日本史雑学発掘の館

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2009.01.02
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カテゴリ: 江戸時代前期
江戸幕府が成立以降、幕府は様々な理由をつけ有力大名を改易したり、領地を削減してきました。
本田正純 までが冤罪説の高い 釣天井事件 により改易させられました。

こうした幕府の政治方針を 武断政治 と言い、およそ全国の半分にも上る大名が処分を受けました。そしてその結果、大量の浪人が溢れ、職にも就けない浪人の不満が爆発する形となって表れたのが、 由井正雪の乱 です。

由井は幕府に不満のある浪人たちを集め幕府転覆を計画しましたが、密告により事前に露見し自害しました。またその翌年には、浪人が首謀者である 承応の乱 が発生し、幕府は武断政治からの転換をせざるをえなくなりました。

末期養子の禁 といって、後継ぎを持たない当主が死の間際に、突然養子を願い出ることを禁止する定めがあり、これを緩和するなどしました。
また、職のない浪人に職を与える機会を設けるなど、以前の武断政治から大きく政策を転換しました。これを 文治政治 といいます。

確かに江戸幕府が成立して初期の頃は、豊臣に恩を感じている大名もまだいますし、幕府にとって危険だと思える大名を粛清したくなる気持ちもわからなくはないですが、改易に値しない理由で処分されると、かえって不満が増幅するのも当然でありますね。

これを機に世情は安定することになります。





天下を狙った男 由井正雪



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最終更新日  2009.01.02 13:47:50


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