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近頃は、目(耳?)を疑うような記事によく出くわす。永六輔さんのラジオ番組で、「給食費を払っているんだから、子供には『いただきます』をいわなくていいと教えています」というような投書がきたそうな。な、な、ぬゎ~ぁにぃ~??!!もう力が一気に抜けました。はぁぁぁぁぁ…。番組では、それなりに波紋を呼んだらしいんだけど、もうね、こうなると私らの手に負えない。「給食費←いただきます」の構図にどう対応したらいいのか、とんと。いったい誰に向かっていただきます言うとんじゃい!とすごんでみたところで、空しく返すはこだまよ~、チッチキチィ…。永さんも結論として、別に強制する気もないし、言いたくなかったら言わなくていい、と半分投げてる。お気持ちわかります。それでもやっぱり泣きながら問いただしたくなる。「いただきます」は誰に言うの?給食費じゃないんじゃないの?給食をつくる人なの?材料になる食物をつくってくれた人には?運んでくれた人には?あ~ん。もうね、想像力の欠如もここまで極めれば、こちらが単に打ちのめされるだけ。勘弁してください。Age74の講演でもその話は出た。「いただきます」って、やっぱり目の前の食べ物に対してでしょう。まず。こんな私に滋養をつけるために、自らを投げ出してくださるお魚さん、お肉さん、お野菜さん。ちゃんと食べるから許してちょ。私の中で精一杯力を発揮してちょ。私もできるだけ、それにお応えしますから。てことでしょう。「いただきます」はただの挨拶じゃないの。お知らせであり、お願いであり、お詫びであり、お礼なの。だから、誰が見ていなくても自然に手を合わせる。お膳の上の料理は、「そぉか、いただくんか。よしッ、じゃ、ちゃんと食え。任せろ、ちゃんと栄養になったるから」って、誇り高く心積もりができて、きっちり食べられてくれる。これ、究極のイマジネーションではないですか。「いただきます」の一言が、料理を作る人、食材を作る人だけでなく、運ぶ人、売る人、土や水、天気まで巻き込んでいく。そのくらいでっかいスケールの言霊が、からだの内と外を飛び交うわけ。「食」って、そういうことでしょう。それを、給食費払ってるから言わない、って…(悲)。永さんの友人の中華料理屋の主人が、食べるときに「いただきます」と言ったお客がうれしくて、デザートを無料で出すサービスをしたことがあって、採算が取れるのか?と聞いたら「大丈夫、そんなにいないから」といわれたそうな。食べる前に「いただきます」言って、言わなかったヤツに見られて「そんなの聞いてない、汚い」って逆ギレされるほど、人数目立たなくてよかった。そんな世の中です。
2006.01.22
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芥川賞直木賞、今期の受賞は妥当です、って両方とも読んでないけど。芥川賞の糸山さん(ほんとは糸2つ)が「会社勤めをしていてよかった」と語ったらしい。受賞作の「沖で待つ」は、彼女が以前勤めていた住宅機器販売会社が舞台で、主人公も等身大の営業ウーマン。職場の上司とか同僚とかの人物描写や人間関係が鮮やかに浮き彫りされている、らしい。小説、に限らず、緻密な人間世界を描くには、やっぱりそういう場面を経験しないと難しいんだろう。実際、賞なんかとる秀作は、作家の実体験が少なからず含まれている場合が多い。高村薫なんかなー。どんなOLだったんだろうと思うと、空恐ろしい気もするけど。糸山さんも、住宅機器を売るという地道なOL経験を基盤にして、より深みのある小説世界をつくり上げることができたんだろう。はい、読んでみます。こんなことを思うのはねー。このところ仕事場で「主婦っぽいなあ」と思う女性と何人か付き合ったから。いえ、別に主婦を差別しているわけではありませんよ。ただね、仕事以外で付き合う主婦仲間に共通してみられる傾向が、確かに彼女たちにもあるんだ。電話で打ち合わせの時間を決めるとする。昼前に出かけるというから、帰社は何時かと聞くと、「えーと、○○へ行って、○○を渡してくるだけだから、だいたい1時間くらいです」。1時間くらいって、いつから1時間さ。「だから、帰社は何時なの?」。どこへ行って、何するかなんか知ったこっちゃない。もっというと何時に出るかも知らん。こっちにとって重要なのはただ一点、アンタが何時に会社にいるか、何時に打ち合わせを開始できるかってことだけ。こちら側の制作意図が、クライアントにうまく伝わっていないようなので、説明を求めると、「○○さんもねー、○○やら○○やらで忙しいらしくて、会議の時間もすごく長引いて…」……。