ロシア生活2004-2012

ロシア生活2004-2012

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

koshka0467

koshka0467

2006/08/12
XML
テーマ: 海外生活(7776)
カテゴリ: 地方観光
クリミア半島には、


18世紀まで親オスマン政権である
クリミア・ハン国の支配下にあったため、
その首都 バフチサライ にはハンの宮殿跡が。

バフチサライ宮殿

後にプーシキンが詩に詠み、バレエになった
『バフチサライの泉』の舞台はここです。
愛妾の死を嘆いてハンが作らせた噴水が歌われていて、

それ以外にもこの宮殿には屋内、屋外問わず
噴水がたくさん。やっぱり当時から暑かったのね…

噴水部屋.JPG
噴水部屋。水音で声がかき消されるので、外部に聞かれたくない密談はここでしたそう。

噴水
庭の噴水。病気の皇太子がこの水を飲んだら治った「奇跡の水」。
でもロシア人ガイドは「要は水がきれいだったってことですね」とバッサリ。

エカチェリーナ二世によるロシア帝国への
クリミア併合後、ロシア人の入植活動が
積極的に行われます。
その指導者的存在だったのが19世紀前半に
この辺り(新ロシア及びベッサラビア)の総督に任じられた
ミハイル・ヴォロンツォーフ。
アルプカ という黒海を臨む町に、
彼の宮殿が残っています。
父が外交官でイギリス生活が長かった一家は、

私、ロシアでたくさん宮殿見ましたけど、
イギリス風のなんて初めてです。

アルプカ宮殿

宮殿内部
宮殿内部もチューダー様式。なかなか快適そう。

それでいて黒海に面した裏側はモスク風。

えせモスク

その趣味はどうかと思うけど…当時流行りだったようです。
壁に書いてあるアラビア文字は、

先ごろ海外でよく見かける、
怪しい漢字Tシャツみたいなものでしょうか。

温暖な気候を求めて、
ロマノフ家もここに離宮を建てました。
それが リヴァディヤ宮殿
19世紀半ばに皇后の静養のために作られてから改築され、
現在残っているのは20世紀初頭のもの。
最後の皇帝ニコライ二世ファミリーが使用した宮殿です。

リヴァディヤ宮殿

正直なところ、あまり個性ある建物ではなく、
おもしろくなかったような…
ちなみにロシア革命後は、
農民のための保養所として使われたそうです。
皇室財産を農民へ。象徴的行為だったんでしょうね。
それから、第二次世界大戦末期の
ヤルタ会談が行われたのはここ。
スターリン、チャーチル、ルーズヴェルトが座った椅子とか
書斎とかいろいろ残されていました。

この他にも、古代ギリシャ人の遺跡とか、
チェーホフの家博物館とか、
見るべきものがあったのですが
あまりの暑さにグロッキーになり、
行くのを断念してしまいました。
こんなに暑くて、昔の人は保養になったんだろうか。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006/08/13 12:22:17 AM


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: