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夏休み中のいろんな提出物は明日なのに。下の少年、発熱して沈没。宿題を、まだ 2割 しかヤっつけてないのを発見したのは一昨日。昨日の日記で、 癒し系母にはなれない と書かれたひろ子・Kさんに、私も、私も。 私なんて 蹴飛ばし系 だと書きました。この2日間、宿題解決に向け、おおいに少年を蹴飛ばしましたが、時間切れになるぞ~~~~!!蹴飛ばし系が、手伝うのはヒジョーに不本意。去年までの発明工夫やら、研究やら、やっと卒業できたと喜んでたのに。あぁ、時間がないっ!これから、読書感想文(1600~2000字)。 ↑ へー、フロッピーにて提出だって。 主題を冒頭部分か結論部分で述べなきゃならんのがミソ。 あらすじで引っ張るのはNG。 ふみみ。英作文(150~200単語)。以上、バカ親になりきって、2つをこれからヤっつけます(悲)。 感想文は、昨日読了した宮部さんの『ぼんくら』にしよう(笑)。 抗議は却下。 あとで自分も読んでおくように>下の少年
2005.08.31
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ひろ子・Kさんの日記、「 がんばれ! 」 にコメントを書いておりましたら、例によって凄いことになったので、トラックバックさせていただきます。ひろ子・Kさんは、ご自身の震災時の体験に触れられ、 > 頑張って、頑張って、自分を壊していく人も沢山いる。 > でも、少なくとも、中学生に「がんばれ!」と言えなくて、 > いつ言ったらいいの?と思うのです。 > 中学生の時に頑張るすばらしさを伝えずに > いつ伝えたらいいの?と思うのです。 と切々と書かれました。私も、とても共感します。頑張ることの大切さ。 頑張ることの素晴らしさ。それがあったからこその喜び、倖せ。子どもたちには、それを是非、識って欲しい。以前の『 ほめるな? 叱るな? 』論議にリンクしていくなぁ、、と思ったことでした。実は、つい先日、ELKさん ともお話したばかり。私が、折に触れ、「 ふぁいと 」を多用していること。こちらに来て下さる方々は、これまでに、嫌と言うほどご覧になって来られたことでしょう。私が「 ふぁいと 」を好んで遣うのは、見た目の語感が柔らかいから、につきます。これは、小手先の誤魔化しでしかないのですが、私には、そうとしか書けない場合が多くて。「(どうぞ) 頑張って! 」「(一緒に) 頑張ろう! 」こうした言の葉は、どんなに私が、心の底からそう祈り、共にそう在りたい、と願っていても、その言の葉をかけられるひとにとっては、とんでもなく負担に思われたり、傷つかれたり、無礼だととられたりする場合が往々にして在る、ということを学生時代に識ってから。私は、「頑張れ」という言の葉を口にすることができなくなり、どうしてもそう、口にしたいときに、極力「ふぁいと」と遣って来ました。書き言葉で在るときは、「ファイト!」だと、どうも私には、空々しい。格闘技の始まりにかける「Fight」とも重なる。そんなような想いがあり、こちらでも、「ふぁいとぉ~」を多用してしまうのでした。結局のところは、「 頑張ってね 」 「 頑張ろう 」 という 言の葉の問題ではなく、その言の葉を口にするひとが、どれだけ、本当に自分を「観て」くれているか。どれだけ本当に自分を心配し、自分を励まそうとしてくれているか。どれだけ心寄せて、共に考え、共に在ろうとしてくれているか。そのひとの こころの在りよう。 それに尽きるのではないだろうか、と。或る意味、「 頑張れ 」という言の葉は、そのひとを鞭打つことに等しい。それだけの覚悟を持って、口にしているか? のような気もしています。それを私は、小手先で「 ふぁいとぉ 」と誤魔化してるんだなぁ、、とちょっとヘコみ。。。。……いやいやいやいや、ふぁいとぉ!!!です>ぢぶん
2005.08.30
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オクラの収穫が最盛期。花が咲いた、と思ったら、ものの2日でもう手のひら大に成長する。毎日毎日、50本は採れるから、一本一本がでかいので、大変な量になる。お味噌汁に。刻んでちりめんじゃこと卵焼きに。刻んで納豆と一緒に、ネバネバパワーに。出汁を含ませて煮物の彩りに。さまざまな料理の青みに。バーベキューのようにカリっと焼くだけでも美味しい。毎日毎日、刻んでお浸し、などとは、既にやってられず、へたギリギリのところに包丁を入れて、丸ごと塩茹でして、お皿に山盛り、豪快丸かじり(笑)。でも、いくら私が好きでも、1ヶ月続くと、もぉ飽きたよぉ~~。「オクラさん、好き」、と古くからのネット友人が、ご自分のお料理ブログに、器を選び、美しく美味しそうに盛り付けてた画像に感動し、「今夏は、必ずオクラを山ほど送るね」と、約束してたのに、日のある間は、収穫も郵便局へ行くのもままならない。ごめんね。 来夏に期待してね。一昨日、目先を変えるべく、天麩羅にしようと決め、収穫を1日サボる。日が落ちてから、休耕田へ。もうすぐ私の身長を越そうというほどに伸びているため、気をつけないと葉っぱが顔にあたる。布越しにさえ、腕にあたると、かゆくて後で泣くことになるので、顔はタオルで死守する。前日、収穫をサボっていたので、その数ざっと100本近く。採れ採れをざっと洗って、軽く塩もみする。大きいので、3つ位に斜め切りする。(100本×3=、、ぅへぇ) 色鮮やかで、少々塩味が残り、冷えた後も美味しい。薄力粉と卵と冷水だけを溶く。オクラのネバネバで、ふっくらかりっと揚がる。揚げたては、口の中でとろけるよう。 んまい~~~!! 早速、義母のところへお裾分けに。外はもう真っ暗。食事ももう終わっておられたようだが。。。 「 このまま冷蔵庫に入れて、 明日、オーブントースターで炙って食べて下さいね! 」で、その御礼に?「 食べ切れんけん、あんた、手伝ってのぅ 」と、冷蔵庫から出された大きなビニール袋には、いっぱいのオクラが詰まっていたのだった。 「 うちもいっぱいなのです 」と断りきれない私。。。。帰って数えてみたら、82本ありました。今日明日は、これをせっせと食べて、採れ採れは、班長の彼女のうちへお裾分けに持っていこう。はぅぅ。
2005.08.29
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8月24日の日記、『 優勝旗は誰のもの? 』 にたくさんメッセージをいただいた。お蔭で、初めて高野連のHPを覗き、山のような規定に埋もれ、じっくりと?考えることができた。あれから「事件」は、当該生徒・保護者と学校側(校長・部長)との【 和解 】が成立。日本高野連も、「優勝取消はしない」。春の選抜大会につながる秋季北海道大会と秋季国民体育大会への参加を【 部員の問題行動などはなかったことを確認し、応急措置として 】認めた。これって「和解」というの?とか、部長の有期の謹慎処分、野球部の「警告」処分って?生徒たちを守り抜こうとせず、さっさと優勝旗を返還しようとした校長。教頭、監督はどうなん?とか、生徒たちの心は、大丈夫?とか。苫小牧高の優勝決定の日から、揺れに揺れたここ数日間を想い返しつつ、高野連会長の通達文を読み、う"~。。。。んでも、「 まずは 良かった、、、! 」 と。高野連のHPのなかで、山のような規約を読んで、「絶望的だ」と、くらくらしていた。『日本学生野球憲章』の第三章、『高等学校野球』の項に「附則」として付加された第二十条には、監督、コーチ、学徒で構成されるなら、その應援団までも選手と同等の扱い、規制を受ける旨、書かれていたからである。この度の駒大苫小牧高に優勝取消の処分が下されなかったのは、何より世論の大きさのお蔭だと思う。高野連は「落としどころ」を考え、随分譲歩した。日本高野連臨時審議委員会、選手権大会臨時運営委員会の全会一致のこの決定、一瞬、「山は動いた」くらいの感動を覚えたが、高野連は、反動を恐れたからかも知れない、とも ふっと思ってしまった。『日本学生野球憲章』は、【昭和二十五年一月二十二日】から施行されている。いまの高校野球に求められている【精神】は、1950年に定められた『日本学生野球憲章』から来ている。朝日新聞の署名記事(8月28日 渋谷正章記者)によると、高校野球の「不祥事」は、昨年度は、高野連が審議しただけでも493件あった(過去最多)。その背景のひとつには、大規模チームの増加があげられる、と渋谷氏は綴る。全国で100名以上の部員を抱えるチームは、今月5月末時点で、64校。 (昨年より10校 増)明徳義塾は129名。 駒大苫小牧高も、97名。このなかで甲子園のベンチに入れるのは、たった18名である。寮生活もあれば、私生活にまで、指導者は目を配らねばならず、より高い指導力が求められることだろう。心・技・体。 我が家の下の少年を観るにつけ、高校生、といえども、どんなに身体がごつくて青年のように見えようとも、まだまだ ほんの子どもである。昔なら16、17、18歳といえば、立派な大人であったかも知れない。しかし、情けなくも、今の時代、親である私たちでさえ、未熟であり、成長途中なのである。駒大苫小牧高、明徳義塾高。明暗をくっきり分けたこの不幸な事件をきっかけに、高校野球の在りかた、高野連の在りかた。もっと言えば、学校スポーツについて。もっともっと言えば、子どもたちを支える周囲の大人の在りかた。マスコミの報道の在りかた。諦めたら そこで 終わり。より良い方向目指して、より皆が皆を大切にする方向へと、皆が、皆で、(厳しく)しっかり考えていけたら、と思う。
2005.08.28
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義母も私も茄子にかぶれるようになってから、(私は元々)畑につくらなくなって4年。畑に茄子がなくなったことに気付いた近所の方々が、たくさんお裾分けを下さる。この地の茄子は、品種は不明だが『長茄子』である。太さはそんなにないが、焼き茄子にするとおコゲが香ばしくてとても美味しい。太さがないため、すぐに焼けるが、そんなに量がなく、10本程度を焼いても、ちょっとした付き出し程度にしかならない。んで、少年たちは焼き茄子は苦手。少年たちのために、主に麻婆茄子か、夏野菜カレー、お味噌汁の具、他に輪切りにして水に晒して即席漬けのようにして食べる。今日は、なんと大きいものを30本も戴いたため、久々にせっせと焼き茄子にした。1番大きい茄子は、30cmを越えた。大きい茄子は、斜めにして2本ずつ焼く。火傷をしないよう、箸で皮を剥いて縦に裂き、適宜に切る。生姜を利かせ、鰹節と出汁醤油でいただく。熱々のも、冷蔵庫で冷やしたのも、美味し~~い☆☆昔から、焼き茄子を食すたびに、脳裏を横切るのが「 秋茄子は嫁に食わすな 」。これに2種類の意味があると識ってはいたが、改めて調べてみると3種類あった。1) 憎らしい嫁には、美味しい茄子を食べさせるのは、もったいない。2) 秋茄子は体を冷やすから、大事な嫁に食べさせてはならない。3) 秋茄子は種が少ないので、子種ができなくなるから食べさせてはならない。2)であって欲しいなぁ、と思うが、同義の嫁いびりの諺がたくさんあることから、残念ながら、正解は 1)のようである。 くぅぅ。2)も 3)も、姑の言い訳、として生まれたらしい。 「 秋かます嫁に食わすな 」 「 秋鯖(あきさば)嫁に食わすな 」 「 五月蕨(ごがつわらび)は嫁に食わすな 」はぅぅ。私の愛しい少年たち。お願いだから、遠くで素敵な家庭を持って倖せになってね。
