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役にたたない日々 バアさんと呼ばれる年になり、この先長くないと思うとき、人はどうするのでしょうか。尊敬される人格者としてまっとうするべきと思う人もいるでしょう。 そういう世間体やしがらみをがばっと取り払ってくれるエッセイ集です。 過激で毒舌な先輩。こういう人大すきです。前に住んでいたところにこういう感じの方がいて、あのころはとてもお世話になって楽しかったなあと思い出しました。 『100万回生きたねこ』の作者さんも、もう70歳を迎える年頃になっていたのですねえ。 偶然にも最近このお芝居を見る機会があって、子ども向けとはいってもずいぶん奥の深い話だなあと思っていたところでした。 佐野さんは2回の離婚を経て子どもも独立して気ままなお暮らしをされているようです。帯に「今年の華やぐ心を誰に捧げよう?」とか「人生をめぐる名言がゴロゴロころがっています」とか書かれていますが、それほど「おひとりさまライフ」を楽しんでいるというわけではありません。 何より佐野さんはガンなのです。ですが、佐野さんはガンを「いい病気だなあ。青ざめた見舞客が、メロンなんか持ってきてくれる」といってのけます。「ガンより神経症の方が何万倍もつらかった。何万倍も周りの人間は冷たかった」と。 見舞いにともらった「冬のソナタ」を見て、はまっていく過程が面白いです。私は初めて「冬ソナ」を見てもいいかなという気になりました。 ストーリーはめちゃくちゃで、ヨン様も女も執念深いといいながら、「家にヨン様が居るいつでも居るという安心感は何にもかえがたい」とどんどん韓流にはまっていくのです。 くどくど解説するより佐野さんの語りに触れたほうがいいですね。 これを次の書評のひとつに予定していますが、うまく書けるかなあ。いつもはうまく書いてるみたいな言い方だけど。
2008年06月29日
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スイッチを押すときいいいんと音がして、そのまんま省エネモードでとまったまま。がーん。 で、これは今だんなが使っている会社からのお下がりであります。 いつも使っていたのはやはりだんなが通販で買ったDELLのやつ。その前に私がコジマで買った東芝のほうはぺぺりんが使っているが、そっちのほうはまだ大丈夫らしい。 だんなは電化製品というか、とかく買い物で不良品に当る確率が高い。オーディオなんて保障期間を過ぎたとたんだめになる。 くじはまったく当らないのになあ。 今日はばーちゃんと墓参りをしてお盆のちょうちんの注文をしにいった。フィットネスをしてエスパルス見て買い物してきても、まだだんなは寝ていた。お昼のスパゲッティも食べていない。 夕飯は鯖の味噌煮となめこのお味噌汁を作った。そのときだけ起きてきた。 パソコンの入れ替えをしてほしいんだけど。これではプリンター使えないから。それからばーちゃんが網戸のレールを見て欲しいっていってたよ。 返事がないと思ったら、だんなはもう布団の中にいた。 まあ、こんなかんじ。 ぺぺりんのことで7月に東京に行くことになりそうだ。ふふふ,どこか寄れるところないかなあ~。
2008年06月28日
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しずかな日々 雨が降っていたので読書が進みました。 椰月さんのことはまったく知りませんでした。講談社児童文学新人賞をとった方だそうです。 これも児童文学になるのかな。でも大人が読んでも、というより大人こそ読むべき本です。 小学五年生の男の子のお話です。これがとってもいいんだなあ。男の子の世界。ちまちました女の子の世界と違って、いつも笑いこけていて、イタヅラしたりして、ああ、そうだ、男の子ってこんなんだった、うちの子らも五年生の頃はよく友達が遊びにきていっしょにお風呂入って、自転車で遠くまでいったっけなあ。。。。と懐かしく思い出しました。 女の子がほとんど登場しないのもいいですね。男の子に絞ったのが純粋で輝いていて、そうだよ、世間で言われているほど子どもは子どもらしさを失っているわけじゃあないんだって、そう思えてくるのです。 大人が子どものご機嫌とっているお話とは大違い、あれ、まだしつこかったかな。整髪料のあとに石鹸の臭いをかいだみたいな一日でしたね。ははは。
2008年06月22日
