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りえばぁばかりでなく、誰にでもやらなければならないのに、気がのらない、嫌だなと思うときがありますよね。そういうとき、りえばぁは数を使います。例えばご飯の後の皿洗い、身の回りの片付け、庭の草取り・・・。これから行う仕事量をざっと見て、「いくつぐらいでできるかな」と考えます。そして「よし、20やるぞ」「30やるぞ」と最初に数を決めるのです。次ぎに、1つ終わると1,2つ終わると2と数を数えながら作業を済ましていきます。そうしながら行うと、その間中は何も考えず集中してスピーディーに行うことができ、最初に決めた数が終わる頃には、すっかり片付いているというわけです。皆様も一度お試しを!!
2006年06月23日
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宇宙人? それは我が家のお婆ちゃんのことです。88歳という年齢になると、普通のことなのかも知れないが、じっと観察(失礼)していると、とても不可解な言動をされるのです。今日は町の老人チームでの「ウォークベースボール大会」(ニュースポーツ)に誘われて出かけたのだが、その待ち合わせ時間は何時かと聞くと、8時22分だという。8時22分???どこからその22分が出てくるのかと、夫と顔を見合わせ「ん・ん??」と二人で解釈に苦しんだ。お婆ちゃんに「22分?」と再度聞いたが、「うん、22分や」と澄ましている。まあ、そこいらあたりはどうでもいいかと言うことで、用意した弁当を渡した。いそいそ準備をしていたが、ほどなくして玄関に人の声。「○○ちゃん、いかっしゃらんが~」と、誘ってくださった人のお迎えの声。(この土地は、いくつになっても女性は○○ちゃんと、ちゃん付けで呼び合うのが普通なのです。ちなみに私もちゃん付けで呼ばれています。)「うん、行くよ。8時22分やろ~」と家のお婆ちゃん。「なあん~。8時って昨日何回も言っていたねか~」「まっとったけど、いらっしゃらんから迎えにきた」とその人は言う。やがて、「ごめん!ごめん!」と言いながら、いそいそ出かけていった。8時という時間は、会場に行くための出発にはベストな時間なのである。単なる聞き間違えだったとは思うが、そんな中途半端な時間を不思議だとは思わない事に、私は不思議に思う。またそういう事態になっても、恥ずかしいともおもわないところも不思議だ。買い物に行っては財布を置き忘れ、別の日には買ったものを忘れてくる。ゲートボールに行っては、スティックを置いてきて仲間に届けてもらったり、外でも何かと人にお世話になっているようだ。それでも私は、お婆ちゃんには外に出てもらいたい。外の空気を吸い、他人とのふれあいの中で刺激を受けながら、日々を過ごしてもらいたいと思っている。いずれ介護が必要な時は来るかも知れないが、その日が一日でも後であって欲しい。食べものがおいしく食べられ、自分の足で歩き、自分の考えで行動できてこそ長く生きていることの幸せなのだから・・・。明日も明後日も、自分を忘れませんように・・と心から願っている。
2006年06月22日
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今日も一日、りえばぁは忙しく過ごしました。午前中は、町の教育委員会の会議に出席し、午後は昨日に引き続き、友達の家にチューリップ球根の仕事のお手伝いをしに行きました。午前中の会議では、町の「社会教育委員に委嘱します」の交付を受け、今後2年間、教育委員会全体の行事などを協議、検討していくことになりました。ただのおばあさんなのですが、ある方向から見ると重要な立場にいるりえばぁのようでもあります。そのためにも、これからも“キトキト”と元気に暮らさなければと思っております。本日の資料の中で本年度生涯学習の推進としての一つに、「子どもの生活リズム向上のための調査研究事業」の取り組みがありました。文科省の指定で町内の2地区の小学生、保育・幼稚園児を対象に、子どもたちの食事、睡眠、日常生活がどのようなものかを調査するという新規の事業ということです。「いまどきの子ども」の体や心が問題視されてきているからでしょう。「いまどきの子ども」テレビを遅くまで見ているせいで就寝時間が遅くなり、結果、朝余裕を持って起きることができず、朝食を抜きがちになり、当然元気もやる気も出にくくなる。おまけに、子どもが少ないことから、保護者も周囲もその一人の子に過剰な期待をし、塾や習い事などで忙しく余裕のない子どもを作っている。また、最近の子どもたちは、諦めるのが早い。嫌なことはすぐにやめようとする。なぜなのか考えようとしても、相談相手もいない。原因としては、近所で年齢差の遊び仲間がいなくなり、親も共働きでその必要な時に近くにいないなどが考えられる。そして、夜中まで営業しているスーパーやコンビニに、平気で小さい子どもを連れまわす親がいたり・・・この子の明日はどうなのかなと、心配したりする。心身の成長期の子どもにとってのあるべき健全な生活を、みんなで考えなければならない時期がきたように思われる。私自身も、小学生にバレーボールを指導していく中で、これらのことを考えながら、子どもたちと向き合っていかなければならないと改めて思いました。元気いっぱいの子どもたち
2006年06月21日
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チューリップ出荷作業手伝い2日目。掘り取られた球根は、泥を落とされた後作業場へと運ばれ、根を切り落とし、出荷球と更に大きくする小玉に分けられ、乾燥後検査場へと運ばれる。球根を大きくするため、花を摘む球根の根を切り、出荷球と植えつけ用に分ける作業きれいに仕分けされた出荷球は、この後乾燥機にかけられる
2006年06月20日
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やっと画像を入れることができました。富山県入善町のチューリップ畑(5月末)
2006年06月19日
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今日のりえばぁは、友達のチューリップ農家の作業を手伝ってきました。春先、天気が悪く作業が遅れて困っているとのこと。友達の一大事というわけで駆けつけたわけです。富山県はチューリップ球根の栽培が盛んな県です。なぜ富山県がチューリップ栽培に適した県なのか、案内書によると、富山県は扇状地が発達し、肥沃で良質な水を含んだ土壌はチューリップ球根栽培に最適なのだそうです。冬は雪が地中の温度・湿度を平均に保ち、秋に植えた球根を霜柱などから守ります。さらに、生育期には発達した用水で十分な水が供給できることや、球根が最も肥大する頃の適温と日照時間の長さなど、恵まれた自然条件のおかげで日本で一二を競うチューリップ球根産地になっています。と、ありました。富山県で大正7年に1個人により栽培開始。本格的に球根生産を主体とした農業を始めたのは大正12年のこと。水田の裏作として取り組み、その後は順調に栽培量が増加し、昭和13年にはアメリカに輸出を始め、昭和25年にはオランダから新品種を輸入したり、品種の改良などもどんどん進み、現在も新品種と呼ばれるものが毎年生まれているようです。チューリップといえば、童謡にもあるように「両手の平を合わせ、まる~く指先を開く」をイメージします。今は、ばら?、ぼたん?、水仙?と見間違えるような、イメージとはかけ離れた品種が多く、かえって昔の素朴なチューリップが良いように思われます。写真は、我が町のチューリップ畑(田んぼ)です。5月、桜の季節が終わる頃、続いて次々開花していく色とりどりのチューリップの絨毯が、町中を飾ります。(以前に撮影したものを、手探り状態で掲載してみました。)今現在の状態は、花が摘まれて土の中で成長した球根を機械で掘り出し、それを作業所で根を取り、皮をむき、選別作業を行っているところです。適当な大きさになったものは販売向けに、あとは秋まき用に保管するようです。
2006年06月19日
