財力をつけた三井家は、18世紀になると、茶道具など美術工芸品の収集を盛んに行い、芸術に対する関心を高めていきました。しかし新興商人であった三井家の芸術に対するアプローチはかつての商人たちのようにはいきません。古いタイプの商人は、伝統に基づいた貴族的な美を追求しました。以前の回で書いたように、江戸時代前期に活躍した 尾形光琳
の絵は商人たちに人気がありましたが、宮廷生活など伝統的な約束事の知識をもっていないと、真に観賞できないものでした。京都の伝統という基盤を持たない新興商人の三井家にとっては、近寄りがたいものでした。しかし、応挙の写実的な絵は、前提知識を必要とせず、平明で分かりやすく、かつ美しく心に訴えるものだったため、三井家は応挙の絵を所望するようになります。こうして応挙40歳、安永元年(1772)頃、応挙と三井家の関係が始まりました。東京日本橋の 三井記念美術館
に応挙の作品が多く所蔵されているのはこのような経緯によるものです。


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