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エジプトで無政府状態が続いているようです。メデイアでは報道されていますが、我国とは直接には強いつながりが有るわけではなく、遠方のことでもあり、小生もそんなに関心が強く無かったのが正直な所です。もともとはチュニジアの政変から始まったようですが、共通しているのはムバラク大統領に代表されるような、国民を長期にわたって強権で抑圧してきた首長を排して、より民主的な政治体制に作り替えようとする民衆の意思が示されていると言う事で、いわば庶民が立ち上がった民衆革命だと言える事です。エジプトの場合はムバラク氏の表面糊塗策に反対して、元国連の原子力機関の代表だったエルバラダイ氏が立ち上がり、革命勢力も彼を支持して収拾がはかられようとしているかに見えます。あまり我々日本の庶民は知らないことですが、ムバラク氏のような強権政治家の多くは、対共産圏勢力の維持強化を目論んだ米国の支援を受けたいたようで、それを知る関係諸国の民衆は反米感情もかなり強く持っているようで、オバマ米大統領も頭の痛いことがまた増えて大変です。コンピュータとITの発達は知的な庶民を増やし、情報を飛躍的に増大させました。その結果、まず若者の意識が変わり、現状を打開して民主的な政治体制に変革する必要を多くの人が明確に認識したことが、強権政治家の追放を訴える運動になったのですから、これらの運動はいわば必然的なものだと言えるでしょう。強権国家と言えばまだ北朝鮮が残っていますが、こちらは徹底した言論統制が行なわれていて、国民が知る権利を奪われているため、エジプトのような動きは今もありません。しかし、目には見えないとは言え、北朝鮮にも反政府の意思表明をしている人は居る様で、ときどきメデイアで報道されることがあります。いずれにせよ現代社会とは無縁な封建的独裁強権体制が長続きする筈が無く、例外といえる北朝鮮でも必然的な動きが無いわけでは無いようです。抑圧され続けた民衆が政府と軍隊に対抗して立ち上がることが出来るでしょうか?それは何時になるでしょうか? エジプトの動きを見聞きして思うことでした。
2011.01.31
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私事で恐縮ですが、昨年末12月20日に「脳は目覚める!ナンプレ厳選101」を出版致しました。幸いまずまずの売れ行きのようで、一ヶ月も経たない今月中旬に重版が決定し2刷分がいま増刷中です。初版はわずか千部でしたから地方には殆どまわっていない状況で、多数の知人諸兄姉から本屋に無いという連絡がありました。千葉の三省堂や大阪の堺あたりの書店には在庫があったようで、買ってくれた友人や奥さんから、いま夢中になってやっていると言う連絡があり、ありがたいことで喜んでおります。恥ずかしい事ですが巻末の解答欄の中の、N0.071の解答に誤植があり、重版分からは訂正されています。書店では多数のナンプレ本が並んでいて、いずれ劣らぬ難問揃いのようです。小生の作った問題は易しすぎた可能性もあると思っていますが、どれだけ買っていただいた方方のご期待に沿えたか心配です。今後また出版の予定は無いのですが、それでもチャンスがあればと思い今も作成に取り組んでいます。なかなか難問が出来ず、問題完成の土壇場で容易になってしまいがっかりする毎日ですが、たまにひょっとするとと思うこともあり、これまでに2問、論理だけでは解けない問題が出来ました。世に問う機会があると良いのですが!
2011.01.30
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先日プロの合唱指揮者4人が集まって、手兵の合唱団を指揮する演奏会があり、義理もあって止むを得ず聴きに行きました。指揮者の方方はそれぞれ著名な方らしく、会場から声援がとんだりして人気の高さが窺われ、出演した団体もそれぞれの指揮者が選んだだけに技術的なレベルが高く、中にはメンバーに音大の声楽科出身者が多数含まれているような感じの団体もありました。演奏された曲目は、さすがにそのような方方の演奏会だけあって、全て現代日本の作曲家の作品ばかりで、小生は始めて聞く曲ばかりでした。歌うのが難しくかつ聴く者にも難解な曲が多かったのですが、いずれもそつがなく見事に歌われたように思いました。実はこれからが問題なのです。小生はなかなか見事な演奏だとは思うのですが、どの団体の演奏にも、心を打たれるとか、感動するとかの通常感じる事が多い合唱の醍醐味を感じる事が出来ませんでした。曲の所為なのか、指揮者の所為なのか、なぜなのかその時は自分でも理由が判りませんでした。演奏会が終わって数日、いろいろ考えてみたのですが、小生が最終的に出した結論は次のようなものでした。即ち、あの演奏会は4人の指揮者の方方のための演奏会であり、どの合唱団も指揮者=先生のために歌ったのであって、聴衆のために聴衆の心を打つことを目的にして歌っていないのではなかろうか、ということです。実際にどの団体のメンバーも指揮者の方を向いて歌っていて、聴衆のほうを向いて歌った団体は無かったように思いました。小生は今は休団中ですが、教えを請いご指導を受けた田中信昭先生は、常に言われました。「私を見ないで下さい!聴衆の皆さんを見て、聴衆の方方の心に訴えかけなさい。私の姿は視野の隅に入れておけば十分です!」このような田中先生のご指導に慣れたいる小生の耳には、大変上手な演奏であっても、自分達に働きかけてこない演奏に対して違和感を持ったのだろうと思ったのです。実際に演奏が聴衆の心を打つということと歌唱技術とは当然無関係では無い筈ですが、歌唱技術の高さだけでは、心に響く歌を歌えるとは必ずしも言えない訳で、田中先生はそのことを我々に教えられたのだと思います。そのように思うとこの演奏会は田中先生の教えを身に沁みて感じられた演奏会になったのでした。
2011.01.29
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今の民主党政権の問題点は多々ありますが、中でも最大の問題点は世界の先進諸国がすべて目指している小さな政府を目指すのではなく、むしろ逆に大きな政府を目指しているかに見えることでしょう。これはいろいろ考え方の違う人々が集まっていて、妥協の必要があることも一因ですが、むしろ旧ソ連の崩壊が示した社会主義官僚体制の行き詰まりと崩壊を十分に理解できず、また日本の官僚組織が他の国に比較して優秀な面があることも影響して、大きな政府の弊害が十分に認識できていないことに大きな原因があるのではないでしょうか? そして管首相・鳩山前首相などの理科系出身の政治家が、政治経済法律など社会系の理論と実務に疎い事もあって、いたずらに政府予算を増やし、増大する社会保障諸経費の財源を十分に確保する努力をせずに、増税に走ろうとしているのです。これはとんでもない話で、彼等無能な政治屋が悪質な官僚達の罠に嵌められ、現状の改革に不可欠な官僚の削減の必要性から目をそらされ、増税で財源を確保せざるを得ないように仕向けられているのです。今日の日経朝刊の経済教室にも書かれていますが、日本に限らず先進諸国は殆ど高齢化する国民の生活保障という問題に直面しており、増大する社会保障費の財源は小さな政府の体制を確立して、役人の人件費を大幅に削減することにより確保しようとしているのです。我国の官僚組織が膨大なムダを抱えている事は国民の殆どが認識している事であり、中央官庁だけではなく地方公共団体の役人の数も実際に必要な人数の数倍である事は、民間企業で効率の良い組織運営に携わった者なら誰でも判る事です。行き詰まった我国の再生の実現、現状を打開し停滞・沈滞・衰退から進歩・向上・発展に切り替える施策は、まず役人の人件費の大幅削減による小さな政府の実現から第一歩が始まるしかありません。我々が知った旧ソ連、旧東独、そして北朝鮮その他大きな政府の国の実態は、小さな政府の必要性をハッキリ示しています。役人の大幅削減、政府の予算から人件費を大幅に削る事こそ日本再生のカギである事を確認し、政府に要求しましょう! そして選挙に活かしましょう!
