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又頂いてしまいました。フジヤのパンにこういうアイシング?かけのパンがありましたね。このパンはフジヤよりもっとしっかりとしたパンです。[[attached(2,center)]]これは今頂いたばかりのパンです。半分食べてしまいました(苦笑)アメショーにそっくりな可愛い猫缶、 プリザーブドフラワー も彼女からのプレゼントです。 プリザーブドフラワー はお見舞いで以前に全体像をUPしています。今日は九州の友人から電話ももらいました。ちょっと遠い友人からコメントももらえるようになり嬉しいです。
2012.02.29
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記事と画像はこちらです梅園は地元の方や宿泊者は100円の入場料で{{{梅見の滝、韓国庭園、澤田政廣記念美術館、中山晋平記念館と}}}見所一杯です。[[attached(2,center)]][http://www.nhk.or.jp/tsubo/program/newprogram.html 美の壷]によると梅は満開より{{{「咲きはじめに見ごろあり」}}}{{{園芸研究家の大坪孝之さん 「桜は満開を観賞するが、梅は違う。梅の花の一輪一輪を楽しむためには、ちらほら咲いたようなときに観賞していただきたい」}}} {{{ 大本山建長寺の僧侶・永井宗直さん 「梅は寒い中にも花開きます。禅僧は、修行に苦しむ自分を梅に置き換えて、いつかこの梅の花のように花開くときが来ると考えてきたんでしょうね」 かれんの中にも力強さを秘めた咲きはじめの花。それこそが、梅の真骨頂なのです。 弐のツボ 枝ぶりがつくる老成の美 室町時代の絵師・狩野永徳の「四季花鳥図襖」の春の場面の主人公は梅の老木です。のたうつようにくねる、太い幹。ピンと伸びる枝は何度も「く」の字に折れ曲がり、複雑なシルエットを生み出しています。老木の威厳ある姿は花のかれんさと相まって尊ばれてきました。 園芸研究家の上田良就さん。 上田 「太い枝がまばらにある。肌がごつごつしている。幹や枝が斜めになっている。そういう老木の姿は古来 『疎痩横斜(そそうおうしゃ)』 という言葉で表わされ、尊ばれてきた。長寿への憧れを梅に託しているということじゃないですかね」2つめのツボは、「枝ぶりがつくる老成の美」 梅は若木の頃、細い枝をどんどん上へ伸ばし、ほうきを逆さにしたような形になります。それが永い歳月の間に風雪にさらされていくうちに疎痩横斜の枝ぶりになっていきます。}}}続きは美の壷をどうぞ。昨年三月に放送予定だったのこの梅の回、大地震で今年の放送になってしまったそうです。[[attached(3,center)]][[attached(4,center)]][[attached(5,center)]][[attached(6,center)]]この右に足湯もあります[[attached(7,center)]]滝の裏から流れる水を鑑賞することも出来ます。裏見の滝ですね。[[attached(8,center)]]熱海桜[[attached(9,center)]][[attached(10,center)]]前回載せきれなかったMOA美術館の庭園です。梅園の中の韓国庭園は次回に。
2012.02.29
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以前、[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/32109036.html 箱根]へ行ったときはピーカンでしたが今回はちょっと残念。[[attached(5,center)]]今朝のカーネーション、髪結いの女性が次のような意味の事を言いました。{{{日本軍が戦地で何をしたかをテレビで見た。戦死した息子はひどい目にあわされたったと思っていたが息子がやったんやなと。}}}[[attached(2,center)]]私たちは車で山のほうから美術館に入りました。[[attached(3,center)]]{{{俵屋宗達や光琳、中国の「樹下美人図」国宝・仁清の藤花茶壷}}} など名品がずらりです。黄金の茶室はどこかでも見た記憶があります。能楽堂は見学できませんでした。名古屋城隣の能楽堂で東儀さんのコンサートを聞いたことがあります。{{{レンブラントの自画像}}} 浮き出ているようですばらしかったです。{{{モネの睡蓮}}} もあります。[[attached(6,center)]]{{{このたびの「所蔵名品展〔絵画・書跡〕」は、開館30周年企画の華を飾るに相応しく、当館コレクションの中でも一際優れた作品を厳選し、一堂に展示いたします。本展は、かつてない規模の所蔵名品展と言えるでしょう。 絵画の部では、日本美術の最高傑作として名高い尾形光琳筆「紅白梅図屏風」(国宝)、現存する歌仙絵のうち最古のものとされる「平兼盛像 佐竹本三十六歌仙切」(重文)など大和絵や肖像画の名作、俵屋宗達や光琳を代表とする琳派の逸品の数々、さらに中国・唐朝の影響色濃い中央アジア・トゥルファン域の画風を伝える「樹下美人図」(重文)、中国南宋の宮廷画人 馬遠筆と伝わる「高士観月図」(重文)※、同画院の銭選筆「花鳥図」、梁楷筆「寒山拾得図」など中国絵画の優品をご覧いただきます。(※途中展示替があります) 書跡の部では、奈良時代から室町時代の古筆切を収めた、古筆三大手鑑の一つ手鑑「翰墨城」(国宝)、かなのちらし書きの見事な小野道風と伝わる「継色紙」(重文)、中国南宋の高僧・無準師範の墨蹟「帰雲」二大字(重文)をはじめ古筆や墨蹟など書の美の粋を余すところなく展観いたします。}}} [[attached(4,center)]][[attached(7,center)]]前日は雨だったのでこんな風景が見られました。[[attached(8,center)]][[attached(9,center)]]桐門[[attached(10,center)]][http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/32129438.html 箱根美術館]では高い抹茶をいただかなかったので、今回は。箱根美術館の秋のお庭はいいですね。箱根美術館に板谷波山がありましたがMOA美術館にも大作が展示してありました。 [[attached(11,center)]][[attached(12,center)]][[attached(13,center)]]ここで東方神起のコンサート?があったそうです。ここは音楽が流れ色も変化したので[http://www.youtube.com/my_videos_edit?ns=1&video_id=eiQZxvOoDtg&next=my_videos 動画]をとりました。
