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昨日の続きです。何かに使えるかもと残しておいた錆も浮いているこの古いキャスター良いものが有ったと野点傘立てまがいのボックスを裏返えして取り付けました。このボックスは次に書きます様に重くなるので移動し易くするためです。そして孔を開けて作ったフタをするとこの様に・・・その孔に・・・カットして節の中を一番下だけ残しあとの節は上から棒で叩いて貫通させた竹を漆喰の容器に立て、周りに土を詰めました(重くするためです)それをボックスの中に入れて・・・フタをするとこんな感じになりました。この竹に昨日届いたビーチパラソルを差し込みますと・・・サイドテーブル兼用のビーチパラソル立てが完成しました。折角ですので前に私が古いモノを残していることを知った友達から貰った舞踊用の赤い番傘も元のパラソル台に刺して並べてみました。出来た事はここまでで・・・・あとはこのペンキ(黒色) を塗る事と・・・台の装飾、そして机の真ん中に孔を開けてビーチパラソルを机の真ん中に刺せるようにしようと思っているのですが、机の天板の厚みが6cmもあるのでどうするか??? まだまだ頭の体操が続きます。ここまでで買ったものはこのペイントとネジ釘だけです。
2024.05.19
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庭で使っているビーチパラソルが小さいのと古くなったので新しく買う事にしました。前々から、ビーチパラソル買い替える時には、この野点傘のイメージで真っ赤なものをと思っていたのです。それで真っ赤なビーチパラソルを買う事にして・・・その前にパラソルをに立てる台を作ることにしまた。材料はペンキや釘類の不足分は買うが、木材は手持ちの材料を使う事を原則にまず買わずに・・・と言う考えで材料選びから始めました。色々ある木材の中でこの写真に写っているのは先日潰した洋服タンスの引き出しなどの桐の板です。それから門松を作る時に貰った竹の残り、そして息子が壁の塗り替えに使った漆喰が入ってた容器(バケツ替わりに使っていたもの) 等など・・・いつもの様に図面も書かず、頭の中の「設計図」で木材のカットから始めました。そして組み立て開始・・・底の斜めに使ってるのは洋服ダンスの引き出しの桐材です。組み立てた木材の枠は漆喰の容器が出し入れできる大きさにしています。そして側面に板を張り・・・洋服ダンスの桐板に厚みを合わせた他の板を混ぜて使います。ここまでが昨日の仕事です。今日も続きをして来たのですが、まだまだ未完成です。(この続きは後日書かせて貰います)明日は妙法院の仏教文化講座の聴講に行くつもりですので作業は休みです。・・・・と言うことで。又々ヒマ潰しのタネは尽きまじです。
2024.05.18
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登山用品を買いにヨドバシカメラのビルの石井スポーツへ行ったのですが、久しぶりに駅ピアノを聴きに京都駅へ足を延ばしました。今日は駅ビル西側の伊勢丹からこのスカイウオークを通って・・・ビルの東側へこの市内を見渡せるスカイウオークですが、伊勢丹から行って10階だと言うのを初めて知りました。エスカレーターで降りて行くとピアノの音が・・・そして赤い絨毯の上に置いたピアノが見えて来ました。エスカレータを下りて左へ・・・曲名は分かりませんが、プロかなと思う程の中年男性の素晴らしい演奏・・・もう少し弾きたかったようですが、次の弾き手にバトンタッチ!!!この辺の譲り合い、見ていて気持ちが良いものです。次は若い女性、身体全体を使ってジャズの素晴らしい演奏・・・演奏が済むと聴衆も大きな拍手!!! 私も・・・拍手するのも良い気持ち!! 会釈し貰って更に良い気持ち・・・ここの駅ピアノは場所が良いので最高です。
2024.05.17
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5/1のブログに 京都三大祭り (祇園祭 時代祭 葵祭) のひとつこの葵祭りのポスターを載せました。私は何十年も観に行ったこと無いのですが・・・・今日の京都新聞に大きく取り上げられていました。巡行のコースは御所をスタートして下図の様に下鴨神社から上賀茂神社まで進みます。次は・・・七月の祇園祭・・・そして8月の大文字と続きます。
2024.05.16
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春から初夏にかけてあらゆる植物が芽生えます。ここ暫くでもイタドリ、蕗、タラ、山椒などの芽生えを書いて来ましたが・・・今回、まず一つ目はこれ・・・・我が家の 半夏生です。 毎年化粧? してから写真を載せて来ましたが、今回は化粧前です。当然、待つものは白く化粧した姿です。苗を貰って植えて数年、今年は更に沢山生える様になりました。ついでながら右の方はギボシです。半夏生は元々有ったギボシから離して植えたのですが両方が根を広げて境界が無くなりました。この分だと混ざってしまいそうです。二つ目は・・・大好物のミョウガです。ここで待つのは・・当然のことながら好物のミョウガです。これだけ茎の芽は成長したのに、食べるミョウガはまだなのです。去年は減反? の為土をいじったので余り採れませんでしたが今年期待です。
2024.05.15
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4/29に我が家で初めて生ったこの山椒の実のこと書きました。その後も増えて喜んでいたのです。我が家では山椒の実は毎年買って保存しているのですが、今年も生協に注文して配達されたら、このわが家製の実も混ぜる予定でいたのです。ところが、生っている実が減って来たのです。山椒の実なんて野鳥は見向きもしないと思っていたのですが、ヒヨドリかメジロか知りませんが食べに来たとしか思われないのです。(減っている量が多いのでヒヨドリではと思うのですが・・・)刺激のある山椒の実なんて食べるとは思われないので今でも半信半疑なのですが・・・・・で、生協に頼んだモノはまだ来ないのですが、慌てて今日収穫しました。房のように残っているのはこれだけ・・・これもまだ房の様ですが・・・あとはみんなこんな状態でした。・・・・で採れたのはたったこれだけ。房の形を残しているのはこれだけでした。来年からはネットを張るつもりです。・・・手間がかかると言われながら、生協のモノは待たず取り敢えずこれだけ先に下処理をしました(してもらいました(笑))
2024.05.14
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昨日の続きです。日名倉山から下山して岡山県から兵庫県加西市のホテルで一泊。翌日はこれも関西百名山の 多可町と神河町境界の千ヶ峰 (1005m) に登りました。兵庫県中部のこの位置(赤丸がスタート、ゴール地点) 山また山の中でした。目指す千ヶ峰は右側の山 (多分) です。登山道入り口に沢山の杖が有るので急峻な山かと思ったのですが、そうでもなかったです。それは後程に。途中で見えて来た頂上です。人気の山なので見晴らしの良い場所所々に立派な休憩所が有りました。汗を拭き拭き登って来たのにこの案内板を見て、ギャフンでした。登山道とは書かれず、遊歩道だと言うのです。冒頭に書きました急峻では無い山では無かったですが、遊歩道よりやはり登山道の険しさもあったと思うのですが・・・(笑)そして、頂上への最後の登りです。そして、頂上に到達!!山名の「千ヶ峰」は千の峰が見渡せることが所以らしいのですが・・・正にそのことを立証する360度の眺め、山また山の眺めは正に千の峰が見える眺望でした。登ったのが土曜日であったからだと思うのですが、次から次へ登って来る人があり、素晴らしい眺望の人気度を実感しました。下山すると所要時間2時間32分の山行でした。帰って関西百名山のリストを久しぶりにチェックすると今回登った2座でもって合計77座踏破していました。