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日本ークロアチア戦、残念でしたと言えばいいのか、良かったと言えばいいのか。初めから終わりまで、気の抜けない危ない場面ばかりが目立って、いつ相手にゴールを決められるかハラハラしながらのテレビ観戦でした。随所に個人のいいプレーが出たものの、次の人になかなかつながらずゴールに至らなく残念でした。でも引き分けたことで、可能性は残されているのですから、まだ希望を捨てずに最後まで頑張って欲しいものです、しかし、サッカーって大変な競技ですね。笛が鳴ったら、もう最後まで走りっぱなしですものね。選手もそうだけど、審判はもっと大変。選手と一緒に走り回り、細かいところまで見逃さず、きびきびと適切に判断する。選手がいいプレーをするも、しまった試合になるも、すべて審判の笛にかかっているのですものね。体力もちろん、国際審判と言うことで、語学もできなければならないというし・・・尊敬します。きのう、日本中がサッカーで沸きかえる中、楽しいニュースを耳(目)にしました。☆シンガポール動物園で、メスのオランウータンが46歳の誕生日を迎えた。 (人間にしたら何歳?いくつまで生きられるものでしょうか)☆皇太子様、学習院幼稚園の「父親参観」にご出席された。 愛子様から絵のプレゼントをされたそうです。 (愛子様、大きくなりましたね。何事もなく成長されますようにと祈ります)☆オリックス・清原、長嶋に並ぶ歴代9位の1270得点。 (まだまだいける!がんばって!家のお婆ちゃん、大ファンよ)☆楽天が4カード連続勝ち越し<セ・パ交流戦> (楽天が勝ったら、ポイント倍。買い物のチャンスだね)☆宮崎県内の大学生ら24人が、体育館にこもって「60時間耐久バスケットボール」を 達成。スコアは5493対5432。これまで米国の大学生が持っていた世界記録を 3時間ほど上回り、ギネスに申請中。 (いろいろな世界記録があるものですね!!)しかし、ニュースって、事件とか暗いものが多いものですね。楽しくなるニュースが欲しいところです。
2006年06月18日
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たいした用事もないのに、ふらりと立ち寄ったコンビニで本を買ってしまいました。コンビニで本を買うなんて、自分でも思わなかったことでした。レジで支払いするときに店員さんにそのことを言うと、ふふふふ・・と笑いニコッとしていました。さて、私を衝動買いへと走らせたその本とは、「いまここから始めよう」とタイトルがついた、小さな小さな手のひらサイズの本です。著者は伊藤守さんという方で、ページをパラパラッとめくって5分もかからず読み終わってしまうほどのものでした。それなのに、書かれている内容がずしりと重い。1冊1000円の価値ありと感じ入りました。内容の一部を紹介しましょう。第1ページ目です。じぶんの人生がいつ始まったか、わかりますか?学校には入学式や始業式があるけれど、じぶんの人生、いつが入学式で、いつが始業式だったのか、わからない。いつのまにか、始まってしまっていた。だから、いま、ここで、じぶんの人生の始まりを「宣言」する。第23ページ目です。じぶんにも相手にも、「なぜ」と聞かないことです。「なぜ」という質問は、じぶんや相手を責めることを目的としたものだからです。「なぜ」以外の質問をつくりだそうとするときに、ひとやじぶんに対する優しさのありかを見つけることができるでしょう。第27ページ目です。ひとは、大きな災いには、対応できます。でも、小さなできごとには、なかなか対応できない。友だちとケーキを分けたら、向こうの方がちょっと大きかったり、ともだちとふたりでいたら、別の友だちが、友だちの方にだけ声をかけたり、百円貸したのに、帰ってこなかったり、年賀状を出したのに、返事がなかったり。どれもささいなことなんです。小さなことにくよくよするなというのは、実は、とても意味の深い教えです。ひとは、小さなことだからこそ、こだわっているからです。じぶんがそんな小さなことにこだわっているなんて知られてしまうのが、いちばんいやですからね。というようなことが第53ページまで書かれてありました。どれもこれも、いちいち納得できるものです。これまでこういう種類の本を何冊か、買っては読んでは「そうだわ・・」と思うのですが、なぜ日々の自分は、小さなことでくよくよし、自分が悪くないような理由を探し、不公平や理不尽に腹を立てたり、人にどう見られているのかと気にし過ぎるのでしょう。残りの人生が数えるほどの年齢になった今にしても、こういう本を読んでは自分を反省することを繰り返している私がここにいて、情けないことだと思っています。
2006年06月18日
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昨日は3年生にとっては中学最後の試合だということで教え子の応援に行きました。そして、夜は小学生の練習に行き、それが9時に終わり、帰ってから夕飯を食べながらビールをちょっと飲んだら、さすがの私も「キュー・バタン(バタン・キュー?どっちかな?)」。目が覚めたら、テレビはメキシコ:アンゴラ戦をやっていました。メキシコが断然有利のはずなのに、アンゴラの選手の強靱な精神力・集中力には驚きました。途中一人が退場させられて少なくなったにもかかわらず、攻めるは守るは・・・!!!特にゴールキーパーのジョアンリカルドという選手にはびっくり。槍の如く次々と攻めてくるメキシコの猛攻をあっちに跳び、こっちに跳び、ことごとくシュートを防いでメキシコにゴールを1点も与えなかった。このジョアンリカルドという選手。どこのチームにも所属していないのだそうだ。昼は材木屋さんで働き、夜に3部リーグで練習していたらしい。「何でサッカー選手になったの?」との質問に、「人に勧められたから」と淡々と答えている。ほとんどのサッカー選手は、そう聞かれると“サッカー選手になりたいと子供の頃からの夢だった”と答えるのに・・。彼はこのインタビューのすぐ後に、フォークリフトの掃除をし、材木の積み込みの仕事をさっさと始めたという。こんなすごい選手・・どっか日本のチームで雇えばいいのにと思う。(サッカーのチームでも、材木屋さんでも・・・)アンゴラは、4年前まで内戦があった国だ。戦渦で多くの命が消えた悲しみを持つ。国土の半分近くに地雷が埋められたという中での、普通の生活や遊びの中で地雷を踏んで、命や手足をなくしたが多くいるという。地雷の撤去作業は懸命に行われているが、完全な安全な国土に復帰するにはまだ数年かかるのだという。ワールドカップは、アンゴラの国と選手にとって、戦争以外に自分たちの存在を世界に知らせることのできるもの。貧しいけれど、サッカーができる・・・。アンゴラ国民の誰もが選手とともに、ワールドカップサッカーに参加できたことに夢と希望をもっている。その喜びが選手一人一人のプレーに表れ、見ている人に共感を呼ぶ。日本人にはない、ハングリー精神が彼らの心には存在することを発見し、気がついたら、りえばぁはいつの間にかアンゴラチームのサポーターになっていました。いつも「遅寝、遅起き」のりえばぁですが、今日は早く起きて、アンゴラの選手に元気をもらい、「三文の徳」をした気持ちでした。今日も一日、“きときと”暮らせそうです。
2006年06月17日
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いつぞやのこと。信号待ちでの交差点での出来事です。前に止まっていた(かっこいい)車のドアが開きました。どうしたのかなと見ていましたら、携帯電話を耳にあてながらの若者らしき人。左手に持っていたと思われる何かを道路に捨てていました。信号が変わり立ち去った車の後には、たくさんの煙草の吸い殻が山のように残っていました。(道路の真ん真ん中ですよ)信じられない出来事で、びっくりし、ドキドキし、そしてだんだんいらいらと腹が立ってきました。もう少し早く気がつけば、「もしもし、落とし物ですよ」と、そっくりその車の人に返していたかも知れません。でも、こんな事をすると、とんでもない事になっていたかも知れませんね。しかし、多くの人はこういう情景を見たとき、どう対処するのでしょうか。都道府県の位置が解らなくっても、たとえ「富山県って、あったっけ??」と言う人がいたとしても、それはそれで大変な驚きですが、「困った人だね。信じられない~」って言われる程度で笑って済まされますが、社会的に多くの人に迷惑をかけることは、人間社会に生きていく一人として笑って済ますわけにはいけないことでしょう。悪いことだと解って悪いことをする人に、勇気を出して注意する人がいたとしても、おそらく素直に「ごめんなさい」が言えるわけがなく、かえって聞く耳持たず逆ギレの心境になるのが見に見えてきます。いくら小さい事だからと許されるものでないということ。悪いことを承知でする人は、いったい一生の人生のどのところで「良くないことだ」と、理解し反省できるものなのかと、今夜はちょっとそんなことを考えちゃいました。
2006年06月15日
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ツバメ保護対策万全で、さすがのカラスもあきらめたらしい。次は畑の野菜を狙いだした。やっとなりだし、今日が収穫の初物をまたもや食べられてしまったのだ。朝、畑に見に行き、“夜は収穫だぞ”と楽しみにしていた夫。「やられた!」と手にしていた胡瓜は、つっつきまわされ、皮だけがわずか残ったみじめな姿。またもや、してやられた夫は、今度は胡瓜を守る対策を施した。厳重にネットで囲み、絶対入れないようにしている。その様子をカラスは納屋の屋根のてっぺんで眺めている。何をしているのか、すきはないかと見ているのだろう。鳴き声ひとつ立てずにじっと見ている。それから3日後、カラスにまだ考えが浮かばないのか、あきらめたのか10本の胡瓜が収穫できた。やっと我が家の春野菜1号の初物が酢の物となって、食卓にのぼり家族の口に入った。しかし、旬の野菜はとてもおいしい。スーパーで売られている野菜にはない、本当の味がして当日のおかずのメインであった。我が家の畑には、他にトマト、ピーマン、メロン、スイカなどなど、カラスの大好物が植えられている。今後徐々に収穫されるが、カラスと夫との戦いは、これら野菜をめぐって、これからも延々と続いて行くのでしょう。