2012.02.28
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ブルーノ・タウトの熱海の家旧日向邸昨日の記事、[http://www.city.atami.shizuoka.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1123578433506&SiteID=0 ブルーノ・タウトのインテリアの邸宅]の画像や説明を載せたのにUPすると消えたり画像が最初に出てしまったりと、変なことばかりおきました。急な階段下りて右側がその重要文化財の旧日向邸です。左のフェレンツェのオレンジ色の屋根のような家はなんと解体中でした。まだ古くもないのに、もったいない![[attached(2,center)]]ここは熱海駅から遠くはないのですが急な坂道や迷路のような道なのでタクシーで行かなければなりませんでした。見学も土日のみの予約制、「熱海の温泉を探して」という友人の頼みで検索しているうちにタウトが手がけた家が熱海にあることを知りました。タウトが絶賛した桂離宮へのオマージュをささげた家です。[[attached(3,center)]][[attached(4,center)]]Wikiによると{{{ブルーノ・タウト(Bruno Julius Florian Taut、1880年5月4日-1938年12月24日)は、ドイツの東プロイセン・ケーニヒスベルク生まれの建築家、都市計画家。鉄のモニュメント(1910年)、ガラスの家(1914年)が評価され、表現主義の建築家として知られる。ジャポニスム、アール・ヌーヴォーを通して日本に関心をもち、晩年来日し長期滞在した。1924年から携わったブリッツのジードルンク(住宅団地)で国際的な評価を受けた。当時、第1次世界大戦で敗戦国として製品を作ることで賠償金を支払っていたドイツでは、労働者が劣悪な環境下で働いており、ベルリンの労働者住宅は監獄のようであった。住宅供給公社ゲハークに就職したタウトは、主任建築家として労働者の健康を考慮した集合住宅に注力し、1924年から1931年の8年間で12000軒の住宅建築に関わった。1930年、ベルリンにあるシャルロッテンブルク工科大学(現:ベルリン工科大学)の教授に就任。}}}[[attached(5,center)]]{{{革命への憧れをもっていたタウトは、1932年から1933年までソ連で活動するが、建築界の硬直性に直面し、結局ドイツに帰国する。ところが、その直前にドイツではナチスが政権を掌握。親ソ連派の「文化ボルシェヴィキ主義者」という烙印を押されたタウトは職と地位を奪われ、ドイツに戻ってわずか二週間後にスイスに移動、その後日本インターナショナル建築会からの招待を機に1933年5月、日本を訪れ、そのまま亡命した。来日当初は京都大丸当主の下村正太郎邸に滞在し、まもなく仙台の商工省工芸指導所(現在の産業技術総合研究所の前身の1つ)に着任。その後は井上房一郎の招きにより、高崎に移り、約2年間を高崎で過ごした。群馬県工業試験場高崎分場に着任し、家具、竹、和紙、漆器など日本の素材を生かし、モダンな作品を発表。1935年に東京・銀座に開店した「ミラテス」で販売を始めた。また東京・日本橋の丸善本店および大阪の大丸にて「ブルーノ・タウト氏指導小工芸品展覧会」を開催した。日本では建築方面の仕事に、余り恵まれなかったことを少なからず不満に思っていたが、その一方で建築理論の構築に勤しみ、桂離宮を評価した著書を著したり、熱海の日向利兵衛別邸でインテリアデザインを行った。}}}邸宅に入ると飾り気のない庭から海だけが見下ろせます。築地が低いのです。[[attached(6,center)]]地下の部屋には竹をあちこちに使用したり裸電球を連ねたり、タウトのデザインした椅子やテーブルもあります。続く和室には大きな階段があり熱海の海を見るには絶好の場所です。バッハ、ヴェートーベン、モーツアルトになぞらえる部屋。それぞれこった作り。桐を使用したり壁紙は絹。ところが、熱海市は温泉や芸者、花火にしか興味がなく資金不足で照明もつきません。修理、掃除などで傷もついたりしています。タウトが滞在した当時も焼餅焼きの建築家たちはタウトに建築の仕事をさせませんでした。恥ずかしいことです。だからタウトの手がけた家はここしかありません。数多くの建築を残したヴォーリズとは大違いですね。だから竹のスタンドや椅子、机などのデザインをしていたのです。死後も、ドイツから逃げてきたというので高崎・洗心亭の彼の石碑には石をぶつけた後が残っています。嘆かわしいことです。高崎・洗心亭はタウトが二年間住んだところです。お上にたてつかず少数者に厳しい。日ごろの不満をこんなところにぶつけるのでしょう。{{{1936年に近代化を目指していたトルコのイスタンブル芸術アカデミーからの招請により、教授としてイスタンブルに移住。アンカラ大学文学部など教育機関の設計、そしてイスタンブル郊外の自宅など、日本で温めていた理論を実践すべく精力的に建築設計で活躍した(そのほとんどは現存している)。1938年に長年患っていた気管支喘息のため死去した。最後の仕事は彼自身の死の直前に死去した大統領ケマル・アタテュルクの祭壇だった。タウトの遺体はエディルネ門墓地に葬られた[1]。}}}タウトのガラスの積み木、とても綺麗でほしいくらいです。BSの天海さんのオルセー美術館の番組も昔のドレス、帽子、日傘ファッションが面白いのですがガレなどの工芸品は出てきていません。絵画部門は満員の見学者なのにガラス・家具部門はガラガラ。だから関連本も少ない。この時代女性画家は外でスケッチすることもはばかられ、髪も見せてはいけないので帽子をかぶっていたのだそうです!
