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ここのところ毎週末エライ忙しくしています。この土日はライブ三昧。土曜日は、幼飲み友達がドラムを務めているブルースバンド、ウシャコダ(とっくに解散、最近たまに再結成)の久々のホールライブ。松戸市民会館です。いやぁ、盛り上がりました。’78年ヤマハイーストウエストでグランプリを獲得し、プロデビュー。翌年の伝説の中野サンプラザライブから早や27年。両方で司会を務めた石川さんてヒトが今回も前説したりなんかして、そりゃオバさんじゃん。ソロでちゃんとプロ活動しているのはボーカルの藤井さんだけなんだけど、いやぁ、スバラシイですね。なんとソウルフルな、なんと力強い、なんと楽しきMCの、なんと熱いノリの、廃盤の嵐ッ!!ドラマーも、潮時に私の同級生と結婚して、今は営業マンしているんだけど、ちゃんと嵐を呼んでたぞッ。皆、ブルースな人生を積み重ね、各々に濃く味わい深くなって、しっかりとビートを刻んで生きてきた。その波動が魂に響くぞッいまだファンと公言してはばからない(希少価値)同行の照明マンも、「これぞライブッ」と興奮しておりました。グレイのMCなんかヒドイんだって。カラッポで。「あいつら頭ン中もビジュアルなんですよ」。今回は彼らの出身地、松戸の同級生たちが発起人になったそうなんだけど、これがまた温かいわけですよ。一体化とか共鳴とかシンクロとかいう言葉ではくくれない、音楽がつなぐものの強さ、野太さ、奥深さを思い知らされました。奇しくも私、彼らと同じ小学校出身。同じ団地に住んでいた。不思議な縁を感じましたね。でもって、翌日曜日は世田谷で上々台風のライブ。彼らも創業25周年だそうです。期せずして、すんごい年季モノの人たちの音を連チャンで聴いたわけだ。けど、やっぱ年季ってすごいよ。こっちはもうスペシャル・エンターテインメント!。ライブパフォーマンスの極み。初めて生で見たんだけど、なんだろう、このキャパの広さは。どんなジャンルにも属さない、何もかもを内包した独特の音楽性と表現スタイルはもちろん、見る者聴く者すべてを均等に受け入れてくれる鷹揚さ、寛容さ。ヒトを楽しませること、自分を楽しむことを徹底して追求するプロ根性。おもしろいッ、おもしろすぎるッまた、お客さんがいいんだ。若い連中のみたいに、攻撃的に支持を連発するわけじゃない。すごくシャイなんだけど、すごく愛し合ってるの。「あー、今ここにいる」その幸せ感が場内に満ちあふれている。こちらも、上々が定期的に「場」としている世田谷だからかもしれない。地元ィーな空気が、決して排他的でなく受け入れ態勢ゆるゆるで、バリアフリーな感じで、心地いいんだこれが。どちらにも共通しているのは、大人なライブだってことですね。年齢層も、やってる側に即して同じくらいだし、けど幅広くて中高生とか子どももいるんだけど、みんな大人なの。楽しんでいる分には同等。やっぱ本来のライブって、こういうもんじゃないかと思う。誰かが取り残されたり、寂しかったり、閉じちゃったりしたら、そこで時間を共有する意味がない。誰一人とりこぼさず、公平に幸福になるために、アーティストは目いっぱい努力するし、お客さんもそれを素直に理解して応える。あー、こういうのを理屈で語るのは疲れる。要はみんながみんな、HAPPYになればいいわけですね。そういや、上々で私らの列の一番端っこで、独特のノリをしていたお方。人民服みたいの着て、暗いうちに入ってきて、ググッと身を乗り出し、恐ろしく緊張感をみなぎらせて、しかし明らかに紅潮しておられ、そして暗いうちに退場した。途中から釘付けでした。どこかで見たような…。あっ、思い出したッ、あれはッ、と、鳥肌実?!ッ(怖)
2005.05.30
