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すでに、新しい紙幣が発行されてから1か月あまりが経過しましたので、新紙幣を手に入れた方も多いかと思います。やっと私も手に入れましたので、マクロレンズを使って、10000円札のアップの写真を撮ってみました。冒頭の写真は、世界初採用となる3Dホログラム。こんなにきれいに色が出るんですね。素晴らしい。縦の短冊型のホログラムです。お札1枚を丸々写真に撮ったのですが、斜線を入れておこうと思って、Photoshopで編集しようとすると、「紙幣の印刷には対応してません」と、エラーになってしまいました。ということで、こちら、表の左半分。そして、右半分。今回の紙幣では、洋数字がどでかくなっていて、なんだかちょっと安っぽく見えます。10000円札のメインの絵柄は東京駅です。色も、単純なべた塗ではなく、細かな線や模様で表現してるんですね。キャッシュレス時代になって、昔ほどお金そのものを出し入れすること減ってきましたので、紙幣をじっくり見る機会も少ないですね。10000円札の製造原価は19円だとか。偽造できれば、こんなにコスパのいい犯罪もないのですが、新紙幣の偽造も出てくるのでしょうか?「逆説の日本史」の井沢元彦さんが、「日本に渋沢栄一がいてよかった」とYouTube で言ってました。なぜかというと、江戸時代の武士というのは、朱子学の影響で「商い」というものを卑しいことだと思っていたとか。それを、渋沢栄一が「朱子ではなく、そのもとの孔子は、商いが卑しいなどとは一切言っていない」を武士階級に広め、それが明治維新からの産業構造変革の原動力になったのだとか。渋沢栄一の「論語と算盤」は有名ですね。資本主義の中に、「世の中に貢献する」という、日本的道徳観念を注入したのも渋沢栄一の功績でしょうね。
2024/08/07
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白くて、ちょっと可憐なこの花は、何の花でしょうか?と問いかけながらタイトルにはすでに書いてありますが、「おくら」です。花の脇には、まさしく「おくら」が角のように生えてますね。花も初めて見たのですが、「おくら」ができているところも初めて見ました。昔から「ねばねば」するものは健康にいいといいますんので、夏バテにも効きそうですね。この「おくら」は、7月27日、廿日市市吉和にあるお墓の掃除に行った際、畑で撮ったものです。このお盆で89才になる父が植えたもの。まだ、現役で、畑作ってます。
2024/07/29
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世界遺産宮島を有する廿日市市が現在、丘陵地を大開発中です。冒頭の写真は、山陽自動車道 宮島SA 下りにある展望台からの景色です。右側に見える島が「宮島」。宮島SA直下の丘陵地が大きく削られています。ちなみに、こちら、近いアングルから 2015年の雪の日に撮った写真です。手前の小さな山が削られているのが分かります。宮島SA下りは、やや遠いながらも瀬戸内海が見え、宮島も望めることから、かなりの人気スポットです。大鳥居を模した小鳥居をくぐると、展望スポット。そして、現在、その直下が大造成中で、SAを訪れた方も、結構びっくりされてます。こちら、展望台から東寄りの風景。こちらも大きく削られていて、かなり広範囲の開発です。宮島SA下りの展望台から見える風景はぐるりとこんな感じ。「なに作るのかね?」と見ている人たちも気になる様子。その答えは、こちら。⇒廿日市市 新機能都市開発事業の概要山陽自動車道から、国道2号線に至る70ヘクタールが事業エリア。こちらは俯瞰図。左上に書いてあるのが、宮島SAです。その下に作られる予定なのが、宮島への観光客を狙った温泉、宿泊リゾート施設です。一部には、利権問題などもささやかれたりしていますが、どうなのでしょう?また、最近全国ニュースでも取り上げられた「市街地に熊出没」のニュースは、この開発地の下側での出来事です。私の母校である廿日市高校に熊が入って、学校も休校になったりしました。地元では、開発の影響では?と噂されてます。街の活性化を狙った大きなプロジェクトですが、これが市民のためなのか、あるいは、自然破壊なのか?とはいえ、私の住む団地だって、私が子供のころには山だったわけで、「自然破壊だ!」と一方的に責めるわけにもいかないですね。難しい問題です。ところで、話が変わりますが、現在、宮島SAの下りには「ピクミンテラス」なるものができてます。グッズショップにも行列ができてました。子供たちに人気のようです。
2024/06/12
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昨日、田植えを終わった棚田の風景を写真に撮ろうと、廿日市市原地区に行ってみました。がしかし、瀬戸内海をやや遠くに見下ろす、美しい棚田の風景はすでに失われてしまったようです。すでに放棄された田んぼが増え、さらには、冒頭の写真のように、太陽光パネルが設置されてしまった場所も増えていました。雑草が生えた元の棚田に設置された太陽光パネルは「醜悪」といってもいいでしょう。周囲を散策しながら、私はかなりショックを受けました。2017年の5月のブログの記事がこちら。⇒廿日市市 原地区の五月秋には、稲刈りの風景や、彼岸花も美しいエリアです。⇒廿日市市 原地区 秋の棚田その際の写真はこちら。廿日市市の市街地からも10分ほどの斜面に広がる棚田を見たとき、私はかなり感動しました。ただ、すでに田んぼを作られている方は高齢。「米も買った方が安い」と言われていたのが印象的でした。昨日も、本来であれば田植えのシーズンであるはずの農村ですが、家の外で椅子に座って景色を見ているご高齢の方を何人も見かけました。きっと、寂しいお気持ちなのだろうな、なんて思いつつ、周辺を散策しましたが、魅力的な風景も少なく、ちょっと悲しい気持ちで「原地区」を後にしました。農業もしたことがない人間が、景色が「醜悪」だなんて、本当におこがましい話です。が、これは、このエリアに住む方の責任ではなく、国の政策の結果であることは間違いありません。棚田をつぶして太陽光パネルを設置したい農家の方はおそらくおられないでしょう。ただ、経済的な理由などで、そうせざるを得ないのだと思われます。パン屋さんはどんどん増えてます。しかも、パンの単価もかなり高いです。国として、もっとお米を食べる率を増やす方策はないのかな、と思いますが、どうでしょう。食料の自給率は低く、おそらく、お米でさえ十分に食べられないようになるのでしょうね。日本の農家の多くは兼業農家で、なおかつ、主な収入は農業以外。核家族化で、子供たちも遠くに行ったり、休日に農業を手伝うのも嫌がる。となれば、高齢者だけで棚田を守ることなど不可能ですね。この件に関して、国の政策は耕作放棄地を「太陽光パネル」に置き換えることを促進しているように思えます。数年して、パネルが故障したらどうなるのでしょうね。きっと、このまま、放置された残骸が棚田の後に残っていくのでしょう。草で覆われた太陽光パネルの残骸。それは、安直な環境問題対策の「負の遺産」になってしまいような予感がしますね。
2024/05/27
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杉林の中に唐突に立っているのは「蛇口」です。蛇口からは、きれいな水が出てきます。水道の水ではありません。少し離れた場所にある澤からホースで引いてきています。使っているのは、理科でもならった「位置のエネルギー」です。穴のないホースは必要になりますが、吸い取り口よりも蛇口の位置が低ければ起伏を越えて、蛇口から水が出てきます。自然の力を無理なく生かした蛇口を見るたびに、なんだか感動します。蛇口の立っている場所は、集落の共同墓地。あの蛇口も、集落の方が通されたものです。お彼岸より少し早くなりましたが、16日(土)に、田舎の墓掃除&お墓参りに行ってきました。蛇口から水が出ればこそ、水を持ってこなくても、お墓を掃除して、花も供えることができますね。ありがたいことです。集落の共同墓地ですが、村自体も過疎で空き家がいっぱいなのですが、お墓の方も同様で、横になったお墓や、お墓の空き地も増えてきました。集落も高齢者ばかりですし、ホースが破れたりしてあの蛇口から水がでなくなったら、直せるのだろうか、と少し心配にもなったりします。
2024/03/18
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「人生ゲーム」といえば、実は、私が小学生であった50年以上前、クリスマスのプレゼントとして送られてきたものが最初である。「人生は山あり谷あり、億万長者になるか、一文無しになるか」みたいなキャッチフレーズでCMもしていたと思う。私はそのゲームに夢中になって、当時の円レート 1$=360円 で、日本円に換算した表まで作っていた。調べてみると、タカラトミーの人生ゲーム年表なるものを見つけた。⇒「人生ゲームの年表」それによれば、人生ゲームの日本発売は、1968年。おそらく、私が最初に手に入れたのは、1970年ころ。そして、今回、物入の奥から出してきた「NEW人生ゲーム」は、子供たちのために購入したもので、おそらく3代目のモデル。おそらく、30年近く前に買ったもので、箱を開けてみると、車もなく、赤と青の人を表すほとんどピンもない。立体の建物ははがれてなくなり、ルーレットも壊れかけていた。それでも、お正月に帰省してきた孫たちが「やりたいやりたい!」というので、壊れたコルクボードのフレームをカットし、ドリルで穴をあけて「車」を製作。「人」は、爪楊枝をカットして代用。ルーレットはセロテープで補修して、ゲーム開始。小学5年生と3年生の孫は、意外にも「人生ゲーム」にはまって、何度もゲームをさせられ、私は床に座りすぎて腰痛になるほど。「テレビでゲームしてるより、よっぽどいいです」と、母親であるお嫁さんの弁。確かに、そうだね。
2024/01/10
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2024年 辰年の新年を迎えました。ただ、元日に能登半島地震が発生し、現在も、救命活動が続けられていたり、2日には羽田で旅客機が台炎上。三日には、北九州で大火災・・・・。犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。なかなか前途多難な幕開けとなった2024年です。世界の状況も見ましても、不透明度100%という状況で、先は全く読めません。「迎春」ということで、春は迎えたものの、年頭から気持ちを引き締めて、一年を生きていく覚悟もさせられたようにも思います。本年も引き続き、よろしくお願いします。写真は、広島県廿日市市地御前です。
2024/01/05
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もうすぐ、広島の市街地に、サンフレッチェ広島のホームスタジアムとなるサッカー場が完成します。昨日、たまたま近くに行ったら、ライトアップされていたので、写真に撮ってきました。これまでは、1994年に行われた第12回アジア大会の会場となった、広域公園内にある「広島ビックアーチ(エディオンスタジアム)」。広島の市街地からは、大きな山を隔てた向こう側にあり、かなり行きづらい。交通の不便さに加えて、1994年から大きな修繕も行われておらず、施設そのものがかなり老朽化しています。ということで、広島のサッカーファンの悲願ともいうべきスタジアムがやっと完成に近づき、全貌を見せ始めました。スタジアムの名前は「EDION PEACE WING HIROSHIMA」客席を覆う大きな屋根を翼に見立てて、「平和」とあわせたんですね。正式な開業は、2024年2月のようで、現在、スタジアム周辺の最終整備中のようです。「キャプテン翼」とのコラボイベントも開催されるようで、楽しみですね。広島では、現在、広島駅周辺の大規模整備も行われていて、どんどん変化していますね。地方から日本を盛り上げていきましょう!
