草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2026年05月18日
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蘭輿(らんよ、天子の乗る輿)が後に連なって、番馬の峠を越えようとした際に、数千の敵が道を

中に挟んで、楯を一面に並べて矢先を揃えて待ち懸けていた。 糟谷は遥かにこれを見て、思うに

當国・他国の悪党どもが、落人の物の具を剥ごうとして集まっているようだ。手痛く当たって捨て

る程であるならば、命を惜しまずに戦う程の事もあるまいに。ただ一懸けに駈け散らして捨てよ、

と言うままに、三十六騎の兵共が馬の鼻を並べて駆けたのだった。 一陣を固めていた野伏の五百

余人は遥かの峰に捲り上げられて、二陣の勢に逃げ加わった。 糟谷は一陣の軍には打ち勝った。

今はよも手に障る者はあるまじと、心安く思って朝霧が晴れゆくままに越えるべき末の山路を遥か

に見渡したならば、錦の旗が一流れ峰の嵐に翻って兵は六千人程が要害を前に当てて待ち構えてい

る。 



が共に疲れて、敵は険阻に支えている。相近づいて矢軍をしようとすると、矢種は皆射尽くして、

敵は若干(いくばく、多く・多数・多大の意)の大勢である。 とにもかくにも叶わざるとも覚え

なかったので、麓に辻堂があったので、皆が下降りして後陣を相待ちける。        

          宗秋 仲時に 説く  仲時は         
          番馬の宿で 佐々木時信 を待つ

 越後守は前陣に軍が有ると聞いて、馬を速めて馳せ来り給う。糟谷三郎が越後の守に向って申し

た事には、弓矢取りが死すべき所で死なないのは恥を見ると申し習わしているのは理で候。我等は

都にて討ち死にすべき者で候しが、一日の命を惜しみてこれまで落ち来て、今言う甲斐もない田夫

野人の手にかかって屍を路径の露に曝すのは、非常に残念なる事に候。 敵はこの一所だけであれ

ば、身命を捨てて打ち払っても通るべく候が、推量仕るに先ず土岐の一族は最初から謀反の張本で

あったが、折を得て美濃の国を通さんとぞ仕り候わんずらん。 吉良の一族も度々の召しに応じず



する事は恐らく万騎の勢を以てしても叶うまい。 況や、我等は落人の身となって、人馬は共に疲

れ、矢の一隻(いちせき、一筋)でもはかばかしく射る力もなくなりて候えば、いずくまでか落ち

延び候や。 ただ、後陣の佐々木を御待候て近江の国に引き返し、暫くはさりぬるべからんずる城

に立て籠って関東勢の上洛し候わんずるのを御待ち候えかし。と、申しければ、越後守仲時も、こ

の義を存ずれども佐々木とても今は如何なる野心をか存ずらんと、頼み少なく覚えければ、進退に



信を待ってこそ評定あらめ、とて、五百余騎の兵共は皆辻堂の庭にぞ馬から下りて休息したのだ。          

時信 降人 となって京都に 上る 佐々木判官宣時は一里ばかり引き下がって、三百余騎で打っ

た(馬に乗って行く)のだが、如何なる天魔波旬の仕業にてかあるらん、六波羅殿は番馬の峠にて

野伏共に取り籠められて一人も残らずに討たれ給いけりと、告げたのだ。 時信は、今はなすべき

様はなくなってしまったぞ、と愛智河(えぢかわ)から引き返して降人(こうにん)となって京都に上

ったのだ。         

          仲時 の 自害 宗秋は これに殉ずる          

 同時に切腹した 宗徒 の人々 越後の守仲時、暫くは時信を遅いと待ち給いけるが、待つ期過

ぎて時移りければ、さては時信も早敵になりにけり。今はいずくへか引き返し、何処までか落ちた

るならば爽やかに腹を切らんずる物をと中々に一途に心を取り定めて、気色は涼しくぞ見えた。 

その時に軍勢共に向って宣(のたま)いけるは、武運が漸くに傾いて、当家の滅亡は近いと見給いけ

るが弓矢の名を重んじて日頃の好みを忘れずして、これまで付き纏い給いける志は中々申すに言葉

はなかるべし。

 その報謝の思いは深いと言えども、一家の運は既に尽きているので、何を以てかこれを報ずべ

