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先日、ハリケーンのことを書きましたが、ニューヨークの私の地域は被害もなく、停電も起こらず日曜日も途中で雨風がやんで、虫が鳴いているぐらいでしたが一部、他の地域では、停電や洪水が起こったところもあったようです。日本人はほとんど台風慣れしているので、こちらの対応は何だかおおげさに感じてしまいますがこういうことは充分に対策を取っておいた方がいいのでしょうね。ということで、私の「忍耐力」に対する調整。問題が見つかった以上、やはりブレインジムのインデプスのクラスまで調整することを待つことはできなかったのでおさむに筋反射テストをしてもらいながらIHキネシオロジーで調整しました。それで根本原因として出てきたのが意外にも「誓い」「おお~のりこに初めて誓いが出てきたね」とおさむが言いましたがすぐに自分で立てた誓いを破って、それまでのやり方や目標を一気に変えてしまうような私に、誓いが残っていると出たのは初めてのことです。誓った年齢を見てゆくと20歳。20歳の頃の私はロックバンドをやっていたのですが酒と男とドラッグに明け暮れ短命だったジャニスジョップリンのような生き方に憧れ「先のことや将来のことなんて考えても意味はない私は、やりたいことは何でも今すぐにやる生き方をする」と心に誓っていたのでしたそれで思い返してみると子供の頃は九州男児の厳しい父親の教育にも逆らわず、忍耐強い子供だったように思うのですが大人になるに従って、その反動からかもっと自由に生きたい、という想いが強くなっていて「今を生きる」というより刹那的な生き方を望むようになっていました。もっとも、そのあたりの問題は、30代中頃にはほぼ癒されていて刹那的に生きるのではなく、自分を大事に生きることはできるようになったものの本質的に、生き急いでしまうというのか、「明日死んでも後悔しない生き方」というのが常に意識のどこかにあったような気がします。だから、しばらく様子を見るとか、時期を待つ、なんてことはできないとどこかで感じているのですね。なので、長期的に見て計画を立てる、なんていうのも苦手。以前、交通事故で死を意識したことも、それに拍車をかけたかもしれません。もちろん、今感じていることや直感に従って生きることは魂の向かう方向性に柔軟に対応してゆくために大切なことであるのは間違いないのですが一方で、人生では、先にならないとわからないこともたくさんあるわけです。時には、少し時期を待ったりじっくりと検討したり、消化するための時間を取ったりすることも必要ですね。先日、ドランヴァロの映像を見ていて、彼にあることが起こって、なぜそれが起こっているのかわからなくて1年半待って再びそれにトライしてみた、というようなことを言われていてドランヴァロでもすぐにはわからないことってあるんだなあ、なんて、妙に納得してしまいました。量子力学の考え方のように、時間は幻想、だとも言えますが同時に、この3次元世界では、ある程度の時間が経たないとそれがどうして起こったのか、何の意味があるのかなど観えて来ないことも多いわけです。そんなことは頭では充分にわかっていたのですが潜在意識の中ではその「誓い」があったために感情的に待つことができなかったのだなあと。それで、今回の調整の魂の目標として選ばれたのは「気長に構える」耐えるとか、がまんするとか、妥協する、というようなことではなく長い目で見てゆく、すぐに結論を出さない、というような気長に構えることが必要、ということ。(簡単に言えば「せっかち」だったということなのよね)日々、キネシオロジーのセッションを行っている中では未知のことに不安やリスクを感じる人は多くて直感に従って行動する、とか変容を受け入れる、とか先のことばかりを考えず、今を生きる、などという調整が行われることが多いのですがでも、一方で、気長に見てゆくことやすぐに結論を出さないことも必要ということ。やはりなんでもバランスですね。今回のテーマはやはりブレインジムでは調整が無理でしょうし、IHキネシオロジーで調整できてよかったかも。今回のハリケーンでキャンセルになったブレインジムのインデプスのクラスは次回のNYでの開催予定は、来年の春か夏だそう。すべてはベストのタイミングで起こっているのですからこれは来年まで待てということなのでしょうね。ということで、直感に従って行動し、気長に構えてゆきます~
2011年08月31日
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以前、何度かこちらでご紹介した清水友邦先生が日本からNYにやって来られます。企画されているのは、リバーサーの長谷川泰子さんで私が企画しているわけではないのですが、素晴らしいワークですしグループワークの方でまだ空きがあるということですのでここでご紹介させて頂くことにしました。このブレスワークは人それぞれ、体験するものが全く違うので参考になるかどうかはわかりませんが、以前、私が清水先生のセッションを受けた時の体験談をこちらに書いています。それは、本当に私の意識を変容させた素晴らしい体験で今でもあの時のことに意識を向ける度に、その感覚が自分の中にしっかりと息づいているのを感じ愛と祝福に戻ることができます。先日「ハートの聖なる空間へ」のことを書きましたがこのブレスワークは、胸に呼吸を入れてゆくことを通じてまさにハートの中に入ってゆくこと。ハートは、宇宙や高次元とのつながりの場所なのです。ですから、ブレスワークを通じて、天使やアセンテッドマスターと出会ったり宇宙空間に自分がいるのを感じたり神との一体感を感じたりするのでしょうね。個人セッションとグループワークの方では、それぞれによさがあると思います。グループセッションでは、他の人と自然と共鳴するので初めてやった人でも変性意識に入りやすくなったり、変容が加速して起こったりします。愛の意識でつながって、一緒にいた人たちを魂の家族のように感じることができたりします。(実際、こういう場所で出会う人というのは、魂レベルで決めてきていることがほとんどなのですけれどね)以前、ミカさんとおさむのコラボレーションとしてリバーシングのグループワークを開いたことがありますが本当に素晴らしいエネルギーで、感動の連続でした(こちらがその時のご報告)清水先生は、みかさんの師匠にあたる方でその深い愛と叡智は、多くの人を目覚めへと導いて来られました。下にある案内文で「思考からの目覚め」とか「相対的真理の誤解を解く」などというと、ちょっと難しく感じるかもしれませんが(正直、私もこれを読むと、何だか難しそうと感じたのですが)本当は何も難しいことではなくて、本当の自分、魂レベルでの自分を感じるということ。目覚めが起これば、自分を取り巻く様々な「現実」も変わってきます。まるでパラレルユニバースのように、別の現実を選択することができるようになるのです。こういうワークを通じて、マトリックス(幻想)から目覚めることは、今、多くの人たちにとってのテーマなのではないかしらと感じます。ブレスワークは、どんな人でも簡単にできる方法ですのでこれまでヒーリングなどをあまり受けたことがない方でもおすすめです♪私にできるかしら~と思われている方も大丈夫。自分の中に少しでも「受けてみたい、体験してみたい」という気持ちがあればそれは魂からの声なのです。このグループセッションの二日間は、私はちょうどマトリックスエナジェティクスのレベル3のクラスに参加予定なので、この会には参加できないのが残念なのですがNYにお住まいの方は、ぜひ受けられてみてくださいね。(ご予約は私ではなく、泰子さんの方にお願いします)●講師●清水友邦 先生 1953年、岩手県盛岡市生まれ。幼少の頃から、自分が誰なのか疑問を持ち、探求の道に入る。世界各地の聖地を巡礼、アッシジ、ルルド、インドのリシケシ、oshoマルチバーシティー、ラマナ・マハルシのアシュラムなどを訪れる。カリフォルニア州、エサレン研究所のエサレンマッサージ、フェルデンクライスメソッドなど各種ボディワークを、インドでヨガ、瞑想、ボディワーク、ブレスワーク、中国で気功を学ぶ。チベット、カイラス山を巡礼後、人々とアウェアネスをシェアするワークを始める。現在、イーハトーブ心身統合研究所代表。講師からの言葉3.11は人々の意識を変えました。社会全体が揺らいでいるのは文明の大きな転換点が訪れているからともいえます。もし、覚醒した人々の人数がある臨界値に達するならば社会構造は根本的に変革するでしょう。社会の大きな転換期には個人の意識も揺らいでいるのでダイナミックな意識の変容が起きるとおもいます。このような時期にNYでワークショップが行われる事に深い恩威を感じています。皆様とお会いできることを楽しみにしております。本当の自己とは何か。私とは何者なのか。色々なワークをして体験は豊富にあるが気づき・覚醒といわれているものが何を指しているのか今ひとつ掴めない方に、ブレスワーク、ボディアウェアネス、各種ワークを交えながら相対的真理の誤解を解く中から明らかにしていきます。このワークは大いなる自己の光をあなたがみいだすのを助けるでしょう。気づきは頭でとらえるものではないので、頭でとらえようとしてもとらえることはできません。思考があるがままに見ることを妨げているのです。見たり触ったすることもできません。いまここにある体の感覚や呼吸に意識を向けていくと思考活動は静まってきます。どんなにすばらしいものであっても過ぎ去ってゆく体験は束の間のものです。それは相対的なものにすぎません。思考が作り出す自我の夢から覚めた時、今ここであるがままに輝いていることに気がつくでしょう。【 主な内容 】・気づきとは何なのか、何をさしているのか・気づきとは何処にあるのか・偽りの自己同一化・聞く事、見る事、触れる事、味わう事、考える事、それを経験しているのは誰か?・シェアリング9/17 (土) 11:00 - 19:009/18 (日) 11:00 - 19:00Price : $160両日参加の方は$300 ($20引き)12名までで行います。(軽いランチ含む)●場所●The New York Core Center, Inc.115 East 23rd St., 12th floorNew York, NY ?10010●予約●長谷川やすこ 今年度ワークショップのオーガナイザー兼アシスタントです。MICAさんを通してリバーシングに出会い、導かれるまま真の存在としての自分を追い求め、現在リバーサーとして活動中。MICAさんとThe New York and Philadelphia Rebirthing CenterのMaureen MaloneとTony Lo Mastroに師事。清水さんにとっては、MICAさんを通じて孫弟子にあたります。悩みの連鎖に巻き込まれ苦しんでいる方、見えない壁に阻まれ行く先を見失っている方、さらなる成長を求めてあらゆる事を試されている方、気づいていない自らの可能性をさらに追求したい方、呼吸を通じてあなたの思いをサポートします。ご連絡下さい。ucanhealu@gmail.com (つながりやすくてお薦めです。)201-233-9698
