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村の道路にひびが入っているので、市役所の道路整備課に来てもらった。2名の若い職員がくまなく見てくれて、少しずつアスファルトの張替えをしましょうということになった。ついでにチェックしてもらったのが、昨日お話した北坂。くだっていく右ののり面が崩れそうになっているからだ。低いところで2メートルほど、高いと5~6メートルのがけになっている。上は竹やぶ。斜面にも背の高い竹が伸びている。子どものころ、竹はびっしりと根を張るからがけでも崩れないと聞かされていた。しかし、本当のところは違うようだ。びっしり根が生えているのは本当だが、浅いところで広がっているので、大雨が降ったり、地震があったりすると簡単に崩れてしまうらしいのだ。どんどん上に伸びていく竹の重みを支えくれなくなるのだろう。北坂のがけは、斜面の中ほどがえぐれて、道路に覆いかぶさるような勢いだ。だれが見ても危ない状況にある。市役所の職員も、見てすぐにそのことはわかった。「この坂、農作業に出る村の人だけでなく、散歩やジョギングで通る、近くの団地の人も増えているんですよ。何かあったら大変ですよ。市で何か対処できませんか?」ぼくの言っていることは間違ってないと思う。しかし、彼らの言い分もまた正論だ。「このがけは私有地だから、市としては『何とかしてください』という勧告はできても、それ以上のことはできないんです」もっともな話だ。それなら、市から勧告してもらったとして、持ち主は納得して補修工事をするのだろうか。もしぼくだったら、資金の問題もあるし、「はい、わかりました」と素直に返事できないかもしれない。「あと10年くらい大丈夫だろう。これまで崩れなかったんだから」自分に都合のいいように考えてしまいそうだ。もっとも、10年後に崩れたら、ぼくの場合なら80歳だから元気かどうかわからないし、死んでたら娘たちが責任を負うことになるので、今のうちに何とかした方がいいと思うのだが。工事資金を村で負担するかとなると、村を二分する議論になるかもしれない。北坂のがけは早く対処しないと崩れることはわかっていても、「西側にも坂があるし、そっちを使うからいいよ」という人もいるだろう。田んぼにつながったもっと広い坂道があって、北坂が封鎖になっても、困らないと言えば困らない。ぼくとしては、北坂は昔からある坂で、ご先祖様がフーフー言いながら上ったところだ。村への入り口としても、外からの人が「トトロの村に入っていくみたい」というくらい風情のあるところなので、残したい気持ちが大きい。という事情なのだが、何かいい方策はないものだろうか。村の人々がいろいろ知恵を出し合うイベントにできたらいいが、それが実現するのは、まだまだ時間がかかりそうだ。その間に崩れないといいが。
2026年05月15日
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我が村の真ん中に南北に抜ける市道がある。乗用車一台が通れるほどの狭い道だ。この道がもともとの村のメイン道路。ぼくが子どものころは車など通らない。田んぼ仕事に行く人が牛を引いて歩くのどかな道だった。車社会になって、この道路もアスファルトで舗装され、西側に広い道ができた。西の道は車での通り抜けができないので、ただ通り抜けるだけの人は、古くて狭い道を通っていく。メイン道路から村を抜けた北側には70メートルほどの急な坂があって、下には田んぼが広がる。今は田植えが終わって、すがすがしい水田光景となっている。この坂を「北坂」と呼んでいる。北坂を上って村に来る人も多い。初めて北側から村に入る人は、「トトロの村に入るみたいでした」と嬉しそうに話してくれる。坂の下から見ると、その先に村があるとはだれも思わない。道を間違ったのではと不安になる人も多い。前にはこんもりとした山があるだけだから。坂を上っていくと、正面にあるのが我が家。ヤギたちの姿も見えるので、何とものどかな村にたどり着いたという感じがするのだ。南側は畑や山が開発されて、新興住宅が広がってきている。秋にはトライアルというスーパーがオープンする予定で、着々と工事が進んでいる。その脇は中勢バイパスが通っていて、ランプもあり、村の景色はずいぶんと変わった。村の中心も南に移りつつあって、北側は空き家が増えてきた。