2024.05.13
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昨日の続きです。今回の登山は関西百名山に名を連ねる2座の登山でした。いつもの西の方の登山の様にメンバー2人でJR福知山線の西宮名塩駅からタクシーで中国道西宮名塩パーキングエリアまで行ってそこで和歌山からの車にピックアップして貰いいつもの3人で岡山県に向かいました。目指す日名倉山は兵庫と岡山の県境の山で、今回は岡山県側から登りました。こんな下界の光景を見ながらの登山は・・・・標高1047mと言っても・・・・随分高い所まで車でまで行けたので、確か歩行40分程だったと思いますが、あっと言う間に頂上に到達しました。山頂は360度の大パノラマ、天候も良く山また山の最高の眺めでした。さすが関西百名山 ! ! ! でした。しかし、四方が山だけしか見えないのに見える山を特定できず仕舞いで下山にかかりました。下山すると登山口の横にあったこんな場違いのような建物に寄ったのですが閉鎖中でした。確かに見えるベルは大きかったですが、何を記念して建てられたのか分かりませんでした。よくもまあ山の上にこんな大きなものを建てたものとの思いがしました。そして、駐車場から車で下山中、往路登山口へ向かう時見たこの案内板に関心が有ったので寄って貰いました。この辺り今は美作市ですが、昔は大原町で宮本武蔵の生まれた里なのです。これが牢跡です。こんな立札もありました。吉川英治の「宮本武蔵」は確か中村錦之助でも映画化されたと思いますが・・・・何と言っても宮本武蔵は三船敏郎です。私が観た映画は三船敏郎が武蔵、三國連太郎が本位田又八、八千草薫がお通でした。それはそれは記憶に残る映画だったのです調べて見ると何と1954年公開でした。それを観たと言うのですから齢がばれます(笑)70年前に観たのに良く憶えているのはその後、吉川英治の原作も読んだからだと思います。そんなことで・・・・今読んでいる花山天皇の「炎帝花山」を読み終えたら、宮本武蔵をもう一度読もうと思ったことが今回の登山のひとつの収穫でもありました。話が逸れましたが・・・下山後兵庫県加西市まで引き返しホテルに宿泊して翌日の登山に備えました。明日に続きます。今日も終日出かけていましたので、当ブログを書くだけで精一杯!! 頂いているコメントへの返事等は明日させて頂きます。
2024.05.12
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5/10~5/11で兵庫県西部のこの二つの山に登って来ました。この山は兵庫県と岡山県の県境の山で、我々は岡山県側から登りました。歩行時間が短い山では有ったのですが、体力を使い果たしたため詳しくは明日書かせて頂きます。そして頂いているコメントへの返事も明日させて頂きます。
2024.05.11
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4/25のブログに智積院の金堂の前にプロペラから発芽したこれらのモミジの苗を載せました。そして・・・・「間もなく雑草の様に抜かれる運命の儚い命です。功徳と思って今度数本貰って我が家で育てます」 なんて書きましたが・・・早やそれが現実に・・・・この様に跡形もなく消えていました。このことからしても、日頃の掃除や雑草抜きが徹底されていることが分かります(笑)・・・・で、生き残ったのは・・・(これもブログに載せた写真ですが) わが家に移植したこの10本だけとなりました。今となっては貴重な苗、ひとつずつポットに移し替えて大事にせねばと思いました。話は変わりますが・・・5/2にフラワーリレーとして、2輪程咲いたヤマボウシの写真を載せましたが、早やこんなに沢山咲いていました。その近くでは、さらに続く(フラワー) リレーの「助走??」が・・・沙羅双樹(夏椿) の蕾です。そしてその周りには今や名所になりつつあるアジサイも・・・参道には寺紋の桔梗も蕾をつけていました。フラワーリレーは途絶えること無く続きます。そう言えば6/15の青葉まつりはもう直ぐ、一年の過ぎるのは早いです。
2024.05.09
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ここ暫く雨の降る日が多く、一昨日は風も強かったようです。そんな風雨の強かったあと地蔵山墓地を通りますと・・・多分ヒマラヤ杉だと思うのですが巨木の下に細い枯葉がこの様に堆積しているのです。風で地面に落ちた葉が、雨水に流され、普通は散在している葉がぎっしりかき集めたように積もっているのです。そこでピピッと来てリュックの中を確認するとレジ袋が有ったので拾い集めました。上の写真も、下の写真も所々葉が無くなっている箇所はレジ袋に入れるために私が手でかき集めた跡です。まだ湿っている葉が直ぐレジ袋いっぱいに・・・入っているモノは本と貴重品だけで空に近かったリュックに入るだけ拾いました。そして自宅に持ち帰りしたことは・・・先日植えた野菜の根元に乾燥防止の為に撒く事でした。ゴーヤも・・・キュウリも・・・輪作防止の為、今年初めて手作りプランターに植えたトマト類にも・・・・ところが沢山拾って来たのに、シシトウまでは行き渡りませんでした。又拾って来ないと・・・・!!!
2024.05.08
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今日の京都新聞の一面に実相院の「床みどり」が載りました。叡電に乗ってわざわざ観に行ったことも有りましたが・・・この頃は身近な「机みどり」です。早速カーテンを開け・・・・撮りました。晴れていたらもっと鮮やかな緑に写る筈なのですがちょっと映えません。もっときれいに映るように机のニスを塗り直そうかと思うくらいです。・・・・で、机を動かして位置を変えたのですが・・・まあ代わり映えしません。もう一度天気の良い日に撮らないと・・・です。
2024.05.07
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最近はクローゼットの時代で洋服タンスなるものは見向きもされません。わが家には子供が使っていたその洋服タンスが数本あってかなりの場所を占領しているのです。・・・で、今回その内の1本を解体処分しました。元の姿を撮って置けば良かったのですが・・・解体始めてからの写真です。大半をこの様にして大型ゴミとして出すのですが・・・(無料)一部を利用することにしました。立っている板は引き出し側板の桐の板です。上下はタンスに関係ない有り合わせの合板ですが・・・後ろのベニヤはタンスの部材です。組み立てたあとはこれも前に使って残っていたペンキを塗りました。残っていたペンキの量が少なかったので、背面と底の裏は塗装なしです。・・・で、古い和ダンスの上に置いて、古いガラクタを置く台にするつもりだったのですが・・・まだまだ置くものが有るのでもう一段増やしました。これで容量が増えました。ペンキが無くなったので、追加の棚は差し当たりこのまま塗装なしでモノを置くことにします。古い古い和ダンスを残し、新しくてきれいな洋服タンスを潰すなんて、どうかと思う面もあるのですが・・・温故の方をとりました。
