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「自分だけの大切」ってところで、ふと、突然、この映画を連想しまして。映画のタイトル音楽が流れる最初の場面では、まだちいさい少女のアメリが、セピアがかったの色調の中で、自分だけの「好き」なことを、ひとりだけで、次々にやっているシーンが流れます。とても印象的なシーンです。私は、この映像を、大人になったアメリのこころの奥にしまわれている古い記憶のように感じました。十年ぐらい前に、飛行機の中で、たまたまこの映画を観たオットが、コレはらんでる(私)だ~~~~!!、と、思ったそうで、かれは、わざわざ私に観せるために、このDVDを買ってきました。十年ぐらい前の私は、この映画を観て、(おお~~!!オットは、私のことを、とってもよく理解しているな。)と、思いました。当時は、気に入って、何度も何度も繰り返し観ていましたが、今、すごく久しぶりに観ると、なんだか、切なくて、切なくて、観ていてつらくなるような感覚がありました。わたしは、ちいさい頃は、あんな風に内向的な表情をよくしていたし、(当時の写真を見ると、そんな感じ。)そして、長じてからは、おおむね、善意にあふれていました。自分でも、決して悪いニンゲンではなかったと思います。ただ、うまく説明ができないのですが、私は、瞬発力を発揮して、一瞬人を、とってもハッピーな気分にさせるような「技」はできたけれど、そういうものは、なんというか、結局単発的なものでして、そんなに重要ではない、というか、持続するものではない、というか、だから、人に贈り物をしたい気持ちはあっても匿名性に逃げ込みたくなるんだよな~~、というか。うまくいえませんが、映画の中の彼女の努力を観ていると、やはり、非常にせつない~~~、のでした。そして、映画のハッピーエンドの後からはじまる、アメリがこころに持続する温かな種火を、本当に手に入れるまでの、そして、アメリのセピア色の記憶の中の幼い彼女自身が、こころからニッコリ笑うまでの、長い長~~い道のりのことを考えると、やっぱり、せつないな~~~~、と、思いました。ん?これは、アメリのことじゃなくって、私のことを言ってるんだわ。
2011.01.31
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このところの冷え込みは、連日氷点下でして、夜になると、わん男の飲み水も、容器の中で凍っています。いつもは外で寝ているわん男ですが、この時期はさすがに寒かろうと思って、夜、玄関先のケージに入れてやろうとするのですが、(待ってました。寒かったんです~~)とばかり、すっとケージに入る日と、くるっときびすを返してドアの方を向いてお座りして(いえ、外がいいんです~~)と、目で訴えてくる日があり、でも、その違いが、どうも、気温とあまり関係ないようなのです。いったいわん男は、今の寒さをどのように感じているのでしょう??昨晩は、特にしんしんと冷えこんでいたので、わん男もさすがにケージに入るだろうと思っていたのですが、外がよかったようで。(あの~、別に、ここに用はありませんけど~~。)と、さっさとあんずの木の下の定位置にお戻りになられました。 予想外です。通販で買った犬小屋には、頑として一度も入らず、雨も夏の暑さもデッキ下に潜りこんでやり過ごしてきたわん男くん。一応毛布を犬小屋に敷いてやりましたが、すぐにずるずる引っ張り出して、あんずの木の下に自分で敷き直して、だいたいそこで寝ています。「わん男の気持ちは、わからないわ~~。でも、今は本当に冷えるし、わん男も玄関先で寝たい日もあるようだし、めんどくさいけれど、毎晩いちおう誘ってみるよ。」と、オットに話していたら、「息子の気持ちも、わからないなぁ。」と、彼。「そだね~~~。わからないね~~。」と言いつつ、私は、なんとなく、オットの変化を感じました。わからないものだけれど、わかりたい、という、彼の気持ちを、はじめて感じたように思って。
2011.01.31
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このところ、あーだこーだで、悩ましかったわたしですが、なんとな~く、これは、息子が、進路の時期のプレッシャーで、なんだかかんだか言ってるような気がして参りました。というのは、彼は、公立中に在籍しているので、この時期、公立高の受験のお話が、担任の先生から出る、そして、彼は、受けると言う。(わたしは、内心驚く。)そして、志望校を決める書類の提出期限迫る。決めきれない彼。そして、その話になると彼の元気がなくなる、とまあ、そういう事実の羅列があるのでした。「まだ変更がきくんだから、一応出しておいたら」、と、オットは息子に言ったそうで、今日が提出期限なので、一応私、息子の意向を聞いて、学校に書類を提出してきました。さて、私は、息子に、書類提出を頼まれておりません。提出期限を三者面談で一緒に聞いていたので、私が彼に、意向を聞きました。私が聞かなかったら、もしかして、提出期限スルーということになっていたはず。私が聞きました。うう~~~。なんだか、すご~くよけいなことをしたような気がする。
2011.01.24
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昨晩、息子は、ボソッと、そう言っておりました。その前日は、やりたい趣味がたくさんありすぎて、困る、時間ない、と、言っておりまして、彼の気分は、日々に流れ流れていくのね~~。こういう生活をずっと続けているの、私だったら、いいかげんイヤだしな~~。んだんだ、で、あります。さて、オットの弁当を復活して、一週間。弁当を持っていくのは「ほのぼのする」そうで、昨日、彼は、保温機能のある弁当箱を買ってきました。私は、今朝は、その新しい弁当箱に、弁当を詰めました。土曜日は、オットの買い物につきあって、二人でデパート巡りしました。彼は、いつも吊るしのスーツを自分で買っていたので、イージーオーダーで注文するのは、結婚以来はじめてです。彼が、あーだこーだ非常に時間をかけて生地を選ぶのに、つきあって、デパ地下で食材を買って帰りました。オットは、とってもうれしそうにしていました。昨日からずっと続いている強い感情は、「せつない」なのでして、なんかこう、全身でせつない。なんでしょう。せつないです~~~~。こんな風に、全身でせつなさを感じた体験はないのでして、これは、うまれてはじめて味わう感情です。はて~~????
