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本陣の上下残りなく、下宿の諸侍、隣町、隣家の旅籠屋共が棒乳切り木(両端を太く、中をやや細く削った棒、人を打つのにしなって当たりが強い)を手にし駆けつけ、海道の真ん中に乗物を舁き据えて、高張提灯を掲げて辺りを厳しく取り巻いた。当番が下知して、小僧風情を相手にして仰山であろう、それ引き出せ畏まったと荒子(あらしこ、武家の中間・小者の中で、主に力仕事・炊事などの雑用をする最も卑しい者)共が戸を開けて、さあ、出ませいと小腕を取って引き出す。これ旦那殿、盗んだ金は返しますと、きょろりとしているのだ。年齢と言い仕草と言い、どう見ても幼稚に過ぎるぞ、きゃつばかりではあるまい、同類を探せ、詮索しよう、馬差し(宿駅で駄馬や人足の割り当てや出入りなどの指図をする役人)はいないか、当宿泊まった馬子共を残らず召し寄せよ、あい、と答えて直様に触れ回り、皆々を一所に相詰める。 八蔵も大酒を飲んで宵から関に宿泊していたが、盗みをしやがる奴はどいつだ、いやあ、こまっしゃくれた自然薯めか、貴様ならいかにも満足な死に方はしない奴だと、常に言っていたが違わなかったぞ、馬方仲間の恥晒し、ええ、磔柱で往生する奴だ、背骨をどうと踏みつけた。俯けにかっぱと伏せ、額を石に擦り付けて破り、血は紅に流れたり。無念な、貴様が踏んだのか、手足の骨をもいでくれようか、と立ち上がれば引き据え、引き据えして、そこな馬子めも慮外者、武士の前にて脛三昧で無闇に手足を動かしおってと散々に叱られる。ええ、彼奴に踏まれたのか、下々の刀でさえ斬られまいと思うのに、これこのように、臑(すね)にかけて此のように顔に疵をつけてくれたな、首が飛んだらおのれの面に喰らいついてやろうぞ、とはったと睨む目の中に、無念の涙をはらはらと思い込んだ腹立ちの、幼心の念力はぞっと身の毛も立ちにけり。 母のお乳の人が聞きつけて、駆け出てみれば大勢に取り囲まれている我が子の体、あっとばかりに腰も抜け、呆れて泣くより他はないのである。人々に悟られては今まで包み隠した甲斐もない、お姫様の乳兄弟が馬子をして、盗みをして人から言われるのも口惜しく、不憫さ、憎さ、やい、そちは国から目をかけて情を加えた甲斐もない、さもしいことを仕出かしたな、ちゃんとした血筋を受けているとも見受けるが、やっぱり育ちは争えない、その賎しい心根だからこそ親々も知っても知らぬ顔、見ても見ないふりして、その様な馬方に成り果てたのじゃ、私も子が有り覚えがある、親の心は皆同じもの、もしも母などが聞きつけても我が子の命を助けようとして火水の底に沈みもしようが、この場には助けに出られはしない。見殺しにするようではあるが、心の内で神仏に命乞いしてお祈りをして藻掻くぞや。まだそれほどの年でもないのに、自分から恐ろしい悪事を働くこともないだろう、父親が貧しくてお前に命じて盗みをしたのか、もしくは人から頼まれたのか、言い訳があればしてくれないか、母の心を推量してくれないか。今度の旅の初めから馴染みができ、馴染みを重ねたという関係もある、何とか命は助けたい、姫様のお名を思わなければ、このお乳が生んだ子で、姫様の乳兄弟だと言ってなりして助けたいが、どうなりと、こうなりと言い譯が有るのならばしてくれ、と魂の底心の底から肝から出ずる憂き涙、当番吟味の人々よ、どうか推量してくだされないか、心遣い目遣いを、それとも知らないのは是非もない。 三吉も母の顔を見上げ、見下ろして涙に咽せていたのだが、申し、お乳様、さもしい盗み致しても馬方のしたことであるから誰も恥ずかしいとは存ぜねども、あなた様お一人に対しては恥ずかしいことです。父(とっ)様の為かとは恨めしい仰せです、父様がいるほどなれば馬追いを致さないが、有り所を知らないので顔も見ていない、又、母(かか)様も持っているが女子の身の不甲斐なさ、武家奉公の頼りなさは今でも他人同然、たとえ言い訳を立てたからと言っても、盗人の名を取り、見苦しい目に遭っては父様に顔を向けられない、早く殺して貰いたい、そのように仰言られて可愛がって下さる程どうやら心が狼狽えて、決心が鈍り、死にたくない気分になりそうですよ、奥に入って下されい、もう顔を見せてくださるな、と両袖を目に当てて泣沈む。その利発さに母は更に心が暗く沈み、お前の命はお乳が貰った、私の責任で三吉を貰い受けましょう、助けてくだされ侍衆と、わっと泣き伏し声を上げ人の推量や思惑を忘れ果ててしまい泣いているのだ。 家老の本田が奥から出て来て、事情は具(つぶさ)に承った、盗まれた物は出てきている、旅先のことでは有り三吉は他領の者である。これほどの小事は裁きにかけるまでもない、お助けなされる、立ち帰れよと引き立てれば三吉は、この恥をかいて助けられ、どうして生きていられようか、もし慈悲心が有るのなら斬ってもらいましょうと、更に座を占めて立ち上がろうとしない。 ええ、小癪な、軽い罪状であるのに成敗しろとは、古今の掟にはないことだ、立って失せろと怒鳴られる。むむ、このぶんでは結局命は助かるのだな、よしわかった、とつっと立ち上がり、こりゃ八蔵、おのれはよくも俺を踏んで面に疵をつけたな、元来わしは武士の子だ、人に踏まれては生きてはいないぞ、覚えておけよと言う言葉を言い切らないのに、傍にいた中間の脇差をひらりと抜き、八蔵の首を撃ち落とした早業はさながら瞬く間の稲妻の如くである。 すわ、人殺しだ、と取って伏せ、もうこの上は料簡はしないぞ、罪人を縛る正式な縄の縛り方で三吉を縛り上げて宿の庄屋に預けおく。いずれ当方からも役人をつけて当地の代官所に引き渡そう。さあ、立ち上がれと引っ立てれば、母は性根もなく泣き入りて、前後知らずに乱れる。しかし気を取り直して、このお目出度い道中で縄付きの罪人の姿などは見たくもない、と人からは誘われて力なく見返り見返りしながら奥に入る。 子はまた母を見送って顔うなだれて目を塞ぎ、声をも立てずに嘆いていたが、むむ、これで本望だ、本望だ、悪名を取って人からは踏まれ、助けられても生きてはいない、一人死ぬよりも人を切れば行きがけの駄賃だぞ、問屋に馬を引いていく途中で他から頼まれて運ぶ駄賃はそっくり馬子の儲けになる、父(とっ)様も母(かか)様もみな一度は死ぬものだ、来世でゆっくりと会うまでのことだ、俺も誰もあの世から来てまたあの世に帰るまでのことさ、戻り馬だが乗らないかほてっぱらめ、と未練げのない覚悟のほどは、武士としても恥ずかしからぬ。惜しいやつだと涙ぐみ、引いて帰れば本陣は火の用心の声ばかりである。辺はしんと静まりかえっている。 與作は取沙汰を聞くと我が身に科をひきうけようと駆けつけて見たけれども、既に事件も落着して静寂である。本陣は門が閉まり周囲も静まり返っている。小萬が待ちかねて格子戸を叩くので走りより、どうじゃ、どうじゃ、為損なった様子ですね、ああ、仕損じたどころの話ではないぞ、私しゃ此処から覗いていたが八蔵まで殺したのはみな私らの身代わりにしたこと、明日の日中に斬られるそうですよ、可哀想な事になりましたね、と泣きながら囁けば、南無阿彌陀仏、南無阿彌陀仏、それはみんな我々が殺したのだ、考えてみれば我々はよくよくの悪人だ、と互いに顔を見合わせて泣くのだった。 ねえ、三吉より一時も遅れて死ぬのは済まぬと思うが、こなさんはどう思いますか、むむ、その覚悟が決まったならもうそれで安心だ、満足したぞ、宵からそうは思っていたが、親仁(おやじ)の難儀を見捨てては死なぬ気であろうかと口には出さずに腹の中に納めていた。心残りはないだろうか、はて、こう左縄になって何もかもが食い違い、不首尾になっていくからには、父様(とさま)のことも埓があきません、もじゃもじゃ言えば折角固めた覚悟がぐらつく、他の事は置いてさあ早く、此処から出たいのです、おお、嬉しい、嬉しい、裏の軒に繋いだ馬を人手に渡しては主たる人への不調法だ、死に場所には馬も引いていこうではないか、その間に体が間を擦りぬけるくらい竹格子を引き離してみてごらん、此処も小よしが色男と密会しようとの悪戯心から、ちょっと押せば離れますよ、ああ、ああ、小よしにとっては逢引する夜の楽しい通い口の窓、最後が近づく我々二人にとっては冥途へ通う鉄の門、と嘆きの詞を繰り返し、繰り返し、馬を引き出し、預けておいた脇差はそこに抜かりはないぞ私(わし)の腰に差している、えらい、それならば、この馬の鞍を踏んでそっと降りなさいよ、ああ、危ないぞ、怪我をするなよ、庇われる身も庇う身も果てる二十日の月、その月ではないが月毛(葦毛のやや赤みを帯びた毛並の馬)の駒、の尾髪乱れて置く露に袖の涙を争いし。 ひらりと飛び降り、一町(百メートル強)ばかり足早に立ち退き、海道はとかく人の往来が激しくて人目に立つから伊勢路に入ってから死ぬことにしよう。ああ、それについて考えがありまする、お待ちなさい、三吉が預けた守り袋はいかなる神の御札やら、私の懐にも太神宮の守りお祓い、汚すのは後生の障りとなるでしょう、関の地蔵堂へ納めましょう、おお、よく気がついた、と取り出す。浮線綾(模様を浮き彫りにした綾錦)に紅梅の裏、袋を開き月影に透かして読んでみれば、正一位小原太神宮、丹波の国の住人伊達の與作の一子與之介息災延命と書かれているではないか。 南無三宝、さては三歳の時に別れたる我が子の與之介だったのか、我を親とは知らなかったが與作という名を大切に、慕っていたものを気もつかずに盗みをさせて処刑に遭わさせる、手を出して我が子の首を切ったのも同然だ、と呟き尻餅を突いて足で地を打つ。大声を上げて男泣きする。 女も共に涙にくれて、不幸者とも悪人ともよくもよくも罪業を重ねたことですね。その二人が死のうと気がついたのはまだしも冥加が尽きていない証拠です、何のかのとしばらくでもこの世に留まっているのは罪が重くなるだけです、さあ、ござれ、おお、そうじゃ、と立とうとするのだが腰が言うことをきかない。残念だが腰が抜けてしまったぞ、ええ、気の弱いことと引き立てようとするが膝が折れる、相手を抱き上げても腰折れの三十一歳での憂き思い、最後は伊勢路と決めた、育ちは近江で、生まれは丹波で名産の栗、その栗毛の馬ではないが、連れて来た芦毛馬に夫を抱き抱えてようやく乗せて、妻が口を取る、はいどうどう、今こそ六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を次伝馬する途中で三途の川をうち跨いで昔の小唄、坂はてるてる、鈴鹿は曇る、に引換えて間(あい)の土山死出の山、冥途への旅路、通し馬、辿るや夢の……。 下 之 巻 與作小まん夢路の駒 與作は丹波の馬追なれど、今は野末の放駒じゃぞ、しゃんとしなさいな、與作、與作思えば照る日も曇る、関の小まんの涙雨じゃぞ、しゃんとせよ、與作、與作、與作と呼び、呼ばれつる、稲負い鳥・鶺鴒(セキレイ、男女に夫婦の営みを教えたとする伝説がある)も音を潜めている、野辺のかるかや、軒端の荻、二人の死後にも馬が秣に困らないように草を刈り残す、草も我が身もこの暁は、共に枯野の轡虫、與作は馬上に小まんは口取り最後の旅、坂の下までやって来た。 のう、あれ、明け方早くに急ぐ乗り掛け馬も、泊まりは知れて四日市、我らは泊まりもなく七七日、中有の旅の馬は屠所に牽かれる羊の如し、歩め、しいしい、ああ、しぶとい口を引けどしゃくれど行きかねる、畜生ながらに性があるので、最後を惜しむ綱すくみであろうか、私(わし)は十二で人を呼び初めて今年で二十一です、まる九年、泊めた旅人は何万人であろうか、関の一宿は狭いけれども、男や女に何人もの親しんだ者もあるにはあるが、それも当座の交わりで、今は馬より他は見舞ってくれる人もない。お前は私(わし)のために泣いてくれるのか、優しいな、と鞍にひれ伏してはらはらと袖には涙、梢には木の実がこぼれる椋本(むくもと)や、契り染めたのは三年前、抜け参宮の道ずれで、そなたは櫛田の真ん中程で、深き思いをやれ、紫帽子、本気で口説いたその真実が、関の地蔵を誓いにかけて恋の重荷の馬追うとても足も軽々、心も広き豊国野とこそ楽しんだ。
2024年11月28日
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小萬は両手を合わせて、忝なく存じます、早くに言って下されば恨まないで済むものを、堪忍して下さんせ、父(とつ)様の訴訟事も、夏の着物などを売り、朋輩にも無心して百三十匁を調え、あと少し足りないところは賃麻も大分に績み貯めましたよ、これをご覧なさいな、と麻小笥(をごけ)から銀を取り出して、父様の命乞いだけはこれで間に合います、落ち着いて下さいな、日が暮れてから大分経つ、よもや八も来ないでしょう、泊り客はないので私は暇です、馬は向こうに繋いで、中の間で休んでい行きなさいな、お互いの気の憂さを晴らしましょうと、草鞋の紐を解いているところに石部の八蔵がきょろきょろと目を光らせながらやってきたのだが、やあ、與作か、人の馬を断りもなしに、美濃路まで隠れもない米糠よりも目が荒いので有名な乾いた麦糠と異名を取っている八蔵様、目が荒くてどんなことでも見逃さないぞ、それを忘れたか。十六貫を踏み倒す気かい、この性悪掏摸目、と言いながら馬の綱を解く手に飛びかかり、捩じ上げて、こりゃやい、貴様が乾糠の八蔵ならこの俺は丹波與作じゃぞ、銀二百匁の抵当に五百目の馬が欲しいのか、遣ったら機嫌がよかろうな、三百目の釣りを持って来い、五十三次に汁を掛けて噛みこなす與作だぞ、よしゃあがれ馬鹿野郎め、畜生め、と振りちぎる。やい、一人前な男の口をきくのじゃないよ、男が立てたければ銭を済ましてからにしてくれ、腕ずくで勝負ならばさあ来い、ぶってかかれば小萬が飛びつき、ねえ八蔵殿、あなたは物の道理が分かった方なはずですが、らしくもないですよ、そちらもこちらも親方持ち、馬をやってよかろうか、取って貰ってあなたが褒められますか、そのように喧嘩腰で声高に言わなくとも、お互いに堪忍するのがよいではありませんか、情けがありませんよと言って泣き出したので、やい、此処な引き裂かれ女め、その涙は與作に泣いているのだな、俺は忝ないわいや、本来ならば銭を取るところを代わりに馬を取ってやるのがこっちのぎりぎりの堪忍なのだ、いや、それはなりませんよ、この門に繋いだ馬はこの小萬が許しませんよ、この関の小萬が許しませんよ、いやいや、この死にぞこないの女郎め、ふんばり女め、竹の鞭でも喰らえ、おお、女を相手に乱暴狼藉を働くならやりなさいよ、やあ、し損なうものか、と言って鞭をもってはっしと打(ぶ)つ。与作は小萬を押しのけて、あれは余所の奉公人だぞ、なぜ鞭など喰らわしたのだ、おお、貴様の女房だから喰らわしたのだ、むむ、よくも喰らわしたな、それでは女房殿の返礼にと拳を固めて目と鼻の間めがけて、欠けてしまえとばかりに強打した。向かってこい、やるならやろう、互いに頭上の髷を取り合って投げたり、投げられたり。ぶったりぶたれたり。激しく掴み合う。誠に馬子同士の喧嘩ということで、馬が踏み合う様な有様だ。 八蔵は力ばかり、與作は相撲や柔などの心得が有る者、摺り違いに小腕を取り、ふくらはぎを蹴返したりこりゃあと叫んで取って投げる。門柱に腰骨を打ち付けて、よろめきながらも相手を睨みつけて、どう掏摸め、覚えておけよ、宿次の伝馬宿や馬指し親方に言いつけて、海道一円のどこに行こうとも飯の食い上げという目に合わせて、乞食の身に追い落としてやろう。身を捩じ振り虚勢をはって立ち帰る。 小萬が追いつき、これ八蔵殿、お上の御用を勤める公用馬方が馬差し問屋で断られて何処で暮らしを立てられましょうか、この小萬が両手を合わせて拝んでお願いいたします、男は心をいつもさっぱりとさせているもの、いつまでも根に持たないで下さいな。ここはひとつ堪忍して下さいませ、と詫びれば相手はなお付け上がって、十六貫という銭を貸して、その上に投げ飛ばされて、勘弁したならばそっちは良いだろうが俺が悪い、気が済まないぞ、與作めの博徒打ち盗人と此処の門から喚いて行ってやるぞ。のう、これこれ、此処に百三十匁、命に代える銀ではあるが男の為です、惜しくはありませんよ、これで済ませてくださいなと取り出したのを引ったくり、必ず跡も済ませろよと、銭の値段はどうしようか、はあて、そこらは構わないぞ、そなたの勝手にしてたもれ、と言う。そんならこれで十貫分にしておこう、銭の一貫文を銀の十三匁に換算しておこう、と木綿の巾着に捩じ込んで帰るのだった。 小萬は小首を傾げて溜息ついて立ち戻り、先の銀を渡したのでやっとのことで行かせることができましたよ、ああいう人との付き合いは重ねて止めていただきたい、と呟けば、與作は肝を潰して、あの金を渡してしまったて構わない筈はない、取り返そうと立ち上がるのを、こりゃ待ちなさいな、他人に物を借りながらそのままでいてよいはずがありません。昔と違って今日では道中一体で吟味が厳しく、馬借(ばしゃく、宿駅で人馬の指図をする役人)や問屋(といや、宿次の伝馬宿)に断られたりして悪名が立ったりしたら忽ちにだめになって、何処へも出入りが出来なくなります。そしたら自然に会うことも出来なくなり、万一にもお国の旧主家に評判が聞こえたりしたらその恥辱は二度とは取り返しがつかないでしょうよ。父様の未進の件は言い延べるだけ延ばして、叶わなかった時は代わりに私が水牢に入る覚悟です。差し当たっての男の難儀を救えばわしの本望です、と言うのだが與作は聞き入れず、馬方風情に何で恥辱があるか、お前がこうして苦労を重ねているのもみんな親の為ではないか。その金をどうして遣れるものか、と駆け出したのだが、南無三宝、こりゃダメだわい、困ったぞ、この宿白子屋の主人の左次殿が何事が起きたのやら問屋の五人組中が連れ立って、それそこへ戻って来られるぞ、何のかのと言われてはやかましいぞ、ちょっとそこへ隠れて会いたくないぞ、馬も何処かに引いてくれと隣の店の幕の陰に乗り物があったのを幸いに戸を開けて片足を踏み込むと、内側から、あ痛、あ、痛い、横腹を踏み腐ったぞ、何者だと小丁稚が大欠伸びしながらひょいと姿を現した。 やあ、石部の自然薯か、與作殿ではないか、そちは此処で何をしているのです、俺は江戸までの通しの馬を追って本陣(宿駅で大名などが泊まる宿屋)に泊まるのだが、夕飯過ぎから眠たくなって此処でぐっとやったのだが、お前様は一体どうしたのじゃ、いや、気遣いしないでくれ、隣の旦那に会いたくないのでここ隠してくれと言えば、三吉は辺りを透かして見て、そこにいるのは小萬か、ええ、うまいな、うまいな、俺は前から二人の仲を知っているぞ、外の人ならだめだが與作という名で愛しい、與作の事なら後には引かない、良いとも隠しやろう、さあ入りなさいよ、と與作と三吉が膝を押しあった志、事情を深くは知らないけれども親への孝行の念が通じての行為が哀れでもある。 程もなく亭主は門口から、内外の者たち皆起きよ、問屋殿庄屋殿組中の前員いらっしゃったぞ、嬶(かか)起きて出て来い、出て来い、と喚く声で出女(私娼の一種で、各地の宿駅の旅籠にいて客を引く女であるが売春もした)ども、主婦と一緒に表に出て来た 庄屋や問屋が口を揃えて、御内儀、お聞きなさいな、今日の寄り合いはここの小萬について代官所からのお差し紙(代官所からの日を決めての呼び出し状)で、小萬の父親の横田の彦兵衛は四年この方二石二斗の御未進であり、水牢に入れられたが小萬が請負い願ったので出牢を仰せ付けられた。宿駅の係り役人の責任としてきっと取り立てて収め参らせるようにとのお達しじゃ、則ち、小萬はお預けじゃぞ、よく聞きなさいよと言い渡した。 小萬は俯いて涙ぐむ。女房も驚いて、本当に困ったことを仕出かしおって、主人に厄介をかけることじゃな、と言えば亭主は尖った声で、何が主の厄介だ、わしは一文の損も引きうけないぞ、上り下りの旅人衆も関の小萬と言う名を愛でて、百やる人も二百やる、一匁の貰いも鴎尻(かもめじり、水上のカモメの尾が跳ね上がっているように天秤竿の端がはねがるほどに目方をたっぷりと取ること)に取おるよ、百目や二両は半年にも貯まるだろうが、與作と言う博徒打ちの盗人めに有りっ丈の財産をつぎ込んで、夏の物は半がい(着物を入れる葛籠の一種)に襦袢が一枚あるかないか、與作への掛売金が相当にあるぞ、みんな自分で請け負っているのだ、帳面に記した與作への掛売りは一食付きの泊まりが六回分、酒が四升五合に盛切り十文の一膳飯が七十杯、芋と鯨の煮売りが八十五杯、喰らいも喰らった蒟蒻の田楽を百五十串じゃが、蒟蒻が腹の砂を吸い取るからと言って蒟蒻代金を砂にされてたまるものか、諺の盗人におい、ではないが、今度の訴訟事に俺は面倒は見ないよ。與作めが身ぐるみ剥いでも二石二斗の金は出ないぞ、馬を質に取ってでも彼奴にきっと済まさせようぞ、小萬を家に入れておけよ、皆御大義で御座ったと辞儀もそこそこに戸を閉めて、錠を差す音が厳しく響く。 庄屋・問屋・組頭、さてさて與作と言う奴は存じないほどの大食漢であるな、旅籠から盛切り(ひと皿売りの副食物)まで、蒟蒻を喰らい、煮売り物を喰らい、その間に小萬とい飯盛女を夜食に食っているのだな、と口々に噂しながら我が家へと帰ったのだ。 與作は肌に冷や汗を流し、ほうほうの体で這い出した開きの板戸の節穴、蔀(日除け、又は風雨を防ぐ横戸)の隙間から覗けど覗けと見えはしない、竹櫺子(竹の格子をつけた張り出し窓)の出格子に首を伸ばして取り付けば、内側から顔がニョっと出た、與作も首をひょっとひっこめると、ああ、大事無い、大事ない、これ、私じゃ、小萬か、與作様か、さっきの話を聞いてくださったでしょう、悲しい事に成り果ててしまい、わしはとうとう籠の鳥になってしまいましたよ、私がこうなったからには父様への難儀はもうかからないでしょう、こなた様に逢う事は出来るのか、出来ないのか、これが長の別れになってしまうのか、お上の御意向は我々下々には推測できません、與作の手を取り泣きつけば、いや、これ、雲に汁が出来てきたぞ、雲に湿気が生じるようにどうやら形成が変わってきたぞ、どうした縁やら三吉めが與作という名に惚れて、常に俺を大事にする、乗り物の内側で誑しこみ、隣に泊まった大名の金を盗んでくれまいか、お前を男と見込んで頼むと、おだてると此奴がお立てに乗って如何にも盗んでやろうと言う。成功すれば上首尾だし、失敗してももともと、と言い切らない内に小萬、いやいやいや、人まで罪に落とすことは辞めにして下さんせ、さても気の細いことだな、露見しても彼奴が打たれるだけのことだぞ、三吉よ、ますます頼んだぞ、もう嫌とは言わせない、と口にしたところ、はれやれやれ、はれやれやれ、しちクドイぞ、盗んでから要らないとなれば捨てるだけだ、この自然薯が人から物を頼まれて引いたりはしないぞ、親はなし、一門もいない、ひとつが五文の餅・拳固取りよりも小さい首だ、男同士の義理を立て抜く為なら取られても構わない首さ、盗みをして露見して首を取られるのは当然のことだ、それを怖がってなどいられるか、と義を立て抜く気の侍魂、侍と黄金は朽ちないとか、血筋はさすがに争われないのが哀れでもある。 おお、頼もしいぞ、命を賭けて頼んだぞと、散々におだてられて、はてな、味方があれば却って気後れがするから何処かへとっとと退いていてくれ、やあ、小萬女郎さんや、この守り袋を預けたい、はてな、お守りならば身につけていなさいよ、いやいや、これには俺の本名が書いてる、もしも見つけられて捕縛された時には人に見られて恥辱となる、解いて預けた神妙さ、裾を絡げあげて忍び入る、坂の下の彌六の所で待機している、夜中時分には戻るだろう、小萬ももう奥の間に入ったほうがいいぞ、わしゃ心配でひやひやする、南無お地蔵様、お地蔵様、ええ、今更になっての願立てがきくものか、声が高いぞ、密かに密かにひそひそと、胸はだくだくでこぼこの、坂の下へと別れたのだった。 武家は道中の掟で旅中宿泊の時の決まりで、半時(約一時間)替りの拍子木の音、九つの数や十に余った折の真夜中に、子供心の愚かさは首尾よく盗みおおせた嬉しさに拍子木を避けもせずに金襴の財布を下げながら門口にずっと姿を現した。夜回りはちらりと気をつけて、追いすがると狼狽えて乗物に逃げ入り内部から戸を閉めたのだ。夜回りは追いすがって飛びつき、乗物の戸をしっかりと抑えたのだ。簾をあげて、やあ、貴様か、これは御前のお金袋、やあ、馬方の三吉がめがお金袋を盗んだぞ、出合え、出合えと大声で呼ばわったが、これぞこの世の地獄落とし、仕掛けにかかったネズミの様である。
2024年11月26日
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向こうを通る菅笠様、足元、腰元、身の回り、すっきり綺麗に掃いたようなのは、伯耆(ほうき、現在の鳥取県)の国の人と見受けたぞ、これこれ、ここな人よ、若衆様、越後(新潟)衆か明石か、鬢がちっくり縮んでいるぞ、あそこへ大名が一頭(かしら)、瓜核顔(うりざねかお)の旦那殿、京都の東寺から出た様子(東寺は瓜の名産地)、跡から来られるのは角前髪(すみまえかみ、元服前の若者)は吉野のお方かな、花ではなくて鼻が見事だ、ここへ姿を現したは飛脚、足元がねばい三河(膠・にかわ)者と決まっぞ、常陸の衆はその有名な帯で知れるぞ、これ、そこな奴殿、越中の人と当て推量するが、どうしてそう見たのか、その下帯の越中褌を脱いで一夜をお泊まりなさいな、夕暮れは急ぎの人も呼び止める、客引きの女こそは関所にも劣らずに旅人を引き止めるもの、その関所ではないが地蔵院で名高い白子屋の左次の内、小萬・小女郎小よしと言って品川から京都までの百二十里の東海道でも有名な女衆、客を呼ぶその片手では内職に下麻(したお)を績(う)む、小笥(こけ、小箱)の懸子(かけご、箱のふちにかけてその中に嵌るように作った平たい箱)の底には恋心に心を捻る、それではないが、撚り麻(そ)の麻裃(をがせ、浅布で作った一重の裃。江戸時代の武士の出仕用の通常の礼装)を乱れさせる胸の内には、何となろうか、どうにもならない、奈良麻(ならそ)の憂き身であるよ、ねえ、小よしさんに小女郎さんよ、こうした勤めは様々にあるけれども、君傾城(きみけいせい)と言う者はこの類での女王様、それから段々とあるうちでおじゃれ(宿屋の飯盛女)の身には誰がなるのか、未明から見世曝(みせざらし)、昼休みから泊まりまで、葦切(よしき)り雀がやかましく鳴き立てるように息のありったけを喋って、それでも泊まり客があることか、どうしたことやらこの頃では一膳盛りの客さえないよ、隣にはあのように大名のお姫様、今日で三日の逗留、宵朝(よいあした)百六十人、どっぱさっぱと忙しい、これの内はどういうことなだろうか、下宿(したやど、大名行列の供の者などを引き受けること)さえ泊まりがないのだ、晩にはみんな覚悟しなさいよ、旦那殿の苦い顔、日比(ひごろ)に生えた角に一段と枝が生え、口やかましさが募るでしょうよ、怖いぞな、常には贔屓の馬子衆もこんな時には良い客を連れて来てくれそうなものではないかいな、や、それについて小女郎や、そなたの馴染みのお敵(てき)、松坂の七二はどうして見えないのです、痴話喧嘩でもしたのかい、梯子の下のごそごそが過ぎて気色でも悪いのか、あんまりごそごそとごそついて、馬は追わないで頤(おとがい)で蝿を追っているのか(腎虚して気力のない様に言う常套句)、と悪態をつくと、むむ、その七二とは九郎介の事かい、それは未生以前で今では挨拶切りのキリギリスさ、しいと言う馬追の声も聞かぬわいの、初めはたんと可愛いと元結の、脚絆のと、鬢付け買うの、帯買うのと、沓の銭まで出してやったわしの目を抜いて、一人二人でもあることか、三ではなくて、水口の名産の煙管ではないが火縄屋のおげん、まだその上に土山の櫛屋後家、庄屋のふとっちょのお米の俵のように大きな腰に食いついて、馴染みのおれをすっかり出し抜いた、その女遊びの方は兎も角も、こちらが喧しく言ったら止むどころではなくて、博打に耽って今では貧乏神同然の有様、何もかも叩(はた)きあげて現在では布子と襦袢のたった二枚の、四九(めくりカルタでする博奕の一種)をやって、親方の駄賃の算用も立たないそうだ、聞けば小萬の知音(ちいん、馴染み)の與作も博奕の友とか、與作が愛しいと思うなら意見をしなさいよ、小よしも取り沙汰を聞いているだろうと言えば、小よしは小声になって、されば、うちの旦那が亀山の問屋で聞いてきたそうで、この小萬が懇ろにしている馬方の與作めは、博奕の大将じゃ、あれが盗みの下地を作るぞ、重ねて来たとしても相手にするなよ、と注意なさった。彼奴には相当に取立てが済んでいない売掛の代金があるぞ、丸裸にしてでも掛売の代金をむしり取って、それからは門の敷居も踏ませないぞと夫婦でささやきあって頷き、それから寄合いに行かれました、語り終わらないうちに、小萬ははらはらと涙を流して、勤めの身の上でもおじゃれの身分では、下の下と言うのはこのことか、傍輩衆にも言いませんでしたが、横田村の父様(とっさま)二石一斗の未納の年貢米の工面がつかずに六十六歳で水牢の刑罰を受け、男にも娘にも子と言えばこの身だけ、境遇こそはおじゃれではあっても、お大名にも知られているこの関の小萬が父親を水牢で殺すことも出来ないでしょう、参宮をするからと口実をつけて暇を貰い、女子の身で代官所へ出向き、この秋までにはきっと納めますからと請け合って、牢を出したのは出したのですが、何を目当てにどうするというのでしょう、以前のようには客を勤めずに私仕事として賃麻(ちんそ)績み、女客がぽつりぽつりと泊まった際に小萬と言う名に愛でて心付けを頂戴して、諺の「鶴が粟を拾うが如く」袖の下を貯めて、哀れや、浅ましや、請け合いの日は近づくし、気を励まし勇まして身を細らせながら辛苦するのも父様の身を黒め暮らしをたててやりたいの念力ひとつで、身を立てている小萬が世間では悪く噂されて、頼もしくもない浮世だと、麻小笥にひれ伏してなげいていたが、あれあれ、そこに唄を歌いながらやって来るのは、混じりけなしの小室節の本式の節回し、與作、與作、と小手招き、さても見事なソンレハお葛籠馬じゃ、七つ蒲団にソンレハ曲録(法会の際に僧が使う椅子、寄りかかる部分が丸く曲げてある)据えて、我も昔は乗った身であるが、人はそうとは知らないが、白子屋の店先に馬を引きつけて、こりゃ、小萬、この旦那様にご馳走を差し上げてお泊め申し上げなさいよ、お供を入れて全部でお三人だ、さあ、お降りくださいな、と荷物を解く、小女郎と小よしがとりどりに、それ、お足の湯です、先ずは奥へと案内する、相客も御座いません、広々と場所を取ってお休みくださいな、と奥の座敷へと伴って案内する。 與作は荷物も跡付けもそこそこに、投げ下ろして、小萬、このところ会わなかったが無事で嬉しいぞ、直ぐに顔を合わせようぞ、と馬の口を取って駆け出そうとするその手綱にすがって、これ、どうしたと言うのですよ、話したいことが山ほどにある、そなたにも言う事が沢山あるはずじゃ、慌てて行かないで待ちなさいよと引き戻せば、ええ、邪魔だ、その話はいつでもできる、急ぎの用事があるのだ、離してくれ、振り切れば抱きとめて、これ、どうかお願いですよ、何がそれ程に忙しいことがあろう、どうせ心に一物ある、訳を聞かないうちは放しませんよ。と店にとんと抱き据えられて、はて、荷物さえ下ろしたに何で一物があるものか、気遣いをしているようだから手短に話して聞かせよう、この不幸せを聞いて下さいな、傍輩達がけん捩じ(掌中に握った銭を言い当てる一種の博奕)突いて銭儲けをする羨ましさ、瀬田の久三が胴元の時に、百文だけ賭けて勝負をしたろころ、勝つは勝つはで一息に七百文こりゃ門出が面白いと腰に引きつけて、腰につけた銭も景気よく、しゃんぐしゃんぐと鈴鹿では皆が突いている、此処へも出かけてまたもや六百文、勝ち取ったぞ、これで止めておけばよかったのに、慾ばりには見えないと諺で言っているが、目川村の馬子どもを集めておいらが胴を取ったぞ、当たらぬこと当たらぬこと、昼下がりから七つ(午後の四時)まで一文と六文の銭の顔を見ないほどに、前の勝ち分をぶち込んで五百余りの赤字だ、どっこい、何処かでこの損を埋めようと、梅の木の是齋(ぜさい)辻で、身を粉にして働いてやってみた、和中酸(わちゅうさん)でも効きはしない、金に直して一歩二朱の借銭を負ってしまい、借銭の重みに耐え切れずに石部の八蔵に保証人に立ってもらった。これを戦のはじめとして大津八町では八百負ける、小野の宿の小町塚では九十九文してやられたぞ、摺り鉢峠の上みたいに心細くては勝負には勝てないと、綣村(へそむら)の上で分別して、かえ守山の観音堂で観音様が三十三の姿に変化なさるというが、三十三匁の質を置いて、戎夷征伐の田村麻呂ではないが心は鬼神のように強くと出かけたのだが、土山の田村堂ではすっからかんにされて退けられてしまった、伊勢へ通し馬で行ったときに宵から暁の明星が茶屋で飲み干すような大失敗、借銭の利息をひと月にふた月分ふんだくる阿漕さ、これは何処の踊りだ、松坂を越えて伊勢踊り、雲津の渡で計算したならば二貫(一貫は銭一千文)ずつで合わせて四つ、合計で二四が八蔵めに八貫の借銭だ、これでは駄目だと思っていると向こうから馬を追ってやって来る、地體(ぢたい、そもそも)八めはぶうぶうと怒りっぽい性格、俺の胸ぐらをしっかりと掴んで、こりゃ、貸した銭はどうする気だ、俺をみ忘れたのか、八だぞ、八蔵だ、刺すように言い募る、ぐどぐどと見苦しく詫びごとなどは言っていられない、銭と言われても今はない、正味の銭を借りたのではない、数の上だけの勝負づく、一番勝負をやってみて、八貫の借銭を返すか、負けて倍の十六貫の引き負いになるか、さあ、勝負をしろと言ってみたところ、八めは多年この道で劫を経た奴、俺は八貫を現物で此処で出しておくぞ、負ければそれでやり取りなしであり、勝てば倍にして十六貫、何で済ますのだ、合点じゃぞ、抵当が無くては嫌じゃとほざく、こちらも後には引けない言いがかりだ、これ、この馬を知っているか、馬市で名高い池鯉鮒(ちりふ)の市で九両一歩だ、親方の物ではあるが十六貫の抵当に銀五百匁の値打ちのある馬を当てれば文句はあるまい、さあ、勝負しろ、と木陰に寄って銭を握り、さあ、どうじゃ、と言ったところ奴も三枚せい、さあ来い、さあ来い、と、七つじゃと、二文張りやがった、よし来たとと突くほどに手の内に残ったのは確かに七文、南無三宝、上手く当てたぞ、一文はねて六文にして当てて取ろうとして、一文をしゃんと誤魔化して突いてみたところが、悲しいかな、勘違いであって八文だったのだ。一文ごまかして七文にして奴の思う壺に当たるようにしたのは、どうした悪運のどん詰りであったか、ぐにゃりとなるほどに八めは、馬を取ったとしがみつく、今日の乗り手は氏神様、救いの神、約束の馬次の場所まで早くやれ早くやれと催促する。八めも武士を乗せているので、客から何故に馬を走らせないのだと目が抜けるほどに叱責されて、窪田の一身田(いっしんでん)村で旦那をおろしてから、おつつけ馬を取りに行くぞと、早追い(急用の折に、駕籠または馬を昼夜兼行で急がせること)程に急がせて追ってくる。親方の馬を取られては、この街道は言うに及ばず、木曽街道や中山道でも生活が立たない。八蔵めが来ないうちに早く内に行きたいと溜息をつきながら語るのだ。 小萬は心も暗闇で、他人の沙汰には違いはないが、人の心は境遇によって変わるもの、何ともさもしい気持になられましたな、古(いにしえ)はお歴々、私ら風情は下司にもお使い下さらないでしょう、縁があったればこそ肌を触れ、抱いたり締めたりした間柄、一通りではない仲、嬉しいやら、悲しいやら、一倍に愛しさが増すではありませんか、悪い病が付きましたね、それはたちの良くない雲助の身持です、友達仲間の付き合い上で引くに引けないことがあるにしても、情けないこと、私の親の未進米、この六日の吉書(きちしょ)に立てねば元の水牢、この世から八寒の地獄に親を落とす私の気持、あなたに心配をかけるつもりはないけれども、案じても下さらないで、博打にばかり凝り固まっての悪遊び、実に冷淡な気持と思えば自然に熱い涙が溢れますよ、と咳揚げせきあげ泣く。 與作はわっと泣き出して、そりゃ曲がない曲がない、情けなくて死にたいほどだ、慰めにも欲にもしないそなたの親の未進米、二石二斗など何でもない、昔わしの草履取りや馬取りの給金だったぞ、これで可愛いそなたの親を殺させたりはしないと、痩せ我慢をしての出来心、千三百石から馬追いにまで成り下がった不運のぼんの窪だ、良いことはないはずと思わなかったのが身の不覚である。これは主が下された天罰と諦めて済ますが、しこり博奕の栄耀とは、小萬よ、さりとは酷いぞや、これもそれも皆そなたの親の為だ、胸に書付があるのなら、断ち割って見せたいと、叩いて見せた胸当ても絞るばかりの恨み泣きの涙。
2024年11月22日
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お側の衆に囃されて、幼心の姫君、こんなに面白い東(あずま)とはこれまで知らなかった、さあさあ、行こう、早く行こうと急き立てた、やあ、いらっしゃいますか、そりゃ目出度いぞ目出度いぞ、再び御意が変わらぬ先に、行列を揃えろ、と一同は立ち騒ぐ。 お乳人は勇んで、それならもう一度、大殿様やお袋様とお盃事を、これも馬子殿のお陰じゃぞ、出来した出来した、そちには礼を言う褒美をやろう、そこで待っていなさいよと一同は声を揃えて悦び騒ぐ。そこで三吉は奥にお供して入ったのだ。 馬方は今まで目にしたことのない金襖を立て巡らした豪華な部屋をうそうそと落ち着かずにのぞき歩く蓆(むしろ)の他は踏んだことのないのに、畳は最上の備後表、ああ、この畳は変に滑って歩きにくいぞ、大名の家よりも此処の内が結構でござるよ、と独り言を言いながら待っている。 お乳人は大高檀紙(備中の国松山で産出する白く厚ぼったいしぼ・シワのある紙)にお菓子を色々と積み上げて、手箱に入れて出す、どれどれ三吉、そこにいたか、まあまあ、そちは殊勝な者であるよ、道中双六を披露してくれてお蔭で姫君様はお江戸へ参ろうと御意なさったぞ、お上におかれても上々のご機嫌、これは御前からくだされたお菓子じゃ、有り難く頂戴しなさい。銭差しに百文ずつ繋いだもの三筋(三百文)じゃが、買いたものを買いなさいよ、殊にそちは通し馬の馬子だそうじゃな、道中の間も用事があればお乳の人の滋野井に会いたいと言いなさい、見れば見るほど良い子じゃな、馬方をさせる親の身はよくせきなのであろうよ、親身になって話しかける言葉の端を三吉はしみじみと聞いていたが、由留木殿の御内の御乳の人、滋野井様とはお前さまでございますか。それならば、俺の母(かか)様であるよ、と言って突然抱きついた。ああ、これは慮外な、お前の母様(かかさま)じゃと、馬方の子供は持ったはいないぞ、ともぎ放せばむしゃぶりつき、引き離せばしがみつく。引き退ければすがりつき、何で事実無根のことなどを申しましょうか、わしが親はお前様の昔の連れ合い、この御家中にて番頭(何々番などと称するひと組の武士の頭)伊達の與作、あなた様はわたしの母親で、その腹から生まれた者、與之介、守り袋で御座います、父ます、父様(とっさま)は殿様の御機嫌に触って国をお出なさったのは三歳の頃でうろ覚えですが、沓掛(「伊勢の国鈴鹿山にある山村)の姥(うば)の話では母様(かかさま)も離別とやらで殿様に御奉公、そなたを姥が養育して父様(ととさま)に会わせたいとは思うのだが、甲斐もなく、母様(かかさま)が細工なされた守り袋が証拠じゃと言い、由留木殿のお乳人(ちのひと)滋野井様と申して尋ねなさいと懇ろに教えて、姥はわしが五つの年に久しく痰(たん)を患い、挙句に鳥羽の祭りに行って餅が喉に詰まったのが原因で死んでしまった。田舎で周囲の人々が面倒を見てくれてやっとのことで馬を追うことを覚え、今は近江の石部(いしべ)の馬借(ばしゃく、宿駅には馬子に馬を貸し与えて、その賃料を取り立てる業者がいた)に奉公しております。この守り袋を御覧なさいな、何で嘘などを申しましょうか、お前様の子供に間違いないことだけがはっきりすれば外には何の望みもありません、父様(とっちゃん)を探し出し一日だけでも三人して一所に居てくださいな、立派に沓も作りますよ、父(とっ)様や母(かか)様を養いましょう、父((とっ)様と一緒に居てくださいな、拝みまする母(かか)様と取り付き抱きつき、泣いている。 お乳ははっと気も乱れ、見れば見るほどこの子は我が子の與之介、守り袋にも見覚えがある、飛びついて懐に抱き入れてやりたいものと気は焦るのだが、あっあ、大事の御奉公、養い君の御名の瑕、偽ってでも叱ろうか、いやいや、可愛くともそうもなるまいよ、まあ、ちょっと抱いてあげたい、ああ、どうしよう、あれやこれやと迷いに迷う心の嘆きから出る涙、二つの目には保ち兼ねて、咽び、沈んでいたのだが、いやいや、我が子ながらも賢い子、騙して誠とは言わず、母を心の汚い者と蔑まれるのも情けない、譯(わけ)を語って合点させ、現在の恥を自覚させてこの場は一旦帰そうと、涙を拭って気を鎮め、此処へ来なさいな與之介や、手元へ引き寄せて両手を取り、さても大きくなったな、どうせ成人するのなら侍らしく何故に尋常に育たなかったのだ、顔の道具や手足まで母(かか)はこんなふうには産み付けなかっぞ、美しい黒髪をこのように剃り下げてしまい、手と足はまるで山の垢まみれのこけ猿のようではないか、本に氏よりも育ちであるなあ、再びさめざめと泣いたのであるが、これ、物事の道理を合点しなさいよ、腹から産んだのは生んだけれど、今では母でも子でもない、浅ましく成り下がったのを嫌って申すのではさらさらないぞよ、ここの理由をよくききなさいよ、母は元から御前様の奉公人である、與作殿は奥勤めの小姓であった、互いに若気の至の恋風に誘われて、すれつもつれつ一夜が二夜と度重なって、通(かよわ)せ文をお次の間に落としてしまい、小姓目付(小姓たちを取り締まる役人)に拾われてしまい、武家の作法と言うなかでも殊に御家は御法度が厳しく、御家老衆の評定の結果で父も母も御成敗と決まったのだが、御前様がお身に代えお命かけての御殿様への嘆願で、殿様の御慈悲にて科(とが)を許されてその上に、表立って夫婦になされ、與作殿は次第に取次ぎ役、奏者番頭千三百石までにお取立て、殿様に万が一のことがあれば直ぐにでも殉死しなければならない程の家格、その間にそなたを儲け、お上には姫様がご誕生、奥方様の思し召しで母(かか)が御乳をお上げ申し、首尾さえよければそなたも今、家老衆の子同然に二番とは下座にさがらない人であるよ、情けなや、父(とと)様が江戸屋敷に御勤めの際に吉原へ通い詰め、折角お役目大事と御奉公致さなければならない折りに、そのような事でしくじって、再度、切腹と決められた。けれども腹を切らせては女房を家に置かれない時には、大事のお姫様が乳離れの時期であり、御病気が出ては大変であると、母をそのまま残すために父(とっ)様の命が助かり、奉公構い(切腹に次ぐ武士の重刑で、奉公を留め、家禄を召し上げられる事)の御改易、その時に母も一所に退けば成程妻として夫への義理は立つ、夫婦の道は成り立つのでしょうが、お姫様の父離れに際してお苦しみをおかけして、身に余る御家からの厚恩に対して誰がいつの世に報じることが出来ようか、後に残って御恩に報いてやってくれないかと父(とっ)様からの理を分けてのことわりがあったので、第一には大事な男のため、夫婦の義理を忠義に代えて気持では満足できないのですが夫婦の離別をしたのです。男の子は幼くても御殿様のお怒りに触れた者の跡取りとなれば、またどのようなお咎めに遇うかも知れない、與作の息子とだけは口が裂けても言ってはならない、さあさあ、早く御門へ行きなさい、ああ、どうした因果の生まれ性であろうか、現在我が子に馬追をさせて、男の行く方も知らぬ身が、母は衣装を着飾ってお乳の人よ、お局様よと玉の輿に乗っていても、これが何の足しに成るといのか、声を忍んで泣くばかりなのだ。 子は生まれつき賢くて、聞き分けがあるので尚更に泣き入ってしまい、悲しい話を聞きました、そうではありまするが常々姥が申していたのは、姫君様と私とは乳兄弟のことですから母様にさえ会うことが出来たなら、父様も出世なさるはず、との遺言でした、殿様にお願いしてみてください、と三吉が訴えると滋野井はすばやく口を押さえて、ああ、ああ、勿体無い、その乳兄弟の件は口に出してはなりませんよ。姫君様は関東へ養子嫁御としてお下り、身分の高い低いによらず嫁入り前の女というものは悪い噂が立ってはならないもの、先方は他人であるよ、三吉という馬追が乳兄弟にいるなどとはどのような妨げになるか分からない、蟻の穴から堤も崩れると言います、軽いように思えても実はお重いもの、ひそひそと内緒話で話しても人が聞くもの、取り敢えず早く出ておくれ、と泣く泣く言えば三吉は、ああ、母様や、余りに遠慮が過ぎるではありませんか、先ずは言上してみてください。まだ、その様な事を申すのか、聞き分けのない事だ、夫のこと、子供のこと、母に如才があるものか、合点が悪い、聞き分けがない、と三吉を制止している所に、奥より、お乳の人はどちらにいらっしゃいますか、御前からお召がかかっておりまする、と呼ばわるので、あれを聞きなさいよ、人が来るので出て行きなさい、手を取って無理やりに引き出す。 不憫や三吉はしくしくと涙を流し、頬被りして目を隠し、沓をまとめて腰につけ、みすぼらしげな後影こらや、もう一度こちらを振り向いて見なさいよ、山川で怪我をしないように気をつけなさいよ、雨風雪降る夜道には腹が痛いと作病を起こし、二日も三日も休んで患わぬように気をつけなさい、毒な物は食わずに腹痛や麻疹の用心をしなさいよ、可愛い姿形であるよ、痛々しい、千三百石の世継ぎが何の罰が当たったのかどうした咎であろうか、と式台(玄関の板敷で客を送り迎えして挨拶をするところ)の段箱(式台から上がる段を箱のように作ってあるもの)に身を投げて伏して嘆きいたのだが、懐中の有り合わせの一分判金(一両の四分の一)を十三袱紗で包み、これを用心に持って行きなさいよと、涙ながらに渡すのだった。 三吉は見返り恨めしげに、母でも子でもないならば、病もうと死のうと余計なお世話です、その一歩もいらない、馬方こそしているが伊達の與作の総領だぞ、母(かか)様でもない他人から金をもらういわれもないぞ、ええ、無慈悲な、かかさま覚えていなさいよ、と言ったあとでワッと泣き出すその有様、母は魂も消えてしまい、養い君、お家の御恩を思わなければこんな具合に独り子を手放してどうして追放などいたそうか、武家奉公の身の浅ましさよ、悶え苦しみ嘆いたのだ。 時に奥の出入り口辺りがざわざわと人の気配がして、はや御出立と姫君の輿をかきあげ、行列立て、お乳の人の乗り物を平附け(直づけ)に舁き寄せた。お乳の人は何食わぬ顔をして姫様の御伽にと、最前の馬方をこの乗り物に引きつけて、お慰みに唄を歌いなさいな、畏まって候と宰領共が、こりゃ、そこにいる自然薯め、唄を歌えと情け容赦もなく荒々しく命じる、やあ、こいつは吠えているのか、なんじゃこれは、出発の前に縁起でもない、握りこぶしを二つ三つ頂戴しながらも泣き声で、坂は照るてる鈴鹿は曇る土山あいの、間(あい)の土山雨が降る。その降る雨よりも、親子の涙を中に時雨れる、雨の雨宿り。 中 之 巻 これ、泊まりじゃないかえ、泊まりなら泊まろうよ、泊まりなさいな、泊まりなさいな、旅籠は安いので泊めましょうよ。上旅籠に中旅籠、お望みしだい、好き次第、椀家具も綺麗な座敷はこの夏に、畳表を替えて寝道具も良くて、酒が良くて、お茶は最上級のもの、何もかも良いことずくめだが、木賃(客が薪や炭代だけを宿に支払い自炊して泊まること)でなりと御都合で、据え風呂もしゃんしゃん、掛り湯取って加減見て、旅の汚れの垢は存分に洗い流し、暁は七つ(御前四時)立ちか八つ(御前二時)立ちか、枕の御伽が必要なら振袖なりと、詰袖の年増なりと、足をさすって腰を打って、吸いつけ煙草の煙管の雁首、首筋元からぞっとしましょう、庄野の馬方六蔵ではないが、良い女郎衆を乗せて、足取りが軽いな、よしてくれよ、ええ、面白くもない、ああ、洒落臭い、草津の三介三蔵、石部の金吉どん、乗せてきた客がどうせ泊まるなら、泊めて下さいな。どれだけ先に行かれても、旅籠屋は皆同じです、同じ値段でありますよ。鶯の鳴く春にはいらっしゃい、伊勢参宮の御客衆、目元に塩ではないが、愛嬌が溢れる、そこへお見えのお防様、この暖かな気候に紙子を着て、紙子の名産地の仙台からおみえかな、あの旅人は京の八幡の生まれでしょうかな。足に牛蒡のような毛がむくむくと生えている。
2024年11月20日
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丹波與作待夜(たんばよさくまつよ)の小室節(こむろぶし) 上 之 巻 大名に生まれる種の一粒が何万石であろうが腹にいるうちから敬われて、持て囃す舌での鼓がたんたんと響くそれではないが、丹波の国の一城主由留木(ゆるぎ)殿のお湯殿の子(大名などの屋敷で茶の湯などを沸かす部屋に奉仕する女が、殿の寵愛を受けて生んだ子供の意)である調(しらべ)の姫はお国腹(参勤交代制で大名がその国元で儲けた子を言う)、金水引きの初元結、まだ十歳の裲襠(うちかけ、武家や良家の婦女が着る礼服。上着の上に打ちかけて着る長小袖)姿もすらりとした長身で生まれついている。東(あずま)の高家(江戸幕府における儀式や典礼を司る役職。また、この職に就く事のできる家格の旗本を指す)入間殿から差し当たりは養女と言う名目で、蕾から取る花嫁御、御迎え役の諸侍は五千石を頭にして騎馬が二十騎、稚児医者は御輿附きである、大上臈(大名に仕える身分ある女で、大小はその格式を表す)と小上臈、おさし抱き乳母(お乳だけを飲ませる乳母を言うがここでは単に介添えの女を言う)お乳(ち)の人、中臈下臈の供乗り物や身分の低い侍女達の駕籠はいろは順に並べ、以上で四百八十梃(ちょう)の金銀瑪瑙や枝珊瑚珠(えださんごじゅ)、研ぎ出し蒔絵(金銀の粉を蒔きつけた上に漆をかけてその上を磨いて下の色を表した物を言う)の長柄の傘、長刀袋、傘袋、時代のついた金襴鶴菱たすき、花兎くぁ、霰大内桐(あられおおうちきり)、覆いをかけた挾み箱、濃い紅の大紐、などを高々と結んだのは盛り牡丹の花そのものだ。台所荷は次伝馬(ひと駅毎に馬を変えて運ぶこと)、お葛籠荷物(つづらにもつ)は通し馬(荷馬を目的地まで雇い詰めにすること)、三十駄の馬方の小唄が出来て、小奇麗な声の良いのを選抜なされたのも、注文通りの者を選べたのも金の御威光によるものだ。 出発の刻限は朝の九時ころと定めて、御迎え役の奥家老本田彌三左衛門は数献の盃で足元はよろよろと猩々緋の道中羽織の姿で白いところは髪だでけである。きんかん頭に顔色も繻珍(繻子の地合いに黄・赤など数種の横糸で文様を織りだした絹織物)の裁着け(裾を紐で膝の所をくくる半袴、下に脚絆をつける)を凛々しげに身につけて、何と、何と、お供廻りが揃ったらお先手(先頭の供人)から乗り出して下されい、これこれ、文左に源五左や、拙者は行列の殿(しんがり)を乗り出すぞよ、万事は夜前に申した通りである、若党、中間、荒子(あらしこ、人夫、人足)、小者(使い走りの者)に至るまで、大酒を致さぬように馬次、舟渡し等で口論・暴行を働かぬように用心致せよ、それにじゃが、泊まり泊まりの宿屋の飯盛女にじゃらじゃら致さぬように、第一に御乗り物の先で見苦しい、そうではあるのだが、長い道中で下々が退屈致すであろう。もしも色事などを企てたなら、目立たぬように物陰に寄せて、ちょこちょこと上手く処理すればよいぞ。目出度い折りであるからと申して、殊に女御のお供である。少々の事は見逃して置きなされよ。はっと答えて、宰領(荷物や人足達を指図する役)共はさあさあ御立ちだと用意をするところに、奥から女中達が声々に、ああ、お待ちくだされい、お待ちくだされい、困った事にお姫様が関東に行くのは嫌じゃ、嫌じゃと、やんちゃばかり仰せられて、お袋さまも殿様も騙したり叱ったり遊ばされるのですが、どうしても嫌じゃと幼児の如くにおむつかり、養育係のお乳の人の滋野井殿も色々と申されても、それ程に江戸に行きたいのであれば、乳母だけ行きなさいよ、とお乳の人の背中をとんとんとぶったりなされて、御機嫌が損ねていますと言っている所に、姫君は描いた眉を泣き剥がして、姫君は江戸も関東も私は嫌ですと、泣きながら走りだした。 幼少ではあるが姫君がいきなり姿を現したので、それを憚って家老以外の侍衆や下々の者も御門の陰に駆け込んでその場から姿を消した。 お乳の人は顔色を変えて、これこれ、申しお姫様、下々の子供でさえ九つや十になれば物も聞き分けもできるものです、あれ、ご覧なさい、百里あちらの山川を越えて来た白髪の御老人の家老殿、皆お歴々の御侍衆がお迎え申しに参っておられまする。江戸へいらっしゃれば入間殿の御領内です、嫁御としてかしずかれ大事にかけられる御身分ですよ、私めの育て方が拙かったのでして、女の身ではあっても乳母はこの場で腹を切らねばなりません。さあ、良い子です、御輿にお乗り遊ばせ、脅してもおだてても、嫌じゃ、嫌じゃ、皆が私を騙すのじゃ、どうして東(あずま)が良い所でありましょうや、腰元共が歌うのを聴きなさい、さあ、みんな此処へ出て、いつもの歌を歌いなさい、歌いなさい、と責め立てたので、御伽小僧(姫の相手をする少女)で頑是無い十二三歳になるのがの手拍子合わせて、山も見えない、かりそめに、江戸三界(くんだり)に行かんして、何時戻られる事じゃやら、いっそのことに殺してから行きなさいな、放しはしませんよ、と泣いたところ、ああ、置きなさいよ、置きなさいよ、お大名のお屋敷にお仕えするとて琴の組歌(小唄の数種を集めたもの)でも歌わないで、誰に習ったのか卑俗な歌、お姫様にお教えしてはいけませんよ、必ず止めてもらいましょうよ、とお乳の人はご機嫌斜め、本田も余りにしようがなくて、申しお姫様、あれは人の悪口・冗談です、花のお江戸は京都に勝って、浅草や上野は花さかり、又、堺町や木挽町の芝居の太鼓が賑やかにてんつくてんつくと賑やかで、人形芝居が楽しいです、弁慶や金平(きんぴら、江戸に流行した金平浄瑠璃の主人公で、強力無双の勇士)がえいやっと勇壮な斬り合いを見せまする、道中には面白いこととして富士の山がありますよ、天にまで届く高いお山をお目にかけましょう、さあ、お輿をお召しなさいませ、と渾身の力を込めて賺(すか)し申すのだが、いやいや、江戸へは行きません、どうあっても嫌じゃ、と泣くのである。 乳母も今は持て余してしまい、どうしたら良いであろうか、御家老も呆れ果ててしまっている。奥向きに勤める女中の若菜が、旅の出で立ちに菅笠を手に持って門の外から走り入って来て、あの、お乳の人、面白い事が御座います、十歳ばかりの剃り下げ(月代を広く剃って両鬢を狭く残したのを言う)のちっぽけな馬方が道中双六とやら東海道の絵を繰り広げ、風変わりな興味ある事をして遊んでいます。お姫様のご機嫌直しにお目にかけ申したらいかがでしょうか。おお、よくぞ気がついたな、それは聞き及んだ道中の絵を御見せ申し、お心が移るやも知れぬな、馬子であっても子供であれば大事はない、許すのでその丁稚に双六を持って参れと命じなさい。心得ましたと門外に出て、連れ立って来た馬方は、片肌脱いでそそけ髪、御前近くであるにもかかわらず無遠慮に、縁先に足を上げて、やれやれやれ、お前様方と言うのは面白くもない、傍輩共と賭け禄に道中双六を打って沓の銭をせしめてやろうと思ったのに、人を散々に呼び立ててどうしたと言うのだ、はれ、やれやれやれ、きりきり乗ったら宜しいでしょうよ、馬を走らせましょうと突っ慳貪に怒鳴った。 はてさて、利口な野郎じゃな、諺に船頭馬方お乳の人と、性格が悪く口さがない者の例に挙げられてるが、私もそちと同列じゃ、そして、歳は幾つで名は何と言う、年は今年で十一、五つの年から馬を追って初手から若衆にならずに念者なった(当時の男色関係で、兄分を念者、弟分を若衆と言うが、三吉は最初から剃り下げで若衆髷を立てたことがないのと、両方の意味で威張っている)、生え抜きの念者だ、ところで名前は自然薯(じねんじょ、山の芋)の三吉、さてもよい名前だな、聞けば道中双六があるそうだな、腰元衆も打ってみなさい、姫様も遊びなされよ、さあ、三吉も此処に来なさいよ、遠慮はいらないぞ、呼んだところ無礼をも顧みずに、短い煙管の煙が立ち混じっている女中の側もそぐわないようには見えない、さすがは童(わらべ)の一得である。三吉は絵を取り出して皆してうち混じり遊ぶのであった。 道 中 雙 六 これこれ、ご覧ぜよ、打ちなさい、是れこそ五十三次を居ながらに歩む膝栗毛、馬、はいしいどう、道中双六、南無諸仏分身と書いた六字を六角の、骰子は桜木、花の都を真ん中に思い思いの標(しるし)を置いて、さらばこちらから打出の浜、大津へ三里、ここで矢橋(やばせ)の舟賃が、出舟を召せ召せ、旅人の、乗り遅れじとどさくさと急いで乗り込む、それではないが、草津へと、お姫様から先ず姥が餅を召し上がれ、一口二口、先ずは泥鰌の踊り食い、ではないが踊るように土山(水口と鈴鹿峠にある立場・宿場と宿場の間にあって旅人や人足が休憩する場所)にある松尾坂を越えて、坂を越すのも骰子次第である、骰子を振れ振れ、振るや鈴のそれではないが、鈴鹿峠を後ろにして坂を下れば、負けまいと急ぎに急く、そのせきではないが、関から亀山に、煙草には、火打石の石薬師、おっとその手は食わないの、桑名の舟渡し、熱田の宮に上れば池鯉鮒(ちりふ)へは四里である、宿にころりと寝転がるのは岡崎女郎衆、岡崎女郎衆、岡崎女郎衆と縺れて一緒に寝ようよ、やよ、藤川に。思い思いの君待ち受けて解く赤前垂れの赤坂や、吉田、二川(ふたかわ)白須賀(しらすか)をちょいと越えて、手判(道中の関所を通過するには出発の際に、居住地の名主や五人組などの証印を押した手形が必要であり、特に婦女子・武器の往来・運搬を取り締まった)はござるか、振袖に、や、このこの新居の関、渡船場の近い今切れ、舟に召せ、召せ、蛤を食しなさいな、蛤、蛤、浜松まで、舞坂(まえざか)に三里ですよ、馴染みを見つける泊まりと聞けば、誰も惜しむ者はない縞の財布の袋井や、乗り掛け(二十貫の荷を載せた上に、人一人が乗る宿駅の駄馬。乗り掛け馬)のそれではないが掛川(かけがわ)を飛び下りて、ご機嫌の笑顔だ、さあさあ、そのにっこりではないが日坂(にっさか)の名物の蕨餅、腰につけているのは日本一の黍団子なのだが、そうではなくて日本一の大井川、骰子に無の字を打ち出せば支流の八十川からの水がみなぎり始めたので旅人が二日間足止めを食う金谷と島田で、二回の休み、骰子の目ひとつで馬の腹帯に吉の字が染め抜いてあるが、それではないけれども幸せよしの、旅双六の六ではないが、六里を一気に進む。七里八里もただ一足に先へ先へと咲きかかりたる。 藤枝、岡部、瀬戸の染飯(そめいい)、宇津の山辺の十団子(じゅうだんご)など、所々の名物を買って銭を突き出す、それではないが、手鞠をつくの鞠子に、一二三四(ひいふうみいよ)、府中江尻にすっとんとん、とんと打った沖の波、それではないが、興津の波、三保の松原が快晴に晴れる、そのはるではないが、貼る膏薬を買って名月でも吸い出せ、清見寺(きよみでら)、由井蒲原(ゆいかんばら)や吉原の花の香、蒲焼名物の鰻の肌(はだえ)がぬるぬるしているそれではないが、沼津の宿、三島越えれば箱根へ三里、骰子目次第で関を越える。悪い目打てば手判を取りに京に帰る。合点か、おお、飲み込んだ、よくわかったぞ、小田原ういろう、大磯、平塚、藤沢は触りもなくて双六の骰子の幸先もよく、門出よし。道中はやめて戸塚はと急ぐ保土ヶ谷、神奈川越えて、品川、川越え、真っ先駆けてお姫様、一番勝ちにかつ色(深藍色)の花のお江戸に着きにけり。一の裏側は双六の、骰子ではないが、幸い有り、悦び有り、慰めありける道中と、どっとばかりに興に入られたのでした。
2024年11月18日
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ああ、申し、お前様は病気で引きこもっていて世間の流行をご存知ないが、この冬から何処でも火の強い炬燵は廃りもので、北浜あたりの富豪は大方炬燵に水を入れるようで御座いますぞ、重ね井筒とも言われる身が気が利かずに無粋ではありませんか、炬燵に火を入れるなどとは、さりとはお笑止な、あれ、おかあ様や、火は要らないと仰っておられるぞ、と身をもがいているその間に、火掻き棒は焼き焦がれて紅葉色、こんもりと盛り上げて上質の池田炭を遠慮もなく、御内儀が炬燵に移す。さあ、お当たりなさいな、と言い捨てて台所の方に出られた。 傍で見ているだけでも徳兵衛は身が焦げ渡る心地がして、兄者人、その火で熱くはございませんか、いっその事で火炙りになられたら如何です、此処まで火気が来ます、少し灰を被せて消しましょうよ、と側に寄ろうとすると、そのままにして置きな、制止されては炬燵から胸を焦がすのは徳兵衛で、房は涙を流しながらも埋み火に焼き付けられる身の苦しさ、蒲団の陰から手を出して徳兵衛の着物の裾に取りすがって耐えようとする。しかし耐え難い地獄もこんな風なのかと不憫である。 主も一旦は懲らしめたもののあまりに諄くては哀れと思ったのか、ああ、温まっから帰るぞ、そなたも休みなさいと、部屋に立ち戻る。 徳兵衛は自分の兄ながらも恨めしいと思ったのか、どうせなら真っ黒に焦げるまで火に当たっていったら良いでしょうにと、言ったのだが、さすがに一言も言わずに岩木を分けて生まれたのではない人間であるから憐れみの心も湧いたようで、兄は奥の一間に入ったのだ。 徳兵衛は小腹が立ち、櫓も蒲団もひとつに掴んで取って投げれば、咸陽宮(秦の始皇帝の宮殿で、項羽がこれを焼いた時に三ヶ月の間燃え続けたという)の煙の中に顔も手足も紅で房は目ばかりじろじろと、物も言わずに息も絶え絶えに、性根も乱れるばかりである。 やっとのことで抱き上げて、袂から扇であおいで風をいれ、花生けの水があったのをこれ幸いと顔に注ぎ口に湿らせ、少しは心地も爽やかになった。 さあ、兄貴までが知ってしまったっぞ、何の面目あっておめおめと人から顔をじろじろと見詰められておられようか、いざ、この場所で尋常にと脇差を取ろうとしたところ、そうさえ覚悟が極まれば嬉しいです、嬉しいですよ。でも、この場所ではいくらなんでも思うようには出来ないでしょう。屋根伝いに裏に抜けて、六軒町の東筋の樽屋町の門へ降り、宗門(しゅうもん)でありますから日親様の御門で死なせて下さいませ、おお、尤もじゃ、尤も、有難い志、さあおいでと、立ち上がったが、さあそこでだが、そなたは法華、俺は浄土、願うところが違うので先の行き場も覚束無い、宗旨を変えて一所に行こう、南無妙法蓮華経の題目を授けて下さいな、疾く、疾くと手を合わせれば、房は不覚にも涙に昏れて、私に浄土宗になれとも言わず法華になってくださんする、さても嬉しいお心ですね、勿体無い事ではありますが今日まで毎日千遍づつ五年唱えた題目の功徳で赦してたび給えと、互いに合掌、心を鎮め、日蓮宗で受戒の時に唱える語、今身(こんじん)より仏心に至るまでよく保ち奉る、南無妙法蓮華経、今身より仏心に至るまで添わせ給え、添わせて下さいませ、南無妙法の力を頼みに、しっかりと房を背負って上がる二階や屋根の棟、ここは靈鷲山ぞと言いながら一心に這い、辿り、伝っていく道は三途の河原、ならぬ瓦屋根、霜が積もっている剣の山のように冴え返っている。此処には地獄の鬼ならぬ、鬼瓦、左・弓手も右・馬手も恐ろしく、逃れ逃れて行く末は、今ぞ冥途の門出(かどいで)と、これを限りの立ち酒ではないが、樽屋町にぞ迷い行く。 下 之 巻 道行血汐(ちしお)の 朧(おぼろ)染(寛文年間に京の紺屋新右衛門が朧月を見て工夫し考案したという染方) 筒井筒(つついづつ)、井筒の水は濁らねど今は涙に掻き濁す、月の袂に掻き曇る、朝(あした)の雲、夕(ゆうべ)の霜、あだしが浦の空舟(うつぼぶね・丸木舟)、身をなきものと知りながら、愛し憎しの戯れも、しばしこの岸、彼の岸の、假(かり)の現(うつつ)の假橋(かりばし)や、藻に埋もるる牡蠣舟(かきぶね、大阪で冬になると広島地方から入り込んで諸方の橋の下で牡蠣を売った舟を言う)の苫の隙間の灯火の、風を待つ間の影よりも明日まで待たない我が命である。自分から失う二親の育ててくださった御恩に対してどうしたらよいのかと、歩くことも出来ないで泣いている。送り迎えの色駕籠(遊女を乗せる)もしばし途絶えて何処でも馴染み、馴染みとの寝入りばな、我が身は今宵散りはてる、名残つきせぬ川岸で此処は武田のからくり人形芝居座、夜は何時であろうか、五つ(午後八時)六つ(午後六時)四つ(午後十時)千日寺(法善寺の俗称)の鐘の音も八つ(午前二時)か七つ(午前四時)、その七ではないが大阪にある七つの芝居小屋で、後々に二人の噂が世話狂言の仕組みの種となるならば、我を紺屋の型ではないが片岡仁座衛門(敵役・実事じつごと、分別があり常識をわきまえた誠実な役柄・荒事をこなした名人)が演じることになるのか、何と思うのか染川十郎兵衛は台詞に泣いてもらいたい、涙を包むそれではないが袂の襞ではないが、飛騨の掾(当時、伊藤出羽之掾座にいた手妻人形の名人の山本飛騨掾)が二つつがいの手妻にも我々二人のなりふりを写実するのだろうかしらん。しかし我々の悲惨な思いは断じて理解しないだろうね、去年のお島の心中(京の呉服商の新八が大阪井筒屋のお島に通いつめ、金に窮して生玉で心中した)の、その井筒屋に我が今、重ねる井筒と死ぬ定め、実悪役の名人・篠塚次郎左衛門に言われ、岩井半四郎(二代目の女形、若衆方)と憂い台詞が見事な初代初沢あやめ、のあやめ草ではないが、そこに置く露の儚い我が身、積もる涙の雫であろうか、西には嵐三右衛門(三代目)が吹き晴れて、空は冴えても我々は恋慕の闇の暗がりで由無き事をしでかして、八百屋のお七は東(あずま)の果てに名を流したが、それに劣らぬ嘆きぞと、いとど思いに昏れる、その暮れではないが、呉竹の節を習った浄瑠璃のも他人のことだと慰めていたが、今我が身に降る霜となって、一足毎に消え失せて、死にに行く身のあじきなさよ。 あれ、見返れば人声が我を尋ねて来る、高津の町を急ぎ近づく、危急を逃れる鰐口や、頼みをかけた御経の此の三界の衆生は皆これ我が子と聞く時は、親諸共に至るなりけり、南無妙、法蓮華経、南無妙法蓮華経、五逆(害母・害父・害羅漢・破和合僧・出仏身血)の提婆(だいば、提婆達多)も妙法の功力により成仏して天王如来となり、婆竭羅(しゃかちら)竜王の女も同じく妙法の功力で男子に変成(へんじょう)し南方無垢の世界に往生したという事実があるからには、煩悩菩提(迷いはそのままで悟りの種となる)となるぞ頼もしい、南無妙、法蓮華経、南無妙法蓮華経、六万九千三百八十四文字を、ただこの七文字に収めたる大曼荼羅や、斑雪(まだらゆき)、雨にも風にも詣で来て、朝は現世、夕は後世、この世あの世の二面(ふたおもて)今宵一つに成るそれではないが、楢の葉の影は浮世の塵芥、共に命のすて場ぞと、生玉正法寺の北にある大仏殿の勧進所、諺の「子を捨つる藪はあれども、身を捨つる藪はなし」では無いが此処が最後の死に場所とはなったのだ。 涙に迷うその中でも、男はさすがに男であって、なあ、世間の話を聞けば女が先に立ち、男は後に死に損なう、見苦しき沙汰に遇う、無念の上の死に恥であるよ、先ずは自分からと脇差を取り出して抜こうとすれば抱きついて、待って下さんせ、今直ぐに死ぬ身とは言いながら大事な夫が目の前で朱(あけ)に染まった體(てい)を見れば、気もうろたえ目も昏れてどうして死ぬことが出来ましょうか、半死(なからじに)して恥を晒し、検視の役人があなた様の死骸の帯を解き、紐を解き、打ち返し詮議するのをじろじろとどうして見てなどいられましょうか、わしから先にと手をもち添えて我が身に差しあて、忍び泣きする。 男は力なく涙に迷い、刃物持つ手も弱弱と女の膝に伏し轉(まろ)び、覆い重なり泣いている。石の鳥居のむこうからは女の泣く声と子の泣く声が、南無三宝、我が家の提灯だぞ、女房子供に家来どもに見つけられては情けない、高津の東、四天王寺の北にある小橋(おばせ)の村で死のうかと、立ち上がろうとした所へ早くも道端まで尋ねて来て、間は僅かに半町(およそ五十メートルほど)に足りるか足りないかの至近距離、因果の不幸な宿命が隔てとなって、百里でも同じようなもの、近い甲斐のない千賀の塩釜で身を焦がすのは哀れである。 妻のお辰は宵からの涙と霜で袖が凍り、物を言う気力もない中で、あれあれ夜明けも近づくか、烏がひどく鳴いているわいな、外の駆け落ち、走り者(出奔者、家出人)と違ってまた明日にでも探そうなどと呑気なことを言ってはいられない、死にに出た心中者であるから、疾くに命はもうない人、浅ましや悲しやな、女房子供がいない身であるならば殺すまい、死ぬまいものと、さぞや最後の悔み言、お房の恨みも思いやる、思えば私がいるゆえに人二人を殺すのも同様で、お房と徳兵衛の位牌に向かって言い訳も出来ない。冥途への旅を連立とうと下人が差したる脇差に取り付くところをもぎ離し、これは一興けしからぬ、此の子は愛しくはないのですかと制止すると、小市郎は「母(かか)様死んで下さるな」と、嘆く声さえ身に沁みて野辺の霜風、小夜嵐、丁稚の三太もうろうろと涙を流し、心中というものは酷く寒いものじゃと言って一緒に袖を絞るのだった。 徳兵衛は囁き声で、月は傾くし、東は白む、ためらっていて今の間に見つけられてしまっては残念至極だ、さあ、何事も宵から言ったとおりにしようぞ、はいと答えて頷くだけで、涙に物を言わせながら夫の膝をしっかりと押さえて、仰ぎながら待つ口の中で、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経を唱えて、どうぞ同じ蓮の上に生まれ合わせる事ができますように、一蓮托生と念じながらぐっと突き抜く一刀、わっと叫んだ一声が哀れ儚い最後であった。 今のが何処じゃ、さあ、知れた、そこかここか、いやいや南の方に聞こえたぞ、反響で声が逆の方向から聞こえたのにも気づかずに、皆は生玉方向へと走ったのだ。 見つけらまいと徳兵衛は畑の中を西へ東へ、ここにかがみ、かしこに忍びしが、今は嬉しい一所にと房の死骸を尋ね寄る、道も心も真っ暗闇で、埋もれ井戸へと踏み込んで真っ逆さまに頭からかっぱと落ちて、水の泡と共に消えた。哀れや後に水を汲み上げて、死体も回収された。 重ね井筒の心中と唱われて、諸人の煩悩を洗い落とし、また仏法、特に法華経のありがたさを称える縁ともなった。
2024年11月14日
