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このところ未音亭の黄金週間といえば、連休の谷間を狙って一泊二日の「温泉×(かける)ワイナリー」巡りが定番。これまではもっぱら群馬・栃木、長野、山梨といった亭の西方にある名湯を訪ねて回りましたが、今年は進路をあえて北に取り、隣県福島の「いわき湯本温泉×とみおかワイナリーツァー」に出かけました。これまでずっと避けていた震災と原発事故の現場に立ち、そのつめ痕を自らの目で確かめるとともに、復興にむけて前を向く人たちから元気のお裾分けを頂くのが目的です。目的地は比較的近場ということで、寄り道しながらゆっくり北上することに。家人が運転する車で常磐自動車道を日立中央で降りて国道6号へと走り、近くのJR日立駅に寄って展望台で太平洋を一望した後、まずは「勿来の関」があったとされる県境の場所へ。勿来の関は、奈良時代から平安時代にかけて奥州との境に置かれていたという古三関のひとつとして有名です。が、実は歴史資料中には明確な記録がなく、和歌などの文学作品の中でのみ知られるとのこと。同じ福島県内にある「白河の関」(一昨年に南会津・二岐温泉にお出掛けついでに訪問)については、江戸時代の末に白河藩主・松平定信が歴史的・地理的調査(発掘調査も含む)を行い、その場所が確定しているのとは対照的です。当地は公園として整備されていて(文学歴史館も併設)、新緑の間にまに小野小町のそれをはじめ数多くの歌碑が立てられていました。次に向かったのが小名浜港にある「アクアマリンふくしま」(ふくしま海洋科学館)。巨大なガラス張りのドーム屋根が東京・有楽町にある国際フォーラムを思い起こさせます。ここは環境をテーマに掲げる水族館で(2000年に開館)、日本近海やアジア・オセアニアの海洋生物に加えて淡水・気水圏の生物も展示し、巨大水槽にはイワシの大群などが舞っています。また、サンマの飼育やシーラカンスの生態撮影など、学術的にもユニークな研究を行っているようです。ちなみに東日本大震災では当施設も4メートル超の津波に襲われ、交通網の遮断や原発事故の影響で燃料や餌が枯渇した結果、展示の9割を占める海洋生物20万匹が全滅するという大被害を被ったそうです。にもかかわらず、関係者の努力によって4ヶ月という短期間のうちに営業再開にこぎつけたとのこと。いまでは震災の痕跡はすっかり消え、当時のようすは写真パネル等で伝えられています。水族館の長い順路をゆっくり散策しながら出口に辿り着くと、すでに閉館時間も間近の夕刻4時を大きく過ぎていたので、そのまま当日の投宿先であるいわき湯元温泉・古滝屋へ直行。お宿のウェブページによると、古滝屋は創業1695年という老舗旅館で、100%源泉掛け流しの湯がご自慢の宿です。とはいえ、大浴場入り口にある解説を読むと、お湯は旧常磐炭鉱の鉱底を掘って湧出した毎分5000リットルの源泉から引かれているとのことで、源泉は創業当初から変わったと推測されます。(ちなみに、そのうち毎分3000リットルが映画「フラガール」で有名な「スパリゾートハワイアン」に注がれ、残りが周辺の温泉旅館に引かれているとか。)泉質は塩化物と硫酸塩が同程度含まれるというやや珍しいもので、ほのかに硫黄臭がします。亭主は宿に着くなり早速大浴場でじっくりお湯を堪能、翌朝にも露天風呂で手足を伸ばしました。ところで、ホテルの部屋に入ると、ちゃぶ台の上に本が2冊置かれているのが目に止まりました。見るともなく手に取ると、「ふるさとは赤」(2021年)、「土地に呼ばれる」(2022年)という短歌の歌集です。いずれも著者は三原由紀子さんという歌人で、浪江町の出身とか。ページをめくると、地元福島の街々を舞台に、若い人の感覚で日常の様々な想いを描いた短歌が並んでいます。もちろん、その背景にあるのは震災と原発事故。心の底に沈澱する災厄の記憶を抱えつつも、何とか前を向こうとする気持ちが素直に歌われていて印象に残りました。1階ロビーでも購入可とあり、どうやら宿の主人推しの歌人のようです。宿の1階ロビーにはブックカフェと図書コーナーがあり、前述の歌集をはじめ震災や原発事故関連の書籍、映画史や常磐地方の郷土史、温泉や観光に関する本など多彩な本が並んでいました。また、(亭主はスキップしましたが)9階には「原子力災害考証館 furusato」という展示スペースもあることからも、震災や原発事故を未来へt伝承しようという宿の主人の思いが伝わってきました。翌日はいよいよ福島第1原発に程近いとみおかワイナリーとその周辺地域へ。(つづく)
2026.05.03
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一昨日、交換用のハープシコードの弦(鉄製)が届きました。週末になってようやく時間が出来たので、久しぶりに切れていたC#の弦の張り替え作業を行いました。実はちょうど一年ほど前にも、もう一オクターブ上の方の弦が二本、余り間を置かずに切れたことがあって、二本目の時には念のために余分の弦を送ってもらっていたのですが、いざ切れた弦と交換しようと見てみると何となく太さが違うように見えました。そこで念のためにとギタルラ社に問い合わせてみると、やはり音域によって太さの異なる弦が使われているとのこと。確かに張力だけに頼って音の高さを変えようとすると、高音側の張力が大きくなり過ぎますネ。ある程度の音域毎に弦の太さを変えるのは合理的です。さて、弦の張り替えはハープシコードメンテの中では結構難しい作業です。まず、ジャックの列を覆うカバーを外し、弦の一方(ループが作ってある)を支点(小さなピン)に掛けて、弦が暴れても外れないように「目玉クリップ」でピンを上から挟みます。それから、あらかじめ切れた弦がどのくらいの長さ調整ピンに巻き付いていたかを測っておいて、その分だけ残して弦をニッパーで切断し、その端から弦を調整ピンにぴちっと巻いていきます。残りの弦長が調整ピンを立てる位置に来たところで、弦をきちんとコマの位置に合わせ、それからピンをカナヅチでピン穴に打ち込みます。(この「カナヅチで打ち込む」というマニュアルの指示について、最初は楽器にダメージを与えるのではないか、とかなりおっかなびっくりで、弦をピンに巻く前にピン穴に立てて、片手で弦を引っ張りかつチューニングと同じようにピンをねじ込みながら巻いてみたりもしましたが、やはりうまく行きませんでした。)打ち込んだあとは、いつものように調整ピンを回してチューニングです。今回は、ここまで来たところで、チューニングのためにピンを回しながら「なかなか音が高くならないなァ...」などと不安に思いながら回し続けていたところ、プツッ!と弦がはじけてしまいました。またもや切れたか、と思いきや、何と反対側のループがほどけてしまっています。というわけで、ループを作り直してまた始めからやりなおし。それでも20分少々で終わることが出来ました。未音亭のルッカースは2007年製ですが、こうして弦がちらほらと切れ始めたところを見ると、弦の寿命は三年~五年というところでしょうか?ちなみに、鉄製の弦を張るのはルッカースの特徴(それ以前は真鍮製)のようで、これによって比較的細い弦を強い力で張ることが出来るようになり、あの「鈴のような音色」で当時のヨーロッパ宮廷を魅了したということのようです。(ルッカースの登場で、それ以前にあったフランス固有のハープシコードは絶滅し、ルッカースの改造版が「フレンチ」モデルとして発展したとのこと。)
