全31件 (31件中 1-31件目)
1
老老介護殺人で執行猶予判決が出された。介護が必要な人達が、今後益々増える事は分かっているがそれに対する国の対策は遅れているし、追いつかない状態である。また同時に福祉に関しての予算も削減傾向にある。消費税を上げる事によって、その税金を福祉に使うと言っているが果たして本当に使われるかも分からないのが、政府と官僚の考え方である。復興予算でも、勝手な名目を付けて、どう考えても復興とは懸け離れた所に使われているとしか思えないのに名目は復興の為と、堂々と言う官僚に対し、何の反論もしない政治家であり、政治家自身が、金で墓穴を掘るが最終的には責任を取らない、取ったとしても役職を辞任で誤魔化して、国民の目から逃れるだけである。同時に軽減税率等と言って選挙用の対策を行うが、その対策の財源は先送りして、消費税を上げる時に国民に福祉に使うと納得させたはずが、選挙の為に消費税対策として軽減すると、国民受けする対策を決めた事は明らかである。政治家は選挙対策は、しっかり行うが、国民問題に対しては殆ど選挙の為に政策案を出すが、国民生活の問題点が多い事は先送りを行う。私も高齢で介護の必要な方の、お手伝いを行っているが多くの問題点を垣間見る事が多い。それも規制され、雁字搦めにしている為に手続きも大変である。その手続きも出来ない人も多いであろうし、分からない人も多数居る事は明らかである。弱者を救済する事が政治家であろうと思うが、弱者切り捨てが今の日本の政治の様な気がしてならない。私達の若い頃に言われた、「貧乏人は麦を食え、働かざる者食うべからず」などと言われたが、その現象が出て来ているのが日本であろう。貧困格差は広がり、働く者の権利は奪われて、企業向けに政治を行い、日本は人件費が高いから、安い賃金の海外で生産して、良い働き場所が日本から撤退傾向になっているのに、一億総活躍、何のこっちゃと言いたくなる。一億総活躍の出来る場所も無い状況と、高齢化で介護が必要な人達が、増える状況下で言い出す、自分たちの働く場所は確保して、国民の働く場所や環境の整備も行わないし、それもしないで言葉だけでホザク政治家と官僚の馬鹿さ加減に驚く。その前に自分たちの行動を改めよ、それも出来ないで負担は国民に、責任も国民に取らせる事しか考えていない。本当に改革や民意を反映させる政治家が居ないに等しい国会である。政治家は税金で給与を貰い、なお且つ行動費を貰いそれが税金であり、国の借金になっている事が分かっているのかと言いたい気持ちである。今や高齢化と少子化等の対策を行い、働く場所の環境整備を行う事を金と選挙の事には真剣に行うより先に考えるのが政治家であろう。それも出来ないで、企業からも金、国民の税金で政治資金で最終的には一般社会では賄賂とも取れる事が許されている事一般人なら犯罪で罪を償い、辞職も余儀なくされて責任問題に成る事でも、国会議員は責任も取らないし辞めない。これを許す日本国民にも、大いなる責任があるであろう。国会議員と言えども、日本国民であり国民の代弁者と言う自覚も無く、議員になれば特権階級であると言う思い込みも国民が作り出した産物であろう。今の政治家の考え方では、民意等は反映できないし民意も考えていない、先生と言われて上から目線の連中の集まりであろう。もう少し国民も考えて、選ぶべきであろう。
2016.01.31
コメント(0)
私は意外と対人に関しては苦手なタイプである。その人間が、今では色々な人と接する機会が多い。私はシステム屋で技術の仕事をしていたので技術を追求して行く事を主眼に於いて仕事をしていた。どちらかと言えば職人気質の所が強い。だから、今でも単独行動を好む。また、独自の考え方で行動をするが、他人の行動に対してはあまり干渉をしないし、意見も言わない(個人に対して)人それぞれの遣り方や考え方があるので、経験値も違って来るから、遣り方や考え方は変わるのは当たり前であると思っている。そんな人間であったので、人を育てる事が出来ない性格であり技術的には、それなりの自負があったが、人に対する接し方や教え方が苦手であった。そんな自分を変えて見たいと思ったのは、技術は個人的に伸ばせるがそれを個で終わらせる事に疑問を感じたからである。それで短大や専門学校で、人に教える方法を学ばせて貰った。そこには自分に対しての損得勘定はあるが、相手に対しての損得感情は無かったつもりである。人は損得で動く人が多いし、それで経済が成り立っている事も分かるのであるが、私の場合は自分の損得を考えるだけで他人との間に損得は入れたがらない。私の損得は、あくまでも自分がどれだけ学べるかであるから金銭的な部分は殆ど考えないタイプである。それで多くを学ばせて貰い、今の自分が居るのであると思う。人は金銭的損得で動くのは、生活があるし、お金の魅力もあるから当たり前の事なのであるが、それが極端に出過ぎると、私は避けてしまう。現在、高齢者の方や被災地・障害者の方などの、お手伝いを行っているが、そこには損得勘定はないと言っても好い。私個人的な気持ちの部分で、損得感情はあるがそれは金銭的な事では無く、学ばせて貰っている部分でと自分なりに納得して居る。それも限度が、ある部分を感じる時もある。相手からすると、損得が出て来てしまう事もある。それは人間として当たり前であるので、多少の事はしょうがないと思って対応するが、極端に出ると拒否する。そこで人間関係をこじらせたくないので、説明して納得して貰う。この様な性格なので、心情的には信頼されるがこの様な考え方なので、私の周りに金が来ないのであろう。
2016.01.30
コメント(0)
今AIが見直されて来た。私もAIが騒がれた最初の頃に、AI関連の学会に入り色々な事を学んだ。その頃は自分も若く、システムの仕事をしていたのでこれからの時代はAIが伸びるであろうと思ったのである。同時にAIを取り入れた自分なりのプログラムを開発した事を思い出すが、その頃は8インチフロッピーでメモリーも少ない時代であったので完成したプログラムは、分割となり大変な思いをした事を思い出す。私も若かったので、AIに対しては将来的には必要になると考えていた。人間が入力する事を減らし、なるべくコンピューターが人間が行う事を記憶させて、そのデーターを利用すると人間が間違って入れる事が減ると思ったのである。それは完成したが、記憶させる為にはメモリーや記憶媒体が、まだ小さかったので、多くの問題点はあった。30年以上前の事で、AIも騒がれたが、大型コンピュータでの稼働でなければ難しく私のようにPCを利用して作成する事は無かった。確かにAIは人間にとっては、便利であるしこれから伸びて行くであろうと思う。一人の人間が記憶する量は限られているので色々な事を記憶させて、多くの情報により的確な事を行う事が可能である。だが、それに対しても利用方法を考えるべき時代になったと私は思うのである。今の時代でパソコンが発展して、人間は利用しているが利用する人間が安易な考え方の人が多過ぎる。前にも書いたが、便利な道具として利用すべきが道具では無く、今や当たり前の物として人間が利用してそれに頼り過ぎている。頼る事が一概に悪くは無いが、その頼り方に問題があると思う。幾度も書くが、メールで友達であるとのように人間関係に使用して、それで人間関係が成り立っていると考える事に私は危惧している。人間はあくまでも互いの感情が触れ合って、良き人間関係が生まれるものである。それは互いの思いやりや労わりの気持ちが理解出来るのは人と人の触れ合いから生まれる。確かにAIは色んな人達の経験や情報を一つにまとめそれによって適切な判断をさせる事は出来る。AIは多くの判断材料があるから、適切な判断が可能になる。それが当たり前になり、人間が頼り過ぎる事になりかねないのが現代人である。そこには本来の人間としての知恵や理性が消えてなおかつ、考える能力も低下して行く事になりかねない。人間は便利な物を使うが、同時に便利さに頼り考える事を、その様な機器に依存しているのが、今の状況である事を気が付くべきである。仮にAIが発展したら、多くの人はAI機能の機器に頼り自分たちで考える事をしなくなるであろう。その傾向は既に出て来ている。若い人の発想能力や想定能力等は低下しているように私は思うのである。その面を改善するには、教育現場と家庭での教育しかないがその教育すべき人達が、既に依存傾向とIT時代に教育された人達である事にも問題があろう。
2016.01.29
コメント(0)
人は育った環境で考え方も行動も変わるものだと思う。私が生まれ育ったのは、北海道であるが、北海道と言っても広いし、各地で土地柄も違って来る。私は函館生まれであるが、小学生まで夕張で育ち中学生から札幌と岩内で育った。私の生まれた函館は2~3歳までであったが、その頃の事も記憶にあり、特に函館カトリック教会は思い出が深い。私は幼児洗礼を受けて居て、洗礼を受ける時に口に水を垂らされるのであるが、その水を吐き出した記憶が残っている。また、雷が鳴って母にしがみ付いて行った記憶も残っている。その他に多少の記憶だけがあるくらいだが、母がカトリックの女学校を出ていたのでカトリック信者であり、それで私も洗礼を受けたのであろう。だから日曜日には教会に遊びに行った記憶も残っている。また、夕張は別な部分で悲しい記憶や祖母との記憶もあるがそこが私の考え方を変えた部分でもある場所であろう。人は生まれ育った処での記憶を残し、そこで経験した事が自分の糧になっている部分大きいと思う。また、国が違うと風習も違って来て、戸惑いを感じてしまうが私の性格なのか、自然にその中に溶け込めた部分がある。私の場合は、海外は旅行でなく、仕事で長期に生活したのでその国の環境や風習に触れられて、色んな面が見られた。その時も最初の頃は、育って生活して来た日本の風習が抜けきらないで苦労したが、その土地で生活するとそれなりに対応して変わって行く事が出来たのである。その時に感じたのは、日本で長く生活して慣れ合い的に身に着いた風習が、土地や国によって変わり、考え方も変えて行かなければならない事を学んだし日本の良さや、悪い所も気が付く事が出来たと思う。人は環境や土地の風習を持続させるが、変える事や新たに行う事は苦手のように思うのである。その土地に根付いた慣例や風習に慣れ過ぎて変える事を怠って来た為に、地方の崩壊を止められないのが、今の日本であろう。伝統や良き風習は残すべきであるが、時代の流れに対しても考えて行かなかった事が地方の衰退に繋がって行ったのであろう。今、地方創生と政府は言っているが、今までの過程を顧みながら再生して行かなければ、創生の道は遠いのではないかと思う。人は慣れによって、当たり前と思い、新たな事に対しての考えを受け入れる事に臆病になっている。地方創生は、住んでいる人達が進んで遣るべきであり中央で金だけ出して、地方の状況を把握していないで規制を行っていては、声だけ上げた凧であり地方は変わらないであろうと思う。
