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とじはぎのないシームレスニット、これは自分用にあみました。今シーズン、おおきいあみものはこれで最後かなあ。おなじみとなった(笑)100均の糸、ごしょう産業さんのほっこりひつじちゃん(21個)使用。ややグレーがかった柔らかな色合いは着る人の年代を選ばずどんな服にもあわせやすい、大好きな毛糸です。冬物をしまう時期、これからは春夏のはおりものや小物本格的に暑くなる(笑)前に「世界の子供たちへ編み物作品を送ろう」のボランティアニットの仕上げ、がんばりたいです。人気ブログランキングへ編み物 ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村
2016.03.29

大阪市城東区民ホール。3月末日で閉鎖・撤去されて新・区民ホールが建設されるそうです。メイ喫のオーナー(あらためイベント企画運営?)の伝手でよくいろんなプロレス興行に連れて行ってもらいましたが興行地として思い出ふかい場所のひとつ。より快適で便利な、市民のみなさんのよりどころになることを願います。27日の日曜日には、最後の最後でなんと午前・午後・夕方と3グループの連続興行。さよなら区民ホール、そしてありがとう。区民ホールという名のとおり、高層マンション中心の住宅地にとりまかれているので「プロレス観に来るお客さんもご近所のみなさんかなあ」といったら、お父さん「そんなことないやろう、ファンが(遠方からも)くるんやろう」春は別れの季節です。人気ブログランキングへにほんブログ村
2016.03.27

「女性はふたり以上うむべき」と問題発言したとしてマスコミが騒いで波紋をよんだ中学校長。ウェブで読んでも、間違ったことおっしゃっているとは思えませんでした。やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということ女性の雇用や子供のいない人を軽視しているわけでもなく育児は男女共同作業であるとの主張、なにより若い人たちに「いまはしっかり勉強すべき」と力説していらっしゃいますね。そんなことより教育現場でクローズアップされるべき深刻な課題は山積みと思うのですが。いじめやいじめで誘引される自殺や犯罪事件を学校ぐるみで隠ぺい工作したり、担当科目の中学レベルの学力のない中学教諭、そのほか指導不適格とみられる問題教員や女子生徒に手をつけて結婚する先生等々・・・(かいていて嫌になる)<「2人以上出産」発言>校長、退職へ…大阪市教委方針 大阪市立中学校の男性校長(61)が2月末の全校集会で「女性にとって最も大切なことは子どもを2人以上産むこと」と発言するなどした問題で、市教委は校長を3月末で退職させる方針を固めた。懲戒処分も検討しているが、「過去の事例などに照らすと難しい」との声が内部で出ており、見送られる公算が大きい。 校長は昨年度末に定年退職し、今年度は1年間の任期で再任用された。来年度も再任用の継続を希望していたというが、問題発覚後、「電話対応などで教員らが忙殺され、業務を停滞させた責任を感じた」などとして、市教委に進退伺を出していた。このかたは61歳で定年退職後の再任用とのことで勝手な想像ですが、退任直前の最後の最後に率直な心情吐露してしめくくろうとなさったのかもしれません。それにしても「日本はよい国」とか「子供をうみ育てることはたいせつ」のような発言を報道機関が問題視して騒ぐのも、どこかいびつな現状ですね。経歴詐称? で騒がれたショーン・Kさん(週刊文春をみるまでこのかたを存じませんでした)や佐村河内さんも暴露されるまでは大マスコミにもちあげられたメディアの寵児だった、本来、個人の来歴の真偽などマスコミがその気になればすぐ詳細がわかるはずと思うので、大マスコミがマッチポンプで事件や場合によっては犯罪を助長拡大しているとしか思えません。いいたいことはことさらに大声でがなりたて、国益や亡国の重大事であっても報道したくないことはひたすら沈黙して押し隠す、核心をぼかしそらすことで一般のミスリードを煽る、読者・視聴者蔑視は、もうかんべんしてください。インターネットが発達して今まで受け取るだけの側だった民間の一般人も個々に情報発信できる時代になりました。閨秀ブロガーのみなさんのマスコミの声小さき証拠をこつこつ採集して照合する努力のおかげで、一般の善良な母親や平和を愛する女性をよそおった反日活動家の正体も明るみにでましたね(大マスコミが都合よくない事実?は報道せず擁護隠匿? されていますが)。 市民を名乗る【プロ反日家】反権力・庶民の代弁者のような顔して実はさまざまな利権を有する大権力者たる大マスコミ、おそきにすぎるかもしれませんがどうか反・国家 、反・公序良俗、犯罪に与するのはやめてください。お願いします。そうすることで最大の被害こうむるのは市井の皆さん、罪なき一般人です。 人気ブログランキングへにほんブログ村
2016.03.23