2011年08月28日
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NYは、明日の夜中に大型ハリケーンが到着するとのことで、何だかすごいことになっていますね。非常事態宣言ということで、ニューヨーク市の30万人に避難勧告が出され明日の正午には、地下鉄やバスなどすべての公共の交通機関が停止するとのこと。今朝、明日からのブレインジムのインデプスのクラスのことを書いたばかりですがその後、急遽、クラスはキャンセルになってしまいました。とても残念ですが、今回、このクラスの講師は別の州から来られていていろんな準備もされていたそうですし、主催の方はさぞかし残念なことでしょう。明日、あさっては、NYはどこも閉まってしまうのでしょうね。メールで、ヨガスタジオなどあちこちからクローズのお知らせが届いています。おさむもあさって、家でサウンドヒーリングの会を開く予定でいたのですがキャンセルせざるを得なくなりました。彼もいろいろ準備をしていたので、とても残念そう。ということで、私の「忍耐力」の調整~~ブレインジムのクラスは、また別の日に振替になるそうですがどのぐらい先になるのか、また、その日に上手く参加できるかどうかわからないのでそれまで「忍耐力」の調整を待っている忍耐力は、私にはなさそうです明日あさってにもIHキネシオロジーをやってしまうかも。(そこが忍耐が足りないところなのですが)さきほど、マンハッタンのホールフードに買い物に行ったら食料品がかなりなくなっていてびっくり。こんな棚がガラガラになったホールフーズを初めて見ました。ハリケーンは、土曜日の夜中から日曜日にかけてだそうでそれからは大丈夫とのことなので、たった2日のことなのに。かなり大規模な停電が起こる可能性があり、とのことなのでみんな、それに備えているのかしら?先日もニューヨークで100年ぶりという地震があったのですがマンハッタンで感じたのは震度2ぐらいだそうですが一部パニックになったと書かれてありました。震度2ぐらいでパニックになってしまうのですからニューヨークに本格的な地震がやってきたら大変なことになりそうです。ニューヨークの建物は耐震性はないですし。それにしても日本だけでなく、あちこちで気象の変化が起こっていますね。母なる地球が何かを訴えているように。これからも、いつどこで何が起こってもおかしくない、そんな覚悟は持っていても、未来への不安や恐れは手放してゆだねて、その時、その時を精一杯楽しく生きたいなあと。明日、停電になったら、うちには懐中電灯もないのですが、暗闇で断食瞑想をやるのもいいかも先日のドランヴァロの『ハートの聖なる空間へ」に書かれてあったのが南米のコギ族の人から教えてもらったハートの空間に入る方法のは完全な真っ暗にした部屋で目を閉じて立って、9夜9日、飲まず食わずそして寝らずに過ごすと、必ず母なる地球が現れ、道が開かれるということだそう。でも、ドランヴァロは、それは現実的に私たちの社会では実現不可能だということで世界中の人に広めるために、この本に書いてあるような安全でシンプルな方法にたどり着いたとのことでした。飲まず食わずということより、立ったまま寝ないで、というのが想像しただけで苦しそうです。もしかして、ビジョンクエストより苦しいかも。ビジョンクエストは、ネイティブアメリカンの大人になる儀式で自然からのビジョンを得るために山の中のある場所に結界を張って、その中で何日も一人で過ごすのですが例え、オオカミが来ようともそこから逃げ出すことはできないし孤独と恐れとの戦いとのこと。以前は、このビジョンクエストを一度やってみたいと思っていたのですが最近は、もうそんな修行をしなくてもいいなあと。そこまでやらなくても、目覚めることはできますものねと、話がずれてしまいましたがビジョンクエストをする気でいたなら、停電になろうが食料がなくなろうが、少々の不便さは大丈夫?ということでハリケーンが過ぎるまで(といってもあさってまで)瞑想したり、レイキやマトリックスエナジェティクスしたり、キネシオロジーしたり、サウンドヒーリングしたりして(電気がなかったら、ヒーリング三昧)過ごそうと思います。NYや近郊にお住まいの方々、特に海岸沿いにお住まいの方はくれぐれもお気をつけてお過ごしくださいね。どうか、このハリケーンで大きな被害が出ませんように。
2011年08月27日
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明日から、ブレインジムのレベル3インデプスのクラスが4日間行われますので、参加してきます。実は、こういうヒーリングやセラピーを学ぶクラスを受ける中で私にとって毎回ちょっとしたストレスになっていることがあります。それは、例えば、二人一組になって調整を行う際に自分が調整したいテーマを決めなければならないわけですがそのテーマや問題が思い浮かばないということ。これだけいろんなヒーリングやセラピーをやっていると調整したいことやヒーリングしたいことなんて、すぐには思い浮かばなくなくなってきます。もちろん日々の生活の中では、いろんなことに気づきますが何か自分の中にある感情や問題に気づいた時には、大抵すぐに調整したり、ヒーリングしてしまうのでいざ、こういうクラスの中で、問題やストレスを見つけなさいと言われても、全く何も出て来ないわけです。これは、けして私が何も問題がないということではなく自分の顕在意識で気づくレベルというのには、ある程度の限界があって他のヒーラーの助けがなければ、すぐには見つけられないこともあるからなのです。以前、アメリカ人のキネシオロジーの先生のクラスを受けた時にも「はい、それでは何か自分にとってストレスなる状況を考えて」と言われた時に、何一つストレスになる状況が思い浮かばなくて筋肉も反応しなかった時、先生が「何かあるでしょう?過去のことでも、今でも将来のことでも。経済的でも精神的でも健康面でも。あなたは全くストレスや問題がないの?」と、まるで責められるように言われたので焦って「先生にストレスを見つけろと言われて、見つからない今の状況」に意識を集中してみたら、やっと筋力がオフになったことがありました。こういったセラピーやヒーリングを学ぶクラスの中では、問題がないと実践ができないのでみんなに迷惑をかけてしまいますから、何が何でも問題を見つけなければならないというプレッシャーがあって毎回「問題が見つからないことが問題」みたいな状況に陥っているわけです。なので、とりあえず適当な問題で調整しておこう、と前回のブレインジムのクラスの時にも「英語でのコミュニケーション」でやろうとしていると、マリ先生がやって来られて「のりこ、この問題にはもう身体が反応していませんよ。もうそのテーマについては充分なのではないですか?他に何かテーマはないの?』と指摘されてしまいました(やっぱりばれてる)ということで、今回のインデプスのクラスを受けるに当たって今回はドン先生が講師ですが、このクラスをオーガナイズしているマリ先生から「自分にとってのテーマを考えておいてくださいね」と言われていて、困ったなあ、と。それで、昨日の夜におさむに手伝ってもらって、私の問題をあれこれと筋反射テストで調べてもらいました。ああでもない、こうでもない、とあらゆることを見ていって最初は、全然見つからなかったのですがとうとう私にとって、とても大切な問題があるのがわかりました。それは Patient ー忍耐最初「努力する」でオフになったのでへ~私って、本当に努力する気がないんだなあ、とあらためて思ったのですがでは、私にとっての努力って、何だろうと考えた時に「嫌いなことをすること」と「忍耐強く何かをすること」ということがあがってきました。それで、「検討してから決断する」や「じっくり考えて行動する」などで調べてみてもオフ。思い返してみれば、私のこれまでの人生の中で、「忍耐」や「待つこと」は、ほとんどなかったなあと。どんなことでも、直感的にすぐに決断してしまうので例えば、昔、ある仕事について「あ、だめだ、この職場」と感じればその日のうちに辞めてしまったしまた、例えば、これに参加してみたい、と感じると同時に申し込んでいるし、相手にこれを伝えることが必要だと思えば言いにくいことであっても、すぐに伝えるという感じでそういう自分に問題を感じたことはなかったわけです。それでも、レイキや他のヒーリングを初めてからは、かなり変わってきて以前よりも、相手のペースに合わせることはできるようになってきたものの基本的には「忍耐は必要ない、すぐに決断、行動が大切」だと思っていました。もちろんそれがよかったと思うことは多かったですし嫌いなことをする必要はないのですがやはり、人生の中では時には「じっくり考えてから決める」「時期を待つ」「すぐに結論を求めず、様子を見てゆく」「結果がすぐに出てこなくても、辛抱強く続けてゆく」などということが必要なこともあるなあと。ちょうど、10月に日本で行われるあるセミナーを受けるかどうかここ数日間、迷っていて、なぜ今回私はすぐに決めないのだろうと自分の決断力を疑ってみたのですが決断力が問題なのではなく、もう少し情報を集めて検討する時間が必要だったということなのですね。(たぶんこれは私に「待つ」ことを学ばせるために起こっているのでしょう)おさむは「そうそう、のりこは何でもすぐに決めてしまうので俺はすぐに決められないことをプレッシャーに感じていた時もあったんだよ」なんて、ここぞとばかりに言うのですが考えてみれば、おさむはよく、すぐに結論を出そうとする私に「落ち着け~」と言っていたなあと。それはあくまでも冗談で、自分では、本当に落ち着いていないとは思っていなかったのですけれどね例え、おさむにとって、そんな私が問題であったとしても私にとって問題だと感じていなければ、それは私が調整するべき問題にはならないわけです。決断力も忍耐力も両方バランスよく必要ということかしら。これまで40何年間、考えたこともなかったなあ。これを調整したら、かなり私の人生が変わりそうです。私は4大元素、火、水、風、土で言うと、「安定、堅実」などの性質である土の要素が特に弱くて、変化してゆくことに対してはどんどん向かっていっても一つのところに安定したり、着実に何かを進めていったり目的に向かって、少しずつ努力していったりすることには全く興味がありませんでした。そう考えてゆくと、これまで情熱はあっても、忍耐がないゆえに続かなかったことって、けっこうあるなあと。一気に集中して行うことはできるのですが、継続は苦手なのですよね。だから、今、そのバランスを取る時期に来たということなのでしょうね。ということで、一つでも、私にとって大切な問題が見つかってよかった。(4日間もあるので、もっと問題を見つけた方がいいのですが)このブレインジムのクラスで、この問題がどこまで変わるのかしら。新たな「忍耐強い私」になれるかどうか、楽しみです~♪(昨日この問題が見つかって、すぐに自分でIHキネシオロジーを使って調整したくなって、明日のクラスまで待つ忍耐力さえ危うい)