2023/12/25
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フラスコのような花瓶に生けられているのは、「にら花」。食用のニラとは違う品種で、我が家にも生えている、いわゆる雑草の類です。それでも、空間の雰囲気を一変させる力がありますね。この写真を撮ったのは、尾道市向島にある「立花食堂」の雑貨店。テレビドラマにも登場し、若い人を中心に、人気の観光スポットにもなっている場所です。日本の美しい文化に「おもてなし」というのがありますが、来客のために、一輪の花を玄関に飾る、そういう「心」なんでしょうね。見る人によっては「無駄」なもの。あるいは、かえって「邪魔」なものかもしれませんが、その「心」がその場所の空気感を変えることもできると思います。「立花食堂」は、もともとはどこかの「保養所」であった建物を、食堂&雑貨店としてリノベして営業しています。左の2階建ての建物が雑貨店で、右側の平屋が食堂です。食堂入口の看板。なかなかおしゃれなアレンジです。中はこんな感じ。昔の広間の壁を取っ払っただけ、という感じのローコストなリノベです。メニューは基本的にランチしかなくて、事前に支払いして入店。こちら、ランチメニューのカレー。メニューの中身の説明がついてます。これがついているのといないのとでは、受ける印象に大きな違いがありますね。「これがイチジクか」なんて、一つ一つ意識しながら食べますし、体に優しいということは良くわかります。ただ、カレーの使われていたスプーンは食べにくかったです。とはいえ、このお店に人気は、そのロケーションの良さ。食堂から見える景色がこちら。緑の芝生と、ソテツ、そして、その向こうに見えるのが瀬戸内海です。その雑貨店の入り口で撮った写真。最近、いわゆるセレクトショップ的な雑貨店が減ってきてますね。雑貨好きの人にとっては、お店に行って「発見」することが楽しみであったりします。私も、妻に連れられて、たくさんの雑貨屋さんに行きましたが、見ているだけで結構楽しいです。ただ、そんな雑貨屋さんが、どんどん減っているのも事実。昔は雑貨屋さんでしか扱っていなかったようなものが、100円ショップにも、ホームセンターにも並んでいます。似ていても、やっぱり違う。とは思います。雑貨屋さんにとっては、なかなか厳しい時代です。ギフトショーでお客様と話していたら、「最近は木製のものが減ってきた」と言われてました。木製のものよりも、樹脂や、シートが増えてきて、困っている、とのこと。シートなにに、古材っぽいプリントが施してある、なんてものはいっぱいあります。でも、シートには決して「木の心」は宿りませんね。ものの奥にある「心」に気付ける人になりたいです。立花食堂の前から望む、瀬戸内海。
2023/10/04
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まだまだ「コロナにかかった」という話をしばしば耳にしますし、実際に結構身近にもいたりするのですが、意識は大きく変わってきましたね。周囲の反応も、インフルにかかった、という反応と変わらなくなってきました。コロナ禍の中で「内向き」であった人々の志向は、今は完全に「外向き」に変わりましたね。ということで、冒頭の写真は、昨日、広島県の五日市港に寄港した、イタリア船籍【CARNIVAL LUMINOSA】で、全長294M。五日市港というのは、基本的に観光港ではないので、一般車両は立ち入り禁止。クルーズ船が来ても、そこに行くことからして不便です。こちら、ちょっと離れたところから撮ったものですが、大型クルーズ船が寄港していることを知らなけれ場、突き当りに大型マンションが建ったのだと思うでしょうね。実は、昨日の午前中、「彼岸花」の写真でも撮ろうと思い、廿日市市の原地区へ行ってきました。その川末地区からは、瀬戸内海が見下ろせるので、「彼岸花越しの瀬戸内海」という写真が撮れます。残念ながら、彼岸花もすでにほぼ終了の状態でしたが、海の一角に大きな船を発見しました。遠目にも、かなり大きな船であることがわかります。家に帰って妻に伝えると、「近くで見てみたい」ということで五日市港へ行ってみた次第です。一応、港エリア全体に一般車両乗り入れ禁止なので、15分くらい歩いて港まで。もう少し近くまで行けるのかと思ったら、かなり手前で、「立ち入り禁止」となりました。遠くから大型客船を眺めます。手前に並んでいるたくさんの車は、ここから積み出される輸出用の車だと思われます。二色に塗り分けられた煙突が印象的です。LUMINOSA と、船名が書かれていますね。船室のベランダをアップ。かなり細かく区切られていることがわかりますね。この船の乗船人数は300人。7時に寄港して、出発は16:30。その間に、原爆ドームに行く人とか、宮島に行く人とかに分かれで行動するんでしょうね。かなり忙しいスケジュールではあります。ウクライナとロシアの戦争は終わらず、中国の景気減退と不動産不況といった大きな問題が残ったままですが、とりあえず、世界中が「外向き」になってき始めたことを感じますね。実は、もみじまんじゅうの「やまだ屋」に車を止めて歩いたので、帰りにアイスクリームを買って食べました。
2023/10/02
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WOODPROの事務所入り口には、足場木っ端の上に置かれたガラスの花瓶に赤と白の彼岸花が飾られていました。2023年のお彼岸の入りは、9月20日。社員の方が持ってこられた彼岸花です。ありがとうございます。。彼岸花といえば、定番は赤ですが、白や黄色の彼岸花もたまに見かけます。この彼岸花は、真っ白ではなく、ほんのりとピンクっぽさもあって、きれいな色です。「お彼岸」とは、春分の日、秋分の日を中日として、前後の三日間をいいます。当然のことながら、年2回。仏教思想では、西方に極楽浄土があるとされているので、太陽が西を中心に昇り、沈む春分、秋分が「西に最も近づく日」=極楽浄土に近づく日 あの世(彼岸)に最も近い日、ということになったとのこと。「暑さ寒さも彼岸まで」というのは有名な言葉ですが、確かに、異常な今年の暑さも、この週末には「秋の気配」が感じられるらしいですね。春分、秋分というのは、昼と夜の長さが同じ日ということなので、秋のお彼岸が過ぎると、ここからは夜の方が長くなっていくということでもあります。正直、仏教のことは良くわからないのですが、一年に2回、季節の移ろいを感じながら、亡くなった方に思いをはせ、生きていることに感謝するには、いいタイミングだとも思います。「供養」と言いますが、私が死んだとして想像するに、お坊さんに頼んでお経をあげてもらっても、あまりありがたくもない気がします。それよりも、縁のあった血縁者、友人がしっかりと生きて社会の役に立っていることこと「供養」だと思います。暑い夏を乗り切って、田んぼには稲が実り、涼しい風も吹き始めたころ。路傍の赤い花が、メッセージを送ってくれるのかもしれませんね。
2023/09/21
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オニヤンマといえば、トンボ界の王者。トラを思わせる、黄色と黒のシマが、印象的ですね。ということで、冒頭の写真は、尾道市向島にある高見山山頂展望台から、尾道市街をバックに撮った、「オニヤンマ」です。とはいえ、お気づきとは思いますが、作り物。私は直接見ていませんが、テレビで「オニヤンマの作り物でも、虫を寄せ付けず、蚊も逃げていく」と言っていたとのこと。調べてみると、ネットでも、「オニヤンマの作り物」を結構売っていました。そして作ってみたのが、こちらの「オニヤンマ」。ちょうどその日、尾道の花火大会を見に行く予定でしたが、いつも悩まされるのが「蚊」。蚊よけの効果があるのなら、ということで、家にある材料で急遽自作したわけです。紙を適当に細長くまるめて、そこに黒いマスキングテープを巻いて、さらにその上に、黄色のマスキングテープを細くカットしたものを貼りました。翅の部分は、透明のクリアファイルを利用してます。こんな感じですね。目玉もつけようかと思いましたが、すぐに取れてしまいそうなのと、「効果があるのは、シマシマ」ということで、目玉は付けてません。こんな感じでつけておけば、蚊も寄ってこないかな?と思ったわけです。結果としては、目に見えた効果は確認されませんでした。今も家にあり、庭に出るときにつけてみたりしていますが、蚊に刺されることもしばしば。作り方が悪くて、蚊にも笑われているのかなあ?本物のオニヤンマはこちら。父の田舎である吉和で撮ったもの。フェイクオニヤンマを作るのは簡単なので、もし、夏の課題に困っているお子様があれば、作ってみて、効果を確認してみて、「課題」として提出するといいかも?
2023/08/25
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夏休みには、田舎のお墓参りに行く。これが子供の頃のあたりまえのことでした。戦後の高度成長で、農村から都会に人が移動しましたが、都会に住む人の多くには生まれ育った「田舎」というものがありました。お盆やお正月には、その田舎に親戚が集まってきて、普段は会えない「いとこ」たちと遊んで、とっても楽しかった記憶があります。その「田舎」も代を経て、田舎で育った人もすでに亡くなったりしてくると、田舎に集まるということ自体が少なくなっているのでしょう。我が家の場合は、今年88才になった父が健在で、田舎で百姓をしていたりするので、今も「田舎」が生きていますが、周辺には空き家も多くなりました。うちの子らは、就職して首都圏に住んでいますので、孫たちも「田舎」は別世界。「ひいじいじ」と、トマトやキュウリやナスを収穫することも、きっと夏休みの思い出になるのでしょう。さて、私の父の田舎である、吉和村には、「釣り堀」があるのですが、今年のお盆休み、生まれて初めて行ってみました。その「釣り堀亭にしむら」のシステムは、竿一本1時間4000円。釣り人は何人変わってもOK。釣り放題ですが、釣れなくても10匹はもらえる、というもの。「釣り堀」なので、簡単に釣れるのかと思いきや、これが意外に難しく、初心者ばかりの我が家の集団は、一本の竿に悪戦苦闘。1時間の持ち時間の半分を無為に過ごしてしまいました。それでも、釣り堀のお兄さんの助言などもあって、イワナなど、4匹をゲット。そこに、アユなど6匹を足してもらって、塩焼き、空揚げ、南蛮漬けに調理してもらって、みんなでいただきました。調理台は、一匹200円。やっぱ、釣りたてはおいしいですね。9人でやってきて、1時間4000円(調理台を含めると6000円)で、おいしい川魚を食べることができる、と考えると、まあまあリーズナブルなアクティビティとも言えます。廿日市市吉和の標高は600M。日中は結構暑いものの、夜には気温も下がってきて、毎日のように朝霧に包まれます。昼間に蒸発して大気の中にあった水分が、気温が下がるにつれて霧となっていきます。そのため、高原の朝は、大地全体が夜露に濡れてしっとり。高原野菜のおいしさというのは、そういう環境に起因するんでしょうね。こちら、朝の散策で撮った一枚。橋の欄干にかかった蜘蛛の巣にも、水玉がびっしり。「結露」ですね。お盆の季節、近くの神社には、「キツネのカミソリ」が群生していて、とてもきれいに咲きます。孫たちにも、夏休みの田舎の記憶が、素敵な思い出になればいいな、と思います。
2023/08/24