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身の為になることがあるならば、今すぐにでも暇をくれてやろうよ。そう言いなさい。こう言っているのが欲得ずくでない証拠。損するといっても僅かな事です、不憫な目を見せられようか、と心配で心配で堪らないぞ、思いもよらない憂いをかけて必ず泣かせないようにしておくれよ。と涙も声もしめじめと残る方もない恩の程、房は顔も上げもせずにただあいあいとしゃくり泣く。延(のべ)の杉原紙を何枚も使って鼻をかみ、涙を拭うのであった。 客であるかどうかは分からないが表の方で、ようございました、と言う声がした。どなた様ですかと耳を澄まして訊くと、ひどく冷えるが兄貴のご機嫌は変わりませんか、と言う。はああ、諺に噂をすれば必ずその人がやって来るから、蓆(むしろ)を用意しておけ、徳兵衛様でありましょう、と耳にするより房は胸がざわざわして飛び降りてでも下に行きたい気持である。 その時に当たって丁稚が門口から、向かいの肥後屋から房様を直ぐに送らっしゃれとの声が掛かりました。お客は堺の某(なにがし)様だそうです、早く早く、と呼びかけたので料理人が不審に思い、こちらから問もしないのに先方から客の名を告げたのは何か企みがあってのことかもしれないぞ、納得がいかないと考えて、房様は暇がない、お断りしろと言う。 房はそれを聞いて、それは何故ですかと訊く。おお、その事だがあの宿で徳兵衛様に逢われた故に、その用心から肥後屋へは房をやるなと言いつけてあるのだ。ええ、御内儀様、それは筋道の立たない御言葉です、それはずっと以前にあったことです、今では縁を切った上に、肝心の徳様は現に下に来ておられます。何の気遣いがいりましょうか、堺の客に間違いなく、そのお客には正月を頼まなくてならないのです。どうぞ遣ってくださいませ、と言うのも本当とは思わないのだが、おお、それもそう、これなあ房を送ってやろうじゃないか、と呼び掛ければ下では料理人が、どうせ道筋だから駕籠へもちょっと寄ってくれないか、心得たの太郎兵衛の婆様、と使いは喚いて帰ったのだ。 さあ、身支度をして早く行きなさいよ、いや、夜も相当に更けてしまったよ、さあこのままと連れ立って二階から降りる間に、駕籠を店先の土間の方へと回した。 徳兵衛様、どうぞ遊んでおかえり遊ばせ、と言うと相手はとぼけた顔して誰だ、房か、節季間近の商いだからせいぜい稼いでおくがいい、とわざとよそよそしく口では言いながらも、籠の中の雌雄一番の鳥が仲が良いように一緒に空へ飛び立つかと思える程の喜びよう。 気色を見て取って女房は、これは夜更けに御大儀な、先ずはお上がりなさいませと、ひどく冷えるので酒をひとつ、それ燗をしなさいよ、命じると、徳兵衛は、いや構わないぞ、そのままでいい、直ぐに帰るから、最近酒が不味く感じていて、さっきも女どもが生姜酒を飲ませようと自分で生姜を下ろすやら、それが嫌なので此処へ逃げてきたのだ、又酒を飲めというのか、さあ逃げようぞ、出ようとする所に女房が立ちふさがって、どうして無理に酒を勧めましょうか、お茶でもどうぞとお愛想を言うと、徳兵衛はいやいや最近では茶も口に合いません、今もさるところで生姜茶をくれたのだが、やっとのことで逃げ伸びてきたばかり、是非とも帰してもらいたいと言っている所に兄の主が寝間から出て、やあ、徳兵衛、よく来たよく来た、夜が寝られなくているのだよ、夜通しで話をしよう、さあさあ此処へ来ないか、と呼びかけられれば兄であり、病人である、嫌とも言えないので徳兵衛は不承不承ながらに上にあがったのだ。 何と、中橋が架かったの、欄干を渡すばかりになったぞ、春には町中で渡り初めがある、自分の病気も次第に上向きになってきたぞ、寒が開けたら本復するだろう。それと言うのも今年の夏に西国の御利生三十三箇所の観音めぐり、ひとつひとつ語って聞かせよう、膝を崩してゆっくりとしたらいいぞ、果てしも知れない長話である。 徳兵衛は心が悶え悩んでいて、内心では、可哀想に房を今まで待たせた上に、今は又今で宿屋の肥後屋で待ちくたびれているであろうに、早く立ちたくて気はせくのだが仕方がない、いや、申し、今宵は我等は伊勢講の講中であって人々が待っているでありましょう、と言いおいて罷り帰ると立とうとした所、まあちょっと待ちなよ、こんな夜中まで誰が待っているものか、もうちょっと話をしようじゃないか、と制止されて、いや、鑓屋町の隠居の所に食事に呼ばれて行くのですよ、と言うのだが兄は相手にもしないで、はてさて斎の食事は明日のことであろう、是非に話をしていけと言われて詮方なくて、女房が懐妊致し何時なんどきに産を致すも知れず、どうかお戻し下されよと言うのだが兄はどうにも聞き入れないで、のっぴきならない自身番の見廻りがあり、その勤めを果たしたいのですが、これでは帰しては下さらないでしょう、あ痛、あ痛、ああ痛いここが、冷えるせいなのか急に疝気(せんき、漢方で腰または腸が痛む病の総称)が起こった、帰って養生致したい、と言えば兄は、はてどうしたことだ、夜気(よき)にあたってなお痛むであろうから薬でもやろう、いやもう、薬も喉を通りませんよ、駕籠に乗って帰りたいのです、あ痛、あ痛と呻き叫ぶのだが、内儀は仮病と推量して外へは出さない構えである。 小座敷の炬燵に火を沢山入れさせて、泊まっていきなさいと強いるのだ。いやいや、今年の炬燵はやたらと人に当たります、今も今、女共が生姜炬燵を仕掛けましてやっとのことで侘びを入れたのでした。心は先に抜けてしまって抜け殻で、何を言っているのか訳もわからない状態である。此処へなりともお寝せ申し上げなさいよと、布団を打ちかけて、内儀は表へは出させない用心で、自身で戸に内鍵を下ろした。そして内と外の者達に目配せしてそろそろと脇へ退く様子である。 さては気取られたかと察したが、そこは何食わぬ顔をしていやいや寒いのに外に出るよりも暖かくして此処に泊まった方が得策だと、徳兵衛は重い心を軽口に誤魔化して、もう外へ行く振りもせずに布団を頭から被ってしまったのも、溢れ出る涙をまぎらかす為であった。 内と外とに徳兵衛とお房が互いに相手を引き寄せようと焦がれる思いは、抑えても抑えきれずに、心の駒の諸手綱、房の思いが通ってのか、夢ではなくて幻の如くに鮮明に浮かんでくるのも夢現の感じである。まるで顔を並べていて見るようであり、抱き寄せようとすると夜着て寝る小夜布団である、涙に濡れて冷や冷やと女の髪が解けて顔に触る、かつて添い寝した夜の気持がしみじみと身にまといついてくるが、一人でころりと寝ているのはたわいも無い、心の内はむしゃくしゃしての枕、いっそ夜が明けてしまえばいい、ああ、大幣同様のこの布団である、祓いが終わると諸人が幣を引き寄せて撫でさするものだが、これを愛しい房と見立てて抱き寝している、小六も寝たろうし小夜も寝てしまったであろう、房も寝るであろうが、何処の誰と寝腐ったのか、ああ、打ちたい、踏みつけたい、叩きたいぞ、ええ、ええ、ええ、踏むな布団に咎はない、今は踏んでも叩いても、房には会えない、会わせてはくれないのか、炬燵でとんと腰も抜けてわけもなく涙が滂沱と流れ落ちる、我が身ながらに男として情けなく思われるのだ。 恋の思いにいつしか寝入り、しばしは苦しみも忘れた折りから、屋根続きの山口屋の物干し場から忍んでやって来る者がいる、余所の恋かと羨ましく、見れば雨戸の戸袋をそっと踏みしめる足元も、震えに震えて目も昏れて、やあ、此処にかいのう、房か、これはどうしたことであるかと、徳兵衛は房の手を取って炬燵の中に引きいれて、ただ泣くしかないのである。 涙を流しながらも房は男の顔をじろじろと見て、ああ、愛しくてたまりませんわ、気を揉ませるせいで顔がとても痩せてしまいましたよ、その苦しみは一体誰がさせるのですか、みんな私ゆえですね、それはそれは、忘れることもありますが、それでももう苦にしては下さんすな、こんな風に言えば何か拗ねているように見えるかもしれませんが、微塵もそうした気持はありません、私の京都に住む父親は、いかがわしい者の保証に立ち、明日を期限に借金を返済しない時は、私を先方に引き渡すとの証文に判をつかれたそうです、私はここに身を売って、先方から連れに来た時には二重売り二重判、父親が牢屋に入れられるのは目に見えたこと、今更どうにもならないことをくよくよと思うのは愚痴の至です。先立って死のうと思って剃刀を手には取ったは取ったのですが、内儀様に見つけられて死にきれずにいました、その間に此方様の声はする、向こう側からは呼びに来る、嬉しい、向こうで何にしても相談しよう、今まで待ちぼうけになったけれども、一目逢えばこれで本望です、頼りのない契でしたが、これを限り、これを限りと、逢うたびごとに観念して、今更に心に貯めている事もありません、貞女を立てているお辰様の蔑みも恥ずかしい事です、仲良くしてくださいませ、互いに生まれ変わったら本妻を定めないその前に、早く夫婦になりましょうね、言い残した事はこれだけです、さあさあ、万年町のお家にお帰りなさってくださいませと男にひしとしがみつき、絶入るばかりに泣いているのだ。ああ、聞かないうちからそなたがそのような気持でいることは分かっていたぞ、そうではあるが今の言葉、嬉しいようでありながら恨めしい、本妻があるのは初めから知っていたこと、同じ口で諸共に死んでくれ、と言ってくれよ、そなたの父親から言ってきた難題を、どうにか処置しようと心にかけ、騙り同然の才覚を働かせ、銀四百を借り出して一時ばかりは俺の懐にあったけれども、どうにも二人には死に神が付いたと見え、打つ手打つ手が逆目に出てしまい、どこもかしこも一時に潮が引くが如くにばらばらと首尾が悪く、道理上有利な立場にいる女房が理屈を詰めて泣き喚き、どのような張良・樊噲でも道理に向かう矢先はない。せっかく手に入れた銀もひとまず妻に手渡してしまった。その場でみすみす嘘の空誓文、とても逃れられないこの罰、仏神を待たなくともこちらから罰にぶち当たって埓をあけよう、途中からそう覚悟を固めてきた、死に直しは二度とない、憂い顔で死んだのでは情けない、手に手を取ってニッコリと笑いながら死のうではないか、そう言ってくれないか、炬燵の上に顔を投げつけて世にも味気ない涙の体、ねえ、その覚悟に偽りはないのですか、そう思うのは決して不思議ではありませんよ、夫婦ですもの、本当にそうだな、忝ないぞ、嬉しゅうございますと二人はひしと抱きあう。声を立てずに啜り泣く。芭蕉の発句ではないが、炬燵の炭火もさぞかし消えて凍るであろう。 奥の方にこのヒソヒソ声が聞こえたのか、兄が声を掛けてきて、徳兵衛、痛みは大丈夫か、とごつごつと咳をしながらやって来る。さあ隠れようと狼狽えて、房を炬燵に押し入れて布団をかぶせて徳兵衛は上にもたれて覆いかぶさり、顔をきょろきょろさせている。程もなく主が立ち現れて、物を言う声が聞こえていたが誰であったのだと不審そうな顔をしている。いや、あれは私が寝言を申したのでしょうが、もしかしたらあなたが病みほおけての空耳でしょうか、部屋に戻ってお休みなされよと言えば、いや、夜が非常に寝にくいのだ、最前に話しかけていた西国巡礼の物語をして聞かせよう、と言って炬燵にあたる困った展開、やあ、炬燵の火がぬるいぞ、これ女房共、火をかっと熾して、火かきに二三杯持ってきなさいと、大声で呼びかけたので、徳兵衛はぎょっとして、申し、申し、火のきついのは体に毒です、無用に願います、いやいや、裾が冷えるのはよくないぞ、膝節が焦げるくらいなのが儂にはよいのだ、と言うので、弟は平にそれはご勘弁を、火の用心が肝心です、膝の皿に火がついたならば生活に困窮すると言いますよ、お体をご大切になさいませと言うが、兄は懲らしめようと思うので意地悪く、火を早く持って来い、と再度に催促した。
2024年11月12日
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徳兵衛は入れ違いに内につっと通り、羽織を後ろにひらりと投げ、歌舞伎の実事(理詰めのつめひらきなどをする演技のこと)師のやり方はちゃんと見て覚えているぞ、その仕草を真似て女房の膝下にむんずと居て、こりゃ、最前からの次第門口で聞いていたぞ、留守の俺を寝ていると親仁の手前は夫を庇うようではあるけれども、職人に似合わない鬢付きの男を身代わりに寝させたのは念が入っているな、忝ない、入婿のことであるから家屋敷家財にも芥子ほども傷はつけまいが、自分の命に疵をつける。たった今間男を引きずり出して見せようと、奥の間に駆け込んで、何も知らずにわっと叫ぶのを胸ぐら掴んで宙にひっさげ躍り出し、どうと引き据えてよく見れば、これはどうしたことか坊主頭の小市郎ではないか、盆踊りの際に買った踊り用の葛、月代を広く深く剃り込み両鬢と後頭に残した毛で髷を短く結った頭の奴天窓(やっこ頭)を振りながら母(かか)様怖いと泣いている。徳兵衛も始末に困ってしまい、言葉も出ない、女房の方は宵からの積もる憂さ、涙が一度に吹き出してわっと叫んで伏し、消え入るかと思われるほどに泣いたのだが、ねえ、徳兵衛殿、あまりに酷いではありませんか、辛いですよ、不義する女と見据えたなら付ききりで見張っているべきなのに、それもしないで、元日から元日まで一年中、よくも行くところがあるもので、留守ばかりして家を空け、此方の留守の言い訳でどうにも手段がなくて、隠居様の声と聞いたので、傍にあったのを幸いにこの子に着せてその場を取り繕ったのも私の智恵ではありませんよ、氏神様がなされたと有り難く思うけれども、恨みを受けたのなら是非もありません、女房の口から言うのも出過ぎた無礼な言い方ですが、言ってみればあなたは人でなしの畜生同然の身、あの房とはまだ手が切れていないようですが、余所外(ほか)でもあることか、兄御の内の奉公人ではありませんか、躾や意見をするべき立場でありながら、客衆とやらの邪魔となって家業の妨げと、兄嫁御からの当てつけ言、聞きづらいし聞き難い、ああ、それも道理です、また先月の火事騒動で兄の一家が寺へ避難した際に見舞いに行ってこの目で見届けましたが、他の御山衆は押しのけて房一人だけを大事にして、ここで心底を見せつけてやろうと言う顔して人目に立つほどの親切ぶり、傍にいるのは顔見知りの人たち、あちらから私の顔は阿呆のごとくに見えたのでしょうよ、じろじろと顔を見られて恥ずかしい思いをして帰ってきました。その上にあまりに人を踏みつけにした仕方、直接見てはいないので、最前の女を房と早合点したが、先に房を連れて来て、女共だの女房だのと言ってその女房の印判までを引き探し、衣類や道具などを入れておく納戸や戸棚を見せ晒し、これが嬉しかろうか、男同士の恥よりも隠しに隠したい、女同士に恥を見せ、男は寝取られ寝間や帳台までも隅から隅まで見透かされ、夫婦の間の秘密までいちいちに見て取られ、それでもまだ夫が可愛いとはどういう前世からの因縁でしょうか。今日のことが隠居に知れて、私は親に叱られながらも心に咎を負っていますよ、あなたに人間らしい気持があるのなら、三十日のひと月のうちでせめて三日でも満足に寝物語があって欲しい、心一杯に理を込めて情けも深く口説く、千々に乱れている女房の思いは実に哀れである。 徳兵衛は一念発起、悔悟のために目覚めて、ああ、誤ったぞ、誤った、悪人とも業悪とも盗人とも、騙(かた)りとも罵ってくれ、我ながら重罪人だと思う、今までもそなたに恥をかかせて来て、止めよう止めようとは思ったのだが、今ほどの悔い改めの機会がなくてうかうかと放蕩の限りを尽くしてしまった、我一人が思い切れば、そなた、子供、隠居の為、兄貴の身上、自分の為、房めが後の為にもよい、それを知らないわけでもないのだが、明日は伊勢のご縁日、今宵の月に蹴殺され過去・現在・未来三世の諸仏の御罰を受け、二人の親に冥途から睨み殺される法もあれかし、ふっつ思い切ったぞ、今日の女も房ではない、奉公人の周旋屋の人置の娘を一角(一両の四分の一)で頼んだのだ。証拠にはその金はまだここにある、と取り出して、明日直ぐに返済する、房とは縁を切る、今までお前の心を無下にした恨みもつらみも許してはくれないか、さりとては、この徳兵衛は女房の罰が当たった、罪を許してくれよ、と両手を合わせて伏し拝んで詫びるのだ。 女房はにっこりとうち笑って、忝ない、忝ない、縁は切った、捨てたなぞとは何度も聞いておりますが、銀まで見せての誓文でやっと心が落ち着きました、今日からは本当の夫婦として過ごしましょう、皆、喜んで下さいな、と言って涙を流した。そして、いっそのこと、この上の願いに年寄って心を痛めている親御の心を一晩でも早く安らかにして差し上げたい、大義ではありますが今の誓の言葉をひと通り聞かせてやってくださいな、これは私の御無心、御恩に着ますと言うので、徳兵衛は何がさて、家屋敷・家業をも譲り受けてはわしにとっても親同然のお人、ちょっと行ってこよう、それではお願い申します、生姜酒を用意して待っております、それ、生姜を下ろしなさい、釜の下を焚きつけなさい、竹は柄が二本角のように上に出た樽を振ってみる、空の樽を提げて竹が酒を買いに出た方角とは反対に、夫は北へと出かけたのだが、辻に来てからふっと思い出して南無三宝、義理の迫った女房の台詞、尤もだと胸に応えてから房の大事をはったりと忘れていたぞ、日の暮までを期限に待てよ、待とうと、言った手筈が違ってしまっては生き死にのできる銀、いやいや、親仁は明日のことにして、ちょっと房に会ってこよう、と立ち戻る。ああ、そうもならないか、たった今に誓文を立てたが殊に銀は手放してしまっている、まず親仁の方を済ませてしまおうおか、はああ、可愛や房よ、どうか銀も首尾がついて卵酒を飲む首尾にしたいものだ、と嘆いたが心配するなと励ましたが相手は気の弱いおなごである、父親の方はどうともなれと再び立ち戻り、よくよく考えれば女房は生姜酒を準備して待っていると、自身で生姜を下ろしている心根も不憫であると、辻を越えてはまた立ち戻り、辻にたったりしゃがんだり、行くも帰るも定まらない、どうしようかこうしようか、生姜酒が煎りつくように気がなって、胸かき回す卵酒、心を二つに打ち割って君の方へと走りゆく。後は、涙の卵酒、霜の白味に……。 中 之 巻 橋はまだ工事中だが、月だけはもう渡り初めをして、中橋は六軒町へと通じている。夜を迎える娼家の格子、漢の聖人孔子様が仰るには、色の徳には隣あり、向かう両側輝かす軒の灯火目印に、昨日も今日も、明日の夜も、重ね井筒の釣瓶縄、たぐって来いとの手段であって、中では不憫や房は憂き身の品々を心一つに孕み句(兼ねて腹案の出来ている句のこと)の挙句の脇の者が勇めば力なく、片目で笑い、片目でも涙を包む火箸のもと、人を待っている宵の火遊びで小夜(さよ)も小六も浮き浮きと有り合わせの紙を引き裂いて紙縒りに捻り元結にして、火廻しの遊び(冬の夜に火鉢などを囲み、線香か紙捩じに火をつけたのを持ち、題字の同じ物を名を挙げて次々に廻し、いい詰まって火が消えた者が負けとする遊戯)をしている、ひの字日野絹、房様、何と言いますか、私は一人ね、ああ、忌々しい、緋無垢、冷酒、曳舟、火桶、雲雀、ヒヨドリ、比叡の山、檜の枝に、そりゃ鳥刺しか、鳥ではないぞや、身は丙午(ひのえうま)、また房様が忌々しい、夫を殺そうと言う事ですか、こちらは目出たく祝って姫小松、緋縮緬解く人目の暇に鬼も来るなと柊や、ひよこ、ひしこ(京阪神地方で塩漬けにした小鰯を言う)、青葱(あおもじ、ねぎを言う女房言葉)、ええ、しゃらくさいわ、二瀬仲居(勝手向きと夜の伽の両方を務める女)も小差し出で、飯炊きは来て火吹き竹、料理人まで冷やし物(冷水で冷やした果物など)、駕籠の彦兵衛の膝頭、柄杓、緋緞子、ヒキガエル、平野蒟蒻に菱紬、平野屋ゑきょう(淫薬の名)、肥後芋苗(ずいき)、さあさあ紙燭が皆消えてしまいますよ房様、さあどうじゃ、と詰めかけられて、ああ姦しい息ができぬ物が言えないので赦してたもれ、息が出ないなら火葬場の火屋にやれ、そんなら火箸で焼いて除けよう、南無三宝、火が消えた、さあ房様の灰寄せ(火葬の骨を拾い集めること)じゃと、一同がどっと笑った冗談口も明日の哀れとなったのである。 火廻し遊びの途中で飛脚が来て、何か御用はございませんか、やあ、房様、京へのぼす銀もあり御状も有るとの御事を遣わされてはいらっしゃいませんか、と問いかけた所、ああ、よくぞ寄って下さいましたな、まだ文を書いておりませんのでもう少ししたら来てくださいな、それなら明日の便りになさいませ、今宵は仕事了いでございますと言う。それは尤もで御座いますが、今夜上して明日の間に合わせねばいけない大事な要件があるのです、無理なお願い事ではありますが、もう少ししてからもう一度寄っては下さいませんか、お願いいたしますとひたすらに頼み込むのだが、返事もしないで出てしまった。 房は心も上の空で、日の暮れまでの約束が初夜(午後の八時)過ぎて四つの鐘(午後の十時)が過ぎても徳兵衛は姿を現さない、兼ねて予期していたことではあるが金策はおぼつかないと思ってはいたが、門まで出ては北を見、道頓堀の岸まで歩いて西東、足の冷えて金釘のよう、その金釘を胸に打ち込まれるような様々な思い、やあ、北から人が走って来る、そりゃ徳様よと走り寄り、見れば以前の飛脚屋である。お房様ですか、どれどれ御状はどれですか、舟が出ますのでと言う、おお、道理です、道理、この銀は京にいる私の親里に明日の日中に渡さなければ、どうにも事が片付かない銀ではあるが、いまだに先方から届かないのです、きっとおっつけ来るでしょうから、もう少ししてからまた来てください、いや、最早こられませんよ、来ても今夜は出すことができませんよと言い捨てて帰ってしまった。 房はひとりぽつねんと気が抜けて呆然している、今夜の首尾を違えてしまっては、一生この身は京に縛られて連れ添うことも絶え果てる事は知り抜いた上でのことだから、徳兵衛に抜かりのあろうはずもない。これもみな女将のお辰殿の入れ知恵だと思うから、もともとこちらの無理を押し付けたこと、いざとなれば自分ひとりに覚悟のできている事だから、まるで悲しいこともない。 内へ帰れば主の内儀が、房はいままで門にか、この寒いのに物好きな、そうじてこの中うかうかとしやる、少し心を締めなさいよ言うのであるが、それですがあまりに他所が賑やかだったので、格子祝い(遊女が客の来る呪いに、夜遅く近くを散歩して来ること)に出ましたと言い捨てて二階に上がる体、気がかりであるから目を離さずに折々に心つけていたが、房はそれとも知らないで、白い紙の障子からの月明かりで剃刀を取り出して、合わせ砥石で磨く、こうなると決まっていたら、せめてこうとだけでも打ち明けて、もう一度顔を見てから死にたいと思えば曳かれる後ろ髪、手もわなわなと震えるのだ。 主が見つけて後ろから、これ房や、それを何をするつもりなのだい、はっと驚いて振り返り、はあ、御内儀様ですか、何でしょうか吃驚しました、あまり良い月影なので、額を剃ろうと思いましてと紛らすと、うち笑って、おお、良いところに来た、幸せだ、旦那殿が髭剃ってくれと言われるので、その剃刀を貸してくれないかい、とひったくり押し包んで、しばらくは額を見つめていたけれども、ああ、一昨日の煤掃き(年末の大掃除)で肩が大分疲れてしまった、そろそろと揉んではくれまいか、はいと答えて背後に廻ったが、さては気配を感づかれてしまったかと、悲しさと怖さが一段と増してどうしてよいやら分からない。流石に遊女屋の内儀だけあって、世間話で房の気を緩ませて、これのう、房や、いつかいつかと思っていたのだがちょうど良い折なのでこの機会にそなたに意見したことがあるのじゃ、我も始めは勤めの身だった、素人の言うことと同じに聞いてもらっては情けない、心を静めて聞いておくれ、曲輪や此処の奉公は楽しみがなくては務まらない、好きな人との仲を一途に裂こうと言うのではないが、いくら恋仲でも駆け引きがあってもよいはず。必ず妻子のある人と末の約束をしてはいけないよ。男の密夫(まおとこ)同然で、なかなか思いは遂げられないものといいます、徳兵衛様とも今は縁を切ったと言っている。おお、おお、仕合せ、仕合せ、目出度い事だ、お辰様を離別させ無理に添ってみたところでそなにも嬉しいこともあるまい、そればかりか、愛しい人を破滅させて、自分は自分で相手の親戚中から憎まれて、そなたを鬼よ蛇と言う、又本妻を離別させず妾として囲われて人目を憚り、後家同然に暮らしても、それが何の手柄になろうか、若木の花はひと盛り、老い木の枯れ葉色失せて、変わるのは男の心ですよ、余の御山衆と違って十歳の時からの子飼いで、豆腐を取ってこい、八百屋へ走れ、駕籠を呼んでおいで、掃き掃除や戸棚の鍵まであずけたのは小さい頃からの馴染みであって、我が子のように思っている。良い客がつけばよい、出世をさせて下女の一人も連れさせたい、思うのは私ばかりではないよ、どこの親方(遊女の抱え主)も同じで、無分別な事をしでかして酷いめを見せないでおくれよ。
2024年11月08日
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重 井 筒 (かさねゐづつ) 上 之 巻 夜さ恋、夜になったら来なさいと言う文字を金紗で縫わせ、裾に清十郎と寝た所、裾に清十郎と寝る、それではないが鼠色の、京の吉岡、紙子染め、野暮にけばけばしい照柿色か、それとも薄柿色か、正月前の庄屋の決算期の節気節気に旦那殿は外が内で、御神酒(おみき)過ごしてうかうかと山洲(やましゅう、下級の遊女の総称)、遊女と言えば目が見えなくなるほどの狂いよう、内にいらっしゃる内儀様や我々奉公人ばかりに仕事を任せっきりで、誂え物も節気をも、どう始末をつけよう所存なのか、心掛けの悪い御主人様よ、やい三太、そりゃ何だ、茶屋に遊びに行こうが山洲を買おうが、旦那は旦那だ、我々は紺屋の手間職人に雇われている身、何事にしても浅黄にさらりとして、立ち入ったことは言わぬがよいぞ、おお、喜兵衛の言うことではあるが我が身は元を知らないだろうが、もともとは旦那の素性なのだが、重ね井筒屋と言う大阪島の内の娼家茶屋の弟で、此処へは入婿なのだ、乳飲み児ではないけれっども、小紋を持ちながら他人の見る目も構わずに、海松茶(みるちゃ、暗緑色がかった茶色)の粋な衣装を着て、遊び狂っている。御内儀は穏やかな気性で柳に風とやっておられるからよいが、隠居した親父が来られると家内は竦んだようにしんとなる。あのように遊び惚けていてはやがては身代も木賊で物を磨き下ろすように財産をすり減らしてしまうだろう、言って笑うのだ。 酒びたりに精根も尽きたのか、我が宿へと帰り来た紺屋の徳兵衛、忙しそうに立帰って、これは庄助に喜兵衛、仕事に埓があかないな、あかないな、まだこの仕事にかかったままなのか、今日は何時だと思っているのだ、師走の十五日だぞ、中之島からの注文の品、昨日を日限にした約束ではないか、谷町の蒲団もまだ持って行ってはいないだろう、兄貴から誂のあった重ね井筒の暖簾にしても遅いと言って立腹じゃ、それに女房は一体何処に行ったのだ、ああ、気のきかない奴らだ、俺が言わなかけばもうこんなにも時間がかかってしまう、言いつけも監督・見張りも口は一つで、目は二つだぞ。こう注意する事が多くては水を一杯飲んでいる暇もない、と言った所は立派である。 奉公人達も小言には慣れて平気なもの、御内儀様は鑓屋町のお兄様のところにちょっと行っくるので、御主人様が帰って見えたら、よく聞いた上で布団地を持って行けとの事でした、と告げると、それなら喜兵衛、お前が持って行きなさい、庄助は提灯を持って女房の迎えに行きなさいと、命じた。それから家内が里に連れて行っている坊主に怪我をさせるなよ、背負って帰れと言いつけると、はい、はいと返事をするのもそこそこに皆々表に出て行った。 亭主も辻まで行くかと見えたが、三十歳ほどの女性とちょっと囁き交わしてから連れ立って内に入りければ女は亭主と馴れ馴れしい様子で対坐して中流の商家の妻のような顔をしている。 年季奉公の丁稚の三太はどうにも納得がいかず、ジロジロと見るのを徳兵衛は、これ三太、此処へ来い、つっと寄れと膝下に呼び寄せて、こいつはよほどの利巧者で言うなと命じたことは口にしない奴だ、それで人が可愛がる近づきになる印(しるし)に、何かやって下さいなと言えば、例の女が、そういえばそのように感じられて目元が利発に見えまする、なんと芝居の顔見世狂言を観劇しましたか、芝居の木戸札を買うお金をやりましょうね、それとも他に何か欲しい物がありますか、と言えば、いえいえ、私は芝居が観たい時には御主人様の兄様の家から行けばいくらでも観られます、わたしゃ金が欲しいと言う。むむ、銀を貰って何を買うのです、あの、銀貰ってか、銀を貰ったらその銀であっちの方のお山がひとつ買ってみたいと仰るのじゃ、と照れ隠しに身をすくませる。 これは偉い、偉いぞ、そのためにお金が要ると言うのなら、幾らでも用立てようぞ、誰か惚れた相手がいるのかな、言ってみよ、言え、と問いかけられて恥ずかしがり、私が惚れたのはいろは中にいる、と言う。やあ、それならばいろは茶屋にいるのか、いえいえ、太左衛門筋に、何だと太左衛門橋にいろはとは、ちりぬるをわか、よたれそつねなと、念の為に唱えてみると、それそれ、その次のらむ、右源太(遊女の源氏名)ぞと答えたのだ。これは上者、上目利きだな、と豆板銀一枚をぱっと弾んで差し出し、やい、今此処に銀を持ってくる人があるので、ここいる女子衆を必ずお内儀でありましょうかと訊くであろうからいいえとは言ってはいけないよ。さて、この事をおなご衆にも傍輩にも微塵も言ってはならないぞ、いいか、合点かと念を押すと、三太郎は頷いて勿体無や、勿体無や、決して申したりは致しません、もしも重ねて言いたい気持が出てきた際には、お前様にそっと申しましょうほどに、又銀を下さいませと三太郎は阿呆な顔していながら決して損をしない、相手を上手く操ったつもりの者よりもとぼけた顔で金を貰う者のほうが人情の裏表を知っている点で一枚上手である。 その時に当たって表の方で、頼みましょう、紺屋の徳兵衛殿はこちらでしょうか、と年配の人柄の客である。やあ、治右衛門様ですか、お入りなされ、御免と言って通りける、それ女房よ、内々に話しておいた治右衛門殿である、家付きの娘であるそなたが判を押すならば銀を貸そうと仰る、お目にかかって置きなさいよと言えば、兼ねて話し合って置いたものか彼の女、これはまあまあ御懇ろな、いかにも家も商売も私の物とは申せ、子まで出来た夫婦の仲であれば今ではもう屋財家財みな亭主の物でありまする、こうしてお目にかかった上は私が請け合いましょう、詳しい事情こそ申し上げませんがこの家屋敷相応に銀の三貫目か金の五十両はお貸し下さいませ、と言葉の端々に辻褄を合わせる巧みな弁舌にさすがの口入れ(取引の仲介をする事)屋も一杯喰った感じで、あらあら、これ程念を入れる必要はないようなものですが、徳兵衛殿は入り婿だと聞いていますので、こうすれば後々の為、今後も金を用立てる為です、さあ判を押してくだされよと手形を出せば、徳兵衛は引き出しのある硯箱を引き寄せて、ここへそなたの判を、此処へは私の物を押そうお互いに印判を押し合うこと型のごとくで明白である。海鼠形の銀貨の丁銀四百目包です、吟味してくだされよ、と受け渡しを終了して、もう日も暮れます、お暇いたしますがちょっとばかり固めの杯事を致しましょうかと言えば、徳兵衛はその盃はまたの機会まで御預けにします。それではと言って相手は帰ったのだ。 ざっと済んだぞ目出たいぞ、と銀を懐に押し入れて、これ三太や、この女子衆を送ってちょっと出かけてくるから門も締めて、火も灯せ、そのうちお辰が戻ったら湯屋へ行ったと騙しておけ、必ず何も抜かすなと商売物の糊で口を固めたように口を開けさせない。女は、徳様早うと表に出た。 所帯は持っても色気はまだ捨ててはいない道理である紺屋の妻、月も冴えていく夜の嵐に、ああ提灯は持たなくともよい、宵のうちから眠たがる小市郎は下女の竹の背中でうとうとしている。風邪をひかすな大事な子供、萬年町に帰って来たのだが、訊かれもしないのに三太郎は「旦那は只今湯屋に行かれました」と言えば、ああ、どうせ湯か茶かを飲みにであろうよ、夫と思えばこそ腹も立つ、何の縁故もない同居人だと思えば済むことと恨みながら、小市郎が目を覚ましてぐずるのを暖簾の奥の小座敷にやっとの事で寝かしつけてから、私も着物を着替えましょうと押し入れを開けると、これはどうしたことであろうか、掛け硯を開け広げたままで、しかも夫婦の印判がとり散らかっている。 これはこれはと言おうとしたが、周囲を見回して気を静め、こりゃ三太郎や、そちに大事な物をやろうから火を灯してから奥へ来なさい、と言うよりも早く、あいあいあい、それではどっさりとお金を溜め込むとしようかと、小行灯を提げて奥に入る。下女や手間取り職人は見送って御内儀様と奥座敷に通り、旦那様はとあっちへ廻っては中傷し、こっちへ来ては告白する。のこぎりが押しても引いても切れるようにどちらに廻っても利益を得ようと小賢しく立ち回る、下々の者にありがちなこずるさを発揮する。 この家の隠居の吉文字屋の宗徳、代々に伝わる紺屋の形紙(厚紙に渋を引き紋を染出すのに用いる)と一緒に、禿げた頭を剃髪して、額に毛抜きを当てることもなくなった、食うに困るわけでもないのに勘定高い老爺であるが、この家屋敷の家職を妹娘に与えて、自分は鑓屋町の姉夫婦の許で暮らしている隠居の身分、薪の始末や灯心を幾分でも減らそうとの心づもりで、日暮れに一人、にょっと姿を現した。 店の者共は、あれ、お辰様、鑓屋町の隠居様がお出でになられました、という声で、おう、と言って店の中に入って来た。宗徳は尖った声で「入婿殿は何処じゃ」、節気師走内を明けて外出すると言っても出したりはしないぞ、今のは二人目の婿なのだ、あの孫の小市郎に三人目の父親を持たせてはいけないぞ、と言う顔が不平そうなので、女房は優しくも夫の浮気を押し包んで、どうして他所になど行きましょうか、方々の仕着せ物などで内の者の手が足りずに、今朝早くから仕事をして、風邪を引いて頭痛がすると言って奥の間で寝ておりまする。お前様はどのような用事でいらっしゃいました、と問えば、いやこれ、唯は来ないぞ、たった今そなたが帰ったその後で、堀江の口入れ屋治右衛門と言う者じゃが、こちらの娘御の婿殿に両判で銀四百目を貸しました、若い人の事でありますから後日の念の為にちょっと知らせておきますと、言いおいて帰られたのだ。聞くと同時に俺は目が回って一服の薬さえ飲みさしてやって来たのだよ、四百目という銀を何にすると言って借りたのだ、商売の資本に食い込みができたのか、夫婦の仲の栄耀、贅沢暮らしで使い込んだのか、ええ、え、情けない、これでは身代は持ったないだろう、俺の寺参りの談義参りして一文を賽銭箱に投げるのさえ、進ぜようか進ぜまいかと迷っている、畳算(簪や煙管などを畳に落として吉凶を占うこと)を置いてみて、たとえ算が合ったとしても三度に一度は投げずに仕舞う。傍にいる同行衆ががらがら投げる際には銭を一文つまんで肩へこう振り上げて、投げるような顔をして手品師の長二郎よろしく手に留めておく。こうでもしなくては過ごし難い身代なのだぞ、四百貫目は何に使うのだ、使い道を聞こうと決め付ける。 女房はこれを聞いて、さては丁稚めの言った事は本当で、思い当たれば妬ましい、いっそのこと本当のことを白状してしまおうか、いやいや、それも酷い仕打ち、どうかこうかと責め立てられて先ず先に立つのは夫の可愛さ、ああ、親父様はどうしたことかと思ったら大袈裟すぎますよ、私ら夫婦がどうして借銭など致しましょう、その銀は南の兄御の方に、廓(くるわ、遊郭)から出たよい奉公人を抱えたのだが、手付金をやりたいのだが世間一般に金詰りであり、特にあの周辺は利息も高い、殊に兄御は病中です。私共の判があれば貸す人があるとの頼みでした。銀を貸すことはできなくとも判を押すのは親戚一門のよしみ、特に私とは他人なのでなおさらに義理は欠きたくない。又、こちらから向こうに頼むことも出てくるかも知れないと考えて判をしたのです。内外の人も聞くでしょう、よほどの手違いがあったことか、あんまりな言い方ですよ親父様、と夫の為に言い訳をする優しさよ。 徳兵衛は女房が帰らぬ先にと足早く、門口に立ったのだが、家の中では舅の喚き声がする、南無三宝とばかりに内には足を踏み入れもせずにしばらく様子を伺っていた。 舅はそでも納得せずに、おお、夫婦が言い合わせて親を騙して身代を潰すがいいさ、寝ていると言うのも嘘に決まっているぞ、どこへ失せたのだ、と詮索する。 はてさて、留守なら留守と何でなのか言わないではおかない、あれ、あの暖簾のあちらへと指させば、宗徳は暖簾を打ち上げ孫のことは気もつかずに老眼で、何を見たのか、むむむむ、先ず職人には似合わない鬢付きが気に食わないぞ、頭痛のする寝方ではないぞ、またもや喰らい酔いしたのか、春は早々追い出してしまえ、あのような婿なら二十人や三十人は直ぐにでも迎えてみせるぞ、三日とひとり寝はさせないぞと呟き呟き雪駄を履く。内の者共はもうお帰りなされますか、送りましょうと言うと、道は申し訳にちょっと送って夜食にありつこうと言うことかと、門の戸を開ければ、徳兵衛は染物を干すために枝のついた竹を並べた虎落(もがり)の陰に姿を隠したのだ。それとも知らないで舅は帰ったのだが、危機一髪の所であったよ。
2024年11月06日
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彦九郎は衣を打ち振るい、辻にある門の片陰で頭巾を後ろへずり下げ、笠をあみだに被り、上に衣を引っ張って、暖簾の端から差し覗き、かねてから覚えていた観音経第二十五爾時無盡意菩薩(にじむじんいぼさつ)、即従座起偏袒右肩合掌向佛而作是言世尊観世音菩薩(そくじゅうざきへんだんうげんがっしょうこうぶつにさぜごんせそんぼさつ)、以何因縁名観世音菩薩(いかいんねんみょうかんぜおんぼさつ)、ええ、喧しいしいわい黙りなさい、と言いながら走り出て来た下女の様子を探ろうと、申しあなた様、早朝からのお客であったようですが、何方様で御座ろうか、と問いかけたところが、どこも下司と言う者は口が軽いもので、あれは田舎のお侍、ここの旦那様の鼓の弟子で、お国の殿様から鼓のゆえにご加増があったそうで、これも師匠のおかげですと言ってこの度御礼に参られたのじゃ、旦那様に銀十枚、内儀様へは一歩判金を五つ、わしらまでずらりと誰彼のけじめもなく一人あて三百文の御祝儀にあずかった、そなたが一日朝から晩まで喉の穴が痛いほどに観音経を読んだとて三百は貰えまいよ、さっぱりとお経などは捨ててしまい、手鼓などでも習って売ったほうが得であるよ、今からでも鼓を打ちなさいな、と下衆女の問わず語りの早口に言い捨てて、内に駆け入ってしまった。 彦九郎はうち頷いて、様子は聞いたぞ、今からでも鼓を打てとは幸先がよいぞ、皆に囁き勇んだのだ。 時も経過しないうちに客人は、裃を脱いで脇差ばかりを腰にして、編笠を被りただ一人だけで出て来て、あたりを気遣う風情である。立賣を東の方向に、洞院の南へと下ったのだ。 人々は一緒に寄り集まって、これは推量するに、きっとただ今の侍が下人どもを残して、表には槍も置きながら、自身はこの家にいるような様子にして祇園会の山鉾山車(やまぼこだし)を見物に行くと見えたぞ。七八人の下人どもが留まっているからは中々容易には討ち難い。どうしたらよいだろうかと、それぞれが小声になって相談する。 文六は血気に逸る若者なので、そのように言っていたのでは何時までも本望を遂げる時節はないでしょうよ、下郎どもが居ても目指すのはただの一人でありましょう、助太刀するのであれば撫で斬りにしてしまうまで、それからは運次第でしょう、さあさあと言って斬り入ろうとする。彦九郎は平静に、ちょっと待て、妙案があるぞ、文六を押しとどめてから再び門の前に立ち、暖簾を上に上げて、これ、申し、頼みましょう、先ほど編笠を召してここから出立なされた殿御は、山鉾を見物にと出かけられて三條上る室町で喧嘩を初めまして大勢に取り囲まれておりまする。お知らせいたします、と大声で呼びかけた。これは大変だと下人どもははらはらと駆け出しながら、三條とはどう行くのだ、室町とはどう行けば良い、北か西か、とおっとり刀でいずれも遅れまいと走った。 さあ、北の方角ですと後ろから呼びかけた。この策略が外れるはずもなく、運の盛り、刻限も先勝の時が至ったぞと喜び、衣を脱ぎ捨てふわりと捨て、親子の脇差を両人の女達に渡せば、心得て、鍔を打ち鳴らして腰に落として鉢巻も凛々しく抱え帯からげた膝頭が白々と、小足を踏ん張って立った姿は男勝りとも言うべきだろう。 南無正八幡大菩薩、神力、威力を与え給えと、心中に祈念して、二人の女は堀川口に、親子は立賣西東へとと立ち別れたと見えたのだが、中戸障子を蹴破って、ばらばらと駆け入ったのだ。 この思いがけない意外な攻撃に遭って、家内では下女も下人も「ああ、怖や」と言って裏口を指して逃げ出した。 あれ、あの者こそ宮地源右衛門ぞ、とお藤から声を掛けられた相手は、不意のことで、まだぼんやりとしていたのだが急いで立ち上がると二階への梯子、半分登ってから腰を打ち付けてしまい、拳を握って左右を睨み、控えている構え。隙間も見せずに二人の女は両方に引き添うのだった。 彦九郎は大声を上げて、我こそは小倉彦九郎である、妻女のお種と不義の段が露見したので、女は先月の二十七日に刺殺したぞ、女敵め、逃がさないぞ、と声をかけてからはったと相手を斬った。心得た、とばかりに足を上げて梯子に手をかけて「えい、やっ」と二階へ上がるのを追いすがって二階に上がろうとするのを、源右衛門の女房が壁際に架けてあった薙刀を急いで手に取り、相手を二階に上げてなるものかと切り結ぶ。下人共は物の間から、寄る棒、杖よ、箒よ、と支えるのが足でまといとなって、躊躇している隙に源右衛門は虫こ窓から手を出して、軒に立てかけてあった槍を引っつかんで、上がり口から指しおろしに突きかけたのだ。 彦九郎は嘲笑って、なんで貴様のねずみを突くのが関の山の鑓などに撃たれるものか、鼓の胴を握っても鑓の柄を握った習いは知らないだろう。構えといえば隙だらけだぞ、我流の槍の振り回しぶりを見物してやろう、と彦九郎は相手の槍の柄の身に近い籐で間を透かして巻いた蛭巻の部分をはっしとばかりに切って落としてしまった。相手は、ええっ、小癪な、われはもとより武士ではない、槍を持つ術は知らないが、鼓の御蔭で打つことは体得しているぞ、この碁盤を受けてみよと、狙いをすましてはたと打った、双六盤やら将棋の盤を取っては投げ、取っては投げして、後からは火入れ煙草盆、茶の湯で湯を沸かす風呂釜、茶碗、枕をいくつも入れておく枕箱を、がらりと打ち空けて手に触れるのをはらり、はらりと投げたのである。さながら天から降る雨のようで、寄るのが難しい状況である所に、妹のおゆらが表に廻り、辻の門に手をかけて柱を伝い貫木(かんぬき)踏んで尾垂(おだれ、庇のこと)から這い上がって抜き打ちにちょうと斬った。 源右衛門はせん方なく四尺の屏風を押し倒して、上から取って押さえれば跳ね返そうと挑み合う、遂には源右衛門はゆらの脇差をもぎ取ったのだ。その間に彦九郎は梯子を上がって逃がさないぞと追い立て追い立てして切り結ぶ。斬り合いが激しくなると源右衛門はこれは敵わないと大道へと飛んだのである。彦九郎は続いておりて、ひらりとばかり橋の上まで切り出した。 あたり四方の町々から、さあ喧嘩だと東西の門を閉じて、叩き殺せと人々が集まってきた。 藤とゆらの二人の女は大声を挙げて、正式に訴えでた敵討ちでありまする、他の人には害は与えません、粗忽な手出しをいたすでないぞと声をかけて、門の左右に仁王立ちに立った。 二人は此処が大事であると息を休めながら休息を取り打ち合わせ。命限りと火花を散らして相手と斬り合ったが、彦九郎は侍、相手は町人である、それを相手に本気で立ち会うのは見苦しいと思ったのか、自身はあまり活躍しないで、打ちかかってくれば追い払い、二三度身を揉ませて切りかからせて、もうここまでであると見極めをつけると射った矢の如くにつっと相手の手元に入り、相手の左の肩先から右の脇腹にかけて斬り捨てると、うつ伏せにどうとばかりに倒れふした。文禄も直ぐに飛びかかって母の敵と切りつけた。藤が為には姉の敵と打ちかかり、同じくゆらは兄嫁の敵だと恨みの刃を打ち下ろした。最後は四人が同時に乗りかかって一度に止めを刺したのである。これは前代未聞の振る舞いであった。 町中の者が寄ってきて手にした棒を突き並べて、四人の逃亡を警戒しながら、町内の者として念を入れるため腰の物を預かって所司代からとかくのお指図があるまで外へは逃がしたりはしませんぞ、町内の事件を扱う事務所へ取り押さえて押し込んでおけ、と四人の男女を取り囲んでしんずしんずと歩ませていく。見事さ、立派さ、心地よさ、世上にたちまちにぱっと噂が立って囃し立て、言い渡した。山鉾の賑やかなお囃子に負けないほどの賑やかさ、見事に討ち取ったり女敵うち、実話通りに仕組んだが、操り芝居で太夫の操る舌の先にかかり、世上の評判を取ることとはなったのだ。 こうして、近松門左衛門の人形浄瑠璃を続けて二曲ほど鑑賞してみたが、心中事件と言い、仇討ちと言い、実際に起きた事件をもとにしているので、所謂、不自然さを故意に隠そうと意図する作為も目立たないで、流暢な語り口の流れで観客・読者を文句なく酔わせ、楽しませてくれる。エンターテインメントのお手本のような作品である。劇的とは、極めて人間的であることの同義である。人間は人間らしさが非常に好きなのですね。死にまつわる劇的なスペクタクルの展開は、何度でも鑑賞するに堪える上質な娯楽の種なのでした。硬い事は言わずに存分に楽しめばよいのであります。
2024年11月01日
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彦九郎は相手の言葉が意外だったので思わず両手を打ち合わせて、むむ、これは珍事を聞くものである、その源右衛門とやら噂に名前は聞いたが面はまだ見ていない、遂に家内に出入りせず証拠は有るのか、と問いかけた所、おお、三五平程の者が証拠もなくて言うだろうか、則ち傍輩の磯邊床右衛門が両人が不義密通の様子を察知して、留守見舞いと見せかけて近づき、両人が忍びあった夜に両袖を切って取ってあるる。御家中が取り沙汰している上は隠しても隠しきれない、如何に親しい傍輩同士の中であっても、これを直接に彦九郎に打ち明けるわけにも行かず、夫の三五平殿に申し越された。これをご覧なさいと懐中から二人の袂を取り出して投げ出し、これでもまだ疑うのですか、と血相を変えて言うのだった。 彦九郎はそれを散りあげて、男の袖は知らないが、女の衣装には覚えが確かにある、これ妹よ、直ぐにでもその方の恥辱を注いでやろう、こちらに来なさいよとうち連れて座敷の方にと通ったのだ。 家内の上下、これを聞いて鳴りを潜め、ひっそりと静かにしている時に、主は少しも騒がずに言った、これ女房、此処に来い、言葉数少なく呼んだところ、いずれにしても重大事である、そろりそろりとお種は夫の前に姿を現した、そして神妙に頭を垂れて座っている。身体も冷え切って魂もしょげてしまい、息を潜めている中でも、無残であるが種は我が心から進んで企んだことではなくて、不慮の悪縁であり、身から出た錆であるから夫の手で刀の錆と刃にかけられるのも覚悟の上、やがては再会するであろうと長い期間の留守を辛抱をしつくして待った甲斐もなく、去年新しく改めた前夜の枕が今生での最後の枕とは、今殺されるまでは夢にも思わなかった、今一度夫の顔を見たいと思うのだが、涙に暮れて目も開かない、差うつむいたままで泣いている。 主は両袖投げ出して、妹のゆらが言っている言い分を定めて誰もが聞いたであろう、女よ、言い訳はないのかやい、むむ、無言でいるのは最も至極であろう、そうであろう、そうであろう、返答は出来ないであろうよ、男女が不義を犯した場合に仲立ちをした者も同罪である、藤は仲介者を知らないかと問いただすと、ああ、愚かな事を仰せなさるな彦九郎殿、仲立ちを知っているくらいならこの様な恥辱を体験致しましょうかと、再びさめざめと泣いているのだった。さては下女目が仲立ちをしたのであろう、そいつを呼べと呼び出したのだが、がちがちがちがち、と身を震わして、ああ、勿体無いことでありまする、私は何も存じません、この間お種様は子堕し薬を買っておくれと仰りまして、一服を七分づつ三服を二匁一分で買って参ったばかりです。そうではありまするが、旦那様がお聞きなされたら高いものを買ったとお叱りを受けるだろうからと思いまして、銭の方は相手を上手く誤魔化しておきました等と言う。 彦九郎は驚いて下女は何を言うことかと思えば、さては懐胎していたのか、文六よ、お前は若年とは言えこれほどに家中の評判になっている事でもあり、どうして源右衛門をさっさと討って捨てなかったのだ。いや、我等も今朝程に事情を承り家来どもに申し付けて彼の宿所に討手に遣わしましたところ、相手は二三日前に京都に帰りましたと言うことでした。むむ、もう仕方がない、持仏堂に火を灯せ、これ女よ立て、持仏に参れ、と言ったところ女房は涙を押し拭い未来の後の末の世まで御憎しみがお有りでしょうに、庭先やその他の場所ではなく持仏堂に参れとはさすがに御馴染みの御温情、篤く感謝致していつの世になりましても忘れは致しません。そのお優しい御心情を知った上でこの長い年月を夫婦として共に過ごし、その愛しい夫を袖にしての不義ではありません、まるで夢でも見ているような私の身の上です。間に憎い奴もいるのですがそれを言えば言い訳がましくなりますので、卑怯未練の死、夫の刃に掛かる前に自害するのはどうかとも存じまするが、これは私自身で責任をとったものです、お許し下さい、御覧下さいませとお種が胸を押し開けば懐剣の九寸五分の鍔元まで肝先まで刺し通していたのであった。実に哀れな覚悟ではあった。 藤と文六はあっと叫んで涙は胸元までせきあげてくるのだが、少しも怯んだ様子もない主人の顔に恥じて歯を食いしばって嘆いているのだ。 彦九郎は刀を抜き、女房の身体を引き寄せてぐっと刺し、返す刀で止めを刺した。死骸を押しやって刀の血を拭い、落ち着き払って静かに立ち上がった。さすがは武士で水際立った処置ぶりである。今朝脱ぎ捨てたばかりの旅装束を再び押しとって笠や草鞋を身に付け、刀を腰に差し、文六よ、私はこれから番頭に訴えでてお暇を願い出て、直ぐに京都に馳せ上り女敵を討つのでお前は女達を引き連れて親戚の元に立ち退きなさい、と言い捨てて出立すると、藤と文六は、ゆらもともどもに一緒に付き添って参りますと跡を追おうとする。 彦九郎は大きな眼(まなこ)に角を立て、町人風情一人に貴様達を引き連れていくなどと、この彦九郎に恥をかかせるつもりか、一人でも付いて来たならば勘当であると怒った。各自は一時にわっと泣き、それはあまりに無情で御座います、我等が為には姉の敵、私のためには母の仇、いや、私のためにも兄嫁の敵です、そのままに見捨てておくわけにはいきません、どうあっても一緒に連れて行って下さいませと、三人は一緒に手を合わせ、声を挙げて泣いたので、夫も今は心中の恋しさを押さえかねて、勇んでいた顔をくしゃくしゃの泣き顔にして、それほどまでに母、姉、兄嫁を大切と思うならばこういう処置を取らねばならぬ前に衣を着せて尼にするのだと何故に彼女の命を貰ってはくれなかったのだ。そう言いつつわっとばかりに亡骸に抱きつき、大声出して泣き出したのだ。残りの人々も一緒になって涙ながらに出立する。誠に哀れな話であるが、武士の身となれば致し方もなく、さても辛い習わしではあるのだ。 下 之 巻 寺御幸(てらごこう)麸屋富(ふやとみ)、柳堺(やなぎさかい)町、相(あい)の東は玉敷(たましき)の御垣(みかき)に圍(かこ)う五つ緒の車(くるま)烏丸(からすま)両替室(むろ)、衣(ころも)新釜(かま)西小川、油醒(さめ)が井堀(ほり)川の岸(きし)の平砂(へいさ)を白波に照らせば今も夏の夜の下立賣(しもたちうり)のほのぼの明(あけ)六月七日祇園会(ぎおんえ)の、長刀鉾(ほこ)の切っ先に打勝(うちかち)時の鶏鉾(にわとりぼこ)と、門出(かどで)を祝う力紙(ちからかみ、力士が身体を清めるために用いる紙)、拳を固め四辻(よつつじ)に四人さ迷い居たりけり。 普段でも賑わう上京であるが、折しも今日は祭り客が下(南)へ下へと朝霧の間に門を掃き清め、打ち水をして、この様な暇そうな姿は目立つであろうと、西と東に別々に別れ、立ち安らっている際に、豆腐を売っている商人が「切らず、切らず」と声高に売り声を発している声に耳を澄まし、往来の人の言葉で何気なく辻占をすると、心が臆してしまうかもしれないと心配しながら南無三宝とばかりに橋詰めに各自が寄ってくる。すると向こうから白川石を商うので卑しい女房たちが馬追いを引き連れて仲間を呼ぶのさえ同じ名前で、これお藤や、今日は商売を早くお仕舞にして祭り見物に行こうではないか、と気持が急かされてしまい馬に沓を履かせずに来てしまった。ああ、私も同様で、今朝は少し寝過ごして、こちらも沓を履かせずにきたよ。誰も今日は打たせなかったようだね、いっそ今日はその分でとっとと引いて帰りなさいな、と言ってからみんなしてどっと笑って通っていく。 京童が口癖にする悪口、家々毎の朝準備、萬に心を揉む、それではないが京都の人々が朝粥をすする音は比叡の山頂までも聞こえる、などと伝えているよ。都の朝の喧しさと言うものは何とも形容できない、と心が乱れるばかりなのだ。中でも藤は小声になって、皆さん方はどのように思われますか、先ほどの豆腐屋が「切らず、切らず」と売っていたのさえ心にかかっているその上に、今の石売の女房達が馬の沓が打てない、打てない、引いて帰れなどと言うのは如何にしても気懸りです。その上に、世間に同じ名前があるのは習いと言いながら、折も折りに一人をお藤と呼んで帰ったのは何事でありましょうか、味方の心が臆しては仕損ずるのは必定です、天道からの聞き知らせでしょうか。また明日の日もあるのですから、今日のところは一先ず先延ばしにしては如何でしょう、と言うと、皆が引っ込み思案になってきた。 この様な所に、西の橋詰の髪結床屋から散らし髪の若い衆が楊枝を咥えながらやって来る。そして友人と思われる相手と行きあったのだ。これは早朝から髪も結わずに何処に行かれるのです、と問いかければさればされば、祭に行くのだ、今日のよそ行き支度に月代を剃らせに行ったところ、さても切ったは切ったは、新しい剃刀の刃はまるで剣のよう、頭一面にめちゃくちゃに切った、あの職人の手にかかっては何人でも切りそうであるよ、これを見てご覧よと言えば、ああ切った、切った、これで客に行ったならば祇園祭ではなくて出陣の前に犠牲の血で軍神を祭り戦勝を祈る軍神(いくさかみ)の血祭りじゃ、と笑い合って別れたのだ。 四人は嬉しい辻占を聞いたことじゃ、聞いたよ、聞いた、北斗七星の鋒が変化して吉運が開けてきた、思わず笑いが込み上げて勇に心を鼓舞する心底は想像に難くはない。さあ、この運に乗って仇を撃たん、時刻を延ばすな心構えをし直せ、帯を締め直して身を軽くして、内の案内が分からないので此処で詳しい打ち合わせをしたところで無益の沙汰であるよ、二人は堀川表へ、小さな店に上がって障子を蹴破り、つっと中へ入れ。我々親子は立売の門口から中戸を蹴破って押し入る。面体を見知らない、人違いをするな、素直に仇討ちの理由を述べた上で、物の見事に相手を討ってしまおうぞ、早まっての騙し討ちで卑怯などと相手から言われるではない、合点か、合点じゃ、心得たか、心得た。さあ押し入ろう、と突っ立つった所へ、あれを御覧よ、油の小路をこちらに向かって蝋燭形の鑓鞘(やりさや)の鑓印、知行ならば三百石二十歳余りの若侍、軽くて薄く上品な茶宇縞の袴に捩肩衣(もじかたきぬ、麻糸で目を粗くおった布)が若党を三人程の鋏み箱持ちと二人の奴の草履持ち連れて、銀子三十枚と書いた包み紙を糊で貼り付けた進物台を携帯して敵の家の門、物申す、と言う声も訛りがあり、内からは下人が「どうれ」と答える。溝端に這いつくばって何事かを言っているが四人には無論聞こえない。ややしばし頭を振り振り口上を述べて、進上台を差し出すと、下人は受け取り腰をかがめて、そのまま内に入った。 文六は頭を掻き、ええ、拍子に乗っていた際に先を折る、どうしたらよいのだろうかと藻掻くのを、いやいや、屈するには及ばないぞ、武家方か公家方か、いずれにしてもそのような所で鼓を打った謝礼を届けに来たものであろう。あの若侍もこの家の主人の返事を聞いて帰るだけの事であり、邪魔が入る隙もないであろう。待ってみようと言っているうちに、先ほどの下人が戻ってきて、こちらへと言っている気配である。若侍が屋敷内に入ると、若党、中間、草履取り、槍を軒端に立てかけて皆が皆内に入ったのだ。如何にも悠長千万な振る舞いである。 外側から様子を伺おうと立ち寄ってみると、中戸を閉めて人の気配だけがしている。そこへ托鉢の道心者が「はっち、はっち」と門の前に立つ。下女の声がして「忙しいので通って行きなさいよ」と無用という声もつっけんどんで甲高い。すごすごと通過する法師に呼びかけて、これこれ御坊、御身の衣の破れはすっかり擦り切れていて、見苦しいぞ、この金子を報謝するので新しいのを買って、それは此処に脱いで置いていきなさいな、非人に与えれば喜ぶでありましょうよ。小判一両を与えると、夢ではないかと言った顔つきで、ああ、これは如来様かと思いましたよと、押し頂き、押し頂きして伏拝み、それでは御意のとくにいたしましょうと、古着を脱いで通ったのだ。
2024年10月30日
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中 之 巻 さても見事な御葛籠(つづら)馬や、七つ蒲団に曲碌(きょくろく、一種の椅子)据えて蒲団張りして小姓衆を乗せて、街道百里を花でやる。 華やかな大名行列の先頭に供道具、素鑓(すやり)片鎌、十文字、唐(から)の頭の紅の、衣(きぬ)は紅梅、魚(うお)は鯛、今更言うのもくだくだしいが、管鑓(くだやり)で人は武士でなければ身も蓋もない、奴は今朝の朝酒で天目鞘に禿鞘、振れ振れ振れや白雪の、富士も浅間も後に見る、道も長柄の数鑓で鞘にかかった木綿(ゆう)付け鳥(鶏)は関より西・関西では隠れがない名を持っているが、その名ではないが、関西では有名な評判を取った望月の駒を引き馬として、しゃんしゃんしゃん、りんりんと心を弾ませながら乗掛け馬に跨り馬には、殿中の宿直や警戒に当たる役の六番頭と伝令や視察の役割の使番、侍大将で御主君への執奏に任ずる役、軍陣の際に主君の旗下にあって、その守護に任ずる者の後先には続いて靡く旗竿の節ではないが、良い時が治まり四方の海、波が静かにして天の空、風もないでいるそれではないが薙刀が見えているのは医者と儒者とであろう、見物の中の物知りも物を知らない者もおしなべてこの大名行列に対して舌を巻いて眺めているのだ。 幕を張るのに使う細い柱の幕串、衣類等を収めた箱で外出の際に奴僕が肩にして行く挟箱、それに籐を何重にも巻いた持ち弓と重籐塗籠弓などの数は、さあどうであろうか数が知れない程に多い。白木の弓や黒漆塗の弓、毛皮や黒漆で保護した靭に矢篭や矢箱、二重の覆いをした大将用の鎧と鎧櫃、兜立て、江戸へ向かって出立したのもついこの間と思われたのにもうすでに一年が経過して国元を留守にしているのだ。 何事もなく無事に過ごせた帰りの道中、大名行列には付き物の七つ道具、鑓や薙刀、台笠、立て傘、馬標(うましるし)、大将の傍に立ててその存在を示す大鳥毛、殿がお召の駒も乗り換え馬も自分たちの故郷である北風に勇んで嘶く勢いや、行列の最後を締めくくる一対の鑓、国は久しぶりである、おめでたい事でありまする、嬉しかろう、のそれではないが、家老殿、君が君として立派であれば臣下もまた臣たるべく、新しい樽の酒を祝い酒として飲み、さざんざや、浜松の葉の散り失せず万代までも目出度く寿ぐべき領主が国元に御帰還である。 家中の上下、親や妻子に一年ぶりの対面で、あちらやこちらの悦び使い、祝儀土産のやり取りが絶え間ない。中間や小者に至るまでがやがやと喜び騒ぐ賑わしさ。 中でも、小倉彦九郎は数年の勤めの旧功によって東発足の際の抜群の御加増によって、若党や下人を相当数増やし、一子文六やお種お藤姉妹が喜び合う事は限りもなかった。 主の妹婿で政山三五平という者がいたのだが、主君の乗馬の傍らに従う役割の武士であったが、この者もこの度帰国して、お種の方に使いを立て、先ず以ておめでたい事には道中何事もなく無事で、御供し終えたこと、そして御主人と御対面できたことはさぞやご満足で御座いましょう。私も同様であり、さて何か良い土産の品がないものだろうかと思案したのですが、特にこれといった変わった物もない。これは関東麻と言って名物の真苧(まお)、物が物だけに憚られぬわけでもないのですが、お留守の間にお種殿は真苧を御績みなされると道中でのもっぱらな噂、まかり帰って承れば御当地でもその沙汰であって、そうした次第故に進呈いたしますと、使の者が言上し終えないうちに、あれは誰某様からの御進物であり、こちらの物は何兵衛様がお種殿にと御土産だと言って、贈られるにつけても女房は心に応え、取沙汰なのだが、夫の心もさぞ尽きてしまうことであろうと案じて、顔を見るのだが、夫はそれほど気にしている様子もなく、さあ、自分も荷を解いて相応に土産物を見合わせて贈ろうぞ、等と言っている。やあ、忘れていたぞ、先ずは舅殿の所に参ろうぞ、それそれ袴をと言えば、あい、と答えて女房はそのまま奥に入った。 すれ違って妹のお藤がするすると走り出て、袖に取り付き、これ彦九郎様、ええ、お前様は情けなくつれないお人ですね、お江戸まで二回進呈いたした手紙の返事は何故下さらないのですか。私の心はやはりこの手紙の文面に詳細に記述致しておりまする、よくよく考えた上で書きましたので嫌が応でも合点して受け取らなければなりませんよ。と言いながら封をした一通の文を姉婿の懐に押し入れる。彦九郎は苦い顔をして、やあ、お前さんは気でも違ってしまったのか、もっとも姉を嫁に呼ぶ際に妹のそなたを迎えてはどうかという話があったけれども、縁がなかったからこそ姉との縁組が決まったのだ。それから十何年という年月を重ね、子まで養っている夫婦である、どれほどにそなたから慕われようとも、お種を去ってそなたを迎えようとはこの彦九郎はよう申さないぞ、この様な文は手に取らないと相手に投げつけて表に出てしまった。 姉のお種は奥でこの様子を見て、つかつかと出て来て文を拾って懐に入れた。お藤はいや、なりません、その手紙は大切な物、人には渡せません、と姉に取り付いたが、はたと蹴倒し棕櫚箒を手にして散々に妹を打ち据える。あれよあれよ、と言う声を聞いて文六や下女達が駆けつけて、どういう事情かは分かりませんがどうぞ御堪忍をと縋り付いて箒をもぎ取った。すると今度はお種は荷物についていた暴れ馬を制する鼻捩じを引き抜いて、顔も頭も割れよとばかりに激しく続けうちに打ったのだ。 お藤は声をあげて、ああ痛い、死んでしまいますよ、助けてくださいなと泣き叫ぶ。文六は鼻捩じに取り付いて、これ、母様、どのようなことがあったのかは存じませぬが、言葉でお叱りなさるのが道理で御座いましょうに、乱暴な打ち打擲、叔母さまが目でも傷つけなされたならどういたしましょうぞ。苦々しく苦言を呈すると、いやいや、打ち殺してしまっても構わないほどの罪深い女、姉の夫に執心かけて江戸にまで手紙をやり、その上にたった今またもや聞いたのだよ、これ、この文を拾った。これを見てごらんなさいと封目(ふうじめ)を引き切り、さっと開けた。これでもまだ私の言うことが嘘だと言うのですか、それにしても、これがあって良いことか、姉を離縁して暇をやり、代わりに私が夫婦になろうと、遊女のように生爪をはがして入れてある文なのだ、これが嘘であるか読んでみなさい、ええ憎らしい腹が立つとお藤に飛びかかり髻(たぶさ)を掴んでくるくると手に絡ませて膝の下に敷いて、親にも子にも替えられないと大事に考えている幼馴染の私の夫、一年越しでの長い留守、月や星を見上げるようにして待ち受けて、やっとのことで今朝殿御の顔を見たので嬉しかった、来年まではひとつ寝臥しもしようものをと喜んでいた矢先におのれめは、姉を去れ、離別しろとはよくも言ってくれたな、この畜生同然の女め、生かしておくのも腹立たしいとばかりに、目や鼻も区別せずに打叩く。するとお藤は、ねえ姉さん、これには色々と筋を立てて言うべきことが有るのです、取り支えて下されや人々よ、と息も絶え絶えに叫ぶので、周囲の者は先ずは言い訳を御聞きをと無理に引き止めると、姉のお種は、さあ、もしも言い訳が立たなかったら今度は命を取ってやる、言い訳があるならば言ってみよとお藤を抱き抱えて立たせて突き飛ばした。それも全くの道理であり、当然のことと思われる。 妹は苦しげに息をつき、乱れた髪を掻き上げ掻撫でして、流れる涙を抑えながら、私の言い訳は姉様と二人きりで差し向かいで言うべきことです、皆は次の間に下がって下さいと言ったので、皆はその場を離れたのだ。さあ、人払いなどともったいぶった事を言わなくとも、言い訳があるのなら早く言え、きいてやろうとお種が言えば、お藤は涙をはらはらと流し、これ姉様や、私が彦九郎様に状を渡して姉様を離縁して下さいとお願いいたしたのは、実は姉孝行のためだったのですよ。あなたの命を助けたいが為でしたた、私が言うまでもなくご自身で覚えがあるでしょう、鼓の師匠の源右衛門と情を通じてはおりませぬかか、と言う妹の所に飛び掛り口を抑えて、これ黙りなさい、仮にでも表面は容易そうに見えても重大事である、何を見てそのようなことを言うのだ、確たる証拠を出しなさい、と姉が言うと、ああ、証拠を出すまでもない事柄です、このお腹には四ヶ月になる子供が宿っているが、一体誰の子なのですか。下女のりんに買わせた堕し薬は誰が飲むのですか、世間の人々は知らないふりをしているようですが、実は家中はこの噂で持ちきりです、今も今、方々から真苧(まお)の土産が届いているのも彦九郎様に間男の件をそれとなく知らせ感づかせようと馴染みの家々から来た品物と私は見ているのです。そなた一人の不心得から親兄弟や夫の男の武士までが廃(すた)ってしまったと、声を上げて泣くと、姉は一言の弁解も出来ないで、常々の忠告を聞かなかった事、酒が敵であるとばかりに声を上げて泣くより他のことはできないのだった。 妹はせきあげてくる涙を抑えながら、ねえ、姉さん、その後悔反省がもう半年早くに起こっていれば、と思うのもこれは妹としての心の中の思いです、もう既に姉の名前は廃ってしまいました。しかし命だけでも助けて差し上げたいと様々色々と思案した結果で、彦九郎様との夫婦の縁が切れて離縁状さえ取り付けてしまえば、たとえ大道の真ん中で子供を産ませても構いはしない。不名誉は別として命を取られるおそれはないのだから、と浅はかな女子の浅知恵で、姉の男に執心と淫奔者(いたずらもの)に自分を偽ったのも、姉様への孝行心だけではなくてお果てなされている母様への孝行と思った故です、おいたわしや、母様は御臨終の二日前に私達姉妹二人を枕の右左に置いて、遺言のお言葉を残されました。姉様はよもや忘れたりはなさっておられまい、お前たち二人は幼少の折りから女子としての道を教え込み、読み書き縫針糸綿の道も今くらいできれば恥をかかないで済む、第一の女子(おなご)としての嗜みは殿御を夫に持ってからが大事であるぞ、舅は親であり、小舅は兄や姉である、その人々に孝をなし、外の男とは差し向かいになったとしても、顔を上げて見たりしてはならない、大体において夫が留守の間は相手が男とあれば召使い、一門他人の別なく、若い年寄りの隔てなく、以上の嗜みが悪ければ、四書五経を暗記している女子であっても役には立たないのです。この遺言をそなたたち何よりも大切な教訓の論語だと考えて忘れてはいけませんよ、その御言葉が骨に沁みて肝に残って忘れることなど出来ずにいます。姉は父親の血統を継いで幼少時から酒を飲む、藤よ、母に成り代わり異見せよと、そう仰った後は窶れたお顔が身に付き添って忘れられません。朝夕に位牌に向かうのですがこの最後の御教えをお経と思い、一遍ずつは繰り返してみるのです、姉様、早くもお忘れか、この世で妹に嘆きをかけ、来世に御座る母様の屍に苦患がかかりますよ、と口説きつつ恨みつつ声を挙げて伏し沈みしながら泣くのだ。 姉は言葉もなく涙に咽び、好みとしていた酒も今にして思えば前世の業の毒の酒、人の本心を晦ます無明の酒の癖が覚めて自害しようと思ったのだが、夫の顔をもう一度見たいからと思うので、今日と延び明日と暮れて世間に恥を晒すことです、私の身に悪魔が魅入ったのかと元の身には再び戻らないと愚痴の繰り返し、姉と妹が抱きあって声を惜しまずに泣き叫ぶのである。実に哀れとも、浅ましいとも世にも始末に負えない惨状である。 その時に当たって急に門外が騒がしくなった。表で喧嘩でも始まるのかと姉妹がしばし奥に避難しようと姿を隠した後で、彦九郎の妹のゆらが薙刀を手にして兄の彦九郎を追いかけてきたのであった。 これ、兄様や、妹と申しながら政山三五平と言う侍の妻であるから、義の立たぬことがあれば相手が兄であっても許しはしませんよ。いかに、如何にと言う。彦九郎は妹をはったと睨んで、やあ小賢しい女郎(めろう)めが、兄の彦九郎に向かって義が立つの立たぬのとは無礼千万であろう、仔細を申せ、申さなければ薙刀を持った腕もろともに、捩じ折ってくれようぞ、と大いに怒って言い放つと、ゆらはからからと笑って、やあ、腰抜け武士にしては殊勝な言い分である、事情を言って聞かせてやろう。お前様の御内儀は鼓の師匠、京都の宮地源右衛門と密通して藩の内では現在この噂で持切りである。それゆえに土産と称して真苧を送って気づかせようと計画したのだが、武士の面目をそそぐ手段の妻敵打ちもしないで知らない振りをしている腰抜けの彦九郎め、その妹とは添っていることは難しいぞ、と夫の米山から離縁されて、兄の腰が立った時にはまた立ち返って来い、元のように夫婦になろうと、私に暇を与えたのですよ。私は夫婦別れをして来ているのです、これこれ腰抜けの兄御殿、私を無事に夫に添わせて下さるのか、添わせないのかはそなたの心一つですよと、薙刀を振りかざし、閃かせて相手が怯めばそのまま切り捨てる勢いである。
2024年10月28日