2011.01.24
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情報のみを伝えるというオットとの異文化コミュニケーション、ここのところ、とてもうまくいっているようです。今まで、私は、いろいろ自分の感情をくっつけて、ついでに自分の結論までくっつけて、オットに受け取らせようとしていたのね、と、思います。そして、あなたの感情と結論の方も見せろ、なんでないんだ、と、迫っていたわけです。空回りしてきた、長い年月。私は、ご主人にどんどこ言いたいことを言って、責めてこられたというムスカリさんのことを、いいな、いいな~ってうらやましく思っていましたが、私は、あまり直にぶつけなかっただけで、身近な人たちを、長年こころで責めまくっていたのでして、なんだ、私も、そうやって、知らないうちに、たくさんたくさん回りに甘えてきたのね、と、思いました。自分を客観化して見るのは、かくもかくも、むつかしい。発想が、なかなか自分のホシから外に出られない。この一週間ぐらいで、今まで生きてきた自分のモロモロの穴が、どんどんどんどん見えてきて、うあああ、と、なり、私は、久しぶりに、布団をかぶりたくなりました。はずかしい。すごくはずかしい。今までの自分。それは、私が、たくさん甘えて来れたから見えてくるものなのかもしれません。
2011.01.20
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私は、息子がずっと彼の目から見ていた父親像を、今回、息子と一緒にじっくりまじまじ見ちゃったのでして、う~~ん、今さらながら、わたしは、非常に、非常に気持ちが、めげります。その父親像ときたら‥。う~~ん。これは、恐怖政治か、独裁制か、と、思うような威圧感、圧迫感でして、これでは、彼は、家庭で基本的な安心感を感じられなかっただろう、と、思います。オットは、決して、暴力をふるったりするわけではありません。ただ、私には向かわず、息子にだけ向かっている憎しみのベールようなもの。息子からは見えても、オットには見えない、無意識の彼方からくる強大な、わかりにくい力。そういったものの存在を息子は、感じていたようです。そして、息子が、それを、だれにもにずっと言えなかったことを思うと、どんなにひとりで辛かっただろう、と、思います。わかりにくい。ハタからみると、普通のおとうさん。オットは、わたしには、基本やさしい。みなに同じ態度だったら、まだ、わかりやすかったのですが。息子がたびたび、私に、「おとうさんにはね、気をつかっているってもんじゃない。神経をつかっているんだ。」と言っておりましたが、今になって、それがどういうことか、よくわかるように感じます。オットに、息子から自分がどう見えていたか、というのを、情報として、せっせとお伝えしているのですが、なんせ、インプットなので、オットからの、感情のフィードバックが、全然ない。すごくまどろっこしい感じがします。それでもって、息子が、いろいろ重なって、今、非常に暗い。ほんとうに暗い。魂の灯が消えそうな顔をしております。この、オットの無意識の自分でのわからなさ具合が、わたしには、手に取るようにわかるように感じて、それでもって、息子の置かれた辛さが、これもまた、非常にわかるような気がします。言ってみれば、これは、スティーブンキングの「シャイニング」の世界が、息子の無意識下で起こっているようなものでして、スーパーバイザーの先生が、「このままでは、ぷん君、つぶれますよ。」と言った意味が、今、よくわかります。そういうわけで、まったく予断をゆるさない張りつめたような感覚が、私には、このところ、ずっとずっとあるのですが、なんせ、オットの無意識の抵抗がすごいし、人は自分が見たくないものは見ないでいたいものですから、そこを突かれたくない、というのも、すごくわかります。わたしだって、そんなとこ、突きたくないわよ~~。先週出張に行くオットを、駅まで送りながら、「世代連鎖ってことがあるってことを説明するように言われたの。あなたがお父さんにされていやだったことを、知らず知らずにおなじことをしちゃうってことがあるから、自分のやり方を常識だと思わずに、そこんとこ、考えてみてほしいの。」「はあ。なんであんたに、そんな深層心理を探られるようなこと言われなきゃいけないの。あんた、いったいなに?」「母親です。」という会話を車内でかわして、一週間。こんなこと、ふつう人に言うか。私はアフォか。アフォなのか。ま、「世代連鎖」っていう情報をインプットしたって考えるかな。でも、こんなこと私に言われて、切れなかったオット、すごいかも。いつか、もしかしたら、それにオットが気がつく日がくるやもしれず、こないやもしれず。情報のインプットという発想を得て、まだ、二日。私は、せっせとオットの身の回りの世話をあたたかくして、気持ちをほぐし温めながら、情報をインプットして、って、それを、続けるのね~。これって、とってもたいへんなのですけど~~。と言ってても、しかたないから、まあ、今日も、わたしにできること、ぼちぼちやろうっと。深刻な顔にならずに、ポーカーフェイスでやろう。わたしにできることは、オットを温めて、新たに息子にかかる圧を、ちとやわらげるってことと、息子の葛藤を、(あるね。そこに。私は知ってるからね。)という気持ちで、見守っていることでしょうか。シャイニングに出てくる、あのおじさんのような存在を、彼が心の中に育てていけると、よいのですが。
2011.01.19
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昨日、むらさきさんの、最初のコメントを読んだ途端、PCの前で、どーっと涙が出ました。。(おお~~!!!そうだったのか~~~~~~~~。)と、自分の硬い思い込みが、ほぐれていく涙でした。目からウロコで、実際は、ウロコがないから代わりに涙出た、っていう感覚です。2者関係に文句をつけることと、こどもの言動をオットにフィードバックしていくこととが、別物だ、ということ。そのふたつは、私の認識の中では、ずっと分かち難くべったり癒着していました。それが、だんだん離れてきて、心に『?』マークが出てきて、最後にべりっと分離した、っていう感覚です。自分の感覚さえも、こうして、いちいちいちいち、いちいちいちいち言葉に落としてから進んでいきたいという強い欲求。こいつぁ~まさしく文系だ~~?!今朝、オットと朝ご飯を食べながら、「この前伝えられなかった情報をお伝えしたいので、聴いてもらえるとうれしいけど、感想は求めていないから。」と前置きして、言わないでいた息子の言葉を、(能面で)お伝えしました。で、その後は、切り替えて、何もなかったように、ふつうに朝ご飯の続きをしました。理系の彼には、プレゼンと、情報公開がよさそうです。あとは、彼が考えて、行動で答えが返ってくる。その結果起こったことを、私は情報として、彼にフィードバックする。気持ちを言い合う私のコミュニケーションツールでやろうとするから、いつもいつも話し合いが破綻したのですね。こちらの提案とか感情とかは、さしあたって彼の分析の邪魔にしかならなかったわけですね。うむ~~。回路が、みつかったかも。感慨深いです。ちゅうことは、息子は文系か?先日、「おかあさんは、客観的にものごとを考えたことある?」と話題をふってきました。「何か考えている時、考えている自分から、ちょっと離れて、考えている自分を、ぼ~っとながめていると、いろいろ別のものが見えてくることがあるんだ。」と言ってました。カードゲームの戦略を立てるのに、そういうやり方が有効なんだそうです。なんだか、これ、私が言いそうなことだな~~。
2011.01.18
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わたしは、息子の問題について、オットと情報を共有する努力を怠ってきたと、ふりかえって思います。ひとりで抱え込むのは、しんどいけれど、そういうやり方は、夫婦の問題としては、なまけてきた、ラクをしてきたということだったのかもしれません。私は、自分流に定義した言葉に過剰に縛られる傾向があることに、ここにいたってようやく気がつきました。それは、自分の親からの過干渉に辟易したあまり、親からの働きかけのいっさいを干渉のように感じてしまっていた、というような、わたしの「こころの硬さ」と関係するものです。見方に偏りが生じていても、自分だけでは、そこに光を当てることが、なかなかできません。今の私のひっかかりは、「2者関係に介入しない」「代弁しない」ということに関するものです。息子が、お父さんに、いっさい自分の気持ちを言えない状態で今まで来て苦しんでいる、という問題すら、息子の代弁のように感じて、オットに伝えるのに非常なためらいがあった私でした。今までは、そういうことをやろうとすると、息子の気持ちに肩入れしすぎて、代理喧嘩になってしまっていてので、それは避けたかった、ということもあります。手探りですが、オットとの間に感情的にならない話し合いの回路が、やっとできつつある実感があります。オットが息子の抱える問題の、キーマンになっているとき、息子がオットについてこう言っていた、あるいは、オットとの、こういう問題で悩んでいる、ということを、情緒的に肩入れしないで、情報として当人に伝えていくことについての、ご意見をきかせてくださるとうれしいです。
2011.01.17