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急にラーメンが食べたくなって(そういうことよくあるでしょ?)、こないだニュース番組でも紹介していた町田の「勇次」まで行ってみる。近かないけど、B-BASSさん(ローカルラーメン情報の一人調査隊の方。コメントに人柄が出てる)もホメていたし。かなり山の中です。久々のカツオ出し。舌が馴れていないせいか、特別あっさりでインパクトに欠ける。まあ、おいしいけど、くらいな感じ。それに、昼営業も終わりに近くて、客は私一人。テレビのときの、活気あふれる混雑ぶりは、やっぱヤラセかなー。家族かな。店主は奥でつくってる小太りの男の人らしい。30代半ばくらい。彼が勇次?無愛想です。ていうか、ちょいイライラしてる。で、フロアに二人。これは夫婦ですね。おじいとおばあ(といっても60代くらい?)。どうも家族でやってるっぽい。もしや勇次の不機嫌の原因は、この動きの鈍い素人の父母か。ラーメン屋ってさ、あくまで私的な見解だけど、やっぱり若い人がいないと、なんかポイントが下がる。味に勢いがないというか。まあ、気のせいなんだけど。もちろんひときわ繊細でていねいな仕事をしているラーメンもあるでしょう。そういうのが好みの人も多いと思う。でも、要するに自分はそういうのをあまり求めてないわけだなと気づく。頑固オヤジ味一徹一人カウンター主義、というのも、近頃見受けなくなったし。覇気が魅力の家系(最近知りました)に馴らされてしまったんでしょうかね。でも、それ、少しはあると思う。よく行く町田の味噌ラーメンの店も、最初、夫婦でやってたんだけど、人気が出て忙しくなって、ヘトヘト感があったのに、最近若い子を何人か入れて元気が戻ってきた。オヤジさんも教える相手ができて、うれしいのでしょう(って勝手に推測)。だから、今日の店はちょっと寂しかったな。ひょっとして昼の混雑が過ぎて、父母、体力の限界だったのかもしれん。お疲れのときにオジャマしてすみませんでした。そういえば、近辺のお気に入りのラーメン店が3店とも、ローカルサイトにすら紹介されません。つまり、ラーメンというものは非常に個人的なものなんですね。たとえば、カツオ出しでいうと、永福町の行列の店「大勝軒」なんか気が知れない、魚臭くて。あの時は食べた3人とも「二度と来ない」と言ってたけど、これだって、並んでも食べる人がいるわけだから。期待して行っちゃいけないってことか。自分の舌だけを信じる(!)。譲れない味というのが、つくるほうだけでなく、食べるほうにも個々にあるから、ウカツに人にすすめられるものではない。奥の深い食べ物。日本が世界に誇れる食文化です。あ、「勇次」の行きがけに、かの有名な「雷文」の前を通るんですけど、私は一度も行ったことありません。掘っ立て小屋を建て替えて、ずいぶん小ぎれいになっちゃって。ここ地元に評判悪いです。いえ、味じゃなくて、おばちゃんの人柄が。近いだけに、PTAとか自治会がらみのウワサまで耳に入ったりすると、味わう気も失せます。ここは遠方からのお客さまに任せます。ひとドライブして家にたどり着く頃に、なんかまた食べたくなった。手打ちの固め細めんとか、トロトロ味付タマゴとか。全部がほどよいスープとか。あー、あと引く。これかー。やっぱりおいしかったんじゃん!すごいぞ勇次。寿司職人のキャリアも生きてる!ほんと、ラーメンて奥が深いですね。
2005.05.19
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「昨日のメンチかつ、おいしかったぁー」。娘がしみじみつぶやく。昨日、昼前に肉屋に行ったので、久々に揚げたてのメンチを買ったのだった。どうせ冷めたら食わんだろうと2コだけ(私は外で豪華ランチだったもので)。「うっ、うまいッ」とごはん茶碗片手に雄叫びをあげる彼女を横目に見ながら出かけたんだけど、その後、ドラマがあったらしい。ちょうどそのタイミングに起きてきたオヤジに彼女は残りの1コをあげた。すると、オヤジはお礼のつもりか、ひと口お返しする。これがいけない。「呼び水ってやつだよね。なまじひと口食べたから、よけいあと引いた。あー、こんなんなら最初から2つとも食べちゃえばよかった」。つくづく心残りらしい。けど、昨日のことだよ。日曜の昼下がり、食べそびれたメンチかつを口惜しがる女子大生。嗚呼。夕方、珍しくオヤジが台所まで来て「昨日のメンチかつだけど」と切り出す。「あいつ、オレの分も食いやがった」「えっ、ひと口じゃないの?」「ひと口やったら、箸持ってきて…」。おすそ分けのつもりが母屋をとられたの図。しかし、ふだんはそんな申告したことない。よほど無念の模様。嗚呼。一つのメンチかつをめぐって、双方向からまったく違う見解が提示される。これを美しき親子愛とみるか、ただの食い意地張った親子の醜い奪い合いとみるか。どっちにしろあほらし。こんどは3つ、いや4つ、いや5つだって買ってくるぞッ、文句ないだろッ