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お種は文六を送って外に出て、これ、文六よ、そなたは家へちょっと立ち寄って、祖父様に只今帰りましたと報告して下さいな、私も自宅に帰りたいので下女のりんを迎えに寄越して下さいな、文六は心得ましたと返答してから主人の待つ自宅に帰ったのである。 家々で表門を閉める夕暮れどき、場所は町のはずれ、女主人は年の若い人、夫は長く東のご奉公で留守、心をしっかりと保つためにとひとつだけ欠点があって酒好きである、乱れを見せていない顔もほかほかと赤らんで重たくなった頭を撫でる櫛、身繕いするので鏡に向き合う姿もどこか風情がある。そして男恋しい気配が見えるのだ。 同じ家中の夫彦九郎の同僚である磯邊床右衛門は病気であって、江戸への殿様の御供役は許され在国していたのだが、下人も連れずに潜り戸を開けて、お見舞い申すとつっと中に入る。お種ははっとして鏡を横にずらして、忠太夫は今朝から外出致し留守で御座いまする、と言い捨てて奥に入るのを後ろから抱きとめて、これ、申し、留守を承知で参ったのであるから御親父には用事はない、そなた様故に恋焦がれ、舟人ではないが目の前に迫った岩に波がせき止められる危険を冒し、この磯邊床右衛門、今年はお江戸を勤めたので俸禄を増されるのは確実なこと、その武士としての立身を捨ててまで仮病を使って上役に願書を提出して御国に留まったのもみんな君を得たいと思う恋心からだ。病気と言うのも嘘であってまんざら嘘ばかりではない、恋の病でお種様、どうにも身動きがとれないでいるのですから、どうかお情けの恋の薬を一服頂戴いたしたい。頼み申す、拝みます、とお種を抱きすくめると、女房の方は少しばかり酒には酔っているが気丈にも、ええ、嫌らしい、面倒な、と振り放して逃げる。しかし恐ろしさに身の毛も立って恐ろしく、わじわじ震えていたのだが、遂に我慢ができなくなって反撃に出た。この、侍の畜生め、お前はもともと彦九郎殿とは親しい仲、その妻に言い寄るとは第一に人間の道に外れた大罪、またこの噂が立ったなら家中の人々から嘲られるのはもとより、万一にも殿様のお耳にでも入ったなら、そなたも家も取り潰されることに気がつかぬか。私は小倉彦九郎の女房である、侍の妻である、無礼な振る舞いをしかけて断られたとて、私を恨んで下さるな、今日のことは誰にも言うまい、さあ、帰りなさい、と苦々しく言い放つと、いやいやいや、人の謗(そし)りも身の恥辱も十分に考えた上でのこと、かりに御承引されないならば拙者はそなたと此処で刺し違え、上方で流行る心中だと国中に評判を立てさせ一緒に恥を晒そうと覚悟を固めて来たのだと、刀を抜いて相手の胸ぐらを取り、どうだこれでも承知なさらぬかと脅迫した。女心の浅はかさはそれを真実だと思い込み、犬死という無実の浮名を立てられるのも無念である、此処はひとつ色仕掛けで騙してやろうと考え、むむ、それは真実でしょうか、と問えば、相手は、ああ、殿様から御勘当を受け、戦場で名もない歩卒に首を取られることがあってもよい、拙者の言葉に偽りはない、と言い切った。お種は、さても嬉しい御心底です、どうして無下になど出来ましょうか、けれども此処は親の家です、今にでも戻られたならどうにもなりません、明日の夜にでも私どもの自宅にそっと忍んでおいでくだされば、打ち解けて思いを晴らすことが可能でしょう、と優しく肩を叩いた。 無知で無学の床右衛門はこの一言にころりと騙されて、涙ぐみ、忝ない、お情けですからこの上は厚かましい言い分ながら、いっそのこと今ここでちょっとちょっとと縋るのを、聞き分けのないことですと言ってお種は逃げ回る。 襖の向こう側で源右衛門が鼓を打って声をあげ、「邪淫の悪鬼は身を責めて、邪淫の悪鬼は身を責めて、剣の山の上に恋しき人は見えたり、嬉しや、とてよじ登れば剣は身を通す、磐石は骨を砕く、こはそもいかに恐ろしや、のう恐ろしや恐ろしや、人が聞いたそりゃそりゃ」、と脅されて床右衛門は、今のはみんな冗談事だ、嘘だ、嘘だと言い捨てて走って表へ逃げるのだった。 気の毒にもお種は気持が動揺して収まらず、お恥ずかしい事です、京都からの御客人、今もやりとりのあらましをお聞きなされて、私が騙して言ったとも御知りなされずに心中での蔑みばかりではなくて、御家中一杯に広く出入りなさる方故に、その人の口からこの事が世間一般にぱっと広まったらどうしましょうかしら、胸が激しく動悸を打つのが中々納まらず、心配が募って始末に負えないので、下女を呼び、お酒の燗をしてから表の戸締りをしてからもう寝なさいよ、と言い、一人で酌をして酒を飲み憂さ辛さを忘れようとする間も忘れられないのは、江戸にいる夫のことばかりである。涙で一層霞んで見えるおぼろの夜の闇を照らす月の光が明るくしている縁側に人の足音がする。 やあ、これは源右衛門様、あなた様は何方へ行かれるのでしょうか、いや、御婦人ばかりの家に長居をするのは憚られますので罷り帰りまする、と立ち出ようとする客の袖を捉えて、きっとあなた様は最前のやり取りがお耳に入ったことで御座いましょう。勿体無い、恐ろしい、彦九郎と言う夫を持った身が本当にあのような事を言うはずもありません、当面の危難を逃れようとしてあのような事を申しました、騙して申した事柄とご理解くださいませ、ひとえにお頼み申し上げまする、とお種が手を合わせて泣くのであった。 源右衛門は仕方なく、いや、聞いたでもなく聞かぬでもない、傍にいてあまりに聞きにくかったので謡を唄い紛らわしました。何といっても軽いようでも重いこと、拙者は他言いたさぬが、諺に錐(きり)は袋を通すとか、秘密ごとは自然に外に漏れ易いとか言います。他からの噂に関しては拙者の関知いたさぬ事で御座る。振り切って出ようとするのをお種は縋り付いて止め、そのような酷いことを仰らずにお情けをおかけくださいな、そちらもお若い殿御、私も若い女です、実意の籠ったお言葉をお聞き致しても隠した上にも隠して下さるのが世間の情けと言うもの、このままでお帰り願っては私の心が落ち着きません。決して他言は致さないと言う固めの盃を交わしてからお帰り頂きたい。そう言いながら銚子を取り、濃茶を立てて飲む大型の茶碗になみなみと酒を注ぎ、相手が一気に飲んでから又注ぎ足しして、半分を自分が飲んでから相手に差し出した。これは珍しい付差し、特別の思いを込めての行為とお見受け致した。男は茶碗を押しいただいて一気に飲んだ。 お種も相当に酔いが回っている。男の手をしっかりと握って、これ、あなた様も夫のある身の女の付差しを飲まれたからには、罪は同罪です、何事も秘密を漏らしてはいけませんよ、と相手をのっぴきならぬ羽目に追い込んだので、いやはやこれはとんだ迷惑、と男が飛び出そうとするのに抱きついて、ええ、余りにも恋を知らない所業でありまする、何とじれったい人だ事と両手を回して男の帯を解けばとろける男心、色と酒とに気も乱れて互いに相手をきつく抱きしめ、抱きしめられて思わずも本当の恋心になった。 さあ、この上は今のことは口外できぬが承知かと、ああ、ああ、他人事と思っていたのに自分の身に起きたことである、この秘密を隠さないでどうしようか、と言いながら障子をおし開けてそのままで二人転た寝して縁側の端から始まった悪運の情けない契の始まりである。 暫くして、夜も少し更けた時刻にああ、父親の成山忠太夫が下人も連れずに立ち帰って荒々しく表戸を叩く。お種ははっと耳に聞き、酒の酔いも覚め、目も覚めて、自分の身を見れば帯紐は解け、男と添い寝した寝床は乱れている。南無三宝、浅ましいことだ、床右衛門めが不義を仕掛けてきたので世間の口止めをしようとして態(わざ)と冗談に仕掛けただけのこと、確かにその事は覚えているのだが、そのあとのことは酒に酔ってしまって夢とも現とも弁えがつかず、酒を止めろと常々妹のお藤が意見してくれていたのだが、それを無視して自分の夫ではない、それもついぞ見かけなかった男と肌を触れ合って身を穢したのか、実に浅ましいことであるよ。不義密通は女の身の一生の罪の第一であり、あの世で責め苦を受けるのは勿論のこと、この世での恥、親兄弟まで名前を捨てる仕儀に至る大事、この身をどうしようか、ああ悲しい、どうかこれは事実などではなくて夢になってくれないだろうか、お種はその場で咽び泣きに泣いているのだ。 嘆いている気配で源右衛門も目を覚まして起き上がり、こちらもお種同様に酔いが手伝っての不義行為である、男子たる身の道に背くもの。はっとばかりに互いに目を見合わせて二人共に恥ずかしく、面はゆげに涙ぐみ、差うつむいているだけだ。 外の忠太郎は待ちかねてなおも荒々しく門を叩き続ける。あれ、父(とと)様にこの場を見られては死なねばならず、どうしたらよいのやら、あちらこちらに這って隠れ、下女が臥している夜着の中に狼狽えながら這い込めば、下女は丸裸で、ああ悲しいことだ、私が寝ている懐に盗人が入ってきて雪の様な白い肌を荒らす事だ、と喚きまわる勢いに行灯を踏み壊してしまい、室内は恋路の闇のごとくにまっ暗がりになってしまった。 外ではしきりに音を立てて、開けろ、開けろ、と叩く音に男もお種も震えながら囁き交わして後ろ手に袖を引き、自分の身で男を押し隠して掛金を開けて、父様か、お帰りなさいませ、どうぞ中にお入りなさいと言う。見れば親ではなくて、床右衛門が顔を隠しながら手を指し伸ばして両人の袂をしっかりとひとつにまとめて取り、さあ、不義者めら、証拠を抑えたぞ、声を掛けると、南無三宝とばかりに潜り戸をはたと閉ざしたけれども、相手は手にとった袂を断じて離さずにいる。仕方なく源右衛門は腰にした刀をするりと抜き放って二人の袖の下を切り離して、戸を引き開けて一散に我が家を指してぞ逃げ去ったのだ。床右衛門は袖下を懐にねじ込んでから戸をこじ開けて、内に入り、さりとは御内儀殿、酷い仕打ちではありませんか、人には下紐を許しておきながら我には何ゆえにつれないのでしょうかね、この事を隠してくれと言うのでしたら、今宵のお情けを私にもお願いいたしたい。暗がりで両手を広げて女を尋ね回るのは恐ろしいことであるよ。立ち廻っているうちに裸の下女にはったと行き当たった。ああ、これここに居られたか、と抱きとめる。下女の方は暗がりであっても辺の様子はよく知っている。自分の寝床に逃げ帰るのだが、男は忝ない、有難い、夜着を引き被ってかっぱと床に伏す下女を後ろから乗りかかる。ねじり合い揉み合う間に、お種様のお迎えにりんが只今参りましたと、提灯を灯してやって来た。火影に透かして見て床右衛門が相手の女を見れば下女なのである。ええ、もったいない事をしたぞ、忌々しいことだ、せっかく美人を想い続け、やっと本望が叶うと思ったらとんだ醜女を手にしてしまったぞ、と悔しがって後も振り返らずに逃げていく、闇の中。夢に見たお種は現であってもやはり素晴らしい美人であったことよ、素晴らしいことであった。
2024年10月22日
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堀川波鼓〈ほりかわなみのつずみ) 上 之 巻 さてさて、在原行平が三年ほど、御つれずれの御舟遊び、月に心は澄むその澄むではないが、須磨の浦で、夜に潮を運ぶ蜑〈あま)乙女〈おとめ)に姉妹を選ばれて参上させ、折りからにふさわしいと言うので、この姉妹を松風と村雨〈むらさめ)と名付けられて、和歌の文句の「月にも馴るる須磨の浦人」ではないが、須磨の蜑姉妹に粗服の衣を代えさせて美服に香を薫らせて伺候させた。 それは塩焼く海人衣であったが、こちらは夫が江戸詰めの勤務、家内として留守の仕事として洗濯物の洗い張りをしている。妹のお藤が都合良くも幸運な里帰りをした。さあ、姉さまお手伝いを致しましょうと木綿の襷〈たすき)も甲斐甲斐しく、糊つけするとて衣を絞る姉妹の袖からは雫がしたたる、若くて艶やかな風俗は国中でも評判の美人と噂されたのももっともだ。 「これ、お藤や、必ず御主人様の気に入るように何時までも御奉公致しなさいよ。夫などを持たないほうがよいのですよ、私は自分の経験で懲り懲りしておりますよ。夫の彦九郎殿とは幼馴染み故で夫婦になりましたが、嫁入りした際の嬉しさはたとえようもないほどでありました。身分も低く禄高も少ない武士では悲しい思いをすることも多くて、一年置きに江戸詰め、在国の場合でも毎日のお城詰め、月に十日の泊まり番ですから、夫婦らしくしっぽりと親密に語り合ったこともありません。けれども、御亭主様は侍気の強いお方ゆえに、こうして律儀に精勤致さねば侍の立身は出来ないのだと、心強く言ってはいるのですが、去年六月の江戸立ちには、又来年の五月にお供をして下るまでは逢われないぞ、お互いに無事でいたいものだ、しっかりと留守番をしてくれよと仰った際の顔つきが、常に目先にちらちらと見えるようで本当に忘れる暇もない。不断に恋しているようで、何時か、何時か、と待つ、そのまつではないけれども、松の木に絹布を張って皺を伸ばす道具に細引き縄を結いつけて、自分の思いを晴らすことしか出来ないのよ、と姉のお種が愚痴ると、妹のお藤は笑い顔になって、姉様、それは贅沢というものですよ、私のようにまるで男気がない身でさえ見事に我慢をしておりますよ。殊に現在私が奉公致しておるお屋敷は行儀がやかましくて、此処の様な親里でさえ一泊するのは御法度なのです、姉様ならきっと死んでおしまいになられることでしょうよ、他人が聞いたら笑うでしょう。これこれ、奥では鼓の稽古をしておりまする。大きな声を出してはいけませんよ、静かにしなさいと言いながら、布の洗い張りに使う細い竹の串を張り物にかけながら、お種は奥の方を覗いてみる。 鼓の音に心も浮き浮きと乗って、夫の事を上の空に見て干物を松の枝に打ちかけて干しているうちに、曲も終わりに差し掛かり、謡曲の松風の文句の「やあ、形見こそ今はあだなれ是なくば、忘るる隙も有りなんと、詠みしも理〈ことわり)や猶思〈おもい)こそ深けれ」となった、ああ、嬉しいな、連れ合いのお帰りじゃ、さあさあ、お出迎えに参りましょう、と走り寄ると、これ、姉様よ、どうなされました、あれは庭の松の木です、彦九郎様は江戸にいらっしゃいますぞ、気でも違われたのですかと嗜めると、お種は、ええ、お藤、愚かな事を申すではないよ、私がどうして気が違ったりいたそうか、夫が留守の徒然にせめても心の慰めに、此処は所も因幡〈今の鳥取県の東部)の国、待つとし聞かば直ぐにでも帰ってこようよ、謡の鼓の頼もしさ、あら頼もしの御歌であるよ、これから別かれて因幡の国に行くが、そこの稲羽山の峰に生えている松ではないが、あなたが待っていると聞いたならば直ぐにも都へ帰ってこよう、それは因幡の遠山松で、これは懐かしい、君が此処の須磨の浦辺の松、それを待つ行平公ではないけれども、私もお帰りなさるならば木陰にさっそくに立ち寄って、磯馴れ松ではないが懐かしい、松に吹いてくる風も狂ってしまい、夫が留守で寂しい折なので鼓に心を慰めているのである。 東からの戻りも早くも近づいて、風の便りではないが、その風が涼しいそれではないが、軽くて薄い絹の袴を洗って張る、春の長閑な日陰で程もなく干し上がって、物干し竿の干し竹のように順調に仕事が仕上がってよかった。江戸にいる亭主をこれからはお待ちして、まつのそれではないが松風を聞きましょうと声をあげてはしゃぐのだった。 長男の文六が奥から姿を現して、これ、申し母じゃ人、内々にお聞きなされていましょうが鼓のお師匠さん、宮地源右衛門様は只今稽古も終えられましたが、ついでにお近づきになられませんか、と申した。おお、そうであるよ、先ごろからそのように思っておりましたが、張りものをし始めましたので遅くなってしまいましたよ、と言いながら襷を取り身繕いして座敷の方へと参ったのだ。 源右衛門は膝を正して、私は京都堀川下立賣(しもたちうり)に住まい致す者であり、御家中の方々に鼓の指南を致しておりまする。近い将来には当藩への御奉公の願いも叶う望みがありまして、時折は御当地に罷り下り、一年、半年、五ヶ月、三ヶ月と逗留仕り候が、これまでにまだお連れ合いの彦九郎殿には御近づきにはなっておりませんで、最近は御子息の文六殿が鼓の稽古を御所望によって師弟の契約を致しましたが、かななか器用であらせられますが、さぞやお袋さまも御満足で御座いましょうと、推量致しておりまする、と慇懃に挨拶するのだった。 女房は会釈をしてニッコリと笑い、母とおっしゃいますと彦九郎も私も年寄りに聞こえるでしょうが、もともとこの者は私の実弟で連合いが養子に致しまして、僅かな御扶持を頂戴致す小身者です。先ずとりあえずは御家中の或るお方に預けておりますが、何卒お師匠様のお世話を頂き、鼓の一番なりと練習させて殿様直々の御奉公も勤まるようにとの願いから、連合いは留守ではありますが祖父御がお願い申し上げた稽古でありまする。今年の五月には連合いも殿様の御供で帰られる予定です。その頃には何か一番でも打って父御(ててご)に聞かすことが出来ますように、改めてお願い申し上げまする、と挨拶し、応対する態度は物静かであり、また物柔らか、毅然としていて京都の洗練されたどのようなお方の奥方であろうとも姿や面体では決して引けを取らない。京のどなたの奥方と言って押し出しても誰も疑うものはあるまい。片田舎のお国育ちとは思われない。妹のお藤も立ち居出て、私は藤と申してこの者の妹です。御家中のさる屋敷に奉公いたしておりますが、文六とは親しく致しておりまして、嬉しく存じ上げまする。姉の連合い彦九郎殿が留守であり、小身の身分でありますから、部屋数もなく手狭なので、洗濯から万事に関して今日のように親の所で致すわけでありまして、文六殿の御稽古事までこの場所であって何事も不自由で御座いましょう。彦九郎殿が戻られたならば自宅の方にもお招きなさることでございましょう。さあ、お盃でもお持ちなさいな、父様がお留守で、下女も一人で、それも山家(やまが)から出てきたばかりなので、お客様がひとりいらっしゃっても不自由ばかり、本当にまあ、えへへ、お恥ずかしい事で御座いまする。目元の美しさなどは姉に劣らないのだ。いやいや、何もお構いくださないで結構です、お互いに初対面の挨拶を取り交わしている間に、下女は心得て、酒と肴を取り揃えて出してきた。 女房のお種は元来が酒好きであって、おお、これは気が効いた応対であるよ、浪人のような親でありますから良い肴はなくとも、お慰みにどうぞ御ひとつ、と酒を勧めると、相手は御用もおありでしょうにこれは大層忝ない、先ずは御主人の側から始めてください、いやいや、御客様の側からどうぞ御遠慮なく、と言えば、源右衛門はそれならば文六殿からどうぞと言うのだが、さすがにお種は酒好きであるから、源右衛門から文六にさそうとした盃を途中でお種が手早く引き取って、母親の甲斐で私がお燗の具合を見てみましょうと一息に飲み干した。次いで文六に酒を差すのだが、私は一口もいけません、とちょっと形だけ舐めてから御師匠に、失礼ながらとお辞儀をした。源右衛門は盃を押しいただくようにして、もともと上戸の生まれつきとあって、舌鼓をたんたんと打ち、はっはっ、素晴らしい御酒でござるのう、御酒でござるのう、拙者もたんとは飲みませぬがすこしばかり御酒が好きでして、方々の土地で酒を飲んできましたが、このお酒にはなかなか京都の銘酒も及びませんぞ。色よし、香よし、風味よしで、その上に御亭主の御心までもが御懐かしゅう御座いまする、と大変な褒め上手の御客ぶり、あまりに良すぎてもかえって仇となるとばかりに、先が見えない迂闊さであるが、文六殿ご返杯申すと言うと、此処は母が代わってお押さえ申し、お酒の相手をして差し上げませんと、とお種は再度引き受けてさっと盃を干した。酒がお気に入りましたならば、どうぞお召し上がりくださいませと、相手が飲み干した盃を下にも置かせずに手元に引き受け、何はさておき頂きましょうと十分に受けて、一息飲んでから文六に戻したのだ。今度も文六はちょっと口をつけてから、憚りながら叔母様に差し上げましょうと差すのであるが、はてさて、如何に下戸とは申せ、それではあまりに愛想がなさすぎますよ、母(かか)がお相手を致し申しましょうよと酒をなみなみと盃に受けて、母親の身で我が子の相の手をするのは目出度い上にも目出たさに重ねて、江戸にいる父御の名代も加えて此処はもうひとつ重ねましょうよ。さあ、御客人、お相手をお願いいたします、またもや源右衛門に盃を差したのだ。さては、ご内儀様にはだいぶいける口とお見受けいたしました。馴れ馴れしいようでは御座いますが、お手元の御様子を拝見致したいと存じまする。と盃を相手に返した。妹は傍で気の毒がり、見るに見かねて、いやいや姉はそんなには頂けないのです、殊に最近は時候に当てられまして、気分も勝れずにおりました、姉様、もうおよしなさいませ、と側から無理にも引き止めるのだが聞き入れず、却って強情になる酒飲みの癖で、何を言うのですか、お肴もない酒であればこちらが飲んでお相手するのがご馳走ではありませんか。自分勝手な理屈をつけて台所から替えの銚子を運んでくる。客は喜んで手で拍子を取り、一曲舞を披露し、盃取ってはお見事なり、兵(つわもの)交わり頼みある仲の酒宴であるよ、とばかりに酒盃を傾ける回数もおおくなり、外は夕暮れになっている。 妹の主人の屋敷から中間がやって来て、これ、申し、お藤殿、迎えに来ましたお帰りなさい、御門が閉まりますぞと呼ばわる。おお、角蔵か、大儀じゃのう、姉様それでは私は帰ります。お客様へも失礼では御座いますが、自由のきかない奉公人の身分ですので、また機会が御座いましたら再度お目にかかりましょうと、暇乞いして帰ったのだ。文六もおとなしく、私も旦那の屋敷に今夜は御客もある筈ですのでお暇申し上げまする。祖父の忠太郎が帰るまでは、御師匠様はもうしばらく此処においでくださるように申しつかっておりまする。と言上してから帰参したのだ。 源右衛門は、お袋さまと差し向かいでこのまま此処に居座っているのも憚られる。あの奥に参ろうと、その場を遠慮して立ち上がった。
2024年10月18日
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「これはどうなされたのですか、あなた様の評判を色々と聞きましたので、散々に心配いたしました。やはり心配した通りになっておりました。私は気が違ったようになっておりました」と、お初は相手の傘のうちに顔を差し入れて、声を立てずに忍び泣きする。実に哀れであり切ない涙である。 男も涙にくれながら、「そなたもあの場で聞いたとおり、恐ろしい程の悪企みなので、こちらが抗弁すればするほど俺が不利になる。そのうちに四方八方の首尾は全く違ってしまう。もうこうなってしまっては今夜でさえ過ごすのは不可能だ。もう覚悟は決めてしまった」と徳兵衛が囁けば、家の中でも「世間に悪い評判が立っているよ、初様、内にお入りなさいな」と様々な声が初を呼び入れるのだ。 「ああ、あれ、あの通り、警戒が厳重だから何も話をしている暇はない。儂がするようにしなさいな」と徳兵衛は打掛の内側にお初を入れて、表口から店庭を通り、中庭に入る中戸(なかど)の沓脱ぎから中に入りお初を縁の下にそっと忍び入れてから、自分は上口(あがりぐち)に腰をかけて、煙草を手元に引き寄せて吸い付け、素知らぬ顔をしているのだった。 そうしている間に、九平次は隔意なく悪口を言い合う仲間二三人と幇間役の座頭までも引き連れてどっとやって来た。「やあやあ、よね様達、淋しくてたまらない。どうだ、客になってやろうか。御亭主、久しぶりでしたな」と横柄に上に通る。「それ客人に、煙草盆を、お盃を」と通り一遍に立ち騒ぐのだ。 「いやいや、酒は止めておこう、もう飲んできたからな。所で、話をすることがある、ここに居る初の一番の馴染み客、平野屋の徳兵衛めが、俺が落とした印判を拾い、二貫目の偽手形で騙ろうとしたのだが、理屈に詰まってしまい、挙句にはまだしも死なないのが幸い、命があるのがめっけ物で、散々に殴られて命からがらの目にあった。しかし、面目は丸つぶれであったよ。今後は此処へ来ても油断をしないようにしたがよい。みんなにこう言って語るのも、奴が来て正反対な事を言ったとしても決して信じてはいけないぞ。寄せ付けるのも止めてしまえ。どうせ刑場のある野江(のえ)か飛田(とびた)の厄介になるのが関の山だぞ」と、実しやかに言い散らした。 縁の下ではお初が歯を食いしばって悔しがり身を震わせて腹を立てている。しかし、彼女は九平次等に自分の居場所を悟られまいと足の先で押し鎮め、抑え静める神妙さを示している。 亭主は相手が長い間の馴染み客であるから、九平次の言葉にはまともには取り合わずに、「それでは何かお吸い物でも準備致しましょう」とその場を誤魔化して席を外した。 初は涙にくれながら、「そんなに口賢く、利巧そうに言うものではない。徳様の御事は何年ものお馴染みでお互いにその心根を明かしもし、明かされもした昵懇の仲、それはそれはお可哀想に、徳様には微塵も不都合な点はないのです。なまじ男気を出したために仇となり身の災難を招いたのです。が、証拠が無いので理屈も立たず、徳様は必定で死なねばならない羽目に陥ってしまいましたが、その覚悟の程がお聞きしたい」と独り言の様に呟く。そしてそっと足で返答を催促すれば、縁の下の徳兵衛は打ち頷いて、足首取って喉笛を撫で、「自害するぞ」と知らせたのだ。 「ああ、その筈です、その筈、何時まで生きていても同じ事、死んで恥をすすがないでどうしましょう」と言えば、九平次はぎょっとして、「お初は何を言うのだ、どうして徳兵衛が死ぬものか。もしもあいつが死んだりしたら、俺があいつの跡を継いで馴染みになり、可愛がってやろう。お前さんも俺に惚れているたようだからな」と言えば、「これは大きに有難うございまするな、私と馴染みになられたら貴方も殺しますが合点致しますか。私は徳様に死なれたら片時でも生きてはおりませぬ。そこの九平次の馬鹿掏摸めが、阿呆丸出しの口をきいて人様が聞いても不審がるでしょう、どうしても徳様が死になさるなら私も一緒に死にまするぞ」と、お初が足で突いて合図すれば、縁の下では涙を流し、彼女の足を取って押し頂き、膝に抱きつき焦がれ泣く。女も顔色に出すのを隠し兼ねて、お互いに物は言はないけれど肝と肝とにこたえて声を出さずに忍び泣くのだった。その泣いている両人の心の内を他人が知らないのは哀れなことでありまする。 九平次は気味が悪くなって、「雲行きがどうも悪いようだぞ、さあ、みんな行こうか。此処にいる米(よね)衆は一風変わって、俺達の様に銀(かね)使う金持ちの御大尽は嫌いなようだよ。あさ屋に寄って酒を一杯飲み、じゃらじゃらと一分判金を撒き散らして、それから帰ったなら寝つきがいいだろうよ。ああ、懐が重くて歩きづらいことだ」と、悪口のありったけを言い散らし、喚き散らしてから帰るのだった。 亭主夫婦は、「今宵は早く火も終(しま)え、泊まりの客は休ませもうせ。初も二階に上がって寝なさい、早く早く」と言うので、「それでは旦那様、御内儀様、もうこれでお目にはかかりません、さらばで御座いまする。奉公人の内衆もさらば、さらば」とお初はよそながらに心の内で暇乞いをしてから、寝室に入った。これが今生での一生の別れであったとは、後になってから知れるのである。仏ならぬ凡愚の身の哀れさよ、不憫さよ。 「それ、釜の下を念を入れて掃除しなさいよ、魚をネズミに盗まれないように用心しなさい、と言いながら上げれば飾りとなり下ろせば店縁となる見世を上にあげ、門に錠をかける。寝るより早く高いびき、どのような夢を見ても同じで、短い夜は八つ、今の午前一時半頃になるには程もない。 初は白無垢の死装束に、恋路の闇ではないが黒小袖を上に羽織って、忍び足で二階の降り口から下を差し覗くと、男は縁の下から顔を出して、招きながら頷き指で合図して、無言で身振り手振りで意思を相手に伝えるのだが、梯子の下には下女が寝ているのだ。 梁(うつばり)などに吊るして終夜灯しておく行灯はどうしたらよいかと思案したのだが、棕櫚箒に扇をつけて箱梯子の二つ目から煽いで消そうとしたのだが、なかなか消せない。体も手もいっぱいに伸ばして消せば、階段からどさりと落ちて行灯の火は消えて周囲は暗がりに。下女はうんと言いながら寝返りをうち、二人は胴震いさせて不安がる危うさであるよ。 亭主は奥の間で目を覚まして、「今の物音は何じゃ、女子(おなご)ども有明行灯の灯も消えた」と起こされて下女は目をこすりこすり真っ裸で起き出して、あちらこちらと探り歩くのを、二人は触られまいと這い回っては蔓草のように逃げ回る苦しさよ。やっとのことで二人で手を取り合って、門口までそっと出て繋金(かきがね)を外したのだが、下の車戸(くるまど)のごろごろ鳴る音が心配である。その際に下女が火打石をかちかちと鳴らすのに合わせて誤魔化し、そろそろと開ける。身を縮めながら袖と袖とを巻き上げて戸の外へ、虎の尾でも踏むかのような危うげな気持で二人は続いてさっと出た。顔を見合わせて死にに行く身を喜ぶのだった。何と言う哀れさ、辛さ、浅ましさであろうか。火打石で切り出した火が瞬間的に消えてしまうように、二人の命は儚くも短いのだった。 曽根崎心中 徳兵衛 お初 道行 この世の名残、夜の名残、死にに行く身を例えれば無情を絵に描いたようなあだしが原の道の霜のようで、一足運ぶ毎に消えていく、現世は儚いのに、その中で夢を見ているように儚いが上にも儚い。実に哀れなのだ。あれ、数えれば暁の七つの鐘が六つ鳴り終わって、残る一つが今生の鐘の響きの鳴り納め。寂滅為楽と響くのだった。時の鐘ばかりではない、草も木も空も名残と見上げれば、雲は心無く水の面に影を落として、北斗七星は冴え返ってくっきりと姿を見せているが、我々二人も牽牛と織女のように今渡る梅田の橋を鵲(かささぎ)の橋と見立てて契り、何時までも二人は夫婦の星である。必ず添い遂げようとすがり寄って、二人の中に降る涙で川の水嵩も増さることだろうよ。曽根崎天神に行こうとして梅田の橋を渡り、そこから振り返って見た対岸には堂島新地の茶屋の二階では、何ともはっきりは判らない宴会の最中とあって、まだ寝ない声が響き火影も消えてはいない。今年の心中がよかったとか悪かったとか、言葉のやり取りが頻繁なのであろう。それを聞くにつけても心も暗くなり、呉織(くれはどり)・漢織(あやはどり)のそれではないが、心も眩むばかりで、昨日今日には自分も噂をする側であったが明日からは我々も噂をされる側になるのだ、世間で謳われるなら謳われても構わない、その歌の文句は「どうせ私を女房には持っては下さらないでしょうに、必要はないとは思っていても、思っていても、実際に思い嘆いても、こも身はこの世で思うままにならず、いつの日とて、今日こそは心ものびのびと思った日があったろうか、そのような夜は無かったし、思いがけない色事に苦しんで、どのような前世からの縁であるのだろうか、忘れている暇などはないのですよ、それを振り捨てて行ってしまうとは、逃がしはしませんよ、自分の手にかけて殺しておいてからお往きなさいな、放したりはしませんよと泣いたれば…」、歌も多い中でもあの歌を、それも今宵のこの時に歌うのは誰でしょうか、聞いているのはほかならない私達、心中江戸三界に歌われた房と相手の男ではないが、我々も一つ思いと互いに縋りつき、声も惜しまずに泣くのだった。普段はどうであっても、この夜半にはせめてしばらくは長くはなくとも、心無い夏の夜とは言え少しは情けを見せておくれよ、命をせき立てるような鶏の声、夜が明けるならば心が憂し、そのうしではないが牛天神の神聖な森で死のうと互の手を引いて、蜆川北岸の堤・梅田堤の夜鳴きの烏、明日は自分の身があの鳥の餌食(えじき)になるだろう、実際にあなた様は今年は厄年の二十五歳、私も十九歳の厄年ですと、二人が想いあったのも厄に負けたわけであるが、厄に祟られる程の縁の深さの印でありまする、神や仏に願掛けしておいた現世での願を今ここで、未来に回向(えこう)して後世においてもやはり同じ一つの蓮の葉の上に生まれましょうと、爪(つま)ぐる数珠の百八に、涙の玉の数を添えて、尽きることのない哀れ、尽きない哀れの道を二人心も空になって、たどり着く先は影も暗く風がしんしんと吹き通る曽根崎の森の中にぞたどり着いたのだ。死に場所を此処にしようか、それともあそこにしようかと、草を払うのだが草の露は自分より先にまず消える、定めのない世は稲妻がぴかっと光間の瞬時、その稲妻ではないが今瞬間的に光を発したのは何であろうか、怖い、怖い、今のはまさに人魂だろうか、今宵死ぬのは我々だけかと思っていたが、先だった人もいたのであろか。誰であったにもせよ冥土への道連れであるよと、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の声の中、あはれ悲しや、またもや魂が世を去ったようだと言って、南無阿弥陀仏と唱えると、女は愚かにも涙ぐみ、今宵は人が死ぬと定まった夜であったのか、浅ましいことでありますると、涙を流す。男もまた涙をはらはらと流し、二つ連れ立って夜空を飛ぶ人魂を他人事と思うえるか、まさしく御身と私の魂であるよ、何でございますか、早くも我々は死んだ身でしょうか、ああ、通常ならば結び止めたい繋ぎ留めたいと嘆くでしょうに、今は最後を急ぐ身ですので魂の在り処をひとつにいたしましょう、道に迷うな間違えるなと相手を抱き寄せ肌を寄せて、かっぱと伏せて泣いているのだった。二人の心の内が不憫であり哀れである。涙に糸を結ぶ松ではないが、松と棕櫚が根元で一緒になっている、それではないが、相生で連理、二本の木が枝と枝とをくっつけて木目がひとつになるほどに密着している契になぞらえて、儚く消える憂身の最後の場所、さあ、此処に決めようと上着の帯を解く、徳兵衛もお初も涙で染める小袖を脱いで掛ける棕櫚の葉の、その玉箒で今こそ憂き世の塵を払うと言うので、お初が袖から剃刀を取り出して、もしも途中で追っ手がかかり別れ別れになったとしても、心中立てという名前は捨てまいと心を懸けて用意致しましたが、望みが叶い一つ場所で死ぬことができます。嬉しゅうございまする、と言えば、ああ、神妙で頼もしい限りだ、それほどまでに心が落ち着いていて冷静ならば最後も心配することはない、そうであっても最後の最後で臨終の時の苦しみで死に姿が見苦しいと言われるのも残念である。この二本(ふたもと)の連理の樹に体をきつく巻きつけて潔く死のうではないか、世にも類例にない死に様(よう)の手本となろう、如何にも、と浅ましくも浅黄色のしごき帯を、この様な時に使おうと思って作ったのではない腰帯を両端に引っ張り、剃刀をとってさらさらと帯を裂く、帯は裂けても主様(ぬしさま)と私(わし)の間は決して割けないでしょうよ、どっかりと座り込んで二重三重(ふたえみえ)緩まないようにしっかりと留め、よく締まったか、はい、締めましたと女は夫の姿を見、男は女の躰(からだ)を見て、これは何と情けない身の果であろうと「わっつ」とばかりに泣き入った。それだけである。 嘆くまいと徳兵衛、顔を振り上げて手を合わせ、自分は幼少時に実の父母と別れ、叔父と言う親方の世話になって成人し、恩返しもしないでこのままで死んだ後までもとやかくやと御難儀をかけてしまう、勿体無いことであるよ、どうか罪を許して下さいまし、冥途にいらっしゃる父母には直ぐにでもお目にかかるでしょうよ、どうぞ迎えて下さいと泣くのである。お初の方も同様に手を合わせて、あなた様は羨ましい限りですわ、冥途の親御に会おうと言う、我らが父様母様は健康でこの世で生きていらっしゃるのですが、何時と限って会うことができましょうか、便りは今年の春に一度あったけれっども、逢ったのは昨年の初秋の頃、この初の心中沙汰が明日にでも故郷に聞こえたならば、どれほどに嘆き悲しむでありましょう、親達にも兄弟にもこれから今生の暇乞いをいたしましょう、せめて心が通じるのであれば夢で見てくださいませ。懐かしの母様や、名残惜しの父(とと)様やと、しゃくりあげしゃくりあげして声も惜しまずに号泣する。夫も同様に泣き入って涙を流して泣き焦がれる心持ちは、如何にも道理千万で哀れは限りないのだ。何時まで愚痴を言っていてもどうしようもない、早く、早く殺してと最後を急ぎせがめば、ああ心得た、脇差をするりと抜き放って、さあ、今から命を絶とうよ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えるのだが、さすがにこの長い年月を愛しい、可愛いとしっかりと抱いて寝た女の肌に刃が簡単に当てられる道理もないのだ。眼(まなこ)も眩み手も震え、弱る心を引き締めて、脇差を取り直して尚も突こうとするのだが、鋒(きっさき)はあちらにずれ、こちらにそれて、二度三度と閃く剣の刃、あっとばかりに喉笛にぐっと通った、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、と言いながら抉り通し抉り通す。徳兵衛の腕の力も弱ってしまったが、お初の体からは全部の力が抜けてしまいながらも断末魔の苦しみよう、哀れというのも余りある。自分も遅れないようにと一時(いちどき)に息を引き取ろうと、剃刀を手にして咽に突き立てて、柄も折れてしまえ、刃も砕けろと抉り取れば、それと同時に目も眩んでしまい、苦しんでいる息も暁の臨終の息、致死期(ちしご)に連れて絶え果てたのだ。誰が告げると言うのではないが、曽根崎の森の下風が音を立てて流れ吹くように、自然とこの沙汰が広がり聞こえて、それからそれへと語り伝え大勢の人々が詰めかけて跡を弔うのだった。
2024年10月15日
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お初も共に涙をこぼしながら、むせび泣いて、相手に力をつけて励まし、「さても、さても、大変なご苦労をなさったのもみんな私のせいでありました、そう思えば嬉しくもあり悲しい事で御座います。ただただ忝なく存じます。そうではあっても心を強くお持ちになって下さいませ、たとえ大阪を追い出されたとしても、盗みや火付け放火の大罪を犯したのではありませんから、どんな事をしてでも私が主の身を匿うことくらいは致しましょうよ。会うのがどうしても出来ないその時には、私共は事実上は夫婦ではありませんか、次の世でも添い遂げることはいたしましょう、心中して来世を当てにした例がないわけではありませんよ。高が命を捨てるまでのこと、三途の川をせき止める人も、堰かれる人もいないでしょう」と、気を強く持って諌める言葉を途中で切ってお初は涙で喉を詰まらせた。お初は更に言葉を継いで、「七日と言っても明日のことですね、どうせ渡さなければならない銀であるならば、少しでもはやく戻して親方様の御機嫌をお取りなさい」と言うと、「ああ、そう思って気が逸るのだが、そなたも知っている油屋の九平次が先月の末日に、たった一日だけ必要な事があって、三日の朝には返済すると儂に借金を懇願した。自分の一命をかけて頼むとまで言う。七日までは必要のないお金だし、兄弟同然にしている友人の緊急時を救う為だと考え当座貸しに融通したのだが、三日四日に便りもせずに、昨日は留守だと言って会いもしない。今朝、訪ねようと思ったのだが明日を限って自分が商売した分の勘定を完了させようと、得意先を回っていて時間が過ぎてしまった。晩には九平次宅に行って解決しようと思うのだ。あいつも男を磨いている身、男の面目を保とうとする奴だし、俺の難儀もよく承知している、抜かりはあるまい、心配しないでいてくれ、なあ、お初や」と言い置いて、徳兵衛は通りに出る。 初瀬(はつせ)も遠し難波寺、名所多き鐘の声、盡きぬや法(のり)の声ならん、山寺の春の夕暮れ来てみれば…、先にいるのは九平次ではないか。 「ああ、謡も不出来だし、大胆不敵、儂の方へは不届きして、物見遊山どころではないだろうよ。今日こそ埓をあけよう」と徳兵衛が九平次の手を取れば、相手は興ざめ顔で、「一体、何のことだい、徳兵衛よ、このお連れの方々は町の衆で、上盬町で伊勢講があって只今帰るところだが、酒も少しばかりは飲んでいる、俺の右腕を取ってどうしようと言うのだ。軽はずみな事をするなよ」と笠を取って改まった態度を見せたので、「この徳兵衛は粗相はしないぞ、先月の二十八日に銀子(ぎんす)二貫目を時間限定で貸した、この三日を期限に貸した銀を、返してくれ」と言うのを最後まで言わせずに、九平次はかっら、かっらと高笑いして、「気でも違ったのか徳兵衛、お前とは長年昵懇に付き合ってきたが、鐚銭(びたせん)一文借りた覚えはないぞ、粗忽な言いがかりをつけて後悔するなよ」と手を振りほどけば、連れの者達も緊張したように笠を脱いだ。 此処で初めて九平次の底意に気づいた徳兵衛は顔色を変えて、「言うな、黙らんか、九平次、この度は俺が大難儀でどうにも出来ない銀ではあったが、月末のたった一日で身代が立たないで命懸けだと嘆いたので、普段親しくするのもこの様な事態の役に立つためだと考え、男の意気ひとつで貸したのだ、手形も要らないと儂が言ったら、念のためだからと判を押そうと、身共(みども)に證文(しょうもん)書かせてお主が捺(お)した判がある、言い逃れは許さないぞ」と、徳兵衛は血眼になって攻めかけた。「むむ、判だと、どれ、見せろ」、「おお、見せずには置かないぞ」と徳兵衛は懐の鼻紙入れを取り出して、「町内の方々ならこの印判にも見覚えがあろう。これで、どうじゃ、文句があるか」と開いて見せれば、九平次は意外に感じたように横手を打って、「成程なあ、これは俺の判だよ。ええ、徳兵衛よ、土に喰いつき死ぬような時でも、こんな卑劣なことはしないものだぞ、この九平次は先月の二十五日に鼻紙袋を落として印判ともに紛失した。それで方々に張り紙して探したのだが分からなかったので、今月からはこの御町衆にも届けを出して印判を変更したのだ。二十五日に落とした判を二十八日に押すことが出来ようか。さては貴様が拾って手形を書いて判を押し、俺をゆすって金を巻き上げようとの魂胆なのか。これは印鑑偽造よりも罪が重いぞ、こんな企みをするよりは盗みをしろよ徳兵衛、お上に訴え出てお上の手で首を切らせる程の奴だが、普段からの馴染み甲斐に許しておいてやろうが、金になるならしてみろ」と言って、手形の紙を相手の顔に投げつけて、はったと睨んだ顔つきはとりつく端もない程に白々しい。 徳兵衛はくゎっと胸が込み上げて大声を挙げ、「よくもよくも悪賢くたくんだことだ、悪企みしたことだな、うぬにいっぱい食わせられたか、無念であるぞ。はてさて、どうしてやろうか、この銀を貴様に騙し取られて黙ってひきさがれようか、こんなに巧妙に仕組んだことだから、出るところへ出ても俺の負けだろうよ、腕ずくでも取り返してみせようぞ。俺は平野屋徳兵衛だぞ、立派な男なのだが合点がいくか、貴様のように友達を騙して倒してしまう男とはわけが違うぞ、さあ、来い」と相手に掴みかかった、「しゃらくさい、生意気な奴め、丁稚上がりの田舎者めが」と言いながら相手の胸ぐらを取り、殴ったり蹴ったりひねったりと乱暴狼藉格闘する。 お初は裸足で飛んで出て、「あれあれ、皆様、お願いですから喧嘩を停めて下さいまし。私の知り合いのお人なのです、駕篭の衆はいらっしゃらないでしょうか、あれ、徳様がお気の毒で仕方がありませんよ」と身をよじって悲しがる。気の毒ではあってもどうしようもないのだ。お初の客はもともと田舎者でこの様な場合にどうしてよいのか分からずに、怪我などしてはいけないと無理矢理に駕篭に押し入ってしまった。「これこれ、どうぞ待ってくださいな、悲しゅう御座います」とお初は泣き声だけを上げている。客は「急げ、急げ」とばかりに駕篭を早めて帰ってしまった。 徳兵衛はただひとり、九平次は五人連れ、周辺の茶屋から大勢の者が棒を手にして取り囲み、徳兵衛が自由のきかないようにして、生玉の門前にあった蓮池まで追い出して誰が踏みつけるのか、叩くのか分からない状態で散々に打ち打擲した。 徳兵衛は髪も元結もほどかれ、帯もとけ、あちらへよろけ、こちらによろよろ、臥しまろびして「やい、九平次、畜生め、貴様を生かしてはおかないぞ」と、よろめき歩き探し回るのだが、相手は逃げて行方は皆目判らない。そのままその場に座り込んで、大声をあげて泣き叫ぶ。涙を流す。「皆様が今の様子をどのように御覧になったかは存じませぬが、全くこの徳兵衛が言いがかりをつけたのではありませんよ。日頃は兄弟同様に仲良くしていた相手の事ではあり、一生の恩としてこの恩を着ようとまで頼み込まれたので、その激しい嘆きにほだされてのこと、明日の七日にこの銀がなければ私は死ななければならない。命に替える大事なお金ではあるが、困った時にはお互い様だと莫大な金子を用立てて、手形を自分の手で書かせて、印判を据えていたのだが、その判はその数日前に紛失してしまったと、町内に披露をしての今の逆の脅し強請りよう、悔しいやら無念やら、こんなにまで踏まれ叩かれて男の面目が丸つぶれの上に、足腰も立たない身になってしまった。ああ、さっき奴にしがみついて口で食らいついてなりと、そのまま死んでしまいたかったのに」と、徳兵衛は大地を叩き、歯ぎしりして、両の拳を握り締めて嘆くのだった。それも道理であり、且つは笑止でもあると、同情心も湧くし不憫である。 「ああ、こんな風にしていても無駄なことであるよ、この徳兵衛の心の底の涼しさは、三日以内に大阪中に申し訳を致して見せましょうよ」と、後になって納得する言葉の端であった。 「皆様方、ご迷惑をお掛け致しました、御免下さいませ」と周囲に一礼して、破れた編笠を拾い着て、傾く日影に顔も青ざめて、曇る上に、涙に掻きくれ掻きくれして帰る姿は目も当てられぬ悲惨さである。 恋の風、身に染みる、それではないが、蜆(しじみ)川が流れて流れて、その流れの底の肉のない虚ろな貝、現(うつつ)のない色事の闇路を照らして欲しいと、夜毎に照らす燈火(ともしび)は、四季の蛍よ雨夜の星か、夏も花見る梅田橋、旅行中の田舎客や土地の馴染み客、それぞれの心々に色の道に精通している者もそうではない者も、色の道に迷えば通うようになるので、堂島新地の新しい色里は客で賑わっている。 無残であるよ、天満屋のお初は内に帰ってからも、今日の出来事だけが気にかかって酒も飲む気がせず気分も落ち着かず、しくしくと泣いてばかりいるところに、隣の遊女仲間のよねやが、「ちょっとおいでなさいな、お初様。何も聞いてはいませんか、徳様は何やら不都合な事があって、散々にぶたれなされたとか、その話は本当なのかと訊く者もあり、いいや、私の客の言うには足で踏まれて死んでしまったとか、騙りをして捕縛されたとか、偽判してお縄になったとか、碌な事はひとつもなかった。なまじ親切に見舞われて却って辛い思いをするお初なのだ。 「ああ、もう言わないでくださいな。話を聞けば聞くほど私は胸が痛くなります。私の方が先に死んでしまいそうです、いいや、ひと思いに死んでしまいたいわ」と泣くばかりなのだ。そして涙ながらに表をふと見れば夜の編笠姿の徳兵衛である。思い侘びて人目を忍ぶやつし姿であるが、お初はちらりと見るなり飛ぶ鳥の如くに走り出ようと思ったのだが、主婦の座のあるお上には御亭主夫婦が、上がり口には料理人が、庭では下女が厄介にも鯛を焼いているのだ。 人の目が多くあるので、そうはできない、「ああ、ひどく気が塞ぐわ。門のところに行ってみよう」とそっと外へ出た。
2024年10月09日
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「 曽根崎心中 」 付けたり 観音廻り 逃げなくてはいけないよ、安楽な世界からは。今、この八苦の娑婆に姿をあらわして、我らが為の観世音菩薩様、振り仰いでも高い、高い屋根に上りて見下ろす、賑々しい民の生活、約束していた難波津の、三十三ヶ所の観音の札所、難波の別名三つの里、札所(ふだしょ)札所ごとの霊地と霊仏を廻ってまわれば罪も無くなる、それではないが、夏の雲、暑苦しいと言って早くも駕篭から降り立った一人の女客、目元は恋の思いを含み、器量よしの娘盛りで十八九歳、かきつばたの花とも見える、今さっき咲き始めたかと思える初々しさで、笠は被らずに太陽の男神を避ける用意があって日焼け等はしていない、彼女が頼りとしている巡礼道は西国三十三箇所を巡礼するのと同じご利益があるとか、そう聞くだけで嬉しいのだ。先ず第一番に天満の大融寺、この御寺(おんてら)の名前も古くなり、昔の人でも洒落気のあった、融(とおる)の大臣が潮釜に任官なされて、再び都にお帰りなされて晴れて堀江を漕いで遊覧なされた、その潮汲船ではないが、堀江を行き来する舟が後を絶たない、今も菩薩が自らの悟りと衆生の救済を願って立てた広大な請願を願いながら起てる櫓の軋む拍子で、思わっず観音信仰に誘われて、法(のり)の玉鉾をえいえいとばかりに唱えながら、大阪巡礼の木の札を胸に下げて、巡礼歌の、補陀落や大江の岸に打つ波に…、白しらと明け染める時に二番鶏が時を告げ、その二番ではないが、第二番は長福寺、空には眩いばかりの久かたの太陽の光に自分の影を見ると、自分の姿の良し悪しがひと目でわかる、そのように人の心の善し悪しも神や仏の目からは一目で見抜かれてしまうであろう。その神仏が照らす鏡ではないが、神明宮から法住寺へと拝みめぐる、人の願いも自分の様に誰が真心を傾けようか、自分に関係のない他人の恋を妬む法界悋気(ほっかいりんき)ではないが、その名の示す法界寺へと到る、東には大鏡寺があるが、そこの若い草の芽が春が過ぎたので、遅れて咲く菜種や罌粟(けし)についた露に窶れた姿の夏の虫がいる、虫ながらも己の妻を慕うのも優しくもあり、粋でもある、あちらへ跳びこちらに跳びして、あちこちのそれではないが、東風(こちかぜ)がひたひたひた、もつれあった蝶が袷(あわせ)着物の染模様を本物の花のごとくに其処に止まると、それがそのままに揚羽の蝶の紋所となる、その蝶ではないが超泉寺へと続く、さてお次は善導寺・栗東寺(りっとうじ)と天満の札所をめぐり終えて、さて他の方向へと足を向けると、折しも空には夕立雲が広がり、その雲のような薄い羽衣みたいな蝉の羽、それに似た薄い手拭いを暑い日に玉の如き汗となって肌に吹き出す、その玉ではないが、玉造の稲荷社に迷い込む、そこは鬱蒼たる森の下闇、その闇の世界を有り難や、御仏は衆生のための親であるから照らしてお救い下さる、さて此処には小橋(をばせ)の興徳寺、四方には美しい眺めが果てしもなく広がり、西の方面には船路の海が深く、波の淡路島に消えないで通っている。沖では鴎が潮風に吹かれて身を縮めている、お前も無常の煙に咽ぶのだ、色恋に焦がれて死ぬのならば神も御照覧あれ、眞実、この身は成り行き次第で、さてさて、三方が開けた良い土地にあるので、実に良い景傅寺、縁があったならばまたここに来たいものだの、高津の遍明院、菩提の種を植えるそれではないが、上寺町(うえでらまち)の長安寺から誓安寺、のぼりに身をしなやかに動かしてしなしな、下りはちょこちょこ、上がってり下がったり、谷町筋を歩くのは慣れてはいない、行くのに習熟していないので、なり振りも乱れて、ああ恥ずかしい、裾が乱れるのでちらちらと裳裾が仄見える、急いで翻った裾を掻き合わせては、緩んだ帯をきっと引き締め、引き締めして身作ろいして、藤の棚で有名な十七番札所の重願寺、これから何番目が生玉(いくたま)の本誓寺かと遠くから伏し拝むのだ。数珠として繋ぐ菩提樹ではないが、菩提寺や、早くも天王寺に到着したが此処には六時堂があって、収蔵してある七千余巻の経所持している、その経堂内で読経する酉の刻、今の夕方の六時頃、他所で恋人を待つ宵や、別れを惜しむ後朝(きぬぎぬ)も、物を思うと辛いので鐘の音がゴン、ゴンと響き、金堂や講堂の立ち並ぶ萬燈院に灯る燈は、火陰でさえ明るく輝く蝋燭が点されていて、新清水にしばらく休息しようと言って、休息する。逢う坂の関の清水を手ですくい上げて、口を濯ぎ、無明の煩悩が悟りを妨げるように御酒が本心をくらますのを避けるために水を飲む、木々の下を抜けてくる風がヒヤヒヤと心地よく、右の袖口から左の袖口へと抜ける、煙管にくゆる火も道中の慰みであり、熱くはなく、風に乱れる煙草の薄い煙は空に消え果てて、消滅してしまう。煙草はひと想い草、人偲ぶ草、道草などと様々な異名を持つが、日も大分西に傾いてきたので道を急ごうと、再び出発する軽い足取り、時雨の松で有名な下寺町(したでらまち)には信心深い心光寺、更には悟りをし得ない身にも大覚寺が、そして金臺寺や大連寺などを廻りに廻って此処はもう三十番の、願いが叶う三津寺の、大慈大悲を頼みにして仏の手にかけられた五色の糸、此処はもう白髪町だと言う、黒髪は恋の思いに乱れに乱れ妄執が、あらぬ夢幻の幻を覚ますであろうに、博労町境内のここでも稲荷の神社、神と仏はもともとは一体で、水と波との違いほどしか相違がないとか、盛大な甍を並べている中に、津村町の新御霊(しんごりょう)を拝んで納めるヨモギ草の様に蓮っ葉な、浮気で軽はずみな世の中で、三十三種に御身を変化なされて、色恋で導き、情けで教える、恋心を菩提の橋として使い、人々を彼岸へと渡して救う観世音菩薩、その御誓願は妙にして有難い。 宙に立ち迷っている浮名をよそには漏らしたくないと、心配事を胸に包んでいるそれではないが、心の内本町(うちほんちょう)、焦がれている胸の火ではないが、平野屋に年季を重ねた優男が桃の節句の祝い酒、柳の葉のような黒髪を解く、それではないが、「徳」、「徳」と呼ばれて粋な名を取る、名取川ではないけれども、今はまだ手代の身分と埋れ木の様ではあるけれども、商売の生(き)醤油を袖にしたたらせながらも甘い恋に酔っているが、得意先を廻り廻って行くと、生玉(いくだま)の社(やしろに)到着した。出茶屋の床から女の声がして、「徳兵衛様ではありませんか、徳様、徳様」と言って手を叩く。徳兵衛は相手が誰かがわかって独り頷き、「これこれ、長蔵、俺はあとから行くので、お前は寺町の久本寺様や長久寺様、上(うえ)町から屋敷方を廻って、それから家に帰りなさい。そして、徳兵衛も早々に戻るだろう」と言いなさい。それから忘れないように安土(あずち)町の紺屋(こうや)によって料金を受け取りなさいよ、寄席や芝居小屋のある道頓堀には寄らないようしなさい、などと長蔵の後ろ姿が見えなくなるまで見送り見送りしてから、簾(すだれ)を上げて「お前はお初ではないか、この様な場所で何をしているのだ」と徳兵衛が編笠を取ろうとすると、お初の方は、「やはりまだ笠は着たままでいらっしゃい。今日は田舎からの客で三十三番の札所巡りをした後で逃げられてしまったので、此処で晩まで酒を飲んで時間を潰すのだと贅沢を言い、役者の身振りや台詞回しなどと物真似をする芸人を見物しに戻ってみるとそれ、其処へ戻ったのですが駕籠も使わないケチなお客でありました。所で、主は最近とんと梨の礫で姿をお見せになりませんが、心配をしておりましてもそちらの家の内情が分かりませんので迂闊に便りを出すこともできません。主の馴染みのお茶屋の丹波屋まではお百度を踏んで訪ねてはいるのですが、あそこへも姿をお見せではないと言う。ああ、誰であったかいな、ああそうでした、座頭の太一の友達週に訊いたところでは、郷里の田舎の方へ行ったとか、それも全く当てには出来ずに、ねえ、あなた様、私は気が揉めて心配で病気になるかもしれません、そでも主は私のことなどどうなっても聞きたくもないでしょうが、私は本当に心配で心配でたまりませんよ、嘘ではありませんよ、この胸のつかえをご覧なさいなと、お初は徳兵衛の手を取って自分の懐の中へ入れて、恨みの数々、口説きながら泣く。私達の仲は本当の夫婦と変わらない仲の筈ですよ」、言えば、男も涙を流して「ああそうだ、お前の言う通りだよ、しかしそれを言葉に出して言って儂(わし)を責めて見たところで何の足しになろうか。このところの儂の憂き苦労は大変なもので、盆と正月に加えて、お十夜お祓い煤掃きを一度にしたとしてもこんなには忙しくはないだろうと言う無茶苦茶な忙しさ、儂の心の中はどうにもならないほどの大混乱、金銭ごとやら何やらと面倒な事柄が一度に襲ってくる。良くも良くも徳兵衛の命は今日まで続いたものだ、儂の物語を続き狂言、演劇仕立てにしたならばさぞ哀れな物語に出来上がるだろうよ」と、徳兵衛は溜息をはっとつくのであった。「冗談など言っている場合ですか、それほどでもない事まで打ち明けていたこの私に、今度に限って何故に仰らないのでしょうか。お隠しなされた深いわけがあるのなら、どうして打ち明けては下さらないのでしょうか」と女は男の膝に凭れてさめざめと泣く。涙は鼻紙などに用いる延べ紙を浸す程に流れ出る。「泣くでない、恨むでない、隠したのではなくて、話したとて埓のあくことではないのだよ、そうではあるが大凡は方が済んだよ。一部始終を聞いてくれ、俺の旦那様はご主人ではあっても、現在の叔父御であるので、俺は甥にあたる。それで親切にしてもらっている。また儂のほうでも、奉公に少しの手抜きもしてはいない。商い物に関して一文一銭も疎かにはしていない。最近も袷を(あわせ)を作ろうと思って堺筋(さかいすじ)で加賀絹一匹を旦那の名義で掛買いしたが、後暗い事と言えば後にも先にもこれ一度きりなのだ。この費用のお金にしてもいざという時には自分の着替えなどを売って損をかけるつもりはさらさらない。この儂の正直さに目をつけて旦那は御内儀の姪に銀二貫目を持参金につけて夫婦にしようと、計画していて、儂を独立させて商いをさせようとの相談が去年からあったのだ。そなたと言う女性がありながら、どうしてその話に応じることが出来ようか。相手にもしないでいる内に、田舎にいる継母が儂に内緒で親方と相談ずくで、儂に内緒で二貫文目を手にして国元に帰ってしまった。それをこの馬鹿者が何も知らずに、先月から騒ぎ立てて無理にも祝言をさせるというのだ。そこで俺もさすがにむっとして、ええ、訳のわからぬ事を仰る旦那殿、私が納得できないことを老母を丸め込み、騙しての余りななされ様ではありませぬか。御内儀様も承知出来ませんぞ、今までは様の上に様を付け加えて奉っていた娘御殿に持参金を付けて頂戴致し、一生涯女房の御機嫌を取り結んで生きていくのでは、この徳兵衛の男が立ち申しません。私が一旦嫌と申したからには、死んだ親父が生き返って意見申すとあっても、嫌でござると言葉を言い過ごしての返答に、親方も立腹なされ、「俺が何もかも事情を知っているぞ、堂島新地の遊郭、蜆川の天満屋の初めとやらと腐れ縁が出来て、俺の嬶(かかあ)の姪を嫌うのだな。分かった、この上はもう娘は嫁にはやらない、やらないからには渡した二貫目の銀を返せ、四月七日までに必ず決済する商売の勘定を済ませてしまえ、追い出してこの大阪の地は二度と踏ませないぞ」と怒って罵る。儂も男の意地で、ああ、分かり申し候と生まれ在所へと走った。又、この継母と言う人が一旦握った金をどのような事態が生じても放そうとはしない。京の五条にある醤油問屋とは普段から銀のやり取りをしているので、それを頼みにして上京したのだが、折悪しく銀が無い。急いで引き返して、生まれ在所に戻り、在所中の人々の口利きで継母からお金を受け取ることが出来たのだ。直ぐ様銀を返済してさっぱりと精算出来たが、今度は大阪にはいられない。時々はお初とどうして会うことができようか、よしんば骨を砕かれて自分の身が水に晒されたシャレ貝のようになり蜆川の底の水の屑になるのならばなってしまえ。そなたと離れて生きていても生きがいもない」と、男泣きにむせび泣いている。
2024年10月07日
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明日香川 堰と知りせば 數多(あまた)夜も 率寝(ゐね)て來(こ)ましを 塞(せ)くと知りせば(― 明日香川が渡れなくなると知っていたなら、幾日も泊まってくるのだったのに、渡れなくなると知っていたなら)青柳(あをやぎ)の 張らろ川門(かはと)に 汝(な)を待つと 清水(せみど)は汲まず 立處(たちど)ならすも(― 青柳の芽の伸びた川門でお前を待つとて、清水を汲まずに、立っているところを踏み鳴らしています)味鳧(あぢ)の住む 須佐の入江の 隠沼(こもりぬ)の あな息(いき)づかし 見ず久しにして(― アヂの住む須佐の入江の、人からは見えない沼地がいぶせく感じられるように、いぶせくて自ずから嘆息されることだ。愛しい人に久しく逢わなくて)鳴瀬(なるせ)ろに 木屑(こつ)の寄(よ)すなす いとのきて 愛(かな)しけ背(せ)ろに 人さへ寄すも(― 鳴る瀬に木屑がぎっしりと寄せて隙間がないように、取り分け恋しい私の人に、他人までが心を寄せているとは)多由比潟(たゆひがた) 潮満ちわたる 何處(いづ)ゆかも 愛(かな)しき背ろが 吾(わ)がり通はむ(― たゆひ潟に潮がいっぱいに満ちている。そこを通って私の愛しい人が、通ってくるだろうか)おして否(いな)と 稲は舂(つ)かねど 波の穂の いたぶらしもよ 昨夜(きそ)獨り寝て(― 波の穂の揺れるように、ひどく落ち着かない気持です。昨夜たった一人で寝て)あぢかまの 潟(かた)に咲く波 平瀬(ひらせ)にも 紐解くものか かなしけを置きて(― 情熱の湧かない人になんで紐を解きましょう。私の愛しい人を差し置いて)松が浦に 騒(さわ)ゑ群(むら)立(だ)ち 眞人言(まひとごと) 思ほすなもろ わが思(も)ほのすも(― 松が浦で波が騒ぎ群がり立っているように、人の噂を騒がしいとお思いになっているでしょうね、私が思うのと同じように)あぢかまの 可家(かけ)の水門(みなと)に 入る潮(しほ)の こてたずくもか 入りて寝まくも(―可家の水門に入る潮のように、あなたの床に入って寝たいものだ)妹が寝(ぬ)る 床のあたりに 石(いは)ぐくる 水にもがもよ 入りて寝(ね)まくも(― 私は岩間を潜る水であったら良いと思う。妹が寝る床の辺に染み入って、一緒に寝るのだが)麻久良我(まくらが)の 許我(こが)の渡(わたり)の 韓楫(からかぢ)の 音高しもな 寝なへ兒ゆゑに(― まくらがの古河の渡の韓楫の音が高いように、高く噂が立ったなあ、あの娘と共寝をしたわけではないのに)潮船(しほぶね)の 置かれば悲し さ寝つれば 人言(ひとこと)しがし 汝(な)を何(ど)かも爲(せ)む(― 潮船のように置いたままにしておくと胸が痛い。共寝をすると人の噂があれこれと立つ。お前をどうしよう)悩(なや)ましけ 人妻(ひとづま)かもよ 漕ぐ船の 忘れは爲(せ)なな いや思(も)ひ増すに(―悩ましい人妻だなあ、漕ぐ舟の行き去るように忘れ去ることが出来なくて、いよいよ思いは募って)逢はずして 行かば惜しけむ 麻久良我(まくらが)の 許我(こが)漕ぐ船に 君も逢はぬかも(― あなたと逢わずに行ったら心残りだろう。まくらがの古河を漕ぐ渡り船で、あなたとお逢い出来ないものかなあ)大船を 舳(へ)ゆも艫(とも)ゆも 堅(かた)めてし 許曾(こそ)の里人(さとびと) 顯(あらは)さめかも(― 大船を舳先からも艫からも綱で結びつけるように、しっかりと口固めした許曽の里の恋人は我々二人の仲を漏らすことはよもやあるまい)眞金(まかね)吹く 丹生(にふ)の眞朱(まそほ)の 色に出(で)て 言はなくのみそ 吾(あ)が戀ふらくは(― 鉄を精錬する丹生の赤土のように色に出して、表立って言わないだけです。私の恋する気持は)金門田(かなとだ)を 荒掻きま齋(ゆ)み 日が照(と)れば 雨を待(ま)とのす 君をと待(ま)とも(― 金門田を荒掻きして清浄にして、日が照ると播種の為の雨を待つように、あなたをお待ちしています)荒磯(ありそ)やに 生(お)ふる玉藻の うち靡(なび)き 獨りや寝(ね)らむ 吾(あ)を待ちかねて(― 荒磯に生えている玉藻が波になびくように、吾妹子は輾転して、独り寝ていることであろう。私を待ちかねて)比多潟(ひたがた)の 磯の若布(わかめ)の 立ち亂(みだ)え 吾(わ)をか待つなも 昨夜(きそ)の今夜(こよひ)も(― ひた潟の磯のワカメがたち乱れるように、乱れて私を待っているであろうか。昨夜も今夜も)小菅(こすげ)ろの 浦吹く風の 何(あ)ど爲爲(すす)か 愛(かな)しけ兒ろを 思ひ過(すご)さむ(― 小菅の浦を吹く風の事もなく吹きすぎるように、あの恋しい子を心に止めずにやり過ごすことが何として出来ようか)彼(か)の兒ろと 寝ずやなりなむ はだ薄(すすき) 宇良野(うらの)の山に 月(つく)片寄(かたよ)るも(― もうあの娘と一緒に寝ないようになるのだろうか、待っていても来ず、月は宇良野の山に偏ってしまった)吾妹子(わぎもこ)に 吾(あ)が戀ひ死なば そわへかも 神に負(おほ)せむ 心知らずて(― 吾妹子に恋焦がれて死んだならば、神のせいにしようか、そのお気持ちは判らないながらも)置きて行(い)かば 妹(いも)ばまかなし 持ちて行く 梓の弓の 弓束(ゆつか)にもがも(― このまま恋人を後に残して防人として遠征したならば、私は恋しくてならないだろう。だから妹は私が持っていく梓の弓の弓束であってくれればいい)おくれ居て 戀ひば苦しも 朝狩(あさがり)の 君が弓にも ならましものを(― 後に残されて慕っているのは苦しいものです。朝狩りに行かれるあなたの弓にでもなりたいものです)防人(さきもり)に 立ちし朝明(あさけ)の 金門出(かなとで)に 手放(たばな)れ惜しみ 泣きし兒らばも(― 防人に出立した朝の門出に、我が手から離れるのを惜しんで泣いた吾妹子は、ああ)葦(あし)の葉に 夕霧立ちて 鴨が音(ね)の 寒き夕(ゆうべ)し 汝(な)をは偲(しの)はむ(― 葦の葉に夕霧が立ち、鴨の声が寒い夕べにはお前を遥かに思い慕うことであろう)己妻(おのづま)を 他(ひと)の里(さと)に置き おぼぼしく 見つつそ來ぬる 此の道の間(あひだ)(― 自分の妻を人の里に置いて、はっきり見えないながら、見い見い此処まで歩いて来てしまった、この道の間中を)何(あ)ど思(も)へか 阿自久麻山(あじくまやま)の ゆづる葉の 含(ふふ)まる時に 風吹かずかも(― 何と思ってか、あじくま山のユズリハ・トウダイ草科の常緑喬木、四五月頃に緑黄色の小さい花を総状につけ、十一月頃に暗緑色の核果を結ぶ のように、まだ蕾のうちに風が吹くことよ。娘が成人しないのに誘うことよ)あしひきの 山鬘蘿(やまかつらかけ) ましばにも 得がたき蘿(かけ)を 置きや枯らさむ(― 山のカズラで作ったヒカゲ・新嘗祭などの神事に冠の左右につける飾り、しばしば得がたいヒカゲを、捨てておいて枯らしてよいものだろうか) ヒカゲは女を寓している。小里(をさと)なる 花橘を 引き攀(よ)ぢて 折らむとすれど うら若みこそ(― 小里の美しい花橘を掴んで引っ張って折ろうとするけれども、あまり若々しいので遠慮される)美夜自呂(みやじろ)の 砂丘邊(すかへ)に立てる 貌(かほ)が花 な咲き出でそね 隠(こ)めて偲(しの)はむ(― みやじろの海岸の砂丘の辺に立っている貌花のように、人目に付くようには咲かずに心のうちで慕い会いましょう)苗代(なはしろ)の 子水葱(こなぎ)が花を 衣(きぬ)に摺(す)り 馴(な)るるまにまに 何(あぜ)か愛(かな)しけ(― 苗代の子水葱の花を衣に擦り付けて染めて、着馴れるにつけてどうしてこう可愛いのだろう)愛(かな)し妹(いも)を 何處(いづち)行かめと 山菅の 背向(そかひ)に寝(ね)しく 今し悔しも(― 愛しい妹は何処にも行くまいとたかを括って、背中合わせに寝たことが、妹が死んだ今になって後悔される) これで万葉集に収められた和歌全部の大体の鑑賞を終わりました。詩歌や和歌は人々の心に深く印象を残し、琴線を揺らし続ける感動を文字にして表現したものですから、相対的に恋歌が多くなっています。私も万葉集の様々な歌に交流をして、心が若者の如き感動を覚え続けて作者に共鳴して、精神や魂が若返るのを実感しました。今の人も、千年以上前の人々も本質の所では何も変わっていない。そう、確信しています。恋心は人間が生きている証の様なもの、神が人間に与えた宝物であります。それを、言葉の表現で鑑賞し、あたかも自分自身が現在只今、新鮮な感動に酩酊しているさまを実感する。それが、詩歌の鑑賞の醍醐味でありましょう。出来れば、私たちも先人に習って和歌や詩歌を制作して実作の喜びを体験する機会を持ちたいものです。個人で実施するのもよし、グループを作って仲間と交流を深めながら詩作するのも楽しいのではないでしょうか。如何でしょうか。
2024年10月02日
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伊波保(いはほ)の 岨(そひ)の若松 限(かぎり)とや 君が來まさぬ 心(うら)もとなくも(― いはほの山ぎりぎりの断崖に生えた若松ではないが、これが限りと言うのであろうか、わが君が見えないことよ。私は待ち遠しく思うのに)橘(たちばな)の 古婆(こば)の放髪(はなり)が 思ふなむ 心愛(うつく)し いで吾(あれ)は行((い)かな(― 武蔵国のたちばなの古婆の少女が私を待っているであろう心持ちが可愛い。さあ、私は出かけよう)川上(かはかみ)の 根白(ねじろ)高草(たかがや) あやにあやに さ寝(ね)さ寝(ね)てこそ 言(こと)に出(で)にしか(― 気も心も失って、度重ねて共寝をしたからこそ、人の噂にのぼるようになったのに)海原(うなはら)の 根柔小菅(ねやはらこすげ) あまたあれば 君は忘らす われ忘るれや(― 海辺の根柔らか小菅が沢山あるように、あなたには優しい女の人が大勢おありだから、私をお忘れになる。けれど、私はあなたを忘れません)岡に寄せ わが刈る草(かや)の さね草(かや)の まこと柔(なご)やは 寝(ね)ろとへなかも(― 岡で引き寄せて刈るカヤのさねカヤのように、ほんとに柔らかには、お前は、一緒に寝なさいとは言わないのだね)紫草(むらさき)は 根をかも竟(を)ふる 人の兒の 心(うら)がなしけを 寝を竟(を)へなくに(―紫草は根をすっかり取り果たすものだなあ、私は、あの可愛い子といっしょに寝たいと思って果たさないのに)安波峯(あはを)ろの 峯(を)ろ田に生(お)はる 多波美蔓(たはみづら) 引かばぬるぬる 吾(あ)を言(こと)な絶え(― 安波峰の山田に生えているタハミヅラを引いたならば切れるように、私との言葉を絶えさせないでおくれ)わが目妻(めづま) 人は離くれど 朝貌(あさがほ)の 年さへこごと 吾(わ)は離(さ)るがへ(― 私の愛しい妻を人々は離そうとするけれど、幾年でも、私は決して離れはしない)安齋可潟(あぜかがた) 潮干のゆたに 思へらば うけらが花の 色に出(で)めやる(― あぜか潟の潮の満ち干がゆっくりとしているように、ゆとりのある気持ならばなんでもウケラの花・山野に自生する菊科の多年生草木で、秋に白い花を開く、紅のさした色もある のように顔色に表しましょうか。思い詰めているからこそ顔にあらわれるのです)春べ咲く 藤の末葉(うらば)の うら安に さ寝(ぬ)る夜そなき 子ろをし思(も)へば(― 愛しい子を思っているので、心安らかに寝る夜がないことだ)うち日さつ 宮の瀬川の 貌花(かほばな)の 戀ひてか寝らむ 昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も(― 夜は花を閉じて寝る、宮の瀬川の畔のヒルガオの花のように、あなたは夜になると恋に萎れてねているのであろうか、昨夜も、今夜も)新室(にひむろ)の 蠶時(こどき)に到れば はだ薄(すすき) 穂に出(で)し君が 見えぬこのころ(― 新室で蚕を飼う時になったので忙しくて、私に愛の気持をはっきりと示したあの方が、お見えにならないこの頃です)谷狭(せば)み 嶺に延(は)ひたる 玉鬘(たまかづら) 絶えむの心 わが思(も)はなくに(― 谷が狭いので嶺に伸びた玉鬘が切れるように、あなたとの仲が切れるようにという気持は私は持っていないのですが)芝付(しばつき)の 御宇良崎(みうらさき)なる 根都古草(ねつこぐさ) 逢ひ見ずあらば 吾(あれ)戀めやも(― ああして逢うことがなかったら、私は何で今、恋に苦しもうか)栲衾(たくぶすま) 白山風の 寝(ね)なへども 子ろが襲着(おそき)の 有(あ)ろこそ良(え)しも(― 加賀の白山の風が寒いように、共寝をしなくて寒いけれど、愛しい子がくれた着物があってよかった)み空ゆく 雲にもがもな 今日行きて 妹(いも)に言(ことどふ)ひ 明日帰り來(こ)む(― 空を行く雲でありたい。今日行って吾妹子と話をして明日帰ってこようものを)靑嶺(あをね)ろに たなびく雲の いさよひに 物をそ思ふ 年のこのころ(― 青い山にたなびく雲が動かないように、私は独りでためらっていて、物思いをするこの頃である)一嶺(ひとね)ろに 言はるるものから 靑嶺(あをね)ろに いさよふ雲の 寄(よ)そり夫(つま)はも(― 一つの山だ、一心同体だと言ったのに、今になって青山にいさよう雲のようにためらっている、関係があると噂を立てられた夫は、まあ)夕されば み山を去らぬ 布雲(にのくも)の 何(あぜ)か絶えむと 言ひし兒ろばも(― 夕方になると山辺を布雲が去らないように、何で仲が絶えることがありましょうかと言ったあの子は、ああ、どうしているだろうか)高き嶺(ね)に 雲の着(つ)くのす われさへに 君に着きなな 高嶺(たかね)と思(も)ひて(― 高い山に雲が着くように、私もあなたに纏い付きたい。あなたを高山と思って)吾(あ)が面(おも)の 忘れむ時(しだ)は 國はふり 嶺(ね)に立つ雲を 見つつ偲(しの)はせ(― もし私の顔が思い出せなくおなりの際は、国から湧き上がって峯に立つ雲を見ながら、懐かしく思ってくださいませ)對馬(つしま)の嶺(ね)は 下雲(したぐも)あらなふ 上(かむ)の嶺(ね)に たなびく雲を 見つつ偲(しの)はむ(― 対馬の山には低い雲はかからない、上の山にたなびいている雲を見てお前を偲ぼう)白雲の 絶ゑにし妹を 何(あぜ)爲(せ)ろと 心に乗りて 許多(ここば)かなしけ(― 仲の切れてしまった妹なのに、心にかかってこんなにも愛しいのは、どうしろと言うのか)岩の上(へ)に い懸(かか)る雲の かのまづく 人そおたはふ いざ寝(ね)しめとら(― 周囲に大勢いる人々は今のところ静かにしている、さあ、一緒に寝ようよ)汝(な)が母に 嘖(こ)られ吾(あ)は行く 靑雲の いで來(こ)吾妹子(わぎもこ) 逢ひみて行く(― お前のお母さんに怒られて俺は帰る、出ておいで、吾妹子よ、お前の顔を一目でも見て帰りたい)面形(おもかた)の 忘れむ時(しだ)は 大野ろに たなびく雲を 見つつ偲はむ(― もしもお前の顔形を思い出せなくなったなら、広い野にたなびく雲をみながら、遥かに思いを寄せよう)鴉(からす)とふ 大輕率鳥(おほをそどり)の 眞實(まさで)にも 來まさぬ君を 兒ろ來(く)とそ鳴く(― 烏と言う大慌てものが、本当においでにもならない君を、君がおいでになった、と鳴くのだよ)昨夜(きそ)こそは 兒ろとさ寝しか 雲の上(うへ)ゆ 鳴き行く鶴(たづ)の ま遠(とほ)く思ほゆ(― たった昨夜に、あの子と一緒に寝たばかりなのに、雲の上を鳴いて行く鶴の声が間遠なように、長い間逢わないように思われる)坂越えて 安倍(あべ)の田の面(も)に 居(ゐ)る鶴(たづ)の ともしき君は 明日さへもがも(― 坂を飛び越えて安倍の田の上に降りている鶴のように、珍しいわが君は明日もまたおいでください)まを薦(ごも)の 節(ふ)の間近(まちか)くて 逢はなへば 沖つ眞鴨(まかも)の 嘆きそ吾(あ)がする(― 間近くいながらも逢うことができないので、私は大きな嘆息をしています)水(み)くくる野に 鴨の匍(は)ほのす 兒(こ)ろが上(うへ)に 言緒(ことを)ろ延(は)へて いまだ寝なふも(― 水くく野で、鴨が這うように、あの子に対して声を掛けただけで、まだ共寝をしていないことだなあ)沼二つ 通(かよ)は鳥が巣 吾(あ)が心 二行(ふたゆ)くなもと 勿(な)よ思(も)はりそね(― 沼二つを行き来する鳥の巣が二つあるように、私が二人の女を思っているなどとどうか、決して思わないでいておくれ)沖に住も 小鴨(をかも)のもころ 八尺鳥(やさかどり) 息づく妹(いも)を 置きて來(き)のかも(― 沖に住む小鴨のように、大きい嘆息をしている妹を置いて、私は旅に来てしまった)水鳥の 立たむよそひに 妹のらに 物いはず來にて 思ひかねつも(― 急の旅立ちで支度に忙しく、妹にゆっくり言葉を交わさずに来てしまって、今じっと妹を思慕する情に堪えない)等夜(とや)の野に 兎(をさぎ)狙(ねら)はり をさをさも 寝なへ兒(こ)ゆゑに 母に嘖(ころ)はえ(― ちっとも寝なかった子なのに、その事で母に叱られて)さを鹿の 伏(ふ)すや草叢 見えずとも 兒ろが金門(かなと)よ 行かくし良(え)しも(― さ男鹿が伏す草むらのように中までよく見えなくても、妹の家の金具を用いた門を通るのは嬉しい)妹をこそ あひ見に來(こ)しか 眉引(まよびき)の 横山邉(へ)ろの 鹿なす思へる(― 妹に逢いたいばかりに来たのに、それを、あたかも丘辺の鹿ででもあるかのように、煩く思うとは)春の野に 草食(は)む駒の 口やまず 吾(あ)を偲(しの)ふらむ 家の兒ろはも(― 春の野で草を食べる駒の口の動きがやまないように、やまずに私を慕っているであろう家の妻は、どうしているだろう)人の兒の かなしけ時(しだ)は 濱渚鳥(はますどり) 足悩(あなゆ)む駒の 惜(を)しけくもなし(― あの子が恋しい時は、逢いに行きたくて歩き悩む私の馬が傷んでも、構わないという気持ちになる)赤駒(あかごま)が 門出(かどで)をしつつ 出でかてに 爲(せ)しを 見立てし家の 兒らはしも(― 私が赤駒に乗って門出をしながら、後ろ髪を引かれていたのを、見送っていた妻は家で今ころどうしているだろうか)己(おの)が命(を)を おぼにな思ひそ 庭に立ち 笑(ゑ)ますがからに 駒に逢うものを(― 命をおろそかにして良いとお思いなさいますな。庭に立ってちょっとお笑いになるだけで、私は駒に乗ってあなたに逢いに来るものを)赤駒を 打ちてさ緒(を)引(ひ)き いかなる背(せ)なか 吾(わ)がり來(こ)むとふ(― 赤駒に鞭打って、手綱を取り、どんな心持ちのお方が私の所に来ようと言うのだろうか)柵越(くへご)しに 麥食(は)む子馬(こうま)の はつはつに 相見し子らし あやに愛(かな)しも(― 子馬が柵越しに麦をほんの少し噛むように、ちょっとあったあの子が何とも言えずに愛しくてならない)廣橋を 馬越しがねて 心のみ 妹がり遣(や)りて 吾(わ)は此處(ここ)にして(― 広橋なのに馬で越しかね、心だけを妹の許にやって、私はここにいて恋しく思っています)崩岸(あず)の上(うえ)に 駒をつなぎて 危(あや)ほかと 人妻(ひとづま)兒(こ)ろを 息(いき)にわがする(― 崩れた岸に馬をつないで危ういように、危ないけれども、私は人妻のあなたに心惹かれて嘆息しています)左和多里(さわたり)の 手兒(てご)に い行き逢ひ 赤駒が 足掻(あがき)を速み 言問はず來(き)ぬ(― さわたりの手児に逢ったけれど、私の赤駒の足が速いので、ゆっくり話も交わさずに来てしまった)崩岸邊(あずへ)から 駒の行(ゆ)ごのす 危(あや)はとも 人妻(ひとづま)兒ろを 目(ま)ゆかせらふも(― 崩れた岸辺りを馬で行くように危うくとも、あの人妻をただで見ていられようか)細石(さざれいし)に 駒を馳(は)させて 心痛(いた)み 吾(あ)が思(も)ふ妹が 家の邊(あたり)かも(― 河原の細石の上を駒を走らせて心が痛いように、胸に切なく思う妹の家の当たりだな、このあたりは)室草(むろがや)の 都留(つる)の堤の なりぬがに 兒ろは言へども いまだ寝なくに(― 都留川の堤が出来上がったように、二人の仲は既に出来たごとくにあの子は言うけれども、まだ共寝をしたわけではない)明日香川(あすかがは) 川下(かはした)濁れるを 知らずして 背(せ)ななと 二人さ寝て悔しも(― 明日香川は底が濁っているのを知らずに、あなたの本心を知らずに、二人で寝て、後悔しています)
