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先日妹と知多の観光農園花ひろばへ行ったとき、ご来店記念でひまわりの種をもらいました。おひとり様1袋を妹がうちは植える場所がないからと私にくれたので2袋もらいました。注意書きには植える時期は3/15~9/15と書いてありましたので、今年はもう無理かなと思い来年3月には植えたいなあと楽しみになりました🌻少し前ブロ友さんのMさんから秋撒きの花の種を送っていただきました。私は嬉しくなってどこに植えようかとこの頃ずっと考えていました。プランターにならいくらでも増やせるのですが地植えとなると場所がありません。父にそのことを相談すると、父が「だったら空いている元畑だった場所の隅に新しく花壇を作ったらいいよ」と提案してくれました。私は思ってもみなかったのですが、父の提案にそれもいいなあと少し楽しくなりました(^^♪我が家は生活道路から見ると縦に長い土地です。北側には細い道路もありますが門が向いているのは生活道路の方です。我が家はこの縦に長い土地の奥側半分を門とフェンスで仕切ってあり自宅と自宅の前が庭で花壇が2か所とキンモクセイや南天などの庭木が植えてあります。一番奥にも木が2、3本植わっています。その他の庭は人口芝を敷いて草が生えないようになっています。その上に私がプランターをたくさん置いてバラやコスモスなどのお花が植えてあります。ミニドールガーデンも6個置いてあります。家の門の前、土地の真ん中部分が屋根付きの車庫になっています。車庫は2台つづ並びで計4台分ですが1台分の場所が自転車置き場です。車は今は3台です。そして生活道路から一番手前のよく目立つ場所が昔の自宅が建っていた場所ですが今は空き地になって以前は父が畑をやっていましたが、腰を痛め出来なくなったので今では草が生えないようにシートで一面覆っています。一番手前の場所には、父が植えた桃とサクランボと柿と梅と金柑の木が1本ずつあります。父が花壇にしたらどうかと言ってくれた場所は木の後ろの生活道路から一番見えるフェンス沿いの一角でした。今まで私がプランターで夏野菜を少し植えていた場所です。私は「ここに花壇を作りたいです!!」と父にお願いしました。というのもこの場所は困ったことに、よくゴミが放り込まれるのです(-_-;)道路から見たらプランター野菜がまるで草むらに見えるのか、汚い場所には、ゴミを捨ててもいいと思うのかわかりませんが、空き缶やペットボトル、たばこの箱、吸い殻、お菓子のゴミがよく捨てられています。この前なんて食べかけのおにぎりが投げ込まれていて蟻が群がり片付けるのが大変だったのです( ゚Д゚)とっても腹が立ちますが、人間綺麗なところにはゴミを捨てません。適度に散らかっていて罪悪感を持たなくていい場所にゴミを捨てるのです!!本来なら人の土地にゴミを捨てること自体が非常識なのですが、一番目立つ場所を綺麗にしていない我が家にもゴミを捨てさせる隙を与えている責任はあるのです。だったらここを花壇にしていつも綺麗にしていたら、人はゴミを捨てなくなると思うのです。ゴミはそこらへんに捨てるのではなくちゃんと家に持ち帰らなければいけないのです!!そんな当たり前のこともわからない人が多いのも困りものですが・・・(;'∀')まず私がプランターの野菜を別の場所に動かすと、父がその一角のシートを剥がし、土を掘り起こして石灰を撒いて耕してくれました。こうしてまずは花壇となる場所が出来ました。広さは縦1.4メートル×横5.5メートルのフェンスに面した細長い花壇です。更地になった花壇の場所をこれからどの様な形にしようかと考えています。出来ればお洒落で高低差があり、遊び心がある花壇にしたいんですが、何と言っても素人で、センスの欠片もない私です(;^ω^)それと如何にお金をかけずに、低予算で出来るかが課題です!!お金があれば造園業者に頼めばいいことですが、私は手造りにしたいんです。昨日はスケッチブックにいろんな図案を書いてみました!!出来れば中をお散歩できるくらいの細い道を作りたいなあ。お花は季節によっていろんな花が年中咲いていたらいいなあ。ミニ薔薇がたくさん咲いていたら可愛いだろうなあ。季節によってひまわりや大きな花がフェンス側に咲いたら綺麗だろうなあ。花壇の中をさえりんが楽しそうに渡れるような石かレンガを置きたいなあ。流れるような曲線が作れたら可愛いだろうなあ。段違いで高低差のある花壇にしたらカッコイイかなあ。考えていたら、夢が広がりどんどん楽しくなってきました(*^^)vこのワクワク感、久しぶりだなって思います。そういえば庭の中の花壇を綺麗にした時も、ミニドールガーデンを造った時も、ハナミズキやクリスマスローズを植えた時も、ベンチのリニューアルやテーブルを作ったときも、こんな風にワクワク感でいっぱいでした。「庭を綺麗にして花を植えることは死者の魂を歓迎する行為」と本で読みました。本当なのかどうかはわかりませんが、私はきっとさえりんも喜んでくれているんだと思うのです!!お空から見てて「わぁぁぁ可愛い💛私もこんなお庭で遊びたい♬」ってさえりんは蝶や小鳥に変身して遊びに来てくれるんじゃないかと思えるのです!!まだまだこれから主人にも手伝ってもらいながら、少しづつ構想を練ってとっても可愛い「さえりんガーデン🌻」を造りたいと思っています!(^^)!これから少しづつ、ゆっくりですが造る過程もブログに書きますね。どんな風に出来上がるか、わかりませんがとっても楽しみです!!さえりんも楽しみしていてね(さえりん6歳 マクドナルドのプレイルーム)子供を亡くした親のその先の人生は、想像を絶するほど過酷です。きっとこの先一生、元の生活になんて戻れません!!でもそんな過酷でどん底な中でも、ほんの少しでも自分で何か光を見つけて生きていければいいなあと私は思います。それは亡くなってしまった娘の親を想うせめてもの願いでもあると思うから。私もこの秋は花壇を造ることで、憂鬱なメンタルが少しでも明るくなればと。ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月30日
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私はこのタイトルで以前にもブログを書きました。あれから、もうすぐ3ヵ月になりますが、あらためて考えてみました。私にとってさえりんと次女の2人は何より自分の人生の中で我が命よりはるかに大切なかけがえのない尊い存在です!!私は娘たちのためになら、命も差し出せると思っています。娘たちを守るためなら鬼にも蛇にもなれるし、たとえ殺人でもすると思います。そんな娘を溺愛し娘命の私から、ある日突然、長女のさえりんが何の罪もないのに、交通殺人で無惨にも命を奪われた時、私は狂いました。訳も分からず通夜葬儀を慌ただしく終えた後、私は廃人になりました。生きていても死んでいるような、まるで生ける屍のようでした。もう一生心から笑うことも、楽しむことも絶対にないんだと人生の楽しみや喜びを全部喪って、夢も希望も未来も全て奪い取られました。私は自分の生と死のはざまで、のたうち回りもがき苦しみました。それはまるで、地獄のような日々でした・・・なんで・・・どうして・・・さえりんが私より先に死ななくっちゃいけなかったの???私はどうしてさえりんを助けてあげられなかったの???答えの出ない問いと、どうしようもできない後悔が、私にさらに追い打ちをかけて襲い掛かり、苦しめ続けるのです。そしてこんな子供を亡くした私が、生きていてもいいのだろうか??こんな私に生きる価値や意味なんてあるんだろうかという問いが私の頭の中を悩ませ罪悪感で、心を蝕んでいくのです。さえりんが亡くなってからもうすぐ1年4ヵ月になります。1年過ぎたから元気になったとか、もう落ち着いたとか、時間薬なんて言われると、未だに心がかき乱されて無性に腹が立ちます!!ましてや乗り越えられたなんて、絶対に一生ありません!!だって大事な娘の事を忘れたり、諦めがつくなんて一生あり得ないからです!!でも1年以上過ぎてほんの少しだけ気付いたこともあるのです。それはあの頃「子ども亡くした親にその後生きる意味や価値があるのだろうか」と思っていたことが、ほんの少しだけ今では「こんな私でも生きている意味や価値があるのかも知れない」と思えたことです。それはブログでさえりんへの想いを毎日綴っていることが大きく影響しています。まず私が生きていなければ、さえりんのことを書く人はいません。誰も書かず、話題にもならなかったら人々の心からさえりんという人間の存在は消えてしまします。「人は人の記憶から消えた時二度目の死を迎える」と言います。だから私はさえりんを決して2度目に完全に死なせたくなかなったのです!!さえりんには永遠に生きていて欲しかったのです!!だからこうしてさえりんの記録や、私の想いを日記としてブログに書くことはすなわち私にしか出来ない大事な役目であり、私が生きる意味と価値なんです!!今では有難いことに、この『さえりんの部屋』ではじめてさえりんという娘を知って下さった方々も、まるで昔から知っている娘のように身近に想って下さることが何より嬉しく感謝の想いでいっぱいになるのです。私がブログを書く限りさえりんはそうした方々の心の中でずーっと生き続けていけるんだから。もう一つは、私のような子ども亡くした方が全国には大勢みえるという事実を知ったからです!!私の周りにはご主人をご病気で早くに亡くされた友人はいますが、子供さんを若くして亡くされた方はあまりいません。私だけだという孤独感に苛まれました。でもブログをはじめてたくさんの方々やブロ友さんが出来て、はじめて全国には同じような境遇の親御さんがこんなにもたくさんいらっしゃったんだと、目を見開かされる思いでした。そして、その親御さん方はブログで我が子への想いを綴ってみえたり、その後のご自分の生き様を書いてみえたり、また子供さんの死を無駄にしないための活動を一生懸命にされてみえたりと、私には眩いばかりの衝撃でした!!そこには悲しみを抱えているからこその強さともろさと、失意とエネルギーを感じるのです。私は皆さんからのパワーと勇気と衝撃を忘れません。だから、私は思ったのです。こんな私でもブログというツールを通して娘への想いをひたすら発信し続けたらもしかしたら、いつか、かつての私のように突然、奈落の底に突き落とされて失意の真っ只中で、この先どうやって生きていけばいいのかさえ分からなくなってしまった方に、お出会いするかも知れないと。そのとき、こんな状態で生きる価値や意味さえ見失った私のような人間でもまだ生きていること。生きてさえいれば、またいろんなことがあること。たとえ娘はもう二度と還ってこなくても、共に生きていく生き方だってきっとあるかもしれないと、気づいてもらえたとしたら、本望だと思ったのです。私は以前このタイトルのブログを書いた7月10日から今日までの約2ヶ月の間に本当にいろんなことがありました。刑事裁判で加害者に執行猶予付きの判決が出て、皆様からたくさんの署名を集めても控訴すら叶わなかったとき、この国の法律と世間の常識を心底恨みました。もう神も仏もないと神仏すら呪いました。法が裁いてくれないのなら、加害者に復讐して私も死のうと真剣に思いました。でもやっぱり復讐も死ぬこともしませんでした。私が死んでもこの社会は何一つ変わらないからです!!だから復讐の矛先を加害者にではなく、この世の不条理、一方的な事故の現実へ横断歩道での理不尽な死亡事故を無くすことに変えたのです!!もうさえりんのような悲しい被害者がもう増えてはいけないんです!!決して望むことではありませんでしたが、こうなってしまった現実を受け入れられなくても、ありのままそのまま抱えていくのです!!私は、子供を亡くした親のその先の人生を、どんなに辛く過酷な道のりでも、生きていくしかありません!!その道のりこそが娘が確かに生きていたという証になるのなら、それがたとえ棘の道で、全身傷だらけで血だらけになろうとも私は構いません!!どうせ何度も、娘と共に死のうと思ったくらいの命です。この命を今度は娘と共に生きていく命に代えられるのなら、もう何も怖くはないのです。だから私はこれからも生かされている限り生きていきます。さえりんと一緒に!!いつかさえりんが「ママおかえり💛頑張ったね」って笑顔でお迎えに来てくれるまでは!!(さえりん6歳 ナゴヤドームイベントにて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月29日
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昨日は午後から次女の成人式の前撮り撮影にいきました。さえりんの時は地元の呉服屋さんで着物を買って、地元の写真館で前撮り撮影をしたのですが、次女の時はその呉服屋さんや写真館にはさえりんが亡くなってしまったことを知られたくなくて、また同じ場所には私が辛くていけないので、次女は全く別の全国チェーン店の会社で振袖も買い、そこで前撮り撮影もお願いしたのです。そのお店はとっても丁寧で、姉亡きことも伝えさえりんの振袖も飾っていただき、遺影も一緒に撮影を引き受けてもらえたのです。昨日そのお店に着くと、何組ものご家族が次々に大勢みえて、前撮り撮影を待つご家族、振袖選びにみえたご家族、購入した振袖を後日の撮影のため持ってみえた親子、写真を撮りにみえたお母さんと娘さん、笑顔と明るい笑い声が聞こえてきてみなさんがとっても眩しくて幸せいっぱいにみえました。次女は着付けとヘアメイクのため先に中へ入っていき、私と主人と風呂敷に包まれた遺影のさえりんは待合室で待ちながら、他の家族を見ては少し羨ましく寂しく感じてしまいました。本当なら私たちだって幸せいっぱいだったはずなのに・・・どうしてここにさえりんがいないんだろう・・・(>_<)私はひとりおし寄せてくる複雑な思いを、心の奥に押し込みました。でも、もしかしたら知らない人から見たら、主人と私と次女だって、十分に幸せそうな3人家族に見えるのかなってそんなことを漠然と考えていました。昨日の家族写真には次女の願いで、父(じーちゃん)も来てくれると言っていましたが、当日の朝、私に「やっぱりやめとく」と断られてしまいました。父はきっとよく考えて自分が行かない方がいいと思ったのかもしれませんが、次女はガッカリしていました。父は次女に「ごめんな、成人式の当日家の前で一緒に写真撮ろうな」と言ってくれました。次女は渋々、納得しました。本当なら、4人で幸せいっぱいで撮る約束だった家族写真・・・2年前「妹の時も絶対にまた、みんなで家族写真撮ろうよ!!約束だよ!!」って、一番楽しみにしていたさえりんはもういません・・・(>_<)どうしてなの??どうして、さえりんだったの??どうして、さえりんはこんなに早く死ななくっちゃいけなかったの??どうして、こんな悲しい現実が何故私たち家族に起きてしまったの??次女の着付けを待つ間、こぼれそうになる涙を必死でこらえました。それでも、次女にとってはたった1回の大切な記念の成人式前撮り撮影なんです。私は母として、心から喜んで祝福してやりたいと自分に言い聞かせるのです。スタッフの方が待っている私と主人にメッセージカードを持ってきてくれました。お嬢さんにサプライズでメッセージを書いてあげて下さいと。主人はこういうのは苦手だと言いながら、「おめでとう」と一言。私はたくさん書いてしまいましたが、最後に次女に「ずっと大好きだよ💛」と書きました。さえりんがいたら妹になんて書いたのかなって思ったら・・・堪えていた涙が思わずこぼれてしまい、我に返ってすぐに涙を拭きました。スタッフの方が次女の着付けが出来たと私たちを呼びに来てくれました。中へ入ると、ペパーミントグリーンの振袖を着た次女がはにかみながら立っていました。主人と私は次女に「とってもよく似合うね!!可愛いよ(^_-)-☆」というと次女はにっこり笑いました。撮影が始まりました。「まずは家族写真から撮りましょう」と言われスクリーン前にはさえりんの赤い振袖が飾ってありました。草履をバッグも置かれ私たちは中心から右側に椅子に次女と私が座り後ろに主人が立ちました。さえりんの遺影は私が持ちました。私はまた涙が出そうでしたが作り笑顔で乗り越えました。その後は次女の写真を計100枚以上撮って、最後にまたスクリーンの前に私たちも呼ばれて次女と向かい合って立たされました。するとスタッフの方が次女に紙を渡しました。次女は照れ臭そうにその紙を見て「感謝状・・・・」と読んで最後に「いつもありがとう。これからもよろしくね。大好き」と次女の字で書いてありました。その感謝状を私に渡してくれました。私はずっと我慢していた涙がポロっとこぼれました。その様子もカメラマンさんが撮ってくださっていました。撮影が終了し、次女が振袖を脱いでから、3人で係の方とモニターを見ながらアルバムに入れる写真を選びました。次女の好きなアルバムの形と枚数を選ばせたら、さえりんの時の倍以上(10万以上)お金がかかってしまいました。でも主人も私も了承して、次女のいいようにさせてやりました。いくらお金はなんてかかっても、たった1度きりの成人式。さえりんの時みたいに親はどれだけしてやってももし何かあればあの時こうしておけば・・・と後悔しか残こらないんです。そう思ったら次女の嬉しそうな笑顔が見れたらそれでいいと思えてしまうんです。究極の親バカですがそれも仕方ないんです。全部終わって外に出たら、もう真っ暗になっていました。夜7時近くになっていて、次女と主人は腹ペコでした。さえりんの前撮りの時もそうだったので「みんなでご飯食べて帰ろうよ」と言うと、みんな賛成!!次女に「何が食べたい?」と聞くと「今ならお肉がいっぱい食べれそう(≧▽≦)」と言うので、帰りに3人で本当に久しぶりに焼肉を食べに行きました。黙々とお肉を焼いてはたくさん食べる主人と、「美味しいね」ってニコニコの次女を見ながら「さえりんもきっとここに一緒にいるよね」と心で想いました。私たちだって傍から見たら、何も不幸なんて感じられない幸せな3人家族としかみえないんだろうなって思いながら、それでもいいんだと思いました。見るからに子供を亡くした可哀そうな家族だなんて思われなくてもいい。むしろ、そんな不幸丸出しで同情してくださいなんて思われたくもありません!!それでも一見幸せそうな私たち3人の中に、いつもいつもさえりんの存在が心の中にしっかりと生きていてくれたらそれでいいと私は思いました!!きっとさえりんもそれを望んでいます!!「あなたももう成人式だね!大きくなったね!!」ってきっとニコニコしながら妹を祝福し優しく微笑むさえりんの姿を、私たちはしっかり感じているんだから。(さえりん6歳 近くの公園で遊ぶ)(昨日の次女の前撮り写真 次女とさえりん)(家族写真は11月末の出来上がりなので、その時に載せますね)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館コメントを下さった、ぱぱやんさんへ娘さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。大変なときにコメントをくださり、心からお悔やみ申し上げます。私も奥様同様、長女さえりんをすごく溺愛していました。だから余計に突然さえりんが亡くなった時、どうやって後を追おうかそれしか考えられませんでした。毎日毎日泣いて喚いて苦しくて胸が張り裂けそうで、死んでしまったほうがどれだけラクかと思っていました。奈落のどん底で地獄を痛いほど味わいました。でもやっぱり私は、死ぬことができませんでした。その理由は、私たちには2歳年下の次女がいたことと、さえりんは絶対に私が後を追うことを望んでいないとわかっていたからです。だから、どんなにズタボロで、苦しく辛くて生きる屍になっても生きました。今もまだ辛くない日なんてありませんが、それでも生きていたから次女の成人式や成長を見れることがせめてもの救いです。そして何よりさえりんは人の心の中で今も生きています。私がブログを書く限りさえりんは今も皆さんの心の中に生きていけるんだと、そう思えるからです。だから、今は何も考えられないかも知れませんが、どうか生きていて下さい!!生きていたら・・・きっと娘さんはご両親の心の中で生き続けられますから。
2020年09月28日