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私が働いているWOODPROの工場は、廿日市市峠というところにありますが、廿日市市の旧市街地から、標高にして300M上がって、明石峠という峠を越えた先。人口も減少の一途で、高齢化も進んでいます。広域合併の前は「佐伯町」という町でした。そこに唯一あったパチンコ屋も、昨年閉店しました。写真は、閉店したパチンコ屋の向かいのコンビニから撮ったものです。明かりが消えて廃墟のようなパチンコ店から立ち上る炎のような夕焼けが印象的でした。私が人生の中でパチンコに費やした金額は、なんと、500円。大学時代に試しに行って、あっという間にスッたのですが、それ以来40年以上、トイレを借りる以外にパチンコ屋に入ったこともないくらいです。勝てる気がしなかったことと、お金もなかったのがパチンコをしなかった理由です。私が大学時代を過ごした40年ほど前は、高校卒業と同時に「酒・たばこ・パチンコ OK」という暗黙の了解があって、大学の新歓コンパでは酒を飲むのが当たり前で、急性アルコール中毒で運ばれる人も結構いました。OK であるからには、しないと損だとばかりに、高校を卒業すると、酒を飲み、たばこを吸い、パチンコに行く、というのが男性としては当たり前。逆に、しないと「なんで?」って感じでした。高校時代卒業後であれば「不良」と呼ばれることもありませんでした。本来、ギャンブルは公営のみのはずですが、賭博であることは明らかなパチンコは、戦後の矛盾の遺物といってもいいかもしれません。今の時代、高校を卒業しても、建前上は二十歳までお酒もたばこも厳禁。先輩に酒を勧められても「私、飲めないんで」と断ること問題なし。逆に、酒を強要すると、ハラスメント。最近、テレビで、昭和の常識を振り返って、若者が驚く、という「前時代回顧型番組」も増えているようですが、当時の常識は、今の非常識になってますね。世の中には、楽しいことがいっぱいあって、それでも時間は一日24時間。労働時間は40年前よりも、相当短くなっていますが、それでも時間は足りません。趣味も細分化され、その細分化された趣味の仲間が、ネットを通じてつながることで、さらに細かく深くなっているようです。40年前のように、高校を卒業したら、とりあえず、「酒」「たばこ」「パチンコ」という時代ではありません。逆に、そんなことに時間とお金を使うのはもったない、という時代になりました。
2023/08/09
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突然、テレビ番組の制作会社から「以前テレビ放送で使った素材の再利用をしてもよいか」というメールが届きました。「一体それは、どんな素材ですか?」と確認したところ、届いたのが、冒頭の写真です。番組のキャプチャ画像ですね。既に忘れていましたが、半年くらい前に、テレビ番組の制作会社からWOODPROのHP内にある「ウエスタンレッドシダー関連の写真を使わせてほしい」という連絡がありました。確かに以前は、ウエスタンレッドシダーを取り扱っておりましたが、10年以上前に、為替の問題や、品質低下の問題、安定供給の問題などもあって、国産杉一本に絞ったため、今は扱っていません。一体、今頃、どんな写真を?と思いましたが、聞いてみると、こちらのページにある写真でした。⇒ウエスタンレッドシダー(米杉)原産地視察レポート2000年7月、ネットショップオープンまもなくの時期に社長と二人で行った「カナダ視察」の際の写真です。当時はまだデジカメも普及しておらず、この写真もフィルムで撮ったものをスキャナーで読み込んだものです。「画像も粗いし、ウエスタンレッドシダーの写真なら、もっといいものがあると思うので、別の業者を紹介します」ということで、レッドシダー専門の会社を紹介したりもしましたが、結局、使われていたんですね。「ビフォア・アフター」3月19日の放送で、これは私もちらっと見たのですが、真剣に見ていなかったので、この写真が映し出されたシーンは見てません。古びた家を改造して、スリランカカレー店を開業した、還暦夫婦のビフォアアフターで、どうやら、浴室にレッドシダーを使っていて、その際に、レッドシダーという木の説明のためのカットだったようです。それにしても、よくまあ、こんな写真を探してきたものだと感心した次第です。中央で、顔にモザイクがかかった人物がまさしく私です。といっても、23年前なので、体形もスリム。今では、体重も増えましたし、白髪も増えて、これがほんとに「ビフォア・アフター」。そんなつまらない冗談はさておいて、23年前といいますと、楽天市場に「WOODPRO」をオープンさせた年でもあります。当時は売り上げも少なく、とてもそれだけで私の給料も捻出できない、ということで、日中は、ウッドデッキやフェンスの施工にでかけて日銭を稼ぐ、という日々でしたね。子供もまだ小学生で、先の不安もいっぱいありましたが、なんとかここまで頑張って来れて、よかったです。
2023/07/06
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今日は6月30日。今年も、もう半分終わりますね。日本では、6月と12日の晦日に「大祓」の儀式があります。6月の大祓は、「夏越の大祓(まごしのおおはらえ)」と言って、「茅の輪くぐり」が行われます。最初の写真は、うちの近くの速谷神社という神社で行われている夏越の大祓の様子。2013年に撮ったものなので、10年前ですが、おそらく今年も行われると思います。今年の6月30日は平日なので、この儀式に直接参加することができない方も多かったと思いますが、おそらく、しばらくは神社に「茅の輪」が置いてあると思いますので、ぜひ、半年のお祓いをしてはいかがでしょうか?「茅の輪くぐり」は、「蘇民将来」といいう神話に由来します。武塔神が旅の途中に、裕福な巨旦将来に宿を借りようとしましたが、冷たく断られました。おそらく、あまり立派な恰好はしてなかったのでしょう。やむなく、貧しいその兄である蘇民将来に泊めてくれるよう頼んだところ、貧しいながらも快くもてなしてくれました。武塔神は、自分が素戔嗚尊(スサノオノミコト)の化身であることをあかし、茅の輪を渡し、これを付けて置けば、疫病を逃れることができると告げ、去りました。その後、疫病がまん延し、巨旦将来の一族は死に絶えましたが、蘇民将来の一族は疫病にかからず、長く繁栄したとのこと。ということで、茅の輪をくぐって、「我 蘇民将来の子孫なり」と唱えると、疫病を避けることができる、ということになったようです。
2023/06/30
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先週の土曜日に、父の生まれた吉和に、野良仕事の手伝いに行ってきました。冒頭の写真は、梅雨の晴れ間の青空と、女鹿平山。そして、それを写す、田植えの終わった田んぼです。六月を日本式の月名でいうと「水無月」。この梅雨時に、「水の無い月」とは、いったいどういうことふだ!という感じですが、これはもともと、旧暦の六月にあてはめられた月名だからですね。新暦と旧暦の月のずれはほぼひと月ちょっと。とすると、季節感としては、7月から8月上旬くらいの季節感になってきます。梅雨があけて、田に水が欲しくなる季節感でしょうか。まあ、水無月の由来は諸説あるようですが、和名というのは、えてして、今の季節感とはずれているものが多いですね。「五月晴れ」という言葉があります。5月のさわやかな青空がイメージされるわけですが、「さつき(五月・皐月)」というのは、新暦でいうと、6月~7月初めにあたり、まさしく梅雨時です。その梅雨の間の晴れ間を「五月晴れ」と呼んだのが本来の由来だとか。ということで、冒頭の写真は、「五月晴れの田園」です。それはともかく、現在の父の百姓の状況はといいますと、夏野菜の畑は作り終わり、春先に植えたもの収穫が始まったりという状況。ということで、その日の主な作業は「草刈り」でした。現在は、玉ねぎ収穫中。ことしは、結構たくさんの玉ねぎがとれたようです。不作の年には、ニンニクと間違うくらいのモノしかできなかった年もあります。余談ですが、6月12日に「もうすぐ飛び立ちそう」とブログでもご報告した、我が家のツバメですが、昨日の夜も、しっかり5羽とも戻ってきていました。飛び始めてから、今回はかなり長いですね。
2023/06/19
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本日は、東京蚤の市に出店するために乗った「岩国発東京行き」の飛行機の中から撮った写真の紹介です。私は、景色を見るのが好きで、新幹線に乗ったときも、寝るよりも車窓を眺めながら、そこに暮らす人のことなどに思いを馳せでますが、8000mの上空から見る景色というのは、また格別なものがありますね。飛行機ができるまで、人類が見ることができなかった景色です。ということで、本日は、飛行機の車窓から撮った、日本のランドマークの写真をご紹介すます。流して、パパっと見ていただければ幸いです。岩国空港を離陸した時には曇っていましたが、雲が切れてきて、最初に見えてきたのがこちら。中央に逆「く」の字に折れた橋が見えます。これは、福山市鞆の浦の近くから、田島にかかる「内海大橋」です。拙ブログ⇒内海大橋の朝 沼隈半島の先っぽで続いて、瀬戸内海に浮かぶ小さな島々が見えてきます。下から突き出している半島は、四国 香川県の荘内半島です。写真には写っていませんが、この半島の西側の根元にあるのが、ウユニ塩湖的な写真が撮れるということで人気の「父母が浜(ちちぶがはま)」。拙ブログ⇒香川県三豊市 父母が浜次に見えてきたのが、岡山と香川県坂出市を結ぶ「瀬戸大橋」です。上側が本州の岡山県。下側は、香川県坂出市になります。本州と四国の距離がとっても近いことがよくわかりますね。拙ブログ⇒瀬戸大橋の夏ちょっと、飛行機の車窓の感じを出して、撮ってみました。幸い、往路の便は、私の隣が空席で、遠慮なく写真も撮れました。続いて見えてきたのは、明石海峡大橋。日本のつり橋では最長の、主径間長1991m。2022年に、トルコに「チャナッカレ海峡大橋 」が完成し、現在は、世界第二位です。少し引いたところからの、明石海峡大橋。手前が淡路島。上が明石ですね。明石海峡大橋を越えると、紀伊半島上空に入りますが、真下に見えたのが「仁徳天皇陵」です、左下の隅っこに映ってます。今ではちょっと内陸っぽい感じですが、当時は海に近かったらしいです。紀伊半島上空を抜けて、知多半島。浜名湖。雲の上に頭を出している山々は、南アルプス。そしていよいよ、お待ちかねの富士山です。富士山については、社内でもアナウンスがありますね。やっぱり富士山は大きいです。都市伝説界隈では、「古事記 日本書紀 といった神話に、富士山が出てこないのはあまりに不自然」ということが話題になったりしますが、この山をスルーするというのは、確かに不自然で、なにか大きな秘密がありそうな気もしますね。そして見えてきたのが、三浦半島。三浦半島を越えると、東京湾を越えて、房総半島上空に入ります。大きく房総半島の上空を回って羽田に向かいます。房総半島を大きく迂回する際に見えてきたのが、鴨川。飛行機の翼とともに、房総半島です。鴨川市の南側にある仁右衛門島。行ったことはありません。大きく迂回して、房総半島上空ですが、ゴルフ場がいっぱいです。房総半島を通過し、東京湾上空に入ると見えてくるのが、千葉の赤茶けた工業地帯。手前のスタジアムは、フクダ電子アリーナ。Jリーグ「ジェフユナイテッド市原」の本拠地です。赤茶けた大きな工場は、JFEスチール。製鉄所ということで、工場全体が錆色です。東京湾は波も穏やか。沢山の船が行き交ってます。東京湾アクアラインの中央にある「風の塔」も見えます。トンネルへの給気を目的とした施設です。飛行機は、無事、コンテナふ頭を過ぎて、羽田空港へ。到着・・・・。お疲れさまでした。長い旅にお付き合いいただき、ありがとうございます。
2023/06/07
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この時期、いろんなところでよく見かけるのが、黄色い花。冒頭の写真は、WOODPROのある、佐伯工業団地の斜面ですが、見事に黄色に染まっています。「オオキンケイギク(大金鶏菊)」という花ですが、実は、「特定外来生物」に指定されていますので、栽培も移植も禁止。「特定外来生物」とは、生態系に害をもたらす危険性の高い「外来種」です。きれいだからといって、家に持って帰って植えたしてはいけません。とにかく繁殖力が強いので、日本の在来の草花が駆逐されてしまう可能性が高いということで「特定外来生物」に指定されたのは、2006年。既に栽培が禁止されて17年経過しているにも関わらず、勝手にこんなに繁殖してるんですね。このヤバイ「オオキンケイギク」ですが、もともとは、1980年代に園芸用として持ち込まれたらしいのですが、見た目がきれいで、グランドカバーにもなるということもあって、工業団地や河川敷などにも植えられたようです。しかり、その旺盛な繁殖力で、想定外に日本の大地に広がっていってしまったわけです。外来種が繁殖すれば、当然、日本古来の在来種は追いやられてしまうため、地域の生態系や景観を変えてしまうことになります。そこであわてて、「特定外来生物」にしてされ、現在は「駆除」の対象です。オオキンケイギクの間に咲いていた、白い花。これは、「フランス菊」といって、これまた繁殖力が強く、「特定外来生物」には指定されていないものの、生態系を破壊する危険性があるということで、一部地域では駆除の対象になっているとか。ついでに、オオキンケイギクと一緒に生えていた小さな白い花は、「ハルギオン」。これもまた繁殖力が強く、別名が「貧乏草」だとか。鮮やかな黄色は、梅雨の季節にも明るくていいのですが、くれぐれも持って帰ったりしないように・・・・。
