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前回のブログに疲れきることはない、なんて書いてしまったけど次の日は恐ろしく疲れはて、その次の日も次の日も疲れが抜けないままの勤務となり、泣きそうになった。さすがに新人の頃のような、何もかも分からない状態ではないのでしんどくても「あの頃よりはマシ」と思うようにしている。6月から当直が入るので、それまでには“モノ”にならなくてはいけない。大丈夫だろうか・・・しかも5月は連休消化でめっきり人がいない。日に日にしんどくなってる気がする。うりゃぁ~がんばるぞぉ~!
2008.04.27
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病棟に移り、部屋持ちの業務に就いて3日が過ぎた。慣れない仕事には疲れるけど、疲れ切ることはない。嫌な疲れは今のところ無い。帰宅して、何もしたくない、と思うことは無い。むしろ、予習復習が楽しいと思える。睡眠時間も短いけど、出勤時間は少しずつ早くなっている。明日はもっと早くタイムカードを押したい。昨日、ケアについて先輩2人が意見を交わしていた。交わす・・・と言うより、だんだんヒートアップして何かの討論番組のような状態になってしまった。私が間近でこのような状況を見たのはもしかして初めてだったかもしれない。お互いが一歩も引かず、自分が正しいと思うことを主張する。収拾がつかず、師長が間に入ってようやく収まった。看護に対しての、真剣なバトルだった。休憩をはさむと何事もなかったように話されている。怖かったけど、あとくされがない。多分。ここでは、陰口は少ないかもしれない。言いたいことはあるけれど胸にしまっておく、なんてことも。何でもかんでも言えば良いとは思わないけど、いつまでもくすぶって根に持つより断然良い。これから色々見えてくるかもしれないけど、以前とはまた違った心地よさを感じている。
2008.04.15
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私の血液型は、小さい頃からA型だと親に言われ続けてきた。採血で調べもせずに何の根拠もなく、ただ私の行動や性格を見て親はそう思い込んできたのだろう。そして事あるごとに、何かをする度に「あんたはA型やからなぁ」と言われてきた。一般的にいわれているA型の性格に私の性格が近かったのだろうか。だから自分でも、私の血液型はA型だと信じてきた。ところが中学2年の時、初めて入院した際の術前検査でO型だったことが退院後の通院中で知った。たしかこの時、一人で診察に行ったので何気なく夕食後に両親にO型だったことを言ったような気がする。そして一瞬両親が凍りついたことをはっきり覚えている。母が食器を洗っている間に、父と私がこっそりと『家庭の医学』らしき本で血液型について調べた。無知な両親は、A型とB型の間にO型の子供はできないと思っていた。私は父の子ではないかもしれないという疑惑がほんの数十分もちあがった。当たり前だけど、その疑惑はすぐに晴れた。ちょっとした笑い話となった。それからというもの、私のO型人生が始まった。何かにつけ「O型やなぁ」と親にも親戚にも言われてきた。A型だった私はどこへ行ってしまったのだろうか。ところがところが20代前半で、膝の手術をした時の術前検査でO型ではない血液型を知らされた。この時も退院後で、外来診察中にチラッと見えたカルテにはアルファベットの『B』があった。私「それは血液型ですか?」医師「そうや」私「O型のはずなんですが・・・」医師「それは親に言われた?」私「いえ、○○医大で言われました」医師「あーそう、また調べんなあかんな」だけどそれっきり調べることはなかった。私もそのままにしてしまった。この頃になるとさすがに親はもうどうでもいいと思ったのか血液型の性格についてまったく言わなくなった。かわりに友人たちが「絶対Bやで」など好き勝手に言う。O型かB型かどちらかはっきりしない人生が始まった。実はこの膝の手術は、私がまだ介護の仕事に就いてる時で職場には併設されている病院があるけどもしも入院することになったら嫌だと思い、あえて通い慣れていた○○医大に行った。だけど、この時の外来担当の先生は「大学(病院)で入院待ってたらいつになるかわからへん」と関節鏡一式の器械を持参して、職場の病院で手術をしてくださった。この時、まさか自分が看護師になるとは思っておらずましてその病院で働くことになるとも思っていなかった。外来勤務するようになって自分のカルテを見ると、あの時チラッと見えた『B』は実は『AB』だったことがわかった。またしてもB型性格に言われた自分は何だったのかと思う。