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昨日は浜松に住む妹がドライブに連れて行ってくれました。お天気は曇りのち晴れ、日中は少し暑かったですが、風が気持ちいい秋の気候の一日でした。朝9時過ぎ浜松から愛知県の我が家へ来てくれた妹は、まずさえりんのお仏壇をお参りしてくれて「さえりん一緒にドライブに行くよ!!」と私は小さいほうのシナモンを分身としてお仏壇の中から私のカバンに入れて、妹の運転で出発しました!!行き先は愛知県の知多半島方面です。妹はまず「観光農園花ひろば」を目指しました。ここは季節によってたくさんの花が楽しめる観光スポットです。家から約1時間半で到着し、入園料700円をはらうとハサミを渡されました。「ひまわりはお一人5本までと他の花をあと5本、計10本まではお好きなお花をお持ち帰り出来ます。今の時期、お薦めはひまわりとガーベラです。」と係の方に言われて、農園に入りました。まず最初に一面ずーっと濃いピンクのマツバボタンが綺麗に咲いていました。その畑を通り越し一段下に下がると、一面すごく見事なひまわり🌻畑が!!こんな時期にひまわりが咲くんだと思っていたら、この農園では時期をずらせて順次6月下旬から12月下旬までずっと咲かせているんだそうです。とっても綺麗で太陽みたいなひまわり🌻は、まるでハム太郎の世界!!みんな太陽を仰ぐように咲いている姿はとっても力強く元気をもらいました。ひまわり畑の先には軽トラックや台があり、その上に乗ると一面のひまわり畑がとっても綺麗に撮れるスポットになっていました。妹と私も早速軽トラの上に登って写真を撮りました!!そしてお持ち帰り用のひまわりを選んで切りました。妹は「私はお花は要らないからさえちゃんにお供えしてあげてよ」と言ってくれたので、お言葉に甘えてまずはひまわりを7本いただくことにしました。次にビニールハウスの中の可愛い黄色とオレンジとピンクのガーベラをあわせて13本合計20本のお花を頂きました。とっても可愛いさえりんへのお土産です!!次に妹が連れて行ってくれたのは、すごくお洒落なカフェ「フレベール ラデュ」ここはパフェがすっごく可愛くって美味しいらしく人気のお店で午後になるとお店の外までずらりと人が並ぶのだそうです。私たちが着いたのはお昼の12時過ぎ、駐車場の奥から緑色のお洒落な橋を渡って階段を上ると森の中から素敵なカフェが。テラスからは三河湾の海が見える席もあり、お外の席と店内の席が選べました。私たちはまだ空いていてすぐには入れて店内の一番奥の席に座りました。メニューにはとっても可愛いパフェがいっぱい。どれも美味しそうで悩みながら、とっても立派なイチゴのパフェを妹と半分こで注文しました。きっとさえりんがいたら絶対に大喜びしそうな可愛いイチゴ畑みたいなパフェを妹と2人で食べました(*^^*) 一人では食べれそうもないくらい大きかった。野間の灯台を横目に見ながら、海岸沿いを車で走って途中堤防に登って海を眺めると思ったより荒い波が押し寄せてきて、釣りを楽しむたくさんの人たちや芝生の上でテントを張ってピクニックを楽しむ家族ずれがみえました。さらに車で走ること30分。半田市のミツカンミュージアムの向かい側の「魚太郎 蔵 カフェ」で遅めのお昼ご飯にしました。ここではちょっと変わった味付けの鉄火丼を食べました。赤だし味噌汁はコーヒーカップに入って出てきました。ドリンク付きです。ミツカンミュージアムは残念ながらコロナのためお休みでした。妹のお蔭で昨日はとってもいい気分転換になりました!!妹はきっと私の悶々とした様子を心配して外へ連れ出してくれたのだと思います。私と妹は今までこうやって2人で出掛けたり食事に行ったりしたことはありません。特に仲が悪いというわけではありませんが、学生の頃は私が先に家を出て寮生活をして、家に帰ってきたら、次は妹が寮生活そして妹は20歳で結婚し、6年後にはご主人のご実家九州へと引っ越したため、私と妹はすれ違いでゆっくり関わる時間があまりなかったのです。それが、さえりんの死を機に妹は私を気遣っていつも見守ってくれます。私はこれもさえりんが作ってくれた優しい時間だと思うのです。さえりんはいつも心配して私に周りの人を優しい心で関わらせてくれるのだと思います。それに応えてくださる周りの方々や身内に心から感謝でなりません。T子、昨日は遠くから来てくれて、一日楽しい時間をありがとう💛(*^^*)💛みんなからの優しい気持ちをもらって、これからも生きていこうと思えます。また来月はコスモスやイチョウを見に行きたいなあ!!昨日は本当に、ドライブに連れ出してくれてありがとう!!(昨日妹とドライブした場所)(さえりん6歳 知立神社にて初詣)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月27日
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昨日は朝から雨がずっと降っていました。今まではまた日中暑いくらいだったのに、急に冷たい風が・・・気温も低くなって半袖では寒くなりました。昨日はお昼前、歯医者で歯のお掃除をしてもらい歯医者は完了しました。そのあと次女の運転で隣の市の図書館へ行きました。私は借りた本を返すため、次女は後期の授業がオンラインで始まったので参考書があったら借りたいなあと行ってみると、図書館は臨時休館日(^^;)ガッカリしながら、借りた本だけ返して帰りました。途中、久しぶりに私が前に働いていたうどんチェーン店の別の店舗で次女と2人で遅いお昼ごはんにうどんを食べました。さえりんが大好きだった牛すき釜玉に辛辛というのが出てたのでそれを次女が私はいつもの釜揚げうどんを固めで注文しました。茄子とかしわとエビの天ぷらを次女と2人で半分こして食べました。昨日は雨のせいかお昼過ぎでもいつも外まで並んでいるこのお店も程よく空いていて、次女と2人のんびりゆっくり楽しく食べられました。いつもはこのうどん店もさえりんのことを思い出し悲しくなるのに、お店が違うからか、次女と一緒だったからか、わりと平気でいられました。ところが家に帰り少しのんびりしていたら、なんだか急に心臓が重く苦しくなり圧迫されるような嫌な感じになって、ずどーんと体も重いのです。そしてメンタルも急に落ちてとっても寂しく悲しくなってベッドでやすみました。私のいつもの秋の病気です・・・(>_<)急に寒くなったこと、ずっと雨が降りどよーんとしたお天気、それとここ数日愛知県警へ行くための準備や、県警で警部3名といろんなお話を伺い、収穫はたくさんありましたが、その分物凄く気を張っていてその反動が出たのだと思います・・・(;'∀')最初から、後でこうなるのは覚悟の上なので、きたなと思いました。夕方になっても夜になっても治まらず、起き上がるのもきつかったので夕食を次女に頼むと、ラザニアとサラダと少しおかずを作ってくれました。次女は、パパと叔父さん(パパの弟)とお姉ちゃんの分も次女と私のもちゃんと用意してくれて、本当に次女がいてくれて助かりました(*^^*)私はやっぱりダメな母親だなっと少し落ち込みながら・・・それでも、心配してくれて、助けてくれる家族があったかいなあっと感謝しながら、早めに休ませてもらいました。(さえりん6歳 2005年お正月part2)昨日は午後からこんな状態だったので、皆さまのブログのコメントに入れなくてごめんなさい:;(∩´﹏`∩);:ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月26日
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一昨日、主人と共に愛知県警へ面談に行き「横断歩行者妨害」の話の他にもう一つ詳しく聞いてきたことは「歩者分離信号」です。この件は、交通規制課のK警部が説明してくださいました。K警部は3人の中で一番若い方でしたが熱心でとても好感が持てました。まず最初に信号の仕組みを図を見ながら説明してくださいました。「歩者分離信号」と言っても、主に歩行者専用式とスクランブル式があります。現在愛知県の信号機は全部で13304機、そのうち「歩者分離信号」は566機で全体の4%くらいです。実は今、県警でも「歩者分離信号」の必要性を強く感じて増やそうと検討しています。令和元年は年間で18機、令和2年は更にたくさん増やしています。この先も出来る限り「歩者分離信号」を増やしていこうと考えています。それは道路には、人の安全と、円滑な交通が求められますが、もちろん優先すべきは人の安全だからです!!しかし、あまりに円滑な交通が妨げられればみなさんからの苦情がきます。だからその両方を考えていくことが必要です。と、教えてくださいました。そして娘が事故に遭った、国道23号線バイパス上重原インター出口交差点の地図にたくさん描き込みがあり、実はさえりんの事故後、すぐにK警部はこの交差点を「歩者分離信号」に出来ないかと考えてくださっていたのです!!K警部は理論的には可能です。多少青信号が短くなり渋滞の恐れはありますがそれよりも人の命の方が絶対に大切です。ただ問題もあるのです。それは国道23号線の下を渡るこの横断歩道は真ん中に島があり2段階式になっています。今までは1回の青信号で2か所とも渡れた横断歩道が「歩者分離信号」にすることで歩行者信号も青が短くなって1か所ずつしか渡れなくなってしまうのです。一番心配なのは地域住民の皆さんがそれを納得できるかどうかです。地域の方々が、多少の不便さはあっても、命が守られるならそれでいいと言って下されば、警察としては、歩者分離信号に変えたいと思っているんです。」とおっしゃられました。K警部は、実際に同じ23号バイパス出口交差点での例を教えてくださいました。それは豊橋市の国道23号線バイパス野依インター出口交差点の2段階の横断歩道。そこは地域住民や自治会の皆様が「2段階の横断歩道をいっきに渡れず途中で待ってもいいから安全を優先してほしい」と強く要望されたので、歩者分離信号に変えることが出来ましたと教えてくださいました。そこはなんと、以前私のブログでもご紹介した遺族の方が呼びかけて実現された信号機でした。そのお母様も当時中学1年生の息子さんの死を無駄にしないため、もう二度とこんな理不尽な青信号の横断歩道の死亡事故を無くすために、自治会、地域住民、学校に働きかけて「歩者分離信号」を実現させたのです!!私はそのK警部の話を聞いて、またO警部にその交差点の事故状況をデータを取り始めた年からの分すべてを調べていただくようにお願いしました。そして、そのデータに基づいてこの交差点の危険性を訴えて、地域住民や自治体の方、通学区の小中学校に理解を示してもらわなければならないからです。まだまだ途方もなく大変な道のりに感じますが、それでも動けばきっと同じようにこの交差点の危険性を感じてみえる方もいらっしゃるはずです。根気と努力が必要ですが、どんなに時間がかかっても大変でも取り組んでみようと思いました。そうでなければさえりんの死は犬死です。私は無駄になんてしたくないんです!!これは決して他人事ではなく、利便性が多少損なわれても「人の命」に代えられるものなんてないのだと理解してもらいたいのです!!実は「歩者分離信号」は私もこれから勉強しなければと思っていたのです。少し前『命の安全を守る 歩者分離信号普及全国連絡会』の会長さんに連絡をして相談にのっていただきまずは資料や本を送っていただきました。その『分離信号』の本の中「『分離信号』とは 一般交差点は、同方向の人と人と車を青信号で一緒にながす。そのため、歩行者は、常に右左折車との交差をしいられ、運転者の注意力に身を委ねることになる。しかし人間の注意力ほど不確実なものはない。当然の結果、人が車に見落とされ、一方的な事故がくり返し発生している。「分離信号」とは安全をそのような人間の注意力に頼るのではなく、歩行者横断中は車のながれを赤信号ですべて停止させる方式で、人と車を交差させない信号運用のことである。」と書かれています。一昨日、K警部は言いました。「車と人が交差しない方法の歩者分離信号に全ての信号機が出来れば、青信号を守ってさえいれば事故は起きないんです」と。私も本当にその通りだと思いました!!しかし、現実問題としては、日本中の全て信号機を「歩者分離式」にするのに何年かかるのでしょうか。私たちが生きている間ではたぶん無理でしょう。これも、もちろん進めていかなければならないことですが、その間にも、またどれだけ多くの罪もない横断者の命が奪われなければならないかわかりません!!だから私は思ったのです!! この「歩者分離信号機」の設置増加と並行して早急に「横断歩行者妨害」の道交法の周知も徹底してほしいと!!「歩者分離信号」のお話はとても勉強になり、ためになりました。主人も私も、もっと交通ルールや道交法、交通安全の取り組みなどをしっかりと学ばなければいけないと思ったのです。その意味でも一昨日、愛知県警での面談の1時間は私たちの目と心を開かせて頂いた、とっても有意義な時間だったといえます。愛知県警交通課の3名の警部の方々には丁寧に対応して頂き心から感謝致します。お忙しい中、本当にありがとうございました!!愛知県警察本部を出た私たちは、主人の提案で一昨日から試行運用が始まった名古屋初環状交差点(ラウンドアバウト)を通ってみました。信号機もなく、ロータリーを時計回りにぐるっと一周する感じの交差点でした。まだこの方法が本当に安全なのかどうかは試験中ということでわかりませんが、こうして警察も試行錯誤を重ねながら安全な横断歩道や交通を考えてみえるのだと思うことが出来ました。(さえりん6歳 2005年元旦)(はじめて刈谷ハイウェイオアシスの観覧車に乗ってご機嫌なさえりん(*^^)v)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月25日
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昨日は午後2時、愛知県警察本部へ主人と一緒に行きました。愛知県警で約1時間以上の面談をして頂きました。昨日、私たちに対応してくださったのは、交通総務課交通死亡事故抑止総合戦略室の課長補佐O警部と交通部交通規制課のK警部と、交通総務課安全教育係課長補佐T警部の3名でした。最初に持って行った私の書類をお渡しして読んでいただきました。そして、私は被害者遺族として横断歩道上での交通事故を減らすために、微力ながら何か出来る事はないだろうかと思い、今日伺ったことを伝えました。O警部が「横断歩行者妨害」の愛知県での取り組みと取り締まりの現状を教えてくださいました。「横断歩行者妨害」の取り締まり件数は、昨年愛知県は全国1位です。全国の累計は229395件、そのうち愛知県は38337件、全体の16.7%愛知県の免許取得者のうち200人に1人の割合で検挙している。横断歩道での事故は全体の40%、少しでも横断歩道での事故を減らすことが全体の交通事故を減らすことに繋がる為、7年前からこの「横断歩行者妨害」の取り締まりを愛知県では強化している。県境の警察署では隣県の人も多く検挙しているので、隣県の人は「これは愛知県だけの法令なのか?うちの県では捕まったり取り締まるのを見たことがない」と言われるそうです。警察官は「これは道交法で決められた全国的な法律です」と説明すると「全然知らなかった」と驚かれるそうです。愛知県警では2年前の7月から毎月11日を横断歩道の日と定めて特に取り締まりを強化している。昨年からは知事の命で県をあげての取り組みとなっていると、配布しているチラシをくださいました。私はO警部のお話を伺いながら警察署内では「横断歩行者妨害」の取り締まりが交通事故の減少に繋がると懸命に取り組んでみえることはよくわかりました。しかし全国1位の検挙件数だということは、それだけドライバーには「横断歩行者妨害」はまだ認知度が低く、知っていたとしても、守らない人が多いのが現状ともいえるのではないかと思いました。警察が取り締まり強化→ドライバーは認知なく止まらない→検挙率が上がるという構図なのではないかと思いました。それでは結果として、横断歩道内での交通事故、死亡事故は減らないという現実から脱出できないのではないでしょうか。JAF調べの横断歩行者停止率の県別ランキングでは2019年度、愛知県は10位で28.8%、でも前年比の増減率はわずか6.2%増だけです。全国トップの長野県は68.6%で前年比10%増です。トップであってもそれだけ意識して努力してみえることが伺えます。今の愛知県では横断歩道に歩行者がいても止まってくれる車は10台の内3台もいないことになります。7台以上は歩行者を無視して通り過ぎてしまうのです。私は「これではどうしたらこの横断歩道内での事故は減らせるのでしょうか??」と聞いてみました。O警部は「それでも警察は地道にコツコツ取り締まるしかない」と言われました。もちろんそれも警察としては大事な仕事かも知れませんが、それでは遅いんです。それではこの先また何十人、何百人の犠牲者が出るかわかりません!!そんなの待ってなんかいられません!!私は警察組織のことは全くわかりませんでしたが、どうやら春と秋の交通安全運動などは警察が主体ではなく愛知県交通安全推進協議会というところが行っている、そのトップは愛知県知事だということでした。県の推進協議会は250団体くらいあり、県警はその中の実施団体に過ぎないんだと教えていただきました。私は何も知らなかったので全部警察がやっているとばかり思っていました。とても勉強になりました。だとしたら「横断歩行者妨害」の県民への呼びかけ、ポスター、チラシ、PR、CMなどはそちらの管轄だということになるのです。今度はその愛知県交通安全推進協議会にも伺いしお話を聞きたいと思いました。もっと認知度が上がれば、横断歩道での事故は確実に減るはずなのです!!だからもっともっと全面的にPRをして頂きたいのです!!O警部には愛知県内の交差点内で起きた交通事故のデータを調べていただけますようにお願いしました。私は過去のデータや事故の状況をもっと調べて勉強しなければいけないと思ったからです。そうでなければ県や知事に理論だてて「横断歩行者妨害」の周知徹底のお願には行けないからです。私はあることを思い出しました。それは刑事裁判の控訴を求めて、名古屋地検岡崎支部に3日続けて嘆願に通った最後の日の帰り際に、副支部長に言われた言葉です。「警察も検察も組織で動いているので上からの指示は絶対です。中から変えることは出来ないのです。変えたいと思われるなら外から働きかけるしかないです。被害者遺族として痛感した無念を、ぜひ活動に移して法律を変えてください」と。私は法律を変えるほど大それたことが出来るなんて思っていません。もし出来たとしても一人の力では絶対に無理です。みんなの思いが一つになって全国に広がったら奇跡は起きるかもしれませんが今の私にそんな力はありません。だけど今この時の会話を思い出したのは、出来ない私だから、どうせダメだからと何もせず、警察が悪い、検察が悪い、裁判官が悪い、法律が悪いと、文句や批判ばかりするのは簡単ですが、それではただのクレーマーで何も前に進めないんだと。だから、ほんの少しでも前に進むために、こうして昨日愛知県警まで来れたことはとても勇気が要りましたが私にとっては大きな第一歩だったのだと思えたのです。私たちは、警察官は適当に話を聞いて体よく追い払われるかもしれないと思っていましたので、昨日はとても勉強になり有意義な時間だったことに感謝しました。実は、昨日は愛知県警にもう一つ詳しくお話を伺ったことがありましたが、長くなるので明日のブログに書きますね(^-^)(さえりん6歳自宅にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月24日
