますが、せっかくコーヒー買おうかなあ?なんて思っていても、売り子のオネーさんが早すぎて、買えなかったってこと・・・・そうなんです!スピードは、スッゴク大事なんです。ゆっくり、ゆっくり歩くのです。その時に、お客様の様子をしっかり見ながら歩くのです。後ろ側から近づくときは後ろ頭を観察。後ろ頭がモジモジと動いたら何か、買おう!と後ろを気にしているのです!そんなサインをしっかり見て、カチッと売る。または、お客様の前方から近づいていくときには、笑顔が大事。(前方から行くと、意外に乗客の人は見てます・・)そして、じっくりとお客様の顔を一人一人見るぐらいの感じで歩きます。「コーヒー、コーラ、水割りなどはいかがですかー?」って言いながら、目が合いそうなお客様を探すのです。もし目が合ったら、目を離さないこと!・・・これがポイント!不思議に、この目を離さずにお客様を見ると、買う気の無いお客様が、「コ、コーヒー1つ、ちょうだいっ!」ってなっちゃうのです。(たぶん、新幹線の中で、かわいい売り子のおねえさんが来て目が合っちゃって買ったことある人も多いと思います!)だから、販売の仕事には、タイミングとか、アイコンタクトみたいな、商品以外のものもすごく重要なんだって今思えば、こんなとこで学んでるのでした。しかし、この新幹線のバイトはきつかった・・・・4時間新幹線に乗って東京へ、やれやれって思うまもなく下りの「ひかり」が到着する。とんぼ帰りで、また岡山まで4時間立ちっぱなしは本当にしんどかった。これが、毎日だからねー!!正社員の人は本当にすごいなあと思った。時々、東京泊まりっていうシフトもあった。花の東京である。年頃の社員さんとか、バイト学生ばっかりが、この売り子の会社の寮みたいなところで雑魚寝する。かなり、汚かった。で・・・・夜の東京へは・・・・もちろん、出してもらえない。監禁されていた・・・(笑)事故があったりしたらいけないからっていうことで・・・そりゃそーだと思った。でも夜は、この会社の正社員の男の先輩とか、女の先輩とかがシャイな私にとって、かなりドキドキするお話をいっぱいして下さいました。これは、楽しかったですね!!でも、あくる朝は6時ごろたたき起こされて、顔を洗う時間も無く、歯も磨けない状態で、また新幹線に乗り込んでいくハードな仕事だったのでした。あ、ちょっとだけ、今のセールスマンの仕事に近づいてきましたか?「営業マンへの道」は、遠い? つづく
2004年01月17日
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今日も、帰りが遅かった。それなのに、テレビの「銭金」っていう番組を見てしまってまた遅くなった。この番組かなり面白い!全国のビンボーさんが、いっぱい出てきて、暮らしぶりを披露してくれる。この番組みてると、どうしても私の学生時代と重なってしまって、笑えるのだ!それに近い、当時の生活をどうぞっ!----------------------------------------------------「ビンボー学生の実態」コーヒーショップ「香」から、ちょっと話題を変えますね。その当時の私の生活ぶりなど、書いてみようかと思います。今考えてもおぞましすぎるんです・・・?気の弱い方は、ココからご遠慮されたほうが・・・いいかも前にも書いたけど、私の下宿(アパート)は、築何十年も経った家賃12000円の部屋。電話なし、風呂なし、洗濯機なし、トイレなし、無し無しだらけの部屋だった。当然、ゴミだらけで、メチャクチャ汚い部屋だった。バイクの部品も散乱している。この超汚い部屋での出来事。ある朝、私はとんでもない目にあった。今でもその感触は忘れない・・・・・・朝、目が覚めかけてボーっと横になっていると顔が、どうも突っ張る。なんか、ほっぺたがつっぱるのだ・・・・しかも、ほっぺたの上に何かの存在を感じる・・・・眠気まなこの私は、条件反射的にその異物に手をのばした。「ぬるっ」ってした・・・「えっ?何?」って感じだった。なんと、・・・・ナメクジが私の顔の上にのっかっていたのだ。鏡をみると、ナメクジがはったあとが、クッキリと光っている。吐きそうになった。顔の上にナメクジが、ずーっといたみたい・・・・足跡をたどっていくと、汚い自分の部屋の流し台の排水溝から這い出てきたらしい。足跡をたどることが出来るのはもちろん這ったあとが、光ってるから・・・・とっても、惨めだった。いくらすさんだ生活とはいえこれはショックだった。このことを始め、例えば、炊飯器。久しぶりに、ご飯を自炊しようと開けてみると、緑色のカビがいっぱい!これも寒気がした。アルバイトをして働きどおしだったけど、お金は持っていなかった。時給が意外に安かったのと(たぶん500円ぐらい)夜遊び?と、マージャンと、バイクにつぎ込んでいるため生活費は、かなり少ない・・・・・お風呂は、銭湯なのだが、一回230円だった。この230円が使えない!流しで、髪を洗ったり(もちろんお湯は出ない)汚い話だけど、一週間お風呂に入らなかったことも何回もあった。(ごめんなさーい。汚すぎる話で・・・・)給料日前は、かなり苦しいので、バイトが休みの日はご飯が食べられない。マヨネーズごはんとか、バターごはん(これ結構いける!)たまごごはん、具無しのちょっとどんぶりとにかく、米だけは両親が送ってくれていたので食べることができたのだが・・・・・とにかく、かなりヤバイ生活であったことは間違いない!そのころの体重は、50キロぐらいだったと思う。だって、ごはんまともに食べてないんだもんねーガリガリで、栄養失調ぎみの私は、ちょっと過労気味だった(笑)今の学生さんを見ると、裕福だなあって思いますよね!風呂付マンションとかコーポにちゃんと住まれてますもんね。携帯も持ってるし、パソコンも持ってる。トイレだってついてるんだろうなあ・・・・でも、決して私は苦学生とかではありません。ただの、親のすねかじりで、好きなことをさせてもらってただけだと、今思えば両親に感謝するしかないのです・・・だって、勉強に身が入ってないもんなあ(どうみても・・) つづく
