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定期的に勃発する我が家の戦争。今日は、向こうが体調不良のため、かな~り我慢してたけど、とうとうキレた。大爆発。こんな時は嫁の前で電話をしたくなる。「もしもし。○○?あっ、俺。ついに嫁と離婚することにしたから、離婚したら、その翌日に結婚してくれ。」なんて、言ったりして…。キャー。そんな相手もいないのにね。へへへ。奴隷の乱、序章。
2004.10.31
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土曜日の遅めの朝に起床した嫁は、目が腫れている。「どうしたん?目?」「水曜日の夜からなんやけど。どこ行ってたんかね?この人は」「あ~、気づかんかったわ。ちゃんと医者に行ったん?」「行った。あんた、幼稚園では笑いものやで」「何で?」「水曜日の朝に幼稚園に行ったら、会う人会う人が、『どうしたの?その目』って言ってくれたよ。でも、『うちの夫は気づかなかったよ』って言ったら、みんな大うけ」「また、酷い夫みたいにいいよって…。お母様方には僕のファンも多いのに」「心配するな。妻が髪の毛を20センチ切っても気づかん男やからってフォローしといたから」「フォローになってへん。でも、20センチと違う。30センチや」「それでな、金曜日に幼稚園に行ったらな…」「行ったら?」「会う人会う人が『旦那さんは気づいた?』って質問や。おはようよりも前にな」「それで?」「『ぜんぜ~ん』って言ったら大爆笑や」僕も嫁の言動を散々ネタに使わしてもらってるけど、嫁も僕のことを散々、ネタにしてるみたいです。妻のものもらいと体調不良のため、今日はいつもの週末にもまして奴隷です。駐車場の掃除まで命じられました。
2004.10.30
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明治大学の一場投手に対する金銭不正授与事件に関連して、セ・リーグの三球団のオーナーが辞任した。そして、当然の様に新しいオーナーが任命された。でも、球団オーナーって一体、何なのよって疑問が。そもそもオーナーという言葉は、所有するという意味の「OWN」に~する人という意味の「ER」を付けた言葉で、つまりは所有者である筈。球団オーナーは、つまりは球団所有者であるべきである。大リーグの場合、この構図がわかりやすい。例えばヤンキースの、悪名高いスタインブレナーは、オーナーであり、ただ、オーナーは基本的には球団経営をする訳ではないので、球団経営を行うGMを任命し、GMはオーナーに委託される形で球団経営を行う。どの選手を獲得し、誰に監督をやらせ、収入面ではどのテレビ局と契約したりといった事を行い、基本的には勝ちつつ儲けるという事を目指す。日本は、何故か球団を保有してもいないのにオーナーと呼ばれるサラリーマン・オーナーがいて、位置づけが曖昧な球団社長もいる。これはGMのようでGMでない、単なる中間管理職。なんだろね。元々、オーナーという概念は、近代的な株式会社において、オーナーである株主が経営には参加せず、経営者であるCEOを任命し、オーナー自身は単にガバナンスを行うという形を採る、いわゆる「資本と経営の分離」から生まれている。したがって、オーナーとは株主、というより、絶対的なガバナンス力を有する大株主そのものであるべきなのである。だから、例えば読売巨人軍であれば、読売新聞社のオーナーである、恐らく正力なんとかさんだと思うけど、その人がオーナーであり、そのオーナーが経営者を任命する形が普通だと思う。阪神タイガースの場合、親会社である阪神電鉄が公開企業であるため、オーナーという存在を定義する事は困難である。だから、伝統的に阪神球団において、いわゆる「アガリ」の人が務めてきた。でもね。こういった、存在理由の曖昧なオーナーと球団社長、さらには、経営のプロフェッショナルとしてのGM不在のまま、次のレポーティングラインはいきなり監督っていう形態が、日本の野球球団経営の近代化を阻んできたのだと思う。既存の12球団は読売を除いてすべて、「球団経営ってものは儲からないもの」という固定概念があったと思う。読売にしたって、別に自助努力で儲かっている訳ではない。盲目的に応援するアホな田舎者ファンを騙しているだけである。そのくせ、資本力をちらつかせて、読売中心にプロ野球を回そうとするから、球界全体が沈没する。余談はさておき、日本の球団におけるサラリーマン・オーナーは、結局、毎年の損失の垂れ流しを親会社に納得させる事だけが存在意義であったのだ。そして、その唯一の役割を果たせなくなった近鉄のオーナーは退場を余儀なくされた。それだけある。オーナーである限り、儲からなければ事業を止めるであろう。例えば、ある資産を持っていて、なんの効用もないのに毎年100万円ずつ損を出すとすれば、その資産は売るだろう。だけど、その資産の有効活用を可能とする人物がいれば、そしてその人物が毎年100万円の赤字を100万円の黒字に出来るのなら、その人に年間10万円払っても安い。なにか、経済合理性とはまったくかけ離れたところで、球団経営が行われているのが歯がゆくて仕方がない。
2004.10.29
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今日、ある会社とのミーティングを行う。その会社とは、僕が大学卒業から10年強、働いた会社。僕をアメリカの大学院に留学させてくれた会社。僕が某金融取引で、数億円の利益をもたらした会社(つまり、僕はそれまでの給料やら留学費用やらをキッチリ返したのです)。そして、最終的には僕が見切った会社。この話は取りあえずはしておかなくてはならないだろう。あの会社にとっても大きなオポチュニティである筈。だから、チャンスは与える。ただ、その意思決定をするだけの決断力や機動力はない事は百も承知である。でも、取りあえず話に行く。思えばこのアポも、とっても取るのに苦労したアポだった。最もキーパーソンに近いと思われる人物にメールを送ったが、返信なし。電話をしてもいつも打ち合わせ。コールバックを依頼はしなかったけど、電話があった事を伝えてもらう。これは婉曲なコールバック依頼。でも、コールバックなし。結局、10回くらい電話してようやく話せた。でも、部下に回された。部下は、自分と別の部署とで対応すると言う。しかし、別の部署の人と電話で話をした時、話は、その人と、その人の部下とにする事に変わっていた。本当は、そこら辺のお兄ちゃんにはしたくない話。もっと、鋭い鋭いビジネス感覚のある人にしか話したくない。でもまあ、仕方ない。結局、上から下に下りて行き、うまく行けば下から上に上って行く。面倒。面倒はいい。でも、時間がかかる。という事は、他で結論が出てしまう可能性大。ホント、変わらないよ。この体質。ただ、今日、会う人がビジネス・センスの面で希有な存在である可能性も否定出来ない。取りあえずは楽しみにしよう。ところで、今回の件で何度もこの会社に電話したが、教育が悪いね。この会社は。敬語は滅茶苦茶だったよ。「○○課長は、ただいま、会議に入られておりまして」おいおい。「課長の○○」だろ?「会議中でございまして」だろ?身内に敬語を使うな。そもそも、敬語も使えない輩を電話に出さすな!でもね。こういった、一生懸命に対応してくれる男の子はまだいいの。質が悪いのは女だね。最低限の会話しかしかしない。こちらが「お世話になっております」という前に、そっちが言え。それがビジネスの礼儀だ。年下の者の礼儀だ。会話の内容も慇懃無礼と形式的のオンパレード。「○○はただいま、席を外しております」「会議か打ち合わせか何かですか?社内にはいらっしゃいますか?」「ただいま、打ち合わせ中でございます。」おいおい。打ち合わせなら、最初に、「社内にはおりますが、打ち合わせで席を外しております。打ち合わせは4時までの予定でございます」と、言えよ。どうしてこっちが終了予定を聞くまで、言わないの?「打ち合わせが終わりましたら、こちらから電話させましょうか?」の一言がなぜ、言えぬ?声も暗いね。何か勘違いしてるよ。こいつら。縁故採用ばっかりやってるから、こうなるんだよ。考えていると頭に来た。僕はこの会社はアカンと思ったけど、それでも、今でも友達や尊敬する先輩はいる。だからたまに飲みに行く。飲みに行くと、ある意味、昔から会社の文句ばかり言ってた俺に対しては言いやすいのだろうか?彼らが僕に話する結論は、「この会社はアカンわ」なんです。「そんな事、昔からわかってるやん?」「いや、お前がおった頃より、もっとアカンわ」「あのなあ、おれがアカンって言ってたのは、単にその時点でのアカンを言ってた訳やないんやで。会社の体質だとか、方針だとか、そういう全体的な事を言ってた訳やし、どんどんアカンようになるって事を言ってたんや」「でも、ここまでアカンとは思わなかったからな~」友よ。君はアカン、アカンと言う前に、アカン状態からどうやったら抜け出せるかを考えろよ。いや、考えはしてるだろう。ならば実行に移しなさい。さもなくば、俺みたいに会社を辞めるしかないやろ。今更、会社を嘆き、半永久的に下がる給与と、減らない住宅ローン残高に文句を言っても、それは仕方ないだろう。それはサラリーマン道に反するよ。こっちはその大企業の看板を失ってでも、出たんだよ。苦労したんだよ。その中で既存の価値観を破壊しながら、新たな人生モデルを構築しつつあるんだよ。そりゃあ、今のところ成功じゃないかもしれない。総給与だって、残ってた方がもしかしたら上かも。でも、苦労してきてるんだ。それを、「お前はいい時に出たよな~」の一言で結論付けるな。と、思いつつ、「将来、俺がビッグになったら、雇ったるから、心配するな!」と言ってしまう俺。雇う気なんてサラサラないのに。でも、頑張ってよ。雇いたくなる人材になってよって気持ちはある。
2004.10.28
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このビルにオフィスが移転して半年弱。恐らく、初めての地震がありました。多分、今までもあったろうけど、オフィスにいて体験したのは初めて。高層ビルだから、地震が終わった後も、かなりの長時間、揺れが続いていた。地震発生から1分ぐらい経って、「地震がありました」という館内放送が日本語と英語で。そんなもんわかってるわって感じ。案の定、エレベーターは止まりました。お昼時だというのに。うちは比較的高いフロアだから、32階まで下りてからエレベーターに乗らなければならないみたい。僕は関係ないけど。つくづく、このビルはアカンわ。
2004.10.27
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一枚の大きな写真が掲げられている。サイズは、縦はゆうに1メートルはあるだろう。横は70センチってところか。その写真には二人の男女が握手している。一人は、汚れたブルーの割烹着を着、料理用の帽子をかぶった中年女性。もう一人は、西武ライオンズの古いユニフォームを着た、比較的可愛い顔をした男性。身長差はおそらく30センチ。場所はとある中華料理屋。○○○屋という。小さい店。カウンターが7席程度、それに四人掛けのテーブルが二つある。お世辞にもキレイな店ではない。しかも古い。その写真は、入り口を開け、前方やや上方を見ると、いやがうえにも飛び込んでくる。つまり一等地に掲げられている。写真の女性は、ここの店主兼料理人。元々は旦那さんが料理人で、奥さんとして雑用をしていたらしい。ところが、旦那さんが亡くなり、どうしょうかと思っていたところ、常連さんの助けもあり、この奥さんが料理人として続ける事にしたと、風邪の噂で聞いた。僕らがその店に行き始めた頃、この「○○○屋のお母さん」は、この地域で確固とした地位を築いていた。お母さん、お母さんと慕う、老若男女で、いつも一杯だった。理由はお母さん。一言、心のある人。別に客にお世辞を言う訳ではない。むしろ無口。でも、なんだか癒される、お母さん。遠出をして、疲れて帰って来た時、行きたくなる店。そして、会いたくなるお母さん。こんな事があって疲れちゃったよ~とか、言いたくなるお母さん。そして、お母さんに会いに○○○屋に行くたびに、そして、二人の写真を見るたびに思う。(このピッチャー、最近、見ないな~。どうしてるのかな~?)年々、出番が減っているように見えた。今年も、ペナントレースで活躍したようには見えなかった。若手の台頭が著しいライオンズにおいて、ユニフォームと共に過去に置き忘れられた感すらあった。しかし!彼は死んではいなかった。昨日は、そのピッチャーが久しぶりに大きく輝いた日。シーズン一勝ながら、日本シリーズでは七戦中二勝してしまった、その二勝目を挙げた日。二回の登板、13イニングで一点も相手に許さなかったという記録まで達成した日。石井投手の力投を見て、○○○屋のお母さんを思い出した。お母さんが後押ししてる気がした。昨日はお母さんも、きっとお酒が美味かったに違いない。おめでとう、石井投手!そして、おめでとう、○○○屋のお母さん!
