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何もやる気が起こらなかったとき、図書館でみつけた詩。一心にノートに書き写しました。高村光太郎と言えば、檸檬と道程しか知らず、それでも好きな詩人でした。牛(高村光太郎) 牛はのろのろと歩く牛は野でも山でも道でも川でも自分の行きたいところへはまっすぐに行く牛はただでは飛ばない、ただでは躍らないがちり、がちりと牛は砂を堀り土を掘り石をはねとばしやっぱり牛はのろのろと歩く牛は急ぐ事をしない牛は力一ぱいに地面を頼って行く自分を載せている自然の力を信じきって行くひと足、ひと足、牛は自分の道を味わって行くふみ出す足は必然だうわの空の事でない是でも非でも出さないではいられない足を出す牛だ出したが最後牛は後へはかえらない足が地面へめり込んでもかえらないそしてやっぱり牛はのろのろと歩く牛はがむしゃらではないけれどもかなりがむしゃらだ邪魔なものは二本の角にひっかける牛は非道をしない牛はただ為たい事をする自然に為たくなる事をする牛は判断をしないけれども牛は正直だ牛は為たくなって為た事に後悔をしない牛の為た事は牛の自身を強くするそれでもやっぱり牛はのろのろと歩くどこまでも歩く自然を信じ切って自然に身を任してがちり、がちりと自然につっ込み食い込んで遅れても、先になっても自分の道を自分で行く雲にものらない雨をも呼ばない水の上をも泳がない堅い大地に蹄をつけて牛は平凡な大地を行くやくざな架空の地面にだまされないひとをうらやましいとも思わない牛は自分の孤独をちゃんと知っている牛は食べたものを又食べながらぢっと淋しさをふんごたえさらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く牛はもうとないてその時自然によびかける自然はやっぱりもうとこたえる牛はそれにあやされるそしてやっぱり牛はのろのろと歩く牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ思い立ってもやるまでが大変だやりはじめてもきびきびとは行かないけれども牛は馬鹿に敏感だ三里さきのけだものの声をききわける最善最美を直覚する未来を明らかに予感する見よ牛の眼は叡知にかがやくその眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく形のおもちゃを喜ばない魂の影に魅せられないうるおいのあるやさしい牛の眼まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼永遠を日常によび生かす牛の眼牛の眼は聖者の眼だ牛は自然をその通りにぢっと見る見つめるきょろきょろときょろつかない眼に角も立てない牛が自然を見る事は自然が牛を見る事だ外を見ると一緒に内が見え内を見ると一緒に外が見えるこれは牛にとっての努力ぢゃない牛にとっての当然だそしてやっぱり牛はのろのろと歩く牛は随分強情だけれどもむやみとは争わない争はなければならない時しか争わないふだんはすべてをただ聞いているそして自分の仕事をしている生命をくだいて力を出す牛の力は強いしかし牛の力は潜力だ弾機ではないねぢだ阪に車を引き上げるねぢの力だ牛が邪魔者をつっかけてはねとばす時はきれ離れのいい手際だが牛の力はねばりっこい邪悪な闘牛者の卑劣な刃にかかる時でも十本二十本の槍を総身に立てられてよろけながらもつっかけるつっかける牛の力はかうも悲壮だ牛の力ははうも偉大だそれでもやっぱり牛はのろのろと歩く何処までも歩く歩きながら草を食ふ大地から生えてゐる草を食ふそして大きな体を肥やす利口で優しい眼となつこい舌とかたい爪と厳粛な二本の角と愛情に満ちた鳴き声とすばらしい筋肉と正直な涎を持った大きな牛牛はのろのろと歩く牛は大地をふみしめて歩く牛は平凡な大地を歩く
2007年05月25日
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今日は、予約しておいた竹内まりやのアルバム、「Denim」の発売日。朝一番にデパートへ・・そして、本屋さんで松下幸之助「道をひらく」というの随筆集をみつけました。接点のないような二つのもの。どちらも、生き方のヒントをくれそうです。 「スロー・ラヴ」より 見えてないだけの青い鳥かもね。あせらなくていいさ ゆっくり歩こうよ。 (竹内まりや ) 「道」より それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。(松下幸之助)
2007年05月23日
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商品を買うときは必ず比べます。商品には、見かけと、品質と価格しかないからです。幸せはどうやって比べますか?一生の価値が同じだとしても、一生の長さが違います。生まれた環境、健康状態、もちろん、見かけも違うのです。不幸がやってくると、なぜ自分だけに・・と思います。幸せがやってくると、ご褒美だと思います。幸せも不幸も一生のうちにやってくるのです。比べる意味なんて何もないのです。
2007年05月15日
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最近は、週明けに求人誌を見るのが仕事になっています。派遣会社には医療事務で登録してるけど、本当にこの仕事がしたいのかよくわからなくて・・・で、今日見つけたのは、食堂での調理。「ありがとう」と言われると・・・という見出しが気になりました。専業主婦の期間が長かったけど、家事をして「ありがとう」と言われたことが無かった。私が求めていたものは「ありがとう」だったのだと気づきました。それも、つくりものではない「ありがとう」。やりがいがあるといえるのは、「ありがとう」がもらえるということなのかもしれない。
2007年05月07日
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