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昨日は徳永さんの 50才のお誕生日でしたね。50才になるのが待ち遠しかったと言ってた徳永さん。これからの活躍も楽しみです。どこまでもついて行きますからね~ (^^)そして今日は 娘の卒業式でした。このブログで散々、私と娘が徳永さんと同窓である事を自慢してきましたが、とうとう卒業。本当にあっという間の3年間でした。 小学校や中学校と違い、卒業式に出ても泣くという事もないのではと思っていましたが、やはり何度も涙をぬぐいました。ここまで無事に育ってくれた。18才というのは子育てのうえでも、ひとつの目標でした。18才。 卒業して社会に出る子もいるし、大学に進学しても、うちは自宅通学だけど、親元を離れて下宿生活をする子も沢山いる。大人への階段を登る。 もう子供ではない。楽しみでわくわくするけど、子供時代への別れはやはり寂しい。 卒業アルバムを見ながら、「ほんま楽しかった~」 「もうイチコウ、いかへんの信じられへん」「ほんまに高校、終わってんな」「イチコウ、やっぱり好きやわ、イチコウで良かった」そう言いきれる3年間で本当に良かった! 幸せやったね! 激しい雨に降られた卒業式でした。 伊丹市立伊丹高校 校歌 ( 以前、アップした事のある画像ですが、思うところあり削除したものです。 又又、思うところあり(笑)再アップします。) 徳永さん、応援団だったので何度も唄ったんでしょうね。 さよなら、イチコウ、 ありがとう、イチコウ。
2011.02.28
昨日で受験した全ての大学の合格発表が完了しました。娘は奇跡的に(本当に奇跡的に) 第一志望の大学に合格する事が出来ました。こういう日記は 「ただの自慢」 と思われるかもしれないと思い迷ったのですが、私のブログを読んで下さっている方の中には、これから受験を控えているお子さんをお持ちの方もいらっしゃるかも知れません。どう贔屓目にに見ても、劣等生の部類に入る我が娘が、合格に至った経緯を書くことでなんらかの参考になればと思い、アップすることにしました。去年の3月、娘は初めて友達と大阪の御堂会館で行われた 「ザ・クロマニヨンズ」のライブに参加しました。そのとき、ブルーハーツの時代からの甲本ヒロトの大ファンの主婦が声をかけて下さいました。その方たちにライブ終了後、食事に誘ってもらい、そこでいろいろなお話をしたようです。娘は第一志望に今の段階では到底届かないと思われる大学を考えている事を話したら、その方、Rさんは、(このエピソードは私のブログにコメントを下さるもんじさんへのコメ返しにも書いた事があるのですが)自分はいつか必ず、ヒロトに会えると信じて生きてきた。そうしたら、本当に大阪の商店街で、ヒロトに遭遇した。ヒロトは気軽に握手もサインも書いてくれた。そして、そのときのサイン(携帯・ジャケットに)、一緒に撮った写真を見せて下さったのです。「夢は叶う」と強く信じて諦めずにいれば、必ず叶うよと励まして下さったのです。その話を聞いたとき、私は親としてちょっと反省しました。だって、その大学の名前を聞いた時、「それはギャグか???」と思って、笑ってしまったのです。 もちろん娘は怒りました。でもそう思われても仕方のない所が娘にはありました。私も昔はそこそこの教育ママだったような気がします。高校は校区外の(阪神間はこの間まで総合選抜区域でした)進学校に行ってもらいたくて、小4の時から塾に通わせました。落ち着きのない性格なので、2対1の個別にしましたが、成績はほとんど伸びず、中学に上がると集団塾に変えましたが、成績以前に、あまりの態度の悪さに「退塾勧告」 が出るほど。 (笑)これには私も呆れて、ブチ切れて、「退塾勧告」から 「退塾命令」になる前に 辞めさせました。この段階で教育ママは返上。