北坂で困ったことがある。ナビに案内されてここを上ってくる車が増えてきたのだ。我が家へ来る車は、たいていが北坂を上らされる。北坂を上ると右に曲がって、すぐに左折する。この左折が曲者。狭い道が、90度に近い角度でカーブしている。軽四なら大丈夫だが、大きい乗用車だとギリギリ。1.5トンとか2トンのトラックの箱車だと、我が家の倉庫の庇が邪魔になって、たちまち立ち往生する。運転手はひやひやものだ。ここ2ヶ月で、ぼくは2回、箱車の立ち往生に立ち合った。行くにも行けない。バックも厳しい。Uターンも無理。一度目は、ぼくと娘が誘導しながら、何度も切り返して、やっとカーブを抜けられた。運転手は半泣き状態だった。二度目はもっと大変。ちょうと我が家の倉庫の裏を通るのだが、箱がコンクリートで作った庇に接触して、どうがんばっても抜けられない。ぼくは言った。「ハンマーを貸してあげるから、庇をたたき割れ」それしか方法は考えられなかった。倉庫はリフォームする予定だから、幸いと言えば幸いだった。それでやっと曲がることができたわけだ。ナビは便利だが、道幅を考えずに案内することがある。我が村では、北坂の下に「この先本当に道幅が狭いので一般車はご遠慮ください」という立て看板を立てる予定だ。
2026年05月14日
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「2泊3日くらいで旅行しようか?」妻が言った。前から、新聞に出ていた安いパック旅行の広告を切り集めていた。居間のドアにセロテープで何枚も貼り付けてある。いろいろ検討したのだろう。近くなら伊勢志摩、遠くだと北海道。妻は札幌で生まれ育った。北海道には人一倍思い入れがある。本心は北海道に行きたいのだと思う。「行こうよ。どこでもいいよ」ぼくが答える。「私が決めていいの?」「ええよ。ゆっくりしてこようよ」物わかりのいい夫になったものだと思う。5年くらい前なら、「うちでゆっくりしてる方がいいよ」「旅行なんて疲れるだけや」ひねくれた言葉を吐いて、妻を怒らせていた。豪華客船での優雅な旅みたいなのは、何だか気恥ずかしい。自分に似合わない気がする。質素に温泉でゆっくりするというのならいいかな。「なんで旅行に行きたいの?」聞いてみた。「あなたも私もけっこう肉体労働しているじゃない。おたがい、ひざや腰が痛いし、椅子から立ち上がるときにも、『あいたたたっ!』って声が出るわけで、いつ動けなくなるかわからないでしょ。動けるうちに、旅行くらい行ってもバチが当たらないんじゃないかと思って」ヤギの世話をし、犬を散歩に連れて行き、畑へ行ったり、荷物の整理をしたり、確かに、この年にしては重労働だ。5~6年前には、運動不足を心配しないといけないようライフスタイルだった。運動と言えば、家の階段の上り下りくらいだったのだから。妻だって大した運動はしていなかった。スマホの健康アプリで歩いた歩数が出てくる。今のぼくで一日に8000~1万数千歩、妻は6000歩くらい歩いている。足腰が痛くなるのも当たり前だ。「それに、あなたも70歳だから、いつ死んでもおかしくないしね。元気なうちに一回くらい旅行をしましょ」妻は「あなたが死んだら」というフレーズをよく使う。「この人が死んだらさっさと札幌へ帰るの」まわりの人にも平気で言っている。ぼくは笑いながら聞いているが、正直なところ、あまり気分は良くない。しかし、もうそんな年なのは間違いない。結婚して35年ほどになる。思い出なら、甘い辛いは別にして、山ほどある。いまさら思い出作りをする必要はないと思うが、まあ、ぼくが70歳になった区切りとして、旅という非日常につかりながら、2人で過去を振り返るのもいいかもしれない。「じゃあ、8月に行くか」我が家はヤギが6頭、犬が7頭、ネコ3匹、ニワトリ3羽。メダカもいる。ぼくたち2人が抜けると世話が大変。犬を散歩させるだけでも、手間も時間もかかる。農業大学校へ通っている三女が夏休みのときなら、娘たちの負担も少しは軽いだろう。それでほぼ決定だ。娘たちにも伝えた。動物たちに囲まれる暮らしはとても楽しいが、どうしても自由に動けなくなってしまう。ぼくは今のような人と違う生き方をけっこう歓迎しているので、不自由とは感じない。しかし、妻は今の生活が不満ではないものの、それに加えて、世間並みの、グルメや旅行、趣味を楽しむ、ゆっくりした老後もいいという思いもあるようだ。あまり欲張った生き方はしたくないが、「夫婦水入らず」と言われるような老後を、数日楽しむくらいなら、妻が言うように「バチは当たらない」だろう。肉体が衰えたのは自覚する。しかし、気持ちは衰えてない。あまり肉体に頼らないがんばりなら、まだまだやれる自信はあるし、やっていくつもりだ。そのためにも、たまの「老後生活」はエネルギーチャージになる。妻も、つかの間の「老後」のあとは、もうひと仕事と思っているのかもしれない。
