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このキャンドル立ては新百合ヶ丘をフラフラしていた時に見つけたもの。夜に駅の近くを歩いていたら何やら向こう側にロウソクの炎がたくさんゆらゆら揺れている。それがとてもキレイだったから、魅せられるようにそこへ近づいた。そしたら、おにいさんがたくさんキャンドル立てを売っていた。この写真だと見にくいけど、このキャンドル立てにはかわいいクマの柄がついている。一目で気に入って即購入(^^;)これにロウソクを灯して、暗闇で見ると、この赤い色から炎の色が透けて、そのゆらめきが天井に映し出されてとっても幻想的☆このキャンドル立ては「フィモ」っていうドイツ製の粘土でできているのだそう。もちろんお兄さんの手作り。ドイツ人と共同で製作しているという。「フィモで作品を創って売ってるのは僕たちだけだよ」といっていた。それが本当なら、結構珍しいものなのかも!と思うとちょっと得した気分♪しかもこのお店、たまにしか出てないみたいだし。余裕のある日には、このキャンドル立てにロウソクを灯し、これを持ち込んで、お風呂に入る。そして電気を消す。ロウソクのゆらめきっていうのは、リラックスするのに結構効果があるらしい。その天井に移った炎のゆらめきは本当に落ち着くし、時間を忘れてその炎に魅入ってしまう。それをここで見せられないのは残念なんだけど。このキャンドル立てにミツロウのロウソクを灯すのが最高。ミツロウの甘いにおいと、この炎のゆらめき、そしてお風呂・・・で癒し効果は倍増、なはず☆
January 30, 2005
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今日はとある学会みたいなものに行ってきて、そこで中東の話を聞いた。興味深かった。と同時に中東のことを私はまったく知らないっていうことを痛感した。いろいろな人々がいるけど、自分が生きている世界においてはまったく当たり前な概念そのものが存在しなかったり、制度や常識が全く違ったり・・・。当たり前なことなんだけど、それをあまりにも知らなさ過ぎる。911の自爆「テロ」のパイロットはエジプト人が含まれていた。彼の名前は忘れたけど、彼は普通の青年だった。普通に大学にも通っていたそうだ。何が彼を過激イスラム原理主義にしたのか?それはヨーロッパでの生活が一因でもあるという。イスラム教徒に対する差別。テロの温床になってるものって、そんなに単純じゃない。テロ行為は許されるべき行為ではないとしても、「テロリスト」になってしまう理由がある。その理由を考えることを私たちはあまりにも軽視しすぎている。善と悪の二項対立が成り立つのは、おとぎ話かファンタジーの中の世界だけだ。世の中全部そんなに単純じゃない。相手を「悪」だと決め付ければ、自分たちは自動的に「正義」になる。それ以上考えなくていい。本当に楽だね。こういうふうに、人々は簡単なことを好む。わかりにくいことはイヤだから。それを知っている権力者は実にわかりやすい言葉を使う。でもわかりやすいってことは同時にたくさんのことが省略されているってことでもある。そのわかりやすい言葉の行間にどれほど大事なものがそぎ落とされていることか。物事を忠実に説明するにはどうしても複雑になるし、難しくなるのが当然。だからわかりやすい言葉っていうのはある意味危険なんだ。尾崎豊の「銃声の証明」の歌詞はすごい。この曲は911が起こる前、10年以上昔の曲だけど、これを聴いたとき、やっぱり中東が思い浮かんだ。いや、世界中で起こっていることかもしれないけど。彼の歌詞のように、もしかしたら私たち自身が「テロリスト」を育てているのかもしれない。そのことに彼は気づいてたんだろうか。私はようやく最近そう思い始めた。「銃声の証明」より一部 (尾崎豊)権力を潰すことだけを教えられてきた俺はテロリスト平和など生み出せやしない俺はテロリストこの世に生きる人々の一人一人に責任があるならこの革命と一緒に命を共にするんだ生きていることに罪を感じることなく生きる人々よお前はこの世のテロリスト俺を育てたテロリスト
January 29, 2005