2010.06.05
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今日は敬老の日。亭主にとっては久しぶりにヒマな休日となり、ハープシコードの譜面台上の楽譜で開いていたページから順番に、スカルラッティのソナタを二十曲ばかり弾いてしまいました。ソナタ後半の繰り返しは時々省略しながら弾いていても、これでたっぷり三時間ぐらい没我状態になります。(今日はK. 465あたりからK. 487まででした。この辺の曲は頻繁にFFやf3、g3といった未音亭の楽器のレンジを超える音が出て来るのが悲しいところ。)ところで、スカルラッティのソナタを弾いていると、後半部分の開始からしばらくの間、単純な楽節(多くの場合一小節内に収まる)を繰り返しながら延々と和声だけがが進行してく、というパターンによく出くわします。例えば今日行き当たったソナタでは有名なK. 485の後半、右手は分散したオクターブ、左手は和音の繰り返しで和声が進行するのですが、この部分はまた最も頻繁に転調が起きる部分でもあり、次々と変わる目前の光景を前にして興奮する一方で、どこに向っているのか分からない、といった恍惚と不安がない混ぜになった状態に投げ込まれる感じです。スカルラッティ・ソナタで際立った特徴の一つということで、このような楽節は音楽学者の間で「ヴァンプ(vamp)」と呼ばれるようになりました。亭主は最初「バンプ(bump、瘤、段差)」とごっちゃになっていたのですが、辞書を引くとジャズ音楽用語で「即興演奏」という意味が出ています。そう言われると、確かに現代ジャズのソロ・セクションのようにも聞こえます。このヴァンプ・セクション、K. 485のような緩徐な曲では曲想に応じてそれなりに大人しいのですが、速い曲では目も眩むような絶大な演奏効果で聞くものに迫って来る感じです。かつてカークパトリックはその著書の中で、K. 260の転調を伴う和声進行を「まるで奇跡が起こったかのよう」と表現していましたが、今にして思うとこれはこのヴァンプ・セクションを指しているように見えます。これよりももっと凄いと亭主が思うのはK. 253のヴァンプ(下図)。これとペアになっているK. 252は隠れた名曲の一つ(亭主のお気に入り)で、今でもしょっちゅう弾きますが、ついでにとばかりK. 253に突入するともう止まりません。K. 253のヴァンプは(J. シェベロフに言わせると)ヴィヴァルディのソロセクション風ということで、確かに右手ではヴァイオリンのアルペジョのような分散和音が延々と続いています。一方、左手は和音あるいはオクターブの単純な繰り返しで、見かけにはどうということもないのですが、その演奏効果たるや強烈です。亭主はこの曲を弾く度に目眩を感じるとともに、若き日のロージングレイブがヴェネチアで聞いたドメニコの演奏を評した言葉を思い出さずには居られません。「そのような楽節の演奏もそれがもたらす効果もそれ以前にまったく聞いたことのないものだった.その演奏はあまりに彼(ロージングレイブ)自身の演奏を凌ぎ,到達可能と考えられる限りのあらゆる完璧さに達していた...」というわけで、このヴァンプ・セクション、今やスカルラッティを弾いたり聞いたりする上で最大の楽しみの一つです。
2010.09.20
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「長い前打音」(C.P.E.バッハの分類で「可変的前打音)と呼ばれる装飾音について、レオポルト・モーツァルトが「バイオリン奏法」の中で「演奏者が余計な装飾音を付けないように用いるものである」という説明をしていることに驚いた亭主は、早速同時代人であるドメニコ・スカルラッティのソナタがこの点どうなっているのか気になり始めました。とはいえ、さすがの亭主も555曲すべてを調べるほどのヒマは持ち合わせないので、今日は偶然目にしたK.261の例を紹介しましょう。このソナタは、1753年に写譜されたヴェネチア手稿第IV巻に所収のソナタ第26番に相当します。まずはその前半中盤にあたる第23、および27小節目を見ると(下図)、下降音であることも含めまさに前々回ブログの例1と同じリズムのパターンです。これに対し、同じソナタの前半終わり近く、第37小節中では、下図のように十六分音符の下降音形があらわに書き出されており、しかもその第一音が前打音(矢印部分)で装飾されています。これは前々回ブログの例3そのものズバリの形をしています!残念ながら、これだけをもって「ドメニコが指示した上記23、27小節目の音形は37小節目のような装飾音を忌避するためのものである」と断定するには論理的な飛躍があります。しかしながら、上記二つの譜例は同一のソナタの中から採って来たものですから、作曲者がよほどの気まぐれを起こさない限り、ある一貫した記譜法に基づいて音符を書いていると想像できます。ちなみに、R.カークパトリックの著作でドメニコの装飾音について扱った付録IVを再読してみると、ドメニコが二種類の前打音を使い分けていたことは確かなようで、ここで紹介したK.261の第27小節目を含む部分も例17として取り上げられていますが、第37小節目との対比については触れられていません。ついでに、並みいる現代の演奏家達がこの部分(第27小節目)をどう演奏しているか確認したところ、スコット・ロスとピエール・アンタイは慣例に従い十六分音符二等分(前々回ブログ例2の形)にして演奏していたのに対し、意外にもピーター・ヤン・ベルダーは譜面通り「短い前打音」として扱っていました。ベルダーの演奏がレオポルト・モーツァルトの記述の意味をふまえてのものかどうか、興味があるところです。いずれにせよ、亭主は今後ドメニコのソナタに出てくる「長い前打音」を、ある程度確信を持って弾くことが出来るような気がしてきました。
2012.01.15
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このところ17世紀〜18世紀前半のフランス・クラヴサン音楽探求の旅を続けている亭主、今回行き当たったのがガスパール・ル・ルー(Gaspard Le Roux)です。ル・ルーは1705年に出版されたクラヴサン曲集の作曲家として知られていますが、実はこれが今日知られている彼の唯一の作品のようです。また、その生涯についてもほとんど分かっていないということで、1660年-1706年(あるいは1707年)という生没年すらも不確か、という状況です。(あまりに出自不明なので、太陽王ルイの御落胤ではないか、あるいはダングルベールの隠し子ではないか(ルセ)、など、いろいろな珍説が出回っているらしい。)とはいえ、その名前だけはフラバロ(フランス・バロック)界でよく知られているようで、クラヴサン曲集についても幾つか録音があります。古いところではルセ(1995年)、ミッツィ・メイヤーソン(1998年)といった大御所、まだ比較的最近では芥川直子さん(2006年)がCDを出していますが、亭主が見たところ最も新しい録音がピーター・ヤン・ベルダーによるものでしたので(2016年にリリース)、これを落手の上早速聴いてみました。再生が始まるや、そのゴージャスで芳醇なハープシコード・サウンドにうっとりさせられます。