2006年06月14日
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夕飯の時、質問してきた。「ん?」と耳を傾けると、「巨人の清原がどっか別の所に行ったみたいだけど、何で?」と聞く。どういうことかと考えていると、夫が「行きたいからや」と答えている。そう言う答え方でいいのかと思いつつ、聞くでもなく、聞かぬでもなく、聞いていたら、「そういう勝手なことしていいが~?」と再度の質問。「ああ、いいがや。松井だって、イチローだって、他にもいっぱいアメリカに行ってるねか」と。そうしたら、お婆ちゃん「そういう人は特別だろ。何で清原が他に移るんじゃ。巨人が負けてばっかしやねか~」と言っている。こんな“変な親子”の対話にはついて行けず席をたったので、後はどういう会話が続いたかはわからない。このような返答に苦しむような、結論が出ない会話が、我が家ではお婆ちゃんを中心に日常茶飯事的に行われている。(変な家・・)お婆ちゃんは大正6年生まれの88歳。巨人のファンらしい。試合があると「残念ですが~」という実況アナウンサーの野球中継を終了する声を聞くまで、テレビの前から動かない。お婆ちゃんの部屋からは、一人で見ているはずなのに、時々手を叩く音や、「ありゃ~、なんちゅうこっちゃ!」などと大きな声が聞こえる。しかし実のところ、野球のルールはよくわかってはいない。原監督の他2~3人の選手と巨人のユニフォームと「G」のマークだけが唯一の頼り。巨人のピッチャーが打たれたら、「ありゃ~、なんちゅうこっちゃ!」と嘆き、ヒットやホームランだと「お~、よかった!よかった!」と手を叩いて喜んでいるのだ。ほほえましいやら可笑しいやら・・・。このように少々の見解の相違はあっても、“世の中で起こっていることなどが理解でき、それに対して自分で感じたことの一言でも言える”こんな頭も身体も元気な日が一日でも長く続いて欲しいと願っている。「自分が誰?」「ここはどこ?}という宇宙人にいつかはなるのだろうか・・・。
2006年06月13日
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今日は町主催の「ハウスクリーニング」講座を受けてきました。講師はビルメンテナンス事業をしている会社の方で、プロ中のプロ。基礎知識から始まって清掃道具の使用方法、洗剤や薬品の使い分けなどを習い、それから汚れを除去する方法を実際に行って見せてくれました。掃除を行う上で次の要点をおさえて行えば、よりよい掃除ができると言うことで次の「基本テクニック」を教えてもらいました。1,清掃を始める前に「準備」が大切だということ優秀なビジネスマンは、仕事の「計画」「実行」「確認」がしっかりしている。と言われるが、ハウスクリーニングにおいても同じ事。対象物件を一通り見回し、どんな汚れがどこにあり、どんな順番で作業するかを頭の中でイメージする。その都度用意することのないように、必要な道具や洗剤を初めにすべて用意しておくこと。作業中にいちいち取りに行くようでは作業効率が悪くなる。2,部屋は時計回りに掃除する「無駄な動きをしない」事が大切で、部屋に入ったら入り口からスタートして時計回りに順番に掃除していく。汚れを見つけてあちこち動き回っているようでは、作業がいやになるし、やり残しの出る危険性もある。プロのハウスクリーニングのルールの一つ。3,掃除は常に上から下、奥から出口に最も基本的なルールであり、床を掃除した後、照明器具を拭いたら床に汚れが落ちる。重力に逆らわないように上から下へ。そして奥から出口に向かって掃除を完了させていくこと。4,きれいなところは掃除しない掃除の下手な人は、きれいな場所ばかり掃除をして、結局全体的に汚れたままになっているケースがある。掃除は汚れを除去するのが目的なのだから、汚れた場所を見つけて掃除をする。当たり前のことなのに、今まで気がつかなかった。ほんとにそうだと“目からうろこ”です。5,汚れが落ちなければ、洗剤・道具を変えてみる汚れにあった洗剤や道具を使用することが大切。的確に使いこなすには長年の知識と経験が必要。洗剤の裏面に書いてあることをよく読むことも大切。6,洗剤の濃度と温度は適度に保つ薄めて使う洗剤は濃ければよく落ちるというわけではない。その洗剤の性質と汚れの程度で決まる。また、一般的に汚れの落ちは洗剤の温度が重要で、40度前後のお湯を使用するのがよい。温度が10度上がると汚れが2倍早く落ちると言われているそうです。7,必要な道具を身につけて作業8,外せるものは外して掃除9,光るものは必ず光らせる10,掃除の仕上げは「左手に湿った雑巾・右手に乾いた雑巾」掃除の最後は、終わってきれいだと思ったところも、乾いてくると拭き跡が浮かび上がってくることが多いので、乾いた雑巾で余った水分を完全に除去し、不純物のない状態にすることが“きれいな掃除の最大のコツ”だそうです。11,そして最後は、3つの視点でチェック「確認」を実行するチェックの基本は自分以外の人間が、この部屋を見たらどう思うか、という気持ちを持つ。そして、「自分と同じ身長」「自分より高い身長」「自分より低い身長」の3つの「視点」で、もう一度掃除の跡を観察してみる。 以上がプロのハウスクリーニングスタッフが心がけている「作業の基本」だそうです。私もプロの方を見習い、今日からさっそくこの基本的テクニックを身につけられるよう実行してみようと思います。そうしたらきっと必ず、私も掃除名人になれるかもね・・・(掃除が下手だと文句を言いたい顔をしている旦那様、どうか期待していてくださいませ。)りえばぁ、今日もひとつお利口になった気分・・・習うって楽しいな~
2006年06月13日
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比較的自由に暮らせる生活をしていますので、時間的余裕で日記記入率100%は可能と思います。ただ、ブログを始めてまだ1か月程ですので、「何を書く」かについてまだそれほど困るほどではありませんが、昨日も今日も変わらぬ平凡な暮らしの中ではそのうちきっと困ることが起こってくるのではないかと思っています。皆様は「書くもの」について、困ったことはないものでしょうか。そしてそんな時、どんな方法で見つけておられるのか、どなたか私、リエばあちゃんに教えて下さる方はいらっしゃいませんか。
2006年06月12日
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先日家にセールスマンが来ました。「奥様、~すしってご存じですか?」と聞く。その寿司屋さんは「お持ち帰り寿司専門店」で、各町に1店はある比較的人気のお寿司屋さんです。味も結構よく、私もよく使っていましたので当然知っていました。それで「ええ、よく知っていますよ」というと、話が早いと思ってかさっそく内容の説明を始めました。「3,129円で29,000円以上のチケットを販売させてもらっています」という。何それ?という問かけに、説明を受けること30分。帰られてから見た私の手には“パスカード”というチケットが2枚握られ、財布の中から6000円余りが消えていました。有効期限の11月10日を忘れないようにする事と、お寿司をせっせと買いに行く仕事が増えました。(なにしろ58,000円分の寿司をゲットしなければなりませんから・・・)ちなみに我が町にあったその名のお店は以前に閉店しましたので、隣の町まで買いに行かなければなりません。(そこまで考えなかった~。とほ~)しかし、そのセールスの方は、寿司屋さんの従業員でなく、いろいろな店と協賛し、パスカードを発行しながらキャンペーンをしている、いわば広告代理店の方と言うことで、いろんな商売があるものだと思いました。
2006年06月11日
