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リーマンショックが終わってもう3年目になる。 日本を除いては 殆どの国がそのショックから立ち直って経済回復しているという。 本家本元のアメリカも回復基調が顕著という。 日本は一体何を やってんだろうか。 アメリカの金融バブルで破綻した投資銀行、 リーマンブラザースのお蔭で世界中が酷い目に遭った。 日本の金融機関もそんなアメリカに投資して大打撃を受けたのは 記憶に新しい。 どうだろうか、今丁度シナが同じような状態に あるのではないか。 通貨である元をジャブジャブ発行して国中 元で溢れている。 それを使って金持ちが投資目的のマンション や建物を買い漁っている状態。 値打ちのないものが高値で取引されているからそのうち揺り戻し が来る。 日本のバブルと同じだ。 銀行がカネを何ぼでも貸す もんだから、やれ土地だ、家だ、ゴルフ会員権だ、絵画だとか言 て借金して競って購入した。 そのうちそれらの値打ちがド~ン と半分にも下がって人々には借金だけが残ったのだ。 アメリカのレーガンの尻馬に乗って火つけた中曽根のヂーは今も 知らん顔の半兵衛を決め込んでいる。 反省はそれだけにするとしてシナのバブルが破綻した場合日本が どうなるかを考えておく必要がある。 経済面でどれだけ突っ込 んでいるかだ。 下手するとリーマンショックに劣らぬ打撃を受 けないだろうか。 唯、救いは土地は国有だから日本と違って 土地の騰貴、下落は関係がないことである。 リーマンの破綻は2008年の9月であった。 当時の自民党政権下 の総理は麻生太郎さん。 2009年7月の選挙で民主党に政権交代 されてご存知鳩山ポッポ、そして次が今のア菅総理だ。 誰がどうとは言わんがみんなダメだ。 特に今の民主党政権では 雇用、雇用、雇用と組合連合の為のテープレコーダーの様になり 下がり具体的な経済対策景気回復の施策で目に見えるものはない。 日銀を含めた金融政策を大胆にやるなり、赤字であるけど財政を 思い切り生かすとか、小泉がやり残した規制緩和を受け皿を作り ながら大胆にやるとか、何にもない。 チビチビと小手先のこと ばかりのようである。 経済の専門家ではないけど個人資産が1500兆円以上眠っているの ならそれをどうして活用させる施策が出ないのだろうか。 竹中が統合させた大銀行のフトコロばかり温かくしないで預金者 の金利を上げてその集まったカネを困っている中小零細企業に安 い金利で貸すことを考えたらどうなんだろう。 預金者は金利が入るからそれを使って消費が喚起されるのは確実 なことだろう。 今じゃ金利もタダ同然だからみんなアホらしく タンス預金にしてしまっている。 政治も内輪モメやらボス猿争いのようなことばかりやらんと、いい 加減に目を覚まして国のことを考えたらどうなんだろうか。 もう 政党なんかどうでもいいからそれを超越したリーダーが出て来ない もんか。 メデイアもそんなキャンペーンをどんどん張ったらどうなんか。 国会中継を見ていても全くつまらん。 十年一日の如しだ。 どれもこれも原稿読みばかりで、オバマのように原稿なしで話して みろ! それが出来んなら政治家など辞めろと言いたい。 原稿 読み合いの質疑応答などやっとるからみんな居眠りするのだ。 アホらしさの極みである。 あれが当たり前だと思っている神経が 理解できん。 ア菅総理のフージンタオとの会談でメモ読んだあの情景がどうして も瞼から離れんわい。
2011年01月31日
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李くんのボレーシュート圧巻だったね~~! 2~3点取られても不思議じゃなかったけどGK川島くんの 堅守もあって0封した。 素晴らしい。 ザッケローニ監督バンザ~イ!! 香川を骨折で欠いて、こりゃ~ヤバイと思っていたら上手いこと 選手交代させポジションチェンジさせ乗り切った。 監督の用兵がズバリ的中した試合だった。 昨夜は飲み会があって久々の酒だったのでシコタマ飲んじゃった。 ビールに日本酒にウイスキーのチャンポン。 フグなんぞがアテ だからついつい過ごしたのでございます。 今週は月~金まで5日間酒ヌキにしていたのでした。 体重が73kg まで増えたのでこりゃいかんと思って断酒していたのです。 お蔭で 71.5まで下がったのであらうれしやなぁ~と飲み会に参加したのです。 帰宅したらちょうどキックオフ。 酔眼朦朧なれどお目々をこすり こすり前後半。 実は延長戦は眠っていたのでした。 従って李くん のボレーシュートは朝のハイライトで! それにしても岡田ジャパンの南アFIFA以来、ザッケローニ監督を迎え 益々日本サッカーは強くなったんじゃないかい。 宿敵韓国には勝つ し格上のオーストラリアにも勝つし、選手が一戦毎に自信をつけてる みたいだ。 何よりも変わってきたのは点の取り方である。 以前の日本はセット プレー(コーナーキックやフリーキックなど) でしか点を取れなか ったが最近では相手陣に攻め込んで繋いでシュートして決めるように なっている。 海外組が主力を占めているのもいい経験になっている。 本田、香川、 長友、松井、内田、川島など海外で自信をつけているからどんな相手 でもものおじしない。 ザッケローニ監督もイタリアでのインタビューで日本チームのことを 褒めていた。 非常にチームワークがいいし選手が素直な性格である し集中力があると言って! 次のFIFAの大会が待ち遠しい。 こうして夜中でも視聴率が20~30% も稼ぎ日本中のファンの耳目を集めるのは大いに結構なことだ。 お粗末な政治をよそに沈滞する日本に ”喝” を入れてくれ給え。
2011年01月30日
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”がんばる” という言葉ほど曖昧なものはない。 極めて日本語的 というべきだろう。 漢字で書くと ”頑張る” と当てるがこれは ”かたくなにメいっぱいやる” ということか。 四文字熟語では刻苦勉励とか粉骨砕身とでも言うか。 普段何気なし に使っているが非常に具体性に欠けることばである。 そして日本人 の大好きな精神力を鼓舞する言葉ではあるまいか。 英語で言えば ”make effort” とでも言うのか。 受験で頑張る。 スポーツで頑張る。 政治の世界でも党派で集まり ”がんばろう~!” 三唱をこぶしを振り上げてやってる。 新婚の二人を見送りにきて、”がんばってネ” などと言ってるのも ある。 何をがんばるのだろう。 日本語には黒白をつけないで具体的でない言葉がたくさんある。 これは相手を斟酌する奥ゆかしい気持ちを表しているとも言える。 であるから言語的に言えば悪いことではないとは思っているのです。 ”よろしく” なんてのは典型的だ。 英語で言えば best regards になるのだろうがこれも極めて曖昧な言葉だ。 頑張ってやれば何とかなる。 みんなでチカラを合わせて頑張れば 戦争にだって勝てる。 日清・日露戦争で勝ったから大東亜戦争だって 勝てる筈だといって陸軍の血気にはやった将校達は相手の兵力・物量 も計ることなく戦争に突入した。 多くの反対を押し切ったのだ。 相手は日本より40倍ものチカラがある との情報を無視して ”ニイタカヤマニノボッタ” そして270万人もの 同胞をあたら失ったのである。 ”敵を知り己を知らば百戦百勝”、 敵を知ろうとしなかったのである。 孫子の兵法は決して知らぬ筈はなかった。 血気にはやって頑張れば 何とかなる、勝てると思ったのだろう。 無謀で無茶だった。 ああ、戦争のことを言う積りではありません。 ”がんばれ、頑張る” という具体性について書こうと思ったのです。 受験で頑張るのは習った教科書を5回復習する。 英単語を全部覚える。 万葉集の解釈を全部覚える。 政治でがんばろ~は野党ならば次の選挙 で何人候補者を立て何人当選させよう。 その為カネを何ぼ用意しよう とか。 100m競争なら何秒で走るとか、そんな具体性が必要ではない のだろうか。 具体的なことは心の中で計算し口に出すのはがんばろう でいいのだが意外と心の中には何もないのが多いような気がする。 まあまあ、そんなに突き詰めなくとも ”がんばろう” だけでいいの であろうが・・・・・なんか優柔不断な話! ”よろしく”
2011年01月29日