が、少し鳴りがよすぎるなぁ、と思いながらライナーノートに目を落としていると、どうやら2台の楽器による演奏であることが分かり、なるほどと納得。これまで亭主が聴いたことがある2台のハープシコード演奏の作品といえば、F・クープランやラモーといった比較的新しい作品が多かったのですが、このCDを聴いて太陽王ルイの時代にもこのような作品が世に出ていたことを知りました。ところが、ベルダー自身によるライナーノートを読んでいると、ル・ルーがこの曲集を出版するにあたり、一体どういう人々をその購買者層として想定していたがよく分からないとも。今日ですら自宅に2台のハープシコードを持ち、それらを自由に弾けるような御仁は珍しい、というわけです。ベルダーは「ワインとタバコを嗜みながら(私自身はタバコをやらないが)、チェスや人生談義をする代わりに2台の美しいハープシコードを弾く2人の中年の紳士を想像してみよう、そうすれば情景が浮かぶというもの」と記しています。実際、ベルダーもこの録音で自宅にある2台の楽器(ルッカース・モデルとブランシェ・モデル)を使ったそうで、ライナーノートにはそれら美しい楽器の写真が掲載されています。ちなみに、この録音でベルダーの相方を務めているのは同じオランダのハープシコード奏者、シーベ・ヘンストラです。亭主は存じ上げなかったものの、ヨーロッパ・北米では名を知られた演奏家らしく、レオンハルトやトン・コープマンの薫陶を受けたとあることから、ベルダーよりも年長の世代かも?ベルダーとの息がぴったり合ったデュオは実に華麗で、相方に勝るとも劣らぬヴィルトゥオーソであることが分かります。面白いことに、この曲集は2台のためだけでなく独奏でも演奏できるように譜面が書かれているとのことで、イ短・長調の組曲については1枚目にデュオ、2枚目にソロ・バージョン(ベルダー)の演奏が収められていて、聴き比べることもできます。(ベルダーに言わせると、ソロの演奏を入れた理由として、2台による演奏ばかりだと、その華麗な音が時に演奏者を疲れさせるから、とも。)それにしても、シャンボニエールが1670年に(心ならずも?)自身の作品集を出版して以来、クラヴサン曲集が印刷譜として連綿と世に出続ける様は実に壮観です。今から見ると、これらはフランス・バロックの粋とも思われるもので、印刷譜として出回ったことで、例えば父バッハもこれら一連の音楽を手にして研究するなど、後世にも大きな影響を及ぼしたと想像できます。実際、ベルダーの指摘にもあるように、彼のイギリス組曲第1番のプレリュードは、ル・ルーのへ長調組曲のジーグを彷彿とさせる旋律で、その影響を窺わせるものでした。
2019.09.01
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コロナウイルス感染症対策として首都圏に出されている緊急事態宣言が予想通り再延長となったこの週末、日用品の調達のために近所のショッピングモールを訪ねてみると結構な賑わいです。もちろん皆さんマスクは着用、レジも間を開けて並ぶなど、これまで通り感染には気をつけているようですが、レストランやフードコートでの食事も含め、人が集まることによるリスクが特に減ったとも思えず。既にある種の平衡状態にあるとも思える現状が、宣言の延長だけで変化するとはとても思えない状況です。さて、せっかく近くに来たのでと、モール内にある書店を久々にぶらぶらしていたところ、新書コーナーで表題の本に行き当たりました。泰西名画の解説といえば、通常は美術史家が専門的な視点から蘊蓄を傾けるのが定番ですが、中野京子さんは(そのような専門知識を「わきまえ」つつも)、絵画の内容を現代の日常感覚で捉え直すという点が斬新で、時には偶像破壊的な効果すらもたらします。例えば、ラ・トゥールが描く「ポンパドール夫人」、言わずと知れたルイ15世の寵姫ですが、本書では「ロココのキャリアウーマン」というキャッチフレーズの下、以下のような卓抜な解説を加えています。曰く、この顔は時空を超えている。完璧に整った目鼻立ち、薄化粧、知的で賢明で、バリバリ仕事のできそうな女性。高層オフィスビルの重役室に座って部下に指示を出していたとしても、なんら違和感はないだろう。美貌と才覚でのし上がる女性の典型に見える。そしてそのとおりだった。彼女こそロココ時代の華やかなフランス宮廷で、ルイ十五世の公式寵姫として政治までも動かし権勢を誇った、マダム・ド・ポンパドゥールその人なのだ。その中野さんが、メンツェルの筆になる「フリードリッヒ大王のフルートコンサート」を取り上げているのを見て、何が書いてあるのか知りたくなりそのまま購入。興味津々で中身を拝見しました。まず冒頭のタイトルは「ロココ時代のモンスター」、主役が大王であることを示していますが、副題には「憂のチェンバロ奏者」と、大王のフルート演奏で伴奏を務めるエマニュエル・バッハに言及、扉絵の画像もまさにチェンバロを前に大王を向くエマニュエルの部分を拡大したもの。続く記事には、どことなく心ここにあらずの憂い顔でチェンバロを弾いているのは、かの大バッハの息子カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ。才能を見込まれて宮廷音楽家となったものの、雇い主の王の個性が強烈すぎる上、彼の伴奏ばかりでストレスも溜まる。我慢は二十七年。王には引き留められたがそれを振り切って自由都市ハンブルクへ逃れ、のびのびと作曲や音楽監督に専念し、当時としては長寿の七十四歳まで生きた。とあり、宮仕えの辛さを現代の感覚でズバリ。続くページ前半ではフリードリッヒ大王の生涯やその事績に簡潔に触れながら、彼がなぜフルートを愛するようになったかが語られます。ところが後半では、ヒトラーの「退廃芸術」を例に、「権力者が芸術に関与しようとするとろくなことにはならない」と切り返し、宮廷音楽家の待遇に大きな格差が設けられていたことをスッパ抜きます。曰く、…音楽はフルートとオペラが上位で、ヴァイオリンやチェンバロは伴奏楽器にすぎないと見做して薄給にとどめ、そうした己の判断(偏見)に微塵も疑いを持たなかった。扉絵のバッハが浮かぬ顔なのも当然だろう。というわけで、続く文中ではフルート教授のクヴァンツがバッハの7倍近い報酬を得ていたことを暴露します。(うーむ、いくら何でもこの差は酷い…)とはいえ、この解説で亭主にとって最も有り難かったのは、絵の中に登場する人物が誰であるのか、ほぼ全員の名前が紹介されていた点です。文章だけでは分かりにくいので図にしてみました。A: ビーフェルト(作家、ベルリン・フリーメーソン支部長)B: ゴッター(ベルリン・オペラ総監督)C: モベルトゥイ(科学アカデミー会長)D: グラウン(宮廷楽長、オペラ作曲家)E: フリードリッヒの妹アンナの女官F: フリードリッヒの妹アンナG: フリードリッヒの姉ヴィルヘルミーネH: ヴィルヘルミーネの女官I: シャゾー(軍人)J: ベンダ(ヴァイオリニスト)K: クヴァンツ(フルート教授)ちなみに著者は、クヴァンツの様子を「後ろ手で壁に寄りかかり、足を交差させているのは疲れているせいだろうか。まさか弟子の腕前に脱力したわけではあるまいが、何やら複雑な表情なのは間違いない」と、深読みを披露しています。画家のメンツェルは19世紀後半に活躍し、挿絵画家として名を馳せたとのこと。この絵についても実際にサンスーシ宮に何度も赴くなど丹念な調べをもとに描いたようなので、想像とはいえそれなりの真実を伝えているのかも?