作り目をねじって、あとはぐるぐる編むだけで、ねじれて裏表のない編み地ができます。使ったのは、いたんだセーターをほどいた糸。二目かのこで、ぐるぐると輪編み。完成。コーディネートにアクセントを、太い糸で編めばショールに。あみかたテキストから。こんなステキに着こなせると、いいなあ(私には、とうてい無理)。編み物 ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村
2016.03.15

材料にこらず、とくべつな器具もなく、うちにあるもので手軽につくれてそれなりに美味しいのが、ホームメイドの醍醐味。デコレーションはできずかんたんな焼き菓子(ケーキ、クッキー、マドレーヌ)しかつくれませんが、結構楽しめます。(牛乳パックの底を切りぬいてパウンドケーキ型代わりに、クッキーは型のいらないドロップやアイスボックスで。)今回はタルトタタンにトライ。丸型の底にカラメルソースを流して薄切りにしたりんご(4コぶん)をぎゅうぎゅうしきつめ、上からケーキたねを流す、完成すると底が上になるアップサイドダウンケーキ。タルトタタンでは一番かんたんな『焼くだけのお菓子』のつくりかたを参照しました。本格的なタルトたねにも挑戦したいです。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村
2016.03.13

阪神淡路大震災より21年東日本大震災から5年、3月10日の東京大空襲から71年、明治維新、日露戦争、第二次大戦の未曾有の敗戦。奇跡的な復興と驚異の経済成長、短期間に二度もの大震災、なにがあってもたちあがる日本の底力。平和を愛し、明るく豊かな、つよい、強い、つよい日の本であれ。いまこそそしてこれからもなにより、つよい『日本』でありますように。人気ブログランキングへにほんブログ村
2016.03.11