2004年01月15日
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今日は、遅く帰ってきたので、もう眠いですーなんとか、書きましたが乱文かもしれません。校正不可能(笑)しかし、この日記自分で書いてて、なんか自分が嫌になってきますねっ!おおバカすぎちゃって・・・・・それでは、どうぞ・・--------------------------------------------------コーヒーショップ「香」で、バーテンダーの修行を始めた私は、新たな試練に挑むことに・・・・まず、コーヒーをサイフォンで入れる修行だった。メガネ店長から、特訓を受けることとなる。サイフォンっていうのは、ガラスで出来た容器の下に小さい布のフィルターが付いており、それにコーヒー豆を挽いたものを入れ、下からバーナーで火を付けて熱湯を、サイフォン効果で、豆のところまで上げて豆からコーヒーを抽出するのです。しかし、熱湯をコーヒー豆まで上げてからが難しい!ヘラのようなもので、豆を混ぜるのだけど、混ぜる回数とかスピードの違いで、入ったコーヒーの味が、苦かったり、薄かったりしてしまう。だから、何回も練習を重ねなければ、なかなか安定した美味しさが出ない。しかも、お客様からオーダーが入ってその作業を始めるので混んでくると、複数のサイフォンの時間を計って面倒を見ないといけない。しかもコーヒーは、煮詰めてはいけないのでコーヒーが落ちたら火を、スグにゆるめなくてはならない。これらの、とっても複雑な作業を、体で覚えなくてはならなかった。「香」には、マニュアルは無かったが、体で覚えるっていうことを学んだ!繰り返し、繰り返し同じコーヒーを入れていると、体が覚えてしまうのだ。うむむ・・・・・これが、職人の世界?かって思った。コーヒーを学んだ私は、デザート作りも学んだ。「チョコパ」「フルパ」って、もちろんチョコレートパフェ、フルーツパフェのこと。フルーツを切る包丁さばきが結構難しい。あと、クレープ類とか・・・・デザートを、マスターした私は厨房に入った。今度は、軽食だ。ピラフ(一応、本格的にスープから米を炊いて作っていた)カレー、サンドイッチ、スパゲティ類も作れるようになった。でっかいフライパンを、使うのもコツがあった。そんな、こんなで、完璧ではないけど数ヶ月でお店の仕事は大体できるようになっていた・・・・・しかし・・・・・・あくまで、私は大学生なのです!喫茶店を開くわけでもないし、レストランに就職するわけでもないのです。なんで、あんなに一生懸命仕事してたんだろう?今考えても、よくわかりませんねー今日は、遅くなったのでこの辺で・・・・・眠たいですー つづく
2004年01月14日
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夜、会社の新人さんの歓迎会があるので、先にアップします!昨日、書いたものを、車の中で編集!ウーム、さすがモバイラー?えっ?仕事に使えって??ごもっとも・・・・今日もよろしくお願いいたしますっ----------------------------------------------------「夜遊び?」毎夜、毎夜、アルバイトが終わって車で走り回る変な?夜遊びにも、疲れた頃・・・・新しい、お遊びが始まった・・・先日も書いたが、この「香」の喫茶店の2Fはマージャン店だった。店番の九州出身のおばちゃんが、ずーっと店におりお客様のジャン卓の時間を計算したり、コーヒー、軽食の注文をとって、1Fの「香」に注文する仕事だった。同経営のお店なので、私たちが店に入るときなんかは、2Fで着替えとかをしていたので、様子はよーくわかっていた。なんかよくわからん、おばちゃん、おじちゃんが、昼間からよくマージャンをやっていた。私は、そのころマージャンはやったことがなかった。ところが、この「香」のメンバーはマージャン大好きだったのだ。12時ごろ、店が終わってから2Fで着替えているとめがね店長が、「やるか?」ってパイをつまむ格好をする・・私は、最初断っていたんだけど、途中からつきあいっ!って思って、見よう見まねでマージャンを教えてもらい始めた。これが、結構おもしろい・・・・はまった!マージャンは、頭脳だけでは勝てない。運の強さも必要だった。2Fのマージャン店は、もちろん全自動卓だったので環境は最高だった。オーナーに内緒で、夜中にマージャンを打ち続けるのだ!もちろん、場代はタダ!夜12時から3時ごろまで、バイクのO先輩、体育大のHさん私、めがね店長で、毎日のように打っていた。当然、そんなことをしてるので朝起きられなくなってくる。それでも、大事な授業は死んでも出ないとならない。レポートもある。しんどかった・・・・・一度だけ、夜中働いて、朝6時ごろまでマージャンしてそのまま、朝6時から店に入ったことがある。そのまま、夕方まで働いて24時間寝ずに、「香」にいたのだ。バカとしかいいようが無い(笑)そんなこんなで、仕事も遊びも勉強も?充実した毎日を送った?そのうち、ウエイターからバーテンダー兼厨房の仕事をやらせてもらえるようになった。レベルアップしたのだ!喫茶店の仕事は、やっぱり美味しいコーヒーを入れられるかどうかっていうのが大事。この店は、サイフォンでコーヒーをいれるこだわりの店。ところが、コーヒーをサイフォンで入れるのは至難の業。ちょっと間違うと、とんでもない味のコーヒーになっちゃう!私の新しい試練が、また始まった・・・・・(おいおい、いったい私は何をめざしてんだろう?!) つづく