2011年08月26日
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神経エネルギー・キネシオロジー創始者のヒューゴ・トバー著のチャクラメタファーの本を購入したのですが、なかなかよい感じです。チャクラに関しては、様々なヒーリングの基本的な考え方ですしIHキネシオロジーの調整としてもよく出てきますがこのチャクラメタファーを使うとそれぞれのチャクラについて、ただバランスが崩れているかどうか、ということだけでなく、受け取ることと与えること、アンダーエネルギー、オーバーエネルギーという観点から見てゆくことができます。例えば、先日、おさむのチャクラを調べてみたら、第5チャクラの「受け取ることがオーバーエネルギー」で第6チャクラの「与えることがアンダーエネルギー」だと出てきました。第5チャクラは、コミュニケーションと自己表現。相手の話を理解したり、自分のことを伝えたりということに関するチャクラですが「受け取ることがオーバーエネルギー」ということは「他人の話ばかり気にしたり、考えたりしている」ということ。調べてみたら、おさむは、私の考えにすぐに影響されてしまうという問題があがってきました。例えば、彼が自分では「こうやろう」と思っていたことに対して私が「それより、こっち方がいいんじゃない?』とアドバイスすると「そうか、それもそうだな」と、大抵すぐに自分の考えをあらためるのですがそれが行き過ぎになってしまって私の同意がなければ、自分のやり方を貫けなくなっているということ。これは、私にも責任があるなあと反省これに関しては、単にチャクラ調整ではなくIHキネシオロジーの調整として行いました。その中で、出てきた魂の目標は「大人としての自覚を持つ」ちょっと笑ってしまうのですが彼の潜在意識の中では「子供のままでいたい、責任を追いたくない」というのがあってそれが、私の意見に左右されてしまう原因ともなっていました。つい先日も、私が「今度日本に行ったら、うさとの服を買おうと思っているのだけど、おさむもこういうのを着るのはどう?」と、うさとの服のサイトを彼に見せていて、それを見ていたおさむが「すごくいいけど、俺には、大人の服~って感じで合わないなあ」というので、「40歳もすぎて、いつになったら大人の服を着るつもり?」と笑ったのですが、試しに筋反射で見てみると「私は大人です」で身体の反応はオフ、つまり彼の潜在意識では大人ではなかったのでした尋ねてみると、彼にとっての大人というのは「責任が多すぎて大変そう、自由がなさそう」というイメージだそう。だから、私の意見にいつも従っていることが彼にとって、責任を逃れることにつながっていたわけですね。でも、実際は、自分で選択し、その結果の責任は自分ですべて追わなければ、本当の意味での自由はないのです。これは、もちろん私自身にも問題はあって、彼に対してパートナーではなく、母親になっていたのかもしれないなあと。以前「共依存の関係を手放す」という調整を行ったことは書きましたが、それ以来、私はすごく楽になって、彼がどうであっても大丈夫という安心感から、彼の状態が気にならなくなっていたのですが、まだ意識のどこかでは、母親役をやってみたかったのかもしれません。(逆に、大人になりたくない彼自身をありのままに受け入れるためには私が母親にならなければならなかった、とも言えますが)パートナーとの関係というのは、常にそれぞれが抱えているいろんな問題を浮き彫りにしてきます。これまで私としては、自分の意見を押し付けているつもりは全くなかったのですが何気なく発した私の意見が、彼自身の選択を迷わせることにもつながっていたわけですから、そう考えると、アドバイスするというのは難しいものです。例え、相手がその人自身の選択によって失敗したとしても、その失敗から学んでゆくという機会を奪ってしまう可能性もあるわけです。(失敗から学んでゆくチャンスをなくすことの方が、失敗だと言えますよね)もちろん、これからも意見を聞かれたなら素直に自分の感じたことを伝えるとは思いますがおさむが、私の意見に左右されず、彼自身の感じるままに進んでゆけるようなエネルギーを、私自身がいつも持っていたいなあと。二人の価値観や感じ方は、限りなく近くなっていますがそれでも、やはりそれぞれ違った学びがあるのですから。今回のセッションは、私自身の大きな気づきにもつながりました。これで、やっと本当に対等なパートナーの関係になれるのかも、彼へのセッションを行いながら、そんなことを感じていました。ということで、ようやく、成人式を迎えたおさむですでも、おもしろいことに調整の後筋反射テストで調べてみると、「私は大人です」でも「私は子供です」でもオンどちらでもあるという状態になっていました。つまり「大人になりたくない」という意識を持っていることが問題であってけして、子供の意識を持っていることが問題ではないのですね。一方、第6チャクラは自分の経験を理解したり、気づきをもたらすというチャクラですがそれが「与えることがアンダーエネルギー」ということは人に自分の体験を上手く説明できない、表現できないということ。これもまさに、おさむが問題だと感じていることでした。こちらはフラワーエッセンスのみで簡単に調整。このあたりの調整は、かゆいところに手が届くアラスカンエッセンスが活躍します。それぞれのチャクラの状態を詳しく見ていくだけで、内在している問題がよりクリアになってくるのはおもしろいです。チャクラメタファー、これからIHキネシオロジーのセッションにどんどん取り入れてゆきたいと思います~♪
2011年08月24日
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「ハートの聖なる空間へ」ご存知の方も多いでしょうが、ドランヴァロ・メルキゼデクのの著書です。何年も前から読もう読もうと思っていたのに、やっと昨日読むことができました。最初から引き込まれるように読んで、感動の連続でした。ドランヴァロをご存知ない方は、こちらの映像をぜひ~♪今年始めのインタビュー映像です。次元の話、心臓と舌先が深く関係している話、天使のことなど、なるほど~ととても納得ですしすごい話の連続にわくわくします。インタビューpart 1 aインタビューpart 1 bインタビュ-part 2 aインタビューpart 2 bこの本を最初に読もうと思ったのは、2008年の4月。マヤの長老ドン アレハンドロが日本に来日した時に、それに合わせて日本に行ったのですがその時に知り合ったヒーラーの友人から「絶対に読んで」と勧められたのでした。2008年にマヤの長老ドン アレハンドロが来日したのは、近年、新たなマヤの文書が発見されて2012年の12月21日という日にちが間違っていることがわかったということで日本で講演を行ったのです。それに合わせて、伊豆でスウェットロッジが開かれたのですがそれに参加した際に、お互い一目で惹かれあって、すぐに友人となった人が北海道に住むヒーラーの山下景子さん。その彼女が、勧めてくれたドランヴァロの著書『フラワーオブライフ』とこの『ハートの聖なる空間へ」を買おうと本屋に行ったのものの、私は日本の本屋が楽しくて楽しくてたまらなくて(なんせ2007年に日本に戻った時が12年ぶりの日本だったので)あれこれ大量に買っていたら、あまりにも重くなってしまって結局、ドランヴァロの瞑想CD「マカバ瞑想」だけを購入して本は買わずにNYに戻ってしまったのでしたそれから、すぐに注文して読もうと思っていたにも関わらずなぜか、ずっと読まないでいて(そういう本って、けっこうあるのですよね)ようやく、先日、これはもうすぐにでも読まなければ、という想いが急にわき上がってきて(そういうこともよくあります)ちょうど日本からNYに戻って来られるという方にお願いして本を買ってきてもらいました。もう予想以上に素晴らしくて、どうしてこれをあの時すぐに読まなかったんだろう、と思ったもののマトリックスエナジェティクスを学んだ今は、当時よりこの「ハートに入る」ことの意味が、本当に実感としてよくわかるのでこれもベストタイミングだったのだなあと。本との出会いは人生を変えますから、本と出会うタイミングというのも、やはり、その人にとって最適なタイミングでやってくるのでしょうね。この中でも言われているのは脳というのは、左脳の右脳に分かれていてそのために両方の側面を持っています。マインドで創り出すものは、いくらよいものを作ろうと思っても必ずマインドの二極性ゆえに、反対のもの二つを作り出してしまうけれどハートで創りだすものは、一体であることしか知らず闇の側面を創りだすことはないということ。マインドで平和を訴えれば、平和とともに戦いも生み出してゆくということなのです。この「これは正しい、これは間違い」「善と悪」という二元的捉え方から様々な違い、多元性を認めた上でのワンネスの意識へと移行することは今の私たちにとっての重要な課題だと感じます。この本は、大気汚染を一瞬で浄化してしまう不思議な装置の話世界中に生まれているサイキックの子供たちの話計り知れない素晴らしい能力と叡智を持つ先住民の話心臓を研究している科学者たちが、発見した心臓の驚くべき構造ドランヴァロが体験したハートの空間に入った時の話などなど、どんどん引き込まれて、一気に読めます。胎児は、脳より心臓が先にできてくるわけで古くから心臓の鼓動を規則正しく維持させる知性はどこから来るかと言われていたそうですが最近は、心臓自体に脳細胞が存在し、そして、心臓は臓器の中でも最強かつ最大のエネルギーフィールドを形成していることが研究の結果わかったそう。