デニムデザインの虜です!

デニムデザインの虜です!

2011.07.14
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東京湾と言っても、壺のような形の「底」の部分。つまり東京湾で一番奥にあたるエリアでの話になるが私にとって青春のすべてだった。
小学生の頃は当時「船橋ヘルスセンター」と言う名の今で言う「温泉ランド」に入り浸りだった。
現在は「船橋ららぽーと」になっているが、当時の賑わいは凄いものがあり夏場は海水を引き込んだゴールデンビーチなるプールもあった。
さらに名物は「大滝すべり」という巨大な滑り台(今で言うスライダー)で、10列ぐらいの真っすぐに滑り落ちるタイプながら、今のような精密に造られた物ではなく「コースにチョロリと水が流れている」だけの単純なスライダーだった。
子供心に一番の楽しみは「着水地点での見物」である。
何しろ造りが単純なだけにコースによっては水の流れが極端に悪いところもあり、そんなレーンを滑り降りると「水着の尻」部分が摩擦熱で溶けて?丸い穴が二つ登場してしまうのだ。
その様子が面白くて仕方が無かった。
周りには助平そうなオヤジも見ていたが、きっと女性の水着に穴が開くのを見ていたのだろう?でも何となく「ゆるい時代」だったので大きな問題にもなっていなかったようだ。
そして海の桟橋には「海賊船」が係留されており、それで東京湾クルーズなんかが行われていた。
ちなみにその船は退役後、箱根の芦ノ湖で遊覧船になったアレである。
実は、私の父は海軍の軍人だった事もあり「海」は好きで、私達兄弟は強制的に「海」との関わりを持たされたのである。
父は一級船舶免許に加え、丙種航海士の資格まで取得していた。
ちなみに父の仕事は銀行員だったが・・・。
当然のように15歳9カ月がすぎると船舶免許を取らされたのであるが、高校生時代の3年間で唯一欠席した2日がその船舶免許の学科と実技の試験日と言う有様だ。
弟は一級免許まで取得したが、船が大きいので二人一組でバディを組ん訓練から試験までを行わなくてはならず、偶然な事にそのペアの相手はなんと「矢沢栄吉」さんだった。
そんなこんなで、海での付き合いも広くなり20歳のときにはモーターボートを一隻所有していた。
買ったのではない。
知人から「欲しいならあげるよ」って感じでいただいたボートで、ボルボペンタのエンジンを2つ積載した高速艇だった。
現在、船橋の漁業組合の組合長ともその頃からの知り合いであり、私の結婚式にも来て頂いた方である。
ただの漁師ではなく、とても頭の良い方でアメリカが提唱した都市開発の手法として海から見た都市造りは機能性と合理性に富んでしかも美しい街が出来上がると言う考え方の「サンフランシスコ湾計画」を翻訳して出版したぐらいの方なのだ。
サンフランシスコのみならずシドニーに行った事がある方はその都市造り手法がご理解いただけるだろう?
その時はまさにバブル絶頂期!
船橋市に「船橋海浜公園」と言う人工干潟を要するレジャーパークが作られて、観光開発にも税金が投入されていたのだが、昭和57年の設立当時その人工砂浜には生物が全く存在しなかった。
毎年観察していたが、3年くらいたって砂浜に「ゴカイ」の類が増え始めてからはカニなども現れて、生物が繁殖し始めたのである。
それから「潮干狩り」が始まったのだが、良く見られる「ニジマス釣り」みたいにアサリを蒔いて観光客に捕らせる「ヤラセ」だった。
当時、の東京湾奥は埋め立てにより海岸線の「砂浜」はすべて無くなり、沖合に残る浅瀬「三番瀬」のみが干潮時に砂浜が現れる天然の干潟として唯一残っていた。
実はこの三番瀬(サンバンゼ)は東京都と千葉県の境を流れる「江戸川」からの堆積土砂が原型であり。東京湾の生物の「生まれ故郷」と言っても過言でない浅瀬なのだ。
この三番瀬には「大潮」の干潮時になると、先の船橋市海浜公園の人工干潟と地続きになり数キロ沖合まで歩いて行く事ができるようになったのである。
ところが、その事によって本来船を持った漁師しかいけなかったエリアに「密漁者」が大量に侵入し問題にもなっていたのである。
ところが、3.11東日本大震災はこの東京湾奥の海底地形を変えてしまったのである。
私の友人で「三番瀬環境フォーラム」の理事長の話では、「海底が一部沈降して干潟が消失してしまった」と言うのだ。
「干潟」は字のごとく「海が干上がった場所」を意味する。
より日光「消毒」が行われ、なおかつ地中のゴカイ類やコメツキガニなどが穴から砂を浄化しながら穴の外に運び出す作業が見られるのだ。
このエリアが沈降した半面、干上がらないが浅瀬も多く発生し漁船の通行に支障が出ているらしい。
フォーラムのスタッフが引き続き調査を行っているが、唯一の救いはボランティアが海底に植えた「アマモ」(海藻)がすべて残った事だろう。
この「アマモ」は東京湾の魚類の産卵場になりつつあるからだ。
一度破壊した自然をここまでに戻すのになんと30年かかっている。
それがまた今度は自然災害によって破壊されてしまった。

日本の形(地形)は1万2千年~1万3千年前に出来たらしいが、当初は日本が太平洋に向かって動いていたのだが、現在はハワイ諸島が毎年4cm、オーストラリア大陸は毎年8cm日本に近づいていると言う事をご存じだろうか?計算すると「2億年以内に日本はオーストラリア大陸と中国大陸に挟まれてつぶれてしまうだろう」と言う説がある。
日本列島も千葉県あたりが太平洋方面に引っ張られた頃、北の北海道では知床半島を中心に時計とは反対周りに50度くらい回転したらしい。
反対に南の方では時計回りに50度位回転したと言うのだ。
日本列島の真ん中をつまんで引っ張れば、南北の端は内側に丸まる形に移動すると言う事だ。
大きな話になってしまったが、地球の活動からしたらあの大地震だってミクロの動きと言う事なのだろう。
日本

それくらい人間なんてチッポケな生き物なのですなあ・・・。
それは宇宙から地球を見た人が始めて感じる事らしいのですが・・・。





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Last updated  2011.07.15 02:35:06
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