2016.01.28
コメント(0)
毎日ブログを書くが、それなりに自分の思った事を書いている。ただ、性格なのか、書く事に詰まるが、何故か書かないとその日が始まらない気持ちになってしまう。ただ、題材を探す事に苦労する事が最近は多い。その様な時は、自分なりの活動をしていない時なのである。大体、自分は動いて“何ぼ”の考え方であり、動かないで体験もしない事は書かない。自分が経験や体験しない事を書いても、実感が伴わないからである。この性格は私の悪い所であり、良い所でもあると思うが子供の頃、父の性格を見て、そうなりたくないと思った事が基礎になっているのであろう。幾度かブログにも書いたが、父は論理派であり、母と喧嘩になった場合に、理詰めで追い込んで行き最終的に父の理論が通じなかった場合に、手を上げる人であった。母は馬鹿が付くほどの、お人好しで行動派の人であるがお嬢さん育ちだったので、何かが抜けていたが人に好かれるタイプであった。そんな母は、身体に痣が無い時は無かった位、父の暴力が激しかった事を覚えているし、私も長男と言う事で厳しく躾けられて、父には怖さを感じながら生活していたのである。母は、父が病弱だったので、私達子供の為に働いて食べさせてくれた。その様な家庭で育ったからなのか、母に対する私の考え方は、母を尊敬していたし、母に対しては孝行したいと思っていた。戦後生まれの私であるが、子供の頃は多くの人達が食べる為に苦労していた時代であった。同時に子供に対する母親の愛情が細やかであり子供も母に対しての思いやりがあったと思う。だが、現代社会になって、その思いやりや労わりの気持ちが薄れつつある事を感じている。それも日本の経済の発展と供に、その様な現象が始まったと私は思うのである。確かに日本経済の発展と供に各家庭も経済的に潤った。その潤いが私達の生活や考え方を変えたのであろう。人は潤うと、見栄が先行して、互いに競い合う事が多くなり、それが今までの労わりや思いやりの気持ちを変えて行ったように思う。この様に感じるのは、被災地に行った事で、その変化を感じるのである。被災地は震災の被害を受けて、同じ経験をしているのでその苦しみが互いに分かり合っているので気持ちが同じ方向に向いているが、都市部になるとその変化が顕著に出る。都市部の場合は、個の世界が出て、自分の意見が先行して他人を思いやる気持ちが欠けている事を多く見る。確かに他人に干渉されたくない気持ちは分かるが多少なりでも、思いやりの気持ちを持っても良いのでは無いかと思う場面に会う事が多い。これも都会の雑踏の中から、人々が学んだ事なのであるが人間としての心の部分で、何かが欠けて来た時代になった事を思い知らされる。
2016.01.27
コメント(0)
先日、高齢者のお手伝いに行ったが、部屋の整理も殆ど終っているので、話を聞く事が主だった。ただ、二時間話を聞いて居て、帰りに感じたのは疲れだけであった。私も年齢なので二時間の話を聞くのは辛い部分がある。確かに色んな部分で共通する事があるからそれなりに学べるが、疲れる事は本音である。せいぜい、話を聞くのは一時間位が妥当かと思うが、相手からすると外出も、ままならないので話し相手が欲しい気持ちになるのであろう。どうしても愚痴や自分の考えを伝えて、自分なりのストレスを取り除いて居ると思うので、話を聞いてあげる事になる。この方は、社協でも気難しい方であると言われているので、私が手頃と言われている。確かに理屈ぽい方であるので、対応の仕方は難しい部分があるが自分なりに色んな事を目が悪いながらも、学んでいる姿がある。それなりに自分から積極的に向かっているので、私も見習う部分があるから、話を聞いてあげる事になる。これはあくまでも、私の考え方であるが、人は積極的に考える方と直ぐに消極的に成る方の二通りだと思う。私の場合も積極的であるが、ある部分無謀的でもある。其の無謀さは、持って生まれた物なのか、子供の頃の経験なのか分からないが、その無謀さが積極的だと人から見ると思える部分でもあるのかもしれない。私は消極的なるよりは、無謀でも積極的にな方が好きである。だから、消極的な人を積極的にさせたいと思う。また積極的な人からは、学ぶ部分が沢山あると思う。高齢者のお手伝いでも積極的な方に対しては私も学ぶ部分があるので、楽しいが行動派の私には二時間の座っての話は疲れてしまった。色んな面で、これからも考えさせられる事が多いと思う。
2016.01.26
コメント(0)
昨日も書いたが、今や政治家の劣化の激しさを感じてしまう。金銭面でも問題が多いが、発言に関しても問題が多い。今回の金銭問題に対して、「ゲス」発言を行った議員が居るがこれが日本国を治める人が言う事かと思う。第一に議員が法制化した事に対して違反をしているのであるからそれを正すのなら未だしも、その問題を「ゲス」発言を行う事態が国会議員としての資質を疑いたくなる。仮に私達が法制化された事に違反したら、私達一般人はそれなりの罰則を受け、信用も無くするであろう。その信用が無くなるだけでも、苦しみ、周りからの白い目で見られて打ちのめされるのである。それだけ私達が罪を犯したら、それなりの責任を取らされる。だが、国会議員は今まで罪を犯しても、責任を負った人は僅かであろう。同時に選挙で選ばれたら、罪は消えたと言う姿勢で「先生」と呼ばれて、上から目線で行動する。議員は罪を罪とも思わず、それを暴かれた事に対して問題があるとか、垂れこんだ奴が悪い様な事を言ってゲス呼ばわりしているは、一般的に非常識極まりない。これ程、日本を治める政治家が、程度の低い事しか言えない事に、私は恥ずかしいと思う。同時に、この様な人達を選んだ人に対しても反省を促したい。だが、これが日本の政治家の現状であろう。小学生並みのチクッタ奴が、村八分にされる程度の考え方しかしていない人達が、日本の政治を行っているである。その程度の政治家に日本を治めさせている事に気が付かない国民も反省すべきであろう。また、その様な議員に纏わり着く、ハエの様な連中も問題があるし、国民の声を伝えないマスコミも問題が多い。まず、政治家は責任感がない、民意より金と選挙に勝つ事しか考えず罪を犯していると言う意識は無い、犯した罪も、罪は誰かに擦り付ければ良いと思い、選挙に勝てば罪を償ったと思い、同じ事を繰り返すのである。その様な連中から、甘い汁を吸っている人達も同罪であろう。これ程、日本の政治家が劣化した事は、国民にも責任がある。罪を罪とは思わず、垂れこんだ奴が悪いと言う方がおかしいと思わないのが、日本の風土に残っているのであろう。この様な政治家を見て、国民は当たり前の事を行っていると思ったり、当たり前の事を発言して居ると思うのであろうか?そう思うなら、国民自身が、問題がある事になる。
2016.01.25
コメント(0)
政治家と金が問題になっているが、国民から見ると“また”かと言う感じである。問題を起こした政治家の答弁は、その場になると認知症患者に成ってしまう。今までも同じような答弁の場合は、記憶が曖昧ですと言う答えが返って来る。政治家と企業の癒着は当たり前の事であり、それで企業は利益を貪るのであるが、それが問題で、法制化された政治助成金は何であったのか?国民の税金から政治助成金を使い、なおかつ企業からの献金も認めて、なお且つ別途のお金が流れる。私が幾度もブログに書いたが、政府は大企業のセールスマンと書いたのであるが、それは政治家が企業の為に動くのは金が流れているからである事は、国民も分かっているはずである。また、政治家の辞書に「責任」と言う文字も無い連中が政治を行っているのであるから、日本の国民が如何に自分たちの払った税金に対する事に無関心なのかが分かる。政治家を取り巻く連中も、利益を優先してする人達が居る。そこには利益を得るために政治家に、金を出し仕事を受け取るのが当たり前と、常識化されているのが日本であり、世界であると思う。そこには、それなりに働いて報酬として貰うのが一般的なのであるが、一般の人は口利きでお金を受領したら犯罪として罪に成り、それなりの責任を取るが政治家の場合は、口利きでお金が流れるのはそれなりに規制されているが、責任も罪意識も無い。国民も、それなりに信頼できる人を選択して居ると思うが殆どの、政治家は金絡みが当たり前の連中である。そこには人間としての損得感情が絡むからである。これは人間の性であるから消える事は無いであろう。また、消えたら経済も成り立たない事になる。だが、日本は借金大国である事は、政治家や官僚は知っていてその借金を減らす為に、増税をと連呼している。ところが連呼して居る連中が、金銭感覚が無い人達なのでどの様に借金を減らすべきかが分かっていない。お金は、政治家になれば企業と国民の税金から給与が出るし企業のセールスマンを遣れば、お金が入って来ると思っているのであろう。一般家庭では、月々の収支管理を行い、それなりに自分たちで生活を成り立たせている。その感覚が無いのが政治家であり、官僚であろう。金は何処からか入り、使って無くなったら、何処かにセビレば良いと思っている連中なのである。まず、国民は自分たちの税金や年金で預けた物に対してそれなりのチェックを行う事を考えるべきであろう。また、年金も政府は勝手にハイリスクのある運用行っているが、それによって損失が出た場合は最終的に国民が負担する事になり、その政策も国民の同意を取っていたのか、いないのかも分からないものである。この様に国民が理解もしていないで、官僚主導で動かして、損失が出た場合は、誰も責任を取らない。責任を取るのは国民である事は明確である。この様に考えると、これからは政治家や官僚主導での政治体制では、国民負担が大きくなり、日本は借金で押しつぶされ、貧困国家の道を走る事になりかねない。これも国民が自分たちで声を上げて来なかった事による責任がある事を自覚する時であろう。政治家・官僚は責任を取らないのであるから、国民は自己防衛の為にも、政治に対して監視を行うべきである。
2016.01.24
コメント(0)
私の勉強不足とお節介焼きが、ぶつかり合っている現在である。今、高齢者で介護の必要な方の、お手伝いを行っているがそこには色々な規制がある。確かに高齢者の方々の言い分を、全部を聞いて居たら膨大な事になる為に、規制がある事は理解出来るが一般的な考え方で普通である部分でも、規制により対応出来ない。この問題は、これからさらに広がるであろう。規制も現場サイドを知らない方が、その時に起きた問題点や現場サイドで騒がれた事を規制化するのであろうと思う。確かに現場サイドの声は聞いているがそこには現状の問題点の分析がなされない部分が出て来ていると私は思う。私が携わった高齢者の方々は、それなりに生活環境も違いまた身体的な状況も違っている。同時に依存度も違う事は、はっきりしている。自己努力をされる方、自分自体を諦める方等が居る事は確かな事である。一番厄介なのは諦める方であり、その方を如何に自己努力型に持って行くかを考えると、そこには相手の話を聞きながら自分が何を遣りたいかを、引き出す事を行わなければならない。だが、その様な方は依存心が強い方が多い。介護認定により、ヘルパーの方達の使用頻度が決まるが高齢者の払う金額も変わる。問題は依頼する高齢者と、それに対するヘルパーの方々との問題点も出てくる。そこには行政の規制が絡み、色んな面で対応出来ない部分が多い。その為に、お手伝いする側のヘルパーさんにも規制で動きが取れない方も居るのは分かるが、何を遣るにも規制が優先である。また、ヘルパーの方により、椅子の方向転換も断る方がいる。其のヘルパーの方の言い分は、「私達は家具などを移動できません」との答え方であり、こちらから考えると、たかが椅子の方向転換である。それを私達は、それを遣る事が出来ないと規制されていますとの答えである。確かに前にも書いたが、高齢で介護の必要な方は我儘になる。自分の身体が不自由なので、依存する率は高いのである。だが、誰が考えても私達が出来る範囲なのであるがそれを違反ですと言う側の行政の規制に疑問を感じる。私の様な性格であると、それは出来るであろうと遣ってしまうが、それを行った場合に行政側から高齢者の方にお叱りや違反であると言う事もありうるのが今の高齢者介護制度である。元々行政は融通がきかない事は、私も分かるが臨機応変に対応して行くべきが、それが出来ない事が現実である。同時に規制を行うのも分かる部分がある。どうしても高齢者の方は我儘が出るので、それを全部聞く事が出来ないので、規制する部分がある。だが、今後高齢化が進み、多くの方の介護が必要になる事ははっきりしているのであるから、現場サイドの臨機応変の部分も考えるべきであろう。
2016.01.23
コメント(0)
私達世代の事を昨日も書いたが、私達が反省すべき事が多い。私達は戦後の混乱期から働き、日本の経済を発展させて来た。それは私達世代としては誇るべき事であるが、違う部分で私達は間違いを起こしている部分も沢山ある。確かに働きバチの様に、昼夜を問わずに働き今の日本経済の基礎を作って来たが、それとは別な部分で日本人として置き忘れて来た物が大きいような気がする。私達の若い頃は労働者の権利を主張して、企業とのせめぎ合いを行い、それが政治に反映され企業と働く側の、せめぎ合いにより経済が潤った。企業も潤った部分を働く側に分配して、企業の成長を促して来て、世界的にも日本の経済は認められた。それは車輪が両方にあるから、動くのであるが片方の車輪に欠陥が出ると、スムーズに動かなくなる。現在の日本は欠陥車輪の状況であり、今は企業が利益優先で最高の収益を上げるが、働く側には、それが分配されずに片車輪走行を行っているのが日本であり、もう一方の車輪で走行がやっと出来る状況である。これは企業の収益優先が内部保留を貫いた事によるのと私達年代の働く側が一時的な潤いの中で、自分たちの権利を主張しなくなった為であろう。自分たちの権利に対して関心を持たず、潤いの中で有頂天になり、個の楽しみを優先して潤ったと勘違いしそれが、今さえ良ければいいやの考えに成り、他人は他人と言う考えが蔓延り、最終的には子供たちにもその考えが浸透して行ったのである。考えて見ると私達世代が、他人任せの政治を認め個を優先して来た事が、今の無関心主義を生んだのであろう。その様な考えの、私達の子供たちが政治家や官僚に成り、現在の政治等を行っていると言う事は、個を優先する人達が政治家であり官僚であるから、現在の様な日本に成ったのであろう。これに対する責任は私達世代にある事になる。政治家や官僚に責任と言う文字が無いのは私達が個を優先して、自分本位の考え方で生活した事が今の子供たちに浸透している。それを問題であると言う人が居たら、変人扱いして居るのが現在の私達の様な気がする。人間は長きの慣れにより、変化を嫌う傾向が強い。だが慣れ合いは短期で修正を行えば問題は少ないが、長きになれば時代と噛み合わない事が起きるしそれが長き間、変革しなければ綻びが出る事は分かっているはずである。短期で変革を行えば、それなりに対応が早いが長期の問題の場合で変革を行うと時間と労力が掛かりそれに障害が大きい。それを怠った私達世代の責任も大きい。団塊の世代と言って人口が多いのであれば、高齢化も問題が起きる事を考えて政治や経済的な事を行うべき事を行わずに来た事が、今の問題点である。それは私達が個の考え方を主張して、将来的な事を考えなった事による原因もあり、私達が育てた子供達や若者も個の考え方で、政治や経済を動かして居るから、今の現状に成ったのであろう。すなち、私達の考え方で育てた子供たちが、今の日本を作っているのであるから、問題が起きる、それを考えて、私達は反省すべきであると思う。
2016.01.22
コメント(0)
今、私は思うのは国民自体が、政治に対してもその他の事にも無関心過ぎた事によって、現在の日本の諸問題を引き起こしたと思う。政治に対しても日本国民の独特な考え方である他人任せで、今が良ければいいやの考え方が殆どの人であり、同時に自分に降りかかって来なければ口先だけでは、それなりの事を言うだけの様な気がする。私がやっている事でも、皆さんは「よくやるね」とは言うが、そこには別な面で、面倒な事を良くやるよなの気持ちが見え隠れする事が多い。確かに私が好き勝手にやっている事は間違いない。また、そこには自己満足もある事も認めるが時代の流れによって変化する事を、変えようとしない傾向が、日本人の殆どであるように感じる。これは個の考え方が強いのであろう。個は自分さえ良ければ、自分に降りかかって来なければと思う気持ちが出ているのであろう。確かに自分を守るのは自分であるが、そこには多くの人達が関わっている事を考えていないのであろう。本来なら国民は税金を払い、それで日本国が成り立つ為の政治や経済の基本を作られるのであるが、払うものを払ってしまったら、どの様に自分たちの為に使われているかを考えないのが日本人である。それは日本と言う国が一時的に、裕福になったからなのかもしれない。戦後の混乱期は貧しかったので、自分たちは食べる為に働きそれで払った税金なども、どの様に使われているかをある程度チェックする考え方があったし、働く者が互いに権利を主張していたと思う。それが、生活が豊かに成り出すと、自己満足だけに走り他人は他人の考え方になり、自己満足が先行して相手を思いやる気持ちが消えて来たのであろう。それが政治に対しても無関心になり、同時に働く者の組織も軟弱になり、お金を持つ強いものが政治を動かしそれの代弁を行う者が政治家になって、日本を作り上げた。これは政治家が、大企業と官僚の代行政治を行っているのであり国民の事など考えていないから、今の雇用制度や福祉制度等や年金のズサンな管理を行って、誰も責任を取らない。政治家は落選したら、只の人になるので、政治より選挙の事が先行して考え、同時にお金の為に企業に媚を売り企業の有利な法案を作り、働く者の権利等は考えていないに等しいのが現在の日本である。これも私達国民が、無関心過ぎた事が原因であろう。戦後の混乱期は、働く者も権利を主張し、若者も考えて行動を起こしていた。(学生運動等)それが何時しか、組合は、ただの選挙の為の票田に成り若者は親の教育で、考えるより勉強が主になってしまい現在の状況になったのであろう。これは私達が、考える事をしなかったツケが今になって出て来たのと、今が良ければいいや主義で、変えるべき事を疎かにした事が原因であろう。この状況は私達が変えて行く責任がある事は間違いない。
2016.01.21
コメント(0)