2024年09月30日
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東路(あづまぢ)の 手兒(てご)の呼坂(よびさか) 越えがねて 山にか寝むも 宿(やどり)は無しに(― 東海道の手児の呼坂を越えることができずに、山に寝ることであろうか。仮寝の場所もなくて)うらも無く わが行く道に 青柳(あをやぎ)の 張りて立てれば 物思(も)ひ出(づ)つも(― 何心なく私が歩いて行く道に、青柳が生き生きと芽吹いて立っていたので、ふと、恋しい人を思い出した)伎波都久(きはつく)の 岡の莖韮(くくみら) われ摘(つ)めど 籠(こ)にも満(み)たなふ 背(せ)なと摘まさね(― きはつくの丘の茎韮を私が摘んでも、籠にすら一杯にはなりません。それならば、背子と一緒にお摘みなさいな) 第四句までと五句とで、唱和する形である。水門(みなと)の葦(あし)が 中なる玉小菅(たまこすげ) 刈り来(こ)わが背子(せこ) 床(とこ)の隔(へだし)に(― 水門の葦のなかにある玉小菅を刈っておいでなさい、わが背子よ。寝床の隔てにするために)妹なろが 使ふ川津(かはづ)の ささら荻(をぎ) あしと人言(ひとごと) 語りよらしも(― 妹が使う川辺の物洗い場に生えているササラ荻に似た葦、アシ・悪し と人々が集まって私のことを噂しているらしいよ)草蔭の 安努(あの)な行かむと 墾(は)りし道 阿努(あの)は行かずて 荒草立(あらくさだ)ちぬ(― 三重県の安努に行こうとして開墾した道も安努まで行かずに、荒れて荒草が繁ってしまったよ) 何か寓意があるらしい。花散(ぢ)らふ この向(むか)つ嶺(を)の 乎那(をな)の嶺(を)の 洲(ひじ)につくまで 君が齢(よ)もがも(― 花の散るこの向かいの嶺の尾奈の嶺が、時を経て湖の洲に浸かるほどにまでに長く、あなたの寿命があって欲しいものです)白栲(しろたへ)の 衣の袖を 麻久良我(まくらが)よ 海人(あま)漕ぎ來(く)見ゆ 波立つなゆめ(― まくらがから海人が漕いで来るのが見える、波よ、決して立つな)乎久佐壯子(をくさを)と 乎具佐助丁(をぐさすけを)と 潮舟(しほふね)の 並べて見れば 乎具佐勝(をぐさか)ちめり(― 乎具佐男と乎具佐助丁と並べてみると、乎具佐助丁の方が勝っているように見えます)左奈都良(さなつら)の 岡に粟蒔(ま)き かなしきが 駒はたぐとも 吾(わ)はそと追(を)はじ(― さなつらの岡に粟を蒔いて恋人の馬がそれを食べても、私はそれをソソと追うことはしまい)おもしろき 野をばな焼きそ 古草(ふるくさ)に 新草(にひくさ)まじり 生(お)ひは生(お」ふるがに(― 眺めのよい野を焼かないで下さい。古草に新草が混じって芽が出たら伸びるように) 風の音(と)の 遠き吾妹(わぎも)が 着せし衣(きぬ) 手本(たもと)のくだり まよひ來にけり(― 遠くにいる吾妹が着せてくれた衣の袂の縦糸が緩んで、薄くなってきた)庭にたつ 麻布小衾(あさてこぶすま) 今夜(こよひ)だに 夫(つま)寄しこせぬ 麻布小衾(あさてこぶすま)(― 私の麻布小衾よ、せめて今夜だけでも夫を私に寄せてよこしておくれ、私の麻布小衾よ)戀しけば 來ませわが背子(せこ) 垣(かき)つ柳末(やぎうれ) 摘みからし われ立ち待たむ(―恋しいならばおいでください、わが背子よ、垣根の柳の枝先を枯らしながら私はお待ち致しましょう)うつせみの 八十言(やそこと)の葉(へ)は 繁くとも 争ひかねて 吾(あ)を言なすな(― 世間の噂はたとい繁くても、それに屈して私の名を口に出したりしないでください)うち日(ひ)さす 宮のわが背は 倭女(やまとめ)の 膝枕(ま)くごとに 吾(あ)を忘らすな(― 宮廷にいるあなたは大和女の膝を枕にするごとに、私をお忘れにならないで下さい) 男が大和へ帰る際の詠歌であろう。吾背(なせ)の子や 等里(とり)の岡道(をかぢ)し 中だをれ 吾(あ)を哭(ね)し泣くよ 息衝(いきづ)くまでに(― わが背子は、等里の岡道の途中のタワ・中途がたわんで低くなっている所 のように、この頃気持が中だるみで、私は泣けてしまいます。こんなに溜息が出るまでにも)稲舂(つ)けば 皹(かか)る吾(あ)が手を 今夜(こよひ)もか 殿の若子(わくご)が 取りて嘆かむ(― 毎日稲をつくので、あかぎれするこの手を、今夜もまた、御殿の若様が御とりになって嘆かれることだろうか)誰(たれ)そこの屋(や)の戸 押そぶる 新嘗(にふなみ)に わが背を遣(や)りて 齋(いは)ふこの戸を(― 誰ですか、この家の戸をガタガタ押すのは、新嘗の祭りで、夫を外に出して潔斎しているこの戸を)何(あぜ)と言へか さ寝に逢はなくに 眞日(まひ)暮れて 宵(よひ)なは來(こ)なに 明けぬ時(しだ)來(く)る(― どうして共寝するために逢ってはくださらないのですか、日が暮れて、宵のうちにあなたは来ないで、明けた時に来るとは)あしひきの 山澤人(やまさはびと)の 人多(さは)に まなといふ兒が あやに愛(かな)しさ(― 多くの人々が止せと言うあの子が、何とも言えずに胸にしみて可愛いことだよ)ま遠(とほ)くの 野にも逢はなむ 心なく里の眞中に 逢へる背(せ)なかも(― 遠くの野でお逢いしたいのに、思いやりなく、人目の多い里の真ん中で親しい声をかけてくださったあなたよ)人言(ひとごと)の 繁きによりて まを薦(ごも)の 同(おや)じ枕は 吾(わ)は纏(ま)かじやも(― 人の噂がしきりだからと言って、それで、マヲ薦の枕をあなたとともにしないことがありましょうか)高麗錦(こまにしき) 紐解き放(さ)けて 寝(ぬ)るが上(へ)に 何(あ)ど爲(せ)るとかも あやに愛(かな)しき(― 紐を解き放って共寝しているのに、この上にどうしろと言うのか、無性に可愛いことよ)ま愛(かな)しみ 寝(ぬ)れば言(こと)に出(づ) さ寝(ね)なへば 心の緒(を)ろに 乗りて愛(かな)しも(― 愛しさに共寝をすれば噂される、共寝をしないと、いつも心にかかって可愛くてならないよ)奥山の 眞木の板戸(いたど)を とどとして わが開かむに 入り來て寝(な)さね(― 奥山の真木で作ったこの板戸をことことと私が押して、私が開けたら入って来て、共寝をしなさい)山鳥の尾(を)ろの 初麻(はつを)に 鏡懸(か)け 唱え(とな)ふべみこそ 汝(な)に寄(よ)そりけめ(― 山鳥の尾に似た初麻に鏡を懸けて、神に呪文を唱える役を私がするはず、私はあなたの妻になるはずだからこそ、当然に噂が立ったのだろうが、実際には困ってしまう)夕占(ゆうけ)にも 今夜(こよひ)と告(の)らろ わが背(せ)なは 何(あぜ)そも今夜(こよひ)寄しろ來まさね(― 夕占にも今夜と出たわが背子は、どうして今夜お寄りにならないのだろう)あひ見ては 千年や去(い)ぬる 否をかも 吾(あれ)や然(しか)思ふ 君待ちがてに(― この前お逢いしてからもう千年がたっただろうか、いや、私だけがそう思うのだろう。あなたをお待ちし切れないで)しまらくは 寝つつもあらむを 夢(いめ)のみに もとな見えつつ 吾(あ)を哭(ね)し泣く(― しばらくの間は静かに寝ていたいのに、あなたの姿が夢にしきりに現れて、私は泣けてしまった)人妻(ひとづま)と 何(あぜ)か其(そ)をいはむ 然(しか)らばか 隣の衣(きぬ)を 借りて着(き)なはも(― 人妻だからいけないと、どうしてそれを言うのだろうか。では、隣の人の着物を借りて着ないだろうか、着るではないか)佐野山(さのやま)に 打つや斧音(おのと)の 遠かども 寝(ね)もとか子ろが 面(おも)に見えつる(― 佐野山で打つ斧の音が遠くに聞こえるように、遠くに居るが、共に寝ようと言うのか、妹の姿が面影に見えたことよ)植竹(うゑだけ)の 本(もと)さえ響(とよ)み 出でて去(い)なば 何方(いづし)向きてか 妹が嘆かむ(― 慌ただしく私が旅にでてしまったら、吾妹子は見当もつかずに、どっちを向いて嘆くことであろうか)戀ひつつも 居(を)むとすれど 木綿間山(ゆふまやま) 隠れし君を 思ひかねつる(― 恋しく思いながらも此処にじっとしていようと思うけれど、木綿間山に隠れてしまったあなたを慕い思う心持に堪えられないことです) 挽歌とも取れる。諾兒(うべこ)なは 吾(わぬ)に戀ふなも 立(た)と月(つく)の 流(のが)なへ行けば 戀(こふ)しかるなも(― なるほど、吾妹子は私を恋しく思っていることだろう。立つ月が流れ去っていくと恋しく思うことだろうな)東路(あづまぢ)の 手兒(てご)の 呼坂(よびさか)越えて去(い)なば 吾(あれ)は戀ひむな 後は逢ひぬとも(― 東海道の手児の呼坂を越えてあなたが行かれたら私は恋しいでしょう。後では、お逢いしましょうとも)遠しとふ 故奈(こな)の白嶺(しらね)に 逢(あ)ほ時(しだ)も 逢はのへ時(しだ)も 汝(な)にこそ寄され(― 遠いと言う故奈の白嶺でお前と逢う時も逢わない時も、世間の人々からお前と仲がいいと噂を立てられているものを。どうしてこの頃逢ってくれないのです)赤見山(あかみやま) 草根刈り除(そ)け 逢はすがへ あらそふ妹し あやに愛(かな)しも(― 赤見山で草を刈りそいで、承知の上で逢ったのに、恥ずかしがって従わない妹が何とも言えず可愛い)大君の 命(みこと)畏(かしこ)み 愛(かな)し妹が 手枕(たまくら)離れ 夜立(よだ)ち來(き)の かも(― 大君の御命令を畏んで、愛しい妹の手枕を離れて、夜に出発してきたことだ)あり衣(きぬ)の さゑさゑしづみ 家の妹に 物いはず來(き)にて 思ひ苦(ぐる)しも(― 家で私を待つ妹に物を言わずに出かけて来て心苦しい気持である)韓衣(からころも) 裾(すそ)のうち交(か)へひ あはねども 異(け)しき心を 吾(あ)が思(も)はなくに(― この頃お逢いしませんけれど、私はあだし心を私は持っておりません)晝解(と)けば 解けなへ紐の わが背なに 相寄(よ)るとかも 夜(よる)解けやすけ(― 昼間解くと解けない紐が、わが背子に逢うからとでも言うのか、夜は解け易いことだ)麻苧(あさを)らを 麻笥(をけ)に多(ふすさ)に 績(う)まずとも 明日(あす)着(き)させめや いざせ小床(をどこ)に(― 麻の荢・麻の皮からとった繊維で糸や縄に製するもの を麻笥いっぱいに糸になさっても、明日着物としてお召になるわけではないでしょう。ですから、もうその仕事はやめて、さあ、床に入りましょう)劔刀(つるぎたち) 身に副ふ妹を とり見がね 哭(ね)をそ泣きつる 手兒(てご)にあらなくに(― 身に寄り添っている吾妹子をやさしく介抱しかねて、私は泣いてしまった、子供ではないのに)愛(かな)し妹を 弓束(ゆづか)並(な)べ巻(ま)き 如己男(もころを)の 事とし言はば いや勝(か)たましに(― 愛しい吾妹子よ、弓束を並べて革を競い巻くように、恋敵というのなら、私は必ず勝つと決まっているのですが。あなたにはどうしても勝つことが出来ません)梓弓(あづさゆみ) 末に玉纏(ま)き かく爲爲(すす)そ 寝(ね)なな成りにし 將來(おく)を兼ね兼ね(― 梓弓の弓末に玉を巻きつけて大切にするように、大事にしながら、とうとう共寝もせずに終わってしまった。将来をあれこれ期待していたのに)生(お)ふ楉(しもと) この本山(もとやま)の 眞柴(ましば)にも 告(の)らぬ妹が名 象(かた)に出(い)でむかも(― ほんの少しも口に出さない妹の名前だが、鹿の骨の占いであらわになってしまうだろうか)梓弓 欲良(よら)の山邊の 繁(しげ)かくに 妹ろを立てて さ寝處(ねど)拂(はらふも(― よらの山辺の草木の茂みに吾妹子を立たせて、私は寝る場所の草を払っている)梓弓 末は寄り寝む 現在(まさか)こそ 人目を多み 汝(な)を端に置けれ(― 将来は一緒に寝よう、現在こそ人目が多いので、お前を中途半端にしているけれど)楊(やなぎ)こそ 伐(き)れば生(は)えすれ 世の人の 戀に死なむを 如何に爲(せ)よとそ(― やなぎならば切ってもまたは生えもしようが、人の世の私が恋の苦しみで死ぬのをどうしろと言うのでしょうか)遅速(おそはや)も 汝(な)をこそ待ため 向つ嶺(を)の 椎(しひ)の小枝(こやで)の 逢ひは違(たが)はじ(― 来るのが遅くても早くても、私はあなたをじっとお待ちしていましょう。向かいの嶺の椎の小枝のように若いさかりが過ぎてしまいましょうとも)子持山(こもちやま) 若鶏冠木(わかかへるで)の 黄葉(もみ)つまで 寝(ね)もと吾(わ)は思(も)ふ 汝(な)は何(あ)どか思(も)ふ(― 子持山の若いカエデの葉が赤く色づくまで一緒に寝ていたいと私は思う。お前はどう思うのだね)
2024年09月27日
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筑波嶺に 背向(そがひ)に 見ゆる葦穂山(あしほやま) 悪(あ)しかる咎も さね見えなくに(― あの子には全く欠点が見えないのだよ、欠点が見えれば諦めることもしようが…)筑波嶺の 岩もとどろに 落つる水 世にもたゆらに わが思はなくに(― 筑波山の岩を轟かして落ちる水が決してと途絶えないように、我々の仲も途絶えようとは私は決して思わないのに)筑波嶺の 彼面此面(かのもこのも)に 守部(もりべ)据ゑ 母い守(も)れども 魂(たま)そ逢ひにける(― 筑波山のあちらこちらに山野の番人・守部を置いて山を守るように、母が私を守っているけれど、私達二人の魂は既に合一してしまった)さ衣(ごろも)の 小筑波嶺(をつくばね)ろの 山の崎(さき) 忘ら來(こ)ばこそ 汝(な)を懸(か)けなはめ(― いつも見える小筑波山の山の崎が忘れられないように、お前を無理にでも連れて行くことが出来るのならこそ、お前の名前を口に出さないだろうが)小筑波(をづくは)の 嶺(ね)ろに月立(つくた)し 間夜(あひだよ)は 多(さはだ)なりのを また寝てむかも(― 小筑波嶺の山に月が出るようになってお前と逢わない夜が重なったが、また一緒に寝ようか)小筑波(をづくは)の 繁き木(こ)の間(ま)よ 立つ鳥の 目ゆか汝(な)を見む さ寝(ね)ざらなくに(― 小筑波の山の繁った木の間を飛び立つ鳥の捕らえがたいように、お前を見てだけいなければならないのだろうか。一緒に寝たこともある仲なのに)常陸(ひたち)なる 浪逆(なさか)の海の 玉藻こそ 引けば絶えすれ 何(あ)どか絶えせむ(― 常陸の浪逆の海は満潮時に波が逆巻くので、そこの玉藻こそは引けば切れるけれど、私達の仲はどうして切れましょう)人皆の 言(こと)は絶ゆとも 埴科(はにしな)の 石井の手兒(てご)が 言(こと)な絶えそね(―世の中全ての人の言葉の行き来は絶えようとも、長野県の埴科の石井の愛しい娘の言葉はどうか、絶えずに寄こして欲しい)信濃道(しなのぢ)は 今の墾道(はりみち) 刈株(かりばね)に 足踏ましなむ 履(くつ)着(は)けわが背(― 信濃道は新しく開墾した道です。きっと切り株を踏むでしょう、靴をお履きなさい、わが背子よ)信濃なる 筑摩(ちくま)の川の 細石(さざれし)も 君し踏みてば 玉と拾(ひろ)はむ(― 信濃の筑摩川の小石も、あなたがお踏みになったのなら、玉として拾いましょう)中洲(なかまな)に 浮き居(を)る船の 漕ぎて去(な)ば 逢うこと難し 今日にしあらずは(― 川の中洲に泊まっている舟と同じで、一旦漕ぎ出してしまったら、もう逢うことは難しい。今日でなければね)日の暮(ぐれ)に 碓氷(うすひ)の山を 越ゆる日は 夫(せ)なのが袖も さやに振らしつ(― 碓氷の山を越える日には、夫ははっきりと袖を振ってくれた、私はそれが見えて、嬉しかった)吾(あ)が戀は 現在(まさか)も悲し 草枕 多胡(たご)の入野(いりの)の 將來(おく)も悲しも(― 私の恋は今も切ない、多胡の入野の奥ではないが、オク(将来)も切ない気持です)上毛野(かみつけの) 安蘇(あそ)の眞麻群(まそむら) かき抱(むだ)き 寝(ぬ)れど飽かぬを 何(あ)どか吾(あ)がせむ(― かき抱いて寝てもまだ満ち足りた気持にならない、満足出来ない、私は一体どうしたらよいだろうか)上毛野 乎度(をど)の多杼里(たどり)が 川路にも 兒(こ)らは逢はなも 一人にもして(― 栃木県の小野のタドリの川道で愛しい子が逢ってくれるといい。一人で来てくれて)上毛野 佐野の莖立(くくたち) 折りはやし 吾(あれ)は待たなむゑ 今年來(こ)ずとも(― 上野の佐野のククタチを折ってお料理を作り、私は待っていよう、たとい今年あなたが見えなくとも)上毛野 眞桑島門(まぐわしまど)に 朝日さし まぎらわしもな ありつつ見れば(― 上毛野の真桑島門に朝日がさしてまぶしいように、このままじっとあなたを見ていると、眩しい気がします)新田山嶺(にひたやまね)に は着(つ)かなな 吾(わ)によそり 間(はし)なる兒らし あやに愛(かな)しも(― 新田山が、続いた山々から離れて端にいるように、私と親しいと噂されて、一人、一人から離れている子が何とも言えず、胸が痛い程に可愛い)伊香保ろに 天雲(あまくも)い繼(つ)ぎ かぬまづく 人とおははふ いざ寝(ね)しめとら(― 群馬県の伊香保の嶺・榛名山に天雲がつぎつぎにかかるように、カヌマズク人達が静まってきた。さあ、共寝をさせよ、愛しい子よ) 古来、難解とされている。伊香保ろの 岨(そひ)の榛原(はりはら) ねもころに 將來(おく)をな兼ねそ 現在(まさか)し善(よ)かば(― こまごまと今から将来のことを心配しなさるな、目前の今さえ幸せなら)多胡(たご)の嶺(ね)に 寄綱(よせつな)延(は)へて 寄すれども あにくやしづし その顔よきに(― 多胡の嶺に寄せ綱をかけて引き寄せるように、あの娘をなびかせようとするけれど、憎いとことに水に沈んだ石の様に動かないよ、顔が美しいものだから)上毛野 久路保(くろほ)の嶺(ね)ろの 久受葉(くずは)がた 愛(かな)しけ兒らに いや離(ざか)り來(く)も(― 黒穂の嶺のクズ葉の蔓が別れ別れに地を這うように、落としい子にますます離れて此処に来たことだ)利根川(とねかは)の 川瀬も知らず ただ渡(わた)り 波にあふのす 逢へる君かも(― 利根川の浅瀬が何処であるかも知らずに真っ直ぐに渡ってしまい、波にぶつかるように、ひたむきな気持で逢いに来て、ぱったりと逢えたわが君よ)伊香保ろの 八尺(やさか)の堰塞(ゐで)に 立つ虹(のじ)の 顯(あらは)ろまでも さ寝(ね)をさ寝てば(― 伊香保のヰデ・田に水を引くために川の水をせき止めた場所 に立つ虹のように、はっきりと人目につくほどに一緒に寝ていたら、どんなに楽しかろう)上毛野 伊香保の沼に 植(う)ゑ子(こ)水葱(なぎ) かく戀ひむとや 種求めけむ(― 伊香保の沼に植えるコナギ・浅いところに生える水草、葉が食用、夏咲く紫色の花は染料 ではないが、こんなに恋に苦しもうとて、私は種を求めたのであろうか)上毛野 佐野田の苗(ねへ)の 占苗(うらなへ)に 事は定めつ 今は如何(いか)にせも(― 上野の佐野の田の占ナヘ・苗代からひと握りの苗を抜き取り、その数によって吉凶を占うと言う によって結婚の事はもう定めました。今になってはもうどうにもなりません)上毛野 佐野の舟橋(ふなはし) 取り放(はな)し 親は離(さ)くれど 吾(あ)は離(さか)るがへ(― 上野の佐野の舟橋を取離すように親は私たちを遠ざけるが、私達は遠ざかるであろうか、遠ざかることはない)伊香保嶺(ね)に 雷(かみ)な鳴りそね わが上(へ)には 故(ゆへ)は無けども 兒らによりてそ(― 伊香保の嶺に雷よ鳴らないでおくれ、私には何のわけもないのだが、私の恋人が嫌うので)伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといへど 吾(あ)が戀のみし 時無かりけり(― 伊香保風は吹く日吹かぬ日があるというけれど、私の恋の心ばかりは何時と言う定まった時もなく私を襲って来る」上毛野 伊香保の嶺(ね)ろに 降る雪(よき)の 行き過ぎかてぬ 妹が家のあたり(― このまま通り過ぎることのできない妹の家のあたりよ)下毛野(しもつけの) 美可母(みかも)の山の 小楢(こなら)のす ま麗(ぐは)し兒ろは 誰(た)が笥(け)か持たむ(― 下毛野の美可母の山の小楢のように可愛らしく美しい子は、一体誰の笥・食べるものを盛り付ける四角な箱 をもつのだろうか、誰の妻になるのだろう)下毛野 安蘇(あそ)の河原よ 石踏(ふ)まず 空ゆと來(き)ぬよ 汝(な)が心告(の)れ(― 下毛野の安蘇の河原を、石を踏んだ心地もなく宙を飛ぶ気持でやってきました。ですから、あなたの本心を言ってください)會津(あひづ)嶺(ね)の 國をさ遠(どほ)み 逢はなはば 偲(しの)ひにせもと 紐結ばさね(― 福島県の会津の山のある国が遠くて会えない時には、偲び草にするようにと紐を結んで下さい)筑紫(つくし)なる にほふ兒ゆゑに 陸奥(みちのく)の 可刀利少女(かとりおとめ)の 結(ゆ)ひし 紐解く(― 筑紫の美しい子のために、東国の果の可刀利の少女が結んだ紐を解くことだ)安達多良(あだたら)の 嶺(ね)に臥(ふ)す鹿猪(しか)の ありつつも 吾(あれ)は到らむ寝處(ねど)な去(さ)りそね(― 福島県の安達太良山で寝る鹿猪がいつも同じところで寝るように、何時もと変わらずに私はお前のところに行こう、寝場所を変えないでいてくださいね)遠江(とほつあふみ) 引佐(いなさ)細江(ほそえ)の 澪標(みおつくし) 吾(あれ)を頼(たの)めて あさましものを(― 遠くの淡海・浜名湖の引佐の細江の澪標のように、頼みにさせておきながら、本当は浅い心であったのだなあ)志太(しだ)の浦を 朝漕ぐ船は 因(よし)無しに 漕ぐらめかもよ 因(よし)こさるらめ(― 静岡県の志多の浦を朝漕いでいる舟は、わけもなく漕いでいるのであろうか、そんなわけはあるまいよ、きっとそれなりの理由があるのだろう)足柄(あしがら)の 安伎奈(あきな)の山に 引(ひ)こ船の 後(しり)引(ひ)かしもよ ここば來(こ)がたに(― 足柄のアキナの山で舟を後ろから引いて下ろして行くように、帰る夫の後を私は引っ張りたい。私の所に来るのがひどく難しいのだから)足柄の 吾(あ)を可鶏(かけ)山の 穀(かづ)の木の 吾(わ)をかづさねも 穀(かづ)割(さ)かずとも(― 足柄の穀の木・皮をはいで紙を作る材料にする ではないが、私を誘って下さいな、穀の木を割かないでも)薪(たきぎ)樵(こ)る 鎌倉山の 木垂(こだ)る木を まつと汝(な)が言はば 戀ひつつやあらむ(― 薪を樵る鎌倉山の繁った木々を、松の木だと、待っていると、お前が言うのなら、何で私は此処で恋に苦しんでいよう。直ぐにもお前を訪ねて行こう)上毛野(かみつけの) 安蘇(あそ)山葛(やまつづら) 野を廣み 延(は)ひにしものを 何(あぜ)か絶えせむ(― 上毛野の安蘇山の蔓草が、野に広さ這い伸びているように、私の心はお前に走って深く思いをかけたのに、どうして途中で絶えることが出来ようか)伊香保ろの 岨(そひ)の榛原(はりはら) わが衣(きぬ)に 着(つ)きよらしもよ 一重(ひたへ)と思へば(― 伊香保の近くの榛原の榛の木は、私の衣に実によく染まる。裏もない心をもっているから、あの女の気持は私にぴったり合う、純粋だからだ)白遠(しらとほ)ふ 小新田山(をにひたやま)の 守る山の 末(うら)枯(か)れ爲(せ)なな 常葉(とこは)にもがも(― 人に立ち入らせずに保護している小新田山の木々の葉のように、末え枯れすることもなく、何時までもみずみずしく元気でいたいものだ)陸奥(みちのく)の 安太多良(あだたら)眞弓 弾(はじ)き置きて 反(せ)らしめきなば 弦(つら)着(は)かめかも(― 安太多良真弓の弦を外して、そのまま弓を反らしておいたなら、弦を容易くかけることが出来ようか、出来はしない。逢わずにいて急に仲良くしようとしても、中々難しい)都武賀野(つむがの)に 鈴が音(おと)聞ゆ 上志太(かむしだ)の 殿(との)の仲子(なかち)し 鷹狩(とがり)すらしも(― 都武賀野で鈴の音が聞こえる。上志太の殿様が鷹狩りをなさっていらっしゃるらしい)鈴が音(ね)の 早馬驛家(はゆまうまや)の 堤井(つつみゐ)の 水をたまへな 妹が直手(ただて)を(― 早馬駅家の堤井の水を飲ませて頂きましょう、直接に妹の手で)この川に 朝菜洗ふ兒 汝(なれ)も吾(あれ)も 同輩兒(よち)をそ持(も)てる いで兒賜(たば)りに(― この川で朝菜を洗うお方、あなたも私も同じ年頃の子供を持っています。どうか、あなたの子を私に下さいな)ま遠(とほ)くの 雲居に見ゆる 妹が家(へ)に いつか到らむ 歩め吾(あ)が駒(― 遠くの空に見える妹の家に、何時つくだろうか、早く歩め、我が駒よ)
2024年09月24日
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この月は 君來(き)まさむと 大船の 思ひたのみて 何時しかと わが待ち居(を)れば 黄葉(もみちば)の 過ぎていにきと 玉梓(たまづさ)の 使の言えば 蛍(ほたる)なす ほのかに聞きて 大地(おほつち)を 炎(ほのほ)と踏(ふ)みて 立ちて居(ゐ)て 行方(ゆくへ)も知 らず朝霧の 思ひ惑(まど)ひて 杖(つゑ)足(た)らず 八尺(やさか)の嘆(なげき) 嘆けども 驗(しるし)を無(な)みと 何處(いづく)にか 君が坐(ま)さむと 天雲(あまくも)の 行きのまにまに 射(い)ゆ猪鹿(しし)の 行きも死なむと 思へども 道し知らねば 獨り居て 君に戀ふるに ねのみし泣かゆ(― この月はわが君が見えるであろうと楽しみにして、何時だろうと早くと待っていると、亡くなったと使者が言うので、ほのかにそれを聞いて、大地を踏んでも炎を踏むように、立っても坐ってもどうして良いかわからずに、心も惑うて大きい嘆きをしても、何の験もないからと、何処にあなたはおいでかと天雲が流れるように歩いていき、手負いの猪鹿のように行き倒れにでもなってしまおうと、思うけれども、道が分からないので、独り坐ってあなたを恋しく思っていると、ただ泣けてくる)葦邊(あしべ)ゆく 雁の翅(つばさ)を 見るごとに 君が佩(お)ばしし 投箭(なげや)し思ほゆ(― 葦辺を行く雁の翅を見る毎に、あなたが身につけておられた投げ矢が思い出される)見欲しきは 雲居に見ゆる うるはしき 十羽(とば)の松原 小子(わくご)ども いざわ出で見む こと離(さ)けば 國に放(さ)けなむ こと離(さ)けば 家に放けなむ 天地(あめつち)の 神し恨めし 草枕 この旅の日(け)に 妻離(さ)くべしや(― 見たいものは遥か遠くに見える十羽の松原、若者たちよ さあ、出てみよう。同じ遠ざけるなら、国で家にいるときに遠ざけてください。天地の神が恨めしい、この旅の間に妻を私から引き離すべきでしょうか)草枕 この旅の日(け)に 妻放(さか)り 家路(いへぢ)思ふに 生ける爲方(すべ)なし(― この旅の間に妻を亡くして、家への道を思うと、生きている術もない)夏麻(なつそ)引(ひ)く 海上潟(うなかみがた)の 沖つ渚(す)に 船はとどめむ さ夜更(ふ)けにけり(― 千葉県の海上潟の沖の洲にこの舟は停めよう、気づいてみると、すっかり夜は更けてしまったよ)葛飾(かづしか)の 眞間(まま)の浦廻(うらみ)を 漕ぐ船の 船人(ふなびと)騒(さわ)く 波たつらしも(― 下総の葛飾の真間の浦廻を漕ぐ舟人がしきりに声を上げて動いている。波が立っているらしい)筑波嶺(つくはね)の 新桑繭(にひぐはまよ)の 衣(きぬ)はあれど 君が御衣(みけし)し あやに着欲(きほ)しも(― 筑波嶺・茨城県筑波郡にある、男女二峰を持つ名山として知られ、春秋ここでカガヒ・上代に稲の種まきや収穫の後に、神に祭り、飲酒して、男女が舞い、掛け合いの歌を謡い豊作を予祝して性の自由な開放を楽しむ行事で、東国ではかがひと言った の新しい桑繭の着物は着られなくとも、あなたの御着物は着たいと無性に思いますわ)筑波嶺に 雪かも降らる 否(いな)をかも かなしき兒ろが 布(ぬの)乾(ほ)さるかも(― 筑波嶺に雪が降ったのか、それとも愛しいあの子が洗った布を干したのだろうか)信濃(しなの)なる 須賀(すが)の荒野(あらの)に ほととぎす 鳴く聲聞けば 時すぎにけり(― 長野県の、信濃の須賀の荒野でホトトギスが鳴く声を聞いた。ああ、もう随分と時が過ぎたのだなあ)あらたまの 伎倍(きへ)の林に 汝(な)を立てて 行きかつましじ 眠(い)を先立(さきだ)たね(― 麁玉の伎倍の林にお前を立たせたままで待たせながら、今夜は行けそうにありません。先に寝て下さい)伎倍人(きへひと)の 斑衾(まだらふすま)に 綿さはだ 入りなましもの 妹が小床(をどこ)に(― 伎倍人の斑衾・種々の色の濃く薄く入り混じった布の掛け布団には綿が沢山入っていると言うが、私はどうしても入りたかったのに、妹の床に)天(あま)の原 富士(ふじ)の柴山 木(こ)の暗(くれ)の 時移(ゆつ)りなば 逢はずかもあらむ(― 今日の夕方、約束の時間が過ぎて行ったら、二度と逢うことが出来ないだろうなあ)富士の嶺(ね)の いや遠長き 山路(やまぢ)をも 妹がりとへば 日(け)に及(よ)ばず來(き)ぬ(― 富士山の遠い山路でも、妹の許へと言うので、日数もおかずにまたやってきた)霞ゐる 富士の山傍(やまび)に わが來(き)なば 何方(いづち)向きてか 妹が嘆かむ(―霞のかかっている富士山の麓に私が行ったら、私の姿が見えないので、吾妹子はどちらを向いて嘆くことであろうか)さ寝(ぬ)らくは 玉の緒ばかり 戀ふらくは 富士の高嶺の 鳴澤(なるさは)の如(ごと)(― 共に寝た夜は玉の緒ほどの短い間なのに、恋しい胸の内は富士の高嶺の鳴沢のように高く轟いています)駿河(するが)の海 磯邊(おしへ)に生(お)ふる 濱つづら 汝(いまし)をたのみ 母に違(たが)ひぬ(ー あなたを頼りにして私は母と仲違いしてしまいました)伊豆の海に 立つ白波の ありつつも 繼ぎなむものを 亂れしめめや(ー このままずっとお逢いして行きたいものを、何で心を乱すことがありましょうか)足柄(あしがら)の 彼面(をても)此面(このも)に 刺す罠(わな)の かなる間しづみ 兒(こ)ろ吾(あれ)紐解く(― 足柄山のあちこちに仕掛けるワナの、騒がしい間を、私と少女は紐を解くのです)相模嶺(さがむね)の 小峯(をみね)見かくし 忘れ來(く)る 妹が名呼びて 吾(あ)を哭(ね)し泣くな(― いつも見える相模の嶺の小峯を見て見ないふりをするように、つとめて忘れてきた妹の名を、つい口に出して呼んで私は泣いてしまいました)わが背子(せこ)を 大和へ遣りて まつしだす 足柄山の 杉の木(こ)の間か(― わが背子を大和へやって待ちつつ立つ、足柄山の杉の木の間よ、ああ)足柄の 箱根の山に 粟蒔(ま)きて 實(み)とはなれるを 逢はなくもあやし(― 足柄の箱根の山に粟を蒔いて実ったように、私の恋は成就したのに、今日逢えないことはおかしなことだ)鎌倉の 見越(みごし)の崎の 石崩(いはくえ)の 君が悔(く)ゆべき 心は持たじ(― わが君が後悔なさるような浅い心など私は決して持ちますまい)ま愛(かな)しみ さ寝(ね)に吾(わ)は行く 鎌倉の 美奈(みな)の瀬川(せがは)に 潮満つなむか(― 妹可愛いさに、私は共寝をしに出かける。鎌倉のあの美奈瀬川に今頃は潮が満ちているであろうか)百(もも)づ島 足柄小舟(をぶね) 歩行(あるき)多み 目こそ離(か)るらめ 心は思(も)へど(― 多くの島々を足柄小舟が漕ぎ回るように、あれこれ歩き寄る所が多いので、あなたは心に思っていても会う機会が少ないのでしょうね)足柄の土肥(とひ)の 河内(かふち)に 出づる湯の 世にもたよらに 兒(こ)ろが言はなくに(― 足柄の土肥の河淵に湧く温泉の、決して絶えそうもないように、ふたりの仲が絶えそうにはあの子は言わないのだが、私は心配で仕方がない)足柄の 崖(まま)の小菅(こすげ)の 菅枕(すがまくら) 何故(あぜ)か巻(ま)かさむ 兒ろせ手枕(たまくら)(― 足柄の崖に生えた小菅で作った菅枕を、何故しているのかね。愛しい子よ、私の手枕をしなさい)足柄の 箱根の嶺(ね)ろの 和草(にこぐさ)の 花つ妻(づま)なれや 紐解かず寝(ね)む(― 足柄の箱根の嶺の柔らかい草の花ではないが、お前が花のように眺めている妻なら紐も解かずに寝ようが、そうではないので打ち解けて寝たいのだ)足柄の 御坂(みさか)畏(かしこ)み 曇夜(くもりよ)の 吾(あ)が下延(したば)へを 言出(こちで)つるかな(― 足柄の坂の神の畏さに、はっきりと人に言わない心のうちを口に出してしまった)相模路(さがむぢ)の よろきの濱の 真砂(まさご)なす 兒(こ)らは愛(かな)しく 思はるるかな(― 相模のヨロキの浜の美しい砂のように可愛くあの子が思われることよ)多摩川に 曝(さら)す手作(てづくり) さらさらに 何そこの兒の ここだ愛(かな)しき(― 多摩川に晒す手作りの布のように、サラニサラニ、どうしてこの子がこんなにも可愛いのかしら)武蔵野(むざしの)に 占(うら)へ肩(かた)焼き 眞實(まさて)にも 告(の)らぬ君が名 卜(うら)に出(で)にけり(― 武蔵野で占いをして、鹿の肩の骨を焼くが、決して口に出さないあの人の名がまさしくその占いに表れて、人々に知られてしまった)武蔵野の 小岫(をぐき)が雉(きぎし)立ち別れ 去(い)にし宵より 夫(を)ろに逢はなふよ(― 立ち別れて行ったあの夜から、私はずっとあの人に逢っていない)戀しけは 袖も振らむを 武蔵野の うけらが花の 色に出(で)なゆめ(― 恋しいなら私が袖を振りもしよう、決してお前は恋心を顔色に表してはいけませんよ)武蔵野の 草は諸向(もろむ)き かもかくも 君がまにまに 吾(あ)は寄りにしを(― 武蔵野の草は同じ方向を向く、そのように、とにかくもあなたのなさるままに私は寄り添いましたのに)入間道(いりまぢ)の 大家(おほや)が原の いはゐ蔓(つら) 引かばぬるぬる 吾(わ)にな絶えそね(― 入間道の大家が原のイハヰツラが引けば緩んで抜けるように、私との仲が切れてしまわないようにしてください)わが背子を 何(あ)どかも言はむ 武蔵野の うけらが花の 時なきものを(― 恋しい人を何と言おうか、何時も見える武蔵野のウケラの花のように、何時と言うこともなく恋しいものを)埼玉(さきたま)の 津に居(を)る 船の風を疾(いた)み 綱は絶えとも 言(こと)な絶えそね(― 埼玉の津に泊まっている舟のもやい綱は、風が激しくて、切れることがあろうとも、私への言葉は切らさないで下さい)夏麻(なつそ)引(ひ)く 宇奈比(うなひ)を指(さ)して 飛ぶ鳥の 到らむとそよ 吾(あ)が下延(したは)へし(― 宇奈比を指して飛ぶ鳥が宇奈比に行き着くように、私はお前のところに行き着こうと、密かに思いを寄せているのだ)馬來田(うまぐた)の 嶺(ね)ろの篠葉(ささは)の 露霜の 濡れてわが來なば 汝(な)は戀ふばそも(― ウマグタの山々の中に隠れているように、こんなにまでお前のいる国が遠かったら、お前の顔をますます見たくなるだろうな)葛飾(かづしか)の 眞間(まま)の手兒奈(てごな)を まことかも われに寄すとふ 眞間の手兒奈を(― 本当だろうか、葛飾の真間の手兒奈と私とが良い仲だと噂していると言う。真間の手兒奈と)葛飾の 眞間の手兒奈が ありしかば 眞間の磯邊(おすひ)に 波もとどろに(― 有名な葛飾の真間の手兒奈がいたものだから、真間の磯辺で波も轟くほどに人が騒ぎ立てることだ)にほ鳥(どり)の 葛飾早稲(わせ)を 饗(にへ)すとも その愛(かな)しきを 外(と)に立てめやも(― 葛飾早稲で新嘗・神や天子にその年の新い物を食物として捧げる の祭りを行っていても、東国ではその夜は物忌が厳重で、その饗応に預る神以外は、家人は全て外に出される、あの私の愛しい人を外に立たせておけようか、そんな事は出来ない)足(あ)の音(おと)せず 行かむ駒もが 葛飾の 眞間の繼橋(つぎはし) やまず通はむ(― 足音を立てずに行く馬が欲しい。葛飾の真間の継ぎ橋をいつも女のもとに通いたい)筑波嶺(つくはね)の 嶺(ね)ろに霞居(ゐ) 過ぎかてに 息(いき)づく君を 率寝(ゐね)てやらさね(― 筑波山に霞がかかって動かないように、あなたの側を通り過ぎきれないで溜息をついているお方を一緒に寝て帰しておやりなさい)妹が門(かど) いや遠そきぬ 筑波山 隠れぬ程(ほと)に 袖ば振りてな(― 妹の家の門は、いよいよ遠のいていく。筑波山に隠れないうちに袖を振ろう)筑波嶺に かか鳴く鷲(わし)の 音(ね)のみをか 鳴き渡りなむ 逢ふとはなしに(― 筑波山で声高く鳴く鷲のように、私は泣き続けることであろう。あなたにお逢い出来なくて)
2024年09月20日
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磯城島(しきしま)の 大和の國に いかさまに 思ほしめせか つれも無き 城上(きのへ)の宮に大殿を 仕え奉(まつ)りて 殿隠(こも)り 隠(こも)り在(いま)せば 朝(あした)には 召して使ひ 夕(ゆふべ)には 召して使ひ つかはしし 舎人(とねり)の子らは 行く島の 群れて侍(さもら)ひ ありて待てど 召し賜はねば 劔刀(つるぎたち) 磨「と)ぎし心を 天雲(あまくも)に 思ひはららかし 展轉(こいまろ)び ひづち泣けども 飽き足(た)らぬかも((― 大和の国で、所もあろうに、どうお思いになってか、縁もない城上にお隠れになったのでそこに殯宮をお作り申し上げ、皇子は隠っておいでになる。それゆえに、皇子が朝夕に召してお使いになった舎人達は、そこに群がって伺候し、いつもお待ちしていてもお召しがないので、磨 ぎすまし緊張していた心も砕け、展転反則して泥にまみれて泣くのだけれども、泣いても泣いても飽きたらないことである)百(もも)小竹(しの)の 三野(みの)の王(おほきみ) 西の厩(うまや) 立てて飼ふ駒 東(ひむかし)の厩 立てて飼ふ駒 草こそば 取りて飼ふといへ 水こそば 汲みて飼ふといへ 何しかも 葦毛(あしげ)の馬の 嘶(いば)え立ちつる(― 三野の王が東の厩西の厩を立てて飼っていた駒よ。草こそは刈り取って与えていると言うのに、水こそは汲んで与えていると言うのに、どうして葦毛の馬が嘶くのであろうか。三野の王を偲んで啼いているのであろう)衣手(ころもで)葦毛の 馬の嘶(いば)え聲 情(こころ)あれかも 常の異(い)に鳴く(― 王を追慕する心があるからか、葦毛の馬の嘶く声がいつもと違っている)白雲の たなびく國の 青雲(あをくも)の 向伏(むかふ)す國の 天雲(あまくも)の 下なる人は 吾(あ)のみかも 君に戀ふらむ 吾(あ)のみかも 君に戀ふれば 天地に 満ち足(たら)はして 戀ふれかも 胸の病(や)みたる 思へかも 心の痛き 吾(あ)が戀ぞ 日にけに益(まさ)る 何時(いつ)はしも 戀ひぬ時とは あらねども この九月(ながつき)を わが背子が 偲(しの)ひにせよと 千世にも 思ひわたれど 萬世に 語り續(つ)がへと 語りてし この九月(ながつき)の 過ぎまくを いたも爲方(すべ)なみ あらたまの 月のかはれば 爲(せ)む爲方(すべ)の たどきを知らに 石(いは)が根の 凝(こご)しき道の 石床(いはとこ)の 根延(ねは)へる門に 朝(あした)には 出で居て嘆き 夕(ゆふべ)には 入り居(ゐ)戀ひつつ ぬばたまの 黒髪敷きて 人の寝(ぬ)る 味眠(うまい)は寝ずに 大船のゆくらゆくらに 思ひつつ わが寝(ぬ)る夜らは 數(よ)みも敢(あ)へぬかも(― 白雲のたなびく国、青雲が遠くにふしている国の、天雲の下にいる人々の中でこんなにあなたに恋するのは私だけだろうか。私だけがこんなに甚だしい恋をして、天地の間に激しい恋を満たしているからだろうか胸が苦しく、心が痛い。私の恋は日増しに強くなる。何時とて、恋しく思わないときはないけれども、わが背子がこの九月を思い出にせよと、千年も想い続けよと語ったこの九月が、やがて過ぎ去るのを何ともするすべがなく、月が変わればどうすればよいのか分からないので、岩根のゴツゴツした道を、岩床の広がった門で、朝は出ていて嘆息し、夕方には中に入っていてお慕いし、黒髪を敷いて、世間の人のようにぐっすり眠ることもなく、大船が揺れるように定まらぬ思いをしながら、私の寝る夜は数えきれないだろうなあ)隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の川の 上(かみ)つ瀬に 鵜を八頭(やつ)潜(かづ)け 下(しも)つ瀬に 鵜を八頭(やつ)潜(かづ)け 上つ瀬の 年魚(あゆ)を食はしめ 下(しも)つ瀬の 鮎を食はしめ 麗(くは)し妹(いも)に 鮎を取らむと 麗し妹に 鮎を取らむと 投(な)ぐる箭(さ)の 遠離(とほさか)り居て 思ふそら 安からなくに 嘆くそら 安からなくに 衣(きぬ)こそば それ破(や)れぬれば 繼ぎつつも またも合ふと言へ 王こそば 緒の絶えぬれば 括(くく)りつつ またも合ふと言へ またも逢はぬものは 妻にしありけり(― 泊瀬の川の上流と下流に鵜を多く潜けて、鮎を食べさせたいものと、きめ細かく麗しい妹に遠く離れていて、慕う心地も不安で、嘆く心も不安でいると、衣こそは破れたならば継ぎ継ぎして再び合わされると言うけれど、玉ならば、それを合わせている紐が切れれば、括り合わせればそれですむけれども、再び逢うことのないのは、亡くなってしまった妻なのであるなあ)隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の山 青幡(あをはた)の 忍坂(をさか)の山は 走出(はしりで)の 宜しき山の 出立(いでたち)の 妙(くは)しき山ぞ あたらしき 山の 荒れまく惜しも(― 泊瀬の山、忍坂の山は、家から出て見ると姿の良い美しい山である。この立派な山が荒れるのは本当に惜しいことだ)高山と 海こそは 山ながら 斯(か)くも現(うつ)しく 海ながら 然(しか)眞(まこと)ならめ 人は花物そ うつせみの世人(よひと)(― 高山と海こそは、その性格上から、これほどに確乎として厳然と存在しているが、人間とは花のように儚く散りやすいものである、この世に僅かながらに生を得て生きる人というものは!) 亡き妻を悼む心を忘れえずにいる私にはひどく、ダイレクトに響いて来る、心にしみるような一連の歌ではありまする。大君の 御命(みこと)恐(かしこ)み 秋津島(あきづしま) 倭(やまと)を過ぎて 大伴の 御津(みつ)の濱邊ゆ 大船に 眞楫(まかぢ)繁(しじ)貫(ぬ)き 朝凪(あさな)ぎに 水手(かこ)の聲しつつ 行きし君 何時(いつ)來(き)まさむと 卜(うら)置きて 齋(いは)ひ渡るに狂言(たはこと)や 人の言ひつる わが心 筑紫(つくし)の山の 黄葉(もみちば)の 散り過ぎにきと 君が正香(ただか)を(― 大君のご命令を畏んで、倭の国を過ぎ、秋津の浜辺から大船に櫓を備えて朝凪、夕凪に、水夫の声を高く、櫓の音も高らかに出発して行った君は、何時帰っておりでだろうと、占いをして潔斎を続けてお待ちしていたのに、デタラメを人が口にしたのか、わが思うその人は亡くなってしまったと言う。ああ)狂言(たはこと)や 人の言ひつる 玉の緒の 長くと君は 言ひてしものを(― でたらめを人は言ったのであろうか。わが君は、玉の緒のように長く一緒に暮らそうと仰ったのに)玉鉾(たまほこ)の 道行く人は あしひきの 山行き野行き にはたづみ 川行き渡り 鯨(いさな)取り 海道(うみぢ)に出でて 畏(かしこ)きや 海の渡(わたり)は 吹く風も 和(のど)には吹かず 立つ波も 凡(おぼ)には立たぬ とゐ波の 立ち塞(さ)ふ道を 誰(た)が心 いたはしとかも 直(ただ)渡りけむ 直渡りけむ(― 道を行くこの人は、山を行き野を行き、川を渡り、海道に出て、恐ろしい神の渡りは吹く風も穏やかではなく、立つ波も並々でなく、うねる波で激しくうねって妨げる道であるのに、一体誰の心を思いやって無理をして真っ直ぐに渡ったのだろうか。ためらいもせず渡ったのか) 水死人を見ての歌鳥が音(ね)の きこゆる海に 高山を 障(へだち)になして 沖つ藻を 枕になして 蛾羽(ひひるは)の 衣(きぬ)だに着ずに 鯨魚(いさな)取り 海の濱邊に うらもなく 宿れる人は 母父(おもちち)に 愛子(まなご)にかあらむ 若草の 妻かありけむ おもほしき 言傳(ことつ)てむやと 家問へば 家をも告(の)らず 名を問へど 名だにも告(の)らず 泣く兒如(な)す 言(こと)だに問はず 思へども 悲しきものは 世間(よのなか)にあり 世間にあり(―鳥の声が聞こえる海で、高山を隔てにして、沖の海藻を枕にして薄い衣さえも身に付けずに、海の浜辺に無心に横たわっている人は、母や父にとっては愛子であろううし、可愛い妻もあったであろうか、思うことを言伝ましょうかと、家を聞くが家も言わず、名前を聞いても名前も言わない、どう思っても悲しいのはこの人生である、この人生であるよ)父母(いもちち)も 妻も子どもも 高高(たかたか)に 來むと待ちけむ 人の悲しさ(― 父母も妻も子供も今か今かと帰りを待っているであろう、その人の無残な姿を見ると悲しくてならない) 偶々目撃した溺死者に寄せる歌人の真情溢れる思いには素直に共鳴できますし、人間とはなんて素晴らしい存在なのかと、改めて感じるのですが、此処で突然ですが、女優の吉永小百合について私の感想を述べてみたいと思います。彼女は御自分を「表現者」と敢えて仰る。私達は皆創造者たる全能の神からすれば 被表現者 でありますが、それはともかく、吉永小百合さんは現代日本を代表する国民的アイドルでありまして、私もそのファンの一人であります。私がその吉永小百合に物足りなさを感じていると言っても、生意気だなどとお叱りを受ける心配はないのですが、女優として大成して大輪の花を咲かせ続けている彼女ですが、一人の女性としては何かもう一つ開花させきっていない、未成熟で未発達な部分が感じられてならないのであります。良き人生の伴侶に恵まれ、女優としては最良のブレインにも恵まれている彼女に、私ごときが何を生意気を言うのか、と誰かからお叱りを受ける心配はないのですが、注文をつけたくなるだけの素晴らしい器であるからこそ、私も本気でダメ出しをしたくなる。敢えて言いましょう、彼女の集大成はこれからにある。着せ替え人形めいた上辺の美々しさに拘らず、小百合流の悪女(?)を創造して頂きたい。血の通った、人間味溢れる、それ故に一層魅力あふれる役柄の開拓こそ、ご本人にとっては勿論の事、芝居好きの未来の観客をも引き込む驚天動地のスーパースターに変身して我々を楽しませて欲しいのですね。その気になりさえすれば、御自分の殻を思い切って破ってみる決意さえ見せれば、結果はおのずからついてくるでしょう。例えば、王女メディアの様な深味のある役柄を想定して下されば十分でしょう。私の持論ですが、大部分の役者が生涯に自分だけを表現し続ける。美空ひばりが生涯に美空ひばりだけを演じ続けるしかなかったように。吉永小百合もどのような役柄を演じようとも、吉永小百合しか演じられないように。同様に私古屋克征も一生涯私自身を演じきり、表現しきるしか能はないわけですが、十二分に己の可能性を発揮できたか否か、それだけが神から問われる厳しい審問なのですが、今は後悔のないように一日一日を悔いが残らないように過ごすだけです。このブログの読者も、神の与えられた可能性をフルに発揮してより良い人生を築き上げて欲しいものです。あしひきの 山道(やまぢ)は行かむ 風吹けば 波の塞(さや)れる 海道(ぢ)は行かじ(― 山道を行きましょう。風が吹くと波が遮る海の道は行きますまい)玉鉾(たまほこ)の 道に出で立ち あしひきの 野行き山行き にはたづみ 川行き渡り 鯨魚(いさな)取り 海路(うみぢ)に出でて 吹く風も のどには吹かず 立つ波も のどには立たず 恐(かしこ)きや 神の渡(わたり)の 重波(しきなみ)の 寄する濱邊に 高山を 隔(へだち)に置きて 沖つ藻を 枕に纏(ま)きて うらも無く こやせる君は 母父(おもちち)の 愛子(まなご)にもあるらむ 若草の 妻もあるらむ 家問へど 家道(いへぢ)もいはず 名を問へど 名だにも告(の)らず 誰(た)が言(こと)を いたはしみかも とゐ波の 恐(かしこ)き海を 直(ただ)渡りけむ(― 旅道にのぼって、野山を行き、川を渡り、海路に出て、吹く風も立つ波も荒い。恐ろしい神の渡の、波のしきりに押し寄せる浜辺で、高山を隔てに置き、沖の藻を枕にして無心に横たわっている君は、父母には愛しい子であろうし、可愛い妻もあるであろうに、家を聞いても名を聞いても、家道も名さえも言わずにいる。一体、誰の言った言葉を心にかけて、うねる波の恐ろしい海をひたすらに渡ったのであろう)母父(おもちち)も 妻も子どもも 高高(たかたか)に 來(こ)むと待つらむ 人の悲しさ(― 父母も、妻も子供も、今か今かと帰りを待ち望んでいるに違いない、この人を見ると実に悲しい)家人(いへびと)の 待つらむものを つれもなく 荒磯(ありそ)を纏(ま)きて 伏せる君かも(― 家の人々が待っているであろうのに、その気持ちに答えもせずに、荒磯を枕に臥せっている君であるよ)沖つ藻に こやせる君を 今日今日と 來(こ)むと待つらむ 妻し戀しも(― 沖の藻を枕にして横たわっている君を、今日帰るか今日帰るかと待っているに違いない妻は可愛そうだ)浦波の 來寄する濱に つれもなく こやせる君が 家道(いへぢ)知らずも(― 入江の波の入ってくる浜で、もはや人の気持に応えもせずに横たわっているあなたの家道が分からないことである)
2024年09月17日
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見渡しに 妹らは立たし この方に われは立ちて 思ふそら 安からなくに 嘆くそら 安からなくに さ丹塗(にぬり)の 小舟(をぶね)もがも 玉纏(たままき)の 小楫(をかぢ)もがも 漕(こ)ぎ渡りつつも 語らはましを(― 見渡す彼方に妹は立ち、こちらに私は立って、思う心地も安らかではなく、嘆く心地も不安でいるのです。赤く塗った小舟が欲しい、玉を纏いた楫が欲しい。漕ぎわたって互いに語り合おうものを)おし照(て)る 難波(なには)の崎に 引き上(のぼ)る 赤(あけ)のそほ舟 そほ舟に 綱取り繋(か)けひこづらひ ありなみすれど 言ひづらひ ありなみすれど ありなみ得ずぞ 言はえにしわが身(― 難波の崎で引き上る、舟の保全のために赤土を塗ったソホ舟、そのそほ舟に綱をかけ、ああこうして舟を引いていくように、あれこれと否定したけれど、色々な事を言っては否定したけれど、結局否定しきれないで、人々から噂を立てられた私です)神風(かむかぜ)の 伊勢の海の 朝凪(な)ぎに 來寄(きよ)る深海松(ふかみる) 夕凪ぎに 來寄るまた海松(みる) 深海松の 深めしわれを また海松の 復(また)行き反(かへ)り 妻と言はじとかも 思ほせる君(― 伊勢の海の静かな朝の浜に打ち寄せられる深海松・緑の藻や夕の浜に打ち寄せられる叉ミル、その深海松のように深くあなたをお慕いしている私なのに、そのまたミルのように、また行きつ戻りつしていて、この私を妻と呼ぶまいと思っているあなたなのですね)紀の國の 室の江の邊(へ)に 千年(ちとせ)に 障る事無く 萬世(よろづよ)に 斯(か)くしあらむと 大船(おほぶね)の 思ひたのみて 出で立ちの 淸き渚(なぎさ)に 朝凪ぎに 來(き)寄(よ)る深海松(ふかみる) 夕凪ぎに 來寄る縄苔(なはのり) 深海松の 深めし子らを縄苔の 引けば絶ゆとや 里人(さとびと)の 行きの集(つど)ひに 泣く兒なす 靫(ゆき)取りさぐり 梓弓(あづさゆみ) 弓腹(ゆはら)振り起(おこ)し 志乃岐羽(しのきは)を 二つ手挟(たばさ)み 放(はな)ちけむ 人しくも惜し 戀ふらく思へば(― 紀の国の室の入江のほとりで、永く障りもなくこのように幸せでありたいものだと頼みにして深く思いを寄せている子を、引けばふたりの仲が絶えると思ってか、里人が寄り集まっているところで、靫をとって探り、弓を振り立ててしのぎ羽の矢を二つ手に取って射放つように、ふたりの仲を引き裂くようなことをしたという人が本当に忌々しい。今こんなにも恋しいことを思えば)里人(さとびと)の われに告ぐらく 汝(な)が戀ふる 愛(うつく)し夫(つま)は 黄葉(もみちば)の 散り亂れたる 神名火(かむなび)の この山邊から ぬばたまの 黒馬(くろま)に乗りて 川の瀬を 七瀬渡りて うらぶれて 夫(つま)は逢ひきと 人そ告げつる(― 里人が私に告げるには、お前が恋しく思っている愛しい人は、黄葉の散り乱れた神名火のこの山辺を通り、黒馬に乗り、川の七瀬も渡って、うらぶれた姿で出会ったと、里人が私に告げました) 挽歌(死者を悼む歌)とする説がある。聞かずして 默然(もだ)あらましを 何しかも 君が正香(ただか)を 人の告げつる(― 噂も耳にせずに黙ってぼんやりとしていればよかったものを、どうして里人があなたの様子を告げたのでしょう)物思はず 道行く行くも 青山を ふり放(さ)け見れば つつじ花 香(にほえ)少女(をとめ) 櫻花 榮(さかえ)少女(をとめ) 汝(なれ)をそも われに寄(よ)すとふ われをもそ 汝(なれ)に寄すとふ 荒山も 人し寄すれば 寄そるとぞいふ 汝(な)が心ゆめ(― 物も思わず道を歩きつつ、青山を振り仰いで見ると、そこに咲いているツツジの花のように色美しい少女よ、桜花のように咲き誇る少女よ、お前と私は仲がいいと人が噂しているそうだ。私とおまえとが仲良しだと噂をしているそうだ。あの人気のない荒山ですら、仲がいいと誰かが噂を立てるとひどく評判になるというから、気を付けないといけないよ)いかにして 戀ひ止(や)むものぞ 天地の 神を祈(いの)れど 吾(あ)は思ひ益(まさ)る(― どうしたら恋が止むものでしょう。天地の神に祈っても、私はますます恋心が増してきます)然(しか)れこそ 年の八歳(やとせ)を 切り髪の 吾同子(よちこ)を過ぎ 橘の 末枝(ほつえ)を過ぎて この川の 下(した)にも長く 汝(な)が情(こころ)待て(― ですから、長い年月にわたって年も行かない時代を過ぎ、橘の上枝を超える背丈になるまで、心の底深く、長いことあなたの気持が私に向くのをお待ちしていますのに)天地の 神をもわれは 祈(いの)りてき 戀とふものは さね止(や)まずけり(― 天地の神々にも私は祈りました、しかし、恋心というものは全然止みませんでした)物思はず 路行く行くも 青山を ふり放(さ)け見れば つつじ花 香(にほえ)少女(をとめ) 櫻花 榮少女(さかえをとめ) 汝(なれ)をぞも われに寄(よ)すとふ われをぞも 汝(なれ)に寄(よ)すとふ 汝(な)はいかに思ふや 思へこそ 歳(とし)の八年(やとせ)を 切り髪の よちこを過ぎ 橘の 末枝(ほつえ)を過ぐり この川の 下にも長く 汝(な)が心待て(― 物も思わずに道を歩いて行きながら、青山を振り仰いでみると、そこに咲いているツツジの花のように色美しい少女よ、桜花のように咲き盛る少女よ。お前と私が仲がいいと噂しているそうだ。お前はどう思う? 以上が男の歌 慕わしいと思っているからこそ、この長の年月、年も行かない時代を過ぎ、橘の上枝をこえる背丈になるまで、心の底深く、長いことあなたの気持が私に向くよのをお待ち致しておりましたものを。 女の答え )隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の國に さ結婚(よばひ)に わが來れば たな曇り 雪は降り來(き) さ曇り 雨は降り來(く) 野(の)つ鳥 雉(きぎし)はとよみ 家つ鳥 鶏(かけ)も鳴く さ夜は明け この夜は明けぬ 入りてかつ寝(ね)む この戸開かせ(― 泊瀬の国に私が結婚にやって来ると、一面に曇って雪は降ってき、曇って雨は降ってくる。雉は鳴き立てて鶏も鳴く。夜は明けてしまう。入って、そして共寝をしたい。この戸を開いて下さい)隠口(こもりく)の 泊瀬小國(はつせをくに)に 妻しあれば 石は履(ふ)めども なほし來にけり(― 泊瀬の国に妻がいるので、石を踏む歩きにくい道だけれども、それでも私はやってきた)隠口の 泊瀬小國に よばひ爲(せ)す わが天皇(すめろき)よ 奥床(おくとこ)に 母は寝たり 外床(ととこ)に 父は寝たり 起き立たば 母知りぬべし 出で行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜は明け行きぬ 幾許(ここだく)も 思ふ如(ごと)ならぬ 隠妻(こもりづま)かも(― 泊瀬の国に私を求めておいでになったスメロキ・土地の番長よ、奥の床には母が寝ています、外側の床には父が寝ています。私が起き立ったならばきっと母が気づくでしょう。出て行ったならばきっと父が気づくでしょう。夜は明け離れてしまいました、ほんとに何も出来ない隠妻です、私は)川の瀬の 石ふみ渡り ぬばたまの 黒馬(くろま)の來る 夜(よ)は常にあらぬかも(― 川瀬の石を踏んで渡り、私の夫の乗る黒馬の来る夜は、毎夜であればいいなあ)つぎねふ 山城道(やましろぢ)を 他夫(ひとつま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し 歩(かち)より行けば 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ 其(そこ)思(も)ふに 心し痛し たらちねの 母が形見(かたみ)と わが持(も)てる 眞澄鏡(まそかがみ)に 蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ) 負(お)ひ並(な)め持ちて 馬買へわが背(― 山城への道を他の夫が馬で行くのを、私の夫が歩いて行くので、見る毎にひたすら泣ける。それを思うと心が痛い。私が母の形見として持っている真澄の鏡・よく澄んでいる立派な鏡 にアキズヒレ・非常に薄い女用のマフラー を添えて持って行って馬をお買いなさい、わが背子よ)泉川 渡瀬(わたりぜ)深み わが背子(せこ)が 旅行き衣(ころも) 濡れにけるかも(― 泉川の渡る瀬が深いので、私の夫の旅の着物が濡れてしまった)眞澄鏡(まそかがみ) 持てれどわれは 驗(しるし)なし 君が歩行(かち)より なづみ行く見れば(― 真澄の鏡を私は持っているけれどもその甲斐がない。わが背子が徒歩で難儀して行くのを見ると)馬買はば 妹(いも)徒歩(かち)ならむ よりゑやし 石は履(ふ)むとも 吾(あ)は二人行かむ(― 馬を買ったならば、私は馬に乗ったとしても、吾妹子は徒歩で行かなくてはならないだろう。いいよ、構わない、私達は石を踏んでも二人で歩いて行こう)紀の國の 濱に寄るとふ 鰒珠(あはびたま) 拾はむといひて 妹の山 背の山越えて 行きし君 何時(いつ)來まさむと 玉鉾の 道に出で立ち 夕卜(ゆううら)を わが問ひしかば 夕卜の われに告(の)らく 吾妹子(わぎもこ)や 汝(な)が待つ君は 沖つ波 來寄(きよ)る白珠(しらたま) 邊(へ)つ波の 寄する白珠 求むそと 君は來まさね 拾ふとそ 君は來まさぬ 久にあらば 今七日ばかり 早くあらば 今二日ばかり あらむそと 君は聞(きこ)しし な戀ひそ吾妹(わぎも)(― 紀の国の浜によるという鰒の珠を拾おうと言って、妹山背山を越えて行ったわが君は、何時帰って来られるだろうと、私が道に立って夕卜をしたところ、その夕卜のお告げに、吾妹子よ、お前が待っている君は沖の波に寄る白珠を、岸辺の波が寄せる白珠を求めるとてまだ帰っておいでにならないのだ、長ければもう七日ほど、早ければもう二日ほどかかるだろうと、わが君が仰った。恋しく思うな吾妹子よ、とのことだった)杖衝(つ)きも 衝かずもわれは 行かめども 君が來まさむ 道の知らなく(― 杖をついてもつかなくても、私はお迎えに行きたいけれど、あなたが帰っておいでになる道がわからなくて)直(ただ)に行かず 此(こ)ゆ巨勢道(こせぢ)から 石瀬(いはせ)踏み求(と)めそ わが來(こ)し 戀ひて爲方(すべ)なみ(― 巨勢道を通って石瀬を踏み、あなたを追い求めて私はやって来ました。恋しくて仕方がなくて)さ夜更(ふ)けて 今は明けぬと 戸を開(あ)けて 紀へ行く君を 何時(いつ)とか待たむ(― 夜が更けて、さあ夜が明けたと戸を開けて、紀の国に行くあなたを、お帰りは何時と思ってお待ちしたらよいのでしょう)門(かど)に座(ま)す わが背(せ)は宇智(うち)に 至るとも いたくし戀ひば 今還り來(こ)む(― 門先にいるわが背は宇智まで行ったとしても、私がひどく恋しいと思ったら、直ぐに帰ってくるだろう)階(しな)立(た)つ 筑摩(つくま)左野方(さのかた) 息長(おきなが)の 遠智(をち)の小菅(こすげ) 編(あ)まなくに い刈り持ち來(き) 敷かなくに い刈り持ち來て 置きて われを偲(しの)はす 息長(おきなが)の 遠智の小菅(こすげ)(― 滋賀県の筑摩のサノカタ・蔓植物 や、息長の遠智の小菅を、編みもしないのに刈ってきて、敷もしないのに刈って持ってきて、さて、そのまま捨て置いて、捨て置かれた私に恋しい思いをさせるとは。私はその淋しい息長の小菅です)懸けまくも あやに恐(かしこ)し 藤原の 都しみみに 人はしも 満ちてあれども 君はしも多く坐(いま)せど 行き向ふ 年の緒長く 仕へ來(こ)し 君の御門(みかど)を 天の如 仰ぎて見つつ 畏(かしこ)けど 思ひたのみて 何時しかも 日足(ひた)らしまして 十五月(もちつき)の 満(たた)はしけむと わが思ふ 皇子(みこ)の命(みこと)は 春されば 植槻(うゑつき)が上(うへ)の 遠つ人 松の下道(したぢ)ゆ 登らして 國見あそばし 九月(ながづき)の 時雨(しぐれ)の秋は 大殿の 砌(みぎり)しみみに 露負(お)ひて 靡(なび)ける萩(はぎ)を 玉襷(たまたすき) 懸けて偲(しの)はし み雪ふる 冬の朝(あした)は 刺楊(さしやなぎ) 根張梓(ねはりあづさ)を 御手(おほみて)に 取らしたまひて 遊ばしし わが大君を 霞(かすみ)立(た)つ 春の日暮(ひくらし) 眞澄鏡(まそかがみ) 見れど飽かねば 萬世(よろづよ)に 斯(か)くしもがもと 大船の たのめる時に 妖言(およづれ)に 目かも迷(まと)へる 大殿を ふり放(さ)け見れば 白栲(しろたへ)に 飾りまつりて うち日さす 宮の舎人(とねり)も 栲(たへ)の穂(ほ)の 麻衣(あさきぬ)着(け)れば 夢(いめ)かも 現(うつつ)かもと 曇り夜の 迷(まと)へる間(ほと)に 麻裳よし 城上(きのへ)の道ゆ つのさはふ 石村(いはれ)を見つつ 神葬(かむはぶ)り 葬(はぶ)り奉(まつ)れば 行く道の たづきを知らに 思へども しるしを無み 嘆けども 奥處(おくか)を無み 御袖(おほみそで) 行き觸れし松を 言問(ことど)はぬ 木にはあれども あらたまの 立つ月ごとに 天(あま)の原 ふり放(さ)け見つつ 玉襷(たまたすき) かけて偲(しの)はな 畏(かしこ)かれども(― 口に出して申し上げるのも恐れ多いことですが、藤原の都いっぱいに人は満ちているけれど、君は多くおいでになるけれど、送り迎える年月も長くお仕えして来た君の御門を、大空のように仰ぎ見、恐れ多いけれども心に頼みにして、何時になったら皇子様が成長され、満月のように満ち足りてご立派になられるだろうと思ってきた、その皇子様は春になると植槻のあたりの松の下道から丘にお上りになって、国見をなさり、九月の時雨の降る秋には大殿の敷地いっぱいの境界に露を負って靡く萩を心にかけて賞美なさり、雪の降る冬の朝は梓弓を手になさり御狩りを行った。この皇子様を、春の日の長い一日をかけて眺めても見飽きないので、永久にこのようにあって欲しいとお頼み申し上げている時に、人惑わしの言葉に目が狂ったのか、大殿を見やると白栲でお飾り申し上げ、宮の舎人達も白い喪服を着ているので、これは夢か現実かと、戸惑っているうちに、城上の道を石村を見ながら通って御葬り申し上げたので、歩いていく道の様子も分からず、どう思っても甲斐がないので、また、嘆いても果がないので、皇子の袖が触れた松を、物言わない木ではあるが、新月が上がるごとに振り仰いで見ては、心を寄せてお慕いしよう、恐れ多いことではあるけれども)つのさはふ 石村(いはれ)の山に 白栲(しろたへ)に 懸れる雲は わが大君かも(― 石村の山に白くかかっている雲はわが皇子であろうか) つのさはふ、は蔓が多く這っているの意で、石(いは)にかかる枕詞である。
2024年09月12日
