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晩酌は 焼酎のお湯割りを定番にしていますがつまみや料理が 鍋ものとか 刺身とかいい焼き物の杯や ぐいのみが手に入ったとき とか だと やっぱり日本酒が合いますね。。。銘柄によって 常温だったり 冷酒だったり 燗したりでも 翌日が辛い 経験もたびたび・・・あります!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「日本酒の合間に ときどき水を飲み ゆっくりと自分のペースで味わう楽しみ方が広がっている」という新聞記事があった。銀座の和酒バー「庫裏(くり)」では店主自ら 日本酒を飲んでいて一合で眠くなってしまうそこで 水を間に飲んでいたら 実に楽になったのでお店でも 出すようにしているそうです。日本酒造組合中央会が『和らぎ水』と名づけて 普及に努めていると記事にあった。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆この記事を読んでいて 思い出しました。わが酒の師匠 先輩が 2年ほど前から同じことを わたしたちに言い続けていたことを! 日本酒のアルコール度数は15度ほどだけど たしかに 生で飲んでしまう。 もっと度数の高い 焼酎はいろいろなもので 割って飲む人が多い ウイスキーはチェイサーを間に飲む習慣がある。 だから 日本酒は生で その独自の旨みを味わい 「水」で 一度落ち着かせて ゆっくりと 楽しんだほうが いいよ。。。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この アドバイスを 思い出したのでこの冬の 楽しみが もうひとつ増えました。それに 日本酒好きの ぼくの友人にも おすすめします!!
2006年01月31日
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去年の夏以来か?ほんとに久しぶりに 江戸川の周辺を散歩した。散歩といいましたが ママチャリで走ったのがほとんど・・・時々 止めて 歩いて 散歩して約2時間ほどの 小春日和の中 気持ちのいい空気を満喫!江戸川の堤防に立つと水平な目線から上 360度が全部 空。これは 都会の中の 川では味わえない景観です。これも いいな!
2006年01月29日
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22万キロ以上走った愛車と明日 お別れだ。 先日 駐車場へ上る わずかな坂道でアイスバーンにつかまり 困ったことを書きましたが10年ほど前 同じような経験をしたことを思い出した。春先 3月の始め頃すばらしく晴れ上がった休日急に茨城県の笠間方面に ドライブに行きたくなりぽかぽか陽気の中を ひとりで愛車を北へ・・・気分で筑波山の中腹をぬける道を選び途中の展望のいいところで 霞ヶ浦や東京方面を眺めいよいよ 山の裏側に入っていた。。。下り坂を 左にカーブをきったところで目の前に 飛び込んできた光景は!7,8台の車が 不規則に バラバラに止まっている。そばには 10人以上の人が 立ちすくんでいる。瞬間的なのに 時間が止まったよう路面が 黒く光っている。わ~っ と思ったが もう遅い軽くブレーキをポンピングした でも駄目ハンドルを きったが もう駄目人に向かうな! 谷側に向かうな!祈りながら 滑り落ちていき・・・山側の側溝を乗り越えて ななめに崖にぶつかって止まった。。。ドアを開けて 外に出ようとしたら下の路面は30センチぐらいの氷で 20~30度もある斜面歩くこともおぼつかない状態。まわりの人たちが協力してくれて車を車道に移動し みごとに破れた左のタイヤを予備のものに交換・・・みんなで手伝って ほかの人たちの車もなんとか前に向かえる角度に動かしたりチェーンをかけたり(これだけのアイスバーンになると チェーンもあんまり効かないんですよ)そうゆう作業中にも同じくスリップしながら車が突っ込んできた!ド~ン!ってすぐそばに 同じようにぶつかる!ほんと 怖かった~!!みんなで 無事を祈ってすこしづつ 一台一台 滑りながら山を下っていきました。わたしも 脂汗を流しながらなんとか 同じような峠をいくつか乗り切って小さな町に着き スタンドで正規のタイヤに履き替えてあったかいコーヒーが 旨かった!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平地で暖かくなっても 山道では特に 北側の木陰などは凍っていることがあります。くれぐれも ご注意を。
2006年01月27日