2004年01月13日
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楽天サーバーの調子が悪いので、何回もアップしたのにアップできなかった。もう!っ・・・・・---------------------------------------------------「変な人たちと・・・・」喫茶店 香(かおり)でアルバイトを始めた私はある意味、開放感を味わっていた。マニュアルがんじがらめのマクドと比べ、こっちは楽しい。夕方6時から、店に原付で駆けつける。着替えて、「おはようございまーす!」ってあいさつ。水商売では、やっぱり夜でも「おはようございます!」が基本。なんでなのかなあ?絶対?オカマのAちゃんとホールに立つ。「たかだくーん・・・トイレ掃除しといてねー」って感じでしゃべる。正体は、不明だが誰も彼がオカマかどうかなんて関係ないみたいだった。まあ、それは置いといて、私にかなり影響を与えた人物がいた。違う大学で1つ先輩になる、バイク好きのO先輩だった!このO先輩が、なかなか凄かったのだ。この先輩、普段からボロボロのジーンズとジャンパーを着て、とにかく店に入る1分前ぐらいに爆音と共にバイクで到着する。いつもだ・・・・400ccのバイクを、改造ばかりしていて、かなりのレース好きだった。(ヤンキーではありません。ちなみに・・・暴走族でもありません。ただのバイク好きです。念のため)でも、このにいちゃん、とっても良く働く。大学に通ってるのにも、かかわらず朝6時から夜12時までの通称 「通し」って呼ばれる、時間のシフトもなんなくこなす。仕事も、とても研究熱心。コーヒー1つ入れるのも、あれこれ研究していた。しかも、とっても面倒見がいい。下宿生活で、超ビンボーな私にご飯をおごってくれたり何かと面倒みてくれた。でも、このO先輩とつるんでしまったのが運のツキだったかもしれない。私も、その当時、実はバイクに凝っていた。レースにも出て、走ったりしていたのだ。お金が無いから、派手なことは出来ないけど、大学の友人たちとチームを作ったりしていて、バイクと共に生きていた!?アルバイト代は、コンパに使うのでは無く(笑)、生活費とバイクの部品とガソリン代、工具代に消えていっていた。今考えると、笑っちゃうけどバイクをいじる場所がなかったので、あるときは自分の下宿の部屋の中に、バイクを入れて足の踏み場を無くしてた時もあったのだ。(バカだねえー)もちろん、そんなこと許されるはずが無いので、夜中にアパートの玄関から、大家さんに見つからないように、ズルズルとバイクを引きずり込んでいた。こんな私と、O先輩は相性が合わないはずが無かった!?もともと、バイクとか車が大好きな私に、そのO先輩は色んな事を教えてくれた。休みの日には、Oさんの自宅に行って、バイクをばらして延々とレース談義をする。私が、下宿に帰ってゆっくりしている時にも、夜中であろうが朝であろうが、おかまい無しで勝手に上がりこんで来てしゃべり続ける。(大阪の人は、結構こんな人が多い!)だんだんと、バイク以外でも遊ぶようになってきた。バイトが終わって、12時すぎから、O先輩の家にある親の車を持ち出して、ドライブに出かける。「香」のメンバーもよく同乗していた。夜中に、とにかく遊ぶのだ。じゃないと、時間が無かった・・・・・・神戸、京都、あっちこっちと夜中に走り回って、ウロウロする。別に、ナンパをするとかでは無い。とにかく、ドライビングだ!。通称「走り屋」の部類だろう!六甲山にも走りに良く行った。変な?夜遊びにはまっていく「序章」なのでした。 つづく
2004年01月12日
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自分の事を毎日書いていると、結構昔のことは忘れちゃってることに気が付きますね!そうかー!良く考えたら、20年ぐらい前の話なんですねー涙。涙。涙。でも、今日もがんばって書きました。------------------------------------------------------マクドナルドに興味を失いかけていた私は、新しいアルバイト先を見つけていた。なんか、こう書くと、転々と仕事先を変えるフリーターみたいだけど、マクドナルドも6ヶ月ぐらいは勤めていた。転職先は、マクドナルドから帰るときいつも通っていた道にある喫茶店だった。名前は、喫茶 「香」(かおり)という。2階は、マージャン店、となりはキャバレーというなかなかすごい環境なのだが、ここの「香」は純喫茶(この言葉が古いなあ?)まあ、簡単にいうと、まじめな喫茶店なのだ・・・・・?コーヒーもサイフォンで入れる本格的コーヒーショップとでも言おうか?ここへ、私はウエイターとして採用してもらうことになった。ここで、一応断っておくが、私はあくまで大学生だ。忘れてはいけない(笑)なるべく?授業には出て、レポートも仕上げている普通の学生ですので念のため(誤解のないよーに)喫茶「香」に初出勤した。実は、このバイトが今までに一番しっくりきたバイトになろうとは・・・この時は思いもしなかった。ここには、最低限のルールはあるが、マニュアルは無かった。今でも覚えているが、ここのマスター(店長のこと)は雇われ店長だが、とってもいい人だった。やせっぽちで、メガネをかけていて、朝から夜遅くまで働く人だった。私の仕事は、今度は完全なウエイターだ。蝶ネクタイをしめて、ホールに立つ。基本的な、すべてをここで教わった。ひまな時間はグラスを磨いている。ちょっとかっこいい!ここには、本当に変な人がいっぱいいた。