2005.05.15
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蜷川幸雄「メディア」。大竹しのぶのド迫力。大女優。迷わず称号授けます。6年ぐらい前に同じコクーンで「パンドラの鐘」を見た、あのときより数段、いや数十倍増強している。あれが蜷川さんとの初合わせだったそうな。それにしてはすでに息が合っていたけど、今回ははるかに凌駕。もっとも、パンドラは野田秀樹の作で、世田谷でやった天海・堤組のほうが、本人演出だったし、むしろ印象深いけど。メディアは、初演は平幹二朗でしたね。見ればわかるけど、確かにどう考えたってあの役は男でないと無理。ギリシャ神話の子殺しの、嫉妬に狂った大修羅女ですよ。ドロドロ。女じゃやれない。アイデンティティがぶっ飛ぶ。つくづくしのぶしかいないな。彼女は自分の中にある、女優という別の生物の凄みとか旨みをきっちり身体でわかっている。ギリギリで壊れなくてすむ抜け道を、たぶん生まれながらにもっている。違う意味で悦子と張り合える。って、ぜんぜん違うけど。ヤな女だな。ほんと、世界に誇っていい。思えば青春の門のシュミーズ姿から幾星霜。「しんすけしゃん」と呟くか細い声は、耳を疑うほど野太く色っぽくなって。彼女が張るかぎり、日本の舞台演劇は安泰。というか、ほかにいないというのが、淋しいかぎり。
2005.05.11
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1時から(夜中の)J-WAVEで渡さんの追悼番組やるという情報が入ったので、どうしても起きてなくちゃならない。けど、眠い。BSのちょい番組で、宇野千代さんのインタビューをやっていた。若い。いくつぐらいのときだろう。「男と女はね、4~5年はオスとメスでやっていられるの。そのあと、真の意味での友情が育つんだけど、私はそこまでもたないの」「私はね、尽くすのが面白いの。楽しくてしかたがないの。恋愛の武士道みたいなものかしらね」うーむ。そのあと「情熱大陸」で、LEONの名物編集長が出ていたけど、54歳かー。いまそこそこ団塊にブームのちょいワルの仕掛け人。あれもねー、踏み外せない中年男たちに助け舟を出した点ではありがたい方かもしれないけどね。定年になって、あとがないからって、小金使ってギリギリの悪あがきというのでしょうかね。それがちょいワル、ちょい不良。そうかー、宇野千代さんとの違いは潔さかな。そういえば、昨日のNHK終戦60年企画の主人公の渡辺さん、90歳だったな。シベリア抑留体験者。収容所で出会ったルーマニア人の友人を訪ね、病院で再会し、果たせなかった約束をわびる。60年たって、自分の中の戦争に、きっちり落とし前をつける、かくしゃくとして精悍な顔。まさに高潔。で、渡さん。佐野士郎がナビしていた。皆、いせやで見送ったらしい。LEONにはほど遠い世界。出棺のときに流れたのは「私の青空」。My Blue Heaven。皆を置いてけぼりにして逝っちゃったんだね。ラジオで聴くとかえっていや増す。渡さんの声も潔いな。
2005.05.08