2012.02.27
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MOA美術館のヘンリー・ムア「王と王妃」 記事と画像はこちらです。熱海の梅園はまだ五分咲きなのに付近の熱海桜はこの通りです。[[attached(2,center)]]昨夜の武田鉄矢のショータイム{{{「大竹しのぶ」}}}如何でしたか。私には彼女の{{{よいとまけの歌、愛の賛歌}}}力強く、感涙物でした。{{{蜷川幸雄、宮本亜門、阿川佐和子、渡辺えり、平原綾香、水川あさみ、新藤兼人監督}}}も出演。画像1は勿論、尾形光琳ではなく撮影OKのCGです。かねてから観たかった{{{尾形光琳の『紅白梅図』屏風}}}(MOA美術館収蔵)。友人は恋人とまで言っています。この梅の時期のみ公開。これから『紅白梅図』は東北の方のために仙台に御出張です。今見ても斬新な梅や水流の描き方ですね。[[attached(4,center)]]お抹茶を頂き{{{光琳屋敷}}}も見学しました。何より驚いたのは延々と続く長いエスカレータ、音楽つき、色も変わります。動画撮りました。ロンドンの地下鉄のエレベータを思い出しました。[[attached(3,center)]][[attached(5,center)]]ヘンリー・ムア「王と王妃」 この反対側には桜が植えられています。桜の時期には海と桜が絶景を作ります。ポスターで見ただけで残念です。[[attached(6,center)]]梅園は地元の方や宿泊者は100円の入場料で{{{梅見の滝、韓国庭園、澤田政廣記念美術館、中山晋平記念館]と見所一杯です。[http://www.nga.or.jp/institution/nougyou/ 名古屋市の農業センターの700本のしだれ梅]も見事ですよ。[[attached(7,center)]]友人に熱海の日帰り温泉調べてといわれて検索していたらあのブルーノ・タウト旧日向邸が熱海にあることがわかりました。ラッキーです。ところが事前予約と難しそう、まるで彼がオマージュささげた桂離宮の見学のようです。駄目モトでネットで申し込みしました。[[attached(8,center)]][[attached(9,center)]]右側がブルーノ・タウト旧日向邸、タウトの建築は日本ではこれひとつしかありません。嫉妬深い日本の建築家が彼に仕事をさせなかったといいます!ヴォーリーズ建築は千もあったというのに。左側のオレンジの家はなんと解体中でした。古くもないのに勿体無い。[[attached(10,center)]]ベン・シャーン展もまだ記事が出来てませんが熱海見物も詳しくはこれからです。よろしく~[[attached(11,center)]]それにしても熱海は急坂の狭い道、行き止まりもあちこちに。旧日向邸もタクシーで行かなければ予約の時間に間に合わなかったでしょう。その後ユニークな畑毛温泉に入って帰宅しました。40分コース選んだら[http://yanagy.jp/onsen/shizuoka/komanoyu.html カラスの行水券]渡されました(爆)追記日向別邸は熱海市に寄贈され、2005年から一般公開、2006年「旧日向家熱海別邸地下室」が重要文化財に指定された。日向別邸はもともと渡辺仁が設計した海を望む和風住宅であったが、地下室部分のインテリアがタウトに依頼された。高崎市の少林山達磨寺にはブルーノ・タウトが暮らした住居(洗心亭)が残っている[2]Wikiより少林山達磨寺のブルーノ・タウト石碑はタウトがドイツから逃げてきたというので石碑に傷がついています。軍国主義、226事件も忌避したタウトなのです。ここにも心が狭い日本人がいました。お上には立てつかず少数者を迫害します。
2012.02.26
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熱海梅園近くで桜が咲いてます。梅は五分咲きなのに。
2012.02.24
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熱海に来ました。暖かい!
2012.02.24
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記事と画像はこちらです。
2012.02.23
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画像と記事はこちらです
2012.02.22
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友人お手製コーンパン 出来立てホカホカ持って来てくれました!幸せ
2012.02.21
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画像はこちらサラリーマンNEOや[http://www.youtube.com/watch?v=YZcbyTrEjiY 動画]でおなじみ、ライオンすわりの猫の前足にみかん載せまさか、うちの猫が?うちの猫4匹のうち、ライオンすわりするのは父猫と娘匹。ママはしません。ためしに載せてみたら、おとなしいのです。意外です。[[attached(2,center)]][[attached(3,center)]]ちょっと困った顔に見えますがよくする表情です。[[attached(4,center)]][[attached(5,center)]]子猫の時、リュウが来た時夫がすぐ作ってくれた猫タワー[[attached(6)]] [[attached(7)]]リボンママ[[attached(8)]] [[attached(9)]]障子のさんに座るブランと柱に飛び着いたブラン、子猫の時[[attached(10,center)]][[attached(11,center)]]かぶとかぶった〔笑〕リュウ
2012.02.19