2023/05/31
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「ひょっとこの口はどっちに曲がってる?」というのは、オジーオズボーンの篠宮の「大林ひょとこ」というお笑いネタ。オジーオズボーンとは、2022年に解散したお笑いコンビで、一人は引退。残った一人が篠宮で、「大林ひょとこ」というのは、芸能界での生き残りをかけたネタであったともいえます。ひょっとこのお面をかぶり、口の部分を隠して踊りながら出てきて「ひょっとこの口はどっちに曲がってる?」といい、一拍おいて、手を離しながら「ひだり」という。ただ、それだけのネタなのだが、どこがおもしろいのか、「ネタパレ」という、お笑い番組で人気となりました。単純なネタなので、ネタが繰り返されるたび、いろんなバージョンが生まれてきましたが、「みぎ」とはならないのが、お約束となってます。さて、冒頭の写真は、「THE OUTLET HIROSHIMA」という、商業施設の中で撮ったものですが、口は右に曲がってました。さて、「ひょっとこ」という名前やお顔は知っていても、そもそも、何なのかを知らない人も多いと思います。「ひょっとこ」目を丸くして、口を尖らせたおどけた男性の表情です。諸説あるようですが、かまどの火を吹く「火男」から、「ひょっとこ」になったとのこと。そのあたりから転じて、かまどの神様、火の神様、ともされたりするようです。ただ、「ひょっとこ」が登場する民話もあって、ちょっと悲しいお話があり、「神様」となったのも、そういった背景があるからかもしれません。おじいさんが口の尖った「醜い顔」の若者を助けたら、その口をうまく使って火をおこし、家に「富をもたらす」のだが、おばあさんは醜い彼を疎んじて追い出す。すると、家は衰退してします。悲しむおじいさんに「かまどのそばに自分に似せたお面を飾るように」とお告げがあるという話。若者が子供だったり、追い出したが死んだであったりするようですが、そんな悲しい話があっての「ひょっとこ」です。ふくよかな女性のお面に「おかめ」というのがありますが、イメージとしては、それと一対になっている感じですね。「おかめ」もどちらかというと、美人というよりは「不美人」のイメージですが、それが福をよぶ「お多福」です。「イケメン」がもてはやされる昨今ですが、外見でははく、内面のやさしさにこそ、大事なもの、「福」があるよ、という、教訓なのかな、と思います。
2023/05/25
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本日は、久しぶりに「浜省」ネタです。テレビへの露出は絶無に等しく、タイアップもほとんどないにも関わらず、いまだにチケットの入手が困難な「浜省」。コロナ明けの今年は、アリーナツアーも予定されていて、既にファンクラブの先行予約が始まりました。かくゆう私も、年末の広島公演に申し込んでおります。さて、その浜省ですが、現在、全国の映画館で『A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988』という映画を上映中。私は13日(土)の夜見に行ったのですが、正直、感動しました。感涙ものです。もうあまりありませんが、5月25日まで上映中。⇒公式サイト『A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988』1988年の8月に、浜名湖湖畔の「渚園」で、55000人を集めて行われた伝説のコンサート。資料映像として撮られた16mmフィルムを、再生して4K映像によみがえらせたという奇跡の映像となっており、映画館の大スクリーンでも、臨場感ある仕上がりとなっていました。今のように、簡単に暗いところでも高画質の映像がとれるような時代ではありません。1988年というと、私が結婚した翌年で、長男が生まれた年でもあります。歌というのは、その歌の絶対的な良しあし以上に、自分の生きてきた背景や時代とリンクして、自分の中野評価が決まってきます。私は、中学時代から浜田省吾のファンでしたが、1988年というのは、中学、高校、大学、就職、結婚、子供の誕生、という、私の青春の日々の集大成ともいえる年ですね。当時私は横浜にいましたが、仕事も忙しく、お金にも余裕がないし、このコンサートがあったこと自体をよく知りませんでした。1986年に、初めてオリコンチャート一位を獲得した「J-BOY」を発表し、続いて、1988年に「FATHER'S SUN」を発表した、一番脂ののった時期のコンサートでもあります。ちなみに、「FATHER'S SUN」は、私が最後に買った「LPレコード」となりました。ということで、巷では全くコマーシャルされていない『A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988』ですが、映画館の席は、ほぼ満席。年齢層は正直高目。平均年齢60才くらいでしょうか。映画館でもらえるこのチケットは、その「渚園」コンサートのチケットの復刻版だそうです。過去に浜田省吾が好きだったという方は、必見ですよ。こちら、予告編 第二弾です。
2023/05/16
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GWに、新幹線で、子供らの住む東京方面に行ってきたのですが、その際に新幹線の車窓から撮った写真です。電車に乗ると、車窓を眺めているのが大好きです。その土地その土地に人の暮らしがあって、歴史があって、風景があると思うと、なんだかワクワクしますね。今時、新幹線の車窓から写真を撮るなんて人はあまりいないかもしれませんが、最初の写真は、東海道新幹線の車窓から、一番富士山がはっきり見える、新富士駅を過ぎたあたり。王子製紙の工場越しの富士山です。何といっても、上京するにあたり「富士山」が見えるかどうかというのは、田舎者にとっては大事なことです。さて、東海道新幹線が京都駅を出てすぐに滋賀県に入り、琵琶湖の気配を感じつつ進んだ先で見えてくるのが、「伊吹山」です。標高1377Mで、日本100名山にも数えられます。滋賀県と岐阜県の県境。関ヶ原の手前ですね。伊吹山という名を初めて知ったのは、大学時代に吉川英治の「私本太平記」を読んだ時のことでした。この伊吹山のふもとに、バサラ大名と言われた佐々木道誉が住んでいて、そこに幾度か、足利尊氏が立ち寄ります。名古屋を過ぎてしばらく走ると、浜名湖が見えてきます。このあたりの風景も印象的です。小山の上に見えたのは、掛川城。このあたりは、大河ドラマで盛り上がっているんでしょうね。そこから少し行くと、美しい茶畑です。そして、いよいよ富士山が見えてくると、もうすぐ東京だ、という感じです。富士山はいったん箱根の山で見えなくなりますが、神奈川県に入ると、再びはっきりと見えてきます。私は、22才から7年間くらい横浜に住んで、神奈川県下で、建材の営業マンをしていたのですが、こんなにはっきり富士山が見えたかな?と思うくらいです。ということで、おのぼりさんの、GW 上京の車窓から でした。つまらないレポートにお付き合いいただき、ありがとうございます。
2023/05/10
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新型コロナから解き放たれて初のGWが終わりました。皆様、どこかに出かけられたでしょうか?私は、混雑の中、息子ら一家の暮らす関東に行ってきました。長男は神奈川県川崎市の元住吉。次男は、埼玉県川越市に住んでいます。当初は、みんなで富士山方面に出かけようか、などと言っていましたが、大渋滞必至でとんでもない目にあいそう、ということで、近場の「西武遊園地」という計画もありましたが、最終的に、「川越」ということに。実は、次男が川越あたりに暮らし始めるまで、川越のことなどまったくもって眼中になく、「川越ってどこ?」くらいのイメージでしたが、気にしてテレビなどを見ていると「小江戸 川越」ということで、東京からも近い観光スポットということで、結構紹介されていました。ということで、まずは、車を止めるのにも一苦労。周辺を3周くらいして、やっと路地裏のコインパーキングの「空」の字を見つけて駐車。冒頭の写真は、「小江戸 川越」のシンボルである「時の鐘」。通りはほとんど祭り状態です。とにかく人が多いし、気温も26度の快晴で、とにかく暑い。立派の蔵の立ち並ぶ通りは、普通に自動車やバスも通る道である上、ちゃんとした舗道もないので、前に進むのも一苦労でした。このGWは、日本中、どこの観光地もこんな具合だったのでしょうね。新型コロナで鬱屈していたストレスを一気に開放するような混雑ではありますが、GWと言えば、やっぱりこれが「普通」ですよね。さて、これから、GWでたまった仕事に精を出します。
2023/05/08
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その季節だけ注目を浴びる木の代表格が「さくら」と「モミジ」。桜は、春の花咲く季節だけ注目されて、それ以外の季節には見向きをされません。「モミジ」も同様で、すでに名前からして「赤くないともみじじゃない」と言わんばかりです。ということで、本日は、あまり目立ちませんが、もみじの花をご紹介。この季節、一気に山も明るい緑に染まって、すがすがしいですね。新緑の季節、モミジの木を見ると、葉の間から、薄い赤色をした、竹トンボのようなものがたくさん見られます。これを「翼果」というそうです。プロペラ状の花の間に、二つのふくらみが見えますが、これが「実」で、風に乗って、より遠くまで種を運ぶための形だとか。生命の知恵ですね。この季節に見ごろになるものに、アヤメもありますね。大きくて華やかな「花菖蒲」に似ていますが、花も少し小さくて、可憐です。花びらの根元の網の目模様が見分けるポイント。それから、モッコウバラもこの季節の色どりですね。いよいよ、ゴールデンウィークに突入しました。コロナもまだ収束していませんので、周囲に配慮もしつつ、節度を持って、盛り上がりましょう!
2023/05/01
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今日は節分ですね。「鬼は外、福は内」と、豆を投げて、鬼を追い出す日です。また、最近では、「恵方巻」を食べる日でもあります。私が子供であったころには、そんな話は聞いたことがなかったので、Wikipediaで調べてみると、大阪発祥の風習で、1998年ころから流行し始め、2000年代に全国に広まった、とのこと。おそらく、スーパーかなにかの販促戦略であったのかもしれませんね。この写真は、1月15日に、広島護国神社で行われた「とんど」の際に撮った写真です。「恵方札」と赤字で書いてあり、おそらく、この札が立っている方角が、とんどの中心から南南東なのだと思います。さて、恵方とはそもそも何なのでしょうか?なぜ、恵方を向いて、恵方巻を食べるのでしょうか?「恵方」とは、陰陽道において、その年の福をつかさどる歳徳神(としとくしん)がおられる方角のこと。今年は、南南東にその神様がおられるので、その方角が恵方とされているんですね。恵方巻を食べるかどうかは、スーパーやコンビニの販売戦略なのでどちらでもいいとして、その方角に今年の神様がおられるということを意識してみるのはいいかもしれませんね。「今年は南南東」と言いましたが、この「今年」というのは、旧暦(大陰暦)です。旧暦は「月」の満ち欠けを元に作られているので、新月から新月までを一月としています。新月とは、月の出ていない日のことで、これが旧暦の1日です。そのため、旧暦のお正月は、立春に近い新月の日となります。結局、一年の始まりというのは「立春」にあるんですね。節分というのは、いわば大晦日みたいなもの。明日は、立春。お正月の決意がすでに揺らいでいる方も、心機一転、頑張りましょう!
