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前日は個人的な事でショックであった。脳のMRIの検査を行ったのであるが、認知症の予備軍の兆候があるとの結果が出た。確かに年齢であるから、物忘れや名前など直ぐに忘れる傾向が出て来ては居たが、それは自分なりには年齢から来るものと思って諦めていたが、あのようにMRIでの結果を見せられるとショックは大きい。自分も、その傾向が出て来ているとの警告であるから私も動揺を隠せなかった。また、地域の高齢者のお手伝いをして病院の付き添いなどに行っていて、その方も認知症なので、実際に見ているので自分もなるのかと思うと、なおさらのことショックであった。これがその様な、お手伝いをしていないで聞くだけであればそれ程自分自身に気にはならないが、実際の認知症の方のお手伝いなどをして姿を見ていたからであろう動揺はあった。確かにお手伝いして居ても、時々は自分の将来を見ている気持ちになる事は幾度もあったが、検査結果で、その様な事になりうる状況の兆候はありますと言われて、その時はさすがに動揺を隠す事は出来なかった。ただ今回の場合の検査は兆候がある場合に、それの対策方法を考えて行く事の一環であり、すなわち実験台であるので私は考え直して、ならないようにはどうする事が良いのか私は挑戦してみようと考えを変えた。これから今の高齢者の方以外に車いすの方の付き添いも頼まれているので、こんな事で挫けてしまっては駄目だと思いまた被災地にも行かなければならないし、皆さんが待っていてくれるので、こんな検査くらいで挫けちゃいけないと思い直している。今回の検査で兆候がある状態と言われたが、これを私が乗り越えれば、他の人も乗り越える事が出来るのである。私が実験台でやって、次の人に伝えられるなら、それもありであろう。そんな単純に考え方を変えて行動する事にした。だから、被災地も高齢者のお手伝いも続け行き、なおかつ別な事にも挑戦しようと思っている。これで私がどの様に変化するか、それも面白いと思うしそれで認知症の傾向が遅れるなら、良い実験台になったと思えるので今年は積極的に行動を起こす事にした。私の性格は悪ければファイトが湧いてきて、向かって行く傾向があり、安定すると次の目標を作って、安定した事は誰かに任せて、逃げ出す生き方をして来たので、いまさら変える事は出来ないから自分なりに行動を起こして行こうと決めました。今回の件で自分を鼓舞する部分が出て来たので、今年は、私は波乱を起こすかも知れません。ママチャリで走った時も、大腸癌の手術後に胃に影があると言われてあのような暴走行為(自分の年齢を顧みず)を行ったのであるから今回もやって遣りましょうと思っています。
2015.01.31
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前々日に平和ボケと書いたら、次の日に政治家の平和ボケの行動があった。本当に日本は平和ボケした政治家が、政治を行っている。政治家は政治とは、何かが分かっているのであろうか?同時に、その方達を選んだ選挙民はと疑問に思う。選んだ人たちも前日の書いた政治家の行動を見て当たり前だと思っていたら、問題であろう。確実に平和ボケして来たのであろう。あのコメントも衆議院の議長を務めた事がある人でありそれなりの役職を務め、政治を行って来たのである。本当に自民党は古い連中が牛耳って居て、新しい息吹を感じない。それを選んだ国民もおかしい。時代は流れているし、その流れを分からないのは政治家も国民も同じような気がして来た。今回の人質事件でSNSに「イスラム国」の真似をして投稿している馬鹿な若者もいるが、今回の政治家も同じ穴のムジナであるように思えてならない。若者がやっている事は注意出来るが、政治家が若者と同じような行為に近い考え方で日本の政治を行っていると思えて憤りを感じてしまった。政治とは誰の為にやるのか?写真に出ていた議員の中には、食事関係の女性議員であるがこの人本当に政治とは何かを分かってやっているのかと思ってしまうのと、自民党は、この人をよく公認したなと思うのであるが、数の論理で政治を動かす為にテレビなどに出ている人を引っ張り出して、数合わせだけして居るのが、今の政府のやり方であろう。これでは何時まで経っても、議員削減は行わないであろうし数合わせで政治を行い民主主義だと言って、国民の民意など考えていないで、言う事を聞く連中を集めて主導権を握って政治を行っているのが政府であろう。こうなると選んだ国民が悪いと思う。政治家は民意で選ばれたのだから、俺たちが政治を行う国民は選んで置いて文句を言うなの行動である。そこには政治家は落選すると只の人であり、当選すると次の選挙の事しか頭にないのが、今の政治家である。同時に選挙民も、おこぼれ頂戴で、次も担ぎ上げておこぼれを貰う為に選挙になると動く。この繰り返しが日本の政治であり、古き体質であるがこれでは民意など反映する政治家は出て来ても選ぶ国民の考え方が古ければ、同じ事の繰り返しである。今や政治は国際的にも国内的にも難しい局面に来ているのに古い体質のままの政治家を選んで居ては、日本は変わらない。国民が目を覚まさなければ、日本は政治途上国に成りかねない。今の政治家は選挙に勝つ事しか考えていないのであるから国民主権の政治などは考え付かないのであろう。それだけ国民も政治家も政治に対して無知であると思う。
2015.01.30
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この人たち何を考えているのかと思う事があった。http://www.jiji.com/jc/zc?k=201501/2015012600647&g=pol国会議員がイスラム国に抗議、それは良い事であるが内容を見たら、「お前ら馬鹿か」と言いたい気持ちである。この人たちが日本の国の政治を行っている事に呆れてものも言えない。着物を着て抗議はないだろう?馬鹿な事を言うなと言いたくなってしまった。「国民衣装である着物を着て、国民が一致結束してテロ組織に対応している姿を示す」等と政治家が言う言葉であろうか?政治家の馬鹿さ加減が分かる。着物は一般庶民では手に入らない、高額なものである。それを着て、私達は日本の政治をやっていますとは国民を馬鹿にした行為である。確かに今回の人質問題は、国民の間でも考えさせられるがそれでも、この連中が言っている事は幼稚過ぎる。国の政治を行う人たちがやる行為ではない。餓鬼と変わらない頭の中身かと疑ってしまう。貴方達は高額な給料で着物を買えるが、庶民は買えません。それも、もしかして経費で落とすのですかと聞きたい。国民の税金で給与を貰っていて、この程度の事しか考えられないのが日本の政治家なのである。これを見て国民は、どの様に思うのか?私達も着物を着てテロ組織に対応しますと言うであろうか?そんな事を言う国民は殆どいないであろう。逆に国民の税金で高い給料を貰って、国民が苦労しているのにその様な格好で政治を行います。国民を舐めている連中である。それが日本の政治家の本質であり、政治家は一般庶民とは考え方が懸け離れ過ぎていて、私からすると馬鹿としか言いようがない。これを見て、この人たちを選んだ選挙民は賛成して同調するのであろうか。そんな人がいたら日本の終りであろう。遣りたい放題の自民党であり、数で何でも出来ると思っているのであろう。この連中が政治をやっている限り、日本はどん底に落ちるであろう。無駄な議員さんは辞めて頂き、無駄な税金を使わない為にも議員削減を行い、日本の借金を減らす方がましであろう。これ程、日本の政治家の程度が低いとは思わなかった。国民も、もう少し考えて選ぶべきであろう。自分達の払っている税金で、好きな事を言っている政治家を選んだのは国民なのであるから、国民にも責任がある。
2015.01.29
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現代の若者に「人間とは」と聞いたら何と答えるであろう?特に日本の若者に聞いてみたい感じがする。「馬鹿な事聞くな」と答えが返って来たら、私はどう思うであろうか考えて見た。日本は平和ボケしたなと思うであろう。経済が潤って安定した生活が出来るようになった事によって国民が安定だけを求めて来たので、その考え方に反映するのであろうと思う。私達の若き頃は、日本は貧困からの抜け出すために働き学び、安定を求めたが、それが達成されると人の考え方の変化が出て、次に自分達の子供に対しての引き継ぎを行って来た。これは何時の時代もそうであるが、貧しさの中から学ぶ事は多いが、安定からは学ぶ事は少ないように思う。貧しさは人を育てる部分が多いように思うのである。貧しさの中で働く親の背中をみて、労わりの気持ちと感謝の気持ちが育ち、それが人に対しての優しさに繋がる。親の苦労を見ていると、次には楽をさせてあげたいと思う家族愛も生まれ、同時に人への愛も生まれるような気がする。これは私の勝手な想像かもしれないが、そこから生まれた物はその人の成長に繋がるような気がする。確かに、私も子供の頃は母の苦労を見て育ち、祖母の温かみで早く大人なって楽をさせてあげたいと思う気持ちがあった。また、途上国で仕事をしていた時にも思ったが、貧しさの中で家族の為に働く子供たちを見て来たが、そこには家族の絆を強く感じる事が多かった。そこには安定した日本が忘れ去った物を感じる事が出来た。確かに生活の安定のために、お金が必要であるがお金だけでは無い物もある事を教えられたような気がしたし私が忘れていた事を思い出させてくれたような気がしたのである。誰もが安定を求める事は当たり前である。だが安定で忘れ去る事も多い事に、人は気が付かない部分がある。誰も苦労はしたくないし、貧しさなど望まない。だが、それとは別に、人としての心は残してほしいと思う。それが出来ないのが人間なのかもしれない。