メガネの店長を始め、九州から出てきてた、厨房のKさん。(背がほんとに小さい人)たぶんオカマ?であろう?正体不明のなよなよしゃべるウエイターの、Aちゃん。私と同じ大学生のバイク好きにいちゃん、O先輩。体育会系の大学へ通っていた筋肉ムキムキ、Hさん。(ちょっとホモっぽい)なんか、色っぽいお姉さんTさん。(ウエイトレス)東京出身のかわいこちゃんKちゃん。(ウエイトレス)そして・・・・私だった。あと付け加えれば、2階のマージャン店の店番のおばちゃん九州出身。そう、2階のマージャン店は同じ経営だったのだ。(これが、実はあとで私を苦しめることになる!?)このころの私は、高校生の時のマニアックな私よりはちょっとましになってきていた。習うより、慣れろだ。(本当に!)色んな人と出会っていると、ネクラなままでは付き合えない。会話もどんどんしなくちゃいけないし、つきあい方も考える。じゃないと生きていけない。(ちょっと大げさだけど)ホールの仕事は、意外にいっぱいある。接客はもちろん、各種ドリンクのソーサー(コーヒーカップなどの受け皿)をセッティングしたり、軽食のフォーク、ナイフなどのセッティング、暇な時間は掃除、グラス、ソーサー磨き。もっと時間が空けば、洗い物を手伝ったりしていた。とりあえず、変な人たちと夕方6時から12時ぐらいまで毎日働くことになる・・・・・もちろん立ちっぱなしで・・・ つづく・・・
2004年01月11日
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今日は、連チャンでアップだ!昨日、書けなかった分を書いちゃったです。自分が、この日記に一番はまってるのかもしれない・・・独りよがりは、当分つづきます(笑)-----------------------------------------------------「マクドでの楽しみ!」しんどい、マクドナルドでの厨房生活が続いていた。大体、私は夜の時間、6時ぐらいから夜まで通しの時間が多かった。一番しんどかったのは、夜十時に閉店してからだった。戦争のようなオペレーションが全部終わってから片付けを11時までやる。これが、とってもしんどかった。マクドの掃除は、半端じゃない。これもすべてマニュアル化されてる。すべての機械の部品をはずして、1つ1つ洗う。バラスのも大変だが、掃除するのも大変。なにせ、ギトギトの油だらけのモノばっかり。手がすりむけそうに?なる。もちろん、ホールの掃除もしっかりやらなければならない。掃除の時間は、私にとって一番嫌な時間だった。あ、書き忘れていたけど、普通、飲食業っていうのは「まかない」って呼ばれる食事を出してくれるような所が多い。だから、以前のうどん屋さんも喫茶店もご飯の心配はなかった。ところが、マクドは厳しい。休憩時間に、食事を取るのだが、すべて自分でお金を払って、マクドのメニューを食べる。これは、痛かった。だって、時給500円ぐらいの仕事で、ハンバーガーとか食べちゃうとすぐに500円ぐらい吹っ飛んでいっちゃう。稼ぎにならない・・・・悔しかった。ところが、マクドは品質管理を徹底してるので、営業中はハンバーガー等を作って、保温してるのだがなんと!15分経つと全部捨てるのだ。(タイマーがある)もちろんマニュアル通り。ゴミ箱に積まれた、ピカピカのハンバーガーがもったいなくてしかたがなかった。「オレにくれよー!・・・・・」って感じで・・・でも、世の中にはやっぱりワルがいるものだ。夜11時に掃除が、終わって帰るとき、「あのハンバーガー食べよう!」っていう先輩がいたのだ。「ええっ?」って思ったが、私もお腹がペコペコ。人の目を気にしながら、裏口にまわると、あるある!ビニール袋に捨てられた、ハンバーガーの山が・・・・ちょっと、私も躊躇したが、先輩はさっさと袋に手を入れて「おっ、フィレオフィッシュ!」なんていいながら食べてる。私も、3つぐらい食べた!おいしかった!こんな、隠れた楽しみがあったりして・・・・でも、私はマニュアル化された、お堅いマクドにちょっと興味を失いかけていた・・・・・ 続く!
2004年01月10日
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居心地がいい、お客様のところで昨晩は長居をしてしまって、帰ったのが12時だった!お客様長居ごめんなさい!最近、掲示板にご返信が出来てないのがとっても気になってます。皆様、カキコありがとうございます。アクセスもっ!合間を見つけて、カキコしますね!それでは、続きのはじまりです。---------------------------------------------------「恐怖のマニュアル?」ドキ!ドキ!のマクドナルドで、働き出した。マクドナルドの制服を身にまとった私は、新しい世界にワクワクした。新人は、マクドでは「トレーニー」と呼ばれる。きっとトレーニングの変形語なのだろう??。あ、ちなみにご存知と思いますが、マクドナルドは関東では、「マック」。関西では「マクド」と呼びますね。岡山でも「マクド」です。さて、マクドでは従業員には階級がある。ちょっと覚えてないけど、階級が上がると帽子が変わる。マネージャーとかになると、ちょっとカッコイイ帽子をかぶっていたような・・・・とにかく私は、トレーニーの身。先輩から、一つ一つ教えてもらった。マクドナルドの教育は、スゴイ。徹底的にマニュアル化されている。例えば、スマイルチェック。これは、仕事中「笑顔」がちゃんと出来てるかどうか、いつもマネージャーにチェックされている。あと、クリンネス。クリンネスっていうのは、掃除のこと。自分の手洗いはもちろん、時間が空けば常に掃除をする。これもチェックがされている。