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今日から家の修理に大工さんが入りました。建てて30年以上も経つと、心配な個所も出てきています。ずっと以前に居間、台所、トイレ、お風呂場などのある家の半分を改築したのですが、今回はその時手を付けなかった反対部分の座敷側。歩いていると、ぎしぎし、べこべこと床が落ちるのではないかと思うほどだった 一部屋と北側の縁側の床部分を今回思い切って直してもらう事にしました。床板を乗せている土台が腐っているのではないかと心配したのですが、畳を起こし、問題の床板をはがして見るとそれは全く大丈夫で、上の板だけ取り換えるだけで良いようです。新しい家を建てられればいいのですが、りえばぁの年齢では長男やkenにマイナス遺産を残すことになりますからね。ともかく、何とか修理して住み続けて行かなければなりませんので、時々はこうして少しずつ大工さんにチェックしてもらう事が必要だろうと思っているところです。大工さんは、こういう昔の家は太い木材を使い、土台もしっかりしていて、壊して新しい家など…もったいない事です、などと言っていました。修理は3~4日で終了するようです。 午前中は書道の練習。夕方からはスポーツ少年団の指導に。そして帰宅してから書道教室へといつもの火曜日でした。そして、夜は寝るまで頼まれた寒中見舞いの宛名筆耕のお仕事をしていました。
2014年01月14日
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今回の東京旅行は大変なおまけつきになりました。何しろ、あの改修前の国立競技場での最後の試合、しかも初の北陸同士の決勝戦となったあの感動の高校サッカーを実際に見ることができたのですからね。 宿泊場所としていた東京さぬき倶楽部 を早めに出発。昨日、一昨日と同じく近くの駅から地下鉄に乗り会場へ。 決勝戦の開始時刻は午後2時05分と遅く、それまでの間どう過ごそうかと話ししながらの私たちでした。ところが、時刻はまだ10時半にもなっていないというのに競技場にはもう長蛇の列ができていました。結局、私たちもその中に並び、長い時間と、そして富山からかけつける息子kenを待っていたのですが・・・、田舎者の私たち。こんな風に何時間も何もしないで並んで時を待つなどしたことも考えた事もありませんでしたから、東京の人って、どこでも並ぶんだなって呆れながらおりました。 やがて開場予定の12時少し前、kenも到着して一緒に競技場の中に入りました。 バレーボール会場では2メートル近い選手もぞろぞろいますので、身長185センチあってもそれほどにも思わないところですが、ここ陸上競技場でのkenはよく目立ち、探す私たちにしては大変楽でしたね。 お隣石川県の星陵高校にもエールを送りたいりえばぁたちでしたが、今回は富山県人として全面的に第一の応援しようと、どうせなら席も富山第一高校応援席に近くを探して座っていました。試合経過は皆様ご存知の通り。あの大逆転劇にスタンドの興奮は渦を巻いていた感じ、私たちもその渦の中で幸せな気持ちに浸っていました。気がつけば私たちの後ろ側には東京オリンピックの聖火台が 赤々と燃えていました。昭和39年の時、全国を回ったこの聖火を高校を卒業したばかりのりえばぁもそのランナーの一人として町を走りました。サッカーの試合が終わってしばし、無関係ではないこの聖火をしげしげ見つめてしばし感慨に浸っていたということでしたね。 競技場の上空にヘリコプターも現れ、もうすぐ選手が入場です。 ヘリコプターはあの雲の中の点 試合が始まり、両チームの攻防に観衆は一喜一憂 ついに延長戦
2014年01月13日
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人生で一番、気力体力のあるのは高校時代だと、それは誰もが思うところです。ですので、りえばぁがそもそも思うのは、そのあとの長い人生にも大きくかかわって来るのも、その高校時代にどんな風に過ごしていたかということになるのではないかと考えます。運動にしろ、文化活動にしろ、また勉学でも、そこには目的を持って一生懸命に励むという事が大事で、それがたとえ遊びであっても意味があれば必ず自分の今後に役立つはずだと思っています。今回、東京体育館の晴れの舞台で試合に臨んだ選手たちはもちろんのこと、それを見るために集まった観衆に目をやってみても、それが感じられました。応援も一生懸命、 観戦も一生懸命、審判も会場整理係も、お店の人も一生懸命・・・そんな熱気の中に身を置いていると、この老人夫婦も心なしか若い気分になっていましたよ。 11日の土曜日は男女各2試合の準決勝戦、12日の日曜日は決勝戦でした。東京体育館のフロアには3面のバレーボールコートを作れ、先週の3回戦まではその3面を使って試合が行われていました。3日間で男女各4チームずつの勝ち残りが1週後の本日に試合が行われるということになり、国元から改めて会場入りしたと言う事です。3月に行われていた時は時期が春休みということで、初戦から決勝戦まで続けて行えたのですけどね。今年、ここに勝ち残ったのは、男子が星城高校(愛知)、東福岡高校(福岡)、鹿児島商業高校(鹿児島)、雄物川高校(秋田)の4校で、女子は九州文化学園(長崎)、共栄学園(東京)、都市大塩尻(長野)、東九州龍谷(大分)の4校でした。準決勝戦の対戦は男子が1試合目が星城と東福岡、2試合目が鹿児島商業と雄物川。女子の1試合目は東九州龍谷と都市大塩尻、2試合目が九州文化と共栄学園。10時から始まった準決勝戦はどの試合も白熱し、4試合が終了したのは夕方も暗くなっていましたね。 東京体育館の前にはおなじみのバボちゃん人形が・・・ 女子の組み合わせ表です。Cブロックの18番目の由利がりえばぁの高校です。後輩たちは2回戦で高知に敗退って感じですね。セットカウント2:0でストレートで負けてしまったようですが、点数を見ると誠に惜しいところでした。 勝てば、あの2メートル1センチの身長のある今大会注目一番の中国人センタープレーヤーと対戦する事が出来たのですけどね。 女子1試合目の練習時、すごく目立つ選手がいました。 長野塩尻の選手ですが、身長は165センチしかないのに、最高到達点がなんと288センチあり、とてつもないジャンプ力の持ち主なのですね。その選手がアタックで飛ぶと、会場中から感嘆の声が上がっていましたよ。 男子の第一試合開始です。こちら青いユニフォームのチームは秋田の雄物川なのですが、この中に2メートル1センチと大会一の高身長の選手がいて、大会前から注目されていたようです。まだ1年生だと言う事ですが、何の何の周りの上学年と変わらず実に堂々とプレーしていましたよ。この選手は将来全日本チームで活躍すること確実です。今、高校生だと6年後の東京オリンピックでちょうどよい年齢になりますからね。 今大会には男女とも2メートル1センチの選手がいました。バレーボールは身長が高ければそれだけで注目されるスポーツですから、後はこの両選手がどのように活躍するかと大会前から注目されていたようです。男子は190センチ以上の選手が何人もおりますので、大きいと言ってもそれほどとびぬけて目立つというほどでもないのですが、女子の場合はそれは大変目立ちますね。ジャンプしなくても伸ばした手はネットのずっと上ですから、対処が早いという事。対戦するチームはこの選手をどうマークして攻略できるかが課題であるといえます。 男子の試合は空中戦と言う感じですね。
2014年01月12日
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今回上京した目的はもちろん高校生のバレーボール全国大会、春高バレーと言われるもののその準決勝戦と決勝戦を観戦することでした。昨年は埼玉県所沢体育館で行われたこの大会ですが、今年は本来の東京体育館に戻っての開催となっていました。 私たちはホテルで朝食を頂いた後、車はホテルに置いたままにし、地下鉄で会場に向かいました。実は地下鉄に自分たちだけで乗ったのも初めてのこと。皆さんには笑われてしまうことかもしれませんが、この地下鉄乗車の旅も田舎者の二人にはどきどきもので、不安いっぱいというところでした。わからないものは聞けば済むことですし、昔からのことわざで“旅のかき捨て”も言われる諺もありますからね。それでも一応は自分たちの目で見て確認しながらの行動でしたが、やはりいざという時は“聞く”ということで事なきを得て過ごしました。 地下鉄の駅はそれが当たり前の事かもしれませんが、「いったいどこまで潜るの?」というほど、エレベーターや階段でどんどん地下の奥へ下るので、それにはいささか驚きを通り越して心配な気持ちにもなりましたね。 ホテルのある麻布十番駅から東京体育館や国立競技場のある線は「都営大江戸線」とかいうのを利用すれば便利で最短距離のようでした。線の色はEと書かれた細い紫線でしたね。それを覚えれば、あとは1番線か2番線の方向さえ間違えずに乗ればOKということです。ところが、それで3日間通って行きは同じところから入れば良かったのですが、問題は帰り。一日目は麻布十番で下りたまでは良かったのですが、乗るときにどこの出口から入ったのか覚えていず、適当に地上に顔を出しては見覚えのない風景にあれ?そのあたりを歩いて、案内板を見つけては右へ左へと自分の行きたい方向を探して歩き、やっと見つけて宿に戻ったという事でした。地下出口を見つけるのに一苦労。まるでもぐらたたきゲームの中の一コマとなっている感じになっていましたよ。 ホテルの窓からは私の大好きな東京タワーがビルの間から見えました。 この日記の日、土曜日に行われた準決勝戦については次の日記で記録しておきますね。
2014年01月11日
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10日、金曜日。午前中は私は施設の仕事。Aさんも郵便局の仕事でした。すぐに出かける準備をし、Aさんが帰宅して間もなく東京へ向けて家を出ました。時計を見ると14:45。エルグランドの走行距離メーターは155,822m。近くのインターチェンジから北陸道に乗り、一路東京に向けて車を走らせました。あの天下の険と言われる親不知までは15分で着きます。ここは海の上の高速道で冬場は通過するのも寒々しいところなのですが、今日の日本海は比較的穏やかな色をしていましたね。18:15埼玉県三芳SAで休憩と同時に夕食を摂りました。ここまでの所要時間は3時間30分。総距離メーターの数字は156,170mでしたので274kmをAさんは一度も休むことなく運転し続けたという事ですね。 今日の目的地は港区にある「東京さぬき倶楽部」。そこまでは残り50kmということで私たちは三芳SAで1時間ほどゆっくり休みました。首都高速芝公園で下り、そこから所要時間わずかで19:58に目的地に着きました。 当初、この日は学童の出勤日にもなっていましたので、それが終えてから家を出ることにしていましたので、時間的にも、また雪のシーズンでもあることから到着は夜中になるかもしれないとホテル側には告げていました。なので、通常の時間ほどに早く着いたことでカウンターの方は驚いていましたよ。 写真はこの冬の行程で最難関と言われる新潟県と長野県の県境付近の雪の様子です。 新井かな?ここではタイヤをチェックしていましたよ。 妙高高原・・・ここいら付近は3月にも雪があるようなところです。 もうすぐ長野県です。雪にはあとちょっとの辛抱です。
2014年01月10日
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現在の時刻は14日0時15分。さきほど3泊4日の東京旅行から無事に帰って来ました。行きはそうでもなかったのですが、帰り道の高速道は雪が降り、長野から新潟県に入ったあたりはすっかり雪国でした。地面も圧雪状態になっていて、一車線の部分も長くのろのろ運転が続きました。また、いつもがらがらの北陸道なのに、今日はずいぶんと車の数が多く、これはたぶんサッカー応援の車が多いのではないかともっぱらの車内の話題でしたよ。 国立競技場でのその高校サッカーの試合、しっかり観戦してきましたよ。ともかくすごい試合でした。第一高校の応援団のいる上のエリアで観戦していたのですが、私たちと同じく一般席で見に来ていたらしいまわりの人たちも何らかの富山県に縁のある人たちらしく、試合が始まり経過するとともに、すっかりサポーターに。選手や応援団とともにいたという事でしたね。詳しくは当日13日の日記に記そうかと思います。 さて、この日付である 9日木曜日は、午前中は施設勤務で午後からは学童に出勤しました。 今日は学童の 正式に出勤日ではなかったのですが、今月の一つの行事として「習字教室」として、お正月とあってテーマが“書初めに挑戦”となっていて、その指導に行ったということでした。その様子です。 女の子たちこちらは男の子たち 普段は落ち着きのない子どもたち。意外に真剣に取り組んでいるのには驚きでしたよ。 そして調子に乗って書いて仕上がったのはご覧の通り。 みんなそれぞれ、思い思いの言葉を書いています。ちなみに「こうま」は一年生の冬休みの宿題の課題で、「よい子」は2年生の課題。一・二年生は筆ではなく、クレヨンでの習字だそうです。筆使いはまだ習っていない子どもたちで、どうなることかと思っていたのですが、少しの指導でこんなに字らしい字が書けましたよ。