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昨日 仕事で千代田区二番町に行った。九段下まで 歩いて帰る途中ちょっと横を見たら千鳥が淵の散歩道が目に入った久しぶりなので 寄り道でもしてみるか・・・桜の古木が ず~っとつづいている一本の桜の木の下を見たら陽だまりに いたいた こんなところにもいるんだ! 右下に見えますかね?のんびりと 毛つくろいをしている猫が。。。谷中や日暮里には 猫が多いので有名なんですがこんな 皇居に近いところにも いるんですね。
2006年01月27日
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今朝 アイスバーンとの戦い--------------------------------------------------20年近く乗った愛車との最後のお別れかもそんな感傷的で 楽しみでもあった久しぶりの運転・・・実に快調に 気持ちよく 一体感をもったドライブ。。。そんな気分で今朝、事情もあって 親友の「片山のれん」へ向かい3階建てのビルの屋上の駐車場へと登っていった。螺旋状の登り専用ラインを 気持ちいい速度でぐいぐい上る・・・ところが屋上に上がる最後のカーブでオヤッ 黒く光っているのはアイスバーンだ!気がついたがもう遅い慎重に 行ったが つかまった!!(北側のほんの3メートル位の距離だが凍っている)バックしようとしたがスリップして曲がりきれない角度になってしまい登りきるために 後輪の下に毛布やもう履かないことにしたジーパンやタオルなど持っているものを 全部敷いてゆっくり 低回転で・・・でも 約1時間かけたが ほんの少ししか前進できず!あきれるほど タイヤはクルクルまわるだけ!この車は最後までいろいろ思い出を作ってくれるな~(苦笑)まあ、おれの責任なんだが・・・とうとう 1階にある自動車整備工場のおじさんに助けを求め 上から牽引してもらって やっと脱出。朝から 青空で気持ちのいいほど晴れわたっていたけど北側の地上は バリバリに凍っている!--------------------------------------------------油断めさるな。いつも快調なんてことはない。足元をまずは見つめろ・・・ってことを愛車が最後に言ってくれたんだ。。。
2006年01月25日
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今度の土曜日セガレが所有する車を 廃車になることになった。この車は 現在の走行距離 223,429km。この距離のうち 20万キロ近くは ぼくが乗った。乗せてもらった。なんと地球を 約5周したことになる!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18年前 ちょっと背伸びをして 思い切って購入したクラウン ステーションワゴン 2000cc。それ以来 ぼくが乗り回して15~16年間仕事に 遊びに 実にいろいろなところに行ったことが思い起こされる。長距離を走破した後 まるで仲間か家族のような感慨を覚えボンネットやエンジンを 撫で回して お互いの健闘をたたえたりきれいに洗って 感謝の気持ちを表したりしたことが思い起こされる。なにしろ すごいのは 故障らしいことが一度もなかった。もちろん ブレーキやエアコンとか 消耗品は何年かごとに修理したり交換したりしたが エンジンまわりは今でも健在。さらに すごいのが 事故に強かった!結構ひどく追突されたのが 3回。・信号待ちで停車中に ノーブレーキの車に後ろからドーン!・急に車線変更してきた車のためにやむを得ず急ブレーキ そこへ後ろからドーン!・一方通行を走っていて 横から飛び出してきた車が運転席側にドーン!いずれも 車は軽い損傷ですみ ぼくは無傷。(もちろん病院にいって検査もしました)ちょっと贅沢といわれたけど 頑丈な車でほんとによかった!ぼくらを助けてくれた。。。なんて思うくらい感謝している。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一番の思い出は クラワンと一緒に行ったさまざまなところと その出来事のいろいろ・・・歩きと 自転車と 電車の旅が好きだけど車での旅も いろいろあったな~ あったな~ あったな~。。。
2006年01月24日
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夕刻 隅田川貨物駅に寄りたくたった。おもに東や北の日本中から集まってくる貨物列車たちまた向かっていく列車たち行き止まりの柵が手を広げている まだ現役で走っているのだろうか? 明日 何を 誰に 運んでいくのだろうか?ここに来ると いつも旅と地方と人を連想する。。。
2006年01月22日
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寒中お見舞い申し上げます。土曜日は東京も一日 雪が降った。都内は数cmは積もりました。まだ 道は凍っています。 そんな人形町のマンションの軒下に寒椿が可憐に咲いているのを見つけた・・・もうすぐ春はくる。もうしばらく寒さに負けないように。みなさま 御身大切に。
