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新年早々から体調面の事を書いたが、確かに自分なりに問題が出ている事が分かる。怪我などなら自分で打ち勝つ事が出来るが、この病だけはそれも出来ないのであり、今年はブログに書くのは自分の歩んで来た事を書き留めて置こうと思っている。私は函館生まれで、毎年、母の命日月には行っていた。今回の病に成っても2回行ったが、今年は疑問である?だが、本当は負けたくないので行きたいと思う。だが、難しいであろうと自分なりに思っている。人には多くの波乱万丈があるが、私の場合も波乱万丈であった。私は函館に生まれ、母がカトリックだったので幼児洗礼を受けている。母は3姉妹の真ん中で、函館では裕福な家庭で育った。母方の祖父は先生を遣っていた人で、祖母は旅館を経営していた。ただ、祖父は早くに亡くなり、祖母は再婚していた。そんな事もありながらカトリック系の女学校に3姉妹が入り、それから3姉妹が敬虔なカトリック信者になったのであろう。上の叔母は旦那さんと知的障害者施設を運営していたが子供が居なかった。下の叔母は世田谷で先生を遣っていたが、最後まで独身であり私を養子にと考えていた時もあったが、私は長男なのでそれは出来なかったが、色々な面で私を援助してくれた。母は私の父とは、どの様に知り合ったのか分からないが、母の写真を見ると、看護奉仕を行っていた母の姿が写真に写っていたので、そこで知り合ったのであろう、父とは10歳以上の歳の差があったと思う。私には、函館での思い出は、母と過ごした思い出しかない。私は幼児洗礼を元町カトリック教会で受けたが、その時に口に水を含まれた時に、吐いたのと、母方の親戚で床屋を遣っている所で母と寝ていた時に、雷が鳴って、怖さを感じて母にシガミツき、母が口にした言葉を今でもはっきりと覚えている。母が「雷さんにお臍を取られるよ」と言われ、母にシガミツ付いた記憶であり、後は浜でスルメ干しを遣るのに、昔は足でイカを伸していた場面と、教会で遊んだ場面は、あの頃の私の年齢は1歳~3歳であろうと思うが、鮮明に覚えている。4歳頃には母方の祖母が夕張に引っ越したので、父が事業に失敗したのか、何故か夕張で過ごす事になった。母方の祖母は再婚したが、お酒が好きな刑務官と再婚して旅館などを手放す事に成ったので、それで夕張に来たのかもしれない。その頃の夕張は石炭で潤った町であり、活気があった。私が4歳頃に来たと思うが、その頃は父と母が喫茶店を行っていた。戦後5年くらいで喫茶店であるが、それも夕張であるから珍しかったと思う。母には多くの異父兄妹が多かったのであるが祖母の初孫は私であったので、可愛がられた記憶が多い。今や夕張は財政破綻した都市に成ってしまったが、私が居た頃の夕張は活気があったし、色々な面で日本の経済を支えていたと思う。その夕張が日本で初めての財政破綻都市になったのであるからそれだけ時代の流れに追いつかなかったのであろう。
2020.01.02
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昨年末から体調が悪くなり、ブログも書く事が出来ないほど体調変化に悩まされた。1日中食欲も無く、起き上がる気力も出ないので1日何も食べないで寝ていた日が続いたのであり、自分の気持ちでは負けたくないと思うが、それと身体が反比例している状態が続いている。年明けに病院に行くが、自分なりに覚悟して居るのと後は気力で動くが、それも限度がある事を知っている。今も半分以上は気力であるが、後、数回前記の表情が続くと終わりそうな気がする。そんな事で、自分なりの気持ちを整理する事を考えたブログを今年は書いてみたい。それも休み休みになるが、自分の最後の抵抗を試みる。私の身体が拒んでいる部分が多い。それでは駄目だと思って気力で起きるが倦怠感が強く、これでは病に負けると思って、多少は無理して起きる日々である。この症状が出始め、起きる事も食べる事も出来ないで1日半は寝たきりであり、起きる気持ちに成れない私であったがこれでは自分に負けると思って、起きて水だけでもと思い飲んだ。次の日も無理に食べたが、殆ど味が無いのと量は食べられないだが食べなきゃ駄目だと自分に言い聞かせて、それなりのバランスを考えて自分なりに作った。本当に食欲は無いし、身体の怠さは取れない。他の医師が言ったように半年持つかと言われた事が頭を過る。だが、それも自分次第だと思って気力で乗り切りたいが現状の状態では無理があるし、年末年始に入ってしまい3が日が過ぎないと病院にも行けないであろう。その状態であるし、自分では極端に悪くなっている事を自覚しながら、ブログを書いている。意外と楽天家であるが、現状の身体では気力も湧かないしそれだけで乗り切る事は難しいが挑戦は辞めない。何とか、この状況から抜け出したいが、それまでの行けるか自分でも分からない。腹水なのかリンパ転移で他に転移したのかもしれないがこれも抗がん剤を嫌った結果であろう。
2020.01.01
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