2024.05.06
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わが家には数年前にブロ友さんから頂いた「ミヤコワスレ」が毎年咲いてくれます。何も手を掛けていないのに毎年季節が来れば健気に咲いてくれて、切り花にしても長持ちする便利な花なのですが・・・今年も玄関の下駄箱の上にこの様に活けていたのですが・・・他の花は次々と代替わりする中、このミヤコワスレはずっと咲いて萎びたり枯れたりしないのです。活けてから少なくとも20日以上は経っているのですがまだまだ元気なのです。そんな思いでいる中、水替えの時気が付いたと言うのですが、花瓶の水の中でこの様に根を生やしていたのです。アップしますと・・・道理で元気なはずでした。毎年勝手に咲いてくれる花ですが、これを挿し木にすれば別に根分けせずとも又増えてくれるはず。名前は可愛いけど、本当に逞しい花です。
2024.05.05
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ブロともさんがトマトの苗を買われた記事を見て、もうその時期なんだ!! と私もホームセンター買いに行きました。取り敢えず買ったのは・・・・キュウリ色々 4 本ミニトマト色々 3本トマト 1本ゴーヤ 2本 でした。ゴーヤはわが家で種から芽を出したものが沢山あるのですが・・・一番欲しいのはゴーヤなのに出来なかったらどうするの?? と言われて保険の為に買ったのでした。今日は畑を覆う様に葉が茂った柿の枝の剪定(間引き) クタクタ ! !全部植え付けるまでに至りませんでした。
2024.05.04
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3/25のブログにこの妙法院の仏教文化講座に行ったことを書きました。これが566回だったのですが・・・4月の567回の演題は「ギリシアから日本へ風神像の東漸 三十三間堂の風神・雷神によせて」だったのですがこれはパスしたのですが・・・今日三十三間堂の掲示板にこの案内が掲示されいるのに気付きました。(三十三間堂は妙法院の一部です)これは聴きに行かないと・・・。3/1に書きましたが、大変気に入って友達から貰って我が家に来たこのパネル「室生寺の十一面観音像」は・・・あるのは奈良の室生寺ですが、平安時代の作であるし、今読んでいる「炎帝花山」そして数冊読んだ後白河法皇もみんな平安時代が舞台だし、熊野詣が盛んだったのも平安時代・・・・今、平安時代に関心が強いのです。・・・で、万障(と言う程のものはありませんが) 繰り合わせて聴きに行こうと思った次第です。話は変わりますが、5/1に鴨川の床開きのことを書きましたが、今日の京都新聞にこんな記事が載っていました。
2024.05.03
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今日も又智積院を通りますと、ヤマボウシが咲いていました。まだたった2輪だけでしたが・・・。ヤマボウシの季語は夏なのでまだ少し早いと言うことなのでしょう。この緑の実が赤くなるのはいつ頃だったか?? 毎年の様に取り上げていますが???です。このヤマボウシだけでは記事にならないなあと思いながら歩を進めますと・・・咲いていました。「しょうぶ」です。形は随分違うようですが・・・私の古い手帳には次の様にメモしていました。しょうぶ ・・・・黄色・あやめ ・・・・白い網目かきつばた・・・・白い線・・と言う事で間違っているかも知れませんが。これは黄色いので「しょうぶ」と言う事になるのですが定かではありません。花と言えばこれも花なのでしょうね。そして、梅雨近し表すように今年も沢山の梅の実が・・・・ブログネタの無い時の「智積院頼み」でした。
2024.05.02
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昨4/30に又々京都市役所へ。市役所へは京阪電車・三条駅から徒歩5~6分の距離です。まず三条駅の構内で目についたポスターがこれです。そして地上に上がると・・・三条大橋、欄干が新しくなって間が無いので凄く奇麗です。多分ヒノキなのでしよう。 禊 (みそそぎ) 川にはすでに「川床」が並んでいました。床開きは今日5/1からです。netで床の組み立て報道の写真を借りました。こんな風に毎年クレーンで組み立て、シーズンが終わると撤去されます。鴨川を渡り振り返ると・・・36峰が「山笑う」でした。右端が展望台のある将軍塚の筈です。アップしますと笑う様子が更に・・・・。手前の模様のある柵は車道と歩道の間に立っているモノでこうして見ると邪魔なのですが・・・と言いたいところです(これは冗談です)
2024.05.01
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このモミジの苗 (苗と言う程も大きくないでが) 根っこに土もつかない状態で植えたのですが・・・根付いたようです。25日のブログに載せました智積院のモミジの・・・この子孫? を10本貰って来て植えたのです。ところで数年前に同じ手法で智積院から貰って来てここまで育ったモノもあります。更に20年以上前になると思いますが、このモミジも由緒ある智積院の子孫です。鉢植えで育ったのをここに移植したのでした。
2024.04.30
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4/27に載せましたこの山の畑? での2回目に収穫した蕗ですが・・・茎はこの様に完成しました。前回は手間かけて筋を取り除いたのですが、今回はそのまま圧力鍋で炊きました。前回の筋を取り除いたものは柔らかだったのですが今回は腰がありこれぞ「きゃらぶき」で有りました。勿論こちらの方が食べ応えがあり、筋を取る手間もかからないのでこれからは「筋付き」に決定です。さて、(蕗の) 葉の方は・・・・今回は沢山ある山椒の葉を入れて炊いて見ると言うので、葉の採り役を私がしました。左が筍寿司用の若い葉、そして右がその蕗の葉の佃煮に入れる葉です。蕗の葉の佃煮に入れるのは・・・葉だけにしろと言われこの通り枝?を取り除きました。この後、更に葉を刻んだらしいです。・・・で出来た蕗の葉の佃煮です。山椒の葉を沢山入れたのに、山椒の香りがないなぁ・・・これからは葉を入れるの止めようと言いながら・・・少し残っていたこの前に作った山椒の葉を入れていない同じ葉の佃煮と食べ比べて見ると・・・全然違って、山椒の葉を入れた方が香りもしていて美味しかったのです。(頼りないことです。そこでこれからも山椒の葉がある限り蕗の葉の佃煮にも山椒の葉を入れることに決定しました(笑)そして、まだまだ葉が有るのできゃらぶきにも載せました。そして、夕食は木の芽いっぱいの筍寿司と・・・上のタケノコはワサビで和えたものに木の芽を載せたのですが・・・これは木の芽が効き過ぎてワサビの味も香りもしない失敗で、慌てて木の芽を取り除きました。それから嬉しいことがありました。それは・・・山椒の木から葉を採っていると・・・なんとなんと実が生っているのです。大した数は生っていませんが、この木を植えて数年で初め生った「貴重な実」です。この木で数年、今までに枯らした木が2本程。山椒の木を植えだして延べ20年は優に経過しての「快挙?」なのです。今年どれだけ採れるか?? 何十粒、或いは100粒余り?? 程度かも知れませんが嬉しいことで、来年以降の楽しみが増えました。もうここまで木が大きくなると枯れないだろうと思うのですが・・・なんて言っていて又々枯らしてしまう事も無きにしもあらずなのです。山椒の木は!!