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石平さんという帰化中国人がいる。 時々テレビ番組に出演して おられるからご存知の人も多いだろうと思う。 出演しては痛烈 な祖国シナ批判を繰り返している。 芥川賞を獲った楊逸女史も当初は口篭っていたが最近は祖国 を口撃するようになった。 これはシナにとって誠に不幸である。 さて、その石平さんであるが、現在は拓殖大学客員教授を務める 傍ら政治・経済・外交などの評論家として活躍しておられるのは ご承知の通りである。 石平さんは1962年四川省成都市で大学教授の両親の下に生まれ、 その両親をあの毛沢東の愚劣なる文化大革命で失った。 その後、 漢方医であった祖父に育てられたという。 この祖父は小学校で教える国語とは全く違うものを孫に教えた。 それが何かは一切言わずただ書写せ覚えよとだけ指示したと言う。 そしてその教材全てを密かに庭で燃やした。 孔子の思想は当時、 反動思想の筆頭に上げられていたのだ。 論語であったのである。 頭脳明晰な石平さんは成長して名門北京大学哲学部に入学する。 その後卒業し故郷の成都大学講師から1988年に日本語研修の為 来日する。 そして再び論語の世界と出会う。 驚く事に 「孔子」 「孟子」 「荀子」 「墨子」 「韓非子」 「論語」 「礼記」 「史記」 など遠い昔の時代に生まれた思想が数千年、数千キロの時空を 越えてこの異国である日本に息づいていたのだ。 石平さんは感激し、礼譲の国とはこの日本であると安らぎと精神的 連帯感を抱いたという。 自分の心の故郷は最早今のシナにはない、 この日本にある・・・・・・・と また暫らく経ち五月の小雨降る日、案内されて京都嵯峨野を訪れた。 そこで桂川のほとりにひろがる景色に心を奪われた。 幼い頃から 馴染んだ故郷、成都の風景と変わりなかったのだ。 山々は乳色に 煙り、山裾に青く澄んだ川が流れ、お寺の伽藍らしい屋根が霞んで 見えた。 一幅の水墨画であった。 石平さんは決心し2007年に日本に帰化したのである。 両親を抹殺 した愚劣な文化大革命、民主主義を排斥した天安門事件、未だあの 毛沢東の肖像を掲げて反省のない共産党と精神的決別を果たし 今では日本人以上の日本人のようだ。 弱腰の日本政府に警告したり、シナのバブル経済は2011年の今年中 に破綻するであろうと断言する。 祖国というものをあれだけ誹謗しなければならない心の奥底には きっと止むに止まれぬ無念さはあるのだろう。 がしかし人間として 守るべき信義の為に祖国を捨てて日本に帰化した精神は立派と言う ほかはない。 祖父から学んだ論語の教えには時空を越えた普遍性があるのだし それを信じつつ今後もこの日本で活躍していくことだろう。 一方で、孔健とかいう孔子の何十代かの子孫がいるがこいつは 箸にも棒にもかからない。 先祖の孔子様もさぞかし廟の中で 嘆いておられることだろう。
2011年01月28日
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♪わたしの~お墓の~前で~泣かないでください~ そこに~わたしは~いません~・・・・・・・ テノール歌手の秋川雅史さんが歌って大ヒットしたのはもう三年前 でしたか。 早いもんです。 先日 YOU TUBE を寄り道して見て いると秋川さんのお父さんも同じ歌を歌っていました。 息子さんと 同じテノール歌手だそうです。 上手いですよ息子より上手いくらい。 この 「千の風になって」 という歌は1999年に芥川賞を獲った 新井満さんの訳詩・作曲だったのですね。 朗々と響くいい歌だと 思います。 亡くなった人に対する追悼の歌としては残された遺族 にとって救われるような感じではありませんか。 最愛の人を亡くしてもその人は風に生まれ変わって自分のすぐそばに いる。 千の風になって死者から生者を慰め励まし、”死と再生” を 語っている歌といえる。 つまり般若心経の色即是空をメッセージして いるのだという。 全ての万物は、形あるものは変わる、消滅するものである。 而して 再生するという輪廻転生の世界である。 色即是空の ”空” は変化 するという意味だと習いました。 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五薀皆空、度一切苦厄。 舎利子。色即是空 空不異色、色即是空、空即是色・・・・・ 禅宗曹洞宗の我が家はお坊さんに月参りを頼んでいるので毎月15日 この般若心経と修証義五章のうちのいづれかを読経してくれる。 毎度のことなのに私は般若心経262文字の上のサワリしか覚えてない。 妹夫妻など二人して覚えているのにこの私は生臭であります。 まあ、 毎度坊さんの後ろで数珠を手に神妙にお経を聞き先祖の安寧を祈願 しているから次に生まれ変わる時にはきっと大金持ちの子になるで あろうと生臭いことを考えておるのでありますが・・・・・
2011年01月27日
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芝居で、「大向こうをうならせる」 という大向こうとはどこの何の ことでしょうか。 ”大向こう” とは芝居小屋の三階席のことを 言うらしい。 金持ち連中は前の方に座るから、そこは値段が 安くて芝居好きの、”通(つう)” が多いという。 さて小泉元総理の姿勢は今の総理と違ってものごとをはっきりして いたことであった。 ”ワン フレーズ トーキング” しゃべりは 端的でケレン味がなかった。 勿論是非はある。 あるがある意味 頑固で男らしかったのが多くの国民の支持を受けたのではないか。 正直、私は彼の竹中を使ってやったことに関してはこれまでも米国に 与した市場開放や規制緩和はやりすぎだったと批判してきた。 一方で総理就任後堂々と靖国神社に参拝した。 結果的にシナ・韓国 との関係は悪化したが致命的なものではなかった。 彼らに四の五の 言わせずこれは内政問題だからオメエらの介入するこっちゃないと言 う姿勢だった。 シナだってチベットやウイグル弾圧で抗議を受けると、これは我が国 の内政問題だからクビを突っ込むなと言うクセに靖国問題では日本の 内政にゴタクを並べる。 そして現在の総理初め閣僚トップは誰一人 靖国参拝をしていない。 NHKが世論調査で靖国参拝の是非を問うと是が42%で非が45%だと いう数字がでた。 今や戦争を知らない世代が80%もいるのにそんな ことを問うだけナンセンスではないのでしょうかな。 上坂冬子著の 「戦争を知らない人のための靖国問題」 という題名 の本には余計なことをゴタゴタ言うなと胸のすくような文面がある。 「六十年も過ぎてからA級とBC級戦犯を勝手に振り分け、A級戦犯 を祀るところへ首相が参拝するのはケシカラヌなどと外国から言われ てたまるか。 アジアの平穏を乱しているのは一体どっちだ」 「しかも、独立二年目の日本が総力をあげてきっちり国内法的に決着 をつけた問題に対して、その経緯も知らずにこれをくつがえせと言わ んばかりの要求をしてくるのは、無神経にして不勉強な内政干渉以外 のなにものでもあるまい」 どうです。 なかなかなもんでしょう。 イヨッ、大統領! 上坂様ぁ と大向こうから声がかかりそうだ。 国民の生命と財産そして国土をしっかりと守ることが出来る政府を 待望したい。 今の腰砕けで相手の顔色ばかり窺うような情けない 政府は国民総意で退席させようではありませんか。 お宅らには村山富市初め何回も謝罪してきたんだし、日本は戦争も しないんだし、もうこれ以上ゴチャゴチャと言わないでちょうだい、 計らずも為政者の非命に斃れた同胞の無念を悼むんだから四の五の 言わないでちょうだいってそう言ってお弔いをしてあげたいのです。 私達は日本人なんです。 ヤマト民族なんです。 お宅らとは違う んです。 と言って!
2011年01月26日
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亡父は晩酌で機嫌がよくなると小唄か都々逸をひとり口三味線で 唄っていた。 ♪テテン テテテンテン 梅にも~~~春ぅ~~ 今ならさしずめ・・・・・ ♪テテン テテシャン シャン 逢って三年 愛して五年 飽きて十年 あと惰性~ (風迅洞) などと都々逸を口づさんでいただろう。 さて、ポール クローデル(1868~1955) というフランスの詩人で 外交官がいた。 彼は大正十年(1921)にフランス大使として来日し 昭和2年(1927)に駐米大使に任命され離日するまで日仏会館とか 日仏の文化交流に貢献した人である。 その彼が遺した言葉にこういうのがあった。 「私がどうしても滅びて 欲しくないと思う民族がある。 それは日本人だ。・・・彼らは貧しい。 しかし高貴である」 どうです胸に沁みませんか。 大正時代の日本人はそうであったのだ。 恥ずかしいですね~今の平成の御世では! すっかり変貌しかかって いるのではありませんか。 まあ、それはいい。 それはいいとして、クローデルは詩人として都々逸 の訳詩集 「DODOITSU」 を出しているのだ。 亡父の時代は柳家三亀松という都々逸唄いがいた。 筆者もこの年齢に なってあの三味のトーンと都々逸の小節の利いた唄と歌詞が心地よく なってきた。 ♪テテン テテシャンシャン 燃えた一夜の のこり火消して 干した布団に しなう竿~ テテシャン ♪テテン テテシャンシャン ゆうべしたこと きれいな雪の どこに隠せば 消せるやら~ テテシャン ♪テテン テテシャンシャン 夢を見たのは わたしの勝手 さめて風邪ひく のもひとり~ テテシャン どうよ。 今晩は日韓サッカーで燃えるべ・・・!