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第百三十九聯、ああ、お前の無情な仕打ちが我が心を苦しめるのに、その罪の弁明役に当の私を呼び出すのが常套手段なのだが、それは止めてくれないか、私には辛すぎるのだよ、酷く傷ついている、お前が想像する以上にだ、えっ、あたしは想像なんかしない、だって、そうだろう、そうだろう、私の女々しい泣き言なのだ、恋人よ、その悪魔的な眼で私を傷つけずに、その舌で辛辣極まりない毒舌で傷つけてくれ。思いっきり力を振るうがよい、だが、策略で殺してくれるな。他の男を愛していると言うがよい、だが、恋人よ、お願いだから私の前ではよそに流し目をくれるのは、どうかよしてくれ、お前の力は追い詰められた私の力には負えないくらいに強いのに、何故、計略をつかってまで傷つける必要があろうか。お前の為に世の中の慣例に従って弁ずればこうなろうか、ああ、我が恋人は、その気まぐれな目つきが私の敵であるのを篤と承知している、それゆえに私の顔から敵を引き上げて、他の男に矢を降り注ぎ、手傷を負わせようとしている、と。だが、それは止めてくれ。私は半分死にかけているのだ、いっそ、その目つきで息の根をとめ、苦痛から救ってくれ。 第百四十聯、恋人よ、お前は世にも残酷な女だが賢さも持ち合わせてくれ、私がこうして黙って耐えているのに、この上、それを無視して責め苛むな。さもないと苦しさと悲しみが私に言葉を与えて、言葉は 憐憫欠乏症 の、わが苦しみぶりを述べ立てるだろう。お前に分別を説いてよければ、愛する者よ、肉欲の対象よ、たとえ愛していなくとも、嘘に嘘を重ねて「愛しているわ」と言うがよい。苛立ちやすい病人は、死期が近づくと、担当医からは良くなりますよという言葉しか聞こうとしなくなる。もし私が絶望して狂乱に陥れば、その狂乱の最中でお前を悪しざまに言うかも知れない。全てっを捻じ曲げる当世の堕落混迷は甚だしいから、狂った男のたわいのない中傷でも、狂った聞き手が信じてくれよう。だが、愛しい恋人よ、淫猥な肉欲の対象たるダークレイディーよ、狂った私の中傷の言葉が信じられて、お前が世間から中傷され、爪弾きされないように、お前の高慢で淫乱な心が肉体からさ迷いでても、眼だけは、正面を見詰めるがいい。 此処で、私の詰まらない感想を一言、詩人は女性を相手の繰り言、愚痴を述べる際には当然のことながら平凡な世の詩人並みの言辞しか述べることは出来ない。理想は現実の肉体交渉で解消され理想や夢を欠いた愛の空虚な表現は生彩さを伴いようがない。万葉詩人たちの方が余程素敵で生き生きとした躍動する恋心を表出し得ている。相手が肉欲だけで夢や理想を感じさせない相手では天才の出し様がないわけですね、しかし、これも天才詩人の計算の中に織り込み済みなこと。最終目的は神にも勝る理想の恋人の青年をより崇め、奉る手段なのですから。地の低さを強調することで天の高さを暗に表現する、本当の目的は此処に在ることを忘れないようにしよう。 第百四十一聯、実のところ、眼で見てお前を愛しているのではない、眼はお前の内に無数の欠点を見ているのだ。だが、心の方は眼が蔑むものを、愛している。心は見えるものに逆らって熱愛を捧げたがる、耳がお前の声音を楽しむのでもなければ、鋭い触感が卑しげに撫で回したがるのでもない、同様に、味覚も嗅覚も、別にお前一人だけを相手にして、官能の饗宴にあずかろうと思っているわけでもない。ただ、私の五官(視・聴・嗅・味・触)も、知恵の五つの働き(分別・想像力・知覚力・判断力・記憶力)も、ひとつの愚かな心がお前に仕えるのを抑制できないのだよ。かくて、わが心は、魂は、抜け殻同然の私を放り捨てて、お前の高慢な淫靡な心に仕える卑しい下僕と成り果てた。ただ、この本質的な禍が奇跡的に利益にも成りうるのは、私を愚かな罪に誘う女が、苦しみの罰を同時に与えてくれる事だけだ、その分だけ死後に与えられる罰が軽くなるから。 第百四十二聯、私の罪は愛したことで、お前の大切な美徳は憎しみと唾棄だ、私の罪に対する憎しみは、罪深い愛情から生まれ出た、ああ、お前よ、ああ、私の事情をお前のと比べてくれさえしたら、敢えて私を咎めるにも当たらぬことが分かるだろうよ。仮に咎められるにしても、よりによってお前の汚れた唇に謗られるいわれはない、それは、これまでにもおのが緋色の枢機卿の如き高貴な着衣を穢し、私の唇同様に、幾度も愛の偽証文に刻印を押してきたのだし、他人の寝台に入る収益を掠めてもきたのだからね。私の飢えた眼がお前に迫るように、お前の淫乱な眼も人を見境もなく誘い、贋の愛を語り続けるのなら、私がお前を愛したっていいはずだ、その心にどうか憐れみを植えてくれ、束の間でも構わないさ、そいつが育ってお前の造花の如き憐れみが人間らしさを僅かであっても帯びるのなら。それで、我慢できる。もしも、自分が拒絶するものを他者には要求するというになら、おのが身に照らしてみても、相手からは拒まれてしかるべきなのだ、因果応報なのだよ。 第百四十三聯、気苦労の絶える間もない一家の女房が、駆け出してはぐれた鶏の一羽を引っ捕えようと躍起になっている、抱えていた幼子を地面におき、相手を捕まえようと後を追って力の限り走っていく、捨てられた子供も母親を追って泣き喚くけれど、取りすがろうとするけれど、母親の方は目の前を逃げる鶏を追うのに無我夢中で、哀れな幼子の嘆きなどとんと頭にない、お前も同じさ、無慈悲な恋人よ、お前はただ自分から逃げる者だけを追いかける。私は見捨てられた幼子で、遠くから後を追ってついていく、でも、恋人よ、お目当てのモノを手にしたら戻ってきて母親役を勤めてくれ、私に接吻して、優しくしてくれ。とにかくも、戻ってきて泣き喚く私を宥めてくれるのなら、お前がウィル・思い(願望、意志、欲情、男根、心)などを手にするように陰ながら祈りもしようよ。 百四十四聯、慰安をもたらしてくれる者と、絶望に追い込む者と、私には二人の恋人がいて、二種類の霊魂のように絶えっずに私に働きかけてくる。より良い方の天使のごとき恋人はまことに色が白くて伝統的な美人、美貌の男なのだが、悪い方の霊はきわめて今日的で、不気味な黒い色をしたどう見ても不吉そのものと言った女だ。この女の悪霊は直ぐにでも私を地獄・梅毒の病 にひきおとそうとし、良い方の天使を私の側からおびきだし、あの醜くも華やかな娼婦的な姿で純潔な青年を口説き落とし、この純情この上ない初心な私の聖者を手もなく堕落させて、根っからの悪魔のように変化させようと図る。私はわが敬愛する天使が唾棄すべき悪魔に成り下がってしまったのではないかと疑い、恐れているのだが、まだ、確かなことは言えない。だが、二人は私から離れてお互いの友達になったのだから、男の天使は女の悪霊の股ぐら地獄、女陰の中にいるのだろう、だが、これは私には分からない、あの悪魔が無垢な天使を恐ろしい梅毒の火で燻り出すまで、疑いながら戦々恐々として生きるわけだ。 第百四十五聯、愛の優しい女神が美しい手で自ら作られたあの魅惑の唇が、「私は嫌いよ」という言葉を口にした、彼女を心底愛して挙句に恋にやつれ果てたこの私に向かってだ。しかし、私が極度に嘆くさまを見て取ると、すぐさま女の残酷な心にも哀れみが現れて、普段は情け深い判決を下している、常には優しい、あの舌を叱りつけて、こう言い直せと教え込んだ。女は「私は嫌い」に結びを添えて言い変えた。その出現はまるで暗い夜の後に穏やかな昼が訪れきたって漆黒の夜は悪魔のごとくに天から地獄に逃げ失せたよう。女は「私は嫌い」を憎しみの遠くに捨てて、「じゃないわ」と言い添え、我が命を救った…。 第百四十六聯、わが罪深き土くれの中心よ、お前を貶めんとするこの反逆の軍勢に打ち負かされた、憐れな魂よ、外壁は金を惜しまず、華やかに塗り立てながら、何故に、内では飢えに苦しみ悩むのか、窮乏に苦しみ耐えるのか。わずかの間だけ借りたに過ぎない、この朽ちゆく屋敷に、何故、こんなにも多額な費用を費やすのか、こういう奢りの相続人たる蛆虫どもにお前の預り物を食らわせるのか、それがお前の肉体の定めなのか。それなら、魂よ、こんな下僕は見殺しにして生きるがいい、お前の貯えを増やすためなら、奴は餓えさせておけ。屑みたいな時間を売り払って、永遠の生命を贖うがいい。もう、外側を装うのはよしにして内なるものを養うがよい。こうして、人を食らう死神をお前が喰らうのだ、そして、死神が死んでしまえば、もう死ぬことはない。 第百四十七聯、私の愛はそもそもが熱病みたいなものだ、いつでも病気を尚更養い育てる物を欲しがり、患いを長引かせるものを食べて、気まぐれで、病的な食欲を満たしている。つまり、性悪な黒い婦人を飽くなく追い求めて憔悴している。私の理性がこの悪性の愛を根治する医者なのだが、処方を守らないと言って怒り、私を見捨ててしまっている。病状は絶望に陥り、私は薬を拒む欲望が死に等しいのを此の身で知った。理性に見放されたからには回復する見込みはない。私は絶えずに不安に苛まれて錯乱している。わが心も、言葉も、狂人のそれと同じで、ひどく的外れな上に、愚にもつかぬ話ぶりだ、ああ、恋人よ、お前は地獄の如く暗く夜のように黒いが、私は美しいと誓い、輝くばかりと、見たのだからね。 第百四十八聯、全く愛は、愛の神キューピッドは何と言う眼をこの頭に嵌め込んだのだろうか、わが見る物は真実の姿とは似つかない、紛いものばかり。もしも似ているのなら、私の判断力は何処へ逃げたのか、眼は対象を正しく見るのに、鑑定を間違えているのではないか。あてには出来ないわが眼の熱愛するものが美しいなら、世間が違うというのは、どういう理由があってのことだろうか。違うのなら、わが愛がはっきりと示すとおりで、愛の眼は世間の眼の見る真実を見ないのだ。そうとも、ああ、どうして、ああ、どうして寝もやらず涙にくれて、痛み疲れた愛の眼に真実が見えようはずもない。だから、私が見違えても別に不思議はないのだが。太陽だって雲が切れるまでは何も見てはいないのだ、ああ、狡猾な愛よ、わが黒き恋人よ、愛のキューピッドよ、狡猾な愛よ、お前が涙で私を幻惑して目を晦ますのは、よく見える眼に、忌まわしい弱みを見つけられない為だ、それだけなのだよ。 第百四十九聯、ああ、ああ、酷い女よ、恋する淫乱女よ、私は敢えて己に背いて憎たらしいお前に組みしているのに、私が実はお前を愛してなどいないなどと言えるのか、暴虐非道なる女よ、我が事を忘れてこんなにも一途に尽くしているのに、私がお前の為を思っていないなどと言うのか。お前が憎む者に対して、私が友よ、などと呼びかけるであろうか。お前が不興げな顔を向ける者に、私が諂い顔を見せるか、いや、いや、お前が私に嫌な顔を見せれば、私はたちどころに嘆き悲しんで、我と我が身に恨みを晴らしはしないだろろうか。お前に奴隷のごとくに仕えるのを蔑むほどに、誇らしくて優れた才質を何にしても我が身の内に認めているだろうか。私は忠実な下僕宜しく、お前の眼の動きが命じるままに、全身全霊を挙げてお前に尽くし、厭らしい欠点を崇め奉っているではないか、だが愛する者よ、心底憎むがいい、今はお前の心が解った。眼の見える者達をお前は愛するが、私は盲目なのだ、進んでそうなったのだ、本望だよ。 第百五十聯、ああ、お前、淫乱好色なる我が恋人よ、どんな種類の神からその強力な力を授かったのか、お前はわが弱みを逆手にとってわが心を支配する。挙句に、私は真実を見る眼を嘘つき呼ばわりして、昼間を引き立てるのは明るさではない、などと誓う始末。醜悪な嫌悪すべきものに魅力を添えるこの術を、お前は一体何処で覚え仕込んだのか。塵芥同然のその卑しく浅ましい振る舞いにさえ、確かな手練手管、遣り手婆あさながらの老練な力が満ち満ちているから、わが心の中ではお前の最悪が全ての最善に打ち勝つのだ、憎んで当然のものを見聞きするほど、却ってお前を愛したくなる、その手口は誰に教えてもらったのだ。ああ、ああ、私は他人が忌み嫌うものを愛しているが、お前までが人と一緒になって私を忌み嫌う法はないぞ、思いの卑しさと好色さが私の愛を呼び起こしたのなら、尚の事、私はお前の愛に相応しい淫猥な男だ、実に、嘆かわしくも似合いのカップルと呼べようよ。 第百五十一聯、愛は若すぎるから、分別がどういうものかを知らないが、分別が愛から生まれるということは誰でも知っている。だから、優しい残酷な裏切り者よ、私の過ちを責めるのはよせ。美しいお前がわが罪の元と知れては困りもしようよ。お前が私を裏切るから、私も裏切りを働いて自分の高貴なる魂を、賎しい肉体の反逆に委ねるのさ。魂は肉体に命じて、愛の凱歌をあげるがいいと言い、肉体の方は二度と言われるまでもなく、お前の名前を聞いて突っ立ち、勝利の獲物はお前だと指を指す。こうして、自惚れ、膨れ上がり、惨めな苦役人の身分に満足して、事あればお前の為に立ち、お前の傍らで死のうと言う。彼女を恋人と呼び、愛ゆえに立とうと、死のうと、だからと言って私が無分別だとは考えてくれるな。 第百五十二聯、私がお前を愛して誓いに背いたのは、知っての通りだ、事実さ。でも、お前は私に愛を誓って二度も誓いに背いた。夫婦の契を裏切ったし、新しい愛が生まれると、新しい約束を破り捨てて、新しい憎しみを誓ったのだから。だが、二度誓を破ったとて、お前を咎められるか、この私は二十度も誓を破っているぞ。私が一番の嘘つきだ。私の見え透いた誓いはみんなお前をその場限りで欺く誓いにすぎない。お前のせいで私の誠実さなどは何処かへ吹き飛んでしまった、私はお前が真情溢れる女性だと心底から誓い、お前の愛にも、誠にも、貞節にも、嘘偽りはないなどと誓った、お前に光を添えるために、私はこの眼を晦ませた。また、眼が見るものとは逆の事を誓わせたよ。つまり、私はお前が美しいと誓ったし、真実に逆らってこんな醜く厭らしい嘘をつくとは,眼のイカサマがもっとひどい。 第百五十三聯、愛の神キューピッドが愛の松明を傍らに寝込んでしまった。純潔の女神ダイアナの侍女が、その隙に恋心を掻き立てるこの松明を引っつかみ、いきなり、近くの谷間の冷たい泉に突っ込んだ、泉は愛の神のものなるこの焔から、永劫の活気にあふれて変わることなき熱気をもらい、沸き滾る温泉と変じ、かくて、重病難病を癒す効験あらたかな薬湯となったのは、今も人の知る通り。ところが、愛の神の松明は我が恋人の眼からまた火種を得た。しかも、この少年、試しに私の胸を灼いてみないと気がすまぬ。おかげで私は病を得て、温泉の助けを借りようと急ぎこの土地を訪れ、哀れな患い客となったが、治療のすべはなかった。私を癒す温泉は、新たにキューピッドが火を得たところ、我が恋人の眼だったのだ。 第百五十四聯、或るとき、幼い愛の神が横になって眠り込んだ、恋心に火をつける松明を横に置いたままで。そこに純潔の一生を送ると誓った多くのニンフ達が軽やかな足取りで通りかかり、中でも一番美しい巫女が、清らかな手に松明を取り上げた、これまでに数え切れない数の真心を燃え立たせた松明をだ。こうして強い情欲を支配するこの大将殿、眠っている間に、娘の手で得物を奪い取られた。彼女はこの松明をそばの冷たい泉に浸して消した。泉は愛の神の火から永久(とこしえ)に冷めぬ熱気をもらい、温泉に変じて、病に悩む人々を癒す薬湯となった。だが、恋人の虜である私は此処に治療に来たけれど、こんなわけで知ったのは、これ。詰まりは、愛の神の火は水を熱っするが、水は愛を冷やしてはくれぬ、と。
2024年09月10日
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第百二十五聯、美々しい貴人に対して天蓋を捧げ持ち、これ見よがしに外面(そとずら)を崇めてみても、また、永遠の輝かしい名声を残そうとして巨大な礎石を築いても、それが私にとって何の得になろうか、何の得にもなりはしない。そんなものは、家屋敷が荒廃する程の間も持ちはしない。顔や容貌にこだわる者達が、素朴な香りを捨てて、甘ったるい混ぜ香水を欲しがり、高い代価を支払って一切合財を失うのを私は見なかったか、あれらは外見を気にして失ない破産した哀れな成り上がり共だ。いや、いや、私は君の麗しい清潔な心にだけ忠実に仕えたい。貧しいけれど、心からなるこの捧げ物を受けてくれたまえ。私のは見かけ倒しの混ぜものではないし、わざとらしい技巧も知らぬ。ただ、お互いを交換して、君に私の全てを差し出すだけだ。あっちへ行ってしまえ、穢らわしい、金で買われた密告者共め。大切な真実を守る者はどう謗られようとも、お前達の意のままになどはならない。 第百二十六聯、ああ、ああ、君よ、ああ、愛する若者よ、君は時の神の持つ気まぐれな鏡も時間という小鎌も、自らの手で管理統括している。時は移ろうが、君の美はいや増すばかりだ、だから、その美貌が成長すれば周囲の友人たちの衰えが変に目に付く。破壊を統御する女王たる自然の女神は、君が先に進むと絶えずに後ろに引き戻すが、君を自分の手元に留めておくのは彼女の技をもって時の神に恥をかかせ、ケチな時刻を滅ぼすためなのだ。ああ、君は彼女のお気に入りだが、決して気を許したりしないでくれたまえ、あれは自分の宝を引き止めても、永遠に傍らに置く力はない。彼女の決算が遅れても、いずれ報告はなされねばならない。そして、その支払いとは君を引き渡すことなのだ。 第百二十七聯、ここからは美貌の青年ではなく、黒い女が対象になる。昔の人は黒が美しいとは思わなかった、よし、そう思っても、口に出してまでは美しいとは言わなかった。金髪で色白なのが女性の美の標準だったから。だが当今では、黒が美の相続人に成り上がり、金髪色白は私生児めなどと、悪しざまに罵られている。つまり、世の誰も彼もが自然の力を掠め取り、技巧から借りた贋の顔で醜を美のスタンダードに変えた、それで、麗しい美は名声を失い、聖なる住み家を奪われて、俗界に落ち、汚辱に生きる身ともなりかねない始末だ。それゆえに、わが恋人の眼は鴉の如くに黒い、美人に生まれもしないのに技巧で美を手に入れ、ありもせぬのにあるかのように見せかけて、創造の力を貶める者らを、その黒い装いは嘆くかのようだ。だが、その眼は如何にも優雅に悲しみを嘆くので、どの人も、美とはこういう色に違いないと主張する。 第百二十八聯、バージナル、わが楽の音よ、黒き婦人、お前があの幸せな鍵盤に触れ、音楽を奏で、その美しい指の動きにつれて木片の動きが楽音に変わるとき、また、お前が弦の和音をたおやかに操り、わが耳を陶然とさせるとき、お前の柔らかな手の窪(くぼ)に接吻しようとて素早く跳躍する鍵どもを、私はどれほどしばしば憎んだことだろうか。その収穫を刈り取る筈の私の哀れな唇と言えば、木片の臆面もない振る舞いを、下衆な男どものようだと感じて、顔赤らめて見守るばかりなのだよ。お前の指は踊る鍵盤の上を軽やかに歩くけれど、私の唇だって、こんな素敵な愛撫を受けられるのならば、喜んで奴らと身分や境遇を取り替えようよ。その指は命のない木片を命のある生きている唇よりも幸せにしてやるのだもの。生意気な鍵はこれで大満足なのだから、接吻をさせるのなら、奴らにはその指を、私にはその唇を与えてくれ。 第百二十九聯、恥ずべき放埒のあげくに、精気を消失すること、これが淫欲の行為というものだ、また、行為に至るまで淫欲は偽証や、殺人や、流血を事とし、数多くの罪を犯し、野蛮、凶暴、残忍、無慈悲にして、到底頼み難い。人は一旦これを享楽し終われば、たちまちにして蔑む。分別をうちやって捜し求めても、手に入れてしまえば、分別をうちやって憎む。人を狂わせる為に仕掛けた餌を呑み込めば、こうもあろうというように。追い求めるときが狂乱の様子なら、手に入れても狂乱のまま。行為の後も、最中も、これからという時にも凶暴のきわみ、体験の最中には至福を味わうが、体験の後には悲しみだけが残る。前方には歓びが見えても、振り返れば一片の夢にしか過ぎない、世の人だってそれは篤と御存知だが、こういう地獄に人を連れ込む天国を避けて通るすべは、誰も知らない、知らされてはいないのだ。 第百三十聯、私の彼女の魅惑の瞳などは輝く太陽などとは比較にもならぬ。あれの唇の赤みより珊瑚の方が遥かに紅色だ、雪を白いと表現するなら、彼女の乳房はさしずめ薄い墨の色と言うべきか。毛髪が針金と形容するのが詩歌の常套句なら、あれの頭には黒い針金が生えているわけだ。赤や、白や、色混ざりのバラを見たことはあるが、だが、彼女の愛らしい頬にそんな薔薇が咲いたのをかつて見たことがない。香水の中にだってあれの吐く息よりももっと芳しい香りをはなつやつがある。あれが喋るのを聞くのは好きだが、音楽の方にだってもっとずっと妙なる響きがあるのを、私もよく承知している。確かに私は光り輝く美しい女神が歩むのを見たことがない、私の女が歩くときは大地を踏みしめて歩くのだから。だが、神掛けて言おう、わが麗しの恋人は勝手な比較を操ってでっち上げたどの女に比べても、見事引けをとらない。 第百三十一聯、この通りに黒いお前だが、昔なら美とは無縁だった、その無慈悲さときたら、美貌を笠に着て酷い仕打ちをする女等にも負けない。愛にのぼせたこの心には、お前は世にも美しく、貴重な宝石だ。それを、当のお前が心得切っている、だが、実のところお前を見て、あの顔には恋人に溜息を吐かせる力はない、と言う人たちもいる。それは間違いだと主張する程私は向こう見ずにも大胆にもなれない、ただ、自分だけには間違っていると誓言してみるのだが。そして、この誓言が偽りであることを信じさせるためにか、お前の個性的な顔を思い浮かべるだけで、次から次へと無数の溜息が漏れ来たって、証人となり、わが判定の場たる心の中で、お前の醜くも美しい黒さがこの上もなく美しいと断言する。お前が黒くて醜いのはそもそも振る舞いだけ、他にはない。だから、思うに見当違いな、恋人を十分に魅了する魅力に欠けるなどという、中傷も生まれるのだろう。 第百三十二聯、私はお前の黒い瞳を愛している、それはお前の心が私を蔑み、苦しめるのを知って殊更に憐れむように、黒い衣服を纏い、愛の喪に服して、優しい憐憫の情を抱いて私の痛ましい苦悩を見守っている。まことに、天空の朝の太陽が東の空の灰色の頬に相応しかろうとも、また、夕暮に先ず現れる明星が宵闇の西空にどのような輝きをそえようとも、この喪服を着た二つのつぶらな瞳がお前の顔を飾るのにはとても及ばない。ああ、喪服がお前に優雅さを添えるのなら、お前の心も、私を嘆くのにふさわしい装いにしてくれ。他と同様に、お前の哀れみにも喪服を着せてくれ。そうしたら私は、美の女神自身が黒いのだ、その色ならぬものは全て醜く見るに堪えない、と誓って見せように。 第百三十三聯、わが麗しの心友と私に、あれほどの深い手傷を負わせ、わが心を呻かせる、あの残忍な心に禍いよ降りかかれ、私ひとりをこっぴどく痛めつけるだけでは飽き足らずに、わが優しい繊細この上ない友まで奴隷の身に堕とさねば気がすまないのか。その残忍な眼は私から私自身を奪い取り、その上になお無情にも、第二の我なる宝石の如き友を虜にしてしまった。結果、私は友にも、私自身にも、お前にも見捨てられた、ボロくず同然に。こんな酷い目に遭うなんて九層倍もの拷問を受けるにも等しい。私の脆弱な心はお前の鉄の胸の牢獄に閉じ込められても、わが友の純真極まりない心は大切に真綿に包むようにして、私の哀れな、惨めな、可憐さで満ち満ちている心に収監しておきたい。誰が私を独房に繋いでも、私の心は彼専用の個室にしておこうよ、私の牢獄でなら、お前も手加減なしの酷い仕打ちには出られまいからね。でも、やはり駄目か、絶望か、お前に鋼鉄の鎖で繋がれている私は、身も心もひっくるめて全部が全部、お前のものなのだから、お手上げなのだ、やはり…。 第百三十四聯、さて、彼がお前の所有になったのも認めたし、私自身、お前の意のままになる抵当物件なのだから、私は自分を没収されても構わない、第二の私を返してもらって、いつまでも我が慰めに成しうるならば。でも、お前はそうはしないだろうよ、彼も自由を求めまい、お前は貪欲だし、彼は根っから気のいい男だからね。彼は自分をも身動きならない目に引き込む。あの証文に、保証人気取りで署名することしか知らないのだ。あらゆるものに利子をつけねば気の済まない、この強欲な高利貸しめ。お前はその美と魅力ゆえに手にした権利書を盾に取り、我が為にむざむざと莫大な債務者と化した友人を無慈悲にも訴えようと言う。だから、私は己の心無い仕打ちによって、友を失う。私は彼を失ったが、お前は彼も、私も手に入れた。彼が全額を支払うのに、私はまだ自由の身にはなれない。 第百三十五聯、他の女はいざ知らず、お前は自分のウィル、心、願望、意志、欲情、男根、女陰、ウィリアムの愛称、などの様々な意味が込められている、を確かに手に入れた。その上に、おまけのウィルも、あり余りのウィルもある。いつもお前を悩ます私などは、そのお優しいウィル・心に、こうして、もう一つ加わった余計者もいいところだ。お前のウィル・心は大きくて広やかだが、せめて一度だけでも私のウィル・心をその中に包み込んでくれないだろうか。他人のウィル・心は誠に有難い幸せを授かったようであるが、私のウィル・心には気持ち良い受納のしるしを見せてくれないのか。海は一面の水だが、いつでも雨を受け入れる。有り余る富を抱えていても、なお富を加えるのだ。お前も豊かなウィル・心の持主だが、その心・ウィルに私の・心ウィルひとつ加えて、お前の大いなる心・ウィルをもっと増やしてくれ。つれない拒絶で嘆願者達を殺さないでくれ、すべてをひとつと考えて、私もそのひとつの心・ウィルに入れてくれ。 第百三十六聯、私が側により過ぎると、お前の心が咎めるのなら、これはあたしのウィルよ、と盲目の心に言ってやれ。彼も知っての通り、ウィルなら入れてもらえる。頼むからそれくらいはわが愛の願いを聞き入れてくれ。ウィルがお前の愛の宝庫をいっぱいに満たしてやる。そうとも、数多の思い・ウィルを詰めてやる、私の思い・ウィルはそのひとつだ。広い宝庫を使う時には、数あるうちの一つは数のうちには入らぬと容易に証明できるさ。だから、数に紛らせ、数えないで私を通してくれ。お前の財産目録の中では、私も一項目にはなるけれど。勿論、私を零と見てくれていい、ただ、その零の私がお前に素敵な者だと思ってもらえるなら。私の名前だけを恋人にして、それをいつも愛してくれ。それで私を愛することになる、わが名前がウィルだもの。 第百三十七聯、盲目の愚か者、愛の神キューピッドよ、私の眼に何をしたのだ。この眼は見ているのに見ているものが分かっていない。美とは何かを知っているし、何処にあるかも見ているのに、最低の物をこよなく優れていると思い込む、恋の僻目に馴れて堕落した眼が、どの男たちでもが乗り入れる港に錨を下ろしたからと言って、何故、お前は眼の過ちで釣り針を作り、わが心の判断力を引っ掛けるのか。広い世間の共有地だと心は納得しているのに、その心がこれは個人の私有地だなどと何故考えるのか。また、私の眼はこれを見ながらこれではないと言い、こんな醜い顔に美しい真実を、どうして、装わせるのか。私の心も、眼も、誠真実なるものを見誤り今はこの迷妄の苦しみに憑かれて生きているのだ。 第百三十八聯、わが恋人が、あたしは真実そのものと誓えば、嘘をついているのが解っていても信じてやる、それも皆、私が初心(うぶ)な若者で、嘘で固めた世間の手管など何も知らぬ、と思わせたいがため、女は私が若いさかりを過ぎたのを知っているのに、こちらは女に若く見られていると虚しく自惚れ、愚かな振りをしては彼女の嘘八百を信じてやる。両方がこんなふうに露骨で無遠慮に真実を押し隠す。だが、何ゆえに彼女は己の不実を白状しないのか。また、私は何ゆえに自分の老いを認めようとしないのか。ああ、ああ、愛が作る最良の習慣は信じあう振りをすることだ。恋する老人は年齢を暴かれるのを好まない。だから、私は彼女と寝て、嘘をつき、彼女も同様に嘘を言う。二人は欠点を嘘で誤魔化し合い、慰め合うのだ。
2024年09月06日
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うち延(は)へて 思ひし小野は 遠からぬ その里人(さとびと)の 標結(しめゆ)ふと 聞きてし日より 立てらくの たづきも知らず 居(を)らくの 奥處(おくか)も知らず 親(にき)びにし わが家すらを 草枕 旅寝の如く 思ふそら 安からぬものを 嘆くそら 過(すぐ)し得ぬものを 天雲(あまくも)の ゆくらゆくらに 蘆垣(あしかき)の 思ひ亂れて 亂れ麻(を)の 麻笥(をけ)を無みと わが戀ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 人知れず もとなや戀ひむ 息(いき)の緒(を)にして(― 心を寄せて私が思う野・娘は、その近くの里人が標を結って占有したいと聞いた日から、己が立つ様もわからず、座っている結果も見透せず、馴れ親しんだ自分の家すら旅寝のように感じ、想う心も安からず、嘆く気持もやり過ごせずにいるものを、心が天雲のように動揺し、思いは蘆垣のように乱れ、麻笥が無いために乱れると麻の様に乱れに乱れて、恋しさの千分の一も人に知らせず、無性に恋し続けるであろうか、生命をかけて)二つなき 戀をしすれば 常の帯を 三重結ぶべく 我が身はなりぬ(― 二つとない恋をしているので、いつもの帯を三重に結ぶほどに痩せてしまった)爲(せ)む爲方(すべ)の たづきを知らに 石(いは)が根の こごしき道を 岩床(いはとこ)の 根延(は)える門(かど)を 朝(あした)には 出で居て嘆き 夕(ゆふべ)には 入り居て偲(しの)ひ 白栲の わが衣手(ころもで)を 折り反(かへ)し 獨りし寝(ぬ)れば ぬばたまの 黒髪敷きて 人の寝(ぬ)る 味眠(うまい)は寝(ね)ずて 大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ わが寝(ぬ)る夜らを 數(よ)みも敢(あ)へむかも(― どうしてよいのかも分からず、岩のごつごつした道を、岩床の広がっている門を、朝は出ていて嘆き、夕方には入っていてお慕いし、白栲の袖を折り返して独りで寝るので、黒髪を敷き、世間の人のようにぐっすり寝ることもなく、大船が揺れるように不安定な思いをしながら私が寝る夜は、数え切れるであろうか)獨り寝(ぬ)る 夜(よ)を算(かぞ)へむと 思へども 戀の繁きに 情利(こころど)もなし(― 一人で寝る夜を数えてみようと思うけれど、恋しさで胸が一杯で、数えるだけのしっかりした心もない)百足らず 山田の道を 波雲(なみくも)の 愛(うつく)し妻と 語らはず 別れし來れば 速川(はやかは)の 行くも知らに 衣手(ころもで)の 反(かへ)るも知らに 馬じもの 立ちて躓(つまづ)く 爲(せ)む爲方(すべ)の たづきを知らに 物部(もののふ)の 八十(やそ)の心を 天地(あめつち)に 思ひ足(た)らはし 魂合(たまあ)はば 君來ますやと わが嘆く 八尺(やさか)の嘆き 玉鉾の 道來る人の 立ち留(とま)り いかにと問(と)へば 答へ遣(や)る たづきを知らに さ丹(に)つらふ 君が名いはば 色に出(い)でて 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人にはいひて 君待つわれを(― 山田の道を波雲のように可愛い妻とゆっくり語り合わずに別れてきたので、行きも帰りもできず、私は馬のように一旦歩き出してはみたが、躓いて止まってしまった。 以上は男の歌 私もどうしてよいやら分からずに、様々に思う心を天地の間に満たすほどにあなたをお慕いし、魂が合ったら帰っておいでになるかしらと、私の吐く長い嘆息に道来る人が立ち止まって、どうしたのかと尋ねるので、答えやる術もわからずにあなたのお名前を言うと、私の恋心が外にあらわれて、人に気づかれてしまいそうなので山から出る月を待っていますと人には言って、あなたをお待ちしている私なのです。女の答え この様な男女の掛け合いの歌は珍しい。眠(い)をも寝(ね)ず わが思ふ君は 何處(いづく)邊(へ)に 今夜(こよひ)誰(たれ)とか 待てど 來まさぬ(― 眠りもせずに私が恋しているわが君は、今夜、どなたと何処にいるのでしょうか、お待ちしていてもお見えにならない)赤駒(あかごま)を 厩(うまや)に立(た)て 黒駒(くろこま)を 厩に立てて 其(そ)を飼ひ わが行くが如(ごと) 思ひ夫(つま) 心に乗りて 高山の 峯のたをりに 射目(いめ)立てて しし待つが如 床敷きて わが待つ君を 犬な吠えそね(ー 赤駒を厩に立たせ、黒駒を厩に立たせて、それを飼い、私が乗っていくように、夫のことがいつも私の心に乗りかかっていて、高山の峯の低くなった所に射目・柴などを立てて射手が隠れて獲物を狙う設備 を立ててシシを待つように、床を敷いて待っているわが君を犬よ吠えないでおくれ)葦垣(あしかき)の 末かき別けて 君越ゆと 人にな告げそ 言(こと)はたな知れ(― 葦垣の先をかき分けわが背子が乗り越えて来るとしても、人には告げないでおくれ、犬よ。私の言葉をよく弁えなさいよ)わが背子(せこ)は 待てど來まさず 天(あま)の原 ふり放(さ)け見れば ぬばたまの 夜も更けにけり さ夜更けて 風の吹けば 立ち待てる わが衣手(ころもで)に 降る雪は 凍り渡りぬ 今さらに 君來まさめや さな葛(かづら) 後も逢はむと 慰むる 心を持ちて ま袖持ち 床(とこ)うち拂へ 現(うつつ)には 君には逢はず 夢(いめ)にだに 逢ふと見えこそ 天(あま)の足夜(たりよ)を(― わが背子は待っていてもおいでにならない。大空を振り仰いで見やれば夜も更けた。さ夜更けて風が吹けば戸外に佇んで待っている私の袖に、降る雪は一面に凍りついた。今さらわが君はおいでになるはずはない。後でお逢いしようと心を慰めて、両袖で床を打ち払うけれど現実にはお会いできない。せめて夢の中ででも逢おうとて姿をお見せください、この良い夜一晩を)わが背子は 待てど來まさず 雁(かり)が音(ね)も とよみて寒し ぬばたまの 夜も更けにけり さ夜更くと 風の吹けば 立ち待つに わが衣手に 置く霜も 氷(ひ)に冴(さ)え渡り 降る雪も 凍り渡りぬ 今さらに 君來まさめや さな葛(かづら) 後も逢はむと 大船の 思ひたのめど 現(うつつ)には 君には逢はず 夢(いめ)にだに 逢ふと見えこそ 天(あま)の足夜(たりよ)に(― わが背子は待っていてもおいでにならない。雁の声も鳴り響いて寒い。夜も更けた。夜が更けたとて嵐の風が吹くので、戸外に立って待っていると私の袖に置く霜も冷たく氷りわたり、降る雪も一面に凍りついた。今さらわが君がおいでになるはずもない。後でお逢いしようと心には頼みにしているけれども、現実にはお逢い出来ない。せめて夢にだけでも逢うとて姿を見せてください。この良い夜一晩を)衣手に あらしの吹きて 寒き夜を 君來まさずは 獨かも寝む(― 袖に嵐が吹いて寒い夜なのに、あなたがおいでにならないで、私は一人で寝ることであろうか)今さらに 戀ふとも 君に戀はめやも 寝(ぬ)る夜をおちず 夢(いめ)に見えこそ(― いくらあなたを恋しく思っても、今さらお逢いできないでしょう。眠る夜を欠かさずに夢に現れて下さい)菅(すが)の根の ねもころごろに わが思へる 妹に縁(よ)りては 言(こと)の障(さへ)も無くありこそと 齋甕(いはひべ)を 齋(いは)ひ掘り据(す)ゑ 竹珠を 間(ま)なく貫(ぬ)き垂れ 天地の 神祇(かみ)をそ吾(あ)が祈(の)む 甚(いた)も爲方(すべ)無み(― ねんごろに私が慕っている妹のことでは、どうか言葉の禍もないようにと、神に捧げる神酒を入れる瓶を枕辺、床辺に据えて、細い竹を短く切って珠の様に紐にとうした竹玉をぎっしりと垂らして、天地の神々に私は祈る。何とも恋に耐え難くて)天地の 神を祈りて わが戀ふる 君いかならず 逢はざらめやも(― 天地の神々に祈って私が恋しているあなたには、必ずお逢いできるに違いありません)大船の 思ひたのみて さな葛(かづら) いや遠長く わが思へる 君に依りては 言のゆゑも 無くありこそと 木綿襷(ゆふたすき) 肩に取り縣け 齋(いはひ)瓶(べ)を 齋(いは)ひ掘り据え 天地の 神祇(かみ)にそわが祈(の)む 甚(いた)も爲方(すべ)無み(― 大船のように頼みにしていよいよ遠く長くあれかしと思っているあなたのことでは、言葉の禍もないっようにと木綿のたすきを肩にかけ、土を掘って齊瓶を据え、天地の神々に私はお祈りします。何ともするすべがなくて)御佩(みはかし)を 劒の池の 蓮葉(はちすは)に 渟(たま)れる水の 行方(ゆくへ)無み わがする時に 逢うべしと 逢ひたる君を な寝(ね)そと 母聞(きこ)せども わが情(こころ)淸隅(きよすみ)の池の 池の底 われは忘れじ ただに逢うまでに(― 剣の池の蓮の葉に溜まった水のゆくへもないように、行くべき方もなくている時に、逢おうと言って逢ってくださったあなたと共寝をしてはいけないと母が申しますが、私の心は清隅の池の池の底のように深くあなたを思っていて、あなたを忘れないでしょう、直接お逢いするまで)古(いにしへ)の 神の時より 逢ひけらし 今の心も 常忘らえず(― 昔々の神々の時代から男女は相逢ったものらしい。今の世の心でも、恋というものはいつも忘れられないものです)み吉野の 眞木立つ山に 青く生(お)ふる 山菅(やますが)の根の ねもころに わが思ふ君は 大君の 遣(まけ)のまにまに 夷(ひな)離(さか)る 國治めにと 群鳥(むらとり)の 朝立ち去(い)なば 後(おく)れたる われか戀ひなむ 旅なれば 君か偲(しの)はむ 言はむ爲方(すべ) せむ爲方知らに 延(は)ふ蔦(つた)の 行(ゆ)きの 別(わかれ)のあまた 惜(を)しきものかも(― み吉野の真木の立っている山に青く生えている山菅の根の、ねんごろに、私の慕う君が、大君の任命なさるままに辺鄙な田舎を治めにと朝立っておいでになったら、後に残った私は恋しく思うだろうか、旅なのであなたが私を偲ぶだろうか、どう言ってよいのか、どうしたらよいのか分からなくて、この別れが本当に惜しく思われます)うつせみの 命を長く ありこそと 留(とま)れるわれは 齊(いは)ひて待たむ(― 命長かれと後に残った私は潔斎してお待ちします)み吉野の 御金(みかね)の嶽(たけ)に 間無(まな)くぞ 雨は降るとふ 時じくそ 雪は降るとふ その雨の 間無きが如(ごと) その雪の 時じきが如(ごと) 間(ま)もおちず われはそ戀ふる 妹(いも)が正香(ただか)に(― み吉野の御金の岳に、止む間もなく雨は降ると言う。時を定めず降るように、間もおかず私は恋しく思う。妹その人を)み雪降る 吉野の嶽(たけ)に ゐる雲の 外(よそ)に見し子に 戀ひ渡るかも(― み雪が降る吉野の岳にかかっている雲のように、自分とは無縁のものと見ていた子を、今は恋しく想い続けることである) うち日(ひ)さす 三宅(みやけ)の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏(ふ)み貫(ぬ)き 夏草を 腰になづみ 如何なるや 人の子ゆゑそ 通はすも吾子(あご) 諾(うべ)な諾(うべ)な 母は知らじ 諾(うべ)な諾(うべ)な 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に 眞木綿(まゆふ)以(も)ち あざさ結ひ垂(た)れ 大和(やまと)の 黄楊(つげ)の小櫛(をくし)を 抑え挿(さ)す 刺細(さすたへ)の子 それそわが妻(― 三宅の原を素足で地べたを踏みつけ、腰に纏わる夏草をかき分けかき分け、どんな子の為にそんなにまでして通っておいでなのだね、我が子よ。 以上は父母の問 そうお尋ねになるのはごもっともですが、父さんも母さんもご存知ないでしょうが、黒い髪に真木綿でもってアザサ・全国の湖沼や池などの浅い所群生する浮葉性の多年草 を結んで垂らし、大和で出来る黄楊の小櫛を髪の抑えに挿す、可愛い子、それです、私の妻は)父母に 知らせぬ子ゆゑ 三宅道(みやけぢ)の 夏野の草を なづみけるかも(― 父母に知らせない可愛い子の為に、私は三宅へ行く夏野の草の道を難渋しながら行ったものだなあ)玉襷(たまたすき) 懸けぬ時無く わが思ふ 妹にし逢はねば あかねさす 晝はしみらに ぬばたまの 夜(よる)はすがらに 眠(い)も寝(ね)ずに 妹に戀ふるに 生(い)ける爲方(すべ)なし(― いつも心にかけぬ時とてなく、私の恋している妹に逢わないので、昼は日の暮れるまで、夜は夜の明けるまで、少しも眠らずに恋い慕っていると、もはや生きるすべもない)よしゑやし 死なむよ吾妹(わぎも) 生けりとも 斯(か)くのみこそ 吾(あ)が戀ひ渡りなめ(― ええ、もう私は死んでしまおう。吾妹よ、生きていても、こんな風に恋い続けるだけでしょうから)
2024年09月05日
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第百十一聯、君よ、君、ああ、お願いだから、私の運命の女神を叱ってくれ、私が悪いことをしたとしても、それはみんなあの性悪な女神のせいなのだからね、あの女神が私の暮らしの方便((たずき)の支えとして充てがってくれたのは、雑多な付き合いを生み出す座付き作家としての当座の人気稼業でしかなかったのだ、お蔭で私の名前にはよからぬ烙印が押される結果となり、謂わばこの為に私の本性までもが染物師の手のように、おのが仕事場の色に染まることになったのだ。だから君、ああ、君きみ、私をどうか哀れんで、私の地道な更生を願ってくれたまえ、私の方は聞き分けの良い患者宜しく酢を服用して、この強力な伝染病から身を守るとしよう、どんなに苦くとも、苦いとは思うまい、また、罰に罰を受け、二重に悔いることも更に厭わないつもりでいる。だからわが友よ、愛しい君よ、私をどうか憐れんでくれ、憐れんでくれ、そうとも、君の憐憫の情さえあれば私は十分に癒されるだろうからね。 第百十二聯、世間の非難中傷というやつが私の額に灼きつけたこの烙印の痕を、いつでも君の優しさと深い哀れみとが埋めてくれる、有難いことだよ。君が私の悪を蔦の葉のように緑で覆い、私の善を認めてくれるなら、他の誰が私を褒めようと、謗ろうと私は何も気になどしはしない、君こそが全世界だからね、君以外は私にとっては存在しないも同様なのだ。私は君の口からわが恥と美点とを知るように努めねばならない。私には他に生きている者などはいない。私も他人が見れば生きてなどはいないのだ。良くも悪くも、この頑なな心を変える者は他にいない。他人の意見などという煩わしいものは、ことごとく深い淵に投げ込んでしまったから、私の耳は聾の蝮の耳も同然、謗る者の声も諂う者の声も一切聞こえない。こうした無関心をどう弁明するか、まあ聞いてくれたまえ。君は、我が思いの中に余りにも深く根を張ったので、ほかの世界は全て死んだように思われるのだ。 第百十三聯、君と別れて以来、この目は心の中に引きこもり、心の目、想像力だけが私を支配している、詰まり私が活発に動き回る際に案内役を果たすべき機能が、半ばしか役目を果たさずに、あとの半ばは盲目同然で、見ているようでいて実際には何も見ていない、何故ならこいつめ、鳥でも、花でも、その他のものでも、自分が捕らえる姿を心に伝えてはくれないのだ。眼が瞬時に写すものにも心は一向に預ることがない、眼の視力自体が捉えて物を引き止めておく事ができない。どんなに粗野なものを見ても、反対に、どれほど優雅な対象を見ても、こよなく美しい顔でも、醜怪極まる動物でも、山であれ、海であれ、昼の光であれ、夜の闇であれ、鴉でも鳩でも、とにかく何を見ても君の姿に変えてしまう始末なのだ。なにしろ、わがまことの心は君で溢れ満ち満ちている、それで、もう受け入れる余地がないので、眼に偽りを見させるのだよ。 第百十四聯 君よ、私は愛する君を心の友として、我が心が、想像力が王座にのし上がり、君主たる者が罹患する悪質な疫病、このお追従という妄想を飲み干すせいだろうか。それとも、謂わば、眼は真実を告げているのに、君を愛する深い篤い思いが奴にこういう錬金の術を授け、事物が眼に入って形を成すやいなや、奇っ怪至極なもの、醜悪極まりない物に手を加え、作り直して美しい君そっくりの智天使、神の使者で霊的な存在であり悪魔の対局に位置する、に変化させてあらゆる罪悪を完璧な善に仕立てるせいなのだろうか。ああ、君、君、それはまだ最初の方なのだよ、眼の捧げる見え透いたお追従を、このお偉い心の奴が誠に王者に相応しく、飲み干すからだ。ずる賢い眼は心が何を一番に好むかをよく心得ている。だから、奴の舌に合わせて飲み物を調合する、当然のこととして。そこに毒が入っていようとも、罪は軽いのさ、この眼が好きな飲み物だし、この眼が先に飲むのだからね。 第百十五聯、私が前に書いて捨ててしまった一連の詩は嘘をついていた、つまり、これほどに心底から君を愛することなどは不可能だ、などと述べた、あの詩だが。でも、当時の私の判断では、あんなにも激しい愛情の焔が後になってもっと激しく燃え盛ろうとはとても想像できなかった、とても。だが、悪辣至極な時の手口を思えば、奴は無数の事件をでっち上げて誓言の間に巧妙に割り込ませては、国王の絶対的な布告をさえ改変させ、神聖な美さえも黒ずませ、研ぎ澄ませた野心満々足る意欲をも鈍(なま)らせ、確固不抜強固な心を万物流転の流れの中に、巻き込んでしまう。ああ、君よ、君、暴虐無礼な時の不埒な振る舞いを恐るからこそ、私が全ての不安を乗り越えて確固たる信念のもとに現在を至高の時と見做し、その余の一切を疑っていたあの時に、「今、君をこよなく愛する」と言ったのが何故に悪かろうか、愛の神キューピッドは可愛らしい幼子だ、だから幼児などと呼んではいけない、絶えずに成長している存在を大人と言うことになるからね。 第百十六聯では、真実なる心と心が結ばれて結婚するにあたり、我に障害の介入を認めさせ給うなかれ、事情が変われば己も変わるような愛、相手が心を移せば自分も心を移そうとする愛、そんなものは本当の愛とは言えない。飛んでもないことだよ、愛は嵐を見つめながらも微動の揺るぎさえ見せず、何時までもしっかりと立ち続ける燈台なのだ、全ての彷徨う小舟を導く北極星みたいな存在なのだ。その高さを測れようとも、その力を知ることは出来ない。たとえ、薔薇色の頬や唇は邪悪な時の大鎌で刈り取られても、愛は時の道化に成り果てしない。愛は、束の間に過ぎる時間や週とともに変わるものではない。最後の審判が来る瞬間まで耐え抜くものだ。これが誤りで、私の言うことが間違いだということになれば、何も書かなかった事と同じ事、この世にかつて愛した男などはいないことになる。しかし、私は確かに君という愛すべき若者をしっかりと愛したのだ、それは紛れもない事実で、誰にも否定などは出来はしない。 第百十七聯、君、君、私をこう言って告発してくれ、つまり、君の大いなる恩愛に報いるのを全くなおざりにしていたと、日々に、あらゆる絆が私を君の高貴な愛情に結びつけるのに、その愛に訴えるのを忘れていたと。又、素性も知れぬよからぬ輩と慣れ親しみ、君が高価な値段で買い取った権利をむざむざと呉れてやったと。又、君の姿から遠ざけてくれる風が吹けば、どのような風であれ帆を上げていたと、そう私を責めてくれ。故意の罪も、過失の罪も、共に書きとどめてくれ、確かな証拠の上に、推測も積み重ねてくれ。私が君の不興の的になるのは、仕方のないことだ。でも、本当に憎んで拳銃で撃つのはやめてくれ。私は強固不変の君の私への愛情がどのようなものなのかを試してみただけなのだからね。と、私の上訴の弁術は述べているのだから。 第百十八聯、人は時に欲望を一層研ぎ澄ますために、辛い前菜で味覚を故意に刺激しもするし、まだ兆候も見えない病をやり過ごす為に、我から強力な下剤をかけて病気になり、病気を避けようとする。私も同じで、飽きるはずもない君の優しい甘さに腹が膨れたから、極度に辛い薬味に口を合わせたのだ、あまりの幸福に食傷したから、本当はその必要が無いのに、この辺で一回病気になっておくのも悪くはないなどと考えたのだ。こうして、ありもしない病気に備えた愛の方策が、本物の病を作り出し、健康な身体を薬漬けにしてしまった。これも体に幸福があり余り余計な病気で治そうとしたせいなのだ、でも、負け惜しみではなく、私はお蔭でまことの教訓を学ぶ結果となった。つまり、こうして君に飽いた男には薬もまた毒となるのだ。 第百十九聯、地獄の様に汚らわしいランビッキ(ガラス、又は金属製の蒸留器具)で蒸留した魔女の空涙を、私は過去にどれほど飲み干したことか、希望は不信で抑え、不安には希望を処方して、それでも、勝ったと思ってはしょっちゅう負けた。わが愚かなる心は無上の至福に恵まれたつもりでいて、その実、何と惨めな過ちを犯したことか。この気狂いじみた熱病の仕掛ける錯乱に囚われて、わが眼球は如何に眼窩を飛び出し、瘧(おこり)に震え戦いたか。ああ、何と言う悪の恩恵か、今こそ私は思い知った、良いものは悪の試練を経て更に良くなり、壊れた愛は新たに建て直せば、前よりも美しく、強く、遥かに大きくなることを。だから、私は手酷い罰を受けてわが歓びのもとに帰るのです。悪行のお蔭で、費やした三倍の恩恵を手にするのですね。 第百二十聯、かつて君に冷たくされたのが、今は私の役に立つ。あの時に味わったあの悲しみを知ればこそ、わが罪の重さに押しひがれずにはいられない。この身は真鍮でも、打ち鍛えた鋼鉄でもないのだから。私は君の冷たい仕打ちに苦しんだが、君も私のせいで苦しんだのならば、やはり地獄の辛さを嘗めたはずだ。それなのに私は、暴君も同然、かつて君に背かれた際にどんなに自分が悩んだか、考えようともしていない。ああ、私達が嘆いた夜を思えば、真の悲しみが如何に人を打ちのめすのか、わが心の奥底に蘇ってもよかろうに。そして、あの時の君の様に傷ついた胸を癒す慎ましい弁明の軟膏を差し出してもいいはずなのだ。でも、君の悪が、今、償いを支払ってくれるね。私の罪が君の罪を贖う、君の罪も私を贖わねば。 第百二十一聯、悪くもないのに悪いと非難されるくらいなら、悪(わる)だと思われるより、本当の悪になる方がいい、こっちは後ろめたくなくとも、見る者が悪いと言えば、極まっとうな快楽だって台無しになるではないか。私が色好みでも、不実で淫らな他人様から眼くばせの挨拶を頂く筋はない、私が下劣でも、もっと下劣な奴らから目くじら立てられるいわれはないのだ。彼等は欲情に溺れて、私がよいと判断しているものを悪いと言うのだ。いや、私は飽くまでも私さ、私の愚行に狙いをつける連中は、自分達の乱行を数えたてているようなもの。向こうがねじけていて、私は真っ直ぐなのだ。私の行為が奴等の淫猥な考えで染め直されてたまるものか。もっも、人は全て悪で、悪に栄える、と、こういう悪の公理を説くのなら別の話なのだがね。 第百二十二聯、君からの大切な贈り物、あの手帳、あれは私の頭の中にしまってある、消えやらぬ数々の思い出をぎっしりと書き込んで、この方があんな虚しい紙束などよりも長持ちするし、限りある時を越えて永遠に生きてもくれよう。ともかく、頭と心が自然から授かった力を働かせて生命を保ち続ける限りは、生きてくれようさ。やがては、その各々が君の姿を空無の忘却に委ねようけれども、すくなくともそれまでは君の記録が消失することはない。それに、あの貧弱な記憶の容器には多くを入れることが出来ないし、君の貴重な愛を刻み付ける割符も私には要らない。だから敢えてあれを手放して、もっと多くの君を収めるこの心の手帳に頼ることにしたのだよ。大切な君を思い出すのに、一々防備録を手元に置くなんて、私が非常に忘れっぽい男だと言うことになりませんか。 第百二十三聯、いや、いや、俊足の時よ、私も変化するなどとは自慢させはしない、お前が当世の技術を凝らして建てたピラミッド様の大堂宇も、私には別に目新しくもないし、珍奇でもない。要するに昔の形の単なる焼き直しでしかない、人の命は短いから、お前がペテン師同様に平凡な古道具を押し付ければ、ただ見惚れるばかり、以前にも話に聞いたななどと考えるよりも、こちらの好みに合わせて作った新品だと思い込みたがる。とりわけ私は現在にも、過去にも驚異を感じないから、お前の歴史も、お前自信も鼻であしらおう。お前の記録も、今眼前にあるものも嘘っぱちだ。ただ、いつも早足で通り過ぎるから、大きくも、小さくも見えるのだ。誓って言うが、これこそは永遠に変わるまい、即ち、私は大鎌にも、お前にも逆らって真実を守るのだ。 第百二十四聯、私のこの切ない大切な愛が、単に成り行きで生まれた子供に過ぎなければ、つまりは運命の女神の私生児であって、父(てて)なし子、時の神の思うがままに愛されて、憎まれて、時には雑草として捨てられもし、時には美しい花と共に摘まれもしよう。いや、違う、違うのだ、わが愛は偶然などの手の届かない場所に築かれた。華やかに笑いさざめくところで堕落しない、鬱屈した怒りが打ち据えても倒れはしない。御時世は人の生き方をどちらかに引き寄せるけれども。又、それは、短い契約期間の中で動き回るあの異端者、策謀というやつを怖れることもない。わが愛はひとり屹立し、自らの巨大な知恵を恃む故に、暑熱に繁茂することも、大雨に溺れることもない。私はこの証人として時の道化共を呼び出そう、彼等は罪を企てて生きたが、善の為に死ぬのだからね。
2024年09月03日
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ももきね 美濃(みの)の國の 高北(たかきた)の 八十一隣(くくり)の宮に 日向尒 行靡闕イ ありと聞きて わが行く道の 奥十山(おきそやま) 美濃の山 靡けと 人は踏めども 斯く寄れと 人は衝(つ)けども 心無き山の 奥十山 美濃の山(― 美濃の国の高北の八十一隣の宮に…があると聞いて、私が通っていく道にある奥十山、美濃の山よ。もっと低くなれと人人は踏むけれどこう寄れと人は突くけれど、さっぱり応じない、心無い奥十山、美濃の山よ)少女(おとめ)等(ら)が 麻笥(まけ)に垂(た)れたる 績麻(うみを)なす 長門(ながと)の浦に 朝なぎに 満ち來る潮の 夕なぎに 寄せ來る波の その潮の いやますますに その波に いやしくしくに 吾妹子(わぎもこ)に 戀ひつつ來れば 阿胡(あご)の海の 荒磯(ありそ)の上に 濱菜つむ 海人少女(あまをとめ)ども 纓(うな)がせる 領巾(ひれ)も照るがに 手に巻ける 玉もゆららに 白栲(しろたへ)の 袖振る見えつ 相思ふらしも(― 少女らが麻笥に垂らしている績麻のように長い、長門の浦に、朝凪に満ちくる潮、夕凪に寄せてくる波、その潮のようにいよいよますます、その波のようにいよいよしきりに、吾妹子を恋しく思いつつやって来ると、阿胡の海の荒磯のあたりで浜菜を摘む海人の少女らが首にかけている領巾も照る程に、手に巻いた玉を鳴らして、白栲の袖を振るのが見えた、思う人がいるらしい)阿胡の海の 荒磯(ありそ)の上の さざれ波 わが戀ふらくは 止(や)む時もなし(― 阿胡の海の荒磯のほとりのさざ波が止むときもないように、私の恋は止むときがない)天橋(あまはし)も 長くもがも 高山も 高くもがも 月讀(つくよみ)の 持てる變若水(をちみず)い取り來て 君に奉(まつ)りて 變若(をち)得(え)しむ(― 天に昇る梯子も長くあって欲しい、高山も高く有ってもらいたい。月の神の持っている若返りの水を取って来て、わが君に奉って若がらせようものを)天(あめ)なるや 月日の如く わが思へる君が 日にけに 老ゆらく惜しも(― 天にある日月のように私の思っている君が日増しに老いていかれるのが残念であるよ)渟名川(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾(ひり)ひて 得し玉かも 惜(あたら)しき 君が 老ゆらく惜しも(― ぬな川の底にある立派な玉。私がやっと探し求めて手に入れた玉。やっと拾って手に入れた玉。やっと見つけて拾った玉。この素晴らしいあなたが年を取っていかれるのが本当に惜しい)磯城島(しきしま)の 日本(やまと)の國に 人多(さは)に 満ちてあれども 藤波の 思ひ纏(まと)はり 若草の 思ひつきにし 君が目に 戀ひや明(あ)かさむ 長きこの夜を(― 大和の国に人は多く満ちているけれども、私の心が纏わりつき離れない、美しいあなたの目を恋しく思って、この長い夜を明かすことでしょうか)磯城島(しきしま)の 日本(やまと)の國に 人二人 ありとし思はば 何か嘆かむ(― この大和の国の中に私の恋しい人が二人あるのだったら、どうして嘆いたりいたしましょうか)蜻蛉島(あきつしま) 日本(やまと)の國は 神(かむ)からと 言擧(あげ)せぬ國 然れども われは言擧す 天地(あめつち)の 神もはなはだ わが思ふ 心知らずや 行く影の 月も經行(へゆ)けば 玉かぎる 目もかさなり 思へかも 胸安からぬ 戀ふれかも 心の痛き 末つひに 君に逢はずは わが命の 生(い)けらむ極(きはみ) 戀ひつつも われは渡らむ 眞澄鏡(まそかがみ) 正目(まさめ)に君を 相見ばこそ わが戀止まめ(― 大和の国は領する神の性格として、言葉に出して言い立てない国である。しかし私はあえてはっきり言おう。天地の神も全く私の心を知らないのだろうか。月が経っていき、日も重なり、君を思う故か胸は安からず、君を恋うる故か心が痛む。もし将来ついにあなたに会えないならば、生命の続く限り恋い焦がれながらも私は長らえていこう。直接お目にかかったならば私の恋は止むであろうが)大船の 思ひたのめる 君ゆゑに 盡す心は 惜しけくもなし(― 大船のように頼みにしているあなた故に、さまざま心を尽くすのは、何の惜しいこともありません)ひさかたの 都を置きて 草枕 旅ゆく君を 何時とか待たむ(― この立派な都をおいて旅に出るあなたを、お帰りは何時と思ってお待ちしたらよいでしょう)葦原の 瑞穂(みずほ)の國は 神(かむ)ながら 言擧(ことあげ)せぬ國 然れども、言擧ぞわがする 事幸(ことさき)く 眞幸(まさき)く坐(ま)せと 恙(つつみ)なく 幸(さき)く坐(いま)さば 荒磯波(ありそなみ) ありても見むと 百重波 千重波しきに 言擧(ことあげ)すわれ 言擧すわれ(― 葦原の瑞穂の国は、支配なさる神の御性格として、言挙げをしない国である、しかし私は敢えて言挙げをする、お幸せでご無事でと。もし、お障りなくご無事であれば後にもお目にかかりたいものですと。百重波、千重波、が寄せてくるように、私は重ねて言挙げ致します、言擧げを致します)磯城島(しきしま)の 日本(やまと)の國は 言靈(ことたま)の 幸(さき)はふ國ぞ ま幸(さき)くありこそ(― 日本という国は言霊が幸いをもたらす国です、私のこの言葉でご無事で行ってきて下さい) 古(いにしへ)ゆ 言ひ續(つ)ぎ來(く)らく 戀すれば 安からぬものと 玉の緒の 繼(つ)ぎてはいへど 少女(をとめ)らが 心を知らに 其(そ)を知らむ 縁(よし)の無ければ夏麻(なつそ)引(ひ)く 命かたまけ 刈薦(かりこも)の 心もしにに 人知れず もとなそ戀ふる 息(いき)の緒にして(― 昔から恋をすれば苦しいものと言継できているが、全くその通りで、少女の気持ちが分からず、それを知る手掛かりもないので、命を傾け、乱れて心もひと向きに人知れず、留めるよしもない恋をすることです、命を懸けて)しくしくに 思はず人は あるらめど しましもわれは 忘らえぬかも(― あの人はあんまり私を思ってくれないようだが、私の方はしばらくも忘れることができないでいるよ)直(ただ)に來ず 此(こ)ゆ巨勢道(こせぢ)から 石橋(いははし)踏(ふ)み なづみぞわが來(こ)し 戀ひて爲方(すべ)なみ(― 直接行かずに、此処から巨勢道を通って、石橋を踏み、難渋して私は来た。恋しくて仕方がないので)あらたまの 年は來(き)去(ゆ)きて 玉梓(たまづさ)の 使の來(こ)ねば 霞立つ 長き春日を天地(あめつち)に 思ひ足らはし たらちねの 母が飼(か)う蠶(こ)の 繭隠(まよこも)り息衝きわたり わが戀ふる 心のうちを 人に言う ものにしあらねば 松が根の 待つこと遠く 天傳(あまつた)ふ 日(ひ)の闇(く)れぬれば 白木綿(しろたへ)の わが衣手(ころもで)も 通(とほ)りて濡れぬ(― 年は来て去っても君の使いは見えないので、霞が立つ長い春の日を天地に満ちる恋の思いを、母の飼う蚕が繭に隠れていぶせく苦しいように、いぶせくて苦しく嘆き暮らし、恋する自分の胸の中は人に語るべきものではないから、一人待つ事久しい折柄、大空を渡る日も暮れてしまったので、白栲の衣の袖も濡れ通ったことである)斯(か)くのみし 相思はざらば 天雲(あまくも)の 外(よそ)にそ君は あるべくありける(― こんなに思ってくださらないなら、あなたは、大空を行く雲が我々に無縁であるように、始めから私とは無縁であるべきでした)小治田(をはりだ)の 年魚道(あゆぢ)の水を 間無(まな)くそ 人は汲(く)むとふ 時じくそ 人は飲むとふ 汲む人の 間無きが如 吾妹子(わぎもこ)に わが戀ふらくは 止む時もなし(― 小治田の年魚に行く道の水を、絶えることなく人は汲むと言う、時を定めず人は飲むと言う。汲む人の絶え間のないように、飲む人の時を定めないように、妹に対する私の恋は止むときがない)思ひやる 爲方(すべ)のたづきも 今はなし 君に逢はずて 年の經(へ)ぬれば(― 何とも胸の思いを慰める慰めようも今はありません、あなたに逢わずに年が経ちましたから) この君は妹の方が適切であろう。みづかきの 久しき時ゆ 戀すれば わが帯緩(ゆる)む 朝夕(あさよひ)ごとに(― ずっと以前から恋しているので、私は痩せて帯がゆるむ、朝に夕に)隠口(こもりく)の 泊瀬(たつせ)の川の 上(かみ)つ瀬に 齋杭(いくひ)を打ち 下つ瀬に 眞杭(まくひ)を打ち 齋杭には 鏡を縣け 眞杭には 眞玉を縣け 眞玉なす わが思ふ妹(いも)も 鏡なす わが思うふ妹も ありと言はばこそ 國にも 家にも行かめ 誰(た)がゆゑ行かむ(― 泊瀬川の上の瀬には齋杭を打ち、下の瀬には真杭を打ち、齋杭には鏡を掛け、真杭には真玉を掛けてお祭りするが、その真玉のように大切に思う妹が生きているというのならばこそ、私は国へも家にも帰ろうが、さもなくて、誰故に帰ろう、帰りはしないのだ) この歌は古事記を参照すれば、木梨輕太子(きなしのかるのみこ)が逝去される際に作られた御歌であろうと言う。年わたるまでにも 人は有りといふを 何時の間(ま)にそも わが戀ひにける(― 年を経るまでも人はそのまま辛抱していると言うのに、この間違ったばかりの私がいつの間にこんなに恋しく思うようになったのだろう)世間(よのなか)を 倦(う)しと思ひて 家出(いへで)せし われや何にか 還りて成らむ(― 世間を厭って出家した私は還俗して何になろうか、何にもなるものではない)春されば 花咲きををり 秋づけば 丹(に)の穂(ほ)にもみつ 味酒(うまさけ)を 神名火山(かむなびやま)の 帯にせる 明日香(あすか)の川の 速(はや)き瀬に 生(お)ふる玉藻のうち靡き 情(こころ)は寄りて 朝露の 消(け)なば消(け)ぬべく 戀ふらくも しるくも逢へる 隠妻(こもりづま)かも(― 春になると花がいっぱいに咲き茂り、秋になると真っ赤に色づく神名火山が帯と巡らしている明日香川の早瀬に生えている玉藻のように、うちなびいている心はあなたに寄り、朝露のように消えるならば消えていいと、命をかけて恋していた、そのかいあって今こうして会うことの出来た隠し妻よ)明日香川 瀬々の珠藻の うち靡き 情(こころ)は妹に 寄りにけるかも(― 明日香川の瀬々の珠藻のなびくように、私の心は今妹にすっかり靡き寄ってしまったことである)三諸(みもろ)の 神名火山ゆ との曇(くも)り 雨は降る來(き)ぬ 雨霧(あめき)らひ 風さへ吹きぬ 大口の 眞神(まかみ)の原ゆ 偲(しの)ひつつ 歸りにし人 家に到りきや(― 三諸の神名火山から一面に曇って、雨は降って来た。雨は霧のように降って風までも吹いてきた。真神の原を通って、私を思いながら帰っていったあの人は、家に着いたかしら)歸りにし 人を思うふと ぬばたまの 其の夜はわれも 眠(い)も寝(ね)かねてき(― 帰っていった人を思うとて、その夜は私も眠れませんでした)さし焼(や)かむ 小屋(をや)の醜屋(しこや)に かき棄(う)てむ 破薦(やれこも)を敷きてうち折れむ 醜(しこ)の醜手(しこて)を さし交(か)へて 寝(ぬ)らむ君ゆゑ あかねさす 晝はしみらに ぬばたまの 夜(よる)はすがらに この床(とこ)の ひしと鳴るまで 嘆きつるかな(― 火をつけて焼きたい、憎らしいボロ小屋に、破り捨てたい破れゴモを敷いて、折れちまえばいいごつい手をさし交わして、今頃女と寝ているお前さんだのに、私は昼は一日、夜は一晩中、この床がミシミシ言うほどに嘆いていることだ)わが情(こころ) 焼くもわれなり 愛(は)しきやし 君に戀ふるも わが心から(― 自分の胸を焦がすのも私だし、あああああ、お前さんへの恋に苦しんでいるのも私の心によるものなのだ)
2024年08月30日
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第百一聯、ああ、なんて怠惰な女神なのか、真実の心に加えて完璧な肉体の美を備えた私の心から敬愛する青年をなおざりにして、忘れたような振りをしてきたこの罪を、一体どのようにして償うつもりなのだろうか。真実も、美も、わが愛する者を頼りにしている。お前もそうだ、詩の女神よ、彼あってこそ威厳も備わるのだ、答えてみろ、詩の女神よ。思うに、多分お前はこう答えるのではあるまいか、真実には本来の色褪せぬ色彩があるから、絵の具などは必要ない、ましてや美は、美の真実を描き添える絵筆などはいらぬ。最上の物は何も交えぬから最上の物なのだ、と。彼には称賛の言葉など要らないから口を噤むというのか。しかし、そんな沈黙の言い訳などはよしてくれ、聞きたくもない、ミューズよ、お前には金箔の墓などよりもずっと彼を長生きさせて、やがてやって来る世々の称賛の的にするだけの力があるのだもの、だから詩の女神よ、汝の勤めを果たせ、やり方なら私が教えもしようよ、後の世までも、彼の今の輝かしい凛々しい容姿と内面の充実とを伝え、保たせてやってくれないか。 詩人は詩の女神に命令している、彼は霊感を期待してなどいない、天才の中に縦横無尽の詩才は充溢し切っている、彼の内面から爆発してエネルギーは有り余っている。それに然るべき秩序さえ与えてやれば済むはなし、対象は言葉を超越して存在して、既に描写しつくしてしまっている。詩人が召使たる女神を頤使しているので、その逆ではないのだ。これも歴史上で例を見ない逆転現象と、此処で私ははっきりと言明しておこう。こうなると、現し身の彼は既に問題ではなくなってしまう、と再度私は断定しようか。してみると、詩人が信奉する美人たる青年の存在すら疑わしい。現実の彼は青年貴族で周囲の羨望と称賛とを一身に集めていたにしても、詩人が描いて見せたような理想の存在ではなかった。現実と理想の間には雲泥の差どころか、相関関係は無いに等しいだろう。詩とは本来の成り立ちからしてそう言う性質のものだ。モデルは飽くまでもモデルであって、理想化され美化されたそれとは似ても似つかない。それでいいのでしょう。 第百二聯、君よ君、私の君への愛は弱まったように見えるかもしれないが、実は、強くなっているのだよ、以前ほどには外に現れ出ないのだが、決して愛が減ったわけではないのだよ。宝の持ち主がこれは世にも稀な高価な物なのだ、などと世間に喋りちらし吹聴するならば、そう言う愛ならば要するに売り物も同然だ、我々二人の愛が新しい頃は、謂わば春の季節の中にいたわけで、私もよく歌を歌ってはこれを讚えはした、ちょうどナイチンゲールが夏の初めに囀るけれど季節が深まれば歌いやめるようなものだ。あの愁いを帯びた歌が夜をひっそりと静めていた頃に比べて、今時分の夏が美しくないというのじゃあない、ただ、今はどの枝にも姦しいだけの音楽が溢れているし、楽しみはいつでも手に入るなら、貴重な喜びではなくなる。私が時折、ナイチンゲールよろしく黙り込むのも、君を歌でうんざりさせたくないからなのだよ、他のヘボ詩人がやたらとがなり立てる愚は犯したくないだよ。 第百三聯、ああ、何たることか、わが麗しの詩の女神は何と貧弱なものを産むのか、己の栄光を示すこんな絶好の機会を手にしながらも、私が下手な称賛の言葉を付け加えるよりも、裸の題材の方がずっとましだなんて。ああ、君、君、ああ、これしか書けないからと言って私を不当に責めないでくれたまえ、もう一度、鏡を覗いてみたまえ、そこに現れている顔は私の粗雑な着想などよりも遥かに優れている、それは私の詩の生気を失わせ、私に恥をかかせるのだ。自分では改良するつもりでいながら、前には良かったものを駄目にしてしまう。これは罪悪ではなかろうか…、何故ならば、私の詩は君の優美と有り余る才能を語り、伝えるより他は何も当てがないのだからね。それに、君が鏡を覗き込めば、私の詩に収まるよりも、ずっと多くのものが見えるのだもの、何を弁解する必要があろうか。君、君、君。ああ、君よ。 第百四聯、美しい友よ、君よ、君、私にとっては君は永遠に年老いることなどはない、ああ、初めて君の魅惑の目を見つめた時の、あの眩しく神々しい姿と、今の美しさとは、ちっとも変わっていないと思う、決して錯覚などではない、三度の寒い冬が、森の木々から、三度の夏の華やかな緑の装いを邪険に振り落とした。三度の美しい春が、黄色の秋に遷るのを季節の移ろいの中で私は目撃してきた。三度の四月の香りが三度の暑い六月の中でくすぶり燃えた。君は今も新緑鮮やかなフレッシュさを見せているが、あの匂い立つ芳しい絵姿を最初に見てから、確実にこれだけの年月が経過しているんだ。ああ、君よ、だが、美は時計の針のようなものだから、いつしか文字盤の上を推移するけれども、その足取りは誰にも見えない、だから君の美しい輝く姿も私には何時までも現状を保持していると見えても、実は動いていて、この私の眼が欺かれているのかも知れない。私はそれを恐れる故に、まだ生まれない時代に今から告げておこう、お前達が生まれる前に、真の美の夏、最盛期は終わったのだ、と。 第百五聯では、ああ、君よ、私の愛の言葉も、賛美の言葉も等しく、どれもこれも、ただ一人の人に向けて、一人について、いつでも同じ調子で歌い続ける、が、だからと言って、この愛を在り来りな偶像崇拝などと安っぽく呼んでくれるな、また、私の愛する対象を平凡な偶像などに見立ててくれるな。我が愛する者は、今日も優しく、明日も優しい、人に勝る見事な資質は常に変わることがない。それゆえに、私の詩も変わるわけにはいかないから、一つことを述べ続けて、多様な変化には見向きもしない。「 美しく、優しく、真実の 」がわが主題の全てであり、「 美しく、優しく、真実の 」を別の言葉に変えて用いる。私の着想はこの変化を考えるのに使い果たされる、三つの主題が一体となれば、実に多様で深遠な世界がおのずから開かれるから。美しく、優しく、真実の、は別々にならずに、随分生きていた。だが、この三つが一人の人間に宿ったことは、かつてないのだ。 第百六聯、虚しく過ぎ去った昔の年代記の中で、こよなく美しい人たちが描かれているのを読み、今は亡き貴婦人や、美貌の騎士達を称える古い歌が、美しい人たちの故に美しくなったのを見ると、古人の筆が、優しい美の所有する最善のものを、詰まり、手や、足や、唇や、眼や、眉を数え上げたのは、まさに、今、君が所有している類の美を書き表したかったからだ、ということが理解できる、だから彼等の称賛はことごとく、私たちの時代を予言したものに過ぎない。すべては君をあらかじめ予想して示している。ただ、彼等は想像の眼で未来を見たにしか過ぎないから、君の真価を歌い上げるに足る知識と技術がなかった。所が今、現代の日々を見ている私達は称嘆する眼はあっても、称賛する舌を失っている。 第百七聯、この私自身の気遣いも、又、先行きを占ってあれこれと思い廻らす、広い世間の予感とやらも、たとえ、限りある定めを免れ難いと思っても、わが誠の愛の期限を決めることは出来ない。今は、現身(うつしみ)の月が月食から蘇り給い、気難しい占い師等は己の予言を笑っている、かつて不安に慄き揺れ動いた時代が、今では、どっしりと安定して王座におさまり、平和が永久(とわ)なるオリーブの繁茂を告げているのだ。この、快い芳香を周囲に惜しげもなく放つ時代の滴(しずく)を受けて、わが愛は以前の生気を取り戻した。死神さえ私には屈服する、たとえ彼が物言うすべを知らぬ愚かな大衆の上に君臨しても、私は敢然と彼に反逆して、この拙い詩の中に生きるのだよ、君、君、ああ、君、たとえ暴君の紋章や真鍮の墓標が滅んでも、君は私の詩の中におのが栄えある記念碑を見出し、永遠久遠に輝き、生き続ける、光を放ち、この世を明るく住みよい場所として示し、導くのだ、君、君、ああ、君、私はそれで本望なのだよ。 第百八聯、わが真心の有り様は余さずに描いて見せたのだ、この上にインクで書き記す何が残っているだろうか、この頭に。わが愛を、又、君と言う大切な人を表し示すのに、何の目新しい事が語れようか、今さら何を書き得よう、何もありはしないのだ、愛する者よ、君よ。私は神に祈るように日毎、一つことを繰り返すほかはない、言い古るした言葉を古いとも思わずに、汝(なれ)は我がもの、我は汝(な)のもの、と、丁度最初に君の麗しい名を崇めた時のように。こうして、永遠の愛は愛の青春の姿を保ち続けて、老い萎び、朽ちることなど気にもかけずに、いずれは必ず顔に刻まれる醜い皺など心にもかけず、むしろ、老年を自分の童僕に仕立て上げて何時までも奉仕させる。時を経て外側が変わり、愛も死んだと見えるその姿に、最初の愛の心が生まれ、育ったのを知るからだ、内実は少しも変化等はしていなし、むしろ充実し、成熟し、見事な大輪の花を開かせてさえいる、心、魂、精神は。 第百九聯、君としばらく離れていたせいで、私の胸の焔が弱まったように見えたとしても、私が不実な人間などとは言って欲しくない、君だって幾らなんでもそんな悪態はつかないだろうがね、君の中にいる清浄極まりないわが魂と別れるのは、私がこの自分と別れるくらいに無理なことだ、君の素晴らしい無垢な胸こそ私の愛の終の棲家だ、たとえ夢遊病者よろしく彷徨いでたとしても、旅に出た男のように私は当然にまた戻ってくる。時間通りに、時を経ても心変わりなどせずに、詰まり、わが罪を清める涙の水を携えて帰るのだよ、君、私は断じて君を陰で裏切る事などは夢寐にも考えない、出来ないことだ。仮にあらゆる気質の人を悩ませる、あらゆる弱点が私を支配しようとも無に等しい物のために、君の美徳をそっくり捨てるほどにひどく堕ちたなどとは思ってくれるな。わが麗しの芳しい薔薇よ、君がいなければ私はこの広い世界を無と呼ぶ。この世では君こそが私の全てなのだよ。 詰まり詩人にとって自分自身こそが全部なのだ、理想の自己、うぬぼれ鏡に映った理想の好男子こそが、青年貴族たる絶世の美人なのだ、そして私、古屋は天才詩人の驥尾に付して天空を駆け巡る羽衣の如き魔法の衣装を纏って実生活では決して経験できない夢の擬似体験をすることが出来るのだった。実に有り難いことでありまする。 第百十聯、成程、確かに私はあちこちに顔を出して、ダンダラ染めの道化を演じ、我が身を人目に晒し、自分の心を痛めつけ、こよなく貴重なものを安値で売り、新しい愛を求めては、いつも裏切りを繰り返した。真実に対してはそ知らぬ顔をして、よそ目に見て置いたのも、真実、その通りには違いない。でも、天に誓って言っておこう、この流し目は私の心に青春を蘇らせたし、悪い付き合いが、君こそは最上の愛人だと教えてくれた。それももう全部終わったのだから、この終わりなき愛を受け入れてくれ。古い友人の値打ちを確かめようとて、新しいのを試してはわが愛欲を掻き立てる真似は、もうやめにする。愛については君が神だ、君のほかに我が神はない、君は天国に次ぐ、わが最愛のもの。その清らかな、いとも、いとも、清らかで優しい優しい胸に私を受け入れてくれ。