2014年01月09日
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あの生活支援施設の仕事は休んでいた方が戻って来られたことで、りえばぁは一応契約終了になっていました。こういう施設の仕事というのは、世の中が好調になるほど働いてくれる人がいなくなるということで、この施設でも再々職業安定所に足を運んでいるようですが、さっぱりな結果になっているとか。そこで、“飛んで火にいる夏の虫”的に、私に続けて働いて欲しいとの話があり、渋りながらも6日の仕事始めに様子を見に行きました。仕事の内容は本日10日、3日目にしてやっとつかめて来たのですが、なんとも最初の説明不足というか、無いというかそれははっきりせず、他の人に一々聞きながら1日を終えました。1日勤めただけではよくわからない部分もあり、かといってその後もこのままではお試し勤務となりると、それはただのボランティアという事で、時間を作って行っても無給で時間目いっぱい仕事を与えられることから、とりあえずそこでしばらく働いて見ることにしました。そこの施設の別のエリアの勤務ですが、そこはまた別の世界があり、慣れるのに少し時間がかかりそうです。 この日記の水曜日の夜には「ヨーガ教室」が始まりました。あの地区のヨーガ教室は今年で9年目を迎えるそうで、集まった仲間でそのことに驚き、今後もぼちぼち続けて行きましょうということを話していました。 今日は10日です。昨夜からの雪も朝からの好天気でアスファルトの道路にはほとんど残っていません。これから私とAさんは東京に向けて出発します。明日、あさってが東京体育館で春高バレーの準決勝戦と決勝戦を観戦。そして明日の高校サッカーでもし富山代表の第一高校が勝利するならば、月曜日に国立競技場に出向き、第一の応援をしてこようかと思っているところです。ブログも帰って来てからの更新になるかと思いますが、それまで待っててくださいね。それでは。
2014年01月08日
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こちら富山県の7日朝は大変寒くこの冬一番ではなかったかと思います。いつものように朝食にAさんに作ったうどん。それに入れるネギが無くなっていることで、畑に行ったのですが土が霜で硬くなっていて、採るのに大変苦労しました。少しだけ何とか採り、あとは11時を過ぎてからにしたのですけどね。バケツの水も凍ってパリッパリ。昔は冬になると凍るのが普通だったのですが、現在ではあまり見かけなくなりましたから、ちょっと驚いてしましましたね。霜が解けた頃、再度畑に行き、ネギの他、大根、ニンジン、ゴボウを採って来て、夜にはおでんときんぴらごぼうを作ってたべましたよ。ところで、その牛蒡を土から抜くとき、すでに牛蒡の良い匂いがしていたのですが、こういう経験って家で作らないと分からない物ですね。りえばぁ、これまで牛蒡はスーパーで買って来て食べていましたので、こんなことを初めて経験し、ちょっと嬉しい気分になっていました。 午後は夕方からスポーツ少年団の指導に。終わって帰ってから書道教室にと。どちらも今年最初の練習日でした。 写真は5日の日曜日に家族で富山市のラーメン店に行った時のものです。 私とkenが食べた“トマトラーメン” ちょっとピリ辛で、味は濃厚。とっても美味しかったです。 Aさんが食べた“味噌ラーメン” 長男が食べたのはつけ麺でしたが、写真がどこに行ったやら・・・・このラーメンやさんはもともとはバスで営業していたのだとか。店の前にはお店の看板のようにそのバスが置いてありました。 ラーメンやさんの入り口のドアは重しを用いた自動ドア(閉めるときだけの)でした。 我が家にも採用OKって感じですね。
2014年01月07日
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6日、月曜日。今日は我が家の住民の仕事始め。1年の始まりです。といってもAさんは暮からずっと休みなく働いていますので、それは別としてですけど・・・。ken、りえばぁ、そして帰国して滞在中の長男も今日は東京に仕事に向かいました。それぞれが元気で1年を過ごしていく事は誰もの願いですが、そのためには前後左右アンテナを高くし、努力を惜しまない事が大事な事だと、それが朝食時の話題になりました。「よっしゃ~!」という感じでりえばぁより先にAさんとkenが出て行った後、次はりえばぁ。 今日りえばぁの出かけたところは年末まで3か月の予定で勤めていたあの生活支援介護施設でした。施設の事情から「そのまま残って仕事を続けて欲しい」と強く言われた事から、「それなら一度様子を見てからにします!」と、今日はその“お試し日”といったところでした。今までの洗濯室の仕事は治療に当たっていた本来の人が帰って来ましたので、りえばぁは予定通りそこは終了といったところ。今度の仕事は別の寮に入っている女子のサポートという事でした。要するに介護の仕事言うことになるのですが、それはとうぜんそこに相手があるということですからね。人に厳しいりえばぁに果たして優しく対応できるかどうかというところです。また、勤務時間も考えなければなりません。家業である農業の事や学童、スポーツ少年団、そして趣味の書道などに影響を及ぼすことになるのは避けたいですし、第一自分自身の健康を害するようになる事だけは絶対にしたくないですからね。そのためには返事をする前に、今度の仕事内容を吟味することが大切だと思い、今日はその様子を見に行って来たという事でした。 12時半まで勤め、急いで帰って1時からの学童保育勤務に。9人のうち3人がお休みで、今日の利用者は男の子3人、女の子3人の計6人でした。 1日保育の時、子供たちはそれぞお弁当を持って来ています。午前中は宿題やそのお弁当を食べたりと時間も過ごせますが、午後からはその分がなく終了の5時半までは大変長く、その長い時間をどう過ごさせるかと、指導員もあれこれと考えるところです。部屋の中でしてはいけないとされている物を投げることや走る事も元気な子供たちには通じませんからね。寒い体育館ですが、やはり体育館で遊ぼうという事になり、私たちも寒さしのぎに子供たちと走ったり、ボール遊びをしたりしているという事です。 りえばぁはいつも子供たちの様子を見て、室内の過ごし方も体育館内での遊びもその場で考えて与えているところです。今日は子ども2人だけでビーチボールをしているのを見て、これをみんなでやることを考えました。バドミントンコートに支柱を立て、ネットを張ってと。それを見て、子どもの一人が器具庫から点数板を持って来て、スコアをつけ始めました。勝負となったら真剣になる子供たちです。最初は来たボールをただ打ち返すだけだったのですが、そのうちチーム内の誰かに助けてもらって向こうに返すということも出来るようになって、助け合うことも大切だと思うようになって来ていました。寒い体育館の中、ビーチボールは合わせ目から裂けるという事も多く、2時間ほどの間に3つも破けさせてしまいましたけどね。ゴムのソフトバレーボールでは痛いというし、今度はこのボールを何にするか考えなければならないと思っています。 夜は、新年の仕事始めが8時間半も働いたことで、夕食後は睡魔に襲われすぐにダウン。変な夢をいくつも見ながら夜も一度も起きることなく、目覚まし時計で起こされて目が覚めたのはいつもの時間でした。たぶん10時間も寝たのではないかと思っていますよ。 下の写真は先日行った金沢駅の食堂でのあれ? です。 目の前にあったメニュー表ですが、モルツ中瓶ー600円などマイナスの金額がありますよね。ジュースやコカコーラは普通ですが・・・、「これってアルコール類はお金をくれるの?」などと待っている間の話題になっていました。
2014年01月06日
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5日は日曜日、Aさんは今日も仕事です。今年に入って初めての休みはもう1週間あとになりそうです。そんなAさんを気の毒な!と思いながら、明日から仕事のken、そして私は長い休みの最後をゆっくり過ごしていました。正午12時から始まった高校全国選手権大会順々決勝戦は、我が県代表の富山第一高校と、昨年優勝した高校を破って宮崎県の代表となった日章学園の試合がありました。サッカー大好き人間のkenや長男と一緒に応援しながら見ていたのですが・・・、立ち上がり間もなく先制点を入れたのは富山第一高校。その後も優勢に試合が進み終わって見れば、まさか、まさかの4対0勝ち。それには驚きましたよ。 これで第一高校は全国4強入りを果たしたのですが、県勢としても13年ぶりのベスト4入りになったのだとか、準決勝戦は来週の土曜日に、決勝戦は一日おい13日月曜日に国立競技場で行われるようです。今日富山から応援に駆け付けたのはブラスバンド部員他関係各位、今朝早くバス7台で向かったようですが、来週は更に多くの人が応援に向かう事でしょうね。Aさんと私も東京に行きますが、行先は東京都体育館。春高バレーの準決勝戦および決勝戦を観戦して来ます。思って見ると、バレーボールは日曜日で終わりますので、月曜日にまだ都内にいる私たちですから、もし富山第一高校が決勝戦を戦う事になっていれば、国立競技場に応援に行く事は可能だなってさきほど思いましたよ。 さて、3日に行った金沢の写真、また少し残っていますので、以下にそれを載せておきたいと思います。 この写真は兼六園を出ての道路上から撮ったもので、金沢城を囲む石垣とお堀です。車が見えますが、その車の行く先の方には重要文化財になっている金沢城の石川門があります。 ここの信号を亘って向かって行くと、 この建物は昔の県庁なのですが、こちら側は灯りが点いてなんだか賑やかな感じがしますね。一階にも二階にも喫茶店やレストランが入っているようで、ここでは向かいのお堀を見ながらゆっくり食事をするという雰囲気になっているようでしたよ。また、向こう側の石垣は夜になると、ライトアップもされるようですから雰囲気がありますよね。 そしてこの建物の反対側はこんな顔をしています。 まったく別の顔ですね。 この建物、「元県庁」として保存されているようです。 “しいのき迎賓館”という名前で県内外からのお客さまをおもてなしする場所にもなっているようです。 すぐ隣にはこのような建物もありました。 石川四高記念文化交流会館と看板がありましたが、この建物も文化財になっているようでしたよ。昔は学校として使われていたようでした。 町のあちこちにこのようなモニュメントがあります。 こういうのって、楽しく心もほこほこしますね。
2014年01月05日