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ずっとお天気が悪く日が差さず寒くて閉じこもってばかりいるとどんどん落ち込みますので2日続けて美術展に行きました。ひとつは世界遺産ヴェネツイア展、ちょうど芸術新潮のこの美術展の特集を図書館で借りて読んでいます。ヴェネツイアは一度しか行ってませんが巨大な壁画などは忘れられません。{{{無数の杭をうち込んで作った〔それであんなに立派な石の建物が建っているなんて不思議です〕千年の海の都}}}ですが絵画・建築・彫刻・音楽・演劇などの文化も花開きました。平日だというのに結構混んでいました。この美術展は{{{ヴェネツィア市立美術館群(コッレール美術館、ドゥカーレ宮殿、モチェニーゴ美術館、ガラス博物館、モチェニーゴ宮博物館、カ・レッツォーニコ、IREヴェネツィア養老院教会他)から約160点の作品が遠路はるばる来日しています。}}} [http://bluediary2.jugem.jp/?eid=2634 弐代目青い日記帳さん]に詳しい記事と画像があります。最近は貴族の衣装なども展示があります。有名な女性の高下駄のような靴、ヴェネツイアは特に水浸しになることがありますから。こちらに画像があります。http://go-venezia.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-1be6.html目立ちたい、貴族あるいは娼婦の靴とも聞いたことがあるのですが。はじめは華美な衣装を隠すための{{{マントも禁止}}}されたこともあるそうです。ほかの目的に使用されたようです。{{{おつきの人に支えられないと歩けない。運河に落ちた女性もいて一四三〇年五〇センチ以上の高さのチャプニーを禁止した}}} こともあったそうです。日本の江戸時代のおいらんや中国の纏足、{{{体を傷つけても流行はやめられないのでしょうか。}}}五〇センチ以上の高さのチャプニーを禁止されたこともあります。[http://homepage3.nifty.com/katodb/doc/text/2143.html 背のびの文化史]より[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/31722047.html パリの装飾美術館]で先割れのハイヒール〔まるで足袋のような靴〕見て靴の歴史を調べてもその靴のことはわかりませんでした。[[attached(2,center)]]パリの装飾美術館靴のコレクション[[attached(3,center)]]ヴェネツイア展に出品中の木靴、左ゾッコリ 高さ15.5センチ右カルカニエッテイ高さ50センチヴェネツイア文化が最高潮の16世紀に人口は17万人〔現在の本島は9万人〕うち娼婦が1万人以上もいたそうです。{{{遺産の分散を避けるためにヴェネツイアでは結婚できるのは兄弟で一人だけ!約半数の貴族が独身!船乗りたちとこのおびただしい独身者のはけ口としての娼婦。}}}日本の江戸時代もそうでしたね。武家は長男以外は厄介者、結婚できてもずいぶん年取ってからだった町人。モンローやクリントンはブロンドに染めていますがこの時代のヴェネツイアの娼婦も屋上のテラスでいく種類もの水溶液や灰汁をつけた髪を暑さにさらされながら日にさらしてブロンドに染めました。彼女たちの多くは性病にかかり零落しました。扇の展示もありますがあの神戸ファッション美術館で見たような見事な美氏鋳物はなくだいぶ痛んでいました。ヴェネツイアングラスやマジョリカ焼きの前では熱心な見学者がたまっていました。華やかなピンクやブルーの花々の巨大シャンデリアやガレー船の模型、大きな地球儀、石の立派な井戸、絵画などの展示です。[[attached(4,center)]]ヴェネツイアの模型です。20世紀のアメリカを代表し、社会派の作家として知られる[http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2011/benshahn/ ベン・シャーン](1898-1969)の展覧会は後日に。すいていました。アメリカの水爆実験の被害者久保山愛吉さんの絵も展示されています。その他の画像はこちら
2012.02.17
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画像はこちらです英語のガーデンはかこまれた楽園の意味。エデンの園の再現。又私の見た聖母子の絵は囲まれた庭にいます。 この番組では世界の名園、たとえば砂漠の蜃気楼を再現した[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/17700242.html アルハンブラ宮殿][http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/32672647.html イタリア一美しい噴水公園ティボリのエステ荘] {{{インドのタージマハル}}}{{{イランイスファハンのイマーム広場}}}、{{{中国の頤和園、簡素な極み龍安寺枯山水}}} も紹介されていますがメインは二代の王が40年かけて作らせた{{{イタリアカゼルダ宮殿の庭}}} 〔世界遺産〕ガイドブックにも載っていませんから初めて知りました。検索すると宮殿見学記はあるのですが時間がなくて庭まで回れなかったという記事ばかりです。{{{400億円かけて作られた宮殿と40キロ先の水源から水を引いた庭}}}{{{ナポリ王カルロ7世〔ルイ14世の曾孫〕とフェルディナンド4世親子}}}の作品。{{{スターウォーズやミッションインポッシブルのロケ}}}などに使われています。{{{トム・クルーズ}}}はスケールが大きいねといい{{{ゲーテ}}}は宮殿は広すぎて居心地が悪いが実に綺麗だという感想を残しています。王はローマ教皇に10倍の給料を払い建築家{{{ルイジ=ヴァンヴィテッリ}}}を起用しました。40キロ先から水を引くために。一ケ所だけある谷間には{{{ヴァンヴィテッリの水道橋}}}を築きました。水のない場所に満々と水をたたえたところを作る、これは絶大な王の力を示すことになります。ベルサイユを越える庭を!ベルサイユは10キロ先からセーヌから水を引いたのですがこちらは40キロ!しかも{{{ルイ4世と大きく違うことは農業や産業にこの水を役立てたのです。}}}この番組、とても勉強になりました。この地方は乾燥地帯で農業が盛んではなかったのですが、この水を引いたため{{{リンゴ、イチジク、唐辛子、トマト}}}などが実りました。またイタリア料理に欠かせない水牛のミルクから作られるモッツラレラチーズの産地}}}になりました。疫病に弱い牛にかわりたっぷりと草を食べた水牛のミルクから。[[attached(1,center)]]イタリア庭園でよく見かけた{{{グラン・カスカーダ〔大滝〕}}}でもここは規模が大きく、しかもたくさんのギリシャ神話にちなんだ彫刻で飾られています。春日井や[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/33200543.html 愛知県緑化センター昭和の森]にもありますが、彫刻までは真似が出来ません。[[attached(2,center)]]女神ダイアナが水浴びしていたところを見てしまった狩人が鹿にかえられてしまった!ヴァンヴィテッリは舞台演出家でもありましたから。{{{依頼主を喜ばせる舞台のような風の滝〔二つの顔を持つ滝〕}}}二つの顔を持つ滝とは裏から見る滝、宮殿が見えます。日本の滝では自然に裏見の滝がありますがここは人工の庭です。