草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2020年10月12日
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今回は私の母親について書く事にしました。

 当然の事ながら、私と母親との結びつきはとても深いものがありました。病弱だと自覚して、短命であ

るような事をしばしば口にしていた母ですが、一族では一番の長寿者で、九十六歳の天寿を全うしたので

す。

 亡くなる数年前から自宅、つまり私の所で訪問看護、訪問医療を受けていたのですが、実にやすら

かな最後を迎えて、あの世へと旅立ちました。息を引き取る数分前まで、何か楽しげに、まるで少女の頃

に体験したお祭り気分で唄を歌っているような様子でしたが、やがて静かになったので、おや、寝込んで

しまったのかなと、何となくベットの上の寝顔を覗いて見てみると、どうも息をしている感じがない。私

は、瞬時に母の死を直感しました。悲しみは少しもありませんでしたね。ご苦労様でした、ただ一言そう



 実際、母の人生は苦労の連続だったと思います。そうは思いますが、最後の永眠の際の様子と言い、

息子の私の受けた印象から言えば、とても幸せだったと結論づけて良いのではないでしょうか。

 よき母親だったし、よき妻であった。これだけでも母は間違なく幸福な人生を全うした女性であったと

表現してよい。そう私は確信して居ります。父親も、何度となく浮気をして母に悲しい思いをさせた父で

すが、最晩年に手酷いしっぺ返しを被った後で、「御前ほど自分にとって素晴らしい女はいない」と言う

趣旨の懺悔の言葉を母に向かって吐露したと、聞きました。この言葉を聞いただけで、母の父に対する恨

みつらみの感情は綺麗さっぱりと消えてしまったことでしょう。

 終生にわたって、善き父親であった人の名誉の為にも、身内からのスキャンダラスな浮気の事は、最低

限にして、私と母とのまるで 一生を通じた純粋な恋愛 のような、ラヴラヴの関係についてある程度具

体的に述べてみたいと思っています。

 母親が子供を愛し、息子が母親をこよなく慕う。ごく当たり前な、ごく普通の現象でありますから、こ



私は最愛の女性の悦子から、強烈な嫉妬を受けて、初めて我々の関係が少なくとも通常の親子関係を遥か

に凌駕するそれであったことを、正しく自覚するに至った。

 母の話によると幼いよちよち歩きの私が、横須賀の海軍関係の病院にちょっとした病を得て入院してい

た父と久しぶりの再会をした折の事が、忘れがたい思い出だと、ある時に聞いた事がある。「父子って本

当に不思議なものだと思った。顔など覚えている筈のない幼児のあんたが、お父さんが、克坊 来いって



な母の顔が何故か忘れられない。

 そう、母にとっての私は、何歳になってもその時の幼い カツボー だったに相違ない。例えば、中学

校の父兄会でやって来た母が、私の姿を見かけるなり「かずぼう」と大きな声で呼びかけて来た時など、

私は自意識過剰の思春期にありましたから、何処かに穴でもあったら姿を隠してしまいたいと思うほどに

恥ずかしい思いに襲われた。中学校では運動に、勉強に精一杯に頑張って、面白いように同級生や後輩

達から尊敬や羨望の眼差しを非常に多く受けていた、謂わば一種のヒーロー的な存在だったから、無意

識のうちに過剰な気取りの感情に支配されていた。その周囲の注目の的たる私が、カズボー ではいく

ら何でも形無しではありませんか。

 しかし、無邪気そのものと言った母は全く意に介する風もなく、その場の空気など「どこ吹く風」

と澄ました顔をしています。私の克坊を母親の私がカツボーと呼んで何が悪い。そんな面持ちで動じ

る風などかけらもありませんでした。

 兎に角、十歳を過ぎた頃から、私は母親にとって一種のアイドルであり、自慢の息子でした。目の

中に入れても痛くない、という比喩はこの場合にぴったりと当て嵌るのでした。それは母の死の瞬間ま

で続きました。私は後年、D H ローレンスと母親との関係によく似ていると思ったものでした。

 その家庭の味、つまり母親の味が子供の食の趣味を決めると言う事ですが、私の場合にも、基本は母親

の作ってくれた料理の味加減が、べースになっている事を、大人になってから自覚しました。

 母はあまり裕福でない家庭の四番目に生まれました。年頃になると、当時の風習もあって経済的に富裕

な家庭に行儀見習いに出されて、一通りの行儀作法と料理などを、その家庭の奥様から厳しく教え込まれ

たと言います。そのせいでありましょう、神経質なくらいに家の中を掃き清めないと気が済まない、気

質を身上としました。また料理の腕前も相当なものでした。上品な薄味が基本でしたね。幼い頃に母の作

る料理は全部好きでしたが、特に稲荷寿司と自家製の中華そばはいくらでも食べれました。