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金沢行きの続きです。 昨日3日は長男夫婦に誘われて、思わぬ小旅行になりました。我が家からは100キロほどの距離、高速では1時間ほどの場所にありますが、用事以外で行くというのはこれまでほとんどなく、その用事で行ったという事も含めて、聞かれて考えて見るとそれは十数年も前の事ではなかったかと思えるほどご無沙汰でした。 それほど金沢というところは、行こうと思えばいつでも行ける近い場所であるということです。 私と長男は高速バスを見送ったあと、まちバスに乗り、まずは二十一世紀美術館へ。 そこには書家の一人でアーティストでもある柿沼康二の作品約700点が展示されていましたので、まずはそれを主に見て回っていました。 作者は1970年生まれと言いますからまだ40代と若い書家。その若い彼自身が目指している書というのは 「吸って吐いて、自由な書」と言う事を念頭に「書はアートたるか、己はアーティストたるか」と命題を立て、新たな表現物として書を追及しているということでした。それだけに、元となる臨書から発展した斬新なアート的作品までこれが「書?」と凡人のりえばぁには理解不可解なものまで展示されていましたね。 この美術館の中にはこんな場所があります。プールを覗くと、水の底にうごめく人間たちが・・・・ そして、ここがその水底から上の眺め、下をのぞき込んでいる人が見えます。 美術館を出て、すぐ近くの兼六園へ。登り口にある神社で初詣して来ました。 神社の前の通りを可愛いまちバスが走って行きました。まちバスは金沢駅を発着する本来のJRのと、他にこんな雰囲気のある赤と青のバスも市内を走っているようです。 兼六園真弓坂口から中に入りました。お正月は入園料は無料とか。 兼六園のほぼ真ん中にある霞が池です。 こちらは兼六園発祥の場所という「瓢池(ひさご)」。 名の通り、池は瓢箪の形になっているようで、下の画像にある立札にもそう書いてありました。 下は「夕顔亭」という名前のある茶室。園内に現存するもっとも古い建物で、1774年安永3年に建てられたそうで、現在も使用されているようですが、今日はあいにくお休みということで残念ながら中に入ってお茶を頂くことはできませんでした。 冬の兼六園は何と言っても雪景色がおすすめ。総面積約11.4haの園内には160種類役8,200本の樹木があり、それらの木々には丁寧に雪囲いがされているのですが、これらは雪があっての風物詩。催し物も何にもない園内は観光客もちらほらで何とも寂しい感じがあり、半分ほど回って出て来たという事でした。 雪がないことで、こんなものを発見。気の根っこが浮き出ていますね。おお~!と驚いて写真を撮ったものの、これがりえばぁの手の表面に似ていて、少しギョエ~とした一枚でもありました。 この日記の日付である4日は、ず~と家の中。そろそろ始まる仕事への準備や添削指導を受ける書を書いたり、いろいろ様々なことで日を過ごしていました。
2014年01月04日
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今日は長男に誘われて、金沢駅発の高速バスで大阪へ帰る嫁さんを金沢まで送って行きました。ここで使用した車は長男が年末年始の自分用の足にディラーから借りたという電気自動車。燃料は電気というところからガソリンスタンドのお世話にならなくてもよいの事ですが、一回の充電でそれほどの距離が走れなく、今回も金沢までの100キロほどを途中で充電しなければ行くことが出来ないというところ、行きは1回、帰りも金沢市内と家に近い魚津市でと往復で合計3回の充電が必要でした。1回の充電時間は80%ほどまで完了させて30分間は必要ですし、この充電設備は限られたところにしかなく、ネットで検索してやっと着いたところはお正月休みで利用できないようになっていたり、また充電を待つ車もあったりでなかなか自分の計算通りには行かないというところでした。なので、普通高速で1時間で行けるところ、行きは3時間近く、帰りは4時間もかかり、そのあたりの整備がされないうちは電気自動車の普及はまだまだと言う感じを受けましたね。少なくてもちょっとの時間も惜しいと思っている私やAさんには、行きと帰りの時間だけで6~7時間もかかるようなこのような車は、とても付き合っていられないとはっきり言えるようでしたよ。 1時過ぎの大阪行きのバスを見送ったあとは、車はそのまま駅近くの駐車場に預けたまま、市内を周遊する“まちバス”に乗り、「二十一世紀美術館」と「兼六園」まで行って来ました。その様子です。 まずは充電器と充電中の車です。 高速道路から望む“とやまきときと空港”と白い山々です。 全日航機は今、飛行場を飛び立ったばかりで、空高くその姿が見えました。 金沢駅で高速バスを見送ったあと、りえばぁと長男は町を走るバスに乗りました。 金沢駅はずいぶん画期的に変化していましたよ。 この写真を撮っている場所には、こんな噴水時計がありました。 この2枚の写真は町バスにのって金沢駅に帰って来た時のものです。もう暗くなって来ていますね。この後、駐車場から車を出し、それに乗り長い時間かけて帰宅したと言うところでした。家に着いたのは夜の9時半ごろ。Aさんは晩酌を済ませ、コタツで居眠りし、外出していた息子kenも帰宅して部屋でパソコンに向かっていましたよ。 二十一世紀美術館や兼六園の写真は次の日記に載せますね。
2014年01月03日
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新しい年が明け、今日は2日目です。日ごろ忙しくしている皆様やご家族も、新年3日間ぐらいはのんびりと過ごされるのではないかと思います。 我が家は昨日元旦から仕事に出かける人がいて、りえばぁも朝から忙しくしていました。通常日の勤務始まりは8時半であるためゆっくり送り出す事ができるのですが、今日元旦は7時半に出発式があり、今日はその時間までに集合するようにとの事。たくさんの年賀はがきを配達するにはその時間に出発しなければ配り終えることができないということと、今日はどの家でも届くのを待っているでしょうしね。 Aさんが帰宅するのが早かったら、帰国して年末から家にいる長男夫婦も交えて家族みんなで初詣に行こうと決めていました。そのAさん、待てど暮らせどなかなか帰って来ず、 やっと帰宅したのは5時をすぎてあたりは暗くなった頃。「これから出かけるにはちょっとねぇ!」という事になり、結局出かけるのはやめてすぐに宴会ということになりました。 Aさんがお正月用にと用意しておいたお酒類、お土産の焼酎、長男夫婦が買って来たワインなどを開けワイワイ楽しんでいました。 さて、今日は2日。今、りえばぁは先ほどから始まったお正月恒例の箱根駅伝を見ながらこれを書いているところです。箱根駅伝はお正月番組の中で最も好きなもので毎年見て楽しんでいます。ただ、毎年のようにチームの誰かがアクシデントに見舞われるなどありますからね。それだけは見たくないといったところ、この箱根に向けて日々辛い練習を積み重ね今日に臨んだ学生さんたちですから、全員が本来の力を出せた形で走りで終えて欲しいものだと願っているところです。 11時から公民館で地区の新年会が行われるようです。Aさんが仕事のため新年会には参加はできないのですが、我が家を含む班が片付け当番にあたっているようで、終了するころに片付けに行って来なければならないと思っています。 他は今日は「書初めの日」ですから、筆を執らなければなりませんね。今月の競書の練習でも始めようかと思っていますよ。
2014年01月02日
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皆様明けましておめでとうございます。ブロ友のみなさんにはご家族おそろいで、 新しい年をお迎えのことと思います。今年が皆様にとって幸多い年になりますように祈念しております。 さきほど玄関先に貼った皆さまへの挨拶状です。 これが今年の我が家のしめ飾り代わりということにしています。 さて、我が家の今朝は、年賀はがきを配達するために7時半に集合というAさんに合わせ、少し早く起きてお雑煮つくりをしていました。Aさんはそれを大急ぎでお腹に収め、さきほど出勤して行きました。ゆっくりできるのは配達が終わり明日の準備を済ませて帰宅する午後も遅い時間になるのだろうと思っています。ちなみにAさんは午年生まれ。 今年も馬のごとく走り回る一年になることだろうと思っています。りえばぁの役目はAさん、息子ken、そして離れて暮らす長男夫婦の家族が健康で毎日がうまく走り回れるように気を配り、リエばぁ自身も“きときと”に過ごして行けるようにすることだと思っています。みなさんと一緒に、元気で毎日明るく過ごしていきましょう。今年もどうぞよろしくお願いします。
2014年01月01日
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今年最後の夕食を頂き、今は紅白を見ながらのんびり過ごしているところです。 今日大みそかは、午前中はブリ大根を煮たり、きんぴらごぼうを作ったり、それなりに忙しくしていました。午後からは隣町の魚市場まで買い物に行き、少しばかりのお正月用の食材を求めて来ました。日本海氷見の天然ブリはじめ、活きの良いたくさんの魚が並び、お店の方の威勢のいい掛け声が店内に響いていました。 10万円の値札が見えますでしょうか?これが氷見漁港の天然ぶりですよ。この重さは19.7kgと表示がしてありました。日ごろは養殖のぶりで満足しているりえばぁ家族ですが、なにしろお正月ですからね。この天然ぶりの兄弟の小さな切り身を1パック買ってきましたよ。 さて、今年平成25年もあと2時間ほどになりました。今年はどんな年だったかと考えて見ると、春は雪解けと共に農業から始まり、9月からは学童、そして3カ月間の予定で10月から施設の勤務と、後半に忙しさが舞い込んで来たという感じでした。あれこれと忙しい日々にはなりましたが、学童にしろ、施設の仕事にしろ、そのすべては私の人生にとっては最高に良い経験をさせてもらったと思っています。それは自分自身が健康であったことが一番ですが、それと同時に家族や周りの人たちの協力があったおかげだと思っています。りえばぁの座右の銘の一つに“出会いが点となり、線で結ばれ、縁(円)となって広がる”という言葉があるのですが、このブログを通して新しく友達になった方、そしてこの後半に訪れた新しい活動の場で知り合いになった方と、今年も新しく縁が生まれたことが何よりの幸せだったと思っています。来る来年(・・もうすぐですけどね。)は、何と言っても勢いを連想させる午年でもありますし、この幸せだった今年以上に良い年になるのではないかと思っていますよ。 ブロ友の皆様には今年一年、大変お世話になり、ありがとうございました。パソコンの向こう、日本のどこかで繋がっていることを感じています。来年もどうぞよろしくお願いします。どなたさまもどうぞ良い新年をお迎えください。
2013年12月31日
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さてさて、今はもう31日のお昼になろうとしていますよ。このブログも今年の帳尻合わせにきちんと本日(31日)分も更新しておきたいと思うところ、ふと手の空いた今、昨日の事を書いておこうかと思います。30日にやることは、何と言っても一番は“もちつき”。昔のもちつきは家族総出で行う年中行事として、どこの家からももちを搗く音がしていたものです。晴れた日などは外にかまどを置き、薪をくべ、大きな鍋にお湯を沸かせ、その上でもち米を蒸したあと、杵でぺったんぺったんと搗いていました。お隣さんは数年前までその音がありましたが、今は静か。我が家同様、暖かい家の台所でコンパクトな機械でのもちつきをしているのだろうと想像しながら、りえばぁも一人でついていました。お婆ちゃんがいたころは、上手に丸めて鏡餅を作ってくれていましたし、餅も大好きでよく食べていましたので、その分も含めて4~5升ほどのもち米が必要でした。搗くにも時間がかかり、30日の半日はたっぷりかかっていましたね。ですので、暮のこの30日のもちつきが終わると、安心感と解放感が半端ではなかったことも思い出されます。 今年のもちつきは、お鏡とヨモギ餅を買って来たため、昨年よりさらに減って2升だけにしました。ですので、もちつきも2回だけで済みましたので、一人で行っても楽勝って感じでしたよ。 おせちはいろいろ作ってもすぐに飽きて食べたくなくなるのがいつものこと。 1個は生協に頼んでいますので、家ではほんの少し何かを作るだけにしようと思っています。とりあえず、今日は黒豆だけ煮ておきましたけどね。 画像はこの数カ月の間に練習し清書をした書を表具屋さんに頼んで裏打ちしてもらったものです。 テーブルにちょっと並べて見ていました。 これら、額に入れると案外上手に見えるものですよ。 上の画像の左下「四条橋・・・」の書は与謝野晶子の句で12月の競書課題作品です。一枚目は送ってしまい、これは2番手ですが、他のは下の作品。写真を撮るのを忘れて送ってしまいましたので、これらも全て2番手ということ。見てもらえるものでもないのですが、まあ、記録として掲載しておこうかと思います。 この中で提出したのは下の3枚の一番手のものです。この中にはありませんが、他に「実用書」もありますので、今月参加したのは全部で5部門でしたね。 練習不足も大いにありますが、“参加することに意義がある”ことを理由にしたということでした。
2013年12月30日