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フジ金曜エンタテインメント。このところの身近なテーマなだけにチェックする。市原悦子って、もはや名人の域に入っている。誰の追随も許さない。容姿的にも。泉ピン子が追っているかと思いきや(主に容姿的に)、まったく別物。「渡おに」の再放送なんか見ても、なんだ、この頃まだこの程度かという感じですから。悦子はね、あの年齢ではもうきっちり開花していましたからね。なんというか、周囲に何人か同じ職業(訪問看護師)の人を見るようになったから実感するんだけど、まさに彼女はその職業人そのものです。当然ながらドラマは、いまその現場でのできごとなのだけど、彼女が演じると、その人の背景、生きてきた道程、積み重ねた経験なんかが、すべて内包されている。ぎっしり詰まってるんですよ。まさに、その日まで、その人生を生きてきた、その人の生きざまが。セリフはそりゃ短時間にいろいろ詰め込まなくちゃならないから、多少の無理も出てくる。けど、それも、彼女によると、いま言っていい言葉ばっかりなんだよね。太一さんもとんこうさんも、今回はまさに悦子にお任せ。悦子一本勝負。頭下がります、女優魂。で、上野樹里です。すごいです。大器です。母親役の森下愛子かすむかすむ(彼女にはたぶんこの役無理)。死ぬ前に彼女の希望で横浜の(保土ヶ谷というのが泣かせる)、通っていた高校とか駅とかコンビニとかに行くの。そのときのぼんやりな眼差しとか、半開きの口とか、嗚呼。セリフないのに脳裡が押し寄せてきちゃって、もうね、号泣でした。この後、何本かたてつづけに映画に出るらしいんだけど(へんなもんばっかり)、しっかり見届けようじゃないか。「チルソクの夏」もよかったよ。千鶴(池脇)なんてメじゃない。大きく羽ばたけ!あ、そういや「エンジン」にも出てたな。いいよ、出なくて。これからのキャリアに大して意味がない。
2005.05.06
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夜中の2時半はたぶん起きていられないと思って録画しておいたnonfix憲法9条の特集、今日見ました。「誰も知らない」の是枝監督が、自分で撮ってナレーションを入れている。同世代(少し下)だけに共感する部分が多い。ゴジラやウルトラマンに対して、大人になって気づいた疑問点も同じ。いまと違って、あれはやっぱり大人が大人のためにつくったものだよね。子供にかこつけて。その点が、仮面ライダーと一線を画す。木下恵介の「二十四の瞳」を大島渚がこき下ろした話も、うすうす知っていたけど真相がわかってよかった。戦争に負けた者すべてが被害者になってしまう。みんながみんな「だまされた」と言って終わらせて、何一つ解決していない。だからいま頃こんなことになってしまう。マッカーサーが去り際に「この国は12歳の少年だ」と言った意味もいまわかる。老成していると思っていたら、そうじゃない。今度の尼崎の脱線事故を見ても。けっきょくまるで成長していなかったんだ。ナチス犯罪の時効をなくし、未だに自己を糾弾するドイツと、憲法を無理やりねじ曲げ解釈して自衛隊派遣するこの国と。ボウリングだの宴会だのゴルフだの、次々にふざけたマネが発覚するJR西日本と、日韓がいくら批判しようが羽織ハカマで靖国参拝する純一郎と、頭の中身の理解しがたさは変わらない。それにしてもなー、組合は日勤のせいとかいって、組合員のやってること誰のせいにする?是枝さんが読み上げた伊丹万作の言葉が耳に残る。「だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無責任こそが悪の本体なのである」その後が痛い。「このことは、過去の日本が外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかった事実とまったく等しくする」。だとしたら、JRの職員のやることも、日本人の本質から一つもズレていない。そして、いままたその体質を駆使して、同じことをやろうとしている。それも「憲法はアメリカがつくったものだから」なんていう偉そうな言い訳まで持ち出して。いいじゃん、それ自体すばらしいもの。アメリカにつくらされたとしたって、日本語として名文だし。少なくとも、平和への理想をそこに残す唯一の国として、誇りを持っていたい。もう一回、敗戦当初の「バカだった、二度としない」と反省する自分たちに立ち戻って、じっくり考える時期だと思う。もう未成年のお目こぼしじゃカッコつかないんだから。ご都合主義の解釈をこねくるのもナンだけど、時代にそぐわないなんて理由で安易に改憲したら、末代までの罪になるぞ。
2005.05.05