2024.04.29
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昨日のブログで稲荷山の仙人さんからタケノコを貰ったことを書きました。そのタケノコは・・・今日自家製木の芽いっぱい載せて食卓に上がりました。多分明日にはタケノコ寿司にもなる筈です。ところで、このタケノコを貰った時一緒にもう1本皇帝ダリアの挿し木を貰ったのです。前回貰ったのは仙人さんの自宅で挿し木したもので、今回貰ったものは畑で挿し木して成功したと言うものでした。この挿し木なのですが・・・前回貰ったものより遥かに成長したものです。因みに4/23のブログに載せた前回貰った挿し木はこれです。・・・・で、前回狙ったものものを植えた(オレンジ色の矢印) 横に植えました(赤矢印)余り近付けて植えたら成長して、蜜集するので少しだけ離して植えたのですがこの間隔が成長した時、近すぎるか、離れすぎか、いずれにしても楽しみです。いずれも成長したら生垣の向こうの道路から見える位置です。
2024.04.28
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4/22のブログに書きました蕗の佃煮が・・・・早くもそろそろ底をついて来たので懲りもせず又々山の畑へ収穫に行きました。本日の収穫はこれだけでした。前回に茎の筋は取らなくて良いと言われたので、これは楽勝!! と葉脈だけを取っていると・・・稲荷山の仙人さんから「居るなら最後のタケノコを持って行くよ」と電話があり。程なくこんなに「配達」に来てくれました。(皮を剥き調理にかかりだした時の写真です)そんなことでタケノコと蕗の葉と蕗の茎をリュックと紙袋に入れて持ち帰りました。帰ったのが遅かったので今日のところは下処理のここまででした。仙人さんの話では茎の筋だけでなく葉脈も取る必要ないと言う事でしたが、今回は既に葉脈取りにかかっていたので全て葉脈は取り除きました。(茎の筋は取り除いていません)さて料理は・・・明日の仕事です。私の仕事ではないですが・・・。
2024.04.27
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わが家のネコの額の畑には毎年勝手に種を落とし、翌年また無数の芽が出て育つ青じそが有ります。季節になると実に重宝するのですが、時々虫の喰ってない奇麗な葉を摘んで子供の家に配達することがあります。これが今年も勝手に育って来た青じそなのですが・・・・そうだ、今年は苗でやれば・・・と思い立ちました。この畑はトマトかゴーヤかキュウリなど野菜を植えるスペースなのです。依って間もなく中央部はそんな野菜の苗を植える為にこの青じそを抜かないといけません。真ん中辺りに余り生えていないのは・・・・下の2枚の写真の様に既に狭い空きスペースに移植の為抜いたあとなのです。そして仕切り板の外側もこんなに生えているのです。・・・・で、更に出来るだけ真ん中辺りの苗を抜いてプランターに植えました。これを子供の家に配達すれば、今年からは葉を摘んで持って行く必要も無いなぁ・・・と我ながら良いことを思いついた・・・と思ったのですが・・・。来年からは種でやれば更に手間が省けるのだと思うに至り、なぜ今までそんなことに気付かなかったのか「気付くのが遅い ! !」だったのですが後の祭りでした。そんなことで今年初めての、しかも最後のプランターでの配達することになりました。・・・で、更に考えると、このプランター苗から種が取れる可能性があるので、種の配達も不要になるかも知れません。
2024.04.26
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4/17に載せました智積院のニューフェース・この霧島ツツジですが・・・今日は既に盛りを過ぎて、見苦しい程の景色になっていました。ツツジが終わると・・・次の「さつき」にバトンタッチされていました。そして、金堂の前・・・赤丸の中なのですが・・・去年の秋に風に飛ばされたモミジのプロペラが新しい息吹を・・・しかし、間もなく雑草の様に抜かれる運命の儚い命です。功徳と思って今度数本貰って我が家で育てます。既に数本植わっているのですが・・。
2024.04.25
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昨日の続きみたいなものですが・・・植木や花を地植えする場合何処に植えるか迷う事が常です。ところが今回貰った皇帝ダリアの挿し木は貰う前から植える場所をキッチリと決めていました。・・・と言いますのは挿し木を貰った稲荷山の仙人さんの家では2階の窓から見たら丁度かと思うくらい花の背が高いのを知っていたからです。書いてもらっていた植え方通り植えたのはここです。取説通り土に埋めて、たっぷり水をやりました。苗がまだ小さいので間違って踏まない様に目印に鉄のパイプを立てました。さて、植えた場所はと言いますと・・・この生垣の裏側なのです。生垣の上に咲いている花が道路から見える・・・という演出? です。あとは成長を待つばかりです。
2024.04.24
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土曜日の事なのですが、いつも当ブログにコメントを貰う稲荷山の仙人さんの自宅に毎年咲く立派な皇帝ダリアがあるのですが、その接ぎ木を留守中に貰いに行って来ました。奥さんから受け取ったのがこれなのですが・・・挿し木だけでなく、手書きの「取説?」まで入っていました。さすが、元は技術屋さんです、さっさと要点だけ纏めて貰っていましたので大助かりでした。そのあと東福寺を通り抜けて帰りましたので青もみじを撮って来ました。土曜日だと言うのに臥雲橋もこの程度の人でした。通天橋は・・・・あの外国の様な稲荷山とは1km余りしか離れていないのですが、外人さんは殆どいなくて、ここには「静寂」が有りました。
2024.04.23
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わが家のホンの少しだけ生えている蕗がそこそこ育って来たので、そろそろか!!と・・・山の蕗畑(?) に様子を見に行きました。夏場草やツタが茂って近づけない場所も草が枯れている今なら近付けるのです。それでも長靴を履き長袖シャツに軍手に収穫用にレジ袋持っての完全武装? でした。傾斜の畑に入ると予想以上に育っていたので、ついついこんなに沢山収穫した上に・・・もう遅かったのですが、それてもこれだけのイタドリも収穫したのでした。野草の下処理はいつも私の仕事です。茎と葉を分けて・・・葉っぱの葉脈(左端)を取り除いたのまでは良かったのですが・・・大変な手間をかけて茎の筋を取り除いたのですが、これは余分な仕事だったのです。茎の筋を取って水に浸けておくと丸まってしまうので短く切るのに一本ずつ切らねばならずこれが大変な手間だったのです。筋が付いたままでも圧力鍋で炊くと問題無く、しかも腰が出るとと言うのです。これからは筋取りはしなくても良いと言われました(笑)ここからはバトンタッチすると葉と茎が鍋一杯の量でした。水に浸けている時かなりアクか出たのですが、炊くとこんなにアクが出たと見せられました。そんなことで採りに行くところから下処理まで私がして、バトンタッチしましたが・・・こんな仕上がりでした。左から蕗の茎、イタドリ7、茎の葉です。これは小出ししたもので、まだまだありますので当分自然の味を楽しめます。弁当に最高なのです。
2024.04.22
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昨日の続きです。勝浦温泉で泊まった翌日は八郎山(250m) を目指しました。位置関係は右端の那智勝浦。ブルー丸にS(スタート)のマークが八郎山です。因みに前日登った重畳山(かさねやま)の位地は赤丸です。登山口に行くと、注意しないと見落とすような民家の真横に登山口とは書かれておらず「八郎峠」と書かれていました。初めのうちは厳しい道でしたが間もなくこんな、まるで熊野古道を歩く様な道に・・・暫く進むと・・・なんと「大辺路(おおへじ)」の案内板が・・・私は知らなかったのですが、熊野本宮大社への参詣道のひとつのルートの「大辺路」を歩いていたのでした。平安時代の熊野詣でに天皇、お公家さんなど老若男女が歩いた道だったのです。そして八郎峠に到達。熊野本宮へはここから下るのですが、八郎山へはここから分岐して急登です。急登と言っても、標高250mの山ですから頂上へはそう時間を要せず到達しました。頂上からは海が見え・・・右の方には大島が見え・・・アップしますと・・・これが大島です。反対側の山並みは・・・「山笑う」景色でした。この後下山して、海南までマイカーに乗せて貰い、海南から和歌山へ、そして阪和線に乗り換えて大阪まで往路と同じJRで帰る予定でしたが、何と阪和線が事故でストップしていたのです。仕方なく南海電車の和歌山市駅へ行き、南海電車で帰ると言うハプニングに遭いましたが、まあ帰りが少し遅くなりはしましたが無事今回の登山旅行を終えました。熊野古道については中辺路、伊勢路、雲取越えなどかなり歩いたのですが、大辺路は初めてでした。登山に行って例え極一部であっても「大辺路」を歩けたのはラッキーなことでした。