2011.01.28
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Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen という Orchestra の Beethoven の交響曲全集が DVD で発売されました。第一ヴァイオリンが6人、ダブルベース3人、2管編成と言った規模で、通常の楽団に比べると7割くらいの数に見えましたが、ダブルベースは通常7~8人は居るので半分以下になります。特長は独墺系の Orchestra には珍しく、表情豊かに懸命に演奏していることで、感情を全く表に出さず、済ました顔というか無表情で演奏する Wien や Berlin の楽団に比べると、非常に好感が持てます。もっともこれも好き好きで、無表情の演奏の方を好む方も居られるかもしれませんが。小澤征爾氏の指揮で演奏する多くの楽団が、表情豊かに懸命に演奏することは良く知られていますが、Bremen の指揮者はエストニア出身の Paavo Jarvi でした。実は小生の好みは大楽団の大音響なのですが、やはり第7交響曲などでは終楽章のホルンを中心にした響きが物足りない感じでした。せめて最小でもホルンが6本は欲しいと言うのが気持ちです。弦楽器は全身を懸命に使って弾いている感じでまさに熱演でしたが、表情やひたむきさに好感は持てるものの、個々人の声量が豊かな少人数の合唱団と同じで、全体の音の厚みが薄いため、大 Orchestra の響きを聞きなれた耳にはやはり物足りませんでした。しかしこういう演奏もあるのだと言う事はよく判り、会場を埋めた満員の聴衆の盛大な拍手と暖かい表情が、この演奏に非常に満足して居られる事を示していて、実際に生で聴いている迫力は、DVD で見て感じる以上に強いのだろうとも思いました。
2011.01.27
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若い時は抜群の冴えた頭脳の持主だったのに、引退と共に急速に老化するのが表面化する現象は、まず思い込みの固定化から始まるようです。思い込んだことが理屈抜きで行動に出るので、第三者からも判ります。一つの例ですが、初めてのところに行くのに、詳細な道案内のメールをしました。次のような内容です。「K駅の改札口を出たら、左側に向かって歩いて下さい。大きなショッピングセンターの入口直前の左側に上り下りエスカレータがあります。それで下に降りてそのまま直進し、交差点でもまっすぐ行きます。約3分で道路右側にコンビニF店、牛丼Y店、Y信用金庫と続き、N不動産のところで中幸町4丁目交差点になります。ここで右折します。右折して少し行くと道路左側にスーパーB店があり、さらにそのまま進むとM中学正門があります。ここで左折します。」これまで多数の人に同内容のメールを送り、殆どの人は迷うことなく目的地に着いています。間違った事例は4件ですが、そのうち3件は「N不動産のところの中幸町4丁目交差点で右折します」というところを「右折せずに中学校を探した」というものでした。つまり「交差点で右折する」と言う個所よりも「中学校がある」という説明の印象が強く「中学校がある筈だ」と思い込んで、右折を忘れて直進して中学校を探すのです。当然中学校は有りませんから迷ってしまいます。そのうちの一人は、わざわざ「右折する交差点で間違って直進する人が居るので要注意」と明記してあるのに右折しないで中学校を探していました。思い込みがいかに人の行動を左右するかは、恐ろしいほどです。もちろん皆さんは、道案内で重要なことは、何処でどちらの方向に行くかをハッキリ認識する事だと言う事をお判りでしょう。ここで間違えた人は全員がちゃんとした学歴と経歴を持つ立派な社会人で、共通点は70歳前後の年齢だということです。ボケの兆候など全く見られない人ばかりです。実は残る1件の間違いは、駅の改札口を出たら左側へと言うところを右側に行ったご夫婦でしたが、これは単なる勘違いだったと思われます。メールをプリントアウトしていても、持っているだけでは勘違いや思い込みを防ぐ事は出来ません。このほかにも極めて強い思い込みの事例は無数にあります。行動だけでなく言動にも影響します。高齢者への無法な押し付け販売や騙し商法は、多くがこのような思い込みを利用しているとも言え、われわれが自分の頭の硬さをもっともっと反省し、気をつけねばならないことを教えています。
2011.01.26
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最近、昔の仕事仲間と話をする機会があり、チョット驚いた事があります。彼は当時非常に優秀で、頭はむしろ切れすぎの感があり、先が読めるので仕事が早くしかも的確でした。旧帝大の後身の某国立大の経済学部出身で、さすがと思って居ましたが、その後小生の転任で職場が別れ、どういうわけかいろいろ苦労をしたようでした。仕事はファッションの仕入れと販売と言う難しい仕事で、頭の良さよりも動物的な感覚が必要とされる分野でしたが、彼は非常に優れた成績を上げていたように思いました。それがどういうわけか全く別の金融関係の仕事に転任になってから公私共に苦労が始まったようでした。それから30数年が過ぎ、彼も小生も老いたわけですが、その間の彼については年賀状のやり取りだけで詳しい事は知りませんでした。ところが驚いたのは話していて彼の頭脳がかなり老化している感じなのです。具体的に言うと彼はナンプレという言葉を始めて聞いたようでした。そして、クロスワードという言葉を前から良く知って居たので、クロスワードに似たパズルだと思ったようです。それが、話の途中で何時の間にかナンプレと言う言葉が抜け落ちて、クロスワードという言葉に代わってしまうという結果になって現れました。これにはビックリしました。これは一種の老化現象ではないかと思い、かつての優秀な頭脳がどうして?と思ったのでした。この続きはまた別の機会に書きたいと思います。
2011.01.25
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厚く切ったお刺身と薄く切ったのとでは、どちらが美味しいと感じるかと言うのが今日のテーマです。これは人によって好みが分かれると思いますが、小生は薄切派です。自分で考えてみて明確な理由はないのですが、強いて言えば子供のころ、飢え渇えていた昭和20年代に、苦労していた両親が無理してごくたまに食膳に上ったお刺身が、ほとんど全部薄く切ってあったのが記憶に残っていて、美味しいと感じるのかもしれません。昭和28年8月に初めて上京し、予備校の夏季講習に通ったのですが、当時は外食券と言う妙なものがあり、小生は持っていませんでしたので、食事は朝晩下宿で出される粗食に限られ、昼は売価10円のコッペパン1個でした。なにしろそれまで外食の経験は殆ど無く、両親が苦労しているのは判って居ましたからお金を使うと言う事にかなりの罪悪感があり、無駄遣いなどとんでもないと思っていましたので、遠慮なく外食するようになったのは、就職してサラリーマン一年生になり額面14,600円の給料を貰ってからでした。それでも当時はアルコール類は飲みませんし、熱心に仕事をして進んで残業をしていましたから夕食は会社支給のご馳走で、外食の機会はあまりありませんでした。小生は喫煙はしませんので、給料日の前日でもまだ3千円ぐらいは残っていました。昭和35年5月に結婚し家内も勤めていましたから経済的にはかなり余裕があり、当時は半日勤務の土曜日に待ち合わせて、二人で夕食を外食にしたのがおそらくはじめての外食習慣で、一種の贅沢でした。しかしメニューは殆どが肉系で魚は食べなかったように思います。その後数回転職して、34歳で落ち着いたのですが、お刺身を食べるようになったのはそのころだったのではないかと思います。しかし食べるのはほとんど鮪の刺身で、白身をたまに注文する程度でした。鮪のぶつ切り(ブツと言いました)を知ったのもこのころです。考えてみると、自分から進んでお刺身を食べるようになったのは、それから十数年経った50代になってからではないかと思います。当時千里ニュータウンのお店の中に、今はもうありませんが、とびきり美味しい魚料理を出すお店があり、小生などより年長の諸先輩で混みあっていました。なにしろ東亜同文書院出身などという戦前戦中のエリートの方を始め多士済々で、教えられることがたくさんありました。ここで本格的なお刺身の美味さを知ったように思います。ブツも有りましたが白身の薄切のお刺身は、いま思い出しても美味でした。首都圏に転勤してからしばらくして退任後、一度千里まで行ってみたのですが、当時の良いお店は一軒も残っておらず、昔の繁盛ぶりが嘘のようでした。どうしたのだろうかと思いましたがスグ気がつきました。時の経過は厳しいもの! かつて飲み屋の繁盛を支えていた諸先輩方も殆どがこの世を去られ、壮年期だったニュウータウンの住民も高齢化し、その分小生も歳を取りかつての先輩方を超える年齢になっていたのでした。80代を目前にしたいま、食欲も昔のようではなく、分厚く切ったお刺身よりも口にほど良い大きさの薄切の方を美味しく感じるのは当然の事かもしれません。