2015.01.28
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最近思うのであるが、町を歩いていると若い女の子の顔が皆、同じように見えるのである。皆さんとは言わないが、殆どの子たちが同じような化粧の仕方をしているのであろう。流行もあるのかもしれないが、同じように見えるのは私だけなのかなと思ったりする。流行は分かるが、逆に言えば個性が無いと感じてしまう。私は若い頃から人が騒いだり、良いと言う物には関心を示さない性格で、自分なりの個性を出したいタイプであったから、流行には疎いのであろう。流行に関しては、それはそれで認めるが、個性のない事に関してはもう少し考えるべきであろうと思う。ただ、若い頃は友達との間で流行から外れると疎外感を感じる事は、私もあったので分かるが、そこには自分なりの信念だけは持って貰いたい気持ちはある。個性が無い事は一概には悪いとは思わない。流行で互いに共有感を持つ、また協調性が出て来る事があるのでその面から考えると悪くはないが、多少の個性を出す事も考えてほしい部分はある。こんな事を書いている私は、逆に個性が強いのかもしれないし協調性が無いのかもしれないが、確かに若い頃の方が協調性が無かったように思う。それは私の生活環境から来たものであろうと思う。若い頃は人に負けたくないと思う気持ちが協調性を欠いたのかもしれない。確かに一般の人達よりハンデはあったと思うが、逆にそれが自分を表現する事が出来て、這い上がる気持ちを作り上げたのだと思っている。流行に関しては、世の流れで皆さんの好みであるから仕方が無いが、だが個性は持ってほしい気持ちがある。個性を生かす事によって、自分が変われる部分が大きい。若い人は流行によって協調性を感じるが、別な部分では協調性に欠ける事が多い。これは若さから来るものであろうが、若いから個性を生かし色んな面に挑戦できる事も分かってほしい部分がある。表面的な事だけで自分の気持ちを隠すことなく挑戦的に行動をして、これからの日本を考えてほしいと思う。
2015.01.27
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今回の事件でもそうであるが、今回は日本人が犠牲になっているので、問題を大きく取り上げるマスコミであるが海外の人達が同じような状況下では、取り上げる事はあっても少ない時間を割くだけである。これは私達、日本国民もそうであるが、身近に感じない事は関心を寄せない傾向が強い。何回も書くが「我関せず」の日本人特有の考え方がある。これは政治に対しても国際状況に関しても、日本国民は意外と冷たい感情があるように思う。海外で生活して見ると、分かるのであるが、日本人の絆や優しさは自国民に対してはあるが、他国民に対しては表面的な部分では出すが、心が籠っていない感じがする。これは島国根性が残っているのであろう。同時に教育に関しても、問題があるのかもしれない。歴史を教えるが、日本史が主体であり世界史などは通り抜け程度に教えるのが学校であった。確かに日本での出来事を教える事も重要であるがそれだけが主体になると、民主主義の成り立ちなどは教えていない。その為に日本人の民主主義の考え方は、封建制度の流れで戦争に敗れて民主化になったと言う考え方になるのかもしれない。私が良く使う封建的民主主義の生い立ちは、学校教育にも問題がある。民主主義の教育を受けているが、憲法での国民主権や平和に対しての戦争放棄などは、子供たちに理解させるまで教えていない。だが世界は変わって行き、日本も国際的に色んな舞台で動く事になって来た現代に、他国で起きた事に対して他人事のような考え方をしていては、日本の外交に問題が出て来る。今回の事件も一国の首相が近隣諸国との問題点をさて置き中東や東南アジア等を歴訪する回数が多い。私からするとパホーマンスにしか見えない。面倒な事は先延ばし、遣りやすそうな所で動いていると国民は動いていると認めてくれるから、遣り易い方に行く。これを認めている国民もマスコミもおかしい。問題がある近隣諸国との問題点を片付けて行くのが本当ではないか。仮に自分なら近所と問題があれば、そちらを優先して解決してそれから遠方に行く。元来、私は面倒な事を先にやるタイプなのであるから先に面倒な事をやってしまえば、後は楽に仕事などは進むし余裕が出来るものと考える。だが、現状の日本の首相は楽を選んだが、国際的な方向性を見間違えて行動したように思う。基本な部分で日本を信頼している中東を選び訪問回数も多い。それが分かっていながら訪問を繰り返したのであろう。だが中東諸国は政治的に複雑である事を考えた行動でなかったと思う。行って古い自民党時代と同じやり方で、援助をすれば相手が喜ぶと思ってやったのであろうが、今の中東は古い自民党時代との状況が変わり、内戦や紛争が絶えない。それを理解していないで、行動を起こした政府、官僚は世界情勢に疎いのではないかと思ってしまう。日本は今や国際的も経済的にも、古き自民党時代の考え方から抜け出さないと世界から爪弾きにされ兼ねない事を政治家も官僚も分かるべきであるが、絶対多数で政治を行っているから古き時代のままの考え方から抜け出せないのであろう。これは国民も責任があるし、国民も考えて行かなければならないのであるが、世界は動いている、誰がやっても同じではない。時代を見据えた人に託さなければ、国際化している状況の中で日本は世界から懸け離れてしまう事も考えて行く事が必要である。
2015.01.26
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今回の人質事件を報道するが、この件に関しては日本人から必ず出る「自己責任」と言う言葉であるが確かに自己責任はあると思う。だが鈴木さんの場合は、ジャーナリストという立場であったら危険な場所でも行くであろう。それによって世界で、どの様な事が起きているかが分かり戦争の悲惨や子供たちの事も分かる事も忘れてほしくない。彼自身も危険な部分は多くの場所で経験しているのでそれなりの勘が働くのと、危険な部分を察知する事が出来たと思うが、それ以上に問題が大きかったのであろう。日本での報道は鈴木さんが主であるが、もう一人の方は自己責任を問われてもしょうが無いような気はする。仕事的な要素があるからで、仕事は自己責任が伴うものであるから。私も海外(途上国)で生活した事があるが、最初に問題が起きるのは言葉からであった。言葉が分からない部分が相手にとっては騙し易いし脅し易い事は確かである。前日も書いたが、言葉は経験しながら色んな状況で覚えて行く事が多い、私も最初の頃は騙され続けてその国に対して不信感ばかりが先に立った。特にドミニカ共和国では、私は2度ピストルを突き付けられた経験があり、危険な事は日本では考えられない状況である。私の場合は、若い頃悪だった部分があるので、意外と危険な事には勘が働いて、危険の度合いが分かっていると自負していたが、今考えると、たまたま運が良かっただけであると思う。どちらも危険が無く通り過ぎたのであり、被害はなかった。確かに私自身も危険の度合いが一般の人よりは分かると思うのであるが、逆にそれが一歩間違えば大きな事になる可能性がある事になる。だが、一般的に日本人は危機管理に関しては世界的に見て薄い事は否めない。日本人が良く言うが「日本ほど治安が確保されている国はない」と言う観念が、既に危機管理が無い事に繋がっている。確かに日本は色んな面で安全性は高いが、海外は違う事を忘れて日本人は行動する傾向がある。私も仕事で4年間ドミニカに居たが、当初は日本人感覚が抜けきらないでいた。それは旅行感覚で行動するからである、その国の風習や習慣が分からないのと治安も聞くだけで経験的なものが無いから、日本的に行動するのである。住みなれて来ると治安の悪さや、何処が危険区域かが分かるがそれも友人(信頼出来る)を作って教えられるのである。安易な関係の友人は何時、豹変するか分からないので私は信頼して居なかったが、金が絡む関係の友人は要注意である事は考えなければならないが、意外と日本人は安易に友人と思ってしまう傾向が強い。それも治安が世界的には良い日本の考え方から来るのであろう、ドミニカでもアルゼンチンでも、事件に合った日本人を見て来たが、それなりの隙がある方が多かったような気がする。安易さが隙を作るのであろうと思うが、警戒していても事件は起きるし、その時の自分の態度で変える事も出来るがそれは戦闘地域でないから言える部分があると思う。今回の場合は戦闘地域であり、戦っていると人の気持ちは変化している事は間違いない。通常の心理状態にはなれないのだと感じる事件である。無事の戻って来てほしい。
2015.01.25