[[attached(5,center)]][[attached(6,center)]][[attached(7,center)]]水のない場所に満々と水をたたえたところを作る、絶大な王の力を示すこと。ベルサイユを越える庭を!ベルサイユは10キロ先のセーヌから水を引きましたがここでは40キロ先から水を引いたのです。ローマ教皇の10倍の給料を払い建築{{{ルイジ=ヴァンヴィテッリ}}}を起用しました。一ケ所だけある谷間に{{{ヴァンヴィテッリの水道橋}}}を築いたのです。{{{宮殿の建設は、1752年にナポリ王カルロ7世(後のスペイン王カルロス3世)の命令で、お抱え建築家ルイージ・ヴァンヴィテッリ指揮の下に始められた。カルロ7世はヴァンヴィテッリの作った宮殿の模型を見て『胸から心臓を引き裂かれるような』深い感動を覚えたという。結局、カルロ7世は宮殿で寝泊まりすることのないまま1759年にスペイン王位に就き、建設が終わったのは三男フェルディナンド4世(のちの両シチリア王フェルディナンド1世)の代になってからだった。ヴァンヴィテッリが政治的にも社会的にも宮殿の理想としたのは、ヴェルサイユ宮殿だったが、多様性と性質に注目すべき違いがあった。格調高い付属した自然のバロック風の眺めに面して、小さな都市の社会的建築物を伴うどっしりとした建物の中に宮廷と官公庁を入れ、王のために供給される物と集められる物との似たような問題を解いたのである。}}}wikiカルロ7世は兄の死に伴いスペイン王となり息子がナポリ王に即位。フランス革命やアメリカ独立宣言の時代です。フェルディナンドはヴァンヴィテッリ・カルロと{{{イギリス式風景庭園}}}を造りました。フェルディナンドとカルロは父親同士が庭作りで親しかったので子供たちも協力して新たな庭、イギリス風景庭園を作りました。この庭にはヨーロッパで初めて栽培された日本のオオシマツバキが大きくなっています。1782年二植えられました。オランダ経由した種から。王はツバキの花を各王国に送りヨーロッパ中にツバキの美しさを広めました。これがオペラつばき姫に繋がります。またモロッコ、ニュージーランド、中米、などからハンターした植物を広げました。私はやっぱりハーストこっうぉるずのような庭がすきなのです。世界中の植物を集め広げました。エデンの園の再現を目指しました。品種改良して種を増やす、ツバキは1856年には146種まで増やしている技術力また二つの滝のオマージュとして{{{廃墟の洞窟}}}を作りました。完璧に作ってから破壊し古代ローマのポンペイを再現したのです。ポンペイから出た本物の彫刻を飾る、ひび割れた天井、壁の漆喰をはがして、床も古代ローマのタイルを再現したあと割ったりはがしたりしているのです。ポンペイの発見 カルロ7世によってはじめられたポンペイの発掘[http://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%82%A6%E3%83%81%E3%83%A7 サンレウチョ]デジタル大辞典より{{{イタリア南部、カンパニア州の都市カゼルタにある町。18世紀にブルボン王朝のカルロ3世が狩猟場とし、息子フェルディナンドとともに絹工場を建設。続いて労働者のための住居が建てられた。18世紀末から19世紀初頭にかけてのヨーロッパにおける先進的な産業都市の一例として知られ、カゼルタ宮殿やバンビテッリの水道橋とともに、1997年、「カゼルタの18世紀の王宮と公園、バンビテッリの水道橋とサンレウチョ邸宅群」として世界遺産(文化遺産)に登録された。}}}豊富な水で水車を回し良質の絹を作りました。{{{利益はすべて職人たちに還元}}}国民が自立して稼げる国を目指したが10年後にナポレオンが攻め込んだので国の規模には実現できなかったが。ホワイトハウス、バッキングガム宮殿、アルゼンチン大統領官邸の内装、カーテンに使われブラピからも注文受けたといいます。私が個人的に好きなのはコッツウォルズの個人の庭や[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/17534543.html シシングハーストガーデン]のようなホワイトガーデン、そこも囲まれた庭です。
2012.02.17
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その他の画像はこちらです。今までも友人母娘さんの美味しい美味しいお手製ケーキ、パンはUPしてきましたが昨夜も寒い中お越しになりカップケーキ届けてくださったので、今までの作品もまとめて一挙公開します♪プロ並みの腕前で次々新作を頂きます。感謝。私は娘時代は下手なお菓子作りましたが今はまったく作りません、食事だけです。[[attached(2,center)]]画像1に入っていたのは可愛いカップケーキ。お嬢様お手製。今、カップケーキつくりに凝っていらしゃるそうです。真ん中のケーキの紫の飾りはスミレの砂糖付け。[[attached(3,center)]]シシー〔エリザート皇后〕が好きだった[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/31933772.html スミレの砂糖付け]は箱が欲しくてネットの骨董屋さんから送ってもらったもので、差し上げたスミレを使ってくれました。〔二回目にスミレだけ買ってしまって食べ切れなかったのです〕入院中も何回も母娘さんでお見舞いに来てくださり、親戚同様と言ってくださいます。ありがたいことです。今の住まいに越してからの友人です。学生時代でないのに親友が出来たのは貴重なことです。今では夫まで押しかけてお話させてもらっています。[[attached(4,center)]]ワッフルはお母様、カップケーキはお嬢様の作品、試作品といって日曜日に頂いたものです。息子はワッフルもあっという間に頂いてしまいました。[[attached(5,center)]]入院中に頂いたカップケーキ、ウサギの紙袋も可愛いので前にご紹介しました。何時も包装紙も凝っていて申し訳ないです。[[attached(6,center)]]サツマイモの入ったパン、お母様作。チェックに来た猫の足が写っています。ライ麦パンなども頂いたのに早速食べてしまい写真がありません。[[attached(7,center)]]大きなハートのクッキー[[attached(8)]] [[attached(9)]]右はブルーベリーパン[[attached(10,center)]]これは胚芽パンだったと思います。パンはお母様作です。[[attached(11,center)]]お嬢様が結婚式に配られたケーキ、極上品でした。トッピングは金粉。ほかにもまだあるはず、ブログ探索中です。
2012.02.14