2024.04.21
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本州最南端潮岬のある串本、勝浦温泉へ行って来ました。JR紀勢線・海南駅で2人が仲間のマイカーにピックアップしてもらって一路串本へ・・・途中奇岩の橋杭(はしくい)岩を観光。奇岩は・・・🎵ここは串本 向かいは大島 中を取り持つ巡航船🎵 の歌の大島へ向かって並んでいるとか。奇岩の後ろに見えているのが、その大島。 遠く右の方に見える橋は・・・アップしますと・・・昔は巡航船でしか往来出来なかった大島も今は橋で結ばれているのでした。気になったので大島の人口を調べると400人余でした。そのあと向かったのは串本町のこの山 重畳(かさね)山 標高302m でした。低い山では有りますが、信仰の山で真言宗の神王寺があり・・・向こうは散り椿、手前は散り八重桜の中を進むと・・・今度は赤い鳥居が・・・そして更に進むと四国88ヶ所のご本尊が登山道に沿って次々と現れるのです。最初はこの仏さんで・・・第一番霊山寺その後次々と・・・81番白峰寺のご本尊・千手観音も・・・そして、最後88番の大窪寺の薬師如来で終わりました。そして、頂上近くは実に奇麗に整備されていました。生憎の曇天と黄砂で眺めはもう一つでした。・・・・が、真下に来る時見た橋杭岩が見えたのは感動ものでした。そして肝心の頂上は・・・眺望はほゞありませんでした。下山後は勝浦温泉・湯快リゾートのここで一泊でした.元は名門旅館・立地も建物も、そしてバイキングの食事も満足出来た上に・・・なんと温泉が源泉かけ流しで有りました。明日に続きます。
2024.04.20
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季節季節に次から次へ花が咲く智積院ですが、桜の次は花ではなく青もみじで繋がざるを得ないと思いましたが・・・・有りました、有りました霧島ツツジ・・・このツツジは去年の1/25のブログに載せましたこの写真の通り植えられてまだ1年なのです。1年余でなかなか絵になっています。長岡天神のツツジには及びませんが・・・。
2024.04.17
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いつも通る道横にある「私のイタドリ畑」なのですが、2~3日ぶりに通ると成長したイタドリが目に入りました。後日と言うと成長し過ぎるので入れるものも無いのに採り、偶々ほぼ空っぽだったリュックに詰めて隠れ家へ・・・嵩が高いので持ち帰る為に皮を剥いていて、ふと思い出したのです。葉を天ぷらにすることを・・・・・・とするとヨモギもと思い、ヨモギ畑?? へ行くと、何と無粋 ! !防草シートでこんなになっていて収穫は出来ず(シートに関係なくヨモギには時期がまだ早いかも知れませんが)ヨモギを諦めて集めた食材はこれだけ。イタドリとこの前収穫してから又芽を出したタラの芽と庭のユキノシタです。種類が少ないので目を付けたのが先日の収穫後、新たに咲いた八重桜の花です。確か前に新しい葉を天ぷらにしたことがありますが・・・・花もひょっとすると美味しいかも??? と半信半疑で加えました。更に・・・自宅へ帰って山椒の葉もどうかな?? と加えました。・・・でこれだけが天ぷらの材料ですが、揚げる前の何とカラフルなこと!!見た目では食欲をそそられますが、桜の花と山椒の葉は天ぷらとしては未知の味です・・・で、揚がった天ぷらの種類も多く豪華になりました。分かり易い様に取り出しましたが、これが初めての料理八重桜と山椒の葉の天ぷらです。・・・・で、結果は・・・八重桜はもちもちした食感で余り味は無いのですが、噛んで行って最後の方に桜の香りがしました。なのでゆっくり味わって食べるとなかなかのモノ。 これからはこのシーズンの天ぷらの食材に加えることにしました。山椒の葉は・・・パリパリと口当たりは良いのですが、山椒のあの独特のクセのある味や刺激は何処へ行ったのか?? 味も何もないパリパリとした食感だけ。まああれば彩に加えても・・・という食材でした。そして、またまたのタケノコ寿司ですが、暖かい玉子焼きを加えると、これがまたなかなかのもの。これからはタケノコ寿司には温かい卵焼きが定番になりました。
2024.04.16
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昨日は、誘ってもらった友達の(ギーター教室もしている) 姪ごさんのプロのギター演奏を聴いて来ました。ギターは弾く人が多いので今までに聴く機会もありましだが・・・初めて聴くプロの生演奏は・・・さすがプロと思いました。場所は大和郡山の県立民俗博物館 (正しくは奈良県立大和民俗公園) 中の古民家でした。広大な敷地の中に博物館以外に奈良県の各地から移設された古民家がかなりの数あるのです。その中の赤矢印で示した一番奥の方の「旧松井家」が会場でした。入口から進んで行くと、敷地外もこんなハイキングいる人が歩いている長閑な風景が広がり・・・敷地内は次から次へと茅葺(藁葺?) の家が出現ここは敷地内も、周辺も沢山の桜の木があり桜の名所のようで、少し前はそれはそれは花見の人も多かっただろうと思いました。因みに入場無料でした。そのソメイヨシノは既に葉桜になっていましたが八重桜や枝垂れ桜はまだまだ盛りでした。そして奥の方のこの大きな古民家が会場でした。屋根が凄く奇麗なのは・・・葺き直されてつい最近お披露目が有ったばかりらしいです。会場は椅子が並べられた広い土間にでした。見上げると太い梁が・・・畳の部屋は・・・何しろ1枚の写真には納まりません。アンコールで弾かれた「禁じられた遊び」以外の曲も題名は知らなくても聴くと知ってる曲や奈良に因んだ柿本人麻呂と山部赤人の句を題材に奏者作曲の作品も弾かれました。滅多に聴けないギーターの生演奏でした。
2024.04.15
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1. 桜蕊降る 桜もそろそろ終盤を迎えます。桜の表現は・・・「蕾固し」で始まって 蕾ふくらむ 開花宣言 チラホラ咲き 何分咲き 満開 散り初め(そめ) 花吹雪 と続いて多分最後は 季語の桜蕊降る で終わると思います。その「桜蕊降る」がそろそろ近い状態であることを撮って来ました。花びらが散った姿は綺麗で花筵 花筏 と歓迎されますが、蕊が降った状態は余り奇麗でありませんのに「桜蕊降る」は季語なのですね。花筵と言えば・・・そして、花筏と言えば、何と言っても哲学の道 です。画像が無いのでnetでお借りしましたがこんな感じです。netにはそれはそれは沢山哲学の道の花筏の写真が載っていますので覗いて下さい。2. 山笑う山はまだ笑っていませんが、笑った時のbefore&after の為に笑う前を撮っておきました撮影したのは4/4日 東山36峰・阿弥陀ヶ峰です。それが10日後の今日4/13にはここまで笑っていましたが、これからまだまだ大笑いします。同じく4/4 の新日吉(いまひえ) 神宮 の神木の椎の木は・・・今日はここまで笑っていました。もっと笑うと言う事は白みを帯びるのです。後日またその大笑いした状態を載せます。
2024.04.13
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桜の季節が終わろうとすると、青もみじの季節です。わが家のモミジはこの様に「青」と言うより「黄緑」と言ったところです。このモミジの横に花の塩漬けをする目的で植えた八重桜があるのですが、八重なのでまだ満開まで至っていません。それでも脚立に乗ってこれだけ収穫をしました。折角そのために植えたので、今年もレシピを見ながら塩漬けをしました。これはその塩漬けの上に重し代わりに竹筒貯金箱を置いた状態です。・・・・で、暫く忘れていた去年作った塩漬けを冷蔵庫から出して来て・・・写真にして良く分かるようにガラスコップで飲みました。ちょっと塩が効き過ぎたのでお湯を加えました。塩漬けにすると何故香りが強くなるのか分かりませんが凄く桜の香りを楽しめました。話は変わりますが、4/5に椿寺の散り椿の事を書いた記事の中で、わが家の白角倉 (と思われる) 椿はまだ小さいけれど散り椿である様に書きましたが・・・八重桜の横に落ちている椿は散り椿ではなくて落ち椿であることが分かりました。頼りないことですが、何分にもまだ花が沢山咲かないこともあって思い違いをしていましたので訂正します、