2005.08.27
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今日、明日と、こちらにおいで下さるワンダー弥々丸さんが、出演なさる、【石塚運昇・リーディングカンパニー】 の第1回公演です!ベテラン声優でいらっしゃる石塚運昇氏が立ち上げられた、アクセント所属声優陣を中心としたリーディング公演!我らが語り部・ワンダー弥々丸さんは、外部参加ということで、【マクベスの妻と呼ばれた女】と言う作品の女中頭・ヘカティ役。つい先日、内田百けんの【冥土】にて、【冥土】に心寄せようと、七転八倒されていたご様子は記憶に新しいところ。まだそれから日は浅いのに、一転して、気持ちを切り替えられ、ひたすらヘカティに入魂されておられます。初日のソワレは、もうすぐ開演(ドキドキドキ)。明日の楽日ソワレ、お近くでお時間あられる御方はどうぞ、お出かけくださいませ。「お近くで」 ← あぁ、えぇなぁ。。。羨ましいなり。 日本は狭い國だが、遠いっ。8月27日(土) : 18時開演(開場17時半)【マクベスの妻と呼ばれた女】 ワンダー弥々丸さんは、ヘカティ役で出演8月28日(日) : 14時開演(開場13時半)【ペナルティ・マリア】 : 17時半開演(開場17時)【マクベスの妻と呼ばれた女】 ワンダー弥々丸さんは、ヘカティ役で出演 全席指定・チケット : 1500円(二日通し券2500円) 先着順で完売になり次第予約締め切り。(28日夜の部追加公演決定!) 場 所 : 銀座みゆき館 お問い合わせ : (株)シャイン 03-3555-3873
2005.08.27
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昨日、上の少年は、15時過ぎの電車で広島へ。新幹線代をケチって、長距離バスに乗るために。例によって、紫外線避けの完全装備をして彼を地元の駅まで車で送り、その足で、町はずれの宅急便事務所へ、彼に送る大きな荷物を持ち込む。ゆうパックが大きさ制になって、なんだかとても割高になってしまい、かさばるものなどは、全てヤマト便を利用するようになった。自宅に戻って、日焼け止めを洗い落とすのもそこそこに、珈琲をたてていると、玄関のチャイムが鳴る。郵便局からで、上の少年宛の小さな小包だった。 「 夏休みだから、帰っておられるかな、と お持ちしてみましたよ 」 「 ほんの30分前まで居たのですが、先ほど京都へ出発してしまいました 」 「 残念っ! じゃ、局の方で、転送しておきますね 」 「 わざわざのご配慮、有難うございました 」ふみみみ。おらが町のちっちゃな郵便局ならではの、気配りサービス。こころ が ほわっと あたたかくなって。とっても嬉しかったんだけど、こういうのって本当はどうなんかな。微妙なプライバシー。全部握られてる感じって、嫌なひとは絶対嫌だよね。(私も上の少年関連でなかったら、ちょっと嫌だったかも。。??)んで、連動して思ってしまった。 【 官 が 民 に な っ た ら、 こ れ、 ど ー な の ? 】 昨日のようなこと、するとは、思えないなぁ。。。どーなんだろう??ちっちゃな郵便局の現場の局員さんって、地域のひとたちに少しでも喜んで貰おう、少しでも役に立ちたい、とみんな そう願い ほんとうに 頑張ってるよ~~!!大型台風ですね、大きな被害になりませんよう!
2005.08.26
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上の少年が昨夕、京都へ戻って行った。8月8日の夜に帰省し、自宅へ泊まったのは4日間。お盆の1日をおばあちゃん孝行で夫の実家で過ごし、1日を友人の下宿先に泊まり、高校のバスケットクラブの合宿へ参加のため県北に泊まり、残りを、高校時代の友人と過ごしたり、高校の体育祭のマス・ゲームの指導のため、広島の私の実家に滞在した。なんと完璧に親離れを果たしていることか。 見事である。収まらないのは、自他ともに認める にぃちゃんっ子の仁。(夫の母も)本人もクラブ、クラブの毎日。唯一の盆休みの15日には、兄は高校の合宿へ行ってしまった。 「 おかあさんは、淋しくないのか 」 「 おかあさんは、それでいいのか 」 ぐずぐず、ぐずぐず文句を言う。 「 にぃちゃんは あちらで恋人もできるだろうし、 あちらで仕事も決まるだろうし、 私は、この春で、にぃちゃん と さようならをしたつもり。 仁とは、あと2年ちょっとだね 」彼は、蒼くなって黙ってしまった。ふふん。 人生とは 厳しーのだよ、仁くん。こころして、自立の準備をしたまえ。
2005.08.25
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ひろ子・Kさんの『 高校野球は特別なの? 』 にトラックバックさせていただきます。つい先日、「指導」か「体罰」かは、そこに「信頼関係・生徒への愛」があるか否か。で皆さんとお話したばかり。んで、この度の駒大苫小牧高の野球部部長暴力事件。日を追うごとに嫌な気分が積み重なっていく。最初にニュースを聞いたとき、驚愕しつつも、事件起こしたの、【 生徒なんかぃ? 】 って、私は思った。それでおしまいぢゃん、と思ったのに、日に日にどんどんニュースの扱いは大きくなって、『最悪、優勝旗返還も辞さない』という、駒大苫小牧高の校長さんのお話でびっくりしてしまう。こんな騒ぎになってしまっての校長『の』責任は確かに重い、と思う。野球部長が何故、生徒を殴ったか。曰く、練習態度が悪い。曰く、食事のルールが守られない。(例の中学校柔道部と同じ感じだ~。)熱心に指導する余りの平手なら、「思わず出てしまった」のだろうとも思えるけれど、わざわざ履いてたスリッパや拳で殴っては確かにいかん、、、よね。どちらにしろ、この生徒や保護者と、駒大苫小牧高の指導者との間に、「信頼関係」はなかったようで。今回の件は、部員そのものが問題起こした、明徳義塾高と明らかに違う。指導者から厳しい「指導」を受けつつ、頑張って頑張って。2連覇という成績を勝ち取った生徒たちの努力はどうなるのだ。その印である優勝旗を、校長さんが返してどうするのだ。 ◆ ◆ ◆ひろ子・Kさんちで、ナヴィナヴィさんが、「優勝旗は優良校のしるしではなく、勝ち取った勝利の証」とおっしゃっておられました。私は、この言の葉に尽きるよなぁって思います。完全5日制導入の折、文科省は、『心・技・体』の精神をことさら強化して導入しています。『心・技・体』は確かに大切で、どれが歪んでしまっても、子どもたちの健全な成長を妨げることでしょう。子どもたちの日々、凄まじいまでの練習。技を磨くとともに、まだまだ発達途中の子どもたちの心のケア、身体のケアに是非とも、力をいれて欲しいと思う。高野連を観てると、怖いものを感じます。間違った方向の『心・技・体』ではないのか、と。そうでなくてもしんどい状況にある野球少年たちの心と身体を縛り、ことさら追い詰めて行く方向にあるのではないか、と。せめて、この不幸な事件が、皆の考えるきっかけとなりますように。『 なんかおかしい 』と感じるもやもやが、大きな声となりますように。ペンちゃん、赤ヘル~~♪
2005.08.24
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いつもお邪魔している* sora *さん のページで、「 自分を花にたとえるとなんですか? 」「 あなたの大切なひとを花にたとえると? 」という問い掛けがありました。あゃ~~~~。自分を花にたとえる、、、というのがもぉ。このお歳だと恥ずかしい。 おこがましい。 照れ照れ。と、普段なら横を向いてしまうハズなのに、* sora *さんからの問い掛けだとう"~。 んぢゃ頑張って答えてみよう、と思う自分が、可愛いぢゃん!私は、ネット友人からも身近な友人からも「大輪の向日葵」と言われてしまう。。。「大輪の牡丹」「大輪の薔薇」というのもありました。。。。なんで【 大輪 】。。。。はぃはぃ、私はデカいですよっ。んだからなのか、子どもの頃から、私は小さなお花が好きで、大きなお花は嫌い。んだから、向日葵は、1番嫌いな花だったりする。(んでも、家の裏の休耕田に、義母がたくさん植えていく(T_T))。向日葵。。。空に焦がれてお日さまストーカーというのも(実際は向日葵の葉だけど)、身のほど識らずな自分と重なり、とてもイヤかも。私自身は、ひと知れず野に咲くスミレでありたいのだけど。(3月生まれだからかな)スミレや勿忘草、オオイヌノフグリ、、、青系の小さな小さなそんなお花が大好きなのでした、マル。
2005.08.23
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下の少年は、バスケット部であるが、7月に入ってから、腰の痛みを訴えだした。上の少年も、高2~高3にかけて、腰痛で整体と整形に通った。腰痛は、いわば、バスケット部員の職業病のようなものであるから、アップを充分にすることと、クールダウンも真面目にすること。就寝前には、柔軟、ストレッチを欠かさないように言った。7月。 …ちょうど私自身が青息吐息の状態で、下の少年の状態をあまり深刻には考えなかった(考えられなかった)。(ぃや、考えたくなかった、おそらく)。この地には、整形外科がない。スポーツ専門の整体をお願いできるところもない。私自身の膝も、2つ山を越えた東広島市へ毎日通う日々だった。東広島市でも私の膝の手術はできず、広島市で入院、受術した。東広島市へは、この地から、公共機関では行けない。下の少年を診て貰うには、私が動かねばどうしようもない。どうしたらいいだろう、と思いながら、どうにもならず。とうとう夏休みを迎え、いきなりの合宿で、本格的に腰を痛めたようであった。痛くて眠れないので、マッサージをしてくれ、というので患部に手を当ててみると、かなり筋肉が強張っている。電子レンジで保温材をあたため、腰にあてる。少しずつ、ほぐしてあげると、安心したように寝入っていく。本日は、幸いにも曇天。午後3時にはクラブも終わるはずであるので、今日を逃しては、もうチャンスはないかも知れない、と長袖にスカーフで首回りを隠し、帽子・手袋・サングラスで肌を防御して、高校まで迎えに行く。東広島、午後4時半着。月曜日のため、患者さんが多い。待って待って、先生にお久しぶりの挨拶をして怒られて。仁の診察、X線、説明。ヘルニア前症状との由。とても激しい運動ができるような状態にない、との由にて、内服薬も出され、直ちに牽引と各種電気治療に入る。今後は、1日置きに運動療法+電気治療。1~2週間毎に要受診。 帰宅したら午後8時前だった。う"~~~。本人はかなりビビってるので、少しはクラブも控え、通院してくれる気持ちになっているだろうが、問 題 は 私 だ、 私。。。今のこの状態で、1日置きに自宅から30分強の高校まで迎えに行き、そこからまた40分かけて東広島市へ。2~3時間待って、また連れて帰る。。。。。で き る の か ?> 私。んんんんんんんんんんん"~~~~~~~~~ふぁいとぉ。。 # そうだ! ついでに私の膝もリハビリ開始する? あぁ、でも、そこまでは無理だ、絶対。 発汗の後のケアができない。。。orz.....