2026年05月08日
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ずっと政治とか経済には無頓着だった。選挙には行ったけれども、深く考えずに投票し、結果にも興味はなかった。その後の政策も知らないまま、ぼんやり生きてきた。経済に関しては、お金はほしかったけれども、目先の収入に一喜一憂するばかりで、世の中のお金の動きといったことには関心が向かなかった。そんな社会音痴のまま70歳になってしまった。しかし、今の情勢を新聞、テレビ、ネットを通して見聞きすると、「ちょっとまずいじゃない」と、さすがのぼくも感じてしまう。この間、倉庫の掃除をしていたら、「日本国憲法」という本が出てきた。ずいぶんと前、何がきっかけだったか忘れたが、憲法くらい読んでおかないとと思って買ったのは覚えている。でも、読まずに段ボールに入れたまま、東京、山梨、鈴鹿と運ばれてきた。憲法改正について関心が高まってきている。特に憲法9条。平和憲法、戦争放棄と教わってきたものが、「時代に合わない」「普通の国と一緒でいいじゃないか」という高市内閣の考え方もあって、手を加えようとする動きが出ている。反対する人が何万人も集まって、デモが行われたりしている。そんな中で武器の輸出が解禁された。さらに、9条の改正へ向かう気配。戦える国を目指しているように思えてならない。戦争をするしないは別にして、憲法9条があるからこそ、日本は戦争をしない国、日本人は平和を愛する国民だと、他国から尊敬されている。憲法とは何のためにあるのか。そんなことも知らなかった。権力が暴走しないようにあるのが憲法だ。法律とは根本が違う。近代国家は、「民主主義」と「法による支配」で成り立っているそうだ。この話をしてくれたのは、原発を止めたことで有名な樋口英明元裁判長。民主主義は、表向きはとても理想的なのだが、多数決だから、愚かな人たちが集まっている社会だと、とんでもない方向に進んでいくことになる。すごく疑問だったけれども、そうならないためにあるのが法=憲法なのだと言う。少数派の人権が脅かされる場合には、多数の意見以上に憲法の「基本的人権」が発動される。ぼくはそう理解して、「ああ、なるほど」と納得がいった。権力が言論統制をしようとしても、憲法に書かれている「言論の自由」が壁になってくれる。だから、憲法は、私たちが幸せに生きるためにはとても重要なものなのだ。そんなことも知らずに生きてきた。これまでは何も不自由はなかった。でも、今はちょっと様相が変わってきた。樋口元裁判長にお願いして、「憲法のいろは講座」をやってもらおうと思っている。
2026年05月12日
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9月17日には青山学院大学名誉教授の石井光(あきら)先生をお招きして、「内観」についてのお話をお聞きする。内観というのは、一週間、外からの情報を断って、自分の内側をしっかりと見つめる精神修養法。言われたことを素直に考えるだけで、何も難しいことはない。ぼくは、7年ほど前、還暦になる前に受けたことがある。畳一畳ほどの場所とテーマが与えられる。まずお母さんについて、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」を、思い出してください。最初の一時間は6歳まで。なかなか思い出せないけれども、狭い空間で何もすることがないから、とにかく母のことを思っていると、ぽつりぽつりと思い出すことがある。そして、ひとつ思い出すと、記憶の扉が開いたかのように、あんなことがあった、こんなこともあったと、母にしてもらったことが徐々に飛び出してくる。朝早くに起きてご飯を作ってくれた母親(ぼくが子どものころはカマドだった)。お風呂も五右衛門風呂で、沸かすのも大変だった。