2024年08月28日
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問答体の歌数種玉の緒の うつし心(こころ)や 八十楫(やそか)懸(か)け 漕ぎ出む船に おくれて居(を)らむ(― 舟よそいして漕ぎでる舟がら後に残されて、正気でいることができるでしょうか)八十楫(やそか)懸(か)け 島隠(しまがく)りなば 吾妹子(わぎもこ)が 留(とま)れと振らむ 袖見えじかも(― 多くの櫓を備えて漕ぎでた船が、島隠れたならば、吾妹子が留(とま)れと振る袖が見えないだろうか)十月(かんなづき) 時雨(しぐれ)の雨に 濡れつつか 君が行くらむ 宿か借(か)るらむ(― 十月の時雨に濡れながら今頃わが君は旅をしておいでだろうか、宿を借りておいでだろうか)十月 雨間(あまま)もおかず 降りにせば いづれの里の 宿か借らまし(― 十月の雨が止むまもなく降ったなら、どこの宿を借りようか)白栲(しろたへ)の 袖の別れを 難(かた)みして 荒津の濱に 屋取(やど)りするかも(― 白栲の袖を別れかねて、私は荒津の浜で一夜の仮の宿りをすることだ)草枕 旅行く君を 荒津まで 送りそ來ぬる 飽き足(た)らねこそ(― 旅に行くあなたを荒津までお送りして来ました。もっとお逢いしていたいと思うものですから)荒津の海 われ幣(ぬさ)奉(まつ)り 齋(いは)ひてむ 早還(かへ)りませ 面變(おもがは)りせず(― 荒津の海に私は幣を奉って、斎戒していましょう。早く帰っておいでなさいませ、面変りなどはしないで)朝な朝な 筑紫(つくし)の方を 出で見つつ 哭(ね)のみわが泣く いたも爲方(すべ)無み(― 毎朝毎朝、出ては筑紫の方を見ながら、泣きに泣いています。どうにもするすべがなくて)豐國の 企救(きく)の長濱 行き暮らし 日の暮れぬれば 妹をしそ思ふ(― 企救の長浜を歩いて行って日暮れになったので、故郷の妹を思うことである)豐國の 企救の高濱 高高(たかたか)に 君待つ夜らは さ夜ふけにけり(― お帰りを今か今かと待つ夜は更けてしまいました)冬ごもり 春さり來れば 朝(あした)には 白露置き 夕(ゆうべ)には 霞たなびく 風の吹く 木末(こぬれ)が下(した)に 鶯鳴くも(― 春がめぐってくると、朝は白露が置き、夕方には霞がたなびく、風のそよ吹く梢では鶯が鳴いている)三諸(みもろ)は 人の守(も)る山 本邊(もとべ)は 馬酔木(あしび)花咲き 末邊(すゑべ)は 椿花咲く うらぐはし 山そ 泣く兒守(も)る山(― 三諸は人が大切にする山である、麓の方はアシビ・早春に壺状の小さな花が咲く が咲き、いただきの方は椿の花が咲く、まことに美しい山である。この、人々が大切にする三諸の山は)霹靂(かむとけ)し 曇れる空の 九月(ながつき)の 時雨(しぐれ)の降れば 雁(かり)がねも いまだ來(き)鳴(な)かね 神名火(かむなび)の 淸き御田屋(みたや)の 垣内田(かきつた)の 池の堤の 百足(ももた)らず 齋槻(いつき)が枝に 瑞枝(みづえ)さす 秋の赤葉(もみちば) 巻き持てる 小鈴(をすず)もゆらに 手弱女(たわやめ)に われはあれども 引きよぢて 峯(すゑ)もとををに ふさ手折(たを)り 吾(あ)は持ちて行く 君が挿頭(かざし)に(― 雷が鳴って曇っている空の、九月の時雨が降ると、雁もまだ来て鳴かないが、神奈備の清い御田屋・神の田を管理する人が住む家 の垣の内の堤の、神聖な槻・ケヤキの枝に艶やかに映えている秋の紅葉を、私は手に巻いた小鈴を鳴らしながら、か弱い女の身ではあるが、手に取って木末も撓む程に引き、枝を折りとって持っていく、あなたの挿頭にするために)獨りのみ 見れば戀しみ 神名火(かむなび)の 山の黄葉(もみぢ)を 手折(たを)りけり君(― 一人だけで見ているとあなたが恋しくなって、神名火山の黄葉の枝を手折りました、あなた)天雲(あまくも)の 影さえ見ゆる 隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の川は 浦無みか 船の寄り來ぬ 磯無みか 海人(あま)の釣(つり)爲(せ)ぬ よしゑやし 浦はなくとも よりゑやし 磯は無くとも 沖つ波 競(きほ)ひ漕ぎ入(り)來(こ) 白水郎(あま)の釣船(つりぶね)(― 天雲の影さえも映る泊瀬の川は、浦がないからか舟が寄って来ない、磯がないからか海人も釣りをしない。よしや、よい浦はなくとも、よしや、良い磯はなくとも、沖の波が次々と立つように、先を争って漕ぎ入ってこい、海人の釣り舟よ)さざれ波 浮きて流るる 泊瀬川(はつせがは) 寄るべき磯の 無きがさぶしさ(― さざ波が立って流れていく泊瀬川は、よるべきよい磯がないのが淋しい事だ)葦原の 瑞穂(みづほ)の國に 手向(たむけ)すと 天降(あも)りましけむ 五百萬(いほよろづ) 千萬神(ちよろづかみ) 神代より 言ひ續(つ)ぎ來(きた)る 神名火の 三諸の(みもろ)の山は 春されば 春霞立ち 秋行けば 紅(くれなゐ)にほふ 神名火の 三諸の神の 帶にせる 明日香(あすか)の川の 水脈(みを)速(はや)み 生(お)ひため難き 石枕(いはまくら) こけ生(む)すまでに 新夜(あらたよ)の さきく通はむ 事計(ことはかり)夢(いめ)に見せこそ 劔刀(つるぎたち) 齋(いは)ひ祭れる 神にし坐(ま)せば(― 葦原の瑞穂の国に手向けをするとて、多くの神々が天下っておいでになったという神代から、手向けの山だといい継いできた神名火の三諸の山は、春になると春霞が立ち、秋になると紅葉が美しい。三諸の山の神が帯としている明日香川の水脈が速いので、なかなか生えて着いていることのできないその川の石枕に苔が生える時までも、毎夜毎夜、新たに元気で通うための計らいを神々よ、どうか夢でお示しください、私がこんなに大切にお祭りしている神でいらっしゃるのですから)神名火の 三諸の山に いつく杉 思ひ過ぎめや こけ生すまでに(― あなたへの恋の思いは心から消えることはないでしょう、苔が生える時までも)齋串(いくし)立て 神酒(みわ)坐(す)ゑ奉(まつ)る 神主部(かむぬし)の うずの玉蔭(たまかげ) 見れば羨(とも)しも(― 祝い串を立て、神酒を瓶に入れて据え供えると神主のウズ・木の葉・花・玉などを頭にさして飾りとしたもの として刺したヒカゲノカズラを見ると、見事だ)弊帛(みてぐら)を 奈良より出(い)でて 水蓼(みずたで) 穂積に至り 鳥網(となみ)張る 坂手を過ぎ 石(いは)走(ばし)る 神名火山(かむなびやま)に 朝宮に 仕え奉(まつ)りて 吉野へと 入り坐(ま)す見れば 古(いにしへ)思ほゆ(― 奈良から出て穂積に至り、坂手を過ぎて、明日香の神名火山でわれわれが朝のお宮でお仕えして、わが君が吉野へおいでになるのを見ると、吉野へ度々の行幸のあった昔のことが思われる)月日(つきひ)は 行きかはれども 久(ひさ)に經る 三諸(みもろ)の山の 離宮地(とつみやところ)(― 年月は行き変わり行きかわりして過ぎていくけれども、長い時を経てなお変わらない三諸の山の離宮よ)斧(をの)取りて 丹生(にふ)の檜山の 木折(こ)り來(き)て 筏(いかだ)に作り 二楫(まかぢ)貫(ぬ)き 磯漕ぎ廻(み)つつ 島傳(つた)ひ 見れども飽かず み吉野の 瀧(たぎ)もとどろに 落つる白波(― 斧を取って丹生の檜山の木を切り出して、筏に作り、その筏の左右に櫓をつけて磯を漕ぎめぐりながら、島伝いして見ても飽きない事だ、み吉野の激流を轟かして落ちる白波は)み吉野の 瀧(たぎ)もとどろに 落つる白波 留(とま)りにし 妹(いも)に見せまく 欲(ほ)しき白波(― み吉野の激流を轟かして落ちる白波の美しさよ、都に留まった妹に見せたいと思う白波の美しさよ)やすみしし わご大君 高照らす 日の皇子(みこ)の 聞こし食(め)す 御饌(みけ)つ國 神風(かむかぜ)の 伊勢の國は 國見ればしも 山見れば 高く貴(たふと)し 川見れば さやけく淸し 水門(みなと)なす 國もゆたけし 見渡す 島も名高し 此(ここ)をしも まぐわしみかも 掛けまくも あやに恐(かしこ)き 山邊(やまのべ)の 五十師(いし)の原に うち日さす 大宮仕(つか)へ 朝日なす まぐはしも 夕日なす うらぐはしも 春山の しなひ榮えて 秋山の 色なつかしき ももしきの 大宮人(おおみやひと)は 天地と 日月と共に 萬代(よろづよ)にもが(― わが大君、日の皇子がお治めになる御饌・みけ の国である伊勢の国は、国の様子を見ると立派で、山を見ると高く貴い。川を見ると冴え渡って清らかである。水門を作る海もゆったりと広い、見渡す島も有名である。此処をこそ麗しい所と思ってか、口に出して申し上げるのも恐れ多い山辺の五十師の原に、大宮仕えをしている。まことに朝日のように麗しく夕日のように美しいことよ。春の山のように繁り栄え、秋の山のように彩が心をひきつける大宮人は、天地とともに、日月とともに万代までも栄えて欲しいものである)山邊(やまのべ)の 五十師(いし)の御井(みゐ)は おのづから 成れる錦を 張れる山かも(― 山辺の五十師の原の御井は、おのずから出来た錦を張った山であることよ)そらみつ 倭(やまと)の國 あおによし 奈良山越(こ)えて 山代(やましろ)の 管木(つつき)の原 ちはやぶる 宇治の渡(わたり) 瀧(たぎ)つ屋の 阿後尼(あごね)の原を 千歳(ちとせ)に 闕(か)くる事なく 萬歳(よろづよ)に あり通(かよ)はむと 山科(やましな)の 石田(いはた)の社(もり)の すめ神に 弊帛(ぬさ)取り向けて われは越え行く 相坂山(あふさかやま)を(― 大和の国の奈良山を越えて、山代の管木の原、宇治の渡、滝の屋の阿後尼の原を、何時までも欠かさずに永久に通いたいと、山科の石田の神社の神に弊帛を手向けて私は越えて行く、相坂山を)あをによし 奈良山過ぎて もののふの 宇治川渡り 少女(をとめ)らに 相坂山に 手向草(たむけくさ) 糸取り置きて 吾妹子(わぎもこ)に 淡海(あふみ)の海の 沖つ波 來寄(きよ)る濱邊を くれくれと 獨りそ來る 妹が目を欲(ほ)り(― 奈良山を過ぎて、宇治川を渡り、相坂山に手向けの糸を供えて、淡海の海の沖の波の寄せる浜辺を、私は独りで、暗い気持ちでやって来る、妹の顔を一目見たいと)相坂を うち出(で)てみれば 淡海(あふみ)の海 白木綿花(しらゆふはな)に 波立ち渡る(ー 相坂山を打ち越えて出てみると、眼下に淡海の海が開け、白い木綿花のように波が一面に立っているのが見渡される)近江の海 泊(とまり)八十(やそ)あり 八十島の 島の崎崎(さきざき) あり立てる 花橘を末枝(ほつえ)に 黐(もち)引き懸(か)け 中つ枝(え)に 斑鳩(いかるが)懸け 下枝(しづえ)に ひめを縣け 己(な)が母を 取らくを知らに 己(な)が父を 取らくを知らに いそばひ居(を)るよ 斑鳩(いかるが)とひめと(― 近江の海には舟着き場が沢山ある。また島も沢山ある。その島の崎々にずっと立っている花橘の枝の上にモチをかけ、中の枝にイカルガを囮にかけ、下の枝にはヒメを囮にかけて、イカルガとヒメの父や母を取ろうとしていることを知らないのでイカルガとヒメとは戯れて遊んでいることよ)大君の 命(みこと)畏(かしこ)み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 眞木(まき)積(つ)む 泉の川の 速(はや)き瀬を 竿さし渡り ちはやぶる 宇治の渡(わたり)の 瀧(たぎ)つ瀬を 見つつ渡りて 近江道(あふみぢ)の 相坂山(あふさかやま)に 手向(たむけ)して わが越え行けば 樂浪(ささなみ)の 志賀の韓崎(からさき) 幸(さき)くあらば また還(かへ)り見む 道の隈 八十隈(やそくま)毎(ごと)に 嘆きつつ わが越え行けば いや遠(とほ)に 里離(さか)り來(き)ぬ いや高に 山も越え來(き)ぬ 劔刀(つるぎたち) 鞘ゆ抜き出でて 伊香胡山(いかごやま) 如何(いか)にかわが爲(せ)む 行方(ゆくへ)知らずて(― 大君のご命令を畏んで見飽きることのない奈良山を越え、真木を積む泉川の速い瀬を竿をさして渡り、宇治の 渡の激流の瀬を見ながら渡り、近江街道の相坂山に手向けをして旅の安全を祈りながら行くと、ささなみの志賀の韓崎が見えてくる。もし元気であったら再び戻ってこの美しい風景を眺めよう。道の多くの曲がり角毎に嘆きつつ私が過ぎていくと、いよいよ遠く人里も離れてきた。いよいよ高く山も越えてきた。私はどうしよう、自分の行く方向も分からないで)天地を 嘆き乞ひ禱(の)み 幸(さき)くあらば また還(かへ)り見む 志賀の韓崎(― 天地の神々に切に願い、叩頭して祈り、もし無事であったら、また戻ってきて眺めよう、この志賀の韓崎の美しい風光を)
2024年08月27日
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第八十九聯では、君が私を捨てたのは、私が過ちを犯したからだと言うが良い、私自身がその罪悪をいちいち講釈して見せようから。私は足萎えだと主張したまえ、直ちにその通りに足を引きずってやりもしようよ、誰が君の言い分に逆らったりするものか、愛する者よ、素晴らしい、何物にも代え難い宝物よ、君が心変わりを取り繕うのに、どれほど悪しざまに私を罵ろうとも、君の心を察知して私が自身に悪態をつく表現にはとても及ばないだろう。私は内心の親しみの感情を無理にも押し殺して、素知らぬ顔をしても見せよう。君がしょっちゅう出入りする場所は極力避けるのは勿論のこと、愛する懐かしいその名前を口にすることも止めよう。余りにも賤しい私が君の名前を傷つけたり、うっかり昔の仲を口にしたりしてはいけないからね。君の名誉のために私はこの私自身と戦うことを誓おう。私は君が憎んでいる男、この私自身を愛しては断じてならないのだからね。 第九十聯、だから、君、君が私を憎みたいと思うのなら、思う存分に憎んでくれたまえ、それもいっそなら、今がいい。今は世間が私のすることなすことにケチをつけ邪魔をするからね、君もこの運命の悪意を利用して、私を屈服させるといい。忘れた頃になって、後から不意に襲いかかって痛い目に遭わせてくれるな。ああ、君よ、君、ああ。私の心がこの苦しみから逃れた時に征服し終えた嘆きの後備えよろしく、突然に現れるのはやめてくれないか。風吹く夜が明けて、雨降る朝となるのは何とも侘しくて堪らないからね、私を破滅させようと意図しているのなら、ぐずぐずしないでひと思いに止めを刺してくれ。そして捨て去るのなら、他のけちな諸々の悲しみが私を苦しめ抜いてから、最後に捨てるのだけは後生だから止めてくれ。いっそ先陣に立って私を攻撃してくれ、そうすれば、悪意ある運命の最悪の痛手を最初に味わえようと言うものだ。他の苦しみなどは、君を失うことに較べたら何ほどでもない、何でもないからね、君、ああ、君よ、私が既に心の中で滴らせている鮮血が見えるだろうか、愛する君よ。 第九十一聯、世の中では、或者は家柄を誇りにする、或る者は知識を、そして或る者は富と財産を、また或者は体力を、或者は衣服を、最新流行の俗悪趣味なのだがね、そして又或者は鷹や猟犬を、或者は馬を自慢する。各々が気質に応じて自分の楽しみを見つけ出し、それが他の何よりも気に入ってしまう。だが、こういう個々別々の楽しみは私の性には合わない。私は既に全てを含み包む最善の物を所有してしまっているから、それらを超えるのだ。私には君の愛の方が高貴の生まれよりもいい、それは莫大な富などよりも優に豊かだし、値の張る高価な衣服よりも素晴らしい。鷹や馬などよりもずっと大きな楽しみを与えてくれる、君さえいれば、あらゆる人が誇りとする、例えば古代ギリシャの文人が愛した対象のような高雅なる物、を自慢出来るのだよ。ただ、惨めなのは、君、君、実に惨めなのは、君がこの全てを奪って私を惨め極まる悲惨な目に遇わせるのでは、と言う不安のせいだ。 第九十ニ聯、だが、君が私から逃げようとしてどのような仕打ちに出ようとも、私のこの命が続く限りは、君は、この世の最善最高の宝物は、確実に私だけのものだ、また、私の命は君の愛情よりも長く生きることはないだろう、何しろ、君の愛に頼りきっているのだからね。ほんのすげない素振りだけでも私の儚い命は絶えてしまうのに、今更に最悪の事態の到来を恐れる必要などあるはずもない。君の気まぐれな気分次第でいちいち変わってしまう不安極まる生活より、ずっと増しな地位が私のものになるのだから。もう、君の気まぐれが私を苦しめることはない、裏切られたら、その時限りで私の命は終わるのだから。ああ、ああ、君よ、愛する者よ、ああ。何と言う幸福を私は手に入れるのだろうか、君に愛される至福と、死と言う最高の幸福と。だが、美しく恵まれたものにも滲みは付くものだ、君が陰でする不実を私が知らずにいることもある。 第九十三聯、つまり言ってみれば私は寝取られ亭主みたいなもので、君の真実を信じて生きることになる、心変わりをしても上辺はやはり、私を愛していると見えもしよう。君の顔はそばにあっても、心はよそにあるわけだ。君の美しい目に醜悪な憎悪が住まうことはありえないからね。私には君の心変わりを知る手立てがまるでない、普通なら、不機嫌な表情や、しかめ面や、すげない皺が、不実な心の内実を顔に書くけれど、天なる創造主は君を造る時に布告を出して、この顔には常に優しい愛が宿るべしと申された。つまり、君の思いや心の働きがどうであれ、顔に現れるのはただ優しさだけ、と仰ったのだ。もし君の美徳が容貌と釣り合わなければ、その美しさはイヴの林檎、外見は美味しそうだが中は灰色、そっくりになるのだ。 第九十四聯、他人を傷つけようと思えばその力がある、傷つけようとはしない人たち、つまり、外見(そとみ)は一癖ありげだが、何も危害を加えぬ人々、人の心を動かしはするが、自らは石のようにどっしりと動かずに、冷たくて、誘惑に負けぬ人達、こういう人達は、誠に、天の恩寵に恵まれて、自然の与えた富を徒に浪費せずに、慎ましく用いる者である。彼等は己の顔の主人であり、持主であるが、他の者等はその優れた資質の管理人に過ぎない。夏の花は、たとえ、種を結ばないでひっそりと枯れていくにしても、夏には甘い香りを周囲に撒き散らす。だが、もしもこの花が賤しい疫病にかかれば、どんな卑しい雑草よりもみすぼらしい姿を晒す。如何に美しいものでも行為次第では忌まわしい下卑た存在に堕す、腐った百合は毒のある雑草よりも更に酷い悪臭を放つように。 第九十五聯、君は恥辱を何と優しく、愛すべきものに変えてしまうのか、そいつは香り豊かな薔薇に喰い込む青虫の如くに、華麗に咲き綻びかけた美しい名前に傷をつけるのに。ああ、君よ、君は罪の行為を何と甘い歓喜に包み込んでしまうのか。君の日々の振る舞いを物語り、君の愛の戯れに、いちいち、妄りがましい注釈をつける奴も、謂わば、称賛の形でしか非難することしか出来ないのだよ。君の名前さえ出せば、悪評も忽ちに祝福されてしまうからね。ああ、この悪徳共は何と素敵な住み家を手に入れたことか。何しろ、ほかの誰でもない君を住居に選んだのだからね、ここなら、美のヴェールがあらゆる汚点を覆い隠し、目に見える物すべてを美しく変えてしまう。ああ、愛する者よ、君よ、最愛の美人よ、こういう気ままな特権には心したまえ、どんなに硬いナイフでも、使いすぎれば刃が鈍るのだよ。 第九十六聯、君の欠点を若さだと言う者も、色好みの性(さが)だと言う者もいる、君の魅力は若さと大様な遊びっぷりだ、そう言う者もいる。魅力であれ、欠点であれ、身分の別なくみんなから愛されている、君は自分のもとに集まる欠点を素晴らしい魅力に変えてしまうからね。豪華な玉座にある女王様がはめていれば、どんな安物の宝石でも立派に見えるだろうよ。君に見られる通常の過ちでも、同様に正しい行為に変じて、本物と鑑定されることになる。残忍な狼が柔和な羊に身を変えて、羊の群れに近づくことがあれば、どれほどに多くの羊を欺き捕らえるか知れない。君が自分の魅力を思いのままに操れば、どれほど多くの賛嘆者達を迷わせることになるか。そんなことは絶対にやめてくれ、私は君を心底愛しているから、君だけでなく、君の名声をも我が物にしたい。 第九十七聯、過ぎてゆく年に歓びをもたらす者よ、君よ、君と別れていた間は、まるで冬のように思えたものだ、どれほど凍える思いをしたことか、どんなに暗く辛い日々を送ってきたことか、何処も彼処(かしこ)も老いさらばえた十二月のうそ寒さばかり、所が、君と離れていたこの時期は輝かしい夏のさなかだったのだ、多産な秋は、豊かな実りを結んで、大きな腹を抱え、浮気な春の子供らを孕んでいた。まるで、亭主が死んだあとの後家の腹みたいに。しかし、この豊穣な子供等も孤児の定めを背負った暗い、父親知らずの実りのように私には思われた。何故なら、夏と、その喜びとは君に付き添っているので、君がいなければ鳥でさえ押し黙ってしまうからだ。たとえ鳥が歌っても、あまりに暗い心で歌うから、木々の葉も冬の到来かと怯え、色あせてしまう。 第九十八聯、春の間、私は君から離れて過ごした、色鮮やかな四月が晴れ着で飾り、あらゆるものに青春の息吹を吹き込んだので、陰気な老人のサターンも不気味な笑い声を上げて、一緒に踊りまわっていた。だが、鳥の歌声を聞いても、色も香もとりどりに咲く花々の甘い匂いをかいでも、私は夏向きの楽しい話を語る気にはなれなかったし、咲き乱れる花床から美しい花を摘む気にもならなかった。百合の花の白さを愛でることもなく、薔薇の深い赤みを褒めることもなかった。これらは芳香を放つだけのもの、要するに、君をなぞった快いただの模写にしか過ぎない、君が全ての手本なのだからね。ともかく、まだ冬の感じがしていた。そして、君がいないから私はそれらと遊び戯れた、君の影と戯れるようにね。 第九十九聯、私は早咲きのスミレをこう言って叱りつけた、美しい盗人よ、お前はそのこよなく甘い香りを何処で盗んだのか、わが愛する最愛の青年の芳しい息から掠め取ったに相違あるまいよ。その柔らかな頬に宿る華やかな色彩も、明らかに、我が愛する者の血管に浸して染めたものだ、と。更には私は君の手の白さを盗んだと言っては百合を詰り、君の髪を奪ったと難癖をつけて、シソ科で芳香を放つマヨラナの蕾をそしった。薔薇の花は恐れ戦きながら棘の座に咲いていた、或るは恥に赤らみ、或るは絶望のあまりに蒼白になって、赤でも白でもない第三の薔薇は両方の色を盗み、おまけに君の息まで我が物にしたが、盗みの報いを受け、若々しい花の盛りに復讐を目指す青虫に食い荒らされて死んだ。私はもっと多くの花を眺めたが、どれも、君から香りや色を盗んで来たとしか見えなかった。詰まり、この世の美しいもの、芳しいものは全て君に由来するとしか私には思われないのだ、繰り返して言うのだが、そうとしか信じられない、考えられない程に君は浮世離れした天上の清浄な美の贅を尽くして存在している、そうとしか思えないし、見えない。全宇宙の美がことごとく君に集中し、収斂しているのだからね。 第百聯、わが詩の女神は一体、何処へ行ってしまったのだ、この私に力の一切を与え、夢の広大な世界を恵んでくれたものについて、こんなにも長いあいだ、語るのを忘れていてよいのか、詰まらぬ俗受けする端唄を作るのに詩の霊感を使い果たし、卑しい主題に光を当てるのに力を燃やし尽くしたのか。戻ってこい、戻って来るのだ、忘れっぽくて気まぐれな女神よ。今すぐに高貴な詩を創り、虚しく過ごした空白の時を贖え、お前の歌を珍重してくれるもの、お前の筆に技量と主題とを与えるものの耳に、歌いかけるがよい。怠惰な詩の女神よ、起きて、我が愛するものの顔を眺め、時が皺を刻みつけたか否かを調べるがいい。もし醜悪な皺があれば、衰退を嘲笑う詩を書け、時の行った破壊行為をして、世間のつまはじきにしてしまえ。非情な時が生命を滅ぼす前に、愛する者に更なる名声を添えてやれ、そうすれば、冷酷無情の時の忌まわしい大鎌を出し抜くことになるからね。 詩人は愛する青年の完全無比の美と完成を永遠のものとは見ていない、移ろいやすく、儚い一過性のものとみなしている。時と言う平等で公平な破壊作用はこの世のもの全てに決定的な影響を及ぼさないではおかない。それゆえに美は価値をまし、完璧は愛おしさを倍加する。永遠とは退屈であり、無価値であり、忌まわしい。ほんの一瞬間に現出するからこそ限りもなく大切なのだ、無限なのだ、無尽蔵なのだ。永遠は一瞬の輝きの中にしか真の美しさを演出し得ない。造花の永続性などを誰が珍重するだろう、人は変化し、一瞬にして死ぬ。だから、それ故に愛おしく懐かしく大切なのだ。その間に火花として恋情が迸る。稲妻として宙を奔る。今が限りもなく大切な時と改めて実感させられる。
2024年08月24日
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澪標(みをつくし) 心盡(つく)して 思へかも 此處(ここ)にももとな 夢(いめ)にし見ゆる(― 心を尽くして妻が私を思うからか、ここでも妻の姿がしきりに夢に見える)吾妹子(わぎもこ)に 觸るとは無しに 荒磯(ありそ)廻(み)に わが衣手(ころもで)は 濡れにけるかも(― 私の袖は吾妹子に触れることはなくて、荒磯の廻りで私の袖は濡れてしまった)室の浦の 淵門(せと)の崎なる 鳴島(なきしま)の 磯越す波に 濡れにけるかも(― 室の浦の瀬戸・海や川が陸や島や岸の間で狭くなっている所 の岬にある鳴島の磯を越す波に濡れたことである)霍公鳥(ほととぎす) 飛幡(とばた)の浦に しく波の しばしば君を 見むよしがも(― 飛幡の浦に寄せる波のように、しばしばわが君を見る縁があればよいのに)吾妹子を 外(よそ)のみや見む 越(こし)の海の 子難(こがた)の海の 島ならなくに(―吾妹子を傍から眺めているだけなのであろうか、吾妹子は、近づきがたい越しの海の子難の海の島だというわけではないのに)波の間ゆ 雲居に見ゆる 栗島の 逢はぬものゆゑ 吾(わ)に寄(よ)する兒ら(― 逢いもしないのに、人々が私と親しいように噂を立てるあの子よ)衣手の 眞若(まわか)の浦の 眞砂子(まさご)地(つち) 間無く時無し わが戀ふらくは(― 和歌の浦のマナゴ地と言うように、マナく、止む時もない、私の恋しく思うことは)能登(のと)の海に 釣する海人(あま)の 漁火(いざりび)の 光にい往(い)け 月待ちがてり(― 能登の海で釣りをする海人の漁火の光を頼りに行きなさい、一方では月の光を待ちながら)志賀(しか)の白水郎(あま)の 釣し燭(とも)せる 漁火の ほのかに妹を 見むよしもがも(― 福岡県の志賀の海人が釣りをして灯している漁火のように、ほのかにでも妹を見る手立てが欲しいものだ)難波潟(なにはがた) 漕ぎ出(で)し船の はろばろに 別れ來ぬれど 忘れかねつも(― 難波潟を漕ぎ出た船のように、別れて遥か遠くに来たけれど、妹を忘れることが出来ない)浦廻(うらみ)漕ぐ 熊野(くまの)舟(ふね)着き めずらしく 懸(か)けて思はぬ 月も日もなし(― 浦廻を漕ぐ熊野舟が着いて珍しいように、もっと見たくて、あなたを心にかけて思い出さない日は、一日もありません)漁(いざ)りする 海人(あま)の楫の音(と) ゆくらかに 妹(いも)は心に 乗りにけるかも(― 漁をする海人の櫓の音がゆるやかに聞こえてくるように、私はゆったりと妹の心に乗っている) 恋心が切迫すればするほど胸が締め付けられて切ない思いが迸り出るものですが、この歌の作者は通常とは逆を行って、緩やかに、安心しきって妹の心をわが物と心得、安心立命している、実に立派であり、こうありたいものと誰もが願わずにはいられない理想の恋の在り方。平凡で、日常的で、平易であるが、なかなかこうした安定して安らかな恋の情緒にはたどり着けない。羨ましい限りでありまする。若の浦に 袖さへ濡れて 忘貝 拾へど妹は 忘らえなくに(― 和歌山県の若の浦で袖まで濡れて恋忘れ貝を拾ったけれど、恋しい妹は忘れられない)草枕 旅にし居(を)れば 刈薦(かりこも)の 亂れて妹に 戀ひぬ日は無し(― 旅に出ているので、心が乱れて妹を恋しく思わない日はない)志賀(しか)の海人(あま)の 磯に刈り干(ほ)す 名告藻(なのりそ)の 名は告(の)りてしをなにか逢ひ難き(― 私は名をお教えしたのに、どうしてお会いするのが難しいのでしょうか)國遠み 思ひな侘(わ)びそ 風の共(むた) 雲の行くなす 言(こと)は通はむ(― 旅に出て国が遠いからとてあれこれ考えて力を落としなさいますな。風に連れて雲が流れていくように便りを致しますから)留(とま)りにし 人を思ふに 蜻蛉(あきづ)野(の)に 居(ゐ)る白雲の 止(や)む時も無し(― 家に残った人を思うと、蜻蛉野にかかる白雲が消える時がないように、私の思いは止む時がない」うらもなく 去(い)にし君ゆゑ 朝な朝な もとなそ戀ふる 逢うとは無けど(― 平気で行ってしまったあなただけど、朝な朝なに無性に恋しく思います。お逢いするというのではありませんが)白栲(しろたへ)の 君が下紐 われさへに 今日結びてな 逢はむ日のため(― 白栲のあなたの下紐を私までも手を添えて今結びましょう。再びお逢いする日のために)白栲(しろたへ)の 袖の別れは 惜しけども 思ひ亂れて ゆるしつるかも(― 袖を別って離れ離れになるのは惜しいけれども、私は心が乱れて、別れたいと言うあのお方を許してあげた)京師邊(みやこべ)に 君は去(い)にしを 誰解(たれと)けか わが紐の緒の 結(ゆ)ふ手たゆしも(― 都へ我が君は行ってしまわれたのに、誰が解くからか、私の下紐の緒の結び目を結ぶ手がだるいほどです。あなたが私を思って下さるので、紐の緒が自然に解けるのでしょう)草枕 旅行く君を 人目多み 袖振らずして あまた悔(くや)しも(― 旅に出るあなたを、人目が多いので袖を振らずじまいだったのが大変後悔されます)眞澄鏡(まそかがみ) 手に取り持ちて 見れど飽かぬ 君におくれて 生(い)けりとも無し(― いくら見ても飽きないあなたに残されて生きた心地もしません)曇(くも)り夜の たどきも知ぬ 山越えて 往(い)ます君をば 何時(いつ)とか待たむ(― その様子も分からない山を越えていかれる我が君を、私は何時お帰りとお待ちしたらよいのでしょうか)たたなづく 靑垣山(あをかきやま)の 隔(へな)りなば しばしば君を 言問(ことど)はじかも(― 青い垣根のような山々が隔てとなったならば、しばしばあなたに手紙を差し上げることは出来ないでしょうか)朝霞 たなびく山を 越えて去(い)なば しばしば君を 言問(ことど)はじかも(― 朝霞の棚引いている山を越えていったなら、私はあなたを恋しく思うことであろう。お逢いする日まで)あしひきの 山は百重(ももへ)に隠すとも 妹(いも)は忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに(―山が百重にも隠そうとも、妹を私は忘れないであろう。再び直接逢う日まで)雲居なる 海山越えて い行きなば われは戀ひむな 後は逢ひぬとも(― 遥かな海山を越えて行ってしまわれたら、私は恋に苦しむだろうな。将来きっとお逢いするにしても)よしゑやし 戀ひじとすれど 木綿間山(ゆふまやま) 越えにし君が 思ほゆらくに(― もう諦めて慕うまいと思うけれど、木綿間山を越えていった我が君が思い出されてなりません)草陰(くさかげ)の 荒藺(あらゐ)の崎の 笠島を 見つつか君が 山道(やまぢ)越ゆらむ(― 荒藺の崎の笠島を見ながら、我が君は今頃山道を越えておいでであろうか)玉かつま 島熊山の 夕暮に 獨りか君が 山道(やまぢ)越ゆらむ(― 島熊山の夕暮にあなたは一人で山を越えておいでであろうか)息の緒に わが思ふ君は 鶏(とり)が鳴く 東方(あづま)の坂を 今日か越ゆらむ(― 命の綱と私が思うわが君は、東国の険しい坂を今日は越えておいでであろうか)磐城山(いはきやま) 直(ただ)越(こ)え來(き)ませ 磯崎(いそさき)の 許奴美(こぬみ)の濱に われ立ち待たむ(― 磐城山を真っ直ぐに越えておいでなさい。磯崎のコヌミの浜に私は立ってお待ち致します)春日野(かすがの)の 淺茅が原に おくれ居て 時そとも無し わが戀ふらくは(春日野の浅茅が原に残されて、私はいつも恋に焦がれています)住吉(すみのえ)の 岸に向かえる 淡路島(あはぢしま) あはれと君を 言はぬ日は無し(―あなたに、ああ、と呼びかけない日はありません)明日よりは 印南(いなみ)の川の 出でて去(い)なば 留(とま)れるわれは 戀つつそあらむ(― あなたが明日から旅に出ていなくなったならば、残った私は恋しく思い続けることでしょう)海(わた)の底 沖は恐(かしこ)し 磯廻(いそみ)より 漕ぎ廻(た)み行かせ 月は經るとも(― 海の沖は恐ろしゅう御座いますから、岸近くの浦廻を漕ぎ巡っておいでなさい。時が多くかかろうとも)飼飯(けひ)の浦に 寄する白波 しくしくに 妹(いも)が姿は思ほゆるかも(― 兵庫県のケヒの浦に白波がしきりに押し寄せるように、しきりに妹の姿が思い出されることだ)時つ風 吹飯(ふけひ)の濱に 出で居つつ 贖(あか)ふ命は 妹が爲こそ(― 吹飯の浜に出てみそぎをして、命が長いように祈るのは、全く妹のためなのです)柔田津(にきたつ)に 舟乗(ふなの)りせむと 聞きしなへ 何そも君が 見え來(こ)ざるらむ(― ニキタツで船に乗って帰るとお聞きするとともに、お待ちしていますが、どうしてわが君はお見えにならないのでしょうか)みさごゐる 渚(す)にゐる舟の 漕ぎ出(で)なば うら戀(こひ)しけむ 後は逢ひぬとも(― みさごのいる渚にいる舟が漕ぎ去るように、あなたが去ったならば、心の内で恋しく思うでしょう。後では必ず逢うとしても)玉鬘(たまかづら) さきく行かさね 山菅(やますげ)の 思ひ亂れて 戀ひつつ待たむ(― 御無事でいっていらっしゃい、私は思い乱れてお慕いしながらお待ち致します)おくれ居て 戀つつあらずは 田子の浦の 海人(あま)ならましを 玉藻刈る刈る(― 後に残されて恋しく思っていずに、ああ、田子の浦の海人だったらよかったのに。玉藻を無心に刈り続けて)筑紫道(つくしぢ)の 荒磯(ありそ)の玉藻 刈るとかも 君は久しく 待てど來まさぬ(― 筑紫からの帰路、荒磯の玉藻を刈っていると言うのだろうか、わが君は久しくお待ちしてもお見えにならない)あらたまの 年の緒ながく 照る月の 飽かざる君や 明日別れなむ(― 年月長く見ていても飽きない月のように、見飽きることのないあなたに、明日お別れするのでしょうか)久にあらむ 君を思ふに ひさかたの 清き月夜(つくよ)も 闇(やみ)のみに見ゆ(― 長い旅路にお出かけになるあなたを思うと、清い月の光も全く闇のように見えます)春日(かすが)なる 三笠の山に ゐる雲を 出(い)で見るごとに 君をしそ思ふ(― 春日の三笠の山にかかっている雲を家から出て見る毎に、遠いあなたを思います)あしひきの 片山雉(かたやまきぎし) 立ちゆかむ 君におくれて うつしけめやも(― 旅に立つあなたに残されて、正気でいられましょうか)
2024年08月22日
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第八十一聯、私が長命して君より長生きして、君の墓碑銘を書くような悲惨な運命に見舞われたら、或いは順運で、君が生き残り、私が土の中で朽ち果てようと、死に神がこの詩作から君の誇るべき思い出を奪うことは出来ない。まあ、私の才能などが綺麗さっぱりとこの世から忘れ去られるとしてもだ。私があの世に行けば、世間からも死んで消えるが、君の名前はこれからは不滅の生命を勝ち得る、大地は私には粗末な墓の一つもあてがうに過ぎないけれども、君は人々の眼の中に埋葬されるだろう、つまり、君の墓碑とはこの私の高雅な傑出した詩なのだよ、まだ生まれていない人人の眼がいずれはこれを、比類なく素晴らしい詩歌を読む。今この世に生きている人々が全て死に絶えたとしても、やがて生まれ出てくる舌が、口々に古今に絶した比類なく素晴らしい人柄を語り継ぎ、誉めそやす。そう、ああ、君よ、君は当然のこととして永遠に輝かしく太陽や月や、星々のごとく生きる、光り輝く。そういう力が私の筆にはあるのだからね。生命の息が最も晴れやかに息づく場所、人々の口に、舌に生き、語り継がれる、間違いなくだ。 何という傲岸不遜で神をも恐れぬ自信であろうか、私などは一応そう驚嘆しておきましょうか、天才は己の天才を疑う術を与えられていない、当たり前なのだ、ことごとく傑出して人力を遥かに超越仕切ってしまっている彼に、白を白としか言えない。当たり前の事なのだが、私のような凡人には天才の非凡さを、その一端を垣間見るのが精一杯で、驚嘆するのみ。天才とは己の大胆不敵さに居直る権利と言おうか、自然な振る舞いが許されている。大胆でも、不遜でもないのだ。 第八十二聯、成る程、そうだよ、君は私の信奉する詩神と結婚したわけではない、だから、他の才能あるとうぬぼれている詩人達が君の類希な美貌を種に賛辞を書き連ねると、それにいちいち丁寧に目を通して、どの詩集にも祝福を与えるのは、別に恥ではない。君は容姿や外見のみならず、学識や知識にも優れているから、自分の才質は私の称賛などを遥かに超えている、という気にもなるだろうね。それゆえに、今日の日進月歩の時代からもっと新しく斬新な作品を新たに手に入れたい、と言う思いに駆られもしようし、それも無理からぬ事と私は承認しようよ。そう、そうしたまえ、愛する君よ、君よ。しかし、彼等が頭を絞り、捻り、いくら修辞法をいじくりまわし、持って回った言い方をしても、真実に美しい者よ、我が最愛の若者よ、君は、この真実を率直に語る私という、友の、平明真実な言葉の中でこそ、真に、あるがままに描かれよう。当世はやりの厚化粧は、頬の血の気が失せてしまっている人には有効だろうが、少なくとも君に使うのは場違いだし、見当違いだよ。 筆舌に絶した美しさを言葉で表現する、この本当のパラドックスを詩人は冒頭部分で述べてしまっている。この上に何を重ねて述べる必要があろうか、詩人はライバルで才能豊かな若い詩人たちを睥睨して、歯牙にもかけようとしない。青年に必要な忠告をやんわりと投げかければそれでよい。だから、そうしている。何たる自信であろうか、私などはただただ驚嘆するばかり、天才には天才にしか言えない言葉しか表出出来ないわけで、美貌の青年紳士に理想の自己を見、人間の最高の在り方を見出している。してみると、これは私・古屋が自分に語るのですが、シェークスピアという劇作家兼不世出の詩人は現世での社会規範や階級などを超越して、人類史上に燦然と輝く最高にして最優美な人間神なのだと、このソネット群を通じて高らかに宣言しているわけで、彼自身は自覚していなかっと思われるのですが、事実上はキリストを越える現人神として自分は時代を越えて不滅だし、永遠に生き続けると断言している、確かに。私の表現が誇張でもオーヴァーでもないことがお分かりいただけるでしょうか。とにかく、名実ともにシェークスピアなる天才は凄いお人なわけでありまする。 第八十三聯、私はいまだかつて君に化粧が必要だと思ったことは一度もない、だから、君の美貌に化粧を施そうとしたこともない、必要のないことだからね。流行の詩人が、君の恩義に報いようとて下手な賛辞を捧げても、当人はそうは思っていないだろうがね、君はいつだって彼等の表現を超えていたよ、少なくとも私は、そう思った。私が君を誉めそやすのに怠惰であったのは、君と言う人間が此処に実在していれば、平凡で並みの筆が君の美質を語ったとしても、君の中に生きて光り輝いている美質に遠く及ばないから、それが直ぐに透けて見えてしまう、君は、最愛の愛人よ、君は私の沈黙を私の罪と見做したようだが、黙して語らぬことこそは私の最大の誇りに化するしかないのだよ、君、君。何故とならば、言わずもがななことを付け加えるなら、私は口を噤んだからこそ美を汚すことはなかったけれど、他の連中は生命を与えるつもりで結局は墓を建ててばかりたのだからね。君のその、美しい眼の一つにも、少なくとも売れっ子のふたりの詩人が散々に頭をひねって捻り出したヘボ賛辞よりも、ずっと強い素晴らしい生命が生きている、現に。それは誰の目にも明らかだよ。 第八十四聯、世界でどんなに巧みな詩人でも、この世でただひとり君だけが、君がただひとりでいる時だけが本来の君でいられるのだから、この素晴らしい君という豊かに称賛に勝る言葉を言い当てられるのだよ、君に匹敵するような者が育つ場所を例に挙げようにも、そういう立派な品種は君という特別の囲い地の中にしか見られない、詩歌の対象にちっぽけな栄光をさえ与えられないのであれば、そんな筆には貧弱極まる力しかない。だが、君、君、君を書く詩人は、君が君であるという事さえ言えば、それだけで立派に、己の作品に栄光を与える事になる。詩人は君の中に書かれてあるものだけを単に写せばよい、自然がかくも鮮明に浮き上がらせている物を下手に弄る必要はない、こういう複写ならば、その詩人の才能を世間に広めてもくれようし、その文章もいたるところで称賛されるだろうよ。君は当然のことながらに賛辞を好むから、美貌才質と言う天来の祝福にどうしても呪いを招く結果になるし、称賛も度重なると必然として安物に堕してしまう。 第八十五聯、私の以前から信奉している詩神・ミューズはもうだいぶ前から金縛り状態に陥ってしまっていて、慎ましく沈黙を守っているのだが、一方では、君を称える山のような文章が修辞も華やかに、詩の女神達が総がかりで彫琢した世にも珍奇な言葉を連ね、自称「黄金の筆」を以て次から次へと書き綴られていく。かくて、他の詩人たちは結構な言葉を書くのだが、私の方はと言えば密かによい想いを胸に抱くだけ、才人が洗練された筆を縦横に揮い、形を整え、とことん磨き上げて君に捧げる賛美の歌のひとつひとつにも、無学で気のきかない田舎の教会書記宜しく、「アーメン」、斯くてあれかし!と叫び続けるだけなのだ、今の私は。しかし、君が褒められるのを耳にすれば、「さよう、誠にしかり」と心の中で唱えて、称賛の頂点に、又、何ほどかの称賛の言葉を加えては見るのだが、それは飽くまでも心の中でだけのこと、つまり、言葉では皆に遅れをとっても、心の中ではいつだって君への愛は先頭を切っているのだよ。だから君、他人には雄弁さのゆえに目をかけてやりたまえ、そして、私には、喋っているのと変わらないこの静謐な沈黙の故に、全身全霊を傾けてくれたまえ、ああ、愛しの君よ、君よ。 いつの時代でも、どのような場合でも、沈黙は雄弁、駄弁に遥かに勝るのであります。声無き声こそは真実の言葉なのですからね。詩人は、天才詩人の名に値する彼は、言葉を心の中だけに溜め込もうとしているかのようであります。真実に愛する人の前で、言葉は役に立ちませんよね、言葉以上の情念が、愛情のほとばしりが稲妻の如く宙を走るだけ、相手だって、同じ事、魂のアンテナで、心の宇宙の真っ只中で同じように激しく火花散らして受け止めるだけです、愛とはそうしたもの、詩歌とはその火花の火の粉でしかない、それを私ども鑑賞者は心得てさえいれば事足りる、自分の心の中に竜神が駆け巡るさまを感じ取ればよい。表現は二の次でありましょう。なんで他人である詩人の切ない感情が我々に伝わるのか、そもそも「他人」などではないからであります。詩人は即ち私であり、私は詩人なのですね。シェークスピアの詩を鑑賞するとは私たちが彼に同化することを意味します、虚心坦懐に接すればイナズマは、龍神は必ず何処からともなく姿を現し、無限の力を放射して読者の心臓を射抜かないではおかないのです、置かないのです。それは、我々が神から授かった有難い肉体を有しているからなのですよ。精神と肉体は一体のもの、便宜上で二つに分けているだけのこと、魂が宙を駆け巡るなら、肉体も宇宙を遊泳し飛翔するはずなのですよ。これ、私の表現であって、私の言葉ではない。言葉は、霊魂、言霊を有していて、私達に霊妙な働きかけをしてくる。無心に言葉と対すればの話ですがね。 第八十六聯、半分生まれかけていたわが思考を、再び脳髄に埋葬して、こうして思考が育ってきた母胎を墓場に変えたのは、あれは、君という類なく貴重な獲物を目指して、壮麗な帆に風を孕ませて進む彼の、偉大な詩のせいであったか。或いは、私を撃ち殺したのは諸々の霊に教えられて、人間業とは思えない傑出した詩をものした彼の活力であったか。いいや、違うよ、彼も、そして夜毎に彼を助けにやって来る仲間達も、私の新鮮な詩心を恐怖で萎え萎ませることはなかった、彼も、また、夜な夜な彼に知識を詰め込む、あの何とも愛想のいい使い魔の霊も、決して勝利者などではない、私を遂に黙らせたと言って自慢することは出来ない。私はもとよりそんなものを畏れて気力を失ったのではない。しかしながら、君が目をかけて彼の詩が完璧になれば、私は言うべき主題を失う。それが、私の詩の持つ力を弱める。 第八十七聯、さようなら、君よ、わが友よ、最愛の理想よ、さようなら、君は私が所有するには余りにも貴重だ、きっと、君も自分の価値を知っているのだろうさ。その、高貴な価値という特権が君を解き放ち、自由にする。君に対する私の権利は既に期限切れだ、君の同意もなしにどうして君を引き止めておけようか。一体、私のどこにこんな富に相応しいところがあろうか…、私にはこうした美しい贈り物を受ける理由がない。だから、私の所有権は自然に君のもとに戻ることになる。君が自分を与えた時には、自分の価値を知らなかった。或いは、与えた当の私を買いかぶり過ぎていたのだ。だから、君の大きな贈り物は誤認から生まれたのであり、しっかり判断し直して、手元に取り戻すわけだ。つまり、君を一時的に所有したのは、楽しい夢を見たようなもの、眠っている時は王様でいられるが、覚めてみればとんでもない話しさ。 第八十八聯、君が私を安く見積もるつもりになり、私を値踏みして、軽蔑の目を向ける時が来たら、私は躊躇なく君を支持して、我が身と戦うことにしよう。君が友情を裏切っても、君が正しいことを証明しよう。自分の弱みは自分が一番よく知っているから、君の肩を持って、私が人知れず破廉恥な罪の行為に耽り、汚辱にまみれ果てている、と言う話をでっち上げてもいい。君が私を弊履の如くに捨てて大いに面目を施すのなら。私だって、これで利益を得ることになる。何故ならば、私の君への愛の想いはことごとく君に捧げ尽くしてしまっているから。我と我が身に加える危害が君の利益になるなら、私の方も二重に得をするのだからね。わが愛はかくも強く、私は真に君の物なのだから、君を正しくする為にあらゆる悪を背負ってやるよ。 彼のような天才以外に誰がこんな文章を書けるであろうか、彼には究極の自己愛が、徹底したナルシストが露出している。彼を、理想の恋人をほめあげればほめあげる程、彼自身の価値が高まる仕掛けなのだ。天才中の天才でなくて何であろうか。彼は謙遜をしているのではなくて、徹底して自分を持ち上げているだけだ。私、古屋も内心では密かに大いに自惚れているのだが、彼程には手放しで自己吹聴に耽ることなど思いも及ばないことであった、このソネットに接するまでは。創作と鑑賞とは究極的に天才を必要とする。この場合の天才とは誰にも平等に与えられていると私は信じているのだが、努力という裏付けが不可欠であることを申し添えておきましょうか。今の私は沙翁の天才に酔い痴れて狂っている、そういう作用をこのソネットは本質的に備えているのだ。良質の酒と本物の詩歌は人の心と肉体とを酩酊させる。神が人に与えた最良の贈り物だろう。
2024年08月20日
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すべもなき 片戀をすと ここのころに わが死ぬべきは 夢(いめ)に見えきや(― どうすることもできない片思いで近いうちに私は死にそうなのは、あなたの夢に見えたでしょうか)夢に見て 衣(ころも)を取り着 装(よそ)ふ間(ま)に 妹(いも)が使そ 先に來にける(― それを夢に見て衣を取って着て、支度をする間に、あなたの使が先に来ました)ありありて 後も逢はむと 言(こと)のみを 堅め言ひつつ 逢ふとは無しに(― このまま時を待って後で会おうと言葉ばかり固く約束しておきながら、会うことはなくて)極(きはま)りて われも逢はむと 思へども 人の言こそ 繁き君にあれ(― 是非お逢いしたいと思いますけれど、人の噂の頻りに立つあなたでいらっしゃいますから、お逢いできずいます)息の緒に わが息衝(いきづ)きし 妹すらを 人妻なりと 聞けば悲しも(― 命の綱と頼んで私が切なく思いを寄せていた妹が、意外にも既に人妻だったと聞いたので悲しい)わが故(ゆゑ)に いたくな侘(わ)びそ 後遂に 逢はじといひし こともあらなくに(― 私のことでひどく力を落としなさいますな。将来、決してお逢い致すまいとは申したことは御座いません)門立(かどた)てて 戸も閉(さ)してあるを 何處(いづく)ゆか 妹が入り來て 夢(いめ)に見えつる(― 門を閉め、戸も立ててあるのに、何処から妹が入って来て、私の夢に現れたのだろう)門立てて 戸は閉(さ)したれど 盗人(ぬすびと)の 穿(ほ)れる穴より 入りて見えけむ(―門を閉め、戸も立ててあるけれど、盗人が密かに開けた穴から入ってみえたのでしょう)明日よりは 戀ひつつあらむ 今夜(こよひ)だに 速(はや)く初夜(よひ)より 紐解け吾妹(わぎも)(― 明日からは恋しくも思うことであろう、せめて今夜だけでも速く、紐を解きなさい吾妹)今さらに 寝(ね)めやわが背子(せこ) 新夜(あらたよ)の 一夜(ひとよ)もおちず 夢(いめ)に見えこそ(― 今更、寝たくありません、わが背子よ。どうかこれから先、毎晩毎晩必ず夢に見えてください)わが背子が 使を待つと 笠も着ず 出でつつそ見し 雨の降らくに(― わが背子の使いを待つと言うので笠も着ずに、外に出て見ていました。雨の降る中を)心無き 雨にもあるか 人目守(も)り 乏しき妹に 今日だに逢はむ(― 心無い雨であることよ、人目のない時を覗って、稀にしか会えない妹にせめて今日だけでも会いたいのに)ただ獨り 寝(ぬ)れど寝(ね)かねて 白栲(しらたへ)の 袖を笠に着 濡(ぬ)れつつそ來(こ)し(― 唯ひとりで寝ても眠れずに、白栲の袖を笠にして濡れてきました)雨も降り 夜もふけにけり 今さらに 君行かめやも 紐解き設(ま)けな(― 雨も降り夜も更けました、今さらあなたはお帰りになることもありますまい。紐を解いて寝る支度をしましょう)ひさかたの 雨の降る日を わが門(かど)に 蓑笠(みのかさ)着ずて 來(け)るひとや誰(たれ)(― 雨の降る日なのに、私の家の前に、蓑も笠も身につけずに来ている人はどなたですか)纏向(まきむく)の 痛足(あなし)の山に 雲居つつ 雨は降れども 濡れつつそ來(こ)し(― 痛足の山に雲が掛かって雨は降るけれど、私は濡れながらもあなたに逢いに来たのです)渡會(わたらひ)の 大川の邊(べ)の 若久木(わかひさき) わが久ならば 妹戀ひむかも(― 渡会の大川の辺の若ヒサキのそれではないが、私が久しく旅に出ていたならば、妹は恋しく思うだろうなあ)吾妹子(わぎもこ)を 夢(いめ)に見え來(こ)と 大和路(やまとぢ)の 渡瀬(わたりぜ)ごとに 手向(たむけ)そわがする(― 吾妹子よ、夢に現れてこいと、大和路の渡り瀬毎に私は手向けをしています)櫻花咲きかも 散ると見るまでに 誰(たれ)かも 此處に 見えて散り行く(― 桜の花が咲いてはすぐに散ってしまうように、此処に集まっては散っていくのは誰なのであろうか)豐國(とよくに)の 企救(きく)の濱松 根もころに 何しか妹に 相言ひ始(そ)めけむ(― どうして妹と親しい言葉を交わすようになったのだろう)月易(か)へて 君をば見むと 思へかも 日も易へずして 戀の繁かく(― 来月になったらあなたにお会いできようと、そればかり思っているせいか、お出かけになって一日も経たないのに恋心が頻りです)な行きそと 歸りも來(く)やと 顧(かへり)みに行けど 歸らず道の長道(ながて)を(― 行くのはおやめなさいと、留めに引き返してくるかしらと省みしながら行ってみるけれど、引き返してはこない。この先、旅は長いのだけれど)旅にして 妹を思ひ出(で) いちしろく 人の知るべく 嘆きせむかも(― 旅に出て妹を思い出し、はっきりと人が気付く程に私は嘆息することであろうか)里離(はな)れ 遠くあらなくに 草枕 旅とし思へば なほ戀ひにけり(― 里から離れて遠くもないのに、旅に出たのだと思うと一層恋しくなる)近くあれば 名のみも聞きて 慰めつ 今夜(こよひ)ゆ戀の いや益(まさ)りなむ(― 近くにいるので噂だけ耳にして心を慰めていましたが、お会いした今夜からは恋心がいよいよ勝ることでしょう)旅にありて 戀ふれば苦し いつしかも 都に行きて 君が目を見む(― 旅に出ていて、あなたが恋しくて大変苦しい、早く都に行ってお顔が見たい)遠くあれば 姿は見えね 常の如(ごと) 妹が笑(ゑま)ひは 面影にして(― 遠く離れているので、実際の姿は見えないが、いつものように妹の笑顔が面影に見える)年も經ず 歸り來(き)なむと 朝影に 待つらむ妹(いも)し 面影に見ゆ(― 年も立たないうちに帰ってくるだろうと身も痩せて待っているに違いない妹が、目の前に浮かんだくる)玉鉾(たまほこ)の 道に出で立ち 別れ來(こ)し 日より思ふに 忘るる時なし(― 旅立ちして別れてきてからずっと思っているので、妹を忘れるときが全くない)愛(は)しきやし 然(しか)ある戀にも ありしかも 君におくれて 戀しく思へば(― ああ、こうしたはっきりした恋の気持であったのだなあ、あなたの旅立ちの後に残されて、こんなにも恋しいことを思えば)草枕 旅の悲しく あるなへに 妹を相見て 後戀ひむかも(― 旅が淋しく悲しい気持がする時に、こんなにも可愛い妹に遭ったので、今は楽しいが、後で恋しさに悩むだろう)國遠み 直(ただ)には逢はず 夢(いめ)にだに われに見えこそ 逢はむ日までに(― 国が遠いので直接お会いできませんから、せめて夢にだけでも見えてください、お逢いするまで) 念の為に書き添えておきますが、古代の旅は、今日の物見遊山の愉快なだけの旅行ではなく、少し誇張して言えば死の危険と背中合わせの決死の覚悟、が背後に秘められている。まかり間違えば今生では二度と会えないかも知れない、そんな含みが旅の中に透けて見える。少なくとも歌の解釈としては、そうした含みを持たせて解釈した方が歌に奥行が出る。老婆心ながら、蛇足めいて申し添えました。かく戀ひむ ものと知りせば 吾妹子(わぎもこ)に 言問(ことど)はましを 今し悔(くや)しも(― これほど恋しいものと知っていたなら、吾妹子に親しく声を掛けるのだったのに。今になって後悔される)旅の夜の 久しくなれば さにつらふ 紐解き離(さ)けず 戀ふるこのころ(― 旅の夜が久しくなったので、赤い下紐を解き放たずに、妹を恋しく思う今日この頃であるよ)吾妹子し 吾(あ)を偲(しの)ふらし 草枕 旅の丸寝に 下紐(したびも)解けぬ(― 吾妹子は家で私を慕っているらしい、私が旅の丸寝をしていると、下紐が解けた) 当時、恋人が心を寄せると下紐が解けると言う俗信があったらしい。草枕 旅の衣の 紐解けぬ 思ほゆるかも この年頃は(― 一人旅の着物の紐が自ずと解けた、妹と親しんでいたこの年頃の事が思われることだ)玉くしろ 纏(ま)き寝(ね)し妹を 月も經ず 置きてや超えむ この山の岬(さき)(― 手に纏いて寝た妹をひと月も経たないのに打ち捨てて、この山の岬・海や湖に突き出た陸地 を越えて行くことであろうか)梓弓(あづさゆみ) 末は知らねど 愛(うつく)しみ 君に副(たぐ)ひて 山道(やまぢ)越え來(き)ぬ(― 先はどうなるか分からないけれど、愛しく思ってあなたにお任せして一緒に此処まで来ました)霞立つ 春の長日を 奥處(おくか)なく 知らぬ山道を 戀つつか來(こ)む(― 霞の立つ春のうららかな日なのに、果も知れない山道を私は恋の思いで越えて行くことであろうか)外(よそ)のみに 君を相見て 木綿畳(ゆふたたみ) 手向(たむけ)の山を 明日か 越え去(い)なむ(― 親しく言葉を交わさずに、あなたをよそ目に見ただけで私は恐ろしい手向けの山を越えて行くことでしょう)玉かつま 安倍島山の 夕露に 旅寝得(え)せめや 長きこの夜を(― 安倍島山の夕暮れの霧の中で独り旅寝をすることができようか、長いこの夜を)み雪降る 越(こし)の大山 行き過ぎて いづれの日にか わが里を見む(― 雪の降る越しの国の大山を過ぎて、何時わが里を見ることであろうか)いで吾(あ)が駒 早く行きこそ 眞土山(まつちやま) 待つらむ妹(いも)を 行きて早見む(― さあ、わが駒よ、早く行っておくれ、きっと今頃私を待っている妹に、早く会いたいから)惡木山(あしきやま) 木末(こぬれ)ことごと 明日よりは 靡きてありこそ 妹があたり見む(― 悪木山の梢は全部、明日からは靡き伏していてくれ、妹の家のあたりを見ようと思うから)鈴鹿川 八十瀬(やそせ)渡りて 誰(たれ)ゆゑか 夜越(よごえ)に越(こ)えむ 妻もあらなくに(― 鈴鹿川の多くの瀬々を渡って、一体、あなた以外の誰のために夜越えをすることがありましょうか。家に妻もいるわけではありませんのに)吾妹子(わぎもこ)に またも近江(あふみ)の 野洲(やす)の川 安眠(やすい)も寝ずに 戀渡るかも(― 安らかな眠りも寝ずに私は恋い続けていることです)旅にして 物をそ思ふ 白波の 邉(へ)にも沖にも 寄すとは無しに(― 旅にいて私は物思いをしています、白波のように、沖にも岸にも寄せるということもなくて。恋しい人に身を寄せることもなくて)湖廻(みなとみ)に 満ち來る潮の いや益(ま)しに 戀はまされど 忘らえぬかも(― 湖廻に満ちてくる潮のいよいよ増すように、恋しさは募りはしても少しも消えることはない)沖つ波 邉波(へなみ)の來寄(きよ)る 左太(さだ)の浦の この時(さだ)過ぎて 後戀ひむかも(― この良い時期が過ぎてしまって、後で恋しく思うだろうか)在千潟(ありちがた) あり慰めて 行かめども 家なる妹(いも)い おぼぼしみせむ(― ここでこうして引き続き心を慰めていこうと思うけれど、あまり長く旅していると家の妹が屈託するであろうなあ)
2024年08月19日
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第六十九聯、世間の人々が見る君の顔立ちや、体つき、これは完璧だ、どう考えてももう手の入れようがない、あらゆる舌、内なる声がそれを認めている。敵の褒め言葉と同じで、掛け値なしの真実を述べているのだ、このようにして、君の外見は上っ面の称賛を勝ち得ているわけだ、しかし、当然の取り分を君に与えているその同じ舌が、眼が見せたものよりも更に遠くを見ると、がらりと口調を変えて、この称賛を取り消すのだ、彼等は君の心の、内面の美を探ろうとする、そうして、君の行為からそれを推量して判断を下す、そうなると、彼らの眼は親切であっても、考えは極めて下衆なもの、君という麗しい花に雑草の悪臭を付け加えようとする。だが、何故君の匂いはその姿にそぐわないのか、答えは簡単で、君が悪臭紛紛たる雑草と交わるからなのだ。 第七十聯、たとえ君が非難されたとしても、私は君が悪いせいだとは決して思わない、美しく魅力に溢れた人間はいつだって中傷の的にされるからねえ、疑惑というやつは美の引き立て役なのだから、例えれば、澄み切った大空を飛ぶ鴉みたいなものさ、君さえ正しければ、世間に寵愛される、だから中傷なんか、ただ、君の価値を更に高めるだけだ、悪徳は青虫みたいに、香り高い莟を好むが、君はシミひとつない清らかな青春の日々に潜む待ち伏せを見事に切り抜けてきている。襲われずに済んだことも、襲われて勝ったこともある。だが、これまで評判がよくっても、評判で人の悪意を繋ぐことはできない、悪意はいつでも野放しだからね。君の姿に悪の疑惑がさしていなければ、君はひとりで心の王国を支配してしまうよ。 第七十一聯、たとえ私が死んだとしても、君よ、何時までも嘆いてはくれるな、嘆くならせいぜい暗鬱な重い鐘の音が鳴り響き、私がこの下劣な世を去って、下賤きわまる蛆虫どもと共に住むのを、世の人に告げている間だけでいい、いや、いや、君がこの詩を読んでも、これを書いた手がこの世にあったことを思い出してくれるな。私は心底、君を愛している、だから、私を思って嘆いてくれるくらいなら、君の美しい心の中で忘れられる方がいい。ああ、私が多分土と混ざり合ったとき、この詩を目にすることがあっても、言っておくが、わが哀れなる名前を口にするさえやめてほしいのだよ、君の真実の愛は、私の生命とともに朽ちるに任せてくれたまえ。さかしらな世間が君の悲しみを覗き込み、私の亡いあと、私を種に君を笑いものにしては困るからね。 第七十二聯、あの男、ゲス野郎に、君の崇高な愛に叶うどんな美点があったのかね、ひとつ教えてくれないかね、などと世間の人から迫られぬように、私が死んだあとは、私のことはきっぱりと忘れてくれたまえ。私の値打ちなど何一つ取り出せるわけがないのだから、それでも、君が善意から真っ赤な嘘をひねり出して、私の身に余るような果報を言ってくれたり、ケチくさい真実が喜んで与えるよりも、もっと多くの賛辞で亡き私を飾り立ててくれるというのなら、話は別なのだがね。ああ、君が愛ゆえに偽って私を褒め称え、それで、君の真実の愛までが贋物と断定されないように、私の名前はどうか私の亡骸の傍らに埋めてくれ。この上に生かして、私や君自身に恥をかかせないように。私は自分の書くもので散々に恥を晒した、つまらぬものを愛したりすれば君もそうなるのだからね。 第七十三聯、君が私の中に見るものは一年のうちの、あの季節、寒気に震えおののく樹の枝から黄色い葉が落ちつくし、残ったとしても二、三枚、先ごろまでは小鳥たちが美しく歌い囀り、今は裸の朽ち果てた聖歌隊席さながらの無残な姿をされけ出している、あの季節。私の中に君が見るものは、夕暮れどきの淡い光、太陽が西の空に沈み、西の空は黄昏てしまい、真っ暗闇の漆黒の夜が、全てを柩に閉じ込めてしまい、安らわせる死の分身が、やがては消してしまう、そうした夕暮れどきの微弱な光だ。そしてただ、私の中に君が見るものは、焔の輝き、最期の息を引き取る死の床に横たえられたように、己の青春の灰に埋もれて、かつては自分を養った物が、薪や活力が尽きると共に消えていく、焔と化した生命の最期の輝きだ。これを見るからこそ君の愛は尚更強まり、やがて別れねばならぬものを心から愛するのだ。 第七十四聯、だが、だが、死に神が私を酷くも逮捕して、一切保釈などは認めずに引っ立てる時も、どうか君よ、取り乱さずにいてくれたまえ、私の大切な生命の某かはこの詩に投資しておいたし、この詩は形見となって、何時までも君の手元にのこるから。これを読み返してくれれば、君だけに捧げた一番大切なものが、また、見られるのだ。大地が手にするのは、私の滓にしか過ぎない、それが奴の取り分だ。私の精神、魂、心、私のより良い部分、これは何といっても君だけのものだ、だから、結果を言えば私の残り糟を失うだけだ、私の肉体などは、死んでしまえば蛆虫の餌だ、むざむざと刺客の刃にかかる臆病者にしか過ぎない、君が覚えておくには卑しすぎる代物さ、人の肉体に価値があるのは霊魂が入っているからこそで、魂とはこの詩の代名詞、しかもそれは永久に君の手元に留まるのだ。 第七十五聯、君とわが思いの間は、食べ物が生命に不可欠なのと、或いは、時を得た慈雨が大地に必要なのと同様だ、君と平和な友情を保つ為に、私はあたかもケチな金持が自分の財産を相手にやるような葛藤を演じている。今、自分は金持だと言って自慢するかと思えば、今度は、コソ泥みたいな世間に貴重な宝を盗まれるのではないかと恐怖し、今は君と二人っきりが一番だと思い、次には、世間にわが歓びを見せるのも悪くない、と思い直す。また時には、堪能するまで美しい君を眺めてひと時の満足を得るのだが、その内に飢え飢えてはまた一目君を見たくなる。君から得た歓び、やがて手にするはずの歓喜と有頂天、これがあればあとは何ももとめない、何も要らない、こうして私は日々に飢えたり、満腹したり、すべてを貪り喰らい、全てを失っている。 第七十六聯、どうして私の詩作には新奇で華麗な修辞がこうも乏しくて、変わり映えがせずにに、素早い発想の転換が見られないのか、何故に私は時流に乗って軽やかに身を翻し、最新の技法や珍奇な言葉の組み合わせに目を向けないのか、どういう理由で私はたった一つのテーマを変わらず書き続け、詩歌の着想にいつもながらの着古しを着せておくのだろうか、これではまるで一語一語が私の名前を告げ、出生や、家系の秘密を明かしているようなものではないか。あああ、君よ、君よ、分かってくれ、我が最愛の君よ、私はいつでも君を書くのだ、何時でも君と、君への私の深い愛情が唯一の私の主題になっている、だから、私はせいぜい古い言葉を新しく装い、以前に使ったものを、また、使うことしか出来ない。太陽は日々にあたらしくて古い、私の愛もそれと同じで、すでに語ってしまっていることを、いつも繰り返し語り続けるのだよ 第七十七聯、鏡は君が衰えていく様を見せてくれよう、日時計は貴重な一刻一刻が虚しく過ぎていくのを教えるだろう。この白くまっさらなページにはやがて君の心が刻印されるだっろう、君はこの手帳から、こういう教訓を学ぶことになる。鏡がありのままに曝け出す顔の醜い皺は、口を大きく開けて待っている墓穴を思い起こさせる、密かにうつり進む日時計の影は、時が永遠に向かって忍びやかに歩むのを知らせてくれている。記憶に留めきれない事は何でも、この白い紙に書き記すがよい、そうすれば、君の頭が生んだ子供達は此処で育てられて、挙句には、初めて我が心に出会うような、思いをするだろう。鏡や日時計の仕事を見れば見るだけ、君は利益を得ようし、手帳もずっと豊かになる。 第七十八聯、私はよく君を詩神に祭りあげては祈りを捧げ、詩を創作する際には、随分と親切に手助けしてもらった、だから、他所の詩人達までが私の流儀を真似て、君に仕えて詩を書き散らしている。君の眼は物言わぬ者に声高くし、歌うことを教え、鈍重な無知に天翔けるすべを教えてくれたが、その眼が学識豊かな詩人の翼に羽を挿し加え、美に二重の壮麗さをあたてやった。だがね君、君は、私の書く詩を何よりも誇って欲しい、その力は全部が君のものだ、君からうまれたものだからね。ほかの詩人の作品では、君は文章を整えるだけだ、学識は君の優雅美しさを飾りに使っている。だが、だが、君はわが芸術の全てであり、この粗野な無知を学識と同じ高さに引き上げてくれる。 第七十九聯、わたしひとりが君の助けを求めて祈っていた頃には、私の詩だけが君の優しい恩恵を受けていた、だが、今は私の優雅な詩も衰え果て、わが病める詩神は他人に座を明け渡す。愛する者よ、なるほど、君の美貌を歌うのは、もっと立派な詩人にこそ相応しい仕事なのだろう、しかし、そういう詩人が君を歌い上げても、君から盗んだ物を払い戻すだけに過ぎまい。彼は成る程、美徳を貸してくれるだろうが、その言葉は君の振舞いから盗んだもの、美を与えると言うが、それも君の頬で見つけたものだ。称賛するといっても、君の中に生きている物をくれるだけのこと、だから君、彼が何を言おうとも 礼を述べることはない。彼が借りているのに、君が支払うのだから。 第八十聯、ああ、君よ、最近私は君を書く時に、何とも気力が萎える、もっと才能のある詩人が君のなまえを上げているのも、その名を称えるのに全力を尽くすのも、知っているから、だから君の名声を語ろうにも、私の舌は金縛りだ、だが、君のすぐれた人柄は大海のように広くて、粗末な小舟も、華麗を極める大船も等しくうかべるから、身の程知らずのわが小舟は彼の船よりずっと劣るのに、大きな顔をして、君の広やかな大洋にあらわれるのだ、私は君の浅瀬がちょいと助けてくれれば浮かぶけれども、彼の方は、測り知れない程に深い海を乗り切っていく。私は難破した所で、取るにも足らない小舟に過ぎないが、彼の方は作りも頑丈なら、飾りつけも美々しい豪華船だ、だから彼が栄えて、私が捨てられても、言えるのは、せいぜいが、わが愛がわが身の破滅という事だけ。
2024年08月14日