あと、フライヤーと呼ばれるポテトを揚げたり、フィレオフィッシュを揚げたりする機械の温度設定。ミートパティ(ハンバーグのこと)の焼き時間、ひっくり返す速度。とにかく、徹底的に管理されている。有名な話で、お客様がカウンターで「ハンバーガー30個!」って注文したら、女の子が「こちらでお召し上がりですか?」ってマニュアル返答した話に代表されると思う!私が、配属されたのは接客では無く、中の厨房。やむを得ない・・・・厨房での仕事は、いっぱいある。実は重労働!かつ、複雑!カウンターの女の子からオーダーが入る。オーダーはすべて英語!女の子「ワンバーガー、プリーズ!」(ハンバーガー1つ!ってこと)厨房「サンキュー」(わかりました!ってこと)さすが、外資系?マクドでは、パンのことをバンズって呼ぶ。バンズを、機械に入れ軽く焼きながら、ミートパティを12個でっかい鉄板の上にすばやく並べる。シアーって呼ばれる作業があって、ハンバーガーをジューッと押さえる作業だ。これが、慣れないとハンバーグが潰れてしまったりするのだ。やっかい・・・オニオンを均等に振りかけて、焼き上げる。マスタード、ピクルスをのっけて、そして、バンズではさんでできあがりっ!たくさん、作っちゃうのだ。いっぺんに。じゃないとオーダーが間に合わない!正直言って、私はこの作業がなかなか覚えられなくて大変だった。書けば簡単なのだが、作業の1つ1つが複雑なのだ。しかもハンバーガーだけでなく、チーズバーガーフィレオフィッシュ、アップルパイ、ポテト、・・・・が、同時に進行するのだから・・・・・しかも、チームで作ってるので、時間との戦い。タイミングがずれたらおしまい。「なにしてんのやー!っ」って先輩からしばかれる!出来上がったハンバーガーをぽいって捨てられる・・・泣きそう!うどん屋時代には、ピークを過ぎたら、一服してたが、ここでは、不可能。休む暇は一切無いのだ。時間が空けば、何かする仕事が待っている。しんどいって思った。作業が、覚えられないのが一番の悩みだった。さてさて、このバイト続くのでしょうか? まだまだマクドでの苦労はつづく・・・・
2004年01月09日
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今日は、私が所属してる守成クラブ「仕事バンバンプラザ」の役員会があったのだけど、仕事の都合で出られなかった。とっても残念!バンバンプラザは、経営者の集まり。でも、今までの異業種交流とはちょっと違うのです。気を使わないで、バンバン仕事の話をして商売につなげてくださいっ!っていう太っ腹な会なんです。興味がある方は、個別メールください。全国で、このバンバンは毎月開催されてます。経営者の方で、自社PRしたい方には抜群ですよ!ちなみに・・・・今、夜8時過ぎ、時間が空いたのでマクドナルドで書いていまーす。それでは、昨日のつづきから・・・----------------------------------------------------水商売への道??うどん屋「どんたく」で、自分の未知の才能に?気が付いた私は、調子に乗っていく。良くわからない大阪のおっちゃん、おばちゃんともなんとかコミュニケーションが取れるようになり、「にいちゃん!来たよっー!」って、のれんをくぐって来られるオバチャンにも「まいどっ!」って答えられるようになってきた。慣れとは恐ろしい。習うより慣れろ!この言葉は正しいと思った。夕方から、夜中まで働いた。時給が安く、時間が短いので稼ぎにはあんまりならなかったけど・・・・楽しかった。働くことが、いつしか楽しくってしょうがなくなってきたのだ。うどん屋は、結構長くバイトを続けたと思う。その間、隣の喫茶店「LOVE」のウエイターもさせてもらえるようになった。ピシッと制服を着て、トレーを片手に歩くウエイターの仕事は、うどん屋さんよりも私にとってカッコよかった。3本の指で、トレーを支えてコーヒーを運ぶのは結構難しい。でも、それがウエイターのステイタスだった。だから、練習してできるようになった。(今でもできまーす!)時々、させてもらえるウエイターの仕事は本当に楽しみだった。長期休暇に学校が入ると、帰省してまたバイトをした。(このころは、働くのが楽しかったし、お金も欲しかった)そこでは、水商売はせず、工学部らしいバイトをやった。三菱自動車の下請け工場での部品の製造ラインの仕事。もちろん、夜勤もある。夜7時ぐらいから、朝の6時ぐらいまで、車の部品がラインで流れてくる。それを、溶接して部品を組み立てる。同じ作業の繰り返し。眠い・・・休憩時間は、10分とかが、時々入る。もちろんそれ以外でラインを離れることは不可能だ。しんどかった、これは・・・・・体もしんどいが、精神的にまいっちゃうのだ。だって、おんなじ作業の繰り返しだもんねー!しかも・・・溶接の火花は、結構熱い。顔に火花が飛び散るので、小さいやけどがいっぱい出来た。正直言ってイマイチだった。全然面白くない。お金は良かったけど・・・・この頃から、知らない間に私はサービス業への道を選び始めたのかもしれなかった。(今考えると・・・)うどん屋「どんたく」の仕事は1年ぐらいやったような気がする。なんで、やめたかは良く覚えてないのだけど、やめた・・・その次に選んだのは、寝屋川市駅前にあった「マクドナルド 寝屋川店」だった。ここは、勤務時間が融通がきくのが良かった。授業の無いときは、昼間でも働けた。正直言って、下町でうどん屋と喫茶店を経験していた私ではあったが、マクドの敷居?は高かった。何せ、従業員はピチピチの?ギャルばっかり。この頃のマクドは、今みたいにパートのオバチャンを使って無かった。マネージャー、店長もちょっとカッコイイ男ばっかりだった。おしゃれに全く興味の無い、みすぼらしいジャンパー姿の私にはどうも苦しく見えた。どう考えても、恥ずかしい限りなのだ。でも、あえて新しい世界に飛び込みたかった。なんか、やっぱり変身願望が強かったのかなあ・・・・●恐怖のマニュアル教育のマクド編は明日に続きます・・・