ちょうど、先日、昔読んでそのままになっていた「セラピスからのメッセージ、アセンションハンドブック」というのを読み返したばかりだったのですがその中でも脳は心ではなく、解読機であり、翻訳機であり、精巧なアンテナであること、7つのチャクラをバラバラにしておくのではなくハートを中心とした融合チャクラを形成する必要があるというなどことが書かれてあって、とても共鳴した内容でした。(この本も素晴らしいので、紹介しようと思っていたところだったのですが)「ハートの聖なる空間へ」とても読みやすいですし、読み物としてもおもしろいですので興味がある方は、ぜひ読まれてくださいね。マカバ瞑想は、ヴィパッサナー瞑想を初めてからは、ずっとやっていなかったのですがこれからまたやってみようと思っています。と、この文を書いてふと思ったのですがこの本には「ヴィパッサナー瞑想では思考が停止するまでに何時間も座って瞑想を続けます。しかし、もっと簡単なのはスピリットがマインドからも頭からも抜け出ることです。私が知る限り、これ(この本に書いてある方法)がハートの聖なる空間に入る唯一の道です』と書かれてあってもし、この本をあの時に読んでいたとしたら、たぶんヴィパサナー瞑想はやっていなかったかもということ。私にとっては、ヴィパッサナー瞑想を学ぶ必要があったからこの本を読んだのが、今だったということもあるのかもしれません。この本の中でドランヴァロが言われていたのが彼がハートに入るためのワークショップを開いて、何千人も接してきた中で半分ぐらいはハートに入れない人たちがいたとのこと。それは、深いトラウマや思い込みがあると、ハートに入った時に痛みを感じたり、すぐに出たくなってしまうからだということでした。なので、そのためにセラピーなどを受ける必要があると書かれてあって結局、ヒーリングやセラピーというのはハートに入ってゆくために必要な準備だと言えるのかもしれませんね。こちらはドランヴァロによる「聖なるハートの空間への招待」の映像ちょうど昨日は先日、マトリックスエナジェティクスのセミナーに行って来られたという方とおさむと3人でワークを行ったのですが、その方とおさむが私にマトリックスエナジェティクスをやってくれた時私はすっかり光の世界に行っていましたそれはこれまでの感覚ともちょっと違った感覚でとても言葉には表せないのですが頭で何かを考えようとしても、全く思考は働かなくてその間、素晴らしい至福感でした。愛も叡智も祝福もすべてはハートの聖なる空間からなのですね~先日「降りてゆく生き方」について書きましたがそうか「降りてゆく」というのは、脳から心臓へ(意識が)降りてゆくことだと言えるなあと。マインドの生き方からハートの生き方へ移ってゆくということです。これからますます素晴らしい世界がやってくるのを感じます~~
2011年08月22日
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先日、ドラマ「仁」のことをアップしてから、何人もの方に『ドラマ見ました~素晴らしかったです」とか「以前見て、感動しました」などと言われました。ドラマ「仁」宣伝部としてはとてもうれしいです中には、パラレルユニバースの説明がよくわからなかったと言われる方もいらっしゃったのですが、そもそも多次元のことを、この3次元世界の概念で説明すること自体に無理があるのですから例え理屈に合わなくても、自分なりに感じれていればいいかなあと。例えば、仁の同僚の解釈では、仁は現在Aから、過去Bへタイムトラベルし過去Bから現在Cに戻ってきたということで過去Cのことを調べたら、当然、自分が幕末に生きてきた証は全くなくなっていたのに橘咲だけはかすかに覚えていた、というのは、理屈としては合わないわけですがでも橘咲自身が、過去Cにいながら、過去Bのパラレルユニバースにアクセスしたと考えると、充分納得できます(あくまでも私自身の捉え方ですが)実際、私たちはタイムトラベルしなくても、別次元にアクセスできるわけですしね(それも理屈ではなく、これまでのヒーリングのセッションを通じて、感じていることなのですが)一方で、このドラマは、そういったおもしろさだけでなくいろんな面での気づきを与えてくれるドラマだなあと。最初は、一刻も早く現代社会に戻りたい、と思っていた仁がだんだん、その時代での生活の中で、生きる喜びを感じ全力で生きてゆく姿を通じて幕末よりもずっと豊かであるはずの現代社会で失われてしまった大切なものにあらためて気づくこともあるのではないでしょうか。人と人とが密接につながり、助け合って生きる社会地域に根ざした生き方日々の生活を楽しみ、笑いに満ちて暮らすこと「人と人とのつながり」これこそが、私たちがここに生まれてきた理由でもあると言えるかもしれません。ということで、これは仁とは直接関係はないですがいつか見てみたいなあと思っている映画があります。もう最初の上映スタートから2年が経つので見られた方も多いかしら?『降りてゆく生き方』以前、この日記でも書いた「奇跡のりんご」の木村秋則さんのことを調べていて、彼がモデルの一人となってできた映画ということで知ったのですが、この映画は人と人とのつながりを大切にしたい、一緒に映画を見て感動するという場を作りたい、ということでDVDも制作せず、日本各地での上映会での上映のみだそうですので海外に住んでいるものとしては、簡単には見れないのが残念ですがだからこそ、またいいのでしょうね。映画の主演は、ドラマ「仁」の中でも、とても味のある演技をされていた武田鉄也さん。仁の中での彼のシーンでは何度も感動で泣きました。こちらは、映画紹介の番組「降りてゆく生き方、映画から現実へ」「降りてゆく生き方」最初にこの言葉を聞いた時「降りてゆく」って、この大地に降りてゆくということかしら?しっかりと地に足をつけるということ?と、映画を見ていないので、わからないのですが、上の番組の中で言われていたのは「競争社会から降りる」ということ。また映画を見て「降りてゆく」ということを「自分の本質に近づく」「忘れていた大切なものを取り戻す」そんな風に受け取っている方もいるようです。先日も「お金の幻想』に書きましたがお金が手段から目的へと変わってしまってからお金が生み出した幻想は私たち人間にとって深い闇を作り出しています。本来は、「幸せに生きるため」に必要なお金を得るということが、「お金のために」働き「お金のために」生きているになってしまっている人がなんと多いことなのか。「人より豊かに、人より優れて」という競争社会の中では自分が本当は何を求めているのかもわからなくなってゆきます。本当の豊かさとは、満たされた生き方のこと。例え、何かを達成したとしても、永遠に満たされることはなく先にあるものをずっと追いかける生き方は本当の豊かさとはかけ離れてゆきます。生きる喜びが何だかわからない、という方は予想以上に多いなあと感じます。こういう生活が当たり前だ、こういうものが幸せな生き方なのだ、という幻想(思い込み)の中で生きていると(つまりはマトリックスの中で生きるということ)生きる喜びも、生かされていることに対する感謝も、感じれなくなって何が本当に自分はやりたいことなのか、ということさえ見えなくなってゆきます。例え、自分は人と競争なんてしていない、と思っている人ももしも、誰かと比べて「この人よりは自分はましだ」と感じたりまたは「あの人は自分より優れている」と落ち込んだことがあるとしたらそれは、人との比較の中で自分の価値を見出すという競争社会での信念体系が埋め込まれているということ。自分は人より優れていると思うこともまたは、人より劣っていると思うこともどちらも私たちの本質から離れた幻想です。人との比較や競争によって、自分の存在価値を見出す生き方が主流だった時代は、もう終わりを告げようとしている、木村秋則さんをはじめ、いろんな方たちが今、伝えているメッセージを聞いているとそんな風に感じます。そして、人とのつながりを通じて、分かち合い、本来の私たちのあり方へと戻ってゆくこと。競争社会から降りることこの大地に自然に、意識を降ろしてゆくこと自分の本質に降りてゆくことそれらは「降りてゆくこと」とも言えるでしょうが意識のレベルでいえば(エネルギー的には)上がること。そのためには、まず不必要なものを降ろす(手放す)ことが必要かもしれません。先日、友人とも話していたのですが、どんなドラマや映画であっても、その根底に流れているものが「生きることの素晴らしさや喜び」つまり、愛と祝福から生まれたものであったなら、何か心を動かされます。この映画のストーリーは詳しくは知らないのですがきっと今の時代に必要なメッセージを伝えてくれているのではないかなあと。いつかこの映画を日本で見てみたいなあと思います。自分が見たこともないものをお勧めするのも何なのですが、日本にお住まいの方で、近くで上映される時にはぜひ見られてみてくださいね。(自分で上映企画できれば、もっと素敵ですね)注)ちなみに私が「ぜひ見てみて」というのはあくまでも、もし何かピンと来るものがあったら見てみて、という意味です。何をおもしろいと感じるのかは、人それぞれ違いますので自己責任でお願いしま~す
2011年08月17日