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今日は、サントリーカップ(小学生バレーボール)大会の地区予選会がありました。私の教えているチームも参加し、結果は何とか明日の決勝リーグ戦に進むことができました。しかし毎度の事なのですが、試合になると、一日中子供たちに“叱咤激励”を続けなければならなく、今日も大変疲れました。家に帰って“きゅーばったん!”。1時間ほど寝ちゃいました。試合が始まりゲームセットまで、子供たちに集中力を持続させながら、持っている力を発揮させる。できるできないは、その子その子の現在の力ととらえ問題にはしないのですが、できるはずができなかったり、やってみようと思う気持ちが欠けたりすることには、妥協をしないようにしなければならないと思っています。子供自身が、試合を通して自分に厳しく、「あきらめないで良かった」と言うことを覚えてもらいたいと思います。褒めたり、叱ったり、励ましたりしながら子供たちには誠心誠意の気持ちで向き合う。課題は一緒に考え、クリアする喜びを共にする。できなかったからといって、感情の赴くまま、がみがみ怒ることだけは避けなければならない事だと思います。小学生のバレーボールは、何と言っても「バレーボールって、楽しいね」と、思えるように指導することがいちばん大切なことだと考えています。
2006年06月10日
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今日友人5人で、近くにできた「酵素温泉」を初体験してきました。どういうものなのか、何の予備知識も持たずに行った5人。言われるままに、着替えをし、こちらへと案内されたところは砂風呂???実は砂の変わりに『檜のおがくずの粉』を利用したものでした。今や人間社会の中で“ごみ”として扱われているやっかいな『おが粉』。姿を変えて人間の健康に役立っていたのです。説明書を見ますと、『おが粉』の中では数知れない微生物が発酵し、65~70℃の活発な生命エネルギーを作り、300種類以上の酵素が充満しています。その中に15~20分ほど入ることで、体の芯からじんわりと温めてくれ、結果心地よい、いい汗が出て、血行を良くし筋肉のこりをほぐしてくれます。そして、大量の植物性酵素原液の働きと温熱の相乗効果で、身体全体の新陳代謝が活発になり、細胞を強化・保護し、免疫物質の生産を活発化するのに役立つと書いてありました。何はともあれ、まずは体験です!まず係の人が、敷き詰めてあるおが粉を掘って寝床を作ってくれ、そこにあお向けに寝ました。掘るほどに下の方の温度は高いらしい。初めての人だということで、そこはそこそこに。私たちには適当な温度を提供して下さったようです。そして、次は鼻と口だけ残した状態で全身に温かいおが粉をかけ、その状態で15分。最初“熱い”と感じた身体が次第に心地よいものに変わり、心がとてもリラックスし眠ってしまいそうでした。ゆったりとした穏やかな気分になり、心も落ち着きどんどん癒されていくことを感じました。そして、檜のかおりがほんのりと流れ、森林浴効果がのぞまれるとはこういうことかと思いました。その後は衣類についた『おが粉』を払い、温かいお湯で身体をさっとすすぎ、酵素温浴法の体験学習が終了しました。普通の温泉は「入湯」とか「入浴」とかいいますが、この酵素温浴は「入酵」というらしいのです。また、『おが粉』は空気を含んでいるため、20~30分間全身を埋めていても皮膚呼吸が妨げられることがないので、皮膚がふやける事もなく、発汗が停止することもないので身体への負担が軽いと言うことでした。昨日も今日も元気でいる自分には、1回だけでの効果は目に見えません。ただ8時間後の今まだ、肌はぽかぽか、すべすべ、そしてほのかに檜の匂いが残り、気分も爽快、視力の状態も極めて良好です。今晩もまたぐっすり眠れることでしょう。
2006年06月09日
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会社を退職し専業主婦という職業になって1年になる。家には88歳になるお婆ちゃんがいるが、この方、至ってお元気。天気が良いと家にじっとしていることなく、どこかにでかける。88歳のこのお婆ちゃんの足は、もっぱら三輪自転車だ。「速く歩くことができない」と、急ぐときなどは車いすとかおんぶとかになるのだが、一旦この自転車にまたがると、途端別人になる。スーパーマンに変身してどこかに飛んで行くのだ。どこに行くのか自分でも分からないのか、聞いても答えないので黙って送り出すことになる。だが、専業主婦の私の仕事として、家族が今どこで何をしているのかぐらい把握しておく必要があるのではないかと考える。(職務怠慢・・査定に響く・・なあんて!)まあ、お婆ちゃんのことは午前に出かければ昼に戻ってくるし、午後からだと夕方には帰ってくるから、まあいいかなと思っている。元気なおかげで、私は一日中好きなことで過ごすことができってことになるのだから。しかし家にいて気づいたことは、人(セールス)や勧誘の電話がよくあると言うこと。宗教の人、銀行や証券会社の人、~相場やさん、布団屋さん、洗剤やさん、包丁などの研ぎやさん、ファーストフードやお寿司屋さんの割引チケット売りやさん、などなどである。あの手この手で家庭の主婦をターゲットにした商売を展開する。この方たちにしても仕事なのだから、一つでも売らなければ・・と、一生懸命なのだが、うかうか口車にのせられないようにしなければいけない。しかし時々は、遊び半分に会話をしてみたりもする。第3の人生、おもしろ可笑しく、何でも楽しみに替えて暮らして行けたらいいかな・・なんて。今日も一日が終わりに近づいている。
2006年06月08日
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「棚田」と聞くと、私たちはすぐ写真で見る美しい風景を思い描く。青々とした田植えの後、黄金色に輝く秋の風景・・・見る人にとっては心和むのどかな田舎を思い起こされる「棚田」の風景である。写真が趣味の一つであることからも、棚田の風景には興味があり、一度良い時期を選んで撮りに行きたいと思っているところである。と、遠くから関係のない者が郷愁の念で見ているのは、誠に勝手なことと反面思っている。というのうは、その棚田を存続するにあっては、大変な苦労を伴っているということ。「棚田」は名の通り、山腹や急勾配な地形の中で作られた段々たんぼであり、1枚1枚の広さが異なり上と下の田んぼの段差が大きい。それだけに、狭い田んぼで機械が入らず手間がかかる上、米余り、輸入米の増加、後継者不足・・・などで、作付けをあきらめる人が増えてきているというのだ。一昨年、中越地震が起きた。家も、人も、家畜や鯉も、田んぼやそこに行く道路も、ひび割れ、土砂崩れで倒木や山のような土砂で埋もれた。ものすごい惨状をを私たちもテレビで目にした。そして被害にあった所は、日本一おいしい米“魚沼産コシヒカリ”の産地。「どうなるんだろう。あのおいしい米は今後食べられないのか」とも思った。被害の少なかった所は、昨年から何とか作付けができたらしいが、山間地の田んぼなどは今まだ目処がたっていないという。私も農家で田んぼを作っていて分かるのだが、田んぼは毎年作り続けないと田んぼにはならないということ。雑草が生い茂り、見る間に荒れ野原になってしまう。2~3年放置しておくと、「ここが田んぼだった」とすら面影一つなくなり、絶対と言っていいくらい復元することは不可能になってくる。一念発起して作ろうとするときは、北海道やブラジル移民の開墾的事業になること間違いない。冗談や笑い事では決してない。ところが今年、その被害の大きい小千谷市の山間にある吉谷地区でのこと。米作りをあきらめていた地元の人に代わって、他から移住してきた人が中心となって全国に呼び掛け、その人たちの力で田んぼの修復から始め、ついに今年とうとう田植えができたそうである。テレビで放映されていたが、その修復作業は並々ならぬ苦労の連続で、日頃家の農業を手伝う自分でさえ、「なぜそこまでやる?」「あきらめたら~」と言いたくなるほどだった。一年間放置された田んぼは背丈以上の雑草に覆われ、数メートルほどの亀裂が入ったところとか、どこから手をつけていいやらという状態であった。そして20年ぶりの大豪雪となった今年の冬が過ぎた5月、雪どけとともに大量の土砂が、地震でゆるんでいた地盤をゆるがし、再び田んぼ一面を覆っていた。田植えまで3週間という緊急事態を全国の仲間に知らせ、集まった人たちによって整地に精を出した。慣れていない農作業と粘土質の土のため、重い上、足がとられ時間の割に作業が進まない。こうしてどうやら、1年半にもわたる倒木や雑草の片付けから、土ならしまで終わり5月末には田植え作業ができた。あいにくの雨の中ではあったが、田植えができる喜びで集まった人の誰も手を止めることなく、終わったときはびしょびしょの泥だらけの顔で万歳を叫んでいた姿は感動ものだった。番組にゲスト出演していた星野知子さんは、棚田を守ることは、地域を守ること。みんなのコミュニティーを維持すること。私の今ある心や身体を育んでくれたのは、この故郷の中越の山々や田んぼであり、中越の子どもたちに素晴らしい故郷を伝えたいと言っていた。興味のある方は先方のホームページをご覧になってください。
2006年06月07日
