草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2025年12月29日
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然るに今、君の寵臣一両人を召し置かれ、御帰依の高僧量三人流罪に処せられることも、武臣の

悪行の専一と言うべきでありましょう。

 この上、に又主上を遠所に遷し参らせ、天台座主を流罪を流罪に行われん事、天道は奢りを憎む

のみならず、山門争いの憤りを含まざるべきである。神が怒り、人が背くならば武運の危うきに近

いであろう。

君が君足らずと言えども、臣は以て臣足らざるべからず。と言っている。

 御謀反の事、君がたとえ思し召し立たれたとしても、武威が盛んである間は、與(くみ)し申す者

はいないであろう。

 これに付けても武家はいよいよ慎んで、勅命に応じないならば、君もどうして思召し直すことが



じられ候や。と、申しけるを、長崎新左衛門の尉がまたもや、自余の意見をも待たずに以ての外に

気色を損じて、重ねて申しけるには、文武が揆一也と言えども、用捨は時が異なるべし。静かなる

世には文を以って弥(いや)治め、乱れたる時には武を以って急に静める。故に中国でも戦国には孔

子や孟子の仁義の道は用いられなかった。太平の世には干戈(かんか、武器)は用いる事なきに似た

れども、事は既に急に当たっている。武を以って治めるべきである。

 異朝には文王・武王が臣として無道(ぶどう)の君を討った例が有る(周の武王が殷の紂王を討っ

たこと。文王を出したのは下の文の義時・泰時に応ずる文章の綾に過ぎず、文王にはこうした例は

ない」

          阿新父 資朝 を尋ねて 佐渡に下る

 さる程に、君の御謀反を申し勧めたのは、源中納言具行・右小辨俊基・日野中納言資朝である。

各々は死罪に行われるべきだと、評所が一途に定まって、先ず、先年から佐渡の国に流されておわ



 この事が京都に聞こえたので、この資朝の子息国光の中納言その頃は阿新殿とて年は十三歳であ

られたが、父の郷が召人(めしうど、囚人)になられtからは、仁和寺付近に隠れておられたが、父

が誅せられ給うべき由を聞いて、今は何事にか命を惜しむべきだろうか。父と共に斬られて冥途の

旅の供をもし、父の最期の有様も見奉るべしと、母親に御暇を乞いなされた。

 母御は頻りに諫めて、佐渡とやらんは人も通わない恐ろしい嶋と聞こえている。日数を重ねる道



うとは思わない。と、泣き悲しんで止めた所、よしや、伴い行く人がなければ、いかなる渕瀬にも

身を投げて死なん、と申しける間、母が甚く止めたので、又目の前に憂き別れもあらんと思い侘び

て今まで一人付き添いたる中間を相添えられて、遥々(はるばる)と佐渡の国へと下したのだ。

 道は遠いけれども、乗るべき馬もないので、履きも習わぬ草履に菅の小笠を傾けて、露分けわけ

る越路の旅、思いやるこそ哀れであるよ。

       阿新 佐渡に到着 本間入道 父子の対面を 許さず

 都を出でて十三日と言う申すに、越前の敦賀の津い着いた。これよりは商人(商い尾と)の舟に乗

って、程なく佐渡の国に着いたのだ。

 人をして右と言うべき便(たより)もないので、自らが本間の館に出向いて、中門の前に至ったの

だ。折節、僧が居たのが立ち出でて、この内への御用にて御立ち候か。またどのような御用で御座

ろうかと問うたので、阿新殿は、これは日野の中納言の一子で候が、近頃斬られなされると承りて

その最後の様をも見候わん為に都から、遥々と下り候。と、言いもあえずに涙をはらはらと流した

ので、この僧は心がある者であぅたから、急いでこの由を本間に語った。

 本間も岩木ではないから、さすがに哀れと思ったのだろう、やがてこの僧を以て持仏堂にいざな

い入れて、足袋はばき(皮で作った足袋)を解かせ、足を洗わせて疎かならぬ体で置いたのだ。

 阿新殿はこれを嬉しいと思いつけても、同じであるならば早く父の卿を見奉りたいと言ったのだ

が、今日か明日には切って捨てるべき人にこれを見せては、却って冥途への障りとなるであろう。

又関東への聞こえもどうであろうかと考えて、父子の対面を許さない。四五町離れた所に場所に留

めたので、父の郷はこれを聞いて、行く末も知らぬ都で如何あるだろうと思いやるよりも、猶悲し

く感じる。

 子はそなたを見やりて、浪路遥かに隔たった鄙の住居を創造して、心苦しく思った涙は更に数で

はない。袂が乾く隙もない。

 これこそ中納言のおわします楼の中だと見やれば、竹が一叢繁った所に、濠を掘り廻らして塀を

塗って行き交う人も稀である。

 情けが無い本間の心である。父は禁牢されて、子はまだ幼い。たとえ一所に置いたとてどれ程の

畏怖があろうか。対面をさえ許さないで、まだ同じ世の中ではあっても、生きて隔たる如くであ

り、なからん後の苔の下、思い寝に見る夢でなければ、相看ることも有り難いと、互いに悲しむ恩

愛の父子の道こそは実に哀れであるよ。





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最終更新日  2025年12月29日 16時51分11秒
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