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私は良く自分を振り変えって見て、自分の欠点はと考える。特に自分に何かの問題が起きた場合は、自分の最初に行動から見返して見る事にするようにしている。問題は原因があるのは当たり前、自分に起きた問題は特に自分が悪くないと思う事もあるが、それは違っていると考えるのである。周りも悪くないと言う事でも、その問題に自分が関わった以上は何らかの自分の欠点や何かが絡んで居ると思う。たとえば、私がドミニカ共和国で交通事故を起こした時であるが私が公道を走っていて、ガソリンスタンドから出て来た車に追突されて、警察に行き事故証明を発行して貰ったら私が相手の車にぶつかった事になっているのである。ぶつけた相手はサントドミンゴ大学の教授であり私が赴任して1年位なのでスペイン語もあまり分からかったので警察と相手を信用していた。私の赴任先に、その事故証明を持って行って見て貰ったら「お前がぶつけたのか?」と言われ、どう考えても私が公道を直進していて、相手がガソリンスタンドから出て来て追突したのであるから相手が悪いのである。派遣先に誰しもが、お前は悪くない「バックして走ったなら別だが後ろをぶつけられているのだから、それはないであろう」と言っていた。確かに、この場合は私に過失が無いので、私は腹が立った。ましてや国立大学の教授ともあろう人が、嘘の証言をした事に問題があると思ったが、そこには自分の、いたら無さもある事は確かなのである。それはスペイン語自体が理解できていない、生活関連の言葉の範囲は話す事は出来ていても、その様な状況とあまり関わらない言葉を勉強していない自分も問題があると思うが私である。これは、あくまでも相手に問題がある例であるが自分に問題が大きい場合も、自分の問題点は何処にあるかを考える傾向が強い。私の性格的な物なのか、問題が起きたら根本部分を解明してそれで修正しなければ、また同じことを繰り返す事になると思うので根本原因を解明したいと思うのである。その根本原因も自分に関する事を主体に考える。何故問題が起きたのか、そこには自分の、いたら無さは何処なのかそれから相手の問題点を考えるようにしている。この様に書くと、自分はさも偉そうであるが、私も人間であるから熱くなって、問題が起きた直後は怒り心頭になるが、時間が過ぎると冷静になるので自分の、いたら無さを考え直し、次には同じ事を繰り返さないようにしているが、性格的に治らない部分が多いのも確かである。それは学びが足りない事と、諦めがあるからなのかもしれない。
2015.01.24
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ブログを毎日書いているが、これだけ書いても記入率が30%に満たないのですから、如何に空白時間があったかです。確かに自分のHPを初期の頃か書いていたので書く題材が浮かんでこないし、一時は書く内容によってブログを変えていたので無理があったのでしょう。また海外に行っていたりしていたので、書く事を休止していたので少なくなって来たと思います。最近は日記的要素で書いているので、毎日書きますが考える事が無くなる時と、体調などの悪い時は頭が回らないので題材が思い浮かびませんが書かなければならないと言う義務感があり、毎日書きます。どうも性格的にクソが付くほど、変な所に真面目なので私と付き合う人は面倒な奴だと思うでしょうね?この性格は、この歳では治らないでしょうし自分自身でも治そうと思っていない、嫌、その前に自分自身で諦めているのかもしれませんがでも、まだ学びたい気持ちは強いです。この様な性格なので、女性との付き合いは下手基本的には女性心理が分かっていないのが私です。学ぶ事が好きなのですが、女性に関しては全然学んで居ない事に最近気が付きましたが、いまさら学んでも遅いと思ってその気になりません。前回も合コンでカップルになったのですが、私の性格は相手が分かってからでないと動かないので、幾度か付き合って決めるタイプなので、食事に誘ったのですがカレーが好きな私は、カレーに誘ったら「ドン引き」されました。考えて見れば、相手からすると年齢も行っているので「飲みに行こうか?」と誘うのが普通なのですが、酒も弱い私は考え付かなかったので、食事に誘ったのです。それを被災地の男性に言うと、その誘いは大人じゃないと言われてしまいました。確かに大人の誘い方では無いですよね、ましてやカレーではと反省している自分が居ます。この様に女性心理が分からないですが、近所の高齢者や毎月病院に付き添いで行っている高齢者の方とは話をしたり料理を貰ったり、上げたりして交流があり、それなりの信頼関係はうまく行っているのに、何故か女性に関してはドン臭い自分であり、あっさり引き下がるのです。高齢者も殆ど女性ですが、女性として見ないで人として見ているので、気持ちのやり取りで話が出来るから自分も安心なのでしょう。若い頃から私は、女性に小まめな男性が羨ましかったのですが何故に、あれほど小まめに出来るか教えてほしいと思った事はありましたが、教えて貰っても出来ない自分が居て今にいたってしまったのです。
2015.01.23
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地方の活性化を書いたが、若者に仕事をが基本であろうと思う。まず、若者が働く場所を確保して、地方に定着する事を考えなければならない。現在はNET社会なので、NET上では地方も都会も同じような方法で情報が取得する事が出来る。その面を考えるとNETを使って行くのは、地方も都会と同様に同じ現象が起きる事が考えられる。ましてや国民総背番号制等と言って、情報化を勧める政府や官僚は特に推し進めていくであろう。そうなれば地方は人材の確保が難しいので、大手や都会のシステム関係に発注や管理を委託するであろう。だが委託された側は、稼働初期段階までは常駐するがそれ以後はオンライン処理を行って問題解決を行う。だがシステムは人間が使い、それによって色々なケースの問題点が起きるものである。問題点の状況によっては早急に、解決しなければならない事もある。それに対してオンライでの処理は、解決は、問題の起きた状況によって対応速度が変わる事が殆どである。同時に今やセキュリテーの問題や、情報漏えいなど多彩な問題が起きているし、それに対応するだけで多くの時間を要する事になる。だが、地方に、それなりの拠点や処理が出来る所があれば来て貰って処理が出来、なおかつ直に教えて貰える。その面で問題解決が早くなり、対応にも敏速さが出る。その様な企業を設立して若者を定着させる方法もある。同時に総背番号制になると小さな市町村は業務的に人材が居ないので手惑う事が考えられる。一般家庭や農業系にコンピュータ化が進み、多く使う事になり、それにより問題点を抱える事が多くなる、家庭でのセッテング等の需要も出て来るし、使っているNET環境によって問題点も違って来るので、それなりの需要があると思う。オンラインやコンピュータ化等で全国展開を行う現在は、問題点が起きる率は色んな面であるし、その処理が出来ない状況もあるので対応状況に応じた人材を育てて、それを企業化する事も考えて行ける。これからは行政のNET化は進むだけであるが、そこには専門的人材が少ない。それを考えると行政や企業・家庭などの問題点やNET状況の解決が必要な事は間違いない。これはあくまでも一つの例であるが、地元で企業化していかなければ少子化により地方はもっと過疎化が進むであろう。その歯止めに対しては若者が地方に残る事を考えて行かなければならない。それには若者の働く場所を作り、それによって地方を支える方法しかないのなら、何かを利用して企画を考えて行かなければならない。同時に今は情報化でNET時代になった利点を利用する方法も一つの方法であろう。逆手で考えるとNET社会で情報が入り易くなるのであるから情報に関しては地方でも首都圏と同じ事が出来る。その様に考えて地方に若者の定着出来る企画を考えるべきであろう。
2015.01.22
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SNSで政府のやり方など、批判が出て来た事は良い事だと思う。今の政府のやり方は独裁的な数で、ごり押しをしている。民意など考えていないやり方である。確かに多くの問題点が出て来て、変えて行かなければならない時代になった。今の政治家のやり方は、古き流れを引きずったやり方であり、必ず時代とのギャップが出て来る事は当たり前であるが、それを慣習として残すのでは、新たな事は生まれないであろう。政治は必ず不満は出る事は当たり前、国民それぞれの生活環境が違うのだからそれを全部仕切る事は出来ない事は誰でも分かるし政治家も一つ一つ聞いては居られないであろう。だがSNS等での批判は、表面的な事を言う事が多いような気がする。その根本にある原因を変えなければ、変化は起きないし変わる事は出来ない、人間の悲しさか表面的な部分を言う事が多いのである。まず変える為には、国民の考え方を変えて行かなければならないが起きた事実だけを取り上げる傾向が強い。これは間違ってはいないが、それをその様にさせないためには根本的な部分を見極めて、そこから変えなければただの文句にしかならない。文句を言うのは良いが、それを集団化させ、その問題を起こす人を、選んだ人たちの考え方を変えていく方法も言わなければ、説得力が無い。事が起きるには原因があるのは、誰でも分かる。それを修正する為に、起きた根本を考えてそれを変える努力をしなければ、ただの戯言になってしまう。私も戯言を書くが、政治家の問題は最終的に選んだ国民の考え方を変えない限り、この状況は続くであろう。それを表面的な問題だけを取り上げて言う事には賛成出来ない部分がある。ただし間違っては居ない。反省させるためには言う事も大切であるし、それが無ければ、変わる事が出来ないが、変える為には、どの様にしなければならないかは、根本も考えて行かなければならないのが基本であると思うのである。その基本を忘れているように感じる事が多い。その根本原因を踏まえて、意見を言う事が必要でありそうしなければ、日本は変わる事は出来ない。