2011年01月25日
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喜味こいしさんが亡くなった。 相方であったお兄さんの夢路いとし さんは八年前に亡くなったのでこれで上方漫才の良識派が消えた。 兄弟とは言え、ほのぼのとしたテンポのゆるいそしてゆったりとした 上品な語り口の漫才は独特の雰囲気があった。 君と僕という呼び 方で、”君の妻(さい)” はなどと他の人なら別に笑うこともないが 彼らの漫才では思わず笑みがほころんだ。 筆者は大阪はお笑いが伝統だとかお笑いの街だとか言うのには少々 抵抗を覚えている。 このことは以前にも書いた。 吉本興業や松竹 芸能を中心とするお笑いの中には、特に漫才には掃いて捨てるほど 若手芸人と称するのがウヨウヨいて軽佻浮薄な笑いを振りまいている。 本来なら寄席や舞台だけのものが近年テレビという媒体が不必要な 露出をさせ下品で俗悪な笑いを誘っているだけだ。 本来のユーモア (フモール)というものはそういった類のものではなくもっと良質のもの でなくてはならないと思っている。 こう言うと、時代が違うのだからあれはあれでいいのだ、おっさんの 考えはもう古い、と反論するご仁もいる。 筆者の友人の中にもいる。 しかし敢えて言うが本来お笑いは政治や社会一般の身近な事を題材 に面白可笑しく風刺的に舞台の上で表現すべきものと思うのである。 特にテレビなどの媒体は社会的責任があるのだし一億総白痴化の 尖兵になってはいけない。 良識のある大人ならまだしも子供達も 見ているのである。 尤も良識ある大人ならあの様な馬鹿馬鹿しい 番組は見ないだろうとは思う。 年の暮れから年始にかけて例年 見せられる芸能人のグにもつかないオチャラケ番組に辟易している のはこの筆者だけではあるまい。 頑迷固陋と言う勿れ。 日本は今、倫理も道徳もどんどんと地に落ち かかっている。 このままでは東洋の良識の国はどこかに行っちまう。 そんな片棒を担がせてはならない。 東京でも知事が表現の自由とか で、出版社ともめている。 あれは知事に味方したい。 自由と放縦 を履き違えてはいけない。 喜味こいしさんのご冥福を祈りながら・・・・・
2011年01月24日
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卒業・入学シーズンにはちょっと早いかもしれないが本を読んでいて ”恩師” という言葉にふと自分の過去を振り返った。 自分には恩師と呼んでいい先生が三人いる。 そのうちに一人は紺野 先生。 もう北辺の地で時代も風化しているから本名でいいだろう。 小学校六年の担任であった。 厳しい先生で縮れ毛をポマードつけて 七三にきっちり分け毎朝黒板を指すムチを持って教室に入った来たの を覚えている。 初めて全優をくれた先生である。 そして最後の学芸会で挨拶の栄誉 を与えてくれた。 でもその挨拶で失敗したのである。 途中覚えた セリフを忘れたのだ。 それこそ1~2分アタマが真っ白になり何とか シドロモドロで幕を閉めてもらった。 苦~い思い出である。 中学に入って二年目の英語の教師が宮地先生。 この先生で英語に目 覚めた。 発音を叩き込まれ単語を毎日宿題で出され、結構褒められ て豚が木に登ったのである。 三人目が高校で習った英語の大曲(おおまがり)先生。 この先生は 徹底的に語彙の教育をされた。 ”いいか、言葉は語彙であるぞ~” 兎に角語彙を豊富にせよ。 例えば Account の意味は知ってるか? 「計算、価値、利益、説明」 と違う意味が四つもあるんだぞ~って! 私は卒業式で歌う 「蛍の光」 よりも 「仰げば尊し」 が好きである。 今の学校では滅多に歌わんらしいが、この歌を歌えるような教師と 生徒の関係が懐かしい。 ♪仰げば尊しわが師の恩 教えの庭にも早幾年 思えばいと疾しこの年月 今こそ別れめいざさらば 互いに睦し日ごろの恩 別るる後にもやよ忘るな 身を立て名をあげやよ励めよ 今こそ別れめいざさらば 朝夕馴れにし学びの窓 蛍の灯火積む白雪 忘るる間ぞなきゆく年月 今こそ別れめいざさらば 一番を卒業生が歌い二番を在校生三番を一緒に歌った。 この歌を聞くと今だにウルウルと来る。 いい歌だと思う。 今は何を歌っているのか知らん。 どうせ国旗も掲揚しないで 教師も生徒も友達みたいにしてるんだろう。 嘆かわしい話だ。
2011年01月23日
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”ざるそば定食になります” 昨日病院帰りに昼飯を食べにそば屋に 入った。 なんで、”ざるそば定食です” とか ”ざるそば定食を お持ちしました” と言わんのだろう。 ”なります” は英語で言えば become だろうか。 日本語を学ぶ 外国人からすればこんな不可解な日本語はありゃせん。 飲食業界 の専用語かなんか知らんが早いこと止めたほうがいい。 またこういうのもある。 ”お安くさせて頂いております、ハイ” とか ”お蔭さまで元気にさせて頂いております” とか丁寧に言ってる積り かも知れないが、誰がさせたのかその辺りが分かり難い。 これはどうやら浄土真宗の信徒から広まったらしい。 つまり如来様に 生かされて頂いてる。 仏様のお蔭で病気もせず元気で旅行も出来る しメシも美味い。 これは何はさて置き如来様のお蔭であるかららしい。 どうです。 普段何気なしに使っているんじゃありませんか。 かく言う 筆者とて電話で古い知り合いとの会話で ”お蔭さまでまあまあ元気で 大過なく過ごさせて頂いております” などといいかねない。 そのように言えば相手に悪い感じは抱かせないだろうし・・・ ある人に言わせればこの語法は大阪の船場で根付いたのではないかと 推測している。 何故なら船場には商売人として名高い近江出身の人々 が多いのである。 筆者のスタートもそこであったので他人行儀では いられない。 そういえば店の休日には、”いついつは休ませて頂いて おります” という言い方をしていた。 近江は浄土真宗の信徒が圧倒 的に多いのである。 言葉というのは由来があるのである。 可笑しな使い方だなあと思って 調べるとちゃんと理由がある。 でもどうしても現実に沿ぐわない言葉 は使うべきではないと思うがどうであろうか。
2011年01月22日
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今晩、間寛平ちゃんが大阪に二年ぶりで帰ってくる。 テレビも勿論中継するようだから楽しみにしている。 それにしても よう頑張った。 太平洋をヨットで横断し、北米大陸を横断走破し、そこからまたヨット で大西洋横断、ヨーロッパ大陸からアジア大陸のシルクロードを走り、 シナは青島から日本の福岡へ上陸、そこから終着地点大阪まで出発 から766日の壮挙である。 時々寛平ちゃんはどの国のどの辺りを走っているのかなぁ~って彼の ブログ EARTH MARATHON を見ながら応援していた。 途中イスタンブールの辺りで前立腺ガンが発覚しサンフランシスコに 戻って2ヶ月だか治療し再スタートした。 一日30~50kmのペースで総走行距離40000kmを越える破天荒な 冒険である。 一体、何が彼をしてそんな前代未聞の思いつきをさせた ものか知りたいものだ。 だってガンは別にしても正に命がけの行為に 違いないのだから! 関西ではそのままぬくぬくと舞台・テレビなどに出ていれば人気もある しそれなりの生活を送れた筈である。 何が彼を世界一周マラソン走破 などという無茶な計画に駆り立てたのかホント知りたい。 まあ、ともあれ今夜ゴールのテープを切るわけだから蔭ながらその壮挙 を祝福し乾杯して上げたい。 寛平ちゃん、お疲れさん! そして大計画完遂おめでとうございます!