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諺に「笑いは百楽の長」とあるように、昔から笑うことは健康に良いことだと言われてきた。それが近年富みに『笑う・微笑む』ということが取り上げられ、“笑うこと”を各機関・各所で扱かったりするなどが後押しし、全国的に大ブームになってきている。『笑う・微笑む』が改めて注目されるようになったのは、アメリカのジャーナリストが自ら罹患した難病を笑って治したということからとか。彼は49歳の時、不治の病とされていた強い痛みを伴う炎症性の難病を患い、医者から回復の見込は500人に一人と宣告されたのだそうだ。その彼が自ら回復計画を編み出したのが、喜劇やコメディーなど面白いものを見て笑うという奇想天外なもの。それを続けていく中に発見したのが、“15分爆笑した後は2時間ぐっすり眠れること”“血液検査でも笑った後は炎症の度合いが低下している”ことが確認されたこと。こうしてついに死の淵からの生還を果たした出来事が世界的に話題となり、各国で様々な研究がなされ、免疫機能と笑いとの関係が明らかになってきたということだ。そしてその後権威ある医学誌にも笑いについての研究報告が掲載され、科学的根拠についても議論されるようになり今日に至ったそうである。苦労せずに簡単に何でも手に入る現代、日常生活において「嬉しい」「楽しい」という感情を持つことが薄らいで、物の豊かさに反比例して、感情の乏しい人間が増えてきている。コミュニケーション不足から生じるところから、互いに人の心が理解できず、大小の社会問題を引き起こす一因になってきている。また、昔と比べ現代は特にストレスの受けやすい社会になり、大人も子供も心から笑うことが少なくなってきているように感じる。『笑う』という行為は、本来、「嬉しい」「楽しい」という感情があるから笑う。「笑おう」とわざわざメニューを作り提供しなければならなくなったのかと疑問を抱かないわけでもないが・・・。対しておかしなことでなくても、『笑う』ことで、「嬉しくて楽しい感情が湧いてくる」ことも事実としてあり、ともかく笑顔、笑顔で過ごす努力が必要であるかも知れない。
2006年06月06日
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スーパーの店先にはいろいろな食材が並んでいる。欲しい物は一年中いつでもあり、季節のものでも、陳列棚に常時堂々と鎮座ししている。それらの多くは輸入品で「もっともだ~」と納得するのだが、国内産もあったりで「保存方法はどのように?」と知りたくもなる。それに季節外れの食品は値段が高いかと思いきや、それほどびっくりするほどでもないが、やはり、私はその季節に採れる物はその季節に食べたいと思う。旬のものを楽しみたいのである。我が家に20代の家族もいるが、彼にしてもそれほどガンガンと肉を食べたいとは思わないらしく、むしろ菜食主義に近いようで助かる。そんなこんな訳で我が家の今夜の食卓は、山菜と自家野菜を材料にしたものを作ろうと思っている。「わらびのお浸し」「アザミの胡麻和え」「蕗と油揚げの煮物」「肉じゃが」などを。そうそう、「新玉ねぎの蒸し焼き?」もおいしいよ。新玉ねぎをラップに包み、レンジで3分チンして出来上がり。醤油をかけて召し上がれ!(これは友人から聞いたメニュー、簡単で素材の味と栄養そのまま頂ける)さて、そろそろ夕食の支度にかかろうかな。
2006年06月05日
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郡民体育大会の関係からか何でか、不思議と小学生バレーの関係の行事もなく、ぽつっと暇ができました。そこで、午前中は夫の勤め先の関係で労働組合が主催するビーチボール大会に参加しました。ビーチボールと聞くと、砂浜で行うあのビーチバレーボールを想像される方がほとんど思います。そうではありません。御存知の“スイカのビーチボール”の改良版の改良版の改良版を使って、室内で行う競技なのです。隣の町で考案し、今では年何回か全国大会まで行われています。コートはバドミントンのダブルスコートを使い、ネットの高さは1メートル80センチ。4人制です。ルールは9人制と6人制を混ぜた感じのもので、正規に大会を持つときは男女別・年代別で行われます。子供から70歳以上の高齢の方まで、全日本のチームに負けないようなユニフォーム姿ではつらつと大会に参加しています。簡単で誰でもがすぐ選手になって試合ができるこのビーチボールは、当地では気軽なスポーツとして愛好者がどんどん増えているようです。ビーチボールはこれ位にして、午後は中学生のバレーボール大会を見に行ってきました。私たちの指導した子供たちの中学での成長ぶりを見てみたいと思ったからです。身長も伸び、動作もきびきびとし、先生に対する言葉づかいや態度がしっかりしていて、大人になった事が第1の感想でした。試合が始まると、緊張しながらもチーム声をかけ合いながら一生懸命ボールを追いかけ、相手に打ち込んでいく。決まるとみんなで喜び、取れなくては悔しがり、勝負にかける子供たちの情熱が伝わってきて必死に応援してきました。これからも子供たちには、『今できることを一生懸命やってみる』→『やってみたら、どこがいいか、どこが悪いかと課題が見つかる』→『進歩が望める、希望が持てる』『だから今を一生懸命やる』という事を覚えてもらいたいと思った。がんばれ!子供たち。
2006年06月04日
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スポーツ少年団でバレーボールを教えて30年になります。他のスポーツに比べてバレーボールは人気がなく、どのチームでも団員集めに苦労しています。学校の教科にもないことから日ごろなじみがない上、痛い(だろう)という印象もあり、初めての子供には受け入れがたいのでしょう。もっともバレーボールは向かってきたボールを受けることなく、微妙なタイミングで返すという難しい動作が必要です。私自身は中学生の時から親しんでいるのですが、難しいだけに全身をバランス良く使うこの種目は身体を鍛え、調整するためには他に類のないスポーツと思います。また、チームスポーツと言うことで、チーム全体の心の調和を大切にしなければできません。私の預かっているチームの子供たちの合い言葉は“一人はみんなのため、みんなは一人のため”。全体意識のもと、お互いを思いやり尊重し合い、助け合って活動しようと目標を定めています。子供たちのやる気と元気と夢のため、バレーボールの試合をもっとテレビで放映し、新聞などでどんどん記事にしてもらいたいと思っています。そうすると、もっとバレーボールをやってみたいと思う子供たちが増えて、日本バレーボール界の底辺が拡大することになると思います。その子供たちがやがては「強い日本チーム」を作ることになると思います。良いサイクルでバレーボール界が巡ってくれることを念願しています。
2006年06月03日
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NHKの番組で「課外授業」というのがある。毎回各界で活躍する有名人が自分の母校である小学校に出向き、講師自身の現在の生きている世界をバックに、それぞれの手法を用いておもしろ可笑しく、時には涙しながら2日間に亘って行われる授業である。今回は、「オールウエイズ3丁目の夕日」の山崎監督であった。あの映画は昭和33年、東京が焼け野原から立ち上がろうとして、みんなが前に向かって暮らし始めた時代。みんなで助け合って住むところを作り、食べものを分かち合いながら一歩ずつ一歩ずつ前に向かって歩み始めた、昭和30年代の世界をうつした映画である。有り余るほど物があり、欲しい物は苦労せずにすぐ手に入る。簡単で便利な現在しか知らない子供たちに、昭和30年代の貧しく苦しい中で得たものの達成感は今の時代経験することはまずないといっていい。監督は苦しい中でも近所が助け合いながら暮らし、目的が達成したときの喜びが「次またがんばろう」という力になり、楽しいものにつながっていったように感じ、映画にしたと語っていた。子供たちには、最初映画を見てもらい、まず今の時代とどこが違うか、何を感じたかを言わせた。次に宿題を出し、その課題はお爺ちゃん、お婆ちゃんに昔の頃のことを聞いてくるようにと。翌日の子供たちは聞いてきたことをそれぞれ発表。そして次に、あの時代の何が良くて、それが今の時代ではダメなところで、それを良くするためには考え方をどう変えていったらよいかと新たな課題を与えた。子供たちは各自一生懸命考えた。・遊び道具を自分で材料をみつけ工夫して作れる人になりたい。・家族みんなで揃ってご飯を食べたい。にぎやかで楽しそうだな。・昔は普通だった近所の交流、あたたかい感じでいいな。・どうしたら情け深い人になれるのかな。・昔はけんかしてもすぐ仲直りができたらしい。・どんな乱暴な子でも、弱い者いじめはしなかったらしい。 相手を思いやる心を持っていた。などといろいろ意見や感想が出された。物のあふれる時代に生きている子供たち、少子化も手伝ってあまりにも保護されすぎ、自分の考えを持てない子。困ったときはせいぜい母親に聞くぐらいで他人に相談することがない。隣近所のつきあいもしなくなり、助けられたり助けたりすることもなく、だんだん困っている人の気持ちが分からなくなってきている。子供たちはこの授業を通して、「映画から」「祖父母の話から」「自分たちで考えて」物がない時の豊かさを見つけていた。そして、昔の人の情けの深さを感じ、広い心を持つための工夫を考えはじめ、それには「あいさつ」が大切だと考えるに至った。今これからの未来、それぞれが生きていく世界がどんなものであればいいか、そのためには自分はどうあればいいのかと真剣に考えるようになった。この授業、最後はどの子も「自分を探すようで、この2日間は楽しかった。」と笑顔で言っていた。私はこの番組を見て毎回感動している。登場する講師の先生や子供たちから、人間としての生き方を教えられ自分を反省する機会になっているから。