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いよいよ今日は愛知県警へ交通課の警察官がお時間を作って下さり面談させていただく日となりました。私が送った1通のメールを重く受け止めてくださり、県警から私の携帯へ何度もお電話をいただき、今日は交通課の警察官3名が話を聞いてくださると。私は自分ではそんな大それたことが出来るはずないと弱気になるのですが、それでも交通事故の被害者遺族として、さえりんからの宿題の答えを探すため、せっかく頂いたチャンスを自分のメンタルのせいでぶち壊しにしてはいけないんだと、自分に言い聞かせて行ってきます。主人がいてくれることも心強いです。約束は今日の午後2時からですので、内容については書ける範囲で明日のブログに書きます。私が心配しているのは、決して感情的にならないこと。娘の事故の加害者や刑事裁判の理不尽な判決の苦情に行く訳ではないことを肝に銘じるのです。あくまでも、この一向に減らない横断歩道での一方的な交通事故を減らすために被害者遺族である私たちが、何かできる事はないかという相談に行くのです。もうさえりんのような悲しい被害者が出て欲しくありません!!もう私たち家族のような悲痛な被害者遺族が増えてはいけないのです!!そういう気持ちを心の奥に秘めながら、それでも冷静に感情を表に出さずにことをなすには、県警の警察官のお力添えをいただかなくてはなりません。そこが一番の難関です・・・(;'∀')今の私にはまだ時期的に早く難しいかもしれませんが、それでも今この流れになったことは、さえりんが繋いでくれたチャンスかもしれないと思うのです。だから、今日はなるべく自分の感情を抑えて冷静に的確に行こうと思います。県警へ持っていく書類は、皆さんのご意見や、作って頂いたひな型を参考にして専門家の方にもたくさんアドバイスをいただきながら何度も書き直しました。そして、最初は書類と一緒に書いていた『娘の事故の経緯』は別資料を作って、「事故の一例として後でお読みください」と伝えて最後に渡すことにしました。今日、県警へ持参する書類です。ここをクリックして下さい。今から、ここだけの私の本音を書きます!!(県警では言えないので)どうして、この世から交通事故が無くならないんだろう・・・どうして、さえりんのような悲しい犠牲者は減らないんだろう・・・どうして、私たちのような地獄を見るような家族は減らないんだろう・・・どうして、一瞬で人生全ての未来も希望も光も奪われてしまうんだろう・・・どうして、もう二度とさえりんに逢えなくなってしまったんだろう・・・どうして、警察は誰かが死ななければ(死んでも)動いてくれないんだろう・・・悲しいね・・・(>_<)苦しいね・・・(>_<)切ないね・・・(>_<)生きてゆくのは過酷だね・・・(>_<)落ち込んで、自信を無くして、怖くなって、殻に閉じこもって、ガタガタ震えても後でいくらでも気が済むまで大声をあげて泣けばいいのです・・・だから今日の午後だけは、自分を律して、負けないように、泣かないように物怖じしないように、さえりんのために恥ずかしくないように頑張るからね。お空から見守ってね!!さえりん(さえりん6歳自宅にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月23日
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今頃になって我が家のアサガオは涼しげなブルーの花をたくさん咲かせています。昨日の朝数えてみたら、ウッドデッキに絡まって前と後ろに全部で18輪咲いていました。爽やかで涼しげなブルーがとても可愛く風に揺れています。実はこのアサガオとっても不思議なんです!!私はもう何年もアサガオの種を撒いてはいないのに、数年ぶりに今年8月お盆頃に勝手に芽が出て成長し花が咲いたのです。この家を建てて今年で10年。父がウッドデッキと出窓の前に2か所花壇を作ってくれました。最初の花は父が植えました。そのとき確か娘たちが小学生のとき学校の授業で育てていたアサガオの種を父が採っていて撒いたと思います。父は言いました。「次から花壇はお前の担当だから好きな花を植えなさい」と。私は父の言いつけだから仕方なく春と秋に花の苗を買ってきて植え替えました。しかし、その頃の私は日々の生活に追われて、花を愛でる気持ちなんて全くなくてただ体裁だけ整えるのが精一杯でした。だからいつも水やりも忘れてよく枯らしていたのです。アサガオも例にもれず枯れ枯れになってゴミ袋へ放り込み次の種を採ることもせずにいつの間にか私が絶やしてしまったのです。花壇は大抵草だらけ、草の中にちらほら花が咲いているような状態でした。庭も大抵草だらけで草取りをする気にもならず荒れ放題でした。父も母も腰が痛いのでそのまま私がやらないので放置されていたのです。それほどにその頃の私には庭も花にも興味がなく、お手入れをする気も余裕もなかったのです。今考えたら、酷いことをしていたなあと呆れます。ところがさえりんが昨年の6月梅雨が始まろうとする季節の前に、突然亡くなり我が家はどん底となり、庭は梅雨で更に草が生い茂り荒れ放題の酷い状態に・・・家の外回りは見兼ねた近所の方が草取りをして下さっているのを見て恐縮しました。お寺の住職や私の友人達が時折我が家へ訪ねてくるようになり初めて、草だらけの庭や花壇では恥ずかしいと思うようになってやっと重い腰を上げ草取りを始めました。しかしやってみると草取りに熱中している間は少し悲しい現実から解き放たれて、さえりんはまだ生きていて病院で入院しているんだと錯覚と妄想をすることが出来たのです。それで私は無我夢中で毎日草取りに没頭し庭を綺麗にしました。きっと悲しい現実から少しでも自分を逃がすための術だったのだと思います。真夏の陽射しがきつくなる頃、私の姿を見兼ねた父が人口の芝を庭一面に敷いてくれました。お陰でもう草取りから解放されました。しかしやる事がなくなった私は今度は花壇に花を咲かせることに夢中になりました。その頃毎日のように三好の三貴フラワーセンターへ花の苗を買いに通いました。ボロボロだったベンチも主人にリメイクしてもらい、見違えるくらい綺麗な庭が出来ました。それが去年の秋でした。春、夏とまた新しい苗を買ってきては植え替えました。ところが今年のお盆頃に、突然花壇に撒いた覚えのないアサガオの芽と葉が出てきたのです。そのアサガオは見る見るうちに成長し、涼しげなブルーの花を咲かせたのです。私はこのアサガオは最初は次女が学校でもらってきたものだと思いました。しかし、よーく考えて記憶を辿ってみたら、確かお互いの好きな色と逆だったことを想い出したのです。青系が好きな次女はもらってきたアサガオはピンク、ピンク系が好きなさえりんがブルーだった記憶が蘇りました。だから、このブルーのアサガオは間違いなくさえりんのアサガオだったのです!!なぜ撒いても無いのに、もう何年も咲いていないのに、今年に限って突然に芽が出てきたのか??こぼれ種にしてもこんなことあるのかな??とっても不思議でなりません!!でも、考えてもわからないので、これはさえりんから私へのプレゼントだと思うことにしました!!さえりんはきっとこういっているのです。「ママ、花壇を綺麗にしてくれてありがとう💛アサガオはそのお礼だよ」って言ってくれたのかなって私は勝手に思ったのです(^_-)-☆さえりんありがとうね今度は必ず種を採って毎年綺麗に咲かせるからね!!もう絶対にこのアサガオを絶やして無くさないからね!!お空から、見ていてね!!(さえりんのアサガオ)昨日、meronさんにお願いしてあった、生命のメッセージ展のミュージアムからお手紙が届きました!!メッセンジャーの申し込み用紙です!!いよいよさえりんがメッセンジャーデビューする日が近づいてきました。この連休があけたら、申込用紙を書いて早速送りたいと思います。まだ東京へ行けるのは多分一か月くらい先だと思いますが、それでも少しずつだけど、未来が開けてきたような気持ちになったのです!!(さえりん6歳自宅にて)(さえりんパパの甘えてる(^^♪)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月22日
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昨日は妹からLINEをもらい実家に行くというので私も行きました。そういえばお彼岸だからお墓参りに一緒に誘ってくれたんだと思いました。私が実家に着くと妹夫婦と甥はもう着いていました。妹たちは東名高速道路が事故で凄く混んでいたから早く出発したと言っていました。事故渋滞が原因でさらに事故があったりして大変だったと。私は交通事故と聞くと敏感に過剰に反応してしまうのです。どうか誰も亡くなっていないことを、心の中で強く祈りました。暫く実家で雑談して雨が止むのを持ってみんなでお墓へ行きました。雑草や小径が雨に濡れているので滑らないように気を付けて、少し小さな山を登った中腹に父がいるお墓があります。母と妹家族と私の5人で手を合わせて私は父に「さえりんをどうかよろしくお願いいたします」といつものようにお願いしました。少し実家へ寄って妹家族は帰りました。私は珍しく母がお昼ご飯でも食べに行こうかというので車で走っていると母がやっぱり近くのスーパーでお弁当を買って家で食べようと言うのでそうしました。実家へ戻り、母とお弁当を食べていると付いていたテレビから交通事故のニュースが流れました。妹たちが言っていた東名高速での事故です。今日の明け方、岡崎市のトンネルの真ん中でトラックが軽自動車に追突して、軽自動車が横転し山梨県からきた家族4人のうち16歳の男子高校生が死亡。両親妹はケガ。運転していたトラック運転手もケガで病院へ搬送と流れていました。私はとてもショックでした。また事故で若い命が犠牲になってしまったことに・・・きっと4連休だから家族で楽しく出かけていたのだろうに・・・もしかしたら、楽しい旅行の最中だったかも知れない・・・もしかしたら、お彼岸で実家へ帰省する最中だったかも知れない・・・この時間、夜から家を出て車中で気持ちよく寝ていたのかも知れない・・・こんなはずではなかった!!こんなところで大切な家族の命が奪われてしまうなんて、誰も思ってもみなかったはずなのに・・・どうして!!どうして!!どうして!!どうして!!・・・・・私は実家を出て家に帰る車中、ずっとずっとそのことが頭をグルグル巡って涙がとめどもなくこぼれた・・・その人は全く知らない人なのに、さえりんと重なってしまうのです・・・子供さんを突然事故で亡くされた親の気持ちが、自分と重なってあの時の地獄のような思いがフラシュバックするのです(>_<)いつもなら毎日のように起こっている死亡事故のニュースも自分に取り込まないようにガードして自分を守っているのに昨日は何故か出来なかったのです。家に着いて、誰もいない部屋で一人なにもやる気にならずボーとしていた。昨日書いた県警への手紙も直さなくてはいけないのに全く手につかずもうどうでもいいような気持ちになってしまった・・・こんな私が何もできないと、現実逃避したくなった・・・私にはまだ無理かもしれないと急に弱気になった・・・自分が何をしたいのか、どうしていきたいのかわからなくなった・・・こんな心の弱く不安定な私では、県警へ行ったって愚痴をこぼすだけで迷惑をかけるかも知れないと思ったら、急に怖くなった・・・こんな一日一日まるでジェットコースターみたいに極端に上がったり下がったりする私でいいのだろうか??こんな私に何が出来るのだろうって不安で不安で仕方ない・・・いったいどうしたらいいの??教えてよ、さえりん。こんなダメダメなママでごめん・・・(>_<)夕方キッチンでご飯の仕度をしていると、母(姑)が来た。「今日、久しぶりに赤ちゃんを抱いている夢を見たんだけど、さえちゃんなのか次女なのかわからないの。でもその赤ちゃんはしゃべるんだよ。」と。私が「きっとさえりんの生まれ変わりなんじゃないかな」と。母は「さえちゃん凄く痛かったよね??凄く怖かったよね??」とポロポロ涙を流しながら「どうして、さえちゃん帰って来ないの??今でも毎日夕方になると悲しくて仕方ないの。どうして、どうしてさえちゃんが事故に遭ったの??どうしてさえちゃんじゃなきゃいけなかったの??」と母は号泣した。私は久しぶりに母と抱き合って泣いた。どうして、どうして、紗愛理が死ななきゃいけなかったの??どうして、どうして、さえりんがいったい何を悪いことをしたの??どうして、どうして、私たち家族がこんな目に遭わなきゃいけなかったの??私たちはまだまだグリーフの真っ只中なんだと改めてそう思いました。この先一生心から笑えることも、幸せを感じることもないんだと・・・今はまだまだこんな私たち家族なんだと、あらためて実感したのです(>_<)(さえりん6歳自宅にて)昨日は一日中こんなズタボロな心境だったので、皆さんのコメントに入れず、本当にごめんなさい:;(∩´﹏`∩);:ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館昨日はたくさんの皆さまからのアドバイス心から感謝いたします。少し冷静にメンタルが落ち着いたら参考にしてもう一度書いてみます。親身になってくださり本当にありがとうございました!!
2020年09月21日
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昨日は、グリーフケアのパンフを読んで少しやる気が出てきたので愛知県警へ行くときに持参しようを思っているものを書きました。これは何と言うんでしょうか??上申書?? 要望書?? 書類?? 手紙?? 県民の声??難しいことをよくわからないんですが、とにかく愛知県警へ伺った時困らないように、私の思っていることをまとめてみました。果たしてこんなので良いのか、間違っているのかわかりませんが(;'∀')実は私、ものすっごく話すのが下手なんです(;^ω^)あがり症でもあります。何も資料がないと、相手に自分が思っていることの半分も伝えられなくて。だからせっかく時間を作ってもらって、県警の交通課の方々3名で対応してくださるとお電話をいただいたのに、私が「えーっと、あのーー、そのーー」なんてことになってしまったら失礼だし、せっかくの機会が勿体ないですから。だからあらかじめ自分の思っている事、県警へきた趣旨をまとめておいたんです。県警へ行くのは9月23日(水)午後2時からに決まりました。こういう内容の趣旨で来たことを伝えて、県警の方々がどの様に思われ、どの様に対応してくださるのかは、またこのブログでお伝えいたします。私は一度ではなく、これから何度でも足を運び、出来れば県警の方とのパイプが出来たらと思っているんですが、果たしてどうなることでしょうか??・とりあえず一度は話を聞いて、あとは体よく追い払われるのか??・それとも一県民の声を真剣に聞いて対応してくださる良心的な県警なのか??私は愛知県警が後者であることを願ってやみません!!お恥ずかしいですが、みなさんにも見ていただこうかな(^^;)と思い載せますね。もし良かったら、A4用紙3まいで長いですが下をクリックして読んで下さい。また何かご意見がありましたら、教えていただければ有り難いです!!ここをクリックして下さい。 dropBoxにログインしてみると出たらXを押して消してください。私の心境は相変わらず、上がったり下がったりです(;^ω^)今日は良くても、明日はまた真っ暗闇のどん底かも知れません。こんな私にいったい何が出来るのだろうかさっぱりわかりませんが、それでも、思いつくまま気の向くままに、目の前のことをひとつずつ丁寧に真心を尽くしていけれたらいいなあっと思っています。やれるだけやってみて、どうなるのかは天にお任せです!!きっと思うだけで何もしないで悶々としていたら、相手が悪い、行政が悪い、社会が悪いと全部、人のせいにして文句と愚痴ばかり言ってしまうと思う、それよりダメもとでも当たって砕けるママの方が、さえりんは好きだと思うから。そうだよね、さえりん(さえりん6歳 幼稚園年長リズム発表会クラス合唱)やっぱりこんな文章では全然ダメでした(>_<)私の「思いや感情が入りすぎで趣旨が違って受け取られてしまう」と昨夜メールで見ていただいた専門家の方からご指摘いただきました(;'∀')果たして私なんかに出来るのでしょうか??とってもとっても不安で仕方ありません:;(∩´﹏`∩);:すぐに弱気な気持ちに負けそうになってしまう私です・・・(´;ω;`)ウッ…とにかく今日は妹に久しぶりに逢えるので実家へ行ってきます。県警への手紙の件は今はいったん保留にしてまたメンタルが上がったら再開します。こうやって自分の心と折り合いをつけながらでないと進んでいけないから・・・(>_<)また訂正したものが出来たらあらためて載せようと思います(^-^)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月20日
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一昨日は娘の振袖のことを想い出したり、次女と外食へ禁断のお店へ行ったりで私の心は大きく揺さぶられ、久しぶりに涙がとめどもなくこぼれて、落ち着けず自分でも感情のコントロールが難しくなってしまいました。秋のこの季節のせいもあるのでしょうが、仕事から帰ってきた主人も物凄く疲れていて、私とことごとく噛み合わず衝突するばかり・・・(>_<)私の涙腺はますます、久々の崩壊寸前となってしまいました。そしてアルバイトをラストの作業までやってきた次女を迎えに行ったのは夜中の1時過ぎ。テンションの上がっている次女の話を聞いていたら、気が付けば夜中の2時半・・・(;'∀')「ママはもう寝るね」と言って寝室に来たものの、なかなか眠れず・・・そして、昨日は何だか疲れがドッと出たのか、泣き過ぎたせいなのかわかりませんが、もの凄く脱力感と、現実逃避に・・・なーんにもやる気が起らず、午前中はぼーっとして過ごしました。自分でもこんな風でいいのかなって焦る気持ちもありますが、でも仕方ないんです・・・(>_<)主人だって気持ちが辛いときもあるのに、それでもお仕事に行ってくれて私だけが甘えていて、何もせず現実逃避して本当にごめんなさい:;(∩´﹏`∩);:主人に申し訳なくって、更に落ち込んでまた自分が大っ嫌いになってきた・・・(´;ω;`)ウゥゥそういえば、一昨日じゅんさんが送って下さったお手紙とグリーフケアのパンフレットのコピーがあった事を思い出しさっそく読んでみました。以下は私が気になったところを少し抜粋させて頂きました。~愛する人を喪った悲しみを癒すために~「愛する人を亡くすと大きな悲しみを感じ、さまざまな症状が表れます。それを癒すには努力と長い月日が必要です。」大切な人を亡くしたとき、人は深い悲しみ(悲嘆=グリーフ)を味わいます。多くの人はまずショックを受け、その時やその後に故人への強い思慕にかられ、気分の落ち込みと罪責感などを感じます。体調もすぐれず、落ち着かず、必死に頑張ってもなかなか故人のいない環境になじめず、生活の充足感を味わえない状態が続きます。この状態から抜け出すためには、死別を十分に悲しんで受け止める作業が必要です。この作業のことを、「悲嘆の作業」とか「喪の作業」(グリーフワーク)と呼びます。子供を亡くした後に、夫婦で自然に子供の話が出来るようになるのは、かなり時間が経ってからのことが多いのです。というのは、一家全員で悲しみに打ちひしがれることがないように、家族の一人一人が、無意識に悲しみを表現するのをためらっているからです。家族の中で一番悲しんでいる人が一段落する頃に次の人が悲しみにくれるようになるのです。特に父親は、まず、母親の悲しみにじっと我慢して耐えることが多いのです。日本人が大切な人を喪った後の悲嘆の期間は、平均4年半ほどです。特に子供を亡くされた方は「自分が忘れてしまうと、あの子がかわいそうだから…」という悲しみを忘れたくないという方が多いようです。悲嘆/喪の作業を行っている間は、故人を思い出すたびに心が大揺れになってくたびれ果ててしまいます。それと同時に、涙ながらにそれに耐えようと頑張ります。悲嘆/喪の作業には、悲しみを十分に表して、それを自分なりに受け止めていくことがどうしても必要です。 これは故人と築いてきたかつての月日・人生へのお返しですので、辛いだけの意味のない時期ではありません。故人への”感謝の念”として与えられた大切な時期なのだと考えてください。悲嘆の作業は、自分自身で主体的に取り組む必要があります。新しい生活に適応するために、例えば次のように具体的な目標を立ててみましょう。1 悲しみを表現する2 自分自身の状態を振り返って混乱を整理する3 故人についてお礼を述べたり、謝罪や許しを請うなど、気がかりとなって いたことを口に出して語ったり、手紙に書く4 生と死について自分なりに考えをまとめてみる5 故人の生き方を出来る範囲で受け継いで、生活の場で生かせるように 計画し実行していくできることから行ってみましょう。悲しみを表現することは、自信を持って新しい人間関係に踏み出す第一歩になります。故人を痛みなく想い出せるなら、悲しみはほぼ回復したと言ってよいでしょう。と書かれていました。私はこのパンフを読んで少し救われた気がしました。今の私は正常なんだと。こんな状態ですがこれでいいのだと思えました。そして、じゅんさんもお手紙に書いて下さいましたが想いを綴ること、私にとっては、このブログ『さえりんの部屋』こそがグリーフワークだったんだと知ることが出来ました!!私はなんの知識も心の準備もないまま、ある日突然、さえりんが亡くなりいきなり被害者遺族にされて、奈落のどん底へと突き落とされました。だからどうしたらいいのかさえ全くわからず真っ暗闇の中でもがき苦しみました。それでも、これで合っていたんだ、この道で間違っていなかったんだと思うことができたのです。さえりんへの想いをひたすら狂ったようにノートへなぶり書きしていたことも、meronさんに出会えてブログをはじめられたことも、皆様とお出会い出来たことも、決して偶然ではなく、その時の私に必要あって出会わせていただいた尊いご縁だったんだと思えたのです!!そのように自己肯定が出来たら、少し目の前が開けて勇気が湧いてきました。今はこれでもいいんだ!!このままだって十分なんだ!!と、少しだけ自分を許せて、自分に優しくなれるような気がしました。それと同時に私だけじゃないんだ、主人だって、次女だって、両親だって、そして他の被害者遺族の方々だってみんな同じような過程を経て、経験をして、亡くなってしまった愛する家族への想いを抱えていらっしゃるんだと、今まで感じていた孤独感や疎外感が少しは薄れたような気がしました。じゅんさん本当にありがとうございました!!そして、私のようにこのグリーフケアの考え方やグループがあることを知らない人のために、もっともっと普及させていただけたらと思いました!!私もこれからゆっくりですが、いろんな勉強や活動をしていきたいです!!今はまだ悲しみのグリーフ真っ只中ですが、いつかはmeronさんやじゅんさんのように、穏やかにおまけの人生を楽しめる日が来るといいなあ💛それはすなわち、さえりんが願っていることだと想うから(*^^*)(さえりん6歳 幼稚園年長リズム発表会 ウインターワンダーランド)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月19日