2011.01.24
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映画しか無い時代、クラシック音楽の指揮者が実際に指揮をする機会を見るのは生演奏に殆ど限られていました。例外は「オーケストラの少女」「愛の調べ」などのいわゆる音楽映画でしたが、数が少なくいわば例外的なケースで、白髪の Leopold Stokowski の指揮を当時としては珍しく視聴できて、指揮棒を使わずに大楽団を自由に指揮する彼の姿は、他の指揮者の指揮ぶりを見ることの無い人々には、まさに華麗で濃厚な音楽作りとして強い印象を残しました。なにしろ飛行機が一般的な移動手段ではない時代ですから、外国の指揮者の指揮を見る機会など滅多に無く、映画の Stokowski の例などは極めて少ない例外で、音楽評論を職業にしていた人も、静止画像と音だけの録音を聴くだけで、あとはせいぜい楽譜を見て考えるだけしか判断材料は無かったはずです。したがって静止画像とは言え指揮者の風貌が音楽を聴く者に与える印象は、霞の彼方から聞こえるような雑音の多い不完全な録音を聴くときに、今よりもはるかに大きな役割を果たした可能性は否定できないと思われます。今は故人となった著名指揮者の中では W.Furtwaengler の知名度が高く、残した録音の印象も強いようですが、彼の実際の指揮ぶりを見た経験のある人は今では殆ど現存せず、指揮の映像も仮に残っていても部分的で不完全なものの筈で、彼の指揮は音を聴いて推測する事しか出来ません。その点はかなり映像を残している H.von Karajan や L.Bernstein、C.Kreiber などとは全く違うと言えるでしょう。K.Boehm も映像は残していますが、彼の指揮はどういうわけかあまり印象に残りません。G.Szell、F.Reiner などはやはり残した少ないモノクロ映像で見ることが出来ますが、カラーの鮮明な映像と現在の進んだ録音と比較すると大差があります。しかしそれでも残してくれていることに感謝しなければならないでしょう。この二人は極めて厳しい指揮者と言われていたようですが、モノクロの古い映像でもその厳しさは伝わってくるように思われます。このように考えてくると、Furtwaengler の指揮がどのようなものであったか興味が増しますが知る術は無く、録音から想像するしかありません。夜目遠目傘のうちというのは顔を知らない女性が美人に見える条件だそうですが、失礼と非難を承知で言えば、指揮振りを知らない指揮者の指揮が名演奏に聞こえる条件は「大きな目のハンサムで知的な顔、古い録音」なのかも知れません。
2011.01.23
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日本相撲協会を、なんとか公益法人にしようとして有識者の委員会がご苦労をなさっているようです。ところがその委員達の相撲への強い愛情を知ってか知らずにか、肝心要の親方達から強い反対意見が出て、中には無理して公益法人にするよりも現状のままで一般法人になれば良いと言う意見もあるとのこと。これは今の日本相撲協会が全く公益性を欠いていて、実質的に公益法人足り得ない実情を親方達が認識している事を示しています。ファンの代表ともいえる有識者たちがいくら相撲を愛していて、相撲を日本の国技だと言う一種の幻想を具体化しようとしても、実際に相撲を取ってきて、相撲という特殊な社会の実情を熟知し、相撲で生活してきて今後も相撲しか無い人生を歩んでいる親方達が、自分達の実状を踏まえて一般法人で良いというのは正論と言うべきではないでしょうか?大相撲は興行です。見世物・催し物です。何時のころか相撲を日本の国技だなどと勝手に称していますが、そのような決まりも規定も法律も無いわけで、現状を見ても実質的に「日本の国技」などと言える状態では無いことは確かです。ここは親方達の意見を入れて、無理に公益法人にせず、一般法人も営利を追求する株式会社として再出発すべきではないでしょうか? 商号は大相撲興行株式会社とし、国技の詐称は止めて国技館は返上し、ハッキリと相撲の興行で利益を上げる営利会社である事を表明すべきです。その場合、法律に触れず公序良俗に反しない範囲で、それこそ好き勝手な事が出来るわけで、桟敷席の問題やお茶屋の問題なども非難される理由が無くなります。結構なことではないですか!委員会の皆さんは、いずれも熱烈な相撲ファンでしょうし、相撲を愛する熱意抜群の方方ばかりと思われますが、幻想におぼれることなく、現実をしっかり把握して現実を踏まえた改革案を出すべきではないでしょうか?
2011.01.22
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中国の国内総生産が6兆ドル近くになり、日本を抜いて世界第二位になったそうです。新聞各紙もかしましく論じていますので皆さんも良くご存知でしょう。小生はお偉い評論家様や学者様があまり仰らないことをチョット申し上げたいと思います。中国の通貨は人民元ですが、以前から中国の国策として対ドルの価値が低く抑えられていることが指摘されています。もし人民元が本来のあるべき価値のレベルに「元高」になっていたらどうでしょうか?6兆ドルよりはるかに高くなるのではないでしょうか?つまり今年中国が日本を抜いて2位になったと言うのは人民元を異常な割安に換算しての事で一種の数字の魔術と言え、実際の国内総生産はとっくに数字の上では日本は中国に抜かれていたのではないでしょうか?経済大国中国の姿は、大富豪の続出と言う形でも報道されています。彼等は自動車を三台以上保有し、大金を持って来日して高額品をごっそり買い占めるだけでなく不動産もあちこち買っているそうです。かつての万元戸はいまや三桁も増えて千万富豪と称するとか! しかし中国人の大半を占める農民達の実状は、彼等の陰に隠されてしまっていることも報道されていて、彼等の年収は僅かに4千元程度だとか言われています。これが事実だとしたら中国は大変な社会問題を抱えている事になります。この格差は日本で良く問題にされる格差とは全くレベルが違う大きなものですから、大きな社会変動をもたらす特大の火種になる可能性を持っています。当然中国政府はそのことを理解しており、中国の国民を抑圧するかにみえる諸政策は、少数民族が抱く政府への不満を抑圧するだけでなく、虐げられている農民の不満が暴発するのを抑えるという、極めて重要な意味を持っているのです。かつての共産大国ソ連は崩壊してロシアになりました。しかし中国は未だに実態は共産国のままで、経済面で一種の妥協をしているだけですから、共産国の弱点をそのまま持っています。非能率・非効率で腐敗し易い官僚制度、賄賂の横行と個人的な好悪や親族優遇の人事、私利私欲中心の仕事、指示が無ければ何もしない横着で無能な管理者、などなどお役人の最悪の状態が共産国の実情であることは、口には出されず、書かれる事も無いものの、経験者は良く知っていることにほかなりません。大昔にマルクスが指摘した資本主義の問題点が、いまや彼の説を支持しているはずの共産国で、如実に現れているとはナンと言ったら良いでしょうか?経済大国とはこのような大問題を抱えて四苦八苦している国でもあるのです。ただ我国の政治家達を見るにつけ、中国の政治家が表面はともかく実際には死に物狂いでいろいろ頑張っているのを、少しは見習って欲しいと良く思います。中国政府は確かに中国国民を、言論その他いろいろな面で抑圧しています。しかしそれは中国の政治家が自国を愛し、自国のために不可欠と考えて、自国が暴発しないよう努力していることを示しているようです。その良し悪しはともかく、日本の政治家にも日本を愛し、日本の国民のために(自分達のためにではなく)必死で頑張って欲しいと思うのですが・・・・・・・!