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若者たちを招いてのトークショー現役俳優としては、はじめての京都賞受賞した玉三郎丈のトークショーからです。{{{養父守田 勘彌はこれでいいと思ったらおしまいだ。器用貧乏になったらいけないよ。}}} と教えられた。歌舞伎の先輩からは、{{{お芝居を見せてはいけないよ、ただ役になりなさい}}} といつも注意してもらいました。受賞したのも演劇を導いてくださった多くの先人、先輩がたに支えられたと深く感謝しています。謙虚な玉様です。[[attached(2,center)]]{{{ワイダ監督やバレエのベジャール、ヨーヨーマ}}} など世界的な文化人との仕事が認められて京都賞受賞。{{{ワイダ監督は「ナターシャ」の男から女へのあの神秘的な変身は玉三郎しか出来ない。長い人生の中で出会あった最高のアーティストだ。感謝していると}}}コメントしている。若い人にはコンプレックスを直視、逃げない、受け止めることが大事。研究、高めること。たとえば背が低くても高く見せようとするのではないと。玉三郎は小児麻痺にかかり左右の足の長さが違うのでたびの中には詰め物がしてあるそうです。{{{今では武器となった長身も出始めたころは、女形としては15~20センチも背が高いことがハンデ、手が大き過ぎる、敷居からはみでるといわれた。}}} 小さいぽっちゃりした女形をよしとする観念を変えてもらうしかない、と考えた。95年ウィーンでオペラ観た後に玉三郎の鷺娘観てこれはオペラに負けないそれ以上かもと思ったのは間違いではなかったのです。玉三郎の鷺娘は歌舞伎ではないと切り捨てていた評論家もいましたが。勘三郎は歌舞伎役者が演じれば、歌舞伎だといっていました。他人に認めていただくためには努力、研究。相手役より大きく見せないようにするために足を折るだけでは駄目、知事待ってるのをわからないようにしなければと養父。女形の化粧 自分でない自分を見ている。かわっていく自分、書いたものになっていく。[http://www.youtube.com/watch?v=D_ByGXCey68 書かれた顔]ダニエル・シュミット監督作品動画役柄になりきるときたとえば道成寺で音楽が非常にうまく奏でられていて、踊りの中でぐっと気持ちが入ったときに恨める、恨みがクローズアップされてそれを探る作業が稽古不可能を可能にするために{{{努力する大切さのいみは話せません。努力するしかないんです。努力しなければ絶対成功はしません。たまたま一回ヒットする事があっても続きません」「努力といっても並大抵の努力ではダメなんです。一番考えなきゃならないのは命と健康と引き換えになるかは、自分の身体と話合って下さい。命を落とさない、病気にならない所まで努力しなければならない。最大限しなければ絶対成功はしないし、続きません」努力の方法は教えることはできません}}} 玉三郎に仰天質問された女性がいました。洗濯や掃除がしたくないという質問{{{玉三郎の返答はそれではまったく行に反する生き方です。というものでした。お寺で炊事する人は一回も読経しなくても読経する人と同じ位がもらえる意味がわかっていない。突き詰めて問題の芯のところへ視点が行かないと解決しない、解脱できない。}}} 勘太郎の禅の映画で炊事掃除は修行だと教えられました。若い人に{{{傷つくことを怖がらない恐れない。傷も負って免疫つけていろんな人に会いなさい、人間同士でコミニュケーション取って生きていく。純粋なものをできるかぎり食べて 本当に好きなものが見えてくる}}} 本当に勉強になります。
2012.02.13
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再放送 {{{相棒スペシャル特命係り、西へ!千利休の話}}} は昨年訪れた[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/32891731.html 京都宝ケ池]がロケ地でした。あの素晴らしい騎馬像は出てきませんでしたが広くて気持ちの良い場所です。毎朝散歩できる方がうらやましいところです。画像はこちらです。そのほかにも神戸君の彼女の家の立派な家やお寺など見所ありますね。あの競演がきっかけでミッチーは壇れいさんと結ばれたのでしょうね。最近はロケ地の建物や風景が気になります。なかなか猫の良い写真が撮れません。ストーブの前のいすの取り合いする母娘。娘が寝ていると一緒寝ます。ハート形に見えませんか。[[attached(2,center)]][[attached(3,center)]]ご飯が遅くなるとなだめるように娘ダブルをなめるママりぼん。ダブルはちょっとした物音や小さいお客さんにビビル小心者なのに、姉妹には強気〔笑〕[[attached(4,center)]]こうやってお互いのお尻のにおいかぎながら寝ていると安心なのでしょうか。[[attached(5,center)]]もう一匹の娘ブラン[[attached(6,center)]][[attached(7,center)]]左ダブル、額の模様から夫がつけた名前です。右は白っぽいブラン。このライオン座りはパパリュウにそっくりです。[[attached(8,center)]]友人宅に行った姉妹猫リンゴ、500グラムのころ。カレンダー投票でも人気でしたが今は可愛がられすぎでオデブちゃんです。[[attached(9,center)]]郵便受けを覗くダブルとブラン[[attached(10,center)]]ブランも太ってしまって今はこんな芸当は出来ません。[[attached(11,center)]]障子もびりびり。
2012.02.13
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画像は以前の阿国舞台パンフからです。この舞台、生で見たかったのですが同じ八千代座の玉三郎丈のチャリティコンサート〔昨年7月〕にも行くったし、11月のこの公演はあきらめたのです。ちょうど病気が見つかるころの公演でしたので予約取らなくてよかったのです。玉三郎丈がおっしゃるように江戸の雰囲気を残したこの八千代座で絵巻物のような新作舞踊公演が行われ先日、その一部がテレビ放送されました。玉三郎さんは21年も八千代座に通われ公演行い取り壊し寸前の八千代座を守られたのです。口上も東京などのそれとは違い、アットホームな感じで長くお話してくださるのです。春 琴、三味線、唄の演奏にうっとり。花柳壽輔振付そこへ武家の奥方のような扮装の玉三郎が登場。当然ですが気品があり立派ですね。そこに7人の花柳一門の男性舞踊家が加わり桜が舞い散る中の舞踊が繰り広げられます。品のよい薄い緑の着物引き抜いて松の功のような白い着物に替わります。