2005.08.22
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思春期以来、ずっと、『 が 』で表現される自分で在りたいと思って来た。『 で 』で扱われるような自分になってはならないと。 『 あなた が いい 』 『 あなた で いい 』 ◆ ◆ ◆ 『 これでいい 』 『 これがいい 』。。。。「これ」がものであっても、なんらかの結果であっても。「で」と「が」は大違いだ。「で」には、そこはかとなく、不本意だけれど仕方がないというニュアンスも感じられてきて、切ない。「で」 ではなく 「が」 で在りたい。自分が選ぶ、ものも、ひとも、結果も。選ばれる、自分自身も。今もその気持ちは変わっていない、と思うが、それへの想いは深くなった、かも知れない。 『 で 』 と言われるのは、 「どうしてもそれでなくては」という想いには応えられずとも、 秀でてはいなくとも、任をそこそこにこなせるランクに在れるということだ。 ……まるで、器用貧乏な私そのものではないか?『 で 』 ではなく、『 が 』と、あれほど呼ばれたかったのは、 単なる、自己チュウの自分を特別視したい年頃の思い上がり、だけでなくて、 性根を入れて、ひとつの道を極められない、まさに自分への嫌悪感だったのか?歳を重ね、それなりに場数を踏み、『 が 』で在りたい想いは変わらない。でも、ひと皆それぞれに 『が』を目指し、頑張って。皆それぞれに青春時代の『が』の残骸を引きずっていることを識っている。また、例え『で』であっても、他者から必要とされたいと想っている自分を識り、それを振り捨てて、『が』を目指して突き進んでいるようにみえるひとを眩しく想い、そろそろ自分の『器』を客観的に識り、自分のこころの落としどころも識る。ただ、歩はとめない。 諦めればそこで、終わるのである。 「が」であろうが、「で」であろうが。いのちある限り。1歩でも半歩でも、前を向いて歩こう。
2005.08.21
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上の少年が帰ってきた!日頃、1口しかない蚊取り線香のような電熱コンロで自炊中の彼に何が食べたいか、と訊ねる。 「 何でも食べたいよ~。 あっ! でも 茹でたジャガイモとカレーは当分いい。 食べ飽きとるけん 」と言った後、 「 あ、でも、おかあさん の カレー は、 やっぱり食べたいかなぁ 」 くぅぅ。 この母親殺し。我が家は、皆カレー好き。 (尋常じゃない量を食べる)PTAの会議が連日連夜となってくると、やはり1番お助けのメニューで、カレーには足を向けて眠れない。だもんで、チキン、ポーク、ビーフにシーフード、夏野菜、きのこ、、、必要に迫られ、いろんなバリエーションを誇っているが、我が家で1番スタンダードなカレーは、チキンカレー。チキンは、皮を全部取り除いた腿肉と骨付きの手羽元を半々使う。ニンニクと生姜を効かせ、野菜はみじん切り。ジャガイモは入れない。玉ねぎ、なんと20個。ニンニクを炒め、香りが出てから、生姜を炒める。すぐにみじん切りの玉ねぎを全部入れ、ここで、少し濃い目の塩コショウをして、ひたすら炒める、炒める、炒める。飴色に透き通ったところで人参のみじん切りを投入。よくよく炒めてから、カレー粉をまぶしておいた鶏肉を入れて炒める。後は、ローリエの葉っぱを入れて煮込むだけ。2時間近く煮込んでから、ルーを入れる。ルーは、ジャワカレーの辛口とバーモントカレーの辛口を半々に。(1箱ずつ、2箱使う。。。24皿分っ @@) 「 おかあさんのカレーだ~~~! 」「いただきます!」と嬉しそうに食べる、懐かしい たっくん だぁ。。。。。サラダが葉っぱばかりだったとは言え、食べも食べたり、大盛り3杯 + 軽め1杯。…これで、ガリガリに痩せてるのは、とってもズルいと思うぅ。今日は、日中、誰も居なかったので、2人で、録画していた先日の映画版 『 海猿 』を観ました☆☆☆私は2度目だけど、たっくんと観るのは、また格別でした^^☆
2005.08.20
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堀江さん、無所属で出馬ぁ?昨夜、自民で出る、と聞いたときには、びっくり仰天んんん!あの堀江さんが自民って、無理っしょ??互いにうまく行くはずがないぢゃん。いったい何考えてんの? と 信じられなかったけど、無所属という落しどころだって。んで、広島6区からなんだもん。ヤってくれますなぁ。堀江さんの出馬表明もニュースで観ました。尾道であがった嬌声もニュースで観ました。余りにびっくりして、思わず。こうやりく。さんから、標題のバトンを受け取ることにしました。なんかね、頭を真っ白にしたかったんですぅぅ。ではでは。【Q1】 初恋はいつですか? 幼稚園の年長さんのとき。 2人の相思相愛BFができて、1人に絞りきれず、 2人の間で揺れに揺れ、小さなお胸を痛めました(笑)。 最初の恋の悩みかも。 (その後、ようやく1人に絞ったら、その子はなんとお引越し!! 小学校5年まで、可愛い文通が続きました。)【Q2】 今まで付き合った人数は? 思わず、本気で数えちゃいましたよ(笑)。 で、驚いたことに、幼稚園時代の2人を入れると、 夫が記念すべき?10人目でした!(あ~、、びっくり) 自分のなかでは、ほんの2,3人だったハズなのに。 【Q3】 好きな人とデートしたい場所は? 好きな御方とであれば、何処へでも。 んでも1日ゆっくりする時間があれば、 南の美しい静かな海か、荒れ狂う日本海を見つめていたい、かな。 【Q4】 好きな人と見たい映画は? 一緒に大笑いできるような楽しくて、カコイイ洋画。 (『パイレーツ・オブ・カリビアン』みたいなの(笑))【Q5】 好きな人に言われて1番うれしかった言葉は? 『 お前が来るのをずっと待っていた 』 by 闇の守護聖さま ↑ バカもの を そっとしておいてやって下さい(涙)。【Q6】 好きな人はいますか?その人の好きなところは? 長谷川平蔵(中村吉右衛門さん) 池波正太郎氏の本は、おそらく漏れなく、全巻揃えています。 どれも大好きなので、ドラマ化されたものはせっせと観ました。 なかでも『鬼平犯科帳』での中村吉右衛門さんには、シビレました。 『梅安』の緒方拳さんも凄かったけど、凄過ぎ。。。辛過ぎ。。 渡辺 謙 さん。 『独眼竜政宗』の 眼ぢから に 射抜かれました。 『壬生義士伝』『御家人斬九郎』。。。あぁもう、惚れ抜いております。 『ラスト・サムライ』も、私は好きでした。 内野 聖陽 さん。 あの素晴らしかったNHK金曜時代劇、藤沢周平原作『蝉しぐれ』。 藤沢周平第2弾として、金曜時代劇『秘太刀 馬の骨』が この8月26日から始まります!!!!(嬉・踊) # 放送予定:8月26日(金)~9月30日(金)連続6回 総合/デジタル総合 午後9時15分~9時58分 堤 真一 さん。 『GOOD LUCK』、特に好きでした^^。 川口 能活 選手。 語ると長いので自粛します。 え"、質問の趣旨が違う? 【Q7】 こんな人は絶対無理って人は? 謙虚なところが全然ないひと。 形ばっかで、なかみのないひと。【Q8】 浮気は許せますか? 許せるならどこまで? すみません。 絶対、嫌です。 夫には、発覚したなら即、離婚。 と言い渡してあります。【Q9】 同棲してみたい? 別居婚はしたかったけれど、同棲、という形は嫌。【Q10】 あなたが愛を感じる行動は? 振り向けば、いつもそこに在ってくれること。【Q11】 愛と恋の違いは? 愛は、大きくて深い。 でも、静か。 求めず与う愛。 ゴールがない、ものだと思う。 恋は、激しくて熱い。 狭量。 【Q12】 1番長く続いた恋愛は? ふみみ。。。? これは形を聞いてるのかなぁ、期間の長さなのかなぁ。 どちらにしても、これはビミョーだわ。 おつきあい、の形は終わってても、自分のなかで続いてたりしてたら、 その年数はカウントされるのかな?【Q13】 お付き合いしたい有名人・芸能人は? これは、なし。 なんかね、もぉ、卒業しちゃった~~(笑)。【Q14】 究極の選択!! 一生人を愛せなくなる or 人に愛されなくなる いつも誰かを好きで、燃えていました。 それが恋だったのかどうかは判らないけど。 だもんで、ひとを愛してない私、なんてのは、 私のキャラではなかったから、若い頃は 「 愛されるよりは、愛したい 」と臆面もなく言い切ってたけど、 今は、もう卒業しちゃったので? 「 人に愛されなくなる 」ことの方が怖い、と思う私になりました。【Q15】 このBATONを廻す5人は?? とりあえず、私で終了。 受け取って下さるひとがいらっしゃいましたら、是非^^☆ ◆ ◆ ◆お蔭で少し、気分転換できました~~。 # ……って、夫の誕生日にこんなの書く私って、ど~なん?(汗)。
2005.08.19
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毎年、大鍋いっぱいに赤紫蘇ジュースをつくり、濃縮タイプが3リットルできるけれど、今年は凄い勢いでなくなり、底をついた@@。それだけ、みんなお疲れちゃんだったかな>特に下の少年。さっぱりしてて美味しいし、クエン酸つかってるから、飲んだ後、妙に元気が出る☆自然の色とは思えないほどの「紅色」も素敵。毎日のように見惚れてしまう☆☆んでも、もううちの休耕田には赤紫蘇はないので、初めて青紫蘇ジュースに挑戦!まだ日中に外に出られない私は、ようやく明るくなり始めた早朝4:30。朝露でぐっしょり状態の青紫蘇を大ザルいっぱいに摘んだ。赤紫蘇ジュースとの違いは、アクが酷いために、よく洗ったあと、かるく塩もみをする。赤紫蘇はお湯から入れるけれど、青紫蘇はお水から入れてぐつぐつ3~5分煮る。レシピには色々あって、(ググっちゃって下さいまし)私は適当に、超アバウトにつくっちゃう。(ケーキやパンなど製菓関係はきちんとするけど、 お料理や、こういうのは、いつもアバウト>ぢぶん)紫蘇の量が多いので、5分たっぷり茹でてから、紫蘇を引き出し、絞る。薄い緑の煮汁にクエン酸を入れると綺麗な薄~~いピンクに変色!!もう少しピンクにしたくて、、、、クエン酸を入れすぎてしまった(笑)。控えめに砂糖を入れていたが、味見をして、不本意ながらもっと甘味を足すことに。我が家は白砂糖は遣わない。 きび砂糖か黒砂糖。だもんで、お手製ケーキのデコレーションは、つくった本人さえ、珈琲クリーム?と一瞬期待するほど色づく。このロゼのようなピンクを、砂糖で濁らせるのには忍びず、蜂蜜を奮発することにした。味見。 なかなかさっぱり加減が良い。そのまま冷まして、ガーゼで漉して、熱湯消毒したビンに次々入れて冷蔵庫へ。 ↑何故かジョウゴが見つからず、えらい目をみました。話には聞いていましたが、青紫蘇ジュースの方が香りが数段上でした。花粉症にも卓効あるらしいので、塩もみのひと手間はかかるけど、来年からは青紫蘇にしようかなぁ。でも、あの赤紫蘇ジュースの「紅」は捨てがたい。。。大量に出た、茹でタコ状態の青紫蘇。 迷ったけど捨てちゃいました。ググってみましたところ、この紫蘇は、塩を振って絞った後、刻んでお漬け物に混ぜたりするといいみたい。あと、同様に、刻んだ紫蘇を胡麻油でさっと炒め、適当に味噌、砂糖、みりん、鰹節などで練り上げて紫蘇味噌に。 ↑私は、チリメンジャコを入れて韮味噌や葱味噌はよくつくるのだけど、紫蘇味噌かぁ。 これならお弁当に入れても香りが気にならないよね。次回は、紫蘇味噌もつくろう!!