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私自身の感情の動きというものを考える時、意識が強く光を当ててきた感情の裏に回って闇の中に沈んでいる感情の方も、照らされている部分に拮抗するぐらいチカチカ強くまたたかせてみることの大切さ、ということを感じます。その両方の世界の感情を感じながら、どう行動するかは、自分で決めていけばいいわけです。私のこの何年かのひどいエネルギー漏れ状態、ひどいへこたれようを思い返す時、なんかこう、意志の力を過信して、闇の世界のもの(だいたいが、くだらない)を、強引にねじふせて進んできた自分の前半生を、(たはは~~、おつかれさまっす~~)、と、思うわけでして、(まあ、ぼちぼちしか動けまへんがな)、という私の「今」があります。さて、「心配」が親の存在不安を自分の中から運び出して、こどもに背負わせるための都合のいい荷車になっている場合のこと。当事者が私ならば、とりあえず私の口を封じることで、荷車の歩みを止めて、そして、自分の分の不安は自分でなんとかしようと、じたばたじたばたすればいいのでして~~、現に私は、そうしようと、のたうってきました~~。が、(あんれまあ、荷車がもう一台あったーーーーっっ)ていう場合、それでもって、その荷車が非常に頑丈そうで、容量が大きそうで、手強そうに見えて、息子がなんとかしてくれ、と、回りの援助を求めている時、私にできることはなんだろう、ということが、今の私の課題です。昨晩、買い物の車内でオットと二人の時に、プレゼンやります、といって、情報を伝えました。つたえるのにためらいがあったところがあって、ちょっと考え中です。理系の人には、理系の方法で、ですね。ありがとうございます。で、投げかけるだけで、済ませました。能面で。そんでもって、私のへこたれぶりがひどかったときに止めたっきりだった、オットの弁当作り、再開しました。私の中でチカチカまたたく闇の感情(‥というと、聞こえがいいけれど、だいたいが、すっげ~くだらない。でも、くだらないものが、とっても大切だったのね。)と、しっかりお手手つなぎながら、とりあえず、動いてみる、ってことを、やってみようと思います~~~。動いて、また、考えます。
2011.01.17
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家賃未払いの督促状を持った男の人が来て、家の中に入らせるように要求してくるという夢でした。でも、そこに名前が書かれていないし、身に憶えがないので、わたしは、いやちゃんと毎月の銀行引き落としで自動的に払っていたはずだ、なにかの間違いだ、といって帰ってもらうのですが、そのあと通帳を見ても、引き落とした記録がみつからないのでした。あら、私のミスだったら、オットに悪いわ。ちゃんとお金稼いできてくれてるのに、と、思いました。お金は、夢の中では、こころのエネルギーを意味することが多いそうです。わたしは、こころのエネルギーを家庭に注いできたと思ってきたけれど、実はちゃんと支払ってきていなかった。そう夢はメッセージを送ってきているのかな、起きてからそう思いました。今、遠赤外線のような温かさを伝えたい、と、思うとき、今まで、自分の心をふりかえるのにエネルギーを使いすぎて、そこのところの家庭の手当を、じゅうぶんやってこれなかった、と、思うのです。わたしは、一生懸命取り組んできたと自分で思うのですが、あ~も~、どうしても、どうしても、そうなっちゃいました。整うのに、時間がかかりました。非常にこころが痛い、という感覚です。先方オットに、「ぷんは、おとうさんの心配はわかっていても、早く寝ろ、と、言われると、依怙地な気持ちになるみたいだよ。」と言うと、硬い顔になって、「でも、言わなきゃ変わらないじゃないか。」と言うのでした。(う~~ん。言っても変わんないから、圧を緩めてほしいと思うんだけど)と、思いつつ、「ぷんは言われるとこじれた気持ちになるわけだし、オットは言わなきゃ変わんない、と思うわけだし、う~~~ん。ひとの気持ちって、むつかしいね~~。」と言って、話を終わりにしました。その後、「お茶淹れようか。」と言って、温かいお茶を出したら、笑顔になりました。う~~ん。こんな風に、やっていこうかな。
2011.01.16
コメント(9)
ここで、オープンにして、みなさんから、ご意見をうかがうことが、どんなに私の視野を広げてくれていることでしょう。本当に、ありがとうございます。同じ現象でも、複数の視点から、光を当てていただくことで、違ったものが見えてきます。私もですね、こうして教えていただいた発見を、機会をみつけては、息子にフィードバックできたら、彼も二者択一の苦しさから、多少なりとも解放されるのかもしれませんね。おっと、これは、先回りになりますでしょうか。どうでしょうか。私の視野が広がることで、息子の吐き出しを聴く時に、私にゆとりができる。それだけで、今はいいのかな。
2011.01.14