2015.01.21
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自分達の襟も正せない連中が、日本の政治家である。三権分立と学校で習ったが、三権分立は言葉の遊びでしかないのが日本であろう。現在の国会での議員は均等でないと裁判で判決が出てもそれをやらないし、それも議題に上がらないのが日本である。それを許している国民も大いに問題がある。基本的に日本の国民の考え方はいい加減と言っても良い。このままの状況を続けるようでは、日本の将来的な問題は解決出来ないで、後世に残る事になりかねない。現政府は日本国内の事も処理出来ないで、海外に援助等と言っているがそれも大企業が動いたからであろうし、政治家自身の懐に金が入るからであろう。現在の政治家は庶民の事など考えている連中は居ない。政治家の奥さんは大企業や政治家同士から嫁いで来た人が多くて一般庶民からなど来ないであろう。そうなれば庶民の立場など分からないで、大企業や政治家の立場でしか考えない。そんな連中が、民意など反映した政治が行えるはずがない。政治とは自分達の事を守るためにあり、庶民の言う事を聞いていたら、自分の首を絞める事になるので、当選する事が主であると考えての行動や、それに群がる利潤を考えている連中を中心に考えた政治を行うだけである。確かに国際化した状況で海外との事も大事であるがその前に自分達の国を考えた政治を行ってほしいものである。同時に法律に則った政治を行い、民意を優先して考え国内問題を解決してから、海外に援助すべきだと思うがその面を考えない政治家が多過ぎるし、それを選んだ国民もおかしい。私の知っている海外の大統領は庶民の事を考え世界で一番安給料の大統領と言われ、車もワーゲンの中古に乗っていて、庶民感覚の政治を行っている。その大統領を見習ってほしいのが、日本の政治家たちである。日本の首相は高級車に乗り、送り迎えされて高級料亭で食事やゴルフ、それに取り巻く政治家も同様な事を行って国民の税金を使っている。それを許している国民、内閣支持率も50%に近いと言う事は国民自体も政治に対して無能なのであろう。これからの日本の将来を託せる政治家なのか疑問に思わないのが国民の考え方であり、自分達の孫の時代には、日本はどの様に成っているか?
2015.01.20
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沖縄問題もそうであるが、原発の廃棄物に関してもお金が絡んでいるのが、日本である。特に沖縄問題は基地反対派が知事になった途端に減額処置を行って、民意を蔑ろにしている。これが現在の政府であり、政治家・官僚の手口である。上記の人達は、政治は誰の為に行うものなのかが分かっているのか?俺達の言う事を聞かなければ、お前らにはお金はやらない。黒であるが白と言え、そうしなければ、お前らが苦労するだけだ。この様な事をはっきりと示したのが、今回の政府と官僚のやり方であろう。そこには民意などはない、政治家は当選したら天下を取ったも同じで、俺たちが日本を動かす、お前らは、俺たちに日本の政治を任せたのだから「あーでもない、こーでもない」と言うなと言っている。同時に原発の廃棄物問題であるが、これも政府と官僚からお金で圧力がかかり、認める事にした事は誰でも分かる。そこには民意など無い。政治とは誰のために行うものなのかを国民も分かっていないから、この様な状況になるのである。はっきり言って国民は無責任、今さえ良ければいいやの精神で生きているだけで、政治の事など考えて投票していない。日本の国民の選挙に関する考え方は、人気投票程度にしか思っていないから、この様な結果になるのであろう。これからは貧困格差が広がり、国民から不満も出て来るが今の政府と官僚のやり方だと、お金で圧力を掛けて不満を潰すだけで、基本的な部分を見直さないでその場限りの対応だけでやって行くであろう。そうなれば後世にツケが周り、次の対応は難しくなる。それを許したのは国民であり、国民の政治に対する無能な事が原因である事を分かっていないのが日本人である。今や独裁的に政治を行える政府は、お金で解決しようとする。国民は貧困の格差が広がっても、貧しい人には政府は見向きもしないであろうし、お金を生み出す大企業優先の政治を行い、そこから政治資金を貰い、民意などは考えない政治の始まりであると思う。そのうち、昔言われた「貧乏人は麦を食え」の時代も遠くはないような気がして来た。肥えるのは政治家と大企業であり、封建時代の階級制度に近づきつつあるのが日本であろう。国民の政治に対する自覚が出て来ないと、日本は変わらない。
2015.01.19
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私がボランティア的行動を行ったのは、30代後半であった。前にも書いたが、私財で車いすの人達にPCを教えたのが始まりである。それは1年しか続かなかったのである。私財が底を突いたからであるが、自分が食べる為には働かなきゃならなくなった事もあったが、生まれ故郷の函館では仕事が無く、ある程度は働いて続けたが、それは無理があって自分の食べる為に札幌に出た。その頃は私に対しては「売名行為」等と言われたが私が何かの為に自分の名前を売りたかったのなら分かるが、その様な気持ちも無いのに、その様に言われ傷ついた事があった。確かに30年以上前であると、日本では、その様な行為をする人は少なかったし、経済も潤っていたのでその様に感じる人も居たのであろう。日本でのボランティア元年と言われる、神戸の大震災から20年であるが、その頃から日本人の考え方も、変わって来たのであろう。それまでは多くの大災害が日本で起きてはいたが他人事のような考え方が日本人の中にあったのかもしれない。確かに自分なりに経験したり、その近辺で見たり聞いたりして分かる人は居たが、そこから遠く離れている人は実感が湧かないので、その苦しさが分からなかったと思う。だが、神戸の場合は大都会での震災だった為に、多くの人が見て分かり、マスコミも取り上げたので、実感してボランティアが駆け付けた。それでボランティア元年と言われるのかは分からないが日本の教育では、あまりボランティア教育が成されていなかった。それが大災害を目のあたりにして、ボランティア教育も行われそれによって東日本などの災害にも、多くのボランティアが駆け付けた部分があるが、だが、それは短期的にはボランティアと思う人が多いので、長期的にボランティアを行っている人たちに対しては意外と冷たい言葉も飛び交うのが日本である。災害を経験した人達は、その場が片付けば終りでは無い。その人たちは心に深い傷を持っているのであり、その傷を少しでも癒してやるためには、長い期間がかかるが日本人は災害の周りが片付いたら、終わった感覚が抜け切れていない。その為に、冷たい言葉が出るように思う。日本人は基本的にボランティア精神が欠けている部分がある。それは表面上だけの教育でボランティアを教えているからである。政府も政治家、官僚も終結宣言的な言い方をするが本来の復興は人の心が少しでも癒される状態になって始めて復興の足がかりになった事を分かっていないのであろう。同時に国民も同じである。表面的な部分だけを見ている為に、長期的にボランティアに行っている人達に「まだ、行っているんだ」「過いね、そこまでやるんだ」「そこまでやらなくても好いのじゃない」等と言う人もいる。現実に私も、今だに被災地に行くが、私の住んでいる地域の人に冷たい言葉を言われる事がある。だが、それでも行くのはボランティア的な気持ちでは無く被災地の人との交流と、その人たちの頑張っている姿に対して微力ながら手伝えればと思う気持ちからである。復興は私達が出来る事では無い。地元の人達が頑張らなければ出来ない事であるがそれには被災者じゃない人の力も必要な時がある。微力ながらもお手伝いをしいると、人と人の間に何かの言い知れない物が生まれ出て来る。同時に相手の悲しさや頑張りが見える事によって互いの信頼関係が出来、そこには人としての味わいが出来る。私は、それを大切にしたいから行くのであり、人として学ばせて貰っている気持ちが大切だから行き続けるだろう。ボランティアとは、与える事では無い。求めるものでもない、人と人の交わりをつくるものだと私は思っているし、そこから学ぶものだと思っている。
2015.01.18
