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究極の駅弁は何か・・・! 冬の日本海。 ♪ヒュルリ~ヒュルリ~ラ~ラ~・・・ 北風がビュンビュン吹いてくると冬の日本海の魚は美味くなる。 定年退職のオトーサンも旅情がわいてシリがムズムズしてくる。 オレも汽車に飛び乗っていづこか漂浪の旅にでも出ようか、なんて 寅さんみたいに考えるんではないべか? 駅弁でも買って、それに ビールと酒とイカクンも柿ピーやら持って・・・ そんなオトーサンもどっかにいるかも知れん。 定年になってから は濡れ落ち葉でいつもオカーサンの管理下にある。 毎日テレビ見て 新聞スミズミまで見て夕方になるとオカーサンのウシロについて買物 に行きスーパーで酒のツマミをカゴの中に入れてはオカーサンに叱ら れてショボンとしているオトーサン! 可哀そうナオトーサン、仕事一筋だったから趣味も何にも無いのです。 旅に出なさい、旅に! 好きなツマミも買って、イカクンでも柿ピー、 何でもいいから。 そしてテキトーな時間を見計らって家に電話しな さい。 ”オレ、旅に出るかんね” って! そーすればオカーサン ちょっとくらい慌てるからさぁ~ ありゃ~、何の話になったべか、昨日の駅弁のつづきを書く積りなのにぃ! そうそう究極の駅弁もあるみたい。 何年か前の話題で栃木県かどこか で10万円の弁当なんてものが紹介されていた。 塗りのお重で何段か重ね で超豪華弁当だった。 あの時は一日お二人様限定とか言って・・・ あの豪華弁当はまだ続いているんだべか? あんなものは弁当のようで 弁当でな~い、ベンベン! だろう。 そんなのではなく、例えば東京から新幹線に乗って静岡か浜松で豪華弁当 を席まで持参してもらうという豪華弁当車中配達発注方式というやつ! 一人前3000円也で最低5個注文必要且十分条件で! そういうのがある らしい。 但し注文はファックスにて。 ファックスでというのがミソだろう。 でもこの弁当は豪華らしい。 オトーサン5人以上の旅行ならきっと開けて びっくり玉手箱、美味い弁当に違いない。 ビールのツマミがウッシッシで! どうだろか、究極の弁当としてはこれくらいのところでないべかなあ・・・ ところで毎年人気の駅弁ベスト10とか20とかランキングづけされるけど その中の常連はどれか知ってますか? いつもトップにいるのが函館本線 森駅の ”いかめし” だそうです。 2~3番辺りを占めるのが横川の ”峠の釜めし” と富山の ”鱒ずし” らしい。 最近追い上げているのは北海道釧路の ”いわしのほっかぶり”、その東 にある厚岸の ”かきめし”、 岩手盛岡の ”鮭はらこめし”、 東京 駅の ”世界三大珍味弁当” 横浜の実力者 ”しゅうまい弁当”、愛知 の ”びっくりみそかつ弁当”、 福井の”越前かにめし”、 三重では ”元祖牛肉弁当”、神戸の ”ひっぱりだこ”、兵庫県相生の ”瀬戸の しゃこめし”、大分の ”地鶏弁当”、 宮崎の ”椎茸めし”、鹿児島 は旅の終わりに・・の ”とんこつ弁当” などなどが人気になっている らしい。 あ~~、どれでもいいから片っぱしから食ってみたい♪ 日本全国には駅弁と称されるものが2000種類もあるらしいから判定者も 逐一全部食べた訳でもあるまいし、その中には激ウマのものが潜んで いるかも知れない。 が、今の時代もしそうだったらメディアが放って おく筈はないからやっぱ上に挙げたもの以外にはないのだろう。 「峠の釜めし」 重量1.12kgもあるらしい!
2010年01月31日
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駅弁が嫌いな人はいないべさ・・・\(^o^)/ 近頃は車窓も開かないし入り口も自動ドアだから駅弁の楽しみも 少なくなったようだ。 その代わりデパートで全国駅弁大会とかやる し通販でも購入できる。 だけど昔のように発車のベルがジリジリジリと鳴っているのに ホームで売る方も買う方も慌ててやりとりしている姿は少なく なったんでないべか。 昔はそれに座席の窓も手で開けられたし出入り口だって手動だった から発車ギリギリでも購入できたもんだ。 旅をしていて駅弁ほど楽しみなものはない。 どこに行ってもそれ ぞれ趣向を凝らしたご当地駅弁があり、それを食べるのが楽しい。 横川の ”峠の釜飯” なんかは代表的なもんだろう。 昨年末忘年会で北陸に行った時は大阪の○神デパートで弁当とビール を購入して特急列車に乗った。 時間もお昼近くだったので発車する なり缶ビールをプシュッと開け弁当を開いて楽しい小宴会だ! 弁当にビールはつきもの。 酒の飲めないご仁はウーロン茶か緑茶。 昔は素焼きのフタのついたお茶だった。 そのフタが猪口の代わりで それに注いで飲むようになっていた。 今は缶入茶が普通になって あの素焼きの茶器のものは売ってない。 あれも今はなつかしい。 会社勤めしていた頃、北陸に出張した時は帰りはいつも富山の鱒寿司 を買った。 円形の器に笹の葉がグルリと敷かれその上に酢飯とサモン ピンクの鱒がのっかりそれを備え付けのプラスチックの小刀で切り取り 食べるのだ。 あれは美味かった。 お供はやっぱビールである。 小中学校の頃、本州に旅行した時は函館本線の森駅の ”いかめし” 長万部の ”もりそば” が絶対の楽しみだった。 行き帰りには必ず 買って貰った。 当時はまだ座席の窓が開閉できたのでホームの売り子 が来るのを待って窓から身を乗り出して購入した。 お茶も一緒に! 今は旅行しなくてもデパートの全国駅弁大会なるものが催されそこで かなりの種類の駅弁が買えるようになっている。 駅弁好きな人は態々 買いに行って家のコタツで食べたりする。 でも実際は電車などの中で 食べるのと違って感動は少ないのではないべか。 やっぱ駅弁は電車の ガタゴトの揺れの中で膝の上に置いて食べるのが美味いんでないかい。 函館本線森町の ”いかめし” ・・・駅弁つづく・・・
2010年01月30日
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青年(成年) → 壮年 → 熟年 → 老年 どうなんだろうか? 区切りもいろいろと異論がありそうな気がする。 医学の進歩が著しいので寿命は大幅に延びている。 まだまだ延びる のではないか。 京大の山中教授の発明というか発見の再生細胞も そのうち現実のものになるだろうし・・・・・ 熟年と呼ぶのは50代から60代後半らしくそれ以上を老年と呼称する ようだが寿命が延びてくると熟年の範囲ももっと上まで伸びてもいい ように思うがどうなんだろう。 早い女性になると40代で孫が出来てその呼称に苦労しているようだ。 孫に名前を呼ばせたり、バ~バとかグランマとかみんな涙ぐましい 努力をしているみたいだ。 男だったらジ~ジとかグランパとか・・・ あたしゃハナから純日本人的呼称でおじいちゃんである。 ”じいちゃん” は長幼の序に欠けるからいかん。 寿命は延びても肉体的な衰えはヒタヒタと来るし筋肉の退化、関節の 劣化などは隠しようがない。 あちこちがアイタタ、アイタタである。 酷使した内臓などもそれなりにちゃんと悲鳴を上げて知らせてくれる。 もう胃いよ~! 止めて腸~だいって・・・顔のシワもシミもイボも 正直なもんだ。 唯、個人差はある。 芸能人など60~70代の人でも10才や20才は若く 見える人はいくらでもいる。 自然体で老けるに任せるのが一番いい。 シワを隠す為に顔を引っ張ったりシワがあるのにクログロとしたカツラ を乗っけたりするのは見苦しい限りだ。 ハゲたっていいじゃない。 スダレでもバーコードでもいい。 シワや シミがあってもシミジミとして味わいがあるのだ。 人生の勲章みたい なものだ。 変に取り繕ってアンバランスな姿ほど見苦しいものはない。 政治家も70才を定年として新たなる立候補を認めていないようであるが アタマの中味はしっかりしていて5年や7年は十分チカラを発揮しそうな ご仁もいることはいる。 でもでも、もう後進に道を譲るべきだろう。 電車で席を譲られるということは外見では隠しようがない老人風なので あろう。 そんな時は温和しく、”ありがとう” と言って折角の好意を素直 に受け取ることだ。 世の中は順送りなのである。 ムダな抵抗は止めるにしかずだ。
2010年01月29日