次は出雲の阿国と名古屋 山三の華やかな踊り4人の男性踊り手が普通の裃の上下の上に女物小袖を羽織った「カブキもの」の出立ちで踊る場面があったそうですがカットされています。夏 蛍 以前も玉三郎HPに蛍の画像がありました。なんという美しい丸髷の女 女が持つ桔梗の団扇と籠。かんざしもヒスイ?緑がさわやか。蝉時雨 竹久夢二調の玉三郎と学生帽の男。竹久夢二調の扮装は写真集では見たことがあります。似合います。可愛い~孔雀の羽の大きな扇、これで踊るのはすごく難しそうです。長崎の龍踊り、南京玉すだれ、漫才などがあったそうですがカットされています。軍服を着た学生が登場。出征と爆音。第二部秋耳なし芳一、平家の女人、おすべらかしがこの上なくお似合いです。藤壺や浮舟思い出しますがこの女人は怖い亡霊、芳一を襲います。長袴がハラリと下の段にかかるのが決まります。玉三郎は清姫や六条御息所などの怨霊、怖い役も絶品です。山鹿灯籠を被った玉三郎さん登場。60人のおなじく灯籠を被った若い女性たちと踊り(「よへほ節」)の競演。鎮魂再び先ほどの軍服を着た男と女が登場。男はすでに死んでいて亡霊になっている。それを悟った女は嘆く。牧師が出て十字架を女に授ける。十字架を持ってひねる形が美しい。玉三郎がこだわった地元の方の参加するシーン、60人の女性の踊り手。灯籠のやさしい明かりで八千代座を包み込む幻想的な舞台です。「よへほ」〔酔っちゃいなが〕が印象的♪主は山鹿の骨なし灯籠骨もなけれど 肉もなし よへほ よへほ客席は玉三郎考案の可愛い灯篭のペンライトが振られています。冬鷺娘の玉三郎、雪の中を白い着物 で舞う。いつもの鷺娘の衣装ではありません。また白い羽一本を頭に付けた男七人と共に舞います。やはり東北大震災の影響がここにもありますね。[[attached(2,center)]]ワイダ監督が玉三郎しか出来ないナスターシャと絶賛した映画です。
2012.02.10
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「世のため人のためということでお創りになられた賞をいただけたということを幸せと思っておりますし、この先もそのように生きていきたいと思っております。」第27回(2011)京都賞 思想・芸術部門受賞の報せを受けた五代目 坂東玉三郎丈のコメント映像ですhttp://www.youtube.com/watch?v=-wHhjT0ky_4京都賞と稲盛財団について 稲盛財団は稲盛和夫 京セラ名誉会長の人生観である「人のため、世のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である」、そして「人類の未来は、科学の発展と人類の精神的深化のバランスがとれて、初めて安定したものになる」という理念のもとに設立された財団です。京都賞はその理念を具現化すべく行っている顕彰事業であり、世界中から推薦された候補者の中より、公正かつ厳正な審査選考を経て決定される国際賞です。毎年、先端技術部門、基礎科学部門、思想・芸術部門(※15回目までは「精神科学・表現芸術部門」)の各部門に1賞、計3賞が贈られます。 映画・演劇界からは、第3回アンジェイ・ワイダ(ポーランド、1926-)、第7回ピーター・スティーヴン・ポール・ブルック(イギリス、1925-) 、第10回黒澤 明(日本、1910-1998)、第15回モーリス・ベジャール(フランス、1927-2007)、第19回吉田 玉男(日本、1919-2006)、第23回ピナ・バウシュ(ドイツ、1940-2009)が受賞しています。
2012.02.10
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今朝のあさイチはカーネーション{{{尾野 真千子}}} さん、ご出演でしたね。尾野さんの{{{『萌の朱雀』『殯の森』}}} は鑑賞したのですが川瀬監督作品はどちらかといえば苦手で居眠りしてしまったり〔苦笑〕彼女にもあんまり印象がなかったのです。でも川瀬監督が中学生の彼女を抜擢するぐらいですからかわいくて愛嬌があり演技上手くて頭もよさそう。その後こんなに多くのテレビ、映画に出ていて、朝ドラのオーデションに落ち続けていたとは。{{{大河ドラマ義経の正妻役}}}も演じたのです。これは彼女がカーネーションに出るための天の配慮だったのですね。次女の直子役{{{ 川崎亜沙美}}} さんもいいですね。コシノジュンコさんにぴったり。川崎さん、プロレスラーですか、さすがいい面構えです。上京したのにセーラ服着ていたり、岸和田に帰ったときのあのメイク、にドレス、あの下宿のサイケな部屋、やはり、女傑は違いますね。凡人にはまね出来ません。毎日楽しませてもらっています。先日もNHKのアーカイブスで親娘、姉妹が勢ぞろい。特にヒロコさんとジュンコさんのやり取りに爆笑です。足でけりあっていた!?ほかに最近見たテレビでよかった作品を。[[attached(1,center)]]画像はWIKIよりお借りしました。{{{ 世界遺産 時を刻む「庭~楽園のつくり方~」イタリア・カゼルタ宮殿の巨大庭園}}} この庭園知らなかったはずです、ガイドブックにも載っていません。{{{曽祖父ルイ14世が作ったベルサイユ宮殿を超えようとしたナポリ王 カルロ7世の野望}}} [[attached(2,center)]]{{{相棒}}} は全部見ていないので再放送もありがたいです。今週の{{{「アンテナ」}}} 子育て中の夫婦の温度差、これはうまいですね、感心しました。妻は夫が子育て押し付けていると不満もっているが夫は夜中、子供をちゃんと見てくれたりそれなりに気を使っているつもりだったり。{{{柄本佑 スタジオテーマパーク}}} これはながら見だったのでしまったと思いました。{{{07年「シリーズ青春が終わった日 ぼくもいくさに征くのだけれど~竹内浩三・戦時下の詩と生」(第24回ATP賞テレビグランプリ2007情報・バラエティ部門優秀賞受賞 NHK )がある}}} 竹内浩三役していたのは柄本佑サンだったのです。{{{戦死やあわれ兵隊の死ぬるや あわれ遠い他国で ひょんと死ぬるやだまって だれもいないところでひょんと死ぬるやふるさとの風やこいびとの眼やひょんと消えるや国のため大君のため死んでしまうやその心や白い箱にて 故国をながめる音もなく なんにもなく帰っては きましたけれど故国の人のよそよそしさや自分の事務や女のみだしなみが大切で骨は骨 骨を愛する人もなし骨は骨として 勲章をもらい高く崇められ ほまれは高しなれど 骨はききたかった絶大な愛情のひびきをききたかったがらがらどんどんと事務と常識が流れ故国は発展にいそがしかった女は 化粧にいそがしかったああ 戦死やあわれ兵隊の死ぬるや あわれこらえきれないさびしさや国のため大君のため死んでしまうやその心や}}} [http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/T/takeuchikozo.html 骨のうたう]以前竹内をUPしたのですがそのとき、CD送ってくれた奇特な方がいらしゃいます。BS-TBS {{{ フランスでもっとも名の知れた日本人画家・藤田嗣治の生涯を探る ため、寺島しのぶがフランスに渡る。}}} 2月8日(水)22時より. ザ・ショータイム[http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT1200300 寺島しのぶフランス幻想紀行~藤田嗣治乳白色の肌]に魅せられて~」. 紀行・ドキュメンタリー ...今はフランス人のお連れ合いがいる寺島さんが初めてフランスに言ったときは空港で出口わからず、弟の菊之助さんと3時間も右往左往したとか。信じられません、英語で話してもだめとかで。私も訪れたパリ郊外の藤田のアトリエで彼女の曽祖父にあたる六代目菊五郎のレコードに対面。