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少し前のテレビで、ハイジのアニメに出てくるおじいちゃんの言動が、出演者たちの物議を呼んでいたのですが、それは、こういう場面でした。チーズを作るための大鍋の火の番を、ハイジはおじいちゃんから任されます。ところが、ちょっとのつもりでその場を離れたハイジは、そのまま、すっかり、火の番を忘れてしまい、慌てて帰った時に彼女が見たのは、もくもくと焦げ付いた大鍋を洗っているおじいちゃんの姿でした。「おじいちゃん、ごめんなさい。」謝るハイジ。「いいんだよ、おまえが悪いんじゃない。おまえに任せたわしが悪かったんだ。」おじいちゃんは、ハイジを見ないで、(能面で)そのまま黙々と大鍋を洗い続けます。その場にいたたまれないハイジ。この、おじいちゃんの言動が、大不評だったのですが、その場面を家族で見ていた時、息子が、『これって、おとうさんみたい。」と言ったので、私は大受けしました。すると、オットが、「こういう反応、当たり前だろう。どこが悪いんだ。」と言いました。ちょうど、そのあと、シンスケが、非常にひねこびた口調でおじいちゃんのセリフをアレンジしたので、オットも笑っていたのですが、「そうか、おとうさんは、自分で変だと思っていないから、ああいうような態度をとるのか。」と、二人で納得したことでした。ちょっとですねぇ、そういうような言動をとる時の裏の気持を、裏のメッセージを、言葉につかまえ直したい心持ちがするのです。それをですねぇ、その場で捕まえて、言った人に、ちょっとフィードバックしてみたい、と思って。う~~~ん。こういういたたまれなさは、なんだろう~~。それでもって、それについて、考えるのに、ちょっと抵抗がかかっていまして、集中して考えられない感覚があるのです。なにか、気がついたことがあったら、教えてもらえると、うれしいです。
2011.01.14
コメント(8)
掲示板を読みながら、突然思い出した記憶。ほんの小さい頃、母に叱られて、泣き寝入りするような夜、(そういう夜が、たくさんあったような記憶があります。)わたしは、布団の中で、ずっと、母が来てくれて、優しく声をかけてくれるのを待っていました。(おかあさん、きてくれないかな。きてくれないかな。きてくれないかな。きてくれないかな。)きてくれないのでして、なかなか眠れないまま、ずっと長いこと布団の中で待っていました。来てくれて、やさしい言葉をかけられたら、わたし、泣いちゃうぐらいうれしいのに。でも、すぐには、にっこりした気持にはなれないね。拗ねたい。拗ねたい。でも、拗ねてても、おかあさん、怒って行っちゃわないで、待っててほしい。ニッコリそこで、待っててほしい。母に言えなかった言葉です。そんな記憶を思い出し、(ああ、あのとき、私は、母に、気持を迎えにきてほしかったんだ。)と、思ったのでした。気持を迎えに来て、そばで待っててもらえると、人はうれしいものだな~~、と。(でも、すぐには喜べないね。拗ねたい、拗ねたい。たくさん拗ねていたい。でも、待ってて。拗ねてる間に行っちゃわないで、おかあさ~~ん。)回路を開いて待ってくれている人がいても、気持はすぐには出せないのね。ちっちゃい子どもだって、そう思うんだもん。待ってて欲しいんだよね。いつまで?そりゃあ、気が済むまで。待つというのは、受容なんだってことの意味が、突然ストンと胸に落ちた夜でした。
2011.01.13
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たいらかに。昨日、おとねさんからいただいた言葉です。息子の目に今映っている父親像を、いっしょに見る。(あー、あなたには、こういう風に見えているんだね。)一方で、彼の見方に汚染されない、自分自身の目に映るオット像を、同時に見ている自分がいる。その両方の視点があって、はじめて、私の「んだんだ」が活きるのね~って、これは、ムスカリさんの記事を読んで、思ったことでした。ふりかえると、これまで、いろんな場面で何度か彼のピンチがあった時、わたしは、息子の目に同調して客観性をなくすか、自分の見方に傾いて、息子の見方の方を否定する、ということを、何度もやってきたんだなぁ、と、しみじみ思います。つい先方、息子が、先日の話の続きを振ってきたので、「私、おとうさん責めちゃったな。北風と太陽みたく、こうしろって言われると、よけいしたくなくなっちゃうってことあるみたい。ネットで教えてもらった。」、と言うと、「あ~。 お父さんに早く寝ろっていわれると、よけい寝たくなくなるもんなぁ。」というので、「それだ~~。」。息子もいっしょに笑っておりました。「太陽の方がよさそう」というと、「じゃあ、それはお母さんに任していい?」ということで、話は終了。息子が温める役をやっちゃあ、役割の逆転ですね。「ああ、お父さんと話したくないなぁ。今エネルギーない。ああいう話し合い、しばらくムリ!」と、ボソッと言っておりました。
2011.01.13