2004年01月08日
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やっと、歯医者にいけた!神経が出ていて、先生に「痛かったでしょー!」ってねぎらわれた。ちゃんとした、治療をやっと受けられて幸せだった。やっと、噛むことができる!!痛みもおさまってきた・・・寝られるぞ。それでは、続きをどーぞ。----------------------------------------------------試練のうどん屋初めて、バイトに入った門真市にあった小さいうどん屋さん。ここは、うどん屋さんだが真横に喫茶店があった。名前は、「LOVE」照れそうな名前だった。看板には、ハートマークが付いていた。実は、この喫茶店とうどん屋さんは同じ経営者が経営していた。言い忘れていた・・・うどん屋さんの名前は「どんたく」さて、ここでうどん屋のアルバイトを始めた私だったが店員はなんと!2人。私と雇われの大将だけだった。カウンターだけの小さな小さなうどん屋さん。実は、LOVEとどんたくは新規オープンの2店舗だったのだ。だから、実は私の役割は大きかった。何せ、オープンなのだから大きな失敗は許されなかったのだ。お客さんの層は、近所のパチンコ屋さんからのお客様、会社帰りのサラリーマン、土建屋のおっちゃん、よーわからん人・・・・・たち。私は、ここの大将から教育をマンツーマンで受けることになる。まず、あいさつ。「いらっしゃいませ」っていう基本的な挨拶ではこの町は通用しなかった。「いらっしゃい!!」っていう崩れた?挨拶が王道。適当にって思ってた私だったが、どうもそうはいかないみたいだ。どうも、大将が休みの時にも店ができるように、私を一人前に使えるようにするオーナーの考えがあったみたいだ。当然のように、大将がダシのとり方から教えだす。私は、「はい、はいっ・・・」って感じで覚えるしかなかった。見たことも無い大きなズンドウに水を張り、カツオブシからダシをとっていく。結構難しい。分量と時間との勝負だ。天ぷらも、自分で揚げる。海老に衣をつけて揚げていき、見栄えを良くするために揚げている途中に、天ぷら粉を水で溶いたものを割り箸で周りに散らしていく。小さい海老が、見る見るうちに大きくかさ上げ?され海老天となる。うどんは、幸いなことに手打ちでは無く、市販品。パックに入った、うどんを冷蔵庫からお客様に見えないようにしゃがんで取り出し、すばやくザルにとり湯煎する。(笑)これは、テクニックがいった。もともと手先が器用な私は、このような作業には問題なくついていけた。さて、問題は・・・・接客だ。先にも書いたように、ココには色んなお客様が現れた。大阪の町のことなんで?想像の通りなのだが、怖いおっちゃんも来るし、キャバレーのホステスさんも来るし、とにかく、あんまりまともな?人は来なかった。もともと、人好きでない私にはキツカッタ。悪いことに大阪の町の人はすぐ話しかけてくるのだ!「にいちゃん、何歳?」「にいちゃん、どっからきたんや?」「にいちゃん・・・・男前やなあ!」とにかく、毎日にいちゃん!なのだ。しゃべるのが得意でない私は、いっぱいいっぱいだった。なんとか、適当に小さい声でしゃべるのがせいいいっぱいだった。そのうち、なんと!店の大将がやめてしまった。どうも、オーナーとケンカをしたらしい。突然のことだ。もおーっ!て感じ。とっても大阪らしい・・・結局・・・一人になってしまった。とにかく、助っ人がいないのだ。店は、毎日オープンしなくてはならない。ダシを毎日作って、天ぷらを揚げて・・・・・・繰り返しだ。混んでくると、パニくる。オーダー間違いも、数知れず。お客さんに、「遅いやないかー!」「もう、ええわ!」って叱られたことも数知れず。疲れた。でも、本当に困った時は、となりの「LOVE」のウエイトレスさんとかバーテンさんが、良く助けてくれた。そして、だんだんと私はこの世界が好きになってきたのだ・・・なんか、今までに経験のなかった世界。妙に義理堅い水商売の人々。大阪の人々。よくわからないけど、とにかくしんどかったが、このバイトをとりあえず、続けることとなった。もしかして、水商売にはまってしまったのかも??ちなみに、このバイトの時給は500円ぐらいだったかなあ。 つづく
2004年01月07日
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今日は、ブライダルコーディネーターのSALONDE40さんのお店に新年挨拶。なんとお抹茶を頂き、またもや長居した。なぜか、SALONDE40さんとしゃべりだすと時間がスグ経ってしまう。あっという間に2時間以上経ってしまった。聞き上手なんですよね。さすが・・・お邪魔いたしました!さて、昨日の続きいきますよ。-----------------------------------------------------私が、大学で何をやってたかっていうと・・・勉強!・・???機械工学科っていうだけに、授業は結構ハードだった。数学、物理、はもちろん、英語、ドイツ語機械工学論、力学、・・・・・・・?????なんか、小難しいことばっかり!授業は、とにかく難解だった。授業には、実験も多く含まれるので、実験してそれをレポート化するのが普通。これが、結構大変だった。高いお金を出して行かせてもらってるので、単位を落とすわけにはいかない・・・・とは、思ってたが・・・実は・・長続きはしなかった。