ロシア生活2004-2012

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koshka0467

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2006/05/07
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テーマ: 海外生活(7776)
カテゴリ: 地方観光
ヴイボルグはペテルブルクから北へ120キロほど、

こちらも5月初めは連休、
国外旅行したいけれど悲しいかな手元不如意だったので、
じゃあせめて違う国の空気でも吸えるか?と思って
国境までやってきました。

カレリアとも呼ばれるこの地域は
フィンランドと地続きであり、
白樺と松の森に覆われ、

この頃にわかに暖かくなったので
あたりは芽吹きはじめた新緑。
森の中のダーチャ(簡易別荘)に向かう人多数で、
植木やら犬やら抱えてぞろぞろ森に入っていく様を見ると、
ロシア人ってほんとうは森の民で
ペテルブルクやらモスクワやら大都市で暮らしているのは
仮の姿なんじゃ、という気分になります。

さて私たちが向かうのは、ヴイボルグ要塞と博物館。
この町には海に張り出した中世の要塞があるというのです。
1番か6番か12番のバスで行かれるって書いてあったっけ。
あ、12番が来たから乗りましょう。



ヴイボルグ

「湖に浮かんできれいですねぇ」
「後で駅に戻ってきたら行きましょう」

バスは橋を渡ります。海に点在する浮島。

浮島

標識には左の矢印とともに「ヘルシンキ」の文字。
あぁ外国が近い…


やがてたどりついた終点は…

村?

ここ、どこ?

思わず運転手さんに聞きます。
「ヴイボルグ要塞へは行かないんでしょうか」
運転手さんはしばらく沈黙した後、
「…帰りに通るよ」

帰りって…同じ道。
実はヴイボルグ要塞って

ヴイボルグ

これだったんかーい!
湖じゃなくて海だったのね。
ていうかバスに乗るほどの距離じゃないじゃん!!
(運転手さん、アホな外国人め、と思ったかも、とほほ…)

この町は、13世紀にスウェーデン王国によって
要塞が築かれたことによって始まります。
重要な通商、軍事拠点でしたので、
隣接国の奪い合いになることがしばしば。
まず18世紀初頭、
ロシア・ピョートル大帝とスウェーデン・カール12世の北方戦争で
戦場となり、ロシアに手に落ちました。
「これで首都ペテルブルクも安泰」との
ピョートルの言葉が残っているそうです。

そして20世紀には、ソ連・フィンランド戦争で
激戦地となりました。
要塞の博物館には、「いかに我々がカレリアを解放したか」
と誇らしげに記してありましたが…
フィンランド側に言わせれば、全く違う歴史になるでしょう。

要塞の展示品には、ソ・フィン戦争中の、
「私たちの部隊の生き残りは5人だ。
 これから次のような計画で突入する」
という鉛筆書きのメモで、
下にロシア兵5人の署名があるものがありました。
このメモは、戦後20年ほどしてから森の中で見つかったそうです。
彼らがどうなったのかはわからず、
説明書きでは「英雄」と称揚されていましたが…
やはり戦争は、兵卒も含め一般人には
悲劇だよなぁと思わされました。

しかし戦火にさらされながらも、
ヴイボルグは近代の町並みがよく残っています。

ヴイボルグ2
要塞の塔の上から

古い通り
古い町並み

なにより空気がきれい。
自然環境の汚染度の低さでは、
フィンランドが1位、ロシアは72位だそうです。
隣り合っているのにこの差はナニ!
国境ではたしかに、フィンランドからの清浄な風が
吹いているようでした。
そして外国旅行気分もやや満たされたのでした…





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Last updated  2006/05/11 04:52:27 PM


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