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私は、朝からパソコンに張り付き状態でした。来てくださったみなさん、コメントをくださったみなさん、かたじけないです。本当に、ありがとうございました。今さらながら気がついたのですが(鈍い)、息子は、今日は、なんだかケロっとして、パソコン張り付き状態の私に、昨夜の話の続きをしたいと言ってくることもなく、夕方に適応教室に顔を出して、カード対戦全勝した、と、帰ってから 上機嫌で、今もパソコンの画面見て、笑っています。昨日の深刻な生き死にの話はどうなった??というぐらい、話を振って来ません。息子の吐き出しを受けた経験、少なくって。どうしよう、どうしよう、と、朝から、身構えていた割には、あれれ~~です。夜来るのか。これからなのか。オットが出張中だからなのか、うう~~~。わかりません。息子から話を振られるまで、話を振らないで過ごしていようと思います。
2011.01.12
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年末の顛末。オットと息子との、話し合いの場を設けるための、オットとの、話し合いのことを、書きたくなりました。要点は、今まで息子が父親について、どういう思いを抱えて来たかということ、思春期の心理の特色、(息子には、親がだんだん口出しを減らしていく時期がきていること。)話し合いの場について息子と冷静に話しあってほしい、というお願いの、三点です。かれが言ったこと。あの先生がいい人だってことはわかるけれど、いう通りにして、ちゃんと結果が出るのか、信用できるのか。証拠を見せて欲しい。オレは、心配なんだ。こんなことをしていて、ちゃんと結果が出るのか。らんでるのいうとおりにして、ぷんは自立できるのか。オレは、らんでるのいうことを聞いて黙って来たことを後悔してるんだ。親の会にだって、まだ自立できてないメンバーいるじゃないか。ちゃんとした成果が出るってことを、証明してくれたら、そうしてもいいけど。そこで、わたしが切れた。ぷっつん。私に、そこまで答えを求めるかよ。子どもの人生なんて、今から答えわかるか~~。結果なんて、このわたしにわかるか~~。わたしは自分の行動の分しか責任をとれないよ。わたしは、いろいろ、求め求めて、こうしたほうがいいと、思うから、そうしてきただけで、言ったほうがいいとおもって今、あなたに言ってるだけで、それを、私に結果を保証しろって、どういう父親だよっ。(そこで、両方の靴下脱いで、床にたたきつける。そして、大泣き。)わたしは、自分の分だけだよ。あなたが選んだ行動の分まで、責任とれない。あなたが判断して選んで。オット曰く。「ああ、もう、いいよ。いつだって上から目線だ。いうとおりにするから。それでいいんだろう。」私「また、私に丸投げかよ。そうしてもらってわたしが感謝すると思うなよ!!」も~、自滅。捨て台詞。話し合いはできたけど。残る無力感。理系の人って、こうなのか。そして、そのあと、いっしょに朝ご飯食べました。
2011.01.12
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昨日から、すご~~く難しい局面に立ってる感覚で、息子の言葉の端に死までがちらちらするので、私はパニクりそうです。頭ひやそう。仕切り直しです。今、(息子、つんだな)、という状況です。もう万策尽きた思っている息子を、どうサポートしたらいいんだろう、と、目下、悩み中です。ずっと溜め込んでいた気持ちをよくぞ打ち明けてくれました、と、思いつつも、問題を「おとうさんが変わるか、さもなくば人生リセットだ。」という、二者択一にして、自分で突き詰めていくやり方は、まるで、昔の私を見ているようです。でも、今の彼にとっては、それは、とっても重要な問題で、第三者に打ち明けてまで、援助を求めているのだから、彼の気持ちに、添っていきたいです。そうすると、もう私はこれでとおすゾ、と思っていた、(黙ってんだんだ、赤ベコさん)という枠に入り切らなくなるわけでして、昨夜は、案をひねり出し続けては息子に却下される、ということを、深夜まで、延々とやっていました。自分ながら、ヘボな案しかでて来ないです。それが、どれほどヘボかと言うと、最後の方は、おとうさんが、ぷんに脅迫めいたことを言ってきたら、現行犯で、その場で私が指摘する。→ 却下。指摘されたらキレるだけ。言うのがだめならば、2人で黙って顔を見合わせてみる。→却下。という、ていたらくなのでした。じゃあ、また明日話そうね、と言って、昨晩は寝ましたが、私の方も、ほんと、万策尽きてきました。この問題の行方、先が見えません。
2011.01.12