なぜなら、私は仕送りをしてもらってたのだが、どうしても仕送りだけでは、生活費等が足らなかった。そのため、1年生の2学期ぐらいからアルバイトをせざるを得なかったのです。で、でも・・・・・私にとっては、初めての大阪。しかも、アルバイトなんて今まで郵便の年賀状配達ぐらいしかしたことない・・・・大阪の町でアルバイトをするっていうのも結構気がひけた。なにせ、私はものおじする、積極性の無い情けない男だったから・・・・でも、しかたないので、本屋さんで週刊アルバイトニュースっていうのを買って、さがしてみる。体力のいる仕事は、私にはできない。かといって、頭を使う仕事もできない。大体、昼間は授業があるので、夕方から夜の仕事だ!。その条件に合うとしたら、サービス業しかない。コンビニなんていうのは、昔は無かったので、サービス業と言えば、飲食業に必然的になった。飲食業といっても、多種多様だ。迷う・・・・喫茶店、居酒屋、スナック、ファーストフードなどいっぱいジャンルはある。結局、その中から1つのうどん屋を選んだ。結局、面接に行き、なぜか田舎ものの私を採用してくれた。たぶん、野暮ったくてまじめそうな私を信用してくれたのだろう。私の心の中には、うどん屋ぐらいだったら、なんとかできるかもなあ・・・・っていう甘い考えが実はあった。大将がいて、その手伝いをするぐらいで・・・・って思ってた。と、ところが・・・・私にとっては、最初の試練の場だったのですね・・・ 続く
2004年01月06日
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今日からお仕事開始ですー体がなまって、朝寝坊の習慣が死ぬほど付いていたので?早起きはしんどかった!早く、もとに戻さないと!------------------------------------------------------大阪で一人暮らしを始めて・・・・私が、まず一番に困ったのは言葉。外国じゃああるまいし!とは思うのだがとにかく、大阪弁はキツイ!慣れないと怖い。みんな早口。あまり大阪弁でゆっくりしゃべる人に会ったことが無い。学校へ行き始めてからは、いくら引っ込み思案な私でも何人か友達ができた。しかし、最初よくそいつらにからかわれた。「高田ー、オメーの言葉は、じゃあ、じゃあ、ばっかりで、よーわからんのやー。水道の蛇口やあらへんのんやから」あ・・・岡山弁の「○○じゃあ!」「○○じゃろう!」うなづくときも、「じゃあ、じゃあ!」ってやってたので、これのことだなってとても恥ずかしかった。当分、大阪弁にやられっぱなしだったのだが、岡山弁の限界を感じた私は、関西弁をみようみまねで使い出した。郷に入れば郷に従えだ!意外に大阪弁へのシフトは簡単だった。何かといえば、「○○や!」「○○やろ!」うなづく時は、「せや、せや・・」突っ込むときは、「あほかいな!そんなわけあらへん!」てな感じで、適当にやればいい。大阪弁て今でも思うのだけど、とっても慣れるとしゃべり易いんですね!頭で考えていることが、スラスラと言葉に出来るんです。(だから、関西の人はしゃべりが好きなのかも?)その中でも○○だから・・・っていうのを、○○やさかいに・・・ってしゃべるのは、結構上級だと思った(笑)言葉の違いを克服できそうな感じでいいスタートを切った私は、今回の県外での一人暮らしで、ぜひとも身に付けたいテーマがあった。もちろん、専攻している学部の勉強もそうなのだが、何せ、マニアックな生き方をしてきている私にとって何とか、社会に適応できるぐらいの??コミュニケーション能力?と、積極的な心が欲しかった。今までの無気力で、成功体験の少ない人生からちょっと、劇的に変化させたかったのだ!でも、もちろんこの時点ではネクラな、メカ好き小僧に過ぎないんですよ。ただ、なんとなくこんな自分のことが好きでは無かったんでしょうねぇ。
2004年01月05日
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歯痛で、ほとんど家にいたお正月だったので今日は、とうとう稲荷に初詣に行ってきました。まだまだ、車は多く、渋滞もちょっとありましたが人ごみに初めてもまれて、やっとお正月って感じになってきました。あっ?もう明日から仕事じゃないですか!お正月もこれで終わりかなあ?それでは、昨日からの続きを!---------------------------------------------------大学生合格した大阪の大学は、寝屋川市にあった。京都にかなり近いとこ一応、あこがれの?工学部の機械工学科だ。ここで、私は一流の?エンジニアになるべく勉強を開始したのだ・・・とにかく、初めての一人暮らし。今でも忘れない。アパートの名前は、「幸来荘」こうらいそういい名前だ!幸福が来る名前だ!??木造2階建て、ふろなし、トイレ共同だ。洗濯機も当然、共同。家賃は、12000円 4畳半と3畳の2部屋だ。(今考えるとめちゃ、安いかも)日当たり無し!(笑)汚い。すべて、木で作ってある。まどのサッシも木だった。なかなか、豪華な作りだった!?私の部屋は、玄関から入ったすぐの部屋。部屋番号なんかは無かった。学生と一般の人が、入り混じって住んでいた。私の隣には、小さい子供がいる4人家族がいた。(同じ間取りですよ、ちなみに・・)電話もないので、玄関にある共同のピンク電話が私の電話。誰かにかかってきたら、取り次ぐっていうシステムだ。私が、そこへ持ち込んでいたのは、テレビ、机、冷蔵庫、布団、カラーボックス、自転車、服、炊事道具一式って感じだった。とにかく、昔の4畳半フォークみたいな、暗くてじめっとした部屋だったのです。初めての一人暮らし、さてさてこっからどんな生活になっていくんでしょうか?自分でも思い出して・・・ドキドキ!