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今日は家庭教師最後の日でした。おもいがけず、花束をもらえて感激(*^-^*)それにしても、ここの家庭にはびっくりしました。歓談中、お父さんにあの中田選手から電話がかかってきたんだから。さて、今日のオススメはパオロ・マッツァリーノ著『反社会学講座』。今日大学の生協で見かけてちらっと立ち読み、速攻買ってしまいました(出費・・・)。めっちゃ、面白かった。電車の中でニヤニヤしてる私って怪しい…。うすうす「これっておかしいよなー」って思っていたことを明確な論理、データで証明してくれた本だから読んでてかなり気持ちがいい。気分爽快でした☆世の中には一見うなずきたくなるようだけれども「果たして本当かな?」と思う言説がたくさんまかり通っているもんです。「若者のフリーター急増が問題である」「少年凶悪犯罪が近年増えている→少年法を改正せよ」「学生の学力低下が深刻だ」「少子化問題」「高齢化社会云々」「道徳心の腐敗→愛国心を持たなくちゃ」等等。どれも聞き覚えのある、というかうんざりするほど聞かされているようなフレーズ。でも、これって本当なの?そんなに世間で騒がれているほどそんなに「深刻」な問題なの?テレビや新聞の言うことを全て信じている人は別として、少し考えてみるとこういった言説はなんだかいかがわしい。と思っている人は少なくないはず(少ないかな…)。この「反社会学講座」では、痛烈な皮肉を交えながら(これが面白いよ)こういった言説のウラ・いかがわしさ・論拠のなさ→デタラメをあざやかに証明してくれる。一部目次から引用。「キレやすいのは誰だ」「パラサイトシングルが日本を救う」「公平な社会を作るバカ息子(娘も)」「日本人は勤勉ではない」「フリーターのおかげなのです」「スーペー少子化論争」・・・続く。読めば、批判的・分析的思考も身につく。電車の中のつり広告のキャッチフレーズやジャーナリスティックな文章、果ては自民党の憲法改正のポイントまで、笑い飛ばせるようになること、うけあい。上の言説を信じている人もいない人も是非一読することをオススメします☆もちろん、この著者の言うことを100%信じることもできないけど、私は8、9割方この人の言うことに賛成。上の言説が全く論拠のないことであることに対する批判は読んでからにしよう。ちなみに、↓のサイトでこの本の大部分が読めます。http://mazzan.at.infoseek.co.jp/註:この本はいわゆる世間一般のジャーナリズムに対しての批判であって、そのタイトルが示すように「社会学の批判」では決してないと思う。論調の矛先がジャーナリズムではなく、社会学そのものに向けられてしまっているのがちょっと気になるかも。実際社会学はきちんとした学問であって、きちんとした研究がなされてます(おそらく一部の人を除いて)。その辺誤解しないように、その上で、一読を。
January 25, 2005
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ふと思い出したので、今日はレレレのおじさんについてのありがたいお話を。去年の年越しで「解時」というイベントがあって(既に少しブログにも書いたけど)、神谷町、東京タワーの近くにある光明寺に友達と行ってきました。そのイベントのプログラムの中にお坊さんの法話があって、そのお坊さんが「レレレのおじさん」のお話をしてくれたのです。それがとても印象的だったからここでおすそわけ(無断借用ごめんなさい、お坊さん)。お坊さんというと60歳くらいのおじさん、もしくはおじいさんをイメージしてしまう。法話というと、人生を悟った上でためになるありがたいお話、もしくは仏教の法典の解釈の話とかちょっとかたい話を想像しちゃうんだけど、全くこの予想は裏切られました。どうやらこのときのお坊さんは私と変わらないくらいの年齢(おそらく20代前半)。話も固いものじゃなくて、普通のちょっといい話といった感じ。まあ前置きはさておき、本題はレレレのおじさんです。レレレのおじさんってあれね。天才バカボンに出てくるあのキャラ。いつも「おでかけですか?レレレのレー」って言って、お掃除している変なおじさん。しかもそれしか言えないし、他の登場人物が何を言っても「?」で全く話を理解しない。一体何のためのキャラなのかナゾだけど、まあいい味出してる(ちなみに私はバカボン全作読破してます、笑)。そのお坊さんによると、実は、バカボンは仏様なのだそうです。どの変が仏様なのかよくわからないんだけど、特にレレレのおじさんは仏教の法典に出てくるシュリハンダカというお釈迦様の弟子に似ているのだそう。このシュリハンダカという人はまあ私はよく知らないんだけど、本当にバカで、お釈迦様の言うことは全く理解しないし、他の弟子からもバカにされていた。そんなシュリハンダカにお釈迦様はただひたすら掃除することを命じたのだそうだ。シュリハンダカはひたすら掃除し続けた。そして、気がついた。掃除しても掃除してもほこりはつもるし、チリが降ってくる。