『あの空にも悲しみが』は大ベストセラーとなり、貧しいガム売り少年のユンボギは一躍韓国で最も有名人になってしまいました。キム・ドンシク先生はじめユンボギを応援する人たちの尽力で、妹のスンナ(旅館で住み込み奉公のようなことさせられていた)も家に戻ってきました。まだ小学校高学年のユンボギにとって、あまりに眩しくて目もくらむばかりの幸せなひとときだったのではないでしょうか。お母さんはいないけれど家族がそろい、家賃がはらえず追われる寸前だった掘っ立て小屋からこぎれいな家にうつり、ガム売りや物乞いをしなくてもごはんが食べられて中学入学にむけて勉強ができる、幼いユンボギはそれだけで世界でいちばんしあわせを感じていたことでしょう。・・・成長とともに、また成人してからも、幼少期にあまりにも有名になりすぎた反動で(ベストセラーや名子役の宿命ともいうべきデメリット)ユンボック氏はさまざまな岐路で悩むことになります。出版された日記は売れに売れて爆発的なブームをまきおこし、ジャーナリストや代議員など多くの偉い人がユンボギに会いにきた、日本的に考えると莫大な資産が入ってきたであろうと察するのですが当時動乱の未成熟な社会システムのためか(版権や印税が原作者にちゃんと還元されなかった?)マスコミにいいように利用されたのか、ユンボギ家には、世間が思い込んだほどに見返りはなく、ユンボック氏は(短い)生涯を通して生活苦と戦うはめになります。(生前、氏が裕福だったことは、ついぞなかったという)『ユンボギが逝って』によれば80年代には、日本から本の印税収入がいくらか入るようになったとのこと(ということは、それまでは日本からの入金は無かった?日本で65年に出版されてから100刷以上のベストセラーになったのに)、こちらの考察も印象深いので、読んでみてください。「ユンボギの日記」。覚えていますか。『あの空に悲しみが』は映画化(韓国映画史に残る名作らしいです)され、映画のキャストと対面したことや実際に家族で映画をみにいったことが『あの空にこの便りを』に書かれています。映画や監督について、韓流ファンのかたがこちらのブログで書いていらっしゃいます。「あの空にも悲しみが」~気高さについて が、映画があまりにリアルに事実にそって作られていたせいか、ショックをうけたユンボギのお父さんは再び酒びたりの悪癖に依存してしまい、そのことが原因でユンボギたちが第二の母とも慕った世話係りの優しいお姉さん(出版された日記を読んで感動し、自らすすんでユンボギ兄妹の役に立ちたいと訪れて家政をみていた)も家を出てしまう。ベストセラーの弊害、・・・存命実在の人物をあつかうノンフィクションの難しさでしょうが、自営の工場をつぶし職もなく幼い子供たちにガム売りや物乞いをさせているお父さんにご近所や世間や国中の非難が集中したことは想像にかたくない。そしてようやく見つかったお母さんは、すでに異父弟を生んでいた。待望の中学入学決定からまもなくパクおじさんに連れられて7年ぶりに果たしたお母さんとの再会は、むしろ悲しいものになりました。『ユンボギの詩 あの空にこの便りを』よりお母さんがた、きもにめいじて 聞いてください。なん百回 いいわけをしても いいわけにはなりません。幼い子どもを 産んで 逃げていかないでください。それは 産んで 殺すのと 同じことです。息子や 娘たちを にくむ 情けない お父さんがた。お母さんを たたいて 追い出してしまった お父さんがた。風にふらふら 飲んべえの お父さんがた。子どもを産んで 逃げてしまった 無情な お母さんがたを ぼくは告発します。 思春期を迎える、ユンボギ少年のかなしみの告発は時代を越えて・・・というよりいまのニッポンだからこそ、いっそう読む者の胸につきささります。お父さんとお母さんは、その後もとのさやにおさまることはなく長男ユンボック氏に先立たれてのちもお父さんはひとり暮らしでほそぼそと露天商を営みお母さんは成人したスンナさんはじめ弟妹の家をまわって暮らしたとのことで、おふたりともに頼もしいご長男に先立たれた悲しみは深かったでしょうが、せめて安らかな老後ののちユンボック氏のおそばに往けたであろうことを祈りたいです。成長したユンボック青年は、経済的な問題から念願の大学進学は果たせず、ソウルで商売を転々としながら天職を模索するも間に兵役があったりやっと入社した会社が傾き整理されたりと頓挫が多くつねに悪戦苦闘しながら、自分がベストセラーの主人公「ユンボギ」であることをカミングアウトするのを好まず自分の実人生を自力で切り拓こうと頑張っていたそうです。(カミングアウトすれば企業宣伝にもなり就職もぐっとスムーズだったであろうに、「過去の自分」に訣別して強く生き抜こうとした、不器用といえばいえるけれども、いかにもユンボック氏らしい)「世の中に対して一回世話になっただけでもこんなに頭が上がらないのに、今こうして大人になって、もう一度そんな立場に置かれたら、ぼくは永久に自分自身で生きられなくなるだろう」結婚して家庭をきずき子供もうまれ最終的に名の通った製紙会社に職を得て、ようやく生活が安定し幸福をつかみかけたかというとき、肝炎の悪化でユンボック氏はこの世を去りました。享年わずか38年。写真にみるユンボック氏は『あの空にも悲しみが』のイメージと異なり意外にも(失礼)、アスリートのようながっしりした体格で意志の強さとそのお人柄を感じさせる精悍な面立ち、やはり若くしてお亡くなりになった三沢光晴さんにちょっと似てるなと思いました。奥様の述懐。・・・あなたはどこの誰よりも情の深い人でした。道で不幸な人に出会うと、手持ちのお金を全部差し上げたりしましたね。道で子供が、ひどい交通事故にあって命をおとしたのを見ては、その子供の冥福を祈りながら、その子のために自分が最も大好きなタバコを止めましたね。たくさんの苦労を経てきたので、人の不幸をたやすく見過ごせないあなたでした。『ユンボギが逝って』より・・・仕事に追われるなかで、ユンボギは幼年時代の自分のように現在不遇なめにあっている幼児たちに、月にいくらかずつでも送ってやりたいという考えを抱くようになった。彼は本当に生活に少しのゆとりでも生じれば、遠くからでも不幸な子どもたちを手助けしたかった。またそうすることだけが、自分がこれまでこの世から受けてきた助力と同情に応える道だと考えた。しかし、彼自身も高くない部屋代さえ払えなくて困るありさまで、人助けをするというのは実に難しいことであった。ユンボック氏が長寿に恵まれ経済的にも苦しい時期を脱していれば、天分を開花させどれだけ社会に大きく貢献なさったことか、早過ぎる永遠の旅立ちに天の無情が恨めしくすら感じられますが、貧困や劣悪な環境に侵されることない高貴な品格、誇り高く立派なかたがいらしたことを語りついでほしいと思います。韓流ファンタジーもメロドラマもいいけど、時代背景や映画も挟みながら、伝記ドキュメンタリー番組制作してNHK衛星あたりで放映してくれるとうれしいですね。画像は、『あの空にも悲しみが』コミカライズ版ユンボック氏が他界した2年後の1992年、なんと母国にさきがけて日本で翻訳出版されたのだそうです(児童書出版で著名な小峰書店刊)。かわいそうな境遇の子が懸命に生きる悲しい話が、いかに好まれるわが国であることか・・・手がけたのは韓国の漫画家のかた。ユンボギ少年をあたたかく見守るような優しくユーモラスな画風が心に沁みます。本・書籍 ブログランキングへにほんブログ村
2016.03.09