き。今我は方々の為に自害をして、生前(しょうぜん)の芳恩を死後に報ぜんと存ずる成り。

 仲時は不肖ではあるが、平氏の一類(一門、一族)の名を揚げる身であるから、敵共はさぞかし我

が首を以て千戸侯にも(家千戸を領する大名に)してやると言って募るであろう。早く仲時の頸を取

って源氏の手に渡し、咎を補って忠に備え給え。と、言い果てぬ言葉の下で鎧を脱いで押し膚脱

ぎ、腹を掻き切って伏したのだ。

 糟谷三郎宗秋がこれを見て、涙が鎧の袖にかかっているのを抑えて、宗秋こそは先ずは自害して

冥途の御先をも仕らんと存じ候いつるを。先立たれた事が口惜しいことだ。今生にては命の際の御

先途を見果て参らせつる。冥途なればとて、見放し奉るべきではない。

 暫くお待ち候え、死出の山の御伴を申し候わん、とて、越後守の鞆口まで腹に突き立てて置かれ

たる刀を取って己の腹に突き立てて、仲時の膝に抱き付いてうつ伏せにこそ臥したのだ。

 これを始めて、佐々木隠岐前司・子息次郎右衛門・同三郎兵衛・同永寿丸・高橋黒羽左衛・

孫四郎・同又四郎・同弥四郎左衛門・同五郎・隅田(すだ)七左衛門尉・同孫五郎・同藤六・同三

郎・安藤太郎左衛門太郎・同左衛門三郎・同十郎・同三郎・同又次郎・同新左衛門・同七郎三郎・

同藤次郎・中布利(なかぶり)五郎左衛門・石見(いわみ)彦三郎・武田下條(たけだげじょう)十郎・

關屋八郎・同十郎・黒田新左衛門・同次郎左衛門・竹井(たけいの)太郎・同掃部(かもん)左衛門

尉・寄藤(頼ふぢ)十郎兵衛・皆吉(みなぎり左京亮(すけ」・同勘解由七郎兵衛・小屋木七郎・塩屋

右馬允(じょう)・同八郎・岩切(いわぎり)三郎左衛門・子息新左衛門・同四郎・浦上(うらかみ)八

郎・岡田兵六兵衛・木工介(もくのすけ)入道・子息介三郎・吉井彦三郎・同四郎・壱岐孫三郎・窪

(くぼの)二郎・糟谷弥次郎入道・同孫三郎入道・同六郎・同次郎・同伊賀三郎・同彦三郎入道・同

大炊(おほゐ)次郎・同次郎入道・同六郎・櫛橋次郎左衛門尉・南和(なわの)五郎・同又五郎・原宗

(はらむねの)左近将監入道・子息彦七・同七郎・同七郎次郎・同平右馬三郎・御器所(ごきしょの)

七郎・怒借屋(ぬかりや)彦三郎・西郡(にしこり)十郎・秋月二郎兵衛・半田(はんだ)彦三郎・平塚

孫四郎・毎田(まいでん)三郎・花房六郎入道・宮崎三郎・同太郎次郎・山本八郎入道・同七郎入道

・子息彦三郎・同小五郎・子息彦五郎・同孫五郎・同孫四郎・足立源吾・三河孫六・廣田五郎左衛

門・伊佐治部(いさじぶの)允・同孫八・同三郎・息男(そくなん)孫四郎・片山十郎入道・木村四

郎・佐々木隠岐判官・二階堂伊豫入道・石井中務(なかづかさの)丞・子息弥三郎・同四郎・海老名

四郎・同與一・弘田(ひろた)八郎・覺井(さめがい)三郎・石川九郎・子息又次郎・進藤六郎・同彦

四郎・備後民部大夫・同三郎入道・加賀彦太郎・同弥太郎・三嶋新三郎・同慎太郎・武田與三・満

王野(みつわの、みをにや)藤左衛門・池守(いけもり)藤内兵衛・同左衛門五郎・同左衛門七郎・同

左衛門太郎・同新左衛門・斎藤宮内(くないの)丞・子息竹丸・同宮内左衛門・子息七郎・同三郎・

筑前民部大夫・同七郎左衛門・田村中務入道・同彦五郎・同兵衛次郎・信濃小外記(しなののこう

げき)・眞上(まかみの)彦三郎・子息三郎・陶山次郎・同小五郎・小宮山孫太郎・同五郎・同六郎

次郎・高境(たかさか)孫三郎・塩屋弥次郎・庄左衛門四郎・藤田次郎・同七郎・金子(かねこの)十

郎左衛門・眞壁三郎・江馬彦次郎・近部(こんべ)七郎・能登彦次郎・新野(にいのの)四郎・佐海

(さみの)八郎三郎・藤里(ふぢさと)八郎三郎・藤里八郎・愛多義(あたぎ)中務允・子息弥次郎・こ

れらを宗徒の者として恰も黄河が流れる如くである。





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最終更新日  2026年05月18日 10時47分44秒
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