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谷狭(せば)み 峯邊に這(は)へる 玉葛(たまかづら) 這(は)へてしあらば 年に來(こ)ずとも(― 谷が狭いので峯の方に伸びていった玉葛の蔦のように私に対する気持が絶えないならら、たとえ一年中お見えにならなくとも、辛抱しておりますが)水莖(みづくき)の 岡の葛葉を 吹きかへし 面知る子等が 見えぬ頃かも(― 顔を知っているあの子が見えないこの頃だなあ)春駒の い行きはばかる 眞葛原(まくずはら) 何の傅言(つてこと)直(ただ)にし良(え)けむ(― 赤駒が行くのを控える真葛の原ではあるまいに、どうして人に伝言などをするのです、直に言えば良いのに) 日本書紀では政治的な風刺であったものが、此処では恋の歌と見られている。木綿(ゆふ)畳(たたみ) 田上山(たなかみやま)の さな葛(かづら) 絶えむの心 わが思はなくに(― このまま時が過ぎても、今でなくとも逢ってください)丹波道(たにはぢ)の 大江の山の 眞玉葛(またまづら) 絶えむの心 わが思わなくに(― 二人の仲が絶えるようにしたい気持は私は持っていないのに)大崎の 荒磯(ありそ)の渡(わたり) 延(は)ふ葛(くず)の 行方(ゆくへ)も無くや 戀ひ渡りなむ(― 大崎の荒磯の渡り場に這っている葛の行方が定めがないように、私の恋は行方なく続いていくであろう)木綿(ゆふ)つつみ 白月山(しらつきやま)の さな葛(かづら) 後もかならず 逢はむとそ思ふ(― 今でなくとも将来にでも、必ずあなたと逢いたいと思います)唐棣花色(はねずいろ)の 移ろひやすき 情(こころ)なれば 年をそ來經(きふ)る 言(こと)は絶えずて(― ハネズ・初夏に咲いて赤い花をつけ、その色は変わりやすいと言う 色のように変わりやすい心を持っておいでなので、お言葉だけは絶えないで、お見えないならないでもう年を経てしまいました)斯くしてそ 人の死ぬとふ 藤波の ただ一目のみ 見し人ゆゑに(― こうして人は死ぬと言うことです、ただ一目見たに過ぎない美しい人のもとで)住吉(すみのえ)の 敷津(しきつ)の浦の 名告藻(なのりそ)の 名は告(の)りてしを 逢はなくもあやし(― あの人は名を名乗ったのに、逢はないのはどうしてだろうか) 男の歌とも女の歌とも両様に取れる。みさご居(ゐ)る 荒磯(ありそ)に生(お)ふる 莫告藻(なのりそ)の よし名は告らせ 父母(おや)は知るとも(― ミサゴ・鷲鷹目の猛禽、鳶に似て、海岸や絶海の孤島に住み、魚をとって食う のいる荒磯に生えるホンダワラのそれではありませんが、もう構いませんから、あなたのお名前を仰ってくださいませんか、たとえ親たちが私達の仲を知るようになったとしても)波のむた たなびく玉藻の 片思(かたもひ)ひに わが思ふ人の 言の繁けく(― 波とともに片方に靡く玉藻のような片思いを、私が寄せている人について、他の人との噂が何やかやと立っていることよ)大海(わたつみ)の 沖つ玉藻の 靡き寝む 早來(き)ませ君 待たば苦しも(― 大海の沖の玉藻のように靡きあって寝ましょう、早くおいでくださいな、わが君よ、待っていると苦しく思われます)大海(わたつみ)の 沖に生(お)ひたる 縄苔(なはのり)の 名はさね告(の)らじ 戀ひは死ぬとも(― 焦がれて死のうとも、私はあなたの名を決して申しますまい)玉の緒を 片緒(かたを)に搓(よ)りて 緒を弱み 亂るる時に 戀ひずあらめやも(― 玉の緒を一方からよると緒が弱くて、切れて玉が乱れ散るように、あなたとわたしの仲が絶えたりすれば、その時に私は恋に苦しまずにいられはしないでしょう)君に逢はず 久しくなりぬ 玉の緒の 長き命の 惜しけくもなし(― あなたにお逢いせずに久しくなりました、もう私は長い命がなくなっても惜しいこともありません)戀ふること 益(まさ)れば 今は玉の緒の 絶えて亂れ 死ぬべく思ほゆ(― 恋の苦しみがますます甚だっしくなってきて、今はもう、玉の緒が切れて玉が乱れるように、心みだれて死にそうです)海少女(あまをとめ) 潜(かづ)き取るといふ 忘れ貝 世にも忘れじ 妹が姿を(― 私は決して妹の姿を忘れないであろう)朝影に わが身はなりぬ 玉かぎる ほのかに見えて 去(い)にし子ゆえに(― 朝影のように私は痩せてしまった。ほのかに見えただけで去ってしまったあの子なのに、それを思いつめて)なかなかに 人とあらずは 桑子(くはこ)にも ならましものを 玉の緒ばかり(― なまじっか人間でいずに、何の思いもない蚕にでもなったらよかったのに。ほんのしばらくでも)眞菅(ますが)よし 宗我(そが)の河原に 鳴く千鳥 間(ま)なしわが背子(せこ) わが戀ふらくは(― 宗我川の川原で鳴く千鳥が間を置かないように、わが背子よ、私の恋は全く絶える間がありません)戀衣(こひころも)着 奈良の山に 鳴く鳥の 間無くわが背子 わが戀ふらくは(― 奈良山に鳴く鳥のように、絶え間もなく定めた時もありません、私の恋の思いは)遠つ人 猟道(かりぢ)の池に 住む鳥の 立ちても居ても 君をしそ 思ふ(― 立っても坐っても、あなたを思っています)葦邊ゆく 鴨の羽音の 聲(おと)のみに 聞きつつもとな 戀ひ渡るかも(― あなたの評判ばかり聞いていて、逢えずに無性に恋しく想い続けておりまする)鴨すらも 己(おの)が妻ども 求食(あさり)して 後(おく)るるほとに 戀ふといふものを(― 鴨ですらも自分の夫や妻と一緒に食物をあさり歩いて、先に行かれたわずかの間にも恋しがると言うのに、まして人間である私は)白眞弓(しらまゆみ) 斐太(ひだ)の細江の 菅鳥の 妹に戀ふれか 眠(い)を寝(ね)かねつる(― 斐太の細江にいる菅鳥のように妹を恋しく思うからか、眠ることができなかった)小竹(しの)の上に 來(き)居(ゐ)て鳴く鳥 目を安み 人妻ゆゑに われ戀ひにけり(― 安心した気持で逢えるので、相手は人妻であるのに、気づいてみると私は恋しているのだった)物思ふと 寝(い)ねず起きたる 朝明(あさけ)には 侘(わ)びて鳴くなり 庭つ鳥さへ(― 物思いをするとて眠らずに起きていた夜明けには、鶏までが気力を無くして鳴いているように聞こえるよ)朝鴉(あさからす) 早くな鳴きそ わが背子(せこ)が 朝明の姿 見れば悲しも(― 朝鴉よ、あまり早く鳴きなさるな、わが背子が朝帰るお姿を見れば悲しいから)馬柵(うまさ)越(ご)しに 麥食(は)む駒の 罵(の)らゆれど なほし戀しく 思ひかねつも(― 馬柵越しに麦を食う駒の叱られるように、親に叱られるけれども、なお恋しくてじっとお慕いしていることが出来ません)左檜(さひ)の隈(くま) 檜の隈川に 馬駐(とど)め 馬に水飲(か)へ われ外(よそ)に見む(― 檜の隈川に馬を停めて水を飲ませなさい、私は他所ながらあなたのお姿を見ましょう)おのれゆゑ 罵(の)らえて居(を)れば あを馬の 面高夫駄(おもたかぶた)に 乗りて來(く)べしや(― お前さんのことで叱られているのに、青馬の面高のブチの馬に意気揚々と乗って来るとは何事でしょうか)紫草(むらさき)を 草と別(わ)く別(わ)く 伏す鹿の 野は異にして 心は同じ(― 紫草を他の草と別けながら伏している鹿が、夫婦で別の野に伏しても心は一つであるように、私とあなたは別れ別れにいても心は一つなのです)思はぬを 思ふといはば 眞鳥(まとり)住む 卯名手(うなて)の社(もり)の 神し知らさむ(― 思いをかけてないのに、思っていますなどと言えば、卯名手の神社の神様がその偽りを御存知になります。私は決して偽りは申しておりません) 以下、しばらく問答の歌が続く。紫は 灰指(さ)すものそ 海石榴市(つばいち)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 逢へる兒(こ)や誰(たれ)(― ツバイチの辻であったあなたは、何というお名前でしょうか)たらちねの 母が呼ぶ名を 申(まを)さめど 路(みち)行く人を 誰と知りてか(― 母が私を呼ぶ名を申したいと思いますが、路を行くあなたをどなたとも存じておりませんもの。あなたのお名前を先ず伺いたいと思います)逢はなくは 然(しか)もありなむ 玉梓(たまづさ)の 使をだにも 待ちやかねてむ(― お逢い出来ないのは仕方のないことですが、せめてお使いだけでも頂くことは出来ないものでしょうか)逢はむとは 千遍(ちたび)思へど あり通(かよ)ふ 人目を多み 戀つつそ居(を)る(― お逢いしたいとは千重に思っておりますが、往来する人の目が多いので、恋しく思いながらじっとしております)人目多み 直(ただ)に逢はずして けだしくも わが戀ひ死なば 誰(た)が名ならむも(― 人目が多いので直接逢わずに、もし私が焦がれ死にしたならば、誰の名誉になるでしょうか、誰のためにもなりませんね)相見まく 欲(ほ)りすればこそ 君よりも われそ益(まさ)りて いふかしみすれ(― お逢いしたいと思えばこそ、あなたよりも私の方こそずっと、おかしいことだなと思っておりますのに、どうしてそんな事を仰るのですか)うつせみの 人目を繁み 逢はずして 年の經ぬれば 生(い)けりとも無し(― 世間の人目が多いのでお逢いせずに年が過ぎてしまいました、生きた心地もいたしません)うつせみの 人目繁けば ぬばたまの 夜(よる)の夢(いめ)にを 繼(つ)ぎて見えこそ(― 世間の人目が多いから、せめて夜の夢に続いて現れて下さい)ねもころに 思ふ吾妹(わぎも)を 人言(ひとごと)の 繁きによりて よどむ頃かも(― 私は吾妹子にねんごろに心を寄せているけれども、人の噂がしきりに立つので、この頃は行かないでいるのです)人言の 繁くしあらば 君もわれも 絶えむといひて 逢ひしものかも(― 人の噂が頻りにたったならば、あなたも私もお付き合いを止めましょうと言ってお逢いしたのでしょうか、そんなはずはないのです)
2024年08月13日
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第五十七聯、私は君の忠実な奴隷なのだから、何時いかなる時でも、君の望み、欲望のままに仕える他には、何もすることはない、君からのお召があるまでは、自分自身に費やすほどのどのような貴重な時間もなければ、果たすべき勤めも持っていない。また、わが王よ、心の底から敬愛してやまない君主様よ、君を待って時計を眺めている時にも、いつ果てるとも知れない長い、長い時間を責めたりはしない、一度、君がこの下僕に別れを告げて出ていけば、一人で過ごす時間を辛く嫌だとも思わない、君が何処にいるのかを疑り深く詮索したり、どのような用事があるのか無いのかを勘ぐったりはしない。真面目な下僕らしくじっと坐って、君がどんな風に周りの人達を楽しませているのか、心の中で想像するだけだ。愛とは誠に愚かなものだから、この私の君への愛も、君が陰で何をやろうとも悪気があってのこととは思わない。 第五十八聯、最初に私をして君の奴隷になされた神が、御禁じになられたのだ、君がいくら快楽や愉悦に時を費やしても、抑えようとしてはならぬ、君に時間の収支決算、詰まり、君が何時、何処で、何をしたのかを、はっきりと明示せよなどと、要求してはいけない、と。何しろ私は君の御意のままにはべる従僕の身なのだからね。指図に素直に従うべき賤しい身分であればこそ、君が自由に外を出歩いていて、私が孤独の牢獄と言う地獄に閉じ込められていてもよい、君の不当な仕打を咎めるでもなく、辛抱の権化となり、小言のひとつひとつに黙々と耐えるのも構わない、何処に行こうと誰と会おうと、何をしようともよい、君が授かっている強大な特権は実に偉大だから、君は自分の心の赴くままに、欲望の命ずるに従い、君は自分で時間を割り振る自由を有しているのだ、権利があるのだよ。自分の犯した罪を自分で許す資格だって君は持っているのだ、だから私はじっと耐えに耐えて待たねばならぬ、こうして女々しく卑屈になって待つのが地獄以上の苦しみ、嘆きであっても、ひたすらに待っているのだ、君の快楽が善であれ、悪であれ、私には咎める資格などは端から与えられていないのだからね。 第五十九聯、この世に全く新しいものはない、今あるものは前にもあったのだ、人はそう言う、もしそれが正しいならば、我々の脳髄は途方もない妄想に取り憑かれ犯されているのか。新しいものを産むつもりで、前に生まれたことのある子供を再び産み直しているのだから、ああ、記憶を探り、過去を振り返って、太陽五百周の歳月を遡り、人が初めて心を文字に写しとり、書き綴った古代の本の中に、君の見事な姿を見ることが出来たなら、そうなれば、君のこの見事に均整のとれた美々しい肉体について、昔の人達が何を言い得たか、私達が進歩したのか、彼等の方が優れていたのか、それともまた、歴史は循環して同じ事を何度も繰り返すのか解かりもしように。いや、私は確信している、昔の才人達は君に遥かに劣る題材に賛嘆讃仰の言葉を捧げていたに違いないのだ。 第六十聯では、あたかも、小石に埋もれた浜辺に波が次から次へと押し寄せるように、私達に与えられている尊い時間も、刻々と一瞬も休むことなく、静かに音もなく終末に向かって急いでいるかに見える、それぞれの時が、先を行く時に取って代わり、みんなが押し合いへし合いしながら次から次へと進んでいく。例えば、母親の胎内を出た幼児は一度光の大海原に生まれ出るや這いにじり、直ぐに壮年に達するが、頂点を極めると、不吉な影が、その頂点に戦いを挑み、かつては豊かな恵みを与えてくれた時の神が、自分の恵み与えたその当のものを打ち壊す。時の神は青春と言う生命にとって最も華やかで美しい命を酷くも指し貫き、美の額に、幾重もの醜悪な皺を掘り穿ち、自然が生み出した完璧無比の手本をも食い荒らし、食いちぎる。残酷極まりない時の大鎌に刈り取られずにすむものは、地上には何一つない。だが、私の詩はその酷い手にあらがい、来るべき世まで持ちこたえ、君の素晴らしさを永遠に讃え続けるだろう、間違いなく。 第六十一聯、夜になると君の姿がどこからともなく姿を現しては、この重い目蓋を閉じさせず、倦み疲れる夜更けまで私を起こしておくのは、それは一体君の意志の力なのだろうか、君に似た幻が眼の前にちらつくのは、私の眠りを邪魔するつもりでいるからなのだろうか…、家からはこんなにも遠く離れた所まで、君の霊魂を送り込み、私の行動に首を突っ込もうと言うのか。私の乱行放蕩や、暇の潰しっぷりを暴こうと言うのかね、それが疑ぐり深くて猜疑心の塊である君の目的で、本音なのだろうか。いや違うね、君の愛は豊かでも、こんなにまでは大きくはない。私を目覚めさせておくのは、この私自身の君への大きな愛なのだよ、私の真実の愛が、私の安息をぶち壊し、君の為に夜警の役を勤めているのだ。私は君故に目覚めている、君もよそで起きてるのだが、私からは遠く離れて、他の者達のすぐ近くで、歓楽を存分に尽くすべく。 第六十二聯、自己愛という罪が我が眼にも、我が魂にも、わが肉体のすみずみまでも、しっかりと根付いている、この罪は、どうにも矯め直す方法がない、何しろ心の底深くに根を生やしているのだから、思うに、私の顔ほど気品に溢れたものはない気がする、これ程に完璧な肉体もないと、これ程に貴重な完璧さもないと思う、私としては、私の価値が他のあらゆる人々のあらゆる価値に勝るものだと、心密かに考えている。だがしかし、鏡が私の真の姿を、つまりは、日に灼け、年老いて、打ちのめされて、罅(ひび)割れた、この顔を映し出すと、私は自己愛を全く逆に解さざるを得なくなる、こういう自己を愛するのは、邪悪な事なのだと。私は、我が身のつもりで、君を、つまり、真の私を、称え、君の青春の美の輝きでわが老残の身を飾り立てているのだ。 第六十三聯、我が愛する者が、やがては今に私のように、邪悪な時の神の手で押しつぶされて、着物のように擦り切れる、時々刻々と若い瑞々しい血潮が涸れて、代わりに額に醜い皺が増えていく、そして青春の明るい曙が疲れきった足を引いて旅を続け、慌ただしく暮れる老年の夜に向かう、そして今、彼が王として統治している諸々の美は次第に姿を消して、視界から失せ、消えながらも彼に青春の宝をこっそりと掠めて行く。そういう時が早晩やって来る、私は全てを打ち倒す老年の無残な刃に備えて、守りを固め、たとえ、彼が愛する者の命を断ち切ろうとも、その美を人の記憶から切り放つ真似までは、させない。彼の美はこの黒いインクの文字の中に見られるであろう。この詩は生き続け、彼は此処では永久(とわ)に緑であろう。 第六十四聯、今は朽ち果てたいにしえの時代の華美で煌びやかで、贅を尽くした建築が、時の神の凶悪な手に穢され、かつては高く聳えた塔が跡形もなくなり、不朽の真鍮の碑が死の怒りの前に為すすべもなく屈従するのを見れば、また、飢えた大洋が陸の王国を侵略し、堅固な大地が大海原を打ち破り、向こうが失ってこちらが増やし、向こうが増やしてこちらが失う、その様を見れば、つまり、こうして物皆が移り変わり、栄華もまた崩れ落ちて、残骸となるのを見るとき、無残な廃墟を前にして私は想いを致すのだ、やがては恐ろしい時の神が現れて、わが愛する者を奪って行くだろう、と。この考えは謂わば死のようなもので、手中のものをいずれは失うと恐怖しつつ手もなく泣くしかないのだから。 第六十五聯、真鍮板も、石碑も、大地も、果てし無い大洋も、どの力も、結局はおぞましい死の前に屈服するしかないのだから、一輪の花の命ほどの力しか持たない美が、どうして、この猛威を相手に申し開きが出来ようか、ああ、破城槌をもって攻め立てる歳月の恐怖の包囲に、甘く香る夏の微風が、どうして持ちこたえられようか。頑丈な岩でも、鉄づくりの城門でも時の破壊に耐えるほどには強くはないのだ、思えば恐ろしい限りだ。時の所有する最上の宝石を、美そのものを何処に隠しておいたならよいだろう、最終的に時の棺桶たる櫃に返さずに済むだろう、どんな強力な手が一体時の速やかな足を引き止められようか、時が美を次々と滅ぼすのを誰に禁じることができよう。出来はしないのだ、わが愛する者が黒いインクの中で、永遠に輝き続けるという稀に見る奇跡が生じない限りは。 第六十六聯、こんなことには全くうんざりだから、安らかな死が欲しい、例えば真の価値が生まれながらの乞食であり、取り柄のない無が綺麗に着飾り、清廉潔白な忠実が惨めにも見捨てられる、そして金ピカの栄誉が浅ましくも場違いな奴に授けられる、純真可憐な美徳が酷くも淫売呼ばわれされ、正真の完璧が理不尽にも貶められる、力が足萎えの権勢に動きを阻まれ、学芸が時の権力に口を塞がれ、愚昧が学者づらして才能に指図を与え、素朴な誠実が莫迦という汚名を着せられ、囚われの善が横柄な邪悪に仕えるのを見るなんて、こんな事には全くうんざりだから、私はおさらばしたい、ただ死んで、愛する者を一人後に残すのが困る、悲しい。 第六十七聯、ああ、何ゆえに彼は腐敗堕落と一緒に生き、悪徳と付き合って奴に、栄誉を添えてやるのか、その為に、罪悪は彼を利用して、栄達を掴み、彼に付きまとってはわが身の飾りにしているではないか、何故、インチキな化粧が彼の美しい頬を真似て、あの生気溢れる顔色から死んだ上っ面をかすめるのか。彼の薔薇が本物だからとて、何故に貧弱な美までが、二番煎じのまがい物の薔薇を欲しがらねばならないのか、今は自然の女神が破産して、生命の血管を赤々と流れる、血も枯れ果てたのに何故、彼は生き続けなければならぬのか、今彼女に残されたのは彼の宝庫だけ、子沢山の身で彼の収入を当てにしているのか、ああ、ああ、彼女が彼を生かすのは、昔、自分がどんな富を持っていたかを、この邪悪な末世に示そうがためなのだ。 第六十八聯、してみれば、彼の頬は過ぎし時代の縮図なのだ、当時は美は花のように自然に生き、かつ死んだ。こうしたまがいの美の飾りは、まだ、生まれていなかったし、生きている人間の顔に住み着く気も起こさなかった、本当なら墓に納められていいはずの死んだ人の金色の巻き毛が切り取られて、二人目の頭で、二度目のお勤めをすることもなかった。つまり、死んだ美人の髪が他人を飾りはしなかった。彼にはああいう清らかな昔の時代が見られる、何の装飾も用いずいつも真実の姿を保ち、他人の緑を借りて、夏を作り出す事もなく、古人から盗んで新しく美を装うこともない時代が。自然の女神は、いわば縮図として彼を生かしているのだ、偽りの技巧に対して昔の美がどうであったかを誇示する目的で。
2024年08月10日
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行方(ゆくへ)無(な)み 隠(こも)れる 小沼(をぬ)の 下思(したもい)に われそも思ふ このころの間(あひだ)(― 人知れぬ恋を心に込めて私は物思いをしています、このごろずーっと)隠沼(こもりぬ)の 下ゆ戀ひ餘(あま)り 白波の いちしろく出でぬ 人の知るべく(― 恋しい気持を包みきれずにはっきりと様子に現してしまった、ひとが気づくほどに)妹が目を 見まくほり江の さざれ波 重(し)きて戀ひつつ ありと告げこそ(― 妹の姿を見たいと思い、堀江の小波が絶え間なく立つようにしきりに恋い慕っていると告げてください)石(いは)ばしる 垂水(たるみ)の水の 愛(は)しきやし 君に戀ふらく わが情から(― 石の上を激流落下する滝の水のように、激しくあなたを恋しています、私の心持ちひとつで)君は來(こ)ず われは故無(ゆゑな)く 立つ波の しくしくわびし 斯(か)くて來(こ)じとや(― あなたは来ず、私はわけもなしに立つ波のようにあとからあとから侘びしい気持に襲われます。こうして結局お見えにならないおつもりなのでしょうか)淡海(あふみ)の海 邉(へた)は人知る 沖つ波 君をおきては 知る人も無し(― 私の気持の浅いところは誰でも知っているのですが、深いところの本心はあなた以外に誰も知る人はないのです)大海の 底を深めて 結びてし 妹が心は 疑ひもなし(― 大海の底を一層深くするように、心の奥深く結びあった妹の気持は、もはや何の疑いもない)左太(さだ)の浦に 寄する白波 間(あいだ)なく 思ふをなにか 妹に逢ひ難き(― 左太の浦に間なく白波が寄せるように、いつも妹を思っているのにどうして逢うことが難しいのだろう)思ひ出でて 爲方(すべ)なき時は 天雲(あまくも)の 奥處(おくか)も知らず 戀ひつつそ居(を)る(― 思い出されて何ともするすべがない時には、天雲の奥底が分からにように、果てもなく想い続けておりまする)天雲の たゆたひやすき 心あらば われをな憑(たの)め 待てば苦しも(― 天雲のように揺れて定まらない心をお持ちならば、頼りに思わせないでください。おいでをお待ちしていると苦しくてなりませんので)君があたり 見つつを居(を)らむ 生駒山(いこまやま) 雲なたなびき 雨は降るとも(― わが君の家のあたりを見ておりましょう、奈良県の生駒山に、雲よ、たなびかないで下さい、たとい雨が降ろうとも)なかなかに なにか知りけむ わが山に 燃ゆる火気(けぶり)の 外(よそ)に見ましを(― なまじっかどうしてあの人を知ってしまったのだろう。私の山で、春の頃に燃える野火の煙をよそながら見るように、無関係に傍から見ていればよかったのに)吾妹子(わぎもこ)に 戀ひ爲方(すべ)無かり 胸を熱(あつ)み 朝戸開(あ)くれば 見ゆる霧かも(― 吾妹子が恋しくて仕方がない、胸の熱さに朝戸を開けると、朝霧の流れているのが見える)暁(あかとき)の 朝霧隠(あさぎりごも)り かへらばに 何しか戀の 色に出でにける(― 夜明けの霧に隠れていたのに、かえって私の恋が外に表れて人に知られしまったのはどうしてだろうか。 別解 朝霧に身を隠して家に帰ったのに、どうして人に知られたのだろうか)思ひ出づる 時は爲方(すべ)無み 佐保山に 立つ雨霧(あまきり)の 消(け)ぬべく思ほゆ(― 恋しい人を思い出すときは何とも仕方なくて、奈良県の佐保山に立つ朝霧が消えていくように、我が身も儚く消えてしまうように思われます)殺目山(きりめやま) 往反(ゆきかへ)り道(ぢ)の 朝霞 ほのかにだにや 妹(いも)に逢はざらむ(― 和歌山県のキリメ山の行き帰り道に立つ朝霞のように、ほのかにすらも妹に会えないのであろうか)斯(か)く戀ひむ ものと知りせば 夕(ゆふべ)置きて 朝(あした)は消(き)ゆる 露にあらましを(― こんなに恋に苦しむものと知っていたなら、夕方おいて朝には消えてしまう命の短い露であったらよかったものを、人間などに生まれてしまって、とんだひどい目に遭うことです) 作者は恋の苦しさをどう受け止めているのでしょうか、言葉の表現では否定的ですが、心の中では喜びをかみしめてもいる、私には、どうしてもそう読めてしまう。有り難くも人間に生まれたからこそ、恋の苦しみという格別の経験をすることができた。何も感じないであろう露などであったならば時間とともに何事もなく事態は推移して、八百万の神々の眼を楽しませることだけに終始して、森羅万象は古代も未来も同じで、平穏無事な世界が永遠に継続するのみ。人間なぞという片輪者がどう間違ったのか自意識などという半端な物を自覚して、生殖に付随する半チクな恋心などを後生大事に抱え込んで…、もうやめましょうね、恋とは人間に特有の病気ですが、それゆえに他の動物にはない 勿体無くも、有難い 嘆きや苦しみ を味わわせてくれる、何とも得体の知れない代物なのですが、その体験を表現して和歌に仕立てる、これは人間の素晴らしさの証明でもある。人間に生まれ、恋の苦しみ死ぬほどの辛い目にあう、なんて素敵なことなのか、得恋も失恋も、おしなべて素晴らしい、ハッピーエンドは必ずしも幸福の終着点ではなく、叶わぬ想い、届かぬ気持、片思いの痛恨、恋にまつわる全てが、全部素晴らしい、神、仏がそう仕組んでくださっている。恋の歓びや苦しみを知るからこそ人間存在は無限に素晴らしい、敢えて創造神よりも、と恋にトチ狂っている癲狂老人たる私は無理にも主張しておきましょうね。誰か異論のあるお方がいらっしゃればどしどしこの恋愛至上主義を無理やり振りかざしている私に直接お考えをお聞かせくださいませ。恋愛論以外でも私には色々と特殊な体験を重ねている関係で呼吸が合えば楽しい意見交換ができるやもしれませんので、是非、あまり期待しないでご連絡ください、どうぞ。夕置きて 朝は消ゆる 白露の 消ぬべき戀も われはするかな(― 夕方に置いて翌朝には消えてしまう白露のように、私は儚い恋をしています)後(のち)ついに 妹は逢はむと 朝露の 命は生(い)けり 戀は繁けど(― 将来妹は必ず会ってくれると頼みにして、朝露の儚い命を生きています、しきりに恋しくて、苦しいけれども)朝な朝な 草の上(へ)白く 置く露の 消なば共にと いひし君はも(― 朝な朝な草の上に白く置く露が消えるように、消えるなら一緒にと言った我が君は、今どうしているであろうか)朝日さす 春日(かすが)の小野に 置く露の 消ぬべきわが身 惜しけくもなし(― 朝日のさす春日野に置く露が消えるように、消え去るに決まっている私の身は何の惜しいこともありません。身も心も全部あなた様に差し上げましょう、たった今でも…)露霜の 消やすきわが身 老いぬとも また若反(をちかへ)り 君をし待たむ(― 露や霜のように消えやすい我が身は年老いようとも、また若返ってあなたをお待ちしたいと思います)君待つと 庭にし居(を)れば うち靡く わが黒髪に 霜そ置きにける(― あなたをお待ちするとて、私が庭に居るとうちなびく私の黒髪に霜が降りていました)朝霜の 消(け)ぬべくのみや 時無しに 思ひ渡らむ 息(いき)の緒にして(― 朝霜が消えるように命も消えそうに、いつも想い続けるであろう、命の綱と思って)ささなみの 波越すあざに 降る小雨(こさめ) 間(あひだ)も置きて わが思はなくに(― ささなみの・地名、或いは小波の意か 波の越してくるアザ・地勢上の特殊な窪みや穴を言うか に降る小雨がしとしとと間がないように、頻りにあなたのことが思われます)神(かむ)さびて 巌(いはほ)に生(お)ふる 松が根の 君が心は 忘れかねつも(― 神々しい巌に生えている松の根のようなしっかりしたあなたの心を私は忘れかねています)御猟(みかり)する 雁羽(かりは)の小野の なら柴(しば)の 馴れは益(まさ)らず 戀こそ益れ(― あなたに馴れはまさらっずに、恋しさばかり勝ってしまいます)櫻麻(さくらを)の 麻原(をふ)の下草 早く生(お)ひば 妹が下紐(したひも) 解かざらましを(― サクラオの麻原の下草が気がつかないうちに早く伸びるように、誰かが早く言い寄っていたら、私が妹の下紐を解くようなことはなかったろうに)春日野(かすがの)に 浅茅(あさぢ)標結(しめゆ)ひ 絶えめやと わが思ふ人は いや遠長(とほなが)に(― ふたりの仲がいつまでの絶えたくないと願っている私の人は、どうかいよいよ遠く長くお元気でいらしてください)あしひきの 山菅(やますが)の根の ねもころに われはそ戀ふる 君が姿に(― 山菅の根が細かく絡み合っているようにねんごろに、私はあなたの美しいお姿を恋い慕っておりまする)杜若(かきつばた) 咲く澤に生(お)ふる 菅(すが)の根の 絶ゆとや君が 見えぬこのごろ(― ふたりの仲がもう絶えるというのでしょうか、あなたがお見えにならないこの頃です)あしひきの 山菅の根の ねもころに 止(や)まず思はば 妹に逢はむかも(― 山菅の根が細やかに絡み合っているように、ねんごろに止まずに心を寄せていたら妹に逢うことができるだろうか)相思はず あるものをかも 菅の根の ねもころごろに わが思へるらむ(― 私を思ってくれないものを、私は心を込めて思っているのだろうか)山菅の 止(や)まずて君を 思へかも わが心神(こころど)の このころは無き(― いつもいつもあなたを思っているからか、私のしっかりした心はこの頃は失われてしまいました)妹が門 行き過ぎかねて 草結ぶ 風吹き解くな 又頼りみむ(― 妹に家の門前を通り過ぎかねて私は草結びをする。風よ、吹きほどくな、また帰ってきて妹に会いたいのだから)浅茅原(あさぢはら) 茅生(ちふ)に足踏み 心ぐみ わが思ふ子らが 家のあたり見つ(― 浅茅原に足を踏み入れると足が痛いように、心が痛く苦しくて、恋しいあの子のあたりに眼をやった)うち日さす 宮にはあれど 鴨頭草(つきくさ)の 移ろふ情(こころ)われ持ためやも(― 宮仕えはしておりますが、ツキクサの様な色変わりやすい心を私は持っておりません)百(もも)に千(ち)に 人は言うとも 鴨頭草の 移ろう情(こころ) われ持ためやも(― あれこれと人は噂をたてましょうとも、私はツキクサのような変わりやすい心を私が持ちましょうか)忘れ草 わが紐に着く 時と無く 想い渡れば 生(い)けるとも無し(― 忘れ草を私は紐につける、ひっきりなしに恋しく思っていると、生きている心地もしないから)暁(あかとき)の 目さまし草(くさ)と これをだに 見つつ坐(いま)して われを偲(しの)はせ(― 暁の目覚めの時のものとして、せめてこれだけでも眺めておいでになって、私を偲んでください)忘れ草 わが紐に着く 時と無く 思い渡れば 生けるとも無し(― 忘れ草を私は紐に着ける、ひっきりなしに恋しく思っていると、生きている心地もしないから)浅茅原 小野に標結(しめゆ)ふ 空言(むなしこと)も 逢はむと聞(き)こせ 戀の慰(なぐさ)に(― 浅茅原に標を結っても空しいように、空しい嘘にしても、逢いたいとおっしゃってください、私の恋の慰めに)人皆の 笠に縫ふといふ 有馬菅(ありますげ) ありて後にも 逢はむとそ思ふ(― 私は今は会えなくともこうしていて時が経ったあとに、何時かはお会いしようと思います)み吉野の 蜻蛉(あきづ)の小野に 刈る草(かや)の 思ひ亂れて 寝(ぬ)る夜しそ多き(― み吉野の蜻蛉の小野で刈る草の乱れるように、恋心に思い乱れて寝る夜の多いことよ)妹待つと 三笠の山の 山菅(やますげ)の 止(や)まずや戀ひむ 命死なずは(― 妹と逢うときを待つとて、止まずに想い続けることであろうか、生命のある限りは)
2024年08月07日
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第四十七聯、私の眼と心との間に講和条約が結ばれて、今はお互いに相手を助け合っている、例えば私の眼がせめて一目をと飢え焦がれると、熱病のような恋に悩む心が、溜息をつきながら胸をふたげると、眼は我が愛する者の絵姿を眺めて正餐となし、この絵に描いた豪華な饗宴に心を正客として招待してやる、また、時には眼が心の客となり、深く豊かな愛の饗応にあずかったりもする。こうして君の絵姿や、我が愛の思いが、君と遠く離れていても愛しい君を私の側に引き寄せてくれるのだよ、君は我が思いの届かない場所には決して行かれない、私は四六時中君に熱い想いをかけ、想いは常に君のそばにいるのだから、たとえ想いが眠っても、眼の中の君の姿が私の思いを目覚めさせ、心と眼を楽しませてくれる…、君よ、愛する恋人よ、こんな私が幸福だと思えるかね、私は決して不幸ではないが、さりとて夢現の有頂天に在るとも言い難い、ひょっとしたらこの世での焦熱地獄に陥ってしまっているのかも知れないのだが、私には他に生きようが許されていないのだから、これも運命と諦念を以って受け止めている。だが、恋とは、人間の殉愛とはこれ以外に道はないのだから、私は結局世界一の幸福者だと断定せざるを得ない。地獄は取りも直さずに天国であり、天国とは即ち地獄の別名だ。幸福は不幸だし、不幸とは幸福の最上級の呼び名だ。 第四十八聯では、今度旅に出るとき、私はどんなにか細心に、念入りに細かな品々を一つづつしまい込み、頑丈な掛け金をかけておいたか。安全確実な金庫に任せておけば、また使うまでは無事で手つかずであり、強欲な盗人共の手には渡るまいから。所で私の所有する宝石類などは、君に比較すればただのガラクタに過ぎない、君は我が最上の歓びにして、同時に我が最大の悲しみ、今旅に出ているが故にだよ、こよなく大切であると同時に、また唯一の悩みの種だ。その命よりも大切に思う君を、そこいらの泥棒風情が狙うままにして来たとは。当然に私は君を箱に入れて鍵をかけておかなかった、ただ、君が居るようでいて、実はいない場所に、つまり、この胸と言う優しい囲い地に入れて、気儘に出入りできるようにしておいたのだ。此処からだって盗まれる虞れはある、こんなに高価な獲物があると知れば、正直者でも押し込み強盗になろうからね。 第四十九聯、君の私への愛が慎重なる比較考量を行った末に、総決算を付ける気になり、最後の精算をすませ、挙句には私の足りぬ所に顔をしかめて見せる、そんな時が来るのに備えて、仮に来るとしての話だが、また君がその太陽の眼差しで挨拶もくれず、よそよそしげに私の側を通り過ぎて行く、愛が昔の姿をがらりと変えて、すげなく、堅苦しい態度をとる口実を見つけ出す、そんな時が来るのに備えて私は今のうちに、我が身の程をよくわきまえて身を守るとしよう。証人が法廷で宣誓をするときのように、この我が手を上げて我が身に不利な証言をなし、君の尤も至極な言い分を進んで弁護するとしようよ、君には至らぬ私を捨てる法律上の確固たる根拠があるのだ、君がほかならぬ私を愛さねばならぬ理由を、当方は申し立てられぬのだ、残念ながら、即ち、幸福なことにだ、その際に私はえびす顔をしていることだろう、きっと、いや、満面に私にできる最高の笑みを浮かべている…。 第五十聯、君よ、愛する君よ、なんと重い心で私は旅を続けていることか、私の求めるもの、詰まり、辛い旅の終わりが、そのくつろぎが、その憩いにこう言わせるのだ、「お前は友からこれだけ離れてしまったのだね」、と。私を乗せた馬は、私の嘆きに疲れ果てて、のそのそと足を引きずりながら緩慢に歩みを進め、私の胸の内にある重く暗鬱な気持を運んでいく、まるで、此奴め、この乗り手は君から離れるのが嫌さに、先を急ごうとはしないのさ、とその本能で悟ったかのような振舞いなのだ、私はと言えば、時には癇癪を起こして怒りに任せて馬の横腹を突きはするが、血まみれになった拍車にも、奴の脚を早めるだけの効き目はない、ただ、物憂げなうめき声でこれに答えるだけだ、脇腹の拍車も痛かろうが、私には呻き声の方がもっと痛い、何故と言って、このうめき声が私に思い出させるのだ、悲しみの累積が行く手に有り、様々な歓びは背後に去ったことを。 この人馬の苦痛と嘆きは、美青年と詩人との愛の現在形を具現化している、少なくとも詩人はそれを明瞭に意識して描写している。平凡な描写が非凡さを表現して代表例だろうか。 第五十一聯、今度の旅で私が君から遠ざかる時には、わが愛は、君に対する寛大にして、慈愛に満ちた愛情はのろまな馬の遅滞の罪を、こう言って許してもやれる、我が愛する恋人から、君から、君のいる懐かしい場所からどうして急いで離れる必要があろうか、と。帰る時までは走る必要などありはしないと。だが、その時には、この哀れな奴にどんな言い訳を言わせてやろうか、帰る際には力の限りに疾走しても、じれったくて堪るまいよ、そうなれば私はたとい疾風颯(はやて)に乗っていようとも、拍車をかけるさ、翼を生やして宙を飛んでいようとも動いている気がしないだろうよ、そうなれば、どんな瞬足の馬であっても、わが欲望の速さにはかなわない。だからして、最も完璧な愛からなるこの欲望は、焔となって駆け、並みの馬じゃあない、ペガサスの如くに嘶くだろう、だが、愛は愛の心ゆえに、こう言って私の駄馬を許してやる、「君から去る時に、これは態と遅く歩んでくれた、だから帰りには私が走って、これは歩かせてやろう」。 第五十二聯では、私は実際に金持ちのようなもので、有難い鍵を持っているので、金庫にしまった大切な宝物のそばに行けるのだ、しかし本当の金持だって極端な話、一時間置きに自分の宝を見ようとは思うまい、それでは、時折の楽しみの鋭い鋒をなまらせるだけだからね。祭日があれほどに晴れがましくて貴重なのも、長い一年の間にごくたまにしか巡ってこないから、貴重な宝石のように、まばらに埋め込まれているからなのだ。或いは、首飾りの大宝石のように、と形容してもよい。君をしまいこんでおく時と言う囲いも、まあ、私の宝石箱か、衣装を入れておく贅沢な箪笥みたいなもので、これは華やかものを閉じ込めておいて、また時に解き放つ、そして格別な機会を格別に楽しく盛り上げてくれる。君よ、君よ、君は本当に素晴らしい、その徳を手に入れれば突き上げるような歓喜があり、手になければ、それでも大きなかけがえのない希望を与える。 第五十三聯、君の恒常不変の実態とは一体どのようなものであろうか、無数の、異様な影が君にぴったりとつき添っているではないか、人は誰でも、それぞれ一つの影を持っているが、君は例外的に一人であらゆるものの影を見せてくれる。ギリシャ神話中の美少年のアドニスを絵に描いてみたまえ、その絵姿は君を粗雑になぞったお粗末な模写にしか過ぎまい、また、トロイアの王子パリスに奪われてトロイ戦争の原因を作った美女のヘレンの頬と容貌に美の限りを尽くしてみたまえ、ギリシャの衣装を纏った君が新しく描かれるに過ぎないだろうよ、一年の春について、秋の豊饒について語るもいいさ、だが、ここでも春は君の美の影を見せるに過ぎず、秋は君の大様な恵みとして現れるにしか過ぎない。詰まりは、私達はこの世でのあらゆる見事な形の中に君を、その本質的な見事さを見ることになる。君は外界の優雅なものすべてと何かを頒かち合って居る、だが、だが、その変わらぬ心と本質は誰とも違うし、誰もかなわない、天と地ほどに隔たりがあり、異なっている、ああ、君よ、私の魂を震撼させてやまない神々の上をゆく、絶対美の象徴よ。私の言葉はもう君を形容する道具たる価値を喪失してしまう、君よ、私の君よ。 不出世の天才詩人が不可能と断じたた訳ではなく、勝手訳の古屋が仮に言っているので、美青年の美青年たる所以の素晴らしさを形容することなどは神業ですら出来ないと詩人はほのめかしている。だから、天才絵師でも、比類なき彫刻家でも、現代で言えば傑出したフォトグラファーだって詩人の鑽仰する美青年の片鱗すら捉えることは出来ないのでしょう。つまり、その客観性は兎も角、詩人の心を捕らえて離さない美青年の魅力は言語を絶している。そのことだけが詩人のレトリックを越えて我々に確実に伝わって来るのだ。 第五十四聯、ああ、君よ、心も姿も共に素晴らしいこの世のバラの女王よ、君の真実の心がああいう見事な飾りを添えるせいで、その美が更に映えてどんなに美しく見えることか。薔薇の花は美しい、無条件に、だが、そこに香しい馥郁たる香りが潜んでいるからこそ、尚更に美しいと思えるのだ、それは、野ばらの花にしたって、この香り高い薔薇と全く同じ、濃く、深い色合いをしている、同じく刺ある枝に花咲き、夏の息吹が莟(つぼみ)に触れて、花の顔を開かせると、気儘に風と戯れるのも変わりはない、だが、野ばらの取り柄は見かけにしかない、だから、誰にも求められずに、誰からも構われずに色あせて、ひっそりと死んでいくだけ。が、香しい薔薇はそうはない、香り豊かな貴重な香水は馥郁たる薔薇の 死骸 から作られる。君もそうだ、美しく愛すべき若者よ、その青春の日が消え失せぬ日に、この私の詩歌が君の真実を 蒸留 するのだよ。 第五十五聯、栄華を極めた王侯達の大理石の墓も、金箔を美々しく貼った記念碑も、この私が今物している力溢れる詩歌ほど長くは生きられない、詩が時という暴虐に逆らって不滅の生を得るとする主題は、既にローマの詩人たち、例えば「転身物語」を書いたオヴィディウスや「歌章」を表したホラーティウスに始まり、ルネッサンス期の詩人たちにも広く用いられた主題なのだが、穢れた時の埃にまみれて打ち捨てられる幾多の石碑よりも、この詩の中でこそ君は更に光り輝くに相違ない。何もかも破壊しつくす戦争が彫像を押し倒し、騒乱が石造りの頑健な建物を根こそぎ覆しても、君を偲ぶこの永遠の輝かしい記録だけは、世にも恐ろしい軍神マールスの剣にかかわらず、戦いの猛火に焼かれはしない。君は決定的な一撃をもたらす死にも、呵責なく攻め滅ぼす忘却を必然する全ての敵にもひるむことなく、堂々と歩み続けるだろう、君の不滅の栄誉は何時までも、何時までも後世のあらゆる人々の眼にとまり、この世の終末に至るまで生き続けて行く、それは確実なのだ、だから、最後の審判の日が来て、また蘇るまで君は、君こそは私の光栄ある詩の中で生き、世々の麗しい恋人達の目に住まうのだ、ああ、ああ、君よ、私がこんなにも愛してやまない美の女神にしてそれ以上の存在者、神以上の神的実質よ、永遠に栄えあれ、ああ、君よ、ああ…。 第五十六聯、我らふたりの間の愛よ、麗しい愛よ、お前の本来の精力を、精悍なエネルギーを蘇らせてはくれないか、お前の刃は様々な欲望よりも鈍い、などと人に言わせるな、欲望と言うやつ、食べさせれば今日だけは満足するが、明日になれば元の鋭い力を取り戻す、愛よ、我らの間の切なくも愛しい愛よ、愛よ、お前もそうあってくれ、たとえ、今日はその飢えた眼がたっぷりと眺め、十分に満足して眠っても、明日は、また、眼を開けてよく見てくれ、いつまでも、沈み込んでいて、肝心の愛の精神を扼殺してくれるな、この一時の倦怠と悲しみが陸地を分け隔てる海のようであればよい、契ったばかりの二人が毎日岸辺に立つのは、新鮮な新たな愛が戻ってくるのを見て、一層幸福に浸りたいからだ。この時期をふたりの間の冬と呼んでも良い、苦労はつきないけれどそれだけに夏は、一層楽しかろう、幾重にも望ましくて、なお一層素晴らしい…。
2024年08月06日
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第三十九聯、ああ、ああ、ああ、君よ、私の優れた所の一切である君よ、君よ、私は慎みを失わずにどれだけ君の美徳を賞賛讃仰できるだろうか、慎みなどいらぬ抑制などは必要ないことなのだけれども…、私が自分自身を褒めたたえた所で、私に何の得があるというのだろうか、ベターハーフたる君を当然の如くに賞賛するだけにしか過ぎない、私が君を、この世の至宝を当然のこととして褒めたたえたとして、それは自分を褒めたことでしかない。だからこそ、二人は別々に別れて生きようではないか、君、この深い、真実の愛情から一つの物と言う呼び名を取り除けようではないか、私はこの別れによって君一人だけが受ける資格のあるものを、君に対する絶対的な賞賛を、捧げることが出来ようからね、ああ、別離よ、死ぬよりも辛い別離よ、本当ならこれはどれほどに辛く悲しい苦しみとなるか。実際にはそうはならないので、この苦い閑暇が我々に甘い許しを与え、甘美な甘い思い出に浸りながら時を過ごさせてくれるから。それが時間と気の塞ぎとを欺いて、心を楽しませて呉れるからだ、また、遠くに居る人を私の詩歌の中では正当に誉めちぎり、一人を孤独ではなくて、温かな二人にしてくれるからだよ、そうだろう、君、愛おしい素晴らしい君よ、ああ…。そして遠くに居る人を私の詩の中では褒め讃えて、別々に分かれている一人をそれぞれに二人にする術を我々に教えてくれるのだ。 そして第四十聯、愛する者よ、君よ、私の全てよ、私の愛情も、恋人も、いっさいがっさいを奪うがよい、奪うが良い、私の愛も恋人もだ、それで試みに質ねるのだが、これまでよりも物持になったのだろうか、どうなのかね、今さらに真の愛情と呼ぶ程の物は私はもう持ち合わせてはいない、愛する君よ、心の底から敬愛もする君よ、君が僕から奪い取る前から私の真の愛情は全部が全部、君の物だった、もし、私を愛しているから私の愛人の愛を受け入れたのなら、私の女と君がベッドを共にしたと言って、君を咎めるわけにも行くまいよ、だがしかし、嫌いなものを無理して味わった挙句にこの忠実な下僕でもある私を残酷に裏切るのならば、咎められても当たり前だ、君よ、この上もなく優しい酷薄な盗人よ、君よ、ああ、君よ、君は乏しい私の財産の一切合財を酷くも掠め取ったけれども、それでも私は君の行為を許す、憎悪が危害を加えるのはこちらも予期し我慢する覚悟をしていたが、愛の裏切りに実際に耐え抜くのは、愛する者にとっては予想以上に辛く厳しい、ねえ、君、色好みの美男子さんよ、君はどんな種類の悪さをしでかしても良く映るのだ、だから、せいぜい酷い仕打ちで私をとことん殺せ、完膚なきまでに叩き潰せ、が、君、君もよく承知しているように二人は終生敵にはならない、そう、心底から愛し合っているから、運命の相手同士だから…。 どうやら美青年は詩人を手酷く裏切り、恋人の女を手に入れてしまったようだ。けれども、詩人は言葉の上では兎も角も、実際には微動だにせずに彼への殉愛に撤しようとしている。とにかくこの青年は人類史上で最高に素晴らしい人間なのだ、彼のすることはすべてが神によって許されている、人間に許せないはずもないのだ。私などは、光源氏を想像すればそんなに難しくもなくイメージを膨らませることが可能だが、普通に神に近い理想的な人物と単純に考えていればよいので、詩人がプライドも見栄も何もかも捨てて青年への盲目的な愛に、献身的な純情に殉じようとしている健気さを無邪気に信じさえすればよいのだ。詩人とは大人でありながら心は純情可憐な子供と何ら変わらない無垢なお人だと理解すれば事足りるのだった。 第四十一聯、時折、私が君の心のそばを離れている隙に、気随気ままな放蕩に引きずり込まれてちょいとした過ちを犯すのは、君の美貌と若さには誠に似つかわしいこと、君は何処へ行っても常に誘惑の手が付きまとっているのだからね、しかも君は無類に優しいから相手の口説きに落ちやすい、君は度外れに美しく魅力的だから社交場の中心的存在にならないわけがない、女はもちろんのこと男たちだって盛りのついた獣同様に奮い立ち、攻撃を仕掛けてくる、それに男子たるもの女から攻撃を仕掛けられて、据え膳宜しく、おめおめと引き下がれようか、ああ、でも君、君、私の席とも称すべき、あの女性には手をつけては欲しくなかった、君の美と若さを一寸叱りつける余裕を示してもらいたいところだったが、出来てしまったのだからもう泣き言を言っても後の祭りだ、社交場での狼たちは血気に逸って君を引きずりまわし、挙句には、二重の意味で君の心の誠を、真実を破らせずには置かないのだからね、先ず最初は君のたぐいまれな美貌が女達の欲情を誘惑して彼女達の真を無残に破り、次いで、君の美貌は私の心臓と心を破り、裏切って君の真実を完全に破壊しさるのだ、実に、ああ、君よ…。 青年は残酷無残にも詩人の情人を寝盗り、詩人のハートを破壊し去った。事実であるが、事実ではない。これしきのことでは詩人の強靭な精神はびくともしない。詩人は静かに身体全体の痛みに耐え、自己の心の真実に想いを凝らすだけだ。 第四十二聯では、君よ、最愛のわが宝よ、君が私の大切な彼女を手に入れたのが、私の悲しみの全てではない、まあ、それは、私は心から彼女を愛したとはいえるけれども、彼女が君を物にしたこと、これが私の第一の嘆きなのさ。この方がずっと骨身にこたえる愛の損失だと言える。ええいっツ、愛の犯罪者達め、それでも私は君をこう弁明してやろう、君は私の彼女への真剣な愛を知悉しているが故に彼女を愛するのだと、また、彼女の方でも同様に、私を思う故に私を意図的に欺き、わが最愛の友が自分を味見するのを敢えて許すのである。たとえ私が君を、君という掛け替えのない愛人を失っても、この損失は私の女の得に必ずなるのだよ、君、そして私が彼女を失ったとしても、君、我が最愛の友がその失せ物を手にするのだ、即ち、私が大切な物二つを同時に失ったとしても、その二つが互を見つけ合い手を取り合うのだ、二人は手を取り合って私に重い十字架を担わせてくれるわけだ。だが、しかし、此処にも歓びはあるのだよ、詰まり私とわが友とは一心同体なのだから、ああ、甘美な幻惑よ、いやまさに真実そのものなのだが、結論を言えば、わが麗しの情婦は結局私一人を愛しているのだよ、まさに、君、そうだろうじゃないか、君、君…。 第四十三聯では、私の両目はぴたりと閉じている時に、最も良くものを見ている、昼日なかは、物を見るとしても碌に対象を捉えてはいないのだ、しかし眠ると、私の視線は夢の中で君の有難い姿を見出して、闇の中でも明るさを取り戻しては、はっきりと暗黒に焦点を定める、するとどうだろう、君の幻影が夜の暗闇を明るく照らし出すわけなのだよ。この幻影の本体である君が、昼よりもなお明るい光を放っては、明るく眩しい昼間に姿を現してくれたら、どんなにか楽しかろう、何しろ君の影は見えぬ眼にもこんなにも光り輝くのだからね。真夜中に、深い深い眠りの中で、見えぬ眼に、その美しく虚ろな影が出現するのなら、再度言おうか、まっ昼間に君を見たならば私の眼はどんなにか幸せな思いをすることだろう、君を現実に見るまでは、私の眼には昼も夜と同じことであり、又、夢が君の香しい姿を見せてくれるのなら、漆黒の夜も光眩しい昼間も同然なのだからね。 続いて第四十四聯、この私の肉体と言う重い物質が思考のように軽ければ、酷く邪魔っけな道のりも私の足を止めはしないだろう、そうであれば、私は君からどんなに遠く離れていても、どんなに僻遠の土地からでも、私は即座に君のいる場所へやって行くだろうに。たとえ、この足が君から隔たること遥かに遠い、地の果てに立っていようとも、そんなことは問題にもならない、身の軽い思考は、行こうと思う土地を思い浮かべると、海も大地もたちどころに飛び越えるのだからね、だが、私は思考ではないから、そう自覚すると急に心が滅入ってしまう、懐かしい君と離れても、何百里を跳びこすわけにもいかないのだ、ああ、残念無念、私の肉体は大方が土と水で組成されているから、ただ嘆きながら時のご機嫌をうかがうしかない、請願人が強大な権力者に媚びへつらうように。でも、この鈍い二元素にかけて言うが、頂戴するのはただ悲しい涙だけで、この二元素の嘆きの印、悲しみの涙…。 詩人の嘆きは極めて人間的だ、精神的には自由自在を我が物とし得ている天才も、うつしみの鈍重な肉体の檻に閉じ込められている囚人も同然で、おまけに賤しい身分という首枷までつけられている。言葉の自由は現実の桎梏をよう克服し得ない、平凡人も変わらないし、貴族や王侯と言えどもその点ではあまり変わらないのだ。人間である歓びは、人間である悲しみと背中合わせの関係にある。古代の日本では、天人や天上界の女人と交わったとしても、相手は最後には清浄なる本来の場所に帰ってしまうと言う、諦念のようなものがあった。この世は憂きもの、不浄なる人間世界といった固定観念があって、異世界への止むことのない憧れが根底にあった。大空を自由に行き来している鳥達への憧れもあって、涯てしない大空への夢想は限りなく膨らんでいたようである。私などは古代の日本列島は周囲を清浄極まりない美しい海に囲まれた理想境と理解しているのですが、人々の生活も質素ではあっても麗しいものであったに相違ないと勝手に決め込んでいるのですが…、詩人の住んでいた英国は十六七世紀ですから、日本でも戦乱の時代を迎えてますから人間を美化ばかりして済ますわけにもいきませんね。 念の為につけくわえておきますが、私個人は理想的な人間など求めてはいませんで、ごくごく当たり前の普通人が大好きでして、大抵の人間は嫌いではなくて、好きです。これも他人との比較ではなくて、個人的な見解ですが、私ほど人間関係で恵まれている者はいないと考えています。その頂点には女王様の如き 悦子 が君臨しており、友人知人が皆人間臭くて面白みがあり、興味深い人が大勢いましたし、現在も人間関係では極めて恵まれており、浅草の観音様を始め神仏の御加護のお陰で幸せな生活を送ることができており、このソネットの味読も猛暑の夏には絶好の消夏法として役立っており、実に有り難くて感謝の極みなのであります。 第四十五聯、他の二つの元素、つまり、軽い空気と浄めの火だが、私が何処に居ようとも両方ともに君と一緒にいる。一つは私の思考だし、もう一つは私の欲望だ、この二つが私と君の間を行ったり来たりして、目まぐるしく往復するのだよ。だから、この身の、軽い二つの元素が優しい愛の使者として君のもとに出かけてしまうと、四大(土、水、火、空気)からなるわが生命は残りの二つだけになり、黒い胆汁に圧迫されて死のもとへ降りていくのだ、しかし、あの速やかな使者たちが君のもとから帰ると、四大の配合は正常なものに戻り、生命が新たに蘇る。所で、この使者達だが、たった今帰ってきて君が元気で暮らしていることを教えてくれた。そう聞けば勿論私は嬉しいのだが、その喜びも長くは持たない、またも彼らを使いに出して、すぐに悲しく憂鬱な気持に陥ってしまう。 第四十六聯、君の姿という獲物をどう分配するか、私の眼と心は命懸けで争っている、眼は心に君の素敵な絵を見せまいとする、心は眼に、見る権利を勝手に使わせまいとする、心は、君を中に収めてあると申し立て、ここは透明な眼も入り込めぬ私室だと言う、しかし、相手方はその言い分を否定して、君の美しい姿は我が内にあると言う。この所有権を決めるために、思考の群れが陪審に選ばれる、すべて心に仕える者達だ、さて彼らの判決により輝く眼の取り分と、細やかな心の分け前が、こう決められた、即ち、私の眼の取り分は君の外側の姿、私の心の所有分は君の内なる心の愛情、と。
2024年08月02日
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紫の 帯の結びも 解きも見ず もとなや妹に 戀ひ渡りなむ(― 女の紫の帯の結びも解いてもみずに、どうにもならずに妹を想い続けることであろうか)高麗錦(こまにしき) 紐の結びも 解き放(さ)けず 齋(いは)ひて待てど しるし無きかも(― 高麗錦の紐の結びも解き放たずに、潔斎をして待っているけれども、その験がないことだ)紫の わが下紐(したひも)の 色に出でず 戀ひもかも痩せむ 逢ふよしもなみ(― 顔色に出さずに恋に悩んで痩せることであろうか、逢う手段もなくて)何故(なにゆゑ)か 思はずあらむ 紐の緒の 心に入りて 戀しきものを(― どうしてあなたのことを思わずにいられましょう、心に染みて恋しいものを)眞澄鏡(まそかがみ) 見ませわが背子(せこ) わが形見 もたらむ時に 逢はざらめやも(―真澄の鏡を私だと思って御覧下さい、わが背子よ、私の形見のこの鏡を持っておられたら、またお逢い出来ないということは御座いますまい)眞澄鏡 直目(ただめ)に君を 見てばこそ 命にむかふ わが戀止(や)まめ(― 直接あなたを見たならばこそ命懸けの私の恋も鎮まるでしょうけれども)眞澄鏡 見飽かぬ妹に 逢はずして 月の經ぬれば 生けるともなし(― 見飽きることのない妹に逢わずに幾月も経ったので、生きていないも同然です)祝部(はふり)らが 齋(いは)ふ三諸(みもろ)の 眞澄鏡(まそかがみ) 懸けてそ偲(しの)ふ 逢う人ごとに(― 私は逢う人ごとにあなたの事を口にのぼせて、偲んでいます)針はあれど 妹し無ければ 着けめやと われを煩(なやま)し 絶ゆる紐の緒(― 針はあっても妹がいないから付けることはできないであろうか、切れては私を悩ます紐の緒です)高麗劔(こまつるぎ) 己(な)が心から 外(よそ)のみに 見つつや君を 戀渡りなむ(― 私の性分で、あなたをただ傍から見ているだけで、しかも恋い続けることでしょう)劔刀(つるぎたち) 名の惜しけくも われは無し このころの間(ま)の 戀の繁きに(― 私はもう名の惜しいこともありません、この頃はもう恋しさが余りにもしきりなので)梓弓(あづさゆみ) 末(すゑ)はし知らず しかれども まさかは君に 寄りにしものを(― 将来のことは分かりません、しかし今は、あなたにしっかりと寄り添っていますものを)梓弓 引きみゆるへみ 思ひ見て すでに心は 寄りにしものを(― 梓弓を引いてみたり緩めてみたりするように、色々と考えてあなたに靡いたのですから)梓弓 ひきてゆるへぬ 大夫(ますらを)や 戀といふものを 忍びかねてむ(― 梓弓を引いて弛めもしない男一匹が、恋などというものをどうして堪える事ができないのだろう)梓弓 末の中ころ 不通(ふど)めりし 君には逢ひぬ 嘆きは息(や)めむ(― 中頃打ち絶えて通っておいでにならなかったあなたに、再びお逢いできました。もう嘆くのはやめましょう)今さらに 何しか思はむ 梓弓 引きみゆるへみ 寄りにしものを(― 今更どうして悩みましょう、梓弓を引いてみ、弛めてみするようにして、いろいろ考えてあなたに靡いたのですから)少女(をとめ)らが 績麻(うみを)の絡垜(たたり) 打麻懸(うちそか)け 績(う)む時無しに 戀渡るかも(― 少女達が麻を糸にすると言うので、台の上に棒を立てた道具のタタリに打った麻をかけてうむ・つむぐ そのウムではないが、倦む時無しに私はあなたを恋しています)たらちねの 母が養(か)ふ蠶(こ)の 繭隠(まよこも)り いぶせくもあるか 妹(いも)に逢はずして(― 母が飼っている蚕が繭にこもるように、心持が晴れないことである。妹に逢う折がなくて)玉襷(たまたすき) 懸けねば苦し 懸けたれば 續(つ)ぎて見まくの 欲(ほ)しき君かも(―口に出して名前をお呼びしないと苦しくて、お呼びすると、その夜にはお逢いしたいあなたです)紫の し色(み)の蘰(かずら)の はなやかに 今日見る人に 後戀ひむかも(― ムラサキ草でそめたカズラのように、花やかに美しいと見たあの人に、あとで恋することであろうか)玉かづら 懸けぬ時無く 戀ふれども 何しか妹に 逢う時も無し(― 心にかけない時はなくいつも恋しく思っているのに、どうして妹に逢う時がないのだろうか)逢ふよしの 出で來るまでは 疉薦(たたみこも) 重ね編(あ)む數 夢(いめ)にし見えむ(― 恋しい人に逢うきっかけが出来るまでは、畳薦を重ねて編む数ほど、幾度も妹が夢に見えることだろう)白香(しらか)付(つ)く 木綿(ゆふ)は花物(はなもの) 言(こと)こそは 何時(いつ)のまさかも 常(つね)忘らえね(― あなたの美しいお言葉こそ何時も忘れることができずにおりますが、美しいシラカ・麻やこうぞの類を細かく裂いて白髪のようにして神事に使うもの をつける木綿花は移ろいやすい物と申します)石上(いそのかみ) 布留(ふる)の高橋 高高(たかたか)に 妹が待つらむ 夜そ更けにける(― 今か今かときっと妹が心待ちにしているであろうに、夜は更けてしまった)湊入(みなといり)の 葦別小船(あしわけをぶね) 障(さはり)多み いも來(こ)むわれを よどむと思ふな(― さしさわることが多くて、すぐに行こうと思って行けない私を、妹よ、心がさめたのだと思わないでおくれ)水を多み 高田(あげ)に種蒔(ま)き 稗(ひえ)を多み 擇擢(えら)ゆる業(なり)そ わが獨り寝(ぬ)る(― 高田には水が多いので種を蒔くと稗が多く出る。そこでよくない穂はよりとって捨てられる。畑仕事と同じです、私は独りで寝ています)魂合(たまあ)はば 相寝(ね)むものを 小山田の 鹿猪田(ししだ)禁(も)る如(ごと) 母し守(も)らすも(― 心が合うなら一緒に寝ましょうものを、山田のシシ田を監視するように、母が守っています)春日野(かすがの)に 照れる夕日の 外(よそ)のみに 君を相見て 今そ悔しき(― 春日野に照っている夕日のように、縁のないもと傍からあなたを見ていたことが、今になってつくづく後悔されます)あしひきの 山より出(い)づる 月待つと 人には言ひて 妹(いも)待つわれを(― 山から出る月を待っているのですと人には言って、逢う約束をした妹を待っている私です)夕月夜(ゆふづくよ) 暁闇(あかときやみ)の おぼぼしく 見し人ゆゑに 戀ひ渡るかも(―はっきりと見た人ではないのに、私はこんなに恋い続けています)ひさかたの 天(あま)つみ空に 照る月の 失(う)せなむ日こそ わが戀止(や)まめ(― 大空に照る月が失せてしまう日にこそ私の恋は止むであろうが、失せる時などないから、私の恋は止む時がない)望(もち)の日に さし出づる月の 高高(たかたか)に 君を坐(いま)せて 何をか思はむ(― 十五夜の月を望むように待ち焦がれていたあなたに、ここにこうしておいでいただいて、他に何の思うことがありましょう。全く満足です)月夜(つくよ)よみ 門に出で立ち 足占(あうら)して ゆく時さへや 妹に逢はざらむ(― 月がよいので足占・右足と左足のどちらが先に目標に着くかで吉凶を定める占い をして逢いに行っても妹に逢えないのだろうか)ぬばたまの 夜渡る月の 清(さや)けくは よく見てましを 君が姿を(― 夜空を渡る月が澄んでいたならあなたのお姿をよく見たでしょうに)あしひきの 山を木高(こだか)み 夕月を 何時(いつ)かと君を 待つが苦しさ(― 何時あなたが見えるかとお待ちすることの苦しさよ)橡(つるばみ)の 衣(きぬ)解(と)き洗ひ 眞土山(まつちやま) 本(もと)つ人には なほ如(し)かずけり(― ツルバミの衣を解いて洗ってまた打つと言う、マツチ山、その名から連想されるモトツヒト、元から馴染んだ妻に勝るものはないなあ)佐保川の 川波立たず 静けくも 君に副(たぐ)ひて 明日さえもがも(― あなたのおそばにいて静かな気持で明日もまた過ごしたいものです)吾妹子(わぎもこ)に 衣(ころも)春日(かすが)の 宜寸(よしき)川 縁(よし)もあらぬか 妹が目を見む(― 何か方法がないものか、妹の姿を見たいものだ)との曇(ぐも)り 雨降る川の さざれ波 間(ま)無くも君は 思ほゆるかも(― 一面に曇って雨降る川の小波が止むときなく立つように、絶えずあなたが思われることです)吾妹子(わぎもこ)や 吾(あ)を忘らすな 石上(いそのかみ) 袖布留(ふる)川の 絶えむと思へや(― 吾妹子よ、私を忘れないで。石上の布留川の水が絶えないように、私たちの仲は絶えることがないと思っています)三輪山(みわやま)の 山下響(とよ)み 行く川の 水脈(みを)し絶えずは 後もわが妻(― 三輪山の麓を水音高く流れていく初瀬川の水脈が絶えないように、絶えず私を思ってくれるならば、あなたはいつまでも私の妻です)神(かみ)の如(ごと) 聞ゆる瀧(たき)の 白波の 面(おも)知(し)る君が 見えぬこのころ(― お顔をよく存じ上げているなたなのに、この頃お見えになりませんね)山川(やまがは)の 瀧(たぎ)に益(まさ)れる 戀すとそ 人知りにける 間(ま)なくし思へば(― 山川の激しい流れにも勝る激しい恋をしていると人々が知ってしまった、いつも物思いをしているので)あしひきの 山川(やまがは)水の 音に出でず 人の子ゆゑに 戀ひ渡るかも(― 山川の水音のようにはっきりとは言葉に出さず、私は想い続けることである。あの娘は人のものだのに)高(こ)せにある 能登瀬(のとせ)の川の 後も逢はむ 妹(いも)にはわれは 今にあらずとも(― 妹には後にでも逢おう、今、人々の反対を押し切ってではなくて)洗ひ衣(きぬ) 取替(とりかひ)川(かは)の 川淀の まどろむ心 思ひかねつも(― あなたのところへ通わずにいる気持を、じっとこらえていることは、到底出来ません)斑鳩(いかるが)の 因可(よるか)の池の 宜しくも 君を言はねば 思ひそわがする(― 世間の人があなたのことをよく言わないので、私は心配しています)隠沼(こもりぬ)の 下ゆは戀ひむ いちしろく 人の知るべく 嘆きせめやも(― 心の中では思っていよう、はっきり人目につくように嘆息などをするものか)
2024年08月01日
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私が安らかに死を迎える日が来ても、君が私よりも生きながらえてくれて、死神という非人が私の骸に土を被せても、ふとした拍子に私が嘗て君をこよなく愛して捧げた詩歌を読み直す時が来たら、それがどれほどに拙くて、粗雑だったとしても、当代を代表する優れた詩人達の大層進歩した技に比べて、仮に誰彼からも追い越されて、打ち負かされていようとも、詩詞そのものの価値からではなくて、私の比類なく大きな愛情の故に廃棄などせずに、取っておいて呉れたまえ。技量や詩想が詩才豊かな者達の影に隠されてしまったとしても、ああ、君よ、我が最愛の恋人よ、こう思いやってくれたなら嬉しいのだが、詰まり、私の愛しい友人の詩心がこの進歩の時代とともに成長してくれていたら、彼の自分への愛情はこれよりも高貴な作品を生み出し、もっと華やかできらびやかな作品と肩を並べて歩んだであろう、と。だが、彼は既になくて、詩人たちは進歩して止まない、彼等の詩は文体を愛でて、彼の詩は愛を愛でて読もう、と。 以上が三十二聯です。シェークスピアのこのへりくだった謙遜の言葉は文字通りには謙遜であって謙遜ではない、非常な自己への確固たる自信が透けて大きく顔をのぞかせている。エセ詩人たちだけが世にはびこっているのは彼の時代だけでははなくて、いつの時代でも大同小異なので、人類史上に傑出した大天才が自己を正当に評価できない筈もなく、ごく一般的で平凡な措辞を使用して、さりげなくさらりと言ってのけているところが、彼らしい言い回しと私には心にくく感じられてならない。 第三十三聯、私はこれまでに何度となく見てきている、光眩い朝が王者に相応しい眼差しを投げ掛けて山脈の峰々を励まし、金色の光の箭を送り緑の牧場に挨拶の接吻を贈り、天空の錬金術を以て鉛色の流れを金色に変えるのを。だが、やがては真っ黒な不吉な雲が湧き上がって、醜悪なちぎれ雲となり、清浄な天の顔を覆い、戸惑っている世間から美々しい玉顔を押し隠すと、その汚辱を濯ぎもせずに、姿を見せる事もなく、こっそりと西への旅路を急ぐのを、私は見てきた。私の太陽たる友人もこれと同じで、ある日の早朝に眩いばかりの光を放って私の顔に輝いた、だが、何としたことであるか、私のものであったのはほんの一時間ほどであった、今は天の雲が彼を私から隠してしまった、だからと言って、私の強い揺るぎない愛情はいささかも彼を蔑むことはない、天の太陽が曇るのならば、この世の太陽だって輝きを失うのは必定なのだ。 批評家などの注釈によれば、詩人とその愛人たる青年との間に何か強い葛藤が生じて、これに続く数聯がその事件を廻っての連作と言う緊密さを有しているものらしい。 第三十四聯、何故に君は、素晴らしい一日が始まると言って、外套も着せずに旅に送り出しておきながら、黒雲を放って道中の半ばで私を捕らえさせて、その美々しい姿を瘴気(しょうき)の中に隠したのか、雲の間からちょいと覗いて、嵐に打たれた私の顔の雨水を乾かすと言うのでは、とても十分とは言えまい。傷は治すけれども、傷痕までは直さないなどとは、誰だってそんな軟膏を褒めるわけにはいかない、また、君の後悔が私の生々しい苦痛の薬になるわけでもない、たとい君が悔いたところで私が大変な損をしたことにはかわりはないさ。人を傷つけてから悲しんだところで、ひどい目に合わされて受難の十字架を負う者には、たいして慰めにはならない。ああ、だが、だが、君の愛が流すこの涙はさながら大粒の真珠だ、これはまさに値打ちもので、どのような非行でも贖(あがな)ってあまりある…。 所で、劇とは、ドラマとは、芝居とは何だろうか? シェークスピアは劇作の大大天才であった。端的に言ってその本質は「人間的である」ことにあるだろう。人間は自然に生きていると同時に、自己の生き方を含めた人間のあり方を自覚して楽しみたいと言う欲求に駆られる存在でもある。人間にとって一番の興味の対象は自己自身なのだ。劇、芝居は一種の儀式として自己を見つめ、自己を分析して、また客観的に自分を眺めて楽しむ娯楽でもあった。劇的とは人間的と同義語である。自分はあんなにも滑稽であり、時にはあれほどまでに正義感に燃え、殺人を犯し、人妻を誘惑し、王位を簒奪もする。賤しくも有り同時に高貴で清浄でもある、何て矛盾に満ちてバカバカしく、時には神にも等しく尊貴なのであろうか。プライドを無闇と気にかけるかと思えば、なんの理由もなく下卑て犬畜生にも劣る下賤な行為にも走る。一体、自分とは、人間とは何者なのであろうか…。詩人は、劇作家は、こうした人間的な好奇心からスタートして途轍もなく切り立った嶮峻なる山の高みへと至る。そこからの眺望がどのようなものであったかは、彼の創作した作品を鑑賞すればある程度までは理解可能だ。 このソネットでは、詩人と愛人兼友人たる美青年と、詩人の愛人と、黒の貴婦人と呼ばれる高級娼婦めいた謎の女性が主たる登場人物であるが、これはさながら下界の世俗社会を象徴する人物グループとも言え、そこに展開するドラマティックな葛藤・心理的衝突は人間界の縮図とも解釈できよう。この長編ソネットで詩人が目論んでいるのはフィクションだけでは描ききれなかった人間劇の発展系を現実の只中に別個に構築しようという、ある種壮大な計画の実践遂行なのであって、シェークスピアは並々ならぬ野望でこの冒険に果敢に挑戦し、見事に成功を収めている。私はいささか先走り過ぎてしまったようですが、これまでに誰もが実現できていない自由翻訳の代替物として、私は素人の立場から自由自在に視点を変えたり、玄人には難しい解釈を持ち込んだり、巨大な建築物に様々な視点からアプローチを試みて、傑作の傑作たる所以を殆ど詩や劇などにも関心を持っていなかった人々にも、改めて注目して頂くきっかけになればと、しかしながら私の関心は自分自身が半歩でも、四分の一歩でも大詩人の傑作世界に近づきたいが為のお気楽な道楽仕事を、心ゆくまで楽しむ所存なのです。世のため人の為を一応は標榜しながらも、元はしっかりと取っている、結構、お人好しだけではない酷暑の格好の消夏法でもあるわけですね、実際のところ。散文でさえ、意味は二の次で、言葉の調子、抑揚、リズム、高低など音の流れ等が主としたものであるわけで、韻律や詩歌は尚の事複雑多岐を極める世界ですから、どうぞ皆様方も悠長に構えて人間の言葉を堪能する一端として、このソネットの下手な解説を斜め読みなりしていただき、詩一般への関心と興味を深めて頂けたなら、これに過ぎる幸せはありません。 第三十五聯ですが、もうこれ以上君が行った事柄を悲しむのはよしたまえ、美しい薔薇には必ず鋭いトゲがあるし、清澄透明な泉にも泥の底が控えている。大空に輝く日や月にさえそれを翳らせる日蝕や月蝕があるのだ。こよなく美しい花のつぼみにも忌まわしい虫が潜んでいる。人は誰でも過ちを犯すもの、この私だってその例外ではいられない、君の罪を他と引き比べては正当な行為なりだなどと認知し、君の軽率な罪を言い繕って、私自信を堕落させている始末、何故なら君の罪を殊更に軽く判定して見過ごそうとするのだからね。その上に、君の官能の罪悪を助けようとてとっときの分別を呼び入れ、この君の敵である者を君の弁護人に仕立て上げ、私自身を相手に法に則って訴訟騒動を起こそうという始末なのだよ、私の大きな愛情と激しい憎しみとはさながらに内乱状態にあるのだからね。私から酷(むご)くも奪い取る優しい盗賊がいれば、私はすぐさまその共犯者にならずにはいられないのだよ。 全体の趣旨は、相手の罪を庇うように見せかけて、その実、痛烈な皮肉、恨み言を述べるもので、こういう屈折したレトリックはこの後でもしばしば使われる。 第三十六聯、私達ふたりの愛が目出度く合体して、一つになったとしても、私達二人はやはり個別の二人で変わりないことを認めよう、だから君、私の身に付きまとっている特有の汚名に関しては、当然に君の手を借りずに私一人が背負わなければいけないのだ、気にしないでいて呉れたまえ、私達の二つの愛には一つきりの目標しかないが、私達の人生には二人を絶対的に裂く忌まわしい距離、高級貴族と一介の座付き作者たる実に賤しい身分の差、がある、この事実はひとつになった愛の働きを変えたりはしないが、愛情の喜びの盃から楽しい時間を掠め取るくらいの悪さはするだろう、私はこれからは二度と君に挨拶などはすまい、この嘆かわしい罪が君に恥をかかせたりしてはいけないのでね、だからお願いする、君も人前では私に優しい素振りを見せないでくれ、君の名誉ある名前に疵をつけたりしてはいけないからね、どうか、そんな真似はやめてくれ、私は心の底から君を愛しているのだから、君自身だけでなくて、君の輝かしい名声も我が物にしたいのだ。 続いて第三十七聯、耄碌して老いさらばえた父親が、活気にあふれる我が子の若々しい振舞いを見て喜びを覚えるように、私も運命の女神に手酷く憎まれて、足萎えになりはしたが、君の優れた人柄と誠実な心に慰めを見出している。美と家柄と、富と知恵と、このいずれかが、又はこの全てが、或いはこれを超えるものが、君の美徳の最高主権者となり王座を占めようとも、この豊饒な徳の宝に私は自分の愛を接木するのだ。そうなればもう、私は足萎え、貧乏人、卑賎の身のどれでもない。こうした幻影が堅固な実体を作り出してくれるから、私は君の豊かさにすっかり堪能してあらゆる栄光に與りながら生きることになる、それゆえに最善の物が全て君に備わることを私は願うのだ、そう望みさえすれば私はもう十倍も幸福になるのだからね。 第三十八聯、私が信奉する詩の女神が題材に事欠くはずもない、何しろモデルとしては最高の君が現に生きていて、君という格好の美しい主題を私の主題に注ぎ込んでくれるのだから、これは、そこらへんのヘボ詩歌の中で、使用させるには勿体なさ過ぎる。ああ、ああ、君よ、私の詩の中で読むにたるものが目に止まったならば、その時は君自身に礼を述べてくれたまえよ、君自身が私の想像力に光明を与えてくれるのに、その君に対して黙りこくって何も書けない者などいるものか、いやしないさ、君は第十番目のムーサイになり、へぼ詩人達が呼びかける昔の九人の詩神達よりも十倍多い御利益を授けてくれ。そうして、君に祈りを授ける者にはこれからも長くこの世に残る不朽の名詩を産ませてやってくれ。私のか弱い詩神が気難しい当世人を楽しませるのなら、苦労したのは私であっても、賞賛を受けるべきなのは、君なのだ、そう、君なのだからね。