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ニシン漬けは美味かった・・・\(^o^)/ 現在でも北海道ではニシン漬けを作っているだろう。 でも近年 にしんの漁獲が少ないからどうだべか? その昔・・・もう昔になるんだなぁ~、北海道の沿岸にニシンが 産卵の為押し寄せてきて浜辺がニシンで沸き立ち子供でも網で掬 えた時代! 小樽やら石狩の浜辺にはニシン御殿が建った時代。 勿論あたしゃまだ生まれておりやせん。 そんな時代から少しずつ 毎年ニシンが来なくなって日本海沿岸も寂びれていったようです。 でもあたしのご幼少の頃はまだ若干大漁の名残があって貧乏な我が 家もトロ箱一杯魚屋から購入できたようでがす。 それでです、購入したニシンは外の台の上でお腹を割くのであります。 そしてメスはカズノコ、オスは白子を取り出します。 お腹が空っぽ になったニシンは軽く塩を振り縄目にズラッと挟んで秋口だから北国 の寒風に曝して軒先に干すのです。 カズノコは塩を振って同じく乾燥させます。 白子はどうしたかなあ? 覚えがないのよ~、ニシンの白子は利用価値がなかったんでないべか? 忘れた! タラの白子は美味いしフグのも絶品で重宝されるけどねえ~ 寒風がニシンの脂を引き出し一ヶ月くらい干して表面がギラギラになる 頃、これを身欠きニシンと称してそのまま皮をむき身を割いて食べるの である。 これが美味い。 何とも言えないほど脂がトロっとして旨味 が口いっぱいに広がる。 何もない貧乏な時代の貴重なオヤツだった。 焼いて食べる人もいるがあれは絶対ナマで食べるべきだ。 今なら酒の 肴としては最高でないべか。 残念ながら身欠きニシンとして売られて いるがどういう訳か全然美味くない。 多分器械乾燥するからだろう。 ニシンは自然に寒風で干さなければあの脂の旨味は出ないのだ。 干物 は天日乾燥でないと美味くないのは全国どこでも一緒である。 ニシン漬けはその身欠きニシンをブツ切りにし大根を乱切りにし人参、 キャベツと麹と一緒に樽に漬け込むのである。 寒い外の物置などで 2~3ヶ月経つとニシンの旨味が大根、キャベツに浸み渡りホンニ美味 かったのを覚えている。 勿論、塩やらタカの爪なども入れたと思うが細かいことは忘れた。 冬場は樽の中も氷が張るので氷と共に冷たいニシン漬けが登場すると 食卓も賑やかになったものだ。 関西人になってしまった今は懐かしい話である。
2010年01月28日
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”猫めし” はなつかしい・・・! むかしは猫や犬のゴハンはお米のゴハンに味噌汁をぶっかけて やるのが普通だった。 それが近年ではドッグフードとかキャット フードとか言って固形の肉粉やら魚粉を混ぜたものを与える家庭 が殆どのようである。 猫などはウ~、ウニャゴ~フ~とか唸って かぶりついているし、犬もウ~ワンなどと吠えながら食べている。 よっぽど美味いんだろなぁ~と思う。 ほんでだ、ゴハンに味噌汁などをぶっかけたものを ”猫めし” と 呼称する。 何にもオカズの無い時人間様はそうして食べたものだ。 カツブシがあればゴハンにそれをかけ醤油を垂らして食べるのも また美味かった。 あたしなんかはバターをゴハンに乗せて混ぜ、醤油をかけて、よく 食べたし、砂糖をゴハンにまぶして食べたこともある。 オカズに 乏しい時代はそれしかなかったから仕方がないし当時は美味かった。 それから、食糧事情がちょっと良くなった頃、家に海苔があると学校 に持っていく弁当は今で言う ”のり弁” が多かった。 これは結構 美味いのだ。 ゴハンを弁当の半分に入れその上に海苔を敷いて その上から醤油を垂らす、そしてまたゴハンを入れた上に海苔を敷く、 その上からまた醤油。 それが当時の ”海苔弁” だった。 昼飯時、弁当を開くと海苔がフタのウラにべったりついているのをまた ゴハンの上に乗せ直して食べるのである。 あれはあれで美味かった。 オカズなナシであった。 タクワンを隅の方に入れたこともある。 今でもコンビニに ”のり弁” が売っているので偶に懐かしいから買っ 食べるがノスタルジーを感じてそれなりに美味いと思う。 ゴハンに味噌汁などをかけて食べるのを ”猫マンマ” といって、人間 が食べると、お行儀が悪いと言われるがそうだろうか? 今でも、オカズがあってもカツブシを温かいゴハンにのせヒラヒラメラ メラする上に醤油を少し垂らしたカツブシゴハンを食べるのは郷愁が あって美味いものである♪ のり弁の断面図
2010年01月27日
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私は自分を変えます、変ります・・・と言った筈だが! 残念だが変っていない。 いや、もっと強引に見えるし独善的だ。 権力を全て自分に集中している様に見える。 本人はそうは思って いないかも知れぬし実際はそうでもないのか分らぬが、そう見える。 長~い60年にもなんなんとした自民党政権を倒し言わば平成維新を 企てる中心人物として彼の存在は大きい。 過去の歴史に名を刻ん だ人物にはありきたりの人間はいない。 その意味では従来の政治の換骨奪胎を図り破壊と創造の過程を経て 新しい日本の姿を模索しようとする姿勢は評価に値するものだろう。 どこの世にも既得権に固執して変化を嫌う旧体制派は必ずいる。 日本をこれまで導いてきた前政権の功績もそれなりにあることは認 めるが長い間の滓と垢がコビリついて身動きがとれなくなっていた。 江戸時代でもそうだが江戸城を中心とした幕藩体制が世界の進歩 から立遅れ孤立化していた為に内部エネルギーが爆発して明治維新 が起こったと言える。 坂本竜馬など時代を画する人間が出るものだ。 小沢一郎を中心とする平成維新がそれに比肩するものかどうかは 分らない。 しかし新しい日本をつくる意味では国民は正しい選択を したと思って間違いないだろう。 よしんば現体制が全く国民の望ん だ通りにならなくとも、また離合集散が起こり次の体制へと移行すれ ばいいことだ。 長い政権は必ず腐敗するのだから・・・ ところで、その小沢一郎氏の旗色が悪い。 田中角栄、金丸信から引 き継いだ政治手法から離れられなかった。 政権を獲るまでは・・・と 思っていたに違いないが、漸くその立場になって挫折するのだろうか。 彼を評しては強引、高飛車、生意気、選挙上手、策士、マキャベリスト、 黒子、演説下手などなどの言葉で言われる。 その通りかも知れない。 でも現政界に於いて毀誉褒貶はあれど日本を牽引できる唯一の人で あることも間違いではないだろう。 時代を牽引するのは一人の権力者でなくともいい、ということも言える。 民主主義という合議制でやればいいとも言える。 でもその民主主義が 100%正しい判断をするとは限らないのだ。 やはり時代のリーダーは必要だと思う。 もし小沢一郎氏を失脚させる としたら民主党は誰をその代わりに選ぶのだろうか。 五風十雨の日本 はまだ遠いようだ。
2010年01月26日
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時代性と家庭のしつけと・・・! 小学校の頃、学校でハンカチとチリ紙の携帯をチェックされていた ような記憶がある。 今みたいに会社でも公衆便所でもタオルやら 紙が常備されていなかった理由にもよるだろう。 それに衛生面で うるさかったのだろうと思う。 学校へ行く時にはオフクロが ”ハンカチ持ったの? チリ紙は?” って大抵は訊かれたもんだ。 だから必ず朝、ポケットを探って有無 を確かめてから学校へ出かけた。 今この年齢になってもズボンの左ポケットはハンカチ、右ポケットは 小銭入れと決まっている。 上着のポケットにはテイッシュが必携だ。 もうそれが出かける時の常備品になっている。 会社勤めして驚いたのは男性の中でハンカチを持たない社員がかなり 居たことである。 大体は自分より若い社員に多かった。 当時でも トイレであの回転式のタオルがあるところと無いところがあった。 無いところでは手を洗わないか或いは洗ってズボンにコスリつけてい たような気がする。 親のしつけが透いて見えたもんだ。 時代かなぁ~と思ったのと、家でハンカチを持つ習慣が親になかった のかなぁ~と驚いたことを覚えている。 ハンカチを持つことは習慣だから親がいつも子供に持たせることを忘 れなければその習慣は大人になっても続くのである。 ハンカチも以前は綿の布帛製のもので水の吸収は良くなかったが近年 はタオルハンカチが出来出して本当に便利で有り難い。 夏の暑い時 でも汗の吸収がいいし手洗い後でも2~3回拭くとキレイになる。 タオルハンカチを使い出すと以前の布帛のハンカチには戻れない。 序でに言うと、メガネ拭きもそうだ。 近年マイクロファイバー製の ものが出来て、これはメガネの汚れが直ぐ落ちる。 以前の別珍製 のものなどはホンニ落ち難かった。 きっと同じことを考えている人 も居られると思う。 これも時代かなぁ~と思うことだ。 ハンカチは必携のものである。 公共に常備されているとしても共用 のものだから衛生面から清潔とは言えないし子供にはハンカチとチリ 紙は必ず持たせた方がいい。 チリ紙は鼻をかんだりテーブルの汚れをちょっと拭いたり、これも無け れば不便なものだ。 ハンカチとチリ紙を持つことは大事なエチケット であると言っていい。
2010年01月25日