今日は何時もの高齢者の方のお手伝いに行く。殆ど部屋の整理等は終わっているので、話し相手がほしいのであろうと思う。今回は、どの様な話になるか大体予想が付く感じがする。私も、それだけ相手の考え方も多少分かるようになった。だが、私達のお手伝いも出来る範囲もあるし制限もありそれと相手の要望もあり、その対応方法に難しさを感じる。これは長く対応すると高齢の方の我儘な部分が出るようになる。其の部分を何処まで私が説得できるか、同時に相手の不満をホロー出来るかの時期に入ったのが、今年の課題になる。正直な話、相手方の要望は私の範囲を出る部分が多くなって来る事は、長くお手伝いをしていると起きる。これは介護が必要な方ほど、自由が利かないので出る。その場合の範囲内で行うのであるが、範囲外の事は他に振って行く事になる。これは私がお手伝いして居いない所でも起きている。私の住んでいる団地内でも、色んな問題が起きる。むしろ、こちらの方が好き勝手な事を言う率が多い。動ける人でも口だけが先に出る方が多い。だが、これからは年々高齢化が進み、それに対しての対策を実行しながら、新たな問題点を解決して行かなければ後追い対策では駄目な時期に入って来ているのは確かである。今や政府も行政も、完全に福祉に関しては後追い政策でその場を繕っているのが現状である。それは現場サイドが分からないからであるが、その現状を誰かが伝え、それを行って行く事も大切に思う。そこから色んな事を蓄積させて、新たな対策を行う。個人でやる私は何の力も無いが、実行した事の経験や相手の要望を伝える事が一部分でも出来るようにして行きたいと思っている。現在の日本では、この事が深刻な問題になる事は間違いないし今の政府や官僚のやり方では、対応しきれないであろう。これからの日本の最大の問題点は、高齢化対策と貧困格差の広がりであり、政治が抱える問題点でありその場を繕うだけでは、何の解決策にもならない。そんな状況であるから、周りの人達で自己管理や防衛意識を高めて行く事が必要であろう。また、防衛意識として声を上げて行き、政治に対しての圧力も必要な時期に入って来た。
2016.01.20
コメント(0)
久しぶりに国会中継を見たが、相変わらずの答弁を見て居て、今の政府や官僚に対する不信感が出て来た。本当に、この閣僚達は政治を勉強して居るのか?国民の生活が分かっているのか疑問に思う。答弁に詰まると、官僚が出て来て説明する。国会の答弁は相手側の質問事項が、討論の前に渡されそれに対して返答項目を調べて行われると聞いた事がある。それなのに答弁が出来なくなると、官僚から説明を聞くそれが官僚のトップである、閣僚が行うのでは会社なら社長が会社内の事は何も知らないで飾られていると同じ事である。確かに国会議員は官僚の伝達役であると私のブログに書いたが本当に伝達役である事を証明しているのが政治家である。確かに全部は知る事は難しい事は分かるが、官僚のトップになったなら、それなりに内容を把握するのがトップの役目であろう。だが、上っ面だけは分かっていて、名前だけの飾り物なのであろう。確かに無理はある事は分かるが、政治を行う者ではそれで許されるものではないと思う。国民の生活を守る為の政治なのであるから、曖昧な返答では国民も納得しないであろう。基本的に政治家自体が官僚の言う通りに動かなければ政治家として体を成さないのであろう。前の政権でも、官僚政治からの脱却を唱いながら最終的には官僚の、言うがままの政治を行い政権交代に成ったのであるから、政治家は官僚の伝達役にしか過ぎない。そうなれば、これ程の政治家の数は必要ないであろう。無駄な税金を使い、日本を借金大国にしたのは政治家と官僚であるのだから、その責任を取るべきなのに政治家は選挙の事ばかり、官僚は自己範囲の防衛で責任と言う重たい物は捨てている。また、将来にツケを回さないと言いながら、それらしき事は行わずに、政治家は選挙対策の政策を打ち出し官僚は自己防衛の為に規制緩和を行わないで自分たちの有利である事だけを行っているのが日本の政治体制であろう。これでは日本の将来像は、官僚や政治家が行っている将来の子供たちにツケを回さない事など出来ないであろう。また、福祉も地方も崩壊の一途を辿る事に成りかねない。悲しいかな、これが日本の現状の様な気がする。
2016.01.19
コメント(0)
今、難民や移民問題が話題になっているが、その中で、日本の移民や難民の受け入れ方を考えると日本の身勝手さが見える。日本は島国なので、鎖国政策を長い間行って来たのでその伝統的な物が、日本人の中に生きているのであろう。現在の日本は、今や経済的に働く人達が少なくなり高齢化と少子化が問題になり、経済的にも問題はある。だが、日本は戦後、国の都合で多くの移民を輩出した経緯を忘れているのかと思う。私が海外で仕事をしていた国にも、日本からの移民の方が多くいたし、近隣諸国にも多数の移民の方が居た。それは戦後の日本の国策で移民を輩出したのである。所が、今は、移民は受け入れない、難民も受け入れないと言う方向性で、政府は政策的には打ち出しているが、その様な状況を作り上げているのが現状である。これは日本人的な身勝手な部分が出ているのではと思う。困った時は相手にすがり、相手が困っている時は自分たちの行って来た事は棚に上げて、知りません治安が問題になるから等と言っている。また、バブルの頃は働き手が居ないから、移民の方を来日させて、安価な報酬で働かせ、上から目線の行動が目立っていた。この様に考えると、日本は、移民はさせるが、受け入れはしない自分勝手な国民性が見えて来る。困った時は頼み、安定したら知りませんでは、人間としての本質的な事を疑いたくなる。日本人の根本的な部分に島国根性が根強いのであろう。他国民に対する対応は、島国の独特な守りが出ている。不器用なのか、個人的なのか分からないが柔軟に受け入れて、育てる事を考えないで危険が増す言葉と、問題があると言う逃げ道を作り、それで絆とは言うが、日本人は口先ばかりで、人間の本来の優しさが無いように思うのである。自分たちも多くの移民を出したのであるから、私達も移民や難民を受け入れる事が、私達が受けた、あの頃に受けた恩を返せるのではないかと思うが、それを言う人は居ない。(一般の人達も「危険と治安が悪くなる」と言う)あの頃は日本も困っていたからとは言うであろうがそれだから今、困った人を受け入れるとは言わないのが日本人の様な気がする。島国根性が抜けきらないのが、日本人なのであろう。同時に対応能力の無さを、自分たちで証明しているのであろう。自分さえ良ければ好いさの、個人主義的な考え方なのだと思う。政府も、高齢化と少子化で働き手も少なくなり、同時に地方の過疎化等を考えると、誰でもはと言わないが軍事的に国際貢献するのではなく、人道的に国際貢献すべきであろう。だが、今の政治家では、それだけ考える事は出来ない連中なのであろう。もう一度、私達が戦後の時に行った行動を見直すべきであろう。
2016.01.18
コメント(0)
人間の性か自然に立ち向かって行かなければ生活が成り立たない。だが、自然は時には荒れ狂うが、人間にもたらす物も大きい。私達は震災などで自然の怖さを知り、それに対する対策を行うがあの、東日本大震災での津波に対しての防波堤を作っているが果たして自然に対して通じるのか疑問に思うし、自然に対する共存を考えて作ったかは分からないが、何かが不自然に感じてならないのである。確かに、あの大震災は私達が考えも及ばなかった物である。それに対して国や行政は途轍もない防波堤を作り自然を目隠しした状態にしているが、それで自然の脅威に対抗して居ると思っているのであろう。人間は最終的には自然の怖さを分かっていないのではと思ってしまう。確かに人間の知恵は進歩を重ね、それなりに夢であった物を実現して来た事は確かである。それは人間の知恵であるが、そこには自然との知恵比べなのであろう。だが、自然は人間や地球で暮らす動物に恵みを与える部分もある。私は途上国でも仕事をしていたが、私の場合は自然には関係なったが国や国民が潤う為には、自然を破壊しながら経済を成り立たせる姿を見て来た。人は潤う為に自然を破壊するし、生きる為に知恵を絞り自然と戦う生物なのであろう。その恩恵で私達の生活が成り立っている事は間違いない。同時に自然を破壊して、自然の脅威を感じて来ているのも人間である。大きな災害が起きた場合、人間は守る為に自然と自分たちを遮断している部分が多くなって来たように思う。それも人間の知恵であるが、景観や恵みをもたらす物を無視した行動で対抗しているが、果たして、それで人間生活が守れるのであろうか、最近私は疑問に思う。途上国で仕事をしていた時にも思ったのであるが企業がお金儲けを優先して、自然を破壊して居るように思えた。今回の被災地の状況でも、優先されているのは防波堤でありそれは大手企業が請け負い、被災者側の生活環境を考えて知恵を絞り出したのであろうか疑問に思う。国も企業との癒着体質が抜けないのか、分からないが優先順位が違っている事に予算を使い、本来の対人には後追い対策を行っているのが現状であろう。考えて見ると人間は自然と共存共栄は出来ない生物なのであろう。偉大な自然を分かろうとするが、それが何時しか自然に対して立ち向かい、自然破壊を行っているのが人間社会の本質なのかもしれない。
2016.01.17
コメント(0)
今日は私の誕生日である。自分では歳は要らないと、思える年代になってしまった。まだ、色んな事が出来、動けるだけ幸わせである。私は8年前に大腸がんになり、癌と分かって居ながら病院にも行かずに、腸が詰まるほど癌が大きくなって手術をしたのである。その時は自分で癌だなと思っていて、父も癌で亡くなっているので、私も死を覚悟していた。そんな事で癌と分かりながら病院にも行かないで周りから痩せて来たなと言われながらも、仕事をしていた。その時は食も細く、殆ど食べられない状態であったが栄養剤や飲み物で誤魔化していた。だが、最終的に倒れて、病院行きに行って検査をされ癌と診断され、点滴だけの生活が26日間続きそれから手術となったのである。その時は横行結腸が癌で塞がれ、食べた物は吐き出し便となって出ないで、出るのは鮮血だけであったので自分なりに死を覚悟していたのである。所が私を、あちら(天)の方で受け入れ拒否されて生き伸びたのである。他に癌が転移して居ない状況であり、命拾いをした。その時から、私なりに考え方が変わった部分があった。自分は死を意識した時に、諦めが先であり生きる事に希望を持たなかった。だが、それが自分には生きる希望が可能になった時に一度死を意識したのであるから、自分は一度死んだと思えば良いと考えて、行動するようになったのである。人間は死を意識すると脱力感が出て、何に対しても行動をしたいと思わない部分が出るように私は感じた。だが、その様に考えていた自分が生き変える事が出来た時に私は得したと思ったのである。損得を感じる自分が、そこにいるが、損得として生死を感じると、欲世界の損得などに興味が無くなって来ている様な部分が自分の中に出たのである。その様な考え方に成ると、今まで見えなかった事も何かと良く見える部分が増えて来たように思う。それは損得を考えない自分が居るからなのであろう。自分なりの考え方を優先して、そこには損得な感情が入り込んで居ないから、自分の考えを行えるように思う。今は人に接する時は、損得感情の無い自分で接する事を心がけているのであるが、マダマダ、人としての成長が感じられないように思う。今年は自分なりの冒険と、さらなる人間らしさを目指して見たい。