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一昨日、年賀状の宛名書きを依頼されました。この方の分、いつもは郵便局の受付と同時頃(早くに)にお願いされていたのですが、今年は何か都合があったらしく、こんなに遅くになりました。すぐに取り掛かりたかったのですが、年末にもなるとこちらもなかなか忙しく、手を付けることが出来なく机の上に置きっぱなしになっていました。あれこれすることが多い中でしたが、これをこれ以上後に伸ばすことができないと思い、今日はまず最初にその仕事に取りかかっていたのですが、枚数は60枚と少なかったので午前中に仕上げらることができました。届けるその足で書道の先生はじめ、数か所の友人宅へ年末のご挨拶に行きましたが、今年は長男夫婦もさきほど家に着いて、さっそくkenを含めて3人で大掃除をしてくれていて、りえばぁが出かけている間にそれも完了していました。帰宅してからは明日のもちつきや黒豆を煮る準備をし、そして畑に行って、雪の中から牛蒡を掘ったりネギや大根なども抜いて、お正月用の野菜をそろえておきました。 おせち料理も一応頼んではありますが、そのほかに何かしら少しは手作りしたいと思っています。
2013年12月29日
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28日土曜日は、Aさんもkenも仕事に行きましたが、りえばぁは午後から今年最後の学童出勤日だけでした。本日の利用者は2年生の男の子1人だけでしたので、落ち着いて静かに過ごす事が出来ました。この日の気温はとても低く、体育館で遊ぶには寒すぎることから、普段部屋の中でしていけない投げる事とかなども部屋の中でさせていたのですが、パートナーが相手をしてくれている間にりえばぁは、部屋の入り口に貼る新年の挨拶をポスターの裏を使って筆で書いていました。 昨日の夕方、長男がシンガポールから帰国し、明日は嫁が帰って来ます。年末年始、久しぶりに家族5人そろって過ごすことになりそうで、とても嬉しく思ってるところです。
2013年12月28日
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27日、金曜日。この日は、りえばぁが3カ月間勤めて来た障害者生活支援施設の最後の勤務日でした。来た時より美しく・・・というのが、どこにおいても一応の私のポリシー。契約期間が少なくなった頃からは、ここでの最後の仕上げとばかりに、本来の作業の合間を縫って一層の整理整頓や掃除に心を配っていましたが、それも今日が最後となりました。この施設は建って30年と言いますので、どれだけ磨いても見た目がはっきりと違うというほどに綺麗になった訳でもありませんでしたが、「3か月前より綺麗になったよね!」と自己満足しながら後にしたという事でした。 この施設・・というよりもこういった介護施設は職員が不足しているようです。このところ社会も景気回復傾向にあり、人も他の方にとられて、安定所に何度足を向けてもこちらへの応募がなく、仕事にも支障を来していると言うことでした。そういった事で、りえばぁにこちらで12月末まで働いて欲しいと言われたその方をはじめ、他の職員さんも口をそろえて「このまま続けて欲しい!」言われるのですよね。ただ、現在の仕事ではなく、介護の方でということ。それは全く初めての事でもあるし、実際に人に対することであるだけに私には自信がないし、できるかどうかもわからないから、はっきり「はい、わかりました!とは言えません」とお答えしているところです。「それならお試しだけでも!」という事で、とりあえず施設の業務が通常に戻る1月6日に行って見る事にしています。勤務の始まりは今と同じで8時半。終業は12時とかと言われましたので、時間的には今より余裕がありますので、午後からの活動には差し支えが少なくなるのではと思っているところです。まあ、どうなるかわかりませんけどね。 午後は学童の勤務日。冬休みに入っての子供たちの服装は私服です。女の子はもちろんのこと、男の子もそれぞれ親の意向のある服装で、一人一人のそれを見るのもまた楽しく面白いものがありますね。子供たちはこの寒さにもみな元気で、どの子も少しもじっとせず動き回っています。室内遊びや体育館での運動遊びと、私たち指導員もその様子を見ながら、メニューを考えたり安全を確認しながら導いたりしているところです。時に約束事を守れなかったりして叱るときもありますが、でも、どの子もみんな可愛い子供たちなんですよね~。(メロメロ) 日ごろはテレビもビデオも見せていないところ。一日保育と長い時は、これで1時間ほどを時間を費やそうかと、ビデオをつけたりしています。 みんな姿勢を正して真剣に見ていますね。子どもたちの前には縄跳びの縄を伸ばし、“ここから先で見ないでね”と言う事にしていました。この縄1本で子どもたちはそれを守ることが出来るのですね。 大人しくビデオを見ていた子どもたちでしたが、終わると女の子たちは机に座って何やら書き物をして遊び、 男の子たちはご覧の通り・・・ ふざけながら仲良く遊んでいました。
2013年12月27日
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今年も残りが本当に少なくなって来ました。このブログも書き残したまま越年するのは気持ち的に良くありませんので、大みそかまでは済ませたいと思っています。さて、もう本日は29日にもなっていますので、多くの皆さんは家の掃除も終わられ、おせちづくりを始められたり、もちつきなどお正月準備も着々と進められているかと思います。 りえばぁは昨日まで外で何かと忙しく、 家の中の事はまったくできませんでした。昨日学童保育も今年最後を終了しましたので、今日からは集中してねじり鉢巻きで行おうかと思っています。けどその前に、一昨日依頼された賀状の宛名書きが一件あり、優先順位を考えるまでもなく、そちらの方が先。それを仕上げてからと思っています。と、いいながら、このブログを書いているのですけどね。 さて、この日記の26日は木曜日でした。午前中は施設の仕事。午後は学童へとこの日も計8時間の勤務でした。そして夜は、依頼されていた郵便局からの“新年メッセージ”書き。店先などに見かけるあの新年の挨拶の言葉ですね。模造紙1枚に大きく3枚、新年に郵便局へ来られるお客様にということで、これは郵便局のホールに掲げるということのようです。りえばぁ、いろいろ皆さんにこういった物も頼まれますが、たいして上手でないのに気軽に受けて、えい、やぁと書いては反省ばかりしています。それでも断らないのはどうかとも思うのですが、それを書くことは自分としては確実に練習になる事ですからね。昨年書いたものより、少しでもうまく書ければ、一年間書道教室に通った成果が出ている事でもあるでしょうし・・・・・。それに期待したり、確認をしながら筆を執っているところです。大きな紙を何枚も潰すのは嫌でもあり、なるべく一回で済むようにしたいというところ。今年も3枚で終わらせたのですが、やはり満足な出来とは言えず、乾いたところでさっさと丸めて翌日にはAさんに持って行ってもらったということでした。こんな感じかな! 来年、もしまた頼まれれば、これよりずっと上手に書けるように一年間書道をしっかり勉強したいと思っています。
2013年12月26日
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昨日、2学期の終業式を終えた子供たち、今日から冬休みに入ります。学童も日頃の放課後保育から一日保育に代わるという事で、私たち指導員も午前・午後と分けて二人ずつ勤務に当たるという事になります。土曜日や学校行事のために一日保育になる事は普段でもあるのですが、その時の利用児童者数は1~2名程度であるため、時間が長くても身体的にはそれほど負担にもならないのですけど・・・・。さあ、この冬休みとか家族にとっては普通の日の保育は、当然のように子供たちは来られますからね。ただでさえ、元気が有り余っている多動な子供たちですから、その相手をする私たち指導員はもう大変!というしかないという具合です。昨年の今頃はまだ保育園児だったという一年生の子供たちは9名中7名と多く、小学校に入って9か月経った今でも心はまだまだ成長していないところ。一年経った2年生のそれとは随分な違いがあります。校舎の中は1年生から6年生まで様々な子供がいっぱいです。そんな中で、楽しい事、嫌な事様々な事をたくさん経験して心も体の成長に合わせて自然に育って行くものだと、1年生と2年生のあまりにも大きな違いにそう思います。 今はやんちゃが先行し、ジャンケンやゲームに負けては泣いたり、すねてみたりと大騒ぎな1年生たちですが、もう数か月経つと下級生もできますからね。そのあたりで大きな心の変化がみられるだろうと、それを楽しみにしているところです。 今日がその長い保育の始まりです。午前か午後には必ず勤務というところ。りえばぁは施設の仕事があるため、午後が勤務時間に設定されています。施設の勤務終了時間は12時半、それから大急ぎで家に帰って、学童の始まる1時に遅刻しないようにするためには在宅時間は10分もないというところです。着替えもしたいし、できれば洗髪したところ。ゆっくりご飯を食べる暇もなく、牛乳などぐいと飲んで出かける・・そんな日が数日あるように思っています。
2013年12月25日
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24日、火曜日は午前中に町へ出かけました。宛名書き筆耕依頼の仕上がった賀状を依頼主の医院に届け、次に書道教室に向かいました。本来は夜に書道教室があったのですが、先週の練習日に「来週はお休みらしいです。」と他の生徒さんに言われたことで、家で仕上げた清書を持って行き、その中から提出作品を選んでもらって来ました。同時に1月号の本誌を受け取って来ましたが、そこには10月に受けた「手紙文」の合格者発表が掲載されていて、その中にりえばぁの名前もありました。これは合格者99人中29番目の成績だったようで、案外上位に評価されたのだなと思っていました。 次から「初段」ということになります。 書道教室を辞してから、表具屋さんに寄り作品6枚を裏打ち依頼、次に文房具屋さんに。今回も町をぐるりと一回りした形で用事を終えましたよ。 りえばぁ、出かけるときはこんな風にあれこれと用事を済ませることをいつも考えています。また、道順も同じところを通らないようにするなど、ともかく短い時間ですべての用事がさあ~と済むようにし、早く帰宅するようにしているところです。 夕方からはスポ少へ。今日はAさんが仕事のため出発まで帰宅せず、先に行っていてくれと言われて一人で出かけました。後から来るだろうと思って、とりあえず6年生に手伝ってもらって進めていったのですが、最後までAさんは現れずじまいでした。 いつもスポ少は二人で一人前の気持ちでお互い適当に手を抜きながら行っているものですから、それほど疲れることはないのですが、今日は何だか疲れたなぁというのが帰宅してからの感覚でした。今年最後のスポ少の練習会でしたが、こんな感じで今年が終わりましたね。
2013年12月24日
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午前中は施設勤務でしたが、今日は祝日のため介護職員でシフト勤務している以外の職員さんはお休みのため駐車場もがらがらでした。 8時半始業のりえばぁは皆さんより遅く勤務に就くため、いつも施設の玄関からはずっと遠い場所、しかもそちらは草むらのため、お天気が悪いと水たまりも出来ているというところです。車から降りたところで靴が濡れたり、タイヤが泥で汚れるのが嫌で、りえばぁはちょっと考えて、もう少し向こうまで行って止めています。そこは草むら駐車場の向こうはずれで傍らはアスファルト舗装になっていますので、バックで入ると車は草っぱらでも自分の足元はアスファルトといった具合になります。また皆さんと離れて駐車しないと、りえばぁの車は大きいのでそちらに止められている方の邪魔にもなるでしょうし・・・。それにそこに駐車している中には、あの緑の“初心者マーク”を前に2枚、横に1枚ずつ、後ろに3枚の計7枚貼っている超初心者と思われる車もありますからね。ずっとはずれに止めてそれらの車から離しておきたいという気持ちもあり、お天気が悪い時は特にそうしているところです。 職員さんがいる部屋に出勤簿が置かれています。出勤して帰るまでの間に自分の名前の欄にハンコを押すと出勤したという事になっているのですが、今日はその部屋に前からここに勤めている親戚の職員さんもいて、他の職員さんも交えていろいろ雑談していました。 その人とは親戚の付き合い中での話だったのですが、別の職員さんとは共通するスポ少や世間一般の事など。そうして改めて「ここでの勤務もあと3日になりました。」というと、ずっと向うに座っていたそちらの上司も聞きつけて、「この後も続けて勤めることはできませんか?」と。その時そちらにいた方はみなさんは私の勤めるところのエリアの人たちではなく、直接りえばぁの仕事の様子を見ることはできなかったはずなのですが、何でもりえばぁが早くて綺麗な仕事をするとそちらでも評判になっているようなのですよ。そういう事を言われたので、りえばぁは「それをお聞きしただけで、私の今後の人生の励みになります。どうもありがとうございます」と、お返事をしておいたのですけど、それは嬉しい気持ちと同時にちょっと不思議な気持ちにもなりました。りえばぁは別に施設のこの仕事を頑張ってやっているわけでもないのです。ごく普通にやるべきことをやって、時間が余るので、あれこれそのあたりを片付けたり、掃除をしたり、そんなに大したことはしていないのですけどね。ごく普通に仕事をして、それを過大と思えるほど「良く出来る」と評価してもらえるとは、何とも不思議な事だと思っていましたよ。
