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2022/01/21
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カテゴリ: 徒然なるままに


「おはようございます。今日は、ライバルが手を結ぶ日です」と言いました。
毎日「今日は~の日です」と教えてくれるのだが、「ライバルが手を結ぶ日」が気になって調べてみると、幕末の「薩長同盟」にちなんだ日でした。


司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で、今でも大人気の坂本龍馬ですが、一番の功績は「薩長同盟」の橋渡しをした、ということですね。

さて、冒頭の写真は、土佐の桂浜に立つ坂本龍馬像。
その下に並んで記念撮影をしているのは、WOODPROの社員旅行メンバーですね。
かれこれ15年も前、2007年の社員旅行の写真です。
まだまだ社員の数も少なかったですね~。
坂本龍馬にちなんで載せてみました。

長州(現山口県)は、早くから「反幕府」の動きを鮮明にしていて、幕府軍による「長州征伐」を受けたのが、1864年と1866年。
1864年の第一次長州征伐では、長州が折れて藩内の討幕派を処分して終了。
第一次長州征伐の幕府軍の参謀は西郷隆盛でした。
しかし、その後、高杉晋作らの討幕派が藩内で主導権を握り、大村益次郎を登用して軍政を一新。
その動きを察知した幕府が再び長州征伐を行うことを考えていた時期、その裏側で行われたのが「薩長同盟」でした。

「薩長同盟」が結ばれた時の、主役たちの年齢を調べてみると
・長州 桂小五郎  32才
・薩摩 西郷隆盛  38才
・土佐 坂本龍馬  30才
何とも若い。
こんな若者が集まって、内密に同盟を結んだこの同盟が日本の将来を決めることになりました。

薩長同盟が結ばれた半年後に第二次長州征伐が行われましたが、薩摩は参戦を拒否。
圧倒的な戦力を誇ったはずの幕府軍は長州軍に敗退して、歴史の流れは大きく変わりました。

ということで、今日は「ライバルが手を結ぶ日」でした。





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Last updated  2022/01/21 09:25:18 AM
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