2016.01.16
コメント(0)
1月も半ばに成り、高齢者の方から依頼が来た。何時もの方であるが、そろそろ来る頃だと私自身も感じていたので、やっぱりなと思った。今年は、また高齢の方のお手伝いから始まる事になるが昨年度は多い時には、月4回ほどお手伝いを行ったが頼みやすいのか、私に依頼してくる。そこまでは有難いのであるが、依頼の内容が問題がある。私も悪いのであるが、被災地等に行っていたので意外と気さくに受けてしまう傾向がある。これが問題を引き起こしかねない事になる。どうしても、親しくなると相手が我儘な部分が出て来る。所が私の場合は社協からの依頼で行くのであり、やる事が制限される部分が多いので、全部は受けられないが私の性格から、多少の違反を行ってしまうのである。それを行った事により、相手は違反と感じないで再度依頼する傾向が出る。所が私の取った行動は、私的に行っている部分なので社協側には「やります」と断ってから行動しているが依頼した人には違反である事を説明して居ないので、相手はやってくれるものだと思い込んでしまうのである。これは私が悪いのであるが、私的な誠意も相手からすると当たり前になる事が多いので、断る口実が出来なくなりかねない。私はお手伝いをした後には、必ず社協に報告に行く事にしている。だから私の出来る範囲外は、社協に投げているが相手からすると、お手伝いして居る私に対してのお願いでありあくまでも私を信頼しているからの行動なのである。だが、私の出来る範囲は小さいので、やれない事が多い。今回も行政の範囲内の事を依頼されて、私は社協に投げた。確かに相手の依頼は分かるが、行政単位になると私が関わる事が出来ないし、親族でもないので行政も相手にしてくれない。そうなると社協かケースワーカ側に依頼して貰うしかない。元々、私は行政側とは臨機応変さが無いので苦手である。その私が対応すると、問題が起こりかねない。私も歳を重ねたから、問題は起こさないが、社協の立場を優先しなければならない。そんな事で、今や高齢で介護が必要な方とのお手伝いに対する方法も考えて行かないと成らない時期に来たのであろう。どうしても相手からすると信頼して、我儘な事も出る私の遣れる範囲内ならやるが、それも考えないといけない。相手からすると友達感覚で接するのと、家族感覚が入り組み、我儘な事も言い出す。どうしても身体の自由が利かないので、依頼心が強くなり我儘を言う事になる。私の出来る範囲ならやるが、それ以上の事を見極めて今年はやって行く方法を考える事も学ばなければならない。これからも、この様な事は起きるであろうから其の部分を、私も考える事が必要であろう。
2016.01.15
コメント(0)
最近SNSで友達申請が来る。私は本来、自分からは友達申請は行わないタイプである。ただ、申請が来た場合は、色々調べてから申請を受けるか、受けないかを決める。基本的にSNSは知らない人から、申請が来る事が多い。ただ、私の場合は友達の友達の場合が多い。たまに海外から友達申請が来る事がある。私が海外で仕事をしていた事もあり、SNSを使い海外との友達との連絡事項に使う為であるが見ず知らずの人からも来る場合がある。それはCNN等、海外のニュースを見てコメント等をするからなのであろう。海外の場合は慎重に調べて、申請を受けるようにしている。簡単に受けてしまうと、問題が起きた場合に対処出来ない為である。私のSNSの友達は、現在は25名程度である。私は、友達は30名程度に留めようと思っている。それは私の管理する範囲と、同時に相手とのコミニューケションを取れる範囲内であるからなのだ。元々、私はシステム関係の仕事をしていたので、パソコンやネットは、初期の頃から携わって来たので、弊害も分かるので、自分なりの管理範囲で行う事にしている。今やネット社会になり、SNSの発達と供に企業もSNSを利用しようとしている。確かに便利であるし、多くの人達と結びつきが出来る。私の友達でも、完全にPRを意識してSNSを利用している方も居る。それは、それなりに利用方法としては分かる。だが、そこには弊害も出て来ているであろう。私自身は友達を増やさないのは、管理出来ない事と弊害を恐れるからである。単純に友達を増やして、PRであれば良いが、見ず知らずの人達と友達として理解で来る事は無いと思えるしそれぞれに自分なりの考え方があるので、問題が起きる場合がある。確かにSNSは利用価値はあるが、そこには問題も起きる事と管理出来ない事や、一人の友達は、別な友達を持っているのでネズミ講式に広がる事も考えなければならない。だが、そこまでは考えていないでSNSを使う人が多いと思う。友達を多くする事は、必ずや問題が起きるし管理出来ない事になりそれによってPRで考える人も、管理出来ない状況に成るであろう。私はPRと分かると、友達としては残すが、「いいね」等はしなくなる。相手も私のコメントも管理出来ないでいる人なのだからただのPRなら、私のような考え方の人には向いて居ないので殆ど私の場合は無視するか、削除するであろう。私はシステムの仕事は長いが、SNSやメールに関しては私なりの考え方を持っているので、その方針で行く。これは幾度もブログに書いたが、相手を知るには面と向かって接して理解したいので、SNSやメールはあくまでも連絡や感想程度に留めている。
2016.01.14
コメント(0)
私は毎朝、朝食を作り食べるが、パンが殆どである。朝はコーヒー豆を挽いて飲むのが習慣になっているのでパン食になるのである。時々パンを買い忘れて、パンに近い感じの物を作る。それは小麦粉を使い、お好み焼き風(ワカメや小魚や肉等)にしたり、パンケーキ風等、ある物(あまり物)を使用して作るのである。今日はクルミと干しレーズンとスリ胡麻を使ってパンケーキのようにして食べた。この様に工夫できるのは、私達の子供の頃は貧しかったので食べる物があまり無い時代であったからなのであろう。貧しかった為に食べる事に対して、色んな工夫をして食べ飽きないように、残り物を使って工夫をしたのである。貧しかったが、それなりの工夫する想像力を働かせた。遊びもそうであった、ビー玉を使い、地面に野球場のような形を作り、それで遊んだり、遊び物を与えられるのでは無く自分たちで工夫をしたものである。それは貧しいから、買えないが、それなりの工夫をすると遊べる方法を子供ながらに想像して作ったのである。考えて見ると、その頃工夫した物が玩具として売り出されていたりする。現在の子供たちに想像力(創造も含む)が無いのは、物を買い与えて遊ぶ事が、当たり前になっているからであろう。日本は経済的な発展と供に、家庭が裕福になり、子供に買い与えるのは、親の見栄も働き、それが当たり前の時代である。私達の時代とは経済的にも物質的にも変化はあるがそこには親の見栄も関わって来た事は認めるべきである。また、親の関与する確率も多くなって来た。子供たちだけの世界が狭くなり、同時に物質的な物を与える為に、内向型の子供が多くなったのであろう。子供は好奇心と吸収力は鋭いのであるが、そこに大人の関与により、その部分が発揮されない時代なってしまった感がある。物質的に裕福になると、出来上がった物で遊び親もそれを買い与える事によって、子供を管理している感覚なのであろう。果たして、それが良いのか分からないが、子供の想像力は発達しないであろうし、工夫も出来ない、子供が増えるように私は思う。確かに金銭的な工夫をする子は出来るが、物を作る創意工夫をする子が減るのではないかと思う。考えて見れば物質的に裕福になると、子供は想像力や創意工夫する力が育たないように思う。だが、これから日本は貧困格差が広がり、そこには子供たちにも影響が出て来るであろうが、貧しさの中で子供たちの創造力や工夫が育つ事を願っている。貧しさに負けない、想像力(創造)と工夫が出来るこれからは、力強い子供が生まれるかもしれない。私の想像力や工夫も貧しさから生まれたのであろう。それは、与えるものでは無く、自らが学ぶ物の様に思う。
2016.01.13
コメント(0)
最近の成人式で問題が起きない事は無い位、問題が起きる。必ずや何処かで問題が起き、報道されるのが通例である。若者の考え方の変化なのか、怒りの矛先がないのか分からないが、私達の頃では考えられない行動である。私達の若い頃も、確かに若さで暴走する人達は居たが、それは若気に至りあると思われるが、最近の傾向は公の場所での行動が多い。私達の時代は他人に迷惑をかけるなと教えられそれが大人の世界であると言う教育を受けて来た。だが、その教育体制も崩れて、今は子供たちが聞く耳持たずの状況の様な気がする。この状況を作り上げて来たのは、私達世代なのであろう。私達の受けた教育の良い点を蔑ろにして来た結果が今の若者たちには自由と言う観点を間違って教えたのであろう。また、親自体が子供の教育に関わらないで自己中心的な考え方であり、教育関連で問題が起きた場合は学校側に押し付ける傾向が強いのを幾度も見たがそれが学校側では対応しきれないでいる。これは別な部分で親の教育放棄であり、問題の起点からの放棄で、親としての責任を持た無い事になる。今の親は、学校内で問題が起きた場合は、学校に対する責任を問い詰めて、学校側を追い詰める傾向があるので学校側は委縮して隠ぺい工作を行うのが現在である。基本的に、日本の教育体制に問題が起きているのも確かなのであろう。同時に私達世代と、その子供たちが自己中心的な考え方で教育方針を打ち立てた為の弊害が出て来たように思う。何回かブログに書いたが、教育は愛情が無ければ教育とは言えないと思う。だからITを使った教育方針は、教員の質も下げるし親達のIT信仰によって、人間としての教育を忘れかけているのが今の日本の教育の様に思うのである。まず、成績で良い学校を、良い職場をと学歴偏差主義の時代は終わり、人間教育を重点にした教育を行って行かなければ今後の日本は荒れた子供たちを作るであろう。そこには親の子供に対する責任感と、人間としての教育する姿勢が大切であり、学校側・監督官庁も、ただ教育を行うのでは無く、人間教育を重点にした方針を作成して、サラリーマン化した教育者を作るのではない方向に向かうべきである。また、親も学校内で問題が起きた場合に、学校側の責任を問い詰める前に、自分たちの教育や躾を見直して両者で問題の解決策を話し合うべきであろう。また、マスコミも問題が起きた場合に一時的に騒ぐが表面的な報道では無く、内面的な部分も掘り下げて報道すべき。今後も現在の様な成人式問題は起きるであろう。そこには何が原因かを、考えて行く事が必要な時期に来た事を親や教育関係側は考えないと、この様な問題は続くであろう。