2023/02/03
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本日ご紹介するのは、世界遺産の島 宮島の「週末花火」です。残念ながら、全国的に人気だった「宮島水中花火大会」は、警備体制確保などの問題から、正式中止が決定されました。⇒宮島水中花火大会の写真から今年は、大鳥居の修復が終わったということもあって、先週末の1月14日、今週末の1月21日、来週末の1月28日の3週連続で、週末花火が開催されることになりました。午後6時ころから5分間程度 300発。これが、3週連続行われます。⇒大鳥居保存修理完成記念 週末花火ということで、初回となる1月14日。予定はしていなかったですが、とりあえず、どんなものか見てみよう、ということで、初日の出も見た地御前の堤防へ。⇒今さらながらの 地御前初日の出対岸に見える島が、宮島です。相当遠いです。望遠レンズをつけてめいっぱい拡大すると、こんな感じで、大鳥居が確認できますが、残念ながら、花火は完全に切れてしまいます。ということで、花火が映る程度にひいてみると、こんな感じです。花火が上がっている位置の、少し左の赤い部分が鳥居ですね。花火の部分だけをトリミングするとこんな感じですが、かろうじて、鳥居の形が映っています。でもやっぱり、宮島の字花火は、大鳥居の向こうにあがる花火、という構図が魅力ですね。最後は、大きな花火が上がって 終了。宮島にもだんだんと観光客が戻ってきましたが、今年は新型コロナも落ち着いてもらって、「正常化」の年になるといいですね。
2023/01/16
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今日は、1月11日。日本では、「鏡開きの日」とされ、お供えのお餅を食べて、家内円満を願う日ですね。「鏡」は円満、「開く」は末広がりを意味して、日本人らしい言葉選びです。ということで、正月気分もここまで、ということで、元旦に廿日市市の地御前で見た初日の出の様子を書いておきます。目が覚めれば初日の出を見に行こう!と決めてM特に目覚ましなどはかけずに就寝。見事、5時半に目を覚まして、地御前についたのが午前6時ころ。この日の日の出は7時18分なので、日の出まで1時間以上あり、初日の出を見る人が多いこの場所も、数台の車がいる程度でした。場所は、地御前漁港の横の堤防で、目の前には牡蠣棚が並んでいて、広島らしい風情があります。太陽が昇る方向は、ぼんやりと赤味を帯びてきていました。目を右方向に転じると、宮島が見えます。その山の上に、ひときわ明るく光っている部分がありました。これは、弥山に登る、ロープウェイですね。まぶしい光から、麓に向かって、点々と見えるのがロープウェイで、元旦は、午前5時から営業しており、弥山からのご来光を拝むことができます。小さくではありますが、修復が終わった大鳥居も見えます。午前5時50分頃の様子。空がきれいに見えるのは、夜明け30分前、日没30分後がピーク。日の出前の15分くらいは、あまりいい色合いにはなりません。夜明け30分前くらいから、人が増え始め、堤防には、三脚を持った人たちがずらりと並びます。夜明けが近づいてくると、なぜか、海鳥が近くに寄ってきて飛び始めます。おそらく、朝の散歩をしている人が、餌をあげたりしていて、学習しているのでしょうね。そして、2023年の初日の出。「今年もありがとうございます。」合掌。2023年もすでに11日ですが、とりあえず平穏に新年を迎えられていることに感謝。
2023/01/11
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明けまして、おめでとうございます。2023年 卯年も、なんとか平穏にあけましたが、世界中の大きな課題はほとんど2023年に持ち越されたまま。ウクライナの戦争しかり、新型コロナしかり。そんな中で、先の見えない時代を生きていかねばなりませんね。物語の中のウサギと言えば、競争中に油断して寝込んでしまい、カメに追い越されてしまうという大失態を演じた動物として有名です。油断せず、周囲の状況にもしっかりと目配り、心配りして、跳ねる時にはしっかり跳ねる。跳ねた先のこともしっかり見極めておかないと、大変なことになりますね。ということで、今年も、なかなか大変な年になりそうですが、本年も引き続き、よろしくお願いします。※本日まで、会社のカレンダーでは休みなのですが、ネットショップスタッフは出勤して、年末年始の注文の受付処理を行いました。明日が仕事はじめとなりますが、工場スタッフがスムーズに生産活動に入れるようにという配慮です。
2023/01/05
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クリスマス寒波、なんて、ロマンチックなネーミングですが、広島も結構降りました。冒頭の写真は、金曜日の午後の我が家のデッキの写真です。積雪20センチ、といったところでしょうか。23日金曜日。会社始まって以来の「大雪のため出荷停止&臨時休業」となりました。出勤してきた数少ない社員も、3時まで働いて、会社を閉めました。寒波はまだまだ続いていて、日本海側や東北では、さらなる大雪の危険もあるとか。大雪にならないことを願います。12月23日(金)は、予想された積雪ということもあって、午前6時前には家を出たのですが、県道に出て、ほどなく、渋滞し動かなくなりました。20分ほどまったく動かないので、「これは立ち往生の大型車か、事故だ」と思い、Uターン。一旦家に帰って、歩いて出勤することに決めました。ということで、今さらながら、その日の様子をご報告。じゃーん。こんな感じ。家を出発したのは、6時33分。状況を把握するには、やっぱり徒歩が確実ですね。自分が先ほどまで並んでいた県道は、既に長蛇の渋滞となっていました。渋滞の原因はこちら。大型トラックが滑って、車線をふさいでいます。会社は、明石峠という、標高300Mの峠を越えた先なので、雪が降るとこういった車が必ず出てきます。そこから先は、融雪剤のまかれた車道の中央をひたすら歩いて峠道を上りました。当然車は来ないので、私の足跡だけが残っています。融雪剤を散布する作業者。峠を越えたところにあるセブンイレブンは平常営業中。雪の中、学校に向かう小学生の姿。臨時休校にはなっていないんですね。会社にたどり着いたのは、午前8時3分でした。所要時間、ちょうど1時間半。距離は、7キロです。既に、数名の出勤組がストーブにあたっていました。この日、結局、運送会社はどこも来れず、ほとんどの社員は自宅待機⇒お休みとなりました。出勤してきた社員も、雪が一向に降りやまないので、3時で会社を閉めました。私がWOODPROに入社して、23年になりますが、こんなことは初めてですね。帰りは、雪をおして出勤してきた社員の車に乗せてもらったので、徒歩での帰宅は回避できました。雪は、金曜日の夜も降って、土曜日の朝のデッキはこんな感じ。フェンスの笠木の上の雪が芸術的に曲がってました。我が家では、あわせてエアコンが故障。急遽、物置からファンヒーターを出して、灯油を買ってきたものの、今度は、数年ぶりに使う電動の給油器は動かず、ホームセンターに手動の給油器を買いに行ったり。広島というところは、比較的地震も少ないし、津波の心配も少ないし、雪も少ないので、「防災対策」についての意識が低めでもあります。いざというときのことを考えておくということは大事ですね。
2022/12/26
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12月も下旬になり、いよいよ今年も残りわずかとなりました。皆様、ご存じのように、「今年の漢字」は【戦】。ロシアによるウクライナ侵攻というのが、今年の最大の出来事であったことは間違いないですね。で、私が個人的に今年の漢字を選ぶとすれば【続】。・ロシアとウクライナの戦争は終わらない。・新型コロナも収束しない。・世界的なインフレも継続中。・円安はちょっと落ち着きましたが、相変わらず安いまま。・北朝鮮は核開発を続け、実験をくりかえし、・中国では、習近平独裁体制が継続。・ゼロコロナ政策は多少緩んだものの、反動で感染爆発中。・さらに中国は、不動産不況で経済も崩壊中とか。・安倍総理暗殺からの、統一教会をはじめとした宗教の高額献金問題。・SDGsと言いながら、まだまだ暗中模索中などなどなど。今年解決した問題は皆無に等しく、すべての懸案が来年に持ち越し、といってもいいでしょう。実は、私なりの今年の漢字を【続】にするか、【承】にするかちょっと悩みました。【承】というのは、【起承転結】の【承】です。諸問題を来年に持ち越して、さて、来年は【転】の年になるのかな、という気もしました。ただ、【承】だけ見ると、イメージが伝わりにくいので【続】。【転】のあとに、輝かしい【結】を迎えるために、来年は大事な年になりそうですね。今年もあと両手の指で数えられるほどになりました。とりあえず、平穏に新年を迎えられることを願います。※冒頭の写真は、昨年11月に撮った、伊豆白浜で撮った写真です。
2022/12/22
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しばらく、ブログの更新もできていませんでしたが、実は、先週は、新型コロナに感染してしまい、自宅療養してました。そして、規定の待機期間を経て、本日より職場復帰です。1週間、スタッフのみんなには負担をかけてしまいましたが、体調も万全に復調しております。自宅療養中にメールをお送りしたお客様には、ご心配もおかけしてしまい、すみません。温かいお言葉も多々いただき、休養もでき、かえって元気になったくらいです。復帰当日の今日は、全国的な寒波の影響で、WOODPROの向上も真っ白。まあ、積雪量はさほどでもありませんでしたが、気温が低く、あちこちが凍結してましたね。さて、私も4回ワクチンを打っていますが、それでもうつるときはうつります。ただ、ワクチンのおかげなのか、比較的軽症ですんで、4日くらいからは咳はでるものの、体調としてはほぼ復調してました。こういうこともあるだろう、ということで、事務所では各自がリモートで仕事ができるようにいろいろ対策を施していて、私も、家に居ながらにして、お客様のメールに返信したり、見積したり、図面を描いたり・・・・、直接工場に指示を出すことを除いては、ほぼ自宅で作業ができました。これまで、工場との接点の部分などは、私が調整などを行っていましたが、1週間私が不在となれば、かなりの部分は、事務所スタッフが代行してくれて、逆に、事務所と工場のコミュニケーションがよくなったのではないか、とも思いました。今回の新型コロナ感染は、「不覚にも」という予期せぬ事態ではありましたが、それで見えてきたものも多々あります。2023年に向けて、いろいろ考えさせられた1週間でもありました。一家そろって新型コロナ感染ということで、家内のお友達がこぞっていろんなものを差し入れてくださり、「コロナ長者か!」と思うぐらいに冷蔵庫の中もいっぱいになりました。持つべきものは、やっぱり、近くのお友達ですね。本当にありがたいです。本日より職場復帰しまして、なんとか、年末まで、しっかりと働きたいと思います。
2022/12/19
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先週の土曜日(11月12日)は、87才の父の手伝いで、廿日市市吉和の畑に玉ねぎを植えるということで、手伝いに行ってきました。手伝いに行くといつも思うことですが、農作業というのは、腰がきついですね。母もすでに他界し、父が料理をするということもほとんどないので、こうして作った野菜は私を含めた子供らや、近所に配るものがほとんど。損得を考えたら、絶対損だと思うのですが、これが父の元気の源でもあります。家の裏の柿の木には、柿が鈴なり。少しですが、干し柿も作ってました。まあ、これも、自分で食べることはあまりないのですが。午前中に玉ねぎは植え終えたので、昼ご飯を食べたあと、教龍寺に行ってきました。先週は「最高」の状態で、青空に真っ赤に生えていました。その時のブログはこちら。⇒廿日市市吉和 教龍寺の紅葉あれから1週間。どんな感じかな、と思い、立ち寄ってみました。階段の下から、赤い紅葉が見えます。先週はとってもボリューミーだった真っ赤な紅葉ですが、半ば落ち、半ば残っていて、これはこれでとっても風情があります。一週間で、緑の苔は、赤い落ち葉に覆われていました。散紅葉、というのも、日本人の心くすぐる風情の一つ。先週は、空が全く見えないくらいに紅葉が繁っていましたが、空が透けて見えるくらいに葉が落ちています。それでも、まだまだ、きれいでした。さすがに、来週は散ってるでしょうね。