2013年12月23日
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富山県の22日の日曜日は1日中雨でした。Aさんは午前中、年賀状の仕分けを少しでも進めるために郵便局へ出かけましたが、いつも好んで見ている午後の“そこまで言って委員会”?に合わせて帰って来ました。りえばぁはというと、昨日預かって来た年賀状の宛名筆耕の仕事の続きをしていましたが、それも午前中に終了しました。その後、書道の清書(12月号の競書)にとりかかったり、お歳暮を頂いたところへの礼状を書いたり、そして時々手を止めてぽか~とテレビを見たり・・そんなことで1日が過ぎましたが、まあ、するべきことが出来て良かったと思っています。
2013年12月22日
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学童保育の開設日は土曜日も行っている事があるのですが今日はお休み。そして他に行事や仕事もなく、雨も降っていたことから家の中で溜まっているあれこれを片付けていました。 その中でも一番最初に手がけたのは明けて1月5日から始まる春高バレー観戦するための宿の予約でした。チケットは2~3日前にネットで購入していましたので、後はいつのを観戦するかというAさんの仕事の都合待ちでした。 今度の会場は東京体育館のようですが、以前3月に行われていた時の会場は代々木第1体育館に決まっていました。卒業式を終えた春休み中とあって、その春高観戦には毎年スポ少の6年生の子供たちを連れて行っていましたが、解団した今は連れて行く子供はなくAさんと二人だけです。開催日がお正月に変更になってからは、開催場所が必ずしも東京体育館という訳にもいかないようで、昨年は所沢体育館で、その数年前は今フィギュアスケート大会が行われているさいたまスーパーアリーナの時もありましたね。 ともかくも、毎年の初めに人生で一番元気な高校生たちのこの大会を観戦することは、私とAさんにとってはその1年を元気に過ごして行けるかどうかの大事なイベントですからね。大会は5~7日、学校の関係で少し間をおき、週末の11日に準決勝戦、12日に決勝戦が行われることになっています。この大会にはりえばぁの出身校も秋田県代表で出場します。私たちが行く事にした11日、12日まで残っていてくれたら・・・十分な力を持っているようですから全くの夢では無いように思いますよ。 ---------------- 毎年頼まれている年賀状の中で一番時間のかかるのがあの女医さんの分です。そのため、自分の分や他の方のをさっさと済ませていつでも出来るようにしていたのですが、ご家族のお話によると、何でもその元女医さんは骨折で療養されているのだとか。年齢も90歳ほどと高齢になっていることから、今年は自分からは年賀状は出さずに、届いた方の分を後から寒中見舞いという形にしてお返事しようかと思っていると言われました。ですので 、今回はそのほかの医院の分とそのお宅の分の合わせて180枚ほどとなりました。取りに行って、さっそく書き始めたのですが、この分については明日には終わるだろうと思っています。
2013年12月21日
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金曜日。午前中は施設の仕事でした。こちら施設の奥の方には右の棟には男性が、左の棟には女性の方が居住されています。そして、玄関に近いところには障害の程度の軽い人たちの男女それぞれの住まいがあり、各棟担当の職員の方にお世話されながら日々を過ごしておられます。そういう障害の軽い方は施設内の掃除をしたり、簡単な内職などをしたりもしているようです。また、施設の敷地内には別にグループホームもあり、そこに住む人たちは少しの手助けで社会の中で働けることから、毎日決められた時間に施設の車に送迎してもらいながら他のところに働きに行っているようです。施設内には畑もあり、そちらの仕事をする人もいて、生産物は朝市などに持って行って販売するなど、外貨も稼いでいるようです。こちらの施設は障害者の生活支援施設となっていることから、そういう風に何らかの仕事ができる人を積極的に支援しているのですね。 しかし、私の仕事の対象者となっている奥の重度棟に入居している人たちは、言葉も発することも人のいう事も理解できないというところからコミュニケーションがとれる状態でないことから、そのほとんどは長い一日を廊下に寝そべって見たり、おろおろ歩き回ったりと何もせずに過ごしています。昭和一けたのお爺ちゃんからまだ20代の若者まで21人。生まれたときから障害があったのか、その後の事故からなのか・・・・・この子がまともだったらさぞかし女の子が寄って来るだろうなと思えるほどの綺麗な顔をした青年もいますが、その子にしても残念ながら、他では暮らせないというところ。見た目は完全なる大人ですし、発する声も怖いほど大きいので、慣れるまで緊張しますが、80代のお爺ちゃんも、その他の若者も、精神的にはみんな4~5歳というところのようです。ここがこの人たちの終の棲家になるのか、あるいは他の施設に移るのかわかりませんが、いずれにしても治る障害でもないだけに、このままずっと人のお世話になりながら一生を過ごしていくのだろうなとしみじみと思いながら接しているところです。 --------------午後は1時から指導員会議がありましたので、12時半を終えて帰宅し、バナナ1本を昼食代わりに口に放り込み、すぐに向かいました。会議では、これまでのことでの問題点、子ども一人一人のあれこれ、指導する上での共通認識、今月の反省から来月の予定までたくさん話し合いました。行事予定では、来月はお正月のため書初めを兼ねて、第1週の木曜日に「習字教室」をすることになりました。 墨という汚れる道具が必要不可欠のため、室内を汚さないための工夫など皆さんで考えてくれていましたよ。さて、どうなるやら?というところですが、今は心配より楽しみというところですね。 あっ、そうそう、先日作った「クリスマス会」の写真アルバムと、あの箸袋、みなさんにもらってもらいましたよ。皆さん、驚きと嬉しさの様子を見せてくれました。
2013年12月20日
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木曜日。午前中は施設の仕事。午後からは歯医者に行き、その後は学童室を覗いて来ました。今日は第3木曜日ですので、「クッキング」の行事を組んでいます。その様子を写真に収めることと、故障していたパソコンが届くという事でそれを確かめるためでした。着いたらちょうど、作り終えた“パンケーキ”を食べている最中で、子供たちからは「先生、もう少し早く来ればよかったのに!」と言いながら、自分の分をちぎって私に差し出す子もいました。子供たちは「クッキング」という行事が大好きで、この日に休みの子はいません。当たり前ですね。 どの子も可愛いですね。 -----------------夜は7時から行われたお通夜に行って来ました。この方はりえばぁがかつて勤めていた会社の労働組合の支部長を長くやっていた方です。その時はりえばぁはその労働組合の書記をしていましたので、この方には大変お世話になっていたという事でした。 人にやさしく、会社を定年になって歳を重ねても「自分にできることはないか!」と町の施設の送迎を担当したりと人望篤い人です。 大きな通夜式場に雨にも関わらず大勢の弔問客が来られていました。10月の初めに行われた会社の“退職者の集い”にも幹事の一人として出席されていましたし、そんな方が2か月後にはこの世からいなくなるとは・・新聞のお悔やみ欄でその名を見て、本当に?と友人に確かめたほどでした。お歳が84歳と、その年齢には不足はないのかもしれませんけどね。その方の逝去を思うと、それは私たち自身に置き換えても納得できるところです。一日一日を精一杯動きながら過ごし、いつその日が来ても残った者は決してじたばたすることなく、その後の人生も淡々と生きて行けるようにしなければならない。そのための身の回りの整理や心の準備はしておかなければならないねと、今朝のAさんとの会話になりましたね。
2013年12月19日
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遅れている日記の更新を急ぎますね。この日記、水曜日の午前中は施設の仕事でした。ここでの仕事も勤務日数がいよいよ残り7日間程となりました。奇妙で特殊で怖いとも思えたここでの仕事・・・3か月近くになるとそんなりえばぁでも慣れてどうにも思わなくなって来ました。物事に取り掛かるときの私の習性から、与えられた仕事はどうしたら早く綺麗に終えることができるかをすぐに考えてしまいます。ですので、何回か試行錯誤でそれを行っていく事で、数日後にはたいてい要領を得ることができ、この仕事についても今では時間があまるほどになって来ました。ただでさえじっとしているのが嫌いな私ですので、余った時間で職員には暇がなく滞っているあれこれなどお手伝い的に行ったり、利用者が居場所とする廊下や隅の掃除をしたり・・・そんなことをして終了の時間を待っているという今日になっています。決して、人のためにあれこれとしていたわけでもなく、自分の気持ちと時間を費やすために行っていたそういうプラスアルファの部分に職員の方々は喜んでくれているらしく、「いよいよあと数日になりました!」というと、「ほんとに辞めてしまうの?ずっと残って欲しいと他の職員も言っているよ!」と、そんな嬉しい評価をしてくださっているようです。それを聞いて、りえばぁの心はほこほこしていましたよ。---------午後からは学童の勤務日に当たっていたため学校へ出勤しました。今日はこの学童の評判を聞いて、自分も入りたいと親に切望したという1年生の女の子が一人新しく加わりました。どういう子かな?と少し構えていたのですが、初日にもかかわらず、他の子と一緒に元気で「ただいま!」と帰って来て、その後もごく普通に生活を共にしていました。考えて見るまでもなく、慣れているというのは当たり前ですよね。学校では他の子と一緒に過ごしているのですから~~。慣れていないのは私たち指導員だけということでしたよ。子供自身は自分からこちらに来たいと言っていただけあり、他の子の様子を見て私たちにどう接すればよいかなどすぐに察知できているようです。 物おじしないで、はきはき考えを言う子で、運動能力も高く、人の気持ちも考える事が出来る・・・新しく入った子にそういう印象を持ちました。学童の子どもたちを観察していると、これまで育ってきた家庭環境、特に親が日ごろその子供にどう接しているか、小さい学年の子にはそれが鏡になって映し出されているように感じます。自分はどうだったかというとになると、それは明らかに反省大というところ、人様に対してあれこれと偉いことなど言えないのですけどね。 夜は7時からヨーガ教室の忘年会でした。息子kenに送迎してもらったので、ヨーガの仲間と美味しいビールを頂きましたよ。午前の部、午後の部、夜の部とどれも大事であり、そういうところからも今日の日はずいぶん長かったと感じながら床に就きましたよ。
2013年12月18日