それに終わりがないことを。振り払っても振り払っても降ってくるチリとかほこり。これはまさに煩悩なんだ。追い出そうとしても×2頭からとにかく追いやることのできない、煩悩の存在。まあシュリハンダカはそういうことを悟ったのだそうです。バカにされていたのにも拘らず。まさにそれがレレレのおじさんなんだ!!!彼はそんなにありがたい存在だったのね・・・・。と目からうろこでした。ちなみに私バカボン結構好きなんだよね。新しいやつはダメ、元祖が好き。今もう本自体は絶版だと思うけど、昔家にはボロボロのマンガがあって、幼稚園くらいのときに飽きるほど読んだ。今思うとああいうマンガって今ない気がする。めちゃギャグなのに、なんかほろりとくるというか、なんかどのキャラも哀愁が漂ってるんだ。脇役のニャロメもウナギイヌもどこかかわいそうだし、悪役も。悪役は結局バカボンのパパにひどい復讐されたりして、始めは悪役にむかつきつつも、最後には同情してしまうのです。赤塚のマンガでは、「ヒッピーちゃん」も好きだった。・・・たぶん、私の世代ではおそらく誰も知らない、幻のマンガだと思う。猫のフーを連れて永遠と放浪する意地悪なこじきの女の子、ヒッピーちゃん。性格超悪いんだけど、なのに時々人情味がある。もう読めないかなぁ。ボロボロでも、捨てなければよかった、といまさら後悔。
January 24, 2005
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手巻きラジオ、最近購入しました。コレ↓ 電池要らず、手巻き発電式。LEDライト、ブザー付。携帯電話にも充電可能という代物。1分くらい巻けば、1時間くらいラジオが聞ける。携帯電話の場合1分巻くと、3分通話が可能。去年は災害が多かったせいか、世間では防災グッズとして結構売れているらしい。でも私は災害対策というより、エコという観点でずっと気になっていたので買ったという感じ。ちょっと巻けばラジオはすぐに聴ける。知らなかったけど、ラジオって案外電力食わないんだな。寝る前に30秒くらい巻いて、ラジオを聴きながら寝る。そうすると、寝る頃に電源が切れるから、ちょうどいい。まあステレオのスリープ機能使ったっていいんだけどさ。個人的には待機電力のことを最近考え始めて、あえてステレオのプラグは抜いてるっていうのもあるけど。まあそこまで考えなくても、ぐるぐる回してラジオを聴く。なんかシンプルでいいでしょ。リモコンとは違った味わい深さ、みたいなね。それから一回手巻き充電で携帯をフルに充電してみようと思ったが、あえなく挫折。携帯ってかなりの電力を食ってるんだなぁー。ということを体で実感。電化製品ってとにかくプラグを差せば動くから、その消費電力の大きさって普段全く意識しないんだけど(意識するとすればブレーカーが落ちるときくらいか)、こうやって自分で発電してみるとそれを体感できるっていうかね。それも、面白いのでは。まあ、そう思う人は少数派かしら。ただ、これやっぱデザインがちょっと気に入らないんだよなあ。あとこのラジオ、充電池を内蔵していて、そこに電力をためてるんだよね。電池要らずとはいっても永久に使えるわけじゃないみたい。だからいつこの充電池がいつ使えなくなるのかも気になるところ。耐久性はあるようだけど、見たところ自分で取替えできそうもないし。この点を改善すれば、エコ商品としてはかなり立派なものになると思うんだけど。個人的には、木のラジオが欲しいんだけどな・・・。外枠が木でできていて、手巻き充電ではなく、手巻き発電式だったら文句なし。欲しいといっても売ってないから、自分で作るしかないか?(←でも作れない)そういえば、去年のシュウカツを思い出した。何を思ったかとある小さな電力会社を受けた。二次面接のとき。「日本中のフィットネスクラブの自転車に発電機をつけて、その電力を売りたいです」、と面接官に言った私。(←結構本気だった)見事に落ちました。後日友人に話したら、「バカだね」と言われました。私も今、そう思う。
January 22, 2005