2006年06月03日
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昨日、カラスに我が家のペットであるかわいいツバメを残らず全部やられてしまった。頭に来た夫は、朝からさっそくカラス撃退対策を講じ始めた。俺の大切なツバメを総なめにした“にっくきカラスどもめ!”の心境からである。まず第1は出入りする納屋の戸の開閉対策2か所の戸を、うっかり閉め忘れたときのために「強力ゴム」を使って、自動で閉まるものに改造した。人間が出入りするときは、開けたらさっさと入らないと戸に挟まってしまいそうで少し恐い。(そのうちきっと、お婆ちゃんなどバチンと痛い目に遭いそうな気がする。納屋の出入り・・・命がけ??)第2にこれは公表していいものかどうか・・・(ちょっと考え)やめておこう!この様子を一部始終近くの電柱のてっぺんからじっと見ていたカラス「何でもやってみれば~」とばかり「あほ~あほ~」とあざ笑っているかに叫んでいる。(こんちくしょう!)カラスに挑戦状をつきつけた夫は、「これでもやられるようなら、俺はカラス以下だ」と言いながら闘志まんまんである。果たして今後この対決はどちらに軍配が揚がるやら・・・。冗談ではない。二度とカラスにやられてなるものか~。今、我が家は一家総出で“ツバメを守ろう運動”展開中!カラス撃退対策に全力で力をそそいでいる。
2006年06月02日
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我が家のツバメ家族は元気です。とその様子を報告したかったのだが、今日は悲しいお知らせをしなければなりません。我が家のツバメは5家族で、昨日も朝から賑やかだったので安心していました。ところが昼過ぎ、何気なく納屋をのぞくと羽根がたくさん落ちていました。ギョッ!として上を見上げると、巣の中にヒナの姿がありません。親ツバメたちは、音もなくその辺をただおろおろ飛んでいるだけ。すぐに「カラスにやられた!」と思いました。5家族のヒナは一羽残らず、全部カラスに食べられてしまったのです。納屋の戸の開け閉めには十分すぎるほど気を遣っていたのに・・・。いつのことだろうと考えてもわかりません。それから夕方に、再びツバメの様子を見に行きました。そしたら、何とツバメは健気にも新たな巣作りを始めているところでした。立ち直りの早いことに感心し、そして気持ちがとても楽になりました。勝手に訪れては天井に巣をつくり、糞で納屋のあっちこっちを汚すツバメたちですが、巣づくりから抱卵、そして孵った雛に餌を運び大きくして巣立たせる。その姿は人間の子育ての縮小版のように思われ、巣立つまではカラスや天敵から守ってあげたいと誰にでも優しい気持ちにさせてくれる。夫の今朝一番の仕事は、納屋の戸をうっかり開けても、自動で一定の広さまで締まるような方策を施していた。今度こそ、しっかり守ってあげようと心新たにしている。我が家の唯一の名前のないペットたちを・・・。
2006年06月02日
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1か月ぐらい前のこと。ある方からお酒をもらった。どこのお酒かとラベルを見ると、栃木の酒屋さんの吟醸酒で「ありがとう」と書いてある。そして、横に清水英雄先生の詩が添えられていた。「ありがとう」・・・日常的に使っている言葉。この言葉は、誰かに何かをしてもらったとき、自分にとって得るものが形で表れた時など誰もが何気なく使う。しかし、この詩を見て読んで私はドキッとした。長い間のもやもや感がとれるように感じたからだ。「ありがとう」の言葉は辛いとき、悲しいとき、ピンチの時も自分をすっくってくれる重みのある言葉であること。長い人生を歩いてきた自分だが、いつも何かに追われているような、よくわからない不安感があり、ストレスがたまる。何も心配することがない日常生活においても、ちょっとしたことでいらいらし、家族にも不愉快な気持ちにさせてしまう。こんな自分を一掃させる言葉だと思った。昨日、美容院で雑誌の中での特集記事を何気なく見ていた。それは「へこんだ」時の解消方法の一つとして、“「ありがとう」の言葉を口癖にしてみよう”とあった。心理技術に「アンカリング」というのがあるそうだが、これは幸せな気分を感じたときに「手をたたく」などの動作をしておくと、後でその動作をしたときに同じように幸せな気持ちになれるというものだそうだ。それと同様な作用がこの言葉にはあるということ。私はおいしいお酒と共に、「ありがとう」という人生訓をいただき幸せを感じている。「ありがとう」
2006年06月01日
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今日は私の誕生日だ。?十年前、秋田の片田舎で5人兄弟の末っ子として生まれた。5人兄弟といっても、長男は20歳も離れている。すぐ上の兄にしても5歳の差があり、ほとんど兄弟として遊んだ記憶はない。遊び仲間は、むしろ兄の子供や近所の子供たち(といっても、その頃は私も子供だった)であった。当時の遊びで思い出すのは、夏に近くの川に泳ぎに行ったことだ。泳ぐといっても、涼を兼ねた水遊びで、男の子も女の子も学校が終わるや否や、その“泳ぎ場”にかけつけ薄暗くなるまで遊んだ。深いところも流れのきつい危険な所もあったのに、その頃大人の監視人一人いなかったように思う。今は考えられないことだが、そんな(危険?)な所へ毎日のように出かけ、親もまた進んで行かせた。冬の雪の季節はまた楽しい遊びがあった。スキーやスケート遊びだ。といっても、スキー場やスケート場に連れていってもらうわけではない。近所の庭先がスキー場になる。坂になっていて、その先に田んぼが広がっている。子供たちはそこに集まってすかさず“俺達のスキー場”を作ってしまう。こぶを作ってジャンプ台にし、竹スキーやミカン箱のそりでよく遊んだ。また冬は、雪合戦やかまくら遊びもよくした。吹雪であっても、自ら雪だるまになってこちこちに凍り付いても外で遊んだ。時代がどんどん変わり、今はどんな田舎の学校にもプールがあり川で泳ぐなど考えられなくなっている。雪の中楽しく遊んだ子供時代を過ごした老人自身が、雪が降ったら孫を外に出すことを止める。私たちの子供の頃は兄弟や近所の子供たちの間でこうして“小さな社会”ができていた。そしてその中の自由な遊びを通して自然に社会性が身に付いていったように感じている。子供も大人もコミュニケーション不足が生じられている現代を考えるとき、私の過ごした子供時代のセピア色にあせた光景が懐かしく、良き時代であったとしみじみ思い出されてくる。
2006年05月31日
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先日ネットでスポーツシューズを買いました。少々値段の高い、我が家にとっては高額商品の部類の品。今履いているシューズもまだ買い替える必要がなかったのですが、スポーツ店のHPを眺めていて衝動的に注文してしまった物です。買い替える口実が見つからず、配達時間を夫の留守にと指定したりと、手にするまで少し苦労してしまいました。それなのに、それなのに、目敏い子供たちによってあっさりばれてしまったのです。日ごろも子供たちはほんの少しの変化も見逃してはくれず、一番の難関はこの子供たちに知られないようにすることだと思っていました。カットしてきたとき、髪の色、服装、持ち物、化粧がどうだとか、口紅の色が何だとか・・・足の先から頭の先まで実に良く観察しているのです。高学年になると、少しは言っていいこと悪いことを考えるようですが、低学年の子供たちはよってたかって遠慮なく感じたまま口にします。こんなちょっと困った事もある子供たちですが、ストレートに言ってくれることで自分で気がつかない部分を気づかせてくれる鏡のような存在なのかとも思っています。
2006年05月30日
