風雲 いざなみ日記

2005年10月11日
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このブログをはじめた頃にも、この日本人のことを私は特別な思いで書きました。 それは、1940年ナチス・ドイツのポーランド侵攻作戦をきっかけに、第二次大戦が勃発した直後のことです・・・



彼の名は杉原千畝(すぎはら ちうね)・・・ 



杉原が勤務する領事館には、ソ連とナチスの両方から追われ、逃げ場所を失ったユダヤ人が連日のように救いを求めて殺到し、領事館の外までが人で溢れていました。 この頃になると、市内のどの通りでも、ユダヤ人の死体を見ることが出来たと言われています。 


「彼等をなんとか救いたい!」そんな思いに駆られた杉原は、何度も本国の外務省にかけ合いましたが、日・独・伊三国同盟を重視する外務省内部には、そんな彼の訴えに耳を貸す者など誰も居ませんでした。 やがて、本国からはビザ発給を許さないという電文が届きます。 彼は悩んだ末に覚悟を決め、遂に独断でビザを発給することを決心します。


そして彼は、本国からの命令に背き、残された僅かな時間の間に、救いを求めるユダヤ人難民たちに対して、2,139通もの日本経由ビザを発給し、家族を含めて約6,000人の出国を助け、その命を救いました。 


やがて終戦の日を迎え、捕虜として抑留されたのちに、日本へと帰国した杉原を待っていたのは賞賛の声ではなく、外務省本庁から通告された、懲戒処分の通告という厳しい現実でした。 それだけではなく、戦後30年もの長い間、彼がリトアニア時代にとった人道的行動は、半ば組織に対する反抗的行為として、外務省から黙殺され続けていたのです。



杉原が、リトアニアでビザ発給に尽力した時代は、有名なセントルイス号事件など、あのアメリカでさえも、ユダヤ人難民の入国を固く拒否して、追い返してしまうような頃です。


私が彼のことを知ったのは、もう随分昔のことでしたが、孤立無援の状況下で、人はかくも勇敢に行動できるものかと、強い感銘を受けるとともに、今日失われつつある日本人の美徳を感じたものです。


今夜、杉原千畝を題材にしたドラマ「六千人の命のビザ」が放映されるそうですので、ご覧ください。 当時、多くの国々さえも見て見ぬ振りをしていたユダヤ人に手を差し延べ、自らの危険をも顧みずに、真義を貫いた人間がいたことを記憶に留めてください。




折しも今年は、戦後60年経った今、ベルリン市の中心にホロコーストで犠牲となったユダヤ人を追悼するモニュメントが序幕された年でもあります。



※ちなみに、ホロコーストとはギリシャ語で「丸焼きの供え物」の意。





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最終更新日  2005年10月11日 00時36分03秒
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