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誰にだって力の衰えはある・・・(-_-;) プロスポーツ界では殊更きびしい。 阪神の今岡選手、横浜の 仁志選手、サッカー界では中山ゴン選手など毎年所属チームから 戦力外と烙印を捺される選手がいる。 政界でも同じだ。 自民党の山崎拓氏もそうだろう。 衆議院選挙 に落選して、今度は参議院で出馬したいと言ったら70才を越えてい るから許可が下りない。 大体に於いてその人の賞味期限があるのだ。 プロの選手ならそこ そこの成績が残せるかどうかである。 次々と若い人が育ってくる 中に伍して遜色の無い成績が残すことが出来ればチームはムゲに 戦力外にはしないだろう。 つまり、自分はまだ現役でやりたいけどチームとしては力が落ちて いるのだからもう若い人に替った方がいいと判断したのだ。 政治家だってそうである。 まだまだその政党として必要ならば現役 として認めてくれる。 もう大して昔の名前で出ていますだけじゃ後進 にその席を譲った方がいいと考えるのが当然だ。 スポーツ界なら瞬発力が落ちたり、動体視力が衰えたり、勝負勘が落 ちたりするのは年齢がいってくると必然的に起こってくる。 自分の 気持とは別に厳しい現実があるのだ。 だから成績が下降してくる。 引き際は難しいとよく言われるが華々しい経歴を持っているのに未練 タラタラ続けた結果、ボロボロになった姿を見るのはファンにとって 好もしいことではない。 宿敵ジャビットの長さんだって ”我が○○巨人軍は永遠に不滅です” などと歯の浮いたようなことを言って引退したではないか! 人間には潔さが大事だ。 一般の会社ではモロモロ慮ってルールと して定年制を敷いているのである。 醜態をさらす前に気持ちよく引退を決心するのも大切なことだと思う。 昨日地検特捜の事情聴取に応じた小沢幹事長の場合はどうだろう。 民主党として戦力外の判断は出来るのだろうか? それとも現役続行 を全議員が望んでいるのだろうか? 自浄は出来るのだろうか? これから7月の選挙まで民主党の支持率が急落して来たら、そして鳩山 内閣の支持率が急降下して来たら内部からヤ○ロコールが起こって来 るのだろう。 それが目に見えるような気がする。 残念なことだ。
2010年01月24日
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早いことケジメつけた方がいい・・・(-_-;) 日本語には便利な言葉がいくらでもある。 「残念だ」 「無念だ」 「失地回復して・・」 「汚名挽回して・・」 「捲土重来を期す」 など などちょっとアタマを捻ればいいのだ。 バカ丁寧すぎて、つい余計なことをしゃべって勇み足をする。 人が いいのか思慮が足らんのか賢い割りにつまらんミスをしては捉まる。 曰く、「闘ってください」 「起訴されないことを望む」 英語でもそう 「trust me」 ”綸言如汗” で見っともないこと甚だしい。 民主党支持者として忸怩たるものがある。 ブログ仲間にも、メゲずに 応援しておられる方が沢山いる。 でも昨今の状態は非常に残念なこと ばかりだ。 幹事長の問題は別にして総理自身の適性が疑われることが 如何せん多すぎではないのか。 金銭の苦労がないから放恣というか大胆なところもある反面、人がいい かして情に左右され易い。 必要以上に周囲に気を使いその結果、右顧 左眄に陥る。 まあ、善人なんだろうと思うがそれが前面に出過ぎると 厳しさの面で総理としての資質の問題になる。 もっと、かつての大平さんのように、ア~、ウ~でもいい、言葉少なく 言葉を選んでしゃべるべきだ。 沢山丁寧にしゃべる程にボロが出る。 「朝三暮四」 の意味も分っていなかった。 ハイチ大地震への決断も 遅すぎだった。 これは官房長官の責任でもある。 情けなかった。 神戸大震災の村山富市で政治家として学習していた筈なのに震災発生後 何日がボウッと見送っていた。 こんなのは日本の総理として大恥だ! こんなことは独断でもいい自分で決めりゃいいのだ。 況してや官房 長官が側にいるのだろうに・・・ まあ、政権交代の時機的な不運もあっただろう。 小泉政権の2002年頃 に端を発したデフレ基調が本格化して税収が大幅に下落したこともある。 自公政権のツケで景気が不調のことも味方しない。 また、自公のそれまでの政治を官僚依存から政府主導に変える、そして 「コンクリートから人へ」 の予算配分。 バラマキと非難される直接 消費喚起の為の様々な政策などなど、大きく舵取りを変えるべき過渡期 にあるのは間違いない。 その困難さは認める。 だがそれにしてもだ、国民の期待に反すること が多すぎではないだろうか。 小沢氏のことが落ち着いたら鳩山内閣の 解散を早急に模索すべきではないかと考える。 勿論参議院選挙との タイミングを計るのは言うまでも無い。
2010年01月23日
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主役ではないが貴重な脇役だ・・・(^o^*) エビふりゃ~のつけ合わせ、カキふりゃ~のつけ合わせ、クリーム コロッケのつけ合わせには必須のお供だ! 弁当にもハムサラダにもお子様ランチにも常連である。 いつも 控え目で気働きのあるウイ奴なのだ。 もっと言えばステーキとか ハンバーグにもソッと寄り添っている。 茹でたジャガイモをつぶしマヨネーズで和え、時にはスライスオニ オンとかキュウリのスライスを混ぜることもある。 細やかな心遣 いなのだ。 モチャッとしたジャガイモの中にシャキッとした玉葱 とかキュウリが入るとオトーサンはオリャッとした顔をする。 オトーサンは生まれてこのかたマッシュドポテトには縁が薄かった のだ。 昔はそんなのんびりした料理なんかなかったから茹でた ジャガイモとカボチャをそのまま食わされて育ったのである。 近年、料理修業と称してフランスやらイタリアに渡る若者が多い。 アメリカやらイギリスに料理修業で渡ったという話は聞いたことが ない。 そこでいろいろと出汁なし料理文化を学んでくる。 このポテト サラダもその一つだったろう。 大体ジャガイモをつぶしてマヨネーズで和えるという発想がいい。 ジャガイモだけではノドが詰まるようだけどマヨが入るとスーっと 通って胃も腸もホッとして喜ぶ。 酸性のお肉ばっかしが食道を通 って来ると胃くんは、ア~ヤダ、ヤダって胃酸攻撃する。 そこに ポテトくんが下りてくると途端にニコニコとウエルカメだ! かくしてポテトサラダはメンチカツにも寄り添うし鶏空揚げなんか にも同伴している。 主役は張らないけれどバイプレーヤーとして は欠かせない。 一膳めし屋に行くと独立単品として生卵やら大根 オロシなんかと並んで ”私どうかしら?” なんて美味しそうな顔を 見せている。 特に女性には必携のオカズでないべかなあ~!
2010年01月22日
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温もった寝床が恋しい・・・ とき恰も受験シーズンである。 思えばン十年前はこの時期には 闘牛場に入る闘牛のように鼻息は荒かった。 あれから幾星霜! 今朝夢を見て目が覚めた。 旺文社の 「傾向と対策」 が夢に出 てきたのである。 戦う若人に共鳴しているのですなあ・・・ さて、今冬は寒さが殊更厳しい。 布団から腕を出して本を読む時 でも腕が冷たくなる。 夜テレビドラマなど見ていてちょっと水割り 2~3杯でも飲もうものなら朝方3~4回は頻尿のオツリが来ることに なる。 その都度温もった寝床の入り口をちゃんと伏せないと3~4分で帰っ て来ても冷たくなる。 これは由々しき問題なのだ。 また何分か かかって温もりを回復せねばならないからだ。 ブルブルとなる。 私はアンカも湯タンポも電気毛布もなしの自然発熱スタイルで寝る から自衛しなければならない。 年齢と共にボウコウ蓄尿装置機能 が低下したかしてトイレ通勤繁忙状態にあるのだ。 お聞き苦しい 話でごめんちゃいね。 話ついでにもう一つ。 我が家の安息所には洋式のものが一つしか 備わってない。 十数年前までは温度調節的尻部洗浄的便器でなく 極めてクラシックなものだった。 こりゃ時代にも後れるべと思って 文化的進歩的装置に替えたのである。 これは功を奏したというべきか快適なトイレ生活をもたらしてくれ た。 冬の寒い時に座って飛び上がらんばかりになることもないし、 いつも冬場は温かく優しく迎えてくれる。 まるでオフクロの様だ! それでだ、みなさん小の場合、立ってすべきか或いは座ってすべきか This is the problem! 男なるもの常に雄々しく立つべきだと言う人 もいる。 が、座ってゆっくりすればいいしょ! と言う人もある。 私も当初は雄々しく立ってしていたが何ぶん飛沫が散乱するのだ。 それで家人からいつも小言を食うハメになるから近年はメメしく座っ てすることにしている。 田舎さ行けば今だってバアちゃんが雄々しく立って用を足すケースも あるだろう。 田舎はいい。 だ~れも見ていないしどこに飛ばそうが のどかなもんだしぃ・・・(ああ、これは余分だった) 話は横道に外れたが、そう夜中、朝方のトイレ通勤の話。 我が寝床の 保温保全対策のことだ。 備えあれば憂いなし、先憂後楽、臥薪嘗胆、 精励恪勤、焼肉定食! 自分の寝床の抜け殻の入り口をちゃんと伏せて 行くことが自衛手段である。 この時節、温々として寝床にいると朝起きる時間になってもまだまだ、 もうちょっと、メシもコーヒーも要らん。 場合によっちゃこのまま死ん でもいい・・・とまでは思わんか? それほど気持いいと思いません?