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昨日は、午後から次女の振袖を前撮り撮影のお店へ運びました。次女の成人式の前撮り撮影は9月27日(日)の午後から予約してあります。そこは次女の振袖を買ったお店で、そこで前撮り撮影もメイクや着付けもしてもらえます。昨日は撮影の10日前なので準備と打ち合わせのために、次女の振袖一式とさえりんの振袖と小物の一部をお店に持って行くだけの日でした。実はこの前撮り撮影の日に次女は「1枚だけお姉ちゃんの着物を着て写真を撮りたい」と言っていたのです。お店に聞いたら着付料金の追加が出るけどやってくれるとの事で、次女もそのつもりでいたのです。しかし、途中で私が「やっぱりやめよう」と次女に言いました。それは、この振袖にはさえりんの魂が宿っているような気がしたのです。毎日毎日ブログのトップの写真や遺影の写真になって、私の目に触れるうちにこの振袖はさえりんだけのものにしたくなったのです。次女にでも袖を通させたくないと複雑な気持ちになったのです。次女は私の想いをわかってくれました。次女がお姉ちゃんのを着たいと言ったのは「お姉ちゃんが私も一緒に着れるようにと柄を選んで買ってくれたお姉ちゃんの気持ちを無駄にしたくないと思ったから」だと言いました。「でもママが嫌だったら着なくてもいいよ。その代わりお姉ちゃんの振袖を後ろに飾ってもらって家族写真を撮りたいんだけど。それならいい??」と次女は言いました。私は次女の姉を思う気持ちがすごく嬉しくて、思わず泣きそうになりました。それでお店にお願いして、さえりんの振袖を飾ってもらうことにしたのです。昨日は次女の運転で岡崎市にある着物屋さんへ行き、近くの駐車場から重たい振袖一式とさえりんの振袖とバッグを次女と二人で抱えてお店へ持ち込みました。店員さんがお店の中で、広げて中身を確認してくれました。その時に、帯締めと飾り襟はさえりんのを使う事、さえりんの振袖を飾ってもらうことを再度お願いすると、「伺っていますよ。他になにか持ってきたいものはありますか?」と言われたので「家族写真の時、長女の遺影も一緒に撮ってもらえますか?」と私が言うと、店員さんは「もちろんですよ!!お姉さんも家族みんなで一緒に撮りましょうね!!」と優しく言って下さったので、思わず涙がこぼれてしまいました。このお店には次女の振袖を見に来た時に家族構成を聞かれたので、一瞬躊躇しましたが「姉は天国へ行きました」と伝えてあるのです。昨日はその時の方とは違う店員さんでしたが、それでも話が伝わっていてさり気なく温かく対応してくださったことが嬉しかったのです(´;ω;`)ウッ…さえりんが成人式の前撮り写真を撮るとき私は、どうしても家族写真を撮りたかった!!みんなの休みが合う日を一生懸命に考えてどうしても4人で一緒に撮りたいと私はこだわった!!その時は何故そういう気持ちになったのかわからなかったけど、もしかしたらそれも何かの虫の知らせだったのでしょうか??あの時に家族写真を撮らなければ、一生撮ることが出来なくなり、私は一生後悔するところでした。主人も次女もさえりんさえもどうして私がこんなにこだわったのか、私自身もその時は全くわかりませんでした。12月の暮れにようやく皆の休みを合わせることが出来て、家族全員で近くの写真館へ行きました。さえりんは一足先に私が連れて行き着付けとメイクを済ませて、先に写真を撮り始めていました。家族が揃ったので家族写真を撮りました。撮影後、さえりんは「妹の時もまた家族写真撮ろうね!!」と言いました。次女も「そうだよ!お姉ちゃんだけじゃズルいから私の時もみんなで撮ろうね!!」と最初は家族写真に乗り気ではなかった次女もそう言っていました。その時の我が家が幸せの絶頂期だったなんて・・・2年後の次女の時、さえりんがもういないなんて・・・・その時は誰も思いもしなかったのです・・・・昨日は次女の振袖を持って行ったあと、次女が「お腹が空いた」と言いました。次女は今大学が夏休みで実習も終わってのんびりと午前中は寝てすごし、起きてすぐに来てしまったので、朝からもう3時になるのに何も食べていませんでした。家に帰ったら夕方から夜遅くまで、アルバイトもあるのでこの時間に何か食べさせなくてはと思い、帰りに外食をすることにしました。次女に何が食べたいかと聞くと「お肉が食べたい!!」というので近くのお店を探したらブロンコビリーくらいしかありません。次女に聞くと「ステーキ食べる」というので、勇気を出してブロンコビリーへ入りました。実はブロンコビリーはさえりんの事故の5日前、最後に、さえりんのおごりで主人と私とさえりんの3人で外食したのです。さえりんが嬉しそうにステーキを食べる姿が忘れられません。それ以来悲しくて辛くてとても入ることが出来ませんでした。でも、昨日行ったのは違う店舗だし、次女と一緒だからと自分に言い聞かせて入りました。ステーキランチを美味しそうに食べる次女を見ながら私は涙が出ないように一生懸命に気をそらせました。これはさえりんじゃない。次女だからと。絶対に次女の前で泣かないように堪えました。次女は普通に友達の話や大学の話など楽しそうにしています。そんな次女を可愛いなあと思いながら、私は次女の母親でもあることを自分に言い聞かせました。家に帰り夕方次女がアルバイトへ行くと、私は一人になり急に堪えていた涙が止まらなくなりました。ブログを書きながら、溢れる涙をそのまま流しそれでも次女の前ではよく我慢したと少しだけ自分を褒めました。そして、さえりんに心の中で言いました。次女と2人でブロンコビリー行ってゴメン。さえりんも行きたかったよね。それと、さえりんの大切な振袖を、次女のために暫く貸してね!!次女の前撮り撮影の日には、約束通りみんなで家族写真撮ろうね!!(さえりん6歳幼稚園年長 リズム発表会の日)(さえりん成人式前撮り2018年12月26日 最後の家族写真)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月18日
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今日9月17日で私がブログをはじめてちょうど1年になりました\(^o^)/皆様には本当に心から感謝申し上げます!!2019年6月4日、かけがえのない娘さえりんを突然交通事故で亡くして3ヵ月余り。刑事裁判もどうなるのかわからず、加害者からは謝罪すらなく、誰も信じられず真っ暗闇のどん底で怒りと先の見えない不安と絶望に打ちひしがれていた時、無我夢中で探した交通被害者遺族の方々の手記やホームページ、ブログの中で、私はmeronさんのブログを見つけて、初めて連絡をさせていただいたんです。さえりんのことがこのまま世間から忘れられることがどうしても辛くて居ても経っても居られなかった。このまま居なかったことにされるのは許せなかった。藁をも掴む思いで、meronさんのお宅へお邪魔して、ご協力いただいて、はじめてブログを開設したのが、2019年9月17日なんです!!あれから1年経って本当にいろんなことがありました。当時は正式起訴すらされないかも知れないと不安でたまらなかったこと。検察官に呼ばれて検察庁に行ったが、捜査が納得できず複雑な思いをしたこと。加害者が起訴されて、公判刑事は若いが意欲ある方で実刑への期待が持てたこと。刑事裁判がはじまり、加害者の態度に怒りが爆発しおさまりきれなかった辛さ。絶対に納得のいかない執行猶予付きの判決に、控訴を求めて署名を集めたこと。署名を持って検察にお願いに何度も行ったが結局思いも虚しく叶わなかったこと。民事裁判に向けて、交通事故調査機構に事故の真実を調査してもらっていること。さえりんの事故関連のことだけでも、この1年でたくさんの動きがありました。その他にも毎日のブログには、その時々の私の心模様や、周りの方も含めてたくさんの出来事もその都度私の思った通りの気持ちを素直に綴ってきました。こんな私の拙いブログですが、この1年間皆様のお蔭さまでなんとか今も生きていられることができました。本当に感謝でなりません!!もしも、私が1年前のあの日、meronさんに出会わなかったらもしも、私が思い切ってブログをはじめなかったら、今の私は、絶対に存在しません。・もっともっと恨みつらみで復讐の鬼と化し加害者を狙っているのか??・心が病んで廃人同様になり体まで蝕んで、病気になっているのか??・さえりんの後を追って、あの世へ逝っているのか??間違いなくこの3つの内どれかだったと思います。本当に本当にこの1年間、皆様ありがとうございました!!そして『さえりんの部屋』はまだまだ続けていきますので、これからもどうかよろしくお願いいたします(≧▽≦)(さえりん6歳 堀内公園part3)昨日はお祝いというわけではありませんが、お昼に主人と次女と3人でラーメンを食べに行きました。久しぶりの3人での外食で嬉しかったです。ほんのささやかで当たり前の日常で、人から見たら普通のことなのですが、こうやってほんのいっときでも、穏やかな時間が流れるようになれたことが私にとっては、何よりの宝物に感じるのです(*^^*)家に帰ると、また私の携帯電話が鳴りました!!愛知県警、交通安全課の女性の警官からでした。昨日の「横断歩行者妨害」の件でメールを入れたことで、私が書いたもう一つ、「県警に相談に行きたいという趣旨は何かを教えてほしい」と言われました。私は昨日の2回目の電話をいただいたとき男性警官の方にお話した内容を、もう一度その女性警官に詳しくお伝えしました。女性警官は「よくわかりました。これから私が担当いたします。その件は調べていつ頃、県警に来ていただけるかご連絡いたします。」と丁寧に言われました。私は昨日に引き続きまた電話がかかってきて、たった一県民のメールに対して、県警がとても丁寧に対応されるのは有難いことだと思いました。もしかしたら、それ程までに県民の警察への批判や風評が恐ろく多いような世の中なのかもしれないなとも思いました。女性警官にもくれぐれもよくお伝えしましたが、今回私は、愛知県警に対して文句やクレームを言いに行くのではありません!!もちろん、さえりんの捜査に関して地元警察署には文句を言いたいことは山ほどたくさんありますが、今はそんなことを言っても何も始まりません!!もっと建設的に「娘のように、横断歩道で何も悪くないのに轢き殺されてしまう理不尽な交通事故の犠牲者が出なくなるためにはどうしたらいいのか」の相談を警察の方としたいのです!!今の私には具体的な方法も何が出来るかもわかりませんが、こうやって思いつくまま行動することが、やがて大きな何かに繋がればと思うのです。すべては、さえりんの死を無駄にしないために!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館昨日の朝久しぶりに、さえりんの夢を見ました💛(≧▽≦)💛さえりんは6歳、次女4歳、私もまだ若かった??頃の姿でした。自転車の前に次女、後ろにさえりんを乗せて、私は時間がなく慌てていた。自転車でどこかにさえりんを送っていかなければいかなかったからです。でも横断歩道で車が全然止まってくれなくて、とっても困っていました。私はひとり一生懸命車に向かって「横断歩行者妨害」を訴えていました!!さえりんは自転車の後ろに乗っていたので顔は見えなかったけど、可愛い声は聞こえたし、愛おしい気配を感じることができました。私はさえりんに一生懸命に話しかけていました。「大丈夫だよ!!絶対にママがなんとかしてあげるからね!!」と。そこで目が覚めました・・・さえりん、夢に出てきてくれてありがとう
2020年09月17日
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一昨日、ちょっとだけ嬉しいことがありました(*^^*)それは、お手紙を書いたので郵便局へ出しに行ったときのことです。この郵便局は以前、私が署名を集めていた時に、郵便局留めにしてお世話になったうちの近くの、小さな知立本町郵便局です。昨日は郵便物のコーナーにお客さんが先に1人みえて、私が並んだらすぐに奥からいつものお姉さんが来てくださいました。お手紙の重さを測って料金を支払いました。ふとお姉さんの胸元に何か赤いものがあるのがわかりました。よく見たら、それは以前署名のときお世話になった方にお渡しした私が作った、小さなクラフトのキーホルダーでした。私が「あっこれは、あの時の・・・」って言ったらお姉さんはニコニコしながら鈴を鳴らして見せて下さいました(*^^)v「私も付けているんですよ(^_-)-☆」ってもう一人のお姉さんも隣の窓口から胸元の鈴を鳴らしてピンクのキーホルダーを見せてくれました。私はすっごく嬉しくなって「ありがとうございます!!」とお礼を言って郵便局を後にしました。たったこれだけのことなんですが、心がじわーっと温かくなったのです💛この郵便局は田舎町の小さな郵便局ですので、よく行くと名前を覚えてくれます。私も署名でお世話になった時は、顔を見ただけで「こんなに届いてましたよ」と本人確認なんて全然要りませんでした(≧▽≦)世知辛い今の世の中ではこれではいけないと思う人も多いかもしれませんが、昔人間の私にはとっても優しく温かい気持ちになるのです。最近すっかり気温も涼しくなり、秋の風が吹いてきたので私の心も寂しくて人恋しくなっているから、余計に心温かく嬉しく感じるのかも知れませんもう一つは次女のことです。先日近所の幼馴染みの友人と家の近くの駅付近でご飯を食べに行ったまま、夜遅くなっても帰って来ない次女!!何度もLINEやメールを送ってもなかなか帰ってきません。近所にいるとわかっていても家に帰るまで心配性が止まらない私です!!仕方なく近所を探しに行こうかと外へ出たら、うちの車庫で話し込む2人。私が「こんなところにいるならうちに入ってしゃべればいいのに!!」と言いましたが、次女は「いいの。たまには2人でゆっくり話したいから(^^♪」と。私は「だったらせめて車の中でしゃべったら??」と言うと2人は車に入りました。私は、車にいるなら大丈夫と安心して先に寝ました( ˘ω˘)スヤァ12時過ぎ帰ってきた、ご機嫌な次女に起こされました(;'∀')「ママ~ゴメンね~、遅くまで話し込んじゃって(≧▽≦)でもいろいろ人には言えない心の内を話せてすごく楽しかったよ💛」とニコニコな次女。寝ようとしてたところを起こされて不機嫌な私は「それで??」と言うと、次女は「内容はママには内緒だよ!」と話してくれません。本当に嬉しそうに無邪気に笑う次女を見ながら、親にも言えない心の内を何でも話しあえる、まるで姉妹のような友がいてくれることに私はウルっとしました。この近所の友人は小さい頃からケンカ友達だったり、つるんだり不思議な関係。次女は小さい頃はよくその友人のお父さんに会社のイベントやスキーにまるで自分のうちの娘のように、一緒に連れて行ってもらっていたのです。うちも、アイススケートやナガシマスパーランドや神戸のキッザニア甲子園に行くときに何度か、その友人も一緒に連れて行きました。子供の頃は、さえりんとその友人と次女はまるで3姉妹みたいでした。さえりんが亡くなってしまった今、次女はたぶん急に娘一人になってしまい淋しかったのではないかと思うのです。私にはそんなこと一言も言いませんが。その友人には年の離れた弟さんがみえますがご事情があり大変なご様子です。ご両親はとっても優しいいい方です。そんな友人と次女は二人ともきっと、親には言えないけど、抱えているのもがたくさんあると思うのです。だから数年連絡を取らなくても、また会えばすぐに親友以上の、まるで姉妹みたいな関係でいられるのです。次女には、姉を突然亡くして親が亡くなれば頼れる人は誰もいなくなってしまうことが私の一番の気がかりでした。でもこうやって身近に共感できて、心の内を何でも話せる友人の存在がいてくれることに心から感謝でいっぱいになりました。本当に有難いことです!!こんな次女ですが、ずっと一生仲良くしてやってね💛人から見たら、こんな些細なことかもしれませんが、私の心は温かくホッと安心感に包まれたような気持ちになれたのです(さえりん6歳 堀内公園part2)昨日、愛知県警の県民安全課 交通安全グループの担当者から私の携帯にさっそく電話が入りました。一昨日、私がメールを入れた質問に対してのお返事をくださったのです。私の質問の内容は2つ1つ目は「横断歩行者妨害」の取り締まりや呼びかけをどの様に強化しているのか?横断歩道での交通事故を減らすため、もっとしっかり運転手に広めてほしい。それに対しての回答は・愛知県では毎月11日を横断歩道の日と決めて、取り締まりを強化している。・企業などに「横断歩行者妨害」啓発のマグネットを配り、付けてもらっている。・PRのためのパトロールカーや音声で呼びかける。チラシ・イベント等2つ目は娘の事故現場の過去に起こった交通事故の詳細とその後の警察の取り組み、事故の再発防止をどの様に考えているのか、県警に伺ってお話をお聞きしたい。それに対しての回答は、・担当部署から再度電話させます。と言われました。その約2時間後、愛知県警交通総務課の担当者からお電話をいただきました。私はこの担当者の方に、私の思いを伝えしました。「私は決して警察の対応に文句が言いたいわけではありません。ただ、何も悪く無い娘が青信号の横断歩道を自転車で横断していただけなのに何故、左折トラックに一方的に轢き殺されなければならなかったのか??このような悲惨な死亡事故がもう起きないために何をしたらいいのか?どこを改善すべきか?一緒に考えて頂きたい。歩所分離信号も考えていただきたいですし「横断歩行者妨害」の強化もどのようにより一層取り組んでいただけるのかよく検討して頂きたいんです!!」とお願いしました。担当者は「よくわかりました。交通事故防止のためのお話ですね。こちらでその交差点の過去に起きた交通事故の実態を調べますので、少しお時間をください。お越しいただく時には、私の他に交通規制課のものも一緒にお話を伺わせてください。後日またご連絡いたします。」と丁寧に受け答えしてくれました。まだまだですが、少しだけさえりんからの宿題に近づけたような気がしました。ほんの小さな一歩ではありますが、前に進めたことに感謝しました。さえりん待っていてねママなりに頑張るからね(*^^)vご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月16日