2016.01.12
コメント(0)
昨日も、私の方向音痴が出てしまった。夏に向けて、体力をと思い、チャリンコで走っているのであるが目標地点を決めて走る。だが、平均して目標地点から外れてオーバーする事が殆どである。昨日もオーバーして、戻る羽目になった。片道1時間の所が、結果的に往復で3時間走ったのである。どうも私は思い込みが激しいのであろう。あちらだと思うと、自分の頭の中で方角を決めてしまう。また、地図を持ち歩かないので、一応調べては行くのであるが頭の中で覚えたつもりで出発する。それで分からない時は、歩いている人に聞くのであるがそれでも間違う事があるから、自分で笑ってしまう。前にママチャリで東京から北上して、青森を通り秋田方面から南下して日本海沿いを通り、下関まで行った時も、道を何回も間違い走る距離が増えた事を思い出す。私の住んでいる近辺でも、道を間違えるのであるから方向音痴としか言いようが無いのであろう。私の性格は、早とちりでセッカチな所があるのでそれが影響しているのであろうと思う。この性格は治らない。今さら治るとも思っていないが、治そうとする事もあったが現在は諦めて、自分なりの行動で過ごそうと思っている。性格は子供の頃からであり、学校でも通信簿に先生が「落ち着きがない」と良く書かれて、親にも叱られていた。これは親のDNAを引き付いているのであろうが、親はそれ程でも無かったように思うが、確かに父はセッカチタイプであり、短気な人であった。その逆が母で、おっとり型で、お嬢さんタイプで世間知らずの、馬鹿が付くほどのお人好しであった。考えて見ると、これは親からの遺伝なのであろうかそれを治す事は無理であろうが、修正は出来ると考えて居るのが私である。人はそれぞれに生まれ育った環境や性格が違う。それぞれの環境から学んだで、自分なりの歩む道を模索しながら生活するのであろう。だが、そこには性格的な部分が大きく出る事がある。私の様なNO天気タイプは、意外とプラス思考であり考えた事は実行して、成功か失敗かを判断するのである。これが若い頃では、取り返しも付くが、年齢と供に取り返しが付かなくなるので、その時は今までの経験を生かす事になる。その様に自分を考えて行動しているが、どうも性格的な部分は、治りそうもないので、修正を考えて行動しようと思っている。
2016.01.11
コメント(0)
最近は迷惑メールも来なくなったが、たまに来るのでそれも撃退しているが、メールの内容や題材が巧妙になった。今回はEMSからのメールであったが、それに添付されたファィルにウイルスが入っていた。確かに私の場合は海外で仕事をしていたので、海外に友達が多い事もあり、一瞬自分で何処からかな?と言う疑問も感じながら、調べると配達NOの桁数が少ない事に気が付いた。この場合の迷惑メールは、私の状況を把握している人が発信して居るのであろう。また、添付ファィルにウイルスが入っていて、それが、どの様な問題を起こすかは分からなかったが手口が巧妙になって来ているのは間違いない。私の場合は、システム関係の仕事をしていたので、高齢と言えども、その関係には、ある程度詳しいので防ぐ事は出来るが、私と同年代の方達は、簡単にファィルを開きかねない文面であり、それによる被害は出るであろう。この様に今やメール自体が、公共や事業者名を語りその様なメールが来るようになったが、それに対しては対策的な事は、関係省庁は行っていないも同じである。今後マイナンバー制度で、国民の一人一人の情報が集約されて、それによって管理される事になるのであるがそれを管理する側が、使う人達の年齢層やカード紛失した場合やその他諸々の状況を把握して法制化しているのかが疑問である。まず、高齢者や中途半端にネットを使っている方の場合巧妙な手口で来た場合は、問題が起きるであろう。その場合は、どの様な罰則があるのであろうかまた、迷惑メールの範囲も取り締まれない状況では問題が起きた場合の対処も考えていないのが、関係省庁であろう。前回に起きた年金機構の漏えいも、添付ファィルからの事でそれを判断しながら、漏えいに繋がったのであるから最初にオペレートした人は、それなりに使い慣れている人でありそれでも事件が起きると言う事は、一般の人ならもっと問題が起きるであろう。ただ、マイナンバーの場合は日本国民全体なので、ネットに対する知識も能力も、それぞれ違うので使う側に対する指導は難しいであろう。そうなれば、加害者側に対する罰則の強化と対策しか無い。だが、それもブロバイダー側を規制すると弊害が出て来るであろうし、自由に情報が伝達できない事もありうる事になる状況も考慮しなければならない。まずは問題が起きた場合の責任の所在と、加害者側に厳しい罰則を法案化してから、マイナンバー制度を行うべきが、安易な考えで稼働させた省庁に責任を取らせるべきであろう。また、それの様な問題が起きる事など考えずに居る無知な政治家連中が、便利だから多くの情報を入れて簡素化させよう、本当にネット社会の怖さも内容も分からないで発言する愚かな連中に私は思えてならない。この連中の考え方ではマイナンバー制度は、抜け穴だらけのシステムで多くの問題を起こすシステムに成るであろう。
2016.01.10
コメント(0)
私も後一週間で1歳増える。この年齢になると、誕生日など要らない気持ちが強い。自分なりにはであるが、気持ちだけは若いつもりでいるが身体の方は部品がガタが来ている部分を感じてしまう。だが、まだ動けるだけ幸わせであるし、自分なりに考えて行動に移せる力がある事を感謝している。ダジャレでないが「自分を古希使うだけ、幸わせである」と思える年齢になってしまった。だが、前にもブログに書いたが、今年の夏には挑戦する事があるので、その為に自分なりに準備を始めた。ただ、前回のように長くは続くだけの体力が無いと思うので今回は自重して行動するが、自分を試す為にも行動に移す。この性格が私の悪い所であり、良い所なのであるが計画した事を成し遂げなければ気がすまない。これは親の影響であろう、父は有言不実行タイプだったのでその様に成りたくないと思っていた。ブログにも何回か書いたが、母が亡くなった原因は父だったのでその父に反発した子供時代が、今の私を形成したのであろう。時代は変わったが、子供は親の行動を観察して居るものである。親を見て子供が分かると言うが、子供は好奇心が強いので観察力があるし、それが子供の性格を形成するのであろう。私もそうであったが、私の場合は父が反面教師役で母が今の自分を作り上げたような気がする。その面では父に感謝する部分がある事を感じているが反発した事で、自分なりの性格や行動が出来たのであると思う。また、母の影響で人の気持ちを多少なりでも考える事が出来るようになり、それなりに人のお手伝いが出来るような自分を作れたと思う。この様に思うと、親の有難味が分かるのは、自分の年齢を重ねるのと、正比例している物なのであろう。今年は親の年齢より長生きしているので、親の分まで、何かに挑戦しようと思っている。
2016.01.09
コメント(0)
最近、感じるのであるが日本人は謙虚であり、大人しいと海外の人から思われているが一部部分では当てはまるとは思うが、日本人には何かが欠けていると私は思っている。これは戦後の苦境から来たものなのか、伝統的に、その様な考え方なのかは分からないが謙虚で大人しいのでは無く、集団的行動を取る意外と臆病な人種なのであろう。個人が今までの一般的な発想と違う事を発言すると発言当初から聞く耳持たずが多い。それは今までの慣習と違うからという意見が多数を占める。確かに慣習も良い部分があるが、時代は流れ、状況も変化しても古き慣習を維持する傾向が強いのが日本人なのであろう。日本人は正面的には新たな事を好むが、それは物質的な部分であり内面的な事に関しては、封建的な部分で考える人が多い。そこには発想能力が乏しいのであり、自分たちは新たな事を起こして苦労したくない集団心理が働く人種なのであろう。特に地方は集団心理感覚が強く、都会は我関せず心理が強い。このどちらも新たな発想や改革的な行動には消極的になる。それが日本人の根本的な部分なのであろう。謙虚なのでは無く、自分の意見を言うのが怖いのでありその意見を聞くのでは無く、今までが、そうだったからと批判する人達が多い。その様に今までと違うから、無理があると言う意見が大半を占める。だが、それは時代を考えていないのと、将来的な展望も無いからであろう。今が良ければ、それで良し、無理して変える必要も無いそれで騒動を起こすなら感知しない方がましと言うのが日本人であり、表面的に繕っていれば周りとうまく行く。其の典型が政治家であろう。政治家は、その場を繕う政策を出せば、国民は納得する。それで選挙に勝てば、好きな事が出来、先生と呼ばれて崇められるし、日本人の集団的行動を利用すれば票田が増えるし、選挙に勝てるとしか思っていないのが日本であろう。だから自分たちの行動も改革出来ないし、都合の悪い事は後回し、国民受けする表面的な政策を選挙が近くなると打ち出しているが、内容は将来的な問題点を考えていない、それに乗っかる国民も今が良ければと言う考え方なのであろう。政治は将来像を見据えて行うべきが、日本の国民性なのか表面的な事で騙され、騒ぎを起こしたくない心理で自分たちの意見は控える。それが逆に言えば謙虚に見えるのであろう。また、大人しいのは、新たな事に挑戦する意欲が無いのである。臆病なのが海外の人達から見ると、謙虚で大人しいと感じるのであろう。良く海外の人から言われる、謙虚・大人しいは日本人の曖昧な言動は、本質的な物は新たな事や発想力の無さが、曖昧な行動になっているし、日本語にも曖昧さが多いのは、日本人気質を表しているように、私は思うのである。