2024.04.12
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3/31に書きましたこの記事なのですが・・・無人駅が増えることは、ある程度仕方ないとする一方、券売機が無い駅が出来て来たことについてどうかと思うと言う論調で書いたのですが・・・4/8の京都新聞にこんな記事が載りました。我が意を得たりと読み進むとがっかりでしました。記事の中では駅の無人化による利用客の不便さにだけを取り上げて、利用客がもっと不便になる券売機が無い駅が出現していることについては、一切触れていないのです。もう少し掘り下げた取材をして欲しいと思ってついこんなところでぼやかせて貰いました。それから・・私鉄では阪急電車は無人化の予定がないとか。「さすが阪急・・・」と京阪電車沿線の住民は思いました(笑)
2024.04.11
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隠れ家でタラの芽を収穫しました。・・・・が、たったこれだけしか採れなかったのです。タラの木は山椒の木と同類なのか、枝や幹が良く途中から枯れるので、今年生きている枝は収穫した後の写真ですがこの1本の枝だけなので・・・・貴重な収穫でした。このシーズンでまた枝の途中から芽を出してくれるとは思うのですが・・・宝物のタラの芽ですが余りに少ないので・・・マイタケと一緒に天ぷらになりました。タラの芽は天ぷらが最高 ! ! ! (マイタケも??) 最高の春の味でした。余りに少ないので余計に美味しく思ったことも有ると思いますが。
2024.04.10
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大工さんにもらった燃料がたっぷりあるので7日の日曜日、久しぶりに焼き芋をしました。このところ 紅あずまが続いたのですが、今回はシルクスイートでした。ダッジオーブンの威力 8本くらい余裕です。焼き上がりも上々・・・紅あずまも美味しいけれど、やはりシルクスイートが甘くて美味しいとか。私も少し食べてみたのですが、サツマイモってこんなに甘いの!!?? って感じ。シルクスイートって 口直しが要るほどの甘さなのですね。
2024.04.09
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昨日の続きです。昨日載せましたこの行き止まりの様な細い道を進むと・・・・北野天満宮の梅林の裏の紙屋川に出ました。ここはもう天満宮の境内の様なものですが地元の人の生活道路のようでした。住宅環境の良さに加えて、観光客ばかりではなく よそ者には無のこんな遊歩道があるなんて何と素晴らしい ! !梅ではなく、素晴らしいモミジの新緑を見ながら土手を上がると・・・なんと2月に1200円払って入った梅園の裏でここからでも十分に梅林が見えたのです。なるほど今度梅を見に来る時はここから梅林を見て、あと本殿方面へ進むと無料で梅が堪能できるのか・・・と私にとっては初めて知るルートでした。そして歩を進めると天満宮の表参道の横に出ました。すると、梅の次は「青もみじ」と言わんばかりの幟が・・・・ここにも・・・そしてちゃんと素晴らしいポスターまでもあるのです。北野天満宮は合格祈願と梅だけでなく、青もみじの頃も、紅葉の頃も良いと言う事を知りました。そしても鳥居の横にこんな石碑が・・・今行って来たばかりの二条天皇陵以外に花山天皇陵と三条天皇陵も近くにあるのです。調べて見ると私の作った天皇在位表が72代白河天皇からなのですが・・・二条天皇は78代に対し三条天皇は67代 花山天皇は65代でした。成り行きでこの二人の天皇の事を研究??? してから、また二人で行くことになりました(笑) (今「保元の乱・平時の乱」と言う本を読んでいるのですが、早速netで図書館の花山天皇本を探して、内一冊を申し込みました)このあと場所を変え近くの白梅町の昼からやっている居酒屋で花見酒を飲んでいるところへ・・・稲荷山の仙人さんから「京都の家に行っているなら今から掘りたてタケノコを持って行く」と電話があり。「京都に来ているけど今白梅町で花見酒を飲んでいる」と言い帰りに途中下車して貰いに行くことに。そして貰ったのがこの立派なタケノコと糠・・・地面からまだ2cm程しか頭を出していなかったと言う最高のタケノコでした。わが家には竹はありませんが山椒の木は「用意??」していて、新しい芽が出たばかり早速翌日の夕飯に筍寿司と若竹煮、そして姫皮のお吸い物で美味しく頂き・・・子供の家にお裾分けして・・・・尚且つ翌日もまた贅沢な朝食となりました。木の芽はまだまだあるのですが・・・・(笑)
2024.04.08
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昨日の続きです。次に目指したのは桜の名所・平野神社でした。西大路からの入口は少し貧弱です。境内に入ると紅白幕が張られて、入場券売り場があるのです。前はこの中の辺りで花見の席は有料だったけれど無料で通る通路みたいなものだったのですが・・・どうするかと思うとジモティの友は迷わず紅白幕に沿って左へ進むのです。そして紅白幕に沿って進み・・・幕の隙間から中を覗くと、ソメイヨシノと菜の花が咲く遊歩道があるだけ。前はここは通路であり、有料の酒席があった場所なのです。更に進むと本殿に・・・要は本殿周辺の一番良い場所は無料なのです。知らずに行ったら余り意味のない有料ゾーンに入るところ、ジモティの案内が多いに有効でした(笑)この平野神社は色々の種類の桜がある事でも有名です。これはただの枝垂れ桜です。この拝殿がキンピカなので訊いてみると、台風で倒れたので再建されたとか。拝殿の向こう、本殿の向かって右には左近の桜が・・・左には・・・右近の橘が・・・お参りするのにこんなに人が並んでいるのですから凄いです。そして御衣黄は・・・まだまだ・・・白雲桜も・・・まだまだで八重系は遅いです。この後、北野天満宮へと・・・反対側のこの紅白幕に沿ってズンズン進むのです。幕の隙間から中を覗くと・・・最初に載せた同じソメイヨシノと菜の花が広がっていました。そして、高級住宅の中の広い道を進み、左へ折れてこんな誰も通らない行き止まりのような細い道を進むのです。・・・・この道が北野天満宮に繋がることを知っているのは、多分ジモティだけでは・・・と思いながら後を付いて行きました。この後は明日に続きます。
2024.04.07
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今日は昨日書きました通り、高校同窓の友と二条天皇陵の参拝に行き、散り椿、平野神社の桜を愛で、最後の締めくくりに初物の筍をゲットした盛沢山の一日となりました。スタートはJRのこの駅でした。駅を降りてまず、予め約束をしていた二条天皇陵の直ぐ近くに住む高校同窓の友達に今から向かうと電話をして歩きで出発。二条天皇陵は合流してから案内して貰いました。正式には「にじょうてんのうこうりゅうじのみささぎ」と言います。二条天皇と言えば下表の様に78代天皇ですが在位7年で21才でお亡くなりになった天皇です。そうそう、この表は前に載せたものに平清盛の生存期間と保元の乱、平治の乱を書き加えました。御陵は街中にあるのでこじんまりしたものと思って行ったのですが、敷地も広くなかなか立派な御陵でした。左向こうに見えるのが衣笠山の筈です。お参りのあと帰ろうとするとこんな景色です。この周りの住宅地はこの御陵が有るので随分雰囲気も、日当たりも良く素晴らしい環境でした。次に向かったのが・・・2/17に載せたこの椿寺です。2/17にはこんな状態だった散り椿が・・・・こんなに見頃になっていました。咲き方の見頃でなくて、散り方の見頃です(笑)奈良の白毫寺の散り椿も立派ですが、「散りざま」はここが一番と思います。椿の向こうの枝垂れ桜は・・・まだこんな状態でた。そして生垣まで散り椿でした。このあとジモティ友達の案内で平野神社、そしてジモティしか知らないような抜け道を通って北野天満宮へ抜け、そのあと花見酒、タケノコまでゲットしたのですが・・・・明日に続きます。
2024.04.06