2004年01月04日
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お正月も3日目ですね。たいしたこともせず、ぼーっと時間が過ぎていってます。子供たちは、お年玉で買ったゲーム三昧。嫁さんは、バラエティ番組の鑑賞。私は、楽天日記。こんなんで、いいのか?と自問自答している今の時間。みんなー、初詣でも行ってみよーよー!(泣)さて、お楽しみの昨日からの続きです。読んでねー----------------------------------------------------「そして・・受験」さて、そんな私は3年生になった時進路を決めるようになった。高校は、一応理系だったので、なんとか大学にとは思っていた。大きな目標があるわけでは無い。でも、エンジニアとか、車業界にはあこがれていた。車とかバイクにはメチャクチャ!興味があった。そんな漠然とした意識で、大学へ行こうとしていた。志望した学部は、工学部。いわゆる、高校生時代のメカ好きが、そのまま生かせる方向だ!電気、電子工学にも興味があったのだが、ツナギ(服の上下がつながった作業服)を着て実験とかできるっていうのが、当時かっこよかったので?という理由もあって機械工学部を選んだ。(こんなもんなんです。私って・・・)そんなわけだったのですが、残念ながら到底、地元の国立大学に入れる成績では無かった。成績は、中ぐらい。偏差値も良くなかった。両親と相談して、県外の私立大学をとっても無理を言って受けさせてもらう。合計5校。東京、名古屋、大阪 3箇所にある私立大学を受けた。結果・・・・なんと!滑り止めで受けていた、大阪の某大学に合格しただけ・・・志望していたあとの4つはすべて落ちた。ショックを受けた・・・・せめて、志望校上位3つのうち一つぐらいって思ってたから・・・でもしょうがない。浪人する気なんか無かったので両親に無理を言って、その大学に行かせてもらうことにする。(今となっては、感謝ですねっ。)当時名も無い大学だったが、勉強できる場には違いない!ってことで・・・ここから、私の転換期がはじまる・・・かな?いよいよ、一人暮らしだ・・・
2004年01月03日
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まだ、歯が痛い。応急処置じゃあ、やっぱりダメですねーどこか、痛いと気持ちまでネガティブになっちゃうなあ。でも、今日はとってもいいこともあった。年末から商談していた方に、ご契約を頂いた。今年初だあ!感謝、感謝、感謝!住宅の営業マンさんは、今日から展示場でお仕事されていた。「お正月モードになれないですねー!」って言ったら「毎年ですからねー・・・・」とちょっと寂しそうだった。堅い握手を交わし、私は家に帰ってきた。いいお正月だあ。やっぱり!?さて、本題の高校時代。どんな私だったのかタイムトリップ!----------------------------------------------高校生の頃高校も地元のじみーな公立高校。高校まで、私はずっと地元で過ごしてきたわけだ。中学のバスケット部で、何も成果を残せなかった私は悔しくて、入学と同時にコリもせずまたバスケ部に入部した。し、しかし・・・・・中学のレベルと全く違う練習のきつさと、先輩のやり方に腹が立って3週間で退部した。(これ私らしい!やめ方だ)むしゃくしゃしていた私は、「やっぱりスポーツは無理だー、文化部しかない!」ってナンパな文化部に入ることにしたのだった。選んだのは、写真部。同時に、アマチュア無線部。両方とも超ネクラでオタッキーな部にダブルで籍を置いた。そのころの私は、社交性全くなし。青白くて、健康そうでない、ふらーっとした最低の人物となっていた。自分でいうのだから、まちがいなーい!ところがそこは、小さいときから機械いじりが大好きだった私にとって最高の場所だったのだ。写真を撮っては、暗室にこもり写真を現像し、出来上がった写真を見ては、ニヤッと笑うような自己満足の世界。(おおー、くらい)アマチュア無線は、メチャクチャマニアックな無線機を相手に、一日中ハマッていた。校舎の屋上に上がっては、何メートルもあるアンテナを調整し、マイクに向かって世界に電波を飛ばして交信をしていた。(CQ、CQ、CQ・・・ってやるやつ)これも、自己満足の世界。オタクな友達が周りにいっぱいできた。となりの部室のフォークソング部の連中も仲良かったなあ・・・この頃の私は、電波を飛ばしてマイクにしゃべるのは大好きだったのだが、人前に出ると真っ赤になって、まともに相手の目を見てしゃべることができない超内気な性格になってしまっていた。もちろん、彼女なんかできるわけない!変な友人たち?と毎日つるんで遊んだ。なんか、パッとしない、自分でもイヤーな時代かもしれない。
2004年01月02日
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題名とは、関係無しで、ちょっと近況を!とにかく、最悪な今年の幕開けとなってしまった・・・歯が痛くって、痛くって・・・・ハンパな痛さでは無い。昨日の紅白もとてもじっくり見えなかったし、そのあとカウントダウンが終わって「あけましておめでとうー!」なんて、各番組がやってたけど、とにかく歯がうずいて大変だった。全然おめでたくないんだよー!って感じで結局、寝ようと思っても、とてもじゃないけど寝られない。何回も夜中に目が覚めて、「うんうん・・」と一人うなっていた。結局、元旦の朝から市民病院の休日の救急歯科に行って治療をしてもらうはめに・・・・なかなか、いいスタートでしょっ!それでは、「中学生の頃」をちょっと覗いてみましょう。--------------------------------------------------中学生の頃は?中学校は、地元のふつーの中学校に入学。とにかく、何事にも自信をもてなくモンモンとしていた私は、何を思ったかバスケットボール部に入部してしまったのです。これは、小さいときからの背の小ささと運動神経のない体が嫌で、自らこれをなんとかしなくちゃあ!って思ってた結果の行動だったのです・・いわゆるコンプレックス。しかし・・・・運動オンチの私が、急にハードな練習についていけるはずもなく、いきなり、上級生のシゴキ?にめげそうになります。体育系ですから、大変。朝は、7時から毎日練習。夕方からは、また練習。ランニング、ダッシュの繰り返し。何回も倒れそうになりました。いや、正確には倒れた・・・・しばらくすると、新入生もパスの練習とか、フェイント、シュートの練習もさせてもらえます。しかし・・・・私は、満足にその課題がクリアーできない。できるわけない。そりゃ、そーだ。私は、学年の中で小さい方から数えたら2番目か3番目の背の高さだったので、バスケットゴールの遠いこと!しかも高い!同級生の運動神経のいいヤツは、簡単に上手にそれらをクリアーしていく。先輩からは、こっぴどく叱られる。同級生の白い目・・・辛かった・・・でも、バスケットは3年間やめなかった。意地があったから・・・・でも、その間一度もレギュラー選手に選ばれることはなかった・・・・結局、得られたのは屈辱?と大きな手のひら?とサイズ27センチの足だった。(バスケってパタパタと走り回るから?)あとなぜか?背が大きくなってきたことだった。これ、不思議でした(笑)特にそれ以外に、思い出があるような中学生活ではなかったと思う。うーむ、相変わらず地味だ!さあー、明日は高校生だー、どんどんふっ飛ばしますよー
2004年01月01日
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