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(ビレア・シンブサンセット わだつみ判官撮影)写真は、我が家で3年目を迎えたマレーシアシャクナゲ(ビレア)の園芸種、シンブサンセットです。 花びらに濃く鮮やかなオレンジの縁取りを配し、南国の太陽を連想させる黄色が魅力です。 高温多湿は苦手な花ですから花つきは少なかったものの、今年の猛暑にも負けず何とか咲いてくれました。シャクナゲは、植物分類学ではツツジ科に属します。 ツツジ科はおよそ30属に分かれますが、その一つにツツジ属があり、そのツツジ属はだけでも1000種類以上あるといわれ、シャクナゲにも350種ぐらいの種類があるといわれます。また、生育範囲がとても広く、北半球の亜寒帯からニューギニアなどの熱帯の山地まで分布します。とくに、ヒマラヤ地方から中国北西部には沢山の種類が分布していて、野生でも変種や自然交配が豊富に見られます。 そんなシャクナゲの中でも、トロピカルな雰囲気で異彩を放つのがマレーシアシャクナゲ群です。シャクナゲの栽培は難しくはありませんが、もともと山地の涼しい場所を好むものが多く、風通しの悪い高温多湿な場所を嫌う傾向があるので、暖地での植栽は工夫が必要です。いよいよ明後日は仲秋の月。 すっきりと晴れるとイイですね。
2010年09月21日
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(落日 わだつみ判官撮影)確かに、夜になると気温は下がるようになり、過ごしやすくなりました。 それでも、昼間はまだまだ軽く32℃を越えてしまいます。『暑さ寒さも彼岸まで』と昔からいいますから、そろそろ自然もここらで帳簿合わせをする頃でしょうか。気象庁の用語によれば、日中最高気温が25℃を超える日を夏日、30℃を超えると真夏日、35℃を越えると猛暑日と呼んでいます。 テレビやラジオでは酷暑という言葉も耳にしましたが、これは用語ではないそうです。でも、今年の暑さのピークを振り返ると一番ピッタリな気もしますね。今年は、恐らくほとんど誰もが経験したことがないほど、厳しい夏だったんじゃないかと思います。 お年寄りや、炎天下で作業していた労働者の方にとっては命の危険を伴う夏でした。わだつみ判官にとって、夏はバイクツーリングのオンシーズンなのですが、今年は7月中旬に一人旅で道後温泉へ向かったツーリングの道中で熱中症になり、それ以来、通勤も8月中はクルマ通勤に切り替え、ほとんどバイクには乗りませんでした。今年はいつまでも暑く、季節の歩みは遅いように感じてしまいますが、渡津神之森(ワダツミノモリ)でも、秋は日ごとに存在感を強めているようです。 日曜日の朝、夏を何とか越した老犬の御家老としばらく振りに里山の付近を散策しました。 ちなみに、世界最高気温の記録はイラクのバスラで1921年に観測された、58.8℃が最高だそうです。軽く死ねる気温ですね。(笑)
2010年09月14日
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安政の大獄に倒れながら、死後もなお尊皇攘夷の原動力となったのが吉田松陰(よしだしょういん)でした。松陰は長州藩士で思想家、兵学者、教育者としても優れ多くの逸材を見出し、のちに明治維新の精神的指導者として名を残します。高杉晋作は、安政六年(1859)七月、江戸伝馬町の獄中あった松陰のもとへ「男子たる者の死」について教えを乞う手紙を差し向けました。獄中、松陰は高杉晋作に次のように返事をしています。死は好むべきにも非ず、亦(また)悪むべきにも非ず。道尽き心安ずるすなわち是死所。世に身生きて心死する者あり。身亡びて魂存するものあり。心死すれば生くるも益なし。魂存すれば、亡ぶも損なきなり。死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。この手紙のやり取りのあと、松陰は幕命によって斬首刑に処され、訃報は下関の高杉にも伝えられました。このとき、高杉は身を震わせて怒りを露にし、長州藩の重職にあった周布政之助への手紙で「松陰先生の仇は必ず取ります」と記しています。文久二年(1862)、高杉は藩命によって幕府使節随行員として上海へ渡航し、清国が列強によって植民地化されつつある実態を知ります。帰国後、攘夷の決意を固めた高杉は時代を駆け抜けてゆきます。松陰が最期に伝えた言葉が、その後の高杉にどのような影響を与えたのかについては定かではありません。けれども、獄中で死を覚悟した中で書かれた松陰の手紙は、いかにも学識を感じさせ、簡潔でありながら明快な内容です。松陰が高杉晋作に伝えた最期の教えには、人としてのプライドと信念に満ちていると感じます。現代の日本に欠如しているものを、突きつけられたような気もしました。
2010年09月07日
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