2010年01月21日
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あれも食べたい、これも食べたい・・・♪ 他人の食べているのを見ると美味そうに見えるもんだ・・・! 行きつけの店なら、そこの店の美味いものは分っているから それを注文するけど、初めての店ではそれが分らんから困る。 表のサンプルを見てどれにしようかなあ~って悩んだ結果その中の 美味そうなものを選ぶ。 隣のお父さんの天ざるが美味そうだ。 自分は、今はカモのシーズンだからきっと美味かんべと思ってカモ なんを注文したのだ。 どうしても優柔不断になる。 隣のお父さんは美味そうにサクサクと海老天を食べている。 こん チクショーと思わず生ツバをゴックンとする。 余りジロジロ見る のもナンだから素知らぬ風をするが気になる。 暫くして、お待ちどう様~と言ってカモなんが運ばれてきた。どう なんだべか、カモの脂が青いネギとカモ肉の周り浮き沈みしている。 七味唐辛子を振りズルズルとソバを啜る。 美味や~! 美味や~ けど隣も気になる。 残りの海老天をパクリと口に入れた。 この~! カモなんも美味いけど海老天も美味そうだ。 選択に失敗したかなぁ って後悔したり・・・ お腹が空いて食い意地が張っている時にはメニュの選択がホンニ難し い。 みなさん、どうです? そんな思いをしたことはありませんか? 夏の暑い時にはザルソバの大盛りに行くけど、天ザルと天ぷらそばに 迷うことがある。 天ザルは天ぷらとザルソバが別々で冷たいが、 天ぷらそばは暖かいもので根本的に違う料理である。 どっちも美味い。 何か取りとめの無い話になったがソバ好きのジイとしてはこうした話は 決して看過できないのである。 食い意地が張っていると言おうかイヤ しいと言おうかどうもならんのだ。 ラーメンもいいしソバもいい。 イケ麺ジイとしてはどっちでもいい♪
2010年01月20日
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あった方がいい? いや、なくては困るのだ・・・! 一度キュウリについて思っていることを書こうと思っていたので いい機会だ。 なんで今更そんなと言うなかれ、まあ聞いてちょ! 戦後食糧難の時代には庭も花なんぞ咲かすより野菜畑として活躍 していた時代が続いた。 そんな庭の片隅には大抵キュウリが棹に 支えられてデロンとぶら下がっていた。 何にも無い時にはそれを もいできて水で洗って塩をつけてガブリと食べたもんだ。 そう、デロン! とだ。 ゴロンはジカに接して横になる時に使う。 ブラン! もいかん。 「父ちゃん」 と 「ブラン」 の組み合わせは 卑猥なことになるからこの場合はデロン! がふさわしい。 ところでキュウリほど人種差別されているものはあるまい。 ちょっと 曲がっているとJAでは仲間に入れてくれない。 箱までが入室を拒絶 しよる。 全く怪しからん話だ。 オレ達だって好き好んで曲がってる 訳じゃない。 遺伝子の野郎がお前は右向け、お前は左だっちゅうから 素直にそうしているのだ。 そんなに曲がったらイカンのならご幼少の 成長期に適当な重さのオモリでもブル下げてくれたらいいのにと思う。 まあ、父ちゃんもオレ達はその他大勢組だからそんな手間も掛けられん のだろう。 メロンだのスイカだのは箱入り娘みたいに構うけんどね。 まあ、いいけんどよう。 別に拗ねる訳じゃないけどホンデもオレ達が 居ないとホンニ困るものがあんのよ~ それは冷やし中華! 夏の定番。 ハムを千切り、錦糸玉子も千切り、甘辛く煮たシイタケも千切り、麺も 茹で上がって氷水を通して、もう準備万端なのにキュウリが遅れている。 やれ曲がったのがどうのってやってるからそんなことになる。 差別の 結果が足並みを乱すのだ。 もし冷やし中華にキュウリが無かりせば それはもう冷やし中華とは呼べない。 冷やし中華でキュウリのないの は教師の居ない教室のようなものだ。 統率がとれない。 どれもこれもドロ~ン、クタッ~、ダラ~っとした食材ばかりだからだ。 さて一方、キュウリのQちゃんだってどうだ! あれはナスビ如きでは 身代わりできんのだ。 漬けられても漬けられてもシャキシャキコロコロ した歯応えは他の追随を許すものではない。 ノーベル賞ものだろう。 近年は人間の世界でQちゃんを名乗るマラソンの娘がおるではないか。 現役引退したらしいが、あの顔にQちゃんという名前はピッタシである。 名義無断使用で訴えてもいいが、その他大勢という分を弁えてそれは 止めておこう。 Qちゃんという名前があったからオリンピックで優勝 出来たと言っても過言ではない。 ・・・な~んてバカバカしい話を書きましたが私はJAがイビツな形の 野菜を差別化し廃棄処分するのに断固反対するものであります。 ちょっとくらい曲がっても、大分曲がっても味には変りはないのです。 そないして農家を虐めるから自眠党はコケたのです。 キュウリの扱い と自眠党敗北の因果関係はここにこそあると大きな声で叫びたい。
2010年01月19日
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ウラとオモテがあるのはよく似ている・・・! 左ヒラメで右カレイと言うけど未だによく分らん。 カレイは海底の 砂地に棲むから保護色をしてる。 オモテが砂色でウラは白い。 オモテウラがあるのは政治家とよく似てるんではないべか。 そうで なくても風貌がそっくりな政治家がいる。 あの元総理で宇和島の練習船がハワイ沖で潜水艦に沈められた時に ゴルフをやっていた男。 石川県出身でラグビーで早稲田に入ったと 言われた男。 お目々の辺りがそっくりさん。 ぶらさがり会見とか記者にはケンもホロロの人間。 大体 ”私はあなた 達とは違うんです” と言って記者をバカにした総理もそうだったけど、 マスコミの取材者を見下す政治家にはロクなのがおらん。 記者諸君だって家に帰れば奥さんも子供もあるのだ。 何の違いもありゃ しない。 図体がデカくラグビーやるからその枠で大學入り弁論やって口 が上手くなって政治家になった。 ホンデ前の総理の急死で上手いこと密 室会議で総理の座をものにした。 もう一方はオヤジの3バンを引き継い で議員になり、総理のなり手が居なかったのでこれも旨いことその座に就 けたんじゃないの! 何のビジョンも理念もないからものの一年も持たな かった・・・ 結局はそないして国民をバカにするから・・・漢字の読めない総理もそう だったけど・・・野党に転落する憂き目になるのだ。 話が違う方向に行っちゃったから元に戻したい。 そう、カレイの話を書 く積りだったのよ。 目板ガレイの空揚げとか煮付け、若狭ガレイの一夜 干し、大分の城下ガレイとかカレイは美味い。 北海道の宗八、マガレイ、 クロガシラなんてのもいる。 味が淡白だけど焼き魚にして醤油を軽くたらして身をホジりアツアツの ご飯にのっけて食べたらタマらんよねえ。 本体の身を裏表ホジったら エンガワをどうするかだ。 エンガワがまた美味いのよねえ。 ヒラメ のエンガワは絶品だからねえ。 寿司ネタにも独立してアル位だ。 大体、どんな魚でも動く部位は筋肉が発達するからシコシコして美味い もんだ! イカなんかはどこが一番美味いか知ってるかい? 浜の漁師 に訊いたことがある。 真ん中の輪切りにする胴体じゃないんだよ。 耳、ミミだと言う。 イカが泳ぐ時は耳をヒラヒラさせるでしょ? だから刺身にしたらあの耳を皮を取って短冊切りして食べてごらん。 シコシコしてホンニ美味いから! それでカレイのエンガワの話だけど、あれは箸を斜めにして外側に削ぐ ようにして薄い身を取るのよねえ。 場合によっちゃエンガワごと口に 入れて歯と舌で身を仕分ける。 そして不要な天下りの骨を口外にペッ ペッと吐き出すのだ。 元総理に似て脳みそも少ないけど新鮮なカレイのものは美味い。 内臓 は少ないけど口で仕分け作業をしホネは出す。 最後に背骨にひっつい ている身をナメたいけど人前では止めた方がいい。 カレイはいい。 カレイは低姿勢だ。 砂地に潜って出しゃばらない。 小さい口して小さい生き物を捕食する。 小沢さんみたいに横取りはし ない。 言うなれば町会議員か村会議員だ。 それでいてピリリとした 味がある。 私はそんなカレイフアンである。
2010年01月18日
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”埋蔵うなぎ” なんて知ってます・・・? 接待で初めて高級なうなぎ屋さんでお重を頂いた時にビックリした。 四角いお重と肝吸いと香の物がセットだったけど・・・ お重を食べ始めるとオヤオヤ中にもうなぎがあったのだ。 発掘する 喜びというかモウケタという感じがしたもんだ。 オレだけかいなぁ~ と思って隣をチラッと覗くとお隣さんも一緒だった。 大阪は淀屋橋の柴○といううなぎ屋さんだった。 ”大阪まむし” と 言う。 これは ”まぶす” から来ている。 この○藤さんではお重の 上に3~4切れ、中に2切れが重ねてあるのだ。 正に埋蔵うなぎである。 最近は政府でも埋蔵金の話がよく出てくるけど大阪ではうなぎまで埋蔵 されている。 東京や京都、名古屋なんかでは埋蔵しているのだろうか? 四角のお重で3000円くらいするからお客に ”どうだ、値打ちあるしょ” って黙って誇示しているのかも知れん。 東京では軽く焼いてから一度蒸してそれから本格的に焼くようであるが、 大阪では蒸さない。 蒸すとふっくらするらしいが飽くまでらしいので あって必ずしもそうではないらしい。 大阪は焼き一本でいく。 割き3年、串8年、焼き一生と言われるくらいうなぎ職人は年期が要る のだ。 うなぎは背開きがいいとか腹開きがいいとか言われるがそんな もんはドッチでもいい。 要は美味けりゃいいの! ”大阪まむし” のように隠し財産というか含み資産というべきか二段 重ねのうな重を食べたら思わずニタリとするのではないか。 二段構え になっているのを知っている人はどうやって攻略するのだろう。 一段ずつ食べるのだろうかそれとも上からエイヤッと箸を二段一緒に掬 うのだろうか、それが問題だ。 どっちが品のいい食べ方なのだろう? 一見上品風ジイとしては大切な問題なのだ。 うなぎ食いの達人に一度 尋ねてみたい。 うなぎを何口食べて肝吸いに移るべきか、そして香の物はどのタイミン グで・・・? ペチャペチャ、ズーズー、ポリポリと下品に音を立てるのも 本意ではない。 二段重ねの埋蔵うなぎを発見してニタっと笑うのも品がないし、そこは 素知らぬ顔してさもありなん、ウ~ムそうであろうそうであろうと鷹揚に 装うのが一見上品風ジイの面目躍如たるところだ。 ナニ? 美味いもの食べるのにそんなことはどうでもいいってかい? でもそこはそれ浅食低唱でありたいが為大切なことなんよ! ※浅酌低唱 ← 浅食低唱