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先日、ミクシィに載っていたコラムで女性に対してのアンケートで「彼が女心をわかっていると感じる瞬間」というテーマがありました。それには、「髪型の変化にいち早く気づいてくれる」「がんばったおしゃれな服装をほめてくれる」「どうでもいい話を楽しそうに聞いてくれる」「重い荷物を持ったり車道側を歩く時に気遣ってくれる」「悩み相談に対して、口をはさまず、しんどかったね、と受け止めてくれる』などというアンケートの結果が載っていました。ミクシィのアンケートで、軽いものですしたぶん対象は10代後半から20代の女性という感じなのでしょうが、案外、これは40代でも50代でも変わらないところかもしれないなあと。先日も「用事がなくても、(彼に)電話してきてほしい」という方がいましたがつまりは、自分のことをちゃんと見ていてくれるとか、気遣ってくれる、大事にしてくれる、そういうことが女性にとって、とてもうれしいことなのですね。男性には、女性に対して、自然とこういうことができるタイプと全くそういうことに気づかないタイプといます。お国柄というのもありますが、同じ日本人や同じアメリカ人であっても、やはり様々。この点、おさむは、明らかに後者で、つい先日も、一緒に外出した際、私が久々にスニーカーではない靴を履いたというのに、全く気づいてくれず。私がスニーカー以外の靴を履いて外出することなんて、ここ何年もなかったことなのに。(プン)←何気に気分を害している。また、一緒に歩いていても、自分一人だけでさっさと行ってしまうので旅でのトレッキングや山上りの時も、おさむの姿は見えなくなってしまって大部分は一人でテクテク歩いています。「のりこは歩くスピードが遅いんだよ」というのですが男性の体力やスピードと女性とは違うということがわかっていない~「一人でさっさと行ってしまって、女子を守るっていう発想がないんかい!」と、つっこみたくなることも少なからず。(まあ、実際は、私も一人で歩いて大丈夫だと思っているのですが。守るという気持ちが欲しいのよ、気持ちが)←と、これは私の方が守る立場でいたからなのかということで、以前は「だめだこりゃ~」とあきれることが多かったのですが、それが、いつのまにか、少しずつ変わってきました。最近は、私が髪を切った時には「今日は髪切ったね」と言ってくれるようになって「お、気づいたのね~合格~~」などと冗談で言っています。(気づくだけで、たいしてほめてはくれないのだけれど)悩み相談というか、以前なら何か問題を話すと『それはすべてのりこ自身が引き寄せていることでしょ」と言われそんなことは百も承知のことなので「ごもっとも」ということになって、話す気もなくなってしまっていたのですがある時、私の話に「そりゃあ、ひどい話だね。ベイビー大変だったね」と言ってくれたことがあってそれがとても新鮮で「そのままを、ただ受け入れてもらえるというのはいいなあ」とつくづく感じました。用事もないのに電話してくれたことなんて、16年つきあってほとんどなかったように思うのですが先日、用事がないのに電話してくれたことがあって、「すごい、どうしたの?用事もないのに電話してくれるなんて!もしかして初めてなんじゃない?」とかなり驚きました。もっとも、私の方も用事がないのに電話することなんて、まずないですし相手の外見の変化にも気づかないことが多いのですけれどね以前、親しかった男性の友人が、「今日の俺、いつもと違うのわかる?」と言うので、まじまじと彼を見て「え?わからない、何が違うの?どこ?」とわからないでいたら「何年ものばしていた鼻の下のひげを剃ったのに。のりこはほんと人のこと見ていないんだなあ」とあきれられたことがありました。彼の長年のトレードマークだったひげがなくなっても言われるまで気づかなかったのです。相手のエネルギー的な変化(今日はエネルギーが軽くて明るいとか何だか重い感じとか)はすぐにわかるのですが外見的な変化、例えば髪やひげなどの変化はわからないしましてや、相手の着ている洋服なんてほとんど見ていないので気づきません。もし私が男性になったら、間違いなく女心がわからない男になっていただろうなあとということで、私自身が「気づかない女」なので気づかない男の気持ちもよくわかるのですがそれでも、女性として気遣ってくれるとやっぱりうれしいもの。(そう、勝手なものです)でも、女心がわかる=愛が深い、とイコールにはけしてならないのですよね。問題なのは、女性の場合、自分のことを見てくれるとか気遣ってくれるというのが自分を愛してくれる、に結びついていることが多いということ。男性はそういう行為が愛に結びつくとは限らないわけですからそこで、男性がそういう行為をしない人だと女性は「私は十分に愛されていない」と感じてしまうこともあるのです。昔の私も、おさむは全くそういう風には表現しない人だったので「この人は私を本当には愛していないんじゃないか」とずっと思っていたわけです。特に15、6年ぐらい前の出会った頃の彼は、ほとんどギターにしか興味がない男でしたから、当時はよく彼に「あなたは、きっと私が死んだ日でも、いつもと変わらず淡々とギターの練習しているのよね」なんて言っていました。また、例えばパーティなどの場で他の人といる時に、おさむが全く私に気遣ってくれないでまるで一人で来たかのように振る舞っている時などにも「私はケアされていない、充分に愛されていない」という思いが湧いてきたのを覚えています。でも、それがヒーリングを受けたり行ったりして私自身が癒され、満たされるに従っていつのまにか変わってきて、以前だったら腹が立ったり悲しかったりしたことに対して、特に何も感じなくなっていました。例え、私が望む形で気遣ってくれなくても、それが彼が私を愛していないということには結びつかないということが、心から理解できたからです。相手の行為によって、愛を計らなくなって愛していることを行為で証明してもらわなくても彼の私への愛を魂レベルで信頼できるようになっていました。それに従って「こうなってほしい」と彼が変わることを願うこともなくなってありのままの彼を認めることができるようになっていました。だから、男女の性質の違いを知ることも大切なのですが何よりも大切だと思うことは自分は守られている、大事にされている、充分に愛されているということを相手の行為で判断するのではなく、内なる感覚で感じるということ。(もちろん、これは相手が暴力をふるったり暴言をはかれても相手の愛を信頼する、なんてことではありません。暴力をふるわれても離れられないのは、自己愛の欠如ですから)そして、その問題の根源的な原因は、実はその彼との間の問題だけではなくその前から自分の潜在意識に持っていることから来ていることが多いのです。(多くは子供の頃のことからきていたりしますが)私は充分に愛されていない、とか、守られていなかったとか、認められなかったという思いが潜在意識にあるから愛を証明するために、行為が必要になってくるのですね。それは、自分自身も気づいていないレベルで起こっていますから彼が問題だと思い込んでしまっていることも少なくありません。ですから、その根本となっているものに気づいて手放していかない限り、彼との問題も根本的には解決しないのです。そう考えてみると、おさむが「女心がわからない男」だったからこそ私自身の癒されていない部分に気づくことができたと言えるのだなあと。どんなことでも、結局は自分自身の内側を見つめるきっかけなのですね。とはいえ、けして女性の方ががまんをする、ということではなく自分のニーズを伝えてゆくことも大切なこと。女性にもいろんなタイプがいて、いつも「こうしてほしい」「これが嫌だ」と伝えていくタイプと(その場合、大抵、男性側は要求されるばかりでうんざりしています)反対に、彼に自分がやってほしいことや好きなことを全く伝えないで、がまんしたり、あきらめてしまっているタイプ。(その場合、二人の関係は平行線で本当に満足できる関係に深めてゆくことは難しいです)自分自身が癒されて、彼の愛を心から信頼し彼をありのままに受け入れることができていたら自分はこうしてほしいという気持ちを、相手を責めることなく伝えてゆくことができます。「こうしないあなたが悪い」という態度では相手から受け入れてもらえませんがあなた自身には問題がなく、私のことを充分に愛してくれるのは感謝しているという前提のもとで「私はこういうことをされるとうれしい」と自分のニーズを伝えていけば、彼もそれを受け入れてくれますし、少しずつでも変わってゆきますから。自分自身が癒されていない、満たされていない状態で、相手を変えようとすると必ず上手く行かなくなるのです。そして、話しあってみれば、相手がけして自分をケアしてくれていないわけではなく自分が望む形ではケアしないだけであって、やり方が違うだけだということがわかってきたりします。自分の意識が変われば、二人の関係もどんどん変わってゆきます。私とおさむの関係も、ここ数年で大きく変化しました。毎日のように、いろんなことを話し合って分かち合える関係になったのは、昔と比較するとほとんど奇跡に近いようなこと。ということで、いつか、一緒に山道を歩いてくれる日もやってくるかもしれません。(と、さりげなくここで強調してみよう)
2011年08月14日
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この日は、満月。朝は恒例の遠隔レイキの会を行って、みなさんとレイキを送り合い、とても気持ちよい時間を過ごしました。そして、午後からNY郊外にあるAlex Grey アレックス・グレイのギャラリーで行われたFull Moon Gathering に参加してきました。アレックス・グレイはサイケデリックアートの巨匠。チベット密教、解剖学、超心理学、シャーマニズムなどを融合した宇宙的で幻想的なスピリチュアルな世界を描いています。こちらは『Healing』アヤワスカビジョンも描いていますが他の多くの彼の作品が、変性意識状態でのビジョンであることが感じられます。彼は70年代にLSDに出会い、人生観が変わってそれから作品の制作のためにLSDを使用するようになったそう。一方で、単に気持ちよくなるために生半可な気持ちでドラッグを使用しようとする人たちに警告し、彼がLSDを使用するのは、あくまでもあちらの世界とこちらの世界の橋渡しをするという使命があってのことと言われているのだそう。確かに、サイケデリック体験は、きわどいものなので不必要なものが浄化され、クリアな精神状態で使用しないととても危険なものになるとつくづく感じます。さて、3年ほど前までは、ニューヨークのマンハッタンにアレックスグレイの作品を展示してあるチャペルがあったのですが現在はNY郊外の広大な敷地内に住居を移して、そこで満月の日のセレモニーや様々なイベントを行っています。前々から参加したいと思いつつ、けっこう遠いのでなかなか行けなかったのですが、やっと行くことができてよかったです。こちらは「祈り」という作品。部屋のあちこちにクリスタルや仏陀やチベットの神々の置物などがありまた本棚には様々なアート関係の本や心理学、精神世界、哲学、科学、宗教などの本の中にヘンプ(大麻)やアヤワスカ、マッシュルームなどの聖なる植物に関する本も♪(ハリーポッターもあり)セレモニーに集まるのは、4、50人ぐらいかなあ、と思っていたのですがどんどん増えて、最終的には200人ぐらい集まったのではないかしら。たぶん、参加している人の多くはアーティスト、ダンサー、ミュージシャン、ヒーラー、シャーマンといった人たちなのでしょう。かなりエネルギーの波動が高い空間でした。この部屋に入りきれず、隣の部屋まで人で溢れていました。セレモニーの最初は、ハワイで撮影したという自然の映像と宇宙のCGを組み合わせたショートフィルム。それからアレックスと奥さんのアリソンが登場し、スピーチを行います。月はリフレクション(反射)でありミラー(鏡)であるということ。(彼の作品の中に「聖なる鏡」というシリーズがあります)つまり、私たちのソウルを映し出す鏡が月でありその満月の日にこうして人々が集まり、エネルギーを交流しあうことは大きな意味があるということ。