2011年01月21日
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おしなべて齢をとると話がくどくなる。 同じことを誰かれなく繰り 返す人がいる。 これはと思った話題を次々と得意げにしゃべる のである。 ああ、その話、前にも聞いたよ、と言うと、そうだった~? って。 誰彼なくしゃべるから誰に言ったか忘れるのだ。 エンドレスなテープレコーダーと同じ。 別名カセット人間とも言う。 これは老化現象以外のなにものでもない。 人付き合いのいい人と 言うのは話す相手が多いからこの手の人間が多い。 これは情報の少ない人に多いのではあるまいか。 次々と新しい情報 が手に入る人はそうでもないような気がするが・・・体験談とか自慢話! 四十にして既に惑っている人もいる。 これなどはアルツハイマーの 最有力候補者ではあるまいか? 情報を拡げるために本を読む、新聞を隅から隅まで読む、ラジオを 聞く、テレビを見る、インターネットに親しむなどなど自分の頭の中 の知識を豊富にするなどでワンウエイ回路をマルチ装置に切り替え ればいい。 その昔学校の先生で、アタマは使えば使うほど脳にシワが寄って賢く なる。 その反対は脳のシワが延びて退化してしまう、と警告して呉 れた。 これは多分医学的に正しいように思う。 小学校時代、出来の悪い男の子がいて、しょっちゅう黒板を指すムチ で先生に叩かれていた。 ”お前はなんだね! ちゃんとせんかね! これでちょっとでも賢くなれ~って、バシッ!” ”痛っ” って、頭が刺激受けてちっとくらいはマシかも知れんけど 外からの刺激じゃなく脳の中で刺激を受けなくては効き目はなかった ろう。 結局その子は担任が替わるまで叩かれつづけた。 長じて同窓会で会った時もまだその面影を持っていたことである。 さて筆者もテープレコーダー人にならぬよう精々訓練しとくべぇか。
2011年01月20日
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ドドンパのリズムに合わせて・・・・・(ほ~~れ!) ♪松ノ木ばかりがまつじゃない~時計を見ながら・・・(あ、こ~りゃ) (二番) ♪好きよ 好き好き 大好きよ~ あなたのすることみんな好き~ 好きでないのは ただひ~とつ かげでかくれて す~る浮気~♪ かれこれ大阪万博の頃であろうか、あたしが新潟に出張していた頃、 急行 「日本海」 に乗って新津、五泉に行ってた頃に流行った唄、 ”松ノ木小唄” だったか、”お座敷小唄” だったか・・・・・ まあ、前置きはさておき、”好き” という言葉である。 大体は恋を 告白するのに、”愛してる” なんてキザな言葉は言い難いべ! 大方は、”好き” でいくんでないかい? 元々は室町時代には色恋をささず、茶の湯などをさしたという。 お茶の道具に凝り、高価な茶碗など買ったり散財してモノに狂う ことを言ったらしい。 だから、”好き” という言葉に、”数奇” とか ”数寄” という 漢字が当てられた。 ”数” は運命をさし、”奇” は不遇を意味 する。 つまり ”好き” の語源はかなり今のニュアンスとかけ離れ ている様であった。 今でも、”数奇な運命を辿る” なんて使うじゃ ありませんか。 そういうことになると、”好き” なんて~言葉は余り乱発すべきもん じゃないということになろう。 ”おまはん” とは運命的出会いをした、 よってに終生連れもって参ろうぞ! くらいに思わんといかんべ。 況してや、”愛してる” なんて言葉は軽々しく言ってはならんのだ。 あたしの高校時代の英語の教師が、”I LOVE YOU ” とは、あなたの 為なら死んでもいいわ・・・” というほど深い意味があるんだぞ! と教えてくれた。 芸能人のみならず今では一般人でも惚れたはれたで結婚し、ものの 一年経つか経たないかで離婚するのがいる。 カッコつけて家は仏教 なのに教会なんぞで・・・・・”汝はこの妻を、夫を、終生愛するや” ”ハイ、チュウ~” なんて軽佻浮薄? 軽薄短小? 軽挙妄動? ったく! その辺の犬コロみたいのがいる。 いや、犬コロ以下だ。 男女というものは表題の如く、かりそめにも一旦惚れたならば終生 ”偕老同穴” 死ぬるまで添い遂げるのが本筋でなくてはならん! そうではあるまいかのう、皆の衆?
2011年01月19日
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日本に経済のバブル現象が起こって約40年ほどにもなるだろうか。 中曽根御大がレーガンの言うままに国内需要を喚起せにゃならん とか扇動されて2兆円のカネを市場に放出したのが始まりだった。 このオヂーちゃん、ロンとかヤスとか呼び合って殊更日米関係を 重視したというか従順だったがバブルの張本人になるとは予測も 出来なかった大失態だった。 市場経済を活性化するという目的がまあ今で言う粛々と進めば良 かったのだが、金融を緩め土地騰貴がベースになって全ゆるもの の騰貴を誘出してしまった。 ゴルフの会員権やら土地建物は言 うに及ばず絵画から何から値上がりし日本国中一億金儲けの鬼と 化し守銭奴で溢れた。 日本にとっては勿論初めての経験だったが問題は土地というもの の騰貴が大きくバブルを先導し価値の上下が起こるのはおかしい。 筆者は経済学士ではないから詳しくはないが、現在経済が絶好調 のシナは土地は国有化されているから土地の騰貴は関係ない。 欧米にしたって土地の資産価値をそんなに重視するものではない 様に思うがどうなんだろう。 一つには歴史的背景があって戦争が 頻繁に起こると不動産を持っていても其の侭にして逃げる訳だから 土地や建物を私有することに執着しないのが普通になっているのだ。 常に動産(金とか宝飾品のようなもの)を持って、いざという時に 持って逃げられる様にしていると、ものの本で読んだことがある。 翻って日本は島国だから元寇とかあった位で殆ど外国からの侵略に 遭っていないし、そういう背景もあって土地に関する考え方は他国 とは違うのだろう。 バブル時ニューヨークのエンパイアステート ビルを買ったりハワイのアラモナS・Cもダ〇エーのものだった。 中曽根御大のお蔭でどれだけ日本人が大損を蒙ったか、わしゃ知 らんとは言わせぬ。 今だに一生かけ借金を払い続けている国民 がいることを政治家として知るべきだがいかがなもんか。 片方 では土光敏夫氏を使い国鉄の民営化をやった功績だけがクローズ アップされバブルの張本人であることは忘れられている。 大阪でも梅田の一等地が坪一億円だとか未だ全国の土地価格が どうだとか新聞で騒ぐが、ああいうものを尺度にするのは間違 っていると思うのだがどうなんだろう。 経済というのは本来、ものを作ったり、売ったり、運んだりする 地道な付加価値の生産によって計られるべきものでそれが基本で なくてはならないと思っているが筆者の考えは間違いであろうか?
2011年01月18日
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先日、文化というのは、”おくるみ” のようなものであると書いた。 つまりそれに包まれていると安心できるからという理由である。 宗教・絵画・音楽・伝統芸能・言語・風俗・習慣・街並みに至るまで。 外国から帰国するとホッとするのはそうした日本独特のものに浸れる からである。 さて文化についてもっと敷衍してみる。 「孟子」 に、”木に縁(よ)りて魚を求む” という比喩がある。 これは木に登って魚をとるようなもの、という意味であるが孟子が 意図したことと現代では違って、木と魚は因縁が深いというべきだ。 例えば三陸の養殖牡蠣が痩せて不審に思った人が海に注ぐ河川 に沿う樹木を切りすぎているのに気づく。 そして山に植林を始め たのである。 その結果木が育つにつれて牡蠣の実入りがよくなっ たという話。 つまり樹木が媒介するプランクトンが河川から海へ 流れ込みそれを牡蠣が栄養として摂取しているのである。 沖縄など亜熱帯地方の海岸のマングローブもそうだ。 魚に日よけを つくりプランクトンを発生させて魚を育てるのである。 沈没した廃船とか大陸棚とか人工的に漁礁を作ってやったり魚たちを 海藻などでくるんでやっている。 人間の文化というのもそういうものだ。 包まれて安らいでいる。 暮れにベートーベンの第九を聴くと、うわ~、いいなあと思うし、奈良 や京都で古刹の仏像を見ると心落ち着き、何やら分からんまでも荘厳 な気に触れるだろう。 近頃は海外の美術館から著名な画家の作品も 見る機会もある。 海老蔵は別にしても歌舞伎もある、文楽もある、 そうした日本古来の伝統芸能の雰囲気に浸るだけでも人間ちったぁ~ ああ、オレも日本人だなぁ~って、いいと思わないかい? 人間、カネ、カネを追ってムラカミやホリエの様に、”カネ儲けが何で いかんのですか” って。 いかんとは言わないがそれが目的化するの がいかんのである。 人生80年か、この間に密度の濃い、質の高い文化 をどれだけ感得できるかがカネ儲けより大切ではないのか? 今はお店で買い物をすると刺身でも煮物・フライものも器に盛ってある から買って帰りそのまま食卓に並べて食べられる。 けど、魯山人と迄 いかなくとも自分の気に入った器に移して食するとどれだけいいか! ちょっと値は張るがウエッジウッドかロイヤルコペンハーゲンの コーヒーカップでたまには美味しいコーヒーが更に美味しく頂ける と思いませんか? バカラのグラスで飲むサントリーレッドの水割りもオールドパーに 変身するのではありませんか? 狭いニジリ口をくぐり茶室に入り利休もどきの一輪挿しを見ながら オウスを頂き、懐紙で飲み口をぬぐったり茶菓を上品そうに頂いて みたいとは思いませんか? 恥ずかしいとも思わず電車の中で化粧したり、道路を歩きながら飲食 したり、アメリカの礼儀のれの字もない習慣を真似て平気な若者達。 最早日本人ではない無国籍人としか思えない人種が増えてきた。 そしてむしろ日本文化に憧れて日本に住みつく西欧人ほど、より日本 文化の継承者としてふさわしいと思うのであるがいかがなものか。