親の想いを押し付けても本人のやる気がなければ、何をやっても駄目。3歳の時から習わせたクラッシクバレエも、私自身が中学入学で辞めてしまった事の後悔を自分の娘に押し付けていただけ。だって、結局娘は7年間もバレエをやっていたのに、 猫背やし~ (爆)バレエの才能がないのなら、演劇、演劇。小3の時から地元のホールの演劇ワークショップに参加させて、中学に入ったら、演劇部に入部してもらいたかったのに「演劇部、暗い!!」 と言われ、 吹奏楽部に入部。 そんなこんなで、高校も学費の安い公立に入れたし、もう後は好きなように進路を考えればいいと思っていました。美容師になりたいとか言っていたので美容師の専門学校に行くのかと思っていたら、突然、高校2年の終わり頃に「大学に行きたいから塾に行かせて 」 と言ってきたのです。大学って。。。 あんたの偏差値、45にも届かへん。その時の第一志望校でさえ(その後、第一志望はどんどん上がる)偏差値的にもかなり頑張らないと無理。それに塾代(現役予備校)は中学とは桁はずれに高い。我が家の家計からいって、すごく勇気のいる選択だし、まして浪人は絶対無理。死ぬ気で頑張る覚悟があるのかと聞いたら、「絶対ある」と答えたのです。はじめて自分から行かせて欲しいと言ってきた塾。 信じてあげようと思いました。そしてそれからの1年間は、我が娘ながら、本当によく頑張りました。これが同じ人間かと思ったほどです。 <模試判定はあてにならない>子供はひとりで兄弟が居ないし、ずっと仕事を持って居た為、ママ友もほとんど居ないため情報音痴。私が模試の結果に一喜一憂していたら、塾の先生がそういっていたと言う。とはいうものの受験候補の目安にはこれしかないのでは、と思っていたのですが。 ☆ 受験校 5校 全て文学部で各大学2日間受験。 第一志望校だけ、直前に社会学部も一日受けると言い出す。 すでに受験料だけで、35万かかっていたので、その受験料は自分の貯金から出すとの事。 ☆ 第一志望 模試 全て E判定。 ☆ 第二志望 一度だけD判定になったっけ? ほぼE判定。 ☆ 第三志望 C判定 ☆ 第四志望 A判定 ☆ 第五志望 A判定 < 結 果 >一番最初の合格発表は第四志望の大学。 A判定だったから安心していたら、なんと2日間とも不合格!! これにはショックが大きく親子ともかなり、へこむ。翌日は第五志望。ここに落ちたら、全落ちの可能性が。 そしたらもう行くところない。パソコンの前で緊張のあまり吐きそうになる。合格。ああ良かった!! とにかくひとつ拾ってもらえた!!私はもうここで良いやんか、近いから定期代安いし、とか考えていた。二日後、第三志望。 C判定。無理かも。合格。 狂喜乱舞。もう、ここで充分。 ここも近い。 定期代安いで~。特待生候補までついたから、1年間、授業料いらんらしいし。と、親はお金の計算ばかりしている。第一、第二はE判定なので、とうてい無理と思い、職場の心配してくださっていた同僚に、決まりました~ と報告。この段階で私の肩の荷もほとんど降りた気持ちになる。しかし娘が本当に行きたい所は第一志望なのだ。二日後。 第二志望。まさかの両日合格。 狂喜乱舞 × 2この段階で娘自身も第一志望が落ちても仕方ないか、ここでもいい! と思ったようだ。翌日、 第一志望。 もう緊張もない。予想通り、 両日不合格。合格最低点に20点も足りなかった。 さすが超難関。娘もやるだけの事はやったという充実感があったようです。その日の夜、開放感からカラオケへ行って二人で唄いまくり。あとは入学金を振り込むだけ。でも第一志望の社会学部の発表が残ってる。 一応、振込みは待つ。しかし文学部より倍率が高かったから100パーセント以上無理と、娘もへらへらしている。発表は昨日の10時でした。でも10時になっても娘は起きてこないし、パソコンの電源も入れていない。11時前になって、娘の 「ぎゃ~ ~~ !!!」 