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りらっくま、だらっくま。今日は卒論提出後の初ゼミだった。私の卒論のテーマはとっつきにくいのか、卒論報告会で進んで読んでくれようとする人は一人しかいなかった。・・・・がーん。テーマがマイナーすぎた?関心が似ているはずの、同じゼミ内でも更にマイノリティって一体・・・。でもゼミ以外で「面白そうだから読みたい」って言ってくれた先生がいたり(感謝)、「よく書けてるね」と言ってくれた人もいたので(お世辞かもしれないが)とりあえず、満足でした(*^-^*)誰か一人にでも読んでもらって、内容に興味を持ってもらえればそれでよし。でも卒論の内容は秘密♪卒論が終わったので、(まだテストも授業もあるけど)息抜きに編み物を始めてみた。ipod人気で資本主義の手先と化した友人からipodを中古で買ったので(そんな自分も新品主義の手先←矛盾)、早速、ipodケースを作ってみた。これが試作品第一号↓ ・・・不格好。でもいいんだ、第一号だから!網目が増えなくなっただけ、上達したと思う。次は何をつくろうかな。
January 21, 2005
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最近読書熱が高じてきた。昔はあまり本を読むほうじゃなかったのに、フシギだな・・・。卒論の息抜きで、冬休みはいろいろな本に手を出した。ツイアビの酋長が初めてヨーロッパの文明を見たときの演説集「パパラギ」、遠藤周作訳、モーリヤック「テレーズ・デスケルウ」、大橋「はじめての構造主義」、太宰治「斜陽」、遠藤周作「彼の生きかた」、ゴンブロヴィッチの「トランス=アトランティック」(途中)、姜尚中とテッサ・モーリス=スズキの対談「デモクラシーの冒険」(これもまだ途中)。暇があったらちょっとずつ感想を書いていこうと思ってるんだけど、今日はジョージ・オーウェルの「1984年」を。長いです。聞いてた通り、怖い小説だった~(>_
January 20, 2005
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今回は固い内容でごめんなさい。今回のNHK内部告発事件をめぐって。安倍氏と中川氏は言った。国際女性法廷を取り上げた番組が「明確に偏った内容だと思ったから、公正中立の立場で報道すべきと指摘した」、と。でも誰が「中立公正」を決めることができるんだろう?このコメントから察するに、両者とも、自分の意見が「正しい」もしくは「偏っていない」と信じていることが伺える。でも、そもそも「偏っていない、公正中立」な意見を持っている人なんているんだろうか。みんな感情を持っている人間である以上、どんな意見にもある程度の主観は必ず入ってくる。人にはいろいろな見方がある。だから、全く「中立公正」な番組というのはありえない。もちろん、程度として「中立公正」に近い、というのはありえるとしても。でもこれも基準が難しい。だから「偏っている」意見を様々な場面から集めて、いろんな「偏っている」意見や視点を交えた番組を報道することが結果として「中立公正」になる、と考えたほうがいいと私は思う。何かに対して「偏っている」と決め付けることは、それ自体が一つの価値観を押し付ける行為だ。しかも、ただそこら辺の人が、「偏っている」と「指摘」するのとはわけが違う。議員はその立場から大きな影響力を持つ。それは権力の行使にもなりうる。簡単に言えば、Aさん 「私は漬物が好きだ。甘いから。」Bさん 「私は漬物が嫌いだ。しょっぱいから」Aさんの意見ばっかり取り上げてたら、まるでみんなが漬物を好きで、漬物は甘いかの様に思えてしまう。そこで、Bさんの意見を取りあげる。そうすると、漬物についての考え方が相対化される。でも、Bさんの考え方が削除されたら?もちろん、政治の問題と人の嗜好とは違う。でも人に嗜好がある限り、政治にも嗜好が影響することは否めないはずだ。上の例よりも政治の問題はもっとシビアで複雑。政治の場合、ある見解がある人を傷つける行為につながる場合が多いから。彼らは、従軍慰安婦が「強制」なものではなかった、と信じている。でも当事者は「強制だった」と証言している。その従軍慰安婦問題が初めて裁かれたのが2000年の国際女性法廷。法廷は日本を有罪と判決、元慰安婦に対して賠償金を要求した。番組では元慰安婦の証言などが削除されたらしい。つまり、両議員は、証言部分を放送することが「偏っている」と考えたのだろう。この両議員の意見と同じ見解の人は多いのかもしれない。でも証言部分を削除した番組を「偏っている」と考える人もたくさんいる。だから、証言部分を削除した番組を放送したなら、証言部分を映した番組も放映するべきだ。今回の「政治介入」を検証するのも一つのやり方。でも、編集段階で削除した部分をこれからNHKで新たに放送することを私だったら提案する。それが結果として、「中正公立」になるはず。そのとき彼らがそれを拒否したら、明確に「政治介入」になるだろう。
January 15, 2005