2010年01月17日
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インドカリーもパキスタンカリーも顔色なし・・・! ♪海ゆかば~ み~づく か~ば~ね~ 山ゆかば~ ♪若い血潮の予科練の~ 七つボタンは桜にイカリ~ おやおや back to the military song でっか? いやいや、こんな歌を今頃歌ったら左がかったのがうるさいじゃない。 そうじゃなく海軍カレーのことを書きたかったのよ。 日本にカレーが 初めて紹介されたのは明治5年だそうだからまだ新しいんですなあ~ 今でも自衛隊の横須賀とか江田島など海軍基地では海軍カレーが ハバを利かしているようだ。 海軍カレーは小麦粉でトロミをつけるみたい。 小麦粉をフライパンで 炒めてそれにカレー粉を入れて水で溶いて・・・アトはタマネギを炒め 肉も炒めニンジン、ジャガイモを煮て・・・昔のオフクロの作ってくれた カレーに似ている。 あのまっ黄色なやつ! 海軍カレーは小麦粉を炒 めるから色はこげ茶色になる。 ラーメン同様に日本人はカレーも進化させてきた。 何よりもレトルト カレーが先鞭を切ったのではあるまいか。 ボンカレーとかハ○スクク レカレーとか、お湯で袋ごと温めそれをご飯にドバッとかければ出来上 がり。 都会でひとり生活している独身族には天恵だったよね~ カップヌードルもそうだけど簡単でソコソコ美味いからねえ♪ 5~60才代のオジサン達には昔のカレーがなつかしい。 街中のショップ の中にはカレーを注文するとピクルス、チャツネなどの洒落た薬味を出す ところがある。 オジサンは 「福神漬とラッキョ」 を出せと怒る。 ナンとかいうパンのようなものを出してライスを出さない店もある。 オジサンは 「ナンだ、ナンだナンちゅうことだ!」 って怒るのだ。 オジサンにとっては黄色くドロリとしたカレーとねばりのある白いご飯が ライスカレーなのだ。 中にはソースをかけないと済まないオジサンも いる。 小さい頃から家でそうしてたからカレーにはソースが要るのだ。 今や家庭でもお父さんがウンチクカレーをつくる。 それをタマタマ子供 に ”お父さんの作るカレーはオイチイ” なんて言われるともう大変だ。 お父さんは益々カレーつくりに精を出すことになる。 近年は街中にもカレー専門店がアチコチに出来ている。 勿論インド人や パキスタン人の本場カリーとか言うのもあるが彼らはチェーン化できない。 日本では ”ココ壱○” とか ”イン○ィアンカレー” とかチェーン店が よ~く流行っている。 もう日本のカレーとして定着している。 カリーでは ないのだ。 日本のカレーは日々進歩している。 そのうち日本のカレーも ラーメン同様世界に進出するだろう。 海軍カレー
2010年01月16日
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日本独特の進化を遂げているぞ~! 特にラーメンの進化はスゴイものがある。 もともとはシナから 伝来したものだろう。 漢字では ”拉麺” と書く。 アッソウさん ならどう読むんだろう? 拉(ら)とは引っ張るという意味だ。 シナでトイレに行くと ”拉” と ”推” と書いてある。 ”推” は 押す方だ。 だから ”拉麺” は麦粉を捏ねたやつを一本が二本、 二本が四本、四本が八本・・・というように倍々ゲームのように引っ張 って最後に適当な太さになるまで調理人が麺にする。 シナで拉麺を食べた人は知ってると思うが日本の中華料理屋さんで食 べるあのトリガラスープの味が殆どだ。 中国四千年の歴史というが 四千年の間ちっとも変っていないのだろう。 そこに来ると日本のラーメンは日進月歩である。 今や香港、上海に逆 上陸して香港などでは物凄い人気だという。 麺そのものだって多様だ しスープに至ってはトンコツやらトリガラやら魚類、野菜、果物に至る までいろいろと順列組み合わせをして店それぞれが独特の味を作り出 して競っている。 今や完全に日本のラーメン文化として定着したのではないか。 パリに もロンドンにもニューヨークにもあるらしい。 恐らく、日本で行列を作る くらい評判の店ならどこに出ても成功するだろうと思う。 ただ重労働 だし個人の調理能力が大いに左右するのでチェーン化することの難し さはあるだろう。 思えば高度成長時代に ”どさん子” とか ”どさん娘” とか要は札幌 ラーメンに端を発したのがスタートだった。 私もお世話になったがあの ススキノのラーメン横丁の亜流が東京、大阪でチェーン化したのである。 しかし、いつの間にか彼らは消えてしまった。 でもラーメン文化の先駆者 であったのは間違いない。 それ以来各地でご当地ラーメンが独自の味を 作り出し発展した。 曰く、博多ラーメン、横浜ラーメン、喜多方ラーメン、 などなどである。 北陸は八番ラーメンだったかな? テレビで見るだけだけど、今や東京では個性的で美味しいラーメン屋さんが あちこちでラーメン好き人間の胃袋を満足させているようだ。 大阪だって しかり。 京都も学生の街でスゴイ。 日本中ラーメンだらけだ! そのうち世界を日本のラーメンが席捲するのではあるまいか? そんなこと まで想像させるような勢いである。 ラーメン大好き人間の私としては嬉し い展望のある話である。 長くなったのでカレーの話は明日にまた! つづく 博多ラーメン
2010年01月15日
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シャケの嫌いな人はいないだろう・・・! シャケほど人間生活に貢献しているサカナはないだろう。 どうです、 そう思いませんか。 これだけ人間様に貢献しているのにそれを当然 のようにして尊敬の念とか憐憫の情とかに欠けるのではあるまいか。 元はと言えば産卵の為、川の奥深く人跡未踏の上流で重いお腹を抱 えて産卵しようと思っていたシャケを下流でとッ捕まえメスは腹を割い て卵を掻き出し、オスは腹を抑え付けて精子が搾り出される。 <シーシェパードは何故こんな残酷な仕業に抗議しないのだろう。> それを人間様が人工授精とか称して交配させ卵を孵化させるのだ。 その稚魚を放流すると稚魚は川を下り海に出て世界一周してどういう 訳か生まれ故郷の川に戻ってくる。 不思議と言えばこれほど不思議なことはない。 犬や猫ならオシッコを 引っ掛けてニオイでテリトリーも分るだろうが、海である大海にそんな ニオイなどつけられない。 アンテナでもあるのか。 何でだろうか? 何千キロ、何万キロも泳いで成魚になって帰ってくるのだ。 それも、よ~けある川を識別して生まれた川にちゃんと ”ただいま”って 帰ってくるのである。 摩訶不思議な話ではありませんか。 まあまあ、そんなシャケの特異性はともかくとしてシャケが人間社会に どれだけ貢献しているかが問題である。 シャケは死んで皮も残す。 北海道の原住民族アイヌは皮で衣服をつくった。 ヒグマくん達は上流 で溯上するシャケを獲って食料にする。 関西では塩引きと言って塩を塗すだけまぶしてお正月などのご馳走に する。 昔は貴重なタンパク源だったのだ。 現代ではシャケ缶、シャケ フレーク、シャケの燻製、トバ、切り身とか新鮮なものは刺身もあって 回転寿司の主要なネタだ。 イクラなんかもある。 それに何万匹に一匹 の ”鮭児(ケイジ)” なんてのもいる。 シャケは自給率が高いと思うが それでもまだ種類の違う鮭の輸入がある。 ノルウエーとかロシアとか米国からの輸入だ。 よっぽど日本人には シャケが欠かせないと見える。 私はキングサーモンというか紅ジャケが 大好きだ。 切り身はこれに限る。 贅沢なもんだねえ! と言うことで我々日本人はもっとシャケに感謝し、その貢献度に対して 丁重に表彰すべきではないかと思っている。 鮭の銅像も作って上げたい。 どんな幕の内弁当にも入っているし回転寿司からシャケが消えたとした らトロサーモンもなくなるのだ。 シャケ様々ではないだろうか・・・ 数字でいうと世界中で年間約100万トン獲れるそうでそのうち日本人の 消費が60%だそうだ。 その中の25%はまだ輸入しているのだという。
2010年01月14日