2011.01.21
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ナンバープレイスの本も、いまや書店の店頭に多数並んでいます。そしてその殆どが超難問を売りにしているようです。コンピュータで作るような別格の人は別にして、小生のような手作り作者の場合は超難問は作るのが難しくなかなかできません。だから売りになるのかもしれませんが、ファンに聞くと超難問のファンはそれほど多くは無いように思えます。実際に、小生が作った比較的容易な問題でさえ、貴方の作った問題は難しすぎると何度も言われました。中には難問は睡眠薬になると言う女性もいました。彼女達は新聞に掲載された作品を時間をかけて解くようですが、難問はイヤで途中で止めるという人も結構居て、ナンプレ本の超難問ブームが不思議に感じられます。では、超難問とはどんな問題を言うのでしょうか? まず言えるのは、問題を最初に見たときに、どこから手を付けたら良いか判らないというケースが挙げられます。最初からどうしたら良いか判らないわけで、ショックも大きく効果的だと言うことが出来ます。二つのタイプがあり、一つは一箇所または二箇所の暫定的に決められる場所を見つけると解けるタイプで、暫定的に決められるということの意味は、例えば3箇所の空きマスに3種の数字が入ることは決まっているが、個々の数字の入る場所は未定ということです。そしてその3箇所は入ったものと仮定して他の空きマスを先に決めていくのです。このケースは非常に多く、複雑に構成されているとなかなか判りません。しかし作るのもなかなか難しいと言えます。もう一つのタイプは、50~61個ある空きマスの中で一個所だけ論理的に一つの数字しか入らないようになっている場合で、作るのは比較的容易ですが、解く方はそういうタイプの問題ではないかと気付かないとなかなか解けません。それに気付いて最初の手が判れば、後は容易なのが普通ですが、その後もいろいろ難関が控えて居るようなら優れた超難問と言うことが出来ます。次に超難問と言えるのは、中途で論理的に解けない個所が出て来るケースです。殆どが次のようなタイプです。すなわち、二箇所の空きマスに二種の数字が入ることは確定しているのですが、どれがどこに入るのか論理的には決められず、偶然性に頼ることになります。従ってどちらかの数字を任意に入れて最後まで解ければ正解、中途で行き詰るか問題として成立しなくなる場合は間違いで、もう片方の数字が正解ということになります。このタイプは、多くが両方とも正解になってしまい問題として不成立になるため作るのも難しく、しかも偶然性に頼るという事は、ナンバープレイスの論理の遊びという特性に反する事にもなり、ある意味では邪道という非難の対象にもなります。難しいものです。いずれにせよ超難問作りをテーマに、今日もいろいろやってみます!
2011.01.20
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Bernard Haitink は1929年オランダ生まれの指揮者です。日本では独墺系の指揮者ばかりがもてはやされる傾向が強いので、あまり話題になりませんが、英国と母国を中心に活躍し極めて高い評価を得ています。1974年にBBCで放送されたライヴ映像が DVD で発売されていて、このほど視聴する機会がありました。演奏はお馴染み London Philharmonic で Beethoven の序曲 Egmont と Vladimir Ashkenazy のピアノの「皇帝」協奏曲です。このとき Haitink は45歳で指揮者としては若手と言えますが、なんと髪の毛は横鬢に僅かに白髪が残ってはためいているものの、殆ど頭はツルテンです。さすがに顔は結構若々しいのですが、なんと言っても一見したときの雰囲気は頭と髪の毛に左右されます。静止画像ではしばしば見ているのですが指揮ぶりを映像で見るのは小生も始めてでした。Egmont 序曲が始まってすぐにビックリしました。予想もしなかった動きの激しい指揮なのです。これは音だけのCDを聴いていたのでは絶対に判りません。これまでに彼の演奏をどれだけ聴いたかは覚えていませんが、CDで演奏を聴いた印象としては、どちらかというと中庸を得た温和で穏やかな演奏というイメージを持っていました。ところが映像を見たらとんでもない! Oechestra の各パートを見据えて、これでもかこれでもかと力を込め、もっと弾け、もっと吹け、もっと鳴らせと言わんばかりの、激しい動作を伴った猛烈な指揮で、ホントに驚きました。これは協奏曲でも変わらず、ピアノだけの独奏のときは動作が止まりますが、管弦楽の指揮は Egmont のときと同じですさまじい動作付きでした。時は経ち、彼も80歳を超しているはずですが、今の指揮はどうなのでしょうか?まだ健在の筈なので、是非一度生の指揮ぶりを見てみたいと思ったのでした。
2011.01.19
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小生の住む川崎駅西口大通り周辺には、現在牛丼屋は一軒しかありません。以前は松屋が有り繁盛していたのですが、入居していたビルが建て替えるため閉店し、吉野家だけになったのです。松屋が閉店する前はガラガラだった吉野家は、ライバル店が無くなったため息を吹き返した感じで、早朝などは朝帰りの労働者やトラックの運転手さんたちが結構食事をしています。店舗はいろいろある東口には駐車する場所が無く、西口大通りも駐車禁止なのですが早朝は実害が少ないので警察も煩く言わないため、吉野家の前に駐車して食事をするわけです。しかし280円の牛鍋丼を発売して客数が戻ってきたと言う報道が有りましたが、吉野家の現状は、小生が見る限り、まだまだ松屋やすきやとは大差があるように思えます。昨日15時まで通常360円の牛丼を270円にしていましたが、味噌汁50円を追加すると320円です。これでは松屋の牛めし(味噌汁付き)の通常価格280円よりもまだ40円高いのです。では味のほうはどうかと言いますと、近所のスーパーの女子従業員の話では、朝市の早出の時にいつも松屋で朝食を摂っていたが、松屋の閉店後一度は吉野家に行ったものの美味しくないので、今は100円ローソンでおにぎりを買いお店でお茶を入れて朝食にしていると言う事でした。小生の意見も彼女たちとほぼ同じです。まずご飯が僅かの差ですが松屋の方が美味しかったように思います。牛についてはあまり差が無く、納豆定食の場合ですと、生卵の鮮度が客数の多い松屋の方が良く、味付け海苔は明らかに品質が松屋の方が上でした。松屋無料、吉野家有料の味噌汁は味・内容とも互角ですから無料の方が当然客には歓迎されるわけで、吉野家の方が支持される理由は一つも無いのが実状でした。吉野家の従業員は、よほど煩く言われていると見えて、言葉遣いなどはマニュアルどおり丁寧で一所懸命ですが、勤務が長続きしていません。アルバイトを常時募集中でしょっちゅう入れ替わっています。あまりにも煩く言われるので嫌気がして続かないのだろうと推察しています。今の吉野家を見ていると、かつての松屋の明るい雰囲気と和やかなベテラン店員の言葉遣いや姿勢態度がなつかしく思い出されます。吉野家の今の経営者は良くマスコミに登場されるようですが、お店のこの現状を知っているのでしょうか? このままでは松屋が店舗を再開し、ゼンショーがもし店を作ったら、今の吉野家は惨敗して閉店に追い込まれる事は火を見るより明らかです。鳥無き里の蝙蝠とは良く言ったものです。
2011.01.18