2004.10.26
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もうそろそろ、日本一のチームが決まるね。個人的にはかけらも面白くなかった今シーズン。唯一、興奮したのは、西武がプレーオフでダイエーを破った時くらいかな?ダイエーは嫌いなもんで、溜飲が下がりました。ダイエーをやっつけた西武に対して、よくやりましたというご褒美で、今回だけは日本シリーズは西武を応援することに。普段は、応援しないチームなんだけどね。堤が嫌いだから。というか、親会社の西武鉄道は、設備投資をしなさすぎで、開かずの踏み切りばかりで、交通渋滞を招くから嫌い。ダイエーも、借りた金を返しもせんと、借金棒引きの交渉ばかりしくさって、そのくせ、球団に関しては裏金使いまくって選手をかき集めてるから嫌い。まあ、ダントツで嫌いなんは、文句なしにジャイころやけどね。
2004.10.25
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今日も長男の模試に付き合う。待ち時間、いつも髪を切りに行っている店がそばにあるので、髪を切りに行く。髪を切り終わり、試験会場へ。グラウンドではサッカー部が練習してる。僕と同様、試験終了を待つ父兄が待機している。ほとんどがお母さん。ある人は今日配られた資料を必死で読み、ある人は知り合いと雑談。みんな表情が険しい。そりゃそうだ。あと百日だ。みんな悩みを抱えてる。でも、この中に今の僕と同じ悩みを抱え、似たような心境の人はいるかな?いる訳ないよな。少なくともここには。でも…。色々と考えていたら、悲しくなった。秋晴れが妙に切ない、日曜の午前にて。**********試験も無事終わり、帰宅。今日は嫁の機嫌がいい。ていうか、何で俺が嫁の顔色を伺わなあかんねん?基本的な質問を投げかけた。「なあなあ、この前、あたしはあんたが考えてるよりはるかに怖いでっていってたやろ?」「ゆうたで。それが?」「その『はるかに怖い』って意味、分かるで」「どういう事なん?」「殺すって事やろ?」話が物騒でゴメンネ。こんな夫婦も珍しいかもな。「よう分かってるやん。つまり、あんたはその覚悟が出来てるんやったら、好きなように遊びってゆうてるねん。」「そやな。その覚悟は出来てる。」「ほ~。あんたにしてはええ度胸やな。」「でも、一つだけ確認しておきたいことがある。」「何?」「もし、そういう現場に出くわしたら、どっちを殺すん?それとも両方?」しばし、間があり。「そら、あんたや!」「女には危害を加えへんって事やな。」「そうや。悪いのはあくまでもあんたや。」「ほなら、俺を血みどろにして、血の海の中で最期の時を迎えて、ピクピクってしてる半分遺体の俺を前に、怯える女と平然とするあんた。そこであんたは、『あんたには用はない。さっさと行き!』とか言うんやろな。かっこいい~!そんな死に方出来たら最高やな。」「あほなことゆうとる場合か。」何かで聞いたことあるけど、男性の不貞行為を見つけた女性は攻撃対象を自分の夫(恋人)である男性にし、女性の不貞行為を見つけた男性は攻撃対象を自分の妻(恋人)である女性の相手の男性にするとか。つまり、攻撃されるのはいつも男やん?不公平な世の中やな~。まあ、あほなことゆうてる場合やないね。
2004.10.24
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草野球してきました。友人のチームの助っ人です。僕は草野球には自信があったものの、やってみたら散々でした。レフトの守備では打球の目測を誤って、前進後後退で後ろに逸らす事二回、サードでは、ファールフライを追い掛け過ぎて取れない事一回、送球エラー二回です。打つ方では、最初こそ、前に飛びました。ボテボテのサードゴロ。全力疾走で、ファーストのエラーを誘いました。見所はそれだけです。後は見逃しと空振りの三振二回。見逃しの最後の球は明らかなボールだから仕方ありませんが、まあ、実力もなかったです。いくら毎日、走ってても、アカンな~って感じ。**********野球の後、時間がある人たちで昼食に行きました。週末奴隷である僕は、即、家電です。「もしもし?」「あっ、僕やけど…」「何?」「あ~、野球終わったから、飯食って帰るわ」「ほらな。やっぱりや」「しゃあないやん。付き合いも大事やで」「付き合いゆうても、友達付き合いやろ?仕事ちゃうやろ?」「そうやけど、友達も大事やろ」しばしの間。「あんた、いつまでも家があるとは思たら、大間違いやで」「どういうこと?」「物理的に家はあるやろう。でも、そこに住んでいる住人の心は、あんたから完璧に離れるってことやな」「わかったから、切る(で)」最後の「で」を発する前に、電話は向こうから切られました。来週も三回も飲みだし、週末出勤もあるのに、頭が痛いでござる。僕が自宅に電話を掛け終わった直後、向かいに座る友人の携帯に電話が。「うん?あ~。野球は終わった。」(僕の想像による会話)「あっ、あなたお疲れ様。疲れたでしょ?」「あ~、そうだな~。」(想像)「まっすぐ帰って来られるの?」「いや。今から食事するところ。」(想像)「分かったわ。じゃあ、食事は三人で済ませておくわ。何時頃、帰って来るの?」「わかんない。二時ぐらいじゃないの」(想像)「あら、遅いのね~。子供が待ってるから、早く帰って来てね」「(不機嫌そうに)ああ。わかったよ。じゃあな」と言うなり、ブチッ。「チェッ」ほんまに、隣の芝は青いわ。
2004.10.23
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友人の外資系金融機関が野球チームを持っているとか。でも、人数が少ない。いつも助っ人を必要とするらしい。先日、その友人と飲み、助っ人参加の打診を受けた。僕は即答でイエス。ただ、嫁の了解が取れたらという条件付き。次の試合は明後日の土曜日。嫁に了解を求める。「奴隷に人格はない」そう言われつつも、一応、女王様の了解を頂きました。*****次男の幼稚園での事。担任の先生が、今流行りの「松健サンバ」のCDを買い、それを幼稚園に持ってきたそうな。それを見た、クラス一早熟、でも、うちの次男君に密かに思いを寄せているMちゃん。「先生、それ『松健サンバ』だよね~」先生「Mちゃん、よく知ってるね~」それに対して次男君「違うよ。それは『松健サンバ2』だよ!」CDのジャケットを見る先生とMちゃん。「へぇ~!」こうして、Mちゃんはまた次男君をへの思いを募らせるのです。この間、他の園児、キョトン…それにしても次男君、あんた病気。*****僕は週末奴隷。というか、家庭奴隷。ご主人様の命令は絶対服従。東に安い野菜があれば、そこに行って100円をセーブし、西に安い油が売っていれば、そこに行って50円をセーブする。それぞれに往復一時間かけて。俺の平日の時給、いくらやと思ってるねん?なんて疑問は野暮さ。だって、奴隷には時給なんて支払わないでしょ?とっても小市民的奴隷の生活。*****車が欲しい。しょうもない車を10年乗っている。11年目の車検は避けたい。「車、買ってええ?」「家買ってからな?」「そんな事、言わんと~」「何、欲しいん?」「5シリーズかボルボの60か70かアルファ156」「必要ない」こういった問答を5年以上繰り返し。甲斐性なし。自分で乗る車さえ決められない、甲斐性のない男。でも、車が人格を現す訳でなし志高ければ、ボロ車でもいいさ。自信があれば、車がなくてもいいさ。と、自分に言い聞かせ。*****風呂上がり、妻が一言「さっきから、電話鳴ってたで」「あっ、そう」「どこからか、見んでええの?コールバックは?」「ええ。いらん」「はは~、どこからか分かってるって事やな」「・・・・・・・・・・」「もう一回、走りに行くか?散歩に行くか?」「・・・・・・・・・・」「風呂中に掛けてくるなと、教育しとけ」「・・・・・・・・・・」「あたしは、あんたが思ってるより、はるかに怖いで」「・・・・・・・・・・」こんな一日。波瀾万丈の一日。Welcome to my SWEET home!日記のネタには困らないけど、僕の神経、紅葉おろし。Well, I'd better run away.
