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いつごろから睡眠導入剤を飲みだしたろうか?確か娘が、妊娠し、同時に鬱を発症しだした頃、前後して私も軽いうつ状態になった。眠れない日々の中、当時罹っていたDrに相談したところ眠れないことに悩むより薬を飲んでしっかり眠ることが大事だと言われてからだった。それ以来、自分は薬がないと眠れないと思い少量だが飲み続けていた。しかし、退院後、自分の身体が回復していく中で、1週間ほど前に眠剤がなくなった。他の薬はまだあったので、飲まずに眠ろう!眠れなかったら、昼間眠れば良いから。3日程飲まなかったが、眠ることが出来た。他の薬もなくなって、罹りつけ医のところに行き合わせて眠剤ももらったが、いまだ手をつけることなく眠ることが出来ている。悩みがなくなったわけではないが、今後もなるべく飲まないでおこうと思う。
2007.05.31
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先週注文した品物が今日つきました。生協の品です。パンフを見て安くて必ず消費できるものと思い注文したのですが・・・日曜日に買い物に行ったとき嵩高い食パンを買い足して、昨日の出先でも食パンが安くって、早めに確保しないと品切れになるといわれ思わず買った。この時点で冷蔵庫の中には2斤と2枚。そして、生協に「お試し品」として1斤。本注文で2斤。今朝、おっさんと二人で2枚は食べたが、冷蔵庫に2斤生協から届いた3斤。合計5斤の食パン。参ったなぁ~とりあえず「お試し」の1斤は娘に上げたが・・・冷凍食品は冷凍室に入れて、空になった保冷ボックスの中へ入れて我が家で1番涼しい部屋に置いとくことにした。明日、甥が来るので1斤。あげれば何とか成るかな?今週は、買い物に行かなくて済みそう。来週分を今日も何気に注文したが、今日のようなことがありませんように・・・
2007.05.29
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姉の家に行かなければならないが、先日の一線を越えたショッピングセンターからまだ少し歩かなければならないので、私一人では不安だった。買い物もあるしおっさんに頼むしかない。娘は遅番だと言う。しかし、11時になっても来ない一体何時出勤なんだろう昼食に時間になったので準備をしていたら、12時前にやってきた。買い物や姉の家に行くのは午後しかない。電話をして姉に用件と行くことを伝えた。姉は、孫ちゃんとのひと時に癒されると言うので、そのことを伝えると私たちが買い物をしている間、孫ちゃんは、おばちゃんとこで待っていると言う。まごちゃんも、私の姉が好きなんです。買い物を済ませて戻ると、これから、絵を描くのに・・・とやや不満げです。姉は、「絵手紙」が趣味で、孫ちゃんにもその手ほどきをしていたようです。だから、夕方もう一回迎えに来て!じゃあ、帰りたくなったら電話してねと言いながら、姉との用件を済ませて私たちは先に帰ってきました。夕食前、姉から電話があって夕飯はこっちで食べさせるからだって。日曜日と言うのに、二人だけでの夕飯は久しぶりでした。電話はなかなかかかってきません。しびりを、切らしておっさんが電話をしてみると8時ごろ来て!だって。大伯母との時間がよほど楽しそうです。言われた時間に迎えに行って、ようやく帰ってきた孫ちゃん。手には、おみやげのケーキの箱が絵は上手に描けたか?うん!見せてよ!おばちゃんが自分の家に飾っとくってと言いながらおもむろにカバンから出したものは消しゴム羅漢でした。朱肉まで貰ってきて、押していました。姉も孫ちゃんもお互い楽しいひと時を過ごしたようです。 よかった、よかった。
2007.05.27
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身体の動きが少しは楽になってきたので、一昨日から、所属団体の会議に出たんですが、あの、会議用のパイプ椅子は、高さ的には良いのですが、1時間も座っていると右臀部あたりがつらくなる。それでも、事情を知ってくれている人たちは時々気を使ってくれますが。今日も、午後から会議だった。仲間の一人が車で迎えに来てくれたので参加したのですが今日の会議は一昨日より長くって、休憩時間まで耐えられない。途中2回ほど早めに会場を出て、ロビーのソファーで横にならせて貰いました。会場の入り口ではスリッパに履き替えるわけですが、脱いだ靴を拾い上げて下駄箱に入れられない。一緒に参加した人が入れてくれますがすみません(__)ありがとう優しくお世話をしてくれる皆さんが私より年上の方。若い方には理解されないのかなぁ~(ちょっと悲しいね)