彼はコミュニティが大切、ということを言われていましたが、確かに、イギリスのフィンドホーン、イタリアのダマヌールなどスピリチュアルなコミュニティは世界各地で、様々な規模で広まりつつあり、これからの私たちに大切なものとなっていくのだろうなあと感じます。スピリチュアルコミュニティは、アートや音楽、ダンス、そして自然を通じて、私たち本来の生き方を見つめ、喜びを分かち合い、大いなるソースとつながってワンネスを体験する、というコンセプトのもと生まれてきたもの。アレックスの作品にも、ONEというのがありますが私たちはみんなつながっていて、それを体験するためにそれぞれの個性があり、違いがあるのですね。こちらがその『ONE』さて、アレックスの話の後、今日のゲストとして紹介されスピーチされたのが JJハータック博士と奥さんのデズリーハータック博士。JJハータック博士は、著書『エノクの鍵』で有名な博士で(とても難解な本ということで私は読んだことはないのですが)この本は高次元の意識状態で受け取った情報をまとめたものだそう。ちょうど、JJハータック博士夫妻は、日本の福島から戻られたばかりということで日本の現状について、水からの伝言の江本さんとの話、放射性物質を含んだ水をエネルギーで浄化してゆくことまたこれは日本だけの問題ではないということ、私たちは原発に頼る社会を脱し、代替エネルギーへの変換の時期に来ているということネガティブな側面をポジティブなものに変容させていく必要があるということ、今まさにあらゆる側面で、変化の時であるということ、そして、日本という国は古来から日が昇る国と言われ、アマテラス大御神に守られてきた素晴らしい国であるということ。その他、いろんなことを話されました。かなり日本という国を愛してくださっているのが伝わってきます。(と、詳しい内容はやっぱり難しくて、半分も理解していないのだけれど)そして、今夜、この満月の夜に、日本に向けて私たちがポジティブなエネルギーを送ることはとても大切なことだと言われ今夜の瞑想は、日本へ向けてのものとなりました。こんな日に参加できるなんて、なんというラッキー♪私たち以外に日本人がいたのかどうかわからないのですがこんなパワフルな場所でパワフルな人たちと、この満月の夜に日本に向けてエネルギーを送ることができることに感謝で一杯になって、ぽろぽろ涙が出てきました。JJハータック博士とデズリーハータック博士この二人は交互に瞑想のガイドをして集まった人たちの意識を高めてゆくのですがこの二人のガイドが本当に上手くてす~っと自然にビジョンに入ってゆけます。ガイドの中で、みんなでハータック博士がガイドするマントラを唱えます。また何度もアマテラスが出てきました。日本という国を古来から守り導いてきた太陽の女神、アマテラス。こんなところで、アマテラス大御神様とつながり瞑想できるなんて瞑想の後は、アリソンの創世記の話があり、それからミュージシャンがハーモニウム(インドのオルガン)でキルタンを歌ったり、別の人がギターで演奏したり。アートや音楽は、私たちをつなげ、一つにするために天から与えられたものだとアレックスは言っていました。アレックスは、とても細身の穏やかな印象の人で、この身体のどこにこんなパワフルな作品を描くパワーがあるのかしら?と思います。こちらはアレックスのインタビュー映像。「世界平和へのメッセージ」私とおさむはJJハータック博士とデズリーハータック博士の真後ろに座っていて私はデズリーハータック博士と何度か目があったのですがにこ~っと優しく微笑んでくれました。ということで、2時間のセレモニーが終了した後もまだ人は集まり続け、それから庭や別の広い部屋に移動して、ドラミングとダンスの時間が始まりました。それぞれ持ち寄ったドラムやジェンベや様々なパーカッションを合わせてたたきます。30人ぐらいが一同に鳴らすシャーマニックなドラミングは、すごい迫力。それに合わせて、みんながんがん踊っています。私も久々に思いっきり踊りました。最高~~叩いている人も踊っている人も、だんだんトランス状態になってきます。もちろん、みんなノンアルコール、ノンドラッグ。小さな子供たちもお年寄りもがんがん踊っています。おさむはシェーカーを鳴らしていたのですがみんなが大きなジェンベをどんどこ鳴らしている中では、逆にこのシェーカーの音がとてもよく響くのです。私たちは最終の列車の時間があるので、途中で引き上げたのですがもう少しいたかったなあ。ここではコズモキッズと称して子供向けスピリチュアルなアートやミュージックのイベントも行われています。子供さんがいらっしゃる方は、とてもよさそう。私たちも近ければ、メンバーになってもっと参加したいところですが。(行きは3時間近く、帰りは夜中だったので4時間以上かかりました)もしNYアップステートにお住まいの方や車を持っている方は、ぜひ一度、訪れて参加されてみてくださいね~(アポイントオンリーです)
2011年08月13日
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今夜は、Radio City Music Hall で行われているCirque De Soleil (シルク・ド・ソレイユ.)の新作『ZARKANA』(ザーカナ)を見に行きました。シルク・ド・ソレイユの公演を最初に見たのは、もうかれこれ20年前ぐらい前のこと。その頃のシルク・ド・ソレイユは、カナダのパフォーマンスグループとしてだんだん人気が出始めたところで、今のように世界各地で同時にいろんなショーをやるほど大きくはなく確か、一つだけのグループであちこちをまわっていました。現在は、常設も含め世界中で22のショーが行われているそう。けして動物を使わないというポリシーストーリー仕立てでミュージカルのような演出ライブバンドによる演奏と美しい音楽独創的で幻想的な衣装や舞台セットダンスやバレエを取り入れた高度なアクロバットそのコンセプトも舞台もすべて、最初に見た時から魅了されてNYやフィラデルフィアなどの公演をいろいろ見ました。衣装も照明も演出もアクロバットも、どの作品もクオリティが高いですが特に音楽は素晴らしい。他の一見似たようなコンセプトのサーカスもいくつか見たのですが、どこか物足りなく、やはり、どのサーカスよりシルク・ド・ソレイユが感動するのは、その音楽だなあと感じるのです。シルクの場合は、音楽はパフォーマンスのバックだけではなく舞台の上での一つの演出なので、ミュージシャンたちも舞台上でパフォーマンスをしながら演奏します。シルクの中で、素敵な音楽はたくさんあるのですが、例えばAlegr?aの女性ボーカルの美しい旋律やSaltimbancoの家族愛のパフォーマンスの際のアダージオやまたQuidamの少女のようなピュアなボーカルやVarekaiの空を飛ぶ天使のパフォーマンスの時の女性ボーカルとバイオリンやCorteoのタイトワイヤーアクト(綱渡り)でのスパニッシュギターなどその映像とともに、深く心に残っています。また早くから世界各地の民族楽器や珍しい楽器を演奏に取り入れ民謡やワールドミュージックからロックやジャズ、ラテン、クラシック、オペラまで様々な音楽を統合しているのも斬新。Corteoの中では、たくさんのクリスタルボウルが使われていて幻想的な照明の中で鳴らされていました。サーカスの舞台で、クリスタルボウルを使うなんて(残念ながら、会場ではクリスタルボウル自体の音はほとんど聴こえなかったのですが)また、シルク・ド・ソレイユは、特にチェロやバイオリンなどの弦楽器やアコーディオンなどを中心に創られた曲が多く、その切ないほど美しい旋律には、毎回泣かされます。サーカスと言えばピエロが定番ですがこれまで見たシルクドゥソレイルの中で印象に残っているのが1990~1991年に公演されたNouvelle Exp?rience のピエロ。こちらはその映像このピエロを演じているのが、David Shinerというアクター&クラウン。彼のセンスは最高♪毎回、観客の中から舞台にあげて即興でパフォーマンスをやるのですが舞台にあがった観客がどんな反応をしてもそれに合わせて笑いを生み出す即興性と洗練されたパントマイムには感動で、このショーだけで3回見に行ったのを覚えています。(ちなみにDavid Shinerは後にシルクドソレイルのKOOZAのディレクターになっています)そして、シルク・ド・ソレイユの多くの作品の共通したテーマとしてあるのは人が空を自由に飛ぶことの夢。羽を持って自由に空を飛べたなら、、そんな人間の永遠の夢をこの2時間のショーの中で叶えてくれて美しいパフォーマンスと舞台の中でまるで自分も空を飛んでいるような気持ちになるのです。ということで、前置きが長くなってしまいましたが今回の新作『ZARKANA』実は、前回、このNYのラジオシティミュージックホールで公演されたWintukが、正直、それまでのシルク・ド・ソレイユの作品と比較すると今一つであまり感動しなかったので、今回はどうかしら?と思っていました。昔、シルク・ド・ソレイユのNYでの公演の時は、バッテリーパークにテントが張られてそこで公演されていたのですが、テントでは舞台が中央にあって観客席はそれをほぼ360度、取り囲む形で作られていて舞台と観客席がとても近いのです。中ぐらいのプライスレンジのチケットであってもかなり近くで見れたので、臨場感がありました。でも、ラジオシティは、広すぎて1階のオーケストラ席であっても後ろの方だと、かなり舞台は遠く離れてしまいます。でも、今回は期待を裏切らず、素晴らしい舞台でした♪特に舞台セットこのラジオシティの広さだからこそ実現できる壮大なセットで、美しく幻想的な空間を生み出していました。私は今回は2階席の一番前の席だったのですが、距離は全く気にならず。ビデオでの映像をスクリーンに映し出し、宇宙空間や摩訶不思議な世界を演出しています。今回の音楽はロックオペラという感じで、ブロードウエイのミュージカル的な音楽だったので、私個人の好みではなかったのですがその迫力(特に迫力の女性ボーカル)は息をのみます。また、グランドピアノ2台の連弾の演奏と美しいパフォーマンスを合わせる演出も、斬新。そして、今回、とてもうれしかったのがSand Painting(砂絵)以前、ウクライナのアーティストKseniya Simonovaの作品を見て感動して以来、Sand Paintingに興味を持っていたのですがこのショーには、チャイニーズのアーティストErika Chenが出ています。こちらは彼女のシルクドソレイルのオーディションの時の映像。ショーの中に、アクロバットではない、こういうパフォーマンスを取り入れるところがシルクドソレイルがサーカスの域を遥かに越えている理由だなあと。アーティスティックで独創的で音楽、ダンスやバレエ、アクロバット、コメディやパントマイム、映像、アート、様々な要素を含んだ総合芸術。ブロードウエイのミュージカルの中でも、ここまで総合的にクオリティが高い作品はそれほど多くはないと思います(あくまでも私の独断と偏見ですが)ということで「ZARKANA」10月初めまでの公演だそうですのでNYにお住まいの方はぜひ。チケットはこちらから♪