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子供を連れたお母さん方にお願いしたい。町でよく見かける光景から思うこと。1,子供を乗せて買い物などに出かけるのはいいが、身障者エリアの所に駐車することは絶対やめるべし。(自分勝手な人間をつくる気か~)2,煙草を吸うお母さん方へ 子供が横にいるのに、狭い車の中や喫茶店で、平気な顔でスパスパと煙草をくゆらせている母親をよく見かける。これって、どう考える?(自分の子供を病気にしたいのか~)3,子供を同乗して運転しているときのマナーについて 信号無視、スピード違反、携帯電話、子供の前で他人の悪口をいう(そのうち、自分の子供に反抗され、軽蔑され、無視され、孤独になること、わかっていますか!)自分の行動をそのまま子供がするということをどうか忘れないようにして欲しい。
2006年05月30日
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スポーツ少年団で他人の子供たちを預かっています。そこではスポーツそのものを上手にするために教えている訳ですが、それと同時に「礼儀や挨拶」などもとても重要な指導の重点項目としてあげなければならなくなってきています。「礼儀や挨拶」というものは、本来育っていく段階に応じて、各家庭の中で当たり前にできていくことであり、改めて他人に教えてもらわなければできないという問題はないとは思うのですが、扱う子供たちの大半は当初ほとんどできません。なぜ家庭でしつけができないのかいろいろ原因を考えてみると、1,核家族化が進んで、教える祖父母がいない。2,子供が少ないせいか、甘えやわがままを許している。3,親が忙しい。 その中には仕事が忙しい。遊びで忙しい。(子供より自分が第一という信じられない人も)4,親に自分の子供をきちんと育てようとする自覚がない。 (何が大切か、そのためには自分はどうあるべきか考えるなどしない)親自身が大人になりきれていないということでしょうが、それはむしろ当たり前の事とも考えます。子供を育てていく過程でいろいろなことで悩んだり、考えたりしていくうちに子供と共に成長していくもので、子供が大きくなり一人前になった頃に自分もだんだん人間として一人前になれると思うのです。自分の行動を反省し、正しいと思うことを自ら行って見せ、日ごろの言葉づかいにも気を付けながら、日々の生活を大切に子供たちと接していく。そして大切なことは、子供自身もいろいろと考える力を持っていることを忘れず、「お母さんはこう思っているけど、あなたはどう思う?」などと自らの考えを引き出すことも大事ではないかと考えます。怒られずに済ます方法、こう答えると親は喜ぶなど子供は実に親に対して自分が有利になる方策をよく考えています。目先のよい子より、大人になって社会の中できちんと生きていくことのできる子供を育てたいものと、日ごろの活動で親にも同じ考えをもってもらいながら努力邁進してところです。あれやこれやと立派なことを言っていますが、私自身「子育て失敗組」です。自分の反省の意味を込めての願いです。
2006年05月29日
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年末年始に郵便局でアルバイトしていたときです。年賀状の仕分けをしていました。そこに何枚もの目の引くはがきがありました。宛名が何か変なのです。何かなあ?と何気なく差出人を見ると、動物病院でした。そうか、この変な感じのする名前はペットの名前か~!「~様」と飼い主の名前に横に「~様」とフルネームでペットの名前が宛先となっているのだ。犬やネコ、またはブタやハムスターやインコやイグアナやザリガニまで年賀状が届く世の中になったのかと、驚きでした。ペットを飼っていない我が家では考えられないことで、しばらくこの事が私の頭から離れませんでした。
2006年05月28日
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私って、古い人間でしょうね。ビックリすることが数あります。その一つです。3月末、春高バレーの観戦に小学生4人と中学生2人を連れて上京しました。その時都内で1泊となったのですが、近くて安くてそれなりの宿を旅行会社に頼みました。そして、予約してもらったところが“新宿歌舞伎町”。ん?と思ったのですが、旅行社が斡旋する「政府登録観光ホテル」ということで、有名な飲み屋街とは道筋が違うのでしょう!と思いこんでいました。ところが行ってみて驚いた。ホテルの周囲はホストクラブばかり・・・。「どうしよう!」と思っても、その段階ではどうにもならず。興味津々できょろきょろする子供たちをせかして早々にホテルに入りました。子供たちの部屋の窓からはビルだけが見えるところを、アダルトビデオはOFFにしてくれるなどホテル側も気を利かせてくれました。ともかくその夜は、外出は禁止。よい子は早く寝る。ということに・・・。翌朝チェックアウト後、車を出すのに時間がかかっていた時のことです。子供たちは隣のホストクラブの入口をのぞき、出てきた髪の毛の黄色いナウイお兄ちゃんと親しげに話しているではありませんか。「おい、おい、おい・・・どきっ!」です。彼らにしても、相手は子供たちですのでどうってことはないのでしょうが、一瞬焦ってしまいました。帰ってからそのことを保護者に言ったのですが、保護者も笑っているだけでした。心配していたのは私たちだけだっということです。「ホストクラブ」とか「ホスト」とかはテレビのドラマなどで、子供たちはその番組を熱心に見ていて何でも知っているようでした。今時の親は、夜遅い番組や大人向けのものにしても、「寝ろ」とは言わず子供と一緒に見ているのでしょうかね。驚きです!
2006年05月27日
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本日の当地は朝から清々しい五月晴れとなった。出がけの夫が「朝からカラスがツバメを狙っているから気を付けてくれ」と言いに戻って来た。我が家の納屋には5家族のツバメたちが賑やかに暮らしている。抱卵真っ最中の家族や卵からかえった赤ちゃんツバメがいて、親ツバメは朝早くから餌を求めて出入りを繰り返している。ツバメがきてからの夫は納屋の扉をツバメがぎりぎり入れる広さに開けてあげる事を朝一番の日課としている。その微妙な間隔を「すきあらば・・」とカラスが狙っているのだ。どこかで人間の様子をじっと見ているのだ。カラスの賢さには以前から感心することが多くある。いつかの秋。頭を垂れて実る稲穂をくちばしで切り、それをアスファルトの道路に並べ、自分の足でしごいて脱穀していた。その様子に感心し、しばし追い払うのも忘れて見入ってしまったこともある。そういう賢いカラスだが、誰もカラスが好きだという人はいない。それはカラスは見るからにどん欲で不吉な印象を与えるからでしょう。人間もきれいな方が得していると同様、カラスもきれいな色をし、可愛い目と美声を持っているとしたら、それほど嫌われずに済んでいるだろうと少し可哀想に思えてきた。(でもやっぱりカラスは苦手・・)
2006年05月26日
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私の家の隣のお父さんのこと。夕方、空模様を気にしながら畑仕事を急いでいた。そこへ隣のお父さんが犬を散歩しに出たところで、私たちを見つけて寄ってきた。雨上がりの足もとの悪い畑の中でか、歩かせていた犬をだっこして私たちのすぐ横まで来た。一通りの挨拶の後、「健太は、自分が犬だとは思っていないのではないかと思うんだけど」と言う。何とも返事のしようがなく、「そう?」とだけ答えて仕事を続けていた。そしたらまた同じ事を繰り返し言う。仕方がないので、「それはお父さんがかわいがって、人間扱いするからでしょう!」と言うと、満足したのか、もう一度同じ事を言いながら、散歩に連れて行った。その犬の名前(健太)は、私の息子(人間)と一字違いであり、「何で同じような名前を犬につけるのよ!」と、私がその犬を見るたびに腹ただしい思いをしていることを知らないでいるのでしょう。(私にしたら、そんなつまらない事聞いて欲しくないんだけど・・)そうそう、いつかの散歩中の時見たことなんだけど、前を走っていた車とすれ違う際、あわてて連れていたその犬をだっこしたんですよ。普通は手綱を引く程度に道路の端に寄って車をやり過ごすでしょう。ところが、そのお父さんは車が来たらいちいちだっこしてやりすごすのかと思うと、一人で車の中で大笑いしてしまいました。私のまわりにはいろいろ面白い(変な)人がいる事を思い、もしかしたら(いや、きっと)私自身も人から見たら「変な人」かもとつくづく見つめてしまいました。
2006年05月24日
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スポーツ少年団活動中のこと。一緒に指導に当たっている主人が「ほれ!カメラ!カメラ!」と私に呼びかけてきた。何かと思ってその先を見ると、4人の子供たちが“ろくぼく”につながって後ろ反りをしていた。「はあ~?」と改めて見ると、「イナバウワ~」と発しながら一斉に後ろ反りの芸をしている。その格好がとても可笑しく、他の子供たちも大笑い。受けたと思ったのか、もう何度も繰り返している。そのうち何人か加わって、ますますおかしなことになってしまった。「そんな暇があったらバレーボールの練習をしてくれ」(笑い)ほんとに子供って何を考えるかわからない生き物であり、世の中の出来事をよく知っているといつも感心している。