2004.10.22
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女々しい日記は削除。it's all over.
2004.10.21
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二日間のKの入試も無事終わり、結果を待つばかりとなりました。結果発表は翌日。祖母と母と姉と僕の四人で見に行きました。この四人組というのはちょっとした縁起担ぎなのです。二年前、姉がDに合格した際もこの四人組で見に行きました。だから、今度もこれで行こうと。当時、病気の父は退院して、自宅療養中でしてから、きっと見に行きたいだろうと思いましたが、縁起担ぎに負ける形で待機、発表後に梅田で待ち合わせして、夕食という事になりました。さて、合格パーティーとなるのか、それとも「お通夜」となるのか。祖母と姉と私は一緒に梅田に行きました。阪神百貨店梅田店の二階にあった(今もあるかも)甘辛茶寮という和風の喫茶兼軽食のお店で、母と待ち合わせをします。母は仕事を切り上げてくる予定でした。しかし、待ち合わせの時間に母は来ません。母が待ち合わせに遅れてくる事はよくありましたが、それにしても遅すぎる。と思っていたら、30分か1時間遅れで母が登場です。遅れた理由は、南海電車で投身事故があったとか。祖母が諭します。「あんた、そんな縁起でもない事、言わんでええのに…」母は我関せずといった風貌で、いつもの甲高い声で「ええやん。当たってんから。大当たりと思っとき!」そう言えば、道端で犬の糞を踏んでも「うんが付いた」と言う母です。そんな事は関係ないという感じでした。そこから阪神の特急と各駅停車を乗り継いで学校の最寄り駅へ。さらに15分程度歩きます。道すがら、合格発表を終えた少年達とその親にすれ違います。ニコニコしながら手に封筒を持っている少年。対して、何も持たずに暗い顔で歩いている少年。残酷な風景です。学校が近付いてきました。学校まであと200メートルぐらいになった場所で、僕はこらえきれず、走って見に行く事としました。姉も付いてきました。校門を入り、右方向へ。下駄箱がありますが、この日は下駄箱から隣りの卓球場までシートが敷かれており、土足で入れます。下駄箱を過ぎる頃には、卓球場から悲鳴や歓声、奇声がまじりあった、異様な音が聞こえてきます。卓球場に入りました。僕の受験番号は303。見ると二桁台の受験番号が並んでいます。もう少し左だ。100番台。200番台。300あっ、300番の同じ塾の奴も通ったな~。その隣りは?303ありました。ご丁寧に下に氏名もありました。番号だけなら不安でしたが、氏名もあった事で合格を確信しました。僕の近辺は300,303,304と合格していました。早速、祖母と母に報告しなければなりません。来た道を戻ると、校門付近で会いました。雰囲気で合格を察した祖母と母は既に泣いていました。四人で改めて卓球場に行きました。合格を再度、確認しました。入学に関する書類をもらい、父の待つ梅田へ。梅田の○神ホテルで待ち合わせです。その頃は携帯なぞありません。合格が分かった段階では父は既に家を出ています。したがって、父への報告は○神ホテルで行います。帰りの電車内で、姉と僕は相談しました。一瞬、不合格だったように見せかけて、嘘だよ~って感じで驚かせてやろうという作戦でした。しかし…○神ホテルの入り口の自動ドアが開き、20メートルほど先のロビーに、父が不安そうにして立っているのを見つけた僕は、そんな作戦なんてどうでもいいと思いました。全速力で走りました。父も僕が走って来るのでびっくりしていました。「合格したで~」「良かったな~」それだけです。他に言葉は要りませんでした。その日は、恐らく僕の希望で、このホテルにある中華料理レストランである銀○ア○ターで五人で食事をして帰りました。合格が分かった瞬間、そして、父の姿を見た瞬間の気持ちを思い出すと、いまだに熱くなります。ジーンと来ます。その後、大学受験の合格発表や、アメリカの大学院の合格通知という経験は何度かありますが、中学受験のこの瞬間ほどの感動はありませんでした。
2004.10.19
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日曜日の京王線。妻と次男と僕は、明大前から準特急に乗り、高尾山口に向かっていた。車内での話。妻が僕に向かって小声で「NOT MY TYPE!」うちの夫婦。周りに聞かれたくない会話は英語でする。元々、アメリカにいる頃、周りに聞かれたくない事を日本語で話していた事の派生である。この時の注意点は、感情を入れない事。感情を入れると、どんな意味かたちどころに理解されてしまう。アメリカで、対応の悪い店員に、三角の目を向けて「この、うすのろが~」って言ったら、向こうも中指を立てる。だから、ニコニコしながら「おつむ、弱いね~、君~」って言うと、何故か、「Thanks you, sir」って反って来る。不思議だ。だから、妻が「Not MY TYPE」と無表情でいった時、それはつまり、「吐き気がして、死にそう。このキモい野郎」と、僕の脳内電子辞書では翻訳される。彼女の視線の先には30代と思しき男性会社員が眠っている。顔は塚地。ツカピョンは今でこそ慣れたけど、似た顔のデブがいたら、引くわな~。体型は180センチ95キロって感じ。黒いスーツを着ている。安そう。昔、大阪梅田の阪急ファイブにパイルという店があった。今もあるかもしれない。そんな事知らん。いつも、安っぽい黒い服を売っていた。そのパイルでスーツとネクタイを買ったみたいだ。手にはセカンドバックとヤンジャンを持っている。話は脱線するが、セカンドバックって嫌いだ。といっても、大学時代まではよく持ったが、男が持つのはなんか情けない。ビジネスマンは、ブリーフケースがアタッシュか、それでも収納不可能な場合は、通称「お医者さんカバン」みたいな大きなカバンだろ。でなきゃ手ぶらでね。僕はいつも大きなカバンを持っている。私服の時は、バックパックだろ。それが僕のこだわり。セカンドバックは嫌い。電車に漫画を持ち込む奴も信じられない。頭が悪そうである。きっと、悪い。漫画文化を否定するつもりはない。でもなあ、ええ年した大人は、電車内では、カバーのかかった単行本か文庫本、もしくは日経を読もうよ。朝日、毎日もイマイチ。読売はブッブー。○教新聞なら興味津々。その勇気に敬意を表して、ずっと観察します。本題に戻って…。妻曰く、最初はご多分に漏れず、携帯メールをしていたそうだ。しかし、メールを終えて、寝始めた。頭を後ろに倒して。醜いお顔がワイドオープンでございます。三分我慢して、僕に対する例の発言が出た。僕も一目見て…「I know. Why don't you go away?」静かに立ち去る妻。中年女性の前に立ち位置を変えた。そうこうしているうちに、調布着。席がバラバラに空き、妻は一人で、僕は次男を座らせてその前に立った。次は府中ではなく、東府中に臨時停車。何を意味するか?京阪の急行が淀に停まるが如く、阪神の急行が尼崎センタープール前に停まるがごとく…。要は競馬開催日やね。うんざり。でも、こいつは次で下りるぜってことがゲスし易い。しか~し、今回は間違った。年齢50代、汚いスウェットを来たスニーカーのおっさんに焦点を定めたが、下りない。結局、妻の隣りの席が二つ空いたので、そこに次男と移動。移動すると、妻が、前に座っている人がキレイだという。まあまあかな~って感じ。「う~ん。あれは千秋やな。でも、電線いってるで~」「知ってる」「内股の電線は、なかなかそそるもんがあるね」「あんた、ちょっと黙っとり」彼女は調布で乗車して高尾で下車した。手には大きな荷物。明らかにお泊りする感じ。「はっは~。彼女は調布近辺に住んでおり、実家は山梨。実家の親に見合い話を勧められ、泊りがけで帰ってこいと言われた。高尾から中央本線に乗るんかね。明大前なら吉祥寺経由、都心に近ければ新宿経由かいじ乗車が早いけど、調布だと高尾経由やね。見合いの時間に間に合わそうと急いでストッキングを履いたな。もしかすると、ベッドで彼氏が、見合いなんかするなや~とか押し問答あったかもな。でも、押し問答があった時ほど、ストッキングは慎重に履くからな~。ああいうタイプは意外にもてへんで~。そんな感じかな?」「シャーロック・ホームズさん、ちょっと黙っててくれへんか?」ネタがあり過ぎてかけまへん。**********同じ社内に、3歳くらいの男の子を連れた、その子の両親と思しき男女がいた。男は40歳代後半、女は20歳代半ば。その夫婦を見て、妻が「あれは、お父ちゃん得しとるね~」「でも、あの嫁、誰かに似とらへんか?」「Mさんの嫁!」「あ~、Mさんって、あんたの嫌いな人やな」「いや、あたしだけやないで。みんなが嫌いや」「そうらしいな~。でも、旦那はええ人やのにな~」「旦那はええ人って、それはあんたが阪神ファンやから、懐いて来るだけでしょ。そもそも、彼女のわがままを許してるんやから、同罪か、それ以下やわ」「それに似てるんやったら、あのおっさんも、全然、得やないな~」このM夫人。とんでもない輩だそうだ。子供を持っている人なら良く知っている事だが、年収がある一定の水準未満だと、なにやらカードのようなものをもらえて、子供の医療費がただとなるらしい。その年収とは、特別高い年収ではないのだが、これを持っている人は結構、多い。僕はある時期、ある事情から半年近く無職の時期があった。その次の年はカードがもらえたが、基本的には考えたことすらない。ある時、そのカードの受給資格の話になったそうだ。M夫人、旦那は一応、金融機関勤務である。したがって、本来は給料はそこそこのはずだが、しかも、私よりも5歳程度年齢が上のはずだが、そのカードの受給資格がある。不思議だ。うちははなから受給資格がない事を知っていたので、その話題に高見の見物を決め込んでいたらしい。すると、M夫人、何を思ったかうちの嫁に向かって、「受給資格の年収は○百万だから、大丈夫よ。申請しなさいよ!」(あの~、うちがその年収以下だと、決め付ける根拠はどこに…)一時が万事。相手を馬鹿にすることしか頭にない。でも、馬鹿にしたつもりが馬鹿にされてる、哀れな人種。そんな話が走馬灯のように…。そうこう考えていたら、高尾山口に着いた。