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小生は電話番号を公表していません。友人達にもなるべく電話せず Eメールで連絡するよう頼んでいます。電話は掛ける方の一方的な意思でつながるので、こちらがトイレに居ようが、風呂に入っていようが関係無しにベルが鳴ります。まして音楽を聴いている時や、パソコン相手に物書きに熱中しているときなどは、邪魔されて集中力が途切れてしまい迷惑千万です。ところが世の中には、そんなことには思いも及ばないいろいろな方方が居られ、特に銀行などの金融機関や、インターネット関係の申し込みなどではメールアドレスよりも電話番号を記入させられる事が多いのです。中にはメールアドレスを書かせてなおかつ電話番号を必須で書かせる例もあります。この間こんなことがありました。個人情報は他のことには使いませんと明記してあったインターネット関係の業者ですが、メールではなく電話で自分の会社の他の部門の営業活動で電話をしてきたのです。頭に来た小生は二度と電話して欲しくないとハッキリ言ったのですが、実にけしからんと思いました。ちょうど音楽を聴いていたときで、集中力が途切れただけでなく肝心の所を聞き逃してしまいました。まさに電話の暴力ですが、インターネット関係の企業は各種の連絡を電話ではなく全面的に Eメールにすべきではないでしょうか! また銀行など金融関係の会社もなにかと言うと電話番号を書かせますが、Eメールのアドレスでも良いようにシステムを変更すべきではないでしょうか? 少なくとも Eメールの方が時代に合っていると思います。 Eメールは受け手も自分の都合の良いときに見ることが出来ますし、送信者が相手が見たことの確認をしたい場合や必要な場合は、確認のための返信を求めれば良いわけで、カンタンに出来ますから少しも迷惑にはなりません。Eメールについては多くの会社がメールしてよいかどうか相手に確認するようになっています。電話番号を書かせるのを習慣にしている会社の関係者もこのように、少なくとも電話での連絡を拒否できるように、電話をして良いかどうかも書かせるようにすべきだと思います。
2011.01.17
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2000年に亡くなった Wien のピアニスト F.Gulda が1966年、36歳の時に Wien 楽友協会大ホールで George Szell 指揮 Wiener Philharmoniker と共演した「皇帝」協奏曲のモノクロDVDを視聴しました。名指揮者 G.Szell はこの演奏の4年後の1970年に亡くなっています。まず若き Gulda の演奏中の姿勢と、ピアノの音の素晴らしさに驚きました。音だけのCDやLPを聴いただけでは、演奏中の表情や姿勢は全く判りませんから、前かがみになって鍵盤に食いつくような姿勢で弾く姿を始めて見たのです。これまではどちらかと言うと中庸のピアニストという印象を持っていましたが、全く違って見えました。なぜか音もCDで聴いた音よりも輝きを増している様に思えました。半世紀近く前の録音ですから、現在の優れた録音とは音が違う筈ですが、聴覚だけでなく視覚も加わって視聴すると音も違って聞こえるのでしょうか?次に George Szell の厳しい指揮ぶりにも驚きました。彼の指揮を見るのももちろん始めてで、非常に厳しい指揮者と言う話は聞いていましたが、演奏中の表情がこんなに厳しい指揮者を始めて見ました。いまこんなに厳しい表情で指揮する人は居ないのではないでしょうか。演奏する楽団員は、独墺系の楽団に良く見られる無表情の顔で、良く言えば自信満々、悪く言えば「知らぬ顔で」演奏していましたが。小生は、あまり昔の演奏を今の演奏よりも良いとは思わないほうですが、この演奏だけは素晴らしいと思いました。考えてみれば、このDVDに写っている人は演奏者も来聴者も殆どが今は故人のはずで、そう思うとなにか厳粛な感じを覚えましたが、貴重な映像を残してくれて本当に良かったとも思いました。
2011.01.16
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落合博満氏の日本の野球殿堂入りが、今日の各紙で報じられました。どの新聞も、彼が昨年・一昨年と一票差で落選したため、今年の殿堂入りになったことを報じています。各紙とも彼の殿堂入りが異常なほど遅れた事を認めているわけです。ご承知の通り、殿堂入りはマスコミの担当記者の投票で決まるのですが、このことは落合氏が、一部の記者達に人気が無いか好意を持たれていない事も示しているわけで、各紙ともいわゆるオレ流を貫く彼の態度が、一部の記者に反感を持たれていたことを何らかの形で表現しています。これらの事はいろいろな問題点を示していますが、ここでは問題をイチロー選手とも共通している「オレ流」の姿勢・態度について絞ってみたいと思います。イチロー選手もそうですが、落合氏も記者たちに好意を持たれる様にリップサービスをしたり、迎合するような態度・姿勢をとらないので有名です。オレ流という言葉の意味は対マスコミの姿勢の問題だけではないのですが、他の選手や関係者がどちらかと言えばマスコミよりの、記者たちにサービスすることが多いので、この二人は目立つのです。しかし、だからと言ってマスコミ関係者がイチロー選手や落合氏の実績を、勝手に低く評価する事が許されるものでしょうか?小生は、記者たちがこの二人に質問する場面をたまに見聞した事がありますが、この二人に共通しているのは、不勉強と思われる一部の記者が、チョット見当違いやオカシイと思われるような質問をしたときに、返事が非常にぶっきらぼうなものに変わると言う事でした。イチロー選手も落合氏も卓抜な頭脳の持主だけに聴き手の不勉強や、相手の事情に配慮しない質問、野球に無関係な場違いの質問に対しては、明らかに態度を硬化させる感じが見られます。小生はこれは質問する方が悪いのではないかと思いました。そうでなくても「マスコミの横暴」と言う言葉あるように、記者たちが自分達に都合の良い話だけを抜き書きにして、相手の話した真意とは全く逆の報道をしたりすることが非常に多いことは、知る人ぞ知るで経験者も決して少なくはありません。現代社会ではマスコミ関係者は一種の権力者であり、特に取材記者たちは、コミュニケーションの内容を操作することができるペンという凶器の持主でもあるのです。日本の野球殿堂入りのことなどは、野球関係者以外ではたいしたことではないかもしれません。本家本元の野球の殿堂とはだいぶ格が違うのも事実でしょう。しかしたとえそうであっても、一部の記者が自分の好き嫌いなど個人的な次元の問題で、スポーツ記者の公的な立場を忘れて行動することが許されて良いものでしょうか? もちろん許されるはずが無いから各紙も報道したのだと思いますが。多くのテレビ番組の馬鹿げた内容もそうですが、最近のマスコミの無知無能と横暴ぶりは明らかに限界を超えているように思われます。我々庶民は自衛手段を確保する必要があり、そのようなマスコミの腐敗・堕落振りを糾弾すると共に、一部に残っているであろう良心的なマスコミ関係者に、現状を打破し正常化するための努力をぜひお願いしたいと思います。
2011.01.15
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休肝日、文字通り肝臓を休ませる日で、小生のような飲兵衛には必須の日と言えるでしょう。長くても4日、普通は2~3日飲んだら翌日を休肝日にしています。小生より一回りほど若い人達は、小生の休肝日によく驚いて、自分には出来ないと言って、感心するのですが、若いから肝臓が頑張って居るわけで、そのうちに休肝日の必要性が判るのではないかと思います。実際に休肝日には全くアルコールは飲みませんが、まだアル中になっていない所為か、不思議に飲みたいとは思いません。家内の手料理でおとなしく夕食を食べます。献立はだいたい決まっていて、一汁一菜プラス昆布の佃煮、野菜の煮物とサラダが付け合せです。一菜は殆ど焼魚ですがオムレツの事もあり、寒い夜はどんぶりの豚汁になることもあります。休肝日の翌日は、気のせいかやや身体が軽く感じられ、頭もスッキリしていろいろやりたいことが進みます。何より良いのはその夜のイッパイが楽しみな事で、特別に美味しいような気がします。もっとも行きつけの肴の美味しい店だから良いのであって、会合かなにかであまり好みでない店に行かねばならない時などは、せっかくの休肝日の翌日なのに何で?と思うこともあります。特に鮮度の低い魚や、特長の無い安物の焼酎・日本酒などは口に入れる気がしません。止むを得ないお付き合いを済ましたら、サッサとなじみの店に帰り口直しをしますが、やはり空きっ腹に入れるのとは美味さが違います。それにしても世の中には味を気にしない人が多いのに驚きます。昨日は休肝日でした。夕食は鰤の塩焼きに野菜汁、野菜の煮物・サラダ、昆布の佃煮と言う定番で、珍しく麦飯(麦は二分くらい?)を美味しく食べました。今夜はどこで何を食べ何を飲もうか? これを考えるのが残り少ない人生の楽しみの一つです。飲兵衛の楽しみなどそんなものですが、これがまたこたえられないのです。
2011.01.14