2007.05.26
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最近何故かインターネットが知らない間に切断されていることが多い。夕べもだった。で、寝る前に、電源をすべて切って寝た。さて今日はと恐る恐る開いてみると、普通につながった。昨日、何時ごろだったか覚えないが、固定電話の「留守電ランプ」が消えていた。夜中に停電があったのかもしれない。で、インタネットも切断された?まあ、大して書きとどめておかなければならない出来事もないので、明日でも良いか!当日になればなお更書くことがない光ファイバーならこんなことはないのかなあ今一「光ファイバー」のメリットがわからない
2007.05.23
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リハビリも兼ねてバスに乗っての買い物は良いのだが、嵩張る生活用品や重たい野菜類は持ち帰れない。で、おっさんに帰路買ってきてもらってはいたが、「子どもの使い」で・・・昔、職場で生協に入っていたことがあった。しかし、これもやはり持ってけらなければならないので少々不便さがあった。生協も今は、グループ卸だけでは成り立たないのか、「個配」をしているようだ。斜め向かいにいつもやってくる生協の車が気になっていたので、聞いて見て加入したのが先週でした。そして今日始めて注文書を提出。来週に品物が来ます。さて思い通りの品物が来るかしら?今週は、工夫しながら、買い物しなくてはなりませんがね。
2007.05.22
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明日から天候が悪くなるらしいので、リハビリを兼ねて、今日は最寄の駅の裏のショッピングセンターまで行った。駅まではもちろん、バスに乗ります。障害者手帳をもってると、半額。しかしバス会社の違いで昇降口が高いので乗り降りに苦労しますが。駅からはコンコースを通って、裏側に出て、目指すスーパーまではちょっと距離があるので行ききれるか不安だったのです。何とか行き着くことが出来ました。ここで買ったのは、PCのプリンターインク。私の機種のインクがなかなかありません。やっと見つけたのは、単品の黒のみ。とりあえず、レジに行って、カラーはないか聞いてみました。店員さんが在庫を調べてくれありました。良かったこれだけにしておけばよかったのに食料を少々買って、リュックに入れ担いで観ると予想外に重かった時刻は、お昼前。お腹も空いてきたので休憩がてら喫茶店に入り軽食を重たいリュックを背負って駅を超え表に出てから気がついたんです。インクだけにして、食料は表のスーパーで買えばよかったのにとでもこれで、歩行距離が伸びたことと、行動範囲が伸びたことがわかり、家よりちょっとはなれたコンビにまではいけるだろうと。効したリハビリ、ウォーキングは毎日するのが良いのだろうが、明日は雨リハビリもお休みかな?雨の日の外出にも挑戦しなくては・・・
2007.05.16
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夕方孫ちゃんが一人でやってきた。じいじいは?遅くなるから自転車で行っておきって残業だろうか?一体何時に帰ってくるのかしら?今まだならこんな心配はなかったが、「障害者」となった今、おっさんが居ないと不便なことばかり。まず、お風呂の詮が出来ない洗濯物が取り入れられない。夕飯の用意は何とかできていたので孫ちゃんと二人で食べたが孫ちゃんもなんだか心配になってきたのかママ、今日早番だったから、電話してみるわお風呂の詮は孫ちゃんがしてくれ何とか給湯はできたが、洗濯物が・・・そこへ娘が帰ってきました。いつもより早めだった。すまないけど、洗濯物を入れてくれない?我が家のベランダは部屋から高くって今の私の身体では上がれないのですいつになったら出来るようになるの?わからん!無愛想だがとことこと2Fへいって、洗濯物を取り入れてくれました。そこへやっとおっさん帰宅。おっさんや娘のことが疎ましく思ったことも度々ですが、こんな些細なことを頼めるのも身内だからね
2007.05.14