2005.08.18
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かいちょーさんの日記 に コメントしようとしたら、例によって凄いことになったので、トラックバックさせていただきます。8月2日、神戸市立の中学校生徒が、柔道部合宿中に熱中症で死亡した。当時、「熱中症」への認識不足と、随分とニュースになったが、その後、柔道部内で「体罰」が行われていたことが発覚し、別方面で騒然としている。かいちょーさんが問題とされたのは、神戸新聞17日の記事、タイトルである。 ( 神戸新聞 当該記事 ) ↑ これを読んで、私は、現在、2人の顧問教師と市教委に怒髪天である。 でも、中学校内の部活動での事件。 報道側は、他の生徒、保護者の心情を十二分に考慮し、 記事内容、表現には最大限の配慮が必要ではないだろうか。実は、私自身は、「 何が何でも体罰反対! 」派 ではない。 ( …意外? でも私はバリバリの体育系 ) ( んでも我が子に手をあげたことは、1度もない )私の小学校時代、廊下を走ると皆が一列に並べられ、熱血先生に後ろから竹刀で、赤く腫れるくらいの力で脹脛を叩かれていた。暫く歩けないほど痛かったけれど、でも、みんなこの先生が大好きだった。いつもこの先生にもぐれついて遊んでた。この先生は、私たちひとりひとりを愛し、「なんでじゃ~!」と苦しみながら、時には涙を流しながら、竹刀を振りかぶってくれていたから。「もう、この先生を泣かさんとこう」 皆そう思い、ルールを守って行った。就職後に、街中でばったりこの先生に出遭ったとき、担任でもなかったこの先生が、私の名を呼び、駆け寄って下さったときには感動した。先生と私は、互いの近況を口早に語り合い、その後、この先生は、当時、私の隣家であった、彼が担任であった子の近況をお聞きになったのである。驚くべき記憶力!如何に、私たちひとりひとりを見つめ、心に留めていらっしゃったのかがよく判る。この先生は、私たちの小学校には3年しかいらっしゃらなかった。私の担任でもなかった。が、私は、今でもこの先生の姓名を空で言えるし、卒業20周年記念のクラス会でも、皆の話題にのぼった。ひろ子・Kさんがめぐり逢われた、素晴らしいバスケット部顧問の先生のイメージが、この先生ととても重なる。↑(ひろ子・Kさんちの先生が、生徒に手をあげられる、という意味ではない。 ひとりひとりの生徒への愛情、関わり方、という意味においてである)時代も時代であったが、子どもたち誰一人、保護者たち誰一人、この先生から「体罰」を受けてる、なんて思いもしなかった。 ◆ ◆ ◆かたや、今、私の下の少年は、公立高バスケットクラブ顧問の先生からの毎日の『言葉の暴力』にずたずたで、苦しんでいる。この先生の真の意味での指導力を疑っていなければ。この先生が、自分をそれなりに認めたうえで「伸ばそう」と、「育てよう」と思い、願い、そのうえで投げつけられる厳しい言の葉であるのなら。仁は、この先生からどんなことを言われても、例え手を挙げられても。退学さえ考えてしまうほど苦しまないと思う。「 思いついたことを、片っ端から、 何も考えず 口から流れるに任せておられるようだから、 技術上のアドバイス以外は、 何を言われても深く考えず、その場で忘れなさい 」と毎日、彼には言っている。こんなことを言わねばならないのが、とても哀しく、情けない。
2005.08.17
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毎年、朝から晩まで座る暇なく おさんどん な お盆。さんざん迷ったが、長義兄家族は帰省しない由だし、我が家の人員も殆ど居ないので、今年は不調を理由に、ゆっくりさせていただいた。お盆に、自宅でゆっくりするなんて、結婚以来初めてのこと。だがその分、当然ながら気ばかり遣って、しっかり胃痛の日々だった。「何をつくろう、どうしよう」と、あれこれと朝昼晩に電話があり、つくった食事を私の分まで用意して、持って来られる。恐縮で胃が縮む。こちらからは、蕨餅と抹茶のババロアを大量につくって、下の少年に持って行かせた。ゆっくりさせて貰って、おかずまでお裾分けして貰い、義母や次嫂さんに有難く思わねば、バチが当たる、、と思いながらも 「 私が居なくても、回るぢゃん 」。 ひとたび、そう思ってしまうと、想いは一気に、亡き父のもとに飛んでいく。居なくて回るものだったのなら、せめて父の命日である14日だけでも、毎年、母の傍に在りたかった。「命日だから帰っておいで」などと、言われてみたかった。(大甘)自宅でゆっくりする位なら、今年は帰らせて貰えば良かった、と。今年は、20回忌となる。14日に実家に電話をしてみた。毎年、盆行事が落ち着くまでは、帰宅するのは真夜中過ぎるため、とても電話もできなかったのである。お坊さまをはじめ、たくさんお参り下さったようで、幼い頃にお世話になった、思いがけないひとと話もできた。その御方から、何故、帰って来れないのか、と叱られる。真宗では、みな仏になっておられる訳であるから、盂蘭盆会に、特別なお供えをしたり、ナスやキュウリの動物、迎え火、送り火、精霊流し、などはしないのだけど、仏壇やお墓をきれいにして、皆、お参りはするのです。叱られて、「ごめんなさい」と言いつつ、涙がこぼれる。こんな風に年上の懐かしい御方に、子ども時代のように名前に「ちゃん」を付けて呼ばれ、温かく叱られて、素直にごめんなさいが言えて、甘えた涙がこぼれる、なんて、10数年ぶりではなかろうか。電話線の向こうは、「嫁」ではない、「私」が「私」で在る世界。幼いときから「私」を見つめ、育み、愛してくれた世界。電話線のこちらは。あいたたたっ。。。 私としたことが、ホームシックだ~~ぃ!!こだわるものには、とことんこだわる父は、生前に子どもたちにお墓で苦労かけまいと、そして、何より、自分が気に入り納得できる墓を建てたかったため、私の大学卒業後から(←金食い虫で本当にごめん!!)母と懸命にお金を貯め、自宅近くの墓地に建てた。決して裕福でない我が家に見合った、墓石も極々シンプルで小さなものだが、自らも達筆である父は、字だけにはこだわり、何人もの彫師さんを訪ねて歩き、これは、というひとにお願いしたのである。お気に入りの墓が建ち、自分の父と母の骨を本家に分骨して貰いに出掛け、一握りの土くれと化したものを「土に還るのがほんとだから」と骨壷に入れず、そのまま納骨堂に納めて。そして、父も逝き、父の願い通りに骨壷に入れず、土の上に置いた。あの日以来、母は、毎日のように散歩がてら墓参し、父と共に土に還る日をずっと待ちわびている。私もそこへ行きたい。私も父母に抱かれて同じ土に還りたい!!昨年より、ことあるごとに強烈にそう願う自分に戸惑っている。夫の両親が、そろそろ自分たちの墓を、と言い始めたからかも知れない。私はこの地に骨を埋めたくない!と 強烈に想うからかもしれない。夫の実家と宗派が違うのも、自分のなかで消化しきれない。夫自身は無宗教ではあるのだが。こだわるから、苦しい?のみこめないから、消化不良になる?死んでしまえば、骨など、墓など、何の意味も無く、『千の風』になるのであるのに。父がなくなったとき。母は立派な「おとな」であり「母」だった。「 今後、私がいつ、どのような形で逝くことになっても決して悲しまないで。 どうか、私のために喜んで。 私は、1日も早く、おとうさんのところに行きたいのだから 」そう、きっぱりと言ったひとだった。つい先日、「当時の母は52歳だったのだ」と気付いて愕然とした。現在の私とそんなに変わらないって、どゆこと??……あまりに進歩のない、成長してない自分にがっくり。以前、日記に、母は私の(越えられない)目標だ、と記したが、全然ダメぢゃん>ぢぶん。
2005.08.16