2011年01月17日
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その道のエキスパート ”駅弁まるかじり” の東海林さだお氏に 言わせると駅弁が美味いのは身体が揺れながら食べるからだと おっしゃる。 そして車窓の景色がうしろに飛んでいくからと言う。 だから駅弁は家でコタツに入って食べても美味くもなんともない。 それならホカ弁を食べた方がずうっとマシだいう。 今朝のニュースで東京は京〇百貨店で駅弁大会なるものを催したら 初日で8万4千人が買いに行ったという。 恐るべし吸引力! この 不景気に不景気知らずだ。 この知らせに触発された訳でもあるま いが小〇急百貨店も西の〇急百貨店も近々やるらしい。 もうきっと買う人のアタマの中は旅と駅弁がいっしょになってその 夢想でもって触手が動くんだろうなぁ~って思う。 過去に訪れた 温泉旅行の途中に列車の中で食べた駅弁へのノスタルジアとか~ どうやら最近の九州新幹線や東北新幹線の延伸で新たな駅弁が加わ わったとかの効果があるとかないとか? でも相変わらず売れ行き第一位は北海道は函館本線の森駅で売られ る、”イカめし” らしい。 そして第二位は、”カニめし” で 第三位は横川の、”峠の釜めし” で上位の顔ぶれは以前と変っては いない。 駅弁は今の電車のように出入り口が発車、停車ごとに素っ気なくす~ と無慈悲に開閉するのでなくその昔は人手で開閉できたから列車が 動き出しても小走りで乗れたのである。 それに客車の出入り口には 足を掛けるデッキと手で掴む取っ手がついていたので動き出しても ヒョイと列車に乗れたのだった。 だからホームに下りて駅弁とお茶を買い発車のベルが鳴っても十分 間に合ったのである。 あの情緒が懐かしい。 齢がわかるって? いいべさ、分かっても。 急行で3~5分の停車時間にホームに下りて 駅ソバを掻き込むのもよかったな~! 七味かけてハフハフって♪ ”イカめし” は確か640円だから安いよね~。 函館近海ではイカ がたくさん獲れるが ”イカめし” に使うイカはニュージーランド沖 などで獲るイカを使うらしい。 だから640円の値段にできるのだ。 まあ、こうして1000円前後する駅弁を一人3~5個買って帰る日本は まだまだ余裕があるということだろう。 平和な国というべしだ。
2011年01月16日
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ダメダメ菅内閣の改造第二次内閣ができた。 野党は一斉にブーイングだし民主党内部でも小沢派がダメ出しに 懸命だ。 そりゃ~そうだろ、小沢派の人間の中にはあわよくば 自分だって大臣にと思う人間もいるだろうし・・・・・ 筆者はこれまでも菅内閣についてはともかくヘッドの菅の頼りなさ ばかりが目に付き早く交代せよと述べてきた。 今回の改造で出色なのは与謝野氏を抜擢したことに尽きると思う。 アメリカでも選挙に勝ったオバマは国防長官のゲーツを留任させた。 これは特筆すべきことであってオバマは国防の重要性をそれほどに 強く認識していた証左であったのだ。 これは政権交代した日本の 民主党とその国防の大切さの認識に於いて天地の差があった。 ソ連時代でも今だに覚えているけど、イシコフ漁業相という人が 政権が替わっても長い間その座に座っていたのを覚えている。 それが国家戦略というものだろうと思う。 その間、日本は政権 が替わる度に農水大臣が交代しイシコフにかかると赤子の手を捻る ような交渉ごとだったろうと推察したものだ。 しかるに今回の改造で大方の大臣が据え置きになったのはそれなり に評価できるのではないか。 そして何よりも党派を超え与謝野氏 を抜擢したのは政治は国民の為であるという前提に於いて大いに 評価すべきことではないかと思うのである。 財政改革、税制改革、社会保障制度などなど彼の主張は正当だと 思うし何よりも党利党略を超越してこの危機的状態に彼に与党と して参加して貰うのは国民が一番望むところではなかったのか? それはいろいろと誹謗中傷もあるだろう。 菅の延命策だとか、 与謝野氏は節操がないとか、そんなことは言わせておけばいい。 何よりも日本の政治がまともになるかどうかが問題なのである。 願わくばもう一人、舛添氏を厚労大臣にカムバックさせてもいい とさえ思った程だがこれは流石に党内の反発が強すぎだから遠慮 したのだろう。 兎も角もこの内閣は次の地方選挙でどうなるかに命運がかかって いると言われるし恐らく惨敗が予想されるからそれ迄の命だろう。 菅総理の頼りなさは言う迄もないし閣僚のメンバーも力不足である ことは言うを俟たない。 だからこそ ”掃き溜めに鶴” であろう 与謝野馨氏には何としても頑張ってもらいたいと思うのである。 蛇足であるが、国家公安委員長であった無能岡崎トミ子を掃きだした のはもう一つの救われた人事であった。 こんな者を二度と大臣など に担いではいけない。 国家の恥であった。
2011年01月15日
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キュウリは胡瓜と書く。 シナでは黄瓜とも当て字するらしい。 胡瓜は奈良時代に日本に入ってきた。 渡来当初は日本でも 胡瓜・黄瓜と両方使われたという。 何故なら戦国時代まで キュウリは黄色に熟れてから食べたらしいのである。 だから 黄瓜の方がキウリ(キュウリ)と読めて自然ではありませんか? しかし当時ポルトガルの宣教師が、”キュウリはヨーロッパでは 未熟の青いのを食べるのに日本では黄色くなってから食べている” とクビをひねっていたそうだ。 青いキュウリの方が水々しさを感じますね~ そして江戸時代になって初めて青いままで食するようになったと いう。 その証拠にキュウリは夏の季語になっているからである。 キュウリは胡瓜と書くが、この ”胡” という意味はシナでは ”夷狄(いてき)” のことを言うから胡瓜は ”外国の瓜” という 意味だったのだろうか? 今でも ”胡乱(うろん)” とかの語彙もあるが、疑わしいとか 確かでないとかいう意味だから ”胡” の語感の通りである。 また、胡錦濤(ウージンタオ)なる共産党のボスがいるけど彼の先祖は 西域の出なのかも知れない。 つまりシナの夷狄の出ということである。 飽くまで推測の域ではあるが・・・・・
2011年01月14日
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毎朝朝ドラで某局が ”てっぱん” というのをやっている。 面白いのは ”てっぱん踊り” が結構流行っているらしいがあれは 今までの朝ドラになかったことだ。 あの手のひらを上にしてひょこ ひょこ踊るのはカツブシを乗っけ時のカツブシの姿らしいけど一見 ユーモラスで親しみやすい。 お好み焼きとかタコ焼きなどの粉もんと言われる料理は関西独特の もののようであるが今は全国に行き渡ったのではないだろうか。 我が家でも子供の小さい頃は結構な頻度で夕食にして食べた。 電熱てっぱんの上で家族四人なら四つのお好み焼きを島の様にして 作る。 オレのもっと大きくとかマヨネーズもっと、ヨッシャ焼けた~ とかワイワイ言いながら食べるのは楽しいもんだ。 お好み焼きにも地域性があって上の写真は麺が入る広島焼きである。 それぞれ好きなものを入れたらいい。 ローカルカラーがあっていい。 我が家もどちらかと言うと広島焼きに近い。 出し汁に小麦粉、長いも、 を溶かしキャベツ、ネギ、乾燥小エビなどを入れる。 イカとかタコ、 牡蠣など入ってもいい。 何でも好きなものを放り込む。 タマゴを割って表面に押し広げる、そして麺を上に広げて乗せる。 最後に豚の三枚肉をその上に丁寧にこれも広げて乗せて具は終了。 あとは下部が焼けてきたらひっくり返す。 焼けたと思えばその上にお好みソース、マヨネーズをヌリヌリして 青のり、削り節をバラ撒いてハイ完成だ。 関西はソースの種類が多くてそれぞれの好みで選んで使うけどこの お好み焼きには、お〇ふくソースというブランドが結構有名である。 関西ではポン酢も種類が多い。 どうなんだろう、それだけ食べ物 に対するウンチクが多いということか? まあ、調味料も大手メーカーのナショナルブランドと地方のローカル ブランドがあっていいのだろう。 戦後しばらくの間地ビールという ものがなく大手の専売のようなものだったからキ〇ン、ア〇ヒ、サ〇 ポロしかなかった時代からすると今はサ〇トリーもあるしアチコチの 地ビールもたくさんあって嬉しい時代になっている。 初めてドイツに行った時、あっちは専売ではなく全部地ビールだから 街中のビアホールで飲んだビールの美味さに感激したのを覚えてる。 それにしても今の日本は何でも手に入るし好きなものを食べられるし その意味では隔世の感はある。 唯一、お粗末な政治を除いて!