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クラシック音楽のファンなら Pie Jesu と言えば Faure の Requiem の第4曲だとお判りでしょう。ソプラノが独唱で「主よとこしえの平安を与えたまえ」と祈る稀に見る美しい曲です。この独唱者に成人のソプラノ歌手を選ぶか、いわゆるボーイ・ソプラノを選ぶかで意見が分かれるのですが、作曲者 G.Faure は合唱部分の女声部にも男声を起用したとかで、この独唱者にも男声(ボーイ・ソプラノ)を起用するのを作曲者の意図に沿うものとして支持する声が結構強いのです。Requiem には Mozart や Verdi、Berlioz など名曲がいろいろありますが、Faure の Requiem はその美しさと内容・構成が他の作曲家と大きく異なり、独特の清澄な静的・内面的な美しさが多数のファンを魅惑しています。それを清浄なあるいは純真な美しさと理解して、そのような演奏を好む人が多いとも言えるかと思います。事実成人のソプラノ歌手でも、細く透明度の高い澄んだ声の歌手を起用している事例が録音でもあります。では、一流の成人ソプラノ歌手には不適なのかと言うと、もちろんそんなことは無く、古くは Suzanne Danco、Victoria De Los Angeles から近年では Lucia Popp、Kiri Te Kanawa、Edith Mathis、Barbara Bonney その他多数の歌手が録音を残していて、それぞれなかなかの名唱です。実は小生の個人的な好みと意見は成人派です。ボーイ・ソプラノの声を聴くと清純と言う感じではなく、未熟な声という印象が強く感じられるのです。これから成長していく子供が死者を悼み主に祈ると言う事も意味があるとは思いますが、やはり一人前の「罪深き」成人が神に許しと心の平安を求める方が、人間的にも宗教的にもより深い意味を持つように思うのです。同じ意味で、細い透明な声も良いけれども、豊麗な美声の方がより心を打つように思えます。音楽のことですから、どれが正しいとか間違っているとか言う事ではありません。どなた様にもご意見があり、どれもその方から見れば裏付けのあるお考えだと思います。小生の場合はこうなのですということです。数年前にマーキュリー・グリー・クラブが Faure の Requiem を演奏した時のソプラノ独唱は藤原歌劇団の小林厚子さんでした。彼女の日本人には珍しい声量豊かな美声は、まさに成人女性の代表にふさわしく、満場の聴衆の心を打ったようでした。
2011.01.13
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ニ木会という名前はあちこちにあると思いますが、小生が属している二木会は、学生時代の男声合唱団の同期の仲間達の会です。最初は第二木曜日に集まっていたのですが、今はマーキュリー・グリー・クラブの練習が毎週木曜夜に有る為、第二水曜の昼食会を毎月の例会としています。今日が本年最初の二木会で、いつもと違いドイツのフランクフルトから特別会員の舟木善麿先輩が出席されました。彼は我々が一年生のときの4年で合唱団の委員長兼ピアニストでした。もうじき80歳という歳なのに、東京オペラシテイ 小ホールでアマチュアながらピアノ・リサイタルを開くと言う凄い人で、現役時代はドイツ・スバルの社長だった関係で今もドイツ在住、ときどき訪日するという国際人です。二木会の特別会員は、舟木先輩の他に、一年上の武田先輩と岡本先輩、船津先輩が居られたのですが、岡本さんは亡くなられ、船津さんは病気がちで殆ど欠席のため、いま常時出席の特別会員は武田先輩だけで、彼には幹事長をお願いしています。なぜオレが?と武田さんは言うのですが「余人をもって代え難し」という他の全員の総意で、永世幹事長ということになっています。舟木先輩も、どういうわけか二木会を気に入っておられ、今回も明日離日という多忙な日程の中で、わざわざ時間をつくって出席されたのでした。めしを食って雑談するだけの会ですが、時間が経つのをいつも忘れるほどの談論風発が魅力の一つです。メンバー一人一人がそれぞれ個性的で、自己主張が明確なので、議論が絶えないのですが、お互いがそれぞれを認め合っているので和気藹々です。全員が現役時代は元社長、元重役、元局長・本部長などという肩書きでしたので、大人の集まりでもあるのです。これまでに岡本さんを含めて三人の物故者が出ましたが、今のところ小生が一番危ないようで、4番目になる可能性を否定できませんが、ナンプレ作りなどで無理にでも引き伸ばしたいと思っています。
2011.01.12
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Record や Video が湿度に弱いというのはいわば常識ですが、CDやDVDについて、みなさんはどのようにお考えでしょうか? かなり耐久性が高いとお考えの方が多いのではないでしょうか? 盤質、素材の質にもよると思いますが、録音やダビングをする時にも、まともに録音が出来ない粗悪な「なま盤」が以前は良くありました。輸入されたものにもかなりあったように思います。ところが録音して10年程度で変質したり、再生不能になる盤が結構あるのです。先日、古い録音の内容を確認する必要があり、10年ほど前のCD-R盤を2種類探し出しました。外見はきれいで変化が無いように見えましたが、一つは何回やっても再生不能になっていました。もう一つの方は無事でしたが、見ただけでは再生の可否など全く判りませんでした。以前 DECCA盤の Faure の Requiem のCDが変質したのを見つけたときは、盤に模様のように縞が入っていてすぐ判りましたが。この変質したDECCA盤は居間の棚に置いてあり、居間は冬は暖房したり加湿したりしますので録音盤の保管には良くない環境とは思っていましたから、さほど驚きませんでしたが、今回のCD-R盤は別室の多数の録音盤を置く専用の部屋の最上段の棚にありましたので、個人の自宅としては良い方の保管環境です。だから驚きもし、同時に作った録音のうちの一つは無事だったのですから、傷んだ方の盤質が粗悪だった可能性もあると思ったのです。CDの盤の話ばかりしていますが、実はLD盤も同じでCD盤に比べて大きいだけに変質も早いのではないかと思われるフシがあります。一部のLD盤が再生不能になったり、再生しにくくなっていたりしているのです。LDプレイヤーはいま入手し難いので、予想していた小生は以前から2台使っていますが、始め再生できなかった盤を、もう一度再生する前に柔らかい布で丁寧に拭いて再生すると再生した例があり、原因の一部が表面の肉眼では見えないなにかの変化である事が予想されます。いずれにしても僅かな化学変化の一種だと思われますが、光学的に再生を阻む原因が生じている事になります。早めに再生機会があれば拭くことが出来ますが、長年再生せず保管したままだと変化が進み、布で拭いても再生しなくなる可能性が高くなります。高価なものだっただけに早く変質するのには腹が立ちますが、メーカー側もおそらくこんなに変質が早いとは気付いていなかったに違いありません。10年なんてアッという間ですから、その倍か3倍、せめて2~3拾年は耐久性があると予想していたのではないでしょうか。人間は自然の力には弱いものです。人間の作った録音盤は自然の力の一つである湿度の高さには無力のようです。もう人生のカーテンが降りかかっている小生の場合は少々傷んでも影響は少ないですが、これからまだ長い間楽しまねばならない皆さんの場合は、お持ちの貴重な録音盤の保管環境と再生頻度について、適切な配慮が必要かと思われます。
2011.01.11