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みなさん知っていますか??「横断歩行者妨害」という道路交通法があることを!!私は33年間車を運転していて、お恥ずかしながら知らなかったんです( ゚Д゚)免許を取るときにはこの法律があったかどうかさえ覚えていませんが(;'∀')歩行者がいる横断歩道で止まるのは任意ですべきことだと思っていました。もちろん横断歩道では歩行者が優先ということも知っていますし、車は必ず止まるんだということもよくわかっています。実際に横断歩道に歩行者がいたら、必ず止まるように気を付けていました。それが先日、日本交通事故調査機構の佐々木さんに我が家に来ていただいたとき話を伺って「横断歩行者妨害」という道交法があることをはじめて知ったのです。昨日のコメントにいっちーさんが書いて下さいましたが、殆どの運転者も歩行者もそういうことがちゃんと道路交通法で定められていると知られていなんじゃないか(私もそうだったので(;'∀'))と思って、私なりにですが調べました。(さえりん6歳 堀内公園にて)横断歩行者妨害道路交通法38条「横断歩道における歩行者優先」「横断歩道に近づいて車両は横断する歩行者がいないことが明らかな場合のほかはその手前で停止できるように速度を落として進まなければならない。横断歩道を横断しようとする歩行者があるときは横断歩道の直前で一時停止し、かつその通行を妨げないようにしなければならない」と定められている。横断歩行者妨害違反 3ヵ月以下の懲役 又は5万円以下の罰金違反点数2点(酒気帯び0.25mg以下14点、0.25mg以下上25点) 反則金 普通車9000円 大型車1万2000円 バイク7000円 原付6000円みなさん知っていましたか??車雑誌ベストカーでは「日本人の8割以上が守らない!?」と書かれていました。横断歩行者妨害の取り締まり実績はまだそれほど多くない。しかし、JAFの調査結果が発表された2018年10月23日に、警察庁交通局から「信号のない横断歩道における歩行者優先等を徹底するための広報啓発・指導の強化について」という通達が出されている。今後「横断歩道歩行者妨害」は重点的に取り締まりが行われる交通違反になる可能性が高い。と書かれていました。別の記事では『「横断歩道は歩行者優先」が当たり前になる社会を目指して』2018年からのJAFの調査で、歩行者が横断歩道を渡ろうとしている場面で一時停止した車両はわずか8.6%、9割近くの車両が止まらないという実態が明らかになりました。横断歩行者停止率 県別ランキング(JAF調べを父が表にしてくれました)1位は断然トップで長野県でした!!2位は静岡県 3位は兵庫県しかも、兵庫県は倍増率が2018年に比べ2019年はなんと、32.1%上がっての3位です。よほど県をあげての取り組みを真剣にされたのだと思いました!!私の住む愛知県は10位でした。ランキングだけ見たらそれほど悪くない気もしますが、何と言っても車がとっても多い県です。しかも交通死亡事故ワースト1、2を常に争っている交通事故大国です。その交通事故の4割は横断歩道で起きているんです!!もっともっと意識を高めて取り組んでいただきたいのです!!もちろん横断者も気を付けなければいけません。歩行者もハンドアップで知らせようという「ハンドアップ運動」も推奨しています。小学生の頃のように手を上げて横断する意思を伝え、停止した運転手と目と目を合わせ、感謝の気持ちを伝えましょう。と愛知県のページに書かれていました。私はこの「横断歩行者妨害」という道路交通号をもっともっと全国に広めていかなければいけないと思いました!!これはただ横断者の交通を妨げないということだけではなく、横断歩道イコール歩行者がいるかどうかしっかり確認して最徐行するという癖を運転者全体に認識されれば、確実に横断歩道での交通事故は減らせるんではないかと思うんです!!ということは、さえりんのように青信号の横断歩道で、命を落とす被害者は確実に減らせるのです!!私は昨日思い切って、愛知県警の県民安全課 交通安全グループへこのように「横断歩行者妨害」の取り締まりを強化してほしいことをメールしてみました。そして、娘が亡くなった横断歩道での交通事故の状況も知りたい事、一度県警へ伺ってお話を聞きたい旨をメールに書いて送りました。お返事はまだ来ていませんが、またどのようなお返事が来たのか、何も返事がなく無視されたのかも、このブログへ書いていきます。そういえば去年、次女の友達がこんなことを言っていたという話を私にしてくれたのを思い出しました。次女の友達は、長野県出身です。大学のある岐阜県に昨年から下宿しています。「岐阜県にきたら、横断歩道で全然、車が止まってくれなくて困っている」と。彼女は下宿先から自転車で約15分、歩きだと30分以上かかり大学へ通っています。次女も電車で通い、最寄り駅の駐輪場に置いてある自転車で20分くらいで同じ大学へ通っています。途中には信号のある横断歩道も、信号のない横断歩道も通って行きます。彼女は、全国でもトップの長野県での生活が当たり前なので岐阜県に住んで、初めて横断歩道でこれほど車が止まってくれない現実にかなり驚いたんだと思います。ちなみに岐阜県は24位です。しかし2018年ではわすが2.2%全国最下位レベルでした。ちなみに2019年の最下位は三重県の3.4%です。こんな現状は警察と、何より車を運転する私たちの意識次第で今すぐにでも改善できるのではないでしょうか??それが大切な人の命を守ることに繋がるんだともっともっとたくさんの人に知って頂きたいんです!!私はそれが「さえりんからの宿題」の答えに繋がるんだと思うのです!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月15日
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一昨日の夜、次女が近所の幼なじみの友達2人とうちで花火をしていました。次女が夏にやろうと思って買った花火が残っていたので、近所の友人を呼んで玄関先の車庫の前のうちの敷地内の砂利で3人並んで楽しそうにやっていました。私はバケツに水を汲んで後片づけを自分たちでやるように伝えて家に入りました。もうみんな20歳になろうとしている大人ですから、おばさんの監視は要りません。少しして静かになったので、様子を見に外へ出たら、3人仲良くしゃがんで線香花火をやっていました。やっぱり花火の最後はいつも線香花火です。大人になっても子供みたいに花火を楽しむ次女たちがなんとも可愛くて愛おしくなって、その様子を邪魔しないようにそっと見ていたら、涙が出てきました。さえりんが小さい頃から、大好きだった花火🎇よくこうして次女と、時々この近所の次女の幼なじみの友達も一緒にみんなで並んで、花火をしていたんです。ふと、「どうしてここに、さえりんがいないんだろう??」って思ったら、急に涙が止まらなくなってしまいました( ;∀;)うちの近所の知立神社では毎年9月の第3週末に秋葉社をお祭りしての手筒花火大会が行われます。今年はコロナで神社で行われる手筒花火も同時に開催される打ち上げ花火大会も中止となりました。毎年さえりんは楽しみにしていたのに、仕方ないですが寂しいです。家にもどり、私は主人に淋しい気持ちを聞いてもらいました。主人と話ながら、思ったのです。子どもや家族の死別にもいろんな状況と場合があります。さえりんみたいに交通事故である日突然、即死の場合と、交通事故でも病院で何日か何ヶ月か植物状態で、看病しながら亡くなる場合、病気で長い闘病生活をして、苦悩の果てに亡くなる場合、若者の死因で一番多いといわれている、自死の場合。果たして、親としてどの亡くなり方が一番辛いのでしょうか??主人に聞いてみました。主人は「もちろん即死はお別れも出来ずある日突然だから辛いに決まっているよ。でも、植物状態でずっと我が子を見ていることも、これほど辛いことはないよ。そして、病気で苦しむ子供の側で看病しながら一緒に戦うのもかなりしんどいよ。なんといっても、もし自死だったら俺は一生自分を責め続けるかもしれないよ。」私は「じゃあどの場合が一番辛いなんてことはないんだよね。」と言いました。主人は静かに「そうだね・・・」と言いました。私は今まで、自分が一番辛いんだと思っていました。何の前ぶれもなく、なんの告知もなく、ある日突然、娘の命が奪われたこと、「いってきまーす」と元気に家を出た娘が、もう二度と「ただいまー」と帰って来れなくなってしまった現実が、恐怖でトラウマになってしまいました。暫くの間、今でも治ってはいませんが、主人や次女が、「いってきます」と家を出ると、もしかしたらもう二度と逢えなくなってしまうかもしれないと、胸が苦しく締め付けられるように辛く悲しくなるのです。今は少しは緩和されましたが、それでもこのトラウマは一生治らないでしょう。そして、さえりんに最後のお別れも出来なかったことが一番苦しいのです。せめて、最後に「紗愛理今までありがとう!!ずっとずっとだいすきだよ!!」って言いながら、ぎゅーっと思いっきり抱きしめてやりたかった・・・(>_<)出来る事なら、どんな状態だったとしても何年でも看病してやりたかった!!ずっーーと側に居て、いつまでも手を握っていてやりたかった・・・(>_<)「あなたが娘で良かった!」とたくさん感謝の言葉を言いたかった・・・(>_<)「心から愛してる!一生忘れないよ!!」って言ってやりたかった・・・(>_<)最後に親らしいことも何もできなかった、温かく慈しんで見送ってやれなかった。さえりんは私に面倒をかけずに、たった一人であの世へ逝ってしまった(>_<)このことは私の一生の後悔と、深い深い決して癒えることのない心の痛みになっているのです。だから、これほど辛く悲しいお別れの仕方はないんだと思っていたのです。でも今では少し周りが見えるようになり人のことも思えるようになってきました。ブログでもたくさんの死別経験者の方々とお知り合いになれたことも大きいです。そして、今リアルにご家族の治ることのないご病気と向き合って見える方も。みなさん、その状況は様々です。でも悲しい思いに変わりはないのです。どんな状況だったとしても、後悔しないお別れなんてこの世には存在しないんだと、気づかせていただいたのです!!誰が一番辛いかなんて、ないんだと!!到底受け入れられない、かけがえのない大切なご家族とのお別れに耐えがたい苦しみを抱えて、奈落のどん底に突き落とされても、それでもそれでも、どんなに辛くても、残されたご家族は、それぞれに、精一杯生きてみえるんだとわかったのです。私だけじゃなかったんです!!私が一番辛いなんてなかったのです!!これがわかっただけでも、どれだけ救いになったかわかりません!!本当にブログをやっていて良かったです!!死別に関係なく、みなさんと知り合えて、本当にどれだけ救われたのだろうかと感謝が湧いてくるのです!!線香花火の火の塊りは、まるで人間の命の燈火のように見えました。長い、短い、早い、遅いは人それぞれ。順番ではありません。人間の領域を超えて、神にしかわからないのです。だけど、みんな与えられた人生を輝かせて、精一杯生きてきたんです!!自分の人生を、命が尽きるまで・・・さえりんもきっと、そうだったんです!!だから、今はあの世で仲間とともに穏やかに笑って待っていてくれるんだと、私は信じたいのです!!(さえりん6歳 自宅と公園にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館昨日は久しぶりに、クレヨンしんちゃんの映画を録画して見ました。ブロ友さんのブログで紹介してくださったので、テレビでの放送を知りました。おちゃらけているのに、家族の愛を感じられる素敵な内容に感動しました。さえりんが昔、クレヨンしんちゃんの映画が好きでよくレンタルで借りてお気に入りの映画を何度も一緒に見たことを想い出しました。クレヨンしんちゃんの都市伝説を知っていますか??しんのすけは実は5歳の時、ひまわりがトラックに跳ねられそうになるのを助けて、交通事故ですでに死亡しているというのです。みさえは幼くして息子を喪ったショックから、しんのすけが生前使っていた落書きノートにクレヨンで「しんのすけが生きていたら…」という想像で物語を描き始めます。つまり私たちが目にしているすべての「クレヨンしんちゃん」のお話は、みさえの妄想日記から生み出されているということです。家族や周りの人たちはみさえの妄想に付き合って、しんのすけが見えているふりをしているのだそうです。それが「クレヨンしんちゃん」というタイトルの由来なのだそうです。私は思いました。私も「クレヨンさえりん」を書こうかなっと(*^^*)でも、このブログ『さえりんの部屋』の中で、さえりんはもうすでに物語の主人公として生きているのかもしれませんね。
2020年09月14日
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昨日は思い立って隣の市の図書館へ久しぶりに行きました。数か月前に行ったときはコロナで休館でした。本当は少し前から行きたかったんですが、私のメンタルが上がったり下がったりで、なかなか重い腰が上がらなくて(;^ω^)何を借りたかというと、一つは交通事故・自転車安全などの本を3冊借りました。といっても難しい法律の本は私の頭では全く理解できませんので、なるべく読みやすいものを、少ない中から探しました。どうして、こんな本を借りたかというと、私はやっぱり未解決の疑問とさえりんからの疑問の宿題を解決できないまま、納得がいかないまま、先へ進むことができないと思ったからです!!私の未解決の疑問とはどうして、娘は青信号の横断歩道で轢かれて死ななくちゃいけなかったのか??さえりんが亡くなる少し前に、私に投げかけた疑問とは愛知県はどうして交通死亡事故が全国ワーストワンなの??私はこの先どうやったら、前に進めるんだろうか??どうやったら、感謝の優しい涙が流せるんだろうか??と考えれば考えるほど、この2つの課題、私の中の未解決の疑問と、さえりんからの疑問の宿題をそのまま放っておいては、いつまで経っても堂々巡りでこの先にも、前にも、進めないんだと気付いたからです。とはいっても、こんな世間知らずの教養もない50過ぎのおばさんに何が出来るのか、さっぱりわかりませんが・・・(;'∀')とにかくまずは勉強しなくっちゃということで本を借りてきたんです。結局は何もできないかもしれないんですが、まずは自分が疑問に思ったことを、ひとつずつでもあげていこうと思いました。まず見つけたのは、「自転車“道交法”BOOK」という本の中で『いわゆる「クルマ脳」について』自動車の便利さにとっぷりはまってしまった発言力の強い人たちと、その人たちの判断を素直に信じ込んでしまった人たちを総称して「クルマ脳」症候群患者と呼んでいる。クルマ脳の産物として、クルマ最優先の考え方で設計された道路、考案されたルールがたくさんある。 横断歩道を渡ろうとしている人がいるのに速度も落とさず右左折し通り過ぎるドライバーも、クルマ至上主義、クルマ原理主義の「クルマ脳」が生み出す歪んだ状況である。歪みの筆頭は、自転車の歩道通行を合法化した道路交通法である。日本の街中には車道と歩道の境界に柵がある。外国にはこの柵は無いのに日本より交通事故の死亡者は少ない。では、なぜ、柵に守られているはずの歩行者と自転車が交通事故で生命を奪われるのか??はっきりわかっていないが、その理由は、柵がある為に車が安心して制限速度を超えて走るからだ。安心しているから、柵が無くなる交差点や曲がり角に差し掛かった時、それまで認識していなかった車と、歩行者・自転車が出会い、速度が速いため死亡事故となる。「クルマ脳」の人は安心のために柵を作り、車線で区切り、税金をつぎ込んで車と人を分ける設計や規制を行う。しかし、事故の大半は“分けられない”そして“安心してはいけない”交差点で事故の大半は起きている。安心は決して安全ではない。その認識さえあれば「クルマ脳」は治るのだが多分クルマ脳患者を撲滅させることは夢の夢だろう。と書いてあった。私も運転歴は30年を超えて今まで通勤や買い物、送り迎えなどで車に乗らない日なんて殆どなかった。だから、私もこの「クルマ脳」になっていたのかもしれないと思いました。ついクルマ優先、クルマが偉いとまでは言わなくても、特にこの自動車大国、トヨタ王国の愛知県ではそういう気質が往々にして溢れていたのかも知れないと思いました。だから、横断歩道で人が待っていても止まらないんです。「自分が止まっても反対車線の車が止まらなかったらどうせ渡れないんだから止まらなくてもいいや」と車中心でものを考えてしまうのです。こういう習性こそが横断歩道で、右左折で人をうっかり轢いてしまうことに繋がるのではないかと思ったのです!!日頃から、横断歩道に人がいる時は必ず止まるんだという癖がついていたら、右左折でももっと人がいるかどうかしっかり確認するはずなんです。こういった日頃の積み重ねが、ある日突然さえりんの事故のように取り返しがつかない結果となってしまうのではと思ったのです!!この辺りにも、私の未解決の疑問と、さえりんからの宿題の答えが隠れているような気がしました。では、どうしたらいいのかと言われると答えはまだわかりません。でも、どうやら車を運転する全ての人の意識を変えない限り、こうした理不尽で悲惨な横断歩道での交通死亡事故は減らないんだと思いました。ブロ友さんもコメントに書いて下さいましたが、「人を恨む心からは、憎しみしか生まれない」本当にそうなんです!!私もついこの間までは、頭ではそうだとわかっていても、私の心が譲れずそこばかりを思い詰めて、もがき苦しむばかりでした。でも先日、日本交通事故調査機構の佐々木さんにお逢いして貴重なお話を伺ってから、少しだけ気持ちが変わったのです。どんなに加害者を恨み憎んでも決して許すことは出来ませんが、でもどんなことをしても、さえりんはもう還って来ないんです。だったら、さえりんのために何が出来るだろうか??さえりんのように青信号の横断歩道で命を落としてしまう人を減らすために、正しく安全に命が守られるために、いったい何が出来るだろうか??そんな風に、少しずつですが考えていけたらいいなあって思ったんです!!まだまだはるか遠い道のりですが、ゆっくり私ペースで、時々落ち込んだり、泣いたり、立ち止まったり、考え込んだり、また動き出したりしながら、少しずつでも進んでいきたいです。さえりんはきっと、そんなママを応援してくれると思うから(さえりん6歳 七五三part6)と今日はそう思っても、またすぐに落ち込むと思います・・・(;'∀')やっぱり、そんなに簡単に割り切れる問題ではありません。それ程までにさえりんを喪った、心の傷は恐ろしく根が深いんです。でも、少しづつでも言葉に出して、文章にしていかないと、落ちたままで上がることなんて永遠にないと思うから・・・(>_<)だから、浮いたり沈んだりが激しい私ですが、思ったままに書いていきます。どうかこれからも温かい目でお付き合いいただけたら、有難いです。ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館く~みんKKさんへはじめまして、さえママと申します!!コメントをいただいて、本当に嬉しかったです!!アメブロさえパパのところから来てくださったんですね。お二人のお子さんをご病気で亡くされたのですね。本当に私なんかよりずっとお辛いのに、励まして頂いてありがとうございます。もし、アメブロでブログをされてみえるようでしたら、さえパパのアメブロにでも教えていただければ、お邪魔させて頂きたいです。これからも、どうかよろしくお願いいたします(*^^*)
2020年09月13日