空を見上げると、きれいにすみわたっていました。ひとつの雲もありません。ぼくらの家族も、あの空のように、すみきっていたら、どんなに、すばらしいことでしょう。すみきった、あの空にも悲しみがあるのでしょうか。日本では、1964年東京オリンピックの時代。韓国の大邱市にすむユンボギ少年は小学4年生、失業中で半病人のお父さんと幼い弟妹3人とともに赤貧洗うがごとき生活にあえいでいます。お父さんの暴力にたえられず逃げてしまったお母さんを慕いながら、チューインガム売りやくつみがき、物乞いでわずかな日銭をかせぎつつ、けなげに生きるユンボギ。貧しさに耐えかねて、上の妹のスンナも書置きを残して家をでてしまう。「お金をたくさんもうけて、家に帰ってきます。 スンナをさがさないでください」 (10歳になるかならずやの幼い女の子が・・・)・・・小学校時代にはじめてちらっと読んだときは、たしか『全国優良指定図書』かなにかで、いつの時代のどこの国のお話かもわからず読み始めたのですが涙がとまりませんでした。ユンボギがかわいそうなのはもちろん、悲しみを強調するような硬質な挿絵の雰囲気があいまって、よくわからないなりに「まずしさ」ということへの、恐怖感が強かったのでしょうか。『ユンボギの日記』が書かれたのは63年6月から64年1月まで、64年に出版されて大ベストセラーとなり、65年に日本語訳されてこちらも100刷を数えるロングセラーになったそうです。日本語版翻訳者の塚本勲先生は63年に韓国を旅行して戦後まもない日本のような貧しさ、都市部の繁華街にガム売りの少年たちがあふれているのに強烈な印象うけ、(どこかで実際のユンボギと会っていたかもしれない)にもかかわらず、ユンボギことイー・ユンボック氏(1990年に40歳にもならない若さで逝去)とその生前ついに語り合うことがかなわなかったことを惜しんでおられます。ユンボック氏の他界後、長く絶版になっていた『ユンボギの日記』は遺されたお子さんが著作権の権利者となり2004年復刊、2006年に塚本勲先生の日本語訳も復刊しました。著者同様、数奇な運命をたどった手記。が、くもりなき子供の眼で時代を証言する一冊、また児童の生活史としても貴重な、希少な文化遺産として、ぜひ後世に残してほしい本です。左から、復刊されたユンボギの日記、『あの空にも悲しみが』続編にあたる『ユンボギの詩 あの空にこの便りを』幼少期から、成長してからのユンボック氏の生涯を俯瞰した『ユンボギが逝って』図書館で借りてきました。食うや食わずの貧困のなかでも純な心を失わず、お父さんお母さんや弟妹を思い、乳幼児をかかえたホームレス然とした女性に行方不明のお母さんを重ねて気遣い、拠り所ない徘徊老人にはガムを売ったわずかな実入りのいくばくかでも恵んであげずにいられない、心優しいユンボギ。くつみがきでかせごうとして、お父さんが作ってくれたくつみがきの道具を縄張り争いで獲られてしまったり、実入りを盗る目的で年上の少年に襲われて怪我したり、つらいことばかりなのですが、気持ちがすさんで不良の悪い仲間に加わっても責められない境遇なのに人を恨んだり誰かのせいにするのではなく素直で前向きな気高い心を失わないこの品格がどこからくるのか、ユンボギに日記を書くことをすすめノートや筆記具を与えて励まし続けたクラス担任のユ・ヨンジャ先生、ユンボギの境遇を知りユ・ヨンジャ先生とは異なる視点から救援の手をさしのべたキム・ドンシク先生やその友人のパクおじさん(文筆家で、新聞記事にユンボギがとりあげられたことから日記の出版が決まりベストセラーになった)、学友や近所の人々の支えや励ましもあったでしょうが、やはり生来そなわっている高貴な気質としか考えられません。 まったく余談ですが、かつてその凶悪さと惨さで世間を震撼させた未曾有の未成年犯罪『綾瀬コンクリ殺人事件』、あまりの非道さに当時は新聞社や出版社の報道も錯乱した感があり、他にいいようがないためか「世の中が悪いせいでこんな事件が起こる」的な説得力ない論調が目立ちましたが反発する読者の投稿(事件特集した『サンデー毎日』に寄せられた読者の感想のひとつだったとうろおぼえ)が強烈に記憶に残っています。たぶん、犯人たちとさして年齢も変わらないような当時20代とおぼしき若いかたの寄稿だったと思いますが「・・・貴誌は、この外道どもの弁護士か? 『社会が悪い』とは、一部諸外国のように親の庇護なく学校も通えず、職も金もない、だから自分が生きるために盗み、人身売買、犯罪にそまる、そういうのを『社会が悪い』というんだ。」・・・当時まだ若かった(苦笑)私も、大いに共感しました(まだ、ネットは普及していなかった)。そしてこれらは過去のことではなく、現在も世界各地のストリートチルドレンや半島地域ではコッチェビと称される乞食稼業で口に糊する子、飢餓にあえいだり搾取にくるしむ不幸な子供の問題は世界にまたがっています。ユンボギ少年の境遇もその一端であり、比較(にもなりませんが)すれば少年法うんぬんする現在のわが国の加害者・犯罪者擁護ととれなくもない人権派の題目・論調がなんと生ぬるく、一蹴されてけしとんでしまうことか。実際に現場に関わっているかたには、どうか本当に「救援すべき」存在を正しく判断する眼をやしなっていただきたいですね。 人気ブログランキングへ本・書籍 ブログランキングへにほんブログ村
2016.03.07