2004.10.18
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今日は嫁と次男と三人で高尾山に登ります。長男は塾。仕方ない。長男の受験勉強のために次男が犠牲となっている事も多く、たまには次男をどこかに連れて行ってやらなければ。ご存知でない方のために説明すると、高尾山は東京の郊外にあるそれほど高くない山で、京王線か、中央線と京王線を乗り継いで高尾山口という駅に行き、そこから徒歩、もしくは、ケーブルカーやリフトと徒歩で登ります。うちはケチだから滅多にケーブルカーには乗りません。下から上まで歩きです。途中に薬王院というお寺があり、参拝して、豆の試食をして、たまには少し買います。薬王院で引き返すことも、さらに15分か20分歩いて山頂まで行く場合も両方あります。今日はどうするかな?紅葉には早いと思うので、混雑はしてないでしょう。でも、紅葉の時やお正月なぞ、最低です。正直言って登山ではなく、ハイキングだと思いますが、僕の切なる願いは、次男が歩いてくれることです。歩けなくなると、何故か肩車をさせられる。疲れは倍増、腰への負担は3倍増です。人よりも頑強な腰を持つつもりではありますが、それでも疲れは残る。登山から帰って来て、また元気があれば、後ほど…。**********登山から戻って参りました。と言っても、帰宅後、失神してました。帰りの京王線でも失神。帰宅後も失神。これはやっぱり年なんでしょうかね?まあ、おかげで土曜日の朝、11時に起床したかの様な元気さです。次男君。歩きました。一度も肩車要請は受けませんでした。最初は眠い眠いとわめいておりましたが、途中からはピンコロシャン。薬王院まで歩きました。帰りは少しぐずりましたが、ソフトクリーム一個で機嫌を直しました。一個と言ってもコスト・コンシャスなサム君。三人で三個なぞ買いません。一個買って、終わりです。シェアです。特別美味い場合だけ、追加注文です。300円のソフトクリームで、追加注文になる確率は低い。今日も、一個で十分でした。薬王院では、なにやらお祭りみたいなものをやってました。半ば寺で育ったような境遇で、仏教関係のお祭りには馴染みがある私ですが、なにかわかりませんでした。ただ、こいつは坊さん、こいつは檀家ってのはさすがにわかりました。それにしても坊さんの衣と中身のアンバランスであること。ちょっぴり呆れた。坊さんは位が上がる毎に衣の色が変わります。最初は黒だけど、茶とか紫とか赤とかに変化して行きます。おいおい、こいつが紫かよって思いました。赤のお寺さんはさすがに雰囲気がありましたが、でも、うちのじいちゃんのほうが良かったぜ、なんて思ったりして。確かに、こういったお祭りでは、衣が少々「インフレ」となることもやむを得ないのですが、「やめときなはれ。恥かくだけやで」ってのが多かった。まあ、こんな目で見るのも私だけでしょうから、好きにしなはれ。ヒヒヒ。気が向いたら、後で走りに行きます。では、また。**********てことで、走りました。久しぶりに走りました。最近は走るつもりで家を出ながら、歩くことも多かったので、久しぶりです。9キロ走りました。汗もたっぷりかきました。久しぶりに健康的な一日。今週は火、水が飲みの予定。火曜日は私的な非定期に行われる勉強会があります。その後は、いつものパターンだと飲みでしょう。火曜日はなんと「講師」です。この前書いた論文の話をします。講師だから深酒はしません。多分。水曜日も深酒はしません。楽しい飲みになる筈。9時だというのに眠いです。おやすみなさ~い…
2004.10.17
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今日はいつもとはちょっと違う土曜日。<その一>パソコンがやって来た。数ヶ月前、会社に自宅用のパソコンを買わせましたが、あえなく故障。システムに依頼してるけど、いっこうに修理が終わりません。もう、お前らに頼まん。それに、自宅でもっと自由にしたいことある。というわけで、新しいパソコンを購入。これも数ヶ月前、会社のパソコンを自宅に持ち込むことを前提で加入したADSL。その時の担当の女性が、パソに詳しかったので、その人から情報収集。ただ、その人はその家電量販店の人ではなく、僕に売っても一円にもならないそうだから、ネットで購入。楽天も見てみたけど、カカクコムの方が安いものがあり。あらかじめ機種を決めていたので、ある程度値段の推移を見て、おととい購入。昨日の振込みを経て、今朝、到着。そのセットアップを行い、早速遊んでる僕。<その二>パソコンのセットアップに時間を取られて思わず遅れそうになったけど、10時半に歯医者の予約があったのです。次男の幼稚園の同級生のパパ。評判が良かったので言った。良かった。なぜ、歯医者に行ったかというと、歯が欠けたのです。数ヶ月前、ホッチキスの針を歯で取ろうとして、撃沈です。今日行って良かった。虫歯になりかけでした。その他、歯石も除去してもらいました。あと三回ぐらい通う予定です。<その三>何故だか、長男の学校で行事があり、親も参観できるらしくて、行ってきました。しょうもなかった。長男は塾、遅刻です。散々、休ませるかどうか議論した結果、なにやら責任のある役職についているらしいので、休ませるのをやめました。本当に、うちのぼっちゃんは誰に似たのでしょう。こういう事すべて立候補します。受験の邪魔なのですが。小学校では亀のように、昼行灯のように生活せよと言ってますが。ちょうど、今の会社での僕のように…。いつもの奴隷週末よりも退屈な土曜かも。**********いやね。歯を欠けさせて以来、家では針のむしろでございましたよ。ホッチキスの針を取ろうとしている次男に向かって嫁が、「○○君、い~い~。ホッチキスの針はね。こうやってホッチキスの後ろに付いている、この部分を使って取るんだよ。間違ってもね。歯を使って取っちゃ~、いけないからね」と言いつつ、僕に対して優越感満載の視線を投げかける。これに耐えて来た訳でございます。でもね。僕が取ろうとしたホッチキスはそんなにやわなものではないのです。50枚くらいの書類を綴じようとして失敗すると、変な形で針が食い込んだままつぶれるのです。これを取るのは歯しかないと思うのですが、もっといい方法をご存知の方がいたら、教えて欲しいよ。
2004.10.16
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三日連続の飲み。しかも、昨日、一昨日はそれぞれ2時、3時まで遊びましたわ。お遊びが過ぎるかも。昨日も一昨日も、酒量でつれを完璧にアウトパフォームしました。機関銃のように話しました。昨日は歌も歌いまくっちゃった。声が壊れるまで。でも、不思議と元気。一時間しか寝てないのにね。今日は、たっぷりと走って、たっぷりと汗を流して、アルコールの「垢」を落とします。**********外出してきました。用件が終わった後、30分程歩き、10年間勤めた、元の会社付近へ。会社に対しては何の未練もない。元同僚に対しても、全体の99%は何の思い入れもない。ただ、昼飯を食べに行ってた店には、たまに行きたくなる。今日もそんな店の一つ、あるラーメン屋に行った。汚い店内。汚い店員の制服。汚い台布巾。全然変わらない。ただ、時代物のレジがなくなり、食券機になっていた。水を入れるのはプラスチックのコップから紙コップに変わっていた。味は変わらない。化学調味料タップリのスープ。分厚めのチャーシュー。お愛想程度の海苔と三葉。太目の麺。すべてが同じ。変わったのは…大盛ラーメンではなくラーメンを注文した僕自身。帰り際、古巣の会社の知り合いを見掛けた。向こうは覚えていないみたいだから、声は掛けなかった。食後30分、下痢気味となる。うん。同じだ。ゴロゴロ…**********懸念していたゴロゴロも大事に至らず。しかし、もう一つの下痢誘発要因がある事が判明。いや、判明しているなら回避しろよというご指摘もあろうかと。そうは行かないのです。悩ましいのです。今夜は自爆してしまうかもしれないのであります。自爆すると走れなくなるかもだわ。悩ましいのです。
2004.10.15
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ここんところ、なんだか物騒だよ~武蔵境では女性が通り魔に襲われて重傷だって。中央線の吉祥寺駅では誰かがスプレー噴射して逃走だって。どっちも自宅から遠くないよ。嫌だ、嫌だ。久しぶりに傘を差さずに通勤できた朝。でも、空は今日もどんより。ロンドンだね。ニースの青空が恋しいよ。なんちゃって。ニースなんて行った事ないって。**********ニースの青空は置いといて…。僕の本当の想い出の青空は、スイスのツェルマットとカナダのケベックのケベックシティの旧市街。**********ツェルマットは大学の卒業旅行でスキーしに行った場所。ちょっとした出会いもありました。この話は1月16日の日記に記載してあります。ツェルマットの路地裏で、マッターホルンと青空をバックに、二人で撮った写真は、とってもいい写真です。別に彼女に対する思いは今はないけど、青空がいい。この写真を見た人は、10人中10人が、「彼女?」って聞きます。10人中9.5人が、「やったな」とつぶやきます。彼女ではありません。やってません。って、何を?もう一つは、1992年に行ったカナダ旅行の時のオールド・ケベック・シティの青空。アメリカの東の某都市から、何日もかけてドライブしました。僕たちが行った最北端がケベック・シティでした。青空があまりにキレイなので、買ったばかりの一眼レフで撮りまくりました。嫁にフィルムの無駄使いと罵倒されました。でも、撮り続けました。危うく、最期の写真になるところでした。ケベックから自宅への帰路、車が一回転する大事故を経験しました。二人とも無傷。車は全損でサヨナラでした。それ以降はアムトラックで帰りました。ケベックの青空を見るたびに心が痛む。