 後年、私が成人して母と一緒に外で食事をした際など、不味くても美味しくても同様に黙って食べてい

るのですが、その態度でどちらなのかは、直ぐに分かりました。美味しい時には驚く程に食が進んでいる

のですが、反対の時には直ぐに箸を置くのがお定まりでした。

 独身の頃に、よく母をレストランや料亭などへ連れ出し、当時の私としては大盤振る舞いをしたのです

が、その時も無言でしたが、年齢の割には随分と食がすすんでいました。恐らく非常に美味しいと感じて

いたに相違ない。

 母親譲りと言うか、私は特定の料理を好きなのではなく、食べて美味しく感じたのが、その時の一番の

好物になります。カツ丼だったり、すき焼きだったり、ふぐ刺しだったりと、様々です。

 ある時に、母を浅草の名店・飯田屋に誘ったことがある。母は実に美味しそうに名物のドジョウ汁を食

して、娘時代に一人で時々このドジョウ汁に舌鼓を打ちに来た事を、懐かしげに語った。若い頃から、な

かなかの食通だったことが知れて、私は面白く感じたものだ。

 母は又、なかなかの器量よしで、和服の着こなしなどもセンスがあったらしく、若い頃から美人を鼻に

かけていた父の妹と一緒に食堂に入って休憩がてらにお茶など飲んでいる際に、席を立とうとする母に、

連れの叔母が、「あんたをスケッチしている人がいるから、もう少しモデルを務めておやりよ」と、如何

にも忌々しげに言うような事が、一再ならずあった。母は笑いながら、「勝子さんは美人の自分ではな

く、へちゃむくれの私に男性の注目が集まるものだから、あんたは和服の着こなしだけは、私より少しだ

けいいからね、そんな風な言い方をしたものだよ」と当時を懐かしむ様な顔になって言ったものだ。

 母は大正生まれの女性としてはごく普通の学歴しかありませんでした、広い意味での教養の高い趣味人

でもありました。着物を選ぶ鑑識眼は中でも相当に高度のものがありました。人形の顔や焼き物の好みな

ど一流大学出の息子など、及びもつかない嗜みとしての教養が自然に身についていた。

 身だしなみとしての化粧と言う事をよく言っていましたが、素肌に近い薄化粧をモットーとしていて、

よく「人を食ってきたような唇は、女の恥だからね」などと、妹に言い聞かせていました。

 控えめで謙虚、何時も夫からは半歩下がって歩く。夫を立てるのは女として当たり前の事。そう自然に

行動出来た賢婦人を絵に描いたような旧時代の女性の典型ですが、嫁の悦子を、男勝りで、はっきりと自

分の意見が言え、我が物顔で自由な行動する姿を、確かに羨望の眼差しで見ていたようです。

 惚れた男の産みの母親ですから、悦子としては精一杯の義母孝行に努めてくれました。相当に無理をし

てくれていました。そして、この母に対して、悦子は一人の女として強い嫉妬の感情も抱いていた。私の

方で呆れて開いた口が塞がらない程に。

 考えてみれば、母の方でも素晴らしい嫁である悦子に密かに嫉妬の炎を燃やしていたやも知れず、それ

も道理で、「母さんの永遠の恋人」(― これ、姉が母と私の一種異様な関係を称して言ったもの)を突然

に横取りしてしまったのですからね。

 こういう象徴的なエピソードがありました。私が家を出て、西大久保に部屋を借りた時期に、母は板橋

から定期を買って部屋の掃除に家政婦のように通っていた。私が頼んだのでは勿論ありません。カツボー

が一人で生活しているなど、とても放って置くわけにはいかなかったのでしょうね。これを知った当時の

売れっ子シナリオライター・市川森一は口をぽかんと開けて、「古屋さんは、一体、どの様な生まれ素性

の御方なのですか」と、母に根堀り葉掘りしつこく尋ねたそうです。その後で、母は私にこう言いまし

た、「目つきの悪い人だね。あまり深いお付き合いはしないほうが利口だよ」と。

 ついでと、と言っては何ですが、やはり有能で、当時早くも非常な売れっ子だった長坂秀佳の御母堂と

初対面の際に、「古屋さんは、皇族の出なのかい。御前の友人であんなに上品で、お淑やかな方はいなか

ったからね」と長坂氏に語ったとか。私が、「冗談を仰っのでしょう」と返すと、「俺のお袋は、冗談な

どは一切言わない、大真面目な女だからなあ」と、これも大真面目な顔をして秀佳はいったのです。

 私は、実質的に、皇族に劣らない養育を受けて、乳母の如き母親に蝶よ、花よ、と大切に育てられたも

同然だったわけでありました。私も、開いた口が塞がらない程に吃驚仰天してしまいましたよ、実際の話

がであります。





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最終更新日  2020年10月12日 18時20分31秒
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