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中学同窓の女性から椿寺の散り椿の写真を送って貰いました。因みに私が2/17に北野天満宮観梅ウオークで訪れた時はこんな状態であったのですが・・・咲いている椿より散った椿を楽しむのですから、まだ間に合うはずと明日訪れることにしました。と言いますのは、散り椿を見に行くならば・・この近くに住む高校同窓の友と旧交を温めよう、そして今研究している天皇系図の内の二条天皇陵が近くにあるので参拝して・・・平野神社の桜を愛でようとずっと思っていたのです。ところでタイトルに書きました「落椿」は「散椿」で無く普通のポトリと落ちる椿の事を思って書いたのですが、調べるとそんな言葉は有って季語でも有るらしいのです。・・・で、我が家の「落椿」を撮りました。この花が落ちたのですが・・・(笑)そして、この白椿は・・・この木からポトリです。この白椿はと言いますと・・・生垣の中に咲いているので落ちても・・・ゴミです(笑)そして先年、稲荷山の仙人さんに貰ったこの椿は間違いなく「散椿」なのですが・・・左が上の写真の咲いた椿なのですが、恥ずかしがりで花は持ち上げないと見られません。そしてまだ木が若いので今年は花が特に少なく右の蕾と、もう一つ蕾が有って計3輪しか咲きそうにないのです。白い散椿の絨毯を楽しめるのはいつの事やら???それからこの椿の名前ですが、先年 白角倉、羽衣など教えてもらい最終的に白角倉に落ち着ていた気がするのですが??? 頼りないことです。
2024.04.05
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文殊山でカタクリの花を堪能して、鯖江のホテルに泊まり、翌日は東尋坊観光と頂上までドライブで登る登山 ?でした。年齢・体力を考慮したゆったり行程です。東尋坊と言えば余りに有名な観光地ですので、今更とは思うのですが数枚の写真だけお付き合いください。 私も40年以上前に家族の旅行と会社の慰安会で行って以来の事でした。左下が遊覧船乗り場です。この後、頂上まで車で行けると言う国見岳 (656m) なので2日目の登山???? として大歓迎でした。・・・が、だだっ広い山頂で標識などのある場所が分からず、大した山でも無かったので探すのを断念しました。・・・・と言う事で、1泊2日の登山としては楽な行程で今回の登山を終わりました。
2024.04.04
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昨日の続きです。この山はカタクリの花を見に行くと言うより、カタクリの花を見ながら歩くと言うほど広く咲いていました。登山道に沿ってずっとカタクリの花が見られるのです。突然、他の登山者に「あそこに白いカタクリの花がある」と教えて貰いました。たった一輪咲いていた貴重な? 花です。あとで調べると、この山の白いカタクリは有名なようで、SNSにあそこに咲いていると教えて貰ったと言う書き込みが沢山有りました私らは何も知らずに行ったのにちゃんと教えて貰えたのです。ホントかウソか・・・一万分の一の確率で咲くとも書いてありました。それからこんな組み合わせの咲き方も・・・タンポポと一緒に咲いているカタクリも初めて見ました。途中こんな看板も有ったので紅葉も素晴らしい山なのでしょう。景色やカタクリの花を見ながらの山歩きでなので、直ぐ頂上に着いた感じがしました。独立峰の様になかなかの眺めでした。こんな石仏が沢山並んでいるのです。案内板をアップしますと・・・この山に登れば西国三十三所をお参り出来るようです(笑)そしてこんな案内板も・・・そして、山並みの説明も・・・どうもこれが白山の様です(間違っているかも知りません)因みに白山には2度登っています。登山はこの頂上までで無く、ここから下って又登り返すという奥の院まで進みます。途中に胎内くぐりも・・・勿論ご利益をもらう為にくぐりました。そして15分程で奥の院の到達。ここからは来た道を引き返しでした。コースタイムは・・・今回は昼食を済ませてからの登山で、コーヒータイムも無しでしたのでほゞ正味の所要時間です。真ん中の高い部分が奥の院、左右が頂上です。下山後ホテルで一泊。翌日は観光!!! それくらいが今の体力にピッタリの行程です。残り少しだけですが明日に続きます。体力減退と腰痛もあるので今回2本ストック登りました。
2024.04.03
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この季節花と言えば勿論「さくら」で有りますが、もう一つ・・・カタクリの花のシーズンでもあります。昨年は近場の京都・西山の小塩山に見に行きブログに書きましたが(ここ)今年もいつものメンバーでちょっと遠く、福井県は眼鏡の鯖江市のこの山まで行って来ました。案内板にも絵が書いてあるようにカタクリの花で有名な山なので・・・・標高は365mと低いのですが花もあり眺めも良しなので沢山の人が登っていました。この様に登山口で下山して来た言葉を交わしたこの女性のグループのように女性が多い山でした。登山開始して程なくの展望台から遠く見える山並みを・・・・アップしますと・・・どれかが名峰・白山の筈なのですが特定出来ませんでした。次の展望台からは福井市街が見え・・・そして北陸新幹線も・・・京都の小塩山は限られた場所に人工的に守られたようなカタクリでしたが、ここ文殊山は山中カタクリだらけ・・・と言っても良い程登山道に沿ってずっと奇麗なカタクリの花が見られました。一泊二日の登山行で疲れて帰って来ましたので、今日はこの辺で終わりまして続きは明日書かせて貰います。頂いているコメントへの返事も明日させて頂きます。
2024.04.02
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わが家の最寄り駅は京阪電車本線の各停しか停まらない駅です。それでも乗降客数はかなり多いと思うのですが・・・今日ふと気付きますと、京都方面行き改札口に2台あった券売機の左側が無くなり何か書いてあるのです。良く見ると券売機が2台から1台に減ったのではなく、残っている右側の機械には乗車駅証明書とICカードの二つしか表示がなく、券売機そのものが2台とも無くなっているのです。ここでは乗車券は買えず・・・右側の機械で乗車証明を受け取り下車駅で清算せよと言うのです。(客の多い大阪行きの改札には今まで通り券売機があり、客の少ない京都方面行きの改札の券売機が無くなっていたのです)私は磁気カードを使っているので券売機が無くても何も不便では無いのですが、乗車券を買って乗る人はここで乗車証明を受け取り、下車駅で清算をしなければなりません。私には不要ですが試しに発券してみました(白枠の中は駅名です)このシステムですと券売機の釣銭の補充やお金の回収などの手間が一切かからないと言う、電車側の合理化に適うシステムです。それでなくてもコロナ以来本数が減って不便になったのに、こんなことで又客に負担を掛けるとは・・・他の私鉄でもこんなことが行われているのでしょうか? 話はコロッと変わりますが、先日智積院の修行僧の卒業式の事を書きましたが・・・今日通りますと・・・明日入学式とか。また初々しいお坊さんの卵が見られそうです。
2024.03.31
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昨日、長患いだったいつもの後輩さんの遅まきながらの快気祝いに神戸まで行って来ました。待ち合わせのJR住吉駅には私が先に着いたので、うろうろしているとこんなものが目に入りました。出身地も学校も全く違う人間が偶々同じ会社に入ることによって現役の時からリタイヤして今に至るまでの長い付き合い・・・ここに書かれている言葉正に今日の快気祝いの為に書いていてくれのかと言う思いで暫し見続けてていました。・・・・で、今回の快気祝いは先日書きましたコロナ罹患した者同士で行った「お互いの快気祝い」に続いて2度目なのですが・・・近々3度目の快気祝をすることになりました。お互いが同時期にコロナ罹患して一度目の快気祝いをした友達とは高校から社会人までずっと同じ道を歩んだことを書きましたが、今度3度目の快気祝いをする友はまるで・・・キセルの様な付き合いの友達なのです。・・・と言いますのは・・・・この友達とは中学が同窓で同じ野球部に在籍したのですが、別の高校に進んで以降社会人になって、彼は20数年間外国暮らしをしていたので爾後付き合いは無かったのですが リタイヤする頃から密な付き合い再開して現在に至っているのです。その彼がなんとコロナを罹患したのでした。私が前に同時罹患した友達とはお互い情報交換しながらほゞ同時に回復したのですが、今度罹患した友達にはコロナ罹患の先輩? としての助言?? する立場だったのです。その彼も無事回復して謹慎期間? を過ぎたので、同じ病に臥せったもの同士での傷をなめ合う快気祝いをすることになりました。二度ある事は三度・・・の快気祝いです。それにしても私の周りのことでコロナが深く静か蔓延していることを証明しています。ご留意を! ! !