2004.10.14
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雨、雨、雨、雨、雨ばかり。心を暗くする雨。暗くなる理由は他にもあったが…早朝、雨音で目が覚めた。目が覚める理由は他にもあったが…雨、雨、雨、雨。晴れる日は来るのだろうか?**********天気等の理由で沈みきっている本日。別に日記を無理に書く必要もないんやろうけど、何となく書かなやっとられるかいって感じで、ノスタルジー日記を書いてしまいます。子供の頃、僕をとっても可愛がってくれた叔父がいました。叔父と言っても、血縁関係としては母方の祖母の従兄弟であったため、叔父ではありません。でも、僕にとっては最高のおじちゃんで、おじちゃんも、僕をとっても可愛がってくれました。僕はいつも彼を「○○ちゃんのおじちゃん」と呼んでいました(以後、「Tおじちゃん」)。おじちゃんは、祖母の従兄弟といっても年齢的には母と同学年。母と同じ学校に行ったそうです。5人兄弟の末っ子でした。実は、この五人兄弟の両親は、五人兄弟が子供の頃になくなり、父親の姉である祖母と、その夫である僕にとっての祖父によって、寺で育てられました。五人兄弟の上の二人は、僕が子供の頃には既に独立しており、というか、祖母の弁によると「独立してからは挨拶一つよこさない」形で音信不通でした。だから、子供の頃は三人兄弟だと思ってました。五人兄弟の三番目も、祖父曰く「ええ加減な奴」で、寺には年に一度来るか来ないかという感じでした。四男は、これも祖父曰く「頭が悪くてどうしようもない」人でした。ある檀家が、寺と姻戚関係になりたいから誰でもいいからって、彼を婿養子にしましたが、後に離縁されています。さて、五人兄弟の末っ子がTおじちゃんです。Tおじちゃんの職業はタクシーの運転手でした。Tおじちゃんは、お盆の檀家回りの際は率先して運転手をしました。運転手はTおじちゃんだけではありません。母の弟もやりました。ただ、Tおじちゃんが他の運転手役と異なるのは、決してお金を貰わなかった事らしいです。これは後から母から聞きました。寺にとって、お盆の檀家回りは大変な行事でもあり、かつ、書入れ時です。タップリ、儲かります。一番効率よく儲かるのはお葬式ですが、金額の大きさではお盆の檀家回りと施餓鬼です。だから、働く者に対しても、結構、振る舞われます。僕なぞは、中学高校時代、衣着て檀家回りをした事によるアルバイト代をタップリ貰いました。でも、Tおじちゃんは、一切、受け取らなかったそうです。子供の頃から育ててもらった恩義を感じ、ただ働きしていたそうです。Tおじちゃんは、暇さえあれば僕をドライブに連れて行ってくれました。僕は、ドライブで、タクシーメーターが変わるのが大好きでした。当時は20円刻みだったと思います。「もっと、はよ動いたらええのにな~」と愚痴った事もあります。思い返せば、そのメーター分、Tおじちゃんは自腹を切っていたのです。自腹を切ってでもドライブに連れて行ってくれたのです。ある時は琵琶湖にまで連れて行ってくれました。僕一人ではありませんでしたが、僕は助手席で「はよ一万円になれ~」とかはやし立てていました。そんな僕を笑いながら見てくれていました。僕に初めてコカコーラを飲ませてくれたのはTおじちゃんです。350ミリリットルのコーラを3歳くらいの子供が飲める筈もなく、僕は「なんで、こんな飲めへんような大きさの缶、作るんやろな~?頭悪いな~」って愚痴ったそうです。僕が成長するに連れて、会う機会は減りましたが、会うと、いつもクシャクシャの笑顔で「大きなったな~」と喜んでくれました。実際、彼は小柄で、150センチ台だったと思います。中学生の頃には身長は完全に抜きました。僕が高校時代に酒を、そして酒の怖さを教えてくれたのもTおじちゃんでした。僕が大学時代に自動車事故の被害者になった時、加害者に対してどういう交渉しようかと相談した時、自分の体に被害はなかったのだから、それを良しとして、あんまり加害者を責めるような事なく、早く丸く収めなさいと諭してくれたのもTおじちゃんでした。Tおじちゃんは独身でした。見合いの話はあったみたいですが、断ったらしいです。今から思えば、母の事が好きだったのではと思います。だから、僕を可愛がってくれたのだという気がします。そんな母は同級生のTおじちゃんを昔からよくいじめたそうです。それをまた自慢げに話す残酷な女です。でも、いじめられても、いつもニコニコしていたそうです。そんなTおじちゃんは、僕が大学4年の時、急死しました。ちょうどこんな雨の日、季節は冬でしたが。非番の前日は深酒する癖が付いてしまっていた彼は、いつものように深酒をし、雨に濡れた階段で足を滑らせて頭から落下。数日間の昏睡状態の後、亡くなりました。僕が自動車事故の件で相談してから1ヶ月も経っていなかったと思います。僕は、彼の事故の一報を聞いた時、帰ろうと思いましたが、母と姉の、帰る必要はないという言葉で、帰省を止めました。ちょうど、友人とスキー旅行に行く予定があり、それを優先する理由を探してしまった事に対しては反省しています。ただ、晩年のTおじちゃんは僕の知っている姿よりかなり痩せていて、だから、死に際の姿を見なくて良かったという気持ちもあります。こんな雨の日は、Tおじちゃんを思い出します。顔と、何故か笑い声は今でも覚えています。それにしても、今日の僕の心はどしゃ降りだ~!誰か助けて~!!**********二時前です。東京の雨はどうやら止んだみたい。高すぎて地上の様子は見にくいけど、傘を差してる人は見当たらないね。それにしてもどしゃ降り。どしゃ降りは止む気配すらない。色々な励ましのお言葉を頂きました。ありがとうございます。でも、私が膝枕してあげるわ!ってのはなかったね。あるかっ!今日も明日も飲みです。今日の飲みは8時からなんよ~。ちょっと待ち時間長過ぎへんか?
2004.10.13
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Kの受験日は確か、3月1日、2日だったと思います。2日、3日だったかも知れないけど、とにかく二日あった。前述のとおり、受験科目は算国理の三科目です。しかし、実際にはそれ以外に、体育と面接があります。ただ、体育に関しては、「体がちゃんと動くかどうかを確認するだけ」という話でしたし、実際には、僕の同級生には後にテニスのラケットくぐりで名を馳せる、とっても特異な体を有するK君もいましたから、余程の事がない限り、体育で落ちる事はありません。実際、このK君も僕と同じ時に体育の「試験」を受けましたが、確かに動きは変なんですが、一生懸命真面目にやってると、最後に試験官が、「はい、みんな問題ありません」って言ってくれたので、まあ、ホッとしました。面接の話は後述します。算数と国語は二日間に分けて二回、理科は一日だけだった様な気がしますが、うろ覚えです。もしかしたら理科も二日目にもあったかも知れません。当時、住んでいた場所は京阪沿線で、ご存知のない方のために説明すると、大阪と京都を結ぶ電車です。しかし、後発の電車であるため、梅田や難波といったターミナル駅ではなく、淀屋橋というビジネス街が終点です。しかも、淀屋橋駅は横にスペースがないため、縦に二編成電車が止まるという、恐るべき「鰻の寝床」駅でございました。それは余談ですが。私の場合、最寄り駅から淀屋橋まで25分、淀屋橋から梅田まで地下鉄で3分、梅田から学校の最寄り駅まで25分って感じで、しかも自宅から最寄り駅まではバスだったので、通学時間は1時間半でした。試験当日は、梅田にある新阪○ホテルに泊まって、そこから出撃する事としました。一日目、梅田駅で特急に乗り、発車を待つ間、母が僕を惑わせる事を言った事はすでに書いたとおりですが、特に気持ちが動く事もなく、Nの最寄り駅より三つほど手前のKの最寄り駅で阪神電車を下車。徒歩十分で学校に着きました。途中、寒かったので震えた記憶があります。母がまた要らん事を一言。「武者震いか?」正直言って、そこから試験が終わるまではまったく覚えておりません。出来ませんでした。最悪でした。国語も算数も理科もボロボロでした。帰り道、泣きそうでした。ずっと、下を向いていました。雪がぱらつき、頬に当たりました。その冷たさしか記憶にない。母とも会話を交わした筈だけど、全然、記憶にありません。学校の最寄り駅で、塾での一番の親友に会いました。15メートルほど先にいました。向こうもこっちを見ていました。でも、何故かお互いに顔を逸らしてしまいました。そして、宿泊先の新阪○ホテルに帰ってきました。ホテルに帰ると、父が待っていました。父とも会話をしたと思います。でも、内容は忘れました。記憶にあるのは、そのホテル内で食べた竹○亭の鰻重が、生まれて一番、美味かった事。大阪では食った事のない、柔らかい鰻でした。その美味い鰻を食って、なんだか明日も取りあえず頑張ってみようと思いました。単細胞は昔から変わらずです。こうして一日目が終わりました。**********二日目の話をする前に、一日目に関する事で思い出した事を少々。一日目の試験の前に、講堂に集められました。定員170名で倍率は例年3倍程度なので500名程度がいました。その500名の前で、教頭が話するのです。これがいい。本当にいい。感動するのです。実は、合格後、教頭でこれだけだから校長はどれだけ良い話をするのだろうと期待して、それがものの見事に裏切られた記憶があります。それもそのはず、校長は代数の教師、教頭は国語、特に古文に造けいの深い教師でした。話の深みが違います。しかも、この教頭、後で知った事には、某有名作家のお父さんです。実は、その作家、結構好きです。彼が描く世界は結構身近に感じます。