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実は小生には自分の成人の日の記憶がありません。成人の日と言うのが、20歳の誕生日を迎える年のその日なのか、20歳になって始めて迎えるその日なのかも知らないのですが、どちらにしても覚えていないのです。仮にその年に20歳の誕生日を迎える年とすると19歳の1月と言う事になりますが、その場合は前年に不合格だった大学の入試を目前に控えて勉強していましたから、成人の日などということは全く念頭にありませんでした。英語が合否のカギになると言われた大学を受験するのに、最大の苦手が英語でしたから、寝る時以外の殆どの時間は英語の単語の記憶に当てていました。さらに易しい英文(小公子とジェーン・エア)を速読することもやっていました。実際は数学が得意なのに、その数学が殆ど出来なかったのが前年の敗因だったのですが、8月まで通った城北予備校(今は無いようです)のおかげで数学の実力は自信が付きましたので英語に専念したのです。うぬぼれた話ですが3月初めの入試前には今度は合格するはずだと思っていました。入試後の自己採点で、数学は7割は出来ていて、英語もまずまず、どんなに厳しく採点しても約60%は得点していると思ったので、まずそんな厳しい採点の筈は無いから今年は大丈夫だろうと再度思ったのでした。もっとも高校の担任だった受験の神様・珠山哲弥先生はそれを聞いて「不安になった」と言って居られましたが。そういうわけで、20歳になって始めて迎えた成人の日の場合は、有頂天の大学一年だったのですが、この年の記憶も定かではありません。良く覚えているのは、合唱団に入って仲間が出来、下宿を学校の近くに変えて下宿の仲間が出来た事で、彼等の成績と比べて小生の成績がひどく見劣りした事でした。中間の成績で小生は優が3個しか無いのに、彼等は悪くても7個、中には12とか13とか言う凄い奴も居るのです。小生の優は体育実技と現代数学、統計学でした。法律や経済の科目は全滅でした。何しろ聞いたことも関心を持ったことも無い話ばかりでサッパリ判らなかったのです。当時怖かった4年生の舟木さんからは「勉強しなけりゃ優が取れない奴は、勉強したって取れないよ」などと言われる始末。まったくその通りで、仲間に追いつこうと結構頑張ったのですが、低空飛行は続き、結局就職が楽な大学の名前のおかげで就職は出来たのですが、最後までロクな成績は取れず、この年になっても未だに大学を卒業できない夢を見ます。よほど劣等感を持ったのだと思います。これらの仲間は、結局人生の仲間になり、月に一回の会合で昔に戻り楽しんでいますが!当時健在だった田舎(広島市内)の両親の所には、地元の町内会と青年会から成人のお祝いが来ていたと後に両親から聞きましたが、とっくに広島への関心を失っていた小生はすぐ忘れてしまいました。両親の家の近くには友達など一人も居らず、なんで?と思ったのは覚えています。田舎の人々は出て行った若者についてもずーっと地元の一員だと思ってくれていたのでしょう。それがどの年のことだったかも判りません。これが半世紀以上前の、小生にもあったはずの「失われた成人の日」の思い出です。
2011.01.10
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イチロー選手のことは、正直に言って小生には外野席からの勝手な応援以外には何も出来ないので、小生の課題とは言えません。しかし自分のことのように思えるところがファンの勝手な思い込みと言えないこともないように思います。メジャー11年目を迎える彼は選手の年齢という点ではもう若くはなく、むしろ高齢者の部類に入るでしょう。ハードな自己管理で知られていますが、誰も年齢には勝てないので、問題は誰にも訪れるその影響が、彼には何時訪れるかということになります。前人未踏の記録を作り続けて10年! 日本人初の野球の殿堂入りも間違いないと思われる彼の実績が、例えば1シーズン200安打以上が、何時途絶えるか? せめて今年はまだその時が来ないで欲しいというのが我々イチローファンの願いであり、出来るものなら手助けしたい、応援が僅かなりとも助けになるならもっと応援したいと言うのがホントの気持ちです。自分では何も出来ないこの課題! 時間の経つのが高齢者には早いので、何時の間にかシーズンが始まり、何時の間にか成績が出て、もしその時まで小生が生きていれば大喜びで感激にひたるか、落胆して落ち込むか、その時が遠からず来る事でしょう。この歳になってもハラハラドキドキさせる課題! それはファンだけが持つことが出来る課題です。
2011.01.09
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ナンプレの超難問を作りたい! これが今年の課題です。 解くのと作るのは手作りの場合は同じことをすることになるので、解くのが難しいと言う事は作るのも難しいと言う事になります。中盤までは難問が出来そうになるのですが、難しくしたつもりが問題として成立しなくなったり、それを避けるために問題として成り立つのを優先すると、最後の土壇場で容易な問題に変わってしまうことが多いのです。まず、最初にどこから手を付けたら良いか判らないようにするのですが、これが意外に難しいのです。着手が容易に出来ても早く行き詰まるように出来れば、それでもよいのですが、それもまたカンタンには出来ません。ナンバープレイスは正解が一つで無ければならないので、二つの数字のどちらを取るかで片方が正答、他方が誤答と言う具合に出来れば最高なのですが、論理的には無理で、正答が二種類になります。つまり問題として成立しないのです。したがって難問にするには、何らかの仮定をして、それを前提に解くと出来るように考える事だと気付いたのですが、今度は気付くのが難しい仮定をすることを、思いつくこと自体が難しいわけで、超難問作りの最大の難関がここにあることが判りました。まあやってみなければ何時まで経っても出来ませんから、どんどん取り組んで、いろいろやってみようと思っています。
2011.01.08
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Beethoven の皇帝協奏曲を集め始めて40年近くなります。1977年秋に某誌の付録でリストを見て、当時まだ持っていない市販盤が13種類あることが判りました。もっともその後、このリスト自体不完全で他に市販盤がかなりあることを知ったのですが、そのころはまだ今ほど情報があるわけではなく、この13種類を集めてみようと思ったのでした。それから34年後の現在、そのうち10種は入手しましたが、まだ3種が未入手です。そのうち一つでも今年中に入手できるでしょうか?小生自身の予想ではまず無理ではないかと思っています。まず、その3種のLP盤が仏Sonopress(UM 64033)、仏Musidisque(RC 833)、英SAGA(5047) といずれもマイナーレーベルの稀少盤だということです。多くのマイナーレーベル盤は盤質があまり良くなく、保存状態がよほど良くないと中古レコード店で扱ってもらえないおそれが多分にあります。現在この3種の盤の権利や原盤をどこの会社が持っているのかも判りませんが、原盤が失われている可能性もあり、再発の可能性も殆ど無いと思われます。ただ唯一希望があるのは1971年にこのうち2種が国内盤で発売されている事です。この年日本コロンビアが仏Musidisqueを、テイチク(Over Seas)が英SAGAをそれぞれ発売しました。おそらくあまり売れなかったため短期間で廃盤になったと推定されますので、実売枚数はかなり少なく、痛んだり売り物にならず廃棄されたりした盤もあるはずで、愛好家に所蔵されているものは非常に少ないと考えられます。これらの盤が愛好家の手を離れて市場に出る可能性も実はあまり高くありません。LP盤は再生装置自体が少なくなっていて、中古レコード店でも輸入盤だけは買い取るものの、日本盤は断る店が大半なのが現状です。したがってコレクションの大量処分といった稀な場合にレコード店が一括買い取りをして、日本盤は捨て値で売る場合のみが、小生に入手できるチャンスになるわけです。実際にそのようなケースと推定される機会が何回かあり、一枚600円程度の価格で数枚を入手しています。中古レコード店も数が減りました。今定期的に行ってみるお店はたったの一軒です。他の店は客の少ないクラシックには力を入れる気が無く、たまに行ってみてもろくなものがあったためしがありません。クラシック音楽が世界的に衰退している現在、経営上仕方が無いともいえます。皇帝以外にも集めている録音はありますが、殆どがイタリアオペラです。特殊な曲が多いので市販された種類も少なく、入手は比較的容易で全種類入手出来ているものもあります。しかし不景気も影響して政府の援助が無くなるなど、オペラの世界も厳しく、新録音(録画を含む)は出来もキャストも魅力的ではないものが多いのが実状です。DVD化も進んでいません。オペラは見るものでもあるので、音だけの録音を今頃出されてもしょうがないと思うのですが相変わらずです。残念な事です。昨年の収穫は Juan D.Florez が主役を歌った清教徒と連隊の娘(二種)の三種のDVDでした。今年はどんなものがでるでしょうか?