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昨日の私の日記 から多くのご意見をいただき、私もあれやこれやとごしゃごしゃと抱え込みました。ゆうやけぐもさんに、まとめていただいたような心地が致しましたため、私自身の整理にもなるか、と、こちらにゆうやけぐもさんの書かれたこと。それに対する、現在の私の状況、想いを書いてみました。 ●が、ゆうやけぐもさんの抱かれた疑問。 ▽が、私の現在感じていること。【教科書のなかみと自分との関わりについて】 ●教科書に書いてあることだけが真実ではなく、いろいろな見方がある・・・と いうことを教えられる親や教師はどのくらいいるのか? ▽私は、私を含めて残念ながら余り期待できない、と感じており、悲観的です。 で、実は私は、中学校と高校の社会科教諭免許を持っています。 ●教科書をたたき台にして自分の思想を伝える授業は今の学校の中で許されるのか? ▽うちの町では、是正指導以降は、絶対に許されませんでした。 市制になっても期待薄。(市に異動となった教師からの話による) ●子どもの親が伝えて、それを教室で子どもが表明した時、 教師を含めて回りが「そんな考えもあるよね」と思ってくれるのか? ▽授業中に、子どもたちが保護者の考えや想いを表明できるという、 そんな時間を取ってくれるのか、そういう授業形態を取るゆとりが あるのかが既に疑問であると感じています。【戦争について】 ●太平洋戦争を省みて、 日本がある時点を境に「間違った方向に行った」と仮定した場合、 今、現在、私たちが在る状況は、その時点と似てはいないか? (ゆうやけぐもさんは『治安維持法』制定時点ではないか、と推測) ▽私自身がキナ臭い、と感じ始めたのはかなり前からですが、 はっきりと危機感を覚えたのは、98年の文部省の広島県への是正指導から。【NOと声をあげたい時】 ●反対の意見を持つ人たちが一つにまとまった運動を起こせないのは何故か? ▽反対意見を述べるだけでも、他者からヘンに思われないか、と不安なのに、 反対「運動」を起こす、となると、一種の「過激派」扱いされそうで 不安であったり、非日常生活へと突入していくのではないかという不安。 或いは何らかの立場を失うのでは、という不安からであろう、と推測します。 ●どうしていつも「右左」の論争になってレッテルを貼られてしまうのか? ▽往々にして「上からの」お達しに「NO」ということそのものや、 「運動」や行動様式に、実際に極左と呼ばれる存在が入りこんでたり 指導していたりする場合がある(多い)。 また、これまで、言われるままに従って来た(諦めて来た)ひとたちのなかには、 自分の価値観を揺すぶられることが怖くて、反対意見のひとに 「あのひとは左(だから特別なのよ)」とレッテルを貼って 自分の価値観、自分の位置に安心したいから、だと推測します。とりあえず、整理して考えさせていただいたように思います。今回の杉並区の教科書採択問題には、少なくともこれだけの論点が入り混じっていますね。ゆうやけぐもさん、有難うございました。本日は、終戦記念日。この戦争で亡くなられた多くの方々の犠牲のうえに今の私たちが在ること。 決して忘れず、次代に伝えていきます。
2005.08.15
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う"~。。。。賛否両派の運動が起き、教育委員会のなかでも賛否が分かれ、採択保留となっていたが。12日。ついに 区立中学校23校で、『 新しい歴史教科書をつくる会 』 主導で編集された扶桑社版を採択した。唖然、茫然、愕然、脱力、焦燥、、、、、、絶句。昨今の社会の動きと合わせて、どーよ。これで一気に。堰を切ったかのように、あちこちで採択されていくんだろうな。なんかね、今はもう、何も語れない。んでも、ひとことだけ。石原慎太郎大好き、『 つくる会 』 を狂喜乱舞で支持する、うちの元町長は、 中学校の卒業式で、 卒業生へのはなむけに、第一次、第二次世界大戦の【効用】を とうとうと 述べたんだぞっ!!「 日本のお蔭で東南アジアの経済が潤い、、」 と戦争賛美をしやがったんだぞ!!!こちらに 「つくる会」の教科書採択に反対する杉並親の会 のサイトを紹介致します。
2005.08.14
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憧れの北海道!!過去、6回も旅行計画を企て、諸事情やら突発事故やらで、あえなく断念して来た私に、出張で北海道行きが決まった夫が、お土産は何がいいか、と聞いてくる。 「 やっぱり 蟹? 」 「 シーズンぢゃないし、やっぱり向こうで食べたい 」 「 じゃ、メロン? 」 「 重たいでしょ? いいよ 」 「 んぢゃ、『白い恋人』? 」 「 そんな判で押したようなのは、いい 」 「 ぢゃ、何が要るの? 」う"~~~~~。 何も要らん! あたしは行きたいんだよっ!!! 、、、とは言えないので、ちょっと考えて、決めた。 「 んとね、生チョコケーキ!! 」 「 生チョコケーキぃ? 何処の? 」 意外、という顔で私を見る。 実は、私はスイーツには、とっても厳しいのである。 我ながら、嫌になるほど、妥協しない。 夫の味覚を信用せず(ほんとに信用できない)、 出張先によって、おみやげは○○。 夫の実家には△△、それ以外は絶対に不要、ときちんと決めている。 だもんで、そんな私が北海道の生チョコケーキを何処で識ったのか、 夫は不思議だったのだろう。 「 う"~ん、銘柄はわからない。 以前、物産展でとても美味しかったの。 仁も好きだったし 」 既に私の脳裏には、冷たくて ずしん と重たい、 1ホールのケーキが浮かび、もうそれ以外に考えられなくなった。で、帰広直前に夫から電話が入る。 「 生チョコケーキだよね? 間違いないよね? それしか、本当~~~に要らんのんじゃね? 」 「 ぅんっ!! 」元気良く答えて、夫の帰還を待つ。そして、ケーキナイフまで冷やして待っていた私に渡されたのは、、、、確かに箱に「 北海道限定 生チョコケーキ 」と書いてある。んぢゃが、それは、いわゆる、フツーのおみやげもの屋さんに山ほどある、お饅頭のようなちっちゃなのが10個入ってる【軽い】箱だった。 私は、ケーキのなかでも、スポンジ部分がぱさついてる奴が何よりも許しがたいと思っている。(マフィンとかは別もの)カステラなども、今ひとつ好きではない。いただく機会が多いので、哀しいのだが、申し訳なくも、ブランデーをどばっとかけてアルミホイルでくるみ、ブランデーケーキのようにしっとりさせてからいただく位である。ちっちゃなお饅頭様の包みが10個入って【軽い】ということは、とりもなおさず、ぱさぱさ の すかすか の スポンジだ、ということで、、、。はぅぅぅ。 絶対行くぞ!! 北の大地!!!生チョコケーキとソフトクリーム。蟹、とうもろこし、ラーメンにアスパラ、、、たらふく食べに、行くぞっっ、行くぞっ、 行くぞっ!!! # 私が北の大地に憧れるのは、食べ物のせいでは絶対に、ないっ!!
2005.08.13
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今日は、あの航空機事故から20年。上の少年を授かったのが判明した間もなくで、酷いつわりに苦しみながら自宅に居た私は、この悲惨で壮絶なニュースをTVで見た瞬間、心身が固まってしまったことを覚えている。この大きな事故も、忘れてはならない。風化させてはならない。8月は、、、なんと、厳しき、哀しき月であることだろう。さて、いつもこちらにおいで下さる、語り部 ワンダー弥々丸さん の出演なさる、 怪談語り公演【精霊会】 が、13日、14日の2日間上演されます。お近くで、お時間のあられる方、是非是非、お出かけ下さいませ。弥々さんは、第一部(語りの部)の2番目。演目は、なんとなんと 内田百けん氏の『冥土』!!弥々さん、百けんをご自身が持ち込まれたものの、『冥土』そのものに心寄せるために、のたうって苦しみながら、一字一句を間違いなく頭に叩き込んで語り芝居をされるはずです。上演場所は、お伽座 常設小屋【アクトスペース鉢形】にて。詳しくは、 弥々さんのページ 【精霊会】へ GO下さいませ。お盆、ということでもあり、日頃、弥々さんのサイトでアクティブされておられる方々も一堂に会されるようでもあります。エキサイティングな空間となるのではありますまいか。
2005.08.12
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はひはひ。つい先日、会社用のノートPCが新しくなって、設定に時間を取られたばかり。無線LANがどうもうまく行かなかったのだ。なのに、度々辞書が壊れ、フォントも壊れ、フリーズしまくりの再起動かけまくりの、だましだまし仲良くしていた私の私用PC(デスクトップ・98)もついにボロボロ・爆発寸前となったために、新しく購入を決意し、本日、到着なり!!10GBが一気に160GB。(一昔前では考えられない)メモリも1024MBに増やした☆一式買った方が楽だし、安かったけれど、これまでのモニターはお気に入りのSONYのトリニトロン(18インチ)。薄さで、液晶モニターにとっても惹かれたけれど、SONYのモニターを処分するにはしのびなく、本体だけ購入することにして、いまどきのMOやらなんやらも全部引き継ぐことにして。午後からはずっと、旧PC、会社用のノートPC、新PCと3台並べて、データ移動から何から、てんてこまいである。。。やはり、無線LAN、エアステーションで躓くなぁ。。。仕事部屋のお掃除もまだ途中だというのに、と時間に追われ、イライラ、汗みずく。加えて、お盆が近付き、例によってのおさんどん。3日間の献立のあれこれを計画、準備するために先々週から、朝昼晩と義母からの電話&訪問攻撃。……現金な私の体調は、ちょっと悪化の傾向なり。辛いので、今年は免除して貰うつもりだが、う"~ん。。。。なまじ、復調しているため、厳しいかも。愛する父の命日は、8月14日であるのだが、1周忌と3回忌しか、帰らせて貰えず。ず~~~~っとお盆のおさんどんだったもの。今年も無理かなぁ。。。。(泣)。。。ええ~ぃ!! お盆にはお盆の風が吹く!今は、新PCの設定、整理に集中ぢゃ~~~!