2006年05月23日
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私もお婆ちゃんだが、家にはもう一人先輩のお婆ちゃんがいる。大正6年生まれの現在88歳。年齢相応の物忘れは驚くほどあるが、ぼけてはいない。また、身長140センチと小さく軽いせいか、実に行動的なのである。三輪自転車を乗り回し、これに乗るとスーパーマンに変身し、空を飛ぶようにどこにでも出かけていく。ある日などは朝9時に玄関を出て、まずは西のお医者さんで血圧の薬をもらい、その足で東のお医者さんで白内障の診察を受け、帰りはどっかスーパーで買い物をしてくる。その距離およそ15キロ。ずいぶん長い散歩道を重い自転車を漕いでくるのである。帰ってきたのが昼を過ぎた1時頃。いそいでお昼を済ませたかと思うと、今度は近所の老人仲間でのゲートボールに出かけていく。そして夕方帰ってからは、畑の様子を見に行ったりと一日を惜しんでいるのか随分精力的に動く。以前は風邪を引いたり、お腹の調子が悪くなったりしたのだけど、数年前から風邪も腹痛もなく、年齢を重ねる程に元気になっていくように思われる。自分でもそう感じているのか、「100歳まで生きるかも・・」と苦笑している。この元気な秘訣は何なのだろうかと考えると、それはその人の生きてきた日常にあるとの一言に尽きる。若いときからの体力(特に足腰の鍛錬)が貯蓄されていたからである。・・そう確信する。平均寿命を延ばしているのも、この年齢の人たちだと言うし、そうなるとこれからの平均寿命というのは、徐々に下がってくることになるのか・・・とふと考えた。
2006年05月21日
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長年にわたって、子供たちにバレーボールを指導している。小学1年から6年までの女の子と週3回から5回を練習会や試合などで共に行動している。ここで思うことは、子供というのは実に面白い生き物だと言うこと。今16人の子供が私のまわりにいるが、16種類の個性を発揮して子供たちは動いているのである。一人一人の子供の言うこと、やることをよく観察し、よく物事を考えさせる。また子供たちの教えられることも多く、自分自身にも有り難い存在であること。しかし、子供を見て感じることは、育った家庭環境や親の考え方が子供の精神面にはとても大きく、過干渉、放任主義の中で育った子供は得てして問題をかかえているように思うこと。自分自身が“子育て失敗組”と思っていることからも、どの子もすくすくと元気でまっすぐに育って行けるようにと願って日々子供たちと関わっている。
2006年05月20日
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今朝、家の前の道路を雉子が急ぎ足で横断していた。「おっ!」と、思ったが、こんな光景は近年珍しくない。私の子供時代、雉子は食べものであった。父が“鉄砲うち”(猟師ではなく趣味で)だったものだから、山に入ってはいろいろな動物や鳥を捕ってきた。それを捌いて、中身は食べ、皮は剥製となって姿を残していた。当時は雉子以外うさぎや山鳥などいろいろのものが食卓にのぼった。思えば、我が家の肉類は豚肉や牛肉などではなく、山の動物の肉だったのだ。おいしかったとかまずかったとかの印象はあまり残っていないが、田んぼやちょっとした林や草っぱらでよく見かける雉子や山鳥などを見ると、「食べもの!」としか思えない自分に気がつき苦笑している。
2006年05月19日
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----- Original Message ----- From: > To: ??????@ma.mrr.jp> Sent: Wednesday, May 17, 2006 12:03 PM Subject: 17日の日記
2006年05月17日
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テレビで3匹のミニブタの5種競技決定戦という番組をやっていた。障害物競走、高跳び、重量挙げ、サッカー、25メートル競泳の5種目である。14日間でこれらができるように、雇い主はペットにしている自分のミニブタに教え込む。雇い主にとってはいかにうまくしつけができるかということになり、番組のタイトルも「ミニブタしつけ選手権」だった。「ん? なんだあ?。ぶたが芸をしている・・?」何気なくテレビに目をやり、その面白さについに釘付けになって見入ってしまった。ブタには犬や猫にはない愛嬌があり、表情があるのだ。一生懸命練習しているその姿、形に何とも言えないほほえましさと滑稽さに引き込まれ、一緒になって頑張る気持ちになってしまう。そして、できたときはなぜか嬉しさがあふれてくるのである。「障害物競走」はカタカタという車を鼻で押しながら何メートルかを走る。「高跳び」は跳び箱を飛び越える。「重量挙げ」は自慢の鼻で3秒間持ち上げる。「サッカー」はPKでボールをゴールする。「25メートル競泳」はプールで25メートル泳ぐ。トム選手、ミルキー選手、チャンプ選手という3匹のブタは、14日間の訓練で見事にどれもできるようになった。ミニブタは学習能力が極めて高い動物だそうである。(納得!)家の息子も一緒に見ていて「ブタにみならわんならんちゃあ」と感心していた。しつけによっては、犬のようにお座りや握手などいろいろなこともできるようになるようだし、アップに映し出されたぶたの目のかわいいこと。くりっとした二重まぶたの丸いかわいい目をしてしている。何となくブタは好きだったのだけど、この番組を見ていて「私はやっぱりブタが好き」と確信した。犬を散歩させている多くの人の中で、ミニブタを散歩させている自分を想像して嬉しくなり、我が家にペットとしてミニブタを飼おうかなと本気で考えている。
2006年05月14日
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毎年春になると我が家にはツバメが数家族訪れる。今年も5家族が納屋の天井を根城に賑やかに暮らしている。親は赤ちゃんツバメに餌を運ぶため、外と巣をせっせと行き来している。赤ちゃんツバメは自分の親が巣に近づくと一斉に顔をそちらに向け、顔いっぱいの口を大きく開けて餌をせがむ。たいてい5~6羽の赤ちゃんツバメはおんなじ動作をするので見ていたらとても面白い。しかし5家族もいて、全く同じ顔をしているのによく自分の子供を間違えないものだと感心する。人間の住む世の中が変わったと同様、ツバメの世の中も変わってきているのか・・・。今年のツバメはどの家族も、自分で巣を作らない。去年の古い巣を手?直しして使っているのだ。頭を使ってか、ずるいのか、古い巣が気に入ったのか・・ちょっと考えさせられた。
2006年05月13日
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今朝、何気なくテレビでニュースを見ていたら、田植機が一人で田植えをしていた。驚きだ。GPSで動いているようだけど、農業もここまで進化したか・・・としばし見入ってしまった。今はまだ試験段階で値段も途方もなく高いらしいが、そのうち農繁期でも田んぼに人間の姿が見えなくなってしまう時代がくるのでしょう。まだ農繁期だけは子供や老人まで家族が協力しあい、それが家族の絆にもなっているというのに・・・何だか寂しい気がする。
2006年05月11日
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田植え真っ最中!我が家は苗代部分を残して田植え終了です。これから機械で植え損なった角の所と植え付けられず穴になっているところの手植えに一回りの仕事が待っている。これが辛い。腰が痛くなり、考えると頭までが痛くなる。泥だらけにもなるし、農業もこんなことが嫌われる原因かと思う。
2006年05月10日
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雪解けと共にやって来た春は、とても忙しい。先日は家庭菜園の茄子や胡瓜、トマトを植え、今日からは田植えだ。立山連峰の雪に光りをバックに、あちこちの田んぼでは赤いトラクターがエンジンの音を立てながら行き来している。1週間後にはあたりは緑一色となり、のどかな田園風景が広がる。忙しいけど心嬉しい春なのです。
2006年05月08日
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