2011年01月13日
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メデイアもインチキな資産公開など記事にすんなよバ~カ! だって普通預金とか家族名義の預金などは公開対象外なんだって。 おまけに罰則規定もなけりゃ~、一体何の為にあんなことやるの? 今回の資産ゼロの国会議員: 蓮 舫 (民主) 谷 亮子 ( ”) 有田 芳生 ( ”) 猪口 邦子 (自民) 佐藤 ゆかり ( ”) 三原 じゅん子( ”) 国民をナメてんじゃないの? 40も50にもなって貯金が1円もない なんて誰が信じるの? 早い話が余り沢山あっちゃ~そのカネどう したの? って疑われっから公開しないでいい普通預金とか家族名義 に書き換えてるってことじゃない。 何で普通預金は公開しないでいいの? 資産勘定でないとでも言うの? バッカバカしい、何が資産公開だっちゅの! アホらし、国民をナメ るのもいい加減にしいや。 ホント、メデイアもしっかりしてほしい。 この制度が出来たのは1992年というから小沢が自民党離党する前で 幹事長やってた頃と符合する。 政治資金規正法だって全てこのオヤジ だ。 このオヤジほど韜晦している人間はいない。 二言目には国民の 為とか口に出すけどこのオヤジ、何か国民の為になったことでもやった かい? 政治資金で10億の個人資産を作ったと疑われているくらいの カネの亡者だ。 小沢さんこそ次期総理の最有力候補だとか言ってカネで懐柔された 取り巻きがワアワア騒ぐが、日本の国防は米第七艦隊だけでいい等と ノーテンキなオッサンに総理などやらせたらどうなるの。 とんでも ハップンだ。 日教組をフトコロ刀にして教育の荒廃を放置し本来デフレ脱却を図る べしの経団連や日経連より組合を優先し、地方へは予算のバラマキで で首長を手なずけ土建屋からは税金を還流させて自分のフトコロに ナイナイし、一方外交ではシナにはペコペコするし領土問題などに も定見などありゃしない。 国連軍など作ってどうするつもり? 官僚やら取り巻きに書かせた1993年の 「日本改造計画」 には全く ダマされた。 書いたこととやってきたことがこれほどいい加減な 話はない。 天網恢々疎にして漏らさずである。 そのうち天罰が 下されるであろうことを信じたい。 毎回ドンちゃんについては同じ様なことを書くがこの国会議員の 資産公開もちゃんと逃げ道を考えた彼一流の国民へのダマしの制度 である。 こんな見え透いたお為ごかしを信じるほど国民はバカで はないことをそろそろ自覚しなけりゃならんのだが・・・・・ 評論家やメデイアが書き立てんことにはこんなザル制度は直らんべさ!
2011年01月12日
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♪酒~は~涙か~ため息か~、心の~憂さの~捨て~どころ~ 古いねぇ~、オッちゃんも! な~んて言われそう・・・・・ まあいいや、実際古いんだから・・・・・どうよ、朝っぱらから、 まだ夕べの酒が残ってるんじゃないの? いやいや、こう毎日寒くっちゃぁ夕飯どきにゃ熱いのを一ぺいか 二へいでもやらなくっちゃぁ~堪んねぇよ、って関東のヂーちゃん なんか言いそうだ。 君に勧む 金屈巵(きんくつし) 満酌 辞するを須(もち)いず 花発(ひら)いて風雨多し 人生別離足る 干武稜 (唐詩選四より) この金の把手のついた盃を勧めよう いっぱいに注いだこの酒を飲まないとは言わせないぞ 花も咲いたら雨風で散ってしまうように 今度いつ会えるかわからないのだから 要はなんだかんだ理屈をつけて酒を飲む口実をつくる話である。 酒にも祝い酒、別れ酒、やけ酒、迎え酒、寝酒に庄助さんの朝酒も ある。 酒はかくも人の一生に深く係わっているということだ。 筆者の亡父も酒好きで来客あらば母親に酒の仕度をさせた。 酒を 飲むと気が強くなる様な親父だったから旨い事酒でカムフラージュ していたのだろう。 まあ、弱い性格をカバーするのだから他人に 迷惑さえ掛けなければ仕方ないと思っていた。 でも飲むとグチャ グチャと文句を言ったり母親に当ったり酒癖はいい方ではなかった。 さて、その血を受け継いだ筆者も同じDNA。 気の弱さもまあまあ ちゃんと受け継いでいるようだ。 酒での失敗談は余りないが酒飲ん で怪我したことは数回かある。 階段を5~6段踏み外して転げ落ちた り何かに躓いて転んでメガネを割ったりしたこともあった。 干武稜さんの酒の詩を紹介したが酒といえば中国では李白だし日本 では若山牧水でしょう。 種田山頭火も酒好きだったし兎も角も 古今東西、酒は誰にとっても "water of life" 生命の水であった ことには間違いない。 こんな話を書いていると毎晩のように訪れた行きつけの一杯飲み屋が 恋しくなる。 ”お母ちゃん、熱燗たのむ~!” ”あいよ~” って!
2011年01月11日
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”ちょっと、アレとって”、 ”あの人、アレだわね” ”あのさ~、 これどう思う?”、 年齢を取ると具体的な名前を言わずに、”アレ” ”コレ”、”ソレ” を連発しませんか? それとか、ちょっと違うけど、筆者もよく使うが、言葉の下に、”~の 様な” とか、”~みたいな” とか、”といった感じで” などと付け 加えませんか? どうも主語と述語だけではきっぱり止めずに文章上つながりがいいし というので反省的に自分の文を後でみるとそんな言葉で溢れている。 英語でいうと、”like" に当るのかどうか分からんが兎に角多用する。 日本語を学ぶ外国人にしてもこういう言葉を覚えると便利だろうと思う。 ”私は犬が好きで・・・” という代わりに、”私は犬が好き、みたいで” の如く、何か軟らかくというか余韻を残すというか単に、”好き” と言う のに幅をもたせるような意味合いがある気がする。 会話としてみると 断定的でなくていい響きがあるのではないか。 ”曖昧さ” といってもいいかな~? ここまでの文章で、”~という” 言葉も筆者は慣用的に頻繁に使っている。 文章のクセとでもいうか。 言葉の使い方については作家の阿川弘之さんとか司馬遼太郎さんなど かなりうるさく指摘している。 ”ら抜き” もそうである。 正確を期す ことは大事であるが流行めいた意味もあって筆者もよくイレギュラーで 態と使う。 接続詞的に、”さりとて” とか、”やんぬるかな” とか、”のっけから” とか、”はてさて” のように文語であったり口語であったり日本語には 語彙の豊富さもあり文章を書く上には変化をつけられるし極めて便利だ。 それだけに外国人にとっては類を見ない難解な言語であるのは間違い なくてさぞ苦労するあろうと同情する。 皆様は如何でありましょうか?