2022/11/14
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2022年11月8日(火)の夜は、快晴で、皆既月食を見るには最高の環境でしたね。ということで、冒頭の写真は、家の前の道路から空を見上げて撮ったもの。19時57分の撮影です。赤黒い月が、家の庇のそばにありました。地球によって太陽の光が遮られた状態の月なので、実際には相当暗いので、「皆既月食」であると知らなければ気にも留めないかもしれないくらいですね。あ、そういえば、今日は皆既月食だった、と気づいてのは、午後6時過ぎ。まだ会社で仕事をしていたので、仕事の合間にカメラを持ち出して撮ってみました。18時22分。月が欠け始めています。19時9分。直接太陽の光が当たっているところもあとわずかになってきました。このあたりで、帰宅の準備を始めました。そして、皆既月食に突入。月全体が赤黒く見えるのが不思議です。今でこそ、この現象が「地球の影」であるということを誰もが知っていますが、地球が丸いということを知らなかった人は、どう理解したのでしょうね。「日食」というのは、太陽の前に月が並ぶので、不吉感が満載ではありますが、まだ理解しやすいです。ただ、月食というのは、地球の背後に太陽があるということが理解できないと説明できません。この赤黒い色といい、「血の予感」を感じたとしても不思議ではありませんね。夕食を食べて、しばらくしていると、だんだんといつもの満月が戻ってきました。残念ながら、「天王星食」は見れず。たまにはしっかりと夜空を見上げるのもいいですね。実は、満月というのはかなり明るくて、普通に写真を撮ろうと思うと、こんな感じで写ります。これは、欠け始めた月をうちの奥様が撮ったものですが、アンテナは真っ黒なのに、月は光って輪郭も定かではありません。照明のない時代では、月あかりがいかに大切なものであったか分かります。暦だって、月の周期をもとにした「陰暦」だったわけで、その月が突然欠け始めるとなると、それは恐れおののいたでしょうね。なんてことを考えながら、皆既月食を鑑賞いたしました。
2022/11/09
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本日は、最近話題の「旧 統●教会」について、過去の私の体験を書いてみます。と言っても、かれこれ40年も前の、学生時代の話です。実は、その合宿にまで参加したのですが、「統●教会」だということは一切聞かされていないので、「T1教会」ということで話を進めます。40年前のある日、街角で、「アンケートにお答えください」と声を掛けられました。興味のあるもに〇をつけてください、ということでしたが、そこには、「世界情勢」「英語」「心理学」などなど、誰でもどれかには興味があるだろうという内容が並んでいます。十代の無垢な私が、アンケートに答えると、「ご興味のある問題について、無料で勉強できるので、ぜひ、どうぞ」という。普通は、そこでお断りすると思いますが、その時私は「怪しい」と思いながら、「一体なにを教えるのだろう」好奇心が湧いてきて、一度行ってみることにしました。「教えてくれる」というその場所は、広島駅に近いマンションの一室。小分けした部屋が数部屋あって、その中にテレビが置いてあって、各自で「ビデオ」を見ます。奥のリビングルームスペースには、若いスタッフの男女が数名いて、確か、カレーラースが100円とかで食べられました。みな、優しい印象の人たちでした。すべての真実は「聖書」にある、ということで、「聖書について勉強しましょう」と言われます。そして、私は個室に入って「ビデオ授業」を受けます。ビデオには講師が出てきて、白板を前に話し始めます。記憶力の乏しい私なので、詳細は忘れましたが、印象に残っているのは「蛇にそそのかされてリンゴを食べたことによって、アダムとイブの子孫である人類は神様に背いたため、大きな原罪を負っている」「人間はその贖罪をしなければならない」「韓国はこれまで、他の国を攻めたことがなく、罪を犯していないので、救世主が誕生する価値がある」「日本は太平洋戦争で各国を侵略し罪深い民族である」といった内容なのですが、講師の話し方がうまいのか、かなりの説得力があります。ビデオ講義は、自分の生きたいときに行って、続きから見ることができました。何度かビデオ講義に通ったある日、「こんご合宿があるのですが、参加しませんか?」と言われました。ビデオの内容を信じたわけではありませんが、若者らしい好奇心で、行ってみようかなと思い、申し込みました。確かに「怪しい」感じはしましたが、そこにいるスタッフの皆さんは優しい感じで、決して悪いイメージではなかったと思います。自分が洗脳されるとも思いませんでしたし、危害を加えられるとも思わなかったので、OKしたんですね。「3DAYS」というその合宿は、確か、夜の集合で、そこから車に乗せられて1時間以上走って研修施設らしきところに連れていかれました。夜ということもあって、正確な位置をつかむこともできません。今のようなスマホもない時代なので、考えてみれば、拉致されていても分からなかったかもしれません。夜に出発して、夜に帰ってきたと思うので、実質「2泊2日」といった感じです。とはいえ、その研修は始まりました。そこには、私のように街角で声を掛けられたらしい若者たちが50人くらい集まっていて、5~6人の班に分けられ、そこには「班長」がいます。講師が出てきて、ビデオ授業と同じように「人間はなぜ贖罪しなければならないのか」と言った講義を行います。そして、それを受けて座談会を行います。これが、合宿期間中、数回繰り返されます。なにしろ、街角で律儀にアンケートに答えてやってきた若者たちなので、みんなとても「素直でいい人」ばかりです。ただ、座談会の場では、それほど感情的になったりするようなことはなくて、班長さんの話に、「そうなんですかね」くらいの感じだったと思います。合宿中、どこにも「T1教会」の一言も出てこず、資料にも、研修施設のどこにもその言葉はありません。そして、いよいよ研修も終わりに近づき、参加者代表による「発表」が行われます。私は「これはやばい」と思ったのは、この時でした。前に出た参加者らしき女性は「私の人生は間違っていました。今回、真実の教えに出会い、罪を償くことを決意しました」なんて言いながら泣き始めました。それとともに、すすり泣きとも思える嗚咽が会場の数か所から聞こえました。おそらく、決意発表した女性は「スタッフ」で、参加者の中にも「サクラ」となるべきスタッフが数名混じっていたのではないかと思います。私は無事「3DAYS」から帰還し、その後、そのマンションには行っていません。何度か自宅に電話もかかってきましたが「もういいです」と断ると、そのうち電話もなくなりました。ということで、それが「T1教会」であったかどうかという証拠はありませんが、まず、間違いないでしょう。あの時一緒に参加した「素直ないい人」たちのその後が気になります。おそらく、そのまま参加していると、「実は救世主はすでにお生まれになっています」「え、マジですか?」「それは韓国に・・・・」なんてことで、深みにはまっていくのでしょうね。恐ろしいです。「T1教会」が問題視されている点の一つに、「T1教会であることを隠して活動する」という点が挙げられていますが、まさしく、それです。かれこれ40年前の、若気の至りのお話でした。冒頭の写真は、廿日市市地御前で撮った、朝の「天使のはしこ」です。正しい宗教と、正しくない宗教の境目というのは、かなり曖昧ですね。絶対的な価値基準はなく、人によって変わってきます。「常識」「良識」というものが一番の物差しになるのでしょう。何事も、極端というのは間違っているように思います。
2022/08/31
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「キツネノカミソリ」という花をご存じでしょうか?ヒガンバナ科の花で、本州から九州に生育し、お盆前後に咲く花なのですが、私自身は、父の生家のある、広島県廿日市市吉和の神社付近でしか見たことがありません。その神社は、「速田神社」といい、村の総氏神様で、秋には神楽も奉納されます。さて、その神社には、「キツネノカミソリ」が自生していて、それを見つけたのは、かれこれ10年余り前ですね。すっとした三日月型の刃が、カミソリっぽいということで、この名がついたと思われますが、彼岸花のように、花が咲いている時期には葉がないので、見た目にもやや不気味感もあり、花の色のオレンジと相まって、キツネということになったのかもしれないですね。神社から見た村の風景です。標高600Mということで、日が出るまでは結構過ごしやすいのですが、日が出るとやっぱり暑いです。ということで、お盆に吉和村に泊まった際には、神社に行ってこの花を見るのが恒例となってます。例年は、写真を撮っていても、蚊がたくさん集まってきて、かなり刺されるのですが、今年は猛暑のせいか、蚊も少なくて、その点は助かりました。
2022/08/22
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お盆休みも終わりまして、本日、8月18日より、WOODPROも営業開始です。全国的に天候不順なお盆となりましたが、皆様、いかがお過ごしでしたでしょうか?現在、甲子園では、高校球児たちの熱戦が繰り広げられていますが、甲子園に出場し、脚光を浴びることができる高校球児はごくごくわずかですね。冒頭の写真は、6時発の始発のフェリーで、尾道市から向島に向かう坊主頭の高校生の乗船の列です。尾道市向島には、尾道高校は、今年の県大会で準優勝し、惜しくも甲子園出場を逃しました。お盆の最中ではありますが、朝からすでに部活があるんですね。こんな感じで、始発のフェリーは、坊主頭の集団で満員です。既に、来年に向けて高校球児も始動してるんだなあ、と思うと、ちょっと感動します。高校球児もさることながら、お盆中でも指導している監督やコーチの方もおられるわけで・・・・。頭が下がりますね。尾道駅から一番近い渡船の片道運賃は100円。尾道-向島の渡船は現在3航路ありますが、尾道大橋の無料化で橋の利用者が増えて、渡船利用者が減少し、経営が厳しいようです。尾道に行かれた際には、ぜひとも、渡船で向島間を往復しましょう。ちょっとした観光気分になれます。8月15日に、千光寺山の新しい展望台から見下ろした尾道水道です。この狭い水道を、渡船が行ったり来たりしています。
2022/08/18
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7月もすでに中旬にさしかかってきました。連日30度越えの暑さで、体力も消耗。梅雨は早々にあけましたが、その後もなんだかぐずぐずした、蒸し暑い天気が続いていますね。ロシアによるウクライナ侵攻は終わりが見えず、連日、市民が犠牲になり続けているというニュース。そこに突然の、安部元総理銃撃による訃報。円安とじわじわと上がっていく物価。中国では銀行口座が凍結されて暴動。欧米では、物価の急上昇で金融引き締め。コロナもいまだ収束せず・・・。この先、どうなっていくのか、予測も難しいですね。世界中に不穏な空気が流れている状況ですが、今起こっている諸々の出来事が終わってくると、世の中が大きく変わりそうな予感はします。
2022/07/13
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「かたつむりが紙食べちゃうの困るんだよなあ」とキャッチーな言葉が書いてあります。「まあ、ごはん屋さんだからいっか。」というのも、なんだかほっこりしますね。本日は、6月12日の早朝、尾道の街を散策した際に見つけた、お店の案内板からご紹介です。細い路地を歩いていると、古い家を改造したカフェを発見。こんなところにカフェがあるんだあ、と思いながら、黒板を利用したお店の案内板を見てみると、中央にかたつむり。最初はカタツムリの形のマグネットかなと思ったのですが、近寄ってみていると、小さく頭の先の触角を動いていました。カタツムリって、紙を食べるんですね。びっくり。いったいどのくらいこのカタツムリはここに張り付いているんでしょうね。お店の名前は「アルト」。行ってみたい方のために、少し場所を紹介します。尾道駅から尾道本通り商店街方面に入ってすぐに、左側に歩道橋に上がる階段があります。そこを上がって、国道2号線、山陽本線の上を越えると、「土堂小学校」があります。大林宜彦監督や、林芙美子の通った学校で、古い学校ならではの雰囲気があります。左の広い下段を上がれば小学校ですが、右側の路地を進みます。学校の下をくぐっていくという珍しい路地です。小学校と墓地の間の路地を進むと、猫の足跡がコンクリートの上に残っています。さらに坂道を上に向かって進んでいきます。尾道らしい風景です。坂道を上がっていくと、突き当りに「千光寺」への案内板がありますが、これを左ではなく、右に向かって進みます。ちょうど、持光寺の裏側に「アルト」はあります。私は今回初めて見つけたのですが、もし、近く尾道に行かれる方は、カタツムリを探しに行ってみるものいいかもしれません。