2006年01月22日
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明治生まれの ばあさま(母)は実は 昨年11月の中旬に突然 呼吸困難になり3週間緊急入院しましたが 12月無事退院。ほぼ以前の状態にもどりました(これも医者が年齢からして驚くほどの回復力と)週2回通っていた 通所デイケアサービスセンターへはでも この寒さもあり 様子を見るため中断していました。そして 今週の火曜日に約2カ月振りに行ってきましてカミさんが出迎え 夕食を出し 彼女が自宅に帰った後わたしが夜 もどってきたらテーブルの上にメモ(チラシの裏)に かきおきがありました。。。(ばあさまは 9時をすぎていたので すでに寝ています)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『1/10 はれ オイセガレ殿 今日はセンターで えらい お世話になり、 ○○さんともう一人の方とで からだをお湯で きれいにふいて頂き足のユビ一本一本まできれいに洗って頂き 涙が出てしようがありませんでしたよ 到底うちでは出来ないおそうじでした ・・(略)・・そこでいいから 感謝の気持ちをあらわして下さいね私からのお願いよ、 涙でかけません・・(略)』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つまり 文書による指示書でした。もちろん その場で感謝の意を表しまして指示に従ったことは 言うまでもありません。それにしても このような感激と楽しさをいただきそして ここまで文を書けるまで回復したことにあらためて 多くの方に感謝いたします。。。それにしても 明治女は 強い!
2006年01月13日
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なかにし礼の小説「赤い月」を原作とした同名の映画を思い出している。監督:降旗康男 撮影:木村大作(ご存知の名コンビ) 主演:常盤貴子中国大陸の東北部の広大で美しく厳しい自然と群集の細部の描写まで神経が行き届いたカメラワークがすばらしかった。そして 主人公の常盤貴子が演じた 一人の女性として二人の子の母として 「生きる」ことへの強烈で貪欲な行動。。。終戦直後の満州や 引揚げにいたる当時の状況がなんとなく想像できたような気がしたことを 思い出している。*レンタルDVDで 再度見てみようかな・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・常盤貴子より美しかった母も(写真では間違いない!)同じような状況の中を 日本に帰り わたしを生んでくれたんだ。勝又富美子さんも 同じように・・・。女性は 強い!!
2006年01月11日
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おととい(8日)に書き込みした 勝又富美子さんのエッセイは中略が多かったので 文章全体の簡潔でありながら 品位のある表現が伝わっていないと思う。 機会があれば 全文を今度ご紹介します。 ただ、勝又富美子さんの当時の境遇を 少し補足しますとご主人は終戦1週間前に徴集され そのまま捕虜になり 現在のウズベキスタンに4年間抑留されてしまったそうです。 そんな状況下だったのに 彼女は たったひとりで幼い子の遺骨と ふたりの子を守りながら 日本に帰りついた。。。 それなのに ふたりの子は あっけないほど相次いで 病死してしまった。 その後 生まれた 有子さんたちには「当時は みんな同じよ」と言って 詳しいことは何も話されなかったそうです。やっと 終戦後30年経ってから書かれたのが あのエッセイ。・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(なかにし礼さん 浅丘ルリ子さんも同じような経験をされています)わたしのばあさま 母も三人の子をもうけましたが現在 生き残っているのが 不肖なせがれがひとりだけ。 でして・・・中国・満州から 幼い2歳の女の子を背負い 生きるために必要なもの以外すべて捨てやっと日本にたどりつき 東京に住まいを定めなんとか家族の生活がこれからという時に その姉はあっけなく亡くなってしまった。ばあさまも 「自分の兄弟はじめ みんなが同じような状態だったんだよ」と今でも 当時のことは多くを語りません。でも ぼくが子供の頃何回か 「静枝がいたら~・・・」って いうのを覚えています。・・・でも 「今は親切な人に恵まれて 感謝 感謝!」そればかりを 言っています。明治女は たくましい!