まあ、試験当日に、それまでの「是非とも合格したい」から、「この学校で勉強したい」に変わった感じがしました。そういう気持ちにもかかわらず試験に失敗し、大きく凹まされ、でも、父が食べさせてくれた鰻重でやる気を取り戻し、二日目を迎えたのでした。二日目。これも試験の内容は記憶にありません。ただ、開き直ったせいか、出来は全体的に悪くはなかった。試験の最後に面接がありました。面接の直前は、面接が行われる教室の前に椅子が五つあって、そこで待機させられます。在校生がここに行け、あそこに行けとお世話してくれるのですが、気持ちをほぐしてくれます。こんな質問をされました。「この中で、塾、○○の人?」僕以外の一人が手を挙げます。「××?」一人が手を挙げます。僕はまだです。「△△受験?」僕と、三つとなりの奴が手を挙げます。恐らく、二人は同じ事を考えたでしょう。(こんな奴おったか~?あ~、別の校舎か~)残った一人の塾を聞いた頃、順番が回って来ました。結果的には、△△受験の二人だけ合格しました。こいつは後に、「Kにおける最もおもろい奴」の称号を得ます。Tという苗字でしたが、同じ苗字は二人いたので、もう一人が「賢いT」こいつは「アホT」と呼ばれました。残酷です。でも、僕にバカボンというあだ名を付与したのもアホTです。これ、同級生が読んだら100%固有名詞がばれます。ホドホドにします。因みにこのアホT、今ではどこかの大学病院の外科部長をしてます。癌になったら執刀してもらおう、と絶対に思わない顔してます。でも、最高におもろい奴です。面接の番が来ました。僕が覚えてるやり取りは通学時間の事だけです。-ほう~、○○市から来るんか~。遠いな~。「いえ、遠くありません。」(いや、マジで遠いっす)-今日は、自宅から通ったんか~?「ハイ。6時半に起きて来ました。」(新阪○ホテルから来ましたがな~)-どれくらいかかった~?「ハイ。一時間です。」(ゆうに、一時間半かかるって。マジで鼻血もんやわ)-一時間~。遠いな~?「それほどでもないです。」(ヤバ~。一時間半ってゆわんで良かった~)-遠いけど、通えるか~?「ハイ。通えます。」(ここで通えんって言う勇気のある奴は尊敬するわ)僕はこのやり取りで、通るような気がしました。実際には遠くから通う受験生全員に同じ質問をしているのでしょうけど、どうも、この学校は通してくれるような気がしました。僕のK受験は終わりました。後は翌日の発表を待つのみです。
2004.10.12
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土曜日から順延となった次男の運動会。日曜日は出来ました。台風一過で快晴の予想は外れ、朝はどうも微妙な天気。小雨もぱらついており、心配したけど、なんとか出来てよかった。次男は年長なので、出番は多い。お父さんのビデオもフル稼働。最初の種目である棒体操を見ていると、坊ちゃんの動きがどうも違う。よく見ると、動きが小さい。どうも省エネである。どんな競技に対してもフルに頑張った長男さんとはエライ違い。要領の差かね~。先生に叱られない程度に遊んでます。しかも、図体がでかいから、小さい同級生にじゃれられているようにしか見えないという利点がある。こやつはこうやって、要領で生きていくのでしょうか?そんな次男さんが唯一、マジになったのがリレー。彼は赤組のアンカー。実は練習では、赤組リードでバトンを受けながら、途中で転んで、逆転されたらしい。その日は随分凹んでいたので、転んでも諦めずに最後まで頑張ったので、接戦になったことを褒めておきました。今日も練習と同じ展開。半周弱リードでバトンを受ける。走り始める。(走りが固いね~。心なしか、がにまた走りだよ~。)必死の形相で走る。半分位過ぎたところでバランスを崩す。泳ぐような体勢で必死で堪えようとする。(子供の運動会で20年ぶりに走ったお父さんの転ぶ前の瞬間みたいやな~。)園庭に響き渡る悲鳴。「○○ちゃ~ん」と、彼のニックネームを呼ぶお母さん達の声。(この野郎、なんで大人の女性にもこんなにもてるねん?)しかし、第三コーナー付近で滑って、転んでしまう。(あ~…)と思った次の瞬間。(待てよ、まだ白組は来ないぞ。)すぐに立ち上がる次男。(早く、立ち上がって、走れ~~~!)後ろも振り向かずひたすら走る。(大丈夫。勝てる!)(よし!)テープを切る。(勝った!!!)レース後の彼、勝った嬉しさより、転んだ事の恥ずかしさと、それでも他の赤組メンバーが築いてくれたリードを何とかかんとか守れた安堵感が支配している模様。良かった。底抜けに親バカになった瞬間。レース後、こっちは震えがしばし止まらなかったよ。**********夕方、買物に行き、塾に行っていた長男を迎え、家族で外食。食事後、勉強しなければいけない長男を先に帰宅させる。帰宅途中、家から長男が電話。「家に戻ったら、煙いっぱいだよ~」急いで帰宅。唖然。おでんが炭になってました。奥様、おでんの火を消し忘れて、空焚きしてました。火事にならなくて良かった。いつもは他人に罪をなすりつける妻ですが、今回はなし。反省したんでしょうな~。
2004.10.10
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金曜日は雨にも負けずに遊びに行きました。外人三人と。典型的六本木不良外人の遊びでした。雨だったので、終電までには帰ったけどね。たまにはあ~いう遊びもいいね。問題はビールを飲み過ぎた事。お腹がタポタポだわ。土曜日は予想通り大雨。次男の運動会は中止。日曜日は出来たらいいな…。**********金曜日の飲みについてちょっと補足。飲みに行った外人三人のうち、二人は外見日本人、一人はハーフって感じだけど、国籍はポルトガル、韓国、アメリカ。元々、ポルトガル人の人が僕の兄貴みたいなもので、元々、同じ会社の同僚だけど、今はそれぞれ別の会社に勤めている。今回は、兄貴に仕事関連の意見を求められて、真面目な話1時間、残りは遊びまくった。韓国人の奴は喧嘩っ早いけど、友達にはスッゴイ良い奴で、面白い。最後の店では、ちょっと席を外したな~って思ったら、女性二人連れて帰って来た。使える!もう少し頻繁に遊ぼうと思った瞬間。アメリカ人は初対面だったけど、妙に打ち解けたね。彼は世界中を旅行してるけど、行く先行く先でやる事は一つ。「どこに行っても、やる事一つだな?」って言ったら、“I can’t helP!”正直なやっちゃ!**********連休明けにもう少し補足ポルトガル人の「兄貴」は、血という面では、ポルトガルは確か16分の1しか入っていない。4分の3くらいは日本人。残りは確か中国。中国の割合は引き算しろよって感じ。どこをどうすればそういう割合になるかは、昔、聞いたけど忘れた。顔は南方系のアジア人って感じ。一年中サーフィンをやるので、特に夏は肌が黒い。顔はテカテカしてる。一言で言うと、とっても怪しげ。初対面の時、日本人だと思って自己紹介しようとしたら、「○○○と申します。よろしくお願いします」って言われて、その苗字がカタカナ苗字だったので、とっても混乱した記憶がある。国籍とかバックグラウンドの話を出来るようになるまで少し時間があった。ただ、実際にはとってもざっくばらんな人で、なんでも包み隠さず話してくれる人。彼が面白おかしく話す話題の一つに、空港でのやり取りがある。彼は一見、怪しい。したがって、空港の入国審査ですんなりと通れたためしがないそうである。ポルトガルのパスポートは必ず偽造だといわれるそうだ。でも、考えてみろよ。同じ偽造するなら、こんな顔ぼ場合、どこかアジアの国にするかアメリカにするよな~っていつも言ってた。納得。まだ、それほど仲良くない、というか、まだ遠慮がちに接していた頃、「ポルトガルって、行った事ないんですけど、いい所なんでしょ?」って言ったら、「そうですね~。いい所ですよ。僕も行った事ないけど…」だって。とってもお茶目な兄貴。同じ会社に勤めていたのは1年弱で、最後に僕がその会社を辞める時、唯一、話をした相手。いやぁ、楽しいひとときだった。でも、腹のタポタポは勘弁。
2004.10.09
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国立のTEに不合格となった訳ですが、まだ気分的には何てことない。別にこんなとこ、行きたないわい。て感じです。ところで、このTE受験の際、ちょっとしたサプライズがありました。実は僕は小学校5年の三学期の頭に大阪の南方面から北方面に転校してます。和歌山よりから京都よりに引っ越した訳です。姉の学校により近い場所にマンションを買って引っ越したのです。元の家ではあまりに遠く、市内にアパート借りて祖母と姉の二人で生活するという事を一、二学期はしてまして、その異常な環境を是正するためです。したがって、受験の段階では前の小学校の友人からは一年近く離れている。TEの一次試験の時、見覚えのある奴が五つぐらい後ろの席に座ってる。少々、遠いので声をかけにくく、そのままになってましたが、二次試験では何と前と後ろ。間のお子さんは落ちたんでしょうな。顔を見合わせてニッコリ。親友のY君だったのです。Y君の家は庭が広く、小学校低学年の時はよくそこで野球をしたものでした。学年が進むにつれ、クラスが別になった事もあり、あまり遊ばなくなりましたが、元々は自転車でも三十分かかる彼の家によく遊びに行ったものでした。それほどたくさんの子供が受験している訳でもないのに、親友が受験しているとは意外でした。因みに、Y君はTEに合格して、行きました。ただ、今、何をしているかは知りません。風の噂では、別の友人のK君は京都の名門R中学に行ったそうです。不思議と僕の友人は結果的にそんな奴が多いです。TEの受験が終わると、T、Lと続き、本命のNです。しかし、TもLも社会がある。そして、実はTEの時に感じた事なのですが、僕は受験では結構アガルのです。Tなんて最悪でした。この学校は、とにかく関西の受験生全員が受ける学校だったのです。