草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2026年03月14日
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わが身はその次に纐纈(こうけつ、飛鳥・奈良時代に行われた絞り染めの名)の鎧直垂に精好の大

口(おおくち、大口袴。束帯の時に表袴の下にはいた。紅の生絹・平絹・張絹などで製し裾の口が

大きく広いもの。武家時代には直垂・水干の下に持ちいた)を張らせ、紫下濃(紫すそご)の鎧に、

白星の五枚甲に八龍を金で打ち付けたのを猪頸(いくび)に(仰向けに)着成し、銀(しろがね)のみが

きを付けて(銀めっきに磨きをかけて)脛当てに金造りの太刀を二振り佩いて、一部黒(一戸クロ)と

言って五尺三寸あった坂東一の名馬に、塩干潟(しおひがた)の捨て小舟を金貝(かながい)に磨った

鞍を置き、山吹色の厚房を懸けて、三十六本差した白磨りの銀筈の大中黒の矢に、本滋藤(もとし

げどう)の弓の眞中(まんなか)を握って、小路を狭しと歩ませたのだ。

 片小手に腹当てをして、諸具足した中間が五百余人、二行に列を引いて、馬の前後に随う。静か



 その後、四五町引き下がって、思い思いに鎧したる兵が十万余騎、兜の星を輝かせて、鎧の袖を

重ねて、沓の子を打ちたるが如く(沓底に釘を打ったように)道の五六里を支えたのだ。

 その勢いは決然として、天地を響かせ、山川を動かすばかりである。

 この外に、外様の大名五千騎・三千騎が隊伍を引き分け、引き分けして昼夜に十三日まで引きも

切らずに向かったのだ。

 我が朝は申すに及ばず、唐土・天竺・太元(たいげん、蒙古第五代のフビライが中国の南宋を亡

ぼして建てた国、元)・南蛮(中国南方の野蛮人)も未だこれ程の大軍を起こすことは有難かった

と思わぬ人はいなかった。

     赤坂合戦の事 付けたり 人見・本間の抜け駆けの事
       阿曾弾正少弼 赤坂城に向かい 天王寺に逗留する

 さるほどに、赤坂の城に向った大将、阿曾弾正少弼は後陣の勢を待ち調える為に、天王寺に両日



ぞ触れられたのだ。

      人見が先駆けして 遂に本間に会う 共に赤坂城に赴き
         討ち死にする

 ここに武蔵の国の住人、人見四郎入道恩阿と言う者がいた。

 この恩阿が本間九郎資貞に向って申したことには、味方の軍勢は雲霞の如くであるから、敵陣を



に余るに及んでいる。

 天道は盈を缺く理は遁れる術もない。その上に、臣として君を流し奉る積悪、あに、身を滅ぼさ

ざらんや。某は不肖の身とは申せども、武恩を蒙って齢既に七旬(七十歳)に余っている。

 今日より後にさしたる思い出も無き身である。そぞろに長生きして武運が傾くのを見るのは老後

の恨み、臨終の障りともなりぬべく思われるので、明日の合戦の先駆けして一番に討ち死にし、そ

の名を末代にに残さんと存ずる成り、と。そう語った。

 本間は心中では、げにもとは思いながら、枝葉の事を申すものかな。これ程である打ち囲みの軍

にそぞろなる先駆けして討ち死にしたるとて、さして高名とも言われないだろう。されば某は人並

みに振舞うつもりである。と言ったところ、人見は世にも無興げにて、本堂の方に行ったのだが、

本間は怪しんで人を付けて見させたところ、矢立を取り出して、石の鳥居に何事かは知らないが一

筆書付けて、己の宿にぞ帰ったのだ。

 本間九郎、さればこそこの者に一定明日の先駆けをせられると心赦しがなかったので、まだ宵か

ら打ち立って、ただ一騎東條を指して向かったのだ。

 石川々原で夜を明かすと、朝霧の晴れ間から、南の方を見たところ紺唐綾威(こんからあやおど)

しの鎧に白母衣を掛けて鹿毛(かげ)なる馬に乗りたる武者が一騎、赤坂城に向いける。

 何者であるかと馬を引き寄せて相手を見れば、人見入道であった。

 人見が本間を見て言ったのは、夜部(やべ、昨日の夜)宣いたる事を誠と思い立るならば、孫ほど

の人には出し抜かれたくはないでありましょう。と、打ち笑いながら頻りに馬を進めたのだ。

 本間は跡に続いて、今は互いに先を争うに及ばず。一所にて尸を晒し、冥途までも同道致しまし

ょうぞ。と、言った所、人見は、申すにや及ばず、と返事して、後になり先になりして物語して行

きけるが、赤坂城が近くなったので、二人の者共が馬の鼻を並べて駆けあがり、塀の際迄打ち寄せ

て鐙(鐙)を踏ん張り弓杖を突いて、大音声を挙げて名乗りける。

 武蔵の国の住人、人見四郎入道恩阿、年が積もって七十三歳、相模の国の住人・本間九郎資貞、

生年、三十七歳、鎌倉を出でしより、軍の先陣を駆けて屍を戦場に曝さん事を存じて相向かった。

 我と思わん人々は出合いて手並みの程を御覧ぜよ。と、声々に呼ばわって城を睨んで控えたり。

 城中の者共はこれを見て、これぞとよ、坂東武者の風情とは、これはただ、熊谷・平山の一の谷

での先駆けを伝え聞いて、羨ましく思った者共であろう。

 後を見るに、続く武者はいない。また、それ程の大名とも見えない。溢れ者の不敵武者に跳り

あって命を失ってはどうしようもないぞ。ただ置いて、事の様を見てみよう。とて、東西で鳴りを

潜めて返事もしない。

 人見は腹を立てて、早旦から向かって名乗っても、城から矢の一つをも射出さないのは、臆病の

至りか。敵を侮るのか。いで、その義ならば、手柄の程を見せて呉れようぞ。とて、馬から飛び降

りて堀の上に有る細橋をさらさらと走り渡り、二人の者共、出でし塀の脇に引き添って、木戸を切

り落とさんとしたので、城中は是に騒いで、土小間(つちざま、土で築き上げた障壁に拵えた小さ

な窓)や櫓の上から雨が降る如くに射った矢が二人の者共の鎧に蓑毛の様に立ったのだ。

 本間も人見も元から討ち死にするつもりで思い立ったことなので、どうして一足でも引くだろう

か。命を限りに二人共に一所で討たれてしまった。





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最終更新日  2026年03月14日 08時20分40秒
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