こっちは、自分の担当している制作物が、現在どんな状況に置かれているかが知りたいだけなの。先方の○○さんが忙しかろうが、時間の使い方が下手くそだろうが、そんなもん、一つも関係ない。ましてや、それについてのアンタの推測だの同情だの、聞きたくもないわけ。ひょっとして、そんなのに任せていたら、いつまでたっても先方に伝わらないんじゃないかと疑いたくなる。たまに男でもいる。フリーのデザイナーとかで、恐ろしく時間の読みが甘いヤツ。納期のやり取りをしていて、「あー、その時間は○○が入っているから」って、もろ私用じゃんッ。駆け引きの途中でいきなり降りるんかぁ?!いえ、重ねていうけど、主婦が悪いといってるんじゃないの。これが仕事じゃないときは、まったく気にならないもの。映画に行こう、何時に待ち合わせってときに、「あ、○時は○○があって、それから○○があるから。でも○時には○を迎えに行くから…」なんてえんえん続く会話も、楽しく結論を待てないこともない。だって、プライベートですもの。楽しいイベントですもの。けど、仕事ですから。なんというか、専業主婦をしていると、日ごろ、自分の一日を自分の采配でのみ動かしているんでしょうね。よくいえば。つまり他者に対してそれほど責任が生じない。悪くいえば。もちろん、○○をしなければならない、とか、○○をしてはならない、とか、社会人としてのルールにのっとって、各々の生活を営んでいるわけだけど、それがすごく個人的なものに限られている。職場とか、ほかの大きめの社会環境の中で、分刻みに作業をこなしていくという癖がついてないから、何か決めようというときに、まず自分を中心に考えてしまう。思考回路がそうできているわけ。で、相手側の意図なりニーズに、とっさにそれを置き換えるという判断が、どうしても遅くなる。ていうか、しばしば失われたりする。やっぱり、職業上、それくらいは早めに体得してほしいものだけど、このごろ周囲に目立つということは、それなりに増加傾向にあるということなのかしらん。これも想像力欠如の一端というんですかね。誰もが小説を書くわけじゃないけど、やっぱりその程度をクリアしないと、人間関係の先行きが見えてこないでしょう。人間関係もイマジネーションの結実だもの。だから、あえて主婦っぽい、なんて指摘したくなるし、その意味でも、女も一度は仕事しなくちゃと思うわけです。まあ、自分に直接影響ない人には言わないけどね。
2006.01.20
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「功名が辻」第2回。舘ひろしの声の張りのなさが気にかかる。顔はいちばん信長に似ているのに惜しい。って実物知りませんけど。みんな若作り。濃姫は子持ちの和久井映見でお市の方は大地真央。さすがに武中半兵衛までは偽れず筒井くんだった。会津の殿様から、またまた悲劇の斉藤方。数年後いきなりごくせんが馬に乗って出てきて、ちょっとびっくりしたけど。武田鉄矢、好きにやってるなー。イヤな意味でなく。おおむねイイ感じです。見ていて思い出した。つい先日聴いた講演。歌舞伎界名門の出のさるご婦人の、子育てについてのお話。興味深かったのは、いろんな事柄に対する価値観が、彼女の年齢を境に大きく変わっているという点。74歳。その理論の発端は60年前にさかのぼる。終戦時、彼女は14歳だった。戦時中の彼女より上の世代の女子は勤労奉仕、そして男子はヘタすると学徒動員。で、彼女より下の世代はというと、集団疎開していた。彼女の分析によれば、日本人的価値観というか、日本人観というものが、その時点で大きく違ってしまったという。彼女より上の世代には、それまで営々脈々と連なってきた日本人独自の倫理観、儒教思想に通ずる大和魂といったようなものが、確実に根ざしていた。もちろん、下の世代もそれは教えられてきていたわけだけれども、戦時のゴタゴタの中で、それが中途半端に終わってしまった。つまり、日本、日本人というものの何たるかが、わからなくなってしまった。やっぱり、子供の頃、少なくとも10歳くらいまでに叩き込まれたものは、よかれ悪しかれ残るよね。もちろん、下の世代の中にも、教科書を真っ黒に塗りつぶされて「あれ、こりゃおかしいな」と思う反骨をバネにして、後世に気合を入れようとする者もいただろうけど、大方はふわふわと受け入れちゃった。子供だから、人のミチなんか空腹にかき消されるのは当たり前。ましてやそれ以前を全否定されてるわけだから、これ幸いだよね。上っ面だけみれば、今も昔も同じかもしれない。