2024年07月30日
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悔(くや)しくも 老いにけるかも わが背子が 求むる乳母に 行かましものを(― 残念にも年をとってしまったことだ。若ければわが背子が求める乳母として行こうものを)うらぶれて 離(か)れにし袖を また纏(ま)かば 過ぎにし戀い 亂れ來(こ)むかも(― 恋する心もしおれて、離れ離れになってしまった恋人の袖をまた枕にしたならば、過ぎ去った思いがまた狂い乱れてくるであろうか)おのがしし 人死(しに)すらし 妹(いも)に戀ひ 日にけに 痩(や)せぬ 人に知らえず(― 人それぞれにその人らしい死に方をするものらしい。私は妹を恋して日益しに痩せてしまった、人に知らせることもせずに)夕夕(よひよひ)に わが立ち待つに けだしくも 君來まさずは 苦しかるべし(― 毎日日が暮れると私は門のところに立って待っていますのに、もしもあなたがお見えにならない時には、さぞ苦しいことでしょうね)生(い)ける代に 戀といふものを 相見ねば 戀の中にも われそ苦しき(― 生きているこの世で恋というものの正体が分からないので、恋の只中にいて私は苦しい)思ひつつ をれば苦しも ぬばたまの 夜になりなば われこそ行かめ(― あなたを思いながらお待ちしていると苦しくて耐えられません。夜になったならば私こそあなたのところに参りましょうに)心には 燃(も)えて思へど うつせみの 人目を繁み 妹に逢はぬかも(― 心の中では燃えて思い続けているけれど、世間の人の目が多いので、妹に逢えないことであるよ)相思はず 君はまさめど 片戀に われはそ戀ふる 君が姿に(― あなたは私など思わずにおいででしょうが、私は片思いをして、あなたのお姿をお慕い申しておりまする)味(あぢ)さはふ 目は飽かざらね 携(たづさは)り 言問(ことど)はなくも 苦しかりけり(― 目だけ見合わすことはいつもありながら、手を取り合って言葉を交わすことが出来ない事は苦しいこととつくずく思います)あらたまの 年の緒長く 何時(いつ)までか わが戀ひ居(を)らむ 命知らずて(― 年月長く何時まで私は恋に苦しんでいることであろう、命に限りがあることを知らずに)今は吾(あ)は 死なむとわが背 戀すれば 一夜一日も安けもなし(― 今はもう私は死にそうです、わが背よ、恋い焦がていると一日一夜も安らかな日はありません)白栲(しろたへ)の 袖折り反(かへ)し 戀ふればか 妹が姿の 夢(いめ)にし見ゆる(― 白栲の袖を折り返して寝て、妹が私を恋しているからか、その姿が夢に見えることよ)人言(ひとこと)を 繁みこちたみ わが背子(せこ)を 目には見れども 逢うよしも無し(― 他人の噂がうるさいので、わが背子を目には見るけれども逢う手段がない)戀ふといへば 薄きことなり 然れども われは忘れじ 戀は死ぬとも(― 恋と言えば何でもないことのようであるが、私はあなたを忘れまい。恋焦がれて死んでしまおうとも)なかなかに 死なば安けむ 出づる日の 入る別(わき)知らぬ われし苦しも(― いっそ死んだならば安楽だろう、恋の思いに心みだれて、昇る太陽が何時沈むのかも分からない私は、全く苦しい)思ひ遣る たどきもわれは 今は無し 妹に逢はずて 年の經ぬれば(― 気持を晴らす手段も今はもはやない、妹に逢わずに年が経ってしまったので)わが背子に 戀ふとにし あらし緑児(みどりこ)の 夜泣きをしつつ 寝ねかてなくは(― 小児のような夜泣きをして眠れないのは、わが背子を恋しているということらしい)わが命の 長く欲(ほ)しけく 偽りを 好(よ)くする人を 執(とら)ふばかりを(― 私の生命がどうか長くあって欲しい、当てにならないことを巧みに言う人を、捕まえることが出来るほどに)人言を 繁みと妹に 逢はずして 心の内に 戀ふるこのころ(― 他人の噂があれこれと煩いので、妹に逢わずに、心の中であれこれと思うこの頃である)玉梓(たまづさ)の 君が使を 待ちし夜の 名残(なごり)そ今も 寝(い)ねぬ夜の多き(― あなたの使を待っていた夜の名残で、それが習慣になって、今も眠れない夜が多いことです)玉鉾(たまほこ)の 道に行き合ひて 外目(よそめ)にも 見ればよき子を 何時(いつ)とか待たむ(― 道で行きあったときに、傍から見ても可愛い子だが、何時になったら当てにして待っていようか)思ふにし 餘(あま)りにしかば 爲方(すべ)を無み われは言ひてき 忌(い)むべきものを(― 思い余って、するすべもなく、私は恋人の名を呼んでしまった。口にすべきではなかったものを)明日(あす)の日は 其の門行かむ 出でて見よ 戀ひたる姿 あまた著(しる)けむ(― 明日はあなたの家の門の前を通りましょう、出て御覧なさい、私の恋にやつれた姿がはっきりと分かるでしょう)うたて異(け)に 心いぶせし 事計(ことはかり) よくせよわが背子(せこ) 逢へる時だに(― ますます変に気持が塞ぎます。わが背子よ、せめてお逢いしたいときだけでも事を上手く運んでください)吾妹子(わぎもこ)が 夜戸出(よとで)の姿 見てしより 心空なり 地(つち)は踏めども(―吾妹子が夜、珍しく戸口に出て立った姿を見てから、私の心は上の空です。地は踏んでいるけれども)海石榴(つば)市(いち)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 立ち平(なら)し 結びし紐を 解かまく惜しも(― 海石榴市のいくつにも道に分かれた辻で地を踏み鳴らして踊って、結びあった紐を、今解くには惜しいことだ)おのが餘の 衰へぬれば 白栲(しろたへ)の 袖のなれにし 君をしそ思ふ(― 私ももはや衰える年齢になったので、昔慣れ親しんでいたあなたのことを思います) 女から男への歌君に戀ひ わが泣く涙 白栲の 袖さへひちて 爲(せ)む爲方(すべ)もなし(― あなたを恋して私が泣く涙は白栲の袖まで濡れてどうにもなりません)今よりは 逢はじとすれや 白栲の わが衣手(ころもで)の 乾(ふ)る時もなし(― もう逢うまいとなさるわけではないでしょうに、白栲の私の袖は涙で乾く時もありません)夢(いめ)かと心はまとふ 月數多(まねく)離(か)れにし 君が言(こと)の通へば(― 夢ではないかと私の心はとまどいます、幾月も打ち絶えていたあなたから手紙をいただきましたから)あらたまの 年月かねて ぬばたまの 夢(いめ)にそ見ゆる 君が姿は(― 長い年月の間、あなたのお姿は私の夢に見えております)今よりは 戀ふとも妹に 逢はめやも 床(とこ)の邉(べ)さらず 夢(いめ)に見えこそ(― 今からは恋しく思っても妹に会うことが出来ようか、どうか床のべを去らずに夢に現れてください)人の見て 言とがめせぬ 夢にだに 止(や)まず見えこそ わが戀息(や)まむ(― 人が見て咎め立てすることもない夢にだけでも絶えず現れて下さい、そうすれば私の恋の心も鎮まるでしょう)現(うつつ)には 言(こと)は絶えたり 夢(いめ)にだに 續(つ)ぎて見えこそ 直(ただ)に逢ふまでに(― 現実には言葉の行き来は絶えてしまいました、せめて夢にだけにでも引き続き現れて下さい、縁あって直接にお逢いするまでは)うつせみの 現(うつ)し心も われは無し 妹も相見ずて 年の經ぬれば(― 人間の理性ある心も私はなくしてしまった。妹に逢わないで年が経ってしまったので)うつせみの 常の言葉と 思へども 繼(つ)ぎてし聞けば 心はまとふ(― あなたの言葉は世間でよく聞くお言葉だとは思いますが、何度もお聞きすると心は本当かと戸惑います)白栲(しろたへ)の 袖並(な)めず寝(ぬ)る ぬばたまの 今夜(こよひ)ははやも あけば明けなむ(― 白栲の袖を並べずに独りで寝る今夜は早く明けるのならば明けてほしい)白栲の 手本(てもと)寛(ゆた)けく 人の寝(ぬ)る 味寝(うまい)は寝(ね)ずや 戀ひわたりなむ(― 白栲の袖のたもとをくつろげて、他の人はぐっすり眠るのだが、私は眠れずにこのまま恋に悩み続けることであろうか)かくのみに ありける君を 衣(きぬ)にあらば 下にも着むと わが思へりける(― こういうお気持であったあなたを、着物なならば一番下に着ようと思っていたのです)橡(つるばみ)の 袷(あはせ)の衣(ころも) 裏にせば われ強(し)ひめやも 君が來(き)まさぬ(― ドングリ色の袷の衣を裏返しに着るように、あなたの気持がこちらに向かないならば、無理にとは申しませんが、あなたのおいでにならないことは、まあ)紅(くれなゐ)の 薄染衣(うすそめころも) 淺らかに 相見し人に 戀ふる頃かも(― 逢って気にも止めなかった人が、妙に恋しいこの頃である)年の經ば 見つつ偲(しの)へと 妹が言ひし 衣の縫目(ぬひめ) 見れば悲しも(― もし今度の旅が長年に渡るようならば、見て私を思い出して下さい、そう言った妹の言葉が衣の縫い目を見ると思い出されて、恋しいことだ)橡の 一重(ひとへ)の衣(ころも) うらもなく あるらむ兒ゆゑ 戀ひわたるかも(― あの子は単純で何の屈託もないのであろうが、私は恋しさにあれこれと悩んでいることであるよ)解衣(とききぬ)の 思ひ亂れて 戀ふれども 何の故そと 問ふひともなし(― 私は解衣が乱れるように思い乱れて恋に苦しんでいるけれども、どうしたのだと尋ねてくれる人もいない)桃花褐(つきそめ)の 淺(あさ)らの衣 淺らかに 思ひて妹に 逢はむものかも(― 浅い気持ちで妹に逢うでしょうか、逢いはしません)大君(おほきみ)の 塩焼く海人(あま)の 藤衣(ふじころも) なれはすれども いやめずらしき(― 大君の塩を焼く海人の藤衣がナレるように、馴れはしても恋しい人にはいよいよ逢いたいものです)赤絹(あかきぬ)の 純裏(ひつら)の衣 長く欲(ほ)り わが思ふ君が 見えぬ頃かも(― 交わりが長くあれと思うあなたがお見えにならないこの頃です)眞玉つく 遠近(をちこち)かねて 結びつる わが下紐(したひも)の 解くる日あらめや(― 今から将来にかけて変わらない事を固く言い交わして、結んだこの下紐が、解けてしまう日があるでしょうか)
2024年07月29日
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第二十五聯、運命という星のめぐりに恵まれている者達には、その公の栄誉や、華やかな肩書きを自慢させておけばよいさ、彼等はそれが唯一の生きがいなのだからね。私は生憎と運命の回り合わせでそのような栄達や名誉などとは無縁な存在だ、思いがけなくもこの世で最高の光栄に浴し享受し得ている、偉大なる王侯の寵臣達が美しい葉を広げるのは、太陽の日差しを豊かに受けた金盞花(キンセンカ)の様なものにしか過ぎない、いずれはその華やかな姿も隠れ、埋もれてしまう、玉顔が曇れば栄光の最中にいたとしても早晩は没落してしまうのだからね。武勲の誉れ高い百戦錬磨の老練な戦士が、百千の輝かしい勝利を収めた後で、一度でも敗北すれば忽ちに完全に栄誉の序列から外されてしまい、辛苦の挙句に立てた手柄などみんな忘れられてしまう、とすれば、愛し愛されている私などは、幸福そのものではないか、この至福の愛から外れることも、外されることもないのだからね。支配と服従の関係ではなくて、愛する主体と愛される主体が同列の資格を持って並び立っているのだから。 此処で詩人は、支配と服従を事とする君臣の関係の脆弱性と脆さを指摘して、青年との愛情が完全に成就して安定している恋愛関係とを比較して、静謐でさえある相思相愛の仲をさり気なく述べている。この辺の呼吸を読み取らなければこの類稀なる長編詩を味読する壺を外してしまうことになってしまい、山あり谷ありの対比のバランスを、その絶妙さを見失ってしまいかねない。美しい青年と詩人との恋は既に安定期に入っており、その恋愛関係は永遠であるかの如き様相を呈している。そう明瞭には表現されてはいないけれども、一瞬は永遠であり、久遠は束の間なのである。 シェークスピアの傑作十四行詩の連作であることを常に念頭に置いて読み味わうのが肝要なので、それさえ忘れなければ間違いなくこのソネットの精髄を味わい得ないはずのないこと。余計なことは考えないで、真の詩人が巧みに表現している、或いは表現の裏に含みとして暗示している言外の表現されていない 表現 を読み損なわないように丹念に読み進めば、われわれは間違いなく美酒に酔うことが約束されている。詩の醍醐味を心ゆくまで飲み干したいものですね。 第二十六聯、所で、君よ、わが愛の対象である君主様よ、君の人柄が余りにも立派だから、その故に私は自ら進んで臣下としての当然の礼をとり、衷心からの忠誠の誠を捧げている。そして、その君主たる君に向けてこのような書状での口上を進呈するのは、私の二つとはない忠誠の心を示す為であり、持ち前の文才をひけらかそうが為ではないのだよ。私の忠誠心は特別に大きいのだが、あいにく知恵の方が貧弱で、相応しい表現の言葉が出てこない始末、それでご覧の如くにハダカも同然の恰好をしている。君が親切に目をかけてくれて、この丸裸の奴を心に留めていてくれると嬉しいのだがね、どれであるかは知らないのだが、私の人生の幸福な旅を導く星がいずれは吉相を帯びて、この上もなく有難い光を私に注ぎ、今は襤褸をまとっている愛情にまっとうな着物を着せて、君主たる君に見てもらうに相応しい姿にしてくれるに違いない。そうなれば、君を愛していることも公然と、大威張りで口にできる、それまでは君に公認されないような場所には私は顔を出さないでいるつもりなのさ。 第二十七聯、私は急な旅に出て、くたびれ果てて寝床に急ぐ、長い旅路で疲れた肉体を、手足を休めるために、ベッドにつくのだ、所が、それからが大変なことになる、頭の中、脳髄の旅が自然に始まり、肉体の仕事が終わっているのに、心が、精神が活発に働き出し活動を止めないのだよ、詰まり私の魂は今いる場所を勝手に抜け出しては、御熱心にも愛する、敬愛する御主人様たる君の許へと巡礼を始めているだ、イマジネーションの世界での楽しい旅が展開する、私の想像力が垂れ下がってくる目蓋を大きく見開かせ、盲者が見ているであろう様な真の闇を見詰めさせるのだ。ただ、私の魂、意識、心、精神が作り出す架空の視力が、この視力のない眼に君の美しく香しい姿を浮き上がらせてくれるのだ。それは恐ろしい夜の中に宝石のごとく神々しく浮かび、黒い夜を宇宙一の美人に変え、その老いた皺だらけの顔を瑞々しく若返らせる、ねえ、君、こんな風であるから、昼間は旅のために手足が休まらず、夜は君を思って心が、心臓が休まらない私なのだよ。 詩人は書いてはいないのだが、旅で手足を忙しく働かせている昼でも、彼は心を、精神を、魂を働かせて恋人を脳裏に描き、恋焦がれてることに変わりはない、詰まりは、全身全霊を捧げ尽くして美青年を想い、恋焦がれている、当然に命懸けで。私、古屋克征は万葉集の現代語訳をしているが万葉人も恋の想いに心を焦がし、命など失っても構わない、などと、恋の苦しみ、即ち恋情の歓喜を逆説的に表白してやまないのですが、古今東西、人のこの世での想いの大半は恋人をやるせなく思いやる恋心に尽きていると感じる今日この頃です。 恋愛の成就はそのままでハッピーエンドには至らない、そこからが本当の恋の苦しみが、歓喜が始まるわけで、悲恋も得恋も同じ地獄の苦しみを内部に包含しているなどと、知った風な事は言うまいと自戒したのですが、私のような幸福長者を吹聴している者でも、最愛の妻に先立たれて茫然自失して今日に至っているが、今でさえ ただに逢う ことを夢想してやまないのですから、恋は死んでも終わらない、実際の話が。 それにつけても、遊びをせんとや 生まれけん、と歌った言葉が忘れられません、遊びの、人生の遊びの頂点には恋愛があって、人は誰も恋を、愛を夢見て明日を生きるのでありましょう。私の敬愛する能村庸一氏は「仕事を、時代劇をプロデュースすることを、玩具にした」と豪語されましたが、仕事が対象であれ、異性が対象であれ、熱愛しなければ事は始まらないわけで、恋愛は人間であることの一番の証なのでありましょう。子供は自然に遊びを覚え、大人は自ずから恋愛に目覚める。それがどのような喜びや悲しみ、苦痛をもたらそうと私たちは猪突猛進して恋愛と言う激烈な嵐に突き進むしか他に生きるすべを知らないのですね。 恋愛を、恋を熱病の一種として忌み嫌おうと、恋に恋する清純な乙女の如くに神聖視しようとも、その実態は実行者の受け止め方次第で様々、色々に変化してさながら百面相の如き様相を呈するであろうことは想像に難くないのであります。 第二十八聯ですが、かくして遂に休息の恩恵にあずかれぬ私は、どうして元気溌剌として帰還出来ようか、昼の苦しみが夜に癒される健全な状態ではなくて、昼は夜に、夜はまた昼に攻め苛まれる、昼と夜がそれっぞれに互いの統治に敵対しているくせに、私を悩ませる目的の為には仲良く手を握って、昼は労役を課し、夜は嘆きの言葉を吐かせるのだよ、君からは遠ざかる一方の旅なのだが、目的地が何処になるのか、と。私は昼の機嫌をとって愛する君の話をする、彼は光り輝いているから太陽が雲に隠されたとしても、昼よ、お前の面目はたとうよ、と。また同様に黒い顔の夜にもお世辞を使って、煌く夜空の星々が消えたとしても、最愛の彼が夕空を輝かせてくれるさ、と言ってね。だが、しかし、昼は日毎に私の悲しみを長引かせ、夜は夜毎に、悲しみの長さを尚更に辛くする。 第二十九聯では、幸運の女神にも世の人々にも見捨てられて、私はただひとり劇団の座付き作者たる賤しい地位と言う実に惨めな身の上を日頃嘆いているが、益(やく)もない叫び声を上げたりしているのだが、元より聞く耳など持たない天を悩まし、つくずくと我と我が身を眺めては、己の生まれきたった運命を呪いに呪い、先行きの見込みに恵まれたあの人のようになりたいとか、美貌が欲しい、優れた友人に与りたいものだ、果てはあの男の学職を求め、彼の男子の豊かな才能を望み、周囲の誰彼を羨んでは私の一番に秀でた長所さえ、もっとも飽きたりなくなってしまう、まるでこの世での羨望地獄の亡者ではないか、しかしながら、こんな通俗極まりない思いで自分自身に愛想が尽きかけると、幸いなことに私は、恋人よ、世界一の美貌を誇る君の事を思う。するとどうだ、わが暗かった心は、夜明け方に暗黒の大地から舞い上がる、揚雲雀さながらに天上の門口で優雅に讃歌を歌いだすのだ、君の美しい愛を心に思い描くときに、素晴らしい地上の富を授けられるから、たとえ富強を誇る王侯貴族とだってその身分を取り替えるのはお断りだと、忽ちに奢り高ぶり傲岸不遜になってしまうのだよ、君、君。 詩人は強烈な自己嫌悪に駆られながらも、美青年との恋の成就故に辛うじてこの世に命を、希望の光を、生きる勇気を、活力を与えられ、明日へと生命をつなぐかに見える。シェークスピアの豊かな天分を以てしてさえみすぼらしく、貧弱な現実、私などは現実は元来が貧弱なのであり、酸欠状態の不満足極まりない不毛地帯なのだなどと、先走ってしまいそうになるのですが、王侯貴族に勝る素晴らしい地位などは、この俗世界には有り得ない。それが万人の認めるこの世での現実というものである。詩人は天才という翼に乗って広大無辺の天上界を自由気ままに飛翔して、神々にも勝る自由と喜びを恣にする。天界と地上とを存分に行き来して、我が世の春を謳歌する。これ以上の豪華絢爛は想像すら出来ないだろう、これ以上の華麗さも、これ以上の満足も人間としては考えられない、だが…。 第三十聯では、優しさと静寂に囲繞された心の想いという「法廷」に、既に過ぎ去った思い出の数々を召喚してみると、私が求めていた数々の物が欠けているのに嘆息を漏らし、古い悲しみを思い、貴重な人生の時間がただ虚しく徒らに過ぎたのを、新たに嘆く。さらには死の向こうに去った大切この上ない友達を忍び、普段は滅多に泣かぬ眼にも涙を溢れさせる。とうの昔に帳面上から消してしまっていた愛の苦しみを、また思い浮かべて泣き、多くの消えていった貴重な物達の損失を思い浮かべては嘆き、また同時に、私は往にし昔の悲しみを思って悲嘆にくれ、暗澹たる気持で苦痛のひとつひとつを数え上げてみる、既に嘆き終えた悲嘆を淋しく精算して、もう支払いが済んでいるのに、改めて支払いなおす…、しかし、愛する友よ、そんな時に君を憶うと全ての損失は埋め合わされ、悲しみが終わるのだ。 第三十一聯、もう見かけることもなくなり、死んだと思っていた人々の心を全て収めて、君の胸は貴重なものとなった、そこを統治するものは愛、貴重で優しい愛の特性のすべて、そして、墓場に埋められた筈の友人達の全部である、切なくも、敬虔なる愛の心が、この私の眼からどれほどか神聖な哀悼の涙を流させたことだろう、涙は死者が受ける権利なのだから。その彼等が今は、ただ場所を移して君の中に隠れているとしか思えないのだ、君は埋葬された愛の数々が現に生きている墓なのだよ、そこには嘗ての友人達の記念品も飾られいる。死した友人達は私が過去に与えた分を全部、君に与えたのだ、だから、多くの人の取り分が今は君ひとりの物になった、私の愛した人達の姿が君の中に見える、君は彼等の全てだから、私の全てをひっくるめて全部所有しているのだ。
2024年07月26日
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里近く 家や居(を)るべき このわが目 人目をしつつ 戀の繁けく(― 里近くに住むものではありませんね、人目を気にしながら恋心は募るばかりです)何時(いつ)はなも 戀ひずありとは あらねども うたてこのころ 戀し繁しも(― 何時の日何時の時も、恋しく思わないということはないけれども、この頃ますます恋心が激しいのです)ぬばたまの 寝ての夕(ゆうべ)の 物思(ものもひ)に 割(さ)けにし胸は 息(や)む時もなし(― 共に寝た翌日の夕方、またお会いしたくて張り裂けてしまった胸は、、何時までも収まる時がありません)み空行く 名の惜しけくも われは無し 逢はぬ日まねく 年の經ぬれば(― 大空を高く行くような立派な名などは私は惜しくはない。恋人に会わない日が多いままで年が経て行くので)現(うつつ)にも 今も見てしか 夢(いめ)のみに 手本(たもと)纏(ま)き寝(ぬ)と 見れば苦しも(― 現実に今妹に逢いたい、妹と寝ると夢にだけ見るのは苦しい)立ちて居(ゐ)て 為方(すべ)のたどきも 今は無し 妹に逢はずて 月の經ぬれば(― 立っても坐っても、何とも心持を落ち着けようがありません、妹に逢わないで月日が経ってしまったから)逢はずして 戀ひわたるとも 忘れめや いや日にけには 思ひ益(ま)すとも(― お逢いせずに恋しく思っていることはあっても、あなたを忘れることはありません。いよいよ日増しに恋しさは増しますけれども)外目(そとめ)にも 君が姿を 見てばこそ わが戀止(や)まめ 命死なずは(― よそながらでもあなたの姿を見たら、それでこそ私の恋の気持は鎮まるでしょうに、もしそれまでに恋の苦しさで命が絶えることがなければ)戀ひつつも 今日はあらめど 玉匣(たまくしげ) 明(あ)けなむ明日(あす)を いかに暮さむ(― 今日は恋しく思いながらもこのままいられるだろうが、明けての明日をどう暮らそうか)さ夜ふけて 妹(いも)を思ひて出(で) 敷栲(しきたへ)の 枕もそよに 嘆きつるかも(―夜更けて妹を思い出し、枕も動いて音を立てるほどにため息をついてしまった)人言(ひとごと)は まこと言痛(こちた)く なりぬとも 彼處(そこ)に障(さは)らむ われにあらなくに(― 人の噂はあれこれとうるさくなったけれども、そうなってもそれに妨げられる私ではありません)立ちて居(ゐ)て たどきも知らず わが心 天(あま)つ空なり 土は踏めども(― 立っても坐っても物に手がつかず、私の心は上の空です。足は土を踏んでいるのですが)世の中の 人の言葉と 思ほすな まことそ戀ひし 逢はぬ日を多み(― 世の月並みな言葉と思いくださるな、本当に恋しかったのです。お逢いしない日が多くて)いで如何(いか)に ここだく戀ふる 吾妹子(わぎもこ)が 逢はじと言へる こともあらなくに(― どうして私はこんなにひどく恋しいのか、吾妹子が、もう会わないと言ったわけでもないのに)ぬばたまの 夜を長みかも わが背子(せこ)が 夢(いめ)に夢にし 見えかへるらむ(― わが背子が幾度も幾度も夢に繰り返し現れるのは、夜が長いからであろうか)あらたまの 年の緒長く かく戀ひば まことわが命 全(また)からめやも(― 年月長くこう恋に苦しんでいたら、本当に私の命は危ういだろう)思ひ遣(や)る 爲方(すべ)のたどきも われは無し 逢はずてまねく 月の經ぬれば(― 心を慰める何の方法も私にはない、恋しい人に逢わずに多くの月が経過したので)朝(あした)去(ゆ)きて 夕(ゆうべ)は來ます 君ゆゑに ゆゆしくも吾(あ)は 嘆きつるかも(― 朝はお帰りになって、夕方にはおいでになるあなたですのに、ゆゆしくも私はため息をついてしまいました)聞きしより 物を思へば わが胸は 破(わ)れてくだけて 利心(とごころ)もなし(― 恋人の噂を耳にしてから、心配なので私の胸は割れて砕けて、確かな心もすっかり失せてしまった)人言(ひとごと)を 繁み言痛(こちた)み 吾妹子(わぎもこ)に 去(い)にし月より いまだ逢はぬかも(― 人の噂があれこれとやかましいので、吾妹子に先月から一度も会っていない)うたがたも 言ひつつもあるか われならば 地(つち)には落(ふ)らず 空に消(け)なまし(― きっと、こう言っているのだなあ、私なら地に降りたりせずに空中で消えたでしょうに、と) 状況がよく分からにので、確実な解釈は困難である。如何(いか)ならむ 日の時にかも 吾妹子が 裳引(もびき)の姿 朝に日(け)に見む(― 何時になったら吾妹子の美しい裳を引いて歩く姿を、朝に昼に、見ることが出来るであろうか)獨り居て 戀ふれば苦し 玉襷(たまたすき) かけず忘れむ 事計(ことはかり)もが(― 独りいて恋しく思っているのは苦しい、心に懸けずに忘れてしまう方法がないだろうか)なかなかに 默然(もだ)もあらましを あづきなく 相見始(そ)めても われは戀ふるか(―いっそ何もしないでいれば良かった、逢いそめてしまって私はどうにもならず、恋の虜になっていることだなあ)吾妹子が 笑(ゑま)ひ眉引(まよひき) 面影に かかりてもとな 思ほゆるかも(― 吾妹子の笑顔と眉とが面影に立って、目の前にしきりにちらちらとして仕方がない)あかねさす 日の暮れぬれば 爲方(すべ)を無み 千遍(ちたび)嘆きて 戀つつそ居る(― 日が暮れていくと、するすべもないので、千遍も溜息をついてあなたを恋しく思いこがれています)わが戀は 夜晝(よるひる)別(わ)かず 百重なす 情(こころ)し思へば いたも爲方(すべ)なし(― 私の恋心は夜と昼の区別もなく、しきりに相手を思っているので、何ともするすべがない)いとのきて 薄き眉根(まよね)を いたづらに 掻(か)かしめつつも 逢はぬ人かも(― 特別に薄い眉をいたずらに掻かせておいて逢って下さらないあなたですね)戀ひ戀ひて 後も逢はむと慰(なぐさ)もる 心しなくては 生きてあらめやも(― 恋い続けていつかはお逢い出来ようと自ら慰める心がなかったら、どうして生きていることができましょうか)いくばくも 生(い)けらじ命を 戀ひつつそ われは息(いき)づく 人に知らえず(― この生命はいくらでも生きるものではないだろうに、恋に苦しみながら私は溜息をついている。その人に知らせずに)他國(ひとくに)に 結婚(よばひ)に行きて 大刀(たち)が緒も いまだ解かねば さ夜(よ)そ明けにける(― 遠い部落まで女に会いに行って大刀の緒もまだ解いていないのに、夜が明けてしまった)大夫(ますらを)の 聰(さと)き心も 今は無し 戀の奴(やつこ)に われは死ぬべし(― 大夫たる理性も今はない、恋の奴隷として私は死ぬに相違ない)常斯(か)くし 戀ふれば苦し 暫(しまし)くも 心やすめむ 事計(ことはかり)せよ(― いつもこうして恋しているのは苦しいから、しばらくの間でも心を安んじる方法を講じてください)おぼろかに われし思はば 人妻に ありとふ妹に 戀つつあらめや(― なまなかに私が思っているのなら、既に他人の妻である妹を、私は恋し続けているだろうか)心には 千重に百重に 思へれど 人目を多み 妹に逢はぬかも(― 心の中では千重にも百重にも思っているけれども、人目が多いので妹に逢わずに機会を待っているのです)人目多み 眼こそ忍ぶれ 少くも 心のうちに わが思はなくに(― 人目が多いので、お会いすることは控えておりますが、決して、心の中で少ししか思っていないのではありません)人の見て 言咎(こととが)めせぬ 夢(いめ)にわれ 今夜(こよひ)至らむ 屋戸(やど)閉(さ)すなゆめ(― 人が見ても咎め立てしない夢の中で、今夜あなたの家に行きましょう。必ず家の戸を閉めないでおいて下さい)いつまでに 生(い)かむ命そ おぼろかに 戀ひつつあらずは 死なむ勝(まさ)れり(― 何時まで生きる生命であろうか、なまなかに恋に苦しんでいないで、死んでしまう方がましだ)愛(うつく)しと 思ふ吾妹(わぎも)を 夢(いめ)に見て 起(お)きて探るに 無きがさぶしさ(― 可愛いと思う妹を夢に見て、目覚めて闇を探っても、誰もいないのが寂しい)妹と言はば 無禮(なめ)し恐(かしこ)し しかすがに 懸(か)けまく欲しき 言(こと)にあるかも(― あなたを妹と呼んでは無礼だし、勿体ない。しかし、その言葉は口に出して言いたい言葉ですね)たまかつま 逢はむといふは 誰(たれ)なるか 逢へる時さえ 面隠(おもかく)しする(― 逢いたいと言うのは誰なのですか、せっかく逢っている時までも顔を隠したりして)現(うつつ)にか 妹が來ませる 夢(いめ)にかも われか惑(まと)へる 戀の繁きに(― 現実に妹が来たのであろうか、それとも夢で私が戸惑ったのであろうか。あまりに恋心がしきりなので)大方は 何かも戀ひむ 言擧(ことあげ)せず 妹に寄り寝む 年は近きを(― 普通ならばどうして恋に苦しむことがあろう、あれこれ言わずに妹に寄り添って寝る年は近いのだから)二人して 結びし紐を 一人して われは解き見じ 直(ただ)に逢うまでは(― 二人で結んだ下紐を私は一人では解かないつもりです。あなたに直接に会うまでは)死なむ命 此(ここ)は思はじ ただしくも 妹に逢はざる 事をしそ思ふ(― きっと死ぬ命、このことは心にかけますまい、ただしかし、妹に逢わないことだけが心にかかっています)手弱女(たわやめ)は 同じ情(こころ)に 暫(しまし)くも 止(や)む時も無く 見てむとそ思ふ(― たおやかな女である私は、あなたと同じ気持で、しばらくも止む時もなく、あなたを見たいと思っています)夕さらば 君に逢はむと 思へこそ 日の暮るらくも 嬉しかりけり(― 夕方になったらあなたにお会いできると思うからこそ、日の暮れていくのが嬉しいのに)直(ただ)今日も 君には逢はめど 人言(ひとごと)を 繁み逢はずて 戀ひ渡るかも(― 今日すぐにでもあなたにお逢いしたいけれど、人の噂がうるさいのでお逢いせずに恋しく想い続けておりまする)世のなかに 戀繁けむと 思はねば 君が手本(たもと)を 纏(ま)かぬ夜もありき(― 恋心がこんなに激しいものとは知らなかったので、あなたの袂を枕にしない夜もあったのです)緑児(みどりこ)の 爲こそ乳母(おも)は 求むといへ 乳飲(ちの)めや君が 乳母求むらむ(― 幼児の為にこそ乳母を探し求めると言うけれど、あなたは乳を飲む筈もないのに、どうして乳母を探し求めるのでしょうか)
2024年07月24日
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第十九聯、あらゆる物を喰らい尽くす獰猛極まりない時間よ、その獅子の如き牙をすり減らしてしまえ、大地に彼自身の愛しい子供達を食らわせてしまえ、獰猛な虎の顎(あぎと)からその鋭い牙を抜き取ってしまえ。永遠の命を忝くする不死鳥を生きたままで焼いて料理してしまえ、俊足で駆け過ぎながら四季を楽しくも悲しくも変幻自在に変化させるがよかろう、足の速い時間よ、この広大な世界や様々な儚い美にすき放題に片端から手をつけてもよいが、ただ一つ注文があるだ。この世で最も忌まわしい罪悪だけは犯してはいけない、そう、この世で最も美しい、愛する者の涼やかな額にお前の忌まわしい醜悪な刻印を刻んではだめだ、その奇っ怪至極なペンで以て線を書き付けるなどはもってのほかだ。あの美青年だけは、後世の人々に残す美の規範だと考えてくれたまえよ、頼む。酷薄な時よ、お前が瞬時に過ぎ去る際にも手をつけないでおいてくれ。しかしながら、時よ、暴虐非道の暴君よ、私の声になど耳をかさないだろう、私にも考えがある、老いさらばえた醜い時よ、時間よ、お前がどのような勝手し放題を続けようとも、私は私の美の偶像を最後まで守り通して見せよう、わが恋人は、美の青年たる彼は私の詩の中では永遠に若さを保ち続けるのだよ、お前がどのような事を仕掛けようとも。 第二十聯、君の美しい顔は自然という女神が彼女自身で描き上げた美しい女の顔だが、私の詩的な情念を司る、男の恋人なのだよ、君は、確かに。女性の特性である優しい心根はあるが、不実な女どもの習いでもある軽薄な移り気などは、ついぞ預かり知らない。ああ、君の眼は太陽同様に明るく健康な光を放ち、女達などよりもずっと魅惑に満ちた光を投げかけ、見詰める相手を忽ちに金色に染めて魅惑してしまう、絶対にあちこちに不実で淫らな流し目などはくれたりしない。見た目の姿かたちはさながらに男なのだが、全ての美々しく香しい形を内側に蔵している。それ故に、その容貌が男達の眼を奪い、女達の魂を蕩(とろ)かし迷わせる、実際、君は最初は女神自身の似姿として女として創られた、しかし自然は君を創造している最中(さなか)に恋に落ちてしまい、余計な物をくっつけて、私から君を奪ってしまったのだ、私には零(ゼロ)でしかない一物をくっつけて。だが、自然という女神は女性としての楽しみの為に君を造ったので、私としての楽しみは君の愛情なのだよ、君、ああ、君、君、そして愛の実践と実習こそが女達の宝物となるのだよ。 詩人は、シェークスピアは美青年を独り占めになどするつもりはない、恋のライバルは美の女神のヴィーナスその人なのだ、現実に俗界の女性達との通常の結婚を最初から推奨してもいた。しかし、何たる奢り高ぶり、であろうか。人間の身でありながら、神を、女神を相手にしようとするなどとは……。彼は、自分を神の一族であると認定しているのである。彼が熾烈な情欲に身を焦がしていても、彼の詩想の中で表現され描かれる青年像は飽くまでも清浄であり天上の美に近い。清浄無垢な愛情の交換こそ、詩人の狙っている真の プラトニックラブ なのでありました。彼は、詩人は、彼の描く青年像こそ男女の生別を超越した真実の愛情の理想像であることをソネットを創作する以前に確信していた、私にはそうとしか思われない。 私はシェークスピアの戯曲を通じてその天才を窺い知り、ソネットの魅力を十分に理解したいものと様々に努力したけれども、隔靴掻痒どころか、二階から目薬を挿すかの如き歯がゆさで足踏みしていた時期がありました。今回も、不十分で、満足な成果を挙げられる見通しなどたってはいなかったのですが、兎に角、シェークスピアのソネットへのオマージュとして拙いながらも原文へのアプローチとして、意味だけではなくて、雰囲気だけでも嗅ぎ分けようと悪戦苦闘してみているわけですが、私としてはベストの消夏法とも考えて実行している次第です。どうぞ、応援していただけたら、これに勝る幸せはありません。 第二十一聯、私の流儀は世間一般でもてはやされている詩人達とは相違している、彼等のは実に醜悪で俗っぽい厚塗りの所謂「美人」をモデルにして絵を描いているし、大仰にも天空全体を文章の彩として使用しては、自己の鑽仰する俗悪な恋人を語るに際して、全世界にある美の数々を比喩として引き合いに出し、太陽と月、大地や海洋から採掘される宝石類や、四月の早咲きの花、更にはこの巨大な天球と言う空間が抱えているあらゆる珍奇な品々を用いては、ド派手な比喩を組み立てて、無理矢理にもこじつけて見せるのだからね。ああ、私に言わせれば、真実の愛を捧げて、書くときも真実のみを言わせてもらおうか。つまり、こうなるのだが、私の恋人たる美青年は夜空にかかる、あの黄金の星々ほどには明るく輝きはしないが、兎に角、どのような人にも負けない美しさは持っている、実態とかけ離れた誇張法が好きな者には自由に振舞わせるにしくはない、私は愛する恋人を故意に売り立てる意図はないので、有りもしない能書きも並べ立てたりはしない。 第二十二聯、花ざかりの青春が君と一体である限りは、私の見る自惚れ鏡がどう言おうとも、私は老人だとは思わない、しかし、君の顔にもしも時間が刻む無残な皺を見る時が到来したならば、私は観念するつもりではいる、死に神が私の一生に決着をつける時も近いと。即ち、君を衣装のように美しく包み込んでいる美麗さは、そのままで私の心、精神、魂を覆い込む見事な衣装そのものなのだ、何しろ美の精髄は君の胸に生々しく生きているのだからね、あたかも君の心が僕の心臓が、若々しく鼓動をし続ける胸の中で確実に生きているのだから、と言う事は、私だけが先に老いるなどという馬鹿な現象が起きるはずもないのだ。ああ、君よ、愛する、敬愛する恋人よ、よくよく自身の身体をいたわってやって呉れ給え、私自身も勿論、自分のためにではなくて心から愛する君の為にこそ十分に気をつけよう、私の心はしっかりと君の大切な心を抱いて離さないのだから渾身の力を以て、気をつけて世話をしようよ。優しく老練な乳母が大切にして預かっている乳飲み子を愛育するが如くに、君がもし、私を刺殺して君の心を取り戻そうとしたって手遅れなのだ、言うまでもないことだね、我々が愛をちぎった際に君の心の全部を余すところもなく全部を僕にくれてしまった以上は、返還する条件等は金輪際ないのだからね、君、君…。 此処で、恋人と互の心を交換するという表現は当時の詩的な慣習であり、詩人はそれに従って表現しているに過ぎないのだが、相手の青年が一時の激情に駆られて軽はずみな行為をしてしまったことを後悔して、刃傷沙汰を起こすのではないかと懸念する心根は、不安に常に苛まれている得恋者特有の心情を有りの侭に吐露しているだけで、極ありふれた心境である。私には身丈にあった得恋は素直に理解できても、神とも仰ぐ対象を無事に獲得し得た恋の一時的な勝利者の、その後での心の揺らめき動揺、不安、猜疑心などなど、地獄の如き心のざわめきは想像するだけで精神に異常を来たしそうで、実際にはそんな勇気も、敢闘精神も持ち得ない。恋の勝利者になどなりようもない事で、フィクションですら十分すぎるほどに衝撃が大きすぎる。 屁理屈を述べれば、私などは自分の心でさえ十分に理解できていないし、まして恋人の不可解な心理などとんと理解が及ばない、混乱に動揺を加えてノミの心臓に好んで大打撃を加えるなどという暴挙を敢えてする勇気などは持ち合わせていない。しかし、恋愛などという異常心理にはそれが特別に必要であり、そう言う道具立てがなくては成立しない特別な、精神世界なのでありましょう。私には生来、恋に恋する等といった小粋に見える世界は無縁の無粋ものでありまして、素敵だなとと感じた瞬間に本能的にその女性から距離を置こうとする傾向があって、前世ではさぞかし無謀なドン・キホーテ的な恋の冒険で大怪我をした無意識下の恐怖感がそうさせていたのか、最愛の妻悦子との出会いに至るまでに、それこそ大過なく過ごせたのは神仏のご加護の賜物と後から気づいては、遅まきながらも感謝しているような次第でして、大詩人のソネットの世界で擬似的に相思相愛の恋人を体験して、稀有な大恋愛を追体験するのもまた一興であろうと、例年にない酷暑の時期を比較的にしのぎやすく過ごそうと目論んでいて、目下のところそれが成功している感じなので、誠に有り難い事と心の中で感謝をしながらこのように拙い文章を綴っている次第なのでした。 扨、二十三聯ですが、こう始まる、素人丸出しの未熟な演技者が舞台上に出現すると、恐怖心に煽られてしまって自分の役柄をすっかり忘れてしまうものだ、熱しやすいヘボ役者がむやみやたらに興奮すると、勢いだけが先走ってしまい、気持が負けてしまう、私はそんなウブで舞台慣れしていない素人の役者そのものなので、自分に自信が持てないものだから、恋人を脳裏に思い浮かべると愛の儀式の口上を型どおりに述べたてるのを失念してしまう。自分の愛情の力という重圧に押しししがれて、自己の愛の重さに心が自然に萎えてしまうらしい、そうであるからこそ、わが創作する詩は自ずから語らんとする胸の内を、言葉巧みに伝える無言の使者であってほしい、そうすれば、より多くを巧みに言いなす多弁な舌よりも、更に見事に私の愛情を過不足なく訴え、愛の報いをもとめるだろうからね。さあ、君よ、私の沈黙の愛が書いたものを存分に読み取って呉れたまえ、耳ではなくて、目で聴くことこそ愛の世界が生んだ素晴らしい知恵なのだ。 第二十四聯、例えば私の眼が画家を演じて、君の素晴らしい容姿を我が画布の中に描くとしようか、私の肉体全体がこの傑作を枠組みとして支えている、この絵は特殊な遠近画法を使用したもので、史上最高の画家の手になる作品なのだ。君の真の肖像の真価を伺い知るには、この画家を通して彼の技法を知らなくてはいけない、このこの世の至宝とも称すべき絵は常に私の心の画房に掲げられており、その窓には君の眼と言うガラスが嵌っている、其処では目と目がどんなに互を支えあっているか、点検してもらいたい。私の目が君の姿を描き、君の目は私のために私の胸の明かり取りの窓となり、その窓を通して大空の太陽が楽しげに覗き込み、室内に居る君を見つめると言う次第なのさ。だが残念ながら目には芸術の芸を引き立てる肝心な技術が欠如している、と言う事は、見たものだけを描くだけで、対象の心が読めないのだよ。
2024年07月23日
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倭(やまと)の室原(むろふ)の 毛桃本(もと)繁(しげ)く 言ひてしものを 成らずは止(や)まじ(― 大和の室原の毛桃の幹の繁く立つように、繁く言葉をかけたのだから、きっと実がならずに終わることはないでしょう)眞葛(まくず)延(は)ふ 小野の淺茅(あさぢ)を 心ゆも 人引かめやも わが無(な)けなくに(― クズの這っている野の浅茅を人が引き抜くように、他人が心の底からあなたの気持を引いてしまうということがあるでしょうか)三島菅(みしますげ) いまだ苗なれ 時待たば 着ずやなりなむ 三島菅笠(すががさ)(― 三島の菅はまだ苗ですが、伸びるまで待っていたら、私が着ることができなくなるでしょうか。三島菅の笠を。あの子はまだ子供だが、成人するまで待っていたら、あの子を手に入れることが出来なくなるだろうか)み吉野(よしの)の 水隈(みぐま)が菅(すげ)を 編まなくに 刈りのみ刈りて 亂りてむとや(― 吉野の川の流れの曲がり入った所の菅を笠に編んだりしないのに、刈るだけ刈って、菅を乱そうというのでしょうか。私を妻としては下さらないのに私の気持だけをさらって、後は乱したままになさろうというのでしょうか)川上(かはかみ)に 洗ふ若菜の 流れ來て 妹(いも)があたりの 瀬にこそよらめ(― 川上で洗う若菜のように流れてきて、妹のいるあたりの瀬に流れ寄りたいのだけれど)斯(か)くしてや なほや守らむ 大荒木(おほあらき)の 浮田(うきた)の社(もり)の 標(しめ)にあらなくに(― こうして逢えないあの女をなお見守っていかなければならないのであろうか、私はあの大荒木の浮田の社の標でもないのに)幾多(いくばく)も 降らぬ雨ゆゑ わが背子(せこ)が 御名(みな)の幾許(ここだく) 瀧(たぎ)もとどろに(― たいして降りもしない雨だのに、私達はたいして逢いもしないのに、わが背子の評判はまるで激流がどうどうと流れていくように、大きく広まってしまった)わが背子(せこ)が 朝明(あさけ)の姿 よく見ずて 今日の間(あひだ)を 戀ひ暮らすかも(― わが背子が朝お帰りになる姿をよく見ずに、今日一日恋しく思い暮らしています)わが心 乏(とも)しみ思へば 新夜(あらたよ)の 一夜(ひとよ)もおちず 夢(いめ)に見えこそ(― お逢いできないで満ち足りずにいるのですから、どうか来る夜毎に、一晩も欠かさず夢に現れて下さい)愛(いつく)しみ わが思ふ妹を 人皆の 行くごと見めや 手に巻かずして(― 可愛いと私が思う妹を抱くこともせずに、行きずりの人が見るように、見ていることが出来ようか。そんなことは出来ない)このころの 眠(い)の寝(ね)らえぬは 敷栲(しきたへ)の 手枕(たまくら)まきて 寝まく欲(ほ)れこそ(― この頃眠れないのは、あなたの手を枕にして寝たいからです)忘るやと 物語(ものがた)りして 心やり 過(す)ぐせど過ぎず なほ戀ひにけり(― 苦しい恋を忘れるかと人と物語をして気持を紛らわし、時を過ごそうとするけれども、恋の気持は消え去らず、一層恋しいことです)夜(よる)も寝(ね)ず 安くもあらず 白栲(しろたへ)の 衣(ころも)も脱(ぬ)かじ 直(ただ)に逢うまでに(― 夜も眠れず心の安らぎもない。白栲の衣も脱ぐまい、直にお逢いするまでは)後も逢はむ 吾(わ)にな戀ひそと 妹は言へど 戀ふる間(あひだ)に 年は經(へ)につつ(― 後にでも逢いましょう、私への恋に苦しみなさいますなと妹は言うけれども、恋しく思っている間に年は経ってしまう)直(ただ)に逢はず あるは諾(うべ)なり 夢(いめ)にだに 何しか人の 言(こと)の繁けむ(― 直接逢わずにいるのは、もっともなことですが、せめてゆったりと逢いたいと思う夢の中でさえ、どうして人がうるさく噂するのでしょう)ぬばたまの その夢(いめ)にだに 見え繼ぐや 袖乾(ふ)る日無く われは戀ふるを(― せめてその夢にだけでも現れるでしょうか、涙で濡れる袖が乾く日もなく私は恋い慕っているのに)現(うつつ)には 直(ただ)には逢はぬ 夢(いめ)にだに 逢ふと見えこそ わが戀ふらくに((― 現実には直に逢えないけれど、せめて夢で逢えるように現れて下さい。私が恋に苦しむ時に)人に見ゆる 表(うへ)は結びて 人の見ぬ 裏紐(したひも)あけて 戀ふる日そ多き(― 人に見える表面の紐は結んで、人の見ない下紐はほどいて、あなたを恋しく思う日が多うございます)人言(ひとごと)の 繁(しげ)かる時は 吾妹子(わぎもこ)し 衣(きぬ)にありせば 下に着ましを(― 人の噂のあれこれとうるさい時は、吾妹子が衣であったら肌につけて人の目につかずに着ようものを)眞珠(またま)つく 遠(をち)をしかねて 思へこそ 一重衣(ひとへころも)を 一人着て寝(ぬ)れ(― 将来のことを考えるからこそ、今は辛抱して、一重衣を私は着て寝ているのに)白栲(しろたへ)の わが紐の緒の 絶えぬ間に 戀結びせむ 逢はむ日までに(― 白栲の私の下紐の緒が切れないうちに、それで恋結びをしよう、再び逢う日まで恋を結び止めておくために)新墾(にひばり)の 今作る路(みち) さやかにも 聞きてけるかも 妹が上のこと(― 新しく土地を切り開いて今作っている路がくっきりと見えるように、はっきりと妹の噂を聞いて心をときめかしたことである)山代(やましろ)の 石田(いはた)の社(もり)に 心おそく 手向(たむけ)したれや 妹に逢い難き(― 山代の石田の社に、気持を込めずに弊を奉ったからであろうか、妹に逢いたいと思っても逢えないことよ)菅(すが)の根の ねもごろに 照る日にも 乾(ひ)めやわが袖 妹に逢はずして(― すみずみまでも照る陽の光によってさえ、涙に濡れた袖は乾きはしない。妹に逢わずには)妹に戀ひ 寝(い)ねぬ朝(あした)に 吹く風は 妹にし觸(ふ)れば われさへに觸れ(― 妹を思って眠れなかった夜明けに吹く風よ、もし妹に触れてきたのなら、私にも触れておくれ)飛鳥川(あすかがは) 高川(たかかは)避(よ)かし 越え來しを まこと今夜(こよひ)は 明けずも行かぬか(― 飛鳥川の水かさが増しているので、それを避けて遠回りをして来たのだから、本当に今夜は夜が明けないでいないものかなあ)八釣川(やつりがは) 水底(みなそこ)絶えず 行く水の 續(つ)ぎてそ戀ふる この年頃(としころ)を(― 八釣川の水底を絶えることなく流れる水のように、いつもいつも恋しく思う、この幾年かを)磯の上に 生(お)ふる小松の 名を惜しみ 人に知られえず 戀ひ渡るかも(― お名前の傷つくことを惜しんで、人に知らせず恋しく想い続けています)山川(やまがは)の 水陰(みかげ)に生(お)ふる山菅(やますげ)の 止(や)まずも妹(いも)は思ほゆるかも(― 止むことがなく、妹の事が思われる)淺葉野(あさはの)に 立ち神(かむ)さぶる 菅(すが)の根の ねもころ誰(たれ)ゆゑ わが戀ひなくに(― 浅葉野に立ってものさびている菅の根のようにこまやかに、あなた以外の誰かに恋心を抱いたりは、私は致しませんのに)わが背子(せこ)を 今か今かと 待ち居(を)るに 夜の更けぬれば 嘆きつるかも(― わが背子が今見えるか今見えるかとお待ちしているうちに夜も更けてしまったので、嘆いております)玉くしろ 纏(ま)き寝(ぬ)る妹も あらばこそ 夜の長きも 嬉しかるべき(― 手を枕にして共に寝る妹がいてこそ、はじめて夜の長いのも嬉しいのでしょうが。妹がいないので嬉しくない)人妻に 言ふは誰(た)が言(こと) さ衣(ごろも)の この紐解(と)けと 言ふは誰が言(― 人妻である私にあれこれ言うのはどなたのお言葉、この紐を解けとあれこれ言うのはどなたのお言葉)斯(か)くばかり 戀ひむものそと 知らませば その夜は寛(ゆた)に あらましものを(― これほど恋しく思うものだと知っていたら、あの夜は、もっとゆっくりしているのだった)戀ひつつも 後も逢はむと 思へこそ 己(おの)が命を 長く欲(ほ)りすれ(― 今は恋に苦しんでいても後には逢えるだろうと思えばこそ、自分の命も長くあれと思うものを)今は吾(わ)は 死なむよ吾妹(わぎも) 逢はずして 思ひ渡れば 安けくもなし(― もう私は死にそうです、吾妹子よ。お逢いせずに思い続けていると、全く何の安らぎもありません)わが背子(せこ)が 來(こ)むと語りし 夜は過ぎぬ しゑやさらさら しこり來(こ)めやも(― わが背子が来ようと語った夜は過ぎてしまった、ああ、今更、間違っても訪ねては来ないでしょうね)人言(ひとこと)の 讒(よこ)すを聞きて 玉鉾(たまほこ)の 道にも逢はじと 言ひてし吾妹(― 人の枉げた噂を聞いて、道でさえ私に逢うまいと言った吾妹よ)逢はなくも 憂しと思うへば いや益(ま)しに 人言繁く 聞え來(く)るかも(― お見えがないので辛いと思っている折に、いよいよ何かとあなたについての人の噂が聞こえてくることです)里人も 語り繼ぐがね よしゑやし 戀ひても死なむ 誰(た)が名ならめや(― 里人も語り継ぐでしょうが、ええままよ、焦がれ死に死んでしまいましょう。もし私の評判が立っても構いません、大切なのはあなたの評判だけなのですから)たしかなる 使を無みと 情(こころ)をそ 使に遣(や)りし 夢(いめ)に見えきや(― 確かな使いがいないからと私の気持を使としてそちらへやりました。それがあなたの夢に見えたでしょうか)天地(あめつち)に 少し至らぬ 大夫(ますらを)と 思ひしわれや 雄心も無き(― 天地の広大さには少しだけ及ばないほどの大夫と思っていた私も、今は男らしい強い心もないことだ)
2024年07月20日
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第十聯です、君よ、恥を知り給え、恥を。青年貴族として、恥を知っていると言うのなら、君が君以外の誰かを熱愛しているなどと出鱈目を言うのはよしたまえよ、事実でない言葉を潔く撤回するべきなのだ、自分自身に対してさえこんなにも向う見ずで破廉恥な君よ。周囲の誰彼となくみんなから愛されているのだと主張したければ、最後までそう言い張ればいいさ、しかし私は明言しておこう、君と言う非情で極め付きのエゴイストのナルキッサスは自己以外のだれも愛していないのは明々白々なのだよ、君は何か凄まじい憎悪と怨念に取り付かれてでもいるいるかのごとくに、誰もかつて試みたことのない残虐非道な謀反を自分自身に企んでいる始末。その本当に華麗で美々しい肉体と言う家屋を破壊し尽くそうと実行中なのだ、本来なら、その肉体に対して手入れをし更なる完成を目論まなくてはいけない筈なのにだよ。ああ、ああ、君よ、壮麗なる肉体美とそれにふさわしい内実とを兼ね備えた見事な造形の極みよ、どうかお願いだから、その蕪雑な不似合いな態度を改めてはくれないだろうか、どうだろう、私も自らの態度を改もしよう、どうかお願いなのだよ、優しく優美な愛情でなくて、醜悪な憎悪が美しい肉体に宿ってよいわけがないのだ、君は生来の外見通りのこの上もなく優しく、温和で、誠実な魂で、精神で、心でいてほしい、それが無理だと言うのなら、せめては自分自身に対しては素直で、親切な優しさを示して欲しいのだよ、君、君、ああ、君、本当に私を心から尊敬して敬ってくれているのなら、どうかお願いなのだ、もうひとりの君を作るように努力して呉れ給え、君の子供達や君自身の中でその輝かしい美が何時までも生き続けて、光彩を放ち続けるように、お願いなのだよ。 これは美の女神ヴィーナス以上の素晴らしい対象に最大級の賛辞を捧げているわけで、決して誇張なのではない、美辞麗句をいくら連ねたところで人類史上に類例をみない造化の極みの人間美に言葉の錬金術師である詩人が自己の言葉の貧弱さに嘆く暇もあらばこそ、言外に対象の青年の言語を絶した素晴らしさをほのめかすことで、そのトータルな美の高みを示唆して見せてくれている。現実には、誰にもそのように見えているわけではなくて、詩人にだけは誰にも見通すことが出来ないこの世ならぬ真実の美を見極めて、表現しようと言語の、ボキャブラリーの限界まで行き尽くしてしまっている。その只ならない様相が、言外ににじみ出てきている有様を、私は辛うじて読み取ることで、シェークスピアの天才を改めて仰ぎ見る思いなのです。 次は第十一聯、青年よ、君は、老いさらばえるのと同じ速度で成長を遂げている、君が頒ち与えるであろう種から、君の子供を儲けてね。そして若い時に与えた若々しい新鮮な血を、青春から決然と決別する際に我が子と呼びうるのです。そうなってこそ、智慧と美と、子孫とが本当の意味で生きるのだ、そうしなければ、愚かしい行為と老齢と、冷たい破滅しかないのだ。この世の人々がその気になってしまえば、人類は死に絶えてしまうだろう、六十年もしないうちに全世界は滅んでしまうに相違ない。自然造化が繁殖用に作ったのではない者達、おぞましく、醜悪で、粗野そのものの奴らなどは勝手に死なせてしまえばよい。自然と言う造化の匠は最上の資質を授けた者に同時に強壮この上ない力も与えるものだ。だからこそ、青年よ、君は、君こそはその持てる豊かな力を惜しみなく他に与え、恵み、育てなくてはいけないのだよ。神が、自然が君をして 刻印用 に作ったのは沢山の複製が欲しかったからだ、原型のままで死なせる為ではないのだ。此処で詩人が口を極めて美をたたえ、醜悪を唾棄する言辞を弄しているのは、己の恋の成就を願うあまりの勇み足的な表現だった。極めて限定的な文脈の中での表現ですから、シェークスピアは人間を差別的に見て、美的な人をよしとして、逆に醜悪な人を排除しようというような人間観を固定的に持っているわけではないのです、念の為に彼の代わりに言い訳をしておきます。 それで第十二聯です、時を告げる時計の音をひとつひとつ数え、輝かしく勇壮な太陽が醜くて暗い闇の中に没する時に、我々は盛りを過ぎた菫の花を眺め、その黒い巻き毛がすべて白銀で覆われるのを見るとき、かつては家畜の群れを暑熱から遮り守ってやった大樹が、哀れにも緑の葉を剥ぎ取られて裸になってしまうのを見る時に、夏に収穫された大麦が各所で束ねられて、紐で括られ、白い剛いヒゲを晒して手押し車で運ばれて行く。そんな風景を眺めながら私は君の事を脳裏に思い描くのだ、そしてこんな風に考える、君も時という非情な荒廃をもたらす魔手を逃れる事はできない、優しいもの、美しいものも時と共にやがては衰退して、他の美が代わって峙つのを横目に見ながら、同じ速さで死に向かうのだ、と。無情の時の神が君をこの世からひっさらって駆け去るときに彼の魔の大釜を防ぎ、立ち向かうのは子孫しかいないのだ、と。 そして第十三聯です、ああ、君よ、君、君が今のままでいられたなら、どんなによいだろうか、だが、愛する者よ、君に向かって当たり前の理屈を説き聞かせて何になろうか、この世で束の間の儚い生を終えれば、君は私の愛する、また周囲の誰もが無条件で信奉する素晴らしい君ではなくなってしまうのだ、ああ、君はかけがえのない君自身を永遠に失うのだ、ああ、君よ、君は程なく訪れるこの終焉に備えて、その美を誰かに頒ち与えておくべきなのだ、絶対に、そうすれば、そうするだけで、今は期限付きで借りているその美しさを期限なしで、何時までも手中にしておくことが可能なのだ。君の美しい子供達がその美質を継承すれば、君は死後でさえ今のままの君でいられるのだからね。こんなにも壮麗な建築物を朽ちるのに任せる莫迦がいようか、一家の主としてしっかりと経営すれば、冬の厳しい日に激しい嵐が吹きすさんでも、死の神という恐ろしい魔性の物の怪が永遠の寒気を送り込んで猛威を振るおうとも、万物を非情に枯らせてしまっても、この家は立派に維持管理していくことが出来るというのに。ああ、愛する者よ、現にいるのは無邪気な浪費家だけだ、君には、父親がいたのだから、息子にもそう言わせておあげなさいよ。 次は第十四聯ですが、私は星を見て吉凶を判断する占星術師の真似はしない、それでも私は一応、占星術の心得はあるのです、ただしそれは、吉兆や凶兆を告げるとか、疫病や飢饉、季節の塩梅を予言するものではない、又、一分刻みに運勢を占い、何時何分には雷が鳴り、雨が降り、風が吹くのを言い当てるのは不得手だし、しばしば天に現れる予兆を見て、国王の運勢はつつがなし、などと言うことも出来ない。ただ出来ることはと言えば、青年よ、君の眼を見て運勢を占うだけなのだ、私は君の両目と言う二つの恒星にこんな予言を読み取るのだよ、つまり、君が今の意固地な態度を捨てて子孫の繁栄を思うのであれば、真実と美とは共に栄えるであろうと言うこと、そうしないのなら君についてはこう予言しておこう、君の死は真実と美の破滅であり、終焉である、と。 第十六聯、所で、君は何故更に有効な手段を用いて、時間という最も残虐な暴君と矛を交え、私の不毛で拙い詩歌などよりももっともっと気のきいたやり方で、無様な衰退に向かうに相違ない自分の身を守ろうとはしないのだろうか、これは私が解せないだけではなくて君の周囲の誰もが不審に感じている所だ、何度も言うが、君は幸福この上もない日々の頂点に立っている、それは紛れようもない事実なのだが、君の周辺にはまだ種を蒔かれていない多くの処女の庭園が、君の血の通う美しい花を咲かせたいものと、慎ましく願っているのだよ。天才の描く君の肖像画などよりもずっと君に似ている活きた花をだ、彼女と結婚すれば子供等という血の通った肖像が君の生命を蘇らせてくれるだろうに、当代切っての画筆とか、私の拙いペンなどは、内面の豊富な価値にしろ、外見の豊饒な美にしろ、到底、生きてあるがままの君の真実の姿を人の目に伝えることが出来はしない。早く結婚して、相手に君自身を与えるのが、その麗しの真実を永遠に保つ秘訣であり、最上の道なのだからね。君は、自分の技で自己を描いて、生きねばいけないのだよ、君…。詩人は、シェークスピアは謙遜しているのではない、結婚による聖なる生殖以外では青年の現に生きてある美のあり方を後世に伝える術はないので、それを有りの侭に表現しているわけで、人工的な表現の極致は造化の神の自然な営みには遠く及ばない事を、熟知しているだけなのであります。 第十八聯に進みましょう、君を我々にとって最も望ましい夏の一日に比べてみようか、勿論、君はイギリスの夏よりももっと美しく、もっと穏やかで好ましいのだが、五月の季節が愛おしむ花のいじらしい蕾を時に荒々しい風が揺さぶり、夏という短期契約の期待する時期はあっという間に過ぎ去ってしまう、天空の日輪も時には灼熱の眩しすぎる光を放つけれどの、その黄金の顔ばせが邪魔な雲に隠れる事だって珍しくはないのだ。全ての美しいものはやがて、美を失って朽ちてしまう、偶然や自然の推移が美しい飾りを無残にも剥ぎ取ってしまう。しかし、君が古来から詩人達が誇らかに自賛している 不滅の詩 の詩歌の中で時と合体するならば、君と言う永遠の素晴らしい夏は移ろったり、消滅したりはしないのだ。今、君が手にしているその誇らしい美しさを失うことはない。醜悪な死に神が、奴は俺様の影を踏んで歩いているのだ、などとうそぶくこともないのだよ、人が息をして、眼が物を見得る限りは、私のこの詩は生きつづけるのだ、敢えて言おう、永遠に。更にはこの詩が君に貴重な命を与え続けるのだよ。 シェークスピアはとうとう本音を漏らした。彼は本当は絶対的な自信を己の表現に抱いていた。結婚による子供だって、俯瞰すれば、ほんの束の間の出来事にしか過ぎない。詩は、文章表現は永遠不滅なんだ、彼は古代ギリシャ以来の詩人達の伝統を受けて、そう高らかに宣言する。詩人は神にも等しい存在なのだが、それはその素晴らしく美しい作品によって担保される。
2024年07月19日
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今度は第五聯です、誰しもが注視している君の容貌と姿形を繊細にして超絶した技で作り上げた時間と言う名の匠は、同じ超絶技巧を駆使して同じ対象に暴虐非道の振る舞いに及び、至宝と称すべき逸物を容赦なく木っ端微塵に粉砕してしまう。挙句に、休むことを知らない時間と言う業師は酷暑の夏を誘って極寒の死の冬へと追い込み、死滅させてしまう。樹液は苛烈な霜に凍りつき、瑞々しかった緑の葉も全部落としてしまう、美しい物はすべて雪に覆われ、見渡す限り地獄の様相を呈するに至る、その時までに真夏の美しく芳しい花から蒸留した香水を獲得しておかなければ、言ってみればガラスの瓶の中に液体の囚人を多数留めておかないと、美が作り成す物も美そのものも、全てが略奪され尽くしてしまうわけなのだよ、実のところ、その後では荒涼とした無味乾燥な風景だけが剥き出しにされ、美的な要素はかけらさえ残されはしないのだ。しかし、そうなる前に花を蒸留しておけば、仮に冬に直面しても失うのは表面の物だけで、実態は永遠に美々しく芳(かぐわ)しく生き続ける事が可能なのだ。こんな理屈を私が今更に口を酸っぱくして述べるのも野暮なのだがね。 そして第六聯は、冬というざらざらとした無骨な手が君の馥郁として緑豊かな夏を醜く変形させてしまう前に、御自分の美を蒸留してしまうのです、何処かにあるガラスの瓶に香しい馥郁たる香水を注入しておやりなさいな、デリケートな美の形質が腐らないうちに、どのような手段であっても取り敢えず美質を仕込んでおくのが賢いのですよ。高額な利息をせしめても、支払い人の女性が喜び幸福を感じるなら、そのような高利の商売は神も国も禁じてはいないのですよ。つまりは君一人の為になるだけではなくて、公共の福利に裨益することは間違いのないところなのです、私の言わんとすることは明々白々、もうひとり君を増やすことを奨めているのです、真心を込めて当然過ぎる行為を、男子たるものの本分を果たすべきと理の当然の理屈にもならない道理を懇切に諭しているわけなのですね。この商売で、阿漕にも十倍の利益を獲得したとしたとしても君は誰からも責められたりはせずに、逆に称賛される筈のことなのですね。十倍の利息とは十倍の幸せを意味するだけ、仮に君に子供が十人できて君の姿を十倍に増やすなら、君は今よりも十倍は幸福になる、間違いなく。そうであれば、たとえ死ぬ時が来たとしても死神には何も出来ない道理さ、何故って、君は子孫の中に貴重な遺産を全部残しているのだから、泰然自若としていられるではないか。どうか莫迦な意地を張るのはよして、周囲の常識的な忠言に素直に従うのです。いずれにしても君は余りにも美し過ぎるので、死の獲物にしてしまうのは、蛆虫を後継にするのは惜しい。 続いて、第七聯ですが、見てごらんなさいな、東の空に壮麗偉大なる日輪が赤々と燃える頭をもたげると、下界に住まうひとりひとりの眼が、今日また新しく姿を現したその偉容に敬意を払い、神聖この上ない天の王者にじっと視線を向けて、礼儀を尽くすのです。更には、峻険な丘陵を上り詰めて、中年期に達した時にもなお、屈強な若者の面影を失わぬ勇姿を見れば、下界の俗世に住む人々の眼差しはやはりその美しさを讃美して、黄金の光を放つ旅の姿を見守るのですが、然るに、天空の頂上を経て疲労した手で火の車を操作して弱々しい老人の如くに、眩い昼の世界からよろめくように降りてくると、それまでは恭しげであったのが人々は老いさらばえた王者の惨めな姿から目をそらし、そっぽを向いてしまう。君だって同じことさ、絶頂の昼の時期を過ぎてしまえば結婚して子供を持たぬ限りは、見とる人もなく哀れに死ぬ事になる定めなのだよ。光、太陽、息子、キリストなどの連想の中で若者は神たるキリストに準えられて崇高な尊崇の対象として祭り上げられる。年配者の詩人はこの明眸皓歯の美青年を最高級に賛美してやまないのだ。しかし情欲のほとばしりは隠しようもなく、女性との結婚の勧めは、自分を恋愛の相手にしても構わないとの暗黙の了解を前提ともしている。清濁併せ呑む現実主義者でありながら、同時に無類の理想主義者でもある詩人。シェークスピアの面目躍如たるものを感じさせてあまりあるものがある。彼は、醜いは美しい、正しいは悪である、と喝破している稀に見る合理精神の権化のような極めて醒めた、物事の裏面まで見透してしまう情熱家だったことを忘れないようにしよう。その彼が自己の性欲を表面にこそ出さないが美青年を間接的に口説き自分の愛人に仕立て上げようとラブレターの代わりにモノしているのがこのソネットなのだ。これは写し書きされて友人知人の間に読み継がれて忽ち評判となった。まるで紫式部の源氏物語が宮廷サロンでたちまちにして大評判になり大勢の読者に読まれた現象に酷似している。 第八聯です、聴くに心地よい音楽を、若者よ、君は何故にそのように憂い顔で聞くのであろうか、甘美さは元来が甘美とは争わぬもの、歓楽はおしなべて歓楽を飲み尽くしてやまないもの、訊ねようか、そもそも心の底から楽しめない対象を君は何ゆえに熱愛するのでしょうか。そしてまた何ゆえに君は厭わしい物を欣快のごとくに自身に承知させるのでしょう。結びつき、睦みあい、絶妙な階調を調べる完璧この上ない協和音が君の耳には不快と響くならば、その音達は妙なるトレモロを伴いながら君を叱っているのだろう、君は例外的に一人だけで自分が演じなければならない重要な役柄を無視して顧みないのだからね。一つの弦がもう一つの弦の優しい夫となりお互いに調和しながら各自が玄妙な音階を奏で合う様子を見てごらんなさい。それはさながら幸福この上ない家族のようだ、父親と子供と、幸せこの上ない母親が期せずして一体融合して、見事なひとつの調べを歌い上げているようではないか。多くの響きでありながらも渾然一体となり一つにしか聞こえない、この無言の歌が君に告げるのだよ、独り身は零に帰してしまうのだ、と。成人した者は異性と結婚して子供を産み、家族を構成してこそ意味を持つ。単身でいるのは神の摂理に反する行為である。背徳的な存在なのだ。このごくごく平凡にしてまっとうな主張を年配の男は青年に力説して倦まない。何故か、彼を熱愛しているから。愛が結婚を促すのは男女間の自然な姿であるが、これは同性間の関係性の中で主張されている。青年はあたかも光源氏ででもあるかのように、全てにおいて優秀な美質だけの完璧な若者なのだ。音楽はもとより、全ての教養において欠ける点もなく、異性には勿論、同性からも全面的に讃美される。一点の非の打ち所もない。彼は当然に物質的にも非常に恵まれている、現在の生活にも、将来の展望においても悲観する要素など欠片もないのだ。この点は、私が殊更に持ち出している光源氏と同様でありながら決定的に相違している所だ。源氏は世界中で一番恵まれていながら、人類史上で稀にみる不幸な人間だった。このソネットで描かれる若者は一点の翳りをも見せない。ただ、詩人が、年配者が人間であれば免れない運命的な「不幸の可能性」を指摘しているだけなのだ。彼は成人に達して性欲の捌け口を自慰行為と同性愛に耽ることで解決している模様なのだが、異性との肉体的な接触にしても、その気になりさえすれば売春婦であれ、身近な例えば小間使との接触で容易に得られるのであるから、何の不便も感じないで済むわけである。結婚などは煩わしいだけで何らの便宜ももたらさない、そう自然に考えてもむしろ当然であろう。シェークスピアの強引な説得は初めから無理筋なのであって、この世間智や人間知に長けた人物が忘れている筈もないない事。むしろ、美青年に向けた己の熾烈極まりない性欲の為に一時的に盲目になっている醜い自己を強調する手段として利用しているのでありましょう。彼は己の性欲の強さに戸惑っているように見せて、冷静沈着なのだ。劇の作者も人生上では一個のヘボ役者であることを百も承知なのだ。人生を生きる上では人間知などは糞の役にも立たないことを弁えている。そこが逆に面白い。ソネットを書く動因であり、周囲の友人知己がこのソネットに異常な関心を示した要因でもあろうか。 さてさて、第九聯です、年配者はなおも青年を説き伏せようと力説する、君が独身を通して一生を終えようと図るのは、君の将来の妻を未亡人にして泣かせるのが怖いからなのだろうか、ああ、ああ、君がもしも子供を作らずに死んでしまうならば、世間中が夫に死なれた妻のように嘆き悲しむに相違ないよ。世間が君の未亡人になり、君がその類まれな美質を引き継いだ似姿を後に残してくれなかったと言って、泣き暮すことになるだろう。世間にありふれた未亡人ならば夫が残してくれた子供の目を見て、在りし日の夫の姿を偲ぶことが可能なのにね。いいかい、よく聞き給えよ、世に言う金銭の浪費家が現世でいくら浪費したとしても、金は所有者を換えるだけで人々はいつでもその金を使うことができる。しかし人間に備わった美はわけが違う、浪費された美質は完全にこの世から消えてしまうのだ。また、美を使わずに取っておいてもやはり世間は美を滅して喪失してしまうのだ。自分自身に対してこんな恥知らずの殺人を犯す人間が、他人を優しく愛する気持など心に持っているわけがないのだよ、君、そうじゃないかね。 私、古屋克征の場合には、自分の子供をこの世に残すというか、この世に呼び出すことに関して躊躇する気持が強かった。生まれてしまったので死にきれずにこの世に留まり、神のご加護でよき配偶者に恵まれたのではありましたが、十分に満足してはいたとは言え、この世は八苦の娑婆であります、生まれる前から可愛いに間違いないない我が子を、わざわざ呼び出さなくてもよいのではないか、正直、そんな気持でいましたので、そのまま妻に伝えたのですが、妻は悦子は、直ぐには私の考えを理解できなかったようです。そう言われてみれば、成る程、そうかも知れませんが今幸せなのですから、子供だって幸せにならないはずもなく、云々かんぬん、結局彼女に押し切られる形で男の子を二人儲けたわけですが、成人してから息子に尋ねたところ、生まれてきて「本当によかった」と笑顔で答えられた時には本当にほっとしたものです。
2024年07月17日
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