受験会場はまるでコンサート会場のようでした。なんじゃこの人の多さは?って圧倒された段階で負けだったんでしょうね。あえなく不合格。Lは、わざわざ飛行機に乗って受験しましたが、アウト。出来は悪くなかったのにな~。塾で僕より下の奴がボコボコ通ってるのに、なんでやろって感じでした。因みに、空港で飛行機に乗る際、僕と同じ様に三校受験クラスの友人に会いまして、飛行機の席を隣同士にしました。飛行機が海の上を飛んでいる時、友人が言いました。「海やな~。この海にはサメおるかな~」「おるかもしれんな~」「これは何海峡かな~」「知らん」地理は不得意中の不得意です。知る訳がありません。すると奴は大真面目な顔で、こう言いました。「津軽海峡かな~」こいつはアカンわ。津軽海峡ではない事は5000%分かるわ、と思いつつ…「俺は地理苦手やから知らんわ~」こいつは10000%落ちたな。と思いました。落ちました。でも、僕も落ちました。津軽海峡野郎と同レベルです。なかなか、Kに決めた涙の超大作にいけまへん。脱線してばかりです。その話は後ほど…。**********べんてんさんのリクエストにお応えして、続きを書きます。TE、T、Lと、いわゆる「滑り止め」が滑り止めとして機能しなかった僕。滑り止めに受からなかったらK、滑り止めに受かったらNと決めて両校に願書を出していたのですが、Kにしようかと。しかし、まだ迷っておりました。すると、受験の際、基本的には見守ってくれた父がある話をしてくれました。父にとってKという学校は想い出深い学校だそうです。小学校の頃、野球少年だった彼は、野球の強豪校であり、勉強も出来るKという学校に憧れたそうです。このKは、全国中等学校野球選手権の優勝校でもあります。父が憧れた頃は野球で有名だった。父の父親は貧乏で、かつ、教育に熱心ではない人。こいつに相談してもあかんわって事で、その兄、父にとっては叔父に相談をしました。実は父には姉がいましたが、姉はその叔父のところに養女に出されており、姉はしっかりした国立の学校に行かせてもらっていた。だから、叔父なら自分の考えを理解してくれると思ったそうです。そこで叔父に相談したそうです。「Kってあるやん?」「お~、野球強いとこや。よう知ってるなあ。」「僕な~、Kに行きたいんやけど、行かれへんかな~?」一瞬間があり、「お前みたいな貧乏人が行くとこちゃう!!」無残なお言葉。この時ほど貧乏を恨んだ事はなかったと話をしておりました。父はその後、姉を頼って東京に出、自分で学費を稼いで都立高校に通い、某私立大学に進みましたが、経済的な事情で中退。だから、子供にはどんな事をしても学校に行かせてやるという気持ちだったみたいです。父はKを受けろとは言いませんでした。僕がN一筋だった事も理解していたし、Nも間違いなくいい学校ですから。最後は自分で決めろと。でも、Kも悪くないぞって話をしました。この父の話を聞いて、僕はKを受ける決心をしました。その話を聞いていた母が別の話をしました。「○○おじちゃんおるやろ?あのおじちゃんもK受けたんやで~。Iの滑り止めに~」Iは母の通った公立高校です。父が激怒して言いました。「あいつは単なるアホじゃ。お前は余計な事話すな!ボケ!」この叔父がKの高校を受けた際も既にKはIよりはるかに上の学校でした。だから、滑り止めにはならない。結局、両校とも落ちて、もっとレベルの低い学校に行きました。母はいつも一言多い。というか、人の気持ちを滅入らせる天才です。母の余計な一言はありましたが、Kを受ける事に決めました。ただ、Kに合格する保証もないので、Aという学校も受験する事に決め、願書を出しました。こうして三月のKの受験日を迎えた訳です。
2004.10.08
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僕の中学受験の際の志望校は、N一校に絞っていましたが、そうは言っても、滑り止めも必要。当時の関西の場合、滑り止めの試験が先にありました。まず、大阪にある国立の中学三校。続いて、T、Lという学校を受けるのが一般的でした。国立の三校のうち、一応、一番レベルが高いとされるTEを受けました。試験は二回。一次の算数国語で、ある程度を振るい落として、二次試験は四科目+体育+面接。社会は僕にとって鬼門です。さらには、面接の際、昔から今に至るまで抜けない「人の話を聞かない病」炸裂しました。面接官のいる部屋に入るなり、沈黙。面接官に「部屋に入ったら何て言うんだっけ?」と言われ、それでも黙ってると、「受験番号と名前を言うんだろ!」と叱られました。そうです。事前の注意事項をまったく聞いておりませんでした。結果は、あえなく不合格。因みに、中学受験時、私よりもはるかにはるかに頭がいいと衆目の一致していた姉は、このTEよりも劣る国立中学のHを、一次で落ちました。この不合格の衝撃は大きく、チキンな両親と姉は、Kという女子校の第一志望をさっさと諦め、受験校をDという共学校に落としてしまった。結果的にDには通りましたが、姉がろくな人間にならなかったのは、その原因はこのH不合格にあると、個人的には思っております。TやL、さらには、NではなくKを選択した経緯は、後日にでも。
2004.10.07
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中学受験している頃、子供って残酷やな~って思った事があります。昨日の日記にも書いた様に、僕は5年生の一学期に少し塾に通い、その後二学期、三学期のブランクを経て、6年生に同じ塾に復帰した訳です。最初に通ってた頃は、まだのんびりしたもので、友達を何人か作ったりしておりました。その中で親友と感じる友達も数人できました。ブランクの後、塾に復帰したその日、かつての「親友」に遭遇しました。そいつの友達らしき人物と一緒にいます。近寄って「久しぶり」って感じで声を掛けました。「久しぶりやな~。どないしとってん」という答が返って来ると思ったけど、実際の彼の答は恐ろしいものでした」「なんや、こいつ。青白い顔しやがって~。死人みたいやな~。おい、死人!」残酷です。あんまりです。その後、奴とは言葉を交わす事はありませんでした。そいつは、志望校に落ちました。ざまあみろ!逆に僕も残酷な事を言った事があります。その塾で金○君という親友がいました。大阪の方ならこの気持ちを分かっていただけると思うのですが、大阪には「金×」という苗字が多いです。その方々のほとんどがいわゆる在日の方です。私の父は建築設計士だったので、在日の方との仕事の関係もかなりありました。そして、「あの金×さんは韓国人や」とか、「あの金△さんは朝鮮人や」という話を、よく聞かされました。それは偏見というよりは、世の中にはこういう人たちもおり、そういう人とも差別意識なく付き合わなければならないのだという事を教えてくれていたのだと思います。しかし、その頃の僕はというと、まったくの子供です。苗字だけが気になります。気になって気になって仕方がありません。ある日、金○君に聞きました。「おまえ、朝鮮人か~?」「いや。違うで~」「嘘や。朝鮮人やろ。朝鮮人なら朝鮮人って言え」「違うって。俺は沖縄やねん」そう。彼は金城といって、大阪では「かねしろ」と名乗っていましたが、沖縄では「きんじょう」だったそうです。彼は僕に、沖縄には「城」の付く名前が多い事、「金城」もその一つである事、だから韓国人でも朝鮮人でもない事を説明してくれました。そう言えば彼の自宅は大正区でした。僕は穴があれば入りたいぐらいの気持ちでしたが、幸い、金城君は僕の言動に対して怒る事もなく、その後も親友で居続けてくれました。今から考えると、僕の100倍大人でしたな。彼は。もし、金城君が本当に在日だったらどうだったろう?と思います。もちろん、在日だからといって見方を変えるという意識は僕にはなかったのですが、言われた方は馬鹿にされたような気分にかもしれない。それを考えると恥ずかしいです。「死人」と言われて傷付いた僕も、他方では残酷な言動で友人を傷付けていました。公立の小学校とは異なる同級生達に会えたのは、残酷な経験でもあり、でも、興味深い経験でした。**********実質的に6年生から始めた受験勉強。三科目を選んだ段階で基本的に志望校は兵庫県の二校に絞られます。しかし、僕の気持ちは100% N中でございます。もう一校の K中 は眼中にございません。本人はそれほどの固い決意にもかかわらず、親は違います。母親はあれもこれもと学校説明会に行きます。ある時、K中の学校説明会から帰った母が一言。「あんた!K中にしとき!」「なんで?Nやゆうとるやん?」「説明会で奈良漬もうてん!」それを聞いた僕は目がてん!(←これ、一応、韻をふんでます)NもKも酒造メーカーをスポンサーに持っておりますが、Nは土産なし。Kは土産あり。それにより、冗談とは言え息子の受験校を決めてしまう、誠にいい加減な母でございます。恐ろしくお嬢さんだったもので、仕方ないのか…。でも、最後の最後にK中を受験すると決めた後、受験当日の大阪梅田駅で、「ホンマにKでええんか?ここにはNもKも受験票両方持ってきてるで~」といいながらニンマリ。最後の最後まで受験生の気持ちを惑わせる恐ろしい母でございます。この母の台詞、恐らく読んでる人は、典型的な大阪のおばちゃん的な低い声で発せられてるとお思いでしょうが、違います。比較的高く、上品な、誠に関西の奥様チックな話し方です。そういう話し方で読んでみて下さい。もっと怖いです。上にもあります様に、N一辺倒だった僕も、最終的にはKにした訳ですが、ここにも色々なストーリーがございます。その話は、時間があれば後ほど。もしくは後日に。
2004.10.06