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ついに、また1歳増えた。自分では若いつもりで動こうとしているが、身体は嘘を言わないで、色んな方面からガタが来ている。これは、どうする事も出来ない事実である。ろくでない人生を歩んで来て、69になったので本当の「ろくでなし」になったのである。こんな馬鹿な事を言っているが、自分ではこれから何かに挑戦して行こうとは思っているが反比例して身体が就いてこない。頭では色々考えるが、行動が伴っていない自分を感じている。自分は行動力で持っていたのであるが、最近は動く事がおっくうになって来ている。行動力が減少すると自分の若さが保てないと思いなるべく動くようにしているが、前ほどの機敏さなく義務感だけで動いているように思える。人間として人間らしくを、もっとうにして来た私が年齢を感じてしまうのは自分なりに歯がゆい。だが、これでは駄目だと思い、「ろくでなし」になったのだからさらに「69でなし」になろうと努力しようと思う。だから、今年は新たに挑戦しようと思う事がある。自分の若さを保ちためにも(無理がある文面)行動力と決めて、動く事を考えて行こうと思っている。人間が避けては通れないのが、年齢を嵩む事ででありそれを感じだすのは50代後半から、自分の歩んで来た道を振り返るように成る。自分の道を振り返り出すと、色んな面が見えだして反省点が多くある事に気がつき、それを修正し出したのが私であるが、別な面で人に対する接し方も変わって来た。その反面、思った事を行動に移す事は、若い頃から変わらず頑固な面も見てとれるが、若い頃から見ると丸身が帯びたのであろう。その様になったので、これからは人間として人間らしくまた、同時に挑戦する気持ちは忘れず、さらなる挑戦を行おう。
2015.01.17
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最近の新聞で「軟弱化した男」と書かれていた。確かに私も最近の男性は軟弱になったと思う。特に若い男性は軟弱になった。私達の若い頃から見ると、オカマになったような男を見ているようだ。その逆に女性が強くなって来た気がする。元来女性は結婚して子供を産むと強くなるが今は若い女性でも強く感じるし、自己主張もする。戦後生まれの私達男性は、男が働き家族を食べさせるそれが男の役目であると教育されて来た。それによって日本の経済発展を支えて来たのであるが今は経済的な安定を求める為には、女性も結婚してから働くように成り、それが女性を強くした部分もあるが男が働き家庭を、かえりみなかった部分も原因にあると思う。元々女性は会話に関しては、男性より優れているし口が立つ人間であるから、男性は女性には口では負ける。だから男性は労働力で、その分を補っていたが女性が働くように成ってからは、どちらでも負けてしまっている。特に今の男性は女性化して来ているように思う。女性に媚を売る男性が多くなった。それを逆手にとっている、強かな女性も多くなった。元来女性は強いのであるが、それは子供を産み育てる為の意識的な物が男性と違っているからであろうし、子供を育てる義務感が、男性にない物を持っている。どうアガイテも地球上で人間が存在する為には女性が居なければならない。それを守るのが男性の役目であったが、何処かでそれが変化して、現代社会の男性を作り上げてしまった。今や獲物を確保する鋭い眼は女性が持っていてそれで食べ物を与えられて、媚を売る男性が居るのであろう。男としてのプライドを持つ男性が少なくなったのは確かである。これは経済発展と供に女性が進出してから変化した。また、男性が優しさを履き違えているのと、自分自身に自信を持てないように成り、甘えが出て来てそれを女性に求めている傾向がある。甘えは男性の餓鬼化によって、女性優位に立たせてしまった。今は家庭では女性上位が殆どであり、同時に三行半を突き付けるのは、女性の時代になった。そのうち男性が、今までの女性の役目を行い、逆転現象が起きるのではないかと思えるくらい男性の弱体化は進んでいるような気がする。草食男と言われるようでは、その時代は近いであろう。最近は強かな女性に、私も圧倒されている。
2015.01.16
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今まで地方の事を書いて来たが、被災地に行って最初の頃は災害の後始末等を行っていたが、それが落ち着いた頃から、被災地の復興を考えた事がある。被災地は復興して行く為には、若者を育てて行かなければならないと思い、若者が地元に残って、その力で復興させなければならないと思たので高校生を対象にEラーニングシステムを構築して都会と同じような教育を受けられ、なおかつNETを利用した企画を若者たちに考えて貰い、復興の力にしたいと思ったのである。それはアルゼンチンでEラーニングの構築をおこなって来たので構築は可能であると思い、高校にコンピュータ科があったので設備的には可能である所までは良かったのであるが、その後が問題であった。システムの構築は、設備と内部体制によって、システムの運用が出来る。設備が揃っていても、内部体制が整っていなければ最高のシステムを構築しても、ただのゴミ屑になりかねない。最終的には人がシステムを動かすので、システムは高度でもそれは人材が揃い、体制が整っていなければ動かない。それはシステム的な事なので、内部体制等は教える事が出来れば問題はない。同時に被災の経験がある若者が地元に残り、復興をさせるのが一番良いと思った。部外者が来ても復興の、お手伝いは出来るが本当の復興は出来ない。同時にNETの発達でシステム等の構築や教育は都会と同じように出来るのが現代である。アルゼンチンでも国内全域で教育の為のEラーニングシステムを構築して、首都と同じような教育が出来るようにした。その事を生かそうと思って、私の行っている被災地の高校にコンピュータ科があったので、企画を考えて町長に言ったのであるが、高校が県立の為、町が関与できないとの事で諦めた部分があった。県立となれば、県を相手に交渉しなければならないので私みたいな行政嫌いの人間は、行政の業務の遅さを分かっているので、何年かかるか分からないし、行政は臨機応変に行動を起こす所ではないので、企画案だけで終わってしまった。だが、地方が若者を育てて、地元に定着させる為にもNET社会を利用すべきであると思うし、それなりの人材育成システムを作り、地方の活性化を行う努力をすべきであるが、県単位、市単位、町単位などと言って規制を掛けていては、物事が進まないし、進んでも時代の流れにのみ込まれて、出来た時には使えない事になってしまう。規制は必要であるが、臨機応変に対応して行かなければ復興や地方の活性化は、ただの紙くずになりかねない事を地方も政府も考えるべきであると思う。私は官僚も行政も規制と言う名で、縄張り争いを行い良い企画案を殺してしまっていると思っている。
2015.01.15
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ヘイトスピーチは、何故なのか?人種差別は何処の国でもあるが、今の日本でのヘイトスピーチは戦前の日本の流れに似て来た。それによって戦争が始まり、戦後は差別的行為が激しくなった。戦後に、その様な状況下で教育を受けた私達は少なからずの差別的な気持ちを持つように成った事は間違いない事である。私の場合は母がカトリックだったので、人種差別は人間としてやってはいけないと、教育されたので私は差別的な部分は少ないが、私の子供の頃は差別でイジメられる子供たちが居たし、イジメる子供も居た。私の育った北海道は朝鮮系とアイヌ系の差別が多かった。特に私が子供の頃育った夕張は、戦争で連れて来られた朝鮮の人達が多く働いていたし、またアイヌの人達も多かった。大人たちがヘイトスピーチを行う事によって、子供たちが、それを見て差別意識が生まれる事が恐ろしい。人間社会から差別は無くならないであろうが、大人の行動により、それが子供たちに影響する事は避けたい。元来、日本は差別に対する教育が薄い国だと思う。学校教育で差別に対しての教育を、あまり受けた記憶がない。差別に関しては母からと自分の経験から学んだ事が多い。経験は前にも書いたが、母の死によって自分から施設を望み、そこで差別を経験した。一般の子たちと同じ学校に行っていたから、周りから施設の子と言うレッテルを張られたがそれが逆に負けたくない気持ちになって、自分の為になった事は間違いない。次は死んだ彼女が外国人手帖を持っていて、その子の母は日本人、父が北朝鮮の人だったので周りから付き合う事に反対された事もあり、彼女は脳腫瘍で亡くなったが彼女自身も差別を受けて来た人だったので彼女を守ろうとしたが、若くして亡くなってしまった。今でも彼女を守られなかった事は、自分の気持ちの中で悔んでいる。その様な経験から自分は差別に対しては嫌悪感が強いのである。途上国に行った時も、家族の為に女の子が如何わしい所で働くその子を何とかしたいと思って、援助した事もあるがそれは自己満足にしか過ぎない事は分かっているが、蔑視した気持ちはなかった。それは私の経験から来たものであると思うが今の子供たちにはヘイトスピーチのような行動を見せたくないし人間は平等であり、それぞれの生活の為に、それぞれ働いているそこには人間として生きる努力をしているのだから皆、同じだと言う教育をしてほしいと思うのである。私は今の日本でのヘイトスピーチは、日本人として恥ずかしい行為であると思う。それを規制しない官僚や政治家は何をやっているのか疑問に思うのである。逆に言えば政治家や官僚は、イジメ側であったり、それから逃げていた連中が多いから、分からないのであろう。イジメもヘイトスピーチも、同じような意味を成すと思う。それは経験していないと他人ごとに終り、対策も出来ないしイジメル側に居た人間は、当たり前になってしまう傾向がある。これは学校教育にも問題が多い、今の日本の体質ではイジメも一時的に騒ぐが、時と供に消え去り、教育もなされない。イジメ、イコール、ヘイトスピーチに繋がる事を考えるべきである。