2024.03.30
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最近はご近所さんの後白河天皇づいていますので今日はお墓参り? に行って来ました。当ブログに何回も登場しています三十三間堂の向かいのこの御陵、何回も行ってますが、今日は今までと違う墓参でした。・・・と言うのは・・・今回は後白河天皇(上皇・法王) の人となりを知ってのことなので、何か親近感が湧き、語り掛ける様にお参りして来ました(笑)この御陵大きな桜とモミジの木があるのですが・・・(左がモミジ、右奥が桜)桜は・・・一番蕾が膨らんでいる枝でもまだこんな感じでした。帰りの・・・向かいは三十三間堂なのですが・・・この部分の生垣はカラタチだったのに、全て他の木に替わっているのです。トゲか危ないから植え替えたのでしょうかね??白い花と金の玉を楽しんでいたのに残念!!これからは遠い枳殻邸(渉成園) まで行かないと見られません。
2024.03.29
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3/15のブログで「ご近所さん?」なので前々から関心あった後白河法皇のこの本を読み進むにつけて・・・当時は院政を敷かれていた為天皇が次々と代わるので訳が分からなくなるのでこんな天皇系図を持ち歩きながら読んでいると書きました。その後、「後白河院」を読了したのですが、当時の院政の事が読めば読むほど面白いので、今度は図書館でこの本を借りて来て読み出しました。読めば読むほど歴代天皇の在位期間、そして上皇・法王になっての在位期間を時系列に知らないと理解できないのでこんな表を作りました。 ちょっと見難いので部分拡大しますと・・・縦軸に当時の歴代天皇。そして横軸に生誕から死亡年、そしてその内の天皇在位期間を赤色に、上皇・法王として院政を敷いた期間を黄色で表示しました。上の表はA4紙2枚を繋いでいる大きなものなので携帯用に2段に分けたこんなものも作りました。この表と天皇系図を見比べながら本を読んでいる訳ですが、その中で特に分かったことは・・・赤線で囲んだ部分が後白河天皇が、天皇を退位して上皇と法皇の在位期間なのですが、その間に天皇が5人も代わっているいると言う事でした。院政を敷く為若い天皇を次々誕生させているのです。(六条天皇は2才で天皇になり在位3年足らずで退位しています)みんな短命でもあったようです。文章ではなかなか理解できなかったことがこの様な表にすると本の理解度が抜群に上がることになりました。
2024.03.28
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昨日の続きです。久しぶりにこの講座に参加しましたが、会場はいつもの通りのこの場所で50座席でした。前列に陣取るため20分程前に行ったのですが既にこの状態でした(後で満席) 幸いにも一最前列に座ることが出来ました。講義の内容は・・・・・・で1時間30分たっぷりでした。色々教えて貰った中でのポイントは1. 阿修羅は千手観音の信仰する人を守る人の神様(28部衆)の内の一人であること。2. 従って興福寺の阿修羅像は有名ですが何処にでもある像であること。3. 興福寺の阿修羅像は明治時代に修理されいること。4. 興福寺の阿修羅像が一番目の手は合掌した姿であるが、色々モノを持っている像 が有りインドなどではモノを持っている像で主ある。まず1. ですが、28部衆は三十三間堂の配置図によると次の仏様です。 赤枠が阿修羅です。また、八部衆の一人でもあります。2. の阿修羅像は他にもあると言う例は・・・ これは興福寺の阿修羅像 三十三間堂の阿修羅はこんな姿であり・・・ 法隆寺の阿修羅はこんな姿です。 合掌はしていません。3. の興福寺の阿修羅像は明治時代に修理されいるとのことですが・・・ 当時はこんなに雑に置かれていて(真ん中)その他大勢のひとつでした。 で・・・修理前はこんなに破損していたのです。右手が欠損しているのはさることながら、左手は角度が付いていて合掌している手の形ではないのです。これも修理されたときこの様になったのかそのあと変形したのか?? らしいです。4. 興福寺の阿修羅像が一番目の手は合掌した姿であるが、インドなどでは色々モノ を持っている像が有ります。 青枠で囲みました部分の第一手は興福寺などでは下の合掌ですが、インドなどで は天秤や法輪、法螺貝などを持っているものが多く・・・こんな例が示されました。 その他三十三間堂の年代の年表などの説明などたっぷり1時間半の講義でした。会場で貰った次回の案内は・・・・( 私は不参加のつもりです)コロナで途絶えていたこの講座も順次行われるようです。
2024.03.25
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今日は3/10のブログに書きましたこの講座を聴きに行って来ました。内容に入る前に・・・何回も書いて来ました妙法院の真向いに建設中だった「シックスセンシズ京都ホテル」の前を通りますと・・・もう完全に外の囲いはなく・・・中の照明もこんな状態で、開業したのか、それにしてはひっそりしているなあと思いましたので・・・ネットで調べると・・・まだ開業まで一ヶ月ありました。ところで、工事関係の機材は何も無いのでもう外装工事は完了と思うのですが・・・・・・とするとホテル名が何処にも書いていないのです。どうするのでしょうね?? 小さい表札程度のものをぶら下げるのか ? 超高級ホテルなので名前を書かないのか気になるところです。さて講座の会場はこのホテルの真向いです。案内に従って2階へ上がりますと、前述のホテルが真正面です。前に建っていたホテル東山閣の建物はもっと高くて、コンクリートのビルだったのですが、新しいホテルの建物は既に完全に風景の中に溶け込んで違和感が全くありません。まるで借景の建物の様でこれは凄いと感心して暫し見とれていました。・・・と、ここまでで書きましだ、本論の講座の事は明日に書かせて頂きます。その代わりのこんな光景も・・・あの礼儀正しい、いつも庭の掃除や草むしりをしていた修行僧がいよいよ明日卒業されるとか。
2024.03.24
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