2021.03.07
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大変残念なことに、橋本英二先生が今年1月14日に亡くなられていたことを知りました。数年前から健康が優れないとのお話を伺っており、ある程度心の準備はしていたものの、現実となるとやはり大きなショックです。(訃報に接するまでに半年近い時間が経過してしまったことにも寂寥感が増します。)亭主が橋本先生の知遇を得ることになったのは2008年頃、電子メールのやり取りからでした。(その後2011年の東日本大震災でパソコンのHDDが破損し、メールの正確な日付や内容は失われてしまいましが...)当時、カークパトリックの著作「ドメニコ・スカルラッティ」について思うところがあり、スカルラッティの研究者として名前だけは知っていた橋本先生に連絡を取ろうと思い立ったところから話が始まります。そこでメールの宛先を調べるためにネットで検索したところ、シンシナチ大学のホームページでそれらしいアドレスを発見。とはいえ橋本先生は既に退職されている(名誉教授)ということで、このアドレスが有効かどうか、今ひとつ判然としませんでした。そこでさらに調べていたところ、橋本先生個人のホームページ(http://www.eijihashimoto.com/)に行き当たり、そのサイトに連絡先として記載されていたメールアドレスに恐る恐る送信。英語ネイティブのパソコン環境で日本語メールが読める保証はないので、英文でメールを書いたことを覚えています。さて、メールは送れたものの、何の伝手もない未知の相手からのメールなので、スパムメールと取られて捨て置かれることはあっても、読んでもらえる可能性は高くないと想像されました。実際、初めひと月ほどは多少の期待を持って待っていましたが音沙汰なしで、ふた月、み月と経つうちに「やはりスパムメールになったんだろうな...」と諦めていました。ところが、半年ほど(?)経ったある日、橋本先生からの返信が(しかも日本語で)届いているのを見つけてびっくり。先生曰く、ウェブメールはあまり頻繁にチェックしていなかったので最近になって気づいたとのこと。(しばらくイタリアに滞在していた時期とも重なったという風なことが書かれていた気もします。)また、末尾に「メールは日本語でどうぞ」とあり、それから日本語でのやり取りが始まったことを今では懐かしく思い出します。長く米国におられたせいか、橋本先生は(功なり名遂げた大家であるにもかかわらず)メールの文面を見る限り権威主義的な感じが全くなく、一介の素人である亭主に対しても気さくに相談に乗って下さいました。(これは「反知性主義」という米国の精神的風土に由来する「反権威主義」というポジティブな面の表れかも知れません。)また、話題は私的な事柄にも及び、亭主がつくば在住であることを知ると、自分が中学・高校と同級だった石田友雄君がそちらで「バッハの森」という私塾をやっており、そのホールが1985年に完成した際にはシンシナチの楽団を連れて来日し、柿落としの演奏会をやったことなどを披露されました。(1985年といえば、つくばでは科学万博で盛り上がっていた頃ですが、古楽愛好者にとっては言うまでもなくバッハ、ヘンデル、スカルラッティ生誕300年というスーパーアニバーサリー年です。)それにしても心残りなのは、一度シンシナチをお訪ねして直接その謦咳に接する機会を持ちたいとの長年の望みをついに果たすことができなかったことです。多忙にかまけて先延ばしにしてきた報いをこのような形で受けることになるとは誠に斬鬼に耐えないところですが、これも分相応ということなのかも知れません。人生の短さに改めて思いを馳せつつ、橋本先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます(合掌)。以下、今年1月20日にシンシナチ大学音楽院(College Conservatory of Music, CCM)のホームページに掲載された橋本先生の追悼記事を亭主訳で引用させて頂きます。 * * * *追悼: CCM名誉教授 橋本英二1968年から2001年までCCMの教員として活躍した橋本氏、2021年1月に逝去シンシナティ大学は、1968年から2001年までチェンバロの教授であり、在職チェンバロ奏者であった橋本英二CCM名誉教授の訃報を慎んで報じる。同氏は2021年1月14日に89歳で逝去された。後には、妻のルース・ハシモトと、3人の子供達、クリスティン(カーク)・メリット、ケン(アリソン・デュビンスキー)・ハシモト、エリカ・ハシモト、そして5人の孫娘達(キャサリン、エリザベス・メリット、スカーレット、サビーナ・ハシモト、ナオミ・ハシモト)が残された。後日、追悼式を行う予定である。国際的なコンサートアーティストであり、バロック音楽の研究者でもある橋本氏は、アメリカをはじめとする世界各地で公演を行い、高い評価を受けた。ソリストとしては、50回以上の海外公演で聴衆を魅了し、数多くのCDをリリースしている。また、18世紀の鍵盤音楽の校訂出版譜も高く評価されている。1931年、東京に生まれた橋本氏は、幼少の頃から音楽に親しみ、1955年に東京芸術大学オルガン科を卒業した。フルブライト奨学金を得て渡米し、シカゴ大学大学院で音楽学と作曲を学び(1959年に修士号取得)、イェール大学音楽学部ではラルフ・カークパトリック氏のもとでチェンバロを学んだ(1962年に修士号取得)。帰国後、桐朋学園大学で教鞭をとっていたが、1967年にフランス政府の招きで半年間フランスで研究生活を送ることになった。橋本氏は、CCMに33年間在籍した間、積極的な演奏活動とレコーディングを続けた。その間、多くのCCMアンサンブルと共演し、夏にはCCMのイタリア・ルッカ・オペラ・シアター・プログラムで指揮をしたほか、シンシナティ交響楽団や五月祭でも演奏した。また、橋本氏はCCMの「18世紀音楽アンサンブル」を結成し、1988年には日本、1993年にはメキシコ、そしてアメリカの多くの都市でツァーを行っている。1993年11月、橋本氏がCCMの「18世紀音楽アンサンブル」と共演した際には、メキシコ・モンテレイの新聞「エル・ポルベニール」が「彼らは来て、演奏して、征服した」と報じた。2001年、橋本氏の当時の同僚(現在は名誉教授)であるクレア・キャラハンは、シンシナティ大学新聞に「英二は私たちのバロックの試金石であり、18世紀オーケストラでの彼の献身的な活動は、学生にも教員にも当時の音楽で人々が楽しんでいたことを感じさせた」と語った。1978年と1981年には、東京でのリサイタルで日本政府から優秀賞を受賞した。1984年にはカリフォルニア大学のリーベシュル賞を受賞している。また、オハイオ・アーツ・カウンシルのソロ・アーティスト・グラントを受賞したほか、1988年から89年にかけてのアーツ・ミッドウエスト・パフォーミング・アーツ・ツーリング・プログラムに選ばれ、1990年にはケンタッキー州から特別な功績に対して贈られる最高の栄誉である「ケンタッキー・コロネルズ名誉勲章」をケンタッキー州知事から授与された。また、ロックフェラー財団から研究助成金を2度授与され、イタリアのベラージオで学術的なレジデンスを行った。
2021.07.11