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愛しの座敷わらし 朝日新聞で連載していたそうです。題名で分かるとおり、座敷わらしが古い民家に引っ越してきた家族の前に現れます。 はっきりいって、読むのにじれったさを感じました。座敷わらしの登場までにずいぶんと時間がかかるのです。変な物音とか、肩こりだとか、誰が読んでも分かるだろという前振りみたいなのが延々と続くのです。しかも父、母、姉、弟、祖母とそれぞれの立場で(それがなぜか3人称で)書かれるのでなかなか時間が過ぎてくれません。 話はほのぼのとしたお話ですが、大人も主人公に交えたためにリアリティを出そうとして、いちいち言い訳を述べている感じがしました。いっそ主人公を少年一人にして児童文学にすればすっきりしたでしょうと思います。 お父さんは娘に「ズレている」と思われている世の父親の代表のような人です。娘のご機嫌を取ろうと必死です。そう、まさに書き手がそういう感じ。いろんな世代のことを知っているかのように書こうとするのですが、それがすべっているんだなあ。少年の台詞にゲームキャラを交えるところなんか、むず痒くなってしまいました。 荻原さんは『明日の記憶』で有名ですが、そっちは立ち読みでちょっと読んだだけでした。あれも若い人の会話についていけない中間管理職の話でしたっけ。映画はいろいろと考えさせられましたけど、文章は。。。。。 まあ、このくらいにしておきましょうか。悪い話ではないですよ。うん。
2008年06月22日
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りすん 『アサッテの人』の諏訪さん第2作。今回も泣かせます。 全編会話文のト書きすらない脚本のような作品。途中でリタイアする読者も多いかと思います。出てくるのはアサッテ言語をこよなく愛する兄妹。とはいってもマタ従兄弟の関係の若い男女です。妹が白血病で入院中の二人部屋が舞台。この二人の会話を盗み聞きしている隣のベッドの患者さんが即ち読者なのですね。 うら若き女性が母親と同じ病でいつも「死」と直面している。そんなとき、家族は何をしてやれるのでしょうか。軽薄ともとれる会話の合間にふと現実にかえって恐怖する妹。そして大学生でありながら毎晩付き添ってやる兄。この世でもっとも通じ合うことができる人と別れなければならないことのやるせなさ。 「中学のときね、動詞の活用って、国語で習ったんだ。日本語のね、動詞の活用。 『逝かない、逝きます、逝く、逝くとき、逝けば、逝け』 『死なない、死にます、死ぬ、死ぬとき、死ねば、死ね』 ハハハハ、面白くない?『死ねば?死ね!』って中学生がクラス中で発声してるのって」 『死なない?死にます!死ぬ! 死ぬとき!死ねば?・・死ね!』 『死なない?死にます!死ぬ! 死ぬとき!死ねば?・・死ね!』 ・・・あああ・・・」 ふたりのやりとりを小説にしようとしていた作家の存在も知った二人は、自分たちは書かれるただの登場人物なのかと問います。 「こんな妄想っぽいことで迷うのってさ、この世に、俺たちだけなのか。他の、普通に生きている人たちは、微塵も感じていないのか。そんなのおかしいよ。だってさ、普通の「現実」の方は純粋で、邪気もないなんて、とんでもない嘘っぱちだ。本当の本当は、そうじゃない。『現実』のほうが『小説的』にできてるんだ。それはさ、その『現実』の中で生きてる人たち全員が、実は、自分たちを、小説みたく、作為的に『書いて』いるからだ。・・・」 巻頭、題名の裏に小さく「妹へ」とありました。もしかしたら作者の妹さんはもうこの世にいないのかもしれません。いや、本当はどうかということが問題なのではないのです。大切な人を失ってしまった人の悲しみをアサッテの手法で描くということが秀逸だと思いました。 しみじみと、しみじみと胸に染み入るお話でした。
2008年06月21日
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この前ある方のサイトで面白いと感想が書いてあった本を取り寄せてもらった。 前回は向こうから雑誌出版社宛と私自身にも丁寧なお願い文が届いた。担当者の誠意が伝わり、こちらもがんばって書こうという気になった。 でも今回はまったく何もなし。それなりに売れてる本だからかな。まあ、ただでもらえるのだから文句をいう立場ではないけれど、出版社によっていろいろなんだと知る。 こんな時代の、顔も知らない人とのビジネスだからこそ、きっとこういうところから差が出るのではないかな、とは思ったぞ。 まあ、人の振り見てわが振り直せですな。 その前に早く借りた本を読まなくちゃ。