2011.01.07
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小生は現在二つの合唱団に在籍していますがいずれも休団中です。男声の方は練習が都心部で夜9時までなのと、休団中に技術的に高くなっていて復帰してもついていけないのではないかと言う危惧があります。実質的には退団同様ですが、やはりメールネットなどのコネは残しておきたいのです。混声のほうは地元川崎なのですが、これはまた人数も少なく、練習中の曲も三部合唱のポピュラーに近いものでサッパリやる気がしないのです。舞台に出る回数が多く、技術的に不満足な状態で出るのはまずいので、歌うのが容易な曲を選んでいるとも言えます。皆さん良い人ばかりなのですが高齢の団員が男女とも多く、今後も技術的に向上する可能性が低いので、指揮者の先生から見放されて、合唱曲らしいまともな曲をやってもらえないのではないかと、小生はひそかに思っています。この他に川崎市合唱連盟主催の年末の第九がありますが、今年は不参加にしようかと思っています。年々高齢者は引退していき、順番が回って来た感じです。2月の第二日曜に男声合唱団の方の定期演奏会が東京オペラシテイ 大ホールでありますが、英国から来聴者が来られるほどの評判で間宮芳生先生ほか著名な方も来られるようです。田中信昭大先生も陣頭指揮されますが、相当に期待できそうです。残念ながら今年の小生にとっては、合唱は聞き役の方が主になりそうで、以前のようにステージに出る機会があるとすれば10月末の混声のほうの定期演奏会だけですが、それも曲目によっては止めるかも知れず寂しくなりそうです。この合唱団には、せめてぜひ歌いたいと思えるような曲を選んでもらいたいと思います。
2011.01.06
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三が日はあっと言う間に過ぎ、世間様は仕事始め、サンデー毎日の小生も出勤する所は無いものの、昨年末に支払えなかったレコード代金の支払いなどでチョット遠い銀行まで外出するなど活動開始。ついでにあちこち寄り道して帰宅。元日から昨夜まで毎晩飲んだので今日は休肝日です。人並みに今年の抱負といきたいところですが、考えてみると、今年の小生にとってもっとも大切な事は、なによりも生き延びる事にほかなりません。何とか元気にこの1年も活動して生き延び、また来年を迎える! このことこそ最大の今年の課題であり目標です。そのためにもプールに通う回数を増やし、体重を少しずつ減らして心臓と足腰への負担を軽くしたいものです。また脳細胞もお粗末ながら使えば使うほどこの年でも活性化しますので、これまたナンプレ作りなどでフル回転させましょう。チョット横着しているコレクションの整理も、今年はこまめにやりたいもの。私家版の録画・録音のレーベル作りもずいぶん溜まっていて、やらねばならないことは山積しています。ご先祖様にお願いして、もう少し生き伸びさせていただき、やり残しているもろもろの宿題を一つ一つやり遂げて、最大の課題も無事達成するようにしたいものです。
2011.01.05
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いや凄かったですねえ!今年の箱根駅伝の激戦は、長く語り伝えられると思います。なにしろ優勝した早大の記録はこれまでの大会記録11時間3分を3分以上上回り11時間を切って10時間59分という大記録でした。二位のチームも大会新記録でしたから、いかに今大会のレベルが高かったか良く判ります。早大はスポーツ科学部という部門があり、エリート選手の入学に便宜を図っているようですが、初日の5区で健闘した猪俣選手などは新聞報道では一般入試を突破した学生とのことで、このあたりにも文武両道を歩ませる早大の姿勢と実力が三流私大のそれとは大差があるように思いました。最後の10区を走り、区間二位の記録で快走した中島選手は、主将ながら最初は出場予定が無く、選手二名が直前に故障したため急遽10区を任されたそうで、主将らしい落ち着いた大人の顔をしていました。未熟な子供の顔に近い選手が多い中で彼の品格さえ感じられる顔は、ロートルから見ても立派なもので、さすが名門早稲田の主将だと感じ入りました。彼が死に物狂いの形相で日本橋から大手町を駆け抜けるのを見ていると、恥ずかしながら涙が出て止まりませんでした。今でもあの時の気持ちを思い出すと目が潤んできます。ほかにもイロイロ話題がありましたが、今年の箱根駅伝も終わり、これから新しい年が本格的に始動します。選手たちが示した、誠心誠意全力を尽くしてことにあたる姿勢を、政治家達に期待するのは無理でしょうか? 僅かでも少しでも国民のために全力を尽くそうと決意した人が居ることを、切に願います!
2011.01.04
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正月2・3日の呼び物の一つは箱根駅伝でしょう。いまこの時間は7区を走っているのがTVに写っています(9時33分)。今は変わりましたが、小生が子供のころは伴走車と言うのが選手の横を走り、1歩1歩声をかけて選手の足取りを伴走車の声に合わさせるという、選手の意思ではなく監督・コーチのロボットにして走らせると言う非人間的な走りがまかりとおっていました。子供心に酷いものだと思ったことを良く覚えています。さすがに陸上連盟も気が付いたのでしょう、今はそのような伴走車は無くなりましたが、考え方としてはそのような非人間的な思想の持主がゼロにはなっていないように思います。スポーツはプレイヤーの自由意志でするものだという基本を忘れたかに見える監督・コーチがまだ居ると言う現状は、日本のスポーツ界の現状を示しているようで、残念な事です。さすがに早稲田大学の選手などにはそのような雰囲気は感じられませんでしたが!。もう一つ言いたい事は、テレビ中継についてです。選手の走りをイロイロ工夫して写し続けて欲しいのに、番組制作者のアイデアで今のレースに無関係な大昔の映像を流したり横道にそれることが多すぎるのです。それにCMが長々と続きますから、全くイヤになります。この番組のスポンサーに申し上げたいのですが、視聴者がCMを見せられる度に「絶対にお前の会社の商品など買わないぞ!」と思っていることにお気づきでないのでしょうか! 選手の走る映像を消さずにCMを流す技術もあるのに、なぜ皆が嫌がる映像にするのでしょうか? 小生は音声はラジオにして、テレビの音声は消しています。そうするとラジオで1・2位のデッドヒートを放送している肝心の時に、テレビでは現状の走りに全く無関係な大昔の映像やCMを流している事がいかに多いか良く判ります。自分達のアイデアにおぼれて、結果的に視聴者を無視している番組関係者に猛省を求めると共に、スポンサーにも大金をかけて敵を作る馬鹿馬鹿しさに早く気付いて欲しいと思います。トップの早稲田の7区の選手が8区にタスキを渡しました。出場大学は関東に限られていますが、有名な学校では慶応義塾・立教・順天堂などは出ておらず当然国公立大学も出ていません。その代わりケニアなどからの留学生の力を借りた新興勢力とも言える学校が知名度を上げる効果も狙って強くなり、出場しているようです。大学も経営難の時代ですから、スポーツを利用して知名度を上げることもあながち否定は出来ませんが、先生方には学問の分野で知名度を上げるという本来の使命も果たしてもらいたいものです。
2011.01.03
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お正月なので居酒屋はお休みです。代わりに、平素は自宅では飲酒しない小生もお正月だけは自宅で家族とイッパイやります。おせち料理は、平素は企業戦士専業の長女が毎年作ります。台所仕事があまり得意でない家内は、長女の注文の材料を買ってくるだけですむので、「しあわせ!」と言ってニコニコしています。今年のメニューは紅白なます・昆布煮・玉子焼・スコッチエッグ・ぶり照り焼き・焼豚・昆布巻き・蒲鉾・煮物(蒟蒻・蓮根・サトイモ・筍・人参・鞘豆・椎茸など)と、例年通りですが、スコッチエッグや玉子焼きなどはいろいろ内容に工夫がしてあります。おせち作りにも特種情報処理技術者の頭が活きていると思うのは父親の親馬鹿でしょうか!さて我が家でのイッパイは、長女が買ってきた日本酒の大吟醸や原酒が3本、小生は玉の光の大吟醸、焼酎は五代の35度の原酒に市販はされていない紫酔神などを揃えてこれまた特上品ばかりです。元日の夜はまず玉の光と長女が選んだ国権を冷で飲み、次は紫酔神をベースに五代の原酒をブレンドしたお湯割りで平素とは違う味を楽しみました。来年もこのような正月を迎えたいものですね!
2011.01.02
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皆様にはお元気で新年をお迎えの事と存じます。今年はどんな年になるでしょうか! 政治家には全く期待できそうも無いので、我々庶民がよほど考えて、我国はもちろんのこと世界に、平和・反核・その他、この掛け替えの無い地球をこれ以上悪くしないための努力と取るべき行動について、呼びかけ働きかける必要があるのではないでしょうか! 言うは易く行う至難のことですが!景気の問題は全地球的な問題なので、各国政府が自国だけの努力をしても、殆ど効果が無い事は理論経済学の研究者が明らかにしているようです。庶民が政治家に何とかせよと要求しても、景気についてだけは効果的な政治的施策は無く、民間の努力がカギになります。しかし民間企業は利益をあげることが至上命題ですから、雇用を増やすには、事業の拡大と予想利益の増大が不可欠であり、現状は極めて難しい状況であると言わざるを得ません。これまた解決は不可能に近いようです。我々の生活は、非常に苦しくなりそうです。後期高齢者の健康保険制度は民主党が公約したにもかかわらず廃止も改善もされず、高額な保険料を無理矢理取られている現状です。僅かな年金暮らしなのに配偶者控除も無くなるとか、老人いじめはどこまで続くのでしょうか? 日本の国を敗戦から60数年後のこんにちまで、営々と働き続けて支えてきた我々が、この年になっていじめられるとは! 外国の人々に言わせると、日本人がなぜ革命を起こさないのか不思議だと言っているようですが、ホントに、できるものなら革命を起こして、利己的で懐を肥やす事しか考えていない政治家や役人ども、それに人の良い騙されやすい人からなけなしのお金を取り上げる残酷な似非宗教家やその手先達を、血祭りにあげてやりたいと思うこのごろです。それにしても、若い人たちはいま、なにを考えているのでしょうか?
2011.01.01
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