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芥川賞といえば日本では「純文学」作品に贈られる著名な文学賞の一つですが、その第172回(昨年度下半期)受賞作の一つに選ばれたのが鈴木結生(ゆうい)さんの「ゲーテはすべてを言った」という作品。書き手がまだ弱冠23歳で西南学院大学(福岡)の大学院生という若さもあって、今年1月の受賞決定以来あちこちのメディアで取り上げられています(例えばこちら)。それらによると、小説の内容は「高名なゲーテ学者である主人公が一家団欒の夕食で彼の知らないゲーテの名言(ティーバッグのタグに書かれていた)と出会い、その出どころを探して膨大な原典を読み漁りながら長年の研究生活の記憶を辿っていく」という知的探究談だとか。同作品で披露される作者の博覧強記ぶりも話題になっており、なかなか興味をそそられます。が、それにも増して亭主の目を引いたことは、彼が自分と同じ高校の出身、という点でした。日常生活では出身高校などという経歴は話題にもなりませんが、実際にその校名を目にすると同窓生(同郷者)の一人として多少とも郷愁を誘われます。これは夏の高校野球大会などで郷党意識(地域共同体の帰属意識)をくすぐられるのと同じような心理が働くからでしょう。ところで、同じ高校出身の著名な芥川賞作家として亭主がすぐに思い浮かべるのが宇能鴻一郎(1934-2024)です。彼は第46回(1961年下半期)に「鯨神(くじらがみ)」という作品で同賞を受賞し、純文学の作家として出発した(?)ものの、亭主が学生時代だった1970-80年代には「官能小説」の作家として名を成しており、当時のウブでマジメな亭主からみるとその「転向」ぶりが理解不能、恥ずかしくて話題にしたくもない「トンデモナイ同窓の先輩」でした。その後、彼の名前を聞くことは久しくありませんでしたが、昨年その訃報が伝えられたことから少しネットで調べてみたところ、数年前から彼の初期作品についての再評価の動きがあるようで、雑誌(文藝春秋や婦人公論など)や新聞、テレビのインタビューにも登場するようになっていました。インタビューで本人が語った内容から想像するに、彼は芥川賞というイベントを通じで当時の「文壇」という世界に自分と相容れない何かを感じ、そこに背を向けたのではないかと思われます。亭主の記憶によると、文学評論家の斎藤美奈子さんがどこかで、芥川賞・直木賞といった文学賞は「文芸春秋社という一出版社の下に集まる文壇仲間が、同業者に相応しいと思われる新人をリクルートするための採用人事のようなもの」と語っていました。選考委員は全員がいわゆる純文学の作家で(しかも任期が終身と異様に長い)、賞の勧進元(事務局、賞金などの出元)は文芸春秋社、受賞作はもちろん同社から出版されてその儲けになります。亭主のような一般人は、芥川賞と聞いて純文学(=「芸術」)を志す新人・無名作家を支援するための、中立な立場で組織された賞を想像しがちですが(選考委員会も形の上ではそのように装っている)、よく見るとちゃっかり商業主義に乗っかるような仕組みになっている、というわけです。ここからは亭主の想像ですが、宇能鴻一郎は文春の担当編集者から受賞後の執筆活動について「売れる」ことを条件にいろいろと要求されたのではないか。純文学を商売の道具にすることに何の疑問も持たないように見える出版社を前にして、まだ「芸術」としての文学の価値を信じていた(?)若い宇能が感じた反発や幻滅は小さくなかったと思われます。(実際、「鯨神」以降の彼の作品は文春以外から刊行されており、同社とは縁を切ったようです。)どうせ売文渡世で生きるのであれば、売れても大したことのない純文学作品を(担当編集者から「売れない」と文句を言われながら)書くぐらいなら、いっそのこと100%大衆路線でエロ小説でも書いて「文壇」を見返してやろう、と思ったとしても不思議ではない気がします。その後の彼の「商業的成功」は誰の目にも明らかで、芥川賞の選考委員たちをさぞガッカリさせたことだろうと想像させられます。面白いことに、今では全ての回の選考委員の名前や彼らの選評をネット上で見ることができ、宇能の回の選考委員の一人だった石川達三(第1回芥川賞の受賞者)が「鯨神」について以下のように書いています。「物語性も豊富で、一種の香気もあり、才気ゆたかな作家であるとは思いながらも、容易に私たちが当選を承知できなかったのは、この作品の裏に作者の悲しみも憤りも慨きも、そういうどっしり(原文傍点)とした動かすべからざるものが、何もないような不満を感じていたからではないだろうか。」「私のこのおせっかい(原文傍点)めいた忠告が宇能君によって理解されないようならば、マス・コミの攻勢に会って、彼はたちまち売文業者に転落して行くだろう。」最後の予言が的中している、という点では大変な慧眼ですが、同時に「純文学」側の「自分達は売文屋ではない」というエリート意識もヒシヒシと伝わってきます。その後の宇能の生き様を見れば、これを読んだ彼がカチンと来ただろうことは容易に想像できます。さて、そんな宇能が最近再評価されて、初期の中編作品のアンソロジーが2022年に新調文庫の「新刊」として刊行されていたことを知り、早速落手して受賞作の「鯨神」を見参。小説の舞台は明治時代初期の長崎・平戸島。村全体が鯨漁で生計を立てている和田村で、近隣の海に周期的に現れては船を破壊し、多くの漁師たちを海に引き摺り込んで溺死させる巨大なセミクジラ(「鯨神」と呼ばれる)に祖父・父・兄を殺されたシャキが、長じて漁師となったところで再来した「鯨神」に命懸けで復讐を果たすというもの。こういったあらすじだけを眺めると、19世紀米国の作家メルヴィルの有名な小説「白鯨」を思い起こさせるところがあり、実際にその影響を指摘する向きもあるようです。が、「白鯨」が非常に難解で読みにくい長編(亭主も一度ならず挫折)であることに比べれば、ストーリー展開も明確で一気に読み通せる佳作だと思います。また、文中の会話は(亭主にもある程度馴染みがある)長崎弁で、個人の生き方をがんじがらめに縛り上げる村社会の人間関係や習俗(潜伏キリシタンに関わる部分もあり)が生々しく描かれるなど、緻密な構成が光ります。(最近たまたま訪ねる機会があった島原温泉の周りで見聞きしたことが思い起こされました。)それだけに、宇能がその後「あたし、〇〇なんです」というあの独特の語調による女性の一人称モノローグで量産することになる軽いノリの官能小説との落差は一瞬目が眩むほどです。とはいえ、誰かが指摘しているように、これらの作品では女性が主人公で、女性の視点から語られる点が、男性中心の古色蒼然とした「文壇」に対する作者の隠れた反骨心(反エリート主義)を見ることができるのかも?
2025.06.15
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コロナ禍以降、クラシック音楽業界でオーケストラが経営上の問題を抱えていることはあちこちで話題になっています(例えばこちら)。なかでも、このところA新聞でキャンペーン的に取り上げられているのが神戸市室内管弦楽団を巡る問題。オケの生みの親とも言える神戸市が、長年続けてきた公的支援を来年度いっぱいで打ち切ると言い始め、それに伴って楽団が解散の危機にあるとのことです。つい数日前には、この問題について同楽団の音楽監督である鈴木秀美氏と、指揮者の山田和樹氏がそれぞれに寄せた言葉を紹介するA新聞の記事が掲載されました。亭主はこの二人の対照的とも言える生き方を前にして、改めて考えさせられることに。鈴木秀美氏は、補助金打ち切りの理由となった長年の赤字体質について、これまで自らが主導して行なってきた改善の努力を強調するとともに、この状況を「科学の基礎研究に十分な資金が投入されないのと同根ではないか」と批判しています。 確かに、即座に利益を生まない文化や基礎科学を守ることは、自治体や国家の品格に関わる問題です。しかし、亭主が気になったのは、その主張の根底に流れる「プロ」と「アマチュア」を截然と分かつ意識です。鈴木氏は、市がアマチュアへの支援を続ける姿勢を見せていることに対し、「プロの仕事をアマチュアの活動と同じ土俵で語ること自体が間違っている」と断じ、草野球とプロ野球を例に出して反論しています。この言葉の裏には、クラシック演奏家がしばしばまとってしまう「選ばれし者」という特権意識、いわば「上から目線」が透けて見えるように感じられてなりません。(このような意識の背景に、クラシック音楽がまとう明治以来の日本における西洋古典崇拝を基底とした教養主義があることは、度々指摘されるところです。)かつて作曲家の芥川也寸志は、音楽を愛する心においてプロもアマチュアも区別はないと説き、新交響楽団を通してその思いを実践してみせました。