2008年06月19日
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今日はだんなとふたりで水筒を買いにいったついでに、魚センターに寄りました。 日曜なのでけっこう混んでいます。お昼時は人気のお店の列がこんなに。 さすが駿河湾、こんなのもいました。 シュモクザメというらしいです。 写真を撮っていたら、後ろにいた婦人の足を踏んでしまいました。謝ったのに、怒っていってしまってなんだか感じわるう。 これはマグロとカジキの尾肉です。美味しいらしいです。明日の晩ごはんかな。 で、今夜はイサキの塩焼きでした。 たいへんおいしゅうございました、といいたいところなのですが、食べ初めて二口めで、骨が喉に刺さってしまったのです! 鏡で見ても見えないところで刺さっているようです。つばを飲んでも痛い。が=ん。 昔、ぱーくんがアジの骨がささって病院で抜いてもらったことを思い出しました。ただちょっと抜いただけで5千円もとられたことをです。 もう必死でうがいしたり、おえっとやってみたりしました。 格闘5分後、抜けましたあ。 4センチほどもある骨でした。 だんな曰く、なんでそんな大きいのを丸呑みするかなあ。 これも給食の早食いのせいです。ほとんど噛んでる暇などありませんからねえ。 と、言い訳。 おかげで美味しさも半減。もったいないことをしました。でも、完食したけどね。 お食事はよく噛んで食べましょう。はい。
2008年06月15日
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終末のフール 8年後に巨大隕石が衝突して、地球は滅亡する。そのニュースが流れてから5年後、暴動や略奪や殺人などが終息した仙台市内のお話。 例によって1編1編が繋がっている短編集であります。過激な事件はもう過去のものとしてある設定で、ほとんどが日常です。でも家族や大切な人の多くは先にこの世を去っています。 読者はその暴動の日々を知らないわけですから、いまひとつパンチが足りないという感はありますが、生き残った人々の諦観というか、潔さというか、そういうものにあこがれますねえ。とくにキックボクシングの話がよかったな。最期までかっこよくいきたいものです、ほんと。 読んでから実際の世間に出てみると、みんなのどかなんですねえ。ああ、こういうものかと思いました。 岩手・宮城の震災にあわれた方々にはお見舞い申し上げます。
2008年06月15日
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昨日などはほぼ8時だったので、今日の6時半帰宅は快挙というべきものだった。平日にスーパーに入ったのも久しぶり。 一昨日だったか疲れ果ててソファで寝てしまい、夜中の2時にシャワーを浴びてそれから片づけをしたので4時になってしまい、寝るのも中途半端。 今日はどうもふくらはぎがつっている感じなのだ。もともと太いけれど、たしかにむくんでいる。 そういえば仕事場で午後3時までトイレに行ってなかった、なんてこともある。 雑務が多いのだよ。みんな、おとなしく従いすぎだと思うのだが。文句を言ってばかりいると浮きそうだなあ。すでに、か? こんなとき、信号のない交差点でどうぞどうぞと譲っている車を思い出すのだ。おかげでその車線は大渋滞。譲るのもたいがいにしろよ、と後ろの車は怒るのだよ。 自分さえ我慢するのが美徳だと思い込んでいる人にはそれが後に続く人にとってみれば大きな迷惑だってことに気がついていないってこと。 話が飛びすぎました、ね。はい。 そうそうタイトルは「調理」でした。 ヒジキと油揚げを煮ました。この前の豚コマが余っていたので結局味噌汁にしました。 あとはトマトとキュウリのサラダというか、生野菜。でもキュウリは蛇腹に切ったりして、まあつまりほんとに久しぶりにまな板を使ったのだということを言いたかった。 それだけ。
2008年06月12日
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きのうの白昼の惨劇、犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。 自分はばーちゃんと初盆の道具の展示会に出かけていたので、事件が起きたのを知ったのは帰ってからでした。 お昼にだんなが仕事から帰ってきてニュースを知り、さっそく息子たちに安否を確かめたのだそうです。 ふたりとも、寝てましたあ。 犠牲になった方は学生さんが多くいました。ほんと、ひとごとではありません。 親御さんとしては、やりきれないだろうなあ。 ところで犯人は静岡県の、という報道をされていますが、派遣会社が裾野市にあるというだけで、出身も違いました。なんだかちょっとほっとしたのでした。静岡の人はあんな事件は起こさないみたいな。。。。。これって偏見かな。愛郷心ということで。 派遣会社の実態がいろいろ問題になっているさなか、もっと他の方法でできなかったのかなあ。おとなしく優秀だったって。ふうむ。