違うのは、どんな乱世でも失わない一本の芯があるかどうか。軍国主義でも、一子相伝でも、男尊女卑でもなく、自分を見失わない確固とした魂のよりどころといったようなものを、自己の内部に育んでいるかどうか。空腹とともに、いろんな欲を満たす代わりに、守り育て忍び、粛々と志すべきものを手放して、「私より下の人たちは、本当の日本を、もう知らないのです」と、彼女は断言する。そぉかー。確かに思い当たるフシはある。今の子供たちが、あーだこーだなってることに、つい親のレベルでいいたくなるけど、実はもっとさかのぼって、ばあちゃんの年齢を考えなくちゃならないわけだ。もっと真剣に調べてみたい74歳。私の母は75歳。うーむ。例外はあるけど、今回の大河を見ていると、そういったことについても考えさせられる。乱世を生きる女なんて簡単な話じゃない。高潔な生に対する揺るぎない使命感みたいなものが、あの時代の女たちにも、そして少なくとも60年前のティーンエイジャーの中にも刻み込まれていた。それが明らかに今、滅亡の危機にさらされている。亡国だな。確かに。そういやさー。細木数子が子供たちの質問に答える正月の特別番組で、ブスだといわれて泣いてる女の子に「人間は顔じゃない、心だ」っていってたよね。あれ何?顔のことで心が傷ついている子に心の話持ちかけてどうする。先にいうことがあるだろう。うさん臭くて集中してなかったけど、見ていたオヤジの話では「人間はどうして死ぬのですか?」と聞いた子には「神様は人の足元にいて、人間は心が悪くなると地に還るのです」とかいったって。それホントなの?!誰か正確なところを教えてほしい。本当にそんなことをテレビで言ったんなら、そりゃ由々しき問題だ。芸能人相手にがなり立ててるだけなら害はないけど、子供の疑問にマトモに答える言葉も持たない、そんな最低なオトナが亡国に拍車をかける。エラそうなこと言っといて、あとで教科書塗りつぶす厚顔無恥といっしょ。嗚呼。
2006.01.15
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NHK「功名が辻」第1回再放送。原作が原作だし、脚本が大石静さんだし、いちおう見ます。で、見れば期待を上回る出来。というか、期待していなかっただけに、うれしい誤算です。山内一豊の妻でしょう。そっちに気をとられて、「あーそう、戦国武将の、あーそう、糟糠の妻」と勝手に解釈していたんだけど、さすがに大石さん、それだけでは終わりませんわな。いうことは第一回からちゃんと言ってる。手厳しいぐらい。怒っているといったほうが、むしろ正しい。こんな世の中の、こんな腰抜けたちの、あきれるほどの危機感のなさ。ええかげんにせえ、この時代を見よッ。反省しろッ。そういったことをキレイな言葉で、さりげなく糾弾する。いや、楽しみです。キャストも十分に配慮されている。仲間ちゃんかーと思ったけど、それを意識しなくてすむくらいの周到な脇役の配し方。悪くいえばトウが立ってるけど、よくいえば芸達者揃い。だって、秀吉に柄本明だよ。でもって蜂須賀小六に、なんだっけ、高山?高田?格闘技の。それが絡んだりする。むしろ配役の妙味を楽しんでいるふうにもみえる。いや、タッキーも翼もナンちゃんもいませんよ。これといってピカピカはしていない。誰も突出していない分、なんかこう好ましいんだよね。ザ・有頂天ホテルにはない化学反応みたいなものが。千代役の子役の子が、またいいんですよ。これもまた派手にかわいくはないんだけど、とにかく滑舌がいい。声が通る。でもって、セリフをよく理解している。私、仲間由紀恵になるんだ。一豊の妻になるんだ。それだけじゃない。乱世に生きる女はどうなのか、ということまでわかっているような役者ぶり。楽しみです。って、もう来週はごくせんに代わっちゃうけど。彼女、「女王の教室」に出てたんだよね。思いっきりイジメられてた惨めっ子役で。あれも秀逸だった。オドオド感が。そういや、もう一人、「白夜行」に出ていた子もそうだったな。ストイックでニヒルな主人公の女の子の友達役で。実際、面白かったもの。年末の全編再放送に釘付けでした。「女王の教室」は彼女たちを大きく成長させたのかもしれない。実人生と演技をすり合わせていく作業は、今どきの子供にとって、またとない経験。早いうちに深みを知ると、確かな女優魂が育つ。「白夜行」むちゃくちゃ上手かったなー。珍しく泣きました。初回2時間スペシャルで。あ、あれも次回からははるかちゃんに代わるんだ。まあ、それも楽しみですけどね。
2006.01.14
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