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まさか「2」を書くことになろうとは。
きっかけとなる事件が存外近くで起きた。
人災の犠牲者は養鶏所ではない。公園のハクチョウ。
全国的なニュースにもなっているようだが、かつてカッタ君のいた山口県の公園とは、わが家から歩いて10分とかからない常盤公園、そこである。
犠牲者のハクチョウとは子どもと時々餌やりをしていただけに知らぬ間柄ではない。
市は死んだ一羽からウィルスが検出されたことで大虐殺(処分という言葉は無責任で嫌い)を決断した模様。
おそらくもう実行された後だろう。普段はもたつく役所も責任が明確にかかってくると極めて迅速だ。とりあえず、冥福を祈る。
さて、事は公園内で死んでいる野鳥からウィルスが検出されたことに端を発する(その前に宮崎の一件で鳥インフルに対する危機感が募っていた、という伏線は当然ある)。
公園内には野鳥が多く飛来する。ウィルスを持っているものも当然いるだろう。というより、みんな少しはもっているんじゃないのか?人間だって無菌な者はいない。認識していないだけで実は菌まみれ、ウィルスまみれだ。どれだけ清潔にしても、菌やウィルスはそこらじゅういたるところにするのだから。そして、それらも意味あってそこにある。もし、菌やウィルスがいなくなったら、自然の循環は大きく変わり、その変化に適応できず多くの生物が死滅することになるだろう。
感染経路を完全に封じる、なんていうのは土台無理な話なのだ。
そういう方法をとろうとすれば、自然のすべてを敵にして、殺し尽くさなくてはならなくなる。そして、人のからだもまた自然。自分のからだすら信用できないようになってしまう。実際そのために、多くの人はちょっとのことで病院へ通い、己を偽る薬を飲み、病を深くしている。闘病と言っては、自分のからだと争っている。
そうではなくて、外の存在に囚われる前に、自分たちの内を養う。健全な生活を営み、自らの信を、芯を、心を、身を養う。そうして、欲を少なく、鶏やハクチョウと接するならば、彼らもまた健全に育まれてゆくだろう。
本当の敵は自分の外にあるのではなく、内に潜んでいるのだ。思い込み、我執、囚われ、偏見…。そういう心の偏りが目を曇らせ、過剰な恐れ、不安、そしてありもしない敵を生み出す。滅びへ向かう不毛な闘争が繰り広げられ、どんどん自ら世界を狭く、窮屈にしていく。
誰かの、何かの、ウィルスのせいにする前に、殺し尽くす前に、目の曇りを拭ってみよう。そこには、共存共栄の素晴らしい世界、自然がただただどこまでも広がっているよ。
(まさか遺影になろうとは...、もちろんハクチョウの)