2008年06月09日
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八日目の蝉 読み終えてすぐに思ったことは、どんな監督ならこれを巧みに映像化してくれるだろうということでした。 ラストでこれまで抑えていたものがどっと噴出して、許されるということはこういうことをいうのだとひとひとと染み入るものがありました。 妻がある人を愛し、その人の子どもを堕胎した女性が、その相手の家庭から生後半年の赤ん坊を連れ去ります。 女性はその子に薫という名をつけ、立ち退きを迫られているボロ家からエンジェルホームという怪しげな団体の施設で世間から身を隠して過ごします。そこで知り合った女性から聞かされた住所を頼りに小豆島に渡って、4歳になるまで薫と生きていきます。 成長していく薫がなんとも愛らしく、この本物ではない親子がどうか平穏に暮らしていってくれないかと読者は思うのです。 でも、もちろんそれは許されない望み。第2章は大学生になった薫(今は恵理菜)がエンジェルホームでいっしょだった千草という女性と出会って、少しずつ心の殻を解いていくストーリーになっています。 いちばん最後はなくてもよかったかなあと思いますが、読者としては気になるから、角田さんも書くかどうか迷ったのではないかしら。 エンジェルホームのような団体の描写などは野沢尚の『魔笛』に比べたらかなり薄っぺらい気がするし、事件の当事者が受けるさまざまな迫害も意外とさらっとしているので、そういう意味ではいまひとつ物足りなさが残りますが、幼い子どもと過ごすことがどれだけ大きなエネルギーになるのかということに絞ったと考えれば、これはこれでいいのかもしれません。 子どもは生きる力そのものなのですねえ。存在自体がエネルギー発光体なんですねえ。 読んでいて、何度も幼かったころの、息子たちの表情を思い浮かべました。 それだけ歳をとったってことでしょうか。 早く孫の顔を見てみたいって、ああまだまだ、まだまだだあ。
2008年06月07日
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久々に重松作品を読みました。 思うことがありすぎてうまく表現できませんが、重松氏自身がこの村内先生になりたかったのだろうと思います。 登場するのはほとんどがいじめなどの被害者ではなく、加害者の立場の子どもたちです。寡黙症だったりとんがっていたり、クラスメイトを転校させた側の人物だったり。 彼らが嘘をついたり普通ではない行動をとるのは、「ひとりぼっち」だからだと村内先生は言います。 日本中にいるひとりぼっちの子どもたちのそばにいてやるのが村内先生の仕事なのです。そして出会ったときに「間に合った」といいます。 先生は吃音で、とくに「カ行」と「タ行」と濁音はひどくつっかえながらしかしゃべれません。 うまくしゃべれないから、大切なことしかしゃべらない。 う~ん、すごいですね。この設定。 村内先生が自分の学校にきてくれないかなあと思う子どもはきっとたくさんたくさんいるんでしょう。 それと、これは現場で働くものに大きな挑戦状になっているということ。「普通」の行動を取らせることだけに躍起になっていることがいかに愚かであるかを生徒の立場から言わせているのです。 青い鳥は身近にいるのですね。もしかしたら重松は今現場にいる教師たちに「あなたが青い鳥になれるんだよ」といいたいのかもしれません。 ほんとに考えさせられる本でした。重松、がんばってるなあ。
2008年06月02日
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昨日の寒さとはうってかわって、運動会日和でしたねえ。 ちょっと暑すぎたくらいでした。おかげでまた真っ黒になってしまいました。 とにかく無事終了。あとは慰労会です。 明日も休みだ、ばんざい。
2008年06月01日
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