プロがアマチュアを「下に見る」姿勢を厳しく戒めた彼の精神から見れば、鈴木氏の言葉は音楽という営為の本質から少しばかり逸れてしまっているのではないでしょうか。そもそも「プロ」とは何でしょうか。自らの足で立ち、その仕事の対価として糧を得る。それが本来のプロの定義であるはずです。公的資金という「守られた揺りかご」を当然の権利であるかのように享受することに、鈴木氏自身は疑問を抱いていないのか。そこが亭主には大きな違和感として残ります。一方で、同じ問題に触れた山田和樹氏の視座は、極めて現実的でありながら、希望に満ちたものでした。山田氏は、補助金の打ち切りそのものよりも、それによって即座に「解散せざるを得ない」という結論に至ってしまう組織の在り方に、強い驚きを表明しています。氏が引き合いに出したのは、自身が音楽監督を務める英バーミンガム市交響楽団の事例です。3年前に市が財政破綻した際、彼らが取った行動は「絶望」ではなく「街への回帰」でした。駅やショッピングモール、あるいはトラム(路面電車)の中にまで楽器を持ち込み、市民の生活の結び目の中に、自らの音を響かせていったのです。「お金がもらえないから終わり」という前例を絶対につくってほしくない。そう語る山田氏の言葉は、行政からの支援が減りゆく現代において、プロの楽団がいかにして「市民の誇り」へと脱皮すべきかを示唆しています。(この話も含め、クラシック音楽をエンターテインメントとして捉える山田氏の考え方には亭主も大いに共感しているところ。)鈴木氏は、ホールを楽器に例え、自分たちの音を染み込ませて育てていくものだと述べました。 その通りでしょう。しかし、染み込ませるべきは「音」だけではありません。その街に生きる人々の「想い」や「共感」が染み込んでこそ、初めて文化は街の顔になり得ます。 オケの設立者として、神戸市側が打ち切りの理由を市民に丁寧に説明することは行政の責任でしょう。一方で、公金への依存を「当然」とせず、自らの価値を社会に問い続けること、これこそは楽団の矜持であるべきではないでしょうか。また、神戸市民がこれを他人事と考えず、楽団が自分たちの街に必要なのかどうかを自律的に判断することも重要です。今回の騒動は、単なる地方自治体の予算削減問題ではありません。「芸術」にこだわる音楽家が「神殿」から降り、一人の「プロ」として市民と同じ大地に立つ覚悟があるのかを問う、避けては通れない試練なのだと感じます。「わが街にはこんなオケがある」。そう市民が胸を張れる未来は、補助金の多寡ではなく、奏者たちの「ここからが本当のスタートだ」という決意の先にしか存在しないのではないでしょうか。この問題が、神戸の街にどのような調和(あるいは不協和音)をもたらすのか。亭主も一人のアマチュア音楽家としてその行方を見守りたいと思います。
2026.04.12
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昨日(13日)の夕刊で、J.S. バッハの肖像画がライプチッヒに戻ってきたという記事が目に留まりました。所有者だった米国の資産家でバッハ研究者でもあるウィリアム・シャイデからライプチッヒのバッハ資料財団(Bach Archive)に遺贈されたものが正式に引き渡されたとのことで、掲載された写真はどうやらその際に行われたセレモニーでのもののようでした。バッハの肖像画と言われるものは世の中に色々と出回っているようですが、これはその中でも最もよく知られたもので、同時代の画家E.G. ハウスマンによって描かれた2枚の肖像画のひとつだそうです。最初の絵は1746年、バッハが還暦を超えた頃(亡くなる4年前)に描かれたもので、1913年からライプチッヒの市庁舎に架かっているそうですが、下手な修復のせいもあってかなり傷んでいるとのこと。そうなることを知ってか知らずか、ハウスマンは2年後にもう一枚の肖像画を描いており、これが今回遺贈されたもの。状態はこちらのほうがはるかによいとのことです。英国の新聞「ガーディアン」の記事によると、この絵はとても数奇な運命を辿ったようで、1750年にバッハが亡くなった際には長男エマニュエルが相続したものの、19世紀初頭には骨董屋の店先に並んでいたものをブレスラウ(ポーランド西部)のイェンケ家に買い取られ、同家で代々引き継がれていました。ところが、20世紀になってナチスが台頭した1930年代に、ウェルテル・イェンケさんがユダヤ人迫害を逃れるためにこの絵を持って英国に渡り、空襲で焼けないよう、英国南西部ドーセットの田舎にあった友人のガーディナーさん宅に預けたそうです。そして、ガーディナー家でこの肖像画を間近に見ながら育った少年こそは誰あろう、かのバロック音楽の雄、ジョン・エリオット・ガーディナー(1943-)というわけです。その後、イェンケさんは1952年にこの絵をオークションで売却。それをシャイデさんが購入し、絵は米国プリンストンへと渡りますが、長じてバロック音楽の研究者となったガーディナーはそれを再びプリンストン大学で目にすることになります。彼は著作「天上の城の音楽:ヨハン・セバスチャン・バッハの肖像」の中でそのことを回想しています。“His gaze is intense but far livelier than I remembered it … In the lower half of his face one’s attention is drawn to the flared right nostril, the distinctive shape of his mouth creased at the corners, the fleshy lips and jowls that suggest a fondness for food and wine, as the records imply. The overall impression is of someone a lot more complex, nuanced and, above all, human than the formal posture of a public figure would seem to allow, and infinitely more approachable than the man in Hausmann’s earlier portrait, where the stare is more that of a bland and corpulent politician.”そしてガーディナーさん、今度はライプチッヒ・バッハ資料財団の総裁としてこの絵を引き受ける立場となったわけです。(奇遇ですねぇ…)ところで、この絵のバッハは譜面を手にしていますが、新聞の記事はこれについても詳しく紹介しています。それによると、この譜面は「6声の無限カノン」とありますが、ガーディナーによるとそれはちょっとした謎解きを要するものだとか。というのも、6声を生成するためには譜面に書かれている3声部を順方向と逆方向から読まなければならず、しかもそこには二重鏡映カノンまで仕組まれているそうです。その意味で、この肖像画は記事の中で「音楽の肖像でもある」と書かれています。その他、このカノンと14という数字にまつわるエピソード(この肖像画は当時の大学者ミツラーによって1738年に設立した「音楽科学文書交流協会」にバッハが入会するにあたって描かれたもので、彼は14人目のメンバーとなった)なども詳しく紹介されており、大変面白い記事でした。
2015.06.14