洗濯機も掃除機もなかった。買い物だって自転車(田舎だったからお店まで遠かった)。田んぼや畑の仕事もあった。ぼくは、小学校に入るとき、いい服を買ってもらった。貧乏だったのに、両親が気張ってくれたんだろうな。そんなことが出てくる。最初のうちは、こんなこと思い出したなあ、という程度なのだが、2日たち3日たつと、やってもらったことが次々と思い出されて、嫌でも「ありがたかったな」と思いが、湧き上がってくる。涙があふれてくる。事実がよみがえると、感情が震え出す。びっくりだった。1時間ごとに、先生がやってきてくれて、思い出したことを報告するのだが、ぼくは何日目からか、座布団の上に、涙がボタボタと落ちるという体験をした。母が終わると父、そのあとは兄弟、配偶者というように、縁の深い人たちとの関係を洗っていくわけだ。次女の氣恵も参加したが、たくさんの気づきをもらって帰ってきた。今の世の中、精神的に疲れている人が多い。ぼくは、そういう人の助けになりたくて、山梨で活動を始めた。しかし、簡単なことではない。疲れ切ってうつ病になった知り合いもいる。ぼくや妻の力だけではどうしようもないことも多い。ヤギも力になってくれるが、限界がある。多面的にアプローチしないと、現代の病根は解決しない。だから、たくさんの人の力を借りることにした。おかげさまで、ぼくは魅力的な人とずいぶんと知り合った。その第一番の人が帯津良一先生だが、先生にも11月にも講演をしていただく。石井先生も、ぼくがみなさんに会わせたい一人だ。内観のことも知ってもらいたい。両親のことをあれだけ考えるチャンスは、人生の中でないと思う。親との関係を悪いままにしておくと、不幸を背負ってしまう。親は子どもにとっては絶対的な存在だ。だれにとっても、影響力の一番大きな人たちだ。特に小さいころは、命を預けているようなもの。その親を否定して成長すれば、必ず心の中にひずみが出る。それが不幸のもとだとぼくは思っている。さまざまな病気の原因のひとつにもなる。「一生の幸せ」を一週間で。そんなタイトルをつけたが、決して大げさではないと、受講経験者としては言いたい。内観とは何か。どんなことをして、どんな変化が起こるのか。ぜひ、講演会で知っていただきたい。そして、一人でも受講してみようと思う人がいたらうれしいな。講演会についてはこちら。
2022年08月04日
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安曇野で内観研修をしている石井光(あきら・青山学院大学名誉教授)と中野節子先生(信州内観研修所所長)が訪ねて来てくださった。お二人とも東京にお住まいで、毎月行われている内観研修に行く途中に、ときどき寄ってくださる。内観研修は、ぼくと長女と次女が受けている。一週間、自分の内側を見つめる。何について内観するかは先生方がリードしてくれるので、忘れていた記憶がよみがえってきて、人生が大きく変わる体験をすることができる。特に対人関係の思い込みが取り除かれる。憎しみが一気に感謝に変わったりする。体調が良くなっていく人もたくさんいる。特に、ストレスからくるものは回復が速いそうだ。ストレスのダメージを受けやすい思考パターンというのがある。それが、過去の事実をしっかりと見つめることで、自分の考え方、物事の受け止め方の癖から解放される。楽に生きられるようになる。悩みが軽減する。未来に希望がもてるようになる。自分を認められるようになる。人をゆるせるようになる。小さなことにも感謝ができるようになる。たった一週間で変化が起こるのだ。研修参加費は、一週間で8万円ほど(食事つき)。ぼくは体験して損はないと思う。信州内観研修所の詳細はこちら。
2023年04月29日