2022/06/13
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日本全国各地で、ローカル線の廃線は多いですね。かつては山間部の町と都市部を結ぶ鉄道が多くの人や物資を運び、日本の発展に貢献してきたのでしょうが、時代は移り、採算の取れない路線は廃線なむなし、といった感じです。なんとも寂しい気持ちにはなりますが、山間部の過疎化だけでなく、自動車の普及、高速道路の整備などで、鉄道が不可欠なものでなくなったのも事実です。ということで、本日は、広島県山県郡安芸太田町の「井仁の棚田」に行く途中に撮った、「可部線」の跡のご紹介。可部線は、広島駅から三段峡を結ぶ路線ですが、2003年に可部駅から三段峡までの区間が配線となりました。すでに、19年前になるんですね。可部線の終点である、安芸太田町の戸河内に母方の本家があったことから、中学生の時には、弟と二人で可部線に乗って秋祭りを見に行った記憶もあります。最初の写真は、旧坪野-田之尻駅間にかかる第五太田川橋。そして、隧道の跡。鉄橋の上には、枕木がそのまま残っています。そして、線路はないものの、駅舎とホームがそのまま残された「旧田之尻駅」屋根がかかっただけの、小さな駅です。駅舎の中には、当時のままの時刻表が残っていました。上り、下りとも、1時間に1本ないくらいの本数ですね。周辺の皆さんがよく管理しておられるのだと思いますが、草もしっかりと刈られて、向こうから列車が走ってきそうな気もしてきます。全国各地に残る廃線の跡の一つです。少し切ないような気持にもなりますが、これが郷愁というものですね。
2022/06/06
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広島に、日本最大級という「無印良品」ができました。もともと、天満屋というデパートが入ってた、アルパーク西棟という商業施設です。中央には大きな吹き抜けがあり、デパートの雰囲気も残っていますが、全体の色調な自然な色合いで、「無印カラー」で化粧直しされています。無印良品に他には、地元のスーパー「フレスタ」。ヤマダ電機、西松屋、アルペン、ダイソーなどが入っていて、ターゲットが30代-40代かなと思わせます。無印良品の品ぞろえについては、私がどうこういう必要もないと思いますので、今日は、新店舗で目にした無印良品のサスティナブルな取り組みについての感想などを書いてみます。店が大きいだけに、販売そのものに直結しにくい部分にスペースが割いてあります。お店の一角の市松模様の壁面。近寄ってみると、上下の面が見えるように文庫本が市松模様に積み重ねてありました。意匠としても面白いですね。ただ、同じことを家ですると虫が湧きそうだなあ、とか思いました。(笑)それぞれの本は紙質も、日焼けの仕方も違っていて、全体としてとても自然な色合いです。我が家にも古い本はたくさんありますし、古本屋に持って行っても値段がつかないし、持っていく手間を考えれば、紐でくくって「資源ごみ」にした方が簡単。メルカリなどのネットフリマサイトに押されて、ブックオフなどのリアル古本屋の存在価値も低下し、続々と閉店。そんな中、無印良品が始めた「古紙になるはずだった本」という取り組み。まさか、無印良品が本気で古本業に参入するとも思えないので、これも CI(コーポレイトアイデンティティ)の一環なのでしょう。文庫本100円、その他300円で販売しています。大判の図録などもあって、掘り出し物もありそうな感じです。CI(コーポレイトアイデンティティ)と言えば、20年~30年くらい前に一気に流行しました。コーポレイトアイデンティティとは、企業の理念や目的を明らかにし、分かりやすく表明、表現しようとする活動で、例えば、社名変更、ロゴ変更などがその一環です。会社の特徴を分かりやすく押し出していく、というイメージ戦略ですね。「無印良品」の場合は、エンドユーザーが持っているイメージも「SDGs」との親和性が高いと思われます。商業主義的な派手派手しさを抑えて、「質」で訴えてきたという歴史は大きいですね。「古本」ではなく「古紙になるはずだった本」となると、積極的に本(知性)を救ったという印象もあり、イメージはいいです。それからもう一つ、古着を藍染めする、という試みもありました。これはテレビ番組でも見たような気がしますが、そのままではリサイクルが難しい衣類を藍染めにすることで再利用する試みです。確かに、藍染めにすることで、擦り切れた部分も味わいに昇華されるような気もします。これもやはり、CI活動の一環だと思いますが、これは無印商品の本業にも直結していて、「古本業」よりは地に足がついているように思います。それからもう一つ、ヘンプという素材で作ったシャツなども販売していました。成長が早く、肥料だとかの手間をかけずに育つという素材を使った繊維のようです。無印良品は、販売しているもの自体は、ニトリやカインズ、ユニクロなどと被るものがかなり多いわけですが、ニトリやカインズ、ユニクロあたりはやや自然にやさしくないようなイメージもあったりしますので、SDGs というのは、無印良品の大きな強みですね。古本にしろ、藍染めにしろ、それで利益が出るようにも思えませんが、そういう活動と企業イメージの親和性、違和感のなさ、というのは、「無印良品」の大きな強みですね。最近は、住宅やリフォームにまで幅を広げていますが、時流にのってまだまだ伸びそうです。
2022/05/19
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この度、廿日市市観光課より発行されました「吉和さくらバスで行く はつかいちローカル路線バスの旅」の表紙に、私の写真を使っていただきました。この写真、もともとは、私がブログにのせていたものです。⇒山間の春 廿日市市 吉和村にて「さくらバス」というのは、廿日市市内をめぐる市の運営しているバスで、民間の業者が運行していない路線をフォローする形で、市民の足になっています。市内、いたるところで見かけますが、今回冊子になったのは、「吉和さくらバス」です。「吉和」というと、私の父の里で、時々野良仕事の手伝いや、お墓参りに行った時のことをブログにも書いていますが、人口が500人ほどの山間の村です。平成の広域合併で廿日市市の一部になったものの、過疎化は進んで、ついに、佐伯地区の津田から先は、民間が運航するバス路線がなくなったようです。それに伴って、その間を「さくらバス」が運行することになり、山間エリアを盛り上げるために今回の冊子製作となったようです。廿日市市役所から津田までは民間の広電バスの路線で、運賃400円。そこから先、吉和まではなんと、どこで降りても150円のようです。区間は25キロ以上ありますので、「持ってけどろぼう!」というくらい安いですね。冊子では、佐伯町津田から吉和までのおすすめスポットの案内もついています。たまにはのんびりと、バスに乗って山間に癒されにいくものおすすめですね。
2022/05/07
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今日は節分ですね。ネタも尽きたので、昔の写真を引っ張り出してみました。「節分」とは、季節の分かれ目ということで、「立春」の前日です。「立春」というのは、いよいよこれから春だよ!という日なので、その前日の節分は、「大晦日」的な感じで、新しい春が始まる前に、「鬼は外、福は内」なわけです。「おに」の由来は、目に見えない得体のしれない恐ろしいものことをだとか。科学の発達していない時代においては、新型コロナも「鬼」だったに違いありません。さて、写真について。鬼の仮面をつけた男が、幼児に襲い掛かるという、節分でなければ幼児虐待と思われても仕方ないシーンです。鬼の面をかぶったのが私で、泣き叫んでいるのは長男、それをぼんやりと見ているのが次男です。右下に日付が入っていて、「91.2.3」。かれこれ31年前。いつしか、子供たちも、写真の中の私よりも年を取りました。節分の季節になると、鬼のお面のついた大豆を売っていますが、このお面もまた、「豆」についていたもの。手前に見える豆を入れる箱とセットでした。ただ、この鬼の顔が異常に怖く、思った以上に長男がビビッてしまった、という状況。それでも泣きながら子供たちが豆を鬼に投げつけて、鬼はすごすごと退散する、という段取り。めでたしめでたし。明日からは、暦の上では「春」ですね。まだまだ寒い日が続きますが、オミクロンに負けずに乗り切りましょう!
2022/02/03
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虫を近寄って見るようになったのは、一眼レフのデジカメを買ってから。恥ずかしながら、喋々の顎がしゃくれていて、口からぜんまいのような管を出して花の蜜を吸うことも知りませんでした。もちろん、蝶の翅の表裏の模様が違うことも気にしたことがありませんでした。最初の写真は、キタテハという蝶です。ほとんど枯れ葉のようにしか見えない地味な模様です。翅を閉じて枯れ木に潜んでいれば、確かに見つけにくいでしょうね。翅を開くと、こんなに鮮やかな模様をしています。蝶に限らず、生き物というのは「生き残ること、子孫を残すこと」を最大の本能的に目的として進化をしてきたので、「身を守ること」と「性的なアピールをすること」を両面持ち合わせていなければなりません。外側の枯れ葉のような模様は、枯れ葉に紛れて姿を隠す目的だということが分かりやすいのですが、内側の派手な色合いは、仲間を識別するためだったり、異性を識別するためだったり、天敵が裂けるような別な生き物に見えるような「擬態」であったりするようです。お正月休みに、次男の車の中で孫たちが見ていた「ざんなんないきもの事典」という番組を見ていましたが、大人が見てもとっても面白い内容でした。⇒ざんねんないきもの事典 NHK60年も生きてきましたが、身の回りにも知らないことがいっぱいです。
2022/01/31
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今日、出勤するために車に乗ったら、カーナビが「おはようございます。今日は、ライバルが手を結ぶ日です」と言いました。毎日「今日は~の日です」と教えてくれるのだが、「ライバルが手を結ぶ日」が気になって調べてみると、幕末の「薩長同盟」にちなんだ日でした。1866(慶応2)年の1月21日、長州の木戸孝允、薩摩の西郷隆盛らが土佐の坂本竜馬らの仲介で京都で会見し、倒幕の為に薩長同盟(薩長連合)を結びました。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で、今でも大人気の坂本龍馬ですが、一番の功績は「薩長同盟」の橋渡しをした、ということですね。さて、冒頭の写真は、土佐の桂浜に立つ坂本龍馬像。その下に並んで記念撮影をしているのは、WOODPROの社員旅行メンバーですね。かれこれ15年も前、2007年の社員旅行の写真です。まだまだ社員の数も少なかったですね~。坂本龍馬にちなんで載せてみました。長州(現山口県)は、早くから「反幕府」の動きを鮮明にしていて、幕府軍による「長州征伐」を受けたのが、1864年と1866年。1864年の第一次長州征伐では、長州が折れて藩内の討幕派を処分して終了。第一次長州征伐の幕府軍の参謀は西郷隆盛でした。しかし、その後、高杉晋作らの討幕派が藩内で主導権を握り、大村益次郎を登用して軍政を一新。その動きを察知した幕府が再び長州征伐を行うことを考えていた時期、その裏側で行われたのが「薩長同盟」でした。「薩長同盟」が結ばれた時の、主役たちの年齢を調べてみると・長州 桂小五郎 32才・薩摩 西郷隆盛 38才・土佐 坂本龍馬 30才何とも若い。こんな若者が集まって、内密に同盟を結んだこの同盟が日本の将来を決めることになりました。薩長同盟が結ばれた半年後に第二次長州征伐が行われましたが、薩摩は参戦を拒否。圧倒的な戦力を誇ったはずの幕府軍は長州軍に敗退して、歴史の流れは大きく変わりました。ということで、今日は「ライバルが手を結ぶ日」でした。