2012.02.10
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愚痴です。ちょっと前にあるブロガーさんが弾圧された松浦優之医学博士のAWG電子照射機を紹介されていました。 そこで昨日、このMRS(AWG)施術しているとネットにあった遠いH松医科大学病院に連れて行ってもらいました。結論は空振りでした。まず電話でその大学病院に聞いたら手術した後だといったら外科に回され紹介状がないと診ませんと言われました。ドキドキしながらだめもとでお世話になっている外科の先生に頼んだらすぐ紹介状書いてくださり感激だったのです。ところがいってみるとH松医科大学病院に外科は二つあり、わたしが行くべき外科は休診、まさか大きな病院で外科が休みとは。電話では教えてくれませんでした。MRS(AWG)施術は知らないというし‥後から調べたら皮膚科でやっていると事務の方が教えてくれました。この病院には私の持病の甲状腺の名医がいるのをつい最近知ったので(今かかってる内科医は内分泌の専門医でないのに、私を離してくれません。外科の先生もこのさい専門医に替えてくれると言ってくださったのに。10年かかっても薬も減らない、検査結果は良くなっていますが)受付の人も内科で聞いたらと言ってくれました。初めはちょうど内分泌の先生がいるからといってくれたので一時間ぐらい待っていました。ところが次に出てきた看護士は内科の紹介状が無いから駄目と、高ビーに言うのです。私もむっと来て「それなら初めからトットと帰るのに。身長や体重も量らせ待たされ手」と言い返してしまいました私がいつも通院している大学病院は紹介状無しでも診てくれるのにここまで言われるとはびっくり。でも検査結果を持ってきたのをみると他の看護士が診てあげると、そこで又待たされました。次にもっと偉い看護士と3人の年配の事務の人が来て、謝るのです。結局、診てもらえず空振りでした。まあ遠いし費用もかかるのでで通わなくてもすむからいいのかもしれません。ネット情報難しいですね。怪しい情報もあるのは知っていますが。この施術、K応病院や富山の病院でもしているとネットにあったので信用した私が馬鹿でした。紹介状、快く書いてくださった先生は「行ってどうだったか教えてください」とおしゃったのに、あわす顔がないと言うか、困ります。
2012.02.08
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久しぶりの観劇です。しかも頂き物です。奇特な方、ありがとうございます♪芝居は有名な危険な関係の宝塚版。危険な関係はアダムクーパーのバレエ版、韓国映画のヨン様主演スキャンダルがインパクトありました。舞踏会のシーンが多いので沢山の扇をオペラグラスで観察。なかなか良い扇が使われていて感心、これも自前ですか。前から11列目と良いお席です。再演物でテレビで観た星奈ゆりを思い出します。ショーはすぐ近くにスターさんが来てくれたり迫力ありました。歌の上手い美穂圭子はショーでやっとその歌声聞けました。宝塚はみるだけで華やぎます。帰りのバスまで時間があったので皆さんの出待ちを観察、やっと一人出てきたと思ったら結構、ファンに話しかけていました。以前山口祐一郎さんの担がれていくような楽しい出待ちみました。
2012.02.06
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画像が載せられません。記事と画像はこちらです。
2012.02.06
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{{{日露戦争当時に非戦を訴えた勇気ある幸徳 秋水と堺利彦}}}、その幸徳はでっちあげの大逆事件(明治天皇暗殺計画を立てたという疑いで逮捕、秘密裁判により12名処刑された)で処刑された。幸徳は日本人は何を考えてきたか第1回に紹介された{{{中江兆民}}}の弟子。政府は社会主義者を一毛打尽にしたかった。{{{田中正造}}}が足尾銅山鉱毒事件について明治天皇に直訴したときの直訴状は、まず幸徳が書いたという。堺は当時別件で入獄していたので難を免れていた。今、各地で被告とされた人々の名誉回復が求められている。大逆事件関係者とその子孫はまともな職業にもつけず迫害されてきた。今回の放送で当時アメリカやフランスから非難を浴びたことを知った。[[attached(2,center)]]堺利彦の故郷福岡県を訪問したのはフランス・ボルドー第三大学教授のクリスチーヌ・レヴィさん。ユダヤ人の伯父をアウシュビッツで失ったレヴィさん2010年のブログにクリスティーヌ・レヴィさんをすでにUPしていた。「愛国心の裏側を嗤う」2.8朝日2008、{{{パリで幸徳秋水と中江兆民の著作の仏訳が出版された。}}}写真の女性{{{クリスティーヌ・レヴィさん}}}の訳。日本に留学して戦後の労働運動を研究して秋水や境利彦、中江らを発見。秋水は説く。{{{自国のために他国を侵すのが「愛国心」ならばそれは野獣的天性、迷信、…好戦の心である}}}レーニンの帝国主義論より16年も前に出た秋水の「廿世紀之怪物帝国主義」にクリスティーヌさんは秋水の慧眼を感じた。{{{この13年後、欧州のインターナショナルは愛国心をあおられて分断され第一次世界大戦でお互いに殺し合うことになったから。}}}[[attached(3,center)]]今回の放送にもこの船上の幸徳、大竹しのぶの祖父母の写真が登場した。[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/30983156.html 大竹しのぶと幸徳秋水
2012.02.02
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