2016.01.08
コメント(0)
今回の自民党での総裁の年頭の挨拶には好き勝手な事を言っている感がした。また、政府が打ち出した「一億総活躍」にも疑問がるし前にもブログに書いたが、現状の日本と懸け離れた政策であるように思うし、誰しもが実行出来るとは思わないであろう。総裁の年頭の挨拶で、これまでの日本にして来たのは自民党の長きの政権であり、これからも日本を支えて行く様な事を言っていた。確かに戦後からの日本の復興には、政治の力が大きかった事は認めるが、別な部分で金に塗れた部分も多かったのである。それにより国民が政治離れを起こし、政治家に対する信頼を失ったのであるが、政治家は、それを自覚しているのかしていないのか分からないが、未だかって反省が無い。また、「一億総活躍」と言う、幟を打ち上げたが国民に取って、現状の日本では無理がある事は分かっている。高齢化が進み、介護の必要な方が、今より多くなり少子化で人口も増えない状況であるのに、高齢者に杖を付いて活躍しろと言っているも同じであろう。それで日本の経済を支えられるのであろうか?どう考えても高齢化が急速に進む中では無理であろう。むしろ「一億総福祉を考える」なら、国民も納得するであろう。まず「一億総活躍」は、政治家の茶番政策であり、これで国民を納得させられると思っていたら、政治家の馬鹿さ加減が出ているだけであろうと私は思う。まず、高齢化が進み、介護の必要な方が増えるのは誰しも分かっている。その方達が活躍する状況を作れるのか、若者より高齢者の人口が多いのであり、若者が高齢者を支えるのに問題があると言っている状況である。次に支える若者が、現状の日本の雇用体制では生活が安定しない不安が付きまとう。そうなれば結婚も難しくなり、子供も出来ない。この状況を作り上げたのは、政権を長く維持して来た自民党であり、政治家達である。戦後の日本経済は、人で企業が成り立ち、そのおかげで日本は急速に経済成長を成し得た事を今の政治家は分かっているのであろうか疑問に思う。企業も同じく、企業は人で成り立ち、そこから利益を上げる。だが、それを企業が独自で儲かる事を考えたかのように金・金の世界に入り込み、政治家に金をチラつかせて企業利益を優先して、政治献金を行い現在の雇用体系を作り上げた。企業は利益を求めるのは、当たり前であるが、利益を生めるのは働く人が居るからである。だが、利益優先で雇用体制が変わり、働く人達の雇用不安を作りだしたのが、政治家であり企業である。もう一度、企業が成り立つのは人材である事を考え馬鹿な政治家に金を出すなら、雇用体系を変えて働く人達の不安解消を行うべきであると思う。現状の雇用体系では、働く側の優秀な人材も育たないであろうし、生活の安定が無ければ自分たちの力を出す事も考えてしまう悪循環が生まれるだけの日本の雇用体系になってしまった。これが政治家と企業の癒着で生まれた体制であろう。
2016.01.07
コメント(0)
私も同じであるが、人は自分の置かれた立場で考える。これは当たり前であるし、それが生活である。私も車イスの方や海外・被災地・高齢で介護の必要な方等のお手伝いを行ったが、そこで、ぶつかる事は制約である。その様な事を行うと、色々な面で問題点が出て来る。それぞれに我儘もあるし、言い分も様々であるので全部を聞いて居られないし、行動も出来ない事が多いのも事実である。だが、応用すれば対応出来る事も多い事もある。それを実行しようとすると、制約と言う壁にぶつかる事が多過ぎるし、端的に実行可能な事もあるがそれを行政なりに持って行くと、ガンジガラメノ制約で駄目と言われる事が多い。私は単独で行動するタイプなので、その場合は出来る範囲と思った場合は、私が責任を持ちますと、社協なりに前もって言って行動を起こす事をする。確かに制約が必要である事は分かる。皆さんの苦情を聞いて居た場合は、人が幾ら居ても足りない。また、私達がお手伝いする方々の環境も違うのでそれぞれに言い分も違って来るので、それをまともに受け取る事が出来ないのは当たり前であるから制約するのである。それは分かるが、制約部分を作り上げる人が現場サイドの経験が無く、頭で考えて作る事も多いのも事実である。ましてや若い方になると、現場の状況が分からないので相手の無理難題も受けたり、私達のお手伝いが、どの様な内容の物なのかも分からない人が多い為に問題を定義しても、制約が先行して、曖昧な返答になる。私のように現場サイドを重視して考える人間であるので臨機応変に対応出来ない事に、幾度も怒りを感じる場面が多い。私はシステム屋であったが、システムを分析する場合は必ず現場サイドで仕事をさせて貰い、使う立場を理解してから管理側と分析を行っていたので、その癖が残っているのであろう。良く官僚や政治家・行政の事を、私はブログに書くが色んな法制や制約等を彼たちが作るが、それは頭の中で考えたのと、情報から分析しているがその情報も限られたものである事が多い。その連中は現場サイドも分からないで、制約を作るから問題が多く出る。問題が多く出ても改革や改良を行わないので行政側は制約範囲しか言わないし、やらないのが現場サイドとの溝になる。今の政治家や官僚に対して改革等と言っても、自分たちの行動や機構も改革出来ないのであるから、彼たちでは無理であろう。この問題は、別な部分で解決する方法論も考えて行かなければならないであろう。それには地域の方達の協力も必要なのであろうと私は思う。
2016.01.06
コメント(0)
私は年齢なのであろうか、買い物でスーパーも使うが意外と個人商店を良く使う。同時に安い店には良く行き、顔なじみの成る事が多い。そこで無駄話等をしたりするのであるがそれも面白いものであると思っている。これは今の若い人には理解出来ない部分が多いかもしれない。今の若い人はショッピングを楽しむのであろう。私達世代は買う事よりは、慣れ合いを楽しんだ時代の育ったのでその様な行動をするのであろうと思う。だから、店長さんや店員さんも顔を覚えてくれるし良く行く魚屋さんは、名前で呼んでくれる。これが私のとって嬉しい限りであるが、私も調子に乗って「今日のお薦めは」等と聞いて、魚をおろして貰うのに店以外の製品を作成する場所に入って行って「これ、おろして」等といった行動をする。これが楽しみであり、人との繋がりが買いものでも出来る事が私達の時代にはあった。それが時代の波で個人商店も減り、その様な会話も無くなって来た。商店街もシャッターが下りて居る所が増えて、閑散としている。それが別な面で経済効果を減少させているのであろう。確かに商品が豊富な所に、お客さんは行くであろう。それは買う楽しみが多いし、見る楽しみがあり買う側からすると、その方が良いのは分かる。それも時代の流れなのであろうと思うし、それなりに買う立場からすると良い事であるが会話が出来る店も、私の取っては魅力がある。これも私達の育った時代から来るものであろう。店の人と会話が楽しめる所が減ったのが寂しい気持ちにも成るだけ、私は年齢を重ねたのであろう。私は会話が出来る店の雰囲気が好きで、良く行くが私の性格なのかザックバランなので、お客扱いしてくれなくなる部分がでる。それが別な部分で、私なりに満足しているのである。何事もそうであるが、人と人が、会話が出来る事は自分なりに学ぶ事も多いし、色んな面で教えられる事も多い。それが少なくなった現代であろう。昔の人が言っていたが「人間」とは、人と人の間と書くそれは必ず会話があるものであろう。自分が一人では成り立たないのが世の中なのだから会話を大切にしたいと私は思っている。
2016.01.05
コメント(0)
人は便利さを求めて行くものであると思う。確かに便利さは、人の欲求を満たしてくれるが満たされると次の便利さを求める。私も同様で便利さを求めて来たのであるが元々、怠け癖があるので、余計に便利さを求めて来たように思う。コンピュータを始めたのも、ソロバンを弾いて計算している事に馬鹿、馬鹿しくなって、時代は変わるという思いとその便利さを利用しない手はないと思ったからである。確かに便利であったので、私は、のめり込んでしまった。最初はオフコンであったが、パソコン関しては初期から、企業と大学と私達システム関連企業との研究会にも参加していたが、私はパソコン自体を玩具扱いで考えていたのである。だが、大学側はパソコンの発展を予期していた。私はシステム屋として、その部分に反発して大学側と激しい討論を行った事を思い出す。パソコン自体は、その頃はOSがCPM(DOSの前)でありBASICが立ち上がり、それが初期画面であり、Basicもインタープリタであり、コンパイラーを使ったプログラムより動作が遅い、言うなれば直接通訳と翻訳の違いで、ワンテンポ入るからであるがこんなのが使えるのかと疑問に思っていたのである。だが、最終的に大学側の言っているように、パソコンは発展したのである。 だが、まだ発展途上であり、私達が使った頃はターミナルとして使う事が少なく、主要はオフコンがになっていたのである。それが時代と供に発展して、現代は、パソコンは当たり前である。確かに便利であり、使う側としては、今や当たり前になった。だが、この当たり前が人間の部分的な物を退化させているようにも思えてならない。私などは、今は文章を書くのでは無く、入力するだけに成りそれが今まで書いていた漢字を忘れさせている。人間が便利さに頼ってしまい、自分が記憶するべき事を機械の頼り、何でも出来ると勘違いしている。私がコンピュータを始めた頃は、一般の人達がコンピュータは何でも出来るものであると考えていた人が殆どであった。現代はコンピュータに人間が頼り、それによって人間の知能の一部分が退化しつつあるのではないかと私は思う。同時に人間としての考え方にも変化が起きているのであろう。色んな面で便利さが、人間の理知的な部分を置き去りにしてそれが弊害を起こして居るのが現代であろう。その弊害が人間性を失いつつあり、それを気が付く人達も少なくなり便利さが当たり前である為に、人間性を教える事も忘れているのが今なのであろう。私が良く書くが、コンピュータは、あくまでも便利な道具であり、それを主体とした教育は問題が起きると思っている。教育とは愛情が無ければならないものであり、コンピュータには愛情が無い、確かに記憶能力はあるが、それはあくまでもデーターとしての役割でしか無いのである。それを履き違えて、便利な道具では無く、コンピュータが教える事は間違いないと勘違いしている人達が多過ぎる。機械はあくまでも機械であり、人間では無いのであるから心が入っていない事を忘れて、教育に使うのが現在なのだと私は思えてならない。人は心と心でぶつかり合って、始めて分かり合えるものでありそれで人間性を高めるものであると思う。それを勘違いしているのが、現在の教育であろう。何時しか人間は便利さに惑わされて、人間の感情を忘れ去る教育がなされているのでは無いかと思う。