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今、ポーランド首相が訪日している。その関連で、ポーランド首相ベルカ夫人との懇談会が大使館で行われた。まあうちらもポーランド語を学んでいる学生ということで、参加してきたんだけど(滅多にない機会だし)、やっぱなんとなくその場にいるだけで緊張したな。気さくな感じの方だった。ちゃっかり写真も撮ってもらっちゃいました(^^)ポーランドにいたときは大統領を見かけることとかあったんだけど、日本では政界の人を見かけた事ってないんだよね(ずっと住んでるのにも拘らず。)・・・。フシギだ。小泉首相との会談はもう終わったのかしら。
January 14, 2005
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「私っていっつもマイノリティなんだよね」と言ってた私に友人がある曲を紹介してくれた。洋楽はもっぱらBON JOVIとあと一部しか聴かなかったけど、この曲はいっぺんに気に入ってしまった。メロディはもちろん、なんといっても歌詞がいい。めちゃ、共感。Green Day "Minority"I wanna be the minority I don't need your authority Down with the moral majority 'Cause I wanna be the minority I pledge allegiance To the underworld One nation underdog There of which I stand alone A face in the crowd Unsung against the mold Without a doubt, singled out The only way I know Stepped out of the line Like a sheep run from the herd Marching out of time To my own beat now... The only way I know One light, one mind Flashing in the dark Blinded by the silence Of a thousand broken hearts "For crying out loud" She screamed unto me A free for all, fuck 'em all You are your own sight I wanna be the minority (x4) GREEN DAY "Minority"俺は少数派のほうがいいお前の権力は必要ない多数派のモラルに沈むだって俺は少数派のほうがいいからさ裏社会への忠誠を 俺は誓う邪悪なものに支配された国家その国こそが 俺がひとりで立ち向かう国群集に背を向けず 讃えられる事なく型にはまらないように 反論する疑いなく ひとりでやってく俺はこの道しか知らないんだ俺は少数派のほうがいいお前の権力は必要ない多数派のモラルに沈むだって俺は少数派のほうがいいからさ列からはみ出す群れから逃げた羊のようにテンポをずらして行進する俺だけのビートにするために俺はこうする以外に 方法をしらないんだひと明かり ひとつの精神暗闇の中 ぴかぴかと光ってる幾千もの壊れたハートの静寂に 心は沈む彼女は叫んだ 「大きな声で泣き叫ぶのよ」誰だって手に入れるべき自由みんなクソくらえお前はお前の視界だけ見てろよ俺は少数派のほうがいいお前の権力は必要ない多数派のモラルに沈むだって俺は少数派のほうがいいからさ------------------------------------日本語訳は↓のサイトから拝借しました。http://www.geocities.jp/havetastes/GDminority.htmただ、ニ段落目の前半の訳、"one nation underdog..."からの部分がちょっと怪しい気が。正確な訳を知っている人がいたら教えて欲しいです。ずっと聴き続けたい曲のひとつになることは間違いない(>_
January 13, 2005