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先週末に続き、「古楽の楽しみ」MCの鈴木優人氏による平均律クラヴィーア曲集第2巻の全楽曲解説の残り部分を文字起こししたものをアップします。 * * * *▽バッハの「平均律クラヴィーア曲集 第2巻」(2)ご案内:鈴木優人/バッハの大作「平均律クラヴィーア曲集 第2巻」全曲をご紹介する2日目、ホ長調からト短調まで8曲の前奏曲とフーガをお送りします。[2020/5/21(木)] バッハが晩年にまとめた大作、平均律クラヴィーア曲集第2巻。今日はその2日目といたしまして、前奏曲とフーガ第9番ホ長調から聴いていきたいと思います。このホ長調の前奏曲は平均律第2巻の中でも最も調和を感じる作品の一つかもしれません。なめらかな旋律が穏やかで晴れた日のような牧歌的な作品です。それに続く4声部のフーガ、このフーガの主題は「ミ・ファ・ラ・ソ・ファ・ミー」という5つの音がアーチ形を描く主題です。この裏で演奏される対旋律は、上へ向かう上昇音形。これが後半になってきますと各声部に繰り返し現れまして、天に向かうような崇高さを感じます。 さて、この穏やかなホ長調の作品とは対照的に、次の第10番ホ短調、この前奏曲は緻密な緊張感のある2声のインヴェンションで書かれています。途中に出てくる長いトリルが非常に印象的。これだけでも聴き応えがある作品であるのに加えて、続くフーガが非常に変わった主題で驚かされます。始まりは3連符のアウフタクトが付けられているのですが、そこから強いスタッカートの4分音符がターン「ティララララン」という音形を繰り返し奏でます。さらに飛び跳ねるような「ラン・パ・パーン」という付点リズムも出てきて、力強いメロディ、この風変わりな主題に対して、対旋律には3連符の音形が書かれています。つまりテーマが導入されていくフーガの重なるところでですね、3連符と4連符が対決するような姿勢がですね、常に聞こえてくるわけです。それでは、この対照的なホ長調とホ短調の前奏曲とフーガ、お聴き頂きましょう。(以下略)...(演奏)バッハ作曲平均律クラヴィーア曲集第2巻から前奏曲とフーガ第9番ホ長調と第10番ホ短調を聴きいただきました。演奏はグスタフ・レオンハルトのチェンバロでした。ホ短調の勢いあるフーガ、いかがでしたでしょうか。この非常にドラマの展開の激しいホ短調のフーガから一転して、次のヘ長調の前奏曲は順次進行の非常に穏やかな音楽になります。緩やかな波を思わせるような、なだらかな旋律が声部間で受け渡されていくスティル・デ・リュート的な書法で、繊細で優美な味わいで書かれています。そして3声のフーガは溌剌とした主題で、組曲のおしまいに置かれるジーグだと言われても疑われないような軽快な作品です。おしまいには32分音符のパッセージも加わって、華やかに締めくくられます。 そしてこの陽気なヘ長調のフーガに続いて、今度はヘ短調の前奏曲、悲痛なため息の音形が途絶え途絶え出てくる、非常に情感が揺さぶられる作品。第1巻のヘ短調も感動的な作品でしたが、このフラットを4つ持つヘ短調という調性に、バッハは特別感動的な作品を生み出しました。対するフーガでは、主題のド・ファ・ファ・ファという同音反復と呼ばれるですね、同じ音を反復するリズムが全体をリズミカルに舞曲風にまとめています。それではこのヘ長調とヘ短調の作品をお聴き頂きましょう。(以下略)...(演奏) バッハ作曲、平均律クラヴィーア曲集第2巻から前奏曲とフーガ第11番ヘ長調と第12番ヘ短調、ケネス・ワイスのチェンバロでお聴き頂きました。 古楽の楽しみ、今週はバッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻を3日間かけて全曲聴いています。今日はその2日目、次の第13番でちょうど折り返し地点、全24曲の後半に差し掛かります。第13番は嬰ハ長調、ふたたびシャープが多い調性です。付点リズムを多用した前奏曲はフランス風序曲のような雰囲気で、これはバッハが後半の始まりを告げる際に必ず用いた様式です。フランス風序曲というのは、付点のリズムが用いられる前半と、そして後半はフーガになるのがお約束ですけれども、まさにこの第13番のフーガは例外的な作品です。曲の始まりでいきなりこう音符がこぅトリルで演奏されてびっくりする、というようなテーマになっていますね。またフーガのテーマ最初は必ず単旋律で提示されまして、それが2声部、3声部というふうに増えていくわけですけれども、このテーマの長さが長ければ長いほど、複雑なフーガになります。このトリルで始まる嬰へ長調のフーガは、始まりも驚きですが、その後の長さが非常に長い、つまりフーガ全体が長い形で構成されていて、まさに全24曲の真ん中に、しっかりとしたフーガを置こうという、バッハの意気込みが感じられます。テーマが入ってくるたびにトリルが聞こえますので、どこか華美な雰囲気もあるわけですけれども、しかし演奏するチェンバリストの側はと言うとですね、他の2声部を平等に意識を持ちながら奏でつつ、しかしトリルというのは指を2本速く動かしますので、大変技術的に難しい難易度の高い作品になっています。 そして第14番の嬰へ短調の前奏曲は、この第2巻全般によく出てくる、リズムがですね、3連符と2連符の狭間を揺れ動くような作品。協奏曲の中間楽章によくゆったりとした楽章があります。そこに置きたくなるような優美で繊細な音楽ですけれども、途中で突然休止するフェルマータといい、なんとも情感に満ちた作品です。そして続くフーガは、この平均律第2巻では、ここにしか出てこない3重フーガ、つまりテーマが1種類だけではなく3種類のテーマが出てくるというものです。そして3つのシャープの調であるこの嬰へ短調に3つのテーマを持つ3重フーガ、さらに主題も3小節の長さ、もしかするとバッハはこのフーガで、聖なる数字である3を意識していたのかもしれません。シャープというのは、ドイツ語でクロイツと言います。クロイツとは十字架のことも意味します。ゴルゴダの丘で十字架につけられたイエス、しかしそこにはもう2人受刑者が張り付けられていました。ゴルゴタの丘の3つの十字架を思わせる3重フーガになっています。(以下略)...(演奏) バッハ作曲、平均律クラヴィーア曲集第2巻から前奏曲とフーガ第13番嬰ヘ長調と、第14番嬰ヘ短調をお聴き頂きました。演奏はジョン・バットのチェンバロ。3つのフーガが順番に始まるような展開にワクワクする嬰へ短調のフーガは、この曲集の中でも最も見事なフーガのひとつです。 さて今日のおしまいに、この続きである第15番ト長調と第16番ト短調をお聴き頂きましょう。ト長調というのはとても明るい調性で、シャープもひとつだけのシンプルな調です。非常に溌溂とした、ヴァイオリンを思わせるような無休動の動き続ける音形の音楽。そしてこれに続くフーガは原曲がありまして、前奏曲とフゲッタ、ト長調バッハ作品番号902という作品が元になっています。原曲は小さなフーガを意味するフゲッタというタイトルで、舞曲風の作品でした。これを元にした後の平均律第2巻のフーガも、舞曲の味わいを残しつつ、最後に音階が駆け巡る技巧的なパッセージも華やかなフーガです。 そして続くのはト短調の前奏曲ですが、この曲には全曲の中でも珍しい指定が付けられています。それはテンポの指定です。ラルゴ、幅広いテンポでゆったりと、という風に指定されていまして、実はこの平均律クラヴィーア曲集には、このテンポ指定というものがほとんどありません。しかしここではラルゴ、荘厳なフランス風序曲を思わせる悲劇的な付点のリズムが支配する、ゆっくりの足取りの作品です。そしてこの前装飾の後に置かれたフーガは、これまた個性的な主題、1拍目に休符を置いた、少しつんのめるようなリズムの出だしで、同じ音が繰り返す同音反復が強調されるテーマです。チェンバロは、連打というのは打つと書きますけれども、チェンバロ自体は弦を弾く楽器ですので、同じ音を繰り返して弾くわけですけれども、今からお聴き頂く録音では、その連打にですね、奏者の思いがこもってチェンバロの打撃音と言うんでしょうか、楽器自体のノイズも少し聞こえてくるかもしれません。(以下略)...(演奏) ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲、平均律クラヴィーア曲集第2巻から前奏曲とフーガ第15番ト長調と第16番ト短調、クリストフ・ルセのチェンバロ演奏でお聴きいただきました。同じ音を執拗に打ち続けて、まるで何かを訴えるようなこの激しいフーガ、いかがでしたでしょうか。