草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2025年12月11日
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小串範行 多治見行長を討つ、小笠原孫六の 奮戦

         国長の自害

 多治見の宿所には、小串三郎左衛門範行を先として、三千余騎にて押し寄せたり。

 多治見は終夜(夜もすがら)の飲酒に酔い疲れて、前後も知らずに臥せっていたのだが、鬨の声に

驚いてこれは何事かと周章(しゅうしょう、慌てる)騒ぐ。

 側に臥していた遊君は物馴れた女であったから、枕元にあった鎧を取って打ち着せ、上帯を強く

締めさせて、なおも寝入っている者どもを起こしたのだ。

 小笠原孫六は傾城に驚かされて、太刀だけを手に取って中門に走り出て、目をすりすり四方をき

っと見た所、車の輪の籏が一流れ築地の上から見えたのだ。



覚え候。早、面々、太刀の目貫を堪える程は切り合ってから腹を切れ。と、呼ばわってから腹巻

(軽便略式の鎧の一種。士卒が着用したもので、胴丸に似て腹に巻、背で会わせるようにしたも

の。吉野時代から行われ室町時代に盛行した)、を取って肩に投げかけ、二十四本差した箙(えび

ら、夜を入れて背に負う武具)と繁籘(しげどう、下地を黒漆塗にしてその上に幅一寸位、間五

分くらいずつへだてて籘で繁く巻いた弓で、大将などが持ったもの。弓束・弓の手に握る部分から

下部を二十八宿に象って二十八か所巻き、弓束から上を三十六禽になぞらえて三十六か所巻いたの

を正式とする)とを携えて、門の上にある櫓に走り上がり、中差(なかざし、箙の内に差して上

差・うわざし以外の征矢)を取って打ち蕃(つが)えて、挟間(さま、城壁や櫓などに設けて外を覗

い、矢・石・弾丸などを放つ窓)の板八文字に開いて、あら、事々しの大勢やな。我らが手柄のほ

どぞ顕れるであろうよ。そもそも討っ手の大将は誰と申す人が向かわれて候やらん。近づいて矢を

一つ受けて御覧候え、と言うままに十二束(矢の長さ、束・そくは一握り、即ち指四本の幅)三つ



 真ん前に進んで来ていた狩野下野前司の若党・衣摺助房(きぬずりのすけふさ)の鎧の真向鉢付け

の板まで矢先を白く射通して、馬から逆様に射落した。

 これを始めとして、鎧の袖・草摺・兜鉢とも言わず、指し詰めて思うように射たところ、面に立

ったる兵(つわもの)二十四人を矢の下に射落した。

 今一筋、胡簶(やなぐい)に残っていた矢を抜いて、胡簶をば櫓の下にからりと投げ落とし、この



自害する有様を見置いて人に語れ。と、高声で叫び、太刀の鋒(きっさき)を口に咥えて櫓から倒

(さかさま)に飛び墜ちたのだ。貫(つらぬかれ)てこそ死んでしまった。

 この間に、多治見を始めとして一族若党二十余人が物の具をひしひsと固めて、大庭に跳(おど)

り出て、門の関の木をさして待ち懸けたのだ。

 寄せ手は雲霞の如くと言えども、思い切りたる(死を覚悟した、決死の)者どもが死に物狂いをし

ようと引きこもっているのが恐ろしいので、内に切り込もうとする者はいないのだ。

 そこへ伊藤彦次郎父子の四人が門の扉が少し破れている所から、這って内側に入ったのだ。

 その志の程は武(たけ)けれども待ち受けたる敵の中に、這って入った事であるから、敵は打ち違

える事も無く、皆門の脇で討たれてしまった。

 寄せ手は是を見て、いよいよ知kづく者も無かった。

 その間に、内部から門の扉を押し開けて、討っ手を承る程の人達が穢くも見え候ものかな。早、

これへ入りなされよ。我らが首を引き出物として進呈致そうぞ。と、敵を恥しめてぞ立ったのだ。

 寄せ手の者共は敵に欺かれて、先陣の五百余人は馬を乗り放って歩み立ち(徒歩)になり、喚きな

がら庭にこみ入った。

 立てこもっていた兵どもは、とても逃れられないと思い切ったる事であるから、何処へも一足も

引かずにいる。

 二十余人の者共、大勢の中に乱れ入って、面も振らずに真正面に進み、切って廻った。

 先駆けの寄せ手五百余人、散々に斬りたてられて、門から外にさっと引いた。

 されども寄せ手は大勢であるから、先陣が引けば二陣が喚いて懸け入る。駆け入れば追い出し、

追い出せば懸け入り、辰の刻(御前八時)の直後から午刻(正午)の終わりまで火が出るまでに激しく

戦ったのだ。

 斯様に大手(追手とも、表門の事)軍が強かったおで、佐々木判官の手の者千余人は後ろに廻って

錦小路から民家を打ち破って乱入した。

 多治見は今はこれまでとや思ったのか、中門に並んで居て、二十二人の者共互いに差し違え、刺

し違えして卜筮に使う算木を乱したように臥したのだ。

 追っ手の寄せ手共が門を破っているその間に、搦め手の勢どもが乱れ入って来た。

 首を獲って六波羅に馳せ帰った。

 二時(四時間)程の合戦に、手負い死人を数えた所、二百七十三人であった。





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最終更新日  2025年12月11日 16時43分34秒
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