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これは、出典を忘れましたが、何年前かに本で読んだ言葉です。わたしは、これを読んだ時、気持ちを聞こうとすると、言ってもしかたがない、と、その頃には、いっさい胸の内を話さなくなった息子のことを、不思議に思っていました。感受性がたかくて、早くに気がつきすぎたんだな。私に聞く耳が育っていなかったから、気持ちを外に出せないで、溜め込んでいたんだな。溜め込みすぎて、かえって、手をつけるのが怖くなっていたんだな。三ヶ月前に、やっと悩みの存在をほのめかして、「でもとても言えない。」と言っていた息子が、重い口をひらいて、やっと話し始めたことなので、これは、大切にしよう、と、思って聞いています。そうやって何日も聞いていて、鈍い私にもやっと見えてきたことは、学校を自分から離れて自由な時間を満喫している息子の姿などではなくて(これは、私がそう思っていたかっただけ。)おとうさんとの確執になけなしのエネルギーを吸い取られてニッチもサッチもいかなくなっている、今の息子の辛さでした。これは、とても学校へ行くどころではなかった。わたしは、アフォでした。つんだら、等身大の彼が、見えてきました。息子の目が見ている、おとうさんの姿が見えてきました。
2011.01.12
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わたしは、今日、息子が「つんだな」というのを聞いて、驚きました。息子は、私のブログ、読んでいないんすよ。あらら、ほとんど同時に、「つんだ」という共通認識が‥。あ~、これは、「つんだ」んだなぁ、と、思いました。適応教室の帰りに、「車の中は話がしやすいから、ドライブしよう。」と、息子を誘いました。のっけから、「おとうさんは、しかっているんじゃない。ダダを捏ねてるだけだ。十二年ぐらい見て来たけれど、50にもなって、ちっとも成長していない。」と、息子。辛辣です。私、息子には、オットの愚痴を言って来なかったですから。上乗せされていない、彼の実感です。「でも、一生懸命働いて、お金を稼いで、義務を果たしてるってことは、おつたえしておきたいです。」と、わたし。「僕は、精神的な成長を言ってるんだ。権力のあるだだっ子だから、たちが悪いんだ。金正日といっしょ。」‥一蹴か。黙って中立状態を保っていた分の、ずっとお二人を見て気がついていた私の感覚を話しました。情報を、彼にもオープンにするときが来たと思いました。なんせ、つんじゃったので。「僕の代で、終わらせる。こういうことはね、先延ばしにしちゃいけないんだ。親子で、ずっと気持ちが伝わらないままなのは、悲しいからね。当時者も、見ている人も、悲しいんだ。」あんた、だれ?おいくつですか?「で、どうしたら、いいんだろう?」 ‥ですよね~~。わかりません。わかりませんとも~~~。手強いですから。その後、義父の死に目会えなかった、看取りたかった、と言って、しばし泣く息子。もらい泣きです。お葬式のときは、君は泣けなかったんだね。な~んも解決つかないまま、ただ、つんだのね~~っという共通認識とともに、夜のドライブ終了しました。しばらく、オットは出張中。どうしたもんでしょう、彼の感受性の鋭さ。エネルギーが自分に向いて行かない現状。息子は、父親をちっともあきらめないのね。あきらめきれない何かがオットにはあるのね。切ないのでして、早く、親なんか、見切りをつけちゃえばいいでしょうよ。自分の人生生きましょうよ。こういうのも、待つしかないんでしょうかね~~~~。彼の願いが、どうか、叶いますように。
2011.01.11
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オットのことですわ。ぷんは、人生かけるそうですから。今日は、ぷんは、オットへの吐き出しがすごくて、聞くのは、非常に疲れます。話し合いの後、おとうさんとちゃんと話せた、と、しばらく平穏だったのが、昨日のオットの態度で、全部チャラになったような感覚です。息子と父親の二者関係の間にいると、わたしは、ただ、ただ、無力でして、自分の変革を進めればなんとかなる、家族が幸せになる、と考えていた間は、わたしは能天気だったかも、と、しみじみ思います。人生かけておとうさんを変えたい。変わらなかったときは、人生リセットだな。そのときは、頸動脈切る。おかあさんは、そうやって、う~~んって考えてるけど、解決策ないんでしょ。横で考えていられると、イライラするだけだから、やめてくれないかな。何か、解決策あるの。ないでしょう。つんだな。つんだ。後は、将棋盤ひっくりかえすだけだ。うむ~~。どうしたもんかなぁ。オットときたら、なんちゅう幸せものだ。くっだらない自分の牙城を護ってる場合じゃないぞ。そんなこと、やってる場合じゃないのにな~。昨日は、特にオットは変だったのでした。(わん男の散歩、朝一緒に来い、お年玉いくらもらった?散歩来なけりゃお年玉三万円貯金させるぞ。)(買い物、一緒に行かないのか、荷物運び手伝えよ。そうか、行かないのか、そうか。覚えておくからな。心証悪いぞ。)(テレビのチャンネルすぐに変えろ、変えろ、今すぐだ。)死ぬか死なないか、という話をしているときに、なんちゅう能天気。口調は、義父そっくり。威圧的な、上からの感じ。でも、それは、息子にだけでして。わたしには、やさしい。彼だけが、変わらないまま、ときが止まっているかのようなのでした。つんだか、つんだのか。どうしたもんだか。