2006年01月10日
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「何本ものレール」勝又富美子「今でもよく見る」と言ったのは、こういう夢の遠因が、あの三十余年前の引揚げの体験に外ならないからなのである。・・・・・・(略)・・・ 奉天にいた私達の引揚は、終戦の翌る年の、五月末から六月にかけてはじまった。 男達のいる家族は殆どなかった。その年の正月亡くなった長女の遺骨と、生まれてまだ二た月になったばかりの男の子を負うと、私は何ほどのものも持つことはが出来なかった。何もかも捨てた。・・・(略)・・・ いよいよの段になると、赤ん坊は背に負う訳にはいかないのだった。そこにはリュックサックを担がなければならない。赤ん坊は負う紐で胸に結わえつけた。その紐には白い布で包んだ小さな箱の長女の遺骨を括らなければならなかった。それで、三才の次女の手を引く手が私にはもう残っていなかった。 小さいリュックサックを負うと、三才の子はよろけた。親切な人がたまにこの子の手を引いてくれたが、併し皆自分のことで精一杯であった。・・・・(略)・・・ 引揚げて一年一カ月経った。私の胸に括られていた赤ん坊の貞樹も、黙々と歩いていた次女の茅(かや)子も、同居していた兄の家の子が、かりそめに学校から貰って来た百日咳と痲疹に感染し、惣ちひどくなり、一と月たたないうちに相次いで夭折して了つた。・・・・・(略)・・・・ あのレールを黙々と跨いだ健気な茅子の姿を思い起こすたび、その子らのむざむざ死なせて了つたことが、私には不憫で不憫でならぬ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この文を書かれたのは、終戦後30年経ってからだそうです。ほとんど引揚げ当時のことは、語らずに思い出すのもいやだ。とおっしゃっていたが、或る時に ふっきれたのか この執筆をされたそうです。実は 実は わたしの ばあさま(母)ときわめて近い体験と 同じような境遇であったんです。これも 昨年末に 突然わかったことなんです。それで ご紹介した文章が ファックスで入手しましたので、公開しました。さてこれから ある明治生まれの 女性の人生の一部を静かに じっくりと 熱く ほんの少し振り返ってみよう。。。っと。
2006年01月08日
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新しいこと始めるって 楽しいですね。たかが指定されたインターネットのOSに合わせて新しいPCで プロバイダーに新規に登録して新しいメールアドレスを作りいままでのものを移動したり 確認したりなんだこんなで 止まったり やり直したり・・・(これ 銀行の大型合併の都合なんですよ)(もちろん「こっちの環境に合わせてよ」っていっても 「システムで設定してありますので・・・」 あっさり言うけど? これ 会話になってるの?)頭にくるけど 待っても解決しない てなわけで・・・慣れた方なら 15分もあればできるんでしょうが2時間もかかちゃった。。。でも できました!(偉くもなんともないこと分かってます)でも 新しいことって 確かにやってみなけりゃ できるかどうかも分からないやってみれば できるか できないかの どっちか。やれば どっちかが 分かっただけでも前に進んだわけですね。できなかったら 別な道を選んでいきましょう。いろいろ 自分にあった道はありますよ。なんて ぶつぶつ言いながら最後に 言っていたのはどおってことない。なんでも 主人公は 自分にしようっと。まるで 酔っ払いの中年オヤジみたいな台詞ですがそう言い聞かせて新しいことを 楽しくしていきたい と思った今日でした。
2006年01月05日
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ひとつ用事を済ましてから 会社に向かう。。。道順からして自転車が便利なので防寒ばっちり マスクと厚手の手袋で出かけました。用事が終わったので 普段は通らない道だが台東区日本堤を走っていて 思い出した!そうだ! この道筋にきっとあの店があるはず。沖縄サミットで クリントンはじめ各国首脳をうならせた旨い珈琲店「カフェ・バッハ」が。なんだ ここにあったのか 見つけましたよ。時々通るのに気がつかなかった!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・メニューから「バッハ ブレンド」をオーダー。一口飲んだときは おやっ 薄めなんだ・・・ところが すぐに 香りと上品な味が鼻に舌にじわっと。。。清涼にして薫り高い!若き店長に しばらく雑談の後 撮影の許可を願い出たら「フラッシュやお客様の迷惑にならなければいいですよ」と快くOKをいただきまして店内や置いてある書籍など じっくり見回して気になったところを パチリ パチリ(スローシャッターなので手ぶれはご勘弁を)世界各国の珈琲豆がずらりと もちろん豆を売ってくれます。