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娘も母親だったんですだから孫ちゃんが居るわけですが、その孫ちゃんこの頃は我が家に来ても私やじいじいの後を着いて廻ることが少なくなってきて、BAABA後してはちょぴり寂しさを感じているのですが今日も私が出かけるのにおっさんに送ってもらうときもミッキーは行かない。なにやら色紙をきったり貼ったりしていました。で、私が出先から帰宅するにおっさんに迎えに来てもらおうと電話をすると、今図書館に来てるから。そしてようやく迎えに来てくれましたがやはり孫ちゃんは車には乗っていませんでした。夕食が済んでそうーと取り出したものは、色紙で作った花束でした。これやったら、枯れへんやろ母の日だから88本作りたいけど無理やなぁじゃあ、8本にしたらそうか頑張ってみると再び作り出したが8本はしんどかったらしく6本の花束が出来ましたカバーの紙を巻いてリボンをつけて出来上がり。さあ、ママはどんな思いでこの花束を受け取るのかしら? 心和む一こまでした
2007.05.13
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例年の母の日プレゼントのお花が嫁から送られてきた。先日お見舞いのお花が病院に届けられたばかりだったので気体はしていなかっただけに嬉しかった。早速「お礼メール」を送ったか返信はなかったメールを送って返信がないと、なんだか寂しい気がするが母の日にちなんで、私の母のことを少し書いて見ましょう!母は明治生まれ。時代の性もあるだろうが、我慢の人だった。私たち幼い子どもには殆ど口など言う人ではなかった。長兄が商売に失敗し、その家族が離散したときはさぞ辛かっただろうに・・・その後は次男の家に身を寄せたが、高齢になってからだったので、これも辛かっただろう。住み慣れたい絵を離れたわけだから。父も、何も語らずしてその後3ヶ月ほどで逝ってしまった。その後の母は日に日に弱っていった。黙って、ベッドに横たわり食べ物さえ自分で食べられなくなったとき、私たち女姉妹が交代で昼食を食べさしに行った。次兄はタクシーの運転手をしていたので勤務の都合で深夜に帰ってくる。義姉も働きながらの介護だったから行き届かないことも多かったのだろう。ある夜、兄が深夜に帰ってきたら台所で母が倒れていたらしい。翌日からは、一人でトイレに立つことがないようにオムツを強制的に当てられた。益々人間性を失っていく母。その数ヵ月後朝目覚めなかったらしく、急遽入院をさせられた。本当に寝たきりになってしまった。日に日に意識は薄れていった。86年の苦を語らずしていってしまった実母。これが、「明治生まれの母」の生き様だった。おっさんの両親は大正生まれ。二人とも子どもたちを当てにして何事も、大騒ぎをして逝った。比べても仕方がないが、生まれた時代でこうも違うものかと思う。この二人も、3月4月と相次いで逝った。明日は、静かに二人の母の冥福を祈りましょう!合掌
2007.05.12
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今日は、退院後の初検診日でした。私の住む地域から病院までのバス便が少なく、前日に予約時間に間に合う時刻を調べて、本当はバスで行くはずだった。身支度をしてみるが、天候がよろしくない。空はどんよりと曇り、今にも雨が降りそうと思っているうちに降ってきた。風邪も強いし杖突いて傘をさすと両手がふさがって、歩行に不安が残る。タクシーを呼ぶことにした。外来は、予約時刻があっても、待合室は満員状態。どれくらい待たなければならないか聞いてから、入院中にお世話になったリハビリステーションにいった。丁度私の担当だった「理学療法士」さんが他の患者さんの歩行訓練で廊下に出ていらしゃった。まるで恋人に会うように嬉しく思わず両手を振って杖なしでも歩けるよ!とアピールステーション内は、お昼前だったのでリハビリ中の人は少なかったが、何人かは知った患者さんが居てそれぞれに元気になられていることが嬉しかった。病棟にも行った。担当看護師さんに挨拶しないで退院してきていたので、是非逢いたかった。ナースステーションをのぞくと師長さんとすぐに目が合って、私のお目当ての看護師さんに声をかけてくださり、入院中のお礼がやっと言えました。更に病室への許可を貰っていってみると、二人の方が知っている方だった。不思議なご縁でお知り合いになれ「同病相哀れむ」心境で励ましあってきた。最後に診察。経過は順調です。しかし、無理は禁物。1ヵ月後の検診日の予約をして帰ってきました。ゆっくりゆっくり歩みましょう!