2011.01.11
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オットの堅い堅いアンタッチャブルな牙城には、極力触れないようにしようと思ってきたのですが、(あんれまあ、どうしたもんだろう)ということが、次々に起こってくるので、ここのところ、(はあ~~~)なのでした。息子が、このところ、オットに超批判的でして、それが、また、的を得ている。(思春期って、そういう時期だろ~~。)昨日は、なんでだか、オットがひとりすげ~~険悪になっていて、息子はクローゼットに一晩おこもり。夜に息子と話し、朝、出張するオットを駅に送りがてら、(車内は逃げられないからなっ)オットと話してみました。息子に何があったか聞いてみると、オットがテレビのチャンネルをかえるようにぷんに命令して、ちょっとまっててよ、と、彼にしてはがむばって語調強く言ったら、オットが切れた、ということ。オットに聞いて見ると、息子が、バカヤロ~と言ったから叱った。目上のものに目下のものがそんなクチをきいてはいけないんだ、と、立腹している。(ところで、息子はそんなことは言ってないそうだ。あの人にそんなこと、とても怖くて言えないそうです。)「そんなに反抗する息子が気にいらないなら、ぼくの代わりに人形座らせておけばいいんだ。」この、深い隔絶。ワカラン。オットがワカラン。あーた、今そんなことにこだわってる場合かよっ、と、思いました~~~~。そのくっだらねぇ牙城を叩き壊したくなったな。
2011.01.11
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今朝、(あ~、も~、いろいろめんどくさい。息をするのもめんどくさいわいっ)とか思って、(ん??)となった私です。めんどくさい‥。これは、特に、私に邪険にされがちな気持ちなのでした~~~。母親への長年の怒りを無意識下に押し込めていたあげく、蓋が開いて何年もしつこく、しつこく、気が済むまでぷんすか怒っていた私。っちゅうことは~、めんどくさい、という気持ちも、ちゃんと日の目を見せてあげたほうが、よろしいのではないだろうか。というわけで、(めんどくさい、あ~~めんどくさい。)と思いながら、家事をやってみました。はかどる、はかどる。めんどくさい、という気持ちと、家事をやろうという気持ちとは、共存できるのでした。気持ちっていうのは、もしかしたら、(こんなことを思ってはいけない。)と、自分と闘った分だけ、裏に回ってしっかり無意識下に蓄積されていくだけのことで、自分と闘った分、エネルギーがムダ、というか、おつかれさま~~、というか。で、蓄積が大きい分、その存在を認めることが、どんどん怖くなるだけで、けっきょく自分の気持ちと闘うのはあほらしいかもな~~、と、思いました。好まれがちな「克己」。これは、エネルギーロスも、はなはだしい行為なのかも~~。そこで、思い出すのは、pikiさんのご紹介にあった、賢治さんの言葉のことです。(人を殺したい)という究極のタブーな感情をも、自分の中に認めて居場所を与えていく姿勢。自分の中のどんな感情も、居場所を認めていけば、全体として、人は、ちゃあんと、穏やかな明るい場所に行き着くものではないでしょうか。そういうことが、自分を信じること、人を信じることなのかも~~って、今日、ふと突然、思いました~~~~。
2011.01.07
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昨晩、恒例の年末年始大移動から、帰ってまいりました。年末年始なんて、うちでノンビリがいちばんなのですが、親の家に顔を出さないで淋しがらせるのもイヤなので、オットーの実家、私の実家と、重い腰をあげて、えんやこら出かけていくのでした。 で、その年末が近づくにつれて、わたしのエネルギーが、漏れる漏れる。なにごとも、めんどくさい。見事に書く気力をなくしまして、みなさんのところにお邪魔しながら、新年のご挨拶すら書かず、掲示板でわたしの名前を書いてくださってあるのが、とってもうれしいというのに、そこでも、ただ読むだけ状態、になりまして、ほんと、失礼いたしました。pikiさん、とってもうれしかったですから~~~~~。特に、わたしの実家。特に、父。彼に、まったく悪気はないのですが、、つ~か~れ~る~~。ああ、彼にちっとも悪気はない。それは、わかる。でも、ああ、疲れる。で、オットも、私の実家、非常に疲れるそうです。神経使うらしい。ところが、両親はちっとも疲れないらしい。会えてうれしいらしい。ま、うれしいのは、よかった、よかった。行った甲斐があったというものです。災難にあうときはあうがよろし、という気分です。ただ、回数は少ない方がいいです~~~~。
2011.01.05
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