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火曜日の今日は午前中はフリーでしたので、まずはかかりつけの医院に行き、常用している薬をもらって来ました。薬は1か月分として最高28日分しか処方できないようで、その月によっては2回受診しなければならないこともあります。今月は年末から年始にかけるということで医院も休みが多い事からか、「30 日分出しておきますね!」と言われ、その分もらって来ました。 午後からはいつもと同じく、スポ少の指導と書道教室でした。 スポ少の指導にはKチームの6年生も私たちに協力して指導に当たってくれるようになっています。現役としての試合が11月末で終わったことで、これから卒業までは下級生の相手をしてバレーボール活動を続けるという事になっているようです。中学校でもバレーボールをするためには、この4カ月間をどう過ごすかが大きな問題ですからね。 こちら“ちびっこチーム”の練習時間は夕方5時半から7時のため、まずはこちらの子供たちを相手にし、それが終わってからKチームの相手をして午後7時45分にみんなと一緒に終わるという事になっているようです。写真はその様子です。 向こうのコートには中学3年と高校3年の卒業生が来て、先に相手をしてくれているようです。小学校からずっと続けてきたバレーボールですので、子どもたちは現役を退いてもやはりバレーボールから足を洗うなどできずにいるのでしょうね。良い事だと思いますね。
2013年12月17日
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昨日15日から始まった年賀状受け付け、今朝郵便局に出勤するAさんに持って行ってもらいました。まずは年末の作業が一つ完了というところです。 月曜日の今日は午前中は施設のお仕事。帰宅してすぐに先日のクリスマス会の写真を、学童室に貼られるように大きく作って届けて来ました。帰宅してからはそれを半分の大きさに縮小印刷して、指導員の皆さんに渡せるように作り直していました。それがこれですが、これは先日のブログでも見ていただいたかと思います。 子どもを迎えに来られた家族がこれを見て喜んでいるのを見て、指導員の一人が「この写真、子どもたちの家に渡せば喜ぶでしょうね!」と言われていました。もっとも、これを学童室で見ていただく方は家族の中でも迎えに来られた方だけですので、全家族の方に見てもらうためには出来れば一人ひとりに渡したいと、私も作った時から思っていた事でした。ですが、スポ少と違って、ここは組織がいろいろ絡まっていて、良い事だと思っていても自分だけの思いで出来る事でもないと思っていましたので、指導員の中でもそういう気持ちがある方がいて嬉しかったですね。そこでやはり、当初思ったようにこのような写真はご家族で見てもらいたいものと思い、印刷して近いうちに渡そうと思っています。このような楽しそうな顔で他の子や指導員たちと学童室で過ごしている自分の子を見ると、家族も嬉しいと思いますしね。子どもを育てるということは、関わる大勢の間の信頼や協力があってこそのこと、私のこういった小さな事がその一助になれることを願っています。
2013年12月16日
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今、テレビで「冬のカナリアたち」を見て、しみじみしています。先ほどまでNHKを見ていたのですが、「八重の桜」もついに終わっちゃいましたね。都合で見逃したこともあるのですが、これまでの大河ドラマにしては結構回数見ていた気がしますよ。 今年もあと半月。どこも今年の総決算に入って来ているようですね。唐招提寺ではすす払いを始めたとニュースで言っていましたし、郵便局では年賀状の受付が始まりました。りえばぁも 今日は頼まれていた100枚ほどの宛名書きをし、終わるなり収めて来ました。私のはこれから再度、見直しをして、明日郵便局に出勤するAさんに託そうと思っています。 考えて見ると、その他いろいろ今年中にすることがあります。心残りなくすっきりと来年を迎えるため、ねじり鉢巻きを締め直すことにしようと思います。
2013年12月15日
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遅れている日記を更新中といったこの数日です。この日記で先に更新した15日の日記に何とか繋がるかというところです。 さて、この日記の14日朝、BSが写りませんでした。エラーメッセージは「BSのアンテナが外れているか、配線が切れている可能性があります」と。7時30分にいつもの「ごちそうさん」を見ようとしていたのですが、それはあきらめて8時からの地上波で見ていました。 そのトラブルというのは、アンテナに雪が災いしたようで、お天気が回復したお昼ごろには普通に見ることができるようになりました。雪国ではこんなことも日常的に起きているという事ですね。 この日は格別しなければならない物もなく、書道の練習をしたり、本を見たり、これから訪れる年末年始の事を考えたりしていました。その中でふと思いついてやり始めたのは、お正月に使おうかと思うこれ!以前買って眠っていた模様のあるA4サイズの紙、これを折って箸袋を作り、その上に筆でこのように書きました。 赤字の「寿」の横には「うまのとし」と書いてあります。これを私は学童の指導員の皆さんに好きな色のを家族の数を取ってもらい、この寿の下のところにそれぞれ一人ひとりのお名前を書かせてもらおうかと思っています。私から皆さんへのささやかな“お歳暮”と言う事ですね。
2013年12月14日
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大変寒い一日となりました。夕方からは風も強まり、その風が雪を運んできました。夜中に降った雪は14日の朝には数センチの積雪になっていました。 この日記、13日の金曜日は午前の施設の仕事以外は午後も夜も予定なし。ほっとした気持ちからふと気が付いたのは、自身の頭(髪の毛)でした。先日、Aさんから「お前もずいぶん白くなったな!」と上から声をかけられました。そういえば美容院にはいつから行っていない?・・・“貧乏暇なし!”とは私の事、汚い老人から少しでも脱皮しなければならないと思い、仕事が終わるや否やそのまま美容院に直行しました。
2013年12月13日
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いよいよ今日は子供たちにとっても、私たちにとっても楽しい行事「クリスマス会」です。子供たちの下校が15時10分という事で、当番以外の指導員は15時30分に集合。10月に指導中に怪我をして今も療養中の指導員も参加してくれましたので、子ども8人、指導員7人のオールキャストが顔をそろえ、そこに校長先生にも来ていただいたので、大変な盛り上がりようでした。ここでのりえばぁの仕事は、ゲームと写真とテープ係。この係りは他の指導員は苦手のようで、誰も何も言わなくても私がしてくれるだろうということになっているように思います。今日(18日)は、施設の仕事から帰って午後に、A3の大きさ2枚に張り付け、印刷後にさっそく学童室に届けて来ました。今日の係がさっそく部屋に貼っていましたが、今日迎えに来られたお母さんたちがそれを見て大喜びされていましたので、りえばぁも嬉しい気持ちになりましたよ。 下の写真はそれを50%に縮小してA3にし、ラミネートをかけたものです。 「私も欲しいな!」と言っている指導員がいて、そうか!と思って作り直したのですが、私はこれを“お歳暮”として皆さんにプレゼントしようかと思っています。 真ん中の「輪」はこの間、清水寺の住職さんが大きな筆で書いていた今年の漢字ですね。オリンピックが決まったことからこの字が選ばれたとかだそうですが、なんにしてもこの「輪」って言葉は良いですね。私もさっそくここに使って見たということでした。
2013年12月12日
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昨日と今日の2日間にかけて、小学校では個別懇談会が開かれるという事でした。そのため、子供たちの下校が13時10分と大変早く、私たちもその時間に合わせて、12時半の出勤になりました。ですが、りえばぁには施設の仕事がありますので、言われたその時間には到底間に合わず、本日のパートナーにお願いして30分遅く出勤しました。 毎週水曜日は、他の施設でレクリエーション協会による「あそびの城」という行事が行われていて、そこに参加している子供が学童にもいることから全員が利用する日ではありません。今日も2人がそちらに行き、一人が風邪で学校を休んだという事で、「ただいま!」とかえって来たのは5人だけでした。いつものようにすぐに宿題をさせ、それからしばらくは読書や部屋の中で静かに過ごすことにし、午後3時頃になっておやつという事にしました。それからみんなで体育館に行き、運動遊び。走る事の好きな子供たちですので、まず最初にボールとかけっこをさせました。私が転がして投げるボールを用意ドンで走り、向こうの投げに着く前にボールに追いついて止めるというもの。広い体育館を斜めに使いましたので、子供たちは目いっぱい走っていたということでした。子どもたちはどんなに面白くても、同じことを長くすることはできませんので、それのバリエーションを少し変えて高く上げたボールをワンバウンドでキャッチすることとかて・・・そんなことをしていました。それからはドッジボールやハンドボールなどをし、5時近くなって体育館を切り上げ部屋へ。ひょんなことから全員が書道をすることになり、それを書いているうちにぼちぼちと家族が迎えに来て、長い学童保育がやっと終わったという感じでしたね。書道をしているところを見たお母さん方、自分の子どもが筆を持って何やら書いているのを見て「書道も教えて下さっているんだ!」と大変驚いていました。「今日は成り行きでこんな感じになったのだけどね」というと、「ずっと続けて教えて欲しい」などと言っていました。少しもじっとしていない多動な子供たちですが、書道の時はどこの子も結構落ち着いて静かに書いていましたので、書道もお茶と並んで精神修養に良いことかもしれないと感じましたね。 写真は先週の木曜日に作り始めて、今日までに仕上がったリースです。 子どもたちそれぞれの個性が表れているリースだと思いましたよ。
2013年12月11日
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Kチームが先週の土曜日に小布施に遠征してきたようです。小布施は誰もが知っているリンゴの産地。まあ、リンゴばかりでなく他の果物もたくさん栽培しているところなのですけど、Kチームの監督さんはこちらの小さなちびっこチームにリンゴをお土産に求めて来てくれました。私たちにも一袋いただきましたが、リンゴの好きな我が一家に今、この長野と青森と秋田の富士リンゴが揃っていて、毎日美味しくいただいているところです。 こちら富山にもリンゴの産地があります。我が町からごく近い魚津や滑川などなのですが、国道沿いにもリンゴ畑がありますので、こちらに来られてそこを通ると目に入りますし、いい香りもしますので、印象深く思われるのだはないかと思いますよ。先日、学童に3県のリンゴを持っていき、子供たちに食べ比べをさせました。まあ、子供たちですから、その答えはいい加減なのですが、ただ食べさせるだけでは面白くもないですからね。ちょっと趣向を凝らして見たというだけの事でしたけどね。 食べながら、なにやら書いていますよ。 評価は適当ですねぇ! 期待は全くしていなかったのですけど・・・、まあ、これも一つのゲームみたいなものです。 -----------10日火曜日のこの日は、スポーツ少年団に行く前に午後1時半から「シルバー人材センター広報委員会」がありました。先月初めから委員が集まってお正月号の広報誌を検討していました。前回まで原稿集め、校正、割り付けしたあと、印刷屋さんに出していました。今回はその最終日。印刷屋さんから上がって来たものを細部まで再度読み合わせ、校正を行っていました。今回の編集後記は私の役目でした。先に提出した拙い原稿が、最終ページに載っているのをみると、ちょっと気恥ずかしい気持ちになりましたね。
2013年12月10日