2015.01.14
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新年から硬い話を書いていたので、今回は別な話を書いてみました。私は海外で仕事をしていた事は前に書きました。海外と言っても、中南米なのですがドミニカ共和国とアルゼンチンでスペイン語圏内です。最初はドミニカ共和国ですが、約4年間居ましたドミニカは私にとっては性格的に合う国でしたが当初は嫌いで、早く帰りたいと思いたのです。最初は、いくら損したか分からない位に騙されこんな国には居たくないと思うのと、言葉が理解出来ないので、それがネックになって騙された部分も多かったです。ドミニカは典型的なラテンで、男性が女性を誘う事は当たり前であり、日本ならセクハラのような誘い方をします。結婚している男性が、彼女が4人居るのは普通でありなおかつ、道を歩いている綺麗な女性に声をかけてナンパします。ナンパする事はSEXが当たり前である事、日本みたくお茶を飲んで終りではないのです。私は、最初は仕事で送り向かいされていました。その運転手は道を歩いている若い女性を見ると、車を傍に寄せて必ず声をかけていました。それも朝からですから、日本人の私には考えられない状況です。運転手の給与は家族が生活する位しか貰っていないのに彼が言うには「俺は彼女が6人居る」と豪語していたので私がその彼女たちに毎月お金を上げているのかと問うと「そんな事はしない、彼女達から俺が貰う」等と言うのです。日本では仮に浮気で彼女と付き合ったりしたら、男が面倒を見るのが当たり前の時代に育った私は呆れてしまい、この国はどうなっているのかと思ってしまったのです。また、私が派遣されていた政府機関のNO2と大学とのオンラインを組む為に、私と二人で大学に行った時もそのNO2の彼が、若い女子学生を見て車を寄せて、ナンパして居たのです。彼には奥さんも子供も居るのに、若い可愛い女子学生を見るとナンパする、これだと日本では考えられない光景です。また、別の男性は「俺は彼女が7人居る」と言っていたので私が「良く体が持つな」と言うと、彼の言い草は「女性は生理があるから」と言ってたのには、呆れてしまいました。この様に国が変わると女性に対する考え方も変わるのでしょう。特に中南米は、ナンパは当たり前です。ただ、アルゼンチンは、ナンパしているのは見なかった。南米になるとラテン系でも違って来るようです。中南米は日本で言えば関西で、南米は関東の人に似ているように思いました。私はどちらかと言えばドミニカの方が好きでした。それは男として、素直な気持ちを表現しているし確かに若い美人なら声をかけたい気持ちになるが男であると思うのです。日本人だと、それは出来ないし、ドミニカのようにやったらセクハラで訴えられかねません。ドミニカの女性も、声をかけられる事が美人であるかのように思っていて、声をかけられる事を意識した服装をしています。また、声をかけられるのは20代までであり、それを超える女性には声を掛けないみたいです。日本人では考えられないほど、男性天国かもしれませんが日本で教育を受けたら、あのような事は出来ないし恥ずかしくて、私には出来ませんでしたがでも内心は羨ましい気持ちは持っていましたけど。
2015.01.13
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最近、地方の事を書いているが、地方が如何に良くなるかによって日本は変わると思うからである。ただ、地方の高齢化と過疎化は進むばかりであろう。それは前にも書いたが、仕事が無い事により若者が定着出来ない。同時に一次産業で、何とか経済を担っている部分があり国も地方に関しては分かっていない(行政が)官僚は地方の特徴を分からないし、分かったとしても地方によって特徴が違って来るので、対応が出来ないでいる。また、地方は原発や公共事業によって、国からの援助を充てにして地方の経済を支えている為に、自立の道が出来ない。自立自体が難しいのである。そうなれば国からの援助しかない。その為に、ある国会議員が言った「お金で」等と言われる。確かに私達が住んでいる都会では、考えられない状況であるが地方を見ると経済的に国からの援助でおこなって行くしかない。だが、そこには問題点も多数ある。地方ほど与党の議員が強い、それはお金を落としてくれなければ地方がやって行けないからである。そこには古い繋がりと、古い考え方しかないからであるし前に書いた排他的要素が強い為に、新たな物に挑戦する事が出来ない地盤がある。それでは地方は変わる事が出来ないであろう。改革を行うためには、古い要素を捨てて、新たな物を受け入れなければ、変える事は出来ない。これは誰が考えても分かる。だが、地方は、それを行う事が出来ないでいるのが日本である。何をやれば良いかは、まず地方の排他的要素を変えて行かなければならない。同時に若者を育てて、新たな物に挑戦する気持ちが必要である。極端であるが、日本国内を相手にしても駄目なら海外を相手にして新たな挑戦を行う事も出来る。日本国内では大企業が都会中心で動く。それでは地方にまで回って来ない。そうなれば、海外に目を向けて新たな行動を起こすのも一つの考え方である。地方は一次産業で持っているが、海外から別な部分で経済が成り立つ事を引きいれたり、販売したりも考慮して行く事によって、新たな販路や新たな産物が、出来る可能性があると思う。ただ、そこには地方独特の排他的要素は捨てて若者を海外に行かせて、新たな物を見つけ出す事を考えそれによって地方で出来る事を考えるのも一つの方法論ではないであろうか。
2015.01.12
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私は東京に住んでいるが、地方が好きである。仕事柄、東京に住み続けていたが、本来は地方に住みたい。ただ、地方は仕事が無い、交通の便が悪いなど多くの事で住むことに難点がある。地方活性化を行わなければ、日本の将来像は暗いと幾度も書いたが、被災地などに行く機会が多くなって地方を見ていると、第一次産業での活性化が基本になる事しかないようにも思うが、それでは現状打破は出来ないように思うのである。そうなると、どの様な産業化を進めれば良いのか色々見て歩き、観察するが答えは出て来ない。地方が独自で財政を作る事は、第一次産業か、観光に頼る方法が一番早いと思うが、それでは頭打ちになるだろ。前回行った復興住宅の近辺を歩いたが、田んぼだけであり米しかないであろうと思うが、そこには新たな物を持ち込むためには住人の同意が必要になり、協力が必要であろう。ただ、地方独特の排他的要素が働く事も考えに入れなければ新たな事の挑戦は難しいような気がする。何よりの問題点は前記した事が大きい。地方は新たな事には臆するところがある。これは地方議会を見ても分かるように、長老を尊ぶ傾向が新たな事に歯止めをかけるのであろう。そうなれば若い人たちが育って、新たな原動力にならなければ地方は変わらないであろう。今回の衆議院選挙でも、地方で聞いたら候補者を「ちゃん」とか「さん」を付けて呼ぶ。これは封建制度的名残が地方では、まかり通っているのであろう。その様に呼ぶのは高齢者が多い。今後、地方での新たな展開をおこなって行くにはこの様な状況も変えて行かなければならないが、そこには地方独特の伝統的な要素が含まれるのでそれも考慮して地道に長期間の行動が必要に思った。まず、若者を育てて、新たな考え方を芽生えさせて行き斬新な計画と実行出来る地方改革が必要な気がする。
2015.01.11