2005.08.11
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平成の大合併で、うちの町は今春、隣の市に統合された。町制から市制へと、日常の様々なことが変わらざるを得ず、何かとドタバタしている。今日は、市の『こども110番の家・みんなでつくろう安心の街』の旗と『こども110番の家・地域で守るよ』と印刷された、B5サイズの大きなステッカーを【区長(自治会長)】さんが持って来られた。これまで、町から年に1度、配布対象限定で同様に配布されていたものの市制版である。配布対象は、町内の小中学校のPTA三役をはじめ、各自治会の役員、児童民生委員といういわゆる役職者宅の他、人通りの少ない場所にあるお宅、曲がり角のお宅や間口の広い商店など、変事に際して、子どもたちが駆け込みやすそうな家々が選ばれていたようである。変事以外では、「 子どもたちに関する相談事もお気軽にどうぞ 」という意味合いもあるのだそうである。町の『こども110番』の旗は、色は黄色。横断歩道用の旗を少し薄っぺらにしたような、野ざらし雨ざらしでは、とても1年持たないようなものであった。今日いただいたのは、厚みがしっかりとあり、エンボス加工も施してある立派なもので、色は水色。棒のついた旗状ではなく、タペストリーとなっている。旗やステッカーに掛ける費用で、その精神まで測ってはならないが、やはり「力の入れよう」は感じられる。 (水色で、遠目に見て目立ち得るのか?という疑問はあるが)この市内中央部では、小中学生の犯罪も多く、不審者も横行。痛ましいことながら、性的被害に遭う女児、女子生徒も増えており、子どもたちが「都会」型犯罪に晒されている毎日なのである。------------------------------さて、はじめて我が家に『こども110番』の旗がやって来たのは、うちの少年たちが、小6と小3のときだった。そして、彼らは、この旗を自宅に掲げることに 「 NO 」 と言ったのである。曰く、「 おとうさんもおかあさんも、いつも家に居ない。 助けを求めて飛び込んで来ても、鍵が掛かって誰も居ない家に この旗があるのは如何なものか 」「 夜は僕らだけ。 助けて、と来られたら、僕らも怖い 」これに対し、そんな変事は滅多にあることではないし、日頃、こういう旗が町内のあちこちに立てられているだけで、変質者や不審者のこころにブレーキをかける役割をするものだ。自分の通学路にこの旗があちこちにあれば、子どもたちは心強いはず。それだけでもこの旗の持つ効果は大きいのだ、と説明した。が、上の少年は、言った。「 おかあさん。 この道を通るひとたちに安心の旗であっても、僕らには怖い旗だ。 おとうさんもおかあさんも居ない夜、 僕は助けを求めて来たひとと、弟を守れる自信はないよ 」もっともである。随分考えたが、少年たちの気持ちを尊重したい、と思った。当時、私が夜に居ないのは、PTAと週2回のバレーの練習。ほぼ、毎晩不在の日々。夫は、最終電車か、真夜中に私が迎えに行く状態で不在。毎夜小3の弟を抱え、ふたりきりで過ごす6年生の訴えを聞き、うなだれるしかなかった。区長さんに事情を話し、近隣で、より良い御方に代わっていただきたいことを申し出た。区長さんは、「 その地区で、他に自分が託そうと思うひとは、誰も居ない。 私はりうりうさんにお願いしたいのであって、 旗を渡したら、私の仕事はそれで終わりです。 後は、旗を立てるも立てないも、りうりうさんの気持ちに任せます。 立てないのなら、処分して下さい 」な ん で す と ~~~~!!! なんで、そんな困り果てるようなことを言うんだ~~!公共より、我が子を取った私。申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、その気持ちも萎え果てた。この年以降も、毎年、区長さんは知らぬ顔で新しい旗を持って来られる。自宅に、何本も黄色い旗が溜まっていく。少年たちは成長したが、その分、夕方からの出入りもある。私の不在は変わらず、結局、旗を立てずじまい。昼間に在宅することが多くなった近年には、在宅時だけでも、と、旗を掲げようとしたが、町内の空き巣事件が頻発し始めており、在宅時に旗を掲げるのなら、不在時まで皆に向けて発信するようなものだと、断念してきた。かくて、町内を巡るたび、他家の黄色の旗を目にしては、後ろめたく、申し訳ない気持ちを抱えて来たのである。今春より、上の少年は巣立ったが、下の少年が高校生となった。私もPTA卒業により、夜、自宅に居ることが増えた。新しい水色のタペストリー。 ステッカー。やっと 自宅に掲げることができそうである。
2005.08.10
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11時2分。こころより哀悼の誠を捧げ、この国の来し方行く末をしっかり見つめ、見届けるために、まず私たちがしっかりしなくては、と決意を新たにする。幸か不幸か、衆院解散により、郵政民営化関連6法案を含め、国会で審議中だった内閣提出法案15本、議員提出法案46本の合計61法案が 廃案 となった。【 障害者自立支援法案 】 も 自動的に 廃案 となり、1日の 【 新憲法草案の条文案 】 も 廃案 である。今度こそ。私たちは、本腰入れて、性根入れて。じっくり観て聴いて。じっくり考え、 選挙に行こう 。 投票率を限りなく100%に近づけよう。「しっかり観てるよ。 ずっと観てるよ!」きっぱりはっきり、伝えよう。 私たちの意思表示をしよう。あと1ヶ月。各立候補者の主義主張を識るために、その背景まで見極めよう。見極めるために、自分自身がしっかり学んで。選挙に行こう! それが、この社会に生きていくものとしての権利であり、義務であり、責任である、と私は思う。
2005.08.09
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小泉さんが、熱く熱く語ってる。元々の自民党の公約、ということを考えてみれば、小泉さんの怒りも もっともかも。んでもね、私は、何を聞いても、なんか 哀しい。…… 語れるんぢゃん。 こんなに熱く。なのに、あの6日の記念式典での挨拶の歯切れ悪さはどーよ。どんなにお仕着せの原稿だって、心さえあれば、気持ち込めて読めるでしょうに。んで、6日の夜、『被爆者代表から要望を聞く会』を4年連続欠席して、森前首相と会談。そこで、「 (郵政法案を)可決させてくれ。 俺の信念だ。 殺されてもいい 」「 殺されてもいい 」。そーですか。確かにそーでしょう。党の公約として郵政民営化をかかげて、勝利したのだから。国民はそれを是として、自民党に投票した、のだから。郵政民営化を掲げた自民党で立候補した議員の離反は、確かに筋が通らない。そんなこんなを考えても。圧力やら派閥やら。 もーいーよ。やはり 私は どうしても他に審議しなければならない大切な問題が山ほどあるだろう!と思ってしまう。例えば、小泉さんのこの「 何が何でも 」。「 殺されてもいい 」 という熱い想いが、【 障害者自立支援法案 】 に少しでもあったら。もっと国民の目も声も集まり、もっと議論が広く深くでき、もっと違った形になったのではないか?郵政法案のごたごたの蔭で、ひっそりと。「障害」を持つひと、要介護の人々に、実質「死ね」というに等しい酷い法案を、こそこそと通してしまった。で、自民党さんは、ポスト小泉を誰にするの??……誰もおらんぢゃん??どーするの?? どーなるの?解散、となったからには、今度こそ。私たちは、本腰入れて、性根入れて。じっくり観て聴いて。じっくり考え、選挙に行こう。投票率を限りなく100%に近づけよう。もうこれ以上、コケにされないよう。 ナメられないよう。しっかり観てるよ。 ずっと観てるよ!きっぱりはっきり、伝えよう、意思表示をしよう。憲法改正もかかってるんだ。
2005.08.08
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北の大地に出張する夫のお財布に、お金を入れてあげようとしたら、ぽと、と 「御守」が落ちた。何気に拾ってくれた下の少年が、「 んげげっ!! 」 と思いっきりヒク。「 ん? 」 と受け取ると、「御守」の裏側に、私の写真んん?「 ……アイドルの写真が入っとるよりマシでしょうが!! 」ぎゃはは、と少年に笑ったが、私だってヒクし。 を~~ぃ。 それは「 魔除け 」なんかぃ?>夫 ……確かに そんじょそこらの魔物や悪鬼には余裕で勝てるかも。 (大魔神なのか?>ぢぶん) んで、なんで 【若く】 て 【細かった】 頃 の写真なんだ! ( ……いや、確かに。 現在の写真だったら、私だって目を背けるわぃ ) はぅぅ。
2005.08.07
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今朝の朝日新聞 3面 『 ひと 』に『 夕凪の街 桜の国 』の作者である こうの 史代 さんが取り上げられていた。15万部を突破し、9月以降、米国、韓国、台湾で相次ぎ翻訳される由である。とても 嬉しい。昨夜の私の日記にも記したが、今の私には、5月18日に『 夕凪の街 桜の国 』について書いた日記 と、皆さんにいただいたメッセージへのお返事以上のものを書けない。60回目を迎える原爆忌にあたり、上記の日記とメッセージ群に、今一度 こころ寄せていただけると幸甚である。本日は、私があれから何度も読み返した、『 夕凪の街 桜の国 』 あとがきの一部を抜粋させていただく。 あとがき こうの史代さん ……「原爆」にかんするものは避け続けていたのです。 でもやっぱり描いてみようと決めたのは、そういう問題と全く無縁でいた、 いや無縁でいようとしていた自分を、 不自然で無責任だと心のどこかでずっと感じていたからなのでしょう。 わたしは広島市に生まれ育ちはしたけれど、被爆者でも被爆二世でもありません。 被爆体験を語ってくれる親戚もありません。 原爆はわたしにとって、遠い過去の悲劇で、 同時に「よその家の事情」でもありました。 怖いという事だけ知っていればいい昔話で、 何より踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきた。 しかし東京に来て暮らすうち、広島と長崎以外の人は原爆の惨禍について 本当に知らないのだという事にも、だんだん気付いていました。 わたしと違ってかれらは、知ろうとしないのではなく、 知りたくてもその機会に恵まれないだけなのでした。 だから、世界で唯一(数少ない、と直すべきですね「劣化ウラン弾」も含めて)の 被爆国と言われて平和を享受する後ろめたさは、 わたしが広島人として感じていた不自然さより、 もっと強いのではないかと思いました。 遠慮している場合ではない、原爆も戦争も経験しなくとも、 それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、 伝えてゆかねばならない筈でした。 まんがを描く手が、わたしにそれを教え、勇気を与えてくれました。… (『 夕凪の街 桜の国 』 双葉社 ISBN4-575-29744-5 ) あとがき5行目~17行まで抜粋。 太字編集:りうりう平和記念式典での広島市長による 『 平和宣言 』は、毎年、どの新聞にも全文が掲載される。例年、厳しく激しい論調で、日本国政府を糾弾し、核保有国を糾弾し、これからをどんな願いで、どう闘うか高らかに宣言するものであった。今日の 『 平和宣言 』 は、被爆者の志を受け継ぎ、伝えて行く、と、近年になく、穏やかで大人しいものであったため、実は驚いている。何故? どうして?これに対し、内閣総理大臣は、ぼそぼそと歯切れ悪く、剋舌悪く、それでも「非核三原則、平和憲法を遵守する」と言った。ほんと? 絶対?平和公園横の元安川(もとやすがわ)、本川(ほんかわ)は、川底をさらうと未だにたくさんの骨が出る。今夜は、2つの川に川面いっぱいの灯篭が流され、鎮魂の夜となる。