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このぉ~、新しいもの好きが・・・! 「しっとりと水気を含んだ、赤ん坊の肌のようなフクロの集まり。 柔らかそうで、乳房のような弾力があって、ふっくらとしていて、 そしてひ弱な風情がいとおしい。 急に全部脱がされて、急に世間 の風にあたって身の置き所なくおののいている様子がいじらしい」 おおっ、のっけからポルノまがいの描写じゃないけ! って喜ぶのは お門違いである。 ごめんごめん、これは私の好きな東海林さだお氏 の書く、ミカンを食べる時の描写の一部分なのだ。 ところで今日は、その彼の推奨する 「カレーおでん」 の話である。 おでんにカレー味なんてのは前代未聞、抱腹絶倒のあり得ない組み合 わせだと怒らないでほしい。 ”何か変ったものないべか?” って 新しいもの好きのご仁が必ずいるのだから・・・ 何のことはない、作り方は簡単である。 スーパーに売っているおでん の出汁にカレー粉を入れるだけの話だ。 具材は通常のおでんに入れる ものでいい。 (早い話、カレー鍋の素だけでいいかも知れん。) 土鍋に水を張り、市販のおでんのツユをあける。 次にカレー粉を適量 加える。 煮え立ったところで竹輪、ハンペン、豆腐、ガンモ、ゆで卵、 大根、じゃがいも、タコ、竹輪麩、こんにゃくなどをドンドン入れる。 さてさてどうなると思いますか? そうです。 カレー粉のターメリック でみんなマッ黄色に染まるのであります。 まるで菜の花畑みたい♪ 味はといえば、おでんの出汁と具材の味が混ざりそれにカレー風味が 出るので想像以上に美味いのですぞ~ 新しいもの好きのオジサン。 一度トライしてみて損はしないと思うよ。 要はカレーだからねえ。 カレーライスに使う具材だったらニンジンでも タマネギでも合うかも知れませんよ。 それにキャベツなんかも! 最後にお正月の残りのモチとかウドンを入れて雑炊にしても美味いかも♪ 名古屋の人なら ”どえりゃ~うみゃ~ていかんわ” ってなことを言う の間違いなしだべ! 追伸: google見たらカレーおでんは既に存在するじゃないの! みなさん早い、早い。 流石日本にはグルメが多いっちゅうことか。 そのうちのパ○リ写真
2010年01月13日
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本は ”読みたい” という欲求がなければ・・・ ポッポちゃんが就任以来初めて本を28冊買ったとニュースに出て いた。 前の漢字の読みをよく間違えていた総理も4冊買っただとか 報道があった。 あの人のは単なるゼスチュアーだったろう。 恐らく総理くらい多忙になると本を読む時間はみんなが寝静まって からの夜中くらいしかないだろう。 それも必要に迫られてなどと言 うことでなく、活字に餓えて本を読みたい、本がないと淋しいという 気持にならないとタメにならない気がする。 本は知識を与えてくれる。 思考力を促す。 想像力を拡げてくれる。 伝奇(ロマン)の世界に連れて行ってくれる。 マンガは感覚だけの ものだから時間つぶしにはなるがタメにはならんだろう。 私が本を読み出したのはサラリーマンになって電車通勤が始まった頃 からだ。 恥ずかしながら学生時代は殆ど読まなかった。 ノンポリで グータラで麻雀と酒ばかり飲んでいた。 ホンニ恥ずかしい、アナがあ ったら入りたい・・・と言うよりは空費した4年間を激しく悔恨するのだ。 勿論、卒論を書くための最低限度の本は止むを得ず読んだ。 まだ柔軟なる脳細胞を有していたのにバカ友達相手にポン、チーなどと うつつを抜かしてアタラ将来の頭脳蓄積を怠ったのである。 そんなことならバイトでもして広大無辺なる北の大地をバックパックで 彷徨った方がはるかに未来の英気を養えたのかも知れん。 嗚呼、遅きに失した。 人生二度あるとしたら、ああした過失は二度と 冒すまい。 ・・・なに? もうチャンスはないとな? 淋しい話である。 話を元に戻そう。 爾来、本とはジッコンの仲になりカバンには文庫本、 単行本はいつも2~3冊入っていた。 大抵は並行して2種類の本を読んで いた。 お蔭でスポンジ頭も少しはマシになった気はする。 今は専ら BOOK OFFの常連でなかなか重宝させてもらっている。 評論家の宮崎さんなどは物凄い勢いで本を読破していくらしい。 私は 忙しくないからしないが彼は速読をするみたいだ。 本を斜めに読むとか 言っていたけどそれで文意が全部アタマに入るのだろうかと不思議である。 でも彼は何でもよく知っているのでびっくりする。 ところで本を読んでいて読めない漢字とか理解不能な言葉に遭遇した時は マーキングしておいて帰ってから広辞苑で調べることにしていた。 知ら ない漢字などが出てくると腹立たしい思いがする。 同じ日本人として クソッと思うものだ。 それでも覚えたものは次々と忘却の彼方である。 覚えて忘れて、また覚えて・・・これからどれだけ続くのだろうか!
2010年01月12日
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勝負事は性格が丸出しになる・・・! ゴルフを覚えたのは27才くらいであったろう。 会社の先輩が自分の 使い古しのハーフセットを呉れたのが始まり。 高度成長時代で日本 列島アッチでもコッチでもゴルフ場がつくられた頃。 給料が上がるごとに私のゴルフ熱はエスカレートしていった。 恐らく日本全国100ヶ所近くは行ったと思う。 仕事柄国内出張も多 かったし海外も多かったからアチコチでプレーするのが楽しかった。 今はもう矛を収めて7~8年になる。 思えばゴルフにまつわる思い出 は尽きぬものがある。 ところで他の勝負事もそうであるがゴルフはその人に性格がよく顕われ るものだ。 性格円満な人はパートナーとワイワイ言いながら面白おか しく楽しくラウンドするが、そうでない人もいる。 つまり自分だけの プレーに熱中し、周りを顧みないタイプ。 スコアーに異常に執着して 勝ち負けに拘るタイプ。 失敗すると機嫌の悪いタイプ。 キャデイの 所為にし険悪になるタイプ。 スコアーを誤魔化すタイプ・・などなど。 何の為にゴルフに行ってるのか分らんのがいる。 初心のうちは自分のプレーで精一杯だから他人のプレーまで見る余裕は ないが段々と上達してくると一緒に回っているパートナーの一打一打は ホールアウトしてもちゃんと覚えているもんだ。 何打でオンしてナン パットしたか直ぐ分るのだ。 ダフリ、チョロ、シャンク、ソケット、 バンカーなどなど・・・ああやっとる、またやった! 初心者と一緒の 時は気を使う。 お~い、手の5番で行け~、ボール持って走れ~など、 ウシロの組に気を使うのだ。 パーやボギーは誤魔化しようがないけど+3、+4或いはそれ以上叩く と分りにくくなる。 が、それでも分るもんだ。 あそこで一打、ここで二打 そして3パットだったら計7とか・・・一緒にラウンドしているとそれ なりに見ているものだ。 ゴルフは紳士のスポーツと言われる。 だからプロでもスコア誤記は失格 になる。 素人でも同じことだ。 大抵はチョコレート?を握ったりする ので誤魔化しちゃいけない。 それに何よりも仕事を離れて開放感を味わいに行くのだから楽しく愉快に パートナーと交流するのが本意なのに! だからそれに当てはまらない人 は誘うことは滅多にしない。 よっぽどメンバーが足りない時以外は・・ ゴルフをする人は皆さんそんな覚えがあるのではありませんか?
2010年01月11日
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被害者に ”どんなお気持ですか” と聞くアホ! 暮れの紅白でキムタクがスーザンボイルに英語でインタビューした 時、一瞬、彼女がキョトンとして通訳に助けを求めたのを見た人は 多いと思う。 本場の英国人に彼のしゃべる英語が通じなかった。 あれでキムタクが最後まで荒れていたと書いてあった。 彼もそれ なりに英語は勉強しているらしいが、あれは沽券に拘っただろう。 大恥かかされた訳だから簡単には収まるまい。 N○Kも事前に チェックすべきであった。 キムタクの為にも・・・ まあ、これは語学力の問題だから話の筋道とはちょっと違うが、よく インタビューの場面を見ていて、どうもそぐわないのがチョイチョイ ある。 一番どうかと思うのは事件が起こって、その被害者か被害者 の係累に対し、”どんなお気持ですか?” などと訊くアホ記者だ! 殺人事件だったら悲嘆のどん底にいる筈だし、先ず相手の気持を斟酌 してインタビューすべきではない。 どうしても訊きたいのなら周囲 の人か近所の被害者から離れた人にすべきだろう。 大相撲の本場所で殊勲の星を上げて来た力士はまだハアーハアーゼー セー息してるからまともに喋られない。 もうちょっと時間をずらし てやればいいのに・・と思う。 相撲取りの寡黙なところみもって来 てあれじゃ聞いてられない。 フィギュアースケートでもそう、プロ野球、柔道なんかもみんなそう だけど、”どうでしたか?” と言う単純な質問ではなくもうちょっと 具体的な質問にして欲しいものだ。 その辺りがインタビュアーとして の能力の問題かなあなんて思う。 テレビを見ている側として、ああそんなんだあ・・・と思えるコメント を引き出せるインタビュアーがいい。 尋ねることがいつも観念的だったり抽象的だったりすると相手も答える のに当惑というか無表情になるし、そうでなく具体的な質問だと答え易 いし思わず余計なことまで喋る場合があって楽しいものになる。 でも圧倒的に、”どうでした?” が多い! 何を言いたいかと言えばアナウンサーでもインタビュアーは何事も勉強 不足、知識不足では有効な見ていて聞いていて楽しいインタビューには ならんちゅうことである。 ランダムで個人的で申し訳ないが私は鳥越俊太郎氏とか村上龍氏などが インタビュアーとしては好きだ。 何分にも知識が豊富であるから質問 の広がりがあるからである。 毛色は変るが落語の鶴瓶もいい。 遠慮なくズバッと相手のフトコロに 入るけど厭味がないからナニを言われても相手はニコニコとしゃべる。
2010年01月10日