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昨日は久しぶりに、アメブロのさえパパがフォローしている方のブログを何気なく見ていたら「優しい涙」というタイトルが目見飛び込んできました。Nさん勝手にまねしてごめんなさい・・・(;'∀')そういえば最近の私は涙は「悲しい涙」「悔しい涙」「切なく辛い涙」しか流していなかったなあって思いました。そして、娘の無念を晴らすためにやっきになっていたような気がします。もしかしたら、だから心が余計に病んでいたのかなと気が付いたのです。さえりんは本来、平和主義で争いごとは大嫌いです。人がケンカしていたり、怒っていたり、争っていると、本当にすごく悲しくなって、自分の心を痛めるような、優しい性格の持ち主でした。私は普段は穏やかですが、理不尽な事、納得のできない事、卑怯で不公平な事そういう現実を許すことができない正義感がとても強い性格です。だから、許せない現実には、自他問わず、とことん闘ってしまうのです。こんな私の姿を見てさえりんはどう思うのかなとふと思ったのです。きっと優しいさえりんのことだから、私を否定したり戒めたりはしませんが、少し寂しい顔で、ひやひやしながら見守っていたのかなって思ったのです。今の私に足りなかったもの、それが「優しい涙」だったのかなと。さえりんが亡くなったことはもちろん悲しい思いは変わりません。でも、もっともっと、今までさえりんがいてくれたことに感謝して、「心からありがとう💛」の気持ちで「優しい涙」が流せるような、私になりたいと思ったのです。昨日、9月11日は「アメリカ同時多発テロ事件」の日でした。2001年9月11日(火)朝死者約3000人、負傷者6000人以上の大惨事から19年。決して風化させてはいけない、哀しい出来事。そして、昨年の9月11日(水)は我が家のことですが、さえりんの100ヵ日法要を我が家へ住職にきていただいて行った日です。さえりんがこの世からいなくなって、ちょうど100日目のその日にしたんです。今、私の心はカラカラに乾いて、殺伐としていて、刺々しくて、ズタズタでいつの間にか大事なことも、忘れていたのかも知れません。一昨日いったん感情を横において、自分の裸の心と素直に向き合って詩を書いてみたら、思ったんです。今の私に足りないもの、それは「心のうるおい」だったのかなと。それは「優しい涙の根底にある、限りなく無限の愛」というのかも。さえりんが大好きなママは、どんなお母さんだったのかなって想像してみた。『明るくて、おちゃめで、元気で、おっちょこちょいで、ドジで、可愛い人、せっかちで、怒りん坊で、でもすぐに反省したり、娘たちに叱られ落ち込む人、お節介で、超親バカで、情にもろくて、娘たちのことが世界で一番大好きで、過保護で、心配性で、頑張り屋で、心が傷つきやすくて、弱虫なくせに強がって、娘を守るためなら必死で闘う人、涙もろくて、うっとおしいくらい愛溢れる人』こんなママだったんじゃないかな??さえりんどう??当たってるかな??今のママは、さえりんが大好きなママかな??それとも攻撃的で危なっかしくて、さえりんに心配かけてるのかな??さえりんの気持ちを想像して書いていたら、自然に涙が零れたよ・・・これが「優しい涙」なのかな??ねえ、さえりん教えてよ!!ママは昔みたいに、自然に笑ったり、素直に幸せを感じたり、さえりんが大好きだった頃の、ママに戻れるのかな??ママはさえりんがここに、ママのすぐそばにいつもいるって信じてるよ!!そして時々ママのために、本物の愛と、「優しい涙」と流してくれることも知ってるよ。(さえりん6歳 七五三part5)Facebookで見つけた素敵な言葉(私が書いたものではありません)「たとえ、今日がどんなに辛くても」悲しいことがあったとしてもそれはずっと続かないから、涙っていう文字には「戻る」という言葉が入ってるよね。これは涙を流しても笑顔に戻ろうよっていう意味。泣くは「立つ」っていう言葉が入っていますよね。これは思いっきり泣いたらまた立ち上がろうって意味。泣いたり、笑ったり、悲しかったり、楽しかったり、苦しみ、幸せいろいろなことを感じて乗り越えていくたびにあなたの愛や魅力が一つ一つ増えていくんだよ。これはFacebookで見つけた、人生を変える素敵な言葉です。でも、私もいつかこんな風になれるのかな??さえりんへの愛や慈しみはもちろんたくさんあるけど、今は加害者に対する怒りや憎しみの方がはるかに大きいのです。いつか、乗り越えて、その先の景色が見える日なんて来るのでしょうか??今の私にはまだまだ、悲しみの真っ最中、この先の人生なんて訪れる日が来るんでしょうか??ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月12日
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昨日は皆さまからの温かいコメント本当にありがとうございました!!なかなかすぐに元気になんてなれない私ですが、皆さまお気持ちは私の心に温かく、優しく届いています。昨日は、庭の花を眺めたりして一日ぼーっと過ごしました。あいみょんの「裸の心」を何度も聞きながら・・・そしたら、また詩が浮かんできました。あまり上手ではないですが、書きたくなったので(*^^*)秋の風秋の風が 私に憂鬱な心を運んできた急に下がった気温は 私の気持ちも下げていくヒューっと風が吹くたびに寂しさと切なさが 私の心を振るわせる冬の空気が 私に身を守る術を教えてくれた外は冷たくて 真っ暗闇のどん底では心が凍り付いて死んでしまうよと温かい場所で 寒さが通り過ぎるのをじっと待てばいいんだよと春の匂いが 私に開放感を与えてくれたどんなに悲しくても 春が来れば綺麗な花が咲くんだとふんわり優しく 傷ついた心を癒し包み込むように夏の陽射しが 私にかたりかけたこの季節になる直前に 天に昇った娘がぎらぎらと照りつける太陽の陽射しとなって「まだ生きていたかったよ」とまるで娘の命の炎を燃やすように自転車毎朝 私は声をかける青いブルーシートにくるまれて小さくなってしまった娘の自転車に「おはよう☀今日もよろしくね」見る度に 私は切なくなるあの日娘と一緒にトラックの下敷きにされてしまった自転車に「痛かったね、本当にごめんね」思い出す度に 私は祈る見る影もなくもう二度と走ることができなくなってしまった自転車に「悔しいね、成仏してね」毎日毎日 私は感謝する私は娘の最後を見届けてやれなかったけど娘がお気に入りだったピンクの自転車に「最期まで、娘と一緒にいてくれて、心からありがとう」雨さっきまで晴れていたのに急に音を立てて 激しい雨が降る窓を叩きつける雨を眺めていたら私は雨にずぶ濡れになりたい気分になった外に出てみたら傘なんて捨てて雨を体いっぱいに浴びて 心まで洗い流してほしくなったこんな激しい雨を見ていたら心の底から大声で 天に向かって叫びたくなったどうしてあの日 雨を降らしてくれなかったの!!!どうしてあの日 娘は死ななくてはいけなかったの!!!遠くの空で雷が鳴る音がした娘を奪われた母の心の叫びが天に届いたのかな??それともこれは娘の悲しみと怒りの涙なのかな??光キラキラ光る 光は眩し過ぎる私の心はとっぷり暗闇の中に埋もれてしまったからキラキラ光る 光は似合わない恨みと復讐の炎を燃やしながら最後の理性で留まっているからキラキラ光る 光は恨めしいどうして娘だけがこの世界からいなくなったのと神を恨んでいるからキラキラ光る 光を見つけたから雨上がりの庭の花と樹が潤って喜んでいるのがわかるキラキラ光る 光が輝いているからこんな心でありながらまだこの世にいるのだと気付くキラキラ光る 光が神々しいから娘がここにいて花をながめて笑っているんだと想えるキラキラ光る 光が導いているから私は今もこれからも生きていこうと思えるキラキラ光る 光が未来を照らすから私は精一杯に生きるいつか娘が迎えにきてくれるまで恋心淡い淡い ピンクいろの恋心シャイで 傷つきやすくて儚くて 健気で 純真で 愛おしいふるえる想いは せつなくてピンクいろの 花びらになってお空から 届きますように母はただ 祈ることしかできなくて娘が しあわせになることをこの想いが 届きますようにあの世と この世に 遠く遠く 引き裂かれた娘の恋が いつか実りますようにたとえ 儚い望みでもささやかな 親心虹の彼方の 遥か届かぬ恋心昨日は心落ち着かせて、素直に自分の想いに向き合って泣きながら詩を書いていたら、気が付けば少しは優しい気持ちになれたような気がしました。私はひとりで誰にも言わずに、悲しみを背負って心に抱えて生きてはいけないからだから、書くんです。心のままに、素直に、裸の心で・・・(さえりん6歳 七五三part4)あいみょん 「裸の心」ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月11日
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9月に入り大型の台風も通り過ぎ、まだまだ暑いんですが、急に雨が降ったり、急に秋の風が吹いて不安定な気持ちになってきました秋は本当なら、過ごしやすくてとってもいい季節なのですが、寂しくなったり、憂鬱になったり、落ち込んだり、体調を崩したり、心と体のバランスも不安定になってしまい、私には辛い季節なんです。今まで気が張っていたり、恨みや怒りのパワーでアドレナリンが出ていて一時的に元気になっていただけなのか、それとも本来のどんよりした自分に戻っただけなのか分かりませんが、昨日と今日は心境が良くないです。なにもなくても、自然に涙が出てくるのです。心が疲れているのかな・・・(>_<)さえりんが生きていたころからこういう傾向はあったんです。数年前に心療内科へ行き「季節鬱の傾向があります」と言われ、安定剤をもらい飲んでいたこともありました。昨年は、さえりんが亡くなって初めての秋で、私の心はどうなっだのだろうと思い返してみました。昨年の今頃は無我夢中で、被害者遺族はその後どうやって生きていけばいいのか、果たして加害者は起訴されて裁判になるかどうか、さえりんのことをこのまま世間から忘れられないだろうかと不安で不安で、必死になって慣れない苦手なパソコンでネットにかじりついていました。そして、meronさんのブログへようやく辿り着いて、思ってもみなかったこの機械音痴な私がブログをはじめて、毎日毎日が目新しくて必死で過ごしてきたように思います。だから、気が付けば憂鬱なはずの秋が通り過ぎ、冬になっていたんです。ところが今年は一年経ってこの生活にも少し慣れてきたのでしょうか、またこの秋の気配で、不安定で怖くて、憂鬱な心に襲われています。ということで、今日は簡単に終わります。一日、ボーっとして過ごします・・・皆様のブログへコメントに入れなかったら、ごめんなさい(>_<)たまにはこういう日もあってもいいですよね・・・(;'∀')(さえりん6歳 七五三part3)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月10日
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一昨日は、株式会社 交通事故調査機構 代表取締役 佐々木尋貴さんに我が家へお越しいただきました。さえりんの交通事故の調査をして頂くために、仙台から来ていただいたのです。この方は警察官でした。10年前息子さんを交通事故で亡くされて、退職され今の交通事故調査機構をはじめられたのです。私は、7月15日到底納得のできない刑事裁判の判決が執行猶予付きになって、この間違った捜査を何とか正しく調査し判定してくださる方はいないだろうかと探していた時、meronさんが佐々木さんを紹介してくださったのです。meronさんから最初に「この人は嘘をつかない、正しい判定しかしないよ。だから、たとえ依頼者が不利になる状況だったとしてもそのまま調査書を作る方だよ。だから、信頼できる方だよ。それだけは承知してね」と言われました。それから、私は佐々木さんに連絡を取り、メールや電話、捜査資料や遺品の服等を送って、何度も事故の衝突タイミングシュミレーションも作って頂きました。そして一昨日、直接事故現場を見にきていただいたのでした。私は佐々木さんに昨日はじめてお会いして、meronさんに言われた「この方は嘘をつかない、信頼できる方だよ!!」という言葉が本当だと思いました。そして、佐々木さんに教えていただいた、警察官の衝撃の真実とは・警察官は被害者遺族の味方でも、加害者の味方でもない。・警察官の仕事は、被疑者を逮捕する事。決して被害者遺族の救済はしない。・正義感を持って被害者や遺族の救済をしたいのなら警察官になってはいけない。・事故捜査係の仕事は、事故の事実を調査し書類を作る事。 その際に、横断歩道上なら、それが手前でも真ん中でも渡り切る寸前でもどこで も関係ない。ただ横断歩道上という事実だけがわかり、被疑者を逮捕出来れば それでいいのである。見取り図の正確さはそれ程求められていないのです。・訴訟上の真実と、本当の真実は違うものである。本当の真実は重要ではない。・警察官は自分が書いた、いわば真実でないかもしれない書類が刑事裁判の後 民事裁判でも重要視されてそれで判決の有無が決まってしまうなんて知らない。・警察に、遺族対策室はあるがそこは担当の警官がただ話を聞いてくれるだけで、 捜査の権限は全くない。相談しても捜査に生かされることもない。・例えば事件が1000ピースのジグソーパズルだったとすると、警察は全部を 埋めることはしない。500ピースでも概要が解れば、良しで捜査は終わる。一般人の私たちには驚くことばかりの衝撃の事実でしたΣ(゚Д゚)これは警察が悪いというより私たちの警察に対しての意識が間違っていたのです。私たちはどうして警察官の仕事を、市民のためだとか、弱きを助け悪を懲らしめるとか、被害者遺族の味方であると、勘違いしてしまったのでしょうか???私はその大きな要因はテレビのせいだと思いました!!テレビの報道や、特に刑事もののドラマに私たちは洗脳されているのです!!私も自分が被害者遺族になるまでこんな事実が知りませんでしたし、思っても見ませんでした。ドラマのように、被害者のために熱血に捜査してくれる刑事も悲しい被害者遺族に寄り添ってくれる優しい現実には警察官もいないんです!!踊る大捜査線の青島刑事は絶対に実在しない完全フィクションの人なんです!!私はさえりんが亡くなってから薄々そう感じていました。だからもう、刑事ドラマは絶対に見たくはありません!!信じていないから。作りごとだと気付いてしまったのだから。佐々木さんは自分が警察官だったころは、これがオカシイことだという感覚は全くなかったそうです。警察学校で教わったことや、上官に言われることがすべてだったから。そして、被害者遺族からは「ありがとう」と言われると自分たちは感謝されているんだと思っていたそうです。本当は悔し涙を、流している方が大勢みえるなんて想像すらしなかったのだと、言われました。ところが、転機がやってきたのは10年前。息子さんが交通事故で命を奪われて自分自身が被害者遺族になった時です。その時初めて被害者遺族の深い深い悲しみを知り、自分たちがしてきたことは被害者遺族のためでも、何の慰めにならなかったんだということに気付いたのだそうです。奥様や娘さんの辛く哀しみ、苦しむ姿を見た時、自分は警察官という仕事をしていたら、こういう被害者遺族に寄り添うことは出来ないんだ、交通事故の真実を追求することも正しい調査をすることも出来ないんだとはじめて気づき、止められながらも警察官を退職し、今の交通事故調査機構を立ち上げたのだそうです。私は佐々木さんに質問しました。「私たち被害者遺族は誰を信じて、安全なはずの横断歩道で無惨に殺された娘の無念を晴らすためにために、何をすればいいのでしょうか??」と。佐々木さんは「いろんな活動をしている方は大勢いらっしゃいますし、ただ何もせずに悲しみに耐えていらっしゃる方はもっともっと大勢いらっしゃいます。これから、何をするのか、何をしたら、娘さんが喜ぶのかはご自分で答えを探すしかありません。ただし、警察に絶望して嫌ってもいいですが、警察を上手く動かすことも出来るんですよ。警察には交通規制課という部署があります。交通事故を減らすためにどうしたらいいかを規制する仕事をしています。ここへ要望書を出して、例えば、歩行者と右左折の車が交差しない歩者分離信号を設置して横断歩道上での交通事故を減らしたり、例えば、スマホ規制や、あおり運転の規制などを全国に働きかけて罰則の強化を実現し、事故を減らした方もみえるんですよ。それも、大事なご家族の死を無駄にしない行為の大きな成果ではないのでしょうか!!子供さんは無駄死になんかではないんですよ。それはあなた次第なんですよ。」と、教えてくださいました。私は目から鱗が落ちる思いでした!!私たちは交通事故の被害者遺族です。でもただ哀れで可愛そうだと同情して欲しくなんかありません!!私たちは警察が遺族の救済を何もしてくれないとただ嘆いているだけでは、何も変わらないんです!!そして、ただ悲嘆に暮れているだけでは、亡くなった娘の死はいずれ忘れ去られ、何の価値も生まれません。これが、遺族にとってはどれ程、悔しくやりきれないことでしょうか??私はひとつ決意しました!!さえりんの死を、決して無駄には出来ません!!こんな私に何が出来るのか、何をしたらさえりんが喜んでくれるのか、まだよくわかりません。そしてもっと勉強しなくてはいけません。でも、絶対に諦めません!!たとえ時間がかかっても、たとえ上手くいかなかったとしても何もしない後悔だけはしたくはありません!!佐々木さんは最後にこう言って下さいました。「交通死亡事故が多い愛知県から発信することに意味があるかも知れない。もしお母さんが何かを見つけて、それに向かって精一杯努力した結果、それでもその事が叶わなかったとしても、何もせずただ悲しんでいるより、娘さんはきっと喜んでくれるんではないでしょうか。」と。その言葉を聞いて、私は心の中が涙でいっぱいになり、今まで固く閉ざしていた窓が、パッと開けて新しい風が入ってきたような気がしました!!佐々木さんに出会えたことに心から感謝しました!!本当にありがとうございました!!気が付けば話が白熱して、もう夜の8時になろうとしていました・・・(;'∀')佐々木さんとN弁護士には本当に申し訳ありませんでした(>_<)急いで、三河安城駅へとお送りしました。佐々木さんは翌日は浜松でお仕事だそうで、三河安城駅近くのビジネスホテルへ泊まられました。でも、もしかしたら私のこれからの人生を変えるかも知れないくらいの、貴重なお話と有意義なお時間をいただけたこと、心から有難かったです!!さえりん、これからのママを応援してよ!!(さえりん6歳 オシャレして行ったのは神社で七五三のお参りでした(^^♪)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月09日
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昨日は台風の影響で時折激しい雨と雷もなってとっても不安定なお天気でした。被害はありませんでしたが、一番心配だったのは大雨の影響で新幹線が止まらないかということでした。というのも昨日は、大阪のN弁護士と、仙台の日本交通事故調査機構の佐々木さんに、来ていただく日だったからです。午後2時、東海道線新幹線は東京方面からは大雨のため20分ほど遅れて、佐々木さんが三河安城駅へ到着されました。先に来られたN弁護士と車に乗って頂いて、まずはさえりんの事故現場へと直行しました。心配だった時折激しくゲリラ豪雨のように降る雨は、私たちが現場で視察した約1時間近くは一切降りませんでした。私はさえりんが「お願いします!真実をちゃんと調べてください!!」と喜んで味方してくれているのではないかと思いました。現場では、佐々木さんはまず横断歩道の中央線から横断帯までの長さをメジャーで測り、同じような10トン級の大型トラックが左折して2車線目へ入る軌道を主人がカメラで写し、何台も何台もよく確認しました。そして、先に送ったさえりんが事故当時着ていた服や、現場検証のカラーの資料などを分析して頂いた結果として、さえりんは一度トラックの左前輪の第一軸タイヤに当てられて道路に倒されてから、そのままトラックの下敷きにされてその時、進行方向へ向かって引きずられている痕跡が残っていることから導き出し、トラックの左折の軌道はかなり大きく膨らんで曲がっていると判明した。ということは、警察の作った資料の横断歩道から3メートル地点で最初の衝突があったのでは理屈に合わず、やはり衝突地点は、5メートル以上先の横断歩道の中央を少し超えた地点だということがわかりました。警察の資料でもちょうどその位置、5~6メートルの場所に上着のボタン2つと片方のメガネのレンズが落ちていたのです。やはり最初にさえりんが倒された場所はそこだったのです!!ということは明らかにさえりんは真ん中まで渡っていた時に、逃げ場もなくトラックに前方をふさがれて下敷きにされたんです!!私は判決後、検察にどれだけそう訴えても「それは飛んでいったのだろう」と、取り合ってもらえなかったのです!!!3つの証拠品すべてが同じ位置へ、3メートルも飛んでいくなんておかしな理屈を言われて、私は憤慨したのでした!!!その後自宅で、さえりんが乗っていて一緒に下敷きにされた自転車を佐々木さんとN弁護士に見てもらいました。佐々木さんは自転車の痕跡から、やはり右からトラックにぶつけられて左側へ倒れていると軸の曲がり方などで推測されました。佐々木さんはひん曲がって潰された自転車と、同じく湾曲した前輪タイヤの写真をたくさん撮っていかれました。私は、まだこの自転車を見るのがとっても辛くて、少し離れた庭で遠くからその様子をながめることしか出来ませんでした。すべて主人に対応してもらいました。そして、車庫での自転車見分が終わり、私たちが家に入った途端、また激しい雨が急に降ってきたのです!!私はその激しい雨は、まるでさえりんからの「真実を追求して!!!」という悲痛な叫び声のように感じたのでした。佐々木さんと、N弁護士は、さえりんの仏壇をお参りしてくださいました。少し遅れて、自転車にブルーシートをかけていた主人が家に入ってきたときはすっかり雨に濡れていました。私たちはN弁護士に民事裁判はどの様に進めていくのかを質問しました。私は、民事裁判のことは全くわかりません。これから勉強しなければと思っているんですが、まだやっていません。N弁護士は、まず「訴状」を裁判所へこちらが提出し、それに対しての「答弁書」が来て、何度もすり合わせて、「過失相殺」を決めるのだそうです。私は聞きなれない言葉ばかりで全くついていけませんでした・・・(;'∀')民事裁判は「訴状」を出してから、判決まで最短でも8ヵ月以上はかかるそうです。そして、もしも裁判官が過失の割合が、さえりんにも非があるとされた場合、佐々木さんに調査して頂いた資料がここで役に立つのだということでした。私たちは佐々木さんから警察官の衝撃の事実を聞かせてもらいました。それは長くなりそうですので、また次のブログで!!(さえりん6歳 オシャレしてどこ行くのかな??)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月08日