2011年01月10日
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本で目が疲れるとテレビをつける。 お正月は駅伝とかサッカー、 ラグビー、アメフトなどのスポーツが多いからそれなりに楽しめる けど野球がないのはいかんせん淋しい。 ところで夜の番組になると過去の面白そうなフィルムを繋ぎ合わせ たような蔵出し番組の多いことったら! 不景気でテレビ局も経費 を使えないから新番組も制作できないし手抜きばっかりのようだ。 それと芸能人総出のヒナ壇型低俗番組。 同じ顔ぶれの漫才やら 落語家が好き勝手につまらん話題をペラペラしゃべるだけのもの。 同じ芸能人をサカナにして噂話で盛り上がる、愚劣極まりない。 一体どれだけの視聴者があんなグにもつかないものを見たいと思う ものか一度モニターにかけてみたらいい。 日本だけじゃないか? ああいうウイットも含蓄も何にもない空っぽの笑いを誘う番組は! 以前にも述べたが日本全国の素人が主役になるような番組の方が よっぽど素朴で笑いもあるしいいと思う。 ジェリー藤〇の ♪~知らない~町へ歩いてゆこう~どこか遠くへ~、 で始まる、N〇Kの、”遠くへ行こう” の番組とか、鶴〇の”家族 に乾杯” など地方の素朴な人達が主人公でほのぼのとして面白い。 それとか落語家のしゃもじ持ったお宅のごはんの番組とか関〇TV ”あんたがアン〇ー” の大阪の街頭でインタビューする部分とか、 T〇Sの、”ちちんぷ〇ぷい” でこれも街頭で若者とか学生に家へ 電話を掛けさせて、”今晩のごはん、な~に?” 電話に出た母親が ”お好み焼きぃ、ナニ~? 要らんてぇ? ほな食べんとき~” 大学生の息子が、”夕食はナニ~?” ”オデンやで~、えぇ~? ハンバーグ食べたいって? フ~ン、冷蔵庫にミンチあると思うし、 あれば作っといたるわ! こんな親子のやりとりがホンニ面白い。 また、繁華街でほろ酔いのオトーサンにインタビューすると、この オトーサン酔っているからついつい普段しゃべらないことでも口が すべっていろいろホンネを言ってしまう。 親近感溢れて秀逸だ。 TV東〇の、”田舎に泊まろう” も悪くない。 予め調べて仕掛 けている部分もあるが主人公が田舎の人達であるところがいい。 朴訥でギコチない田舎のオトーサンが出てくると何とも言えない。 そろそろTV業界も気がついていいと思うが関西なら吉〇興業に 安易に丸投げしたような番組は作らない方がいい。 第一子供の 教育上良くない。 余りにも中味がなくて低俗そのものである。 お笑いが関西の文化などとノタマウ人間がいるけどもっとお笑いの 質、クオリテイを考えるべきだ。 筆者は落語はまだ伝統を踏んで 古典落語などもあるしいいけど漫才だけはいかん。 いい若いもん がくだらんことをペラペラしゃべってアホ丸出しである。 漫才もエンタツアチャコの時代から秋田A助B助、ミスワカサ&島 ひろし、夢路いとし喜味こいし、中田ダイマルラケット、ミヤコ蝶々 南都雄二あたりの頃の漫才はまだよかった。 芸人として人生経験 豊富で何か重みがあり見ていて思わず笑いがこみ上げる様な説得力 があって面白かった。 まあ、気に入らなかったらTVなど見なければいいのだろうけど そうもいかんし偶に見るけど、見るたびにアホらしさが先にたつ。
2011年01月09日
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「マジっすかぁ~?」 「マジかよ~!」 「えっ、マジ~?」 兄ちゃんも姉ちゃんもやってる。 もう若者の間では慣用語だ。 多分彼らは四十になっても五十になってもその言葉を使うだろう。 ああ~、気持ち悪い。 そんな時代まで生きてないからいいけど! 言葉は伝染するのである。 若者の間ではそれを使わないと遅れて いるような気がして競って使うのだ。 但しエエシの子(しっかりした 家庭に育った子) は使うことに逡巡するだろう。 それがいい。 まあ、「マジ」 以外にいくらでも枚挙に暇のない程流行語というのが あってそれを若者文化と言うつもりはないけど日常茶飯の言語となり 拡がってゆく。 一方政治の世界でも言葉が伝染している。 例えば、「正に」 という 言葉である。 一説には羽田孜氏が絶頂の時によく使ったらしいが 今の前原大臣を初めよく聞く言葉の一つだ。 それと、「粛々(しゅくしゅく)」 という言葉。 これもよく使われる。 これは元総理の竹下登氏がよく使ったらしいが今は誰彼なく使う。 果たして分かって使っているかどうかは定かではない。 「粛々」 とは静粛とか厳粛とか粛然などに使われ、広辞苑によると、 ひっそり、おごそか、淡々、冷静、緊張した、張りつめた、などの 意味がある。 有名な詩吟、”鞭声粛粛ぅ~~~夜河を~~~渡る~~~” と高唱 放吟されてるように、この場合はムチの音をたてないで静かに、 という意味になる。 政治家の先生達が言う ”粛々” とはどんな意味で使ってるのかは わしゃ知らん。 大体、本など読んでる先生など極僅かのようだしぃ。 汗牛充棟は見せかけで読む暇がないなどと言い訳は聞きたくない。 凡そ学者先生やもの書きのそれとは比べようもないだろう。 もそっと本でも読んで様々な先人の考えに触発され徒党を組み群れ ることなく王道の意見を言える先生の出現を国民は渇望していると 思うが如何なもんじゃろか。 マンガかアニメが大好きの大先生もいたが、まあ甲論乙駁の不毛な 国会討論の後にはマンガでも読む方がリラックスしていいのかも 知れん故、固いことは言わん。 でも立場上、決して見っともいい 話じゃありませんよねぇ! グランパ3255さん
2011年01月08日
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筆者は道産子で23才までそこで育ったことは何回か書いたべさ。 だから北方領土については殊更関心を持つのは当然だべ。(北海道弁) 明治8年(1875年)日露間での千島・樺太交換条約によって今の 北方四島(択捉、色丹、歯舞、国後)を含む千島列島24島は全部 日本領だったのである。 日本国が連合軍に降伏したのはご存知の如く1945年8月15日である。 ところがその連合軍の一国であったソ連が終戦の決まった3日後に 千島列島の一番北の島、占守島に銃砲火とともに進攻してきたのだ。 ソ連はそれ以外にも満州、樺太にも進攻して最終65万人の日本人を 連行した。 そして満州・樺太などにあった日本の工場の設備機械 などを日本人捕虜を使って解体させソ連に向けて貨車に積み込んで 運び去ったのである。 それが終わると殆どの日本人捕虜をシベリア に送り込んで強制労働させたのである。 日本人捕虜のシベリアでの死亡者数は37万4千人もの数に上ると言わ れる。 正に極悪非道、世界史上例の無い無謀・野蛮な行為を行った。 1993年にボリス・りゅうでエリツイン・橋本竜太郎が初めて雪解け ムードになり、エリツインはソ連軍の非道行為を詫びたことがある。 然しプーチンに政権が替わってからはまた元の木阿弥状態。 露日の 間に領土問題はないに変わり今のメドベージェフは全く無関心である。 北海道ではロシア人をロスケと呼ぶ。 蔑称であるがロシアは北海道 が未だ蝦夷と呼ばれた頃から山賊・海賊まがいの行為ばかり仕掛けて きて人種的には欧米人と違って俗悪・非道の人間が多い。 人面獣心というと言いすぎかも知れぬが〇ーチンの顔つきを見れば むべなるかなだし英国で自国の記者を毒殺したり〇ーチン政権を批判 したりするとKGB出身の彼の権力によって知らぬ間にこの世から抹殺 されてしまう。 言ってみれば資本主義の皮を被った恐怖政治となんら 変わりない国である。 恐らく2012年には再びメドベージェフに代わり 〇ーチンが大統領に返り咲くのは間違いないだろう。 今日の新聞を見るとサハリン2の共同開発で味をしめたロシアはまた 日本の三井・三菱とベーリング海峡に近いヤマル半島の天然ガス開発を 持ち掛けているようだ。 政経分離と言えど日本政府もボウ~としてる 訳にいかんだろう。 しっかりせい! と言いたい。
2011年01月07日
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人間の皮膚にある毛孔ってどんな働きをするでしょうか? そうです。 あなたは賢い! 体温調節するのですなあ・・・・・ 暑けりゃ毛孔は開いて熱を出す。 寒けりゃ閉じて寒気を入れ ない。 これを人間の身体は意思とは関係なく自動的にやって いるのであります。 さて、毛孔が閉じた皮膚の表面はツルツルしています。 反対に 開いた状態ではクレーター状態で拡大するとガタガタの筈です。 何を言いたいのかというと、寒い国に住む人の皮膚はおしなべて ツルツルしています。 それに紫外線も少ないからして皮膚の色 も白くなります。 暑い国ではその反対になります。 例外もありますから、”おしなべて” と申し上げておきましょう。 色が白い、肌がツルツルの話は余談として放念するとしても・・・ 狭義の文化、文化の出入りもそれによく似たところがある。 外から家に帰ってくるとほっとします。 外国へ出掛ける人はよく 分かると思うけど日本に帰ってくるとホッとしませんか? それは家庭は自分達が作上げた文化、雰囲気があり日本は日本 独特の文化があり、言葉とか習慣、街並み、音楽などなど馴染み の雰囲気があるからでしょう。 そういうものに包まれるからです。 だから安心してホッとするのです。 海の魚が淡水に棲めない様に川の魚が海には棲めない様に馴染 ないところには住み難いのです。 文化とはそれにくるまれて安心 するものと言えるであろう。 胎児が羊水の中で保護されてる様に、 サナギが繭(マユ)にくるまれてるように。 以前も述べたが日本は外来文化を上手に咀嚼して日本流に焼直し 伝播させてきた。 日本流のおくるみにして・・・・・外来のものを どんどん取り入れ文化の種類を増やし質を向上させてきたのは偏に ヤマト民族のDNAの高さだろう。 文化とは、”おくるみ” である。 馴れ親しんで呼吸するのに無くて はならないものだろう。 長い歴史に亘って先人達が開拓し咀嚼し 変化させて私達の周りを豊かに住みよいものにしてくれたのです。 音楽でも文学でも伝統芸能でも宗教でも科学でもすべてが ”おくるみ” でそれが文化というものです。 そしてこれからも今の私達が子孫の為、 先人がそうしてくれた様な努力を続けることが義務でありましょう。