2022/01/21
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開けまして、おめでとうございます!本年もよろしくお願いします。2022年はいったい、どんな年になるのでしょうね。2021年の秋以降、新型コロナの感染者も減って、このまま収束か、と期待しましたが、オミクロン株なる新種が登場し、不穏な空気が出てきました。ただ、重症化のリスクも少ないということですし、コロナの流行当初のような「得体のしれない」ものへの恐怖感もなくなって、世界全体が慣れてきた感じはしますね。今年は、新型コロナもインフルエンザのような扱いになっていくのではないかという気がします。この年末、うちの子供たちも家族連れで帰省してきましたが、空港も人でいっぱいだし、完全に正常化した印象でした。アメリカでは、一日の感染者が100万人なんてニュースでやっていましたが、それでもあまり緊張感が感じられないのは、重症化する人が増えていないということなのかもしれません。さて、私も昨年、還暦も過ぎ、これからは、引き際を考えるべき年齢になってきました。思えば、37才で木質建材メーカーである「ウッドワン」を退職し、縁あってWOODPROに入社したのが1998年。当時は、杉足場板のリースを行う会社で、社名も「住建リース」。はっきり言って、完全な斜陽産業で、ウッドワン時代の先輩であった中本社長も危機感を感じていたところでした。なんとか強みを生かそうと、使い古した杉足場板を、再度削って再生し、プランターなどを作ってネット販売を開始したのが2000年。二人の子供たちはまだ小学生で、この先どうなるものかとかなり心配な状況ではありましたが、ネット販売も何とか軌道に乗り、今年は23年目に突入です。これはもちろん、私だけできることでもありませんし、たくさんの支えがあればこそです。「楽天市場」の店舗評価では、ほかに見たことがないような評価をいただいており、これは、スタッフみんなで頑張ってきた証だと思います。⇒WOODPROのレビューただ、この高評価には、スタッフの頑張りだけでない、もう一つの要素があると思っています。それは、ご購入いただいたお客様です。WOODPROの商品は一般的に見て、決して安いものではありませんし、なくても困るようなものでもありません。木製のガーデニング商品や、古材で作った家具などがメイン商材ですが、価格だけならホームセンターやニトリ、イケヤの方が安いし、機能的かもしれません。ただ、「もう少し自分らしく、暮らしを豊かにしたい」というお客様がWOODPROで購入いただいていると思いますし、その方向性とWOODPROの方向性が一致している、というところが一番大きいように思います。多品種少量生産がWOODPROの得意とするところですが、これからも、お客様に寄り添って、暮らしを少しでも豊かにできる商品を作り続けていけるかどうかが会社存続のポイントですね。23年かけて、事業はなんとか形になってきましたので、ここからは、それをさらいい形で次世代に継承することが大事だと思っています。新年からダラダラと長い文章を書いてしまいましたが、今年も頑張りますので、引き続き、よろしくお願いします。最後までお読みいただき、感謝。
2022/01/05
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おそらく、20年ぶりくらいになると思いますが、クリスマスイルミを付けてみました。といっても、新たに買ったわけはなく、近くに住む友人から借りたものです。20年くらい前、クリスマスイルミが大ブームを起こしました。今回、イルミを借りた友人も、20年前に買ったもの。当時は、イルミが、クリスマスシーズンの最もホットな売れ筋商品でもありました。12月になると、住宅街のあちこちにイルミネーションが点灯して、町を彩り、クリスマスを盛り上げていましたね。そのブームも、いつの間にか下火になり、今では、住宅街にもほとんどイルミネーションを付ける家はなくなりました。おそらく、その大きな原因が、「イルミネーション競争」であったのは間違いないでしょう。最初は、こじんまりとそれぞれの住宅で取り付けていたイルミネーションですが、だんだんと、ご近所との競争になり、派手な家はどんどん派手になり、それに伴って、「寂しいイルミなら付けない方がいい」と考える人が増え、イルミを付ける人自体が減少。一部の大規模個人イルミがしばらく残ったものの、それも、だんだんと面倒になったのか、恥ずかしくなったのか、いつしかなくなりました。ということで、今では、個人のイルミは極端に減って、逆に付けていると恥ずかしいくらいです。にも拘わらず、なぜ今頃我が家でクリスマスイルミなのかと言いますと、これは「孫」のためです。(笑)二人いる子供たちの家族は、現在、神奈川と埼玉に住んでいて、例年、お正月には帰省してくるのですが、今年はなんと、「リモートで仕事するので、24日の夜に出て、車で25日に帰る、とのこと。「えー、そんじゃ、うちでクリスマスをせんといけんじゃん」ということになってしまい、そこから、では、ケーキも用意せんといけんし・・・・。なんと考えているうちに、「ばあば」である奥様が「イルミをつけたらびっくりするかね」なんて思いつき、今回の20年ぶりのイルミ点灯となりました。イルミは取り付けたものの、恥ずかしいので、通常は、点けてません。この写真も試しに点灯して、さっと写真を撮ってすぐに消しました。「くりすさんところは、どうしちゃったんかね?」なんて怪しまれたり、町内のうわさになってもいけないので、とりあえず、孫がやってくるまで封印ということで・・・・。
2021/12/22
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私も今年の10月で、60才となりました。昔であれば、ここからはもう隠居でもして「余生」を楽しむということであったのかもしれませんね。今の60才はまだまだ現役の人がほとんどで、親も生きてるし、平均寿命まではまだまだ長いし、とても余生を楽しめるような状況でもないですね。実際、自分が「還暦」となってみると、実感というものはほとんどありません。がが、しかし、なんと、子供たちが「還暦旅行」を企画してくれました。二人の子供はともに結婚して、川崎と川越に住んでいるということもあって、旅行先は「伊豆」に決定。最初の写真は、伊豆高原 大室山の山頂で撮った写真です。写真からも、日が相当西に傾いていることが分かりますが、関東の渋滞おそるべしです。もともと、熱海駅に11時に集合、という計画でしたが、ギリギリ間に合ったのは川越を7時に出発した次男家族で、川崎から来る長男家族は、出発直後からの大渋滞に巻き込まれ、結局、合流できたのは、午後3時半。この大室山でした。その夜、下田のホテルでおいしい夕食をいただいた後、みんなでお祝い、ということで、私は、用意された恒例の「赤いちゃんちゃんこ」、じいじだけ赤いのを着るのは恥ずかしいだろうということで、孫たちもクリスマスの赤い服を着て、記念撮影準備中です。背中からも、幸せな「じじい感」がにじみ出てますね。こんな風に還暦を迎えられる幸せを実感した次第です。思えば、34年前に結婚して、横浜で暮らし始めたときには二人でしたが、いつのまにか家族も増えました。当時は「社畜」という言葉も意識もありませんでしたが、仕事が終わって帰るころには子供たちはすでに眠っているような日々で、うちの奥様にもすごく負担をかけたなあ、と思います。楽な子育てなんて、ありませんからね。子供たちとその嫁さんたちと、孫たちと、そして、子供たちを育ててくれた、うちの奥様にも感謝。まだまだ元気に頑張ります。
2021/11/25
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ネタもなくなったところで、本日は「お好み焼き」のお話です。広島で「お好み焼き」と言えば、全国的に「広島風」とか言われるもので、頭に「広島風」と付けたりしません。まあ、大阪でもそうなのでしょうけど。その「広島風お好み焼き」ですが、その中にも地域によって、独自の進化を遂げたものが出ています。中でも最近人気なのが「府中焼」と言われるもの。最初の写真がまさしくそれなのですが、違いが分かりますか?「府中焼」の府中は、広島県でも東部に位置する、家具の産地でもある府中市です。昨日のブログで紹介しました、多家神社のある、広島市に隣接した安芸郡府中町とは違います。まずは、一般的な広島風お好み焼きから説明します。クレープ状に丸く敷いた水溶き小麦粉の上に、大量のキャベツ、もやしなどを山盛りにします。その上に、魚の粉とか天かすなど振りかけます。その上に豚のばら肉のスライスを乗せます。それをひっくり返して、野菜が適度にしなっとなってきたところで、別に焼いていたそば(あるいはうどん)の上に載せます。それを丸く伸ばした卵の上にのせてひっくり返してから、ソースを塗布して完成。さて、ここから「府中焼」の説明です。数年前から広島市内でも人気が出はじめ、「府中焼」としての地位を確立しつつあります。違いはというと、山盛りの野菜の上にそばを置き、さらにその上に豚のミンチを乗せます。この手順が一番の違いですね。これをひっくり返して、そばがぱりぱりになるくらいに焼きます。そしてできた「府中焼」の断面がこちら。ぱりぱりのそばとミンチが一体化して、とっても香ばしい食感で、これが府中焼の魅力ですね。今回ご紹介したお店はこちら。「酒」の暖簾が並んでいますが、東広島市の「酒蔵通り」にあるお店で、ノーマルなお好み焼きと、府中焼の両方を食べることができます。「お好み 真心ディズ 酒蔵通り店」です。酒蔵通りを観光の際には、おすすめです!
2021/10/29
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真っ赤なダリアの花びらの中に、小さなアマガエルがすっぽり収まっています。かわいらしいですね。結局、このカエルは、少なくとも5時間はこの場所にいました。ブログで何度もご紹介していますが、私の父の育った家は、島根県と山口県の県境に接する「吉和村」。これは、集落の共同墓地から見た村の風景です。稲もしっかりと実って、稲刈りもうすぐの、美しい農村風景ですね。「吉和」は、平成の広域合併で、廿日市市の一部になっていますが、村の主要部は標高600mで、広島で三角州を形成する、太田川の源流になります。で、ご当地マンホール。すでに、朝夕はかなり冷え込む日もあるようですが、お彼岸からさらに冷え込みが始まって、山々も紅葉し始めます。いよいよ、秋ですね。
2021/09/24
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土曜日、田舎の畑の手伝いに行く途中、すでに彼岸花が咲き始めたことに気づきました。例年より少し早めの印象です。一年の内大半を球根として地中で過ごしているので、この季節以外はどこにあるのかさえ分からないのですが、お彼岸が近づくと、突然真っ赤な花を咲かせますし、しかも、群生しているところが多いので、目立ちますね。この時期、田んぼの周辺では「草刈り」がピーク。稲刈りを控えて、夏の間に伸びた田んぼの周りの障害物をなくすことは重要ですね。その際、伸び始めた彼岸花も一緒に刈り取られるはずですが、そこから一気に伸びて、周囲の草が無くなったところに、真っ赤な花が咲き乱れると、なかなか見ごたえがあります。最初の写真は、昨日、廿日市市原地区で撮ったもの。あちこちで伸び始めた彼岸花を見ましたが、全体的な印象は「咲き始め」。おそらく、今週末の連休から、お彼岸くらいが見ごろになりそうです。葉もなく、すっと伸びて、茎の上に大きく真っ赤な花を咲かせる様は、見ようによっては「ろくろ首」のようにも見えますし、周囲に伸びたおしべとめしべは、蜘蛛のようでもあります。そしてまた、花弁の妖艶ともいえる曲線美と真っ赤な色。そして、お彼岸の季節になると、いきなり先始める・・・・・。昔の人があの世とこの世の間に咲いているイメージを持ったのも理解でします。また、強い毒性もあって、球根を誤って食べたりすると、命にかかわることもあるとか。お彼岸でお墓参りをされる際には、そのついでに、彼岸花鑑賞でもいかがでしょうか?日本各地に、彼岸花が群生し名所となっているところがありますね。広島だと、三次市吉舎町のヒガンバナが有名ですが、私は行ったことがありません。広島県の西部に近いのは、島根県吉賀町のヒガンバナですね。⇒島根県 吉賀町 「ひがん花まつり」
2021/09/13
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