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最近思うのであるが、前日書いた事は自分の年齢が行ったなと思うのである。今の若者は等と言っているのは、自分が若い頃に言われたような気がするし、言われていた事である。確かに1月に、また1歳増えるのであるから年寄には間違いないのであるが、年齢と供に苦言が多くなる。それは自分なりが経験して来た事とのギャップであろう。時代は流れている事の証明なのかもしれないが人間としての最低限の優しさや、労わりの気持ちは何時の時代も伝えるべきであり、それが疎かになる事は許せない気持ちである。型に嵌った教育方針では、人と人の繋がりが無くなる。確かに優秀な大学を出て、行政が作り上げた方針であろうがそれは、どの段階に合わせて基準を作るのであろう。基準と言うものは全体を見ては作れない事は誰しもが分かるし、全体を見て作ると膨大な物になってしまう。だが、親は自分の子供の範囲だけであるので教える事が出来る。その部分で、今の日本は何かが欠けているように思うのである。昔から言われるが「親の背中を、子供は見ている」と言うがその背中が何か欠けているように思えるのが私である。私は若い頃から人間とはと考える性格であり、人を観察する傾向が強い方であった。また、人間として貧しさや、人の温かさも感じて来たのでその事に敏感なのかもしれないが、温かみのある人間になりたいと思う事が、今の自分にあるので、あえて苦言を書く。私は幾人かの人に、「何故、お金にもならないのに」とか「なんのメリットも無いのに」等と言われた事が多々ある。私は、ただ人間として人間らしく生きたい、自分の生きて来た、今までに多くの人に助けられ多くの人達から学んだ事を、次の世代に伝えたい為に行動に移しているだけである。また、色んな経験から人からの愛を貰い、優しさを貰い労わりを貰った、その恩返しをしたいだけで何かを求めているわけではない。見返りや何かを求めたら、自分の今まで生きて来た事に反する気持ちが強いから、人が何を言おうが我が道を通して行きたい。こんな馬鹿な人間も居なければ、世の中は安らぎが持てないと言う気持ちはある。同時に日本の良い部分は伝えて行きたいだけであり名誉も欲もないので、好き勝手な事を書いているのである。逆に言えば気楽だから、好き勝手な事を書けるのだろう。
2015.01.10
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最近、人の考え方が分からない時が多い。それは特に都会で感じてしまう。何かが都会での教育に欠けているように思う。人間教育が成されていないのであろう。人を思いやる気持ち、労わる気持ちが無い人を見かける事が多く感じる。私のように地方に行っていると、それが目に付いてしまうのかもしれない。特に若い人たちは、人に対する気配りがない。それは私達が教育して来なかった事にも関連するであろう。同時に教育現場でも教えていない事も原因である。私達は学歴主義を唱え、それに沿った家庭内教育を主に行い、また学校でも成績重視の考え方と教育方針(行政の)で成績だけを考えて行った為に、人間教育が疎かになった結果であろう。だから、高齢者に対しても障害者に対しても電車やバスなどで席を譲る事などしない人達が多い。海外では、それが当たり前のように行われている。誰かが「思いやり」等と言っていたが、日本人の思いやりは、私からすると見せかけが多い。これは私達にも責任があるし、教育現場にも責任はある。確かに都会では犯罪が多いから、人間不信に陥るであろうが犯罪の大元も、人間教育が成されていない為に起きうる事を考えた教育指針を行政も考えるべきである。前にも書いたが、地方では赤の他人でも子供たちはすれ違うと「おはようございます」と挨拶をする子が多い。都会では、それは殆ど無いし、席を譲る事もしないで当たり前のような行動が目につく。はっきり言って都会では自分本位、同時に気遣いが無いこれは女性が通り道で、話し込んで周りを無視した行動にも見られるように、親の行動が自然に子供たちに伝わっているのであろう。また、学歴社会を主に考えた親が、気遣いより自己保身を学ばせているように思うし、それに連動して教育現場が、同じような行動を取る。世界的に日本人は謙虚であると言われるが本質的には薄っぺらい謙虚のように思えてならない。基本的な部分では日本人は謙虚ではない。自己保身が先で、周りに気遣いしているのではなく周りに良く言われたいだけで、表面上を繕っている人種のような気がする。これからは教育に関して、人間としての基礎的な部分を教育して行く必要があると思う。この様にして来たのは、私達や行政の教育方針が何処かで学歴主義一本やりで来た、ツケが来ているのであろう。
2015.01.09
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被災地には足掛け4年になるので、顔なじみになり今回は新年の挨拶で行ったようなものである。元々、地方が好きなので、自分は被災地に行くと癒されて帰って来る。だが、今だに進まない復興によって、仮設で暮らす人たちが多く居る。あれから4年の歳月が過ぎても、この状態に私は憤慨を感じているが、それでも明るく生活している人達に頭が下がる思いである。私は逆に被災者の方達から元気を貰って帰って来る。今や私がボランティアされている状況である。ただ、高齢者の方達が多いので、その面では心配であるがその方達から学ぶ事が沢山あるし、色んな面で学ばせて貰い人間としての強さを教えられた部分は大きいと思っている。それが別な面で、私の住んでいる地域の高齢者の方との接触に役立ち、私自身も人間として教えられ、多少なりにも自分で生かす事が出来ていると思うのである。私が南三陸に行ったのは3年前であったが、仮設に寝袋で寝たが寒くて寝られなかった事を思い出す。そんな状況を乗り越えて来て、4回目の冬を越して来た高齢者の方々が、この寒さの中でも向かえてくれる有難味を感じながら今回も仮設に泊めて貰い、人間としての温かさを感じるから、また来たいと思うのである。また、復興住宅も出来て来て、入居をして仮設から出て行く方が多くなって来たのも事実である。だが、そこには別な問題が出て来る事になる。復興住宅も近隣の市町村にも出来ているが、同時に考えて行かなければならないのは、生活のための経済的な面である(働く場所)それを連動させた考え方は見えないように思えた。今は復興資金等や復興予算などを政府は考えているから市町村に、それで賄えるが、それも続く事では無い事は分かり切っているので、経済的な面を考えて行かなければ成り立たなくなるであろう。今回は復興住宅に移転した方の所も行って来たのであるが働く場所と連動してない為に、問題が起きるであろうと思う。確かに多くの復興住宅は被災地の高台に建てられたが近郊市町村にも分散している。そうなると生活の糧となる仕事も考えての分散なのか疑問に思ってしまう。住んで働いて生活が出来て、始めて復興と言えるのだと思うが政府や行政は、それを考えて行っているのであろうか?
2015.01.08
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人は年齢とともに、その人の性格が顔に出て来ると言われる。確かに顔に出て来るように思う。前にも書いたが、私は顔で話し易い感じがすると言われ初対面でも話しかけられる事が多い。(間が抜けた顔をしているから)得な部分もあるが、自分では単純な人間と思っている。単純さが顔に出ているのであろう。顔もそうであるが、考え方も単純である。最近特に思うのであるが、自分の単純さが相手に分かり、見すかされてしまう事が多く、それによって、うまく立ち回られてしまい、後から自分で考えるとやられたと思って、自分で苦笑している事が多い。元々騙すより、騙される方が良いと思う所があるのでそれで良しとは思うのであるが、またやられたと思うと自分の単純さには、自分なりに馬鹿と思ってしまう。基本的には自分を隠す事は下手である。だから若い頃から顔に出るタイプであり、結婚している時から「貴方の嘘は、すぐ分かる」と妻によく言われていた。それだけ単純な細胞をしているのであろう。単純だから話し方もザックバランな話し方になり相手も受け入れやすいのであろうと思う。ただ、この単純さも善し悪しである。自分をさらけ出すのであるが、相手もさらけ出してくれると思う気持ちがあり、後から考えると違っている部分が多々ある。それは基本的には、自分のいたらなさから、起きているので相手を恨む事はないが、自分なりに落ち込む事はある。落ち込んで反省しているのであるが、また同じ事を繰り返しているのが私である。私は仕事では3回、同じ間違いをしたら馬鹿だと言う。だから仕事に関しては厳しく戒めて間違いを繰り返す事なくやって来たつもりであるが、性格の部分では、同じ事を繰り返している。その面では3回どころではない位、繰り返している。そうなると自分自身で、またやってしまったとその時だけは反省しているのであるが、その反省を忘れて行動にうつしているのである。これは治りそうもない。治そうとも思っていないのが自分である。別な面で得もあると思うからで、損をしても基本的に自分が悪いからであると納得している。だから、このままの生き方をするであろう。単純であるから純粋にものを考えられるのだと思って自分に言い聞かせて生きて来たし、これからもそうして行きたい。今日から被災地に行くので6日、7日ブログは休みます。
2015.01.05