2016.01.04
コメント(0)
マイナンバーに関して、昨日も書いたが今回も書く、このシステムを作成して稼働させた管理省庁は、本当に何も考えていない連中の集まりであろう。まず、システムの基本的な考え方が間違っているように思う。各省庁は行政の業務簡素化を主体に考えているのであろう。それは理解出来るが、今の状況で業務の簡素化も出来ないで現在は、混乱を起こしているだけのシステムであるからこれで、本来の趣旨である個人情報の機密部分を守れるかと疑問に思う部分が多過ぎる。まず、マイナンバー自体が国民のプライバシー部分を利用して、業務の簡素化を行う。これは個人情報が漏れた場合は、膨大な被害が出る事を考えているのであろうか?マイナンバーの行く先は、国民一人一人の個人の情報が詰め込まれている。それは資産から健康面、諸々の情報であり、その情報により、個人の管理をして行政側は業務の簡素化を行うのである。それは国民の一人ひとりのプライバシーが詰め込まれていると同じ事なのである。それを考えて、今回のシステムを構築したと言っているが今の状況では、個人情報の機密性を考えて作成はしていないのが実情であろう。単純に行政の業務の簡素化のみを考えている為に管理省庁はシステムを作り、本稼働を行ったので混乱でボロボロのシステム稼働に成りそれでマイナンバーですと言って、色んな事が使いますと言うのもおかしい。同時に、このシステムを構築作成した企業もシステム自体の重大さが分かっていないのであろう。単純に業務の簡素化だけを主流にしてシステムを作成しこのシステムが、どの様な問題が起きるかも分析出来ていないと言って良いくらいの程度が低い分析のように思う。まず、システム分析が出来ていないのと、操作性を考えていない何回も書くが、システムは人が使って生きるものであり使い方を間違うと、ただのゴミや事件に成りかねないのである。今回のマイナンバーシステムは、ゴミと事件を起こすようなシステムに成る可能性が高いように私は思う。よくぞ、こんなシステムを本稼働させたなと思うしこのシステムは個人のプライバシーが大きく関わるのにテスト稼働的に本稼働を行った事に問題があり同時に操作に関しても、能力的な事を考えているのか疑問に思う事が多過ぎる。個人の資産や所得・医療関係(健康状態)、借入等やその他情報が最終的に含まれるシステムである。それは個人のプライバシーが全体的に分かる事になる。この情報が漏れた場合は、大きな事件に成るであろう。今までの年金機構の漏えいどころで無い問題が起きる。それが現状の状況で行うと、漏えいは当たり前でありこのシステムを動かすのは、各行政である事は市町村単位が使う事になり、管理も行う事になる。これも市町村では、使う側の能力格差があり過ぎて問題が起きる確率も高い事を考慮してシステムのマニュアルを作っているのであろうかも疑問である。果たして情報漏えいした場合は、何処が責任を取るのであろう。監督官庁は市町村に責任を取らせ、業務指導と言う名目で責任を逃れるであろう。また、馬鹿な政治家は、この様な便利なシステムであり機密性も考慮して居るので、今後は色んな方面に使えるシステムであると言っているが、現状の問題点を理解して言っているのか疑いたくなる。マイナンバーシステムは、再考慮すべきであり再度システムを見直し、それで一部の行政でテスト稼働を行って、問題点を洗い出すべきである。このまま使ったら、情報漏えいが起きて事件が多くなるであろう。
2016.01.03
コメント(0)
マイナンバーシステムに欠陥と言う事であるが、昨年から、今回のマイナンバーシステムに関しては問題が多いであろうとブログに書いた。どう考えても、このシステムは稼働させるためには何のテスト稼働を行っていないも同じであろう。システムを作成する為に、システム内のルーチン(項目)毎のテスト稼働は行っているであろうが、関連業務との連携テストは行われていなかったも同じである。ルーチンごとのテストは、これはシステム構築の場合は当たり前の事であり、やらない事は無い。どう考えても、このシステムを作成した側と使う側の連携が取れていないのに、システムの本稼働を行った事が不思議であり、本当にシステム構築が分かっているのか疑問に思う事が多過ぎる、この状況で稼働させるシステム作成側、同時に省庁側の無知な事は、甚だしい限りであり、この様な膨大なデーターを管理するシステムを甘く見ているのであろう。このシステムは膨大なデーター管理システムなのであり幾度も書くが、チェック項目も膨大に成り、機密性を管理する為に企業の数十倍のチェックを必要とする。チェック項目が大きくなればなるほど、問題点も出る率が高くなるのであり、問題点が解決しても、その裏に隠れている問題点は出て来るのが普通である。このシステムを開発した側は、システムを分かっている連中が携わったのか疑問である。システムは必ずテスト稼働を行うが、テスト稼働がスムーズに行った場合ほど、後から問題が出る事が多いのでありそれはシステム作成時には、想定できない物が多いのである。この様に考えると、今回のマイナンバーシステムは稼働時期を発表した期間も短いし、本稼働を行う前に一部地域でのテスト稼働を行うべきが、それも行わずに本稼働を行ったのもシステム作成側と管理省庁の問題点である。これだけの膨大なシステムを、本稼働直接は無謀でありシステム構築では考えられない。 現状の状況がテスト稼働と何ら変わらない状態である。こんな馬鹿なシステム本稼働は、システムが分かっている人達なら行わないし、今がテスト稼働と言っても過言でない。この状況では、さらなる問題点が出て来るであろうし最終的には動かないシステムになり、税金の無駄使いに成りかねない状態である。このシステムの問題点を出る毎に、解決して行くつもりかもしれないが、それを行ったら機密関係で問題が発生するであろうしその時は、このシステムは破綻して居るであろう。まず、マイナンバーシステムの稼働は、今年度からであるがこれは無理であろう。こんなシステムでは、稼働もスムーズに行かないし機密漏えいも起こり、大きな問題が生じるであろうし他の機関や企業との連携も問題や漏洩事件が発生する事は目に見えている。また、使う側も修正、修正を加える毎に操作性が変わるので付いて行く事が出来ないで、データー漏えい等や操作ミスが多発するであろう。管理省庁もシステムを分かっていないのであろうしシステム作成側も、どれだけの問題点が起きるかも把握していないので、この様な問題が起きている。最低最悪のシステムに成りかねないのがマイナンバーシステムであろうと私は思う
2016.01.02
コメント(0)
明けまして、おめでとうございます。昨年は、面白くも無いブログを読んで頂き有難うございます。本年も読んで頂く事を願っています。毎回、殆ど文章なので面白くも無いと思いますが毎日書くように心がけています。昨年の反省を込めて、今年は新たな事に挑戦したいと思っています。ただ、老兵なので何処まで続くか分かりませんが色んな経験をして、その時の心境を書くつもりです。私の場合、12月が過ぎると、直ぐに歳が1歳増えるので年齢をます毎に、何か寂しさを感じます。でも、自分は歳を取ったと思わないようにしていて単純に経験が増えたと考えるようにしているのですが単なる強がりで生きているだけでしょう。昨年は新たな事に挑戦する、きっかけが出来たのでそれを中心に向かう事を考えています。同時に昨年は昨年で、そこは引きずらないように新たに自分を見つめ直す事もして行くつもりです。それは昨年の失敗を繰り返す事は、自分が進歩して居ないと同じだからなのですが、それはあくまでも個人的な行動を改めるだけです。まず、今年は夏あたりに、突飛も無い事をやろうと思っています。それが最後の自分をイジメる事に成るかもしれませんがそれが私の性格が一番出るでしょう。そんな事を考えながら、今年の自分の計画案を作成していますが政治や地方等の事は、昨年同様に思った事を書くでしょう。むしろ今年の方が激しく書く可能性はあると思います。また、被災地や高齢者の事も、昨年同様に実行しながら自分なりの考えと行動を実行したいと思うのです。ただ、老兵なので身体の部分が保証出来ないので途中で挫折する事もありうるかも知れませんがそれでも自分が動ける限り、動き実行して行こうとは思います。特に夏あたりに考えている事は、自分の限界を知る事に成るかもしれませんが、挑戦する事に意義があると思っています。後は自分の至らなさを修正しながら、新たな自分を作れるか人間としての素朴さを、どれだけ追求できるかを求めて行こうと思っています。今年は自分の人間性を追求して行く年にして行きたい。その為には自分をイジメて見ようと思っています。これが最後のアガキかもしれませんが、最後までアガキ今年は自分の性格の悪さを出し切る事にしました。
2016.01.01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1