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2025.11.23
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カテゴリ: 雑感

教養主義の没落 」(2003)という本を手にして以来、同じ著者の本を端から読んでいる亭主ですが、表題の本は「 丸山眞男の時代 」(2005)に続く3作目。中公文庫で上下二冊という結構なブツ量も何のその、やはり大変面白く一気に読ませてもらいました。

原書は2011年10月に中央公論社から刊行され、2015年に文庫化されたもので、文庫版には「おまけ」として2つの補論(1. 昭和戦前期「左傾学生」の群像ー統計的考察、2. 鉄のトライアングルー進歩的文化人・岩波・朝日)が追加されています。



文庫本の解説記事の冒頭を借りると、 革新幻想とは「左派(リベラル)にあらずんばインテリにあらず」という進歩的な同調圧力(空気) のことだとか。同調圧力とは「議論の余地なく正しいことを認めよ」という意味です。

このような「政治的信条としての左派リベラル思考」(共産主義やマルクス主義もそのひとつ)への傾斜は、明治時代末の旧制高校を中心とした「学生エリート文化」に始まり、次第に帝国大学そのものがそのような文化の牙城となった「大正デモクラシー」を経て、日中戦争から第二次大戦中にかけては右派的思想(国粋主義、「近代の超克」論、日本浪漫派など)の盛り上がり(=逆向きの「空気」)と軍部の思想統制によって一旦壊滅させられますが、戦後に再び大学知識人や大衆化したエリートを中心に日本全体を風靡することになります。

タイトルに「戦後史」とあるように、本書は特に終戦直後から現在までの期間に的を絞って日本社会におけるそのような「空気」の変遷を辿ったものですが、その最大の特徴は、論考の対象にとなる政治的な事柄について、ともすればやってしまいそうな「価値判断(左右いずれか寄りの政治的立場に立って称揚する、あるいは貶めること)」を自ら禁じ、時代を降りながら「岩波書店の雑誌『世界』の隆盛と凋落」、「進歩的教育学者の教育支配」、「旭丘中学校事件」、進歩的文化人についての参照光としての「福田恒存」、「小田実・ベ平連・全共闘」、といった時代を画する人物や事象の背後にある「空気」の実態やその社会全体への影響を中立な立場で評価している点にあるといえます。(なので、読者がいずれの立場にあっても大変面白く読めるわけです。)

もうひとつの特徴は、このような精神史的論考を統計データの収集や新聞・雑誌記事の博捜に基づいた実証主義的な手法で行っている点にあります。この点は全2作にも共通ですが、本書ではこれに加え、著者自身の同時代人としての体験(戦後最初の大学紛争だった「60年安保」直後の1961年に大学に進学し、65年に生保会社に就職、その2年後に大学院に入り直して教育社会学を専攻、学位取得後に大学教員として勤務)が随所で語られ、当時は分からなかった若い頃の著者自分の置かれた客観的な状況や行動の意味が明かされていく、という謎解きのような面白さもあります。(亭主は著者よりだいぶ年下ですが、昭和の青春世代には広く共有できる面白さだと思われます。)

さて、「左派リベラル思想」そのものと、これを問答無用に他者へ押し付ける「独善」とは全く別の話です。(左右どちらであろうと、後者の様な態度はよくて権威主義、へたをすればファシズムと同類になってしまいます。)

戦後の日本では大学関係者といった知的エリート層の政治信条である「左派リベラル思想」が社会を広く支配し(革新幻想)、これに対して異論や疑念を許さないような(〜独善的な)雰囲気が長く続きました。著者によれば、その究極にあるのが1960年代後半に起きた全共闘運動など先鋭化した(エリート化した)「活動家」の思想で、彼らはその出自である大学そのものや進歩的文化人ですらも批判の対象にしました。(このあたり、前著「丸山眞男の時代」によく描かれています。)

米国で似たような例であるポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)についても、ポリコレ自体よりは、これを民主党支持のエリート層から独善的に押し付けられることへの不満が爆発した( 反知性主義 に火がついた)のが「トランプ現象」とも言えます。現在直面する政治的分断と排除の理論も、リベラル・保守それぞれの独善的な振る舞いに由来しています。(その背景には、例の「目的による手段の正当化」という道徳的腐敗の影も見え隠れしています。独善とは結局、自分が善と思う目的を実現するためには何をしても構わないという思考に他ならない?)

「革新幻想」に振り回された戦後日本の歴史を踏まえ、「革新幻想の帰趨」と題された終章で示される日本社会の現状に対する著者の認識には厳しいものがあります。いまや社会の主役はマス化した大衆で、そのような「『幻像としての大衆』を想定して言論活動や政策がなされるのが現代大衆社会の特徴である」と言います。「高い身分に伴う義務」ならぬ「大衆であることの義務」が前景化し、指導者がポピュリズム狙いのパフォーマンスに走るか大衆圧力をかわす「保身」だけに走りがちなのも、指導者の資質の問題というより、層としての中間インテリや中間エリートを欠き、劣化した大衆社会圧力によるのではないか。

本書の結びに書き付けられた「日本は古代ローマの様に滅びに向かいつつあるのではないか」という著者の予言、不気味なリアリティを持って迫ってくる感じです。






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Last updated  2025.11.24 17:05:19
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