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雑草が伸びてきた。まめに草刈りができず、目に余る状態になってからの作業なので、手間がかかる。田舎で快適に暮らそうと思うと、何でも早めに対処することが必須だ。ぼくにはなかなか難しい課題だ。だから、夏場は草に囲まれて暮らすことになる。「ヤギがいるじゃないの」よく言われるが、柵もせず放し飼いをしていても、家の周囲にいてくれるならいいが、どこかの畑に行って、野菜を食べたら大変だ。道路を走って車と衝突しようものなら、ヤギも大けがをするか死んでしまうこともある。車の運転手にも大迷惑をかけてしまう。草を食べてほしいところに杭を打って、リードでつなぐのが一番だが、まわりの物を片づけないと、リードが絡まって動けなくなったりする。ヤギに雑草を食べさせるにしても、事前の準備が必要だ。昨日は、次女と一緒に倉庫のまわりの草をざっと刈り、雑草に埋まった古い瓦や木切れなどを片づけた。ヤギたちが好きそうな草がたくさんあって、きれいに片づければ、杭を打ってヤギのえさ場になる。ところが、瓦の下や隙間は生き物たちにとっては快適な場所なのだろう。小さな虫が出てくる。ムカデもいた。そして、グレーの小さな蛇、さらにはシマシマ模様の50センチくらいの蛇もにょろにょろと顔を出した。ギョッとする。蛇たちは倉庫の壁の中に逃げ込んだが、まだいるのではないかと、びくびくものだった。「何ていう蛇なんだろう」娘が写真を撮ってAIに質問した。そしたら、「シロマダラヘビ」と出てきた。夜に行動するので、なかなか捕獲できずに珍しい蛇らしい。この時期、いろいろな生き物が動き出す。ぼくは田舎で育ったけれども、蛇は苦手だ。マムシのような毒蛇なら近づきたくないが、シロマダラヘビは無毒だし、よく見ればすてきな柄の蛇だけど、手も足もなく、長い体をくねらせながら進んでいく姿は、ぼくは背筋がゾクゾクしてしまう。「だけど、蛇って金運だよね」次女も蛇は苦手だけど大騒ぎしない。だいぶん、田舎にも慣れてきたようだ。脱皮するから縁起がいいとも言われている。蛇の皮をもっていると金運上昇。ぼくも立派な蛇の皮をもっている。村の草刈りで、だれかが見つけて、気味悪がっていたので、「もらっていい」と譲ってもらったものだ。2年くらい前のこと。金運はどうなったか。何を金運ととらえるかだが、宝くじが当たるようなことはないけれども、お金に困らず暮らしていられるという面では、金運はいいと思う。珍しいと言われるシロマダラヘビにも会わせてもらった。お金のことはあまり気にせずに生きていけばいいというメッセージだと解釈した。ありがたいことだ。
2026年05月13日
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夢の話。家内がある海に近い町で講演をすることになった。ぼくは、ペットのモルモットを連れて、彼女の付き添っていくことに。そこでの出来事。ぼくは、まわりの人と談笑していた。ついつい話に夢中になってしまって、モルモットが逃げ出してしまったのに気づかない。放し飼いしても大丈夫なモルモットだったので、ケージの外に出しておいたのだ。さて、大騒ぎ。みんなに助けてもらって、あちこち探す。モルモットは、一人の男に保護されていた。その男は、自衛隊のOBで、今はこの町で漁師をしていた。ちょっと偏屈な男で、孤立しているところがあった。「ぼくのモルモットだから返してください」と頼むと、彼は、「嫌だ」と言う。俺が盗んだわけじゃない。こいつが勝手に来たんだ。そりゃそうかもしれないけれども、飼い主がぼくなのは明らかなのだから返してほしい。押し問答が続く。それじゃあ、俺と船でレースをしないか。俺に勝ったら返してやるぞ。そいつは無茶なことを言う。こっちは船なんか運転したこともない。第一、船もないじゃないか。「このあたりの腐れ漁師に助けてもらえばいい」なんて、男は、憎まれ口をたたく。ぼくは、一生懸命に助けを求める。しかし、男は漁師としても超一流の腕前で、そいつに船の操縦で勝てる漁師はいない。そんなことにかかわっていられないと、みんながしり込みをする。さて、どうするんだ。そんなとき、一人の老人が、「俺が手伝ってやるよ」と名乗り出てくれる。でも、かなり高齢で、大丈夫なのだろうか。彼は、若いころ、やんちゃをして刑務所へ入っていたことがある。まわりの人はあまり積極的に近づこうとしなかった。しかし、腕前だけは確かなようだ。モルモットを取り返すため、ぼくは、船の操縦を覚え、決して得意ではない海に出ていくことになった。さてさて、どうなることやら。荒くれ漁師たちの顔が、次から次へと出てきた。よくわからない夢だったが、モルモットにも偏屈な男にも老人にも、きっと何か意味があるのだと思う。このレースがどうなるのか、続きを見たいものだ。
2014年01月11日
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