2011年01月06日
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正月早々からダマしたダマされた~という話が頻発している。 21000円のお節料理を半額にしま~す、とか言って500個の注文を 受け写真と似ても似つかぬ粗悪でスカスカの三段お重を送りつけて 大クレームを受けた通販業者。 2年前に倒産しているのに口上手く500人から更に35億円も集めて 放置したアーバ〇エス〇ートなる不動産屋。 日本では禁止されている臓器移植をシナで受けられますと甘言に乗 って1000万円も支払って渡航し2ヶ月待ったがその気配なく怒って 帰国し詐欺で訴えた人の話とか。 金額の大小はあれ被害者の身になれば深刻な問題には違いない。 けど、ダマされる方にもよくよく突き詰めてみれば軽率の謗りを免れ ない責任もあるのではないかい。 昔から、”安物買いのゼニ失い” などと言うし安かろう悪かろう、 安かろう危なかろうというのは通例である。 安心した買い物、特に 高額なものは信用の置ける売り先から購入すべしというのは当たり 前のことだ。 お節などは百貨店のものとか値の安いものならスーパーなど拠点の はっきりしているところから買うべきだし、高額の家などは上場会社 の名前があったり、そうでなかったら銀行などでよく聞いて調べて後 決断すべきものだろう。 そうでなかったらハイリスクハイリターン的に覚悟して行くかだ! でも大抵は社歴の浅い資本の頼りない小会社だろうから問題が 発生すればモロに被害を蒙るのはよくあることである。 甘言に乗らず、”君子危うきに近寄らず” が一番だ。 甘い話には ワナがある。 投資話などはその典型! 必ず儲かりますから・・・ 年に1割配当します、とか2割配当しますとか・・・そんな美味い話など ある筈はないのだ。 そんな美味い話があるなら大手の銀行や証券 会社がとっくに目をつけてやってる。 人間、欲と二人連れで、つい甘言に乗る時がある、くわばらくわばらだ! 友人、知己などから高額の借金を申し込まれることがある。 どうしても 義理と人情を果たしたい時は自分が工面できる範囲で返ってこなくても 仕方ないと納得した範囲の金額で貸すべきだ。 事業をやっているとサラリーマンでは想像もつかない大きな金額が不足 する場合がある。 それをモロに保証して、もし相手が破綻した場合は 自分の人生も家族を巻き込んで大変なことになるのだ。 かく言う筆者も若き頃そこそこの金額の保証人になり相手が破綻して 取立てに遭い裁判沙汰になった。 結局貸し方と保証人である筆者との 間で裁判所を挟んで弁護士の下示談が成立した。 サラリーマンの筆者 は爾来5年間給料天引きで支払ったことである。 苦い思い出である。
2011年01月05日
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正月からボ~っと芸能人総出のテレビ見てたら阿呆になるから その仲間入りはご免だし4~5年前からは年末に図書館から本を 5~6冊借り出して読んでいる。 その中の一冊、枕草子の解説書。 枕草子といえば、”春はあけぼの、やうやう白くなりゆくやまぎわ 少し明かりて紫だちたる雲の色いとをかし” の出だしは受験の時 覚えた。 徒然草、方丈記、平家物語、源氏物語、奥の細道なども冒頭で出し の文は今だに覚えている。 今考えると何の役にも立たないことだ けどもたまに試験に出たから仕方なかった。 それはいいとして、枕草子の第九十六段の中に、”無下に思い屈じ けり。 いとわろし。いひとぢめつることは、さてこそあらめ” とあって前段ははしょるが、”これはまたずいぶん自信のない言葉 だこと。 みっともないことですよ。 きっぱり言い切ったことは、 初志を貫くのがいいのですよ” という意味である。 ”いひとぢめつる” とは現代語で言えば ”言い閉じめる” と でも書くのだろうか。 これを読んでいてハハ~ンと思うのである。 枕草子といえば平安 時代中期の996年ほどだから今から1000年以上も前のことだ。 そんな時から、”一旦口に出したら実行すべし!” と警告を発して 啓蒙していたのである。 一般社会では家庭でも学校でもウソ言っては叱られるし誰からも信用 されなくなるから言わないのが普通である。 誰しも狼少年になりたく ないからウソは禁物だ。 ところが日本では最もウソをついてはいけない政治分野で、しかも 政権の中枢で頻繁に繰り返され公然となっているのは如何なものか! ”綸言汗の如し” などなんのその。 平気の平左で撤回している。 欧米などでは即座に辞職だろうに! 言葉が非常に軽いものになっている。 よ~く考えて、根回しして それから初めて口に出すべきではないのか。 寡黙でいい。 ア~、 ウ~言葉少なにしゃべったかつての総理はウソなどつかなかった。 ウソをついたら針千本飲ましなさい。 それがいやなら閻魔様に舌を 抜いてもらいなさい。 こんな人達の子供や孫はどう思っているのだ ろうか。 みんなしてウソのつき合いをしてるのだろうか。 前の総理も、今の総理も、一兵卒でもエラそうにしているご仁も!
2011年01月04日
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これまで ”一見上品風ヂー” などの表現で何回かこの日記に 書いてきた。 ”一見” というのがミソで本当は正直に告白すると 決して上品とは言えないかも知れぬ。 唯、外見は余りキョロキョロすることなくおっとりして立居振舞いも そないに下品ではないし中品から上品の間ではあるまいか?? よく、”雰囲気がいい人” と表現される人がいる。 これは持って 生まれた氏育ちが大部分を決する。 イカンともし難い。 脱帽して 絶望する。 それこそ立居振舞い言葉つきなど全てに品が漂うのだ。 それ以外の者達は後天的に努力奮励により少しでもそれに近づける かどうかにかかる。 いい映画を観たり、いい絵画を見たり、いい音楽 を聴いたり一流のものに触れることである。 いいレストランに一人で 行き食事するのもいい。 優れた人と会話をする。 本を読むことなど も勿論大切だ、内面的に知識が豊富だと考え方もしっかりするから 態度にも自信めいたものが表れて余裕が出てくる。 そして出来るだけ阿呆とか下品なものには近づかんことである。 朱に 交われば赤くなるのだから然るべき場からは黙って離れることである。 驕った態度もいけないし逆にオドオドしてもダメである。 自然に品が 態度に顕れるのでなくてはいけない。 メモなど見ながら人としゃべる なんて言語道断だ。 さてそうして見てゆくと政界では麻生太郎、安倍晋三などには坊ちゃん 的な品の良さが窺えたし今の菅直人にはその片鱗も感じられないのは 氏・育ちの差かとも思う。 尤も氏育ちがいいからと言うのといい政治ができるというのは必要且つ 十分条件では勿論ない。 でもどっちもダメというのは救い難い。 功なり名を遂げた人には品を伴うケースが多い。 そしてその子孫一家 は自然に品が身につくもののように見える。 ゆとりの所為だろうか。 ここで昔に返るが昔は貧乏な武士の一家でも品はあったのだ。 つまり それは価値観の持ち様だったのである。 どうであろうか、品のいい諸兄姉?
2011年01月03日
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伊射奈岐神社に新年初詣に行ってきました。 満員、満員、超満員! 参道の入り口から本殿の階段三十段含めずらずらっと長蛇の列。 五百人は優に越す。 左右が屋台、たこ焼き、から揚げ、お好み焼き、 リンゴ飴、射的屋まで大繁盛! ハ~イ、ラッシャイ~だ。 神仏混交、八百万の神、何でもよし。 日本人はマジメなんです。 神社は願い事しちゃいかん、とか言うけど関係なし。 合格祈願、 結婚良縁祈願、我が子の健かな成長祈願、安産祈願、就職祈願、 祈願だらけである。 困った時の神頼みだ。 いいんじゃないの、 それで満足してご利益を期待するんだから・・・神社も儲かるし。 かくして皆々一年の出発である。 経済不況と言いながら日本人 のフトコロには1500兆円が貯めこんであると言われている。 だから国が900兆円もの借金をしていても平気なんだって! そうかいな? それこそそれは他人のフトコロをアテにするって ことじゃないのかなぁ~! ”隗より始めよ” で政府自らが姿勢を 正さなければいけないんじゃないの? ”赤信号みんなで渡れば恐くない” 式で誰も責任を取るような予算 なんか考えないのは一体どんな神経なんだろう? また今年も44兆円 超の国債発行だよ。 民主党が公約していた公務員給与の20%削減 やれば7兆円ほど少なくなるし、小さな政府を目指して要らん天下り 先などムダなものを廃して暫くはしゃがんでみたらどうなん? あれこれ遠吠えのように言っても詮無いけどホント原理原則に立帰る べきだと思うんだががどうなん? それに何よりいかんのは現政府だよね。 ホンニどないもならんちゅう 感じだ。 菅が早々にシナに行くとか計画してるらしいけどまたぞろ ウージンタオの前でメモ読むのかねぇ~? たまらんね~、想像する だに恥ずかしい! 小沢だって去年一月じゃなかったの、民主党議員 140人連れ北京にペコペコしに行ったのは? 日本人の誇りはどこに やったんだ? アホクサ~! どうせ冒頭から国会は混乱するに決まってる。 この際救国内閣でも 与野党で作らにゃどうにもならんべさ。 菅になどこの国を任せること などムリなんだから早々に打開案を考える必要がある。 解散総選挙が 一番いいけど、あと二年半民主党は政権にしがみついて離れんだろうし ねえ~、困ったもんだよ。 小沢などは論外!
2011年01月02日
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春 風 満 帆 新しき年が明けました。 さあ、旅立ちの日です。 皆様がこの一年いい旅ができますことを信じて 新春の盃を上げたいと思います。 ”乾杯!” 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 2011年 元旦
2011年01月01日
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