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気持ちを新たに、詩を書いてみました(*^^*)もしかしたら、少しは優しい心のなれるのかなっと思って。いつもは想いを込めて、魂を込めて機関銃のように文章を書いてしまうので、たまには冷静に言葉選びをして、綺麗にまとめてかけたかな??初めて書いたので下手ですが・・・(;'∀')幸せだった私そんなに叱らなくてもいいんだよ。その子は将来とっても穏やかで優しい娘になるんだから。そんなに怖い顔しなくていいんだよ。その子は将来とっても家族思いの孝行娘になるんだから。そんなに自分を責めなくてもいいんだよ。その子はなにもかもわかっていて大きな愛で包み込んでくれる娘なんだから。そんなに後悔しなくてもいいんだよ。その子は神様から預かった天使だったんだから。そんなに苦しまなくていいんだよ。その天使はたくさんの想い出というプレゼントを置いて行ってくれたんだから。そんなに絶望しなくてもいいんだよ。その娘のお陰で”幸せだった私”がいたことを想い出して生きればいいんだから。手をふるいってらっしゃい!!気を付けてね!!私は主人に手をふるいってらっしゃい!!今日は何時に帰るの??私は次女に手をふるでもあの日に限ってどうして私は手をふらなかったんだろう??いってらっしゃい!!娘よ、絶対に帰ってくるんだよと・・・窓をあける朝、誰もいない部屋の窓をあける「おはよう☀今日もいいお天気だよ」と、声をかけながら。夜、誰もいない部屋の窓をしめる「おやすみ🌙今日も月が綺麗だよ」と、声をかけながら。時々、誰もいない部屋の窓を眺める「どうして☁今日も帰って来ないの?」と、涙をこらえながら。ガタガタガタガタ部屋のドアがガタガタガタ誰もいないってわかっているけど部屋のドアがガタガタガタあけた窓から風が入っただけとわかっているけど部屋のドアがガタガタガタもしかしたらと、かすかな期待がよぎる部屋のドアがガタガタガタやっぱり、誰もいなかったんだけど部屋のドアがガタガタガタ娘よ、おかえりと言っている私がいるかなしいねどうして、人の悪口を言うの?どうして、人を傷つけるの?どうして、人は嘘をつくの?どうして、人は相手を蹴落とすの?どうして、人は人を騙すの?どうして、人はお金に執着するの?どうして、人は謝らないの?どうして、人は過ちを犯すの?どうして、人は交通事故を起こすの?どうして、人はうらぎるの?あなたのことを、信じていたのにどうして、人は死にたくないのに死ななくちゃいけないの?かなしいねみんなみんな、しあわせになりたいのにねはじめて、私なりの詩を書いてみました。センスが足りないのはご愛嬌です(≧▽≦)私は、少しは優しい気持ちになれたのかな??私なりに自分の気持ちに、素直に真っ直ぐに、私流に書きたいから。下手でも不器用でも、ゆっくりでも、私らしく生きていきたいから。哀しいニュースがありました。高松で起こった「2女児放置死事件」6歳と3歳の可愛い娘を車に15時間放置し、熱中症で死なせた26歳の母親逮捕。下の写真のさえりんと次女と同じ年頃で、2人の姿が重なった。本当に切なくて、心が痛くなった・・・(>_<)母親は子どもが可愛くなかったの??母親は子どもが邪魔だったの??母親は子どもを故意に殺したの??子どもたちはずっとずっと、母親を信じて待っていたんだよ!!そう思ったら、哀しくて、哀しくて、やりきれなくなった・・・さえりんだったら、なんて云うのかなって想像しながら最後の「かなしいね」を書きました。(さえりん6歳 トヨタフレンドリーフェスタにて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月07日
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最近、ネットで本を2冊買いました。1冊は少し前のコメントでmeronさんとミヤちゃんさんが紹介してくださった、『プルーフ・オブ・ヘブン 脳神経外科医が見た死後の世界』この本は理解力が足りない私には難しくて今読んでいる途中です(;^ω^)もう1冊は、先日このブログに書かせてもらった、豊橋の中学1年生の息子さんを亡くされたお母様に紹介して頂いた、畠山理夏さんの『花を買う』という詩集です。とっても可愛らしい表紙が温かくて優しい気持ちになりました。この方も被害者遺族だということは伺っていました。以下はこの本の中から一部抜粋させて頂きました。花を買う ☀ 畠山理夏はじめに2018年4月25日の朝、息子大輝(たいき)は自転車で登校中、横断歩道上で左折の大型トラックに命を奪われました。12歳、中学1年生でした。その朝までの記憶は鮮明のあるのに、事故後の日々の記憶は霞がかかったように頭の中で漂っています。ただひたすら神様に息子が寂しくないようにとお願いしながら息子のいない日々を積み重ねる中で心に浮かんできた言葉を、息子がこの世に存在した証のように書き留めて行きました。 書けば書くほど、子どもを亡くした親の気持ちを十分に表現する言葉はこの世に存在しないと思うようになりました。それでも、心にあふれ出る言葉を書き留めることで私はこの世での心を保っているのかもしれません。花を買う今日も私は花を買うあなたが好きなものを私は知っている何を買えばあなたが喜ぶか私は知っているたくさんの本が並ぶ書店でたくさんのお菓子が並ぶコーナーで子供服売り場で私は手にとってあなたの笑顔を思い浮かべるそして静かに棚に戻す開くことのない本減ることのないお菓子袖を通さない服私は今日も花を買う「お母さん、もう花はいいよ」あなたの声が聞こえるまで今日も私は花を買う償いそれはなにそれは心の奥底にあるものなのだろうか目見えないものなのだろうか私にわかるのはそれは物やお金ではないということそれは真実の心がなければ届かないものであるということ償いきれないとわかったうえでそれでも死者への陳謝と自分の罪に向き合うということあなたにはその心がありますかこの本は、2020年8月13日に発行されました。息子さんをある朝突然、交通事故で奪われた母親の心の叫びが言葉となって30編の詩に綴られていました。穏やかで優しくて温かい言葉の中に「子どもを亡くして奈落の底に突き落とされ深い深い悲しみと痛みの中で、心も内臓も空っぽになりながら、もがき苦しみ必死で答えを見つけようとした結果、『死を受け入れる』のではなく息子の死を静かに受け止めて悲しみとともに生きていくしかないのだ」と書かれたものです。私はこの詩集を読んで、深い深い悲しみの中で、それでも決して人を傷つけず、ただひたすら息子さんへの愛が溢れ出て、切ないほどに愛おしくなりました。そして、私はすぐに言葉のナイフを使って人を切りつける癖があることにも気付かせて頂きました。それが私流だから仕方ないんですが、人や物に言葉のナイフで切りつければ、当然自分自身にも同じだけ返ってきます。だから、言葉のナイフをかざせばかざすほど、私の心もズタズタになるんだと思いました。最近の空虚な気持ちや、どうしようもない絶望感もこれが原因なのかもと。きっと、今の私に必要なことに気づかせてくれるために、この本と出会ったのかなと思うのです!!豊橋のママさん素敵な本をご紹介くださり、本当にありがとうございました!!私はこれから、どの様に生きていったらいいのかな??って考えた。激しい怒りも、法律への深い憤りも、加害者への恨みも、神への不信感も、私の心の中からは、決して消えることのない現実。しかし、さえりんと次女への想いは、海より深い誰にも負けない無償の愛。それも、また決して消えることのない真実。この相反する思いを両方抱えながら、それでもそれでも生きていくしかない。どんなにズタボロになっても、私は思う通りにしか生きれない、私流に!!いつか、さえりんがニコニコしながら「ママ頑張ったね、おかえり💛」って迎えに来るまでは。(さえりん6歳自宅にて カタツムリと遊ぶ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月06日
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昨日はさえりんの15回目の月命日でした。主人と一緒に現場へお花を供えに行きました。朝は晴れていたのに、朝9時40分自宅を出るころには大雨が降ってきました。激しい大粒の雨はまるでさえりんの涙のように感じられるのです。昨日は、朝10時に開店するいつもの花屋で加害者が本当にまだ献花に来るのか、また運送会社の上司と一緒に花を買いに来るのかどうかを見に行きました。花屋の隣のコンビニの駐車場で待っていると10時5分、運送会社の上司の白いワゴン車が花屋の駐車場に入ってきました。上司の男性と後部座席から加害者の女が降りて花屋に入りました。すぐに女が花束を抱えて2人は出てきて、車に乗り事故現場へと向かいました。現場近くのローソンに着くともう1台同じ車種の白いワゴン車から男が3人出てきました。運送会社の上司4人と加害者の女は傘をさして横断歩道を渡って事故現場へと歩いて行きました。雨がさらに激しく降ってきました。その雨がまるでさえりんの大粒の涙のように大粒の涙は号泣となって、加害者に向かって必死で訴えているのです!!!!「私の命を返して!!!!こんなところでどうして私を轢いたの????」「私はまだあの世へなんか行きたくなかった!!私を元に戻してよ!!!」加害者の女はさえりんのこの想いに少しくらい気付いたのか??????現場には10分くらいして上司4人と加害者の女はローソンの駐車場へ戻ってきた。加害者の女は乗ってきた上司が運転する車に乗って帰って行った。その後、私たちはさえりんの事故現場へ持ってきた花を供えた。そこには、さっき運送会社のお金で買った花があった。いつもは白い花なのに、昨日は少し大きくてピンク色の花束になっていた。何故だろうか????たまたま???それともさえりんがピンクが好きだと何処で知ったの????もしかして、運送会社の誰か関係者がが私のこのブログを読んでるの????もしそうなら、加害者に伝えてほしい!!!!こんなことをしても私も、さえりんも一生許しません!!!!本当に謝罪する気があったら、毎月月命日に一人でうちに来てさえりんの遺骨の前で土下座して謝れ!!!!!!!!!激しく叩きつけるように降り続く雨はまるでさえりんの気持ちを代弁しているように、こう訴えているのです!!!!「人に悪いことをしたら、心から素直に謝らないといけないんだよ!!!!人の命を奪ったら、いつか自分の身に降りかかるんだよ!!!!あの世には逃げ得なんてないんだよ!!!!地獄に落ちるんだよ!!!!!!」この世の法律がたとえあなたの刑を軽く許しても、人殺しの罪は一生、死んでも、絶対に消えないんだと!!!!もし関係者の誰かこのブログを見てるなら、あの女に教えてやってください!!この激しい雨はさえりんの怒りと恨みと悔し涙だと、あの女が思い知るように!!私は加害者の女の姿を見て、またものすごく動揺が走った。本当は見に行かないほうがいいことは、十分よくわかっていた。でも、もし加害者の女が、裁判で約束したのに花すら供えに来なかったら私は激怒して運送会社に乗り込んでいたかも知れません!!だってあまりにも、あまりにもさえりんが可哀想過ぎるから・・・(>_<)昨日は家に帰り着くころには小雨になっていました。本当にさえりんが激しい雨を降らせたんだと思いました。そういえば、さえりんは亡くなった翌日一度家に帰り、その2日後に家から、葬儀場へと出棺するときも突然、物凄い勢いで大粒の激しい雨が降りました。まるで「嫌だよ!行きたくないよ!!もっとずっと家にいたいよ!!」ってさえりんが号泣しているかのように・・・(>_<)昨日の午後遅めのお昼ご飯を食べていると、次女が私にこう言いました。「今日の午後4時半までに大学に実習のレポートと課題を提出に行かないといけないんだけど、大雨のせいで名鉄電車が止まっていて、動いても遅延してるから、車で一緒に岐阜県の大学まで一緒に行ってほしんだけど・・・(≧▽≦)」私は「えーーー( ゚Д゚) 車は貸してあげるから自分一人で行けば??」次女「下道じゃ間に合わないし、高速道路はまだ一人じゃ怖いよ。お願い!!」私は「いいじゃん、遅延してても早めに出たら電車で間に合うんじゃないの??」次女「どうしても今日来れない人は来週の火曜日までいいんだけど、そうなると次の実習期間だからいろいろ大変なんだよ。だから今日行きたいの。お願い!!」私は「もうーーー(-_-;)仕方ないいなあ💦」次女に甘い私は仕方なく午後2時、岐阜県の次女の大学へ向かって車を走らせた。行きは私が運転で、帰りは次女が運転ということにいつの間にかなった(;^ω^)高速道路に乗って走る頃にはすっかり雨が上がっていることに気づいた。そして、午前中とうって変わって、青空が光って見えた。次女はちょっとご機嫌そうによくしゃべった。気を遣っているらしい。「ママごめんね~(^^♪」と調子よく言う次女に私は「本当は行きたくなかったけどね(-ω-)/」と冷たく言うと「でも、そう言いながら来てくれるところがママの良いところだから(^_-)-☆」とまたまた調子よく甘え上手な次女・・・(;'∀')でも、本当は次女に「一人で行きなさい!!」と言いながら、もし一人で行ってしまったらきっと無事に帰って来るまで心配で溜まらないから付いてきたのです。本当に過保護でダメな母親だなあと自分でもよーーくわかっているけど、それでもこれはどうしょうもないんです!!!!もし次女まで交通事故で喪ってしまったらと、恐怖感が襲ってくるのです(>_<)雨はすっかり上がり晴れていたので高速度道路も順調に走れて、1時間くらいで次女の大学に到着しました。次女は友達にLINEで連絡しながら、レポートを無事に提出してきた。次女の友達2人が車まで来て私に挨拶してくれた。本当に礼儀正しい、素直ないい子たちで可愛かった(*^^*)次女は本当にいい友達にいつも恵まれる。この子の徳なのだろうか??それとも、目に見えない力でご先祖様に守られているんだろうかと思う。私はもしかして、さえりんのお陰なのかなとも思うのです。帰りは次女が運転してまた高速度道路を走った。私は気楽に外を眺めながら、少し夕方になりかけた空は、穏やかで優しい時間に感じられた・・・午前中の激しい雨と、午後の穏やかな晴天と、全く正反対の一日だった。これはまるっきりさえりんと次女のように感じられた。昔から雨女のさえりんと、晴れ女の次女。活発なさえりんと、内弁慶な次女。体が大きくて優しい家族思いのさえりんと、体が小さくて要領が良くて甘え上手な次女。あの世へ逝ってしまったさえりんと、この世でまだ私を必要とする次女。私は、たとえ全く正反対で、あの世とこの世と、どんなに遠く離れ離れになっても、でも二人とも私の命に代えても守りたいと思うくらい、どちらもかけがえのない大事な大事な大事な、愛する娘たちなんです!!本当は二人とも幸せにしてあげたかった!!本当は二人ともずっと側にいて欲しかった!!本当は二人とも私よりもっと長く、この世に生きていて欲しかった!!どうしてさえりんは守ってもらえなかったの??どうしてさえりんは15ヵ月前のあの日、たった一人のあんな女に出会ってしまったの????次女ばかりが光を浴びて、さえりんだけが闇に葬られた気がした・・・ゴメンね、ゴメンね、ゴメンね、さえりん・・・(>_<)いつもさえりんに、辛い思いばっかりさせちゃって。でも、ママはさえりんのことをずーっと愛してるからね!!今すぐ逢いたいよ!!さえりんに・・・(さえりん6歳・次女4歳 ちょっとおしゃれして♬)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月05日
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今日は最愛のさえりんの15回目の月命日です。パパがお休みをとってくれたので、一緒に事故現場へとお参りに行きます。やっぱり、まだ私一人では、辛すぎて、どんな精神状態になるのか、自分の中に眠るどんな感情が噴出してくるのか、とっても不安なのです(>_<)今日は、さえりんにお手紙を書きます。大好きな紗愛理へさえりんと逢えなくなって15ヵ月になりました。ママは未だによく泣いたり、さえりんに逢いたくて仕方がないときがよくあります。さえりんはどうかな??ママやパパや妹や家族、友達に逢いたくなって、さえりんも泣いちゃうことってあるのかな??でもね、ママは最近不思議な感覚になるときがよくあるんだよ!!『二人三脚』って覚えてる??そう、運動会でよくやった2人で片方ずつの足を一緒に縛って、肩に手を回して倒れないように「一、二、一、二」って声を掛け合って走る競技だよ。なんだかわからないけど、最近よくあの世のさえりんと、この世のママは遠く遠く離れてしまったけれど『二人三脚』してるような気持ちになるんだよ。どうしてかな??面白いよね(*^-^*)だけど、今のところはママがもたついてよく転んでいるような気がする(;^ω^)その度にさえりんは優しく励ましてくれるんだよ!!「ママ頑張って!!ママならきっと出来るよ!!負けないで!!」ってエールを送ってくれるんだよね!!ママがどうしてさえりんと『二人三脚』しているような気がするのかというと、今までもたくさんのブロ友さんに会わせてくれてママを励ましてくれたよね。特に最近たくさんの交通被害者遺族の方々と知り合う機会が増えたからです。そして、その方々と出会えたことは、すべてさえりんがあの世で繋げてくれたご縁なんだと思えることばかりだからです。ママは思うのです。さえりんは、あの世へ逝ってから、本当にたくさんのお友達が出来たんだと!!そのお友達にきっとママの事を話してくれてるんだと思うんです。「うちのママがブログをやってるんだ!!『さえりんの部屋』っていうんだよ!!あなたのお母さんにも『見てね』って伝えてね!!ママ同志がお友達になったらきっとどっちのママも少しは寂しくなくなるかも。少しは泣かなくて済むかも💛」って宣伝してくれているような気がしてならないのです。絶対にそうだよね!!さえりん。ママはそんな気がしてならないんです!!今もさえりんは、この手紙を読んでいたら、きっと(´∀`*)ウフフって得意そうに笑ってるよね!!「あっ、バレちゃった(∀`*ゞ)エヘヘ」っておどけた声が聞こえそうです。本当にママにはさえりんの魂はきっと側に居て、目は見えないけど、いつもママやパパのこと、家族のこと、見ててくれるんだよね??ママは絶対にそうだって信じます!!だから、あの世とこの世で永遠の彼方に離れ離れになってしまっても魂は絶対に繋がっているって感覚になるんだよ!!私が立ち止まれば、一緒に休んでくれる。私は歩きだせば、一緒に歩いてくれる。私が走れば、一緒に走ってくれる。私が悲しめば、一緒に泣いてくれる。私が笑えば、一緒に楽しんでくれる。私が絶望すれば、元気が出るまでずっと抱きしめてくれる。そんな気がしてならないんだよ!!ねぇどう??さえりん、ママの感は当たってる??「ピンポーン!正解!(^^)!」って喜んでくれるかな??それとも「ブブー!ハズレ」って笑ってるのかな(≧▽≦)昔、よく家族みんなで一緒にクイズ番組を見てた時みたいに。どちらにしても、今のママにはさえりんが笑った顔しか思い浮かばないんだ。ママの中のさえりんは、いつまで経っても、何年過ぎても、ずーっとずっとあの時の元気で屈託のない、明るくて優しい娘のままなんだよ!!ねえさえりん、今この世ではコロナで大変なことになっているんだよ!!知ってる??さえりんがいた時はコロナなんて聞いたことも想像もしなかったね。多分、コロナ不況のせいだと思うんだけど、うちの近くのスーパー美松が8月31日をもって突然閉店になっちゃったんだよ。ママはその日の夕方急に買い忘れた物を買いに店内に入ったら、店の中は殆ど売り切れ、残ったものも全品9割引きで売っていて驚いたんだよΣ(゚Д゚)店内放送では9月1日・2日は棚卸のためお休みですって言っていたけど・・・(;'∀')それで、適当に必要なものを買ってレジに並んだら見たこともないくらいの行列になっていて、みんなカゴに溢れんばかりにあるものを買っていたんだ。夜、その様子をパパに話したら「たぶん潰れるんじゃないか」って予想通り、次の日には張り紙がしてしてあって「閉店」したんだってわかったんだよ。さえりんもよくケーキを作る材料を買いに行っていたよね。他にも、イチゴ買ったり、一緒に買い物に行くとよく「ネギトロ買って」って言ってたよね。ママはそんなさえりんとの思い出まで無くなっちゃうみたいで、またとっても寂しくなっちゃったよ(>_<)さえりん、ママが読んだ本には「亡くなった人には少し先の世が見える能力が備わる」って書いてあったんだけど、さえりんも少し先の世が見えるのかな??もしそうだとしたら、ママはこれから先どうなると思う??ママはこれから先どんなふうに生きていけばいいと思う??さえりんには、きっと見えているんだよね??また、(´∀`*)ウフフって笑っているのかな??ちょっと癪に障るけど、まあいいや。だけど、これからもさえりんとママはずっと『二人三脚』で行こうね!!そして、いつかママと一緒に『未来列車🚋』に乗って旅に出るんだよ!!これからもずーーーっと、さえりんと一緒にいつかまた逢える日まで!! 永遠にさえりんのママより(さえりん6歳 幼稚園年長 運動会part2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月04日
