草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2017年03月10日
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第 二百三十四 回 目


 ドラマには世界中、古今東西にわたって様々な名作・傑作があります。その名場面や、さわりの

ハイライトだけを集めても、見所の多い、素晴らしい舞台・パフォーマンスが期待できます。想像

出来ますね。それに加えて、私を始め、これから人材育成する予定の、有能なる若手の作者の手に

なる色々な特色ある期待作が、続々と誕生してレパートリーを追加してくれるであるましょう。ですから、

芝居用の台本・読本には事欠きません。後は、読み手・演じ手・エンターテイナーの問題だけです

が、これも私・草加の爺の構想では、ノープロブレム、心配は少しも無いわけであります、実際

上は。

 読み手・演者・パフォーマーは上手である必要など、さらさら無い。誤解を恐れずに言えば、下手



ナレーターである要請は、何処からも出てこないから。ただ、自然であれば良い。その人の人柄や

心の優しさがナチュラルに流露する、語り口であれば、最高なのですから。

 ですから、誰でもよい。人を選ばないことになる。ただ一つ必要なのは、人として大切な、温か

な心を持つこと。更に言えば、自分と語り掛ける相手に対して、正直な気持になる事。唯、それだけの

事にしか過ぎない。野辺地に生まれ、土地の方言が喋れれば、資格は十分だというわけは、そう言う

ことなのですよ、難しくは無い。

 しかしながら、将来プロとして客の為にエンターテインメントを提供するためには、それなりの

訓練や修練が必要です。自分自身の未開発な可能性を、最高度に発揮する目的の。それは、時に

厳しく、峻厳を極めるかも知れません。人生を生きるとは、どの様に生きようと、そう言う事を

意味しているのですから……、ただそれだけの話にしか過ぎないのです、実際に。

 目下のところ私は、毎日曜日に牛久通いをしています。ええ、新横綱・稀勢の里の出身地である、



リハビリの為に長期入院を余儀なくされているからであります。

 人間とは、何と悲しい、無力な存在でありましょうか…。人のために何かをする、と言ったところで

肝心な事は何一つ出来ない。出来はしない。今度の場合にも、私に出来る事といえば、見舞いにベッド

サイドに行き、役にも立たない無駄話をするだけ。自分では自由にならなくなってしまった姉の

右半身。僅かに自由に動かせる左の手で、姉は話をしながらも、右手をマッサージし続けている。



 昨年の十一月に脳溢血で倒れるまでは、風邪一つひいたことがないと、健康を誇ってきた姉。

当初は、自分の病状をもっと軽く考えていた。先日、姉はそう言って実に悲しげな表情を、浮かべ

ました。病院でリハビリを継続しさえすれば、元の健康な状態に復帰できる。そう信じていた。

ところが、時間の経過と共に、そうではないことが次第に分かってきた。

 「愛子さん、神様が守ってくださるから…」と、私には他に言うべき言葉が見つからなかった。聞き

様によっては、実に無責任な、何と病人の気持にそぐわない、空々しい、そして空虚な言葉と感じ

られるでしょう。しかし、今の私に最大限できることは、姉に励ましの、勞りのエールを送ることだけ。

 翻って考えてみれば、野辺地の 町おこし についても同様のことが、言えるのではないか。

「神様が守ってくださっている」と。そして、この場合には「実質」が伴っている。私は、その

使命を担ってこの世に誕生し、馬門の地に祀られた小さなお社・熊野神社の神様から遣わされた、

悦子と出会い、結婚し、そのための修行を積み、今その準備の仕上げに取り掛かっている。

 その間に、全ては当事者である私にも、勿論、悦子にも神意は知らされない儘で、事が運ばれ、

悦子の肉体の天国への旅立ちと同時に、目からウロコが落ちた如くに、私は様々な声なき啓示の

連続に依って確信と、自覚を強め、深め、現在では揺るぎのない信仰へと、定着して居ります、はい。

 神は、我々凡夫の考えが及ばない、神に特有の深謀遠慮によって謀を巡らし、万事を宰領されて

いらっしゃる。我々人間に出来る事、可能なこと、許されている事は、神の十全な 善意と恩恵 を

信じること。全幅の信頼を置くこと。それのみ…。

 常に現時点でのベストを尽くすべく、努力を惜しまない。それこそが私たちに出来る、最良の

生き方に繋がる。幸福を確実に手元に引き寄せる。そう、私は生徒たちに指導しています。言葉と

いうものはブーメランの如くに、誰かに投げかけた筈なのに、ぐるりとばかり反転して、又自分の

所に、言葉を発した人間に戻って来る。私の場合にも、その例に漏れず、大きく、困難と思える

難事業に挑戦する際にも、有効であります。つまり、私は余計な事になど気を使わずに、その時点での

最善と思われる事柄に、ベストを、最大の努力を傾注するように、努めればよい。

 結果は、自ずから付いて来る。そう信じて…、また、そう信じて事に当たるしか、他に方法がない。

「結果ではない、プロセスこそが大事なのだ」と、これも又、私が口癖のごとくに子供達、中高生たち

に力説している。この言葉も、今私にとって頼りになる、つっかい棒・支えの役割を果たしてくれようと

している。斯くの如くに、神様は、あらゆる局面でこの私・草加の爺めに向かって、声援を送り続けて

下さっている。やるっきゃないでしょう、此処まできたからには! ざっと、こんな心境でいる

今日この頃でありますよ。





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最終更新日  2017年03月10日 07時46分13秒
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