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本日は12月13日。日本でも今季一番の寒さになり、日本海側でも雪になったところもあるようです。ところで、あの太陽の国と印象のあるあのエジプトにも今日は雪がちらついたそうですね。初めての雪にエジプトの人たちは大人は仕事を中断し、子どもは学校や保育所を休み、この記念すべき雪の感触を大いに楽しんだという事ですよ。雪などテレビで見るくらいで、もちろん見たことも触ったこともない人たちですからね。その様子はインターネットで配信されていたそうですが、年中暑い国に雪が降るなど、なんだか心がざわつくのは私だけでしょうかね。 ----------- この日記の9日、午前中(12時半まで)は施設での仕事。そして、夕方6時半からは中華料理屋さんで学童指導員全員そろっての忘年会がありました。この中華料理屋さん、我が家からは3Km程離れているとはいえ、私の住む地区にあります。近いという感覚から行きはkenに送ってもらい、帰りは同じ指導員のお隣のお父さんの迎えの車に乗せてもらいました。なので、今日はアルコールもOKということで、生ビールも美味しくいただきました。皆さんと飲んで食べて、おしゃべりして、あっという間の2時間でした。おしゃべりの話題の大半はやはり、学童のあれこれだったのですけどね。日ごろは2人体制での勤務ですので、全員が集まるのは1か月内でもそれほど回数がありませんから、忘年会と言えどこういう機会は必要と思いましたよ。 -----------Aさんが今年初めて牛蒡を栽培してくれました。畑の隅っこにお試しという具合だったのですが、掘ってみたらご覧の通り。 何でも「サラダ牛蒡」とかというネーミングだそうで、灰汁が少ないのかも知れません。牛蒡の良いにおいがしていますよ。先っぽのぶさぶさの根っこも出しに使おうと思っています。
2013年12月09日
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今日はもう13日も夜に差し掛かっています。今日は日本全国で軒並み今季最低の温度になっているようで、「日本海側では雪が降っています」と、夕方のニュースで言っていました。日本海側?こちらもそうだけど、そこはどこ?と次の画面ではしんしんと降り続く我が郷里秋田の街並みを映していました。何でも30センチ近く積もっているところもあるようですね。こちら富山は今日は一日中雨でしたが、先ほどから少しだった風が強くなって来ています。ストーブをつける前の私の部屋の温度も10度しかなく、おそらく明日にかけて今晩はこれから雪になるのではないかと想像しているところです。 ---- ところでこの日記の8日の日曜日は、 来週の木曜日に学童で「クリスマス会」を予定しており、そこでりえばぁが担当するゲームなどの案を練って過ごしていました。子供たちの下校はいつもと変わらず3時半ごろになる模様で、行事をするにも時間が少なく、ゲームもどれだけできるかわかりませんでしたが、ともかく準備だけはしておこうかと思い、いろいろ考えていました。座ってその場でできるもの、体育館のような広い場所が必要なもの、考えるもの、体を動かすもの、踊って楽しむもの、歌って踊れるもの・・・・と、小学生1~2年生が楽しく出来るものを、それを考えるのは結構難しいものがあります。これまで体操教室として頼まれて出向いていた婦人会や老人会などでは、与えられた時間は自分の考えで組み立てて行う事が出来ます。ですので、このようにしようとプログラムを作るとほぼその通りにできるのですが、こういった成り行きに合わせて行って行こうというのは絶対にその通りにできません。今回もクリスマス会の始まりから親が迎えに来る時間はとても短く、たぶん当日は、2~3個ほどしかできないだろうと想像しています。それだからと言ってその2~3個だけしか準備していないとなると、それをすることがベストなのかどうかは大変心配なところがあります。相手が小学生の低学年だと特に、その場を見てどれにするかと迷うような事態は当然あるだろうと考え、その数倍をリストにあげ、一応のプログラムを組んでいました。ゲームによっては準備品が必要の物もあり、それなども用意していたのですが、気が付いたらもう夕方になってしまっていたという感じでしたよ。
2013年12月08日
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Aさんは今日に限って帰宅が遅く、帰って来たのは午後4時頃でした。朝出がけに、帰宅したらすぐに富山に映画を観に行くから・・と、りえばぁはそのつもりで日中すごしていたのですけどね。映画には無理して今日でなくてもよかったのですが、思った時が吉日とでも言いましょうか、今日より明日が良いという事もなく、ともかく、Aさんが帰宅してすぐに富山市に出かけました。今日観た映画は本日封切の“利休にたずねよ” これ、市川團十郎さんが生きていた時に撮影されたものなのですね。お父さん、お茶の師匠の役で出演されていましたよ。 -------------畑の大根が育って来ました。先日、数本抜いて一日ほど天日に干し、ビール漬けを作りました。今はまだ四日ほどしか経っていませんので、食べるにはあと1週間ほど後になるのですが・・・・・・写真はその時のものです。 半干しにした5kgの大根に、砂糖、酢、辛し、塩、ビールをまぶしたものがビニール袋に入っています。それを樽に入れ その上に大根の3倍の重しをします。我が家には漬物用の石が外に積まれています。 最初の中は、一日に1回程度調味液が満遍なく行き渡るようにかき回す事が必要のようです。 さて、どんな具合に出来上がるでしょうかね。
2013年12月07日
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午前中は施設の仕事。終わって帰宅前に町で買い物。今日は午後3時半にお寺さんが家に来られる日でしたので、 買い物はその分という事でした。「報恩講」と言って、一年に一度暮にお寺さんが檀家を回って仏壇にお経をあげてくれるというのが昔かの習わしとしてあります。家では仏壇にご飯、おけそく(丸餅)、お花を供え、ろうそくと線香を用意しておきます。お寺さんにはお布施、お茶、お茶菓子などを準備します。1軒30分程度の予定でお経が終わった後は家人と話などをして次の家に行かれ、お寺さんは午後からの半日で10軒ほど回って行かれるようです。 それはそれとして、お寺さんって、檀家さんのことなら先祖代々あらゆること何でも知っているというほど覚えているもののようですね。りえばぁはそのことにとても驚くのですが、お寺さんもそれを仕事としているようで、そのネタは一年に一度お宅を訪問するこの機会にその家や家族の様子などをチェックして情報を集めているのではないかと思えますね。場合によってはお寺に帰られてからノートなどに書かれているのではないでしょうか。家の事でもずっと昔の事になると、忘れてしまったり、知っている人が亡くなって、聞きたくても誰に聞いてよいのかという事になる事もあり、そんなとき、お寺さんに聞けば良いとか!と誰からか聞いたこともありますしね。地区に起こったこと、檀家さんのあれこれ・・と、その情報をキャッチすることもお寺さんの仕事なのかもしれないと思っていましたよ。 夜は学童保護者会でした。私たち指導員と保護者の方とのお話し合いだったのですが、一人の欠席者を除いてすべて集まられたのはお母さん方でした。 最初に指導員代表から9月からから今日までの学童保育の様子を報告し、お母さんたちからも意見や希望などもお聞きしていました。 若いお母さんたちですから、いろいろ言いたいこともありそうでしたが、「こういう人になって欲しい!」というところでは共通しているようでした。特別、跳んでいる母親がいない事ではまずは安心したという事でした。子供を育てていく上では、家庭における家族の考え方や、そこでどういう風にその子が存在しているかなど知っておくことも大事な事ですからね。日ごろ、お迎えができず初めてお目にかかるお母さんたちもいて、顔を見て話を聞かれた事でも大きな収穫に思っていました。
2013年12月06日
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今日は施設と2時からは学童の勤務でした。施設勤務も2か月を過ぎると、さすが自分がだれか、ここはどこかもわからない障害者たちも、りえばぁのことは他の職員と同じような気持ちで見ているような感覚を覚えるようになって来ました。ずっと奥のその利用者が所在無げにたむろしているその場所までもいく事が出来るようになっていますが、でも長居はできず、トイレ掃除も依然としてできずにいるところです。その代りといっては自分の気持ちだけですが、その場所に行く前の廊下あたりや洗濯場の床の掃除や、棚の整理などはさせてもらっているところです。汚れていることを長く見ているとそれほど気にもならなくなっているのか、気になってもその暇がないのでしょう。いずれにしても少し力を入れれば取れる汚れもそのままになっている感じもあり、そんなところで座ったり寝転んだりしているのを見ると、黙っていられないりえばぁです。余計な事だと思われない程度で、それをさせてもらっているという感じなのですけどね。 --------- 午後の学童では来週に予定している「クリスマス会」の飾りつけを兼ねて、子供たちにリース作りをさせていました。お金をかけないことを第一に、地は段ボール。それにアルミ箔を貼り、百円ショップの白い毛糸を巻いたりと、他の指導員さんがそれらしいものに作ってくれていました。また、飾りつけとしてはどこかで拾って来たドングリや松ぼっくり、そして色模造紙で模様を切り抜いたり、折り紙のサンタさんをつけたり・・・。「こんなことをしたくない!」と言うだろうと思っていた面倒がる子も、集中して一生懸命作っていましたよ。今日は下校も遅く、宿題も多かったため、作る時間が少なくほとんどの子は完成できませんでした。その続きはまた明日という事にして迎えに来られた家族と共に帰って行きましたけどね。 材料は一人一人分けて準備しておきました。 説明を聞いています。一生懸命作っていますね。
2013年12月05日
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ある地区の公民館で月に2回行われているヨーガ教室。今年の教室は本日で終わり、あと1日残っている日は例年通り忘年会です。 こちらのヨーガ教室は、この地区に住む健康志向のお母さんたちが10人ほどで、かれこれ7~8年は続いているかと思います。毎年、年の初めの教室の時に、その年の当番幹事の人からこれから一年間の練習日の予定表が渡されます。ほとんどその予定表通り、演習が行われることから、一々だれかれからの連絡が無くても皆さんはそれを見ながらご自分の予定を合わせて参加しているようです。地区の公民館ですので、その地区での行事や会合も結構な度合いで持たれているようですが、一年の中でヨーガ教室で使う日を先に連絡していることから、地区の皆さんもそれを承知し、この日を避けて下さっているようです。次の第3水曜日は町のどこか居酒屋さんで食べて飲んで、おしゃべりして、今年一年が健康で過ごせた事をお互い喜び、一年を終わるということになるでしょう。 町の電気屋さんでブルーレイコーダーと掃除機を一台買いました。これまでのデッキはVHSも見られるものですが、録画が今のテレビに対応できなく困っていました。で、録画したものをいつみるの?ということになりそうですが、DVDに保存すればこちらのりえばぁ専用のテレビやパソコンで、いつでも自由に見れるのではないかとちょっと期待しているところです。掃除機も何台かありますが、使い辛いと掃除が趣味のAさんが言うものですからね。「うん、これはいいよ!」と言いながら、朝に晩に掃除機を動かしていますよ。
2013年12月04日
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3日の火曜日。火曜日の午前中を別の書道教室に行くために施設の勤務日も変更して開けてありますが、何かとすることが多く、習いに行くのは来年からと思っています。なので、この火曜日は自由に何でもできるのですが、たいていは夜の書道教室で添削してもらうものを準備(習作)しています。ですが、今日は先日の子どもたちとの食事会の写真をまとめるのが先決だろうと思い、まずは町への用事をさっさと済ませてからそれにとりかかっていました。 写真はいつものようにA3用紙に先日見ていただいた写真をたくさん貼り付け、アルバム風にし最後にラミネートをかけて仕上げました。午後からはそれを持ってスポ少へ。それをもらったスポ少の親御さんは思いもかけなかった私からの贈り物に大変感激していました。 自分のしたことで人が喜んでくれると嬉しく、ほかほかの気持ちにさせてもらいましたよ。そんな日中を過ごしていたものですから、夜の書道教室で見てもらう練習が出来ていない事で、今日の書道教室は休みました。ただでさえすることが多くて落ち着かない12月。今日の1回分の穴埋めには後3回で仕上げなければなりませんから、心して取り組まなければならないと思っています。 仕上がっている年賀状。これらを県内、県外、郵便局のエリア内の3つに分けてあります。あとは 受付日を待つだけになっていますよ。皆さんは今頃から始めるのかな?