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明日はさえりんの15回目の月命日です。一昨日の夜、キッチンで夕食を作っていると母(姑)が久しぶりに私の側へ来て泣くのです・・・(>_<)「やっぱり、さえちゃんが帰って来ないなんて今でも信じられない・・・こんなに悲しいことがどうしてあるの・・・毎日生きるのが辛い・・・」と。あの日の朝、さえりんは母(祖母)に見送られ「いってきまーす!!」と元気に家を出てお気に入りのピンクの自転車に乗って仕事へ行き、そのまま仕事帰りに、前方不注意のトラックに轢き殺されて、還らぬ人となってから、もう15ヵ月経つんだと思いました。あの日のことは私は一生忘れることは出来ませんし、未だ謝罪にも全く来る気のない誠意の欠片もない加害者と運送会社を一生許すことも出来ません!!!そして、こんな酷い加害者に判例という都合のいい言い訳とともに執行猶予を付けた裁判官も、不条理極まりないこの国の法律も司法も一生許せません!!そして、死人に口なしで、加害者の自分に都合がいいような証言に基づいて間違いだらけの初動捜査をした警察も、その警察の資料を疑いもなく採用し執行猶予の理由にされても控訴すらしてくれなかった検察も私は許しません!!交通ルールを守り「愛知県はどうして交通死亡事故がワーストワンなの??」って悲しそうに嘆いていたさえりんの優しい心も、可愛い顔も体も無惨に轢き殺されたこの一方的で理不尽極まりない「青信号の横断歩道での前方不注意の左折事故」を私は一生許すことは出来ません!!社会の中では、よくある交通事故のたったひとつにしか過ぎず、裁判官が言うように「決して加害者の罪はそれほど重いものとは言えない」と思われるかも知れませんが、決してそんなことで許せるものではありません!!私もそうでしたが、自分が被害者や被害者遺族になるなんて思いもよらない想像も出来ない人に限って、そういう加害者を庇うようなことが平気で言えるのです!!自分や家族の身は安全だと高をくくっているからです!!だから、私は声をあげます!!さえりんだって、こんな悲惨な事故で殺されるなんて思っていなかった!!私たち家族は、まじめにささやかに暮らし何も悪いことなんてしていないのにこんな理不尽な交通事故の被害者遺族になるなんて思ってもいなかったのです!!こんな平凡などこにでもいる家庭に、悲劇はある日突然出来湧くのです!!自分は大丈夫、自分の身には起こらないなんて保証は、この車社会の世の中で絶対にないのです!!自分がどんなに気を付けていても、たとえ交通ルールをしっかり守っていても、安全なところなんてどこにもないのです!!!私の声なんて、今はこのブログしかなく、小さくて世間に届きません!!こんなどこにでもいるただの主婦に出来る事なんて知れています。そして、世間から見たら、さえりんの交通事故死なんて、ただのよくある左折の巻き込まれ事故の可哀想な被害者のたったひとりに過ぎないかもしれません!!この事故が多い世間の気にもとまらない取るに足りないものかも知れません!!そして、さえりんという娘の事なんて、世間を揺るがす大きな事故でもないので殆ど知りません。さえりんがこの世に確かに生きてきた20年11ヵ月の人生すらこの広い世間や社会からしてみたら、大したことないことかも知れません!!でも、私はやっぱり、黙ってはいられないんです!!誰にも相手にされなくても、たった一人でも訴え続けます!!こんな理不尽で一方的な、青信号の横断歩道で人の命が簡単に奪われてしまう交通殺人も、その加害者を判例という名のもとに守り執行猶予をつける法律も絶対に遭ってはならない!!おかしいことなんだと!!決して仕方ないと簡単に諦めたり、許したりしてはいけないんだと!!私はこの頃被害者サポートセンターでもらってきたたくさんの冊子を少しずつ読んでいます。手記を書かれている被害者遺族は交通事故死だけではなく、殺人、放火、強制わいせつ、身内による怨恨殺人未遂、など様々です。でも、読んでいてまた私の心は「悲痛な叫び」あげるのです!!!殺人や放火殺人ならたった一人を殺しても加害者は死刑や無期懲役になっているのに、強制わいせつだって殺人未遂だってこれほど苦痛はないと思います。でも、まだ生きています。どんなに辛く苦しくたってまだ人生をやり直せるんです。それでも、加害者は刑務所に入って懲役刑です。それなのに何故、交通死亡事故だけが車という凶器でいとも簡単に罪もない人を殺しておいて刑務所に全く入らずに執行猶予が付くなんておかし過ぎます!!だって、さえりんは殺されたんです!!!!!あの女に!!!!!!凶器が包丁やバットだったら殺人罪で死刑か無期懲役なのに、凶器がトラックだったから執行猶予が付きあの女は刑務所にも入らず普通に生活できるの????殺意があったら、金目当て、体目当て、衝動的にどんな理由だって殺人罪なのに、交通死亡事故は「ついうっかり」で殺意がなかったから「過失運転致死罪」という法の恩恵を与えられて、刑務所にも入らず加害者はのうのうと何も無かったように普通に暮らしてもいいなんて、どう考えても納得できない!!!!!さえりんの命はそんなに軽いものなの??????????殺人の人に比べて、さえりんの命なんてそんな取るに足りないものなの??????道を歩いていていきなり刃物で刺されたら通り魔殺人なのに、道を走っていてトラックにいきなりした下敷きにされて頭を踏み潰されて無惨に殺されたさえりんとはどうして、どこが違うというの??????加害者は人をひとり殺したことに変わりはないのに!!!!!!!!!さえりんの命は何故そんなに軽く扱われてしまうの?????????ある日突然、娘を殺された被害者遺族の悲しみは、たとえ殺人でも、放火でも、交通事故でも何ら変わりはないのに、どうして???????????こんな法律はやっぱりおかし過ぎます!!!!!!!裁判官は保険で賠償が見込まれると言ったが、お金じゃないんです!!!!だったら、保険でさえりんを元通りに元気な姿にして返してよ!!!!!!世の中にこれほど理不尽で納得の出来ないことがあっていいのだろうか????どうして、交通事故の被害者だけがこれほど、命を軽く扱われてしまうの???交通事故の被害者遺族だけがどうしてこんなに法の壁に打ちのめされるの????ズルいよ!!!!不公平だよ!!!!!酷すぎるよ!!!!!さえりんや他にもたくさんの交通事故の被害者が可哀そうすぎるよ!!!私の心は誰にも言えず、静かに悲鳴を上げているんです!!!!昨日はお昼頃から、頭痛が酷くなり、私は寝込んでしまった・・・私は、多分これからも浮き沈みがあったり、傷つきやすく落ち込みやすくとっても繊細で弱い心を持っています。だから、いつもいつも闘いモードではいられません。そして、穏やかなのんびりモードでもいられません。この先どうなるのか、何が出来るのかすら未知の世界です。それでも、いいいんです。こんな私だから仕方ないんです。それでも、それでも、今できる事、目の前の事に、ひとつひとつ精一杯向かっていきます。ときどき振り返ったり、悩み立ち止まりながら・・・これからもずっと、さえりんと一緒に!!ママの心を支えてください、お願だよ!!ねぇさえりん(さえりん6歳 幼稚園年長運動会にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございます!!よろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月03日
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今日は私がこのブログで知り合えた、被害者遺族の方の声をご紹介します。私がその方に最初にメールをいただいたのは、今年の8月中頃お盆の日でした。「ブログを拝見し共感しています。私も被害者遺族なんです」と書かれていました。Yahoo!ニュースでこのブログ『さえりんの部屋』を知って下さった方でした。そして、何度かメールのやり取りをするうちに、私は衝撃が走りました。それは、あまりにもさえりんと共通点があったからです!!!以下はその方にご了承頂きましたので、書かせていただきます。私の最愛の息子は13歳、中学1年生という短い人生でした。2018年7月5日の朝、弱い雨降りいつものように元気に「いってきます!」と家を出てわずか5分で、交通事故に遭い、ほぼ即死でした。息子は、青信号の横断歩道を渡り始めたところを、左折してきた13㌧トラックに当てられ倒れたところをトラックの後輪で轢かれたのです。愛知県豊橋市の国道23号線のインター交差点でした。自転車で中学校へ登校途中の悲劇でした。近くにいた警察官や高校生、大勢の方のAEDや心臓マッサージなどの処置も虚しく、救急隊が到着したときには心肺停止状態でした。学校から連絡をもらいすぐに主人と病院へ駆け付けると、医者は「何度か蘇生していますが、心臓も呼吸も戻りません」と息子の体はもう冷たくなっていました。嘘みたいで、まるでドラマの作りごとの世界にいるようでした・・・息子は6月30日に13歳の誕生日を迎えその5日後の出来事、4月から中学生になったばかりではじめての部活、新しい友達、本当に中学生活を楽しんでいたのに・・・当時小学3年生の妹は通学団で登校中に、兄が轢かれて心臓マッサージを受けている姿を見てしまい、その日から学校へ行けなくなってしまいました。私たち家族はあまりにも突然に、理不尽に、大切な息子を奪われてしまい、どうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまいました。加害者のトラック運転手はその場で逮捕され起訴されて、3ヵ月弱で刑事裁判が始まりましたが、本当に辛く悔しいものでした。加害者は過去に免停が2回、信号無視、シートベルトなし等交通ルールを守らず、いつ事故を起こしてもおかしくない運転手なのに、求刑3年に対し、判決は禁錮3年・執行猶予5年でした。「私の息子は犬死だ」と思いました。執行猶予の理由が「同じような事故で特に重いとまで言えない。保険金で賠償が見込まれる。母親が被告人を監督する。事実を認めて反省を述べている」でした。「一回も謝罪を受けていない!!お金じゃない!!同じような事故で同じような判決なら裁判は何のためにやるのかわからない!!」と思いました!!!裁判が終わってこの先に絶望したとき、娘が同じような事故に遭う夢を何度も見てこのままでは絶対にいけないと思い「歩者分離式信号」を知り、自治会を通して警察に要望書を提出しました。今年3月、そのインター交差点は「歩者分離式信号」に変わりました。(2020年3月8日毎日新聞県内版に載りました)私は嬉しさとともに、虚しさが押し寄せました。信号が変わっても息子は返ってこない。それでもこの先誰かの命が守られるならそれでいいし、この信号の事で息子はみんなから忘れられないかもしれないと思いました。私が驚いたさえりんとの共通点は、・同じ愛知県内の23号線インター交差点での交通事故・青信号の横断歩道上で起きた惨事であること・大型トラックの前方不注意での左折巻き込み事故・一度当たって、自転車を倒してその後、後輪で踏み潰したこと・被害者は自転車で注意して渡っているのに一方的に巻き込まれたこと・ほぼ即死状態で手の施しようがなかったこと・刑事裁判での判決が禁錮3年・執行猶予5年だったこと・加害者は一度も謝罪に来ないのに、裁判官は「反省している」と執行猶予を つけるための理由にしたこと・裁判官は「他の判例に比べて特に過失が重いとは言えない」と 加害者を庇うための理由にしたこと!!私はこの言葉を聞くと、今でも悪寒と虫唾が走るのです!!!!そして一番驚いたのが、この息子さんが亡くなった日が、なんと!!2018年7月5日 さえりんの20歳の誕生日だったのです!!こんな偶然ってあるのだろうか??と思いました。その方も「これは何か不思議なご縁を感じます」と言って下さいました。私もこれはあの世でさえりんと息子さんが繋げてくれたご縁だと感じるのです!!私はまた深い深い憤りを感じながら、「やっぱりこんな青信号の横断歩道での理不尽で一方的な左折の巻き込み事故がもう絶対に起きてはいけないんだ!!」と、もっともっと声を大にして世間に訴えていかなければいけないと、強く強く思ったのです!!だから、今回ご了解を得て、せめてこのブログに書かせていただいたのです。そのお母様は息子さんの事故から2年の命日近くの今年の7月3日に、息子さんが通ってみえた中学校で全校生徒の前で「命の大切さ」を講演されました。その内容の一部を、最後に抜粋させて頂きます!!「息子は私たちの未来そのものでした。息子と一緒に行った場所を思うと、楽しかった思い出が悲しくなり、これから行く場所は一緒に行きたかったと悲しくなります。その先、死ぬまで悲しみや苦しみが私につきまとうのです。事故から2年。私は毎日『息子が生きていれば今日は・・・』とか想像したりしていますが、それも中学卒業までとなります。息子はどこの高校にも行けないし、社会人にもなれません。もうこの世にいないのです。息子という大切な存在、希望、未来を失っても、私は私を大切に大切に思ってくれている人のために生きなくてはなりません。もしかしたら、この先、みなさんにも『生きることが辛い』と思うことがあるかもしれません。だけど忘れないでください。命は自分だけのものではありません。あなたの命を大切に思ってくれている人のためでもあるんです。あなたが思う以上にあなたを大切に思ってくれている人がいるんです。必ずいます。どうか忘れないでください。そして、交通事故に遭わないよう、起こさないようにしてください。ほんの一瞬の確認不足が、大切なものを奪うということを覚えておいてください。被害者遺族である私が話すことで交通事故は自分の身にも起こるんだと感じてもらい、交通安全を意識した結果、誰かの命が守られる、そういう社会になることを願っています」(さえりん6歳 実家近くの公園で妹と遊ぶ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館※昨日のラクダ🐫を探す絵の答えです!!
2020年09月02日
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(さえりん6歳 地元の神社の手筒花火大会にて)(今日はさえりんの写真が最初です(*^^*))一昨日の夜、父がスマホを片手に何やら悩んでいる様子で寝室から出てきました。そして、見せてくれたスマホには何やら不気味な人の顔の絵が・・・(;'∀')父は「友人からLINEで送ってきたんだ。この絵の中にラクダ🐫を見つけれたらどうやらアルツハイマーになりにくいらしいんだ。でも全然わからん!!」と。私はスマホをのぞき込みますがさっぱり見つけられません。廊下を通りかがった主人の弟にも見てもらったけどわかりません。うちで一番若い次女を呼びました。次女は父のスマホの不気味な顔の絵を家族LINEでみんなに送ってくれました。それから、みんなでこの画面の絵とにらめっこです(;^ω^)この絵です。皆さんはラクダ🐫を見つけられますか??もしかしたら、知っている方もみえると思います。我が家で一番最初に、ラクダ🐫を見つけられたのは主人でした!!それも、ものの5分くらいですぐに!!きっと主人は我が家で一番アルツハイマーにはなりにくい人です(≧▽≦)次女はいつの間にか自分の部屋へ退散・・・(;'∀')私は、夜寝る時になってもベッドの中で粘っていました。見つけるまで気になって寝れません。アルツハイマーにはなりたくないから。アルツハイマーや痴呆症になってしまったら、さえりんを忘れるのは絶対嫌です。仕方なく、主人にヒントを3つくらいもらって、ようやく見つけました!!それでも1時間くらいかかりました(-_-;)そして一度見つけられると、もうそこはラクダ🐫にしか見えませんから、本当にとっても不思議なんです!!人間の脳って面白いなあっと思いました。そして、私は思いました。やっぱり、人間には柔軟な発想と柔軟な心が必要なのではと。物事の考え方、捉え方全てにおいてそうだと思うのです。私はいつも凝り固まった考え方しか物事を見ることができず、どうしてそうなるの??なんで??そんなのおかしい??理不尽だ??と、何事においても思ってしまいがちです。特に、自分に降りかかる理不尽なことや不条理なことに対してはもの凄く敏感に反応してしまいます!!私が一番許せないと思う部分です!!だけど、もしこのように柔軟な発想と柔軟な心で物事が見れたら、今の私の考え方も少しは変わって見えるかもしれないと思ったのです。さえりんの交通事故死に関しても、もちろん辛く悲しく、絶対に遭ってはならないことだという思いは同じです。それでも主人と私の意見は違います。父親と母親との立場も違うし、男と女でも違います。そしてどちらが正しくて、どちらが間違っているということはないんだと思います。私は女で母親だから、さえりんを命に代えてでも守りたかったという思いがもの凄く強いのです!!もうどうにもならないことは頭でわかっていても、感情の部分では絶対に納得ができないまま未消化の思いが渦巻くのです。でも、主人はさえりんのことが可愛くてとっても大事だから、これから先の事を考えているのかもしれませんし、いつまでも忘れないように毎日ブログに写真や動画を出しているのではないと思うのです。男だから詳しくは語ってくれません。それでもこの柔軟な発想と柔軟な心があれば、昨日の「運命とは??」「人は何のために生まれてきて、何のために死んでいくのか??」という人生の課題の答えも、私は何のために生きているのかという使命も、案外簡単に見つかるのかもしれないと思いました。とにかく今の私は、悩みながら、迷いながら、それでも答えを探して巨大迷路の中を彷徨っているのかもしれません。でもきっと、その答えは、他の誰かに教えてもらうのではなく、少しずつ強くなって私自身の手で見つけていくものだと気付きました。そして、一度巨大迷路から抜け出してしまえば「なんだこんなことだったのか」と思うことでしょう!!さっきの絵のラクダが全然見つからなかったのに、一度見つけることができたら、もうどんなに遠くからでもそれはもう、ラクダ🐫にしか見えないように!!究極には、実はラクダが🐫が見えるかどうかも、どっちでもいいのです。私は性格的にすぐにムキになっちゃいますが(;^ω^)それも、含めて自分の判断に「これでいいのだ」と納得できることが大事なんだとそう思えたのです!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年09月01日
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