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恒例の鎌倉歩き。といっても、年々トシをとるもんだから(私じゃなくて)、出足が鈍くて、今年はいつもの北鎌倉の近為漬物ランチも間に合わず。今回は建長寺も鶴岡八幡宮も小町通りもあきらめて、鎌倉駅から銭洗弁天へ直行。茶店でお稲荷さんと湘南ビールやりながら、初めて購入した鎌倉マップを広げて、このコースがいいの、これもいいのと、早起きせにゃ回れるわけない。しかし驚いた。ものすごい人出だ。それもねぇ、寺とか神社とかではないです。しるこ屋やくずきり、せんべい屋、ソフトクリーム、ひたすら甘いもの系に激しい行列。なんで?鎌倉って甘いの?それにしても並ぶか、あんなに。高徳院まで歩いて、大仏さんの後ろ姿を拝んで(やっぱスターだ)、長谷から江ノ電に乗って…て簡単には乗れない。ものすごい混雑。耐え切れずに腰越で下車。義経ゆかりの満福寺も拝観終了で、海沿いをテクテク歩く。そういやしらすやも行列だったな。皆さん情報早い、というか情報倒れというか、お若いのね。海岸沿いをテクテク歩く。江ノ島が見えてきた、オレの家も近い~♪わけない。迷わずいつもの屋台へ。ちょうど二つイスが空いてる。でもサザエもハマグリも大根も売り切れでがっかりしつつも安上がり。右隣のカップルの男は同業者臭い。若いカワイ娘ちゃん相手に「昔はよかった」を連発。なんだっけ、サーチライト?そんなのの灯りがとっても懐かしいらしくて、やたら「知らないだろ?」と彼女を挑発する。知らなくて当然じゃん。ていうか、知っててどうなる?右の二人は、彼女のほうがものすごく酒が強い。同じペースで男山の冷やを頼むんだけど、あける速度は明らかに彼女の勝ち。すばらしいッ。こりゃ日本酒好きの連れ合いもレースに加わるかと思いきや、すでに寝に入ってる。「えっ、もう終わりかい」「つづきは家」。あ、そう。隣の彼氏に「がんばれ」と声かけて、おあいそ。おばちゃん、だいぶ老けたのが、ちょい心配だけど、元気でね。また来年。
2005.05.04
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「海を飛ぶ夢」。尊厳死を求める裁判を起こした四肢麻痺の男性が、敗訴しても、周囲の理解と愛情によってやり遂げる話。前知識をあまり入れずに、うんと楽観的な結末を期待していた自分がバカでした。実際にあった話で、主人公のラモン・サンペドロは、スペインでは特別な存在になっているらしい。見終わってしばらく動けなかった。涙が出るわけじゃない。主人公に共鳴するわけでもない。というか、つながれるはずがない。ただ、裏切られたはずなのに、不幸を感じない。もし彼が身近にいたら、やはり自分も、ほかの多くの人と同じように、死ぬことを思いとどまらせようとするだろう。必死で。なのに、彼の選択を、心から尊重しようという気持ちになっている。けっきょく、自分にとって、死は身近な存在ではないんだ。本当はごくごく親密なもののはずなのに、それを理解する術を、まだ持ち合わせていない。明日、死ぬかもしれないということに、気づかずにいる。というより、気づくまいとしている。まだ未熟な大人。彼は違う。ラモンの魂は海の上を自由に飛ぶ。すでにその視野を得ている彼にとって、動かない身体はもはや不要なのかもしれない。そして、その魂の究極の解放が死か。穏やかで果敢な選択。あー、ダメだ。肯定しちゃ。だけど、ラモンがあまりにも魅力的なので。彼の言葉もすべて。何より演じたハビエル・バルデム(い、色っぽ~い)。そして監督のアメナーバル。なぜこのような映画をつくれるのでしょう。静かで激しく深い世界。登場人物一人一人の、外界と内なるものとのみごとな融合。やっぱ信仰か。けっこう若いカップルがいたな。渋いね。うれしいことです。実は、娘の大学の宿題のために選んだんだけど「難しすぎるッ」といいながら、一日でレポート完成。「愛はわからんけど、死のほうは書けた」って、なんで?!!
2005.05.03
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