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私がタイのプレムチャイジムで練習していた時、ポン君という有望な子供がおりました。ポン君はまだ13歳でしたが、イサーン(東北地方)から男一匹上京し、ファイトマネーはすべて仕送りして家計を助けているという、幼いながらいっぱしのプロの顔つきをしているのでした。 私はタイでもなぜだかガキ共には人気があり、その中でもポン君は特に私になついておりました。(むかしから私は女にはもてませんが、ガキとオカマにはもてるのであります) そのポン君が試合前だというのにカゼでダウンしてしまったのです。薬を飲んでも一向に良くならず、ぐったりしているポン君に試合をキャンセルする事はできないのです。タイの子供はカゼだろうがなんだろうが試合をやらされてしまう。そうやって勝ち抜いていった者だけが生き残っていくキビシイ世界なのです。 「困っている人がいたら助ける」これは我がナカムラ家の家訓なのです。私は日本から持ってきた「新ルル・エース」のビンを持っていき、「これは日本で一番いい薬で一粒100バーツだぞ」と言うと「なにっ!」とばかりにジムの連中が集まってきました。(ちなみに当時1バーツは約4円。カオパット20バーツ、ゴーゴーバーのビール60バーツ)「オレにもくれオレにもくれ」とあっという間に行列ができ、大事そうにチリ紙に包んでしまう奴、中にはその場でボリボリ食べだす奴もいる。「こらっ!お菓子じゃないぞ」と関係ない奴らを追っ払い、ポン君にも飲ませたのです。するとどうでしょう、次の日にはポン君はすっかり治ってしまったのです。元気をとりもどしたポン君は試合にも勝ち、私の株は上がったのでした。 私は「病は気から、とはこういう事をいうのだな」と思ったのでした。
2006/04/28
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私は今、敗者の気分にヒリヒリと浸りながらコーヒーを飲んでいるのである。通算2勝29敗。否、たった今も負けたのでちょうど30敗である。私はインターネットの将棋クラブ「将棋倶楽部24」というサイトで、夜な夜な見知らぬ相手と将棋を指しているのだ。そして負けに次ぐ負け、負けに負け続けて遂にランクは15級にまで転落してしまった。 秒読みに追われて私が悪手を指すと相手は喜んで次の手を指す。「あっ!しまった。バカヤロー!!」と叫んだってもう遅い。私の玉はもう「詰めろ」がかかってしまっているのだ- お正月のカラスかあかあ
2006/04/08
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私は常々「人から尊敬されない男になろう」と思っておりますが、キック教室では「先生先生」などと持ち上げられて木に登っているのであります。だいたい先生じゃない人を「先生先生」と呼ぶのは、ゴーゴーバーで「社長社長」と呼ばれるのと同じで実にあやしいものだと思うのです。 そういえばかつても私は、先生じゃないのに「先生」と呼ばれていた事がありました。タイに住んでいる時、有り金が底をつきそうになった私は日本語の先生のアルバイトをする事にしました。私が住んでいた安アパートは、住民の大半がホモかオカマという貧民窟みたいな所でしたが、中にはまっとうな勤め人もおりました。その中に日本語を習っている奴がおり、「うちの学校で募集してるかもしれない」と言うので電話して行ってみると、あっさり採用になったのです。採用テストもなければ研修もない、教科書だけ渡されて「じゃやってくれ」と実にいいかげんなのでした。 ところが、このインチキ教師がたいへん評判がよかったのだから世の中わかりません。生徒たちも「こいつは不良教師だな」と感じたのかどうか知りませんが、他の先生に聞きづらい事(下ネタですが)は、すべて私に聞いてくるのです。「オレから教えてもらったって言うなよ」と言いつつ私はいちいち「ていねい」に教えてやりました。多い時は50人以上の生徒から「先生先生」と持ち上げられ、教科書そっちのけで雑談ばかりして人気をとっていた私・・・朝走って練習して午前中、学校。そして午後また練習。なんたる充実。なんたる幸せ。-思えばあの時が私の人生のピークであったと思われるのです。日本に帰ることになった時は学校から「帰らないでくれ」と相当に引き止められました。(日本で会社を辞める時は、全く引き止められませんでした) 私は今でもいざとなったらタイへ行ってインチキ教師に戻ろうと思っているのです。(おそらく現在は審査が厳しくなって私は雇ってもらえないと思います)
2006/04/01
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