2011年08月11日
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今日はIHキネシオロジーのセッションの感想をシェアさせてくださいね。今回は「自己表現」がテーマでセッションをスタートしたらインナーチャイルドの問題が出てきました。シェアしてくださって感謝です~のりこさん、どうもありがとうございました。のりこさんのお家を出て、車まで歩くほんのわずかな間でさえ、今まで味わったことがないくらい爽快な気分を感じました。私は許されているんだ、これからはもっと自由になったらいいんだ~なんて思いました。家に帰ってから、もう一度セッションの事を思い返してみました。その中で、インナーチャイルドからの言葉、「落ち込んだり、心配したり、不安になったり、悲しんだりしてもいいんだよ。人と分かち合って行くのなら」このことについて考えました。私の親しい友達は、みんな私が自分の喜怒哀楽を素直に出すことをうらやましがってさえいましたが、よく考えたらこんな風に自分の感情を素直に表すことができるのは信用できる友達のみで本当は一番に伝える必要があるパートナーには言うことができず、いつも自分の中でため込んである日爆発する・・というパターンでした。どうして言えなかったのかというと、もしも受け入れてもらえなかったら?という思いがあったからです。自分の気持ちを表すのが怖かったからです。きっとこれも4歳の時の経験から来ていたのだとやっとわかりました。私はずっと、なんで誰と付き合ってもうまくいかないのだろう?どうして好きな人に自分から心を開くことができないのだろう?いつも自分が傷つくのがこんなに怖いのだろう?と思っていましたが、これも全てこれが原因だったということがよくわかりました。今度好きになる人が現れたときは、自分をそのまま出してみようと思います。きっと今度は出せると思いますし、どういう風になるのか楽しみです。その時までに自分自身をもっとぴかぴかに磨いておこうと思っています。インナーチャイルドからの言葉を聞いたときに一緒に泣いてくださってどうもありがとうございました。とってもうれしかったです。自己表現やコミュニケーションの問題にインナーチャイルドが関わっていることがよくあります。他人が自分をどう見ているのかを考えすぎて、自然に表現できない自分がどこまでオープンにすればいいのかわからない人からの評価を気にしすぎてしまうそういう問題の多くが、インナーチャイルドーつまり、子供の頃に傷つきそのまま癒されずに残っている意識に深く関わっています。子供の頃にありのままの自分を受け入れてもらえないと大人になっても、ありのままに表現することはできません。それは潜在意識に眠っている感情なので頭では理解することは難しいのです。でも、こうしたヒーリングのセッションを通じて、インナーチャイルドにつながった途端、自然と涙が出てきたりします。「悲しくもないのに涙が出てきます」と言われる方もいらっしゃるのですがそれはインナーチャイルドが「やっと私の存在に気づいてくれたのね」という喜びの涙なのですね。私は筋反射テストのために、いつもクライアントさんの手首のあたりに手を触れているのでそのインナーチャイルドのエネルギーが全身から伝わってきます。だから「ああ、やっと気づいてもらえてよかったね」「これまで本当に辛かったね、よくがんばったね」そんな風に感じるので、私も涙が止まらなくなったりします。日々、大人の方のセッションを通じて感じるのは、本当に子供というのはピュアであって、だからこそ傷つきやすい存在なのだなあということ。子供の頃に感じたことは、自分でも気づかないうちにその人の生涯を通じて影響を与えているのです。今回、最後にサポートして、フラワーエッセンスが出てきたのですが選ばれたエッセンスは、パシィフィック社のインデアンパイプ。その効能は「個々のユニークさを尊重しながら、自分を表現してゆく」というもの。日本では、みんなと同じように振る舞う、とかみんなの和を乱さない発言をする、というようなことが尊重されるあまりに個性やユニークさを受け入れられないことが多くあります。今回、セッションを受けてくださった方は、周りと同調するのが苦手な個性的な子供だったそうですがそれを親に受け入れてもらえなかった、というところから自分をありのままに表現してはいけない、という意識が生まれてしまったのでした。他の子とは違う行動や発言を親や周りの大人たちが否定することでその子本来の素晴らしさが失われてゆきます。いえ、自分の子供が他の子と違った言動をすることを受け入れられないのは大抵の場合、親自身が癒されていないから。親自身が、ありのままの自分を表現してはいけない、と感じていれば人と違う言動をする子を受け入れらません。子供に何かの問題があると感じる時は、親は自分自身に目を向けてゆくことが必要かもしれません。そして、親は子供をどんな状況であったとしても、100%その子を受け入れることが大切だなあと。それはもちろん、何でも子供の言うことを聞いて甘やかす、というような意味ではありません。その子の存在自体を受け入れる、どんなにその子を愛しているか、そのままでどんなに素晴らしい存在であるかをしっかりと伝えるということです。今、こうしている間にも、世界中の多くの子供たちが周りの大人たちに受け入れられず、傷ついているかもしれないそう思うと、悲しくなってしまいますが一方で、だからこそ、人はそこから学び成長してゆくとも言えるわけですからそれさえもその人に与えられた課題なのでしょう。インナーチャイルドは、ほとんどの人が持っている問題なので人生の中で少なくとも一度はそこにしっかりと目を向けてゆく必要があると感じます。今回の方の身体が選んだ、インナーチャイルドからのメッセージ「落ち込んだり、心配したり、不安になったり、悲しんだりしてもいいんだよ。人と分かち合って行くのなら」そう、自分一人で問題を抱えることは、けして魂レベルで望んでいることではないのです。私たちは誰でも、人とつながり、悲しみも喜びも分かち合ってゆく存在なのですから。それぞれの個性や違いを尊重し合いながら誰もが自由に自分を表現できる関係ができたらいいですね
2011年08月09日
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8月になり、NYは特に暑くもなく、比較的心地よい夏の日々が続いています。みなさまは、この夏、いかがおすごしでしょうか?私とおさむは、特に夏らしいことは何もしていないというか私は日々、セッションやクラス、おさむは音楽制作に取り組んでいて二人ともほとんど家にいる日々が続いています。今、大家さんであるジェフが旅行でいなくて「ガーデンを自由に使っていいよ」というので今日は、一階のガーデンで夕食を取りました。このアパートは2階立てで、住んでいるのは、一階にジェフ、2階は私たち二人だけです。こちらが1階のガーデン。やっぱり夏は冷やしたサングリア今日のメニューは、さっと30分でできる簡単メニュー(って、いつも簡単メニューなのだけれど)スモークサーモン入りキヌアサラダ、テンペの味噌和え、フマスハーブサラダ、ワカモーレゆずごしょう味。私たちが食べ始めると、すぐにやってきたリス。鳥や蝶もよくやってきます。この家に住み始めて、今年で5年目。大家さんのジェフは、有名某IT会社に勤務している人で、建築デザインやオブジェを創っているアーティストでもあります。彼がこの家を購入して、最初のテナントが私たちでした。いつもおさむと話しているのですが、このジェフほどバランスの取れた人は日本人、アメリカ人問わず、これまで会ったことがないかもしれません。いつも穏やかでにこやかだしだからといって、何か抑えているわけでもなくすべてが満たされて、バランスが取れているという感じです。いつも世界中あちこちを旅行していて、2、3週間家をあけることはしばしばですがそれでいて、こんな風にガーデンや家の手入れも行っているし地下には作品を制作するためのスタジオがあって個人としてのアートの制作も精力的に行っています。彼はゲイで、いつも新たな恋人を連れてきては、おおっぴらにセックスライフを楽しんでいるのですが(かなり大声なので、夜は声が丸聞こえなのよ)そういうことも感情的に解放され、満たされている理由なのだろうなあと。かなり優秀な人なのでしょう、仕事もきっちりやりながらスポーツに遊びに、アートに旅行に、そして恋に、様々なところにバランスよく力を配分できる能力には、いつも感心します。またとても気が効く人で、しょっちゅう、「のりこ、おいしいスモークサーモンがあるよ」「このバン、たくさんあって食べきれないので食べて』などと言って、差し入れを持ってきてくれます。私たちが家で修理してほしいところを伝えるとすぐに修繕に取りかかってくれます。一方で、経済観念はかなりしっかりしていて今年は100ドル近く家賃は上がったのですがそのあたりは、いくら親しくなっても情に流されないというか、さすがユダヤ人というか自分のことを考えてみると、とてもこんな風にバランスよくできないなあと。絵の制作に取りかかったら、他のことは一切できなくなってしまうしヒーリングのセッションが立て続けに入っている時は、他のことに力を注ぐことができなくなってしまいます。私は集中力はある方だと思うのですが、バランス感覚はあまりないので一つのことをやり始めると、他のことが目に入らなくなってしまうのですよね。(ドラマ「仁」も見始めたら、一気に最後まで見てしまったし)でも、最近、それが少し変わってきたように感じています。これは、ブレインジムのおかげかなあと。これまでは、丸一日休みがないと絵の制作をする気がしなかったのですが最近は、1日のうちでクラスやセッションを行った後でも絵の制作に取りかかったり一気にすべてをやろうとせず、少しずつ進めることができるようになりました。これまでの私の人生ではあまりなかったことかも。もちろん、バランスがいいということが必ずしも素晴らしいということだということにはならないかもしれません。長い人生の中では、例えバランスが悪くても一つのことに全精力を使う時期もあっていいですから。バランスよくやるというのは、ある意味では何かが中途半端になってしまう可能性もありますよね。おさむも、私と出会った頃は毎日、何時間もギターの練習をしてそれ以外のすべてに対しては(私との時間を楽しむことも)どうでもいいという感じで、意識を向けていませんでした。でも、その頃のおさむがあったからこそ、今の彼があるのでしょう。(もっとも、今の彼はバランスがいいというより流されてゆくままという感じですが)結局、やっぱりその時その時に必要なことというか一つのことにすべてをかけて集中するのも、またバランスよくいろんなことをやってゆくのもどちらもありなのでしょうね。ということで、何が言いたかったのかよくわからない内容になってしまいましたがみなさま、残り約1ヶ月の夏の日々をどうぞ楽しんでくださいね
