草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2026年03月18日
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城中の水を 絶つ 城兵は困却する

 此処に播磨の国の住人、吉川八郎と申す者、大将の前に来て申しける、この城の為体(ていたら

く)は力責めにし候は左右(そう)なく落ちるべからず候。

 楠はこの一両年の間、和泉・河内を管領して若干(いくばく)の兵糧を取り入れて候なれば、兵糧

も左右なく尽きないでありましょう。

 つらつらと思案を廻らし候に、この城、三方は谷が深くして地には続いていない。一方は平地で

しかも山は遠く隔たっている。されば、いずくに水あるべしとも見えないので、火矢を射るならば

水弾き(ポンプの類)にて打ち消す筈です。

 今の頃は雨がふることも候わぬに、これほどまでに水が沢山に候成はいかさま南の山の奥から地



を掘り切らせ御覧候え。と、申した所、大将は、げにもとて人夫を集めて、城に続いた山の尾(裾

の延びた所)一文字に掘り切りて見れば、案の如くに地の底に二丈余りの下に樋を臥せて傍に石を

畳み、上には眞木(最良の檜)の瓦(樋の上にかぶせる蓋)を臥せて、水を十町余り他から懸けていた

のだ。

 この揚げ水を止められてからは。城中に水が乏しくなり、軍勢口中の乾きが忍びがたくなり、四

五日程は草葉に置いた朝の露を嘗め、夜気に潤った地に身を当てて、雨を待ったのだが雨は降らな

い。

 寄せ手はこれに利を得て、隙なく火矢を射たので大手(城の表門)の櫓を一つ焼き落としたのだ。

 城中の兵は水を飲まずに十二日になったので、今は精力も尽き果てて、防ぐべき方便もなくなっ

てしまった。

 死にたる者は再び帰る事はない。さあ、どのようにしても結局は死ぬに決まっている命である。



と、城の木戸を開いて同時に打ち出そうとするのを、城の本人(城主)平野将監(近衛府の第三等官)

入道が高櫓から走り下りて、袖を控えて言ったのは、暫くは粗忽(軽率)の事をするでない。今はこ

れほどに力尽き咽が乾いて疲れてしまったので、思う(理想の)敵と相逢うことは有難い。名もなき

人の中間(侍と小者の中間にあって仕えた雑兵、召使の者)・下部(しもべ、雑役に使われる兵卒)

共に生捕られて恥を晒す事は心憂く思われよう。



ず。西国の乱がいまだに鎮まらないのに、今降人(降参人)になって出た者を殺せば、多の人が見て

懲りて降参しないだろうからと、見て懲り懼れさせないようにと降参人を殺すようなことは有る筈

もない。とても叶わない我等であるから、暫くことを謀って降人となり、命を全うして時が至る時

を待つべし。と、言えば、諸卒が皆この義に同じて、その日の討ち死にを止めたのだった。

        城兵、寄せ手に降る 六波羅に送られて斬られる

 さるほどに、次の日、軍の最中に、平野入道は高櫓に上って、大将の御方に申すべき仔細が候。

暫く合戦を止めて、聞し召し候え。と、言った所、大将渋谷十郎を以て事の様を尋ねるに、平野は

木戸口に出で合って、楠は和泉・河内の両国を威を振い候いし刻みに、一旦の難を遁れる為に心な

らずも御敵に属(しょく、付き従う)して候。

 この仔細を京都に参じ候て申し入れ候わんと仕り候所に、既に大勢を以て押しかけられ申し候間

弓矢取る身の習いにて候えば、一矢仕りたるに候。

 その罪科をだに御免あるべきに候わば、頸を伸べて降人に参ずべく候。もし叶うまじとの御定

(御諚、御仰せ)にて候わば力なく一矢仕りて尸(かばね)を陣中に曝すべく候。この様を具に申され

候え。と言った所、大将・阿曾治時は大いに喜んで、本領安堵のの御教書(旧領の地は取り上げる

ことなく、そのまま賜ると言う将軍家から下された文書)を成し、殊に功が有る者には則ち恩賞を

与える沙汰を申すべき由を返答して、合戦を止められた。

 城中に籠っていた二百八十二人、明日に死ぬであろう命を知らずに、水に渇した堪えがたさに皆

が降人になって出て来たのだ。

 長崎九郎左衛門がこれを受け取って、先ず降人の法であるからとて、物の具・太刀・刀(長刀も

短刀も、刀は平安時代には日用道具の今のこがたなの類を言った。たちとは違い元来武器ではなか

ったが源平時代には補助の武器として、腰にさされ刀身も延びたようだ。しかし、室町時代でもま

だ徳川時代のかたなの観念ではなく、鍔の無い護身用程度の物だった)を奪い取り、高手・小手に

縛(いまし)めて六波羅へぞ渡したのだ。

 降人の輩は、こうなるのであればただ討ち死にをするべきであったと後悔したが、その甲斐はな

くて、日を経て京都に着いたならば六波羅に戒め置いて、合戦の事始めであるから軍神に祭りて血

祭に上げて、人に見懲らさせよとて六条河原に引き出して、一人も残らずに首を刎ねて、獄門に晒

したのだ。

 これを聞いて、吉野・金剛山に籠っていた兵共は、いよいよ獅子の歯噛みをして、降人に出よう

と思う者はいなかったのだ。

 罪を緩くするのは将の謀である。と、言う事を知らなかっいた六波羅の成敗を、皆人毎におしな

べて悪しかりけると申したが、幾程もなく悉く滅びてしまったのは不思議であるよ。

 情けは人の為ならず、余りに奢りを極めては、雅意(我意の当て字、我儘)に任せて振舞えば武運

も早く尽きるのだった。

 因果の道理を知るならば、心にあるべき事共である。

          巻  第  七
         吉野城 軍の事
           二階堂道薀が吉野城を攻める

 元弘三年正月十二日、二階堂出羽入道薀が六万余騎の勢で大塔の宮が籠らせ給える吉野の城に押

し寄せた。

 菜摘河(吉野川の上流)の川淀から城の方を見上げたならば、峰には白旗・赤旗・錦の旗が深山お

ろしに吹き靡かされて雲か花かと怪しまれる。

 麓には数千の官軍、兜の星を輝かせ、鎧の袖を連ねて、錦繡をした地のようである。峰が高くし

て道は細い。山は険しくして苔はなめらかである。

 されば、幾十万の勢で責めたとしても容易く落ちるとは見えなかった。





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最終更新日  2026年03月18日 15時00分43秒
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