2005.08.06
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子ども時代から、8月に入ると気持ちが落ち着かない。5日の夜はドキドキドキ。もうあと数時間後で、あの恐ろしい原爆が落ちたのだ、と思うから。-------------------6月の夜、たまたまTVをつけてたら、NHK特集「夏服の少女たち~ヒロシマ・昭和20年8月6日~」が再放送されており、をを、と、懐かしい先生の姿に見入ってしまった。このアニメのなかの夏服の少女たちの学校は、実は、私の母校の前身であり、5月18日の私の日記、『 夕凪の街 桜の国 』 で記したが、8月6日に、私の母の学校と学徒動員日の入れ替わりの申し出があり、全滅した学校なのである。この学校に進学した母の親しかった友人たちは、みんな死んでしまった。以来、母は、ずっと自分の生き残った意味。生かされて在る意味を、自問しつつ、生きて、いる。常に自分に厳しく、甘えを決して自分に許さない。そしてひとには、献身的に尽くす母。50分の放送のなかで、アニメ化された少女たちの様子と、実際に、その少女たちの遺族が映し出されるシーンがある。このなかで、娘を亡くされた父親、として出て来られる故「森脇 中」氏は、上の少年のマリンバの先生であった。先年、先生も亡くなられたのだが、テレビのなかの先生は、まだお若く、とてもお元気そうだった。テレビでも語っておられる、森脇先生の息子さんは、亡くなった妹さんの日記を'96年に出版される。『 広島第一県女一年六組 森脇瑶子の日記 』 (細川浩史・亀井博編 平和文化刊 1996年6月発行)そして、この日記は、北海道の帯広緑陽高校の演劇部が脚本化し、見事に上演されている。---------------------広島市を離れ、戦争について語ること、原爆について語ることがタブー視されつつあるこの地で。小中学校の社会見学で、平和公園見学を外されたこの地で。修学旅行の沖縄行きが、東京TDLへと変更になったこの地で。文科省の是正指導以降の、こういったあからさまな種々の動きに釈然とせず、おかしい、ヘンだ、と悶々としつつ。私は。 それでも。何がどうあっても、2度とこういった悲劇を繰り返してはならない、と思う。こうした過ちを決して繰り返してはならない。そのために、私たちは、学ばねばならない、と思う。何がどうしてこうなったのか。2度と繰り返さないためには、今、生きて在る私たちは、何をどうしていかねばならないか。忘れてはならない。風化させてはならない。 そのためには。------------------------そんななかで、『 夕凪の街 桜の国 』に出逢えて嬉しかった。あれから、何度も読み返した。でも1番よく読み返したのは「あとがき」である。言の葉は何も要らない。この本が、ただひっそりと多くのひとたちの傍らに在れば、、、と願う。 # 追記 正直、私は、ヒロシマ前夜に、 何をどのように書いたものかと思いあぐんでいました。 或る意味、私は皆さんと、 5月18日のブログで語り尽くした感がありましたから。 原爆、戦争に関して語り尽くす?? そんなバカなことは有り得ないのですが、 それだけ私は精魂込めて5月18日の日記と、 コメントいただいた皆さんにお返事を書ききった感がありました。 皆さんからもたくさんの想いを聞かせていただき、 こころを寄せていただきました。 で、今の私にはもう、あれ以上のものは書けない、と。 私の想いは、あれ以上のものでも あれ以下のものでもない。 どうぞ、あれを参照して下さい、、!!という気持ちでいっぱいで。 ↑ だったら、そう書けばいいのにね。 ダメぢゃん>ぢぶん。 【ヒロシマ】を語りたい。 しかし、年を重ねていくたびに、 ひとの営みの重さを知り尽くしていくほどに 【ヒロシマ】を語るに値しない自分を知る、と言われる 弥々さん にトラックバックさせていただきます。 語るに資格はいらない。 真摯な想い だけでいい。 こころ寄せて、想い重ねて。
2005.08.05
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昨日の日記 に書いた通り、うちの少年たちは、カエル、クモ、昆虫類が大の苦手であった。で、水田に囲まれるこの地は、当然の如くカエル天国である。啓蟄を過ぎ、田んぼが耕され、水を張る頃になると、カエルの声で眠れない。そして夜も更けた頃、遠くの方で、「んもーぅ、んもーぅ」というウシガエルの声がする。昔は随分居たらしいが、ここ10年でも、めっきり聞かなくなってしまった。この地への転居にあたり、心配のひとつはカエルだった。昨日コメントいただいた、たかなさんのメッセージに、『 カエルの大合唱のために中古住宅が大幅値下げしないと売れない 』とあった。情けなくとも、我が子でもそうだった。 そういう時代なのである。10年を経過し、さすがに少年たちもカエルには慣れ(慣れるしかない)、先日、小さなアマガエルを手の上に乗せていた下の少年を見て驚いた。かくも少年を取り巻く環境とは、凄いもの?放っておいても子は育つ? ◆◆◆◆◆◆◆さて、今春大学生となった上の少年が中学生時代、彼が最も恐れていた、伝統のカエルの解剖のときを迎える。うちの中学では、理科の時間に、必ずウシガエルの解剖を行っていた。毎年、この解剖授業は、保護者をも巻き込んで多大なる悲喜劇を生むのである。何故なら、子どもたちが解剖するウシガエルは、解剖の日までに、子どもたちの各班で調達しないとならないからである!田舎町故、昔は、何処にでも居たらしいのだが、この地でも休耕田が増え、少しずつ「マチ化」していくにつれ、さすがに近年は、めっきり数が減っている。また、この町は、農業区ばかりではなく、漁業区、商業区、山林区を抱えている。そうそうウシガエルは入手できない。夜中にウシガエルの鳴き声を聞き、だいたいのあたりをつけていても、昼間に運良く遭遇できるかどうかは判らない。子どもたちは、班でまとまって、放課後・土日を駆使し、ウシガエル捕獲に駆けずり回る。とはいえ、放課後・土日のクラブ、塾。いまどきの子どもたちは忙しく、なかなか全員での行動はできない。かくて、保護者をも巻き込み、当然の如く苦情も殺到し、いつの頃からか、ウシガエル相当の大きさがあれば、トノサマガエルでもOKということになった。うちの上の少年も同様に、ウシガエル捕獲に毎日悩むこととなった。最初の日は、班員全員が情報を持ち寄りって、泥だらけの汗みずくで探し歩いたようだが、そうそう見つかるはずもなく、翌日からは班長である上の少年ひとり。半ベソをかきつつ、毎日カエルを探し歩いて2週間。余りに可愛想で、私も重い腰をあげる。灯台下暗しで、夫の実家の庭の池に、巨大なトノサマガエルが棲みついており、最悪な場合は、そのカエルを持って行くことになって一息ついた。結局、ウシガエルは見つからず、その巨大トノサマガエルを持って行くこととなり、3日間ほど、自宅玄関で飼った。倉庫で埃を被っていた大きな水槽の出番である。夜中になると、カエルが暴れる。大きな水槽が動くほど、跳ねて身体をぶつけるのである。1度、勢いで蓋を外して、出てきたので、玄関で大騒動しながら捕まえ、また水槽にもどして、蓋の上に大きな石を置いた。それでもカエルは、自分の運命を諦めきれないように、水槽のなかで大暴れをする。我が家の少年たちは、最初は見るのも嫌がっていた。が、夜に何度も何度もカエルが水槽に身体をぶつける音を聞き、その音に身を竦ませながら、段々とカエルが可愛想になり、逃がしてやりたい、と思うようになったようだった。しかし、逃がせば、上の少年の2週間の苦労は無に帰し、班長としての務めも全うできず、解剖学習ができない。彼らは、相反する感情を持て余しつつ、網を持ってハエを捕まえて来ては、おそるおそるカエルに餌としてあげていた。いよいよ、解剖学習の朝。学校に持って行くために水槽を持ち上げた上の少年。それを見上げる下の少年。2人は声をあげて泣いた。私まで、目頭が熱くなる。蒼ざめた少年たちにかけてあげられる言の葉もない。----------------------その日。帰宅し、ぼんやりした様子の少年に声をかけると、同じ班の子がめでたくウシガエルを捕まえて来ていた、と。 「 じゃぁ、うちのトノサマガエルは、助かったん?! 」思わず、喜んで声をあげた私に、 「 捕まえられなかった班があったから、その班にあげた 」世にも暗い声で少年が言う。 「 …んでも、たっくんがうちのカエルを解剖しなくて済んで良かったね? 」 「 …ぅん…… 」カエルたちは、解剖されたあと、お墓に埋められる。骨は漂白され、黒の厚紙に、きれいに貼り付けられて骨格標本として、文化祭で展示される。ウシガエル解剖について、毎年毎年、夏のPTA地区懇談会で話題にのぼる。捕獲が大変なこと。やっとのことで捕獲できたのに、夜に脱走され、また探さなくてはならなかったこと。解剖の日までの世話、特に活餌をあげるのが大変なこと。保護者まで多大な負担である、なんとかならないのか、etc.しかし、理科の先生の一声で、みんなの顔が笑顔に変わる。「 子どもたちは、解剖前に自然と手を合わせます 」「 殆どの子が涙を流します 」-----------------------------------私の子ども時代は、フナの解剖だった。小学校のときか中学校のときか、記憶も定かでなく、理科の実験室に用意されたフナを、ただ気持ち悪い、生臭い、と思いつつ、嫌々解剖した記憶しかない。うちの中学の子どもたちは、一生忘れられないだろう、と私は思う。彼らは、「教材」として予め用意されたものを機械的に解剖したのではない。「 いのち 」を学習したのだ、と思う。ウシガエルを捕獲するための班行動のなかで、自主的班行動のしんどさを始め、様々なことを学び、ウシガエルの生息地を掴むために、自分の町を識り、地域のひとびとに聞いて回り、ウシガエルを飼い、そして解剖した。自分たちの手でカエルのいのちを摘み取ったことを、決して忘れないだろう。そして、この学習を決して、無為にはすまい、と幼いこころに誓ったのではないだろうか。賛否両論あるだろうが、私は、生きた、いのちの総合学習をさせていただいた、と思う。------------------その後、理科の先生が異動となり、ウシガエルの解剖はなくなった。下の少年に訊ねると、 「 ○○先生は、解剖、嫌いなんだって 」うちの中学の解剖学習は、ビデオになった。減りつつあるうちの町のウシガエルにとっては僥倖だろう。しかし、なんだか、途轍もなく、大切なものを失ったような気がしてしまったのは、私だけだろうか。 # この日記を書くきっかけとなった あそびすとさん にトラックバックさせていただきます。