古楽の楽しみ、今日はバッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻を全曲お聴き頂く中の2日目、ホ長調からト短調まで8曲の前奏曲とフーガをお送りしました。明日は残りの8曲を聴き頂いて、ついにこの第2巻を全曲聴いたことになります。それでは今日も良い一日を。ご案内は鈴木優人でした。▽バッハの「平均律クラヴィーア曲集 第2巻」(3)ご案内:鈴木優人/バッハの大作「平均律クラヴィーア曲集 第2巻」をご紹介する3日目、変イ長調からロ短調まで8曲の前奏曲とフーガをお送りします。[2020/5/22(金)] バッハが平均律クラヴィーア曲集第1巻をまとめてから20年が経過した1742年頃、24の調性全てに前奏曲とフーガを作曲して1冊にまとめた平均律クラヴィーア曲集第2巻。これまで2日間にわたってご紹介してきましたが、今日はその3日目、残るはあと8曲になりました。まずは変イ長調の前奏曲とフーガ第17番からお聴き頂きましょう。前奏曲の方は、穏やかな付点のリズムと16分音符の旋律がたゆたうように揺れる、気持ちのよい作品です。それに続くフーガは、跳躍音形が心地よい、歯切れのよい主題を持つ4声のフーガです。しかしその対旋律は、半音階の下降で構成されていて、歯切れの良い跳躍と半音でなだらかに降りる対旋律の対比が力強い構造を作っています。 そして短調の方、変イ短調かと思いきや、ソのシャープで書かれた嬰ト短調。これ同じ鍵盤なんですけれども、譜面を見るだけでも苦難の連続が予想されるようなシャープだらけの調です。まさに、茨の道を切り開くような音楽。この前奏曲には一箇所だけ、ピアノとフォルテという音量の指示が書かれています。チェンバロの曲にはこういった音量の指示は滅多にありませんけれども、これは鍵盤が2段あって、その鍵盤交代を指示したものです。そして、続く6/8拍子で書かれた3声のフーガ、2小節を一つのまとまりとした4小説の主題です。対旋律は半音階を行ったり來たりして全く落ち着かない、そしてシャープも多くて、弾くのも大変なフーガなのですけれども、曲が終わった途端にですね、今までの全ての混沌と言うか混乱が、バッハによって実は完全にコントロールされていたんだなっていう風に感じられる、そういった不思議な作品です。それではこの2曲をまず聴き頂きましょう。(以下略)...(演奏) バッハ作曲、平均律クラヴィーア曲集第2巻から、前奏曲とフーガ第17番変イ長調と第18番嬰ト短調をお聴き頂きました。演奏はスコット・ロスのチェンバロでした。 さて、嬰ト短調のフーガに続いて演奏されるのは、牧歌的な前奏曲です。嬰ト短調という少し暗い森のような調性を抜けた後に、思わず空を見上げるようなですね、素直なイ長調の明るいテーマに心地よさを感じます。続くフーガもあまり複雑な雰囲気にはならずに、付点のリズムが軽快な雰囲気を作ります。しかしこのイ長調の明るさの後に、今度はイ短調の前奏曲、これが全く対照的な音楽です。前半がひたすら半音階で降り続ける、そして後半は半音階で登り続ける厳しい表情の作品です。このように、前半と後半でモチーフを上下に反転するというのは、バッハの舞曲でも頻繁に見られる手法です。半音階というのは、一体どこの調整にいるのかわからなくなりますので、聴いてる人は自ずと不安を感じるわけなんですね。音楽のテーマそれ自体が美しいだけではなくて、その素材を徹底的に活用するのがバッハ流の作曲です。まるで、魚の腸や骨まで料理しつくす一流のシェフのようです。さらに、フーガは厳しい音楽、非常に断定的な短い4分音符の動機、さらにスタッカートをつけた8分音符からなる主題です。そこに対旋律はすごく速い動きで32分音符で切り裂くように現れて、非常に緊張感の高いフーガになっています。それではお聴き頂きましょう。(以下略)...(演奏) バッハ作曲平均律クラヴィーア曲集第2巻から、前奏曲とフーガ第19番イ長調と第20番イ短調、グスタフ・レオンハルトのチェンバロ演奏でお聴き頂きました。 この厳しい雰囲気のイ短調のフーガ、これに続くのは、今度はジーグのように明るくて軽快な12/16拍子の変ロ長調の前奏曲です。そして、この曲に出てくるパッセージ、手が交差する技巧的なパッセージが現れます。右手が左手を飛び越えてベースラインを弾いたり、あるいは左手が右手よりも高い音を弾いたり、ちょっとスカルラッティ思わせるような技巧的な音形が現れます。そしてフーガは8分音符が下降するモチーフが連なった流麗なテーマによる、非常にスムーズな流れの曲になっています。 そして対する短調の方ですね、変ロ短調の前奏曲とフーガは、これは大変な力作大作です。前奏は3声のインヴェンション、対位法的にも非常に緻密に作曲されています。その後のフーガが、この2巻の中でも最も難解なフーガの一つかもしれません。3/2拍子で激しいスタッカートの2分音符で始まる主題は、まるで坂を登ろうとしては、また一番下に落とされてまた這い上がろうとする、そういう苦労を感じるような重たい旋律です。さらに対旋律には、ここでも半音階が持ち込まれまして、この半音階が主題と事あるごとに不協和音でぶつかり、演奏する方にも非常に大きな心理的な負荷がかかります。フーガの後半には、この主題は上下逆さまの反行形になりまして、最後には上の2声部は主題を奏で、左手で弾く下の2声部は一小節遅れて反行形で下に降りて行く、右手と左手がもう喧嘩するような形で限界を越えようとする圧倒的なエネルギーを持って終わります。演奏者にとっても大変なカタルシスが感じられる一曲と言えると思います。(以下略)...(演奏) バッハ作曲平均律クラヴィーア曲集第2巻から、前奏曲とフーガ第21番変ロ長調と第22番変ロ短調、演奏はジョン・バットのチェンバロでした。 さて、平均律クラヴィーア曲集第2巻を3日間かけて聴いてまいりましたが、いよいよ最後の2曲になりました。まず第23番はロ長調、前奏曲は技巧的で明快なスタイルで書かれています。そして、跳躍音形しかないという珍しい主題を持つフーガは、冒頭から少し独特の印象を与えます。跳躍、つまり音符がジャンプしてるということは、フーガですので他の旋律と絡み合う時に音域が問題になってきます。そのためフーガを書く難易度としては、跳躍音形が多い主題というのは難易度が高い方に属するわけなんですけれども、バッハの手にかかれば、8分音符でできた第2主題のようなテーマと見事な組み合わせで、明るくカンタービレな曲に仕上がっています。 そして、最後の第24番はロ短調。前奏曲は2/2拍子で、しかも自筆譜にはアレグロという指示が書かれています。2声のインベンションで、組曲の中にでもありそうなバランスのとれたこの子気味よい前奏曲ですが、最後の方にいきなりフェルマータで問いかけるように止まり、もうこの曲集は終わってもいいですか、と訊かれてるような感じがして、心にくいところです。第2巻の最後を飾るフーガは、意外なほど軽快な舞曲風のフーガです。オクターブの跳躍を含む主題は、ともすると他の声部と重なって紛れ込んでしまいますが、キチンと聴かせるその作曲技法は、やはりバッハならではの熟練の技と言えるでしょう。それではこの大作の最後の2曲、続けてお聴き下さい。 (以下略)...(演奏) ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲、平均律クラヴィーア曲集第2巻から、前奏曲とフーガ第23番ロ長調と第24番ロ短調、演奏はトン・コープマンのチェンバロでした。 古楽の楽しみ、この3日間をかけて平均律クラヴィーア曲集第2巻全曲を通してお聴き頂きました。お聴きになった皆さんも、フーガを24曲も聴いてお疲れになったかもしれませんが、やはりバッハの小宇宙と言えるこの平均律クラヴィーア曲集第2巻、何かミクロの世界とマクロの世界が繋がったような、様々な音楽を通してバッハの深みを知ることができました。それでは今日も良い一日を。ご案内は鈴木優人でした。
2021.11.03
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