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太りたくても太れない?こんなこと言ったら世の中のダイエットを決行している女の子たちにぶんなぐられるかもしれない。やせられなくて苦労してる人のほうが世の中断然多いから・・・。でも世の中には同時に太れない、いや体重が減っていくという恐怖と闘っている人もいる。こういう人たちは、明らかにマイノリティだけど。だって、これ以上やせたら・・・・30キロ台に突入してしまう(暴露)!私は別にダイエットしてるわけでもなく、過食症でも拒食症でもない。もともと、胃があんまり丈夫じゃないのか、太れない体質。昨日になって不安がよぎった。なんでかっていうと、年末、お正月とあんなに家でだらだらし、食べるものも食べのんびりしたはずなのに、、、体重が少なくなっている。なんでだ?卒論のせい?悩み?これは結構怖い。なんでかっていうと、私の今の体重は中学のときよりも少ないからだ。就職してからのことを思うと、さらに不安は深まる。食べる時間は明らかに制限されるし、今よりやせたらどうしよう…。肥満が健康に影響を与える可能性を持つ人ならともかく、普通なのにやせようとする、その気持ちは私にはわからない。だって、やせてる=スタイルがいい、というわけでは全くないし。スタイルよくするということは、太ってるにしろやせてるにしろ至難の業。それなら他称肉があったほうがいいんじゃないかなぁ・・・。やせてるとなんかみすぼらしいからねぇ。私は昔から、ピアノのレッスンに行くたびに、「○○ちゃん、折れそうね!」って言われたんだよ・・・。折れそう、なんて言われてうれしいわけがない。それに何より太れるっていうことは胃が丈夫だっていうこと。そして胃が丈夫だということは、食べれる=体力があるということ。これは、かなりうらやましいよ。だって、体力あれば、いろんなことができるもの。多少の無理はきくし、睡眠が少なくても力が出るんだもんね。たくさん働けるし、たくさん遊べる。胃が弱い場合、体力がなくなればなくなるほど消化能力も弱っていく。体力がないときほど、食べて力をつけなきゃいけないのに、食べれなくなっていくというのは悪循環以外の何者でもない。加えて睡眠時間は減れば減るほど胃がおかしくなっていく。つまり、無理が全くできない。無理ができないことがわかってると、何かやろうとするときにも億劫になってしまう。体に気持ちがついていかないと、自己嫌悪に陥るし・・・。でも私なんかは恵まれてる方。とりあえず一定のラインは今のところ保ててるわけだから。もっとつらいのは、私よりももっと体重が少なくて、体重が減っていくという恐怖と闘ってる人。世の中にダイエットの方法はゴマンとあるけど、太れない人のための処方箋はない・・・・これっておかしくない?そんなことを普通の体形でありながらダイエットする人たちがわかってくれたらなぁ、とたまーに考えるんです。
January 11, 2005
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よくがんばった、自分ーー!!!!あと残すは校正のみ。しかし4万字近い文章を読み直すのも一苦労。もういいや、このまま提出しちゃいたいよ。とか思いつつ、眺めてるだけでも既に誤字脱字が見つかる始末。にしても、最後に読んだ本で救われた…。というか、この本を読んでしまうと自分の卒論がゴミのように思えるのだが、これまで卒論を書くために研究してきたおかげで、この本の意図することとこの本の著者の素晴らしさがわかったというだけでもありがたい。その著者は…テッサ・モーリス=スズキ。社会学、政治学、歴史学系を勉強している人は彼女の本を是非読むべきだと思う。学者の世界って自分の論を展開するために、他の学者の論をただ批判したりすることが少なくないように思うのだけど、彼女の論じ方は全く違う。自分が何かについて語ることの微妙さを自覚しつつ、客観的に、かつ突き放すのでもなく細やかに、現場を知った上で、論じる。その観察眼の鋭さ、人間性が本を読んでいても伝わってくる。きっと性格もいいんだろうな。私もそれに見習って卒論を仕上げた。ただ人を批判することはたやすいけど、批判するんじゃなくて認めて、受け入れた上ででも何が問題なのかを静かに指摘して議論を組み立てていく。こういう姿勢って日常でも必要だよね。ああ、でもまだドイツ語とポーランド語の宿題が終わってない…(;_;)でも今日はもうおやすみなさい。
January 10, 2005