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何で日本はこんなに音がうるさいんだろう・・・? ♪ゆ~きやコンコン、あられやコンコン・・・と音楽を流して灯油屋 がやってくる。 と思えば ”不要な電化製品があったら無料で・・” と拡声器をいっぱいにしてガナりたてる。 それが行ったと思ったら、”ピ~~、あったか~い焼きイモはいかがで ~すか~、ピ~” ・・・だ! バスに乗っても、次はどこそこで~す。 お降りの際はお忘れものの ないよ~に! 次はどこそこ、何とか医院の前でございま~す! って、 録音されたものを流しているのだ。 要らんっちゅうのに、いちいち 毎度毎度うるさいこっちゃ・・・! かと思えば、どこかのバ○息子や○ホ高校生がバイクのマフラーを外し ババババ・・ブルブルと大爆音で住宅地を走り回っている。 改造した 車だってそうだ、バリバリバリ・・・兎に角うるさいうるさい。 こんなもの、何ホ~ン以上だしたら罰金と決めて条例で取り締まったら どうかと思うんだけど、ダ~レも知らん顔で放置している。 騒音防止法を制定しようとしたら言論表現の自由を抑圧するなと言って 左がかったのが反対するんだって! アホかこいつらは。 右翼の宣伝 カーも何かあるとうるさいね~ 言論の自由だ、表現の自由だとか西欧のマネして何でもありにするから エロ雑誌やらヴァイオレンスが氾濫して何も分らないバ○がその影響を 受けて犯罪を犯すのだ。 一定の知識と常識があってはじめて自由を許 していいが訳の分らない者もごっちゃにするから世の中おかしくなる。 ピンポ~ンと玄関の呼び出しがあるから出てみると・・・いきなり、 ”ご主人さまのお宅ででは毎日がお幸せでございますか?” ときた。 何じゃいな、唐突に! お宅何なの? って訊くと、私モノミノトウと 申しまして・・・ああそう、ウチ仏教だから! 要らんよそんなもん! ああそうでしたか、失礼しました・・・だって。 個人のプライバシー を侵すなって、戸別訪問やめろよ! っていつも思う。 ことほど左様に今の日本、音もうるさい、要らんものを売りにきたり、 プライバシーに入り込んでくる。 街中でウカウカアンケートなんかで 住所氏名でも書こうなら後でエライことになる。 店でモノを買うと カードはいかがですか? 次から割引になりますとか言われる。 うっ かり住所氏名を書こうものなら何日かして全然関係のないところから モノの案内書が送られてくる。 油断もスキもあったもんんじゃない。 エライ世の中になったもんだ。
2010年01月09日
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藤井財務大臣辞任は順当だろう・・・! 体調不良でもなんでもない。77才と高齢だがまだまだ元気だった。 ただ精神的ダメージが大きかったようだ。 国会であれだけガソリン 暫定税率廃止を主張してたのに小沢氏の要求をポッポちゃんアッサリ 呑んだから立場がなくなった。 盟友の裏切りにあったのだった。 それと小沢さんにとって我慢ならなかったのは財務省が官僚主導から 脱却できていなかったことだろう。 民主党としてこのことは最大の 目玉であった筈が藤井大臣率いる最も肝心な財務省がそうなっていな かったのだ。 このことへの苛立ちが藤井大臣辞任につながったのは 間違いない。 財務省主導で行われた<447の事業仕分け>でも財務省関連では僅か しか対象になっていなかったし207兆円もある特別会計への切り込み も殆どといっていいほど不足であった。 そのことへの責任を小沢さんがどういう形で追求したのかは知らない が12月末の2010年度予算案成立時点で表面化したのであろう。 私は藤井財務大臣の辞任は止むを得ないと思っている。 代わった 菅直人新財務大臣の抱負でそのことは明瞭である。 民主党としては、 いい人事であったと思って間違いない。 老人の跋扈でこの党は消えてゆく・・・! 衆議院で落選した山崎拓73才が参議院選挙で立候補したいと言って 自民党執行部に断られた。 70才の年齢制限があると言って・・・ 一方片山虎之助氏は74才であるのに認めるという。 これどうよ? 若手?の反発は必至だ! プロイセンの参謀総長のモルトケも言った。 ”国を滅ぼすのは若者 の過失ではなく、老人の跋扈である” と! 執行部自らが決めた事 を破っては示しがつかんだろう。 舛添氏も言ってるように党名を変えるなりして再出発しなけりゃなら んのに古顔がで~んと上に座って何の反省もなく同じことをやってる ようでは到底再生など覚束ない。 ”守株待兎” じゃ誰も寄って来ん だろうに! このままでいくと小沢氏の思惑通り自民党は壊滅するだけだろう。 自らが目覚めて結党時の保守本流の政策を打ち出し体制を一新 しないと民主党に対抗する野党として再生はできまい。 ”みんなでがんばろう”・・などと言って自転車でコケてる様では 話にならんべさ。 ”変える” ということはどんなことなのか 東大まで出たんならもうちょっとアタマを働かすこっちゃ! まあ、この人の顔見てたら、苦労した顔に見えんもんなぁ~ 坊ちゃんがそのまま大人になったみたいでさあ・・・・・
2010年01月08日
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人間、その立場にふさわしい顔かどうかの問題! 民主党幹事長の小沢さんは損な顔だと思う。 若い頃はもっと素直? な顔ではなかったか? あれがだんだんと魑魅魍魎の世界で修羅場を 経てくると今のような顔つきになるものか。 先日も村上龍氏とのテレビ対談で言ってたけど、どうも誤解され易い んだって・・・まあ、毀誉褒貶の人だからある程度は仕方ないと思う けど気の毒な面もある。 私は平成維新を起こすのはこの人をおいて はいないと思っているのだ。 正に鶏群一鶴の存在ではあるまいか。 ところでだ、昔から 「四十を過ぎた男は自分の顔に責任を持て」 と 言われてきた。 ある人は、”おいおいオレはまだ四十前なんだぜ” と惚ける人間もいる。 が、おみゃ~さん、もう社会に出てそこそこの 知識と経験と処世術を学んだんじゃね~の! って言われそうだ。 会社員だったら主任→係長→課長→部長と昇進するにつれて部下も出来 それなりの仕事をするから顔つきも変わっていくだろう。 ほんでもって 四十くらいで課長になればそれらしい顔になるんでないかい。 個人事業主の場合はどうだろう。 カアちゃん相手だからカアちゃんに 使われるかカアちゃんに偉そうに言えるかどっちかだから顔つきの変化は 望みにくいかな。 いや~、やっぱ商店街の付き合いとか組合の役どころ とかで変る要素はあるべ。 それに学校出て20年も経ちゃ知識、経験とか 処世術にも長けてくるからオデコにシワの一つも寄って目つきも変るかも 知れん。 政治家はどうだろか。 秘書から政治家になり、もまれもまれて四十才程 になってもまだ日本の場合は半人前扱いでないべかなあ。 中にはオヤジの地盤・看板・かばんを継いで大臣までなった絆創膏貼って 無表情でしゃべってたのがいたなあ~ 結局落選したけど! あれなんか は顔つきが若い頃とちっとも変わってないのよ、きっと。 何にも苦労し てないから・・・ また、オヤジがポコッと死んだ後を継いで当選した娘っ子、どうでもいい 大臣になってそのうちお腹がポコッとなったのもいた。 あれなんかは・・ ・・・ああそうか、まだ四十前だしぃ、それにオンナだったわい。 人間、苦労は買ってでもしろ! って言われるのはそうゆうことなんだべ。 そうしたら四十は四十にふさわしい顔つきになるっちゅうこっちゃろ・・・
2010年01月07日
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作家倉本聡さん富良野塾を閉鎖・・・! さだまさしの♪アア~アアアアア~ア ウウ~ウウウウウ~ ウ~ウウウウウ~ウウ~アアアア~アアア~北の国から このスキャットだけの曲は広大な北海道を舞台に繰り広げられた ドラマ 「北の国から」 の世界へと真直ぐ誘うにふさわしいギター とトランペットが奏でる名曲であった。 どうぞ聴いてみて下さい。 倉本聡の北海道を舞台にした壮大なロマンが彷彿されることでしょう。 このドラマは実に21年間に亘って放映された。(1981~2002年) 誠に壮大なものだった。 その作家倉本聡氏がとうとう富良野塾を 閉鎖するというニュースが出ていた。 ホントに淋しいことである。 富良野市の発展はラベンダー畑もあるけど、この倉本聡氏と共にあった と言って過言ではないだろう。 2002年には富良野を訪れた観光客は 249万人もいたという。 あのドラマの舞台となった麓郷地区にはロケで使用した丸太小屋が点在 し観光バスが列をなす。 私も数年前北海道を車で周遊した折、そこに 立ち寄ったが正に観光の目玉であった。 いっぱいの人の波であった。 ドラマという非現実が恰も現実であったような錯覚に陥る不思議さ! 倉本聡氏が彼の人生を費やした痕跡がそこには残っているのだ。 昨年かテレビ放映された 「風のガーデン」 も良かったが、北国を 舞台にした人間達の地味な葛藤を喜怒哀楽を通じて人間の心配りとか 無欲の優しさを衒いなく描くのである。 きっと北海道という素朴な 田舎だから、素朴な日常だから心の葛藤が描きやすいのだろうか。 富良野は倉本氏にとっては集大成の地であっただろうと思う。 作家 として彼のように住まいを移してまでその地に埋没した人は珍しい例 だ。 つまり彼の場合虚構と現実が同居していたと言えるのではない だろうか。 私は彼のエッセイなどの作品が好きでよく読んだが、とにかく雄大な 北海道の自然を四輪駆動で走り回る。夏になればパッチワークの様な ラベンダーのカラフルな丘を走り、空知川をラフティングで下ったり 森の中にはリスやら北キツネ、クマゲラやフクロウもいっぱいいる。 そのすぐそばに家を建てて住んでいた。 自然と共生していたのだ。 地元の人たちとの素朴で暖かい交友、いっぱいの野菜果物、美味しい 海の幸をサカナに飲む酒の話などなど、そんな話が満載だった。 富良野塾を止めるのはそれなりの理由があると思うけど倉本聡さんに とって後半の人生は富良野と共にあって幸せなものではなかったのか。 富良野ラーメンも美味かった。
2010年01月06日