2007.05.10
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私は整形外科病棟に入院していたわけですが、6人部屋の大部屋です。みなさん、腰椎や、膝靭帯などの手術で、下半身は不自由なわけですが、上半身はいたって元気。と言うことでとても賑やかな部屋で3週間を過させていただきました。しかし若い人は回復が早くあっという間に退院をしていかれます。というのも、どなたも何がしのスポーツをしている学生さんだったらして膝靭帯損傷による手術だったんです。この方たちは、抜糸が済むと1週間のリハビリで担任なんですが、退院後は近くの病院でリハビリを継続しなければならないと言うことらしいですが。私のように股関節や腰椎の手術後は「前屈」禁物なので、物が下に落ちると大変です。自分では拾えません。その度にまさかナースコールも出来ず、どなたかのお見舞い客が来るか、とにかく、元気な人が入室してくるのをひたすら待たなければなりません。売店には、マジックハンドが売ってありましたが、今すぐ拾わなくてはならないものでない限り不自由はないので、おしゃべりに花を咲かせ、落としたものさえ話のねたであり笑いのねたでした。私が1番良く落としたものはTVのリモコンでした。ベッドの上での楽しみは、食事とTVしかなく、リモコンはとても大切なものでした。だから私は3度目くらいのときはナースコールを押して看護士さんに拾ってもらったんですが、このときは電池カバーまではずれ電池が飛び出して見当たらなくなってしまって・・・同室の人にnohohonさん何度目よ!なんていわれてしまいました。以後は落とさなかったけど・・・退院して最初に買ったものは、「挟み火箸」3本。キッチン(リビング)に1本。バスルームに1本。寝室に1本。寝室とバスルームでの使用目的は、主に下着やズボン類の着脱用です。その使用方法に付いては後ほど書くことにします。入院中の私は、どうしても、コーヒーがやめられず、はj目は自ら入院の荷物の中に忍ばせて持って行きましたが、1日に3倍以上は飲むのですぐになくなります。おっさんに頼んで2度ほど持ってきてもらいましたが、それでも足りず、歩行が許されると売店通いが始まりました。はて、何回買ったかしら?
2007.05.07
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今日で退院して、1週間。連休中はおっさんに甘えっぱなし。買い物などにはいつも来るまで言っているが、連休が終わるとそんなわけにも行かないので、そろそろ、ひとりで、バスに乗って買い物にいけるようになりたいと、今日は思い切って、リュックを背負って、バスに乗った。「障害者手帳」を持って、これを提示すると半額になった。いつものスーパーに入り、まずは、2Fへ。今流行の「チュニックアンサンブル」を買った。食料品売り場ではあまり重くないものを買おうとするが、野菜はどうしても重い。たいした物は買えず、限界を感じた。そして帰りのバスに時間を見ると来たときの同じ会社のバスは1時間後しかなかった。仕方なく、他社のバス乗り場へ。5分も待たずして乗ることは出来たが、のり口のステップがとても高く、杖をつきながらの昇降はきつかった。昼食の後、孫ちゃんが映画に行こう!と言うので、行きはおっさんに車で送ってもらった。映画館の前にはたくさんの人が並んでいたが、私たちが見たい映画は、丁度上演前だったが、席も取れて入館まもなくの上映でよかったわ。孫ちゃんの希望で「コナン」を観た。帰りはバスで帰った。家に着くと、おっさんが、夕飯の用意をしてくれていました。おっさんに甘えられるのも明日1日となってしまいました。
2007.05.05
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手術が済んで3日間はベッドの中。なにせ、身体には何本もの管が入っていて身動きが出来ません。体位変換も一人でしてはいけませんから、その度に「ナースコール」をして、看護士さんにお願いしなくてはなりませんでした。3日目にはずされたのは点滴の針だけでした。4日目は、背中の痛み止めの薬を入れる管が抜かれました。さらに、尿管がはずされたのですが、となると、トイレには車椅子で行くわけですが、これまた一苦労。一人では動けないので、トイレのたびに「ナースコール」看護士さんに車椅子に移していただいて・・・すみませんありがとうございます。5日目からようやく一人で車椅子に移ることが出来一人でトイレにいけるようになりました。このとき初めて車椅子の操作がどれだけ大変かを知りました。車椅子に乗れるようになると、すぐにリハビリが始まりました。初めてのリハビリのときは看護士さんに「リハビリセンター」への送迎をしてもらいましたが次の日からは一人で行かなければなりません。一人で出来たときの達成感はなんだか新鮮でした。そうこうしているうちに、1週間が済んだのでした。
2007.05.03
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