老師の言葉 0
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Zoomでの早朝読書会。著者インタビューに登壇してほしいと声がかかった。ありがたいことだ。今朝は5時半に起きて、慣れないZoomにドキドキしながら参加した。「がん」をのりこえた人が気づく7つのこと。この本がテーマだから、がんと闘病中の方もいるだろうし、がんを乗り越えた人もいるだろうし、ご家族ががんの方もいるだろうし、どういうお話をしたらいいのか、本番前からけっこう緊張していた。でも、取り繕っても仕方がない。思ったことを話そうと決めたら、すごくリラックスできた。治療法選びばかりが先行すると、あまり結果は良くないのではないか。根底にある、自分の人生の中に登場したがんと、どう向き合うのか。人生の一シーンとして、この難しい病気をとらえたらいいのではないか。そんな話をした。健康なぼくが言っても説得力はないかもしれないが、がんに限らず、どんな場面でも、目の前の出来事だけをとらえて、落ち込んだり、舞い上がったりはしないようにと心掛けている。すべてのことは意味があって起こっている。30年も前に、ぼくが感動した言葉だ。最悪だと思ったことが、実はとても有意義なことへの伏線となっていたというどんでん返しは、人生の中でいくらでもある。生きる死ぬという局面に追い込まれるのは、強烈な節目なわけで、そこを通り抜けたときに見える絶景は、当人しかわからないだろうと思う。今、すべての人類が、生きること、死ぬことを考えないといけない状況にある。もし、コロナウイルスよりも強力なウイルスが広がったら。大地震が起こったら。核戦争だってあり得る。がんになった人には、もっと命や死について、感じたことを語っていただきたいと思っている。
2021年03月06日
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がんの体験談をまとめるという仕事をいただいた。がんの代替療法を取材し始めたのが30年ほど前。まだ、代替療法という言葉もあまり耳にしなかったし、だいたい病院でやってない治療は、怪しい民間療法だという認識だった。気功のことも、そのころから関心をもって取材していた。心と体の関係が言われ始めたころでもあった。代替療法にかかわる人たちの中では、自然治癒力という言葉が使われていた。「スピリチュアル」は「精神世界」、「サプリメント」は「健康食品」と呼ばれていたころだ。徹底的にのめり込んだ時期もあったが、30年間、つかず離れずでかかわってきた。それでも、積み重ねはあるもので、知識も人間関係も、思いのほか広がっている。がんに対する考え方も少しずつ熟成してきた。ぼくが思っているのは、がんになったら人生は終わりみたいな、そんな感覚から脱却しないといけないということ。ぼく自身も含めて、がんは最大の恐怖だと、頭に刷り込まれてしまっている。2人に1人ががんになるわけで、このままだったら、世の中、恐怖で満たされてしまう。もちろん、がんの特効薬や特効治療が見つかればいいけれども、ぼくは、そんなのはないと思っていて、それよりも、がんに対するイメージを変えていくほうが、本当の意味のがんの克服になると考えている。恐怖からも逃れられる。今月末か来月頭に、帯津三敬病院の職員で、30年前に第4期の直腸がんと診断された大野聡克さんの本が出る。原稿をまとめるのにお手伝いさせてもらったが、そのタイトルは、「ガンは悪者ではない」(風雲舎)というもの。大野さんは、とにかく、すてきな発想をする人で、がんを悪者と見て、徹底的にやっつけてしまうというやり方に疑問を感じてきた。すべての生き物には存在の意味がある。がんが、その人を滅ぼそうとしてできたものだとは思えないという考え方から、彼ならではの考え方を確立させた。もちろん、医学的な裏付けがあるわけではないので、「何を勝手なこと言っているんだ」と言われればそれまでだけど、がん=悪者という思い込みから脱すれば、治癒への道も開けてくる。がんへのイメージを変える。そんな記事が書けるといいなと思っている。
2019年02月15日
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池江璃花子ちゃんが白血病!びっくりした。あんな若くてかわいくて才能がある子に病魔が!そんなストーリーは悲劇の定番だけど、映画とかテレビドラマの中だけにしてほしいよね。白血病を患ったけど元気になっている人はたくさんいる。まわりはあまり大騒ぎせずに、治療に専念できるようにしてあげたいね。彼女が元気になることを祈りたい。自分の娘だったらどうするだろうと思うよね。ショックというひと言では片付けられない。がんとか白血病というのは、その響きが恐ろしい。何よりも怖い病気で、その先にはもっと怖い死が待っていると、ぼくたちの頭の中にインプットされているから。池江選手には、白血病だって大丈夫、やれるんだというお手本になってもらいたい。がんのネガティブイメージを払しょくするきっかけを作ってほしい。かつて水泳が世界にまったく通用しない時期があった。オリンピックにたくさんの選手が派遣されたが、どうせ予選落ちだという感じだった。