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過去の日記にも書いたけど、うちの長男さん、現在、中学受験の真っ只中です。頑張ってます。苦戦してます。親も引きつってます。でも、僕自身を振り返ってみると、もっとエグかったな~と思う訳です。うちの長男さんは通塾時間15分です。でも、僕の場合、1時間強。バス-私鉄-国鉄の乗り換えです。姉が受験した時は「女の子だから」という理由で、ほとんど父が車でお迎えをしていたけど、僕の場合はなし。まあ、僕が小学校6年の秋から父が病気で入院してたという事情はあったけど、それにしても入院前から迎えはなかったけどね。僕の場合、当時は2年間ないし3年間やるのが普通だった受験勉強を1年しかしていない。5年生の1学期に塾に通い始めたものの、8月から三ヶ月間、けっこうな大病で入院するという事情もあり、結局は6年生から一から始めたんです。関西の中学受験に詳しい人なら知ってるけど、その当時(もしかしたら今も)、ある男子校二校だけは算国理の三科目だけだったのです。僕は時間的な制約から、三科目に集中する戦略をとった、というより、とる事を命じられた訳です。でも、四科目校も併願する。とすると、社会はどうするの?って感じですが、親曰く「常識でやれ!」これがその後、とんでもない悲劇を招く事となるのですが、まあ、受験勉強は頑張りました。僕が通ってた塾はとんでもない塾で、時間どおりに終わったためしがなかった。一時間、二時間の延長は当たり前。ある時、定刻から30分過ぎたところで、解説が終わりました。おっ?今日は早く帰れるぞ。嬉しいな。と思いつつ、みんなでソワソワしていると、あるバイトのお兄ちゃんが入ってきて、無言で白紙のテストを配ります。それから、「ハイ、○時○分まで。スタート!」とか言って、試験スタート。結局、試験を終えて、解説を聞き終わると、それまでで最長の延長となっていました。その頃は日曜は朝9時から夜は11時くらいまでありましたから、何の楽しみもない。楽しみといえば、近所の公園で売ってるたこやきを買う事ぐらいでしたな。二つ店があって、一個10円の店と、7個100円の店がある。金があると後者、金がないと一個単位で前者を買う訳です。これが楽しみ。もう一つの楽しみは駅前の立ち食いそば。基本的にはかけそば110円を食べるのですが、財布に余裕があると、にしんそば(確か、450円位だったかな)を注文する。でも、注文した後、とてつもない罪悪感にさいなまれる訳です。風俗に行って、お金を払って、待合室で座っている時の気分。ワクワク半分、罪悪感半分。あっ、風俗の話は友達に聞いた事だからね。長くなりそうなので、続きは後日。**********後日と言いましたが、今日ももう少し。嫌な思い出もあります。確か秋頃だったと思うけど、父親の入院先の病院に行って、父を見舞ってから塾に行ったんです。見舞った後に父は心配して、タクシー代をくれて、病院の最寄り駅であるJR天満駅までタクシーに乗れと。僕は、歩いても10分ぐらいの距離だし、歩くと言ったけど、交通量の多い道路を歩かせるのが不安だったんでしょうな。タクシーに乗る事になった訳です。そして、確かにタクシーの運転手にも言った訳です。ところがこのボケ、今から考えてもむかつく。天満と言ったのに、京阪天満橋に行きやがった。途中からおかしいな~と思ったけど、天満に行くんやろと信じていた僕は、天満橋に連れて行かれ、「天満橋やで~」さすがにキレて、「天満ゆうたやんけ~。おっちゃんどうしてくれるねん!」今の僕ならただで塾まで行けと言うところやけど、そんな事も出来ず、結局、メーターは進ませずに天満まで戻ったと。5分で天満に行けるところ、30分かかって天満橋経由天満に行き、しかも、天満橋までの料金を払わせられた。そこから環状線に乗って塾に行ったら完全に遅刻ですわ。塾に着いたら教室に行ったけど、休み時間に塾長から呼び出し。この塾長、うちの姉も知ってるから、いい意味でも悪い意味でも僕に目を付けている。理由も聞かずに一方的に叱責ですわ。「この大事な時期に何を遊んでたのか?」「いえ、父のお見舞いに行ってました」「でも、どうしてこんなに遅くなったんだ?どこに行ってたんだ?ゲームセンターか?どこだ?」「いえ、タクシーに乗ったけど…」説明になりまへん。というか、何でこのアホは自分を一方的に悪人と決め付けてこんな事言いよるんやろと思うと、涙が出て、説明できまへん。今でこそ、口で女性を騙しているかの誤解を多々、受ける私ですが、この頃はろくに自分の意見も、事実関係も説明できまへん。ただただ、涙。恐らく、その雰囲気で多少は理解したでしょうな、あのボケ塾長も。「何もやましい事はしてないんやな?お父さんやお母さんに話してもいい事なんだな?」ただ、肯くのが精一杯でした。あれはホンマに最低な経験でした。だから、大人になった今、質の悪いタクシーの運転手に出会うと、僕は人の100倍叱責します。「世の中にはね。タクシーの運転手って職業にプライドを持って、素晴らしいサービスを提供している運転手さんがたくさんいるんだよ。だけどね。あなたみたいな運転手が一人いる事により、タクシー運転手は雲助だって言われるの。そりゃあ、あんたは100円余分に儲かってハッピーかもしれないけど、あなたは全国に何万人いるか分からない、タクシー運転手の品位を大きく下げたんだよ。そういう事の積み重ねで、消費者はタクシーから離れるんだよ。反省しろよな!」脱線しました。僕にとってのトラウマの一つです。
2004.10.05
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ビルから下を見渡すと、朝から変わらぬ長蛇の列が。傘を差しながらご苦労さんです。それにしてもそんなにいいもんかね~。日本人男性にも愛を分けて欲しいものだわ。ちょっと見上げればこんなにいい男がいるのにね。なんちゃって。
2004.10.04
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今日は朝から凄い雨。長男君は日曜は9時から6時半まで塾です。僕も経験したけど、大変やわ。僕の塾の方がエグかったけどね。息子さんの塾は歩いて15分だけど、今日は車で送りました。踏切の関係で車でも10分以上かかるけどね。次男さんは近所のお祭りで神輿を引っ張る予定、しかも午前午後二回もする予定だったけど、雨で中止。特別に凹む様子もなく、ブリオで電車遊びをしておりましたわ。ひらがなの勉強をしなさいと言う母親の攻撃に対し、必殺「あとでやるの」攻撃を返し、最終的には母親に切れられて泣きながら書くのであります。次男くん、「ぬ」とか「な」とか「ね」とかは書けるくせに「く」はいつも右側が出っ張っておます。「も」は左側にはねてます。「し」は書けるのに、不思議やわ~。親の予定も変更。結局、塾関連資料の整理だね。こんな退屈な日曜日。長男さんは模試の結果と共に帰宅。青ざめる父。呆れる母。重い空気にいたたまれず、雨の中、散歩に出る僕。最高に退屈、のち、波乱の日曜日。
2004.10.03
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東京は秋晴れでした。ここんとこ毎週、長男の受験関連行事に付き合わされます。今日もそう。疲れた。帰り道に鯛焼き屋発見。買って食べてしまいましたわ。僕はカスタードの鯛焼き。美味しい。今までに経験のない味。帰り道に嫁が一言。「カスタードもあんこも、外から買っとるな」あ~、厳し。**********現在、10月7日です。実はこの「カスタード・あんこ外部調達事件」を巡り、後日、嫁と議論となったのです。「外から買ってきたと言うけど、例えば御座○はどうやねん?あれは、確かに外部調達やないな~。でも、工場で作ってきたものを一斗缶に入れて、トラックで運んできて、店で使ってるだけや。生地にしても、工場で作った粉をマニュアルどおりに調合して作ってるだけや。それはチェーン店やから出来る。対する、この前の鯛焼き屋は、店舗が一つしかないから、外部から買う。前者が良くて後者が悪い理由はないやん?」ご存知でない方のために。御座○とは、回転焼というか今川焼というか、いわゆる鯛焼きの丸い形のものを販売しているチェーン店です。「それはそうやな」「ほな、外で買ってるって一刀両断する必要ないんちゃうん?あの発言で一気に興ざめしたわ。シアワセな気分が台無しや。あの瞬間、頭の中で一斗缶が二つ踊ったで~」「そりゃ、すまんな。でもな…」「でもな、何や?」「でも、問題は味や。あれはいわゆるヤマ○キ系の味や。ヤマ○キのアンパンの中身の味や。つまり、常温で三日間放置しても腐らん味や。どんだけ添加物がはいってるかわからんやろ?」黙ってしまう僕。戦いを挑んだ私が悪うございました。
2004.10.02
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友達の事を書きかけて止めて自分の一人よがりな気持ちを書いたけど削除した感じる事はいっぱいあるけど、題材にされる人が傷付くかと思うと書けなくてまあ、そんな酷い事を書く訳じゃないけど読んだ人が傷付くかもと思うと書けなくて読んで傷付く人がいるかも疑問だったけど結局、こんなしょうもない事を書いている。しょうもないなら書くなよ。でもね。この複雑な気持ちの動きを、日記に留めておきたいのです。今晩はとっても大切な飲みです。接待と言う訳ではないです。でも、仕事関係です。接待よりは百倍重要。僕は接待は得意。接待されるのも、接待するのも百%関係は飛躍的に改善する今日は信頼する方に相談事をします。しかし、信頼と今回の話は別問題別問題じゃないけど、大きな話わざわざ遠くから東京に来られるタイミングを見計らってお誘いした今、とってもナーバスではりもぐハーリー状態近寄る人を傷付けてしまいかねない。不幸にも傷付けてしまった人へごめんね。人間出来てなくてごめんね。日記で人を傷付ける事にナーバスになりながらもっと大切な人を直接的に傷付けてる変な奴あと20分で出撃ボスが昼に声を掛けてくれた「新高山へ登れだな」ハイと言ったけど、詳しい意味は後で調べておこう
2004.10.01
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