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正しい日本語を使えっつうの・・・! かく言うこのオレもいろいろイレギュラーをやっとる。 でも分って やってるよって勘弁してくれろ。 ホントは格調の高い日本語を使う し話言葉だって標準語なんだかんね。 さてさて、近年は高校生あたりを中心にしておかしな言葉がどんどん 流行ってくる。 そしてそれを知っていないと時代遅れみたいに言う からバカ雑誌やらが煽り立ててそれが当たり前みたいになっと~る。 こんなバカ高校生が大人になって親にでもなったら一体どうなるんだ べかってオレ様がお隠れになったアトのことだが心配になるべさ。 ところで話は戦時中。 勿論オレ様はナマナマしくは知らんけどもだ、 「八紘一宇」 とか 「国体」 とか 「祭政一致」 など日蓮宗から らしい仰々しい言葉がよく使われた。 そしてそれを国民に押し つけた事実は今だに慣用になっているので分るだろう。 また、勝てるはずのない戦争をやって形勢がおかしくなると、「退却」 を「転進」 と言い、「敗戦」 を 「終戦」 と呼びならし、「占領軍」 を 「進駐軍」 などとごまかしたのは周知のことだ。 戦時中の大本営は困窮する国民の意気を鼓舞する為事実を糊塗し 悉く欺いたのである。 そうしてその反省がないままに戦後の政治の 世界が都合よく言葉の価値をムチャクチャにして軽くしているのは ホンに嘆かわしいことではないか。 いちいちどの言葉がどうのって取り上げることはしないけど政治家の 言うことが一般国民のそれと乖離しすぎで軽いとは思わないかい? 漢字とひらかなとカタカナの三種を駆使した高度な文字文化はその 難度の高さから言っても世界に誇りうるものだ。 謙って妥協する 必要など毛頭ない。 外国人が悔しかったら勉強せい! ところが近年、国語オンチが増えつつあってバカ高校生がそれに拍車 をかけているのは何と淋しいことであるのか。 小学校で英語などを 教えるヒマがあったら漢字を一つでも教えたれ! っちゅうんだ。 これは何も藤原正彦先生の受け売りじゃない。 ホントそう思うんだ かんね。 英語が必要だと思う子供は黙ってたって自分で勉強するも んだ。 難しいからって 「だ行」 なんて書かせてはイカン。 だ・ぢ・づ・で・ど ではないのだ。 「蛇行」 なのである。 どうです、これほど語感豊か で情景を彷彿させる日本語はないでしょうに・・・・・
2010年01月05日
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いろいろな分野で評論家はいるけども・・・! 評論家というよりも応援団みたいのが多い。 政治評論家とか、 経済評論家、プロ野球評論家などなどいろいろな分野で評論家 の名前でメシを食っているのがいる。 一番止めてほしいのはテレビのワイドショーなんかで芸能人が政治 のことをしゃべるヤツ。 あれだけは聞きたくない。 何様のつも りでいるのか極めて不快だ。 おめえは芸能のことだけやっとりゃ いいのって言いたい。 ここでは政治評論家について述べるが、評論家と呼ばれる者に中庸 な立場でものをしゃべる人間が少ないことだ。 つまり右的が左的か、 あるいは与党寄りか野党寄りかのどちらかに論旨が傾く。 つまりは 評論家というよりも応援団員という方が正しい。 ある意味、テレビなどに出て来て話す場合オピニオンリーダー的な 立場であることを理解すべきだ。 そうでなくただの応援団員として 評論するのなら予めそうであると表明した上でものを言う必要があ ると思うが如何なものか。 例えば与党政府が取り上げて実績を上げつつあることでも褒めること をしないで・・・仮に事業仕分けでも、僅かな成果しか出ないとか、 あれはパフォーマンスだとか決め付ける。 それじゃン千億円のムダ をおめえさんは許すのかよ・・と言いたくなる。 あれは血税だべさ! いいことは褒めるべきなんだよ。 そうすればそれを言う評論家は信 頼されると言うもんだ。 是々非々でものごとは評価評論すべきなの に対手のことには必ずケチをつける。 これこそサモシイ評論家と言 うべきだろう。 日米同盟だってそうだ。 政権が交代して新政権は新しい日米関係を 模索しているのである。 それが今にも日米関係に亀裂が入って日本 が今にもシナや北から襲われるような危機感を煽る。 アメリカとの 安保同盟なくしては日本は存続しえないような評論ばかりだ。 評論家たるもの、もっとじっくりと事の成り行きを見守るという論調 で評論してはいかがなものかと思うのである。 アメリカだって日本 の基地がなければ困るのだ。 現にグローバルストライク(長距離 先制攻撃)という戦略でイラク→アフガン攻撃→三沢基地帰着で F-16が帰っているのである。 つまり戦争の基地として使用され ているのだ。 いつアルカイダの標的になっても不思議じゃないのだ。 こうした情報は新聞も書かないから国民はツ○ボ桟敷である。 過去 の自民党歴代政権が隠してきた日米の密約と同様に・・・!
2010年01月04日
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平和ボケしている日本には関係ないか・・・? その筋に詳しい人に言わせると日本には国際スパイがウヨウヨいる らしい。 政治スパイもいるし産業スパイもいる。 日本は技術立国 だからそれを狙って技術研究所の所員をカネで篭絡して技術を洩ら させるのだ。 政治の分野は正に007の世界だろう。 アメリカにはご存知CIA。 アフガニスタンにも派遣されていてこの間7人が爆殺された。 イギリスにはSIS(英国秘密情報局)があるしロシアには悪名高 いFSB(元のKGB)があってプーチンが取り仕切っているのは 暗黙の事実である。 お隣の韓国にもKCIAというのがあって亡くなった金大中元大統領 を日本から拉致して行ったのは周知の事実だ。 日本にも第二次大戦までは特高(特別高等警察)というのがあって エゲツない国民監視の活動をしていたのは書籍に沢山書かれている。 今は国家公安室がそれを引き継いでいるのかな? どんな活動をして いるのかは知らないが精々あのオーム真理教が企てたような国家転覆 などという荒唐無稽に近い狂気なものに目を光らせているのだろうか。 今の日本は平和ボケして何でもありのフリーな世界だからスパイなども 大きな顔して自由に泳いでいるのだろう。 ロシアやシナはアメリカの 軍事機密が欲しいだろうし東西冷戦が終ったとは言えお互いに裏の情報 の探りあいは止むことはないと思う。 マタハリなんてのは有名だった。 ヨーロッパを舞台にして暗躍してい たダンサー。 様々な本やら映画にもなって知らん人はいないだろう。 国が乱れ国家間の紛争があればある程スパイ活動は活発になる。 日本だって戦国時代、群雄割拠していた頃はその役目を負った忍者とか、 或いは西行法師も能因の足跡を辿って陸奥へ旅したのは源頼朝の命を受 けて奥州藤原氏の様子を探ったとものの本に書いてあった。 それから一度ここで書いたことがあるけど江戸時代の松尾芭蕉と弟子の 曾良の奥州への俳諧行脚も幕府の隠密としてであったと言う説がある。 シナでも孔子が弟子を連れて諸国を遍歴したのはスパイだったなどと書 いた本があるらしい。 まだ読んでないがエーバーハルトの 「中国 文明史」 がそれのようなので是非読んでみたいと思っている。 何れにしてもこの世の中、権謀術数を巡らせお互い腹の探り合いは止ま ないようだ。 国益、国益でこの狭い地球の中でフトコロの損益を計算 し自国が有利に立とうとする弱肉強食は果てしない。 お正月の手まり寿司(上からマグロのヅケ、サーモン、小鯛+木の芽、 茗荷、ショウガ、いくら、蕪酢漬け)
2010年01月03日
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稀少価値で売れているのをつい忘れると・・・! 古くはレ○ウンの傘マークの商品アー○ルドパー○ーを思い出す。 それまではデパート・専門店のルートだけで稀少価値があって人気 もあり高級品としてよく売れていた。 それをもっともっと沢山売ろうとしてデパートの反対を押し切って 1965年頃からの高度成長時代に著しい成長を始めたスーパーの店頭 に並べ始めたのだ。 それが凋落の始まりだった。 稀少価値が無 くなったのだ。 プレステイージを失って何年か経ってそのライフ サイクルを終えた。 そうでしょ、たかが傘マークの商品ですよ! 北海道に芸能人がやっている花○牧場という食品メーカーがこのと ころ著しい成長を遂げている。 ここもまた同じことをやった。 初めは酪農製品で名を売っていたのが生キ○ラメルが爆発的にヒット しだした。 千歳空港でもお土産もので引っ張りだこだった。 札幌市内の店でも いつも品切れでスゴイ人気だった。 よしんばそのまま品薄で行って 売れ続けても何れは競争相手ができるものだ。 それを彼は生産拡大 を図り東京に販売店を8店舗も作った。 どうだったか? 作って半年も経つが経たないうちに8店舗を閉鎖し たのだった。 10粒で800円だったか、バカ高かったが珍しさと美味 しさでよく売れたのである。 その間競争相手も同類の商品を出し始 めたから一挙に稀少価値がなくなったのだ。 やんぬるかなである。 東京は向島、長命○門前に桜もちで有名なところがある。 ここは 代々宣伝などはしないでコツコツと近所のオバサンを使って餡を挟ん だモチを塩漬けしたサクラの葉で包んで桜もちを作っていた。 訪問者や用事のない人間がいってもケンもホロロで追い払われたと 言う。 生業(なりわい)なのである。 余分なものは要らないのだ。 こうした仕事ぶりで出来る桜もちは口伝で広がり今では有名になって いる。 お伊勢さんと言えば内宮・外宮で有名だ。 今でもお伊勢参りの帰り にはあとド太いウドンと共に○福モチは土産品として有名である。 ところがここも同じことをやっちゃった。 デパートなどに全国展開 をしたのだ。 北海道の果てまでも! 工場もアチコチに作って。 そして売れ残った商品の製造年月日改ざん がバレて一挙にシボんだのである。 その後改心してまた伊勢だけの 生産に戻して細々とやってるみたいだ。 売れると嬉しくなって直ぐ調子にのりたくなる。 分らんことはないが、 それを買う方の立場でものごとを考えると分かりそうなものである。 稀少価値があるから、カリスマ性があるから、手作りで丁寧につくって 沢山できないから、そこでしか買えないから人々は値打ちを感じて買っ てくれる。 ものごとは身の程を知ることが如何に大切かということだ。
2010年01月02日
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