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地方も問題であるが、今の政府では日本が変わる事はないと諦めていては駄目である。だが変える為には声を上げなければならないが、今の日本の国民は声を上げる事を忘れたのかもしれない。日本の経済が潤って、国民は余裕が出来てから政治に無関心になったのかもしれない。確かに政治で金が動き、金の為に大企業が動き国民も経済発展により潤って、政治に対して見て見ぬ振りをして来たが、日本の経済に陰りが出て貧困格差が出て来た。そこで国民は多少なりとも声を上げて、政治家に託したのが民主党政権であったが、結果は散々である。再度、自民党政権に戻り、古い体質の自民党政治を行って、経済の活性化を旗印に掲げて独裁的な政治体制を作りそれに乗せられた国民は、諦めて自民党を選択したように思う。だが、これからの日本は、どの様に変わるであろうか?バブル時代を夢見て政治を行い、バブル時代に育った世襲政治家が、日本の貧困格差を是正できるであろうか?国民との育った生活格差があり過ぎて、今の政治家の考え方では国民との距離感が広がるばかりであろう。政治家は大企業優先で私腹を肥やし、一般庶民には厳しく高齢化した国内は、官僚と政治家の絵図に従うように持って行くそれが、これからの政治であろう。だがSNSの発達により、国民の一部であるが声を上げて来たがこれも問題がある。政治家や官僚が嫌うのは、団体である。私達の若い頃は労働者の立場で国政に人を送り込んで居た。それは労働組合組織であり、団結した組織であったから出来たのであるが、その組織もバブル時から変貌して労働者の意見など反映されない組織になった。その様に時代の流れで変わって行ったが、これからの日本は貧困格差が大きくなると、国民の不満も声となって上がり出す。だが、そこには個々での声では力が無い。前記したように団結して行かなければ、独裁的政権を与えた、政府は聞く耳持たずであろう。政治は誰の為に行うか、今の政治家に分からせるためには団結した圧力が必要であり、それは個々の声を集約して行かなければ犬の遠吠えでしかないのである。まず、声を上げ、その声を集約して、大きな声にして行く事が日本を変える事になると思う。それには若い力と改革する為の後押しが必要になる。国民は権利を主張して、それを政治に反映させる事が出来るのは若い力である事を知ってほしい。そうして行かなければ、今の日本は変わらないし政治家や官僚だけが好き勝手に日本を振りまわすだけであろう。
2015.01.04
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前日の戯言の続きであるが、日本の経済や問題点は地方から出て来る事は分かり切っている。まず、地方が自立の道を見つけ出さなければならないがその地方によって、状況が変わる事は誰でもが分かる。いまさら地方活性化などと政府は言っているが地方から選出された国会議員は何を考えているのか。原発にしても基地問題にしても、お金で解決すると思っている。それが政治家であるし官僚だ、それに地方に住んでいる人達の考え方である。悲しいかな、これは日本発展と供に官僚や政治家が無能さをさらけ出したのではないかと思ってしまう。同時に地方は封建制度の考え方が抜けきらずにいる。地方から選出された国会議員は、旧家の出が多いし世襲制度の名残りで2世、3世が多い事も問題がある。今回の選挙で証拠隠滅の為に、あのような事を行った議員が当選して当たり前、お姫様だから許すのが地方である。これは地方ほど封建制度が、まかり通り、悪と善の判断などが無い。一般的な企業なら首であり、二度と他社も使わないであろう。この様に地方の問題は、そこに住む人たちの意識にある。意識の薄さと封建的な考え方、革新的な人には冷たい視線が地方であろう。今回、地方を活性化と唱っているが、これは公共事業が主に成り、それに群がる利潤を求める連中が担ぎあげた議員から分け前を貰い、また返す構造は変わらない限り今の政治は変わらないであろう。ただ、地方都市の政治家の若返りが進んでいる事に希望が持てる部分がある。今や地方から新たな企画や活性化の声を出して貰い国の行政はガンジガラメのお役所仕事では無く、その地方に合った合理的な方法で処理する事を考え敏速に行動すべきである。国の行政は固定化した規制を作るが、その基準は、何処にでも対応出来るものではない事ぐらい分かるであろう。自分達の頭の中で考えて規制しても、地域に密着していないと地域によって変わる状況は、その地域でしか分からない。今の基準は、その時起きた問題を指して作成されていて、次に問題が起きたら、さらに基準を追加して、動きが遅いようにしているのが官僚のやり方である。基準は無くてはならない事は分かるが、前記したやり方では規制が厳しくなり、対応が遅くなる。対応が遅いと言う事は、問題が拡大する事に繋がる。前に「すぐやる課」等と言うのを作った地方があるがその考え方を取り入れていく事をしてほしい。
2015.01.03
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新年から戯言を言っている。今の日本の国民感情は、封建制度を引きずって来たと書いたがそれは地方に行くほど、その考え方が多いと思う。地方は特に貧困の格差が激しい事によるのと働く場所が無いので、どうしても都会に若者が出てしまう。そうなれば高齢化と過疎化が進む事は分かり切っている。それを、いまさら地方活性化等と言って行政が動いても遅きに至り状態である。この状況は何十年前から分かっているのに、それを考えて行動しなかった官僚や政府に問題がある。地方の切迫した状況は、それぞれの地域で違って来る。それを分かっているのは地方で選ばれた国会議員であろう。その議員が本当に考えて行動を起こしているのか?ただお金を地方に落とす事だけを考えているだけでそこには公共事業の官僚が計画した事を、お手伝いしているだけで自分達の考えや計画性はないに近い。また地方行政も国から、どれだけ公共事業を引っ張り出すかが先決で、地方の活性化に対する考え方が欠けている。その為に日本が経済的に潤っていた時は、公共事業を地方に出し地方財政を維持していたが、今は冷え込んだ日本経済ではそれも難しい事であろう。基本的に政治家も官僚も、その場だけを見ている事とその場を繕って、その場しのぎの行動しか行っていない。先を見越した計画や案件など考えていないのであろう。この状況では日本も後手、後手に回り、最後は国の首を締める事に成りかねない状況であろう。まず、行動が遅いのは行政である事は、国民は分かっている。同時に官僚の計画案を代弁している政治家も、政治や業務が分かっていない連中が大臣になり、指揮を取って居ても指揮官の役目は出来ないであろう。これが日本の政治家であり、料理家が議員さん????数だけを考えた人選で与党は民主主義と言い、地方の復活等と戯言的行動を行っている。それが国政の主導権を握る衆議院で行っている。これを見過ごした国民も責任があるし、国民の政治に対する自覚のなさを暴露したようなものである。国民は民主主義とは、政治とは何かを勉強する必要がある。それには私達が声を上げて行かなければならない。この様な状況を作った責任があるのだから。
2015.01.02
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年が明けたので、1月生まれの私は、また1歳増える。中古から廃車への道へ、走りだしているのであろうと考えながらも、廃車は免れたいと、もがいている自分である。今年は政治に関しては、前年よりもっと書くであろう。ましてや地方統一選挙があり、それによっては、ある程度、国政に影響するであろうから、別な面で関心が持てる。国政に関しては、無駄な議員が多過ぎるし、政治を分かっていない人が与党の数の中に居る。数の論理とは、頭数さえ揃えれば、何でもありの政治である。これを許した国民は、これから独裁的な政治になったらどの様に責任を取るのであろう。また、裁判での定数関連で判決が出ているにも関わらず五減だけで行った国政選挙、同時に50%台の投票率などや「わかりません」発言議員などで税金を使われ、大企業は減税して、政治家に献金して、国民は増税されなおかつ弱者には負担が多く、金持ちには負担を少なくする政府を作ったのは国民である。同時に国民の為にと、国が借金の為に国債を発行して国民から借りて、国際的な信用は下落させて経済がうんぬん等と言っているが、これが最終的に将来を見据えたら、借金地獄に足を踏み入れているだけでありその場しのぎの行動にしか見えない。その前に本当に考えるなら、政治家自身から身を切る行動を行い、将来の日本国を考えるのが政治では無いかと思うが、その様な事は、今の政治家は考えていない。この様な政治が続くと、日本は近い将来、国際的にも信用が無くなり、孤立するであろう。それを考えると、今年の国政は政府の遣りたい放題であり国民の真意を問うて、今があると言って派手な行動が目につく事になるであろう。悲しいかな、それがこれからの日本のような気がする。国政選挙は終り、政治家は大企業には手厚くもてなし国民には厳しく要求するであろう。これで国政を担う政治家なのか、呆れてしまう。今の政治家連中もそうであるが、同時にそれを許した国民も責任がある事は忘れてほしくない。政治とは誰の為に行うのか、政治家は誰の代弁者なのかそれを分かっていない日本国民は問題がある。だが終わってしまってからでは遅いが、だがこれからの事を考えて行くと、国民が声を出さなければ日本は世界的に政治後進国に成るであろうし、国際的信用も無くなり同時に近隣諸国からも相手にされなくなるであろう。日本は後進国に一歩一歩近づいて行っている事が分からないのであろう。それは国民も政治家も同様である。「金の切れ目が縁の切れ目」と言う諺があるが、その道を走りだしたのが日本であり、最後は近隣諸国からも相手にされず、むしろ脅威的態度に出られる事に成りかねない。その時では遅いのである。
2015.01.01
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