しかし、北島康介さんらが出てきて、「やれる!」という雰囲気が出てきた。そうなると、次々とすごい選手が出てくる。池江選手も、世界に通用するスイマーを見てきて、自分もできると思ってがんばって、超一流になったわけだ。世界と戦うスポーツは、できる、やれるというイメージが、すごく大きい。野球の大リーグ挑戦でも、サッカー選手が次々とヨーロッパへ移籍するのも、自分たちにもできる! というイメージが選手たちに浸透してきているからだ。ラグビーでも、前回のワールドカップで3勝して、やれるという雰囲気が出てきた。今年のワールドカップで花開くと、さらに自信は大きくなる。病気にも同じことは言えると思う。がんになって、ダメだと思ったらダメになる。がんでも大丈夫という意識が浸透すれば、大丈夫になる。そのためには、がんを克服する人がどんどん出てこないといけない。大変だと思うけど、彼女は選ばれし人なんだろうと思う。一所懸命に応援しているよ。3月9日には末期がんから二度生還したおーちゃんの話を聞きます。がんを克服した人をもっと表に出していきたい。スピリチュアル・トーク&バー
2019年02月13日
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知り合いが亡くなったという連絡があった。直接の死因が何だったかはわからないけれども、長くがんを患っていた。50代のきれいな方だった。一度良くなったと聞いていたんだけど。今年は、知り合いがずいぶんと亡くなった気がする。父親が亡くなったから、よけいにそう感じるのかもしれない。がんについてはいろいろと考えさせられる。「がんにならないように予防する」とか、「こういう治療法がある」とか、「抗がん剤はやるのか、やらないのか」といったことばかりではなくて、がんがこれほど人を怖がらせ、こんなにもがんで死ぬ人が増えて、いったい、こいつは何ものなのだろうと考える必要があるんじゃないか。正体もわかってない。存在理由もわかってない。大切な命を奪う悪者というイメージばかりが広がって、ただ、いたずらに怖がっているだけ。がんで死ぬのは悲劇の象徴。そして、見つかったら、闇雲にやっつけようとするばかり。これは、ぼくの感覚でしかないのだけれども、がんは消そうとか、取り去ろうとか思っているうちは、いつまでも治らないのではないだろうか。なぜがんができるのか?食べものが悪いからとか、運動しないからとか、環境が汚染されているからということだけではなくて、それも含めて、「人間とがん」の関係を深く掘り下げていく必要があると思う。がんばかりではなく、病気という人が忌み嫌うものはなぜ存在するのか。病気がなければ、本当にこの世は幸せで満ち満ちるのか。治療法ばかりを追いかけて、治った治らないで一喜一憂していては、がんも病気もいのちも、その本質はいつまでも見えてこないと思う。この夏、ぼくは畑を覆い尽くしたオオブタクサと格闘した。「コノヤロウ!」と思いながら刈り取ったり、引き抜いたりしたけど、あいつらだって、理由があって繁茂しているわけだ。花粉症の原因になる雑草だが、彼らは悪さをしようと思って、そこで生きているわけではない。畑を観察すると、一部だけはブタクサが生えてない。違う雑草で覆われている。土が違うのか、日当たりが違うのか。何か理由があるはずだ。雑草はなぜ生えてくるのか?ゴキブリやハエや蚊といった嫌われものはなぜいるのか?がんについても、絶対に存在理由があって、それは人を殺すためということではないと、ぼくには思えて仕方がない。がんを消してしまうことではなく、がんがなぜそこにあるのかを知ることこそ、ぼくたちが幸せになる鍵を握っているのではないか。ぼくは、がんの患者さんから話を聞いて、「「がん」をのりこえた人が気づく7つのこと」(サンマーク出版)という本を出した。がんをきっかけとして、その人の生き方はもちろん、病気や死のとらえ方、社会とのかかわり方、死後の世界のことまで考え、人生観が大きく変わった人がたくさんいる。こういう人たちの体験は、がんの謎を解くきっかけになるだろうと思っている。がんは、みんなが思っているほど悪い奴なのだろうか?そんなことを考えてみたいなと思う。
2018年09月26日
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すべてのものにはプラスとマイナスがあり、強烈なプラスもあれば、弱いプラスもある。マイナスも同じ。いわゆるグラデーションになっていて、明確にプラスとマイナスがわけられるわけではない。あるいは、マイナスだと思われることが、人によってはプラスに作用することもある。たとえば病気。だれだって病気にはなりたくない。ぼくとて同じだ。しかし、考え方ひとつで、病気からたくさんのことを学ぶことができるのも事実。がんになって死を垣間見た人が、命のことを真剣に考え、独自の哲学を構築する場合がある。今、ぼくは本作りのお手伝いをしているのが、「がんは人を生かすためにできるんだ」と本気で考えている人。彼は20年以上前に末期がんになって、そこから生還してきた。絶望の中で苦しみ悩んだが、彼を救ったのは、「がんって何物なのだろう?」