店主が自ら開発したコンピューター制御の焙煎機。「ティー&コーヒー図鑑」講談社 2005.11.29発行コーヒーの解説部分を店主 田口 護氏が指導監修している。「田口護の珈琲大全」NHK出版 2003発行世界50余の国を視察コーヒーの味は 産地や銘柄より 焙煎で決まると確信し科学的な研究も含めながら 「システムコーヒー学」としてまとめたこの本は後進指導のバイブルになっているそうです。ここで学んだ門下生が活躍する店はいまや 100を越えるとありました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・商売をするなら「立地が第一」と よくいわれますがここ日本堤は 「山谷」といわれるところいわゆるドヤ街で こどもの頃は怖いところとよく言われました。(今は 外国人の宿泊もとても多いんですよ)そうゆうところで ひとつの道を極めた専門店があるんですね。いや 驚いた 感激した! うれしくなった!店内には 常連さんばっかり 入れ替わり「今年もよろしくね」「いつもの?」みなさん ゆったりした顔で コーヒーを味わっていました。 どこかの一流ホテルの 旨くもないコーヒーで 千円とられたことが 馬鹿らしくなった!さあ!元気になって 自転車のペダルも軽くなったぜ。
2006年01月04日
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東京は 昼過ぎまで風もなく穏やかだったがだんだん風が強まり・・・オッ こうなると ひょっとして見えるかも。。。右側の遠くに 富士山が見えた!(小さいのでわかりますかね?)ぼくは これだけで なぜか幸せな気分になるんです。いいえ ぼくだけでなく 東京地方のみんなが言っていますね。それにしても 今年は 南側には冠雪がないですね。寒冷前線が非常に強いので 南側の雪が吹き飛ばされてしまう。そんな逆にめずらしい現象らしいです。地球の温暖化が進行していく段階の微妙なユレかも?
2006年01月03日
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予定では カミさんとバス旅行で笠間方面に初詣と「陶器市」にいくことにしていたが体調回復が優先と急遽 娘といってもらうことにしてわたしは ばあさまのところでゆっくり休むことに。。。昨年末 母の家のかたずけをしていたら一冊の本を見つけた『会津の心』 今日はこの本を読もうっと。著者:北 篤発行所:木耳社昭和四十九年五月二十日発行・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「序にかえて」に次のようにある 司馬遼太郎氏が会津に対し、 或る機会に次のように述べておられる。・・・日本人を知ろうとおもえば、 われわれは京の嵯峨野の大沢の池のさざなみよりも、 もっと会津の雪の中の歴史とひとの営みを、 知る必要がある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・といった導入から「会津」の歴史、文化、風景、人物、民話などを紹介している。第二のふるさと と思っているぼくには思い出すこと 初めて知ることいっぱいの小冊子でした。今冬は 記録的な大雪で「雪下ろしが大変だな~」って奥会津に住む いとこがいっていた。。。豪雪地方の皆様の 安全と無事を祈らずにいられません。
2006年01月02日
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年末から今流行の風邪にやっぱりかかってしまった。熱が唇に出て プチプチ赤く腫れ 節々が痛いでも 食欲はあるし 寝込んでいる場合じゃない。。。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そんな状態で今年は ばあさまと一緒に 汐入で新年を迎えました。今年も お付き合いのほどお願い申し上げます!あったかくして寝てようかなと思ったが朝食後 やっぱ 近くの胡録神社に初詣にいってこようっと。小さな神社なので 参拝客の人はいるかな? と思ったがそれなりに途切れずに犬を連れた人を 三組ほど見かける。ここは 防災モデル地区なので木造建築は この神社一軒だけになってしまったのです。すぐ隣には 昔からの道祖神がありました。せっかく 外に出たので 隅田川の川辺まで足を伸ばしてみることに。 気温は低いが 風がなくのったりとした川面 今年初めてのご対面か。今年もよろしくね。と いってたら・・・ いたいた! うれしくなって さらに先に行ってみたらここまできたら浅草七福神のひとつ「石浜神社」にもお参りしてこようっと。。。 この輪を 3回八の字のようにくぐると旅の安全がかなうそうです。道祖神といい この輪といいやっぱり今年も旅をつづけよう!
2006年01月01日
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