という叫び声が!彼女はベッドで半分寝ながら、携帯の画面で 「合格」の文字を見たのです。「うわ、うわ、うわ~!!!」 と叫びながら 携帯の画面を見てくれと言うんだけど、「そんなん、老眼で見えへんわ!! パソコン、パソコン!!!」電源を入れて、HPで確認。親子とも信じられず、呆然。。。合格最低点 プラス 2点 の滑り込み合格。「ほっぺた、つねって。」 と言うので、お思いきりつねってあげたら、「痛いわ~(笑)」じんわり涙が出てくる。その後塾に報告に行ったら、先生一同、一瞬固まったらしい。正直、どの先生も合格するなんて思ってなかったとか。でも、もう、すっごく喜んでもらえたらしい。ここ数年の奇跡とまで言われて帰ってきました。何が結果的に良かったのか分からないけど、本人曰く、「周りの友達に恵まれた。」(意思の強い受験仲間)そしてアットホームな地元の塾の雰囲気。 母としては、教育ママを返上した事かもしれません。 私は短大だったけど、彼女も同じ京都で学ぶことになりました。私の 18の春。下宿先の荷物もひととおり片付けて、哲学の小道に散歩に行ったら、満開の桜。あの桜の光景は一生忘れられません。胸が苦しくなるくらいの希望ではちきれそうだった。実際の人生は希望と失望の繰り返しだったかもしれないけど。「夢は諦めなければ必ず叶う」 と言ってくれたRさん、本当にありがとう!そして叶わなかったとしても、それでいい。だって、夢だから。 夢を見ないよりは、ずっとステキだと思う。
2011.02.20

ヤフーの知恵袋で、こんな記事を発見。探偵!ナイトスクープ アカデミー大賞2011 が開催されるようです。 ← (2/4に堂島で開催されたようです。)みなさんはどんな依頼が印象に残っていますか? というものでした。 さすが、関西では超人気番組、 沢山の回答があって、みなさんの回答を読みながら、笑いころげたり、感動して涙ぐんだり。私自身は、いつも観るのを忘れて、まあ、ほとんど観ていないのですが、それでも思い出しても笑えてくるのは、いくつかあります。随分前の放送だったと思うけど、JR大阪駅前の広場にマイクスタンドを立てて、関西人はみんな 「パルナス」 のCMソングを唄えるか? というものでした。「パルナス」はたしか心斎橋商店街にお店があったのかしら?今でもあるのかな?私ももちろん、 「ロシアのおじさんが言うことにゃ~」 までは唄えます。が、みんなすごかった。ズンズンズンと伴奏付きで、完璧に唄える人とか居て、あのすごい人通りの大阪駅前で、マイクで唄える関西人には、やっぱり笑える。最後に関西学院大学のグリークラブだったかな、舞台で、クラシックの歌唱で、 「パルナス、パルナス、パルナス~」と合唱していたのも、大まじめに唄っているだけに、爆笑ものでした。 パルナス のCM ユーチューブそれと 「関西電気保安協会」 は唄いながらでないと言えない (関西限定のCMで、 ~関西電気保安協会~と素人のおじさんが作業着を着て唄うのです) 関西電気保安協会 CM集 ユーチューブ関西人は 刀で切られる真似をされたら、みんな、 「うう~ やられた~!!」 と リアクションするという実験。確かに。。。(爆)関西は日本のイタリアって言うもんね。あけっぴろげで、笑う事が大好きなんよね。 なんでこんな日記を書く気になったかと言うと、先日、ブログめぐりしていたら、「関西人が嫌い、苦手」 という記事に遭遇してしまって、とても嫌な気分になったのです。書いていたのは東京の人で、コメントで私も同意と書いていた人も東京人だったようです。ちなみに私は東京人は嫌いでも苦手でもないです。姉はもうすっかり東京人だし。植村花菜さん(兵庫県川西市出身) の「トイレの神様」 にもケチをつけていて関西人は「おばあちゃん」ではなくて、 「ばあちゃん」 と呼ぶのではないか、わざわざ、「お」 をつけて、どうとかこうとか。。。 ↑ 関西人でも、普通に 「おばあちゃん」 と 「お」 をつけて言うよ、 あほ!! ↑ と、柄が悪いから又、嫌われる。でも関西人は、下品だとか、横柄だとか、恥知らずとか、そういう誤解 (だと私は思います。そういう人は関西人に限らず、何処にだっているでしょう)を産むきっかけを作ったのは初期の「吉本」の責任だと思います。だいたい、あんなコテコテの大阪弁を使う人は、ほとんど居ませんよ。本当の船場言葉は、谷崎潤一郎の作品に出てくるような、とても品のいいものです。多少の言葉の荒っぽさは、同じ関西でも住む地域によって違います。それも日本全国、何処でも同じことでしょう。「秘密のケンミンshow」 面白いので時々、見ていますが、あそこに出てくる大阪人は強烈ですが、やはり一部の人たちです。大阪のおばちゃんが、みんな豹柄の服を着ている訳ないし。売っているのも限られた地域だし。とは言うものの、私はきどった、人を見下したような、山の手の人間よりも(山の手の人全てとは思っていません。本当の地元のお金持ちは気さくな方が多いです)あったかくって、面白くって、好きだな。こんな事を書いていいものかどうかだけど、神戸・阪神間という所は(伊丹もその地域ですが)、そういういやらしさを感じる地域が多いです。若いときは憧れもしたけど、今はそういう地域に住みたいとは思わない。とにかく普通がいいです。逆に東京人に対して、敵意むき出しの関西人に出会うこともありますが、それもばかばかしいなって思います。狭い島国、同じ日本人。 仲良くしなくちゃ~戦争になったら、一致団結だよ。(笑) 久々に作品をアップします。 これは秋の新作でしたが、好評ですぐに完売したものです。 ナチュラルアゲートが1本だけ手に入ったので、又作ってみました。 鳥の巣の中のシェルの小鳥が動くたびに見え隠れします。 ナチュラルアゲート・ミックスジェイド・シェル小鳥・メタル
2011.02.06
徳友さんがメールをくれて知りました。 TOYOTA アイシス のCM。 2/1 今日から放送開始。 4月6日発売の 新曲 「黄昏を止めて」 と共に なんと、 ご本人も出演とは !!! 公式HP でリリースするにあたっての想いを書いていらっしゃるけど、デビュー前からライブハウスで唄っていた 「心の中はバラード」 を アマチュア時代のオリジナルに近い形で、 25周年を期に 25年後の今の想いと重ね合わせてリメイクしたとの事。「25周年は原点回帰の年になる」 って、前回のツアーのMCだったかしら、言っていたのは、この事だったのかな。ますます、次回ツアーが楽しみになってきました。このところ少しテンションが下がり気味だったので、うれしくて元気も頂けました。ありがとう!! 徳永さん。早くCMに遭遇したいです。(^^) 職場の公園の、すぐ近くの公園で、鳥インフルに感染した鳥の死骸が発見されてからというもの、市民のオアシスであるはずの我が公園も、閑散としています。この職場に通うようになってから、すっかり顔なじみになったジョギングやウオーキングの市民の皆さん。遠足の子供たち。 芝生でフルートを吹く学生さん。ハーモニカがめちゃ上手なおじさんも居る。ベンチで居眠りのおじいさんは可愛い。 どんぐりや松ぼっくりも可愛い。 青い空がステキ。 伊丹だから飛行機がやたら飛んでいて、それもいい。真上を通らないからうるさくないのです。まだまだあるよ。六甲山、ありがとう。 太陽、ありがとう。 皆さんと毎日のように、あいさつが出来て、立ち話が出来て楽しかった。人それぞれ、いろんな物を背負っていても、ここでは、ひととき幸せになれる。 心のオアシス。 それが公園の役割。 早く収束して、又たくさんの笑顔が戻って来ますように!
2011.02.01
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