そして同僚の人からは「AB型の性格よ」とも言われた。そしてこの一連の流れを同期の臨床検査技師さんに話したところ、「えらいこっちゃ!」と過去の事例としてリスクの会議にかけられてしまった。調べなおすとやっぱりO型だった。あってはならないミスだ。輸血に至らない、しかも私が患者で良かったと思う。このように、私は短期も含めて全血液型の性格にあてはまってしまった。昨日書いた講演の中では「つくられた性格に当てはめて、自分も他人もマインドコントロールされている人がいかに多いことか」とも言われていた。マインドコントロールされてしまっていたのだろうか・・・念のため、3ヶ所目の入院先の病院で、手首に巻かれたネームバンドと点滴横にぶら下げられた『O(+)』の表示は確認しておいた。
2008.04.12
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新しい環境に身を置いた時、最初に聞かれるのはまず年齢。次に聞かれることは、職場以外では職業。少し間をおいてから、必ずと言っていいほど聞かれるのは血液型ではないだろうか。新しい人がその輪に加わろうとする時、どういう人なのか判断基準になりうるのが血液型による性格といっていいかもしれない。何かの講演で、日本人の血液型による性格の根源となった話を聴いたことがある。うろ覚えなので詳しくは書けないけど、『戦時中、日本人を優位にさせるために、日本人に多いA型を几帳面な性格。中国人に多いB型かAB型(忘れました)を今言われているような性格に、欧米人(これも曖昧です)に多いO型を大雑把な性格。など、当時の軍事政権の偉い人が日本人と諸外国の人を差別するために勝手に決めた。その資料は今も(私が聴いた当時なので10年以上前)残っている。そもそも地球上の人間を4種類の性格に分かれるはずがない』というような内容だった。少々極端な話のように思えたが、あり得る話だとも思った。私の血液型遍歴を書こうと思っていたけど、本題に入る前に寝ないといけない時間になってしまったので今日はここまでにします。もったいぶるような大そうな話ではないのですが・・・明日のために寝るとします。すみません・・・
2008.04.11
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今日が終わろうとしている。移動先の病棟では、ひたすら説明の嵐だった。ありがたいと思う。でも15時くらいに頭がパンクしそうで、思考が鈍くなってきた。無地のメモ帳をほぼ一冊使いきってしまった。ほとんどなぐり書きだけど。帰り際に、今日教えていただいた先輩に正直に言った。「すみません。今日の内容の半分も理解できてないと思います」先輩は笑って「当然、当然」と言ってくださった。それを聞いていた、私が怖いと感じていた人も「うん、うん」とうなずいてくださった。温かい。さあ、明日も頑張ろう!
2008.04.10
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介護福祉の仕事から転職して7年が経った。新卒で入職して以来、外来勤務が続いたがとうとう病棟移動が決まった。明日から。移動の話は先週のこと。内科診察に就いていて、まだ2人か3人診察が終わったくらいに主任に呼ばれた。主任のその口調から、移動だとすぐにわかった。以前のブログでも書いたように病院の諸事情で私の当直が復活していた。諸事情はそんなことでは改善されなかったようだ。移動の時期からちょっと外れた、遅ればせの人事発表だ。とは言うものの、以前から移動は言われ続けていた。以前からというよりも、入職後から言われ続けてきた。1年経ったら病棟へ、2年経ったら病棟へ、いつかは病棟へ・・・7年越しとなってしまった。なので移動の噂が出る度にいよいよか?いよいよか?とドキドキしてきた。今さら新しいこと覚えるの無理やわ、と思ってみたり早く移動してしまいたいと思ってみたり。そして、明日から移動が現実となった今の心境はと言うとあまり実感が湧かない。これを書いていると気持ちの整理がつくかと思ったけどあるのは不安と少しの寂しさだけ。辞めるのと違い、挨拶をするのもちょっと微妙だったりした。今日の手術は肝臓の部分切除で久しぶりに直接介助をしたけど、これで最後なんだという感慨深さはなかった。それよりも、移動までに1週間猶予をいただいたのにやり残した仕事があるので、そっちが気になってしまった。まったく、要領が悪いのは何年たっても成長しない。はぁ・・・明日の今頃は何を思っているやら。とりあえず、パソコンだけは開こうと思っている。
2008.04.09
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