2005.08.04
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mi-ponさんの 『 虫嫌いの、虫捕り 』 にトラックバックさせていただきます。うちの少年たちは都会っ子であったためか?生き物の類が苦手だった。私は、女の子同士でお人形さん遊びをするよりは、男子とボールを蹴って遊んだり、虫取り網と虫かごを下げて飛び回っていた子どもであったし、夫も田舎っ子であったから、子ども時代は常に虫と共に在ったのであるが。だもんで、我が家では、生き物は金魚を飼うのがせいぜいで、少年たちは、カエル、クモ、昆虫類に、鳥肌を立て、涙が出るほど恐れていた。広島時代、冬に私の母がカマキリの卵を見つけ、少年たちにと持って来てくれたので、マンションの玄関にオブジェのようにして置いていた。或る日の夜。。。。少年たちの叫び声。玄関で卵が孵り、大変なことになっていた。(私でさえ、あの小さなカマキリの大群には泣きそうになった!) ちっちゃい赤ちゃんの癖して、立派にカマキリの戦闘体制をして、ゆらゆらと揺れているカマキリの大群に、泣き叫ぶ少年たち。困り果てながら、夫と2人、せっせと捕まえては階下のマンションの公園へと運んだ。孵化して余り時間が経過していなかったと思うのだが、マンションの全部屋から後から後から、カマキリの赤ちゃんが顔を出す。知らない間に踏み潰してしまうのも嫌だったので、徹底的に探しては捕まえ、階下へ運んだ。下の少年は、まだ2歳になっていなかったが、そのときの記憶がしっかり残っている。(トラウマだ~~!)未だに、昆虫のなかでもカマキリを1番嫌う彼らに、少々申し訳なく思っている。私の母が鈴虫などを捕まえては、持って来てくれていたため、外の倉庫には、大きな水槽が3個。虫捕りセットも一式揃っているが、虚しく埃を被るばかりである。 ◆◆◆◆◆我が家の隣と、斜め向かいのお宅では、きのこを栽培されている。菌を植え付け、収穫した後の丸太がぐずぐずのおがくず様になり、積み上げてある場所が、野生のカブト虫の絶好の産卵場所らしく、転居して来た年に、30匹近く巨大芋虫状態の幼虫をいただいた。少年たちだから、さぞ喜ぶだろうと、わざわざ持って来て下さったのに、喜ぶどころか、半泣きの少年たちと困った顔の私を見て、絶句され、 『 これだから都会の子は~ 』みたいに、ため息とともに首を横に振られながら、そのまま持って帰られたのだった。絶好の産卵場所がすぐ近くにあるため、毎年、夏の夜には、ちょくちょくカブトムシがガツーンと網戸に飛んでくる。虫好きの男の子だったら、どんなに天国な環境だろう。2階の自分の部屋にガツーンと来たら未だに「ぎゃ~~っ!」と叫ぶ下の少年だが、1階で私と共に在るときは、「わーぃ☆」と言いながら見に来る。(でも、決して触らない(笑))。飛んでくるのは、殆どがメス。 なんでかな。
2005.08.03
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mi-ponさんにトラックバックされた、 ★のん★きっずさん にトラックバックします(笑)。私は骨の髄まで体育会系だし、学生時代のバイトで、ラジオ局のリクエストテレフォン受付。同じくバイトで、大手老舗デパートにて、地下のテナント焼魚店でバイトをしてた友人のピンチヒッターを2日勤めたら、次々に引き抜かれて、なんと正社員でもなかなか登りつめられないサービスカウンター嬢へ、という伝説となった?超シンデレラ物語(爆)を紡いだほど、言葉遣いには、自信があったりする。けれど、それは、中学校時代の厳しいバレー部のしごきのお蔭であり、躾の厳しかった実家のお蔭であり、日常のなかで培われたものであって、私の年代の女性?は、殆ど同じようなものではなかっただろうか。だから、「 最近の若いもんは… 」に、どうしてもなっていくのだろうが、昨今の言葉遣いの乱れには、やはり頭を抱えることが多い。でも。私の心から敬愛する、大学時代の恩師2人。2人とも(若かったけど)、「先生」扱いをとても嫌がった。どうかすると「タメ口」を要求するのである。それは何故か。A助教授(当時)。「 僕はね、君たちを【 ライバル 】だと思ってるから。 同じ学究の徒として、互いに切磋琢磨し合いたい。 君たちも、一方的に僕から学ぶなんて、そんな楽は許さない 」。B助教授(当時)。「 僕は、お前らなんてまだまだ認めない。 そんなお前らに【 先生 】扱いされて喜ぶ自分でありたくない 」B助教授は、「礼儀」についてもこう語った。「 形じゃないよ。 心なんだ。 ほんとに自分が凄い、と思ったら、そいつに自然に頭が下がるだろ? 考えなくても、自然にそれにぴったりの言葉を自分が選んでるハズだ。 互いに自然体で勝負しよう 」「 歳を取ってるだけで エラいのか? それは 違う。 そのひとがどんな歳を重ねて、どんな想いを重ねて、そこに在るか。 そのひとが何をして来たか。 それに対して、自然に頭の下がる自分で在れるか? 」 私にとって、この2人の生き方、在り方は、とても大きかった。私の心の根幹に、いつもいつも、この2人の「先生」が在る。で。現在、私なりに歳を重ね、私なりに場数を重ねた。痛烈に想うことは、同じ言葉遣いの乱れでも、「 言の葉を識っていて、あえて場に合わせて崩す 」のと「 識らないから、それだけ、でしかない 」のとは、大違いだよな、ということ。私の「先生」たちの持論が通じるのは、めちゃくちゃ本を読んでおり、普段からデイベート三昧で、きちんとTPOを心得て、筋道立てて言の葉を繰れる学生である、ということが大前提にある場合だったのだ、と。この国で、一般のお年寄り、といえば、押しなべてあの戦火を潜り抜け、様々な想いと悲しみ、苦労を重ね、今、ここに生きて在る、ということを識っている者である、ということが大前提にある場合だったのだ、と。本がぱったり売れなくなり、比例して、この国は、語彙が乏しくなり、美しい言の葉は姿を消しつつあり、それとともに趣き深い情緒感も薄れていったように思う。うちの少年たちを見てても想う。「 こいつら、識っとらん 」 と。識らないから、遣えない。識らないから、心も想いも薄っぺらい。自分のこころを表現できない。表現できないから、自分のこころのヒダや深淵に気付くことも少ない。当然、他者のそれをも識ることができない。自然の美しさを表現できない。 感動することも余り、ない。クサい、ダサい。そして「ビミョー」。私は、今でも思っている。本当に凄いひとの前では、凄い事象の前では、ひとは、己れの無力を恥じ、自然とこうべを垂れるものだ、と。しかし、己れの無力さ、を感じない、恥ずることもない、そんな自分の内面へと向かうこころ、内省力を持っていなければ、私の想いなど、笑止千万?だとしたら、まずは、形から、というのは当たっているのかも。何故それが必要か、を踏まえてから、● 正しい言葉の遣い方。● 正しい敬語の遣い方。ひととして、自分自身と他者を大事に生きるために、トレーニングが必要不可欠な時代かも知れない。それは、子どもたちから、ではなく、まず私たちから。不器用な私たちが、美しい言の葉の読み書き理解まで失ったら、いったい、何が残るのだろう。こころ や 魂 を どうやって受け継ぎ、伝えていくのだ。
2005.08.02
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ピンチヒッターとして、夫に三者懇に行って貰った。この高校は、夫の母校であるが、体育館だったのが健武館となっていたのをはじめ、あれこれと様変わりしていて、ちっとも懐かしくなかった由。母校は遠くになりにけり、と一抹の淋しさを感じたようである。午前11時30分。 定刻15分前に教室前廊下に着くと、クラブ中だった下の少年が練習を抜けて、既に待っていたという。前もって、夫から 「 何か聞いて欲しいことはない? 」と言われ、私が答えたのは、「 修学旅行の行き先変更の公式説明を聞きたいのと、 應援団廃止の公式見解を聞きたいのと、 毎日のちまちました服装検査についてどーよ、ということと んで、これらについて先生自身はどう思ってるか、 生徒たちはどのように感じてるように見えるか 」呆れていた夫だったが、修学旅行と應援団廃止については、ちゃんと聞いてきたらしい(笑)。先生は、さぞ呆れられたことだろう。まず、修学旅行の行き先変更について(7月19日のブログに追記補足済み)。【北海道行きが中止になった理由】 ● ここ数年降雪量が少なく、やむなくスキーを中止し、 急遽観光に切り替えることが重なった。 充分な事前学習もしないまま、全てが観光となるのはよろしくない。 ● わざわざ北海道まで行って、スキー? という保護者も多いことも考慮。 他にこれまでの否定的な保護者の意見としては、 スキーなら県内でもできる。 北海道はとにかく旅費が高額。 風邪等、体調を崩されては困る、等々。【東京行きとなった理由】 ● メインは企業研究(大企業本社)及び大学研究(有名難関大学)とし、 各自で詳細レポートを提出する。 全てが学習だと可愛想なので、1日だけ観光としてTDLに遊ぶものとする。 …だそうである。 尚、修学旅行中、仁の「国際文理コース」のみ、 「国際交流」を主眼とし、『JICA』の本部に行き、研修するため、 1泊多い 。 (先日も、「国際文理コース」のみが、東広島の『JICA』を1日かけて見学した)。 独立行政法人 国際協力機構『JICA』次、應援団廃止についての説明がなかった件について。 ● 大変お恥ずかしいことであるが、男子應援団については、 学校側の「ルール」と一部の生徒との意見が噛み合わず、 それなら「今年は中止」という次第となった。 ● 来年度は、事前に学校と生徒との話し合いを設け、 存続させるかどうか決定となる。 ● 中止となった詳細は、余りにお恥ずかしいことなので、これ以上は話せない。 「個別に校長まで」お訊ねいただければ、 校長がきちんと納得いただけるまで説明する。 …だそうである。ふみみ。 ひたすら、ふみみみ。。。。 # 夫に高校に行って貰ったことは良かった!と思う。 夜、担任の先生のこと中心に、下の少年と語り合ってる夫の嬉しそうな顔。 普段、家に居ない分、共通の話題が少な過ぎたんだよね。
2005.08.01
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