という疑問だった。がんの正体は正確にはわかってない。にもかかわらず、がんになると死んでしまうと思い込まされている。がんは一個の細胞が何年もかかって分裂をして大きくなると言う。本当だろうか。健康診断で異常なしと言われた人が、数か月後には末期がんだと診断されることがある。初期のがんを手術して治癒したはずが、数ヵ月後には全身にがんが広がっている。そんなことが起こっている。どうしてそんな早くがんが増殖するのだろうか?免役が低下するとがんができると言う。本当だろうか。もし本当なら、がんは一ヵ所ではなく、一斉にあちこちにできるのではないだろうか?いろいろと考えた。どうも、これまで言われてきたことは、決してすべてが本当とは言えないぞ。それなら、自分独自の考え方をしていいのではないだろうか。彼はがんの正体を探るべく自然を観察した。がんも自然の一部だ、その正体を突き止めるヒントは自然現象の中にあるはずだ。そこで彼がヒントにしたのは植物だった。水分が不足すると、植物は葉を落とす。どうしてか?植物全体に水を行き渡らせるために葉っぱが犠牲になっているのではないか。ひょっとしてがん細胞もそういうものではないのだろうか。彼がたどり着いた結論。血流が悪くなったとき、水不足で落ちる葉っぱのように、自分は血液をもらわなくていいよという細胞ができる。正常な細胞が、そういう細胞に変化することで、少ない血液量でも生きていけるようにする。それががん細胞だというわけだ。それならがん細胞を正常な細胞に戻すには、血流を良くすればいい。そんな考えのもと、彼は血流を良くすると言われることを徹底的にやった。その結果、転移していて治療のできないがんが消えてしまったのだ。以来、彼はがん細胞を悪者だと考えることをやめた。自分を生かすためにがん細胞になってくれている。ありがたいものだ。そう考えて、とにかくすべての細胞に血液が行くような生活をしている。世の中、わからないことだらけ。あまり世間で言われていることに振り回されず、自分の哲学で生きることが大切なのではないだろうか。「「がん」をのりこえた人が気づく7つのこと」(サンマーク出版)でも紹介しています。
2018年08月16日
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常に、ぼくたちは変化しているわけだけれども、ときどき、大きな転換とも言える変化が起こってくる。だいたい、とりあえず、平和に過ごしていれば、昨日と同じように今日が過ぎて、明日も、今日と同じであってほしいと、望む人が多いと思う。ぼくも、そういう一人で、ときに、大きな変化が起こりそうな気配があると、どうしても、身構えてしまう。すべてはいいことに向かって起こっているとはわかってはいるけれども、変化というのは、一見、良くないことを装ってやってくることが多いので、歓迎して迎え入れるという気持ちにはなかなかなれないものだ。たとえば、病気なんかはその典型だろうな。いま、末期のがんから生還した人に話をお聞きしている。ぼくは、今は健康でいるけれども、いつ、大病をしても不思議ではないのは、だれもが同じだ。特に、がんは2人に1人はなると言われているのだから。自分が末期のがんだと診断されたときに、果たして、どんなことを思うのだろうか。平然としていられるはずがない。恐怖、不安、悲しみ、怒り、悔い、寂しさ、あきらめ、空しさ、懺悔・・・。ネガティブな感情が、次々とわきあがってくるだろうと思う。そんな中で、どう耐え、どこに希望を見出すのか。昨日お会いしたMさんは、胃がんが見つかったときは、もう転移もある状態で、手術で胃の5分の4は切除したが、がんを残したまま、抗がん剤治療に入った。不安や恐怖は、入院中に襲ってきたそうだ。まわりの人が亡くなっていくのを見て、自分もそうなってしまうだと思うと、不安でたまらなかったと言う。2年近くの抗がん剤治療は、とんでもなくきつくて、ついには、「もう死んでいい」と、気持ちも折れてしまった。もう、気力も使い果たしてしまった。しかし、彼の場合は、そこから光が差し込んできた。息子さんが見つけてきた治療法で、あちこちに転移しているがんが消えてしまったのだ。井上陽水さんの歌で、探すのをやめたときに探し物が見つかることがあるというのがあったが、そんな感じなのだろうか。最初からあきらめたり絶望してもいけないけれども、どこかであきらめることも大切だということなのだろうか。Mさんは、そんな体験から10年以上たって75歳になり、今はまだ現役の会社経営者だが、もう、今年で引退して、新しいことをやるのだと話してくれた。がんになって、そこから復活したことが、彼にとって、生きるエネルギーにもなっているようだ。生きることへの執着から解き放たれると道は開かれる。ただ、これは、口で言うほど、簡単なことではない。Mさんは、抗がん剤でぼろぼろになって、だからこそ、執着を捨てることができたわけだ。「ぼくよりももっとひどい状態だったのに元気になった人がいます」と、Mさんが紹介してくださった方に、次は会うつもりだ。
2017年02月02日
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