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あけましておめでとうございます。今年も心を新たに。お寺での年越しはなかなか面白かった。自意識越年会という、ちょっと変わった年越し。時間に縛られるのではなく、ローソクを前に自分で年を振り返り、年を越す準備ができた人からローソクの火を消していく。全ての人のローソクが消えたら、HAPPY NEW YEAR。しばしの間、時間から解放されたようでした。ジャグラーのファイヤーダンスはすごかったし、民族楽器の演奏もなかなか。お寺の本来の目的はヨーロッパの教会と同じように、コミュニティやイベント、社交の場であるべきと思っていたけど、それを実際にこういう形で実践している人がいるのにはびっくりした。お寺、仏教、がんばれ。年始から一週間、両親とともに長野の山に行ってきました。おとといから昨日にかけては特に雪がたくさん降って、山の景色がとってもきれい☆木々の枝に雪がたっぷりかぶさって、まさに風流、幻想的な世界をかもし出しているよう。昨日はその雪の中でどんど焼き。竹とかやで作った一対の塚は男と女を意味するそう。その塚がごうごうと燃えて高く火の粉が舞い上がる様はなんとも壮観!!神奈川の地元でもどんど焼きは昔やったけど、こんなに立派な塚は作らないから感激だったなぁ~。ちかくに住むおじさんは狩猟が趣味で、更にゲテモノ食いと来ている(ゴキブリさえ食べたがる…こればっかりは勘弁)。なので、長野に行く度変なものを食べる羽目になる。今まで食べたのは、熊の肉(ゴムみたいで噛み切るのが大変だった)、鹿の肉(佃煮みたいな味付けでおいしい)、山鳥の鍋(おいしかったが、その時調子が悪かったせいか後で気持ち悪くなった)他にも熊の油とか肝とか…(これは食べる機会がなかった)。今回食べたのはなんと!!あかんばちとかいう蜂の成虫のからあげ。ころもで姿が見えないので、案外食べれた。カラッとしてて、揚げ立てだとおいしい。しましまの体を見てしまうと食欲がなえるのだが。あと生まれて初めて食べたのが、野生のウサギの肉(蜂も生まれて初めてだったけど)。肉は肉でも、ウサギの肉の刺身!!本当は野生の肉って生で食べちゃいけないんだよね。だってどんな菌がいるかわからないもの…。でも強引なおじさんなので、断れない。おそるおそる醤油にわさびで食べてみました。ウサギさんに申し訳ないと思いつつ………でも、おいしい!!!!まったくクセがなく、まるで馬刺しを食べるような感覚。ウサギはなかなか仕留められないので、滅多にないご馳走だそうだ。もう一生食べれないかもな…。スローライフ的に言えば、自分でウサギをしとめ、解体しその命の重さを味わいつつ、食べなきゃいけないんだろうけど、狩猟も解体も私には無理…。ごちそうだけおすそ分けしてもらっちゃいました。こんなスローライフもありかな…。
January 9, 2005
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今回はお知らせです。今ブームになりつつある「スローライフ」。この言葉を知っている人でも、「スロービジネス」という言葉を知っている人は少ないかもしれません。「スロービジネスって何」?と思った方は以下を読んでくださいね。エコロジーが注目を浴びている今、持続可能な社会を目指す運動、ビジネススタイルとして「スロービジネス」を実践する人々が増えてきています(私も実践を目指す一人です…目処は立ってないけど(^^;))。簡単に言えば、楽しいこと、そして社会にいいこともビジネスにしちゃおうということ。実践している人々もとっても魅力的な人たちです。私もその人たちの話を聞いて、刺激を受け、世界観を変えられてしまったうちの一人。そんなビジネスを志す人たちの集まりである、スロービジネススクールの有志の学生が(私も学生です)スロービジネスに関するWEBサイトを立ち上げました。作っているスタッフもプロフェッショナルな方たちです。今後の動きにご注目を!スロービジネスhttp://www.slow-business.com/index.html*スロービジネスとは?*(サイトより抜粋)スロービジネスとは「ゆっくり、ゆたかで、やさしいビジネス」だと私たちは考えています。「ビジネス」って、そもそも何のためにあるのでしょうか?世の中や自分の生活をより良くするために一生懸命働いて「ビジネス」を成り立たせているはずなのに、なぜ、地球は壊されていくのでしょうか?人々は「忙しすぎる」という悲鳴を自らの内に閉じ込めながらも働き続け、そして心の余裕を失くしていくのでしょうか?ビジネスの成功と豊かなスローライフの両方を求めるのは、やはり欲張りなのでしょうか?「ビジネス」をめぐるたくさんの疑問。毎日の忙しい生活に追われるあなたは、「そんなこと考えても仕方ない。折り合いをつけなくてはならないのだから…。」どこかで、そう思っていませんか?こうした疑問の解決策のひとつが「スロービジネス」であると私たちは考えています。
January 8, 2005
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