2011年08月08日
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この日、以前からあちこちで話題になっていた映画Into Eternity (邦題10万年後の安全)がニューヨークのCRSで、戦後66周年記念のイベントということで、上映されたので行ってきました。こちらはその予告編。原子力発電所から出される高レベル放射性廃棄物が、無害になるまでの期間は10万年。 フィンランドでは10万年の耐久性を持つという放射性廃棄物最終処分場「オンカロ」が地下500メートルに建設されていて、22世紀に完成とのこと。そこでどのようなコンセプトのもと、建設が行われているのかをドキュメントしています。コンセプチャルアーティストであるというマイケル・マドセン監督の映像ということで映画は一切の装飾を排除した映像で、関係者のインタビューを中心に、あくまでも淡々と、未来の地球の安全を問いかけてゆきます。邦題の「10万年後の安全」というのは、Into Ethernity (直訳すると永遠の中へ)という原題よりインパクトがあっていいですね。今から10万年前は、ネアンデルタール人の時代。氷河期が6万年に一度は訪れ、絶滅すると言われていますがこれから10万年先に、今の人間の子孫が残っているとは限らないわけですね。その人たち(もしくは人ではないかも)に、この施設が危険なものであることを知らせるには、どうしたらいいのか?危険だという記号や絵を使った方がいいのかもしくは、そんな標識があれば、余計に興味をそそって、掘りここされてしまうのかフィンランドの専門家たちは真剣に議論してゆきます。今、日本では10万年後どころかこれから何十年先のことさえ、考えられないわけで10万年先のことに意識を向け、アクションを起こしているフィンランドとの違いを感じます。日本には、高レベル放射性廃棄物の最終処理場はありませんし廃棄物の再処理のために建設された六ヶ所村も膨大な損失を出しながら、全く機能していない状態。(参考 六ヶ所村再処理工場)フィンランドは、放射性廃棄物の再処理は危険性が高いということでやらないという方針を決めているのだそう。そもそも10万年先のことなんて、誰一人としてわからないわけではっきりいって、そんなことをあれこれ考えてみたところでこれが正しいという結論は出ないわけです。それでも、出続ける廃棄物をどこかに処理しなければならないことは事実。原発推進派であっても、それに目を背けることはできません。映画の中でも「原発を使ってゆくということは何もはっきりしない状況の中で、何かを決めていかなければならないということだ」というように言われていました。やはり素晴らしいと思ったのは、そんな何もわからない状態で建設が進められていることや、原発に関する情報をフィンランドではすべて公開しているということ。情報公開のあり方も日本やアメリカとの違いを感じます。それにしても人間というのは、なんと愚かな生き物なんでしょうね。たった50年かそこらで生み出された廃棄物を10万年間保管しなくてはいけないなんて、あまりにも馬鹿げています。オンカロは、廃棄物で一杯になった時点で、封鎖され二度と開けれないようになるわけですが、原発を使い続ける限り廃棄物は出続けるわけですからまた新たなオンカロを建設しなければならなくなるのかもしれません。負の遺産を残し続ける今の人間を未来の人たちはどう感じるのでしょう。この映画は、映画というより、ただ今起こっていることを淡々と映したフィルムであって正直、映画としては、けしておもしろかったと言えないですしぜひ見てみて~とお勧めしたい映画ではないのですが例え、10万年先のことまで考えなくても10年先のことであっても、様々な危険性を考えてみれば私たちが今、選ぶべき道ははっきりしているのではないかしら?あらためてそう感じます。
2011年08月06日
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IHキネシオロジーのセッションで、時々出てくるフラワーエッセンスの中にアラスカンエッセンスのBladderwort(ブラッダーワート)というのがあります。効能は、幻想に気づくというもの。人の話の中の幻想を見抜くこと、自分で自分をだましていることに気づき、物事の本質を見ることをサポートする。私たちの多くは幻想の中に生きています。「あの人はきっと私の言葉をこう受け取ったに違いない」とか実際は、ありもしないことを頭の中でぐるぐると駆け巡っている人も少なくありません。これはこうあるべきだ、あの人はこんな人、私はこんな人、というのもすべて幻想。それは物事の本質とはかけ離れています。もし、自分がいかに様々な幻想を持って生きているか、そこに気づき始めたら、何かが変わってきます。そして、ある日、目覚めてみれば、自分の本質は全く違うところにあったことに気づきます。ヒーリングというのは、自分が作り上げてきた幻想に気づきそこから抜け出すことだと言えるのかもしれませんね。リチャード博士が、身体もイリュージョンだというような言い方をしていましたがマトリックス・エナジェティクスでは、病気や痛みというものも幻想であってその幻想を手放せば、病気や痛みそのものが消滅するという考え方をします。よく「経験が、人を創る」というようなことを言いますが実際は、例え、同じような経験をしたとしても、人によって、そこから学ぶものは全く違ったものになるしだから、経験自体が違ってきます。今日、セッションに来られた方が「今回、潜在意識の中のこのプログラムが解除されて、手放したということはこのプログラムができた原因となったような経験をこれからは、もう二度としないということですか?」と質問されたのですが、これまでのような経験をしないということではなくもう別の意識を持っているので、感情的にも精神的にも別の反応を選択するため、別の経験となるということなのです。IHキネシオロジーのテキストの中で、NLP(神経言語プログラミング)の説明があるのですが、その中に「建築家と警察官と聖職者とティーンエイジャーが、一緒に賑やかな通りを歩いているとしてその人たちは、同じものを見たり、聴いたりするでしょうか?同じ経験をするでしょうか?同じものを記憶するでしょうか?経験を同じように心の中に取り組むでしょうか?』というものがあります。もちろん、答えはノー。建築家はその通りの建築物に目を惹かれて、アイデアが浮かぶかもしれないし警察官は通りにいる人で怪しい人に目を向けて、警戒心を強めるかもしれないしティーンエイジャーは、通りのゲームセンターに目が行ってわくわくするかもしれません。同じ「通りを歩く」という行為であっても目に入るものも、感じることも違うので、別の経験となります。そして、例え、同じ聖職者が4人歩いていたとしても、見るもの、経験することは違ってくるでしょう。もちろん、仕事や年齢によって、傾向というのはありますが完全に同じということはありませんから。それぞれが持っている意識によって、経験が変わるのであってどれが「正しい経験」というのはないわけです。また、過去を変えることができるのは、意識を変えることで経験そのものを変えることができるということ。先日、2年前の日記にコメントを頂いて、久々にその時の日記を読み返してみてつくづくそのことを思いました。その時の経験を、今の私は、その日記に書いているようには受け取っていなかったからです。ここ1、2年の意識の変化が、大きかったのかそれともずっとそんな風に変化してきたのかはよくわからないのですがこれからも人生を通じて、一つずつ幻想を手放してゆくのかも。そして、今、多くの人が、自分たちが作り上げてきた幻想に気づき始めているように感じます。だからこそ、ヒーリングや瞑想などに取り組む人たちが増えているのでしょうね。そして、ヒーラーやセラピストにとって一番大切なことはこの幻想を見抜く力なのだなあと。もちろん、キネシオロジーの場合は、すべて筋反射テストでクライアントさんの身体が何を求めているか?を見ていくだけですからセラピストがあれこれ考える必要は全くないのですが人が顕在意識でわかっていることは限界がありますからセラピストが気づかなければ、セッションで行き着くところにも限界が出てきます。だから、セッションの中でのカウンセリングの際にクライアントさんから、何が起こったか、何が問題なのかを聞いてゆく際に私の意識のどこかで聴いているのは、起こったことそのものというよりその方がそれに対して、どう受け取り、どう反応しているか?ということ。それが「問題」としてあるというのは、何かがその人自身の中にあるということですから。起こったことや問題そのものに捕らわれてしまうと、その問題の本質が観えなくなってしまうのです。ヒーリングはけしてテクニックではないなあとつくづく感じます。ヒーラーがいかに様々な幻想から解放されているか、がすべてなのだと言えるのかもしれません。真の愛は、幻想の中にはありませんから。それでも、多くの人は、幻想の中で目覚めることを恐れます。幻想に気づくためには、まず自分の中にある問題に目を向ける必要がありますが「自分はポジティブな人間なので、問題は何もありません」と、問題そのものを否定しようとする時もあります。でも、そこに目を向けない限り、問題は形を変えあり続けるし、本当の意味でのポジティブにはなりませんから。もっとも、これは幻想だと気づいていながら、しばし、その中で遊ぶのも楽しいのですけれどねそして、どんな幻想であったとしても、いつかは目覚める時がやってくるのです。(死ぬまで目覚めないこともあるかもしれませんが)
2011年08月02日
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