ハヤブサ死す。あまりに、早すぎる突然の訃報、正直ショックでした。もう22年の昔、94年に大阪城ホールで、メキシコ遠征から凱旋帰国まもないハヤブサ選手の試合を楽しんだのは昨日のことのようです。若手の江崎選手がメキシコでマスクマン・ハヤブサに変身、縦横無尽な舞い、高度な飛び技は観客を沸かせてくれました。ほどなくして、団体の牽引を任されたエース・ハヤブサ、不況の影響もあるのか苦しい団体経営、連日連戦で危険な技に怪我や故障がたえず、何年かは団体と共に苦戦している様子が洩れ伝わってきました。そして試合中の事故で頸髄損傷、全身不随の大アクシデント。しかし。一生全身不随を宣告されながら、懸命なリハビリで驚異的な回復、車いすから立ち上がり短距離なら自力歩行できるまでになる。人生の軌跡と交錯する奇跡。作詞作曲の歌手活動、舞台俳優、講演会やトークショウ。多才な活躍しながら、あくまで目指す着地点はレスラーとしてリング復帰。試合中のけがで全身不随 リングへ復帰「5年後に」その前向きな姿勢が同じ症例や闘病中のかた、なにかの壁にぶつかってなやんでいるかたにどれほど希望と励ましを与えてくれたでしょうか。ほんとうに、早すぎる今生のおわかれが惜しまれてなりません。物理的な制約から解放されて永遠の翼を得たいまは、天国で荒井さんのリングコール、三沢さんや冬木さん、浅子さん、馬場さんたちと好勝負くりひろげているのでしょうか。ご冥福をお祈りします。人気ブログランキングへにほんブログ村
2016.03.05

ぐっと春めいて、あたたかい陽気になりました。眼はかゆかゆ(笑)、耳と鼻はいつも詰まっている感じ。月いちの、実父の通院のつきそいをぶじ終えて、ほっ。・・・毎年のことなのですが、この時期はちょっとつかれます。春の明るさが、かなしい。人気ブログランキングへにほんブログ村
2016.03.03
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