2013年12月03日
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12月の声を聴いたと思ったら、今日はもう7日、一週間が過ぎてしまおうとしていますよ。それなのに、この日記はまだ2日。ただでさえ誰もが忙しいこの12月、歳を重ねて処理能力も回復力も落ちているところに、することが舞い込んであっという間に1日が過ぎているといったりえばぁの今日この頃です。 ブログの記入もどんどん遅れ、そのことも最初は少し焦りのような気持ちもありましたが、ブログは本来のテーマ「わたしの日記」のごとく、あくまでもそれは自分のためのものだと思っていますので、まあ、遅れてもその日のあった記録としてぼちぼち更新すればいいかななどと呑気に構えているところです。ブログを書くという作業は、考えをまとめ文を組み立て、正しい日本語を選んでとそれを認識する上からも、またキーボードを打つことで脳の活性化などを期待し、ぼけ防止にも大いに役立つだろうと信じているところです。そんな りえばぁの日記なのですが、ただ誰かが見て下さっているという事で、その言葉じりなどはパソコンの向こうにいるあの方、この方を意識して書き表しているかと思いますね。このブログ、良い事ばかりを書いていければ良いのでしょうが、そういった私の日記という趣旨からも必ずしも毎日がハッピーでもありませんからそれは無理という事でしょう。それらも含めてすべてがりえばぁの日常といった事、この日記に書かれていることは全くもってその通りの事で、人の好き嫌いにかかわらずそれを大公開しているというところです。国会では「特別秘密保護法」なども成立したようですが、個人情報うんぬんも含めて当事者が秘密にしたいかどうかが問題になってくることで、必ずしも他人がどうこういうことでもないように思いますしね。私自身には今までどおり、これから先に何も起こることはないだろうというところ、・・・それほど他人さまは人の事にいちいち関心を寄せていないというところが本当の事だろうと思っています。 それでもさすがこれは・・・という件に関しては、 「非公開日記」という部分がありますから、その中に書き込んでおけばよい事であり、今まであまり使わなかったこの機能ですが、これからは場面場面において活用しようかと思っていますよ。 さて、この日2日はりえばぁの住むお隣の町にある「黒部宇奈月温泉駅」までの試験走行が始まった日でした。その試験走行は2015年春に開業する北陸新幹線は長野・金沢間の約228キロのうち、軌道や架線といった設備が完成した長野と黒部宇奈月温泉駅までの135キロで実施されたということでした。車両は「イースト・アイ」という総合検測車で午前1時半ごろに長野を出発し、時速30キロほどで線路や信号などの状態を確認しながら進み、黒部宇奈月温泉駅到着は午後3時半前に到着したということでした。 黒部川橋を渡っている「イースト・アイ」、もうすぐ到着です。 無事に試験走行を終えてホームに到着したホームでは、くす玉が割られるなど地元や子どもたちが大勢で歓迎イベントが行なわれ、整備計画決定から40年を経て始めて新幹線車両が県内に乗り入れるという歴史的瞬間を祝福したということが記事に載っていました。ちなみに長野ー黒部宇奈月温泉までの停車する駅は、「長野」・「飯山」・「上越妙高」・「糸魚川」・「黒部宇奈月温泉」だそうです。
2013年12月02日
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今日は私たちが週一火曜日に指導しているちびっこチームと親がランチバイキングに行くということで、私たちもそちらに招待され行って来ました。 お店の入り口の看板に本日の予約者名が書かれていて、それには「わくわくソフトバレーボールスポーツ少年団」とありました。私たちが担当しているちびっこチームの正式な名前がそこで分かった訳なのですけど、それにはAさんも「そうなのか、初めて知った!」と笑っていました。まあ、私たちにとってチーム名がどうであろうとあまり関係の無い事なのですけど、親たちが一生懸命考えた名前だと思いますので、その期待通り、子供たちがいつでも楽しんでバレーボールができるようにしなければと心を新たにしました。 それでは、その様子を写真でご覧いただきましょうね。 弟も妹も一緒です。お腹いっぱいになった子どもたちは・・・・こんなところでちゃっかりとお茶を頂いていましたよ。 “ばたばた茶”と言って、こちらの町の名物になっています。 茶筅は2つが繋がっています。 ここはレストランと同じエリアにある別の建物。260年前の家だそうです。家の中は見学自由で、ちょっと廻って見たのですが、小さいながら一通りの部屋数がありました。 外観はこんな家ですが・・。 子どもたちはこちらを出て、広場にある滑り台で遊んでいました。 この子どもたちですが、普段は別々の5校の小学校に通っています。まだお互いの名前を知らないという事もありますが、バレーボールの練習は全く違和感なく、みんな仲良く練習しています。けど、やはり、こんな体育館以外の活動でその絆は深まると思いますので、時々はこんな行事も必要な事ではないかと、今日の子どもたちを見て感じていましたね。
2013年12月01日
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11月最後の日、そして今日は土曜日です。施設の仕事もなく、学童もお休みの日。そんな気のゆるみ、そして風邪気味な事もあって(これは言い訳かな)、今朝は大変な寝坊をしてしまいました。目が覚めたのは7時半。Aさんは今しがた出勤したようで、朝ご飯も自分一人で食べて出かけたようでした。帰宅してから、もちろん平謝りしましたけどね。 申し訳なさも手伝って、幸い晴れた本日でしたので、マスクをかけ、たくさん着込んで外仕事に精を出していました。大根を採り皮を剥いて陽に干し、里芋も3株ほど掘りました。庭には柿の葉っぱや紅葉が先日の強い風で舞い散っていましたのでそれを拾い、午後からは納屋の中にAさんが切って山積みしてあったストーブの薪を別の場所に積んでいました。一日中、休みもなくこんなにあれこれと外仕事をしたのは滅多に無い事でしたね。 今日は県西部の体育館で、小学生バレーボール県大会が開かれていました。新川ブロックを代表して参加していたKチームは1回戦には勝ったものの、2回戦で惜敗したとかで、選手のお母さんからメールで連絡がありました。今日勝てば、明日の試合には応援に行くつもりでいたのですけどね。まあ、残念な事でしたが仕方のない事。勝ってばかりいると見えないものも、負けて気づくという事もあるかと思います。まだ小学生の子供たちには、これからの長い人生において、時々は負けることも必要であり大事かとも思いますね。 11月から、こんな書体も勉強しています。「篆書」(てんしょ)というもので、これは字の成り立ちからして「隷書」の前のもの。「地視鳥獣」と書いているのですが、分るのは「鳥」ぐらいでしょうかね。 まだ、書き方がわかりません。
2013年11月30日
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29日の富山県は一日中雨。施設の仕事の他は特別なことはありませんでした。12月も近くなり、そろそろ年賀状の作成や宛名書きを依頼されるようになって来ています。今日はその中の一人から電話依頼があり、その相談に乗っていました。我が家の年賀状も今、最後の添え書きをしているところですが、それもあと2~3日で終える目途がついています。我が家のが終われば気持ちもゆっくりし、依頼される仕事を時間をかけて丁寧にできるのではないかと思っているところです。 数年前、“あったら嬉しいもの”として柚子の苗木を買ってきて、庭の一画に植えていました。ところが、その柚子の木、背ばかり伸びて、何年経っても肝心の実がならないのです。 いつもその木を眺めては、「この木、いったい何の木?」「桃栗3年、柿8年」というほどに、その桃や栗や、おそらく柿よりもここに長く存在されているのに、いったいいつになったらその実がなるのだろうと思っているのですが、いまだ一向にその気配がありません。ですので、我が家の庭で唯一の成り物は柿だけということになり、その柿も1本の渋柿は干し柿となり、2本の甘柿はおいおい採って食べたり、人さまにもらってもらったりして消費しているところです。今は、この有様。下の方の枝に見られるように数個を残しているのは、ここに餌を求めに来る鳥たちの分。そして、それをついばんでいるのを、薪ストーブのある温かい部屋で眺める私たち・・・そのためのものなのです。
2013年11月29日
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11月28日木曜日の日記です。今日は施設の仕事が12時半まで。午後は歯科医院に、そして帰宅してからは印刷とおもて宛名書きを終えた年賀状の添え書きを始めていました。今年の年賀状はおおよそ320枚。本文は筆書きしたものをコピーし、表はいつものように筆で一枚ずつ書きました。そして、今年は早く取り掛かった事で時間もあり、一人一人に添え書きをしようと思い、それに取り掛かったという事でした。 数週間前からシルバー人材センター広報委員会ではお正月号の機関紙を発行するための準備作業をしていました。一昨日に第2回広報委員会が開かれ、寄せられた原稿の過誤訂正などその編集を行っていました。これらはこの先、印刷屋さんに回され、2週間ほどで原稿が仕上がってくるという段取りになっています。機関紙の最後には「編集後記」といて編集員の誰かが感想文を乗せているのですが、その部分は今回りえばぁの当番だという事で、その記事を書いていました。 おおよそ300字が私に割り当てられたのですが、さて、何を書けば良いのかと少し悩みながら何とかちょうどの字数で収めました。 写真はちょっとした晴れ間の風景です。 山も大分白さが目だって来ました。
2013年11月28日
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今日は施設で11時頃、火災警報機が鳴り「火事です。火事です。慌てないで素早く非難して下さい」と放送がかかりました。それはもう何度も、何度も。私は洗濯場に面している中庭や内廊下に出て、施設や皆さんの様子を見ていたのですが、まったくいつもと一緒でした。「避難訓練?」とも思ったのですが、それにしては一向にそんな様子もないのですね。 しばらくして館内放送で「ただいまの警報は誤報でした」と。そして警報機の機械の声も「 確認しましたが異常はありませんでした。ご安心下さい」と。何のことはなく、奥の方の棟のベルをそちらに居住している利用者さんが何の気もなく、プチッと押してしまった事によるものだったようです。そういう事は過去にも何度もあったようで、皆さんもまた誰か押したのだろうと悠然としていたようですが、知らない人は驚いてしまいますよね。何で鳴ったのか、それはきちんと調べた上での皆さんの判断でしょうが、これが本物で、それを今回のように「誰かが押したんでしょう?」で片付けてしまうと、避難し損ねて大変な事になるという事もありうる話ですからね。笑って済ませる話でもないと思いながら過ごしていましたよ。
2013年11月27日
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先週の教室の日が11月の締め切り日だと先生自身から強く言われていたのだが、そのつもりで用意して行って見たら、張り紙一枚で休みになっていて空振りでした。先生は高齢であり、近頃ずいぶんと心配する部分も見えるところから、なにがあったのだろうかと不安になっていました。 午前中にその先生から電話があり(珍しい事)、「今日11月の競書に出す清書を持って来て下さい」と。先週休まれた事の理由をお聞きしようかと思ったのですが、先生は耳が遠い事からご自分の用事だけ言われて電話は切れてしまいました。でも、先生のその様子から元気そうでしたので、「まっ、いいか!」って感じでいたのですけどね。午前中はその清書の見直し。そして昨日から始めた年賀状作成の続きをしていました。午後は1時半からのシルバー人材センター広報委員会が2時間ほどあり、その後いつものようにスポーツ少年団の指導。そして例の書道教室へと、今日もフルに動いた一日でしたね。 今月競書に出したのはこの4点です。 今月は半切漢字を休んで、「実用書道」に初めて出すことにしました。書道をやろうと思ったのは、日ごろの字が上手になればいいなと思った事ですからね。
2013年11月26日
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